はてなキーワード: ショッピングモールとは
いま夕方。
今朝から、妻との離婚を真剣に考えるようになったので吐き出す。
2年ちょっと前に夫婦で話し合ってから、セックスを含む身体的接触はしないことになっている。
妻とは子供を育てる同僚のような感じ。会話も普通にするし、冗談も言い合う。
おそらく外から見ると仲の良い夫婦だろうし、実施に仲が悪くはない。
今朝あったことの前提として。
私が都道府県をまたぐ1泊の出張に行き、出張から帰った翌日の夜から咳が出るようになった。
咳が出るようになった夜を「1日目」とすると、2日目の朝に上の子が39℃近い発熱をし、私も身体がだるかった。
3日目に私と下の子が発熱した。この時点で上の子も下の子も病院で検査を受けたがコロナではなく、私は市販のキットで抗原検査をして陽性の反応が出た。
5日目に妻が発熱した。6日目に妻と子どもたち(既に体調は回復)が市販のキットで抗原検査をしたら、妻は陽性、子ども達は抗体があるという結果だった。
私は、出張翌日も上の子とは接していない(深夜に帰宅し早朝に出勤した)ことや、私よりも上の子の発熱が早かったことから、私と上の子の感染経路は別と考えている。
妻は、私が出張先で感染してきて、上の子に感染させたと考えている。
本当なら、一昨日から妻と子供たちは帰省していたはずだが、妻の両親に余計な不安を与えないため、帰省は取りやめになった。
今日、本来であれば、私は知人の結婚披露宴に出席予定だった。もちろん、妻にもそのことは以前から伝えていた。
先ほどの数え方で13日目くらい、妻は私に対して「子ども達の夏休み中は、接待や会食を控えて欲しい」と言い、私は当然のことだと答えた。
子ども達が夏休み中に感染すると、学期中に比べて子ども達もかわいそうだし、妻の負担も大きいというのが主な理由だった。
この「接待や会食」に、結婚披露宴は含まれていない、というのが私の考えだった。
実際、その後も披露宴に出るから今日の夕飯は作れない(週末の炊事は私の分担)という話も妻に私からしたりしていたし。
しかし、妻から、今朝になって披露宴の出席は取りやめるか、出席するなら5日間ほど帰宅しないか、どちらかを選べ、と言われた。
私が、披露宴は取りやめなろと言われてないと思っていたと反論すると、妻は、飲み会に行くなと言った時点で私が自分から出席を辞退するべきだった、
今の時期に披露宴をやるのは非常識だ、と取り合ってくれなかった。
私は、妻の言っていることに納得は出来なかったが、説得は不可能と判断し、熱が出たと嘘をついて欠席の連絡をした。
どうも、その後も私が不満げな顔をしていたらしい。黙ってはいたが、表情や仕草に出ていたのだろう。
妻は私に対し、自分(妻)を悪者にするな。悪いのはお前だろう。コロナになっても看病は私(妻)に押し付けるくせに。披露宴をやる人間、それに出席する人間、どちらも非常識なのに私を悪者にするな。
当日の朝になって欠席しろと言われた時点では、腹が立った。なぜもっと早く言ってくれなかったのか。
しかし、それは特に婚姻生活に影響のない感情だ。こういう意見の違いは、私と妻の間でよく起きる。
ただ、その後、私が欠席を連絡したにもかかわらず、私や私の友人をなじり続けたのを見て、この人と関係を維持できない、と思った。
私は、テーブルにパーティションが置かれた状態でマスク会食をする披露宴で感染する確率は低いと思っているが、確証はない。
実際に感染してしまったら、私より妻に(主に子の看病の点で)負担が大きくなるのも妻の言うとおりだ。
だけど、価値観の問題として、欠席を当日に要求するならば、要求するまで出席するつもりでいたことを批難するのべきではなく、
むしろ欠席を決めたことに形式的にだけでも礼を言うくらいで良いのではないか、と思っている。
それから、恐らくは披露宴を挙行することに葛藤したであろう私の知人を非常識と批難したことに、怒っている。
どちらが良い悪いの問題ではなく、私はこの先も、このようなことが起こることに耐えられる自信が無い。
現在、一家4人で、私が親から相続した家に住んでいる。家賃ゼロ。ローンもない。
妻が希望するなら、私が家を出て、この家は子ども達が成人するまで無償で(固定資産税や火災保険は私が払って)住み続けて欲しい。もちろん、妻が実家に戻るなら私がこの家に住む。
子ども達の親権者は当然、妻になるだろう。養育費は、妻が働かないならば子供2人分で毎月12万円くらいか。妻が働いたら毎月10万円くらいになりそう。
蓄えは少なく、預貯金とその他の資産を合わせても200万円くらいだ。離婚するならば、預貯金は妻に、積立て式の財産は私に分与すれば、妻に不利益にはならないだろう。
私は家を出て、職場の近くに一人暮らしをすることになるだろう。毎日往復80分の通勤時間がなくなるのは楽だ。
子ども達と一緒に暮らせないのはさみしいが、今も週末以外は顔を合わせないくらい朝早く出て夜遅く帰っているから、妻が面会交流をこまめに認めてくれるのなら、実はあまり変化がないのかもしれない。
現在は家に毎月30万円くらいを入れているから、養育費と一人暮らし分の家賃、水道光熱費を足して30万円を下回るのなら、私の小遣いが減ることもない。
そう考えると、離婚も良い選択肢なのかも、と前向きになってきた。
離婚をためらうのは、ステータスが「婚姻中。2児の父」から「バツイチ単身」に変化することで社会的信用が低下するというところが大きい。
別に今の生活を続けても、1年に1回か2回、今回の件のようなことがあるのをやり過ごせば良いだけだ。だとすると、離婚しない方が体面は保てる。
そのことをずっと、悩んでいる。
妻は明日、子ども達を連れてママ友とショッピングモールに行くといっているから、明日もゆっくりとこの問題について考えよう。
吐き出してすっきりした。読んでくれた人、ありがとうございます。
今回の件に関する意見や、離婚することについての意見、離婚した人の経験談など、いただけると嬉しいです。
(以下、書いた翌々日(8/8)朝の追記)
こんなに反応があるとは思わなくて驚いた。
離婚しろ派、やめとけ派、妻を批判する人、私を批判する人、色々な意見を聞けてとても嬉しい。
他方で、私が一方的に自分の視点だけから書いた増田で賛否が拮抗するなら、もし妻側の意見も明らかになったら私が相当批難されるのだろうな、と思った。
離婚について、1日(といっても、10時半頃に妻子をショッピングモールまで送り、17時頃に迎えに行くまでだから半日以下か)ゆっくり考えた。
結論はまだ出ていない。
いくつかのブコメやトラバで「子供のことは蔑ろか」という趣旨のものがあった。これにはもう「すみません」としか言いようがない。
もともと仕事にかまけて育児は殆どしていない。週末だけの父親。たまに子ども達が起きている時間に私が帰宅すると大騒ぎになる。
寝る時間が遅くなり体調を崩すから、妻から、帰宅する時間は夕飯前ぐらいの早い時間にするか、子ども達の就寝後にして欲しいと言われている。
結果として、子ども達と平日に夕飯を共にするのは1か月に1日あるかないか。
だから、離婚しても子ども達との関わり方それ自体にそこまで変化はないだろうと考えている。
何より、私が今まで見てきた他人の離婚で、離婚したことにより子が不幸になったというように見えるものがあまりない。
もし私が子ども達を不幸にしているとしたら、離婚に寄ってではなく、これまでも既に不幸にしてきたし、離婚しようがしまいがこれからも「両親の不和」という形で不幸にし続けるのではないか、と考えている。
今日選挙行ったけど何がめんどいって投票所まで行くのがまじでめんどかったんだよな〜〜〜
でもネットで投票はさすがに色々問題あるから今のところはなしだなぁと
で やっぱ投票所がもっと近くにいっぱいあればいいのにな〜と思った
駅ナカに最近よくある人1人が入れるくらいのコワーキングスペース?みたいなのを駅とかショッピングモールとかなんなら無人精米機みたいに道端にぽつんとあってもいいし
あんな感じの箱を色んなとこにぽこぽこ置いてさあ
投票券?についてるバーコードぴってしたら入口が開いて、中でまたバーコードぴってしたら投票用紙が出てくる みたいな もっと普及したらマイナンバーカードと紐付けとかでもいいよねあのバーコードついてる紙持ち歩くのもめんどいし
で 投票期間を1~2週間くらい設けといてちょっと出かけたついでとか仕事の帰りとかにふらっと寄れるようにする
とかでどうかなぁ
数日前、ドラッグストアでコンドームを探しまわった体験録を書いた悲しき24歳労働者です。
https://anond.hatelabo.jp/20220528225125
勢いに任せて書き殴りろくに推敲もしないままインターネットの大海へぽいと投げてしまったものの、なんだか恐ろしいことをしてしまったような気がして翌日こわごわ匿名はてなを開いたところ思いの外たくさんの方に読んでもらったようで。コメント見ました。全部見ました。匿名はてなを覗くとき、匿名はてなもまたこちらを覗いているのだ。
サガミオリジナル0.02Lサイズはやはり男のプライドなんでしょうか。白状するとさっぽろ時計台と書きながら思い浮かべていたのはテレビ塔のほうで普通に脳内変換ミスでした。長文乱文すみません、いやほんと、長いっていうのがいちばん多かった。す、すみません。
いやー、なんだかみんなおんなじ文章読んでるはずなのに気になる部分が全員違うって、そりゃそうなんだけど不思議なことだなあとブルーライトが眩しい液晶の前でうっすら笑みを浮かべながらスクロールに次ぐスクロールをしていたら。
「今好きな女の子がいて、のところがスルーされてるのはなぜ? 何度も読み返した」
さすがデュオ!
俺たちが見逃してしまうことに平然と気がつく!
そこにシビれる!憧れるゥ!
女を好きな女の話をしましょう。
えー、いま現在わたくしは好きな女の子がいます。付き合ってはいません。思いを伝えてもいません。
わたしにとっては好きな女の子、向こうにとってはわからない。お互いにとっては毎日LINEをする友達。
仕事が終わらないだとか、三谷幸喜は血も涙もない脚本を書くねとか、コナンが外出するとそれだけで人的及び物的被害が多発するから彼は名探偵になるよりも早急にお祓いを受けたほうが世のため人のためってやつだよねとか、そんなくだらないことをつらつらと話すだけだけど、それで結構満足している。
LGBTというアルファベット4文字がだいぶ世間に浸透し、昨今なにかと話題のセクシュアル・マイノリティ。いや別に話題になろうがならまいがわたしが女を好きな女であることに変わりはないのだけれど。まあ言語でもって共通認識があったほうが話が早いのは確かな人間社会。
わたしは男の子も女の子も好きになる女なので、所謂バイセクシュアルの女性というやつにあたるんだろうなとふんわり思っている。
なぜふんわりかというと、実のところ自分のことを「女が好きな女である」と自覚したのがわりに最近、ここ数年のことだから。石のように揺るがない確固たる意志だとか、テコでも動かんぞ!というがんとした姿勢でもって「好きだ!」というのではなく「いやまあ好き……っすね………」みたいな感じ。
自分のことを定義付けできたのは大学生になってから。女の子への初恋は中学生のとき。憧れの先輩がいた。
週に一度、習い事のためにいつもは乗らない電車に乗るときが、部活も学年も帰り道も違う先輩と2人きりで話す唯一のチャンスだった。
容姿端麗・頭脳明晰・運動神経抜群な先輩は地区でいちばん頭のいい高校に合格した。卒業式の日、制服のボタンを貰った。翌年同じ高校に入学した。廊下ですれ違うたびに手を振ってくれる先輩が眩しかった。先輩みたいな人になりたい。憧れの存在だった。
ただ当時のわたしはアイドルの嵐がめちゃんこ好きだったり、仲の良いクラスの男子と定期テストの結果を競い合って負けたらサーティーワンのアイスを奢るために一緒にショッピングモールに遊びに行ったりと、まあ、なんだ。傍目から見たら普通に男子が好きなんだなあという感じだっただろうし、自分でも男子が好きなんだなあということは疑いようもなかった。
ただ一方で、じゃあこの先輩への説明のつかない気持ちはなんなんだという疑問が胸の奥ーーのほうでキャラメルリボンのようにぐるぐる渦巻いてもいた。
実際サーティーワンの男の子からはサーティーワンの帰り道に付き合ってほしいという申し出を受けた。素直に舞い上がった。けど、高揚のままによろしくお願いしますとシェイクハンドしてしまうのは、なんか、なんか違うよなと思った。
「ごめん」のひと言を伝えるのがやっとのわたしに、サーティーワンボーイは
「おっけ。次のテストも負けねえから」と爽やかに返してくれて、それが告白されたことよりも嬉しかったのを覚えている。
アイスの冷たさが沁みる季節も過ぎて、短い秋をのんべんだらりと過ごしていたある日。地元の図書館で本を貪り読んでいたところ、雷に打たれたような衝撃を食らった。
それは少女小説「マリア様がみてる」との出会いであった。まじ、衝撃であった。
マリア様がみてる、通称マリみてとの出会いはわたしの恋愛観を180度どころか900度くらい変えた。まじ、根底からひっくり返ったのち勢いそのまま何周かした。わたしの精神世界はさながらセカンドインパクト後のような様相であった。信じられん存在感をもってして、わたしの世界を一夜のうちに変えてしまった。
お、女の子のこと、好きになってええんか……。
先輩への憧れを、尊敬とか思慕とかそういう言葉でもやもやっとさせなくてもええんか……。
近付きたいと思ってええんか……。
まじか…………。いや、まじか…………。
もう、絶句であった。
クラスメイトたちがせっせと次の定期試験に向けて勉強しているさなか、わたしはただひとりマリみてを読み漁った。とりあえず全巻読破した。
まじか。うわー。まじかー。
マリみてを読むことに全ての力を注いでいたためサーティーワンボーイとの賭けには再び負け、今度は購買のパンを奢らされた。苦手な物理では赤点を取った。けれどもそれらはマリみての前では些細すぎる出来事だった。
まじかー。
この「まじかー」という思いを3年間引きずったまま、けれども先輩との距離をそれ以上縮めることもできずに、先輩が卒業したあとは何事もなかったかのような顔をして男の子と初お付き合いをしたりしてわたしの高校生活が終わった。
マリみてどころの騒ぎじゃなかった。
盆と正月とクリスマスと創造神と破壊神がいっぺんにこの世にやってきて世界をめちゃくちゃに踏み荒らし、亡き者の命を弔い新たなる生命の誕生を祝福し、一筋の光を灯しては消して灯しては消して「じゃ!あとは自分で頑張って!」と言って帰っていった。
まじ、衝撃であった。
セクシュアリティ、多様な性、LGBT、性別二元論エトセトラエトセトラ。それらすべての言葉や考え方が、自分がどれに当てはまる当てはまらない関係なく、誰もかれもに関係する言葉であるのにも関わらず、わたしは過去18年間何ひとつ知らなかった。
ただ己の直感のみで生きるしかなく、その直感の中に「もしかしたら女の子が好きかもしれん」というものがあり、がしかし、なまじ男子も好きになるがゆえに「いやいや、まあそれとこれとは違うっしょ」という感じで奇跡的な気付きに雑に蓋をしてしまっていたのだった。
と思わないでもなかった。
でも、じゃあ仮に高校時代に「女を好きになる女」みたいなことを調べたとして、わたしが先輩に何がしかアプローチすることはあったのか?先輩後輩の均衡を最後まで崩さなかったのは紛れもなくわたしの選択肢ではないのか?
どうしょもないIFすぎる問いを抱えたまま、とりあえず次に好きな女の子ができるまで、何事も何事もなかったムーブで過ごそうと決めた。
ただ、ちょぴっと知識を得たことで、わたしの「普通」がちょぴっと変わった。
女を好きな女であることをことさらに全面に出すこともなく、かといって、押し込めるわけでもなく。普通に男の子とも付き合うし、好きになったら女の子にも普通にアプローチする。だって好きなんだもん。別にいいじゃんね。
クィアの講義を受け持っていた先生は、セクシュアリティは個人的なもので、そして流動的なものでもあると言っていた。わたしは結構この言葉が気に入りだった。
個人的なもの。わたしだけのもの。流動的なもの。変わってもよいもの。わたしのものだから、変わったって変わんなくなって、誰に文句を言われる筋合いはない、もんもんとしたときは、そういうものがわたしの体の中心にすーっと通っていることを思った。
その「すーっ」を思う効能は、何事も何事もなかったムーブよりもはるかに効き目があった。
いま好きな女の子に対して、踏み込みたいという気持ちが無いわけではない。そりゃ好きだからな。
2人で遊ぶこともある。今度は旅行しようねと話してる。
舞い上がらないわけがない。でも彼女が少なからずわたしを信頼してくれているのがわかるから、それを壊すようなことはできないなーと、綺麗な横顔を見ながら思う。
わたしにとってわたしのセクシュアリティがわたしだけのものであると同時に、彼女にとってのセクシュアリティも彼女だけのものであり、そんでもって関係性というのは両者で作るものだ。お互いを尊重したうえで変容を求めるなら変容を、現状維持なら穏やかに関係を続けていけばいいのだ。
で、わたしは別に彼女に「わたしは男も女も好きです!」みたいな宣言をしたことはない。ので彼女は多分知らないと思う。言うならきっと、女だとか男だとかではなく。必要なのは「あなたが好きです」というただひと言なんだと思う。で、わたしはまだ思いの丈を伝える覚悟がないから言わないだけで。
ていうか別に、宣言とか、しないよね。なんかセクシュアル・マイノリティばかり言う言わないうんたらかんたら色々ありますが、
言う人もいる、言わない人もいる。
わたしのように匿名ツールでなら言えるとか、ざっくばらんな恋バナをする友人には言えるみたいな人も、いや家族や職場に言います、という人もいるだろうし。本当に、人それぞれ。その人だけのもの。個人的なもので流動的なものだから。
だからこう、ネットでも現実社会でも、まじかーまだその段階かーみたいな発言やら意見やらを見かけることは多々ありますが、知識を得た今ならそういったあれこれ全て、わたしの個人的なものを傷つけたり揺るがせたりすることはできないのだよ、と自分に言ってあげられる。ただ、中高生のころのわたしのように、じゅうぶんな情報や知識にアクセスできない若い子たちが不用意に傷ついていないかは心配しているよ。ていうか本当、いちばんはそこだよね。
増田の言うことめっっちゃわかるわ
電車乗ってて放置されてる子供がいてなんか言うなら車両変えろとかいやお前の都合だろって思うよね
何もショッピングモールに連れて行くな!とか映画とかに行くな!とか増田はいってるわけでもないのに何なんだろうねこいつら
単純に周りに迷惑をかけるなら連れて来んなって話だわ
子供が泣くのはしょうがねえかもしらんけど子供が泣くもんだから、社会が育てるものだからって知らんよな
構っても泣き止まないからクズが解消しないから放置するのは仕方ない?なら連れ出すな
公園とかに泣くなら連れて来んなとかいってるわけじゃねえんだわ
少なくとも俺は子供が小さい頃は出来るだけ公共交通機関を使わず、使うときは泣いたりぐずったりするたびに降り、ショッピングモールも子供連れが多く行くような所しか行かず、映画も子供向けなものは見に行ったが泣いたら離席させてたぞ
そんなん場所によるやろ。
公園とか電車とかショッピングモールだと「まあしゃーないわな」という気持ちになれるが、
映画館で騒いだり暴れたりされると「さすがに一回連れて出てくれん?」ってなる。
重症の疾患を考えたときはいきなり総合病院に行ったらいいです。急いで手術を考えないといけないときもそうです。迷わず緊急受診して下さい。
かかりつけ医の仕事は、その患者さんの過去の病歴などを知った上で、どの症状ならどこの病院のどの医師が名人だからそこに行くのがいいと推薦することです。大病院に行って、経験の浅い研修医に当たったら、帯状疱疹をいつまでも診断がつかないってこともあります。
大病院は、自分の診療科しか見ません。循環器の教授にずっとかかっていた人が、胃癌が手遅れになるまでわからなかったと言っていたケースがありますが、それはかかっていた医師の専門性が高すぎたから他の疾患に気が回らなかったのです。うちの診察室にも、血圧計は置いてないし、胸の聴診も基本的にはしないです。
回して貰ったらいいと言っても、その日に別の診療科にかかろうとしたら、その度に2-3時間かかりますよ。なんにせよ適材適所、上手な役割分担です。コンビニで済むことを、全て大きなショッピングモールに行くのか?
びっくりした。謎解きタイプのアクションゲーム。めちゃくちゃ面白い。ゼルダだこれ。
チラ見えしている隠し部屋。いま手に入った能力でどうにかできるんじゃないかな???
娘いっしょにあーでもないこーでもないと考える。娘の方が答えを先に思いつくことも多い。知識ではなく発想力の勝負なので一緒に楽しめる。
こんな感じでさりげなく答えに導いてくれるんだけど自分で解いた爽快感が凄い。すごいなー任天堂・・・
人のいなくなったショッピングモール。人を乗せないまま動き続ける遊園地。廃墟の研究所に虚しく響く明るいアナウンス・・・
いいですね。こういうのですよ。すごく良いです。好きですわー
5歳にはちょっと難しいストーリーかなと思ったけれども娘にも理解できたようです。戦闘中ずっと彼の名前を叫んでいた
わたしはというと戦いながら既に泣いてた。だってこんなの展開がわかっちゃうよ・・・歳をとると涙もろくなる
ラスボス形態、めちゃくちゃカッコいい。ポケモンにいてもおかしくないと思ったけれど、よく考えたらポケモン作った会社だったわ。
ハリウッド映画にありそうな迫力満点の演出が次から次へとやってくる。
それがムービーをぼうっと眺めるのではなく、全部自分で動かすのだ
「にげろーー!」「隙間だーー!」「突っ込めーーー!」「当たれーーー!」「競り合い!根性ーー!」 みたいのを全部自分でプレイする。臨場感と迫力がすごい。(ちなみにミスると普通に死にます)
名作映画10本分くらい一気に見たような満足感です。もう満腹です。
あと、ボス戦では強攻撃時にスローモーションになる演出があってこれも良い。
難易度調整の一つであると同時に、映画のような迫力のある演出になっている。
「避けろ避けろ避けろ避けろーーーー!避けたかーーーー?!」 → どどーーーーーん → 無事だーーー!
「カービーと奴は元々敵同士らしい」ということを、娘はちゃんと理解した様子。やり取り一瞬だったのにすごいな。
「友達になれたんだねー」と娘が無邪気に喜んだ直後。奴の取った行動に娘は激しくショックを受けていた。