はてなキーワード: ショタコンとは
〈追記〉
はなから完璧な文章を書く気などなかった(一般人の匿名ブログにそんな義務もないし)ので、このあたりは反論されるだろうなと思ったところがやっぱり突っ込まれており、興味深く読ませてもらっている。
ただ、ここまで「ひとりの人間として尊重する」ことが大切だって訴えているのに、「頭悪い」とか「病院行け」とか「バカ○○」とか言う人が出てくるのは何故なのか、考えても仕方がないのだが不思議に思ってしまう。
誰かの意見に反対するときは、その人を罵倒しなくてはいけないというルールでもあるのだろうか?
冷静に突っ込んでくれている人はありがとう。もっと勉強します。
〈/ここまで〉
それは、女性は誰かの目を楽しませるために存在するのではないから。
性的な目で見る、という言い方が曖昧なので分かりにくいんだけど、「誰かのことを見て性的な満足感を得ること」とする。
「おっぱいの大きな女がいたらどうしても目で追ってしまう。それは本能だ。どうしようもない。そういう生き物だから。それを禁止されたら、恋愛だって始まらないし、子どもも作れない、人間は滅びてしまうじゃないか」
と言う人がいるかもしれないが、それは違う。
・女性の体を見て楽しむことは”禁じられていない”。
この2つは矛盾しない。
男も女も、ホームレスも総理大臣も、誰にでも与えられている権利がある。
これを人権という。
人権は、人に、その人の身体を、その人のためだけのものとすることを認める。
だから不当に拘束されたり、傷つけられたりすることは、人権を損なうことであり、認められない。
その人権の中には、
や、
や、
などが含まれる。
「女性を性的な目で見る」行為は、女性のこのへんの権利を侵害している。
女性を、尊重されるべきひとりの人間として扱っていないことになる。
というわけで、
「おっぱいの大きい女をどうしても目で追ってしまう」→してはいけない。してしまったら、してはいけなかったな、これ以上見るのをやめよう、と思うべき。
「恋愛も始まらない」→女性を触ったりじろじろ見たりしてはいけないのは『許可なく』そうしたとき。女性は、そうされて構わないと思えばそれを許す。あなたがそれをしても人権侵害にならない。嫌だと思ったら断る。あなたがそれをすると人権侵害になる。
大切なのは『それを女性が良しとしているかどうか』。それを決める権利はすべて女性本人にあり、女性は誰にもおもねることなくそれを決められる。
「実在の女性を性的に見て楽しむこと」と「性的なイメージを見て楽しむこと」は違う。
「①日本赤十字が」「②公共の場、誰の目にも入りうる場所で」「③女性を性的に描いてきた歴史のあるアニメ漫画的イメージを使って」「④公共性の高い事業のプロモーションをした」から、問題になっている。
①誰が言うか
メッセージというのは、誰が言うかでその意味が変わってくる。隣の家のおばちゃんが言うのと、小泉進次郎氏が言うのとでは、その重みや社会への影響力が異なる。だから、何かが発言されるとき、それが誰のものかということは重要である。
②どこで言うか
同じ小泉進次郎氏の発言でも、どこで言うかで、意味や影響が異なる。小泉進次郎氏は、たとえば「石油でトイレ流したいな〜」とテレビの前で言うとヤバイが、クリステルだけにそっと打ち明けるぶんには問題ない。誰に届けようとしているか。発言された場所を見ればそれが分かる。
③何を使って言うか
メッセージを伝える手段はいろいろある。いろいろあるので、伝えたい内容を効果的に伝えるのはとても難しい。ときには、意図しないメッセージが伝わってしまうことがある。見る人が多く、発言者に社会的な責任が多くあるほど、その内容は慎重にならなくてはいけない。たくさんの人が見るほど、その解釈も多様になってくるからだ。
④何を言うか
一見、これがもっとも大切であり、①②③はそこまで重要ではないように思われるが、それは誤りだ。何かを伝えようとするとき、これらの事項は絶対にセット商品として扱われるべきだ。たとえば、何を言っているかだけを見て、その行為を判断することはできない。誰が言っているか、どこで言われているか、どのように言われているか、それらをひっくるめて考える必要がある。
「萌え絵」とは、エロゲーをルーツに持ち、人間の身体的な特徴をディフォルメし、大げさに描くことで、独特の雰囲気を持つイラスト、とここでは定義する。
そして、そのディフォルメの目的は明らかに、身体を魅力的に描くことであり、さらには、それを見る人の目を楽しませ、性的な興奮を呼び起こさせることである。
「萌え絵」は禁じられていない。
「萌え絵」を見て楽しむことも、禁じられていない。
「萌え絵」を買ったり所持することも、禁じられていない。
理由はいろいろあるが、ひとつは確実に、児童ポルノなどと異なり、「そうすることで、誰の人権も侵害されていないから」だ。
しかし、その、③「身体をディフォルメして魅力的に描いて」、「人の目を性的に楽しませる」という趣旨のイラストを使って、
①日本赤十字が
したら、どうだろうか?
その行為そのものは、禁じられてはいない。現に日赤はポスターを撤去してもないし、謝罪もない。そして、する”義務”もない。
しかし、この4つの要素があわさったとき、そこから発せられるメッセージは本当に、
ということだけだろうか?
もちろん発信者はそのつもりだったに違いない。
ここまで読んでくださったみなさんには、きっと分かってくださることと思うが、メッセージはときに、発信者の意図しない隠れたメッセージを伝えてしまう。
そして、そのメッセージによって、傷ついたり、安全を脅かされたりする人がいることを、発信者は常に意識する必要がある。
つまり、ここで伝わってしまう恐れのある、発信者の意図しない、隠れたメッセージとは、
「女性の体は、目で見て楽しむためのものである」というメッセージである。
そのメッセージが、誰の目にも触れる可能性のある、公共の場で、日本赤十字によって、発信されている。
これがアニメイトなら、アニメ好きだけが見るので、まだ良かった。
Twitterだけのキャンペーンなら、アニメクラスタの間だけで拡散されるので、まだ良かった。
やってるのが、雅子さまが名誉総裁を務めておられる日本赤十字ではなく、一般企業や個人なら、また意味が違ってきた。
揃うと、どうなるか。
そのメッセージがある空間、そしてそのメッセージが許される社会で、「すべての人には人権があり、その人の体は、その人だけのものである」という意識を、みんなに持ってもらうのが難しくなる。
自分の体を、許可なく性的な目で見られたくない人は、その社会では安心して生活できなくなる。
ポスターによって、直接傷つけられたり、悲しい思いをしたり、個人として尊重されないような事態は、発生しない。
しかし、そういう社会づくり、人権の守られない、安心して暮らせない社会づくりに、確実に貢献してしまっているのである。
目に見えて血を流す人がいないから、その表現には問題がないと考えるのは、あまりに短絡的だ。
数字として出ない、影響がわかりやすく見えないことだからこそ、慎重になる必要がある。
「宇崎ちゃんがセクシャルな意味合いを含む萌え絵で、献血ポスターにふさわしくないことは、甘んじて認めよう。では、同じまどかマギカでも、マミさんはダメで杏子なら良いのか?」
これは本当に難しい。胸がこのくらいくっきり描かれていたらアウト、とか、このくらい頬が染まって困り眉をしていたらアウト、などと線引きをすることはできない。
では、どうしたらいいんだろう?
議論をしたらいい。公共の場は、どうしたらみんなが安心して過ごせる場所になるか。萌え絵が好きなオタクは、どこに行けば誰の尊厳も傷つけず、自由に萌えを叫べるのか。ボランティアによってなされる献血の尊さや、明日にはあなたが献血に救われるかもしれないことを、まっすぐに伝える広告とはどのようなものか。
声をあげよう。間違っていてもいい。いっしょに考えよう。自分と違う意見の人を、クソなんとかとか、バカなんとかと貶めるのをやめて、同じ社会に暮らす自分と違った考え方のひとりの人間と認めよう。相手の顔が見えないインターネットでは難しいかもしれない。それでもインターネットだからこそ時と空間を超えたフラットな対話が可能なはずだ。
話し合おう。萌え絵が好きな人にも、ロリコンにもショタコンにも腐女子にも進次郎にも、あなたにも人権がある。人権の概念は、まだこの社会に浸透しているとは言えない。あなたにもきっとあるはずだ。こんなことをされたくないとか、自分を大切にしたいとか、悔しく思ったことが。そんな思いをしなくてもいい社会を、次の世代にプレゼントしよう。
描きたい内容を単純化しつつわかりやすい折り目をつけ、誰でもついていきやすい速度でありながら明確な変化を持って描かれる最大公約数的なストーリーテリング。画面を広く使いつつ視点を大きく動かさないようにする雄大なカメラワーク。日常と幻想の間に半透明の敷居を置き両者をはっきり区別しながら横へと並べる非連続的な非日常性。これがいい意味での細田守らしさ。
ショタコンにしてケモナー。自意識過剰なキャラクター。誰もが承認欲求に飢えているという断定の元に進む構ってちゃんストーリー。全てを自分の口で説明してしまう自信のなさ。ヒステリックさと寛容さの両極端。これが悪い意味での細田守らしさ。
未来のミライを面白かったと言えるかの全ては、細田守の悪癖、性癖、嗜癖を理解した上で、その発露を作家性として消費することが出来るかにかかっている。逆に、そういったものに対して一切無頓着に、ただ何も考えずに綺麗な映像が流れる2時間のパラパラ漫画だと思って鑑賞するかだ。
未来のミライには細田守の内面”だけ”が描かれている。”だけ”である。この映画は主成分が細田守なのではなく、すべての成分が細田守なのだ。全スタッフの労力、作業は製作の過程で全て細田守分として返還されてしまう。そこに慈悲はない。この映画は全力で細田守であり、それ以外のものが含まれることは認められていない。実際、この映画の制作にあたってスタッフに細田家のホームビデオが見せられたというエピソードすらある。スタッフが「家庭」というものに描くイメージを、「細田家の家庭」というイメージで塗りつぶし、他の家庭から異物を混入されることを防ぐ徹底した管理体制である。
甘えん坊でわがままで自分を認めてもらいたくてたまらない子供は当然細田守であり、彼の成長を通して鑑賞者から贈られる称賛を求めているのも細田守自身なのだ。彼が作中では徹底して直接その苦しみを認められることがないのは、そういうふうに世界を見る細田守が細田守の中に居るからである。電車好きである点などは細田守の実子がモデルとなっている。彼にとってこの映画は自分の子供が成長する姿を通して「かつて自分が子供だった頃に成長したことを客観的に見ることになった」という事実を描いたものでもあるのだ。ケモナー成分を取り込んだりハチゲームでクネクネしていたりと(ショタコンケモナー向け)サービスシーンも多く、彼が主人公であるということは、細田守にとってはケモナーやショタコンであることが自己同一性の核であることを示す。
客寄せパンダとして使われまくったのに、出てくるシーンは意外と少ない。未来という名前、赤ん坊であること、婚期を逃すことを気にする発言、最終的にくんちゃんに血縁上のつながりを思い出させる役目、これらの要素から「男女の関係によって子孫を残すこと」のメタファー、ひいては「(ショタコンではなく)普通の人間として生きること」のメタファーであることが伺える。同時に「世間で受け入れられ、未来に繋がる作品」のメタファーでもある。最初にキャッチコピーとして登場し、最後のクライマックスにおいてただの細田守回顧録であった映画を一般向けの娯楽映画へと引き戻す役目を追っていることからもこれが分かる。
仕事人間であり、子供の親でもある細田守。一般的役割に対して性別が反転しているのはジェンダーフリーというよりも、それぞれに細田守に繋がる要素をもたせることで、どちらもを細田守にするためである。時折ヒステリックなのも妙に余裕ぶってみせるのも、自分たちが変わってきたと殊更に言うのも、全て細田守の独り言なのだ。
オスケモ。王子だったという発言は、細田守の中で最も大事なものがケモナー性癖だったことの暴露である。それにかつてという言葉をつけるのは、今の自分はそれを卒業したという自負である。
ホモホモしい外見、言動、であるのだがそれがハッキリと語られることはない。ここまで赤裸々にショタコンもケモナーも自己開示してきて、それをあえて語らないのは、細田守の中において自分のホモセクシャルへの興味がまだ疑問の残るものであるからである。逆に言えば「それすらも」赤裸々にスクリーンに映し出したのだ。
上で述べたようにミライは『普通の家庭』や『世間一般の価値観』のメタファーであり、それが細田ハウスに持ち込まれるのは、ショタに興奮だけしていればよかった世界の終わりを意味している。ミライファーストの生活を否定する姿は、一般向け要素を散りばめた映画を作らされてきた細田守の姿である。その中で雑な反逆に出ては怒られる。悪い意味で細田守らしい映画を作ってきたことへの反省と、それに対する怒りが描かれる。『自由にショタでケモいアニメだけやらせてくれ』、くんちゃんが繰り返すミライ否定発言はつまる所こういうことなのだ・
『雛人形を毎年1日ずつ出し続けていたら1年ずつ婚期が伸びる』という会話は、ずっと結婚できないということを意味している。それを片付けてミライちゃんが未来で結婚できるようになった。これは、細田守が自分の中で幼少期から積み上げてきた結婚感を今一度棚卸しして、普通に恋愛をして普通に結婚をする人生を受け入れたことを意味している。作中に置いて、未来ちゃんが過去にやってくるのは、細田守の中で過去の細田守と共に今の細田守が気持ちの整理をつけた経験を描いているのだ。そこに犬が加わっている理由は、それが彼の性癖に置いて重要な意味を持つからである。普通に見ていると何がしたいのかわかりにくいシーンも、このように整理していくと理解できる。これが未来のミライの面白さだ。
これもうそのまま細田守が自分の親に対して「心の中で」やっていたことです。自分が親になって子供を持つ身となってそれで子供の頃の両親の大変さとか知って感謝してーっていうアレです。そのままかよ!そしてその中で全部セリフにしちゃうのかよ!このシンプルさ!観客への信頼の無さ!そして自分の表現への自信の無さ!これもまた細田守なんですわー。自分がちゃんと愛されているか不安だとそのまま口にするのは、自分の映画がちゃんと観客に伝わっているのか不安だっていう宣言でもあったりするわけで。メタいぜー。
ホモホモしいアンちゃんとの初体験。遠くを見据えろと語られるが、そのさきに見えるのは廃墟。この道の先に未来はない。細田守も分かっている。ショタコン一本では子孫は残せない。アニメだって歴史に残らない。分かっている。分かっているけど、そうして進んだ先で結果を出したのが今の細田守だろ?そんな叫びが聞こえてくる。補助輪無しで突き進むには、遠くに廃墟を見据えなきゃいけなかったんだ。そうしてバケモノの子が生まれてしまったんだ……。
自分を見失ったとき、戻ってくるためには家族の名前を呼ぶ必要がある。自分に流れる血の繋がりを思い出す必要がある。そして、そのためにはミライを認める必要がある。ミライは「普通の家庭」「普通の価値観」のメタファーであり、自分がそれと深くつながっていることを認めることが、自分を取り戻すためには必要だと、最後の最後で認めることになる。途中からひたすらショタキャラメインで妙な話ばかりしていた映画が、ここで突然なんとも一般受けしそうなキャラと共にさもストーリーがしっかりとある映画であるかのような物語へと戻っていく。細田守の敗北宣言だ。人間としての細田守がここにいるには、彼の父親や祖父がショタコン一本で通さなかったからである。映画監督としての細田守がここにいるのは、デジモンやサマーウォーズといった一般向けに迎合した作品を作ってきたからである。自分が今ここにいるなかで、ケモナーであったことや、同性愛的な面を抱えていたことはたしかにあったが、それでも『普通』を受け入れてきたからだ。そう認めることで、見失っていた自分は取り戻される。そして、和解は結ばれた。ケモノやショタへと一度は預けられた細田守界の王位継承権は、最後には『普通の未来』へと託された。
凄まじい映画だった。「作家性の塊」と呼ばれる映画はいくらでもあるが、純度99%作家性の劇物はそうそうはないだろう。アニメ映画というと娯楽作品ばかりで、文学性や哲学性を謳っておきながら結局は娯楽作品に片足と重心は置きっぱなしにした作品ばかりな中で異彩を放っている。そんな世界にこんなものが現れたらそりゃ受け入れられないだろうな。ましてそれを作った人間の最大のウリ文句がサマーウォーズや時をかける少女なんていう痛快娯楽一般層向け作品なら。サマーウォーズや時かけ期待してこれ見に行ったら羊頭狗肉も良いところだって怒りたくもなるだろうな。
この作品には作家性以外を求めちゃ駄目なんだよ。日本の広告業界や映画業界はそれを頑なに伝えようとしなかった。そこは紛れもなくEVILだね。
ミライちゃんがただの客寄せパンダであり、その使われ方も「はいはいこのへんでパンダ投入すれば良いんだろ?」っていう態度で行われることに、細田守の中に渦巻いた鬱憤を感じ取ろうっていう気概を最初から持って見る分にはね、いい映画なんですよ。
そこは分かってあげて欲しい。
でも娯楽映画としては本当に駄目だけどな。俺はこれを娯楽として楽しむことは出来たけど、それは正しい意味での娯楽じゃなくて単に俺の見方が捻くれてて性格が悪いから娯楽に出来ただけだわ。素直な心の持ち主が素直に楽しめる娯楽映画を作った方が最大多数の最大幸福だよ。新海誠の君の名はと、細田守の未来のミライ。このコントラストはある意味美しいけどね。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 67 | 12497 | 186.5 | 41 |
01 | 64 | 7357 | 115.0 | 58 |
02 | 23 | 4451 | 193.5 | 39 |
03 | 30 | 6440 | 214.7 | 38.5 |
04 | 16 | 842 | 52.6 | 37.5 |
05 | 24 | 2864 | 119.3 | 34.5 |
06 | 32 | 3060 | 95.6 | 44.5 |
07 | 58 | 4093 | 70.6 | 27.5 |
08 | 112 | 6433 | 57.4 | 30.5 |
09 | 168 | 11603 | 69.1 | 38 |
10 | 159 | 20315 | 127.8 | 55 |
11 | 194 | 14248 | 73.4 | 49.5 |
12 | 158 | 13085 | 82.8 | 48 |
13 | 230 | 18939 | 82.3 | 37.5 |
14 | 147 | 12226 | 83.2 | 44 |
15 | 231 | 16295 | 70.5 | 34 |
16 | 267 | 15434 | 57.8 | 38 |
17 | 134 | 9217 | 68.8 | 38.5 |
18 | 164 | 16977 | 103.5 | 35 |
19 | 113 | 11821 | 104.6 | 34 |
20 | 122 | 15167 | 124.3 | 29.5 |
21 | 140 | 19359 | 138.3 | 39 |
22 | 142 | 13979 | 98.4 | 42 |
23 | 123 | 14255 | 115.9 | 49 |
1日 | 2918 | 270957 | 92.9 | 40 |
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でもよくよく考えてみてほしい。
天安門事件は1989年、香港返還が97年ということは、この件について20代はよくよく知らない可能性が高いのだ!
増田こないだ再放送にかこつけて10代の子にCCさくらを語ったんだ。
じゃあね、小狼くんって中国人キャラですよね。あの当時だったから人気で今じゃ考えられないですよね~ってね。
増田「ほえぇぇぇ」って言ったよね。
そうだ、今の子には小狼くんって中国人キャラなんだ!!ってね!
でも増田も正直リアタイ当時子供だから分からなくもないんだけどね。香港は確かに中国として知るし。
そんなあなたにCCさくらで「香港の近代史」の触りの触りを説明するよ!詳しいことは後で調べてね!
そうだね。木之本桜がロリコンを増産した一方で多くのショタコンを生んだオタク女子の元凶とも言われてるね。
昨今CCさくらイベントでは丹下桜が喋れば客がはにゃ~ん、くまいもとこが喋れば失神者が出るんだよ。
そんな小狼くん。香港からクロウカードを探しに来た転校生だったっていうのは覚えているかな?
劇場版1ではさくらたちが香港旅行を当てて、小狼くんの家に行くというストーリーがあったよね。
だから小狼くんはこの時点では「イギリス植民地下の香港に住む金持ちの少年」なんだよね。
植民地と呼ぶといいイメージあまりないけど、香港とイギリスの関係は密接だから中国と違って自由を尊重されてきたし、そこで発展してきた文化などは日本人から見たらとても魅力的なものがあるんだよね。
イギリス…ん?そういえばCCさくらとイギリスって密接な関係を持っていたよね。
そうだね!すべての元凶クロウ・リードの出身地だね!クロウさんは中国人とイギリス人のハーフってことになってたね。
小狼はその親戚…
(こうやって書くと小狼の家はお金持ちだし、裏で『華僑』が絡んでる設定だとは思ってるけど…明確には示されてないから置いとこうね)
小狼の香港設定はこうやって設定が組まれたものだって分かるね。
さらにクリアカード編では英語をペラペラ喋る小狼も描かれてるよ。イギリス文化を持っているからこその描写だと分かるね。
97年に香港返還として香港が中国になるのと共に、香港自体に独立した自治権を与えられたんだ。
それでも中国の影響力は大きくて、今こういうことになってるね。香港人は猛反発をしてきたけど、大国の圧力に負けそうになっている。
街並みもどんどん変わっていったんだけど、偶然にも返還直前を取材して描いたのが、さっき出した劇場版1なんだよね。
CCさくらといえばセル画の終わりを飾る莫大な予算がかけられたアニメとしても有名なんだけど、
劇場版の作画の凄さもあって、返還前の香港を描いた資料アニメとしても価値があるんだ。
言葉では言いにくいけどあの当時の雰囲気はもう今の香港にはないと思うな。
香港?中国じゃないの?って思ってるそこのオタクは一度考えてみてほしい。
小狼くんが、イギリスの文化を持った香港人という設定が良いか、ただの中国人という設定が良いか。
キャラクター…というよりも人間一個人のアイデンティティがどれだけ大切か。
設定という二次元を通して、香港人(そして台湾人など)が必死になる理由を知るきっかけになれば良いと思うし
ケモナーかつゲイっていうニッチの重なりじゃないとケモホモを描くっていう性癖に至らない筈。だからケモホモは超マイナージャンルの筈なんだけど、割と数が多い。
一体どんな人が描いているのだろう?
ガチムチおじさん?髭クマおじさん?それともゲイ界隈でモテなさそうなヒョロガリ?
ハッテン場にいったりネットで会った人とオフパコしたりするような、ゲイ的な活動をしている人なんだろうか?
それともゲイの世界から隔絶されて、1人部屋でケモホモを描いているんだろうか?
ケモショタが多いのは、ショタコンおじさんにとって現実の少年は、ロリコンにとっての現実の少女以上に可能性のない相手だからだろうか。
実はヘテロ男性で、ケモノに限ってはオスがいいような人なんだろうか。
いかにも男らしくTwitterしてるだけで、実はケモナー腐女子が中の人だろうか。
ケモ趣味もホモ趣味もないので、謎は謎のまま深まるばかりである。
ケモホモは誰が描いてるんだろう。
いまだにちょいちょい見てるVtuberは3人くらい
知ってる人には今更だが
腐女子なんて今どき珍しくもないだろうと思うかもしれないが
つづ井さんか詩子か、というくらいだ
そもそも腐女子というイキモノは、その生態を外にだすべきではないというような思想を持つ事が多いらしく
ガチになるほどその姿を偽るようだ
まるでどこかの原住民みたいな存在だが、詩子お姉さんはその禁を破ったらしい
そこら辺が面白い
あとそんななのに、婚活に精を出している(と言う話だったけど、全然精出してないなあれは)
1人で真っ当に職について、家では一人ドエロイBLを読み耽る腐女子が、消極的に婚活するとかいう
・ブレない
・自重しているつもりでボーダーラインがおかしい(たまにYoutuberに怒られる)
・典型的なデュフデュフ言ってるオタクを、女性にして、その対象をBLにしたらこんな感じかな? ってくらいにデュフデュフ言ったりキョドったりする
・1年経っても喋り慣れていない
・婚活に対するやる気の無さがすごい
結局整合性とかショーの出来云々は関係なく、ただ自分たちに不愉快な思いをさせたものを作ったOLC上層部とそれに熱狂しているウザい存在に消えてほしいと呪詛を吐きたいだけなんじゃないかな?
このまま先鋭化していくと、気に入らないウェイ系キャストやMCに対しての殺害予告や爆破予告によるショーの中止で大喜びするような危険集団と化す未来だってありうるかもしれない。
あとこれはオタクとしての方向性の違いだから良いも悪いも無いけれど。『伝統』と『自分』の感性を優先させ過ぎて、周りが見えなくなっていってるのはあまり喜ばしいことではないと思う。
これは伝統から見れば邪道だから絶対悪、何より自分が楽しめないから存在価値無し。正論で雁字搦めに固めまくるのもいいけれど、純粋に楽しんでいる周りの子供たちの声に耳を澄ますのもエンタメの醍醐味じゃないの?
俺はパークが好きだ。一人で行って楽しいのも、はしゃいでる子供たちの笑い声からエネルギーを貰えるからだ。自分はそちらに重きを置くオタクであるが故、最近の嫌な雰囲気のBGS界隈を本当に残念に思う。
6巻まで。
雑誌で見かけてるときはすごく絵がきれいで雰囲気系マンガだと思ってたけど、やっぱりそうだった
おねショタマンガってのがテーマだけど、ファンタジーに振り切らずに変に現実的な茶々が入ったりするから、どうもとっつきにくい
現実だったら犯罪ってのは突っ込んだら野暮だからもう突っ込まないけど、あとがきマンガでショタコンの編集者を面白おかしく書くのはちょっと白ける、っつーか引く
いかにもそういうマンガでもそれを決めるのは読者であってほしいと思ってしまう
絵はうまいけど、セリフが多すぎてごちゃごちゃしてるし、大半セリフ読まなくても話が分かっちゃうから、マンガとしては下手
全体のストーリーの展開の仕方もいまいちで、読んでてストレスがたまる
6巻も読んだのにほとんど内容がないし
三十路OLが少年と出会う→いろいろ仲良くなるけど親バレして左遷→また戻ってくるけどもだもだして踏ん切りつかずに悩みまくる
いまんところ