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2024-06-21

anond:20240621150352

一時期話題になったオランダの話?

それはデマオランダでは産前休暇は6週間、産後休暇は10週間で給与保障は一日最大177ユーロ。(労働ケア法 2001年から)

あと日本と同じくプラス育児休暇も取れるよ。

2024-06-20

[]6月19日

ご飯

朝:サンドイッチ。昼:サラダ。夜:冷奴納豆、だし。人参大根玉ねぎベーコンしめじスープバナナヨーグルト。間食:なし。

調子

むきゅーはややー。おしごとは、それなりー。

餓狼伝説(アケアネオジオ)

1コインだけ遊んだ

3戦目のタン・フー・ルーまで行ったけど負けた。

急にムキムキになるユーモア歴史を感じて面白かった。

この1のCPUの人たち、あんまり他の作品でみないけど個性的面白いな。

あとクロックシュートビックリするぐらい出ないんだけどググったら専用の動画があるぐらい出ない技らしい。

バーンナックル連打してガードされたら投げる、でなんか良い感じなので無理に必殺技を狙う必要はないかな。

シャドウバース

オールスター2ピックたのしー

ロイヤルビショップで4勝1敗をしてAグル進出

ロイヤルでオクトー決まると気持ちいい。

ポケモン

ポリゴン入手のためにコインを集めるためのお金集め。四天王を延々と周回してた。

よっぽどスロットをやるか悩んだんだけど、まあラジオとかテレビとか見ながらできるし良いかなって。

2024-06-19

令和の育児めっちゃいい

一番いいのはまず子供気持ちに親が共感しましょうってところ

昔の人の毒親っぷりに比べたら令和の教育むちゃくちゃいい

体罰禁止

お兄ちゃんお姉ちゃんなんだからハラスメント禁止

男の子女の子らしくしなさいハラスメント禁止

老後は親の介護しなくていい(老いた面倒な親は捨てて良い)

ヤングケアラーにならなくてもいい

貧乏人は子供を作るの禁止

等々昔に比べたら倫理観確実によくなってる

教育の水準、親に求められる人間性レベルが高まったことで

自分自身が親になって、昔の人なら子供を殴って怒鳴ってオワリーのところを

オワリーにできずに冷静に子供と向き合うことになるので

難しいが

子供の人権がちゃんとある令和の教育はい

anond:20240616113536

38歳年収550万円残業年100時間でも地方で親が同居希望だと流石に婚活は難しい

地方メーカー工場勤務で労働条件やら年収地域の中では相対的に悪くはない。転勤が生じる職域でもない。

ただ、このご時世に親が同居希望って点だけで終わっている。

元増田はその点チャンスがあるよ、多分。

自分長男から耐えられなかった。

嫁姑愚痴を聞かされそれをケアして育ったので、どちらかが存在しない生活じゃないと無理。

ちなみに世代的に氷河期というよりもリーマンの影響じゃねとは思ったが。

2024-06-18

anond:20240618221543

途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援必要特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。

また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと

これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳挫折する原因になったということ。

その後も必要ケアが十分には受けられなかったこと。

また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係破綻させてしまたこと。

そして、これらの感情的な傷付きに至る経緯とは別に特性について適切なケアトレーニングを受ける機会を得られなかったこと。

これらのことが、社会に出てから仕事への意欲が薄いこと、将来への展望を描けないこと、社交場面における不安などに影響し、また自分特性を扱う上での経験不足がストレスによる不眠、日中の眠気などに繋がり、上記不安拍車をかける結果となった可能性はあるのではないか、と私は思う。

そして、冒頭の「あなた言葉感情説明しない」という指摘もまた、やはり『嫌だ』『つらい』という訴えを繰り返し退けられ練習強要された経験から自分のつらさを他人に訴えてケアしてもらうことを諦めてしまい、直視せずに蓋をすることが常態化している精神状態にある、そのために精神的な問題を抱え込みやすくなっている、と説明できるかもしれない。

また、休職前に孤立無援と感じられる状況にふたたび置かれたことで、水泳パニックを起こしたときのように、強いパニックをおそらくまた起こし(あいまいな書き方なのはあんまり覚えていないので)会社に行くことができなくなっている。

これが当時のトラウマのいわゆる『再演』にあたる可能性はあるかな、と少し思う。

とはいえである

両親は私を愛しすぎるほど愛してくれており(少し連絡が取れないだけで着信を100件超えて入れるのが常態化していた程度には)、特に金銭の面では一般的な親の倍以上に私に支援をしてくれたことは事実である

上記事実をもって、私をまだ幸運なほうと思う人もいるだろうし、就活のくだりなんか、特に甘ったれていると思う人間も多いだろう。

ただ、3歳〜16歳ごろの人格形成期+思春期に、チームメイト精神的にまったく連帯できない状態スパルタ式の暴力的な教練を日がな毎日受けるという負荷は、おそらく定型発達の人間でも耐えられる人は限られるのではないか、という気もする。

そういう負荷に発達特性のある子どもが挑む場合には、おそらく精神的なケア定型発達の子ども以上に必要重要なことだったのだろうと思われる。

私がそういう子どもであったことが親の不運で、特性由来のストレスに対する適切なケア社会トレーニングの機会が得られなかったことが私の不運である

正直なところ。

母は小学校高学年くらいの段階で、私を発達障害者だと疑ってはいた。ネットの普及し始めた当時、私の持つASD的な特性の一部分はアスペルガーと呼ばれていたが、そのことについて母が情報収集していたことを覚えている。

しかしそれは、障害を受容した上で、適切な支援に繋げるという結果にはならなかった。

ちょうどそのくらいの時期に平成不況がやってきたのだ。私の特性を考え、進学先に私立中学を視野に入れていた母の計画は、完全にそれどころではなくなってしまった。父の会社にもリストラの波がやってきたのだ。

タイミングの悪いことに、私が水泳の過度のストレスからチックに陥った時、ちょうど母は不況への恐れからパートを始めたばかりの頃だった。私の『病気』の原因について、母は周囲からの責めを一人で負うしかなかった。父の両親との二世帯同居の家で、専業主婦の母は孤立した養育者だった。

結論から言うと父はリストラを免れ、我が家経済危機回避されたのだが、その頃には私の私立進学計画はとっくに頓挫していた。母が「結果で黙らせなさい」と言うようなことを口にし始めたのも、この頃だったかもしれない。

父親はというと、やはり私の親で発達的な特性が強く、自分の興味のあることしかやりたがらないタイプだった。養育者として、社会的な範を示すとか、発達的な特性とどう付き合っていくかとか、そうした問題についてまったく頼りになる人ではなかった。

悪い人ではない。悪気のある人でもない。一流企業にまじめに勤め、高収入であり、私に関わる多額の費用を全部賄ってくれた人である。そしてそれが、おそらく自身でも困りごとをたくさん抱えていたであろう身で父にできた、私への精一杯の愛情だったろうと思う。

母もまた、母の出来ることを最大限にしてくれた。母は、思春期の私の苛烈で発達のアンバランス性格(受けていたストレスを考えると、おそらくそうなるしかなかった)に何度も振り回されて、傷付き、それでも最大限考慮した上で、「あなたは結果で黙らせなさい」と言うしかなかったのだと思う。

これは私がどう生き、どう傷つき、現在どう困っているかにまつわる記録ではあるが、同時に単に毒親から被虐待についての記録としてはなるべく書きたくはないと思っている。充分悪者に書いただろう、と思えるような筆致だったかもしれないので、ここに補足しておく。私は難しい子供で、両親は常に一方的加害者ではなく、私を支援してくれようとした。私たちはお互い感情的な対立を何度も経験し、お互いに何度も傷付き、それを乗り越えてきた。その過程でいくつか間違いがあり、一度関係破綻してしまったが、それでもまだ、この先に和解可能性がないわけではない。

それぞれの人間がそれぞれに苦しんだ結果、私の今日につながっているのである

・これから

これを書いているいま、これからどうなるのか私にはわからない。これらの生い立ちから私が受けた傷を癒せるかもしれないし、そうではないかもしれない。困りごとを軽減してなんとか社会で上手くやっていけるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。

ただ、良くなってほしいという希望を持って先生たちは治療に当たってくれているし、希望は捨てるべきではない。そう思うので自分恥部を曝け出す覚悟でこれを書いた。一種の『底尽き』を気力で前に持ってきた、というやつかもしれない。

ただ、強いトラウマを抱えた発達障害当事者予後は正直あんまり良くなさそうだなぁ、とは、当事者たちの声をインターネットで拾ってみて思わなくもない。

・これからどうしたい?

社会復帰がどうなるにせよ、実家にだけは帰りたくない。

ただ、復帰できないとこれが現実に起こりうることが現状最大の懸念である

プリントアウトして病院池添謙一

当然、持っていく予定である

プラダリアの取捨だれかおせーて。

カウンセリング先生も「感情説明しない」と言っただけで、そこまでドバーッといきなり半生にまつわる自己開示が出てくると思ってないんじゃない?

それはそう。

カウンセリングにはこの記録を持っていこうとは思うが、どの程度まで自己開示すべきなのか、いまが適切なタイミングなのか、そのあたりをきちんと確認しながらやっていこうと思う。

少なくとも、これを書き下せたことで、私の中では問題解決へ向けて、整理と準備がついたと思っている。

・おまえが誰かわかった

べつにわかってもいっかと思って書いている。とくに失うものはない。

何かしらの連絡手段で私とつながっていて、内容でなんとなく察した人は、「もしかしてこれお前?読んだよ」とメッセージくれると嬉しいよ。困窮者だ!金ヅルにしよう!と思って寄ってこられるとちょっと悲しい。というか休職人間に金はない。

やあ。まだ生きていますよ、私。あなたはどう?

・本当のトラウマもっと混沌としたもので、こんなに整然と説明できるものではないのでは。ストーリーをがっつり作りこんで、無意識に本当に触れられたくないことから逃げている可能性はないか

自分言語理解比較的高い特性を持っているので、書くことによって自分をメスで捌くように腑分けして、人前に晒すという自傷行動に割と慣れているし、やはり言葉によって自分説明できるとなんとなく落ち着くタイプである。その助けもあってなんとか書き切れたが、それでも書き切るのにかなり涙を流したので、この記録には多大な精神的労力を必要とした。文字通り血を流しながら書いたと言っていい。

その上で、超フラットに、予断を挟まず言えば、その可能性はないとは言えない。私のような人間レトリックを使うのがうまい。そのレトリックの中にいつでも逃げ場を作り出せてしまうので、「可能性がない」と言い切るのはフェアではない。自分でも気づいていない可能性がある。

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

弟と妹をヤングケアラーにしてしまたかもしれない

今年で25歳になる、脳性麻痺四肢体幹機能障害身体障害者手帳持ち。

障害者雇用官公庁正規職員に滑り込んだら、1年目の冬に爆速うつ病発症した。薬を飲みつつ何とか仕事には行けているから、精神障害者手帳は持っていない。休職経験もない。

月に3万円を入れることと、飼っている犬の散歩をすることの2つを条件に実家寄生している子供部屋おばさんだ。何故か犬が私としか散歩に行かないので、犬が死ぬまでは実家の世話になろうと思っている。

普通に歩くことはできるし日常生活にもほぼ支障はないけれど、体幹障害のおかげで階段自力で降りることができない。手すりがあれば何とかなるが、なければ段に腰掛けてケツでずり下がりながら降りるという奇行披露する羽目になる。

バス電車なんかの床が揺れる乗り物で立っているのもダメだ。吊革や手すりを持っていても必ずバランスを崩して転び、人間ドミノ倒しを開催してしまう。ヘルプマークをつけて優先席に座っていると乗客視線が痛いけれど、周囲の安全のために許してほしいと密かに思っている。

ついでに言うと、某バラエティ番組運動神経悪い芸人が泣いて逃げ出すレベル運動ができない。

さて、ここで本題に戻る。

私には5歳下の妹と9歳下の弟がいる。どちらも心身ともにハンディキャップのない健常者だ。

奴らは物心ついた頃から「姉ちゃんにひとりで階段降りさせちゃダメ」というのが常識になっていて、一緒に出かけた時に手すりのない階段に遭遇すると当然のように手や肩を貸してくれる。私がうつ発症してからは、自主的精神疾患勉強をしてこまごまと気遣ってくれるようになった。

2人ともとても優しい子に育ったなと思うし(弟なんかはほぼ10歳離れているので、気持ちの上ではもはや親目線だ)、こちらとしても大変ありがたいことだが、昔からどうにもそれが苦しくて仕方がない。

あらゆるハンディキャップマイノリティに関して「理解を、助け合いを」と叫ばれる社会になった。私は妹と弟にに助けてもらったことは山ほどあれど、奴らを助けてやれたことなどひとつもない。これでは助け合いでも何でもなく、ただの一方的寄生だ。

Twitterなどで、所謂きょうだい児の方々の投稿をよく目にする。

私は妹と弟を苦しめていないだろうか?知らず知らずのうちに、奴らの人生可能性を狭めてはいないだろうか?

奴らは「姉ちゃんには手を貸すのが当たり前」と思っているようだが、その「当たり前」がなければ、もっと自由に生きられたのではないだろうか?

先日、高校から進路希望調査を貰ってきた弟に「家出ないの」と聞いてみると、「えー嫌だよ、だってちゃんと一緒に野球見に行けなくなるもん」と返された。

私自はい自分状態悪化するか分からいから、結婚もしないし子供を作るつもりもない。自分の子が滑り台に登るとき、後ろについて守ってやれない人間に親になる資格はないと思っているからだ。

だが、そのぶんの負担が妹と弟に降りかかり、無意識に「家を出て一人暮らしをする」という選択肢最初から抹消しているのだとすれば、奴らがヤングケアラーになっていて、自分が本当に生きたい人生を歩めないでいるのだとすれば、それをどう償えばいいんだろうか。今の私には分からない。

奴らは今のところ、仕事から帰って寝込んでいる私のベッドの傍に毎日必ずやってきて、その時喋りたいことを喋りたいだけ喋って、1時間くらいすると満足して自室へ帰っていく。だから、たぶん嫌われてはいないんだろうなあと思う。

でも、私のせいで彼らが広い世界を知るチャンスを逃しているなら、それはとてつもなく恐ろしくて、取り返しのつかないことだとも思っている。

私が生まれて来なければ良かったのかな。

他に吐ける場所がないのでここで自分語りを書き散らした。長い上に推敲も何もしてないから読みづらいと思う。

このクソみたいな文章を読んでくださった方、あなた人生時間を私に割いてくれてありがとうね。

あなたにいいことがありますように。

36歳男、初めてブリーチセルフ)してみる

特に何かあったわけではない。

強いて言えば白髪が目立ってきたので何とかしたいと思いつつもただ白髪染めするのも飽きたなぁ…という気持ちがあったから。

ブリーチしてオンカラーで良い感じの落ち着いた色にするのが本命なのだが、市販ブリーチだと1週間は間空けてね、と説明書に書いてるのでやむなしの金髪期間なのである

使ったのはgot2bのブリーチYouTubeプロ美容ケアブリーチ並みに髪に優しいと評していたものだ。

しかし買ったは良いものの決心がつかず1ヶ月放置

黒髪に何の不満もないのに、なんか染めたいなぁで染めるには敷居が高い…!

しか友達に会う約束を機に染めるのを決意。

どうせならこの染めた気持ちを共有して吐き出したいのが動機だ。

そして今日仕事を終えて、晩飯を食べる前にとりあえずブリーチで染めたのだが、胡散臭いおっさんが見事に出来上がった。

やはりセルフの難しさか、ツーブロの部分やもみあげハイトーンの金髪になったが全体的にはオレンジ

むらが目立たないのは幸いか

しかし、え?こんなに浮くの?ってくらい浮いてる。

眉毛が黒いママなのがすごく野暮ったい。

慌てて手持ちの眉マスカラブラウンにしてみると、まだ見れるようにはなった。

日頃から日焼け止め塗ってるおかげで肌の白さと髪色に違和感はないが、柄本佑金髪になったらを想像するのが早いか、なんというか真面目そうな奴がイキってしまった感が醸し出されてる。

とりあえず外に出てみた。まだまだ近所の商店街にもまばらに人はい時間だ。

いつもよりチラ見されてるのは気のせいか

いつもより人が避けてくれてるの(特に男)は気のせい

か。

ちょっとだけ世界が変わった気がする。

大学生の頃にこれくらい染めてたら自己肯定感0だった俺でも少しは世界に影響を与えられたかもしれない。

身を掛けたファッション自己を表すことの大事さをこの歳になって知った気がする。

いつも、後になって気づいてるのはご愛嬌

しかし悩む。朝イチで黒染めスプレーを買ってきてとりあえず会社をしのぐレベルで悩む。

会社的にそういう髪色の規則はないが、納得行く感じで合ってないのが躊躇させる。

それはそうと3年目の会社デビューをするのも悪くはないかもという気持ちもある。


まぁたぶん朝イチで説明書無視して大人しめのオンカラーしてるだろうなぁぁ

2024-06-17

母親介護

父親の壮絶な死を目の当たりして1週間で母親がうーとかあーとかしか言わない

いきなりヤングケアラーになるとは…このリハクの目を持ってしても…

anond:20240617132029

晩婚にはなるとは思うけど、この先希望なら結婚全然あると思うな。

もし両親の世話を焼いているならなおさら。優しくてケア経験ある人はモテるよ。

 

2020年 男性の未婚率40歳30.5% 45歳27.8% 50歳25.9% 55歳21.5% 65歳13.6% (p11)

https://www.gender.go.jp/kaigi/kento/Marriage-Family/8th/pdf/1.pdf

https://anond.hatelabo.jp/20240614205200 タグ付けソースつづき

文字数制限かなんかで途中で切れる……

2003年 (第8巻)11月 特集食の安全安心環境
2003年 (第8巻) 4月 特集学術の再点検  ―ジェンダー視点から(2)ジェンダー
2003年 (第8巻) 1月 特集日本計画 Japan Perspective社会
2003年 (第8巻) 5月 特集地域生活安全保障社会
2003年 (第8巻) 6月 特集:ITによる科学能力開発国際会議情報
2004年 (第9巻) 2月 特集こころ科学する医療人間
2004年 (第9巻) 5月 特集:持続可能社会のための科学技術に関する国際会議2003 -エネルギーと持続可能社会のための科学エネルギー
2004年 (第9巻) 1月 ●学術会議は考える学術教育
2004年 (第9巻) 3月 ●「日本学術会議法の一部を改正する法律案」について学術教育
2004年 (第9巻) 6月 ●日本学術会議法の改正によせて学術教育
2004年 (第9巻) 8月 特集科学する心を育てる学術教育
2004年 (第9巻)10月 特集科学ジャーナリズムの進展のために学術教育
2004年 (第9巻)12月 特集日本学術会議第143回総会について学術教育
2004年 (第9巻)特集:第4回アジア学術会議(SCA)学術教育
2004年 (第9巻) 特集日本学術会議主催公開講演会学術教育
2004年 (第9巻) 科学技術への理解共感を醸成するために学術教育
2004年 (第9巻) 特集日本学術会議第142回総会 新生日本学術会議の在り方学術教育
2004年 (第9巻) 特集科学技術政策の在り方学術教育
2004年 (第9巻) 特集:高度専門職教育日本社会学術教育
2004年 (第9巻) 特集科学責任所在学術教育
2004年 (第9巻) 9月 特集日本学術会議から農林水産大臣への答申  地球環境人間生活にかかわる水産業及び漁村多面的機能の内容及び評価について環境
2004年 (第9巻)11月 特集都市生活環境を考える環境
2004年 (第9巻) 4月 特集学術の再点検 -ジェンダー視点から(その3)-ジェンダー
2004年 (第9巻) 7月 特集人口減少社会パースペクティブ社会
2004年 (第9巻) 特集科学国境歴史政治・国際
2005年 (第10巻) 5月 特集国境を越える生殖医療と法医療人間
2005年 (第10巻) 1月 ●学術会議は考える学術教育
2005年 (第10巻) 6月 特集日本学術会議第144回総会について学術教育
2005年 (第10巻) 7月 特集:今、教養教育を考える学術教育
2005年 (第10巻) 8月 特集21世紀学術における横断型基幹科学技術役割学術教育
2005年 (第10巻)10月 特集日本学術会議第145回総会学術教育
2005年 (第10巻)11月 特集日本学術会議20始動学術教育
2005年 (第10巻)12月 特集:第146回日本学術会議総会 日本学術会議新体制スタート学術教育
2005年 (第10巻) 特集:第19期の活動を振り返って学術教育
2005年 (第10巻) 特集新日本学術会議における人文・社会科学系の活動について学術教育
2005年 (第10巻) 2月 特集大陸棚画定を考える環境
2005年 (第10巻) 特集自然災害災害
2005年 (第10巻) 4月 特集:どこまで進んだ男女共同参画ジェンダー
2005年 (第10巻) 特集犯罪科学する社会
2005年 (第10巻) 特集:事例を中心に見る統計科学現代価値情報
2005年 (第10巻) 特集学術研究個人情報情報
2005年 (第10巻) 9月 特集人間宇宙物理
2005年 (第10巻) 3月 特集:持続可能社会のための科学技術に関する国際会議2004 ―アジアの巨大都市地球の持続可能性―歴史政治・国際
2005年 (第10巻) 特集:第5回アジア学術会議(SCA)歴史政治・国際
2006年 (第11巻) 5月 特集ライフスタイル健康医療人間
2006年 (第11巻) 6月 特集:終末期医療 ─医療倫理・法の現段階─医療人間
2006年 (第11巻) 8月 特集臨床医学研究の発展のために医療人間
2006年 (第11巻)10月 特集スポーツ科学医療人間
2006年 (第11巻)12月 特集科学技術イノベーション学術学術教育
2006年 (第11巻) 1月 特別座談会科学コミュニティーとしての新たなミッションを考える学術教育
2006年 (第11巻) 2月 特集新世代が変える日本学術会議学術教育
2006年 (第11巻) 4月 特集日本学術会議第147回臨時総会学術教育
2006年 (第11巻)11月 特集日本学術会議新体制 ─日本学術会議第149回総会─学術教育
2006年 (第11巻) 特集座談会:「科学上のミスコンダクト」学術教育
2006年 (第11巻) 特集 シンポジウム:「技術者の倫理社会システム学術教育
2006年 (第11巻) 特集新世代が変える日本学術会議(続編)学術教育
2006年 (第11巻) 特集日本学術会議改革ヘの軌跡と課題学術教育
2006年 (第11巻) 特集日本学術会議第148回総会学術教育
2006年 (第11巻) 9月 特集海洋生物学の新たな時代環境
2006年 (第11巻) 特集環境教育環境
2006年 (第11巻) 3月 特集男女共同参画の一層の推進に向けてジェンダー
2006年 (第11巻) 特集ジェンダー学と生物学対話ジェンダー
2006年 (第11巻) 7月 特集公共性ルネッサンス ─21世紀市民社会を考える─社会
2006年 (第11巻) 特集統計から見た日本経済格差社会
2007年 (第12巻) 5月 特集医療崩壊させないために医療人間
2007年 (第12巻)12月 特集保健医療と個人情報保護医療人間
2007年 (第12巻) 特集社会福祉教育近未来医療人間
2007年 (第12巻) 特別講演:寄生動物国民及び政策感染症ミレニアム開発目標 / ロバート・メイ卿医療人間
2007年 (第12巻) 特集化学今日から明日へ化学生物
2007年 (第12巻) 1月 特集科学者の行動規範学術教育
2007年 (第12巻) 2月 特集博物館が危ない! 美術館が危ない!学術教育
2007年 (第12巻) 9月 特集:第7回アジア学術会議学術教育
2007年 (第12巻) 特集:学協会機能強化のための調査学術教育
2007年 (第12巻) 特集日本学術会議第150回総会学術教育
2007年 (第12巻) 7月 特集:脱温暖化社会へのチャレンジ環境
2007年 (第12巻) 特集子どもを元気にする環境とは ─政策の現状と評価こども
2007年 (第12巻)11月 特集自然災害軽減に向けてパラダイムの変換を災害
2007年 (第12巻) 6月 特集地域研究最前線 ─知の創成─社会
2007年 (第12巻) 8月 特集:法的制度としての私と公をめぐって社会
2007年 (第12巻) 特集21世紀における生活科学役割社会
2007年 (第12巻) 4月 特集:人文社会科学役割責任人文
2007年 (第12巻) 特集物理学の今日から明日へ物理
2007年 (第12巻) 3月 特集歴史としての戦後思想としての戦後歴史政治・国際
2007年 (第12巻)10月 特集中国東アジア科学技術と持続的社会歴史政治・国際
2007年 (第12巻) 特集政治学の今日から明日へ歴史政治・国際
2008年 (第13巻) 1月 特集シンポジウム 医療システムのゆくえ医療人間
2008年 (第13巻) 8月 特集生殖補助医療のいま ─社会合意を求めて─医療人間
2008年 (第13巻)12月 特集:信頼に支えられた医療の実現 ─医療崩壊させないために─医療人間
2008年 (第13巻) 特集:医工学先端研究と教育創造的結合医療人間
2008年 (第13巻) 特集生物科学今日から明日へ化学生物
2008年 (第13巻) 7月 特集科学コミュニケーションメディア学術教育
2008年 (第13巻) 9月 特集:若手研究者の育成学術教育
2008年 (第13巻)10月 特集高校における地理歴史教育改革学術教育
2008年 (第13巻)11月 日本学術会議第21期スタート -第154回総会開催-学術教育
2008年 (第13巻) 6月 特集瀬戸内海浅海を考える ~浅海その生物生産環境とその保全防災環境
2008年 (第13巻) 特集:脱温暖化森林木材役割環境
2008年 (第13巻) 特集環境学のミッション環境
2008年 (第13巻) 特集総合工学役割展望工学
2008年 (第13巻) 特集明日社会共通資産 ―建設系分野からの重点研究課題提案工学
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2008年 (第13巻) 3月 特集:わが国の自殺の現状と対策社会
2008年 (第13巻) 特集リスク Permalink | 記事への反応(0) | 10:30

2024-06-16

anond:20240616072323

理解ある彼くんという皮肉言葉ができるくらい、男に依存して救われたい女の方が多いと思う

メンタルケアを身内に押し付け人間は男女関係なく一定数いるよ

2024-06-14

https://anond.hatelabo.jp/20240614204953勝手タグ付けソースだよ

1996年 (第1巻) 5月 特集:脳の科学こころ問題医療人間
1996年 (第1巻)11月 特集高齢者介護医療人間
1996年 (第1巻) 4月 (創刊号) 特集戦略研究と高度研究体制学術教育
1996年 (第1巻) 6月 特集:第3回アジア学術会議学術教育
1996年 (第1巻) 8月 特集日本国際賞受賞記念講演会から学術教育
1996年 (第1巻) 9月 特集:若手研究学術教育
1996年 (第1巻)12月 特集:第124回日本学術会議総会学術教育
1996年 (第1巻) 7月 特集地球環境問題を考える環境
1996年 (第1巻) 特集:転換期にある工業産業工学
1996年 (第1巻)10月 特集女性科学研究ジェンダー
1997年 (第2巻) 2月 特集パラダイムの転換学術教育
1997年 (第2巻) 3月 特集大学改革任期制学術教育
1997年 (第2巻) 6月 特集伝統と新しい地平 ―第4回アジア学術会議学術教育
1997年 (第2巻) 7月 特集:第125回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻) 8月 特集:第16期から17期へ学術教育
1997年 (第2巻) 9月 特集:第17期の発足 ―第126回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻)10月 特集:高度研究体制確立を目指して学術教育
1997年 (第2巻)11月 特集地域における学術活性化を目指して学術教育
1997年 (第2巻)12月 特集:第127回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻) 特集:2国間学術交流レイシア派遣団報告学術教育
1997年 (第2巻) 4月 特集地球食料問題を考える環境
1997年 (第2巻) 1月 特集平和共生歴史政治・国際
1997年 (第2巻) 5月 特集グローバリゼーション産業空洞化歴史政治・国際
1998年 (第3巻) 3月 特集クローン羊"ドリー":遺伝子科学のはかり知れないインパクト    化学生物
1998年 (第3巻) 特集クローン羊"ドリー":バイオテクノロジー最先端で今、何が、どうなっているか    化学生物
1998年 (第3巻) 2月 特集二国間学術交流 スイス及びスウェーデン派遣団報告学術教育
1998年 (第3巻) 6月 特集21世紀科学への視点 ―第128回日本学術会議総会学術教育
1998年 (第3巻) 7月 特集アジアにおける学術の直面する課題 ―第5回アジア学術会議学術教育
1998年 (第3巻)12月 特集:新たなる研究理念を求めて ―第129回日本学術会議総会学術教育
1998年 (第3巻) 1月 特集地球未来 ~人間の存続環境
1998年 (第3巻) 5月 特集地球惑星宇宙科学の現状環境
1998年 (第3巻)11月 特集食品研究の新領域をさぐる ―食とからだの科学を中心に環境
1998年 (第3巻) 4月 特集ジェンダー   ―社会的文化的性別」と現代ジェンダー
1998年 (第3巻) 8月 特集日本経済課題展望日本ビックバンに向けて社会
1998年 (第3巻) 9月 特集行政改革課題展望社会
1998年 (第3巻)10月 特集ライフスタイルの転換と新しい倫理 ―21世紀社会に向けて社会
1999年 (第4巻) 4月 特集生殖医療とその社会的受容医療人間
1999年 (第4巻) 1月 特集21世紀に向けた学術の新たな改革学術教育
1999年 (第4巻) 3月 特集国民の期待に応えて ―科学最前線から学術教育
1999年 (第4巻) 6月 特集:IGBPの研究成果の統合に向けて ―第130回日本学術会議総会学術教育
1999年 (第4巻)10月 特集日本学術会議創立50周年学術教育
1999年 (第4巻)12月 特集:わが国の大学等における研究環境改善について(勧告) -第131回日本学術会議総会学術教育
1999年 (第4巻) 2月 特集ごみを考える環境
1999年 (第4巻) 8月 特集海洋環境
1999年 (第4巻)11月 特集科学技術社会社会
1999年 (第4巻) 特集少子化問題社会
1999年 (第4巻) 5月 特集学会インターネット情報
1999年 (第4巻) 9月 特集学術からみた「美しさ」について人文
1999年 (第4巻) 7月 特集人口環境 ―持続的発展に不可欠なアジア役割 ― 第6回アジア学術会議歴史政治・国際
1999年 (第4巻) 特集科学技術の発展と新たな平和問題歴史政治・国際
2000年 (第5巻) 1月 特集学術研究の国際ネットワーク学術教育
2000年 (第5巻) 3月 特集:第7回アジア学術会議学術教育
2000年 (第5巻) 4月 特集世界科学会議21世紀のための科学学術教育
2000年 (第5巻) 7月 特集:第17期を締めくくる成果 ―第132回日本学術会議総会学術教育
2000年 (第5巻) 8月 特集:第17から第18期へ学術教育
2000年 (第5巻) 9月 特集:第18期始まる学術教育
2000年 (第5巻)10月 特集俯瞰研究プロジェクトへのアプローチ学術教育
2000年 (第5巻)11月 特集研究業績評価 ―実態問題学術教育
2000年 (第5巻)12月 特集:第18期活動計画の全容学術教育
2000年 (第5巻) 特集各部抱負学術教育
2000年 (第5巻) 特集:第8回アジア学術会議学術教育
2000年 (第5巻) 特集世界科学アカデミー会議学術教育
2000年 (第5巻) 2月 特集安全災害
2000年 (第5巻) 6月 特集男女共同参画社会における日本学術ジェンダー
2000年 (第5巻) 5月 特集司法改革課題展望社会
2001年 (第6巻) 2月 特集21世紀とヒトゲノム医療人間
2001年 (第6巻) 4月 特集21世紀と新エネルギーエネルギー
2001年 (第6巻) 1月 特集21世紀科学役割を問う学術教育
2001年 (第6巻) 3月 特集21世紀科学アカデミーデザインする学術教育
2001年 (第6巻) 5月 特集学術活動のための次世代育成学術教育
2001年 (第6巻) 6月 特集:「科学技術」の概念を人文・社会科学へと拡張学術教育
2001年 (第6巻) 7月 特集大衆化された大学での教育はいかにあるべきか学術教育
2001年 (第6巻)11月 特集日本学術会議改革に向けて学術教育
2001年 (第6巻) 特集:常置委員会の目指すもの学術教育
2001年 (第6巻) 特集日本社会の変容と教育の将来学術教育
2001年 (第6巻) 特集:第1回アジア学術会議学術教育
2001年 (第6巻) 特集特別委員会活動経過学術教育
2001年 (第6巻) 8月 特集遺伝子組換え食品をめぐる最近の動向環境
2001年 (第6巻)10月 特集:食から見た21世紀課題環境
2001年 (第6巻) 9月 特集10代は変わったか!こども
2001年 (第6巻)12月 特集データベースの新たな保護権利制度導入反対への初の声明情報
2001年 (第6巻) 特集21世紀IT社会情報
2002年 (第7巻) 5月 特集医療最先端医療人間
2002年 (第7巻) 8月 特集ナノテクノロジー化学生物
2002年 (第7巻) 9月 特集動物実験化学生物
2002年 (第7巻) 1月 特集新世紀の日本学術会議学術教育
2002年 (第7巻) 3月 特集科学技術新世学術教育
2002年 (第7巻) 6月 特集:新しい日本学術会議に向けて!学術教育
2002年 (第7巻) 7月 特集ノーベル賞100周年記念国際フォーラム創造性とは何か」学術教育
2002年 (第7巻)11月 特集:変革をめざす国立大学 ―学長たちは考える学術教育
2002年 (第7巻)12月 特集日本学術会議の今後の方向に向けて!学術教育
2002年 (第7巻) 特集:「大学の自立」と「学術経営」のあり方を探る学術教育
2002年 (第7巻) 特集:第2回アジア学術会議(SCA)学術教育
2002年 (第7巻) 特集学術科学研究の成果と社会学術教育
2002年 (第7巻) 4月 特集学術の再点検  ―ジェンダー視点から(1)ジェンダー
2002年 (第7巻) 2月 特集創造性と日本社会社会
2002年 (第7巻)10月 特集:「身体障害者との共生社会」の構築に向けて社会
2002年 (第7巻) 特集日本計画社会
2002年 (第7巻) 特集グローバル化時代対応する高等教育課題歴史政治・国際
2003年 (第8巻) 2月 特集研究教育現場から見た国立大学改革学術教育
2003年 (第8巻) 3月 特集科学社会 ―いま科学者とジャーナリストが問われている―学術教育
2003年 (第8巻) 7月 特集私立大学さらなる発展学術教育
2003年 (第8巻) 8月 特集:第18期から第19期へ学術教育
2003年 (第8巻) 9月 特集:第19期始まる学術教育
2003年 (第8巻)10月 特集:新しい学術の体系学術教育
2003年 (第8巻)12月 特集:第19期活動計画学術教育
2003年 (第8巻) 特集活動計画各部抱負学術教育
2003年 (第8巻) 特集:第3回アジア学術会議(SCA)学術教育

anond:20240614093611

糖質が怖いならタンパク質を足す

肝臓はレベウルソとかヘパリーゼとかでケアする

脂質を中鎖脂肪酸(MCTオイル)で足す

揚げ油や獣脂で足すよりはよっぽど健康的だから

2024-06-13

anond:20240613170933

ケアする側は、時間差でダメージを負うんだよ。発言者は聞いてもらった時に発散できるけど、ケアする人は聞いた瞬間から抱えることになる。

 

金銭を介してケアする関係性なら距離を保てるけど、それだって入り込みすぎてしまって病む人もいる。

 

言いにくいかもしれないけど、自分もつられて鬱々としてきてて…と伝えられないかな。共倒れになりそうな気がしているってSOSを。

伝える前に、夫婦一緒に通いやすいクリニックの目星をつけておくとより建設的だと思う。

 

言うは易しなんだけどさ…このままだと二人で出口のない沼にはまりそうで。

anond:20240613201053

マジレスすると「女はわきまえろ」っていうのは、政治会社経営などの社会的意思決定の場で、女がリーダーシップを取って発言することを「わきまえろ」って抑圧されてきたことを指すから今回のおじさんが自分の身なりを綺麗にしようとする場合と対比させるのはあんまり噛み合っていない。

体臭とかちゃんとケアしてて、年や職位が上だから逆らえない相手意見押し付けをしないならそれでいい話だろうとは思う

おじさんなるもの

私は40代男性である

全ての男性がそうであるとは決して思ってはいないが、おじさんなるものとして我々は国内において30半ばからこれらを自覚して生きていくべきであるとおもいここに記す。

---

1.おじさんは醜い

すぐ腹は出るし、髪も薄くなる。20代の輝かしさはもう失っているものとしてふるまうべきである

とりあえず、寝る前の食事、過度の飲酒、過ぎた間食は控えるべきであるし、運動ストレッチもできるならしたほうがいい。

2.おじさんは汚い

べとべとした汗、無精ひげ、くすんだ肌、つまり清潔感の無い存在である

髭を剃れとは言わないので整えるべきである。汗をかきやすいのなら対策をする。風呂上りには化粧水だけでも塗るべきだ。

外見を気にし、肌のケアについてはいくらかでもするべきなのである男性用化粧品だってコーナンで買える。

3.おじさんは臭い

加齢臭が出始め、歯槽膿漏が進行し口臭が出始める。すれ違うだけでも臭い場合だってある。

汗と皮膚と口のケアを怠ってはならない。半年に一度歯医者に検診に行こう。歯医者さんは基本優しい。

4.おじさんはうざい

誰もおじさんの脳内過去に興味などない。

まず自分のことを語るべきではない。沈黙は金なり。求められたときに語り、必要なことだけ語ろう。

基本的に求められていること以外のことをするべきではない。それ以外でしていいのは公益になることだけである

5.おじさんは疎い

おじさんはコミュニケーション能力が低下しており、情報の鮮度が低い。

時事の学習をしよう。知っているだけでよい。けしてそれを鼻にかけて語ってはならない。うざいのだから

適切な対応をとれるように新鮮な情報仕入れておくだけでよい。使いどころが来たら使うだけの情報であるしまっておこう。

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全ての男性がこのおじさんなるものだとは思っていない。

ただ、我々がこのような存在であるという自覚基準にして行動することで世の中が良くなっていくのではないかなという想いがある。

フルタイム仕事の成果もあげたいし、でも家族ご飯弁当作ってそれなりに健康的な食事はしたいし(たまにサボって外注するから毎日じゃないけどね!)、ちょい不登校気味と反抗期甘ったれの子ども3人ケアして、週2で有酸素運動して英語勉強して、大学院レポート書いて、嫌になったら即転職できるように専門職スキル維持の副業して、機嫌良く過ごしたいか睡眠時間確保して、全部全部やりたいのに時間なさすぎ!!

全部概ね6割出来てるさ、と甘く自己評価すれば、ほぼ好きでやってることばかりだからこの濃すぎる人生に満足すべきなのか〜。。

子供いなかったら仕事もっと成果出せるかな、とか、逆に仕事にとられるリソースもっと生活に回せたら生活満足度上がるんやろなとか思うけど、今更子供のいない人生学習欲が満たされる仕事捨てるのも想像つかなくて、ちょうど良いバランスって難しきかな😞

筋トレする時間ガッチリとって、腹の脂肪の奥にいるはずの腹筋に日の目を見せたいけど、そんな時間ないなあ。いやでも無理とか言ってたら一生無理だからやっぱやったるきゃないんかー…

旦那かいう男、邪魔からいらなくね?

って思った私の話。

私はアラサーで、そこそこ稼いでいて、貯金もある。

アラサーから子供産む産まないで、たまーに悩むこともある。

母親にはなりたいかも。でも、妻にはなりたくないなかも。なんて思う。

私はマッチングアプリとか色々やったけど、結婚して子育てしたい男って、大体、「家事育児も『手伝う』よ!」ってスタンスだった。

え?最初からアシスタント前提なの?

じゃあ、妻になる私がメイン前提なの?

まりさ、妻になる私はさ、女はさ、仕事しながら、

旦那メンタルケアもして、旦那ご飯も作ってあげて、仕事愚痴を家庭に持ち込んだりする旦那の話も聞いてあげて、旦那キャリアに振り回されるかもしれないリスクも背負って、病気になったらケアしてあげて、浮気とかのリスクにも脅えたりして、プラスアルファ子育て家事もしないといけないわけ?

いやー流石に私の仕事増え過ぎじゃない?

ってなったんだよね。

ストレスフルやんけ。

からもし、私が子供欲しいってなったら、

から精子だけ拝借して、子供できたら、シングルマザーしようかなって思った。

面倒みきれないよ。女じゃないやつで、自分の子供じゃない、他人っていうやつの

同じ女の人で、子供欲しいか結婚したい

って考えてる人そこそこいると思うけど、

結婚しなくてよくない?ってなる。

自分の子供のためなら頑張れるよ。

時々、自分の親を頼ったりしてさ。

でも、旦那のことも考えなきゃってなると、スゲー怠い。怠いから、いないほうが良いって思うようになった。

私みたいに、選択シングルマザーでも良いかも?って思ってくれる人いないかな?って思った。そんだけ。

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めんどくせえ女とかコメントで言われてて草。

コメントしてきたオスは自分一人で繫殖できないから、家族できないとおもうし、孤独死まっしぐらかもだけど

私は妊娠できるから子供産めて家族できるから

2024-06-12

anond:20240611143156

世襲零細企業経営してるけど

そんなにヤバすぎる内情を抱えてるわけではないけど、もう会社売ってすっきりしたいと思うことは何度もある

経営日常に紛れてしまった現経営者だからこそできないことってたくさんあると思うし

そこで気力十分な外部資本改革を起こそうと思ったら、やれることはけっこうあるし、やることやれば化ける会社は化けるよね

から俺は「絶対に裏があるからやめとけ、騙されてるぞ」なんてことは言えないわ

 

でも家族ケアはしっかりね

奥さんある意味あなたより不安でしょうよ

やる気のない時は朝、顔洗ってそのまんま

以下やる気のある順に

洗顔

・皮脂止め乳液

(か、エイジングケア用の乳液)

さらにやる気があれば

洗顔化粧水乳液

洗顔→拭き取り化粧水化粧水乳液

(最近オルビスとかクリニークとか)

気合い入れる時はこれにiroikuの乳液塗ったりしてる

ただ最近ずっと洗いっぱなしなので、どうも心身ともに疲れ切ってるっぽい……

anond:20240611121613

このノート賛同するよ

この母親擁護している人達って要は、公正世界仮説物事を視ているんだと思う

『追い詰められて子殺しをするかわいそうな母親』とかいツチノコの話

https://note.com/aozora_aoina/n/n3834f68fcc82?sub_rt=share_b

一部では、「ワンオペ育児で夫の援助を得られず大変な思いをしていたか気持ちが追い詰められて殺してしまった」というような説がまかり通っている。

凄惨なこの事件に思いを馳せたとき、「殺してしまうほど追い詰められたかわいそうな母親」というストーリーを作ってしまうことは、正直無理のない話だと思っている。愛する子に危害を加えるというあまりにも逸脱したことを、追い詰められでもしないとするはずがない、まともな状態らするはずがない、という含意だろう。いわゆる公正世界仮説ともとれる。

だがそれは「まともな状態で愛する子を殺すはずがない」という公正な価値観に基づいた偏見であり、都合のいい創作物語だ。

実際の虐待親は、別に追い詰められてようが追い詰められていなかろうが、普通に子に暴言を吐くし殴るし蹴るし、うっかりすると子を殺す。

彼らにとって子どもは、自身感情ケアするための道具だ。

普通母親が追い詰められて子を殺す、というストーリーファンタジーだ。

子ども自分感情ケアする道具として利用してる母親は、追い詰められていなくても子を殺すし、普通母親は追い詰められても子を殺さない。

あの母親自分意志で、3人の娘を、殺したいから、殺したのだ。

2024-06-11

[]6月11日

ご飯

朝:なし。昼:サラダ。夜:人参大根白菜しめじベーコンスープ納豆冷奴。いりたまご。間食:なし。

調子

むきゅーはややー。おしごとは、それなりー。

餓狼伝説(アケアネオジオ)

今日も1コインだけ遊んだ

リチャードにはあっさり勝利マイケルには苦戦と昨日から何も成長していなかった。

と言うのもライジングタックルを出すのに固執してしまって、真面目に戦ってなかった。

2戦ほぼ捨ててもよくわからないのでネットで調べたところ、上要素Aじゃなくて、8Aしかダメらしく、7Aとか、9Aだと出ないらしい。

なるほどコレは使いづらいから、忘れよう。

ポケットモンスター緑(NPC交換の旅)

シオンセキチクセキチクとグレン、グレンからマサラのそれぞれの道路水道トレーナー攻略

それとポケモン屋敷グレンジムカツラ攻略した。

ふたごじまと無人発電所特に欲しいアイテムもないし、捕獲したいポケモンもいないし、放置かな。(無人発電所も同じ)

ただコレ、ヤマブキ攻略を後回しにしてるので、明日シルフカンパニーナツメ攻略しよう。

手持ちはチャッピー40、おしょう45、まさこ44、テリー46、なめぞう43、バリバリ50。

今日は水と飛行と毒のポケモンを出すトレーナが多かった都合で、10万ボルトと念力が使えるバリバリの出番が多くレベルが偏った。

anond:20240611133540

いいね月500って言ってるわりにバツイチ病気持ちとかワケアリばかり選んでるのが気になる

何か嘘をついているか隠してる重要なことがあるよね

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