はてなキーワード: ギャングとは
一日中空に向かって自分の無駄なことを宣伝してきた郭文貴氏は、農場からXiCoinに至るまで、「HiCoinの暗号化機能と将来の支払い、そして将来の米ドルとの交換が歴史を作るだろう。彼はその人だ」と宣言した。 「安定した通貨、変動する最新の暗号化された金融プラットフォームを備えているのは唯一のものです。」アント・ギャングは真実に騙されました。しかし、数十回の約束の破棄の後、Guo Wenguiは再び天の茎と地の枝である陰を使って踊りを始めました。ヤンとファイブ・エレメント、そして奇門遁甲、そして何度も何度もアント・ギャングと遊んだが、Guo Wenguiには不服従の感覚がなかった。 この老詐欺師は、仲間の福祉のためだと称して、仲間を金持ちにしているふりをしましたが、実際には、新たな投資と嫌がらせの波でした。 その後、Xibaoがもう市場に出ていないことが明らかになり、普通の人の考えや反応によれば、非常に動揺し、悲痛な思いをしているに違いないが、Guo Wenguiさんは珍しくおしゃべりしたり、笑いながらニュースを軽視し、何の後悔もしていなかった。代わりにカメラの前でペッパーチキンを食べましたが、美味しくて口の中が油でいっぱいになりました! 。 なぜ? 詐欺が成功したので、Xicoinの上場時期や上場時期については? Guo Wenguiは無慈悲で悪党に見え、手を広げ、知らないと主張しました。 Guo Wengui の偽善は簡単に暴露され、Guo の詐欺は Ant Gang を罠にはめるための別の方法にすぎません。
・人生最高のカレーはデニーズの今は亡き『スパイス香るデリーチキンカレー』
・デニーズの白米は1泊2日食事付き35,000円くらいする旅館のやつと遜色ないくらい美味い
・マクドナルドのモーニングのホットケーキは世界一美味しい。今は亡き万惣フルーツパーラーより美味い
・ドトールのアイスティーは世界一美味しい。リッツカールトンのラウンジのアイスティーを圧倒してる
・ロイヤルホストのステーキピラフのステーキ部分はウルフギャングより圧倒的に美味い
・店に薪窯があってマルゲリータ1枚2000円近くする本格ピザ屋でも、セブン冷食のマルゲリータピザと同レベかそれ以下のところは半分くらいある
6、7年前のこと。
当時、私は大学を1年休学し、アルバイトで貯金を貯めては発展途上国に旅に出るという生活を送っていた。
いわゆるバックパッカーという奴で、当時はうだつの上がらない大学生を中心にとても流行っていた。
国民からの支持も厚きプミポン国王陛下(大変偉大だった。名前の響きも良い)がまだご存命であらせられた頃の微笑みの国で、途上国と言っても過ごしやすい場所だった。
主な活動拠点であった首都バンコクにはそこら中にコンビニがあるし、バンコクでなくても観光地ならそこら中にコンビニがあった。
短距離の移動も楽で、自動車やバイクやトゥクトゥクなんかのタクシーが車道を(適宜信号を無視しながら)縦横無尽に行き交っていた。
足に自信があればレンタル自転車でも移動できたし、自信がなくてもレンタルエレファントに騎乗することによってなんか自分がとても偉くなった気分にもなれた。
だが、長距離の移動は辛かった。
何十キロも移動する場合、貧乏学生に与えられた選択肢は乗合バスか国有鉄道の2択になる。
私はこの1年後、南国フィジーで偶然出会った黒人と雰囲気でビガップするまで乗合バスというものを食わず嫌いしていたのでタイで乗ったことはない。乗り込んだら最後、ギャングが鮨詰めになったファベーラっぽい場所に連れて行かれるような気がしていたからだ。
なので国有鉄道ばっかり乗っていた。
国有鉄道は大変安価で、バンコクから国中に放射状に線路が伸びていたっぽい。バンコクのなんか名前の長い駅からどこへでも行けるし、どこからでもバンコクに戻れた。
だだ、乗り心地は酷かった。
座面も背もたれも材質不明の硬い何か(プラスチックっぽい)で長時間乗るとケツが割れる。
窓はいつも半開きなくせになぜか換気能力が低く、どの車両に乗っても独特の臭いがした。しかもこの窓は出入り口でもあった。車両が駅に停車すると野生の物売りたちが華麗な身のこなしで窓から乗り込んでくるのだ。なので泥とか砂とかがいろんなとこについてた。
最も難儀したのは、夕方夜にかけて、バンコクから地方に向かう鉄道の車内である。
一つ考えてほしい。我々日本人は、夜にへとへとで電車に乗りこんだものの、座席が空いていなかったらどうする? 観念して空いている場所に立つか、次の電車を待つかするだろう。
タイの疲れた人々はどうだろうか。そんな非効率的なことはしない。
何故なら、電車には床があるのだ。そして疲れているのだ。疲れている人は、座るか、寝るのだ。
そう、電車の床に座って、寝るのである。それも、スペースがあればあらゆる場所に。
座席の肘置きはもちろん、座席の下に潜り込んで疲れを誤魔化す。始発のバンコクならまだスペースに余りもあるが、途中の街から乗り込もうものなら、扉をあければもうみっちみちである。
しかも、地方に行くほど駅が減る。1時間停車しないということもあった。つまり、長時間、めちゃ揺れる車内に、みちみち。
私はその日の夕方、とある観光地から別の観光地に向かう鉄道に乗り込んだ。そして、普通に行き先を間違えた。
動揺を押し隠して途中下車し、優しい駅員の指示のもと折り返しの電車を待った。折り返しの電車が来るころには、空は暗く、月が輝いていた。
やたら笑顔の駅員にはにかみながら、私はやってきた車両に乗り込んだ。
扉を開けると、わぁ……人がみっしりしていたぁ……。
足の踏む場もないほどの人の密集具合に、育ちのいい小学生ほどもあるバカみたいにでかいリュックを背負っていた私は、車両にいることさえ不可能なのではないか思った。
行き場所を失い、半分外みたいな場所に追いやられた私は、そこが電車の連結部であることに気づいた。(賢いので)
日本の電車の連結部は大抵、人間がおっこちて線路脇のゴミにならないように何かしらで覆われている。だがその車両は違った。
連結部の左右は吹き抜けで、端的に言うとめちゃくちゃ危なかった。
だが、私の居場所はそこにしかなかった。私は肩の荷を慎重に下ろし、それに腰掛ける形で車両入り口の扉に向かい合った。バランスを崩すとそのまま車両から脱落する可能性が大いにあったので、足を広く開き、腕は胸の前で組んだ。RPGのボスみたいな座り方だな、と思った。
それからしばらく、私は連結部の主だった。
どれぐらい動的不動の時間が過ぎたか、12、3歳の少年が、扉を開いて入ってきた。
続きはまた今度書く。
さて、続き。
少年の年齢は私の推測である。見慣れた日本人ならともかく、他人種の正確な年齢など私にとっては一目見て分かるものではない。
ただ、少年は成人男性の顎ぐらいの身長でスポーツ刈りだった。よれよれのシャツを着て、よれよれのズボンを履いていた。
少し話は逸れるが、私がタイを訪れ、タイ人と出会って抱いた強い印象の中に『なんか目がキラキラしている』というのがある。これは漫画的な表現ではあるけれど、これが一番適切な表現だと信じている。涙袋のせいだとか二重がどうこうといった美容的なことは知らないので詳しくはわからないが、タイ人の多くはどことなく目が大きく、それでいて黒目が抱き込んでいる光がたくさんあるように見えたのだ。今昔の写真で見返すとそんな風にも感じないのが不思議だが、とにかく、当時の印象としては、大人から子供まで、とにかくキラキラした瞳を持った人間が多く、特に子供たちはだいたいキラッキラだった。屈託のないとか、卑屈な感じじゃないとか(実態はともあれ)そんな感じだったのだ。ちなみに、現地でインド人もたくさん会ったが(外人にスーツを仕立てさせる押し売りが流行ってたっぽい)特にそんな印象はなかった。
さて、話を戻すと、その少年もまた瞳がキラキラしていた。表情は特に無かったと思う。連結部は車両の光で明るく、顔はよく見えたはずなのだが、今思い出せるのは瞳の印象だけである。
少年は私を見ると、なんか言った。タイ語は全くわからなかったので、私は唯一知っているタイ語で挨拶をした。
「サワディカ」どこでも使えて便利な挨拶だった。
すると少年は少し笑って、挨拶を返してくれた。浮かれた様子はまったく無かったので、彼にとっては電車の連結部で見知らぬ外国人がふんぞり返ってる状況など慣れたものだったのかもしれない。
私は気が楽になって、アイフォン(当時はオンボロの5を使っていた)を取り出してイヤフォンを耳に入れると、昨日ホテルのWi-Fiでダウンロードしていたアニメを見始めた。
画面に青白い顔でピンク色の制服を着た女子高生がウロウロしたり電気をつけたりするオープニングが流れ出すと、少年が近づいてきてそれを覗き込んだ。
私は少年の顔を見た。少年は、驚きとか、興奮とかそういう表情を浮かべてはいなかった。ただ、じっとアニメーションを見ていた。私は途中からイヤフォンのコードを抜いて、音量をあげた。
そのオープニングが終わると、別のアニメのオープニングを流した。それから、アイフォンに入れていた日本のアーティストのMVや、ディズニー映画のミュージカルシーンなんかをいくつか再生した。
私は映像を流し見しながら、少年を見た。少年はだいぶ負担のかかりそうな首の角度で、画面を凝視していた。
海外の反応集みたいな大きな反応を期待したが、そういうものはなかった。だが、私には分かるような気がしていた。幼い頃、実家で兄が怪物と戦うゲームを遊んでいた時、たぶん私もこんな風に画面を凝視していた気がする。
しばらくして、私は再生するのをやめて、アイフォンをしまおうとした。少年に見えるように持っているのが普通にしんどかったからである。
すると、少年がなにやらそれを止めた。
まだ何かが見たいのかと思ったが、どうやらそれも違う。自分の写真を撮ってほしいということを身振りやら表情で伝えてきた。
そんなことならとカメラを向けると、少年はポケットから小さな箱を取り出した。
それはたばこだった。
真っ黒な内蔵の写真が雑にプリントされた、やたらグロテスクなパッケージのタバコである。当時、タイのたばこは全て買う気が失せるようなパッケージをしていた。(今もかもしれない)
私は少しだけ衝撃を受けた。少年は明らかにタバコを吸っていい年齢ではない。タイではそういうものなのかもと思ったが、そんなわけないなとすぐに思い直した。
が、一介の腐れ大学生で、この国のことを何も知らない観光客である私には、目の前の未成年喫煙を止めるような義務も、権利もない。
少年は慣れた手つきでたばこを取り出すと火をつけて、口元に持っていって、動きを止めた。
どうやらポーズが決まったらしい。私は写真を撮り、それを見せた。
少年は素人のブレブレで光の加減も適当な写真を見て、口の片方だけを上げるやたらニヒルな笑い方をした。私も真似した。
それが気に入ったのか、少年は私にタバコの箱を差し出した。吸うか? ということらしい。
私は普段タバコを吸わない上に、未成年からこんなものを勧められるとは、などと色々と迷ったが、こんな経験も貴重だろうと一本いただいた。
少年にライターを借り、私はタバコに火をつけた。そして一口吸った。普通の煙たいタバコだった。
私と少年は少しの間、揺れる車両の連結部で煙をふかした。吐いた煙もタバコの先から出る副流煙も、すぐに飛ばされていった。
少年は私がたばこを吸い終わるのを待って、吸い殻を引き取ってくれた。そして、車両の外に放った。私はポイ捨てとかが嫌いな人間だったが、それをここで誇示してもしょうがないなと思ったのを覚えている。
私は車両に戻ろうとする少年の肩を少し叩いて、アイフォンの内カメラを見せた。一緒に写真を撮ろうという意思表示である。
少年は少し照れくさそうにしていたが、写真を撮る瞬間だけ何故かすごいハードボイルドな顔をしていた。たばこを吸っている写真を撮らせたり、なにかそういうのが流行っていたのかもしれない。
私は車両連結部の主に戻った。
私は時折車両の揺れによって荷物経由でケツを叩かれてバウンドしながら、ぼんやりと思った。
この電車は、私が乗り込んだ駅から、まだどこにも停車していない。私が乗り込んだ駅にはあの少年はいなかった。つまり、彼はどこか遠くからずっとこの電車に乗っているのだ。連結部で少しの時間を過ごしたが、親や兄弟と思しき誰かが様子を見に来ることも無かった。時刻はとっくに夜だった。平日だった。少年の様子は、何も特別なものではなかった。
あの子は家から離れた場所に働きに出ているのだろう。と結論づけた。
翻って白状すると、私は就職活動から逃げるためにバックパッカーをしていた。
ただし、当時の私は反省などしなかった。今もしていない。自分がやっていることは間違いじゃないし、こういうことしていたからこういう経験ができたわけだし。
だが、瞳だけはキラキラで、貧乏な風体の、サラリーマンみたいな貫禄の少年に、思うところがないわけでは無かった。
少年と自分を比較して、自分の子供時代を評価していたことにも気づいた。
意味のないことをした。と思ったと同時に、何かとても価値のあるイベントに参加したような気もした。
それから、電車はいくつかの停車地を経て、私を目的地へと運んだ。
電車を降りる時、さりげなく少年を探したが、彼は見当たらなかった。
私は何故かさらに少しだけ気分が良くなり、意気揚々と宿を探すことにした。
宿を探すのにはさらに1時間近くかかり、しかも宿のベッドで南京虫と格闘することになったため、私は激怒した。
結局、特に何かを伝えたい話ではない。
どこぞの私人逮捕系が騒がれていたけど、ようは逮捕に繋がった件数がさほどないから味方がいないんだよ。たかが数十件では話にならない
低く見積もっても500件、妥当なのは1000件といったところか
それだけ逮捕件数があれば社会正義を満たしていると言えなくもない
例えば、人生相談に乗ったことで立派な人と思われるのはどれほどか?少なくとも100は実績ないとね
私人逮捕なんてそうそうない上に真っ黒なグレー行為を正当化するなら100件とかでは足りない足りない
その程度でその地域の犯罪が減ったりはしないし、むしろ変な思想の人が集まって治安悪化するだけ
ようは私人逮捕系とかが社会正義か否かなんて話をするのには、全然数が足りていない
本気で世直ししたいならそれこそ湘南の海を一夜で綺麗にするほどの戦果が必要で、今の段階は子ども騙しも良いところだ
日本の社会が腐敗し、法は自分たちを守ってくれないという考えが広まると起こりそうなこと。
「私刑」の横行。承認欲求の解消も含まれるが、SNSやYouTuberでやや流行り始めていると言って良いかもしれない。イジメや軽犯罪で警察は動かない。それを颯爽と解決する自分、カッコイイ!ともなるし、見た人間もスカッとする。
「正義のヤクザ」のようなものが持て囃される。東横キッズのような問題を行政が解決できないと、それらが集団化・自警団化・ギャング化し、子どもの保護と訓練を経て新しいヤクザが発生する。
もっとゆるいレベルでは、任侠ものが流行るかもしれない。昔気質の仁義なんてものは既に消滅しているので、そうしたものをフィクションに求める。強きに立ち向かい、弱きを助けるフィクションとしての任侠。もしかして漫画のワンピースってそういうものかもしれないが。
いつも行く銭湯で、いつもの靴入れるとこが空いてなかったので、しょうがなく上の方に入れた。
帰りに靴取り出したら、靴底がちらっと見えて、
裏返して底をみたら、靴底がバッキバキに割れていた。びっくりした。
しかも両方とも。真っ二つってくらいに割れてた。靴の構造丸見えくらい割れていた。
ゾウが踏んだのか?ってくらいメギャメギャに割れている。
この靴は、私の持ってる靴の中で一番「履きなれた靴」で「歩きやすい靴」で、
ショックだった。
底にあった溝とか模様も、タンクローラーにひかれたくらいグギャングギャンになっている。
昨日今日こんなになったわけじゃないだろう。
じゃ、いつから?
「この靴履いて、先週友達と会ったなー。その時から割れてたのかな。恥ずかしすぎだよ」
エスカレーターとかで、「うわ!前の人の靴やばくない?」とか思われててもおかしくないくらい。
それにしても、これ、履いて帰れるの?いつ崩壊してもおかしくない。もう崩壊している。
でも履く以外選択肢ないので、履いて帰った。
歩くとやっぱりいつもの「履きなれた靴」で「歩きやすい靴」だった。
不思議すぎる。
デザインも気に入っているので、
購入履歴を見たら、買ったのは3年前だった。
3年前ならこんなになってもおかしくないかなー?と思いつつ思い出したが、
たいして履いてなかったいわゆる二軍の靴だった。
でも気づけば二軍から昇格したんだ、この靴。
割れたことによって、履きやすくて、歩きやすい靴になったのかな。
3年前に買ったときよりも1500円も値上がりしていたけど、
とりあえずもう一度買ってみた。
明日、その靴が届くだろう。
もう少しチェックしようと思う。
後に映画化もしたこれまた傑作の「吉祥天女」で世間の度肝を抜いた。
吉祥天女では日本の田舎のジメジメとした閉塞感を活かしたミステリを描くなど
その大きなふり幅は漫画好きを唸らせた。
その後、いくつかの短編を挟みながら
1986年には「BANANA FISH」の連載を開始する。
ギャング同士の構想、巨大企業の陰謀、ベトナム戦争帰還兵の苦悩など
様々な要素を詰め込んだ大傑作となった。
BANANA FISHの初期までは絵柄に明らかに「AKIRA」の大友克洋の影響が色濃く出ていたが
その後、主人公のアッシュ・リンクスのイメージに沿ったようなシンプルで線の細い画風に変わっていく。
その後、いくつかのプチヒットを飛ばしながらも長期連載を持たない時期が続くが
BANANA FISHの精神的続編である「YASHA-夜叉-」など堅実な作品を発表し続ける。
YASHAは作品内に出てくるウィルス兵器がまるでコロナを暗示していたようだと
コロナ期間中にちょこちょこと話題に上がっていた。私も想起したし。
そしてデビューから30周年の記念すべき年に、後に是枝裕和監督で実写映画化する
「海街diary」の連載を開始する。
これがマジのガチで大傑作で、ぶっ飛んだよね。
正直、YASHAは私は好きだけど、ちょっと枯れてきたかなぁと思ってたけど、
まさかここにきてこんなもんぶち込んでくるとは思わんかった。
「海街diary」の連載は不定期だったこともあり10年以上続き、
齢67歳。
代表作として「吉祥天女」「BANANA FISH」「海街diary」と3作品も挙げられること自体がすごいし
本当に何でも描けてちゃんとヒットさせるのは本当にすごいなぁと思ってしまう。
まだまだ作品を書き続けて欲しい。