はてなキーワード: ギャオとは
ツイフェミ「私はブスでババアなツイフェミ、二次元の美少女に嫉妬してるから理不尽な理由で叩きまくるわ!」
ツイフェミ「このポスター、巨乳もミニスカートもいやらしいんだから公共の場には不適切よ!」
ツイフェミ「そしてレースクイーンもミスコンも廃止!女性蔑視よ!」
ミニスカ好き女性「私は好きでミニスカートを穿いてるだけです!それが悪いことなんですか?」
ミスコン出場者「美人な女性の活躍の場を奪いたいんですか!?」
ツイフェミ「なっっ!私はあなたたちのために言ってるのよ!(本当は巨乳や美人に嫉妬してるだけだけど)」
表現の自由戦士「おい、お前らツイフェミのやってることは女性の活躍の場を奪ってるだけだ!女性の正しいあり方を勝手に決めつけることこそ女性蔑視じゃないのか!」
ツイフェミ「ギャオオオオオオオン(あまりの正論に発狂してしまう)」
謎の白人美女「本来フェミニズムとは女性が抑圧を受けずに自由に生きられるのを目指す主義なはずデス! それなのにツイフェミのやってることは正反対で女性の選択肢を奪ってるだけデース!」
謎の白人女性「真のフェミニストというのは彼のような人を言いマ〜ス!」
女性絵師「表現の自由戦士さん、私のような萌えイラストが好きな女性を救っていただきありがとうございます!」
巨乳女性「ずっと巨乳がコンプレックスだったんですが、それを肯定していただき救われました!」
ミニスカ好き女性「女性が自由なファッションを楽しめることこそ女性の生きやすい社会だと思います!」
レースクイーン「お陰で仕事が奪われずに済みました!本当にありがとうございます」
ミスコン出場者「美人な女性の活躍の場を奪われずに済みました!あなたこそ真の女性の味方です!」
表現の自由戦士「あれ? 正義のために戦ってたらいつの間にか真のフェミニストになってる? またオレ何かやっちゃいました?」
↑
どうせ表現の自由戦士の考えてるツイフェミと真のフェミニスト()の関係性ってこんな感じなんだろうな
お前らの思考単純すぎて容易に予想できるんだわ
フェミニストは巨乳を攻撃してると勘違いしてるけどお前らは「公共の場で胸を強調した性的記号を含んでいる絵を掲示することへの批判」と「現実の巨乳女性の否定」の区別すらつかねぇのか?
「あーあー俺の毎日の苦労にもちゃんと意味があったら良いんだけどな―」
でしかないんだよね根っこは。
その物語を信じる気持ちを増やすための手段として祈りとか募金とかのポーズがあるわけで。
「あーあー俺も超偉い人だったりその子分の凄腕だったら街のごろつきをボコボコにしてオギャオギャギギギギなのになー」
「あーあー俺の街にも善良かつ力量のある裁き人が来てクソどもを皆殺しにしないかな―」
の2つの共感しやすい物語が同時に走ってるから多くの人を惹きつけるんだよね。
ただ多くの物語を同時に走らせるのは弊害があって大衆映画なんかは
「あーあー俺にも心から愛する人が居てその人への愛の力なら世界を全部敵に回してもあらゆる困難を打ち破れたらな―」
を全面に押し出してしまった結果、元々宣伝文句として謳っていたはずの物語を蔑ろにしがちなんだよね。
そうなるとそっちの物語に共感するつもりしかなかったお客さんの何割かが置き去りになってあとから文句を言う。
そういう意味じゃ恋愛映画みたいなワンテーマ映画は優れているんだけど
「あーあー俺も愛する人と近いあった永遠の中で末永く幸せに暮らして最高の人生だったと思いながら永遠の眠りにつけたらなー」
を望んできた客に
「あーあー俺も愛する人との悲しい別れを通して自分の人間としての善良さを頬を伝う涙で実感できたらな―」
をぶつけてしまうと期待外れだったとボロクソに叩かれることがあるから宣伝の仕方は注意なんだよね。
このタイプの映画を求めている人はこういうハズレの引き方に敏感で、ネタバレを最初から見て合う合わないをチェックしてたりする。
だからもう宣伝の段階で全部ネタバレしてしまうのが正解なジャンルってのもあるわけ。
すると今度は
「あーあー意外な展開に踊らされるもそこから機転を利かせて大逆転することで困難をねじ伏せたいな―」
みたいな人からは受けないっていう弱点があるんだよね。
「あーあー愛犬と幸せに暮らしてから、最後は寿命の違いで悲しい別れをして、その後は新しい出会いに感謝したいな―」
というコンセプトが絶対的に一貫してる。
もしもこれに共感が出来ないなら最初から見なければ良いと皆知ってる。
だから「評価が☆4.5だから見ましたけど、犬が死ぬだけのお涙頂戴でした ☆1」みたいな事も起きにくく常に評価が高めになりやすい。