はてなキーワード: ガチの人とは
誰かが言わないといけないことだけれど、だれも言わないから言う。
BL好き腐女子、エヴァ大好き左翼、エロゲアイコンだった学者。
おじさんおばさんのオタクの一部が、差別で自意識を拗らせた結果おかしなことになっているという話だと思って聞いてほしい。
彼らは、エヴァ放送時に、衝撃を受けてこんなアニメがあるのかと驚いた世代だ。もうちょいわかりやすく言うと林原めぐみ直撃世代か、そのもうちょい前。
深夜にアニラジを聞きながら、エヴァを延々と語り、オタクの仲間内で、「この作品なら一般人に見せてもばかにされないんじゃないか」とかひそかに期待していた世代だ。
同時にあの時代のオタクは、自分を肯定して生きていくことが厳しい時代だった。
オタクと呼ばれると、どんなに社交的で、どんなに良い人格で、どんなに収入があっても、社会的信用が失われる時代だ。このあたりの空気を知りたいというひとは、
https://togetter.com/li/1220676 このあたりのまとめがマイルドに教えてくれる。
もっと空気感だけ味わいたいなら、飛んで埼玉! の空気感。バレた瞬間最下層民になるって時代。
だから、アニメ好きは必死になって趣味を隠し、隠れキリシタンならぬ、隠れオタクという言葉が普通に流通していた時代だ。
声優ソングの歌詞を見たら、みごとに「生きにくいオタクの共感を呼ぶ曲ばっかり」だ。
自分らしく生きていくということを大変だけど頑張ろう、っていう曲だ。
そんな時代に作られた林原めぐみの「don't be discouraged」は、差別の垣根を越えて、「ゲイやオカマの心をガッチリとらえた」という現象まで起きた。新宿二丁目では涙を流して歌う人物もいるそうだ。「生きにくい世の中だけど、勇気をもって好きなことに邁進しよう。理解されなくてもきっといいことがあるよ」というのは、まさに被差別属性を持つ人々の心をとらえるだろう。そんな時代だった。
僕らが生きたのは「好きなものを好きというだけで多大なリスクを覚悟せねばならなかった」という時代だ。
余談になるが、当時の深夜アニラジというのは、精神を病んだオタクの駆け込み寺にもなっていた。声優さんにガチの人生相談が舞い込んだ時代だ。
学校でオタクだと馬鹿にされてつらいとか、いじめられているとか、そういうはがきが普通に舞い込み、それを声優さんがガチに回答するような、かなり狂った時代。あの時代のオタクの空気はまさにどんよりとした息苦しさをまとい、まさに被差別階層の様相を呈していた。それにしたって、なんで声優さんラジオに人生相談をするんだ、と言われるかもしれないが他に相談できる場所がどこにもなかったのだ。親も、教師も、友人も、兄弟も、警察も、政治家も、すべてがオタクにとっては敵だった。もう顔の見える敵ではない存在が、漫画家や声優しかいないというのは、あの時代を体験したものでないとわからないだろう。当然ネット環境もない。
そんななか、差別に直面し苦闘したオタクたちはオタクと呼ばれるのを極端に恐れていた。
「俺はオタクじゃない。マニアだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「俺はオタクじゃない。ゲーマーだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「俺はオタクじゃない。アニメ好きだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「オタクってキモいよね」と言われたら、正体を隠して「そうだねえキモいよね」と内心冷や汗流しながら相槌を打ってた時代だ。
当時、いじめられ、差別され、迫害され、バカにされていたオタクたちの一部が、「なぜ自分たちが差別されるのか」を必死になって考えるというのは、もうこれは宿痾の妄想のようなものである。
そんな中、一つの逃げ道に走ったオタクがいる。それが現在の左翼系でオタクバッシングをやっているオタクである。
「オタクはダメな奴らだ」とサブカル内部からオタクを批判することで、一般に認められようとする道を選んだ人間だ。
彼らの言い訳は「左翼思想からサブカル的にオタクを分析するためにオタク文化にかかわっている」というものだ。
「自分たちがアニメ・ゲーム・マンガ・ラノベを見るのはサブカルチャーの研究をやっているからだ。だから恥ずかしくない」と理論武装しなければ、好きなものにかかわることができなかった。
大学のサークル棟や居酒屋で、現実に起きた現象とアニメ作品をひたすらに絡めて、融合させて、一つの社会的事象としてとらえようと躍起になった時代だ。
具体例を挙げると、地下鉄サリン事件とオカルト系SF作品の影響を無理やりくっつけてトンチンカンな批評を、朝生みたいにオタク同志で語り合ったものだ。
それを見ていたクリエイターが「いまのオタクは作品も作らず、ただ批評ばっかりしてる」と嘆いていた時代。ただ楽しむではなく、「学問的批評という行動によって、ただのキモオタのブヒブヒ言う声ではなく、この作品が社会に与える影響や、社会的意義がどんなものか、左翼思想に合致するかチェックしている」という言い訳を自分に用意した。
彼らは、何の理屈もつけずにオタク文化を楽しむオタクを「ダメな奴らだ。キモイ。あんな奴らと一緒にしないでくれ」と、さげすむ自意識を持っていた。しかし、オタク文化は好きで好きでたまらなかった。
その鬱屈した倒錯は、傍から見ればただの変態の所業でありながら、それでも本人たちは大まじめだった。
左翼思想やフェミニズム思想を身にまとい、あのコンテンツはここがダメ、あそこが左翼思想から見るとダメ、右翼だ、女性差別だ、と言いながらアニメゲームマンガを消費したのだ。
ほかにも別の一派がいて、無理やり学問にこじつけて、オタク文化を鑑賞し、「CLANNADは人生」とか「fateは文学」とか馬鹿じゃないのかという発言が飛び出すこともあった。ネットで議論する際に「銀英伝」や「マブラヴ」で、政治を語り分析する人間がゴロゴロいた時代。
あれは、「馬鹿」だったのではなく「そうすることが差別を避けつつコンテンツを楽しむ作法」だったのだ。
しかし、時代は加速した。オタクは文化的にかなりの大成功を収めた。
オタク系候補が30万票や50万票取って、自民党の議員バッヂをつけてしまう時代だ。民主系や、社民系ではなく、よりにもよって自民党である。確実に時代は変わった。それも劇的に変わってしまった。(オタクが政治にいかに冷遇され続けてきたかは、それだけで10万文字を超えるエントリーを書かねばならないが、今回は割愛する)
要するにオタクコンテンツが一般趣味として認められつつある時代になったということだ。
そうなると何が起こるか?
いちいち思想とアニメを絡めて面倒くさい批評を書くよりも、萌えキャラがなんか頬を赤らめて「ばか」とつぶやくSS漫画をtwitterにあげるほうがRTといいねが数万単位で跳ね返ってくるようになった。
このアニメはリベラル思想に対して間違っていないか、とか考える面倒くさい学術オタよりも、SNSで萌え絵をアップして焼肉画像を上げてる大学生絵師のほうがよっぽど尊敬を集められる時代になった。
いまの時代、萌え漫画を読んだり、コミケに行ったりする程度で、「あいつはキモイオタクだから石を投げよう」みたいなやつはかなり減って、大勢がオタクであると公言できる時代になった。これは若い人達ほど顕著である。他人にどうみられるかを一番気にして、自意識をこじらせる男子高校生や女子高生たちが、人前で、FGOだのアイマスだのバンドリだののアプリのイベントを周回している時代だ。
オタク差別から逃れるためにくだらないうそをつかなくてよい時代が来た。
しかし、この時代はある一部のオタクたちには実に生きにくい時代になった。オタク趣味を低俗だ、腐敗してる、萌えなど女性差別だと繰り返しバッシングしながら、それでも萌えアニメや恋愛ゲームを消費せずにはいられなかったオタクたちだ。これには女子も含まれる。女子でも乙女ゲーとかそっち系のほうは「恥ずかしいもの」としてバッシングされた過去が間違いなくある。腐女子を恥ずかしいものとしてとらえてバッシングしたのは、「そういう意識が高い系のオタク、女子オタク」だったし、「腐女子の中でも様々な争いがあった」ことは間違いない。
彼らは、同胞のオタクを常にバッシングしてきたせいで、オタクにもたらされた「自由にオタク文化を楽しむ」という時代に参入できない。今更「実は俺も萌えキャラ大好きなんだよ~! バンドリ周回してる! アイマス最高!」とか職場の人間に言えない人生を送ってきてしまった。
ネット空間においてさえ「こんなものは女性差別だ。左翼思想の面から許容できない人権侵害だ。オタクがオタクをダメにした。オタク社会を俺が浄化してやる」ぐらいの発言をしてきた人間だ。
彼らもこっそりオタク文化を楽しんではきた。しかしオープンに楽しむなんてことはできなかった。それが許される時代が来てもできない。
だからこそ、全力でオタク文化が一般になるのを阻止しなくてはならない。
そうでなければ自分のゆがんだ自意識が、ただの卑屈さの産物であると認めなければならないからだ。
林原めぐみの作詞した歌詞のように、ドタバタ前向きに差別を恐れずに自分を肯定しながら生きていくということができればどんなに良かったろう。
しかしそれがいまだにできない。あの時代のえげつない苛烈さ、報道も政治も、だれもオタクを守ってくれない。その時代ゆえの後遺症だ。
だいたいは左翼的なシンパシーを持ち、左翼思想で自分を固めてきた。
左翼思想やフェミニズムが、彼らをオタク差別から守り、他のオタクと異なり特別たらしめている自意識だ。
それを用いて、オタクだとカミングアウトするのが明らかに不利益にしかならない時代を、何とか生き抜いてきた世代だ。
必死に左翼理論と自己演出で、オタク差別されないように自分を防御してきた世代だ。
世の中のオタク表現を常に探し、「これは左派思想に合致しないから規制すべき」とオタクをバッシングするのは、「自分はキモオタとは違う良いオタクだ」と差別を逃れるために左翼思想を選んだから。
若い人たちは彼らを見たら、「こんなことをしなければ生きられなかった悲しい時代があったのか」と思ってほしい。
「好きなものを好きというだけで多大なリスクを払わなければならなかった時代」があったことを少しだけ思い出してほしい。
追記 確かに主語が広すぎたと反省している。ただ、はてなとかで率先してオタクを叩いてるひととかはに、かなり当てはまるのあるケースだと思っている。
うへえーガチの人来たやべえ
見たけど、破裂音が2語連続する場合に前の音が内破音になる例しか何故か乗ってない。でもこれはむしろマイナーな例で、英語の音声学の教科書なら絶対に語末で内破音になる例の方が先に乗ってる。
あと何故か知らんけど日本語版Wikipediaには記載がある。
音声学から音韻論に繋げる時に、英語から入った人間(自分とか)には、
破裂音の例使って、語頭のaspiration出る異音、普通の異音、語末内破音の異音を並べて音素の概念を導入するのがほぼお決まりなくらいで、
語末の破裂音はマイナーとか方言とかではなくてイギリス英語でもアメリカ英語でもそれぞれの標準語でほぼ内破音になります。
この辺はどっから音声学入ったかによる気がするものの、とりあえず英語にはそういうルールが間違いなくあって、英語音声学の教科書なら100%stop/plosiveで絶対最初に出てくるのは伝えておきたい。
追記:
貼って頂いたURLでもここから始まるあたりに記載がありました:
In American English, a stop in syllable-final position is typically realized as an unreleased stop;
アメリカ英語では、という但し書きがあるものの、いや普通にBBCの発音をモデルにした音声学の教科書でsyllable-finalのunreleased stopの話出てる……?となり結構謎。
とりあえず俺のバイク返してくれ。
『かつての僕は「自由」の意味を履き違えて、多くの罪と間違いを犯しました。
自由に生きようと思えば思うほど不自由になり、やがて犯した罪の重さに苦しみました』
ずいぶんと軽い言葉だな。
とりあえず俺のバイク返してくれ。
『モノサシはひとつである必要はないし、いくつあっても構わない』
だからこそまず大多数の人間で形成している「社会」のモノサシを学ばなあかんのんちゃうん?
それを教えてくれるんが「義務教育」じゃないんかね?
とりあえず俺のバイク返してくれ。
何この人。
更生した俺かっこいいアピールだろうか。
「かつての僕はこのバイクと同じバイクをどこどこで盗みました。すみません!
お心当たりのある方はご連絡ください!心からの謝罪とお望みのバイクを新車でお返しします!」
とかさ。
とりあえず俺のバイク返してくれ。
レンタルおじさんでいいやん。
ガチの人に依存された時どうするんやろ。怖い想像しか出てこない。
マジでやめてほしい。
この人の言葉が全く心に届かん。
ゆえに、
俺はyoutuberになってやりたくないことはやりません!とか言っちゃう子供ちゃん大丈夫?
つーても読解力があまりない人に詳細に説明しても、話がくどいって言われるんだよね
ネットでも「三行でまとめろ」って人よくいるじゃん(大抵はネタだけどたまにガチの人がいる)
言葉によるコミュニケーションって自分の文章構成力と、相手の読解力に依存してしまう
口頭の場合はそれに滑舌の良さとか声の大きさ、聴覚の良し悪しも関わってくる
だがコミュニケーションにかかるコストは、その人のコミュニケーション能力によって異なる
挨拶程度で物凄く負担になる人もいれば、全く苦にならない人もいる
増田の例で言うならば、「アレやっといて」で相手が何をして欲しいのか察せるタイプの人もいる
状況判断や、作業内容の整理を脳内でしっかりできてるタイプの人は、「アレ」の一言で全てを察する事ができる
そういう人は自分が指示する時に「アレはアレでしょ? なんで分からないの?」ってなる
能力が高いが故に、相手の事が理解できないって事も往々にしてある
こういった事を考えるとコミュケーションにかかるコストを「均一にする」のはかなり難しいと思う
実現しやすいとしたら、コミュケーションコストを均一に「近づける」って事になると思う
例えば普段よくやる作業を作業A、作業B、作業Cといった感じでラベリングして、それを職場で共有しておく
そうしておくことで「アレやっといて」を「作業Aやっておいて」に置き換える
「アレ」が何を指しているのか共有できてないのが問題なんだから、それを共有された「作業A」にするだけでかなり把握しやすくなる
人がよく入れ替わる職場だと、こういう工夫をしているところが多い
感想戦では、天彦名人の敗因はよくわからない、という結論だったらしい。
ニートのおれは2chと棋譜速報で観戦していたんだけど、2chはソフト評価値がべたべた貼られてはファンタ連呼の通常運転。
でも昨日はガチ勢の人が一人いて、AWSクラスタ使った局面評価を貼ってて面白かった。
ネラーなんて粒ぞろいのアホだから、彼もしくは彼の貼る評価は「スパコン」と呼ばれていた。もちろんスパコンではないので、ガチの人は最初のうちはいちいち否定していた。
計算速度は桁違いで、個人用PCでせいぜい数億ノード(=局面)しか読めないところ、200億ノードとか読む。
ゆとりがApery使って羽生-600とか貼る局面を、羽生-1300とか評価する。凄い。
最新の評価関数で毎局面数億ノードも読めば、間違いなくトッププロより強い、強いはずだ、強いんじゃないかな?。
でも最近の羽生は、その程度のソフトの読みをさくっと越える場面がままあるという困ったちゃんだったので、圧倒的ノード数の「スパコン」は畏怖と期待をもって迎えられた。
肝心の将棋は、スパコンが羽生-1300と評価した局面から、天彦名人が並みのソフト検討陣ならさすがアマピコと称賛する指し手を続け、羽生が勝った。
スパコン目線では天彦名人は悪手連発だったのだろうが、それは人類には理解できない。
前述したように感想戦でも結論は出ない。間違いなく羽生自身もわかっていない。
ただ羽生は、恐ろしく難しい局面であることだけは理解できていて、あえてそこに誘導したのだと思う。
切った張ったの挙句に優劣不明の局面に至ることで対局相手を消耗させる(何故か自分は消耗しない)、という、鬼畜羽生らしい勝ち方だった。
羽生衰えたと言われて久しいが、まだまだ羽生は、1分将棋にならない限りはスタミナ負けしない。
ちなみにあの「スパコン」は、もちろん電脳戦よりも圧倒的にハイスペックで、コンピューター将棋選手権よりも圧倒的に持ち時間があったので、つまり公開された限りで歴史上最強の将棋指しだった可能性があると思う。
その場に居合わせて本当に良かった。
もちろんやれば誰でもできるんだけどね。