はてなキーワード: カウンターとは
タイトルはウマ娘のジェンティルドンナが持つ特別なスキルの名前。はてなユーザー諸君はちゃんと読めるかな?
このスキルの名前が、Youtubeの生特番で演じてる声優により「しゅくじょのどくせんじょう」読まれたとき
一部視聴者から「「どくだんじょう」どくだんじょうね」「どくだんじょうだよ」などと、読み方を間違えてると指摘するようなコメントが少なくない数投稿された
X(旧Twitter)でも、間違えてるで!っと指摘するポスト(旧ツイート)を複数確認できる
もちろん正しい読み方は「どくせんじょう」の方。壇ではなく擅だから
生放送のコメントって、反応速度重視になる分、個人の知識不足が目立ちやすいよね
まさかツッコんでる人の中に、飯盒炊爨AVを笑っているのはいねえよなあ?
自分の知識が全部正しいと思ってると、ネットはもとより現実でも痛い目見るぞ!
※間違えてる指摘以上に「どくせんじょうで合っている」というカウンターコメントが投稿されたので、視聴者が皆愚かだったわけではない
※NHKによると、元は誤読だが現在では放送でも「独壇場(どくだんじょう)」が使われているそうなので、「独擅場(どくせんじょう)」を知らないこと自体は仕方がないことなのかもしれない
そもそも「男が女に尽くす=夫が妻に尽くす」というのも
夫「も」という話だったはずだ
発端として
「妻は家族の世話役として身を粉にして尽くさなければならない」
「女性は職場でも家庭、家族間でも自動的に感情労働役があてがわれている」、
これらが当たり前という価値観のカウンターとして「夫『も』」が出てきたという流れなので、
夫だけが妻に尽くさねばならないの時点で発端を置き去りにしすぎである
そもそも「男が女に尽くす=夫が妻に尽くす」というのも
夫「も」という話だったはずだ
発端として
「妻は家族の世話役として身を粉にして尽くさなければならない」
「女性は職場でも家庭、家族間でも自動的に感情労働役があてがわれている」、
これらが当たり前という価値観のカウンターとして「夫『も』」が出てきたという流れなので、
夫だけが妻に尽くさねばならないの時点で発端を置き去りにしすぎである
アーケード商店街を昼飯買いがてら母と犬と散歩していたら、店、客、爺、犬、俺、母みたいな配置で並走する変な爺さんがいた
割と行列客の近くを歩いていたので、わざわざ犬と行列の客の狭い間を縫うように歩くので「なんだこの爺さん」と思っていたら、おもむろに某とんかつチェーンの前で足を止めた
その店は豚汁とかのレトルト商品を歩道側にはみ出す形の棚に配置してあるのだが、一部商品はカウンターからは絶妙に死角になっており、盗まれちゃいそうだなぁなんて思いながら犬と一緒にその爺さんを真横で見ていた
爺さんはいかにもといった風体で、スラックスに薄汚れた上着、しわしわのシャツと生活苦しいんだろうな、万引きでもするんかなと感じさせるには十分な見た目をしていた
そんな爺さんが棚の商品を物色し、豚汁のレトルトを一揉みし、周囲をきょろきょろ見回した後(当然真横で俺と犬はガン見している)、おぼつかない手つきでパッと上着のポケットにしまい反対方向に立ち去ってしまった
俺も咄嗟の事で「おい爺さんダメだよ!」って大声をあげてしまい、周りの人達が何事かとこちらを見てきてちょっと恥ずかしかった
爺さんは足早に去ろうとするので犬を母に預けて追いかけた
所詮爺さん、そんなまごまごしてても10mくらいしか進んでおらずすぐに追いつきそして肩に手をかけた
うわ肩ほっそ、そしてなんか生暖かくてやだなとかしょうもない事を考えてしまったが、とりあえず「取ったでしょ?出して?」とだけなんとか絞り出して、豚汁を無事取り換えした
妙に手馴れているのでこの爺さんさては常習犯だなと思ったが、その風体やがりがりの肩の触感を思い出し悲しくなったのと、昼飯さっさと食べたかったし、豚汁を取り返したのでまぁいっかと思い爺さんを解放してしまった
豚汁を棚に戻して、事態が呑み込めずアワアワしている母を回収し、相手がもうちょい若かったり反抗してきたら警察に突き出したかもなぁとか、何とも言えない気持ちになりながら帰宅した
犬はその間ずっと楽しそうに散歩していた
オチは無い
完全に日が暮れるまでに峠を越えられるかなと思って、うねうねした山道を車で登っていたらゲリラ豪雨がやってきた
このまま走り続けて、スリップして山から真っ逆さまに落ちるなんてことは嫌だったし、路肩に車を停めてこんな山奥で待つのも嫌だった
だからロードサイドに「カプセル」と書かれた看板が目についた途端、すぐにハンドルを切って敷地内に入った
建物に入ると、中は雨の音なんて聞こえなくて、静まりかえって真っ暗だった
「おひとり様ですか」と声をかけられて振り返ったら、壁が半円形にくり抜かれてそこから光が漏れていて、カウンターらしきものになっていた
奥にいる人の顔は見えなかった
ひょっとしたらそういう所に間違えて入ってしまったのか、でも「カプセルホテル」と書いてあったような、と思いながらも、連れがいると言うわけにもいかず、「はい一人です」と答えた
「32番どうぞ、奥へ」とカウンターに差し出された手の下には32と書かれたカードキーがあった
突き当たりのドアを開けると、細い通路が伸びていて、左右にはカプセルホテルにあるような小さな個室がぎっしりと並んでいた
なんだ、やっぱりカプセルホテルじゃないかと思って32番に入ると、ほとんど音もなく上からドアがゆっくりと閉まり、中は密閉空間になった
天井は座ってぎりぎり頭がつかない程度の高さで、個室の壁に細いテーブルがついていた
iPhoneで目覚ましを設定したときのような音が小さく鳴ると、壁の一部がスライドして開き、回転寿司のベルトコンベア的なものに載った丼が滑ってきて、目の前で止まった
このときようやく、自分はカプセルホテルと間違えてカプセルラーメンに入ってしまったことに気づいた
最近流行っているのは知っていたが、こんな山奥にまであるとは思わなかった
ラーメンは熱かった
真っ黒なスープに大量の白髪葱と柔らかなチャーシューが浮かんでいた
スープはどこか甘酸っぱい気もしたが、それを上回るコクがあって不思議なバランスを保っていた
腹が減っていたので思わず麺をすすり上げた直後、耳をすましたが、周囲からは何も聞こえない
他のカプセルでも今この瞬間、自分と同じように麺をすすっている人々がいるのか、それとも自分以外に人がいないのか、見当もつかなかった
空腹が満たされると急激に眠気がやってきて、いつの間にか寝入っていた
おじさんだけど、周りに居させてくれ
どの人も女に好かれるために無理やり演じてる感あって嫌だった
そこから始まったけど、そもそも雑食系だったので、普通に可愛いし悪いところがないやん ってなって、
ガンダムのコインケースと、サンリオキャラのコインケースで悩んでサンリオにしたりするようになった
そういう風に生きてたら、誕生日プレゼントとかにグッズ貰えるようになって、沢山普段使いしてる
もちろん、女子受け良いとか話のネタになるからというのもある(が、ガンダム財布持ってる時の俺はガンダム財布を持ってるという気持ちと、俺はサンリオ財布を持ってるという気持ち、別の方向性だけど、どっちもよい)
ただ、男が興味持たないのもわかる
自分が、たまたま弄られても気にしないのと、周りからそもそも変人だと思われてるのと、弄られてもカウンター打てるポテンシャルあるのとかで、馴染めたけど
あと、結局男は女が好きなので、女実物、女二次元とかで止まって、ファンシーまで行かないのかも
ロボとかドリルとかロマンが優先順位高いし、努力友情勝利じゃないけど
結局
自分を好いてない人だと、ファンシー系じゃなくても、なんでも否定してくるから、結局付き合う人を選んだほうがよい、とか
付き合うことでメリットある人間になったらよい みたいなとこが大きいのかも
あと、ここまでたどり着くのに、一回男を降りたり、折れたりしないと駄目なのかも。矜持的な問題で
これはあくまでも自分からの視点で、当人から見たらまた違うのだろうということに念を押しておく。これだけを鵜呑みにしないでほしい。
解除したのはいろいろ応援したりしてきたけどしばらく自分への当たりが強かったからとも言える。
最初は「それはダメなのか」と反省していたが他のリスナーがやっても良くて、自分がやると咎められるということが2回あった。あまり記憶に残ってないが間違いなく今回の一因ではある。
あるゲームの配信で「感動する場面で嬉々とチャンネル登録者数の話をしだした」ので、Xで名前こそ出さないものの「皆その感動の反応を目当てにしてるのに」と批判をしている人を目撃。俺は空リプではあるが「そこは配信者の自由だろう」と考えを示したらどういうわけかそのVは俺が批判していると思って配信中に嫌なら離れれば?とチクチクと遠回りに刺してくる。
ここで解除を考えたがその後彼女の家族が大変になり、情に脆い俺は居た堪れなくなりもう少し支援するかと継続。
彼女がある病気で体調を崩して配信を強行した時、罹ったことのある自分の経験上完治まで休むことをXで勧めた。その病気は簡単に悪化し、末期まで行くと取り返しのつかないことになるからだ。
しかしモデレーターが医師の了承を得てると言うので、なら負担にならないように静かにしていると言うことをモデレーターに伝えてあまりコメントせずに見守っていたら、後日日記で「思う通りにならなかったから怒るのって違わない?」と。最初は俺のことを言ってるとは思わなかったが、「あと遠い人になったのは違う、あなたがついていけてないの」と批判があって「ん?」とおもった。
前日に俺は公共の電波に乗った親しいご当地Vにお祝いと共に「遠い存在になったなあw」と軽口をXで伝えていたのだ。
ああ俺のX見てんのか、それともモデレーター(この時は相互)から伝わってるのか。とりあえず見られていることは理解した。
にしても「負担をかけないように静かにする」と伝わってないのか?
誤解を解こうかと思ったが、この手の思い込みの激しいのは相手にするだけ無駄、言いたいことだけ言って非を認めないというのは経験上理解してる。
この場合名指ししないことで「誰もあなたのことを言ってない」と逃げ道を作っているからだ。面倒臭え。
結局彼女が無理をしたツケはすぐに来た。俺の心配通りしばらく休む羽目になったのだが、本当に医師と相談したのかは疑問に残るところだ。あの病気で医師が配信を許可するとは思えないからだ。
故におそらく嘘だろうとは思ってるが、一介のリスナーでしかない俺はそこからは何も言えない。
そんな感じで彼女の支援がいままで続いたのは他のリスナーが誕生日サプライズを提案してくれたり、応援を盛り上げてくれてそれに乗って一時的にVとの関係が回復したりとあったからだ。
その配信の時のコラボ商品は俺がアレルギーがあるのでダメな奴だった。
ここで「欲しいけど食べられないのが辛い」とコメントしたのだが、その後Xで「企業様が見てるので食べられないとかネガティブなことを言わないでほしい」と。
え、これネガティブなん?
今だから言うけど、俺その系のコラボ責任者にされる身分だがそんなこと思わねーよ?
むしろ「ダメなのに欲しいと言ってくれてありがとう。こんなファンがいるこの人に任せてよかった」って思うよ?そこまで人気があるってことはまたこの人に任せられるってことだからね。
アレルギーがあるにせよその商品は買いました。物が来たらリスナーを続けてる人にあげるつもりです。
実は俺の仕事先で個人V案件コラボの可能性はあったのだが、彼女にうちのコラボの話を持ちかけなかったのはやはりその性質にある。
これは一見面白おかしくはあるが、一方的な見方でしかないからだ。相手には相手の言い分などがある。例えモデレーターともども被害を被ったからと言ってその話を鵜呑みにするようじゃ責任者なんて務まらん。
それにこんな堂々と他人のことを公に暴露する、悪くいうのはいずれ同じことをやる可能性がある。他のゲーム配信もだが問題あるリスナーの悪口を言ってたりと言うのもあった。
自分の感情を優先して自分の「大きくなりたい、コラボ案件が欲しい」などの夢と、皆が見てる公の存在と言う立場を自覚しない。
そんな人物にコラボを持ちかけるのは一責任者として認めることはできなかった。
結局このコラボの案は流れてしまったのだが、俺の判断は正しかったと思う。
まあこんな文書いている俺がいうのもなんだが。
そしてあるゲーム配信の時、彼女はあるガチャキャラに興味を示したので俺は「ストーリー見たら欲しくなるよ」とコメントしたが「匂わせてしまったか」と思った。このキャラはストーリーで著しい成長を見せ、しかもかっこいいキャラソンまで歌う。今までと扱いが違うのだ。この一言だけでストーリーでキャラがどんな扱いなのかわかると言ってもいい。
とりあえずこの程度(ストーリーに直に触れない程度)なら良いらしい。
後日別のストーリーを進めていた彼女がクライマックスに差し掛かった。このゲームのストーリーは必ずクライマックスで泣かせにくるのが定番で有名なのだ。
なので「ネタバレ、タオル用意」とコメントしたところ「匂わせやめてください!」と返信が。最初俺のおふざけに付き合ってくれたのかと思ったが、後でXで「ネタバレやめてって書いてるのになんでやるのかな」と。
地雷を踏んでしまったという奴だ。しかもわざわざすぐ特定出来る形でだ。当然これには俺も納得が行かなくて「じゃあこの前の反応はなんだったのか?」と反論しようと思ったがネタバレの大原則を思い出した。要はネタバレの定義は個人の裁量によるって話である。
例えばペルソナ5はリリース後しばらくはネタバレを禁止していた。同時に配信にロックをかけていたのは個人の裁量なので完全に防ぐことはできないと言うことと、ロックをしたという実績を無視して配信した場合、著作権法に問うことができるからだ。
企業がここまでやることに対し、一般人がやれることは「ネット断ちする」など自己防衛だ。
例えばあるVさんは「これはいいけどこういうのはやめてね」と自分の基準を示している。
「ネタバレ、指示はやめてね」が全面禁止ならば納得できるが、ならばこの前のうっかり匂わせは?と言うことになる。
じゃあどうするか。謝る?
そこまでしなきゃならんのは面倒臭え。そこまで付き合う義理もねえ。
今までのが積もり積もって手前ェには付き合いきれねえよって奴だ。
おそらく彼女はかつて同僚のことを暴露したように、憂さ晴らしや視聴数稼ぎにこの話をすると思う。これはその時のカウンターにするか。
できれば今の俺の憂さ晴らしで終わることを祈る。
チャンネル解除が視野に入った時、一方的な、本人に都合のいい内容の暴露を避けるために散々Xで攻撃的な一面を見せて「面倒くさい奴」を演じたんだ。少なくともモデレーターにはそう映ってるはずだ。頼むぜ。
岸田総理の総裁選不出馬で自民党の総裁選が混沌としてきそうだ。(修正。御指摘感謝)
元霞が関の実務者で、候補者とされている者のうち複数名と接点があったため、寸評を備忘録的に。
政策の是非は問わない。
説明に行った際、こちらの一言目が終わる前(開始3秒くらい)に怒鳴りつけられたのをまだ根に持ってる。
というか役人は政治家やマスコミを相手にするときは録音しないのが不文律(若い頃議事録起こしのためにICレコーダ使おうとしたら上司に止められた。また、政治家はともかくマスコミは自身は録音するのにこちらが録音しようとすると嫌な顔するのは何故だろうか。)だが、この御時世皆がそれを守ってるわけではないだろう。河野太郎に限らず怒鳴りつける政治家たちはそれを考慮していないのだろうか。
タイトなスケジュールでかぎりなく満点に近いものを求めるので直接関わると業務的に追い込まれる。
ただ、嫌味を言われたり怒鳴られるなど、業務のデキ以外で追い込まれたことは無いのでパワハラな人たちと違って絶対嫌とまでは思わない。
部下への期待値をもう少し下げて欲しい。
少なくとも怒鳴るとかのパワハラはない。
上川陽子ほどではないが精力的に働きたがるので下は大変。
機嫌が悪くなると大変と聞いたこともあるがその状態にあたったことはない。
悪い印象はない。
というか全く印象が残ってないから少なくとも嫌な記憶にはなってない。
良く知らないのでニュートラル。
直接の接点はないがカウンターパートが強く接点を持っていた。何故か支えたくなるタイプらしい。怒鳴られたことはないそうだ。
接点はないが同僚達の噂や報じられた取扱説明書が本当ならば典型的なパワハラな人、しかも業務外での御機嫌取りが多すぎて勘弁。
パワハラの傾向的に、菅直人に近いか。(こちらにはひどい目にあった)
ちなみに取扱説明書の存在自体は、茂木敏充だけではなく他の政治家にも、また役人にもあったりするのでそこまで不思議なものではない。(あくまで内容次第)
良く知らないのでニュートラル、パワハラの噂は聞いたことがない。
怒鳴るとかのキレるとか嫌味を言うとか、また職務外での要求/忖度の必要性などのわかりやすいパワハラはともかく、職務上の過大な要求ってのもハラスメントではあるよね。
ただ政治家自身は土日深夜早朝を含めてどれだけでも働ける(それに付き合うのが好きだったり、そこまでいかなくとも当然と認識している役人も多い)から、そのラインの見極めは難しいけど。
働かされるのがハラスメントだと思うなら役人どころか会社員も出来ないよ。期待値を現在の能力の少し上に置くのは上司として正しい。ただ、この増田はコタツ役人や釣り人だと思うけど。
多くの犠牲者を出したアジア・太平洋戦争。追悼の場では「尊い犠牲の上に、平和な日本がある」というフレーズが使われ続けている。戦争を起こした責任が忘れられていないか――。軍国少年だった男性は憂慮している。
朝日の「季節モノ」の角度付きポエム記事を見かけて、思ったことをいくつか。有料記事なので中身は読んじゃない。
「元特攻兵の憂慮」は「平和のための尊い犠牲」という決まり文句の決まり文句性に向けられているようである。
私こと団塊ジュニアの祖父は抑留帰りである。でも時間の経つのは早いもので、いまや兵士として戦争体験したのは、そしてそれを確かに語れるのは稀な長生きの方だけになった。あと一歩でそれは完全なる「歴史」になってしまう。ツルっとした決まり文句しか残らないのか?という危惧はよくわかる。
朝日の意図は「戦争を起こした責任が忘れられていないか――。」のほうにある。日本のした戦争は悪の戦争なのだからろんりてきに言って日本人戦没者は「自業自得」または「単なる巻き添え」であり「尊い犠牲」ではありえないというアホが極太マジックで書いたような単純な理屈がそこにはある。
ちょっと話逸れるが井上和彦氏とかがやる戦争美談、英霊漫談みたいなのは聞くに堪えない。左翼へのカウンターのつもりなんだろうが、普通に考えて誰が国のために死にたいもんかよ。まず気の毒だし申し訳ないし、そんな気持ちよく語れたらもう嘘だろう。ましてや誇らしいだなんて、まともな神経で言えるわけがない。
だれも簡単に言葉にしようのない万感込めた「尊い犠牲の上の平和」なる決まり文句だったはずだ。今後はその意味も変質していかざるを得ないが。どうしたって我々は応仁の乱の犠牲者を思って泣くことができない。
ずっと昔に「きけわだつみのこえ」を巡るゴタゴタのルポを読んだ。その悲しくも美しい詩の力の影響下に、わだつみ会なる遺族会みたいなものができ、しかし純粋な「慰霊」あるいは「顕彰」を意図する派閥と、彼ら戦没学徒兵はあくまで侵略側であり「犬死に」であったという解釈にこだわる派閥のあいだで「わだつみブランド」の争奪戦が起き…
「犬死に」のドグマは今日に至るまで何の進歩もなく朝日に受け継がれているのである。だってドグマだからな。
「尊い犠牲」が戦争責任を曖昧にするとかいうなら主語不明の「あやまちはくりかえしませぬから」はどうすんの?とかそういう議論はいまさらしたくもないが。
前述の通り戦争体験者はもういなくなる。いわば戦争の記憶そのものが鬼籍に入っていく。現実との結び目をほどかれて「犬死にドグマ」や「誇らしい戦争美談」は文面を変えることなく軽やかにツルツルと高級なそうめんをすするがごとくに語られ続けるだろう。
みんな知ってるとは思うが、京都市の大きい祭典で、約1か月前にプレミアム観覧席の是非がニュースになった。
県外からほぼ必ず毎年見に行っていて、非日常感が気に入っている。
自分はイベント仕事の経験があるのだが、あんな大通りをパレードのために占用するなんて、一般の市町村では警察から許可が下りる可能性はほぼゼロである。
それくらいスゴイ。
山鉾巡行は、今年も大迫力で見させてもらった。興味のある方は、ようつべでの検索を推奨する。
それはそれで、夜になると祇園の居酒屋で呑ませてもらう。お店はたくさんあるが、一言さんアウトのお店が半数以上といっていい。古風な見た目のお店は特にそうである。
ただ、店先にメニューが置いてあるところは一見さんOKである。それで、花街の近くにある、純日本風かつ、そこまで高いでもないお店で飲んでたんだ。
あの時は深夜が近かった。刺身とか日本酒とかおいしく飲んでいると、とある男性が来店した。
ここは作業服姿で来るお店じゃない~と思ったが、それは主観に過ぎない。京都ではアリなのかもしれない。
大将に挨拶してるところを見ると、お馴染みなのかな?と思った。
で、この男性が席につくと、お隣さんに話を振られ答えていた。
わかった情報はこんなところだ。
・朝から晩まで出ずっぱりで疲れている
こんな内容だった。
で、ここからなんだが。その人さ、カウンター席で女中さんにウーロン茶を注文したんだよ。
それでさらに、その人は突き出しを食べ始めて、女中さんが注文を取りに来ると、
「疲れてるんで、食べ物が喉に入らなくて」と言っていた。
あっという間に、1杯目のウーロン茶を飲み干して、次に緑茶を注文したのかな。そしたら大将がさ、
「お客さん、もうお帰りやして! それで終わり」
と、はっきり告げたのだ。ぶぶ漬けとかではなかった。京都らしからぬストリートな物言いだった。
その人は残念そうな感じで緑茶を飲み干すと、すごすごとお金払って帰っていったよ……
思うんだが、なんでマスターは塩対応だったんだろう。初見の客でもないのに。
祇園祭にスタッフで参加した帰りだったんだし、そんな塩対応じゃなくていいと思う。
(想定される理由?)
・食べ物を注文しないのが気に入らなかった
・アルコールを注文しないのが気に入らなかった
このどれかだと思う。
そのミサンドリー女(フェミ女)が暴れる大義名分が、「2ch界隈での昨今の異常な女叩き」へのカウンターだって主張に対する、
「いや2ch界隈っていうけどそれアフィカスによる2ch荒らしだよ」っていう俺の解説から
今の話は始まってるわけだが
お前がリベラルと呼ぶ層が作る対立煽りの構造、政治的利権があるとして、リベラルはそれに後乗りしたに過ぎないわけ
だからyoutubeや今支配的なメディアもひっくるめてアフィカス、それに影響されて異性叩きをする奴はアフィチルだというレッテル貼りをして対抗することで構造を崩しにかかることはできるだろ?
「2ちゃんねら界隈」と雑にくくってるけど
あれ全部アフィカスがやってた「対立を煽れば閲覧数が稼げる」流行りで火のないところに煙たてまくってた時期のことで、ねらーも被害者だからね?
最初ははちまとjinっていうアフィカスのゲームハード間の対立煽りから始まってるんよ
だからカウンターするならミサンドリー(男性嫌悪)するんじゃなくて、反アフィカス。
ニュースサイト、まとめサイトとか、今だったらyoutuberとか、インプレッション狙いで世の中を荒らすゴミ、そういうものに敵意向けないと的外れだぞ
人と会話するときにこいつつまんないなーって思うことはよくあるし
周りみたらそれで面白がってて疑問になる
だからもっと面白いこと言ってやろうってやると本当にそれ以上にウケてもらえるんだけど
軽い冗談は面白くないから強めの冗談を言ったら冗談ですら無くなるってのはなんだろうね
優しさで言わないであげてこっちが損するのは嫌だもんな
同じく表現の自由を大切にしている立場として、一部の人たちが「表現の自由戦士」と呼ばれることに疑問を感じていました。
どうして、同じ目標を持っているはずの人たちが互いに対立しなければならないのか、と考えていたのです。
これは「仲良くしろ」という意味ではなく、意見の違いが生まれること自体が不思議であり、少し愚かに感じていました。
しかし、夏のコミケでの盛り上がりを見て、私の考えが少し変わりました。
特に、コミケ会場近くで行われたヴィーガンデモに対する批判を見て、その気持ちが強まりました。
これまでもデモに対する批判は見かけていましたが、今回の批判は少し違いました。
”サークル申し込みして、なぜ人はヴィーガンになるべきなのかの本を出せ!自然完全配慮のコスプレをして歩け!”
https://togetter.com/li/2416923
この状況を見て、私は確かに一理あると感じる一方で、なぜコミケでやることを強制されなければならないのだろうか?と疑問に思いました。
その瞬間、色々な考えが解けていくような感覚を覚え、「エウレカ!」と腑に落ちる瞬間を感じました。
批判をしていた人が普段から表現の自由を主張しているかは分かりませんが、この瞬間、「表現の自由戦士」という言葉が持つ意味が少し理解できたように思いました。
自分が慣れ親しんだ領域では表現の自由を大切にするが、それ以外の主張や方法に対しては無意識に排除してしまう感覚。
それが、「表現の自由戦士」と揶揄される人たちに特徴的な傾向として捉えられているかもしれない、と感じたのです。
一度そういう概念を取り込んでしまうと急に過去の諸々が輪郭を帯びてリンクしてきます。その後、他のまとめを読むと、
グロいものを見せるな、警察に通報した、公共の場だというのがわからないのかといった非難が出ているのを見かけました。
https://togetter.com/li/2416758
これが一般的な意見なのかどうかは分かりませんが、これを読んで、どうしても「宇崎ちゃん」献血ポスターに向けられた非難を思い出さざるを得ませんでした。
「宇崎ちゃん」献血ポスターに対しても、公共の場における表現についての批判があったことを思い返しました。
ヴィーガンデモでの批判と「宇崎ちゃん」献血ポスターへの批判は、表現に対する反応という点で似ていると感じました。
こうして考えが巡る中で、
「嫌なものを見させられない権利」を主張して宇崎ちゃんとか叩いた人たちはコミケでのヴィーガンぽい連中の行為を批判してくれるのだろうか
https://togetter.com/li/2417081
というまとめが作られていることに気づきました。
なるほど、こうやって自分の主張ではなく他人の主張に対するカウンターというスタンスになるのですね。
これらの思考の流れの中で、私は何か重要なことに気づいてしまったような感覚を覚えました。しかし、同時にその気づきが少し怖くも感じられました。
ネットで真実とか、Qアノンとか神真都Q会とか、あるいはそれに近いのかもしれないと考えると背筋が寒くなります。
最後に、これはあくまで私の気づきを共有したものであり、ヴィーガンが正しいとか、批判者が間違っているとか、そういうことを主張したいわけではありません。また、「コミケでやれ」という意見がネタやノリであったことも理解しています。