はてなキーワード: オバケとは
https://note.mu/fromdusktildawn/n/n5067707f07a7
自己顕示欲と承認欲求が肥大しまくって頭内側から割れそうなので、もう頭を下げて増田のみなさんに知恵を借りたい。
小説自体は子供の頃からもう何十年も書き続けて、最近はネットで公開してるのだが、誰にも読まれない。
ツマンナイとか言われる以前の問題として、そもそも読まれない。
なろうに置こうが、noteに書こうが、ツイッター(一応フォロワー1000以上)そもそも反応がない。アクセスもない。
昔家でワープロ専用機で書いて印刷して自己満足してた頃と何も変わってない。
こういうことを書くヤツに限ってURL貼らないんだよって言われたから増田に貼ってみたらわりと面白いって言われた。うれしかった。
でも増田で宣伝するのは規約違反らしいのでもう貼ることはできない。
今回も自信作をアップした。
だがアクセス1日7だぞ!
一桁だぞ!
だから文章力そのものが決定的に無い、というわけでもないだろう(と思いたい)。
自己顕示欲と承認欲求のオバケだから自分の作った作品は読まれたい。ほめられたい。
なろうで承認欲求満たすのがあたりまえみたいに言われてる人たちはどうやって読まれてれるんだ。
ナクヤムパンリエッタさんがコミティア128で出した『泥舟鈍行死体蹴り』を読んだ。コミティア128自体には行けなかったので待ちに待ってたDL版を今さっき買って読んだ。
そしたらもうウォ〜ウァ〜ってなって大粒のやつがぼろぼろ目から出ちゃって、本当に心にこの漫画へのデッカいありがとうがポップアップしてどうしようもなくなったから、本当にどうしようないファンレターをここに書き殴る。本当にどうしようない書き殴りのファンレターだから何もかもめちゃくちゃだと思うけど勘弁してください。
普段ブログはやってないしTwitterだって情報収集するための鍵垢しか持ってないから世間にこのデッカいありがとうを発表する場所が本来なくて、でもこのデッカいありがとうを、誰かに伝えたいとかそういうんじゃなくて、ただただ世界のどこかに流さないと心がポップアップしたデッカいありがとうで破裂しそうだから、ここに放流する。
ナクヤムパンリエッタさんのことは元々すごく好きで、今まで出されてて買えるやつは全部買ってるしオモコロとかの漫画も何度も何度も読んだ。Twitterも舐めるように見てる。ナクヤムパンリエッタさんの言語化の仕方が本当に好き。言語化できないやつをパワーで言語化して、言語化してるのに読んでるこっちにくるのはそのパワーだからわかんないけどウワッ!!そうなんだ!!!って漫画に表現されてる色々が流れ込んでくる。漫画を読むという行為でありながらなんかもう感情体験(感情体験って何だ?)。そういうナクヤムパンリエッタさんの言語感覚が本当に好きで、今回の泥舟もまたそういうのを味わうんだろうなとドキドキバクバクソワソワで購入した。
そしたらサンプルの時点でもまぁわかってたんですけど、そこに言語化されてたのはいつも戦ってる〝アイツ〟じゃん。もうどうしようもなくなっちゃって奇声をあげながらボロボロになって泣いちゃった。
すごいんですよ。こう、心とか、脳味噌とか、世界とか、ぐちゃぐちゃになっちゃう時が、あるじゃないですか。そういう時のやつがさ、そういう言語化できないやつがさ、いつものナクヤムパンリエッタさんのパワーで言語化されて、そして私の中に流れ込んでくるのはそのパワーみたいな感じでブワーッって流れ込んでくる。もちろん自分とナクヤムパンリエッタさんのぐちゃぐちゃになっちゃった時の世界とか自分とかって全く同じってわけじゃないんだけど、でもいつも戦ってる、ヌボーってやってくる最悪なアイツが、全部だめになっちゃってぐちゃぐちゃになっちゃった時のあの世界が、そこにはあって。そういうぐちゃぐちゃを表現された時にこんなに気づいたらボロボロ泣いちゃうんだなって自分でもびっくりした。
なんていうか、救いだった。陳腐な表現だと思うけど。うまく言えないけど、やっぱり多分救いってやつなんだと思う。
世界が死推しになるという表現、本当に本当にそれで、そうかあれは世界が死推しになってたんだなってわかった。楽しいことも楽しみなこともいっぱいあって、やりたいゲームも読みたい本も漫画も観たい映画もいっぱいあって、そう、愛する美しい女性に顔向けできねぇのに、なのに世界が死推しになっちまう。死のう死のうって、死ななきゃいけないって。毒槍が刺してくるんだ。私は一番やられてた時は気づいたら駅のホームで落ちるギリギリだったり横断歩道で赤信号なのに足が勝手に進もうとしてハッと気づいてウォッてなったし、味もわかんなくて何でか玄米ブランだけ義務感で食べてでも味がわかんなくて美味しいとかなくてめそめそ泣いてた(そのせいで今は二度と玄米ブラン食べたくない)。漫画にあった通り、まさに世界に1人なんだなって音がなくて耳がキーンってした。そういう諸々が、泥舟鈍行死体蹴りが、本当に凄まじい言語感覚で言語化され、絵として文字として漫画としてそこにあった。
今はその時よりはずいぶんマシになったけど、でもまだふとした瞬間に心にアイツはやってくる。
ヌボーっとして、ベッタリした、いや〜なアイツが心臓の裏にベチャベチャくっついて離れてくれなくなる。心臓の裏にくっついてるもんだから、剥がしたいのに剥がせなくて(私は心臓の裏に手が届かないので)、エンエン泣き出したくて、でもベッタリしたアイツのせいで泣くこともできなくて、離れてくれ〜去ってくれ〜帰ってくれ〜頼むよ〜って祈りながら横たわるしかできない。
実を言うと『泥舟鈍行死体蹴り』を読む直前もかなりそんな感じだった。なーんか全部だめになっちゃった。
泣き出せもしなくてウェ〜ンってするだけだったけど、この漫画を読んでボロボロ泣いて、別にベッタリがサヨナラ!つってあっさり帰ってくれたわけじゃなくてアイツはまだはりついてやがるんだけど、でもボロボロ泣いたおかげで少しだけ息ができるようになった。その少しだけは本当に大きかった。今もボロボロ泣きながらこれを書いてる。
あのぐちゃぐちゃを、素晴らしい言語感覚で表現してくれて本当にありがとう。私にはこのデッカいありがとうをとにかくここに不器用に書き連ねることしかできないけど、でも、本当にありがとう。
この漫画を読めて本当に良かった。本当に、本当に。
さっきまでもう無理オバケと頑張らなきゃオバケが戦っててそれも辛かったけど、この漫画のおかげで、とりあえず、明日はもっとだめにならないようにおやすみしようって踏ん切りがついた。私にとってはそれだけでも本当にありがたかったです。明日っていうかこの文章一回泥舟じゃなくて泥船って書いて投稿してて後から気づいてだめだめな自分にモ〜〜!!!ってなっちゃって、嫌になって消して再投稿したのがこれで、だからもう今日なんだけど。そして再投稿にあたってもう一回読んでまたダバダバ泣いてた。
入れ替わり立ち替わり、入ったり出てったりしてた。
気にせず会話したりしてたんだけど、夜中の2時くらいには静かになってて
起きてるのおれだけになって、構って欲しくてちょっかい出してたんだけど
その中で女の子が一人、「帰りたいんだけど」って言い出して、
じゃあ送ってくよって二人で静かに抜け出した。
家から出てすぐ家どっちって聞いて、
あっちって言ったらあっちの道行って、
こっちって言ったらこっちの方行ってとかやって、
そしたら「(遠いちほー)の彼氏の家に行きたい」と言い出し、
じゃあググったら最短で行けるよみたいなこといってその子のスマホで調べてこっちだーって行こうとした。
すると後ろからお袋の話し声が聞こえてきた。
隠れなきゃーと思って少し急いだら追いつかれそうだったから近くのでっかいマンションみたいな建物に二人で入った。
3階まで上がって部屋に入って聞き耳を立ててると、お袋と弟がおれを探してたっぽいくて、
その子にスマホと荷物返して下まで降りてく途中、人がいたから隠れた時にはぐれちゃって、
ちらっと外見てタイミング見計らって外にでて、しばらくその子を探してたら
待ち受けてた両親に捕獲された。
なんで居場所が分かったのか聞いたら、
見つけたんだと言われたんだけど、そこから見ても
木に隠れて建物が見えない。というかあの建物完全に廃墟なんだけど。病院?かな?
早朝の通勤っぽい人もいっぱいいたしマンションだと思ったっていうか駅かなんかみたいだったなって思ってたのに。
まあそんなタイミングよく見られてたら捕まるほかないよなって妙に納得して、どこ行こうとしてたんだって言われたから(遠いちほー)に行こうとしてたんだー、助けてあげようとしてたんだーみたいなこと言ってたら、
そういえばさっき駅でオバケが出たんだってーってお袋が言って、親父も「そうそう、男の人が30cmくらい浮いて落ちたら電車が故障して止まったらしいぞ」みたいな変なこと言ってて、
自分の気の抜けた「ぅゎあぁぁ」みたいな寝言で目が覚めた。そしたらラインきて。見たら妻からで。
そういえば一緒にいた女の子の名前と妻の名前が一緒だったなって。別人なんだけど。
「無いのが不思議だから書いてみた」と思ったことを形にする姿勢はいい。そこは評価ポイント。
小説を読んでみたが、面白そうになりそうな話題を膨らませずに、余計な部分ばかり多い。
宇宙の知識を仕入れたければ、こんな小説読まずにニュートンを読む。如何にも「僕は宇宙について知ってます」という説明はいらない。
設定の陳列も、設定が余り面白くないため、鬱陶しくなっている。
設定を開示する場合、何か目的が必要。設定自体が面白いと思うから書くのか、それとも、今後起きる出来事を理解させるためなのか。そこが不明瞭な印象を受ける。
単純に「こういう設定を考えたから、書いてみました」以上になっていない。
個々の話も、膨らませれば面白くなる部分が多々あるが、そこを軽く流してしまっている。めちゃくちゃもったいない。オバケが出るレベル。
例えば、第二話のラジオの話なんか、めちゃくちゃ話を膨らめられる部分。めちゃくちゃもったいない。バナナを剥いて、中身を捨てるようなもんだ。ちゃんと中身は食べろ。
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異世界転生モノで、「こういうの書けば面白いんじゃないか」っていうアイデアはそこらに溢れていて、「実際に書いてみました」という小説もたくさんある。
でも、今はそんな「書いてみました」という一発ネタだともう全くウケない。
既に「異世界転生大喜利」は飽和状態だ。今はもう「一発ネタ」をどれだけ真面目にやるか、という勝負になってきている。
最低限の文章は書けていると思うし、基礎的な知識はあると思うのだが、ただ、圧倒的に「物語」が不足している。
もし、今の話を続けるなら、たくさんSFを読め。とにかく読め。そして、それぞれのSFでどこが面白かったか、感想文を書いてみろ。どんな書き方をしているか、分析してみろ。
「俺はフィリップ・K・ディックだ」と叫びながら、窓から飛び出してみろ。SFの売り上げに貢献しろ。
エロメンとは、女性向けアダルトビデオの俳優さんのことを指します。
たまたま某テレビでエロメンが出てて見てたら私の10年来の男友達にそっくりだということに気がつきました。
男友達はいま劇団俳優として頑張るかたわら、蕎麦屋と焼肉屋のバイトをかけもちしており
元々セブンのバイト仲間だったけどお互い高校卒業して、友達が上京して1人暮らししてからは
ほとんど会ってなくて電話したりLINEしたりみたいな仲でした。
劇団員のお友達がいる人なら解ると思いますが、雑談の連絡よりも公演のお誘い連絡が多く来るようになり
正直行くのも断るのも面倒だし、しばらく連絡していませんでした。
でも友達のSNSに載っている自撮り写メを見る限りは同一人物ではなさそうなので、
お前を特定したぞ的な変な雰囲気にはならないとは思っています。
ただ、個人の気持ちとしてエロメンに似てるって言われて嬉しいものなのか謎なんです。
一応女性向けメディアの俳優さんなのでルックスはすごく良いし女性ファンもたくさんいるようです。
顔の意味では失礼にあたらないと思いますが、アダルトコンテンツの職業に対して嫌悪感を抱かれてしまったらどうしよう、という気持ちです。
自分に置き換えたところ、私に似てるAV女優さんで元彼に抜かれまくってたのを聞いて喜んでいた過去があるので
似てると言われること自体は抵抗がありませんが、元彼や彼氏以外の異性から言われると嬉しいやら恥ずかしいやらの気持ちで複雑です。
子供のころの習い事は強制的に通わされることもあり、大抵の場合それをしなかった他人と比べて抜きん出た能力を得ることができる。
そうして得られた能力は後の人生において、自己肯定感の根源であったり、趣味の分野でいかんなく発揮されたりする。
そんなメリットの多い習い事だが、僕に与えられたのは後の人生から見たら「ハズレ枠」に含まれる習い事だった。
小学生のころ僕は「硬筆・習字」と「水泳」の2つの習い事に通っていた。
まず「硬筆・習字」に関してはなぜ左利きの僕を通わせたのかまったく理解できない。
ご存知の通りすべてのひらがな・漢字は右利きを前提とした設計をされており、左利きではどうあがいてもお手本通りの作品など仕上がりっこないのだ。
当時の僕はその事実を知らないまま、ただ漫然と言われるがままに駄作を作り続けていた。
学校の習字の授業では、なぜ習い事をしている僕のほうが隣の女子より下手なんだ?と本気で疑問に思っていた。
習い事ってのは隣近所のご学友にマウント取って自己肯定感高めるためのものじゃないのかよ。なんで逆にマウント取られてんだよクソ。
っていうか「硬筆・習字」って趣味にもならないし、ペン字と比べて実務的でもないしいらんやろこれ。
「硬筆・習字」と比べて「水泳」については完全に自分の性格のせいで無駄になってしまった。
一通りの泳法が学べたのはいいと思う。でも陰キャにはそれを披露する場は与えられていない。
体育のプールで注目されるのは、体力オバケの野球少年やヤンチャしてる陽キャたちなのだ。
水泳を習ってはいても僕は普段から運動するほうではなかったので、平泳ぎでも50mも泳げなかった。
のちに大学生になり友人らと海に行っても、沖の方までついていくことはできず浅瀬でチャプチャプするのが精一杯。
(ていうか途中で体力尽きたら終わりじゃん?よく怖くないよな・・・)
結局習った水泳スキルを活かせる場は今までの人生で一度もなく、これからもきっと来ない。
ピアノとか絵とかだったら習い事をやめても、そこで培ったスキルを活かせる場はいくらでもあるしなんならお金を稼ぐ手段にすらなる。