はてなキーワード: アウトロとは
え、社会通念上よくないとされていることを「正しい」と主張してるだけでそれは「必死になってる」と思うんだけどなあ。
本人が自分の行動が社会通念上問題があるということを認識してないわけじゃなくて、社会通念と自分の価値観に齟齬があるのは認識してるわけなんだから。
「社会通念的には女性を対等な人間として扱わなきゃいけないことになってるけど、自分はそんな社会通念ガン無視してるぜ!俺は建前なんかに縛られないアウトローなマッチョな男なんだぜ」という必死なアピールなわけでしょ。
でも「社会通念を無視できる自分」な割にはそこで自分が正しいとする根拠として「他の男も本音ではそう思ってるはずだから」というのを持ってくるところが失笑ものなわけで。
別にそこに男はみんなそう思ってる云々書いて無理矢理一般化する必要ないじゃん。
「俺は社会通念が間違ってると思う(or自分は間違ってるって分かってるけど俺は俺の道を行く)」だけでいいはずでしょ。
そのしょっぱさがますます「……自分の責任で発言することすらできなくて他人もそう思っているという言葉で責任回避しようとする姑息さが更に必死だなあ」と思う。
俺もアイドルオタクは気持ち悪いと思うけどそれは外野から見た純粋な印象の話で
という枠組で見るならその仕打ちはいたって正当だと思うよ。
だってアイドルって言うのは、特にC級のアイドルって言うのは、
商品はその「処女性」だから
これは消費者のオタクも供給側のアイドルや事務所もはっきり了解してること
歌も踊りもルックスもたいしたことないアイドルに、アホみたいに金と情熱を注ぎ込むオタクは
歌や踊りやルックスに対してお金を払ってるんじゃあないよ
実際には処女でも非処女でもどうでもいいけど、オタどもに男の影や非処女イメージを与えれば、
それはもう取引上の重大な違反があったってことなんだよ
オタどもはその一点でもう二度とその子を応援しないし、それまで注ぎ込んだりソースも返せって理屈な訳よ
これは扱ってるブツは物凄く気持ち悪いけど、
処女性という一点だけで、どんなに芸になってない歌や踊りもトークも、微妙すぎる素材も、
全部許容されて強烈に受容されてゴミみたいなイベントやグッズに金注ぎ込んでくれるのがオタクだ
ものすごくチョロくてアンフェアな取引と言えばその通りなんだよ アイドルオタクって客としてチョロすぎ馬鹿すぎ
かわりにそのたった1点、「処女性」の約束を破ったら強烈なしっぺ返しが待ってる
だから俺は冒頭でアイドルオタク気持ち悪いって言ったけど
正確にはアイドルオタクもアイドルもそのビジネスも関係性も全てが気持ち悪い
君がこの話でアイドルオタクだけを責めるのはバランスがおかしいのもわかっただろう
例えば麻薬売買とか反社会的な取引を繰り返してるアウトロー同士で契約違反があって、違反者が殺された
「約束破ったぐらいで命までとるなんてキチガイ!」って殺したアウトローだけを「反社会的だ」と批判するようなもの
そいつらはどっちもアウトローで、ちゃんんと事前覚悟の上で取引してる奴等だ
道義的にどっちが悪ってことはない
突然だが,今注目されているバンド「神聖かまってちゃん」の、日本社会史あるいはパンク史的な意義はもっと指摘されてよい。
和製パンクロックが生まれて30年、日本人はついにこうしたバンドが評価される社会へたどり着いてしまったのかと言うレベルである。
少し回り道をすれば、2年前の6月8日の秋葉原の路上、私もその場所に居合わせたから忘れもしない。
「非リア充」の26歳男が赤の他人7人を次々とぶっ殺した。「格差社会」「ニート」「希望のなさ」などのバズワードとともに、秋葉原連続殺人は、00年以降の社会に訪れたこうした変化の象徴と言われた。
その時、私たちは気づくべきだった。不適切かもしれないが、その事件は別の見方をすれば、パンク好きにとって願ってもない時代の到来を告げていたのである。すなわち、日本で訪れることのなかった、本来のパンクロックが受容される時代へと、日本が変化(退化?)しているという事実だ。
教科書的になるが、1970年代に生まれたパンクロックは、当時の英国社会のなんとも言えないクソッタレな社会環境で生まれた。自国産業は衰退し失業率は最悪だった。若者は職も金もなく伝統的な階級社会に阻まれてはい上がることも出来ない。こんな絶望感の中で若者はロックという媒介手段を用いて不満を発散させた。セックスピストルズは、たとえ演奏技術はなくても圧倒的な説得力をもって浸透していった。
80年代以降、パンクロックが日本にも輸入され、反社会的な曲が大量生産された。もちろん素晴らしい曲やミュージシャンも次々と生まれたが、すべてに共通する根本的な欠陥があった。それは、当時の日本が総中流社会で、基本的に成長を続ける豊かな社会だったということだ。「フリーター」は当時は今とは逆に希望を持った生き方として受け入れられていた。若者が抵抗する相手は、両親とか、学校の先公(古い!)とか、そんな微笑ましいものだった。ザ・スターリンに影響されてビリビリに破けたTシャツを着る人たち。80年代後半のバンドブームでカラフルに染めた髪の毛をツンツンに立て演奏する人たち。彼らの反抗的なパフォーマンスは、すべて豊かな日本人の”真似事”でしかなかった。たとえ人気を呼んだブルーハーツでも、社会派的な曲は空回りしていた。
「神聖かまってちゃん」には、こうした日本のロックが抱えてきた嘘くささがない。それが決定的に新しい点だ。いわば日本のパンクロッカー達が、演技的に”狙って”なろうとしたポジションに、不気味なぐらいナチュラルにすっぽりと収まっている。なぜならば、彼らは間違いなく格差社会になった現代日本の底辺に生々しく存在しているからだ。「ナンバーワンよりオンリーワン」などという腐ったバズワードが好意的に受け入れられていた時代の生ぬるさの中に、彼らはいない。
ボーカルのの子は、高校をすぐに中退しネットに没入した腐れニートだ。感情に極度に左右されやすい社会生活上致命的な問題も抱える。他のメンバーも派遣やバイトなど非正規労働の日々を送る。彼らは、ピアキャスやニコニコ生放送を使って、そのどうしようもない自分自身の生活を、包み隠さずそのまま見せる。渋谷の路上でライブパフォーマンスをし警察に補導されたり、メンバーの自宅では酒を片手に1時間でも2時間でも暇つぶしのグダグダトークを展開する。楽曲もありえないほど”ありのまま”、ただ心の中の衝動をぶちまけているだけのように見える。曲は洗練されてなく子供のような詩だ。歌い方や演奏も改善の余地がかなり大きい。それを意図的にやったかどうかはともかく、結果としてこれらの行為すべてが人気の要因だった。彼らがいる底辺、そして彼らが底辺にむけて放つ叫びはあまりにリアルに映る。熱狂的なファンがいるのもうなずける。パンクを歌うにあたり、彼らよりも”適した”ポジションはないからだ。「そんな立ち位置からロックを歌われたら、もはや彼ら以外の誰もロックを歌うことなんかできなくなってしまうよ」的な反則技の感すらある。
私は「神聖かまってちゃん」とそれを受け入れる日本社会に1970年代のイギリスを感じる。もちろん実際経験した訳ではないが、おそらくこんな感じだったのだろう。戦後の急成長はどこ吹く風,かつての英国のように格差が拡大し、ゆるやかに衰退する日本。もはや自分をわざとアウトロー的に脚色する必要すらない、無加工の生き方がそのまま”パンク”的表現になって若者の共感を呼ぶ。いいにしろ悪いにしろ、私たちは今、そんな時代に生きているのである。
あなたがたが通うことになる早稲田大学は、1学年につき約1万人ほどもの人が通うマンモス校だ。当然いろんな人がいる。いろんな出会いがあり、いろんな出来事が待っている。
それは数ゆえの、そして早稲田という土壌を目指したある種の人々が織りなす一大青春劇! である。
その劇中でどのような役割を演じるのか、どう動いていくのか、というのは、個人の意識に依るところが大となるのはもちろんのことだ。
しかしもう一つ、大きな脅威が、早稲田で暮らす者たちを待ち受けている。
それは学友たちでも、教授がたでもない。左翼や宗教の勧誘でもない。
最大の敵にして、現在の学生が抗えず、また抗おうともしない相手…… 『早稲田大学職員』である。
四月一日の入学式に向けて、すでに東京入りしている新、一年生も多いことだろう。
大学側から公布された大学全体の入学式、そして学部入学式。科目登録の日付を手帳に記して、新しい日々に夢を膨らませているかもしれない。
マイルストーンを購入して、授業やサークルの情報を読み込んでいる人もいるだろう。
大学生活の日々を活力にあふれたものとするものの最有力候補、サークル活動。 私もこの大学の四年間は、イコールサークルでの四年間であった。
早稲田大学に存在する、公認、非公認問わず全体で数百にものぼる数のサークルたちは、春になると例年のごとく、戦争に突入する。
入学式に参加する新入生に甘言の羅列されたビラをバラまき、大学構内にブースを並べてカワイコちゃんをはべらせ、新入生はタダだと謳い飲み会に誘う。
あらゆる手練手管でほかより多くの新入生を取り込み、その戦力を強化せんとせしめる。
その争いは熾烈を極める。走り来る自動車を物ともせず、警備員は総シカトである。新入生が手を差し出そうものならば、いたいけな彼(彼女)が思った10倍のビラが返ってくるとみてよい。
すべてが去ったあとには、踏み散らされた哀れな紙吹雪しか残らない。
これが通過儀礼であり、また儀式を遂行する首長たちの姿なのである。
ところが近年、この自然な営みを圧迫する、大きな陰が早稲田大学を覆いはじめている。
この『新入生歓迎』行事という儀式の姿を、根本から変えようとする勢力が、早稲田大学には潜んでいる。
さながら中世における西洋からの侵略者。その圧政の影響は、私が入学した頃からこの儀式の様態をたどれば明らかだ。
私が入学した2006年、新勧活動における最初の洗礼は、(事前に大学に来たものでなければ)戸山キャンパスの正門である。
新入生は、全体入学式をうけるために正門から体育館まで歩くことになる。その道は数多の上級生によって作られ、
体育館に入るまで、両脇に並んだ上級生にビラを渡され続ける。一度手を出したが最期、その上に積み重なること山のごとし。
次の年、2007年以降、戸山キャンパスにおける以上のような新勧活動は禁止された。
基本的に、大学での新勧活動は、大隈講堂で行われる学部入学式か、大学構内に構えたブース、そして戸山キャンパス脇にある学生会館内に限定される。
早稲田に(ほぼ)初めて訪れた新入生を圧倒し、勢いでサークルに勧誘するという極め技を奪われたのである。
この時点で、上級生、そして新入生においても、話術があまり得意でない者が、新たな繋がりを得る可能性が一つ、失われたことになる。
翌2008年は、私も幹部学年として新入生勧誘にあたっていた。この年については、あまりに忙しすぎてよく覚えていない。
さらに翌年の2009年は、就職活動で忙しくあまり顔を出せず、覚えていない。
そして今年、2010年度の新勧活動は、著しい制限を受けることとなったようである。
それは、新勧活動を許可される時期の早期化だ。
例年の新勧活動は、4月1日から一週間弱ほど行われていた。
それが今年は、3月30日から4月3日までしか許可されないというのだ。
この、『許可』というのは、大学構内でビラをばらまいたり、ブースを設けることが出来る期間であって、各サークルが独自で行う飲み会や、部室においての新勧活動を含むものではない。
しかし、より多くのサークルに、よりオープンな感覚でもって接することができるのは、野外に設置された、「誰でもカモン」「誰でも見やすい聞きやすい」ブース、そして数多くの勧誘員とふれあう『新勧活動期間』である。
入学式が始まるのは、例年通りの4月1日。
この始まりの日よりも前に、誰が早稲田大学を訪れるだろうか。
もちろん、いち早く情報を得ていたり、気の早い者、モチベーションの高い者、行動力のある者は30日から大学へ向かうだろう。
しかし早稲田大学は、そのようなものばかりでもない。
多くの新入生にとって、学生生活を充実させるはずの素敵な出会いが失われること、必定。
このような 改 悪 を決定したのは一体どのような勢力なのか。血気盛ん、天下無双のアウトロー集団たる早稲田大学の学生たちに、このような理不尽を強いることが可能なのは誰か。
それが、 早稲田大学職員 なのである。
彼らは私たちの学生生活を陰から監視している。
私たちの親から余分なほどに吸い上げた養分で腹を膨らまし、私たちの自由を、青春を、なんの考えもない規制によって締め付ける。
これはなにも、新勧活動に限ったことではない。
学生会館は彼らによって完全に管理され、開館時間や部屋の利用、部室の使用権まで、私たちは「与えられている」状態だ。
夜22時まで残っていれば、わざとかと思うほどにいやらしい警備員の館内放送を聞くことになるだろう。
大学のネットやシステム関係はザルで、少しでも変な登録、操作をしようものなら部室のキー登録が消え、ネットの使用が不可になる。
迅速なアフターケアはない。
大学で授業があっている時間は、09:00から21:30である。
彼らは0900から1700までしかいない。
一般企業、大企業、公務員、など様々な職種への就職活動を支援する就職課の職員は、どう見てもエキスパートに見えない。
なにごとにも融通が効かない「お役所仕事」。これが、すべての職員に通じる言葉だ。
そして少し調べればわかることだが、彼らは、 なかなかに、 高給取り である。
彼らは私たちの大学生活に必要なものではあるが、不必要な部分もおおいにあるように、私はこの四年間で感じた。
このような、決して便利ではない、しかし不可欠な大学職員が早稲田大学には巣食っている。
彼らはこれからも、私たち学生たちの自由をせばめ、彼らの怠慢を増やしていくのであろう。
そのことに気付かずいや、気づかないフリをして、「円満」に学生生活を送ることは可能だ。
しかし、私たちは入学した時点で、すでに既得権益によって不自由を強いられている。その事実は、決してなくならない。
私たちは、戦うにしろ、無視するにしろ。 それを知った上で、自分なりの行動をとることを迫られているのである。
………………だから、 新入生のみんな、 3月30日から、新勧活動やってるので、早稲田大学にきてね! (私は卒業しているのでいませんケド
*大なり小なり、様々な誇張を伴なう表現を駆使しておりますが、言いたかったことは結論の一文くらいです。すべてが真実であるという保証はありません。
多分これは間違い。「自分の名前がひらがなかカタカナで書ける」という基準なら99%以上は行くと思うが・・・。
はっきり言って貧困層とかアウトローと関わり深い連中だと日本語通じない人が多い。
喋ったり文章を構築する時点ではまず文法がおかしい。そして文法がおかしくない人であっても言っている内容がおかしい。大抵が根拠に欠ける意味不明な妄想や理性に書けた主張など。
次にこちらの喋ってる事が通じない。理解しようとしない。相手の知っている単語に落として一生懸命砕いて説明しても、こちらの考えを順序立てて理解しようとしない。というか、こちらが順序立てて説明しても何故か分かってもらえない。話はちゃんと聞いていると思うが、短期の記憶が弱すぎるんじゃないか。
日本人でも日常的に精神を圧迫されていたり薬物におぼれていたりして頭のおかしい人が居る。そしてそう言った人達に対してはどんな言語を持ってしても意思を伝え合う事は不可能。識字率や教育水準を誇るのならそこ辺りも対策を入れる必要があるのではないか。
腹も減っていないのに何か食べる。
買い物に出ても自分がほしいものが何なのかよくわからなくなって帰ってきてしまう。
集中力がない。
新しい趣味をと思い道具を買うことはあるが、手に入れた瞬間に興味がなくなる。
外見を必要以上に気にする。
何者かに成りたいという願望を持っている。
よく寝る。
よく酒を飲む。
でも人から頼まれたり期待されたことは意外とちゃんとやる。
暇なよりは作業に追われることを望む。
オレの、僕の、自分の、私の、
やっていることはつまり、
逃避。
おそらく気づいてはいたが認識することを無意識のうちに拒否していた。
今もしている。
18歳の途中ぐらいからだろうか?
確固とした目的がないから何をやっても集中できない。
将来のビジョンがないから何をやっても集中できない。
本や映画に集中できないのはそれが自分に何の変化ももたらさないと思うから。
逃避する自分をどこかのアウトローに重ね合わせて正当化していた。今もしている。
空想の世界にあこがれている。
痛々しさ。
自らに対する慰め。
ある種の世代的感覚ではないだろうか?
風呂場で組み合わせ考えてたら面白かったので、せっかくだから記事も書いてみました。
ルールは、二つ。
[1]出来るだけ若手女性声優2人であること(3人以上だと誰か分かりにくい)
こっちのペアの方がいいよ!(阿澄、松来。柚木姉といえば…とか)という意見は重々承知ですが、それも最小効率のためです。
レギュラーでペアの場合、出来るだけ初見でも入りやすい番組序盤を選んでいます。ただし、インパクトのある回は別。
これで、いっぱしの声優通を気取ったらお兄さん達に叩かれますが、何かのきっかけになれればと思います。
個人的には、お兄さんたちがどれだけ聞いてるかも気になります。
一応、リンクを貼るか貼らないかは色々面倒を引き起こしそうなので、ここでは行いません。逆に言えば(ry。
番組のCDを買うきっかけになれば。ただし、まとめ動画がある場合はリンクを貼ります(ニコニコの運営的に問題がなさそうなので)。
新井里美・大原さやか・・・コードギアスはんぎゃく日記[第40回]
井上麻里奈・中尾衣里・・・中尾プロ名言集 その1(キャラ・ヲタ編)(http://www.nicovideo.jp/watch/sm1778124)
伊藤かな恵・豊崎愛生・・・とある“ラジオ”の超電磁砲[第15回]
今井麻美・たかはし智秋・中村繪里子・・・アイマスレディオ[第57回]
加藤英美里・柚木涼香・・・☆ラジオCandyboyのエロと萌えトークだけを集めてみたpart1☆(http://www.nicovideo.jp/watch/sm4762885:title)
鹿野優衣・平野綾・宮崎羽衣・・・すももらじお[第1回]※あまり組合せはよくない。鹿野は小野坂、他は単体
川澄綾子・能登麻美子・斎賀みつき・・・PONY CANYON STYLE まるなび!?[第53回]
神田朱未・堀江由衣・・・ 神田朱未のBitterSweetSaturday[第1回]
釘宮理恵・(日野聡)・・・釘宮理恵 暴言集~勝手に編集ver~(http://www.nicovideo.jp/watch/sm1265635)
桑谷夏子・斎藤桃子・浅野真澄・・・Solty Reidio[第11回]
小清水亜美・三瓶由布子・浅野真澄・(鷲崎健)・・・A&G 超RADIO SHOW~アニスパ![第146回]のアニスパ企画室
寿美菜子・高垣彩陽・(鷲崎健)・・・鷲崎健の超ラジ![第111回]※途中からsphere
小林ゆう・森永理科・・・森永理科のアウトローラジオ[第56回]
清水愛・中原麻衣・・・麻衣&愛の電撃G'sラジオ ストロベリー・パニック! 〜お姉様といちご・そうどう〜[第1回]
(白石稔)・金田朋子・今野宏美・・・金田朋子の日本語でおk 12月号(動画。その後、↓へ)
(白石稔)・茅原実里・水原薫・・・「喰霊-零-」超自然災害ラジオ対策室[第10回]
白石涼子・野中藍・・・野中藍 ラリルれ、にちようび。[第56回]
高橋美佳子・日笠陽子・・・美佳子@ぱよぱよ[第417回]※但し、第446回(2010/2/18)にも登場予定
田村ゆかり・水樹奈々・・・水樹奈々 スマイルギャング[第332回]
戸松遥・花澤香菜・矢作紗友里・・・花澤香菜のひとりでできるかな?[第52回]
豊口めぐみ・松来未祐・・・めぐみゅうの神楽坂ハッピーチューナー[第52回]
原田ひとみ・水橋かおり・・・ラジオ Dream C Club[第3回]
漏れの代表格は、相沢舞(うますぎwave)、真田アサミ(まりほり)、佐藤聡美(しゅがぽ)、清水香織(らぶエモ)、竹達彩奈(初ラジ)、田中理恵(ぱよの企画)、福圓美里(すまぎゃん)、福原香織(らきすた放課後)
世の中の秩序には2つあると思う。
1つは、法律など、表立った秩序。あるいは上から下に向けて作る秩序。
もう1つは、下からの秩序。法律とか政令とかないけど、庶民の間で常識的に通用するきまりみたいなもの。
両者は違うし、対立することも多い。たとえば、駐車禁止の場所にちょっとだけ駐車するとか、速度制限を5キロか10キロほどオーバーとか。自転車の二人乗りとか。大学の歓迎コンパで未成年の新入生が酒飲むとか。みんな違法だけど、現実にはみんな気にせずに行っている。それを悪いという人もあんまりいない。
このように2つの秩序がある。僕は親が固い公務員だったこともあり、杓子定規に、上からの秩序を守るタイプの家庭に育った。親は、そういう意味では後ろめたいことのない人で、俗世間の、法律的にいうとちょっと後ろめたいところのある人たちに対する軽蔑というか無理解を隠さない人だった。
それは、下からの秩序を軽蔑してたんじゃなくて、上からの秩序を守らないことを軽蔑していた。
そういう家庭で育った僕は、家ではそういう感じだし、でも一歩外に出れば、俗世間で暮らす。特に子ども同士なんて上からの秩序意識は薄いけど、それでも一定の秩序がそこにある。下からの、自然にできあがった秩序があるのを感じた。僕の家庭はそういうのとは無縁だったので、そういう下からの秩序に、あこがれみたいなものを持っていて、同時に、そういうところでの振舞い方を知らなかった。
今思うと、僕が大学卒業して、公務員には絶対なりたくない、自分になるべく似合わない職業につきたい、っていうのは、下からの秩序がうずまく世界にどっぷりと漬かりたかったんじゃないかなと思う。
違法な世界の秩序で代表的なものは、ヤクザというか極道というのか、そういうヤバい世界。それらの世界は、違法だから、ではアウトローかというと、ある意味、カタギの人よりも厳しい秩序の中で生きている側面もあるという。
それに対して、警察が取り締まるのは、下からの秩序のかわりに上からの秩序を押し付けているとも言えると思う。
でも、下からの秩序なしに上からの秩序は円滑に機能しないだろう。
日本では大昔、奈良時代ぐらいに、大宝律令という憲法を作った。上からの秩序だけど、すぐに有名無実化した。いっぽう鎌倉時代に成立した御成敗式目は、それまでにあった武士たちの間で自然にできていたきまりや慣習などをまとめた、いわゆる下からの秩序を法律化したもので、これが鎌倉幕府が終わったあとでもずっと長い間、参考にされ続け、有効に機能した法律だったという。
今の日本は、政治家が法律を作る。政治家個々にはいろんな人がいるとしても、とにかく上から作る秩序であることは間違いない。でも、下からの秩序を積み上げて、それを成文化する、みたいな法律の作り方があってもいいんじゃないかな、と思ったりする。そういう仕組みが全然ないと思うけど、なんかそういう方法ないかなあと思う。
そう!俺んちはかつて平家に使えていたとか!いないとか!要するに西日本在住!
平家が云々って言ってればハクは!つかない!(ありがちな四方山話じゃねーの?的な意味で)
ただのおうちで母は離婚しまくり、一時は生ぽを受けてたというそんなお家。
だけど!オイラはゆとり脳で家族と一緒に暮らしてるから、家族の言うことは絶対だよ★★★
アウトロー的な反発したらお家を追い出されるとかヒャッハーな事になっちゃうZE!
けどまじめに頑張って親を納得させることも出来ないZE!
つまり、俺は生ケモノって奴ですね~★
はぁ、生ケモノで絶望的な未来が見えててそれはいやだけど、やっぱり生ケモノなのであんまり頑張りません。頑張れません??なのかな??よくわからんけど。
※酔っぱらった勢いでてきとーに書く
俺の人生またオワタな予感!
わーわー、このまま行くと彼女と近いうち別れるんじゃね?
けど会えね。
彼女には「シューカツしてるから!もう27だし今年いっぱいシューカツ頑張ってみたいから!」って言って数ヶ月あってない。
けど、あえない理由はびみょーに違う。
いや就活してるのは事実なんだけど、俺の意志で彼女と会うのを断ってるのではなくて、
ぶっちゃげ俺の親の意志wwwww
まぁあんまりにもフリーターのままいすぎた&これまでシューカツ頑張ってなかったから親にゴルァされて
「デートする暇あるなら就活死にものぐるいでやれやゴルァ!」って言われたわけw
で、彼女には会ってないけどシューカツもノンベンダラリの亀亀モードでやってるわけwwwwww
当然彼女には親のことは言わずに単純に「俺www就活してwww職が見つかったらwww彼女と会うんだwww(死亡フラグ)」とだけ言ってるんだwwww
そして亀で見つかるわけも無く、あえないまま今に至るとwwww
あははー、どこかの鳩ぽっぽを見てるとこう思うよwww
「あwwwなんか俺っぽいのがいるwwww」
頑張る→頑張りません→いろんな人に色々言われる→やっぱり頑張る→頑張りません→オワタ
うわぁ俺のドッペルゲンガーが総理になってるwww日本凄いwwww
てかこのまま降られるねwww
はー、きっと俺は自分の趣味だの楽しみだのにしか頑張れないダメ人間なんだよwww
勉強だの就活だのは恐怖で動作が硬直したり、楽しい方に動いちゃったりで何も出来ないwww
そのくせ世渡りは下手っぴwww
何もできねぇしwww親の意志がでかすぎてアウトローにもなれないしwww
自殺?www無理だろwww出来るならもうここにいないしwwww
きっといろんな物を呪いながら生き続けてゴミ屋敷を作って奇声ををあげてまき散らす老後か、
痛い痛いと良いながらのたうち回って死ぬこともフツーに生きることもできないまま底辺(わら)であり続けるんだ
毎日時間構わずネットをねっとりブラウジングして時間つぶして穀潰し。
パチ狂いと似たよーなもん。成長も生産も何もない。衰退と消費のエヴリデー★
豆腐を食べたいなぁ。
とあるビジネス系の本に興味深い問題が書かれていたので転載してみる。
Eデパートの家庭用品売り場に、ある日、お客様のA氏から配送に対する問い合わせの電話
が入りました。内容は、先日の収納用品キャンペーンの際、衣装ケースを買ったとき、別の
売り場で買ったバスタオル5枚も一緒に送ってほしいと依頼したのに、衣装ケースしか送って
こなかったというものでした。伝票を調べると、売り場では新人の東西君が対応したことはわ
かりましたが、配送内容にバスタオルは記入されていません。
係長が東西君を呼んで事情をただしたところ、東西君は、自分がバスタオルを5枚預かっ
たことを覚えていました。さっそく、バスタオルとEデパート名での詫び状を発送しました。
ところが、それから1週間ほどして、A氏から係長にまた電話がありました。「昨日の定
休日に、東西君がわざわざ手土産まで持って、自分の家に謝りにきた。それに大いに感激し
た」との内容でした。
係長は、それまでのいきさつと、さらにこの電話の件を課長に報告しました。
課長は係長に「東西君に大して厳重に注意するように」と指示しました。
Q1.課長はなぜ係長に、東西君に対し注意するように指示したのでしょうか?
Q2.係長は東西君にどのような注意をするのでしょうか?
この問題に解答はなく、自分には東西君のだめだった点が、なんとなくはわかるけど
はっきり「これとこれとこの行動がダメだからだ!」とはわかりません。
みなさんは東西君のドコが悪いと思いますか?
マトモな答えもアウトローな答えも歓迎です。
27歳院卒リーマンだけど、学生時代鼻息荒かった奴もだんだん丸くなってきちゃってなんとも言えない哀愁を感じるこの頃だ。
俺自身は学生時代はそんなにガツガツしたタイプじゃなかったけど、今や一番アウトローな感じになりつつある。単に社会適合性が低いだけかもしれない。
大企業を辞めて仕事の面白さだけで中小に行き、今は仕事をそこそこに次の転職のための業績作りに励んでいる。
日本社会は情熱を冷ますことについては一流のノウハウが蓄積されてるから、ほっとくと凄い勢いで冷めていく。
俺は今のところ元増田に完全に同意するけど、それも今後どうなるかはわからんなあ。
9/16 追記書きました。
http://anond.hatelabo.jp/20090916040205
----------------------------------
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20090913/1252836093
僕の見聞したところによると、大多数の女の子が「女の子がお洒落するのは女の子のためだよ」と言います。特に女子大に通学する女の子にこの傾向が顕著です。ちなみに女子大の学生と交流する機会を持たないであろう増田諸君の為に説明すると、一般的に女子大の学生は共学の女の子に比べていわゆる「女の子らしい」服装を好む傾向があり、卒業後に会社勤めなどで男性交じりの職場に入ると拍子抜けしてしまうことすらあるそうです。言ってしまえば、女子大にいるような、女子力の高い女の子は、同じ女の子のためにお洒落しているのです。
実際のところ「女子力」という概念が俺にはよくわからない。かりにそれが「女らしさ」の今日的表現であるのだとしたら、それは必ずしも男性だけを意識したものではないに違いない。ただ、どうなんだろう、その価値基準に「男性の視線」というものがまるで介在しないときに、はたして女子力というものはそもそも存在しうるのだろうか。理屈とかを抜きにした漠然とした直感として、構造的にそれはないんじゃないかと思われる。現実には「女子力」というものが、男性の視線を抜きにした、女性のあいだのみで共有される価値観であったとしても、その成立過程のどこかでは必ず「男性の視線」というものを組み込んでいるのではないか。論証することはできないけれど、男性優位で組み立てられてきた社会のなかから発生したものは、男性視点を組み込まざるを得ないのではないか、と思うのだ。
「女子力」とは何かと聴かれたときに、僕が最も納得のいく答えは「『かわいい』の量」というものです。それも、男から見た「かわいい」ではなく、女の子基準の「かわいい」の量です。
なぜ女子基準の「かわいい」を採用するのかというと、男の言う「かわいい」という言葉は意味が不安定だからです。男性は「かわいい」という言葉を、女の子に対して言う場合とそうでない場合で無意識に使い分けています。男性諸君は胸に手を当ててこれまでの自分を振り返ってみてください。対象が女の子の場合は「美人であるか」とか「女性として魅力があるか」を問うていたのが、対象がぬこの場合は「かわいい」に置き換える言葉が見当たりませんね。一方、女性が「かわいい」という場合は、対象が人であってもぬこ様であっても同じです。女性は「かわいい」という言葉を「かわいい」という意味でしか使いません。
よく、「女の言う『かわいい』は信用ならねーよ」とか言ってる男がいますが、それは間違いです。そうゆう齟齬が発生するのは実は男性側に原因があるのです。本物のモテ男はその辺りをよく理解しているので、食い違いが発生することなく、女の子との会話を自然に弾ませることができます。個人的に、「かわいい」という言葉を女の子と同じ基準で使いこなせるか否かはモテ技術における結構重要なポイントだと思います。ちなみに、「美人であるか」とか「女性として魅力があるか」については、一般的にむしろ女性の方が男性よりも厳しい基準で見ていると思います。
ここで引用記事に戻って、では、「女子力」には男性の視線は一切介在しないのか?この点について、id:nakamurabashiさんは「その成立過程のどこかでは必ず「男性の視線」というものを組み込んでいるのではないか。」と書いていますが、基本的に同意です。確かに、女子力を構成する服装、装飾、しぐさ、性格などの要素は、男性中心の社会構造の中に起源を持つものがかなり多数を占めるでしょう。しかしそれを「かわいい」とみなして受け入れてきたのは女性たちであり、受け入れられなかったものの多くはとうの昔に衰退して現在は観察不能でしょう。最初は男性基準の「かわいい」であっても、次第に女性基準の「かわいい」に織り込むことができたものが、最終的に普及するのだと思います。「女子力」はその形成過程において、女子基準で「かわいい」という一定数以上の合意が必要となるのです。
さて、僕の観察では、女の子(いわゆる「女の子らしい」女の子)は「かわいい」=「良い」という等式に対して非常に合理的に行動します。女の子はとにかく「かわいい」ものが大好きなのです。目に入った「かわいい」ものは、取り合えず自分の周りに集めて留めておきたいのです。当然、集めた「かわいい」ものを身につけるのも、「良い」ことなのです。
例えば、様々な化粧のケースを見てください。様々な趣向や装飾が凝らされ、非常にかわいいことに気がつくはずです。化粧をするのが異性の目を引くためであれば、このような装飾は全く必要ありません。実際、飾ることを省いた化粧品もちゃんと存在しています。ドラックストアで牛乳石鹸の隣に並べられているB級コスメです。これらは、化粧品としては充分な品質を持っています。しかし、それでは駄目なのです。なぜならかわいくないから。品質は良くて当然。さらにかわいさが必要なのです。実際、いかに高品質な化粧品であっても、かわいくなければ売れないのです。男性は何事も機能にばかり目を奪われがちで、意外とこの点に気が付かないのではないでしょうか。一時期、「スイーツ(笑)」と女性の一見非合理的な行動を揶揄することが流行りましたが、これは非モテ的男の遠吠えでしかありません。特にPCは高性能な自作だけど自分の外見にこだわらないキモオタなんかは、頭隠して尻隠さず的非合理的ルサンチマンです。「ゲーム用マシン(笑)」。
一方、「かわいい」=「良い」の式に矛盾すると単純に「悪」と見なされるます。この点における女の子の判断はとてもシビアです。
女の子はダイエットにこだわりますよね。お腹の肉が出てきました。かわいいですか?かわいくありません。悪です。ダイエットします。女の敵は女ですよね。男の子の視線ばかり意識して服を選んだりお化粧する女の子は、どこか打算的になりがちです。打算ってかわいいですか?かわいくありませんね。悪です。対立します。とにかく「かわいい」=「良い」という等式をいかに守るかが、女の子らしさの要なのです。
では、元記事のSさんは?
エントリーを読んだ感じですが、僕的にSさんは「悪」というわけではないと思います。
もっと根本的に、「かわいい=良い」流儀からのアウトローです。
俺は、仕事を終えたあとで、例によってついったーにだらだら常駐していた。そこで「店長、女度を上げるにはどうしたらいいでしょう」と質問された。
せっかくついったーにいたので、その場でTLに質問を放流してみた。その対応はどうなんだ、という話ではあるが、とにかくやってみた。
もらった答えをいくつかわかりやすいように噛み砕いてSさんに伝えたなかで、ちはや氏の解答がクリティカルなものだった。ちょっといまついったーにつながらない状況なんで、記憶にもとづいた引用ってかたちにさせてもらうが、要は「かわいいって言われること」っていうのがその答え。これは核心だった。
ちはや氏のポストをSさんに伝えたところ「あー、かわいいって言われても、ありがとうとは思うけど、別に欲しい言葉じゃないですね」と答えた。
なるほど、多分、ここだ。
僕もここだと思います。
女の子同士の重要なコミュニケーションの一つとして、「かわいい」ものを見せ合うのというものがあります。それはある種の流儀のようなものでもあります。だから、女の子同士でお出掛けするときというのは、化粧や服装に一段と気合いが入るのだそうです。
引用部分での「かわいい」の意味が男性基準か女性基準か曖昧で、断定し難いのですが、おそらく彼女はそのコミュニケーションに乗り気でないのです。つまり、アウトローなのです。とゆうか、僕の観測だとこのようなアウトロー女子は少なくないと思います。男子の中に混じって「おめえは女じゃねえ」とか言われてる女の子の8割はこのタイプだと思います。(後の2割は計算高いサークルクラッシャー系女子です。男子諸君、気をつけましょう。)
では、Sさんのような女の子がいわゆる「女子力」を身につけるにはどうしたらいいのでしょうか。常日頃から「かわいい」ものに対してアンテナを張っておくことことだと思います。「かわいい」もの好きな女子は自然と「女子力」が上がるんだと思います。逆に、面白可笑しいものが好きな女子は容姿まで面白可笑しくなるんです。たしか安野モヨコもそんなようなこと書いていました。自分が「かわいい」と思うものを集めれば、自分らしい女子力が身に付くんだと思います。
乱筆で偉そうな長文、失礼致しました。
常日頃から中二病臭いブログをやっている知り合いがいるのだが、最近笑える展開になってきたのでヲチしている。
なんでも、所属しているバンドサークルで先輩からも同期からも後輩からも拒絶されて、誰とも組んでもらえなかったらしい。
直後の日記ではさんざんサークルの体制の悪口や自己弁護に徹しているが、読めば読むほど
それって単にあんたの性格の問題だろ、としか思えないことに気づく。
でも本当におかしいのはここから。
大学普通に始まってるのに、傷心を癒すため自分探し(笑)の旅を始めたらしく、一日2回くらいのペースで日記を投稿してる。
ガイアが俺に輝けと…を一回りガキ臭くしたようなファッションでカメラに向かって中指を立ててる写真や
ヤンキー座りしながらタバコ加えてやはり中指を立てている写真が添付されてて、アウトローな俺カコイイ!!というのがミエミエで痛々しい。
今日もきっと夜辺りに何かしらやってくれるはずだ。
一応サークルの仲間や先輩らしき人々からコメントが付いてたけど、
そのうち2件が斜め読みすると「○○いたいです」「中二うぜえ」になってて超笑った。
ちなみに彼は今年で22歳。「教授を含めた既存の権力にすがった大人達がうぜえ」らしくろくに単位もとらず、未だに2年生。
今も大学ほったらかしでこんなことしているのだから、今年も進級は無理だろう。
万が一放校されたら今度はどんな日記を書いてくれるのだろうと思うとワクワクが止まらない。
え、なんで第三者の俺が訴えることができるの?
俺のことを元増田だと思ってるわけでもないようだけど、それなのに俺に訴えろというってのはおかしくないか?
著作権法って親告罪だと思うんだけど。親告罪ってのは第三者による訴えは通常無意味だと思うんだけど。
「お前は訴えることもできないのに」って皮肉なの?だとしたらそんな皮肉は必要ないよ。
俺は最初から俺が訴えることができるなんて言ってないし、お前は「どうせ訴えられないから」って理由で正当性を無視してるダメな人だって主張してるわけだからね。
そういう皮肉だったとしても皮肉として通らないわけだよ。わかるかな?どう?どうだい?
君にとってどういう意味があって改変してるかなんてのもどうでもいいんだよね。大体理屈放棄してるのになんでそこで理屈語るんだい?
そこで理屈を語りたいのならば、他人の「それはおかしいよ」って意見にも耳を貸さなきゃ。
ああ、理屈を放棄したから、「俺は理屈を語るが他人のそれには耳を貸さない」という理不尽すらやってのけるってことか。アウトローだなぁ。
そう滅多に無いことだけど、ゲームをやっていて異常な位に興奮しているときがある。
某音ゲーには通常のプレイモードのほかに、段位認定モードというものがある。
段位ごとに指定の曲が数曲あり、初めは100%のゲージを0%まで落とさずに最後の曲まで演奏出来れば段位取得。
簡単に説明するとそういうモードだ。
そして自分にとって、超えられそうで超えられない壁は、9段。
かれこれ半年、何十回と挑んでジリジリと手を伸ばしながらも、今日までずっと超えられないでいた。
一番調子良かったときでも最後の曲の間奏までしか持たない。もう少し。もう少し練習しないと。
数回の肩慣らしと通常プレイのあと、最後の1プレイは必ず9段に挑戦することにしている。
1曲目。いつもより調子がいい。最後はしくったけどゲージは十分に残している。いいぞ。
2曲目。さっきの良いイメージを自分の中に残して、一気に駆け抜ける。
けして褒められた結果ではないが、それでも今までで一番良い結果が残った。今日はいけるかも!いや、行くぞ!
3曲目。最後の曲だ。イントロ。歌いだし。順調に推移していく。今まで越えられなかった間奏。・・・超えた!
心拍数が上がっていく。膝が震える。胃が熱くなっていくのを感じる。変なところから汗が流れる。耳たぶが熱い。呼吸が揺れる。
頭の中が真っ白になっていく。色んな想像が駆け巡る。でも目の前の譜面はしっかり捉えている。指は動いている。
どうしよう、やっと9段取れちゃうよ。いや、まだ判らないよ。まだ最後まで全然油断できないし。
いや、今日の俺は神がかってるからこういう時に取れちゃうんだって!いやいや、そんな事考えてるよりも集中しろって!
頭の中で色んな声が勝手に会話しているのに目と指は関係なく動いている。まるで脳を介さずに目から指に神経が直結しているように。
ゲージはジリジリと下がっていく。でも曲も確実に終盤に向かっている。逃げ切れるか?逃げ切れるのか!?
・・・結果を言えば逃げ切れなかった。最後のアウトロで左手の指がもつれて、あっ、と思った瞬間にゲージが尽きた。ゲームオーバー。
そそくさと筐体からカードとジャケットを回収して、とりあえずベンチを探して腰掛けた。
緊張が解けて、今の自分の異常な事態がようやく冷静に理解できてくる。ゆっくり火照った体を、呼吸を整える。
頭の中も異常な興奮状態に入ってたのがゆっくり解けてくるのを感じる。足も、指もまだガクガクしているのが判る。
たかがゲームだ。でもそのゲームでここまで興奮できるのかと思ってしまう。俺がおかしいのか、それともゲームが凄いのか判らないけど。
ただ、この瞬間を知らずに「たかがゲーム」と思ってる人はもったいないよなー、と思いながらなかなか人に言えないので、増田に書いてみましたん。
当て逃げされた。
http://anond.hatelabo.jp/20080930094309
続き。
ネット上でこういうコトを書くのは少しためらいがあったが、
方々から背中を押されるカタチで、私の知っている加害者情報を書き込もうかと思う。
【事故の起こった場所】
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=35.39275299&lon=139.44639152&sc=2&mode=map&pointer=on
【事故の起こった日時】
9月28日 日曜日
【事故の状況】
一旦車両を降りて話し合いを始めるが、名前を聞こうとしたら逃走。
六地蔵方面に逃げる。
【加害者の概要】
50代後半??60代前半の痩せ型の男性。
165cmくらい。
【加害者の車種】
http://images.google.co.jp/images?q=Vitz+1F8
・931
(登録陸運局、分類番号、平仮名は不明)
で、このナンバーなんですが、事故発生から時間が経っており目で見て記憶しただけなので100%確実とは言い切れないですが、
この番号に近い感じのヴィッツを見かけたら、目撃場所をお教えください。
容疑車両を見つけたからといって、決して無理なさらずに・・・
なんてったって“逃げる”ような人ですから、アウトローなのは間違いないです。
情報提供よろです。
Attribute=51についての覚書 - モジモジ君の日記。みたいな。
「自己責任論へと引っ張っていく」ような傾向性を持っている、ということです。そういうところを注意したら、少なくともそういうところに反応しているネガティブ・コメントは減るんじゃないかなっ!と思います。
減りません。グリに向けられている敵意は、まさに純粋なる悪意と呼ぶべきもの。『要は勇気が自己責任』がゴリ押しだと叩かれているのはそこが一番やわい下腹部だからにすぎない。仮に彼が自分の強引さを認めて、態度を改めたとしても、アンチどもは矛先を別のパーツに変えるだけ。アンチのグリに対する憎悪は、もはや彼本人の人格そのものに向けられている。そうして幸か不幸か、グリはそのことを薄々理解しているフシがある。だから絶対的に両者は相容れない。一センチも歩み寄れない。理性や論理の誤謬がなんやかんや、というステージではない。
ではアンチはグリをなぜ絶対に認められないのか。簡単だ。グリという存在と彼に付随する論理を受け入れいたら、アンチ自身が消滅してしまうからだ。ここらへんの問題は結構根深いものがある。何度も言われてることだし、アンチですら度々認めることではあるけれども、グリの持論の根幹部分は常識的に極めて「真っ当な意見」、つまり正論だ。しかし、ぁゃιぃやあめぞう、そして2ch等の匿名掲示板が日本のネット社会に撒き散らし、はてなにも深く根を張っている偽悪精神とも呼ぶべきその風潮は、本来はリアル社会のつまはじきものである弱者のための武装手段だ。要するに、オタクで、運動音痴で、あたまでっかちネガティブ思考の童貞のために醸成された空気。脆弱なアウトローである自らを「努力しなくて、矯正しなくていいんだよ」と肯定し、世間や常識の方を否定する防御装置。それが現在のネットで主流派面して居座ってる匿名文化、あるいはイナゴ文化サマだ。そういう意識が、アンチグリストたちの根底にはある。
もちろん、ケツに.jpの国別ドメインがついたあまねく仮想スペースがヒネクレタ雰囲気に包まれているわけじゃない。実社会の礼儀や論理がそのまま適用される場所も多い。彼らはあくまで自分たちの縄張りで主流派面してるだけだから。ところがはてなは、そういった連中が本当に多数を占めてる場所だった。ダイヤが石ころ扱いされ、石ころがダイヤとして珍重されるような価値観逆転惑星はてな。そんな星に「キレイゴト」や「一般論」という錦の御旗を掲げて侵入してきたのがグリに代表されるポジティブ教徒たちだったわけだ。彼らは何を血迷ったか可哀想な負け(狂)犬ども再教育し、救済してあげようと考えた。
だが、もとよりヒネクレたちは自分たちがダメ人間であることを理解していた。その上で、そのダメダメさ肯定してくれる居心地の良いネット空間にしがみつきたがった。救済など、欲してはいなかった。理解はすれども了解はせず。それがグリ一派にはわからない。ネットも所詮リアルの延長線上であると考え、リアルでの幸せなくしてネットでの幸せもありえないと信じて疑わない。何度も開催されるOFF会は、その信念の現れだ。
これはもう、ほとんど宗教と宗教のぶつかりあいなんだろうね。両者の辞書に「相互理解」の四文字は載っていない。当然だ。元々のスタート地点からして、全く別のところにいた人間たちなのだから。
社会は属する人間で平均化されたシステムによって運行されている。
効率的だからです。
社会の平均から大きく外れているものは、社会自体から外れようとしている。
ように見えるものです。
社会に属さないものというのは、社会の恩恵を受けることのできない貧者であり、
または社会に縛られないがゆえに社会のルールに属さず、ルールに守られているものたちに害を与えることも簡単なアウトローです。
前者であれば、そうはなりたくないという心理から社会の恩恵を受けることができない他者を嫌悪するものであり、
問題なのは、右へ倣えでそういった嫌悪の感覚に流されているところ。
敵愾心というのか防衛反応というのか、外部に向かうエネルギーがエキセントリックになりやすいところ。
の、ような気がします。