はてなキーワード: アウトプットとは
私は別に何もすることが無いわけでも無いことも無い予定が無いのよね。
咳をしてもなんとかよ。
うーん
今年1年を総まとめしてなんというか?ってなるとどうなるのかしらね?
私的には色々とマジでお仕事にも役立ったChatGPTちゃんに1票を上げたいわー。
文章も書いてくれるし、
後半になったら絵も描けるようになったじゃない。
あれには驚愕よね。
私も色々とアウトプットやってもらってるんだけど、
人間の手が追いつかないぐらいよー。
海外の調べ物って具体的に言うと
郵便番号と電話番号の桁数のフォーマットを教えてくれるだけでも
もの凄く楽チン極まりない烈伝全8巻を読破してしまいそうなほどの勢いだし。
あれネットで調べても、
この情報あってるの正解なの信じていいの?って極まりないぐらい疑ってかかって仕方がないインターネッツ社会の縮図みたいになってるじゃない。
かといって予めこっちが知っている情報を答え合わせで尋ねてみたら
ぜんぜん嘘のことを言い出したり、
なので100パーセント信じているわけではないけれど
ものは使い様よ。
なんだかんだいってAIのChatGPTちゃんに翻弄されたこの2023年だったわーって私の2023年はまだ終わってないんだけど。
あとあれよね、
コロナ禍も解除されつつ人がぱんぱん観光客がごった返している感じも
ここ久しぶりの感覚だわー。
いまだ争いは続いているんだけど、
営業所の方は閉鎖されて
引き続きなんていうの?弁護士とかのやり取りをしている感じみたいね。
私はそれはちょっと話をその時に聞いたぐらいで
その後はそれぐらいの情報しかその情報筋の人から聞いたぐらいしか知らないけど
結局オーリョーしていたとおぼしき営業所は潰されてしまったわー。
もちろん全員解雇でーって話しよ。
あと私の鍋のベーナー情報で言うと、
今年の前半はおでん屋さんで夏場はおやすみでこの冬からまたおでん屋さんと思ったけれど、
年末年始はこれをベースにパスタとか鶏肉とか煮込んで美味しくいただけそうよ。
お休みだからって不規則なリズムにはしたくない繰り返すこのリズムでキープしたいところよ。
相変わらず
スプラトゥーン3と後半から一気にブームのF-ZERO99に途中で夢中になったファイアーエムブレムエンゲージかな。
思いのほかスーパーマリオブラザーズワンダーもよくって、
クリアしてしまうのがもったいないぐらいとここで書いて思い出したので
クリアしなくちゃ!っていい加減1つのことをやり遂げる勇気を私にも持ち合わせたいワンダーだわ!
スーパーマリオブラザーズワンダークリアにしようかしら?
ちな
F-ZERO99は目標とかないし日々のノルマの5レースをやってラッキーカードをめくる楽しみと、
スプラもそうよ!
S+の腕前まで持っていきたいところ最低でも今シーズンは!ってところね。
そうなるってーと
いけないいけない!
いい加減HDDレコーダーの中身も消化しつつ
ここで一気に空き容量を空けたいところ!
これも苦しい消化作業なのよね。
あとまたもう一つ!
スマホで読んでいたら小さいし、
そーなるってーと
キンドル端末のペーパー電子端末でまたちくちく開いている時間に
特に最近はランチのランチが提供される間のランチ待ち時間に持ち込んで読むと
逆にあのオーディオブックはぜんぜん聞き進められないけれど、
まあ総じて私の1年ってそんな感じだったのかしら?
増田的には何個かはブクマ300行ったのがあったような気がしないでもないけれど
過去を過去的に可及的速やかに振り返らないでお馴染みの私だから、
たぶん300超えあったようななかったような
そんな感じの出来栄えだわ。
忘れていたけど、
思い出すまで忘れていたけれど増田も頑張らなくちゃ!って思ったわ。
マジこれ本筋のメインで本域で頑張らなくちゃいけない案件じゃない!
わちゃー!って感じよ。
私の一番の目的の部分をすっかり忘れていた意義を思い出したわ!
杉の上の梢に明るく光る星に願うのよ!
でもさー
おおよその計画実行できるのは1割も満たなくない?
たぶんこれ書いたの全部実行できない気もしてきた時間を有効に使いたいって事しか書いてないけどこれだから私はいつも自分を見失ってしまうのよ山脈に向かってヤッホー!って叫んじゃうのよねー。
結局お休み明けなにも出来なかったー!って事態には避けたいじゃないそれ一番で。
なので、
自分に言い聞かせることを言葉の意味はよく分からないと思うけれど、
ほんと有意義にってことよ。
うふふ。
年越し蕎麦にはまだとても早いけれど、
私がいつも食べて寄るこのお店が一番麺好きかもメーン!って感じで
やっぱり比べてみて初めて気付く麺の偉大さよメーン!ってところよ。
麺大事!
時間があったので、
これの淹れ方しちゃうと
急須が面倒になって仕方がないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
つらいポイント
①私の服装や雰囲気と合わないので、私のことを考えて選んだと思えないところがつらい
②ほしい色や雰囲気を伝えていたのに、聞いていなかった(覚えていなかった)らしく全く違うものがきて、話を聞かれてなかったのがつらい
③おじさんぽいマフラーで、今時の女の子がつけるマフラーとはかけ離れてて、彼氏がいかに時流に乗ってないか、周囲を見ていないかがわかってつらい
④でも伝統のブランド(ハイブラではない)ので、それなりのお金が趣味に合わないプレゼントに消えてしまったことがつらい
⑤とはいえ彼氏もそれなりに考えてくれただろうにそれを素直に喜べない自分の性格がつらい
普段の私の様子を見て、シンプルで王道のものが好きなんだなと普通の予想をしてくれてれば、、
あと、彼氏から、無地がいいだろうなと思ったけど、なんか変わったものあげたくなっちゃったんだよね、って言われたのもなんか嫌だった。
普通に喜んでほしいって思わないのかな?
わたしは彼氏に喜んで欲しくて、彼氏のライフスタイルや持ち物やキャラクターに合うブランドとか素材とか色とかめちゃめちゃ調べるタイプだから、気持ちがわからなさすぎて。
彼氏が一生懸命選んでくれたものならなんでも嬉しい♡みたいな女じゃないことが辛い。
それなりの値段って言っても1.5万とか。
でも1.5万払ってもいいって知ってたらもっとちゃんとお願いしていたというか、、、
なんか、、、、
こういう時の気持ちの整理の仕方が知りたい。
ていうか歴代の彼氏全員プレゼントのセンス悪い。王道でシンプルな素材と色とデザインのものが欲しいし、見てたらわかるだろって思っちゃう。奇抜なものなんか持ってないし。
なんか、それを選ぶ時点で、こういう奇を衒ったプレゼント選びができる俺!のために買ってる感じがするのが辛い。
あとこれからもずっとこのセンスで選ばれるの?これからもずっと?って思っちゃう
今回は
大判でモコモコしすぎない素材の白か薄いベージュの無地のマフラーが欲しかった、欲しすぎて自分で買いそう。
彼氏が買ってくれた、おじさんがダブルコートの首元につけるために買ったみたいな、ボリューム少なめのダークブルーグレーのタータンチェックのマフラー、いつつけたらいいの?
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フェイクが薄かったのでここまでバズっちゃったら彼氏の目にいつか触れるかもと思って彼氏に言いました
彼氏はめっちゃ笑ってくれてそういうところが好きだからこれに笑ってくれる人柄の彼に今時点選んでもらっていることは私はありがたいな〜と思ってます
どちらかというと見ず知らずの人にこんなに色々書かれて大丈夫?って心配してくれた
人からもらったものに文句を言う女を選んじゃった彼は見る目ないと思うし何よりも本当にこんな女で申し訳ないと心から思う…
あと、ちなみにそのセンスで選ばれたのが増田、のコメントは私も天才かと思った、
私が彼氏のセンスをこきおろしてしているとすれば大打撃だったと思うけど問題はそこじゃないので笑えて済んだ
一緒やんて言われるかもしれないけど私は彼氏からのプレゼントや彼氏のセンスをダサいとは思っていないです
品物としてはすごくいいしこれが好きな人もたくさんいると思う
グッチの財布って素敵だけど私の趣味じゃないんだよね、みたいなかんじ
なので彼氏のセンスそのものを問題視したりセンスが悪いと思ってたりしているわけではなくて、そこに至るまでの思考プロセスのありかたの違いとかズレを悲しんでいるかんじでした まあ普段から人の話を聞けではあるけど
今回はプレゼントっていう形のあるものでアウトプットされて問題が表出しただけで、そしてどこかに吐き出したかっただけです、
センスあるブコメとそれを取り上げてくれたツイートで変にバズっちゃった
蛇足だけど私が考えていた以上にいろいろ考えて用意してくれていたこともわかって、彼氏は話は聞いてないけどすごく優しくて面白い人です
定期的にはてブやSNSを見ているとITエンジニアの投稿を見ることも多いだろう。それを見ると色んな感情が湧くと思う。
これ以外にも色々あるだろうが端的に言うと自分のITエンジニアとしての偏差値が低いんじゃないか?って思うことが多いのではないか。
そんなわけ無いぞ。上に書いているようなレベルの人ってホント上澄みレベルで世間のエンジニアが全員勤勉だと思うなよ。
あと結果のみアウトプットしているから凄い事スラスラしているように見えるけど、実際はインプットからアウトプットまでに時間結構あるぞ
結構気にしてあれこれ手を出して潰れる人を見てきたし、じゃあ自分はその上澄み除いた部分でどの辺なんだって拘る人も居るのでいくつかアドバイス
エンジニアあるある。応用なんて学生が取るもの。高度でやっと書類に書ける。んな訳ない。あの時代遅れ試験を午前午後クリアできるエンジニアは少ない。ITパスポートだって立派。業界変われば評価も変わる。取らないけど凄い人も居るけど大半の凡人は取ることで土台が固まる。IPAでもベンダーでも興味のあるものは取ろう。転職エージェントが何を言おうが資格の目的はその技術の知識の確認だ。
上澄みの人の業務形態は様々だ。経営者、正社員、フリーランス。職場によっては業務中の勉強も可能だったりする。フリーランスなら仕事も勉強も自由だ。その相手と同じ環境でも無いのに自分もやろうと捻出して睡眠時間削っても意味ない。ある日2時間やるより毎日10分で良い。重要なのは今の稼ぎ。努力教信者が意味なく努力しろと言うけど気が向いたときにやれば良い。週末に遊びと勉強あったら遊び取れ。仕事のパフォーマンス最優先。
最新技術キャッチアップしてサンプル作ってって焦るだろうけどとりあえず本読もう。読み終わって全部知ってるわ!って本かも知れないが今はメルカリで売れるから傷は浅い。オライリーの本を手あたり次第買って積むのは焦った人が良くやるパターンだけど、とりあえず自分が興味ある分野の本を1冊買って読もう。はてブにはだいたいこの季節に上澄みの方が書いた読んだ技術書を書評付きで載ることが多い。そこから1冊選んで読む。ハンズオンあるなら自宅のPCでやる。やり切ったらぶっちゃけだいぶ偉い。業務じゃ使えないとか言われるけど基本と実際はどこが変わるか分かるだけでもだいぶ役に立つ。ちなみに裁断してPDFにするのは個人的にはお勧めしない。電子化するとマジで読まない。個人差あるけど
もちろん年収1000万とか稼ぐフリーランスとかは無理だけど緩やかなキャリアアップ目指すなら基本情報持ってれば良いのよ。マジで社会には自分達より手に技術持ってないくせに年収1000万越えの変な人多いよ。だから企業案件で現場に行ってプロジェクトの全体像も分からず毎日コード書いているだけで漠然とした不安を抱えているなら一足飛びではなくまずは土台を固めよう。レーダーチャートのどっか1か所だけ飛びぬけるのはマジで選ばれた人間。大半は平均的に高めるしか無いよ。焦んな、何もやらないのは駄目だけどコスパは求めるな。
たとえばよつばととヘルシングならどっちが画力が高いなんて問いはナンセンスだろ?
ある程度絵として伝わる力量がその絵から見て取れるなら、あとは画風に対する好みの問題であって、「画力」なる一意に順序付けられる概念で比較できるようなもんじゃなくね?とも思える。
あとは作品というのはある目的に沿って描かれたものであって、「自分にとってできうる最高の画力」をひけらかすために描いてるとは限らないから、そういう意味でも作品ベースで画力を見極めようとするのは違う気がする。
画力を知りたいなら「自分が一番人に対して上手いと思えるような描け」というお題でも出して描いてもらわない限り原理的に無理だと思う
漫画における絵のうまさを評価するにあたって、純芸術の風景画やルネサンス期の人物絵に対する評価軸を完全に適用することはできない。
そういう意味でうまいことが、かえって作品の目指すムードを損ねることがあるから。
というわけで平野耕太とあずまきよひこはどっちの方が画力があるなんて問いはナンセンスということになる。画力の評価はアウトプットした作品からなされうるものだが、そもそも彼らがアウトプットした作品から見いだされる画力は、作品に最適化された画力であって、彼らがなしうる潜在的な意味での最大限の画力ではないのだ。
じゃあヤフー知恵袋とかではなぜ自分が描いた絵の評価をお願いしたときに低評価をくらった時「これはヘタウマなんだ」とか反論するとただの言い訳扱いされるのかといえば、
あのような場では質問者は「自分が可能な限りの最大限の画力でもって描く」ことが期待されているからだろう。
商業漫画を描くみたいな実践の場面で要求されるような、作品の性質に合わせて画力を調整するみたいなことは想定されていないのだ。
好みでいうなら一般的には深淵絵師とみなされうるラインだろうがこいつらの絵すら俺は好き
https://www.pixiv.net/users/16301040
https://www.pixiv.net/users/97971454
もう時効かと思って。
フェイクいれるけど許して。
特に同じ部署内は仲がとても良くて、上が圧迫体質で嫌なことがあっても、部署内で話せば不思議とまぁいっかとなんとかやれる感じ。
私が好きな人はそこにいた先輩だった。
実はその職場は友人に誘われて入ったんだけど、その友人から色々仕事の話を聞くなかで好きな人の話も聞いていた。
正直、話聞く限り、私の好みどストライクで実を言うと好きになる予感はしてた。
で紆余曲折あって同僚になった。
すぐに好きになった。
仕事に熱心でプライベートの時間も仕事しちゃうような人だった。趣味もゲームで一緒に遊んだりもした。
ただ、思ってたより神経質だったり、知らなかった面もいくつか見つけながら、それでもどんどん好きになっていって、顔見るために仕事行ってる節があるくらいだった。
たまたま一緒に2人で行く出張を指折り楽しみにしてたりしてた。実際デートみたいで楽しかったです。その時買ってもらった飲み物の入れ物ずっと取っておいてた。(勝手にデートと思い込むようにしてた)
そんな中で、好きな人に迷惑のかかるミスを私がした。謝りつつ、どうそのミスの尻ふきをするか話していた。
内心、キツすぎてしにたいって思ってた。
その帰りにその人から「今日は怒ってしまってすみませんでした」というメッセージが来た。
でも内容が思ったものと違った。
本当は私の上司に、私のフォローをちゃんとしてほしかった怒ったのであって、私を責めた訳じゃないとあった。悪いのは上司だと書かれていた。
でもそれはすごく違うな、と思った。
何より私を庇うために、好きな人がバグったことを言わなきゃいけなくなるのが一番許せなくて、
このミスは私の責任です。ちゃんとやれることをやって巻き返すので、明日からもよろしくお願いします、と返した。これが精一杯だった。
(今思えばだいぶ突き放して見えたかもしれない)
そんな矢先に、相変わらずブラックな会社から、とんでもルールが追加された。
コロナにまつわるものだけど、あの頃はどこもルールを模索してた時期だから仕方ないとも言えると思ってた。
私はさして気にせず、ふーん、出た出たと思って流していたが、
なぜか好きな人がそれに噛みついた。めっちゃ噛みついた。理不尽だと思う点についてめっちゃ言及した質問を飛ばした。質問というよりあれは宣戦布告のようにみえた。slack全体共有の場所でトップに噛みついたんだから、いやもう、収拾がつかない…。
後で話を聞いたら、個別で理不尽な叱責を受けた後だったということだった。
ただその直後は、共有で皆が見える場所で取締役が好きな人宛にメッセージを送り、一応その場は収まった…と、思っていた。
その後、冬の長期休暇に入って、
そうして、数年経ってしまった。
私は告白することもできないまま、未消化の気持ちを抱えながら年をとっている。
正直、いなくなった後に、
なんで連絡の1つもくれないんだろうと、心配で気が狂いそうになったりする内に、
少し疲れてしまって、
あんなに確固とした想いだったのに、今では好きだったのかどうかも分からない。
クリスマスだし、こんな増田で溢れて、これも流れてくと思う。だから未練とか、整理できてない気持ちをアウトプットしたくて書いた。
もう時効だとも思って。
増田らしく締める。(完)
漫画における絵のうまさを評価するにあたって、純芸術の風景画やルネサンス期の人物絵に対する評価軸を完全に適用することはできない。
そういう意味でうまいことが、かえって作品の目指すムードを損ねることがあるから。
というわけで平野耕太とあずまきよひこはどっちの方が画力があるなんて問いはナンセンスということになる。画力の評価はアウトプットした作品からなされうるものだが、そもそも彼らがアウトプットした作品から見いだされる画力は、作品に最適化された画力であって、彼らがなしうる潜在的な意味での最大限の画力ではないのだ。
じゃあヤフー知恵袋とかではなぜ自分が描いた絵の評価をお願いしたときに低評価をくらった時「これはヘタウマなんだ」とか反論するとただの言い訳扱いされるのかといえば、
あのような場では質問者は「自分が可能な限りの最大限の画力でもって描く」ことが期待されているからだろう。
商業漫画を描くみたいな実践の場面で要求されるような、作品の性質に合わせて画力を調整するみたいなことは想定されていないのだ。
トップレベルの数学者になるには一日だいたいどのぐらいの時間をインプットに割くのが理想だと思いますか?
数学というのは研究の道具として使う知識や理論にしても、学びすぎても学びすぎることがないぐらい、時間が許すならいくらでも学ぶべきことはあると思います。
でもそれだと、先行研究を理解するだけで自分では何も発見を生み出さない人生になってしまった…なんてことになりかねませんよね。
だけどインプットせずにアウトプットなんて当然できない…できても車輪の再発明になるのがオチでしょう。
ようはこのあたり平均的なの学問以上に特に時間配分に関するバランス感覚が大切になってくると思うのです。
一体アウトプットとインプットの配分についてどれぐらいが価値のある成果を残すという目的にとって最も効率的で理想だと思いますか?
補足
最低でも修士課程に入って以降、あるいはポスドクの話です。受験に受かるにはみたいなどれぐらい勉強がいるかみたいな話ではないので勘違いしないでいただけると幸いです。
これは多くの人に知ってほしい、という気持ちと、
居ても立っても居られない気持ちになったため、
拙いながら書いてみることにしました。
作品を作る上で登場人物の描かれていない裏側を想像するように、
役者さんのTwitterを見て、作品が完成するまでの様を想像するように、
この芝居を見たひとりの自分、がどうこの作品に出会い、どんな行動に至ったのか、というような
■この劇に出会った経緯
詳細には覚えていないけれど、「何かいいお芝居ないかなあ」とTwitterを徘徊していた10月頃、
仮チラシとタイトルを見て、「あ~たぶん好きなやつ」と思って、カレンダーに追加したような記憶。
「かみさまを殺すための旅」というタイトル。「あまい洋々」という団体名。
(この漢字とひらがなのバランスがうまくいえないけどすごくいい)
(ぜひタイトルの解釈や、団体名の由来について、どこかで伺えたらいいな、とふんわり思っている)
柔らかいタッチのイラストと、少しビビッドな色遣いの仮チラシ。
1999年生まれなんだ、自分とひとつしか変わらない歳の人が、
自分の劇団を持っていて、もう4回目の公演に取り組もうとしているんだ、と。
■劇場に行くまでのこと
なるだけ、芝居を見るまで感想やバイアスになる情報は入れないようにしよう、と思いつつ。
しかし、予約する段階でチェックした本チラシのデザインは仮チラシからさらにアップデートされた素敵で、
「オムニバス形式の短編詰め合わせ、ぜったいすきなやつ~」という気持ちと、
「虐待・性暴力・モラルハラスメントを想起される表現を含みます」というのに、ちょっとびびったりもしていました。
■観劇当日のこと
観劇をした12/9(土)は少し温かい冬の日で、雲一つない晴れた日。
北千住に降り立つのはたぶん初めてで、アクセスがいい都内の駅だけれども、意外と遠いなあと思いながら電車に揺られていました。
勘違いしていたのだけれど、BUoYを初めて調べたときはカフェが出てきたので、「カフェでやるタイプの芝居かあ」と思っていたけれど、
実はカフェは2階、劇場は地下ということでした。終演後に2階のカフェに行ったら満席だったので、改めてカフェも行ってみたいな。
■観劇をしたあとのこと
劇場に入ってから、出るまでのことは、別の記事でまた語るとして。
わたしは、素敵な芝居を見た後は、台本を買って帰るのが自分の中で決めた約束事みたいにしているところがあります。
もちろん、帰って、改めてじっくり味わいたいというのもあり、チケット代以上に何か劇団に還元できれば、みたいな思いもあり。
物販で売られていた、主催の結城さんが書かれたイラストも素敵だったな。
この芝居を通して、すっかりわたしは、結城さんのファンになってしまって、
何かの形でこの方が芝居や創作活動を続けていくのに、貢献できたらいいな、
この方は芝居をつづけていくべき(べき、というと断定的で独善的で強い言い方に聞こえて嫌だけれど)人なんだろうな、と思いました。
それくらい、芝居やアフタートークで見えるかわいらしい印象の反面、パワーを持った方でした。
劇場から出た後は、一緒に芝居を見に来てくれた友人と、(二人ともが台本を買って)
近所のカフェでおいしいお茶を飲みながら、作品の感想をじっくり語りました。
正確には、カフェに向かう道中から、電車の中で解散するまで、たぶん2時間くらいほぼずっと、この作品について、考え、話し続けていました。
しかし、そのうちの半分くらいは、建設的な議論なんかではなく、
「めちゃくちゃよかったね」「しんどかったね」「今年イチかもしれない」
「マジで観に来てよかった」「なんでもっと早く出会わなかったんだろう」「もう1回みたい」
「ていうか知り合いの演劇関係者全員見て」「とりあえず帰ったら近所の演劇人にLINEしよ」
あ~~~でも、本当に、今思い出してもよかったな。行けて、観れてよかった。
初めての劇団を見に行くときは、好きになれるかな、ちゃんと楽しめるかな、といつも心配になるのですが、
今回に至っては、友人を誘って予約した自分をめちゃくちゃほめたたえたい、そんなお芝居でした。
ずっと創作で絵を描いてきた。
ある日二次創作を描くようになり、ネットでも二次創作界隈ばかり見るようになり、ずっと二次創作・漫画・アニメ界隈に身を置いている。
とても楽しいけど、オリジナルのモチベーションはどこにいってしまったのだろう?
二次創作をする人は、普段の思想・二次創作のための思想をネットに垂れ流している人が多い。これ自体に触れることがかなりモチベーションになる。
オリジナル絵を描く上で、ネットに書くことといったら技術面ばかりになる。
段々、考えなくなる。
匿名ダイアリーはアウトプットのためにたまに書きにくるが、他の人の投稿が目に入るとげんなりする。
ただの娯楽として見ているつもりでも影響を受ける。
そこまで本気になれない。
仕事は別にあり、それはそれで楽しく、お金も貰えてしまっているから絵や漫画でプロを目指そうとどうしても思えない。
それもまた環境なんだろう。
中途半端だなぁ。
いや、本当にあるのか?
何でオリジナルを描きたいのか、そこもまたブレている。
何かの焦りみたいなものは確実にある。
もう少し精査が必要か…
朝、8時に眠りについたためか、今日は意外にも早く目が覚めた。
今日も、いつも通りにテキトーに仕事をこなし、テキトーに時を過ごすことになるだろう。
リモートで働いているが、仕事の合間には愛らしいペットの犬と戯れる。
しかし、心の奥底には何かが欠けているような気がしている。
そう、趣味が欲しいのだ。
文章を読むなら、なんとなくインターネットで充分だろうと思った。
有料で無価値な本を手に入れるなんて、まるで自分が搾取されているようだ。
ゲームも搾取、本も搾取、SNSも搾取、そして社会は、私に金を使わせようと強引に誘導してくる。
東京の負け犬たちが信じる「楽しむためには金を使わなければならない」という思考に、私も流されるべきだろうか?
いや、まだ諦めるわけにはいかない。
だから「アウトプットを増やそう」などというくだらないことを考えるのをやめ、他者の注目を気にすることなく、自分のためだけに何かを見つけ出すべきなのだ。
ただし、ここには一つ悩みがある。
それは他人と一切関わらずに、孤独を楽しむことができるのかという点だ。
https://anond.hatelabo.jp/20231130130855
こういう記事読んでも
増田が書いてることが正しいとしても世の中の解釈がもう「何秒か我慢」だけなんだよな。ビジネスとして展開しようとした人らのミスだろう
↑
もし、このように明らかに6秒以上時間が経ってもまだ「怒り」を出力しているようでは、アンガーマネジメントには失敗してるのである。
何が失敗しているのか、ちょうどこの前読んだ本、佐藤恵子『職場でできるアンガーマネジメント:パワハラ、メンタル不調、離職を防ぐ!』を参照しながら見ていこう。なお、この方法がどの程度アンガーマネジメントとして一般的かは流派によるかもしれない。あくまで一例として捉えてくれ。
認知行動療法をベースにしたアンガーマネジメントにおいては、ある人の抱える問題を「外部環境(相手)」と、「個人の反応」としての「認知」「感情」「身体」「行動」との計5つに細分化し、その中から「認知」と「行動」を変えることによって怒りをコントロールするものである。
6秒ルールとは、あくまで「行動によるコントロール」のひとつで、わかりやすいから広まってるがコントロールの手法はたくさんある。10秒深呼吸する、怒りの表出に時間をおく、考えるのをやめる、力を抜く、怒りの気持ちを口に出したり書いたりする……など。方法の例はもっと沢山あるから各人いろいろ探してみることをおすすめする。
ここで「コントロール」と表現したのには意味がある。まず、「怒り」という感情は必ずしも否定されるものではない。怒りは人間として自然な感情であり、コミュニケーションの機能を果たし、うまく活用すればモチベーションに転化できる。怒りを原動力に行動する、など。怒りを完全否定することは得策ではない。
……と、ここまで読んで勘のいい方は既に気づいてると思うが、ここでの説明は既に「怒り」に対する「認知」を変えようとしているのである。元増田にある「怒りの裏側にある感情を見つけよう」というのも、「怒りの裏側には別の感情があるのでは?」という「怒りの認知を変えるための考え方」のひとつだ。
「○○ってこういうものだ」という自分の考えを一度留保し、「○○ってこういうものだと考えてるけど、別の捉え方もできるんじゃない?」と別の角度から物事を捉えることが重要なのだ。その際特に重要なのは、「自分の考え方の癖」を知ることだ。
同書の中では、怒りを抱く自分自身の思考に以下のような傾向がないかを振り返ることを提唱している(「認知を変える」ことは求めていない。あくまで「認知する」だけ)。
怒りを感じたときにその状況と、思考の癖を整理することで、自分自身の感情を認知する。これは「アンガーログ」という手法だ。アンカーログを取り、自分の考え方の癖を知ることがまず大事。
その上で、その思考の癖を一旦忘れ、「別の考え方もできないか?」と考える(あくまで「考える」だけで、まだ変えなくていい)。いきなり変えようとすると大変なので、あくまで「怒りの背景にある自分の考え」の「別の可能性」を認知することが大事だ。
さて、大事なのはコミュニケーションである。怒りをコントロールしながらも、相手とのコミュニケーションを止めるわけにはいかない。そんなときどうすればいいか。
同書では「アサーティブコミュニケーション」を提唱している。相手に何か要求するときに、「事実」「事実に対する自分の感情」「要求」「相手からの返答に対するレスポンス(の準備)」の4つを用意しよう……というものだ。
大事なのは「自分の感情」という点だ。別に、感情を抑える必要はない。感情的に伝えるからコミュニケーション不全が発生するのであり、感情を伝えることは悪いことではない。
結局、アンガーマネジメントで問題になるのは「伝え方」の問題なのだ。なかでも「怒り」は自他を害する可能性が高いのだから、「怒り」を避けて行動するに超したことがないのである。
冒頭の例に戻ろう。
増田が書いてることが正しいとしても世の中の解釈がもう「何秒か我慢」だけなんだよな。ビジネスとして展開しようとした人らのミスだろう
ここまで説明してきたことを実践し、コミュニケーションを前提にコメントを返すならこうなるだろう。
こんなところである。
読んでみてどう思っただろうか? 茶番に見えるだろうか? アホらしい? なんかむかつく? 長くて読めない? 反応はあなたに任せる。
個人的な話だが、この増田を書いてる中の人間は、同僚に対する態度がかなり悪いということでつるしあげをくらい謝罪に追い込まれた(被害的思考)。半年前の話だ。
正直無能な同僚(過小評価)が悪いと今も思ってる(「すべき」思考)が、それはそれとしてその場で増田が怒りを見せてしまったことは明確な落ち度なので、試しに本を一冊読んでみたわけだ。
そしたらぼんやりとした「コミュニケーションうまくいかねえな……」が、「自分は仕事とはかくあるべきというハードルが高すぎるんだな……」くらいにまでは、自分と周囲に対するギャップを認識できるようになった。
だからといって怒りが消えるわけでもなく、同僚のことも無能だと今も思ってるが、それはそれとして怒りを表出することはなくなった。
感情を率直に伝えることはやってもいい。ただ、「怒り」のかたちを認識して、それを別のかたちに変えることはできる。
怒りはしばしば自他を傷つけるのだから、わざわざ傷つけなくて済むことがあれば傷つけない方法とったほうが、生き方としては無難だろう。
怒りで生きづらくなってる人がいたら、あなたも良い人生のためにアンガーマネジメントを試してみてはいかがだろうか。
性行為の際に「何したいの?」「どうしたい?」って聞かれるのが詰められてるみたいで苦手。コンサルか?
何かやりたい体位や行為があってしてるわけじゃなく、一緒にくっついてたらその延長でやってると思っているから(今日する?って言質は取るけど)こだわりややる気はない。ルーティンでOK。全然前戯、フェラ、クンニ、正常位、バック、以上OK。
充分楽しいし満たされる。
充分幸せだと思う。
でも、そういう私の主体性の無さが表情や態度やチンチンを握る手に出ていて、相手を不安にさせているのかもしれない。
仕事もそんな感じで、特に出したい哲学も無いし作りたいものがあるわけじゃないのにクリエイティブ寄りの部門ゆえ「自分のやりたいこと」のアウトプットを求められて、苦しみながら空っぽな頭を振り絞る。配属したばっかだけどこの職場長続きしないなと思う。もしかしたら彼とも長続きしないかな。仕事はともかくそれは嫌だから何とかしたいんだけど。
性行為以外なら結構出てくるんだよなー。一緒に行きたいところもやりたい遊びも観たい映画も。
話を戻すと性行為で本当にやりたいことがないので上手い返しが思いつかず、割と真剣に考えてしまう。セックスはナマモノだから我に返りすぎたり笑いに逃げたりして新鮮な空気を害してはいけない。なんで性行為中にこんな緊張感持たなきゃいけないんだ。
回答としては何が正解なんだろう。
多分「本当にやりたいこと」なんかなくても、とりあえずやりたいということにしているものを用意しておくことでクリアできるはずだ。備えが性行為中の私を救う。だから備えねばならない。
問いについては、私への意思確認は大前提として、ごくわずかに言葉責めの意図は感じる。だから「特にないっス」とかマジレスしてはいけない。興醒めだ。なので毎度「うーん、だこちて〜♡」とか言ってやり過ごすんだけど(文字に起こすとキモすぎる。)、絶対に何か的を外している気がする。
みなさんはどうしていますか?