はてなキーワード: アウトプットとは
絵描かなくても小説とか書きなよ。増田に日記書けるんだから文章を書く能力はあるんだし。小説書くのが嫌なら質のいい本誌の感想とか原作の考察とか推しCPの萌え語りとかでもいい。ROMから脱してれば少なくとも完全な無産ではないし、それすらアウトプットする気がないんならリアルの友人に付き合ってもらうしかないんじゃない
商業イラストレーターとも一緒に働くことがある環境だけど、やはり彼らはアーティストではなく社会人であり、デザイナーに近い性質を持っている。納期の中で目的を達成するための最適なクリエイティブを、人とのコミュニケーションをしながら生み出すことができる。そうした人たちとして働くには、個人的にはアウトプットの速度と、一定程度の柔軟性(自分のスタイルを保ちつつも状況に応じて妥協点を探れる性質)が必要に思える。そして、それを高めるには増田も認識している通り、社会人経験が有効なようだ。
一方で、クリエイティブ職を目指して挫折した経験があるので、彼女の気持ちもよくわかる、ように思える。(増田の文章から想像される、自分の中の彼女像に対してだが。)
何者かになりたい、それを証明できるのは自分が作り出すものだけだ、という断定と焦り。自分の作ったものでお金を稼ぐことができたという喜び。自分の作ったものが誰かに認められ、褒められたときの全能感。これらを一度味わってしまうと、それを手放すことはとても困難だ。
結論、増田の考えの方向性にとても近い。クリエイティブに近い職場で、直接手を動かさなくてもディレクション等で力を発揮する環境を手に入れる。もしくは、クリエイティブに全く関わらない仕事に就いて、趣味や副業として作ることを続ける。
増田は彼女の後見人ではない。最後まで面倒をみる責任は、恐らくない。(どういうバックストーリーがあるかは分からないので、「おそらく」とする。)究極的には他人であるので、増田の考えを強要することもできない、と増田は知っている。彼女が夢を追い続け、増田がそれを許容できない場合、別れるタイミングが来たのかもしれない。
ふと思ったんだけど、
スマホやタブレットやパソコンなんかいろいろな物がさ便利になってるんだけど、
私たちは変わらずポンコツのままなのかしら?と不安になると木があるんだけど
そのー木なんの木~気になる木~って
本来ならアウトプットをばんばんすべく私たちがぽんこつのままではいいのかしら?と言うことなの。
そう言うことを考えると意識が高すぎるのかしら?と思って止まないけど、
じゃ私たちはどう暮らしていくのが上質な生活なのかしら?とも思うし、
考えれば考えるほど、
噛めば噛むほど味が出るスルメのように
そうやってスルメを食べながら噛みながら味わっていると
でもたいていの多くの人はコンテンツを凄い勢いで消費する
積んで積んで積みまくっているのよ。
そんでね、
お鍋と食器とかがあって、
私はお鍋だけ洗えば、
5分で済んじゃうのよ。
ただただ人が怠けるためのテクノロジーの発達なのかしら?と思いつつも
これはこれでいっかーって
こうやって時間を攻めていって
可処分時間をどんどん作っていけば、
もしかして私の睡眠時間も増やせるんじゃないかしら?とも思うのよ。
延々とスーパーマリオをやんなくても、
これはこれで私にとって質の上がることでもあるし。
私の知らない間に
消費しきれない莫大なコンテンツが生み続けられているって
そうね知能の高い超高い地球外生物が地球の横を通りすがるときに、
あの星は人口に対して消費するコンテンツの量が不自然に膨大な量で不可思議だ!って
今見たり聴いたりしているチャンネルとは別の
世界線があるわけじゃない。
私思ったのよ。
その仮想現実の裏では自転車を延々とこぎ続けて電力を生み続けている、
あの中世奴隷の図でお馴染みの何か臼のような物をぐるぐる回す版でもあるかのように、
ずっとずっと自転車をこぎ続けるという未来しかないのかしら?ってまた不安になるわ。
結論として
コンテンツに溢れた世界の末は自転車をこぎ続けそれで貯めた電気の蓄電池が通貨となる世界しかないのね。
うふふ。
なんだか食べない方が頭の回転が速いような気がする気もしないけど
最近フィッシュフライサンドにありつける率が多くなってきたので嬉しいです。
美味しいから嬉しいわ。
粉末の生姜湯を1箱いただいてもらったので、
ぽかぽかと温まるわね。
また寒くなってきたので、
こういう時は
最強に温まれるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
タイトル通りで俺はこのコロナウイルスにハッキリ言って感謝している。
チー牛顔の彼女いない歴=年齢33歳、軽度で発達障害入ってしまってる年収900万のweb系エンジニアという、年収以外では正直IT業界の中でも下位の負け組、恋愛市場的には石の下のダンゴムシやナメクジレベルであるこの俺が
このコロナが流行って一年足らずに、セフレ合わせて10人近くとの女からかしずかれるハーレム状態に成功したのだから
ぶっちゃけ世間ではコロナ不況で半端ない失業者とか社会恐慌が出て、戦々恐々で出勤を繰り返しているのだろうけど、テレワーク主体のITエンジニアからすれば全く関係がないので寧ろ電車を乗り継ぐたびに
不況で仕事なくなったり生活不安になってギスギスして電車とか町中で暴れてるのを見かける基地外ジジイや叫ぶクソフェミくさそうな基地外ヒス女、負け組半グレや底辺DQNどものやけっぱちにビクビクしながら出社しなくてよくて
紅茶片手に優雅に自室でテレワークできるようになったので、世間的にはどんな大変なのかマジ他人事、寧ろ負け組どもが醜く争い合っているのを天上から眺める優越感に浸れて「ああ今俺は勝ってるんだな」って気分に浸れて気持ちがいいのが本音
きっかけは岡村発言問題のニュースを見ていて、これなら今の俺でもイケるんじゃないか?って思って勇気を出してナンパというか女漁り初めてみたら、魚心ありまくりで釣れるわ釣れる、芸能だの風俗だの飲食だの観光だので食えなくなった、若くてピチピチの20代前半の上玉が、コロナクライシス前なら相手にされないどころか遠目にキモッ!キモッ!KKO!とか言われてからかわれることは間違いないレベルの女どもが
食うに困って生活不安を覚えるほど金がないからなのか、収入だけ見てラブコメアニメ並みに俺に媚び媚びで媚びてくる。
あまりの拍子抜けっぷりに、俺も最初は「これは食うに困って基地外と化した半グレや考えなしの底辺DQNが美人局を仕掛けているのではないか?後ろに隠れているんじゃないか?」とビクビクしていたが、どうやらそんなことは本当になく、もう俺の言うことなんだって聞いてくれるっつーの?家事力あるところアピールしようと飯の世話までやってくれてマジで恋愛市場の強者に上り詰めたんだなと思うようになった。
使〇済みゴ〇を新聞紙で包んでゴミ袋に入れるなんて、恋愛強者の勝ち組だけがするべき所作をする日が来るとは夢にも思わなかったわw
それにしたって、脱童貞してヤりまくってからと思うもの、幾らコロナ不況だからと言って冷静に考えたら遊ばれてんの一発でわかるし、都合のいい女ポジなんて危険なことこの上ないのに、そんなこと考える余裕さえなく、マジ都合のいい女に自らなりに来てくれるとか、笑えて来る滑稽さと同時に、「ああ、こいつら今まで努力とかしなかったから、ここまで尊厳捨ててでも普段なら見下すような相手に媚びなきゃいけないんだな」と憐れに思うと同時に、それ以前ならきっと罵詈雑言でキモがられたんだろうなと思うと、頭がカーッとなって胃袋がキューッとなってアウトプットのパフォーマンス落ちてくるときあるから、アンガーマネジメントの練習がてらに、たまに意味もなく理不尽な理由つけてキレたりして遊んでるww
リゼロのレムみたいな彼女が、理解できずに顔面蒼白でボロボロ泣きながらごめんなさい連呼して泣きじゃくり、何とか機嫌を直してもらおうとさらに怯え切った座敷犬の様に媚びてくる様は、内心笑い転げるほどおもしれぇw
そのあとベッドでヒィヒィ泣かせてやるんだけどなwww
他人の尊厳まで踏みにじる快感っつーの?上級国民はこんなのおもしれぇことできるならそらマジでハマっちゃうわって思う訳
ホントに重ね重ねいうけど、コロナウイルスさんにはマジ感謝しかねえっす、マジリスペクトしか感じてない
俺がICTで世界を変えるなんて、新卒や大学の頃言ってたら、憐れな目で意識高い系だのなんだのと見ていたアフターコロナワールド弱者見てるか~?
まぁなんつーの?ITで世界は変わったよ、前なら発達障害ってだけで忌避されてたのに、今なら俺様の優秀な遺伝子でハーレム築いてオレ氏族とか作れそうなくらい俺を無敵にしてくれたコロナウイルスに、重ね重ねサンキューフォーエヴァーっすわ
何かタイツがどうのこうので炎上してっけど、暇そうで羨ましいっすわw
アホなフェミどものあさましい争いを肴にワイン飲んでセフレにタイツ履かせて破いて後ろからガンガン突くプレイ用に使い捨て買っちゃうべw
結婚活動?という類の話。
夫婦って言っても今はもっとオープンに多様性が認められていていると思っていて
一概に「夫婦」っていっても、
性別が同じかもしれないし別かもしれないし
夫婦になる、つまり書面上の契約をして戸籍を新たに作り人生のパートナーとして社会的に承認されることだけをゴールとして考えすぎな人が多い気がする。
決して批判をしているわけでもない、ただなんか血眼になって
自分の理想が違うからって価値観が合わなかった人をこきおろすのは違うんじゃないかな〜といった意見。
これは出産して子供が欲しいって言っている人もそう感じてしまう。
だから価値観の相違やマッチングしなかった相手をボコボコにするのかなと思ったりしている。
もしかしたら結婚した後、出産した後、のビジョンが明確になっているかもしれないけれど、
単純に心が痛いよね。
理想や目標が違うために、私は口論戦争をしているようにしか見えなくて
たまに見るコラム的なものも火に油注いでいるような記事ばかりだから、私個人の思いの丈をしたためてみました。
誰が奢るとか奢らないとか、大衆的な意見としてじゃなくて自分個人の価値観、要望として相手に話せばいいと思う。
大衆的な意見にするから炎上したり終わらないレスバトルで定期的に上がるんだろうな。と。
そりゃ私も常に奢られたい派ですけれども。
私の感想としては結婚は、結婚したからなんか特別何かあったわけじゃなかった。
本当にお互いの今後生きていくための手段としてでもあり、恋愛でもあり、家族になりたいって愛情もあり気持ちもあり、趣味の共有もあり、全てにおいて結婚することで解決するじゃんってなって結婚した。気がする。
だからなんというか今婚活で婚活市場で消費されて疲れている人がいたら
ふと方に力を抜いて、自分の成りたい作りたい家族を明確化してみたら、それをアウトプットしたら変わるかもしれないし
そして新しい知見として別の人の理想の家族も聞いてみてアップデートしていけばなにかまた新しい発見が見つかるのかな。
と思った次第です。
これは完全興味です。どんな家族にしたくてどんなことを今頑張っているんだろうって。
正直私はもうゴールしています。
人生における理解者及びパートナーがいる環境で自分の生活水準に達していればゴールなので。
前述で申していた通りの結婚が人生のゴールタイプかもしれません。
ただ残りの70年くらい?は新しいことにもチャレンジしたいので新しい意見や目標に触れてみたかったのがこのhatenaを書いた真の目的です。
今回の昇給・昇格に関わる評価について、いろいろと思うことがあったから吐き出させてほしい。
増田は2019年度の昇給・昇格審査結果のフィードバック時に「来年は昇格推薦をするつもりだから頑張ってくれ」と上司から言われた。
2020年は新型コロナの流行もあって、在宅勤務になったり働き方は変わったけれど、業務への貢献は出勤していたときと変わらないと思う。
締め切りは守っていたし、チームリーダーが変わってレビューも丁寧になったからアウトプットの質が落ちたこともないはずだ。
フィードバック時に「問題提起はできるけど、解決の提案もしてほしい」って言われたから、在宅勤務でのコミュニケーション改善案とか、ツール運用の改善案をチームで話し合って上司に提案した。
そろそろ高齢出産になることを意識し始める年齢だったから、自然に授かればくらいの気持ちで妊活はしていたけれど、思っていたより早くて、正直どうしようって思った。
2021年6月には産休に入るから、昇格推薦もらえないんじゃないかって思った。
安定期に入る前に上司に報告。
来年度の業務予定立てる時期だったから、人員調整とか、もし体にトラブルがあれば急遽入院になるかもしれないし。
体調と相談しながらだけど、産休までは業務軽減も残業免除もなく働くつもりと伝えた。
妊娠が分かってから2か月半、つわりでの突発休が1日、検診での予定休が2日。あとはフレックスで対応した。
在宅勤務だったから、つわりが治まるまでは家でエチケット袋片手に作業した。
業務も軽減されてないし、残業も他のメンバーと同じだけしたし、体調不良で1週間くらい抜けても迷惑かけないようにスケジュール前倒しで仕事を進めた。
スケジュールは、2月半ばで2週間前倒ししている。
結果、昇格推薦はもらえなかった。
私より評判が悪い同期は昇格推薦があったという話を聞いて、やっぱり妊娠したのがネックだったのかと思った。
同じチームのリーダーも昇格推薦もらえてなかった。
とりあえず、チームのメンバーも、上司より上の人も、チームリーダーは昇格できる能力はあるという認識だった。
わたしたちは、部下への評価が厳しい上司に当たってしまっただけだった。
今の上司では頑張っても評価につながらないね、と、昇格会議に出ていた他のプロジェクトの上司から言われた。
今のプロジェクトは来年度下半期から縮小されるので、幸いなことに産休、育休明けに増田の席はないだろう。
チームリーダーは来年9月の減員時にプロジェクトを抜けるという噂だ。
次の上司は部下に厳しくないことを祈る。
プロジェクトに残されるNくんには頑張ってほしい。
おそらく増田がそう感じているのは、向き合っているものが違うからだ。
仕事でデザイナーと接することが多いので何となく似た感覚は理解できるが、たとえばデザイナーは目の前の広告バナーでなにかを売る、訴求するための視覚的な表現をする、というビジネス側に寄り添った思考と、同時に本質的な美しさのようなものを追求するアート志向を持っているように思える。
優れた専門職は、ビジネス思考とそうした本質的な嗜好性を両立させる。
エンジニアが本質的に持っているのは、課題を解決する最短距離を探すような合理性だろうか。それとも解決策としてのコードの美しさを追求する求道心だろうか。
増田が優れたビジネスマンであるとき、ビジネス寄りの視点を専門職と共有しながら、専門職の人が本来的に持つ追求の方向性を汲み取ることで、より質の高いアウトプットが生まれるように思える。
この仕事の目的は何でそのためにこれは必要か必要じゃないかが議論されないんだよね。そして大して必要じゃない事に膨大なエネルギーが費やされる。
決められたルールで求められるアウトプットを提供する事が重要。そのアウトプットが何をもたらすのかは関係ないし無駄な仕事を断る権限もない。
増田でもTwitterでも5ちゃんでもなんでもいいが、不特定多数の人間が議論する時に問題になるのって共通知識の無さなんだよ
レスバトルの中で、
A:〇〇は〜ですよ?知らないんですか?増田学入門にも書いてありますけど?不勉強ですね
A:それについてはry
と片方から知識がアウトプットされてくることはあっても、その知識はせいぜいBにしか共有されないんだよね。
C:〇〇は××だ!
と言い出したときには、AもBもいない。
Twitterのリプは辿りにくいし、5ちゃんはテキストが膨大すぎる上に過去ログに格納されるし、増田はもう言うまでもなく過去は過去へと流れてって見失われる仕組みだから「ログ読め」じゃ通じない。
ネット上には議長はいないから、論点もどんどんとっ散らかってズレて行くし不毛としか言いようもない。
wikiみたいな形式で「読みやすいログ」を蓄積できるシステムがありゃもう少しマシになるんじゃないかと思う。論点については、スレッドごとに絞ればズレにくくなるだろう。過去に一度あった発言は同じものとして識別できりゃあ、堂々巡りも車輪の発明も「堂々巡りになってるな」と気づけはすると思うんだよな。
議論の中で引用された文献とか、URLとかも一覧表示できれば、「インターネットの見ず知らずの人間と知識を共有する」が簡単になる。
反論と反論の場だけじゃなくて、増田の長文みたいなある程度まとまった考えを披露する場も必要だろう。それに対するツッコミも、「この文章のここの箇所の論拠は?」とワードのコメント形式で出来ると深めていきやすそうだなとか。
まあともかく議論の場がちゃんとあればネットの議論もマシになるんじゃないかと常々妄想しているわけだ。そしてその場には
・論点を明確にできるなんらかの仕組み
・主張を長文で発表する場がある
のような条件があればいいんじゃないかとか考えてる。
まあネット上の議論にそこまで求めるのが間違いなのかもしれないが、はてなでもTwitterでもWikipedia編集欄でも5ちゃんでもブログでも……日々これだけの人間が議論しているのにほとんど不毛に終わっていてログも有用な形では残らないのは残念すぎる。風が吹いてるのに風力発電しないみたいなものだ。
科学者なんてのも昔は訳の分からないことしてる無駄な人々だったのが、本や論文という形で世にアウトプットする仕組みだとか、学校やカリキュラムというインプットの仕組みだとか、そういうものがきちんと整備されることで、知識が体系化され有用なものになっていったわけで
ネットのこの不毛な議論も場さえ用意されれば何か形にはなるんじゃなかろうかと思うんだ。
「(ネット上の)テキストでの議論補助ツール」という妄想を長らくしてたわけだが、今回のコロナ禍でリモートワークも増え、「テキストでの議論」に需要は増したんじゃないかとか思ってちょっと嬉しい。ブレーンストーミングなんかは、発話形式の方がいいかもしれないが、いつでも自由にアクセスできて、ゆっくり考え直せるテキスト形式の方が本来議論には向いてると思うんだよなあ。
会議の長さとか生産性の無さとかは以前から問題になってきてるし、「テキスト形式の議論」がもっといい感じに盛り上がって欲しいわ。
https://anond.hatelabo.jp/20210207093448
あれあれ?全然有益な情報が集まってないの?こういう感じの人いっぱいいると思ったけど、あんまいないかぁ。
俺の名は通りすがりのサブカル系ライター。ライター歴15年ぐらいかな。俺も大学ダラダラ留年して、いつの間にかなった感じ。
さて、まず一つ言えるアドバイスなんだけど、何か賞が必要だよ。新人賞の類い。小説新人賞、まぁラノベでもなんでもいいし。そういうのが必要。
それがなければ、師匠が必要だな。ちょっと前は東浩紀とかがそういうのを引き受けてたんだけど、今はやってないだろうね。
まず賞を取れ。さもなくば師匠を見つけろ。
こんな増田で正社員のクチがあるんなら、俺がご相伴にあずかりたいよ。
こっからは所感なんだけどさ。
増田の書いた記事から見て取れるのは「ヤバさ」がないってことだな。
勉強したことをわかりやすく書く所まではできてる。だからクラウドワークスで粘って1文字1円のバイトぐらいは今でもできるな。
「学ぶ」ってさ、究極的に言えば誰でもできるじゃん。教科書にあることを暗記してさ。それをわかりやすく書き下すというのは、まぁ誰でもできるよ。
けどさ、「学べるもの」っていうのは需要がないわけよ。教科書があるから。
「社会学」をそのまんま「社会学」としてアウトプットしたって、これは価値があんまりないんだよ。
手っ取り早く付加価値をつけるなら、そう、賞か師匠の推薦、というわけなんだけどさ。
増田の良くない所は、「わかりやすく書く」ぐらいしか付加価値をつけられてない所だ。
そうじゃなくて、「この人は異常に知識量が豊富だ」とかさ、「この人の経験してきたものは異常だ」とかさ、
そういうのが必要なんだよな。
そういう人が消化したものっていうのは、すっごい価値があるんだ。
同じウンコでもさ、寿司食った人のウンコと、純金500g食った人のウンコ、どっちがありがたい?
後者に決まってるよな。
でも食ってくとなるとまた別の話だ。
採用側が「これはコイツにしか書けん!」と惚れ込むレベルにまで行かないと、採用にはなんないんだ。
増田のポートフォリオを見る限り、増田にしか書けないなと確信できるものは、一本もなかった。
将棋も音楽も社会学も、みーんな既に「誰かに取られちまった」世界だ。
上司に「こういうテーマで書きたまえ」と言われて書かされるもんじゃないんだよ。
いろんな企画がテーブルの上に並べられて、「よし、採用!」「ボツ!」っていう風に決まるわけ。
増田がいくら将棋の話をしようとしても、じゃあもっと将棋に詳しくて実績のあるライターを使おう、ってなるでしょ。
そこで東大工学部の教授で将棋に詳しいA先生みたいなのが出てきたら勝負になんないじゃん。
マスコミ就職読本とか読んだことあるか?文章とか編集の世界の就職ってそんな感じ。チョー厳しい。どんなに好況でも、絶対に若干名だからな。場末のフリー編集でも難しい。
いや、フリー編集って名乗るぐらいはできるから、別に名乗ったっていいんだけど、金にならんしな。
正社員編集っていうのはフツーにエリートだと思ってくれ。担当がエロマンガ雑誌でも。旧帝を4年で卒業したエリート様のなるやつだ。
ライターの正社員というのも、まぁ無いに等しいものと思ってくれ。
限りなく一発芸大会に近いライターの世界では、「何か増田にしかできないもの」がないと生きていけん。
でもさ! でもさ! 世の中には大した文章も書けないのにちゃんとライターしてる人がいっぱいいる……って思うだろ?
そういう人には学歴があるんだよ。
だからさ、とりあえずさ、賞を目指すか師匠をなんとかして探しな。
行けてたら大学院行ってるだろうし、そういうところなんだよな。
自分は10代で統合失調症をやらかしている。妄想はあまりないタイプだったがひどくつらい精神状態で、思考力は急激に低下、生活がままならなくなったので薬で治療していた。
発症してからというもの、自分の能力が全然別物になったとひどく実感した。身バレを避けたいから何をやっていたかは伏せるが、物事のアウトプットがまったく違う性質になって非情に苦しい思いをした。その時の夢は諦めた。
ある時から、とても合う薬を処方されはじめた。思考がとても鋭くなるのを感じた。頭の中で思考のパズルを組み立てる感覚がとても楽しくなった。
仕事では頭がいいから頼れる、みたいなことを言われるようになった。
しかし、突然服薬時に心臓がバクバクするようになって、その薬の処方はなくなり別の薬に変わった。
そうしたら急に頭が悪くなった。思考が低空を飛行するようになった。脳内の空間が一階層になった。
周りは変化に気づかなかったが、自分の中ではその状態を受け入れられなかった。
それから長い月日が経ち、いまはそこそこ幸せに仕事をしている。低空飛行の自分でうまく生きれるようになった。
ただ、周りに物事を深く考える人、ロジックの鋭い人がいるとコンプレックスがうずいてしまう。
あの薬をもう一度処方してもらえれば、また思考が鋭くなるのではないか…
だがこれはやばい薬をキメている人の発想に近似している。
今の自分だって、低空飛行とはいえ、薬に生かされている思考なのだ。もしかしたら、薬でブーストされた上で低空飛行なのかもしれない。
近年のECサイトや検索エンジンなどで、「この商品おすすめ」とか、「この動画おすすめ」みたいな表示をしてくれることは珍しくなくなった。
この機能は一見便利に見えるが、少し立ち止まって考えると、かなり危険な機能に思えて仕方ない。端的に言うと、この機能は思想の極端な二極化を招いているのではないか。(トランプvsバイデン、右翼vs左翼、などなど)
人の思想は、インプットされる情報に左右される。同じ傾向の情報インプットが続けば、その思想が強化される。バイアスのかかったインプットではバイアスのかかったアウトプットしか出せないと言うのは何も機械学習だけの問題ではなく人間も同じなのだ。
そして、その傾向はレコメンデーションによって強化されていく。ある動画を見ると、それに近しい動画がレコメンデーションされることになり、結果としてインプットのバイアスが強まり続けることとなる。
IT技術は重要だし必要不可欠といっても過言ではないが、そこから生まれる二極化、断絶というものがあるのだとすると、それに対する打ち手はないのだろうか。
局所最適を回避するために、機械学習であれば確率的勾配急下などランダムネスを利用するところだが、人間がそれをやるのは難しい。何かいい方法はないものだろうか。
流行ってるからという理由だけではとても手を出せなかったが、少し気になっている子と一緒に映画館へ行けるかもしれないという不純な理由によって俺は鬼滅に手を出した。
2週間くらいかけてTV放映版をアマプラでてきとーに見て、ふーんと思った。面白いけど魂持ってかれるくらいの情熱は感じなかったし、もういい年した大人になってしまったので子供がひたすら可哀想な目に遭いつづけるというのはちょっとしんどかったのだ。それはそれとして炭治郎少年は近年稀に見る立派な主人公ではないか。色々あって気になる子と一緒に行く計画は潰えたが俺はそれでも一人で鬼滅の映画を見に行くことにした。
結果、魂持ってかれた。泣きすぎて俺はエンドロールで歯を食いしばり拳を全力で握りしめなくてはならなかった。でも映画館にいたみんなが恐らくそういう顔をしていたのではないだろうか。暗闇に隠れてみんなが泣いて心を奪われていた。恐ろしい光景じゃないだろうか。日本全国で、いや世界のどこかしらで、この映画が公開されてからかなりの量の人間が…しかも結構いい大人が号泣してきたのだ。怖。
とにかく俺は…。俺は…。言わずもがなだと思うが煉獄さんのあまりの志の崇高さに胸を打たれて泣いていたのである。
まずこの人は登場シーンからすごい。お弁当をうまい!うまい!と言いながら食べる。普通あんなに食べたらうまいと口にするほどの新鮮な感動なんかなくなってしまうはずだ。それでも毎回一口食べるごとにうまい!とのたまい、とんでもない量の食事をきれいに食べきってしまう圧倒的な健全さに俺はまず驚いた。すごい人だ!弁当を作った人がいたら泣くと思う。俺は昔親含め家族全員の弁当を用意していたことがあったが、ここまで喜んでもらったことは当然ない。別に煉獄さんは弁当を作った人のためにうまい!と言ってるわけではないだろう。それでも毎回感じた感動をアウトプットしてくれる人が一体どれだけいるんだろうか。弁当作りについてもそうだが、仕事でも学校でもそうだった。
もちろん煉獄さんは非実在の人物だ。ただの絵と文字でできている。本物の人間がこの人のようになるには恐ろしい努力と恐ろしい無理を重ねなければならない。
そんなことはわかっているのだが、煉獄さんはそういう建前を全部ぶっこわしてしまうくらいもっともっと素晴らしかった。
終盤に突然上弦の鬼とかいうのが襲来する。映画館で俺は震え上がった。ずっと仄かに感じてきた煉獄さんの死の匂いがここで耐え切れないほど強くなったからだ。
こんなに素晴らしい人が長生きするわけないじゃないかよぉ〜!!と発狂しそうになった。
心を燃やせとかいう煉獄さんの名台詞は俺もなんとなく聞いたことがある。燃やしたものは灰になる。強く燃えれば燃えるほど早く尽きるだろう。煉獄さんの炎は力強く消えることがないように思えるが、そもそもこんな役に立ちそうな人が最後まで残っていたら絶対展開が難しくなる気がする。俺が作者なら早めに感動的に退場してもらい、後々主人公の成長に影響を与える存在になってもらうだろう。
みたいなメタなことを考えながら震え上がっていると煉獄さんは鬼の誘いを断った。
お前も鬼になれ。鬼になればもっと強くなれる、怪我も治るし老化もしないし長生きするし更に強くなれる見込みありありだぞ。という感じの話を何回されてもきっぱり断った。
「断る!」
「君と俺では価値観が違う!」
みたいなことをひたすら言い続けた。
俺はその後に来るであろうお決まりの台詞がないことに違和感を覚えたが、
結局そのお決まりの台詞を煉獄さんは退場するまで一度たりとも発さなかったのだ。
何かというと、卑劣な誘いに対して「そんなことをするくらいなら死んだほうがマシだ」みたいなあれだ。バトルものなら絶対誰かが一回くらいは言うあれ。これを口にすることにより、敵の誘いに対する絶対的な拒否、拒否のレベルの高さ、正義のために自分の命すら捨てることを厭わない高潔さ、また死を選ぶほどの勇気など色々なことが表現できるので、主人公とかがよく口にする。侍の時代から潔く死ぬことは美しいことだ。その価値観は今の今までなんとなく続いているが、煉獄さんという誇り高い剣士は今こそそれを口にするべきタイミングで愚直とも言えるほど真っ直ぐなお断りをするだけなのだ。時代的にもまったくおかしくない上、たぶんジャンプ誌上ではあらゆるタイミングで「死んだ方がマシ」と死を恐れぬ猛者どもが口にしてきたはずなのに。
煉獄さんは命を大切にする人なのだ。というか、命を無駄にしない決意を持った人なのだろう。俺がそう決定的に思ったのは煉獄さん自身の吠えるような強い台詞によってだ。
「俺は俺の任務をちゃんとやりぬくぞ!(意訳、泣きすぎてあんま覚えてない)」
「ここにいる者は誰も死なせない!!」
「若い芽は摘ませない!」
煉獄さんは死んだ方がマシなんて絶対に言わなかった。炭治郎が言ったように、ここで煉獄さんが倒れると他の全員が死んでしまうかもしれないのだ。煉獄さんは生きている間、ベクトルが常に他人に向いている。炎柱になったことを父褒めてもらえなくとも、その辛さより弟への気遣いを優先した。人のためになるべく生きてきた人だ。死ぬほど苦しくても怖かったとしても少しでも長く生きなくてはならない。人よりも力ある人間は人を助けなくては。みんなのための命だから、粗末にしてはならないということなのか。そんな自己犠牲は狂気ではないか。煉獄さんの考え方はやばい、それは俺にもわかる。しかしこれを美しいと感じてしまう俺自身のやばさも分かる。怖い。煉獄さん怖い。立派すぎて怖い。でも立派な人だ…。
結局、やり抜けない人が自己犠牲に走るのは危ういということなのか。俺にはできない。仕事でも自分の親の世話でも滅私奉公をやり抜くのは不可能だった。多分俺には人より力がないからだ。でも煉獄さんにはできた。それだけ人を助ける力を維持し続けたから誰も不幸にせずにやり抜けたのだ。
朝日と共に映画は終わり、烏が煉獄さんの死を告げた。その後のエンドロールですら俺は目茶苦茶泣いた。煉獄さんの死を烏が告げ回った後に、その烏を腕に止める煉獄さんの絵を見せるなよ。煉獄さん自身もこうして訃報を受け取っていたのかなとか思ってしまうだろうが。煉獄さんはいつも表情が変わらないからこのタイミングでその絵を見せられると変な勘ぐりをしてしまう。
そもそも映画でこの話をやるなよと思った。たとえらこの後泣いた顔で映画館を出る勇気は俺にはない。だからしばらくトイレに篭ったりした。
煉獄さんが口にした命の美しさとは、不可逆的に前に進み続けることだ。常に進み続ける。どんなに辛いことがあっても。漫画やアニメやDVDではともかく、映画館で観る映画は俺の力では止められないし変えられない。もう少しこの素晴らしい映画を見続けていたい、煉獄さんがいる時間の中にまだ居続けたいと思ったところで1分たりとも時は戻らず進み続けるだけなのだ。そんな構造で煉獄さんの物語を見せようとした嫌らしさと巧妙さがしんどい。いや、素直に言うとすごいと思います。
多分、映画を見にきた人々は炭治郎たちと一緒に無限列車に乗せられてしまうのだと思う。共に切符を買い、係員に鋏を入れてもらい、わくわくしながら決められた席に座る。この装置が自分をどこに連れて行ってくれるのか胸を高鳴らせながら。きっと素晴らしい旅になると夜汽車の窓を(俺たちは暗闇に浮かぶスクリーンを)ただ見つめる。彼らがお弁当を食べるようにたまにはジュースを飲んだりポップコーンを食べる。これは楽しい旅だから。
無限列車を作り出した鬼は炭治郎ではなく、自分自身でもなく、スクリーンに向かってこう言うのだ。
「人間の幸せな夢を見たいって言う欲望は本当に強いものなんだからね」
みたいなことを。
楽しい夢を見にきた俺たちは地獄を見せつけられる。多分漫画で予習してきた層にとってもそのはずだ。心躍る旅だと思ったのに、恐ろしいクオリティで畳みかけられる情感と精緻な臨場感で一刻一刻がつらくなる。どちらが素晴らしいと言う話ではなく、漫画の中の煉獄さんの存在感と、この映画の中の煉獄さんの存在感はまた別物だ。どんなに漫画を読んでいても映画を初めて観る人は映画の中の煉獄さんには初めて会うはずなのだ。映画の煉獄さんはすばらしい。絶対に予想を裏切ってくるほどすばらしい(重ねて言いたいのだが決して漫画より優れていると言う意味ではない。自分の頭の中にあった程度の予想など軽く振り切ってしまうほどの出来というほどの意味だ)。映画の煉獄さんは俺たちが頭の中に描いていた予想よりずっと優しく、強く、魅力的だ。だからこそこの人をずっと見ていたいと強く願わされ、その願いを留めておく方法がないことに涙する。映画は止まらない。走り出した汽車も止まらない。列車は時と同じく常に走り去りゆくものだ。また同じ場所を走る時にはまったく違う乗客で満たされているだろう。
不可逆的に前に進み続けること。残されたものは生きていくしかない。それを突きつけられた炭治郎たちの夜は明け、俺たちのスクリーンの夜すらも空けてしまい、俺たちは煉獄さんのいない平凡で平穏な日常に取り残される。それでも進まなくてはならない。だから俺はアホみたいに泣いた顔をマスクで隠してちゃんと歩いた。煉獄さんのいない日常を生きなくてはならない。
でもエンドロールの最後の最後で煉獄さんの折れた刀を見せつけてきたのは誰なのかマジで知りたい。お前のせいで俺はあの瞬間更に涙が決壊した。お前だけはマジで許さん。
世の中色んな話があり、世の中の人々は聞きかじった情報だけで安易に善悪を判断して、叩いたり、持ち上げたりする。
その渦中にいる人たちや、専門的な知識を持っている人たちは「あーあ、アイツラリテラシーねーな、きちんと勉強してりゃそんな的はずれな批判起こらないのにねー」とか言うのだが、全く持って同意できない。
新聞に書かれたこと、ツイッターで流れてくること、なんか声のでかいやつが言っていること、を「ひとまず無批判に受け入れて脊髄反射的に物を言う」というのは一つの権利だ。「なんか燃え上がってるけど原典読んだの?」とか言われて、「確かにそういうの良くないなあ」と思って本屋で原典を探すと、もう英語ですら無い言語で書かれた何百ページとかのほんと呼ぶにはあまりにも厚く、重く、それは一つのドンキのようであった、と言いたくなるくらいの重石が見つかってきて、なにそんな野無理ゲーだろとなる。
よく考えてほしいんだが、リテラシーがないのは、アウトプットする側で、人類は人類が考えるより遥かに安易に判断して、遥かに雰囲気で誰かを殺す。
であるがゆえにアウトプットする側には「読んだものを脊髄反射で判断していい」くらいのものにする責任がある。
一方で、読みては「アイツラオレらのこと釣るためならどんなデタラメでも書いてくる」くらいのリテラシーは持っておいたほうが良い。それ以上のリテラシーを持つ必要はない。
26年もプログラマーやって納品したソースコードは会社のモンなんてITパスポートでも出てくるような知識さえ知らずにGithubにソースコード上げた知恵遅れ同然の年収300万のオッサンエンジニアがニュースで報道されるくらいの炎上してたが
アイツのヒとかブログ見てたら、大体ここでタムロしてるITエンジニアの増田やTwitterとかの意識高いweb系界隈の自己顕示欲と承認欲求の塊みたいな気持ち悪いプログラマーたちの目指してる思想や主張って全く一緒なんだよな
「(本人たちは一切気が付いていない自分自身の性格や能力のヤバさを棚に上げて)オレには才能と実力があるのに糞な日本IT業界が不当に抑圧してる!(外資にいくだけの頭も度胸もないが)海外でなら成功できる(に違いないと思い込んでいるだけ)」
「そもそも中抜きガー!年収300万しかもらえないのは竹中のせいだー小泉のせいだー!」(←冷静に考えたら精神遅滞を疑われるような頭と言動の奴に年収300万もの禄を食んでくれるIT業界の慈善事業っぷりに涙が出ると思わないか?)
ようは、自分が愚図で無能で怠惰でコミュ障なだけなのを棚に上げて、社会のせいだIT業界のせいだって言ってるだけで、俺に相応しい境遇にすれば活躍できるに違いない!っていう妄想よ
俺断言してもいいけど、仮にここでアホなこと喚いてる現状に不満アリアリのエンジニアの増田男女問わずを無作為に抽出して、年俸3億円くらいと、自由裁量権と、あらゆるIT関係の知識や技術にアクセスできるコネをサポートして、そういう知恵遅れみたいなオタクが好きそうな二次元美少女とか、二次元イケメン級の美少女やイケメンを秘書に12人くらい付けて、GAFAに放り込んで成果物100倍くらいアウトプットしろって言っても、絶対にそれに見合った成果なんか出せないと思うし、そもそもいつでも手が届く特権やサポートをしたところで、ロクに勉強もしないだろうし、そもそも絶対仕事さえしなくなるだろ、せいぜい美少女秘書に毎日変態プレイを求めるだけくらいだろうと、イケメン秘書侍らせてお姫様ごっこするだけだろうと
だって、「本人は社会や周りの不当だと思い込んでるだけの性格の腐った無能エンジニア」に、本人の望むものすべて与えたって「本人の望むものを貰ったところで維持さえできない現実に直面するただの無能」にしかならないもん、才能が花開いて生産性や技術力がGAFAのトップ層みたいになるわけがない
まだ社会に出る前の学生の時代は、ネットのIT業界のそういう残酷話聞くたびに「なんて厳しい世界なんだ、理不尽な世界なんだ」って思ったけど
今なら断言できる、そういうネット上でIT業界にヘイト燃やして被害者ヅラしてる意見書いてる奴って、今回みたいなボーダー系のアレなのなんだろうなって
つーか、どんな業種や分野でも、ネットで延々そういう現実社会における「残酷な神話」みたいな世界観で語ってる奴らって、大体そういう系の役立たずとかだよね、だって忙しかったらネットでキチガイムーブや訳の分からない狂った主張するわけないもん
よく、「考えすぎだよ」とか「ストレスを抱え込みがちだよね」と言われる
考えたことをすべてドキュメントに残すと、長すぎて引いたもん、と言われる
自分は特段頭もよくないし思考の使い方が間違っているのだと思うのだが、
「人生で一番大切にするべきものとは?」「より完璧な人間になるには何を理想状態とすればいいのか?」等正解のない問題についてよく考える
これって普通のことではないんだろうか
自分の思考が生まれてから当たり前だから、それが普通ではないなら矯正したいし
結論が出ない問いについて考えることは非常に無駄な時間な気がしている
先ほど、面白いツイートが私のTLに流れてきたので私見を述べる。
『新聞、月5,000円も払って昨日のニュースが紙で届くってやばいな』(原文ママ)
このツイート自体は確か面白いな、と一笑に付したが、そのツイートには大量の同意・賛辞のリプライがぶら下がっていた。
"5,000円で油を取る紙を買っている"
"ぼったくりだ"
やはりこういう意見は少なくないな、と気づかされる一方で一つの疑問が浮かんだ。
"この新聞批判をしている方々の何割が自分の金で新聞を購読している、ないし購読したことがあるのだろうか?"
夜討ち朝駆けという言葉は古い価値観かもしれない。しかし、身を粉にして社会の情報そのものを自らの五感で直接インプットし、それを文字でアウトプットする。そんな自分の仕事にやりがいを感じ、自身のジャーナリズム精神にも誇りを持っているつもりだ。
それでは「新聞こそが公正で正確な情報を素早く伝えるツールとして最も優れている!」と言いたいのか、と聞かれると答えはNOである。
インターネットメディアの急速な発展と共に情報が世界を巡るスピードは目に見えて早くなった。
地球の裏側で起きていることがリアルタイムで手元の端末で確認できる。
何十年も前の『正確・早い・多い』という新聞優位性を持っていた情報の三種の神器は既に別媒体(主にインターネット)に負けているのだ。
実際に私も
こんな記事を書きたいからこういう方からこんな話を聞きたい、と結論ありきの取材を行い結論ありきの記事を書いたこともある。
上司からこういう紙面を作れ、と命令を出され自分が紙面に載せたい情報を翌日に回したこともある。
新聞記事には、偏向とまではいかないまでも記者自身や会社自体の色眼鏡を通したバイアスがかかっているのだ。
しかし、「新聞こそが公正で正確な情報を素早く伝えるツールとして最も優れている!」わけではないにしろ「読む価値があるか」と言われれば声を大にしてYESと叫ぼう。阿呆でなければ。
なぜならば、新聞紙の必要性を語る上で最も大切なのは、その色眼鏡の良し悪しだからである。
新聞は、政治の右派左派、経済の支持不支持、社会記事の着目点。会社によって特色があり、多くの記事は記者の名前が載っている。それぞれの記事が会社としての社会的責任と個人としての社会的責任を抱えた上でなんらかのバイアスをかけられて掲載されている。
自分で直接見聞きしたものを除いて、新聞・ニュース・SNS・人伝の情報に至るまで。
全てがその経路の中であるいは削られ、あるいは付与され、或いは歪められるのだ。ここに例外はない。
(手前味噌ではあるが)優秀な能力を持った記者が他にはない一次ソースから仕入れた情報を提供する。
色眼鏡を通しての内容であることを理解さえしていれば極上の情報であることに違いはないだろう。
さて、私が言いたいのは「新聞を取れ」ということでは断じてない。
なぜならば、そもそもその色眼鏡に対して価値を置いていない人間(以下、阿呆)には新聞というのは豚に真珠もいいところだからだ。
阿呆はいいように削られ付与され歪められた情報を信じ哀れにも踊らされる。新聞を読んだとしても、新聞に踊らされるだけだ。
TwitterでもFacebookでもYahooニュースでもまとめサイトでもYouTubeでもテレビでも新聞でもなんでもいい。
あなたが情報を入手しているツールはどれほどまでに信頼できるものなのだろうか?
そもそも新聞の特長を情報の正確さ・スピードだと考えている人間にはどれほどの情報リテラシーがあるのだろうか?
私が投げかけたいのは、そういうことなのだ。
さて、こういうのは自分は大丈夫だ、と思っている人間の方がよっぽど危険だ、というのはよくある話で。
「なるほど、確かにその方面で働いている人は正鵠を射た発言をするなあ」
そもそも、この記事の冒頭に引用させていただいているツイートのリプライ欄には、新聞が不要だとする内容と同じくらい、新聞の必要性について肯定的な意見を述べているツイートがあるのだ。
いったい、この記事を読んだ内の何割が
と疑問に思い確認し、
とそれを検証しただろうか?
改めて、私が言いたい情報リテラシーとは、そういうことなのだ。
阿呆は鏡の向こうにいる。
ちなみに、そもそも私は新聞記者だ、というのも真っ赤な嘘である。
以上。