はてなキーワード: アウトプットとは
そういえば、半年前に1年と少し付き合った彼氏と別れた。22歳にもなってようやく初めて付き合った彼氏だった。
振られたのは私だけど、今となってはそれでよかったんだろうし、きっと彼との未来に“永遠はなかった”んだと思う。色々見える友達に言われたのだから間違いないんだと思う。
別れたのは9月末。アフタヌーンティーの席で、時間が半分を過ぎた頃にそんな話を出された。お陰で私はホテルで突然泣くことになったよ。それはもう酷いほどに。
「友達に戻りたい」
それが彼の本心だったのだろう。友達、というか付き合う前の2人に戻りたかったんだと思う。別れてブロック、なんてあまりに寂しすぎるから私も「友達でいて」なんて言った。その後3ヶ月は友達ではあったと思うよ。ただ、それは彼の望む友達で、私の望んだ友達ではなかったけれど。
週に2回ほどLINEが来た。そんなの誰に言ってもいいじゃないか、という内容。それの所為で毎度病んだのは言うまでもない。
「私はこの人と別れたんだよね?元カノだよね?」
何度思ったことか。どうでもいい内容を話して楽しめるのが恋人だと思っていた私にはわからなかった。友達って、もちろん一緒にいて楽しい人のことだと思うけど、ただそこにいると感じるだけで満足する人のことだとも思っていたの。そういう人にするつもりだったのに、思っていた以上に近いあの人が、私には合わなかった。
年が明けた頃まで続いたその関係は、私の拒絶する言葉で幕を閉じた。あっけなく。それ以来、あれほど来た連絡はひとつも来ない上に、Twitterでさえも反応をしない。
これが私視点の大筋。
そもそも私と彼はネットで知り合った友人だから、共通の友達がいない。
付き合ってから半年ほど経った頃に、私の友人を紹介した。特に深い意味はなく、付き合う前から相談していた友人だったし、ただ一緒に話す相手が欲しかったんだと思う。それに、友人も彼も乗り気だったから。
その友人から、3月になって聞いた話だ。5ヶ月も燻らせてしまったことに、酷く後悔した。もっと早く気付ければよかったね。本当にごめんね。
9月末に別れ話をする前に彼は、私の友人に連絡をしていた。
「正直身体の相性も良くはないと思う」
そんな言葉に対して友人は「そんな中途半端な気持ちで付き合うなら別れた方がいい」と言った。かっこいいね。
納得した様子で会話は終わり、9月末を迎える。
ちなみに上記は全てTwitterのDMのやりとりだし、下記もそう。TwitterのDMしか出てこない。
10月になっても彼は何故か友人にDMを送っていた。それこそ私に送っていたような他愛もないようなこと。今日の仕事は〜とか何を買った〜だとか。
ただ、たまに混ざる言葉。
「この間は話を聞いてくれてありがとう!お礼をしたいから今度ご飯でも行かない?」
この間ってのは、別れる前の相談(実際は勝手に吐き出した気持ちの整理)のこと。
そしてこの言葉は別れたあとすぐ、そして1ヶ月近くに渡って数回言っていた。
蛙化現象を持つ友人だったから、ただこれだけで気持ち悪かったらしいし、何より「私と別れたばかりなのに?」とも思っていたらしい。
友人はそもそも彼に対して感情を持っているというより、私のことを大事に思っての発言をしていたらしい。いい友人を持ったなと思う。
「TwitterよりもLINEの方が連絡楽だと思うから、良ければ教えてくれない?」
そんな言葉に対して友人が拒否したことでようやく脈がないことに気付いたのか、少し経ってから彼は長文のお別れとアマギフ(5000円)とブロックをお見舞いしていた。
ちなみにアマギフは某服屋の福袋で使ったらしい。友人らしくて笑った。
私と彼のことを考えても推測できることだけど、彼は自分に優しくされたら好意を持つような気がする。私は昔々からの付き合いで、付き合う前からそれなりに長く思われていたはずだが(縁が切れている時期もあったが)、昔々にとても優しくしていたし、何でも話を聞いて何でも肯定していた。だからこそ彼に好意を持たれていたのだろう。
つまるところ彼は、友人の私への優しさを自分への優しさだと勘違いし、より好意を持つようになったのだと思う。あと「会った時からタイプ」みたいなことも言ってたな。それは正直気持ち悪い。
簡単にいうと、私と別れるや否や、私の友人に猛アタックをした元彼が気持ち悪くて仕方なく、どこかにアウトプットしたかっただけ。
ネットの海に放って、誰かに見られたら面白いのに、なんてそんなこと。
何より絶対の肯定者が欲しいのと、性のあれこれに興味はあるから。多分。
さて、今年度の7月に適応障害と診断を受けてから8ヶ月の時間が経ちました。
この8ヶ月の中での変化や、心や気持ち・環境との対峙の仕方などについて書いてみたいと思います。文脈が崩壊したり、段落のつながりが見えなかったりしたら、ごめんなさい。
【読んでくれると嬉しいなーという人】
1、診断の効用と注意点
診断が下ったことで、自身の状態が外部のストレス環境に大きく依存するということがわかりました。環境によって波は大きくなったり小さくなったりしますが、そういった波とうまく付き合っていくための方法を獲得できました。もちろん、まだまだ未獲得だったり、未学習な部分も多いですが。
(これについてはあとで詳しく書きますね)
一度自身の精神的にきつい状態を認めて病院に行き、診断をもらうということは、”病理”の世界に立ち入るということなのだと思います。
そうなったときに、一点不安だったことが、自分のアイデンティティの根っこを「病気」に持っていかれるのではないかということでした。つまり「病気だ」というラベルを自分自身につけて剥がせなくなるということです。これはメリットもデメリットもあることだと思います。
例えば、症状がひどかった当時は、診断書をかばんに入れて持ち歩いたりしていました。おそらく当時を振り返るに、自責傾向の強い自身にとっては、「自分は病気だ」とラベルを貼ることが唯一自分を責めないための手段だったのだろうと思います。「がんばらないと自分の価値がない」という精神的シャカリキさから、「もうがんばらなくてもいいんだ」という気持ちへ、診断を機にやっと切り替えることができた感じですね。診断の力はすごいです。
また、適応障害を機に、調べたり本を読んだりすることで、自分の認知がかなり歪んでいるということにも気づくことができました。(「認知の歪み」は過去記事にもある通り、去年の7月に「みんな私のことが嫌いなんじゃないか」などの考えのことですが、これは日常のささいな他人の言動を捉えるときにも適応されるので、取り組むことは一定重要な課題だと思います)。これは一朝一夕では解消されないので、なかなか苦労していますが、長期的に改善できるといいなと思います。
③別の病気への移行
適応障害はストレス環境により症状が出てしまうという一過性のものなので、ストレス環境から身を離せば、症状がなくなります。ただし、うつ病(恒常的な)だったり双極性障害にも移行するということもあり、ちょこっと注意しなきゃいけないな…と思っています。
この移行は、診断をきっかけに起こることなのかわからないですし、ごく個人的な所感なのですが。あまりに病識が強くなりすぎた場合に、「ほかの病気のこの側面も自分の状態にあてはまるんじゃないか…」と強く思いすぎることにより、自分の不安定な状態を強化していく…というサイクルに入るんじゃないかなと思います。ここについては、ちょっと個人的に思うところもあるので、また別の記事に機会を見てまとめます。
2、波とうまく付き合うためのあれこれ
①感情を記録する
「muute」というアプリを用いて感情とその日にあった出来事を記録しています。記録することでよかったことはまだよくわからないけれども、2ヶ月くらいやってみた所感として「気分がいい時には記録つけない」「気分が落ちすぎていても記録つけられない」ということ、軽くしんどい時には記録を取れます。記録を見返すことで、「何がきっかけで落ちることが多いのか」を把握することができます。あと、アプリのデザインがかわいい。そして、毎週AIからの「ニュースレター」が届くのが嬉しい。
もうちょっと重めの出来事を整理するのために「認知行動療法アプリ」というアプリを入れています。これは割とがっつりと書かなきゃいけなかったり、アプリのデザインもあんまりかわいくなかったりするので、個人的には使いにくいなーと思うんですが、ちゃんとやれるならよいと思う。私は一度だけ、先月末に仕事であった出来事を振り返るために使いましたが、頓挫しました。認知行動療法を一人でやりきるのは、結構エネルギーがいるので、信頼できる人と一緒にやれるといいかもです。だれか一緒にやろう。
②依存先について
どっかの大学の熊谷先生は「依存先を増やせ」ということを常々から言っていますが、その通りです。依存できる場所は分散し、相談の内容もそれぞれに分けられると超ベスト。これは相手のためでもあるし、自分のためでもあります。
ざっとあげると、「母親」「病院」「社内の相談窓口(キャリアセンター、こころの相談センターなど)」「仕事の同僚」「退職した元同僚」「パートナー」「知人」「元劇団の人たち」などかな。大学とか会社とかなんらかの組織に属している人は、組織のリソースはガンガン使った方がいいです。これ読んでいる人に学生さんがいたら、とりあえず健康センターとか保健室とか、なんでもいいから、お茶しばきに行く感覚で軽めのノリで一度はいっとくことをおすすめします。相談のハードルを元気なときに下げておくことも大事です。
個人的な話に戻ると、最近は友人との接触頻度を増やすことに意識を向けています。例えば、「ゲームやるだけの仲間」に入れてもらったり、過去の大学の友人に気軽に話せる場(「mocri」というアプリ)を持ったり、「〇〇の会」と称してエネルギーのある時には知人を家に呼んだりしています(例、「私たちのためのバレンタインの会」など)。対面で会うのは結構エネルギーいるから、そのときにはオンラインの手段もまぜこぜにしながら、ぼちぼちね。
あと、予定の管理がなかなかできないので(当日体調が悪くなったり、コンディションが悪くなるということが結構ある)、気の知れた人には「波が読めないので、当日連絡するか、遊びをやってることだけ教えてもらえたら当日調子がよければ行く」というふうに事情をつけて話しています。
③過敏さとの向き合い方
今「HSP」なんて言葉が大流行しており、書店での平積みも凄いことになってますが、「過敏さといかに向き合うか」という命題は、特性によりけりでしょうが、「すぐ疲れちゃう」と感じている方にとっては、とても大事です。情報の取り込みすぎは、疲れちゃうから制限しながらね。私の方法を載せておきます。
【音】
音への過敏傾向のために「耳栓」はマストです。トイレやキッチンの換気扇や冷蔵庫の「ブォーン」という音が気になった時には情報取り込みすぎのサインだと思っています。
最近耳栓が役に立ったのは、水族館のイルカショーに行った時でした。意図せずスピーカーの真ん前に席を陣取ってしまい、生の音に触れた時には頭が割れるかと思ったので、よいしょとつけました、危機回避成功。あとは最近は電車ですね、地下鉄とJR快速は要注意。窓が開いていて大変に脳みそに音が突き刺さってくるのでイヤホンもしくは耳栓マストです。
【光】
これは入社当時から苦労していたのですが、白熱電球が大の苦手でして。白熱電球の下にいるだけで、パフォーマンスが低下することがわかっています。だから、なるべく太陽光を取り込んだり、廊下の光だけで部屋の中は電気を消したりと、いろいろ工夫をしています。前の教室とかだと「電気ついてるけど消そうか?」とか「窓のある部屋がいいですよね」とか、スタッフみんなが配慮してくれました。感覚はひとそれぞれだから、しんどいときにはちゃんと言えることが大事です。ちょっと勇気いるけど。
【睡眠】
ストレスサインとして「悪夢」と「途中覚醒」は念頭に入れておいています。キャパシティを超えるストレスを受けた時って、交感神経優位な状態で睡眠に入ってしまうことが多いので。交感神経鎮めてから入眠する(お風呂に入ったり、湯たんぽ使う)などがベストですが、極度に疲労しているとそれもできにくいと思うので、お薬の相談もできるといいかなと思っています。自分はまだ眠剤は使用していないですが、場合によっては。
【教えて】
スマホとの距離感は、今試行錯誤です。依存気味なので、いい方法あったら知りたいです。
【その他】
鬱の状態のときの衝動性は怖いなとも思うんですが、早く通り過ぎるものに吸い込まれるってのは、本当にあるのね。だから「ホームの端っこにはいかない」「赤信号の時には道路のキワに立たない」ことは普段から意識をしたいものだなって思います。
3、最後に
新年度が始まり、社会人4年目になる4月に向けて、近況報告がてら書いてみたいという思いで書き始めましたが、波と付き合うための手立てやアウトプットできることがなかなか増えていて、自分でも感心しました。
こないだ見た映画で「いいなあ、君は私とは別れられるけど、私は私とは別れられないんだよ」というセリフがあって、「あーその通りだなー」ってぼんやりと思ったんですよね。そうそう、別れられないなら仲良くする方法を探すしかないのです。死ぬ勇気もないので生きるしかないんですが、穏やかに生きられるための方法や環境をゆるゆる作っていきたいものです。
画面の横幅いっぱいに文字が並んでる。笑う。
ユーザID | 属性名 | 値 |
A | 性別 | 女 |
A | 身長 | 160 |
B | 性別 | 男 |
みたいに。
それをBIツールにいれて属性名でフィルターかけて分析してる。
ユーザID | 性別 | 身長 |
A | 女 | 160 |
B | 男 | 170 |
ってデータの形を知らないのかJOINをしらないのかわからない。笑う。
as a
as b
とかあっていつも同じ。笑う。
50分が5分で終わるようになったり、cpuが90%から30%に減る。修正のやりがいしかない。笑う。
それでもアウトプットのBIツールしか基本見られないし、人当たりがいいし他人からの評価がいい。
「信用してるから伝えるけど」と在宅勤務中にサボってることを白状される。
でも、私は先輩に評価される側で下手にチクれば自分が犯人になるし、なんかもう笑えなくなってきた。
クエリの書き方も指摘するけど、「習ってないんだよね〜」と流される。私も習ってない。
しまいにはついに、依頼者に「やります!」と言ったのにうまくいかないクエリの作成を投げられる。
この世界のあらゆる事象が一つのプログラムで表せたとしたら、そのコードの長さは相当なものになるだろう。
「慣用句」は、人々がそれを理解するために生み出したコード上の工夫のひとつだと思う。
その世界というコードの中で頻出する部分、すなわち、生活で多用される言語を「慣用句」としてネーミングする。
その処理内容はサブルーチンとして別扱いとすることで、メインプログラムは圧縮できる。
サブルーチンを呼び出す際には、その関数名には処理内容を想起させるような象徴的な用語を用いることにした。
まさにそれが、世界というプログラムにおける「慣用句」という象徴的な用語の在り方なんだと思う。
よって、関数名である「慣用句」を、文脈という名の変数とともに呼び出すだけで、
その処理内容を明示しなくても意味のあるアウトプットになるわけだ。
恋愛工学2.0を使いこなす真の強者が、「私がこうすることで喜ばぬ女はいなかった」とばかりに持論を開陳ちんしたNoteが、男女の憎悪渦巻くインターネットを一日で塗り替えたのです。
しかし、これを怪文書と片づけてしまっては、MeTooとは何だったのか。
ハメ撮り動画を秒速アウトプットでもしない限り、信憑性はないと突き放されてしまっては、MeTooとは何だったのか。
我々はMeTooなどというSNSで傷を舐めあうスラックティビズムで自己満足せず、粛々と証拠と裁判によって抵抗すべきだという、強い決意の表れともいえるでしょう。
庇護される存在でなく、弱い存在でもなく、一人の自立した人間として立ち向かう。インディペンデンス・デイ!
しかし悲しいかな、ちんぽ騎士団長を守る姫君たちはいくらでもいるのです。
ちんぽ騎士団長の生き様は、依然として多くの女性たちを惹きつけるのであります。
合わなかった女性より、自分を支持してくれる大切な女性たちに時間を使う。嫌われる勇気!
一方キモくて金のないオッサンはどうか。
存在するだけで信頼度が低下していくデバフスキルを遺憾なく発揮し、挨拶や存在すら加害と扱われ、
今日も明日も石の陰で蠢く昆虫のように這いずりまわる人生を送り、ケアを求めるな、一人で死ねと願われて止まない。
彼らが藁にも縋る思いでインターネットにかじりつき、人寂しさを紛らし、粛々と人生を消化しているその頃、
ちんぽ騎士団長は社会的な正しさでその名を馳せながら、姫君たちと楽しく暮らしているのであります。
天道、是か非か。
❶
❷
❸
❶のロリコンを排斥する姿勢にそも納得がいかないがそれをおいても❷は本人が嫌がっていないのだから問題はないのでは?❸はむしろ貴方のような方々がもっと増えてオープンに批判していく必要があるわけで視聴引退は逆の行為に、消極的に思える。
どうすればこういう話題を界隈内外に波及させられるのかよくわからないのでとりあえずこういう媒体を使ってみる。
先日3/3、にじさんじというバーチャルライバー事務所のメンバー達が「ロリアモアス」という企画を行っているのを見た。Among usというゲームをロリ、つまり幼い女の子になりきってプレイするという企画なのだが、ここに複数男性ライバーが参加しているのを確認した。
こういう企画に男性ライバーを誘う背景として、ファンダム内での「○○(男性)は幼女」というコメントや、男性のみの空間を指して「男はいないな!」と確認するなどの"ノリ"があると考えている。
しかし、このノリ、相当に気持ち悪い。そもそもインターネット空間で幼女/ロリという単語が出てくる際の文脈として彼女らへの性的な眼差し、そこまでいかなくとも被虐性のようなものがあると考えており、それをライバーの見えるオープンな場でアウトプットしているのも相当キツイが、百歩譲って幼女/ロリというワードを使うことに目をつぶったとして、その対象が男性であるというのが耐えられない。にじさんじに限らないけど、一回そういうノリとかスラングが定着したら全部それに一本化するの本当に良くないと思うし内輪ノリが加速するだけでは(てぇてぇ、ライン越えとかもそう)。特に「幼女/ロリ呼び」みたいなのは初期の段階で「男性なのに幼女みたい」という裏返しを基に行なっていた節があり、形骸化した時点でただのミスジェンダリング(あまりこういう場面で使うタームではないとは自覚しつつ)でしかない。ライバーに失礼だしノリがわからない外の人は普通に引く。
と、思っていた矢先こういうノリをライバー側が逆輸入し始めて大混乱。本編を見ていないためもしかしたらそういうノリを皮肉ってる部分もあるのかもしれないが、だとしたらそこまで効果的じゃないと思う。
といった感じで、どうやらこの界隈は悪ノリの自浄作用や適切な批判が機能してないな、ということが(まぁ前々からわかってはいたが今回の件でよりはっきり)わかったのでにじさんじを見るのを辞めることにした。自分の感情を優先してコンテンツを手放すの馬鹿らしいのだが、コメント欄にロリだの幼女だの並んでて誰もおかしく思わない方が馬鹿らしいので仕方ない。できればこういうノリ無くなって欲しいな〜と思うのでネットの海に流しとくし誰かが読んで問題提起してくれると嬉しい。まぁ無理だろうけど。
全校児童が250人程度の規模だ。
発達の遅い男児が3人いて、彼らが所属するいわゆる「ひまわり学級」ももちろん存在した。
ちなみに彼らは以下3タイプに分かれていた。
・A君
→ダウン症軽度(ある程度成り立つ会話ができる)
・B君
→ダウン症中程度?(インプットはどうやらできているようだが、日本語らしい日本語はアウトプットできない)
・C君
→発達遅れ(ある程度成り立つ会話ができる)
そして3人全員とも、私と同い年だった。
そのため運動会やら遠足やら、何かしらのイベントには必ず「彼ら3人」も一緒に行った。
小学一年時から一緒だったためか、元々の気質なのか、それとも両方か、幸運なことに(?)彼らを蔑視する子たちは同学年にいなかったと思う。
とりあえず、大っぴらに彼ら3人を差別するような子たちは誰一人としていなかった。
私としては彼らを「大多数と違う」ことに何だか不思議な魅力を感じていた。
決して貶してはならないことは前提としつつ、彼らの行動一つ一つが想定外で、ワクワクしながら彼らと接していたような気がする。
全てを素直に捉えて接してくれる彼らは、変な言い方をすると可愛くも思えた。
忘れもしない、あれは小学5年生の時だ。
5回目くらいの全体練習の際に、B君が突然女の子に抱きついたのだ。
その場にいた全員が驚きながらも男子が中心にB君を女の子から引き剥がした。
ただ、こちらの言ったことはある程度理解できる(と認識していた)。
みんなで言葉を選びながら、B君に「抱きついちゃダメだよ〜」と笑いながら注意をした。
しかしながらもB君ははその注意後からも辞められず、「抱きつく→すぐに男子が引き剥がす」というイベントが幾度となく発生した。
その様子を最初からじっくり観察していると、抱きつかれる女子に共通するある条件が見えてきた。
それは以下の通りだ。
1)B君のすぐ目の前を通り抜けること
なんというのか、太っていたり、容貌が良くない女子が通りかかってもB君は抱きつかなかったのだ。
そして私は思いついた。
「私もB君に抱きつかれたら、可愛いと認識された、ということなのではないのか?」と。
すぐに実行に移した。
小休憩の時にB君の目の前を通り抜けた。
ドキドキしていた。
「んーーーーーー!!!」という声と共にB君は私に抱きついてきた。
唇を押し付けようとしているので、急いで思いっきりのけぞった。
どうやらキスのみををせがんできたようだった。
抱きつかれた瞬間「勝った」と思った。
今考えるとかなり歪んだ認知だと思う。
抱きつかれて5秒後にはB君は男子たちに引き剥がされていた。
私は「可愛いと認めてもらえたこと」や周りで見ている限りでは分からなかった「キスをせがんできた」ことを発見できてワクワクしていた。
が、同時に恐怖も少し抱いた。
私は好奇心から「抱きつかれる可能性がある」ことを意識して行動に移し、かつ「彼が起こすであろう行動を予測できていた」。
それでも恐怖を感じたのは事実だ。
私のようなことを考えずに、突然抱きつかれた数人の女子は、心に傷を負っていたかもしれないと今では思う。
しかしながら、あの状況でB君をきちんと注意できる人はいなかった。
もしかするとみんなが見ていない場所で先生が注意していたかもしれない。きっとそうであると思う。
抱きつかれた女の子たちは表面に出して怒ったり、泣いたりは一切していなかった。
全くそのような感情が湧かない子もいるかもしれないけど、それを抑えて我慢していた子もいたかもしれない。
真相はわからないけど、責めることができずにずっと心の中で耐えていた子がもしいるとしたら可哀想だと思う。
もちろん謝罪はなかった。
そんなものは一切求めていなかったけど、まじで。
B君が抱きついたのはその日だけで、それ以降はそういう事件はなかった。
きっと先生が注意してくれたのだろう。
今ぼんやりと思う。
周囲の人からすると、私はひまわり学級の子達の面倒を率先して行う、とてもいい子だったと思う。
でもそれは心の底から溢れる善意ではなくて、彼らを知りたいという知的好奇心からだった。
データとして、検体として、彼らがどんな行動を起こすか興味を持っていた。
それって失礼なんじゃないかな。
そして今もそういう感情は常に持ち合わせている。
突拍子もないことを行う人を見つけると、近づきたくなってしまう。
よくないね
いまは東京にすんでいる。
電車の中でも、普通の街を歩いてたりする時でも、突然体を触られることはある
ぱおんぬ
企業から公務員に転職した俺が、元増田と他の参加者の違いが生まれる背景を頼まれてもないのに説明します。
まず結論から言うと、根本的に事業構造が違うから違うのだということで、優秀かどうかなんてのは微塵も関係ないのです。
それに対してお役所は、先に収入(税収)があって、それを配分して事業をやります。
企業において一番大切なのは、もちろん収入と直結する事業のアウトプットですが、お役所では、何に税金を使うのかという配分の部分が一番重要なのです。
お役所では、事業実施の前年度にはその事業の予算化をしておく必要があります。
また、予算額を超えて事業をすることも、予算要求時と大きく異なる内容で実施することもできません。予算を大きく余らせてしまっても良い顔されません。
このため、予算要求時には、事業の計画を概ね固めてしまい、ちゃんとした算出根拠を持っておく必要があります。
また、予算を配分してもらうまでにはいくつかハードルがあり、上司、財政部局、首長、議会と、順番に説明して承認してもらわなければなりません。
事業が実施できるかどうかわからないこの段階で、かなり正確な見積りと、必要性、公益性、実現可能性の全てをクリアして説明できることが求められるのです。
民間だと、とりあえず走り出してから考えたり修正したりしながら、最終的にアウトプットがちゃんとできればOKなところがあるので、一番最初に机の上で完璧な企画を考えるなんてのはただの時間の無駄でしかないですが、お役所はそうではないのです。
元増田はそれが染み付いているから、初期段階から色んなアラが目につくのだと思われます。普段から彼女が上司に言われてるような事なんでしょう。
でも、最終的なアウトプットまで至る場合は、おそらく初期の企画とは全く異なるものになって、一応形になってるはずです。もちろん、アウトプットまで至らないことも多いですが、そういうもんです。
元増田からすると、雑な企画で走り出すことはまるで理解できないだろうし、逆に、走りながら考えるのに慣れている人からすると、最初からそんなに考えてたら何もできないと感じるだろうと思います。
これは、良いとか悪いとか優秀とかそうでないとかではなく、構造の違いです。
民間企業が役所と同じやり方をすると、一つの失敗も許されなくなって新規事業なんて何もできなくなるし、お役所が民間企業のスピードでやると公平性や公益性を損ないクレームだらけになるでしょう。
就職活動でたくさんお祈りされると自尊心がズタズタにされてしまうのはわかるんですが、優秀かどうかとか民間企業落ちたとか、そういう瑣末なことに囚われないで、違いを理解してそれぞれの役割を全うすることを心がけたほうが良いと思います。
最後に蛇足ですが、お役所仕事について、役所に入って感じたことを。
お役所の仕事がダメになりがちなのは、予算を取るところが山場であって、肝心な事業の実施時には適切に予算を消化することが目的化してしまっていることが往々にしてあるからじゃないかと感じました。
予算がついてから突然担当にさせられることもよくあるし、予算が中途半端な額に減らされてまともに事業ができないのにやらないといけないこともあるので、本来の目的とかどこかに消えてしまうことも少なくないです。
補助金がつくから、国がやれっていうから、的な理由で予算を付けられてそもそも何のためにやるのかもよくわからないままにやることもあります。
アウトプットの品質はあくまで担当者の能力や意識にかかっているので、この辺をもうちょいなんとかして、アウトプットの質を担保する方法ないかなあと思って過ごしてます。
素人所感だと、
関数は、「インプット」「アウトプット」「処理」の要素から成立していることとかね!
関数を理解すると、「ソフトウェアは関数の集合にすぎないこと」「機械学習は所詮関数の一種にすぎない」のように、「得体のしれない便利なもの」という理解から進めるからね!
関数を理解できれば、Excelはもちろん、熱量計算とか言語分析とか各専門分野で利用できるからね!
「プログラミングを教えるべき!」ってのは「関数を理解させるべき!」って意味だと思うんだよね。
例えば「ソフトウエアにおけるアプリケーション層、データ層…」とか「ハードウェアにおけるサーバ、データベース、ロードバランサー…」とか「ネットワークにおける物理層、セッション層…」とかね!
レイヤー構造を理解すると、全体と部分の関係がはっきりして、各要素の理解が進むからね!
レイヤー構造を理解できれば、情報処理に限らず、ものごとを整理して理解することに役立つよね!
法は、各法の目的の理解かな!何のために存在して、法改正によってどう影響があるか理解できるからね!
各条文を細かに理解する必要はないけれど、条文の読み方は修得させたいよね!
契約は、騙されないためにだね!