はてなキーワード: アイキャッチとは
着衣女性のイラストが不快だから排除されてるわけでも、飲み会するホームレスが不快だから排除されるべきでもないんですが、その差がわからないようです
女性が訴えるのは、電車に乗れば痴漢に遭いトイレには盗撮カメラがあり上司と二人きりになれば枕を誘われ外に出ればストーカーに遭い、それらを強く問題視し対応してくれる体制があまりに整わないこと、経験上あまりに性犯罪が多く日々性犯罪者を警戒し続ける生活を送っていること(スラム化した地域でレイプが発生する国との比較は無意味です、現代的な都市部での性犯罪です)、かつては舞子や芸者や女遊び今では美少女ものや広告など女性を性的なシンボルとしてアイキャッチ的な商業利用することに抵抗がないこと、出会う犯罪者たちや女性と接点の薄い男性に特有の認知のゆがみがよく見られており社会全体で女性に関する無意識のバイアスや偏見を植え付けていること、セクハラや性犯罪や未成年淫行等のグルーミングをするような環境であること、女子高生ブームからのJKの性被害爆増などの文脈を一切無視する都合のいい言論を生み出す社会のゆがみ、生の被害体験にエロ表現の影響を強く感じること、性的客体化は女性の自尊心を害し精神的な成長を妨げると研究が出ても男性の公共での性的満足を優先させようとする連中の人権意識の低さ、虐待的なAVを表現の自由として守ろうとする人権意識の腐ったネット差別主義者の存在、生の性犯罪者の陳述、それら被害や経験を実際に受け忌避する心情を「お気持ち」として軽視する人権軽視の男性の反応、なわけです
しかも一つの動画を再生するごとにCM2~3本確実に流れるし本放送のCMに入る回数分CMを流すのはあんまりフェアとは言えない
いつだったかアベマのCM本数は少なくて便利だなと思ってたらいつの間にか一つの動画を再生するのにOPEDアイキャッチの度にCMが2~3本入ってて合計6本くらい入ってて
しかもたまーに1,2分のスキップ出来ないCMが入ってる時があってとてつもなく不快で苦痛。
デイリーモーションかよと。そのデイリーモーションでさえ15秒ほど待てばその長いCMをカット出来るのにアベマはそれが完全になくなっててダメだ。
赤字経営だから本数を増やすのは分からんでもないけどたかがビデオ配信を再生するだけなのに一つの動画再生するのに5,6本の長いCMを流す意味が分からない
TVerなんてCM流さないフル動画(見逃し)である事が多いのにアベマは配信サイトの意義を全然理解出来てなくて困る。
違法動画サイトが今も無くならないのは本配信ないし公式配信サイトがCM多過ぎる長すぎるという不便さが原因だろうね
せっかく配信動画数を増やして便利になってきたかなと思えた所へ容赦のないCMの多さ。
全部治すのが難しくても一部は治せるよね。
例えばグルメドラマでヤンキーバトルとか恋愛バラエティー、アニメのCMを何度も流されても興味を惹かれん訳でCMチョイスすらミスってるのはどうにかして欲しいな
これはつべもニコ動も公式配信・動画サイト全般に言える(この間なんかポケモン見てたら急に車のCMばっか流されてさ、免許持ってないっつうの!)。
ゆうてアイキャッチのイラストに使われてるくらいで、そもそもキャラの思想とかそういうところまで踏み込んでないんじゃないかなあと個人的には。
作品ファンの目にもたくさん触れてると思うが、「○○はそんなキャラじゃない」って炎上は見当たらないように思うし、増田の心配は杞憂なんじゃない。
ブコメだけど、
露出度の高い女性のイラストを公共性の高いところで必要もなくアイキャッチとして使うのはNGってことでお互い合意できた、確認できた、めでたしめでたし、これでええやんと思うわ。
こういうつまんない混ぜっ返しで満足する人増えたよね。
選挙カー側も別に公共性の高いところで云々の主張を変えたわけじゃないし、
はてフェミはそれを「やれよ」って、やることを肯定してしまっている(被害が出ると主張しているにも関わらず)んだから、合意できてないのよ。
そこを突っ込まれてるの。
公共の福祉とは、原則として権利や利益同士が対立した時にそれを調整するためのものだ。
ここで問題になるのは『権利や利益同士』であることだ。決して権利を超えた❝公共の福祉❞があるわけではない。それでは結局、『権利を超えたものを理由にすればいくらでも人権を制約できる』ということになり、「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ」権利を有していた大日本帝国憲法と何ら変わらないことになってしまう。
表現・出版の自由が公共の福祉によって制約された例としては、『ジャニーズ追っかけマップ裁判』というのがある。
かつて出版社が『ジャニーズ追っかけマップ』という書籍を出しており、そこにはジャニーズのメンバーに会える場所としてスタジオなどの場所の他に自宅の最寄り駅、自宅の住所、電話番号といった個人情報が掲載されていた。
このことについてジャニーズのメンバーが『プライバシーの権利の侵害』として訴えたことに対し、出版社は『表現・出版の自由』を主張した。
そして最終的に『ジャニーズのメンバーのような社会的影響力のある芸能人のプライバシーの権利は著しく制約されるが、それでも自宅で静穏に過ごす権利は認められるから自宅の住所と電話番号は削除するべき。それ以外については出版社の表現・出版の権利を認め、出版自体は認められる』という判決が出た。
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
わいせつな文書、図画を作ったり売ったりすると罪になるということは大抵の人が知っている。だが、この法律が何を目的にしているのかは案外と知られていない。
刑法のこの条文が保護しているのは、性的な物を見たくない人の権利……ではない。
では何を保護しているか、というと。判例上は”最低限の性道徳”である。(この解釈については流石に時代錯誤を指摘する声は複数あるし、増田もおかしいと思うが前提として現時点ではそうなっている)
わいせつ図画の判例では比較的有名な(高校の公民の教科書にも載っているかもしれない)チャタレー事件で「社会の平均ではなく、あくまで最低限」という解釈が出され、、四畳半襖の下張事件で「その時代に合わせた性道徳」を基準にすることになった。
当然ながら、『私はこの創作物を見て不快になりました』を主張する権利は当然にある。
あるいは、「萌え絵は性犯罪と地続き」と主張するのは自由だ。現在の法律上、誰かの権利を侵害しているという扱いにはならない。
同様に、「日本画は戦争と地続き」だろうが「彫刻は殺人と地続き」だろうが「洋画は差別と地続き」だろうが”萌え絵、日本画、彫刻、洋画”といった抽象的なジャンルならば誰かの権利を侵害しているという扱いにはならない。
ただし当然ながら、『その主張はおかしい』と批判する自由もある。
一方で、業務(※なお、刑法における”業務”とは「社会生活上、何度も繰り返して行われる事項」のことをいう。だから自動車で人を轢き殺してしまった場合はプライベートで運転していた場合でも業務上過失致死罪になっていた。そういえば変わったんだった)
で制作している特定の作品について「この絵は性犯罪と地続き」や「このvtuberは性犯罪を誘発する」のような発言ならば、その明確な根拠が示されない限りは偽計業務妨害罪が成立し得る。(実際に起訴されて有罪判決が出るかは分からない)
さて、フェミニストが主張するような創作物規制・広告規制を行うとするならば、それは当然に『表現の自由』に対抗できるだけの権利・利益が無いといけない。
似たような『市営地下鉄で不快になる広告放送を聞きたくない権利』を主張したとらわれの聴衆裁判で、『聞きたくない音によって心の静穏を害されることは、プライバシーの利益と考えられるが、本来、プライバシーは公共の場所においてはその保護が希薄とならざるをえず、受忍すべき範囲が広くなることを免れない。一般の公共の場所にあっては、本件のような放送はプライバシーの侵害の問題を生ずるものとは考えられない』という裁判官の補足意見がついている。
見たくない権利も同様だ。公共の場所ではむしろ受忍すべき範囲が広くなる。
『女性』には人権はない。これは何も「女性は二等市民だからフルスペックの人権は認められない」という意味ではない。人権があるのは個々の人物であって、『女性』という抽象的な存在の集団的人権は認められないという話だ。同様に「日本人は殺人狂だ」だろうが「在日朝鮮人は人間のクズだ」だろうが「同性愛者は生産性がない」だろうが、現在のところ法律には触れない。
そもそも表現に限らず自由権の本質は『他者を不快にして我慢させる権利』なのであり、「近所にユダヤ人が住んでいて不快です幸福追求権の侵害ですbyネオナチ」や「聞きたくもない韓国音楽を聞かされて不快ですby在特会員」や「『女と寝るように男と寝る者は殺されるべき』と書いてある旧約聖書が不快ですby同性愛者」は配慮されないし、配慮されるべきではない。
将来、脳波や脳内物質から人の現在の感情を読み取る技術がさらに発達し、「黒人を見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですbyKKKメンバー」を同意の上で検査した結果、脳波や脳内物質がうつと同様のパターンになっていて主張が事実であることが判明したとしても同様に配慮されないし、配慮されるべきではない。増田はそれを自明のことであると確信する。
「萌え絵やそれを含めた女性をアイキャッチャーにする広告が公共の場所にあることで現在の男性中心社会を拡大再生産する」というモデルそのものは小宮友根氏や牟田和恵氏によっていくつか提唱されている。だが、それだけだ。
現実には男性中心社会を拡大再生産するものの候補は萌え絵広告以外にも『周囲の保守的な親戚・教員・友人などからの意見』『私企業の採用活動の実態』『女性向け創作物の刷り込み』など無数にある。
その中から「広告の効果が無視できないほど大きい」こと、および「それを打ち消す手段が他に存在せず、禁止以外の手段がない」ことが証明されない限りは規制されるべきではない。
なぜならば経済的自由権は金銭で補償が可能であるが、表現や内心といった精神的自由権は規制しようという動き自体が萎縮効果を生むため、より慎重になるべきだからだ。
以上のように、今フェミニストが主張しているような創作物規制は『公共の福祉』の観点からは成立しないと考える。
全然納得できないんだけど。"最低限の性道徳"が保護法益になるなら何だって保護法益にできそうだし175は良いけどフェミニズムに基づく立法がダメな理由ってあるの?
だからこれについては多数の異論が出ているし俺も問題だと思っている。
ただ、これの合憲論を採用しても、創作物規制は「ジェンダー平等を実現するための最低限」しか認められないだろう。
"「在日朝鮮人は人間のクズだ」だろうが「同性愛者は生産性がない」だろうが、現在のところ法律には触れない"。こいつ意図的に「ヘイトスピーチ規制法」スルーしてるよな。
ヘイトスピーチ規制法など存在しないのでスルーのしようがないですね。
ブコメが言いたいのは通称「ヘイトスピーチ対策法」でしょうけれど、これはあくまで国や地方公共団体に努力義務を課しているだけです。
“フェミニストが主張するような創作物規制・広告規制” 既にコメントがあるとおり私も法規制を求めない むしろ法規制させないために「違法じゃないから何してもOK」を控えてほしい 職場水着ポスター問題のように
会社は従業員のパフォーマンスを低下させ利益に反する行為を排除できますが、公共の場所は他者危害でない行為を排除できないし、排除するべきではない。そういう話です。
「そもそも不快にされない幸福追求権」そんなものはない。ではなく、その権利を求めてるんだよ。だってその方がいいじゃん。そのための対話が必要。
「同性愛者を見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですbyムスリム」「『女と寝るように男と寝る者は殺されるべき』と書いてある旧約聖書を聖典とする宗教の信者を見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですby同性愛者」が両方存在したり、
2つ以上の宗教が「我々の宗教は全ての人が我々の宗教の信者になるべきと考えているため、異教徒が不快です」を言い出した場合には
2022/07/04/21:40頃追記
かつらを着用していて、それを取ることを持ちネタにしている将棋棋士がいる。
観る将の増加や興行としての将棋が流行るのは、メインのスポンサーである新聞社の先行きが不安な中、望ましいことなのだと思う。その中でキャラ付けは大事なのかもしれない。
しかし、ハゲをネタとして消費するのはあまりに前時代的で、見ていてつらくなる。イジメやセクハラをバラエティー番組のネタにしていた頃の文化だ。
本人が言うのは良いじゃないかという意見もあると思う。しかしそれをネタにする人が露出することで、イジって笑いを取って良いのだと思う人もいる。アイキャッチとしての女性性がセクハラを助長してきたという主張に近い。
余談だがこの辺りの話題で露出度の高い男性を比較として出す人がいるが、ハゲネタの方がまだ近いと思う。男性のつらさは権力のある人に理解があるので、同じとは言えないが。
世間一般で既にアウトになっている扱いを見ると不安になる。これってダメなやつだよねというのは、それがダメであるかどうかより強い。電車内での通話そのものよりも、ダメだとされていることを破る人が近くにいることの方が強いストレスとなるように。
ハゲは本当に酷いイジられ方をしてきた歴史があるから、そのつらさをネタして和らげることを邪魔してはいけないのかもしれない。しかし頻繁にネタにしていることを触れないわけにもいかず、期待していますなどとコメントされるのを真に受けているのではないかと思い、苦々しく思う人がいることを表明をしてみた。即座に止めろという話では無く、みていてつらいな、という人に言いにくい愚痴を吐き出したものだ。
たわわしかり温泉娘しかり宇崎ちゃんしかり、性的表現や性差別的表現が公共の場に現れて炎上した際に「これがダメならこれもダメでは?」の引き合いに出るものをまとめたかった。比較対象がブレるとわかりにくいので、今回は公共の場を一般の新聞に載る広告を想定。
・ananのセックス特集及び半裸男性のグラビア…子供が見て「ママこれなあに?」って言われたら困るだろうな、とは思う。
ただ、セックスそのもの=公共の場に出していけないというわけではないこと、特集のテーマがポジティブ(「愛のある〜」「幸せになる〜」みたいな)なため、掲載してもいい気はしている。男性が半裸であるべきか?はやや疑義ありるが、モデルが成人していること、セックスは通常裸ですることから、容認してもいいと思っている。
・女性向け下着の広告…これは下着を着た女性ではなく着用イメージを宣伝するものなので、新聞に載ってきていいと思う。水着も同様。二次元のイラストでも同様で、下着の宣伝なら下着姿の絵になると思うし、それが広告であっても不自然さはない。
・男性誌の広告のグラビア…体を見せるお仕事の方を起用し、それをアイキャッチに本を売ろうという戦略なので、いいはいいと思う。ターザンの男性モデルも同様。ただ、未成年とはっきりわかるモデル(17歳とか年齢が書いてある、未成年だと広く知られているなど)は、広告に載せるには不適切だと思う。若くて判断能力がない子の半裸を本を売るためのアイキャッチにするのは、健康的でない。
・男性アイドル雑誌の広告の水着グラビア…上と同じ理由で、未成年とはっきりわかる場合は少なくとも公共の場には出すべきではない。
・アニメや漫画の広告…企業が適切と思うなら載せればいい。ただ、性暴力や暴力を賛美している内容のものなら、不適切だと自浄作用が働いて欲しい。
・漫画やアニメの巨乳、薄着を強調したイラスト、水着や下着のイラスト…企業が適切と思うなら載せればいい。ただ、キャラが未成年と一目でわかる(制服を着ている)場合は不適切だと思う。これは巨乳キャラを排除しろと言う意味ではなく、アイキャッチに使われるのが不適切の意味。例えば学園もので巨乳の女の子が普通に暮らしている分にはいいと思うけど、巨乳が強調されている(胸を寄せて谷間を見せている、ブラが見えている、スカートの短さやそこから除く肌にフォーカスされた構図など)は違う気がする。
また、なんの脈絡もない体の強調、水着・薄着の場合は、それがその漫画やアニメの1番の魅力としてアピールすることになるけど、認識合ってますか?とは言いたい(ただ性的であることだけが魅力の漫画やアニメの広告を打つべきなのか、その漫画の魅力はそこだけなのか。)。
日経新聞4月4日号に、ヤングジャンプ連載中の漫画「月曜日のたわわ」の全面広告が掲載された。その1日後の4月5日に、その広告が「女性を性的消費している」「新聞広告にはふさわしくない」と燃えている。
この問題で気になるのは、掲載の翌日の4月5日に炎上したこと、掲載された広告のイラストは制服姿の少女のものだが、漫画の最大の売りである彼女の大きな胸がほとんど隠れていることである。
もし4月4日の掲載日にこの問題が炎上したとすると、新聞を読んでいた人が電車内や会社で大きな胸も露わなイラストを見て「これはよろしくない」と騒いでいることになるが、炎上までに1日の誤差がある上、イラストは振り向きショット、腕で胸がほとんど隠れておりパッと見ただけでは彼女の胸が大きいことはわからない。となると別の理由で炎上している可能性が高い。
4月4日の昼に、webメディアの「コミックナタリー」が広告掲載意図について編集部のコメントを載せている。
「4月4日は今年の新入社員が最初に迎える月曜日です。不安を吹き飛ばし、元気になってもらうために全面広告を出しました。」
なるほど、掲載意図としては、4月1日入社の新入社員を元気づけたい、と言うものだったと言う。そう言う意味では、可愛らしい少女のさわやかなイラストや「今週も、素敵な一週間になりますように」は、一定程度意味があるように思える(若干アイキャッチ的に女性を使ってるともいえるが、まあ漫画のヒロインなので、そこは置いておく)。ただ、なぜこの漫画が、「月曜日の憂鬱」を吹き飛ばし、元気になるに値するのか。ナタリー編集部がご丁寧にも説明している。
「「月曜日のたわわ」は、月曜日が憂鬱な社会人に向け、豊満な体型をした女子を中心に描かれるショート作品。」
月曜日が憂鬱なのは社会人に限らず、学生、主婦、みんなそうである。休み明けは力が入らない。なんとなく憂鬱だ。そんな人を元気付けるために用意されるのは、さわやかな青空でも綺麗な花でもおいしい朝食でもなく、「豊満な体型をした女子」であるという。
一般論的に、豊満な体型の女性を見て「元気が出る」のは異性愛者の男性かと思われる。ただ、月曜日が憂鬱な社会人には、異性愛者の女性もいれば、セクシャルマイノリティ男女もいる。そうなると、この理論は極めて限定的な人へのエールであるともいえる。そんな思い切り異性愛者の男性だけに向けた広告を、「新社会人へのエールとして」日経新聞に掲載されると、日経新聞読者のうちの何割(異性愛者の女性、同性愛者の男性など)かはムッとするのではないか。おまけに、女性に至っては、自分が「月曜が憂鬱な男性を元気付けるための属性」というレッテルを貼られてしまうため、よりイラッとする可能性がある。男性には月曜日を元気に迎えてもらうために手当が用意されてるのに、同じ思いをしている女性(特に豊満な体型の女性)は、自分の感じる月曜日の不安や憂鬱は無視される上、己が属する性が逆に男性を元気づけるために「利用」されるを目の当たりにしなくてはならない。これでは女性が怒るのも当たり前である。
今回の広告は例えば「宇崎ちゃんは遊びたい!」の献血ポスターに比べると、胸元がほぼ見えず、絵だけを持って性的な表象としていると訴えるのは無理筋だと思う(まあアイキャッチ的ではあるが、漫画の新刊の宣伝なのでヒロインが描かれるのは当然である。)。また、この広告は漫画の新刊の宣伝でもあるので、広告を掲載していけない理由はない。ただ、この漫画の成り立ちや訴えたいもの、広告掲載意図がインタビューで語られた途端、この広告、この漫画は極めて限定的な人に向けた情報であり、女性を含めたいくつかの属性の人は無視され、また女性に関してはある種「自分の属性がレッテル貼り」されるのを目撃している状況になってしまった。
個人的には漫画は好きなので、月曜日のたわわが悪いとは思わない。新刊の宣伝もしていいと思う。ただ、講談社は本当に新入社員へのエールとこの漫画の宣伝を掛け合わせる必要があったのか、コミックナタリーは、「「月曜日のたわわ」は、月曜日が憂鬱な社会人に向け、豊満な体型をした女子を中心に描かれるショート作品。」という文を書く必要があったのか。誰かのことを無視して、広告掲載を擁護する人は「日経新聞なんて男しか読まないんだからマーケティング的には合っていた」などと言うのが正しいのか。もう一度考えた方がいいと思う。