はてなキーワード: りぼんとは
だから経済的強者が経済的弱者を経済的に搾取してる現状はその意味で当たり前なんだ。
もちろんそれが善か悪か是正すべきかどうか議論の余地はあるよ。でも善悪の議論で弱者が強者の意志を変える方法はない。弱者の意見が通ったように見えたとしても、それは強者側が譲歩したのであって弱者が己の意見を通した訳じゃない。トートロジーではあるけれど、相手の意志にかかわらず意見を通すだけの強さがあればその人は強者だもの。
日本の法分野においては、基本的にどの個人も平等だとされている。だから、法的強者、法的弱者というのはいないという設定だ。だから喧嘩できるんだよ。個人が会社を訴えて時に勝利を収めることが出来るのは、法分野が経済分野に比べて、比較的公平だからだ。
でも現代社会において経済分野の方が法分野よりも大きな力を持っている。だから経済的強者は、立法に働きかけて己に都合の良いルールを作ろうとする。時間が経てば目立たない形で、経済的強者は法的にも強者になっていく。これは先進国に多く見られる特徴で、日本でも例外ではない。
今後ますます経済的強者はほとんどの分野で強者になっていくだろう。
じゃあ、経済的弱者が、経済的強者に対して互角あるいは有利に意志を通せる土俵はどこかというと、それは暴力なんだ。経済的強者だの弱者だの言っても、裸ん坊で殴り合いをすれば、たいして差がない。人間だもの、肉体性能は五十歩百歩だ。経済的強者は数が少ないから百人で囲んで棒で叩けば殺せるよ。
いま世界中で起きてるテロや暴動は、要するに上の図式の上で起きてる。イスラムのそれもそうだし、EUのそれもそう。宗教的価値観とかはデコレートだよ。そのほうが都合の悪い部分を見せないから「あいつら狂信者の群れだからこわいねー」で済ませてるだけ。
民意とか、民主主義って言うのも、上の理解を元にしないとずれた認識になる。選挙により大衆多数の意志をくみ上げてというシステムは、最終的に「もし大多数の意見を無視して物事を進めたら、大多数が怒って、お前らを棒で殴る」っていうのを下敷きに設計されてるんだ。いまの日本は暴力を否定(忌避とすら言える)した社会だけど、民主主義が暴力革命から生まれたってのは忘れるべきじゃない。
この記事は別段暴力を推奨する意図はない。けれど、その覚悟や理解無しで生きていくと、弱者は弱者のまま搾取されて死ぬ世界なんだ。というか世界は最初からそういう場所だったんだけど、ここ数十年の日本は幸運なことにそのあたりぼんやりしててもOKだったと言うだけの話じゃないか。
この記事にものすごく共感をしていた矢先、お付き合いしていた彼氏と別れることになった。私から別れてくれとお願いした。そうして一段落して、ふとこの記事を思い出した。
私もいま、23歳。りぼんを愛読していたけれど、やっぱり一番好きなのは種村有菜さんの漫画だった。有菜っち(公式でもある呼び名)の描いているページだけ、キラキラしていた。周りの女の子達が描く絵は大抵種村さんの絵柄に似ていたし、神風怪盗ジャンヌが連載されて間もなく、他の漫画家さんの絵柄すら種村さんのものに似てきていたのを覚えている。これがりぼんだけに留まらず、他のなかよしやちゃおにもいえることなのだから、種村有菜の影響力といったらない。
そんな種村さんの漫画を今も読み続けている私にとっても、やっぱり恋愛というのは異次元の存在だった。どれぐらい異次元なのかと友人に聞かれた時、私は「たぶんあなたが思ってる『死ぬ』ってことくらい異次元のものだよ」と説明した。誰だって死ぬという現象は何となく理解しているけれど、それを常に間近に感じてはいない。ぼんやりと別世界のものだと考えていて、ある日身近な人が亡くなってハッとするけど、やっぱり自分自身に起きた出来事ではないから他人事になってしまう。そんな感じだ。
この少女漫画脳をこじらせた結果、今回の別れの原因みたいなものになる。結論、男性というリアルなものを実際に身近なものにすると嫌悪感を催す。これだ。実際に付き合った恋人のことは好きだったし、結婚するならこういう人なんだろうなあと何となく思えるくらいには好きだった。でも、実際に手を繋いだり、抱きしめられたりすると、その違和感による圧迫感が凄まじかった。違うと思った。これは私が体験するべきものじゃないと脳みそが信号を送ってる。違和感はそのうち嘔吐感になって、言い訳がましく恋人からそっと距離を取った。緊張なんてしてなかった、理解してもらえるかは分からないけれど明確な嫌悪感だけがそこにあった。相手にではなくて、行為そのものに。
男性が自分をそういう恋愛対象としてみてくることも、自分がその異次元の世界に放られることも、全部がおかしい出来事にしか思えなかった。それ以来恋人とは上手く距離を保てなくなって、結果として別れることになった。それでやっと、安堵した。うっかりタイムワープした主人公が、冒険の果てでやっと元の世界に戻ってきた時のような感覚に近いんだろうと思う。これもまた、結局は自分で体験したことのない感覚なんだけど。
ふと思い立って持っている少女漫画、女性向けゲーム、その他あらゆるものを漁ってみた結果、「主人公が特別ではない」ものが一つもなかった。いつだって主人公は特別で、美人という訳ではなくても何かしら異能だったり、特殊な出自があったりする。それを踏まえて主人公が頑張るから、相手の男性達は主人公に惹かれるのだ。思い起こせば、「主人公がごく普通の一般人」という設定の漫画やゲームは所有したとしてもすぐに売却してしまっていた。食指が動かない、何一つ惹かれるものがなかったからだ。
恋愛するのはいつだって特別な人たちだ。それを第三者の立場から見て、聞いて、ふーんと思ってそれでオシマイ。例の記事にある通り、漫画を読んでいる感覚からはどうしたって抜け出せない。それで満足なんだよなあ。
それとも今のりぼんなかよしボンボンには「性交または性交類似行為」が載ってるのか?凄い時代だな。そりゃ規制されるわ。
本当に規制案読んでるか?
不道徳に見える物も法律上問題無くても禁止されるから、法律的に特に規制されていない近親同士の恋愛とかもダメだし、同性愛もダメだって言うんだからな。
それを基準に考えて見ろよ、ジャンプ、サンデー、マガジンどころか、りぼん、なかよし、ボンボンですら危ないのがあるんだぞ。
過去の作品にも適用される上に、今後法律が改正されたらそれに合わせて過去の分が18禁になる。
もちろん、恣意的に決定される訳だから、タッチのキスシーンはOKだけど、バスタードはダメってのもまかり通る。ブリーチはOKだけど、NARUTOはダメってのもあり得る。
今回のはそう言う規制なんだよ。
上司であるA氏の話。年齢は50前後。管理職一歩手前という役職。
今年の夏に私のいる部署にやってきた。
A氏は若かりし頃非常に優秀な人材であったそうだ。
頭も切れ、性格は温和であり、人望も厚かったそうだ。
昔を知る人誰に聞いても口をそろえる。
しかし今、私の目の前にいるA氏は
呂律も回らず、離席しては数時間不在にし、席にいても居眠りをするばかり。
時々申し訳程度に業務について質問をしてくる。
残りの時間はぼんやりと資料を目で追っているが、頭に入っているかは定かではない。
昔を知る人誰もが変貌ぶりに驚く。
どうやらバリバリと働いていた数年前、出向先の上司と折り合いが悪くなってしまい、そこから一気に変わってしまったらしいのだ。
今の部署において、彼は管理職ではないとはいえ、重要な仕事も回ってくる。
取引先なんかとの打ち合わせも頻繁である。
それまで彼は畑違いの分野にいたため、勉強が必要なのだが、していないんだか理解できないんだか、会議ではろくに発言もせず、
やっぱりぼんやりと聞いているだけ。
夏を過ぎたころから、彼は自分の席を長時間空けることが多くなった。
しばらくすると遅刻することが多くなった。
そして会社を休むことが多くなった。
理由は体調不良だ。
病院に行くとか行っていたが詳細は定かではない。
このあたりから周りの人間の感情は心配から不信感へと変わってきた。
ある日、A氏にどうしても出席してもらわないと困る会議があった。
彼は部署の代表として出る必要があったのだが、初めからその役目を嫌がっていた。
別の人にしてほしいということを隠さなかった。
発言を求められてもまともな受け答えができないということをわかっていたんだと思う。
だが、A氏の上役がどうしても都合で出られず、彼はしぶしぶ出席に応じた。
しかし、彼はこれもやはり体調が悪いと言って逃げた。
多くの人が困惑したが、心のどこかではそうなることが予測できていた。私もそうだ。
理由は「体調が悪化したため」。
誰もがこのまま休職だと思ったのだが、
彼はなんと一月後復帰したのだ。
薬を服用するようになっていた。どうやら精神安定剤やら睡眠薬のようだ。
しかし、この薬の飲み方が酷い。
おおよそ一時間おきに二、三錠まとめて飲んでいる。
私はこの手の薬を飲んだことがないからわからないが、素人目にも明らかに飲み過ぎという感じで服用している。
意識は吹っ飛んで、記憶もなく、手も震えていた。どう見てもおかしい。止めても聞こうとしない。
そしてとうとう彼は先日駅で倒れた。
病院に運ばれたようだ。
上司はこのまま休めと言っているのに、彼の強い意向により復職したらしい。
仕事なんてまともにできる状態ではないのに、何がそうさせるのか。
理由は意外な、そして簡単なところにあった。
彼はお金が必要だった。
奥さんとの不和によりこうなったのか、
それともこういう状況が続いたから不和になったのかはわからない。
けども彼はわずか3カ月でここまでボロボロになってしまった。
現実から逃げるためか、薬を貪る彼を見ているとやるせなくなってくる。
おそらく今誰が止めても彼は会社に来るんだろう。
言葉は悪いが、きっと死ぬまで。
http://www.ntv.co.jp/kiminitodoke/
これは別冊マーガレットで連載中の少女漫画をアニメ化したものだが、その内容が素晴らしいので少し紹介したい。
この物語の主人公の黒沼爽子は明るく純粋で感動屋だが、見た目が超陰気なためクラスメイトから『貞子』の名で恐れられていた。だが、風早翔太に恋をしたことがキッカケで、自分が思っていることを周囲に発言するようになり、クラスに次第に馴染んでいく。この漫画では、その爽子を中心にクラスメイトとの友情、及び風早との恋物語が丁寧に綴ってある。
思えば少女漫画は少年漫画と違って、昔から『読者との等身大感』が非常に重要視されてきたように思う。
例えば、私が小中学生の頃読んでいた『りぼん』では、『天使なんかじゃない』、『ママレード・ボーイ』なんかが流行っていて、読者が感情移入するのはもちろん主人公である女の子。男性のサブキャラクターが一部に人気を誇ることはあっても、物語はあくまですんなりと読者が感情移入できるようにと配慮され、『キャラ重視』されない漫画が多かった。また、当時はまだ少女漫画がアニメ化、ドラマ化すること自体が稀であったため、それらの作品は映像化しないで終わったものが圧倒的多数であった。
それが最近の『イケメン』ブームにより、アニメ化するのもドラマ化するのも、製作側に『とりあえずイケメンいっぱい出るやつがうけるんでしょ』と安易に片付けられ、結果、視聴者が非日常感を楽しめるように、という視点での製作が進んでいったように思う。
確かに『NANA』、『桜蘭高校ホスト部』、『花ざかりの君たちへ~イケメンパラダイス~』などは素晴らしい出来だったと思うが、何故これらの映像化が受けたのかというのを製作側は深く考えたのだろうか。少なくとも私は、フジテレビが映像化した『メイちゃんの執事』、『有閑倶楽部』は『イケパラ』の二番煎じを狙ったもののように感じられて仕方が無かった。原作者の方には非常に申し訳ないが。
もういい加減『イケメン』路線が飽きられているのも製作側は分かっていると思う。なので、なおさらこの『君に届け』がアニメ化されたこと、またその出来栄えが素晴らしいことが嬉しく感じるのである。
ただ昔と違うのは、『腐女子』や『リア充』に代表されるネットスラングともいえる言葉が、視聴対象となる若者に浸透しすぎているという点だ。言い換えると、このアニメは爽子がいかにリア充としてクラスに打ち解けていくかというものを描いているため、視聴者がこのアニメの話題で、実際の学校生活で盛り上がれるか盛り上がれないかで、その視聴者の取り巻く環境を推察できるように思う。だって実際にあなたがクラスのいわゆる暗いグループに所属しているとして、「超感動した~」と盛り上がっているところを他のグループに聞かれたいだろうか?私だったら駄目だ。『こいつも爽子みたいに本当は打ち解けたいんじゃないか』なんて思われるくらいなら死んだ方がマシだ、と思ってしまうに違いない。中高の頃ってやたらとプライドだけは高かったりするし。
こういう風に書くと、『なんだ結局オタクは見るなって言いたいだけかよ』と思われるかもしれないが、それは違う。むしろオタクこそ見るべきと言いたい。このアニメに登場する人物が、たとえ主人公のライバルにせよ、どこか憎めなくて愛せてしまう性格の持ち主ばかりで、リア充だろうがオタクだろうがそんなものは乗り越えて、見ている側が30分間、自分のとりまく環境を忘れさせてくれるような作りになっているからだ。
男だろうが女だろうが、オタクだろうがオタクじゃなかろうが、この『君に届け』の世界観が、ごくありきたりの学生生活を描いているにもかかわらず、ある意味で非日常な空間を体験させてくれる。それも自然に。この点が、このアニメの一番の真骨頂であるように私は思う。
風早に笑われると、まるで自分が爽子であるかのごとくドキッとしてしまうし、クラスメイトが仲良くしてくれると本当に嬉しく感じる。そういう意味では『リア充感』を味わわせてくれるアニメ、ともいえるかもしれない。
かつて、『監督不行届』という本の中で、エヴァンゲリオンの監督である庵野秀明が、妻、安野モヨコの漫画を評して語った文章の中に、非常に印象深いものがあるので紹介したい。
嫁さんのマンガのすごいところは、マンガを現実からの避難場所にしていないとこなんですよ。今のマンガは、読者を現実から逃避させて、そこで満足させちゃう装置でしかないものが大半なんです。マニアな人ほど、そっちに入り込みすぎて一体化してしまい、それ以外のものを認めなくなってしまう。嫁さんのマンガは、マンガを読んで現実に還る時に、読者の中にエネルギーが残るようなマンガなんですね。読んでくれた人が内側にこもるんじゃなくて、外側に出て行動したくなる、そういった力が沸いて来るマンガなんですよ。現実に対処して他人の中で生きていくためのマンガなんです。嫁さん本人がこういう生き方をしているから描けるんでしょうね。『エヴァ』で自分が最後までできなかったことが嫁さんのマンガでは実現されていたんです。ホント、衝撃でした。
この庵野監督の言っていることがそのまま、この『君に届け』には当てはまると私は思う。例えクラスでこの話題に入れなかったとしても、そんな事はどうでもいいのかもしれない。むしろ『その話題に入りたかった自分』を直視させられるキッカケとなるのが、このアニメなのかもしれない。だって爽子は、そういった自分の内側の気持ち、『皆の輪に入りたい』ということを、ちゃんとクラスメイトに勇気を出して伝えているじゃないか。不器用で天然だけど、こちらが恥ずかしくなるくらいに真っ直ぐで、だからこそクラスで受け入れられていくのだ。プライドばかりが高い誰かとは違って…。
私は、あなたがこのアニメを見終わってテレビを消した後に、非常に満ちたりた充実感を味わえることを約束する。現在2話まで終わっているので十分追いつく範囲だ。男も女も、腐女子もオタクも、見て幸せになるといい。
日本の漫画界、とりわけ評論畑には、高尚から低俗へ続くヒエラルキーというものが存在して、青年誌のストーリーモノが「大人の鑑賞に堪える漫画」として頂点に君臨し、白泉・秋田あたりの少女・女性向け漫画がそれに次ぎ、ジャンプ的ストーリー漫画とサンデー的コメディ作品ならジャンプの方が上の扱いを受け、エロ漫画が最底辺となる。
ガロ的なものはこのヒエラルキーからは独立した地位を占め、(お家騒動以前の)エニックスや、角川的な萌え作品は存在自体が無視されている。ヒット作が出るとジャンプ漫画とかの文脈で解釈しようとして的外れなことをいう。ハガレンなら半分くらいは理解できるだろうが、グルグルとかは手も足も出るまい。
少女漫画については、いっけん多く論じられているようだけれど、彼らの手が届くのはせいぜいなかよしまでで、実際に小学生女子に支持されている今ならちゃお、以前ならりぼん掲載作のような、「幼稚な」作品についてはやはり触れられることは少ない。
いやはや、漫画評論とはまったくご大層な代物である。
小さい頃から日記を書いていればよかったなあ……
何故書かなかったのだろう。
自分の人生、ちゃんと覚えているつもりだったが、ふと部屋を整理したら出てきた昔のちょっとした書き物で、今まで全く思い出さなかったある記憶を(物凄く些細なものだが)思い出して、ショックを受けた。
多分こういう記憶がいっぱいあるのだと思うと残念な気持ちがする。
自分の昔の人生をはっきり覚えていないというのはいささかショックだ。
自分がおぼえていなければ一体誰が覚えているのか。
昔「りぼん」の漫画の枠外に、読者お便りコーナーがあったが、そこに「8歳の頃から毎日日記を書き続け、もう10年です」とか書いていた人がいた覚えがある。あの人は今も書いているのだろうか。なんだか見も知らぬ彼女が羨ましい。
恋とか愛とかはすばらしいんだよ!って本当だとは思えないんだよなあ。
好き、なんてのは妥協の産物であってもいいわけで、結婚って社会的な制度(というか、恋愛すばらしい結婚するのは普通っていう空気のほうが重要なのか)があることを考えれば、好きあって子供を産む確率はものすごく低いわけじゃなくね。恋愛っていうのはたいてい片思いから、相手がまぁいっかでOKしてはじまるようなもんだと思ってるんだが。そこから付き合って一緒にいることで親密になって・・・ステレオタイプかもだが。
俺は元増田の相手(本人も?)の「愛(がある人間)にこそ価値がある」って価値観に反感を覚える。本能持ってくるあたりも嫌だった。矛盾してるとか説明しづらいとかそういうことではないんだけど。あと、枷が欲しいってのは確実に欲ではあるけど、愛じゃないって言いきれるものでもないんじゃね?愛をそんなきれいなものに限定しなくてもいいと思う。
こんなこと書いておいてあれなんだけど、やっぱり俺は恋愛に幻想を持ってる。頭では恋愛偏重はよくないって思いながらも、結局思春期みたいな、りぼんとか読んでる子が考えるような恋がしてみたいなあとか思ってしまう。実際に誰かと恋愛したらこういう幻想は振り払えるものなのかね・・・
>・・・好きな人と子作りできればいい
>・・・あるよ。その人のことが好きだったから。
で、この辺を読むとなんか嫌な気分になってしまった。ああー。
漫画に限らず創作作品全般に言えることだけど、キャラクターの設定からストーリー展開まで全ての要素は作者側にしかなくて作者が思うようにやるのが100%正しいと思うんだよね。
かんなぎについて言えば、今回のことで「作者はどういうユーザー相手に商売していたのか考えてなかったな」的なことを聞くんだけどさ、作者は果たしてそのユーザー層はどういったものを想定していたんだろうね。
想定内のユーザーが暴れれば何かしらコメントでも出して理解してもらおうとするだろうけど、想定外のユーザーが暴れすぎたものだから精神的に参ってしまっただけで(実はそうじゃなくて、ストーリー展開など予定されていた内容を全て練り直さなければならないための時間稼ぎだという人もいるけど)、騒動が起こるのもいいしそれは駄目だという人がでてきてもいいし、オタクを否定する要素みたいなものって何もないと個人的に思うのだけど。
追記:
http://anond.hatelabo.jp/20081207231044
結果から言えば想定外だったんじゃない?
それにさ、りぼんでもコロコロコミックでもジャンプでもヤングマガジンでも結局は展開って作者次第じゃん。
もちろん編集が売り上げとかマーケティングとか考えながらやる部分もあるけど、どちらにしたって作者がやりたいようにやるは基本だと思うんだよ。
所詮、読者は読者であって作品を作り上げる役割にかかわることはできないしかかわっちゃいけない。
気に入らなかったらそれで読むの止めるのが妥当だと思うな。
しかも過去の話だとステルヴィアのちょっとした騒動だって、あれ異常だぜ。
誰だって予定としてわかりそうな展開でかつ祝福されそうな感じなのに、トチ狂って中古中古の大合唱。
http://anond.hatelabo.jp/20081208004016
それってガンダムが弱小な存在だったから売り上げを高めるための手段のひとつでしょ?
もちろん、富野監督は感謝の気持ちもあっただろうけど、このガンダムみたいなパターンって稀だよ。
http://anond.hatelabo.jp/20081207144218
オタクが勘違いして暴れてるだけなんだから無視しておく、が一番な方法。
>否定、というと難しいがー
非難・・・なるほど。
アニメ気に入って原作見たらちょっと違ったっていうことあるからねえ・・・
>マーケティングー
どこできりわけて作家を優先・保護するかが創作活動の要点だと思う。
>本当に騒動が原因で展開変更ー
展開変更の話はどこかに書いてあったのを読んだだけで、個人的には発表どおり体調不良での休載だと思ってる。
精神的に参ってる可能性もあるし、展開変更をするかしないか悩んでるのもあるのかもしれないけどそれは本人しかわからないよね。
電車男やスイーツ(笑)的なデフォルメされたキャラクターとしての「腐女子」と、本来言葉の意味していた「男同士の恋愛モノが好き」という要素が剥離している、という話かな?
小悪魔ageha風の見た目ほぼキャバ嬢やないかーい!みたいな盛り盛りギャルと
ぼさぼさの黒髪をひとつに束ねてユニクロシャツにジーンズみたいな地味な女子と、だったら
前者が超濃ゆいBL大好き読者で後者がりぼんに載るような少女漫画を描いていたとしてもキャラクター的には後者が腐女子として認識されそうな感じがするとか?
私の周りには前者みたいな子が結構いる。
ヲタって似た気質のものが寄り添う傾向にあるから、元増田の周りの統計は元増田の周りでしか成立しないと思う。
別に私はageha風ではないけど。w
全然関係ないが、オダギリジョーと結婚した香椎は岡田あーみんファンだよ。リラックスという雑誌で語っていた。で、岡田あーみん本人はかなりの美人。当時りぼんで連載していた作家の誰よりも可愛かったのは今でも有名。
http://news.livedoor.com/article/detail/3444777/
この作品を掲載していた当時の『りぼん』では、矢沢あいや一条ゆかり、池野恋などによる正統派少女マンガが主流。そのため「少女漫画界に咲くドクダミの花」と謳われたあーみんに惹かれてしまった人は、たいがいその後の人生もわき道に逸れてしまって、昨今のモテ風潮を良しとしない「アンチモテ=モテない」気質が出来上がってしまったと、本書では指摘している。
って図式が前提になるんだが、間違っていないといえば、間違いではないのだが
そーいや、当時のりぼんで記憶にあるのは、ときめきトゥナイトとポニーテール白書と星の瞳のシルエットだけっぽい
矢沢あいに至っては当時何を書いていたのかすら覚えてない
それはあれかな、男には一応、
コロコロとかボンボン→ジャンプとかマガジン→ヤンジャンとかヤンマガとか→ビッグコミックとか?みたいな一般漫画誌のカバー領域が全年齢に渡ってあるけど、女の場合
りぼんちゃおなかよし→マーガレットとか少女コミックとか花ゆめとか、
とここまで来てその続きがないからじゃなかろうかとか思ったり。若いとき過ぎたら漫画は卒業、一部は残ってオタク化みたいな。
それともヤングユーとかコーラスがここに入るんかね。おじさん向の漫画雑誌ってあっても、おばさん向けってあんまないよね。仕事漫画みたいなのの需要が少ないからかな。
なんかもう。いろいろとちゃんと読もうな。
最初っからプロダクトとしての面を多く含んだメディア論なの。
書店員が、って書いてあるでしょツリー元に。
対決とハッピーエンド
こっちは意味不明だぞ。
「通念」としてなら、どんな物語だって対決とハッピーエンドが基本だし、
「実際」としてなら、対決しない作品も、バッドエンドの作品もたくさんある。
基本。たしかにそのとおりだわさ。まぁここでAT分類とか柳田とかプロップとか言ってもアレなので、カンタンに「純粋にストーリーについて」たとえ話をすると、マンガの物語類型の豊穣さに比べて、ラノベはまだまだ狭い、というのは認めざるを得ないよな? 全編笑い話しかしないラノベやら、ひたすら恋愛とセックスの話しかしないラノベって、そう多くないと思うぜ。
「実際」の方は、その通りだけど、ざっと見た全体の印象の話をしてるんだし。
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http://anond.hatelabo.jp/20071116204204
あー。書き方がびみょうだったかも。ボーイミーツガールはラノベの基本なので当然。
おれが言ってるのは、『りぼん』『なかよし』掲載マンガ並に「恋愛しか」書いてないラノベ、という。コバルトはラノベか? という話とかは、まぁ。あ(略)の方向で。