はてなキーワード: やわなとは
どうもこんばんは。趣味で低評価をつけている者です。★4以上はつけたことがありません。
あなたのように低評価をいちいち気にしてくれている作者さんが実在すると知ってがぜんやる気が沸いてきました。
これからも誹謗中傷とは一概に言い切れない、役に立った扱いしてもらえる微妙に的確な低評価レビューを量産して商業作家様のやわなメンタルを蹂躙していきたいと思います。
発売したばかりの新刊のまっさらなレビュー欄にエグい低評価つけるのって本当気持ちいですよね。
この1冊分の投資によって何人何十人以上の購入意欲を萎えさせたかと思うとにやにやが止まりません。
そら当初からの8%引き上げ時期である2014年4月1日、あるいはそれを正式決定した2013年10月1日の時点で、既に2012年12月の衆院選と2013年7月の参院選が終わっとるんやし、正確には「自民党は選挙で連勝してねじれ国会が解消されてから消費税増税を決定した」やわな。
民主党は確かに8%引き上げまでは三党合意を遵守する構えやったけど、そこには「デフレ脱却してから」「すべて社会保障に使う」という前提があるわけで、最初から「景気を盾に」はしとるわけや。
しかも、保守層までもが消費税増税に反対するほどの世論になったのは8%引き上げ(による景気減速が決定的となった)後、つまり10%引き上げが論点やろ。
2014年10月には枝野が既に「アベノミクスが失敗したから景気条項を発動すべき」と示唆しとったわけやから、2014年12月の「景気条項の削除」および「消費税率10%引き上げを問う解散総選挙」のまえから民主党は「景気を盾に消費増税に反対」に転換しとったんやで。
そんで2015年には「自民党が三党合意を破ったのでこちらも守る筋合いはなくなった」と、民主党は「与野党合意」の構図まで否定しとる。
当初は順調に見えたアベノミクスを大コケさせて、三党合意も破って、それでも10%引き上げに踏み切ったのは自民党の責任でっしゃろ。
キャベツ…野菜炒めにすると水が鬼のように出てくる。それと一緒に旨味や栄養も逃げてしまっていないか心配。
食感は悪い。シャキシャキとしたみずみずしい食感はなく、フニャッとしたやわな食感に変わってしまっている。
味は、そこまで変化は感じられなかった。若干甘味が増したかも。
ネギ…斜め切りで保存したが、全部変わらず
きのこ…エリンギを保存。冷凍初心者だったので、カットせずに丸ごと冷凍してしまった。あの長い円柱状のものを、そのまま食べるのはさすがに食べづらいと思ったので、冷凍庫から取り出した後、包丁で切ろうと試みた。親の仇の如く何度包丁を力強く振り下ろしても、無惨に1ミリほどのキリ傷が残るだけだった。半ばやけになって、少しでも小さくするべく折ろうとしたら、切断面が壮年期の山のように凸凹になってしまったが、やや二等分に折ることができた。
食感は、変わらない。変な切り方(折り方)をしてしまったので、一般的に調理されてる薄っぺらい切り方のエリンギと比べて、4倍ほどブニブニしてたが、薄く切ると多分同じだろう。
話題の第8回シンデレラガール総選挙だが、夢見りあむのシンデレラガールはないと考えている。
夢見りあむは第8回総選挙のために生み出されたアイドルだが、彼女はシンデレラになるために生まれたわけではないからである。
順を追って説明していこう。
夢見りあむについて語るときに、直近で起こった事件で触れるべきことがある。
バーチャルタレントとしての魂の座をかけたバーチャル蟲毒である。
このイベントもまたいわば選挙であり、その構図は非常に似ている。
ヴァーチャル蟲毒において、彼女が盤面をひっくり返すための最初の戦術は、無課金勢という大衆に武器の使い方を教えたことだ。
当初のヴァーチャル蟲毒を独走していたのは、重課金の騎士に守られた姫だった。
重課金の完全武装の騎士だろうと、武器が鍬だろうと、10人ならば?100人ならば?1000人ならば?
ほら、見ての通りだ、寄ってたかれば勝てる、お前も参加しよう。
今回の総選挙とこの構図はよく似ている。
夢見りあむの票は、当然だがほかの上位勢のアイドルみたいな強力な騎士に支えられたものではない。
だがそのうえで中間3位という結果が、この総選挙においては本田未央すら”倒しうる”ことを知らしめた。
これらはもちろん純粋なファンもいるだろうが、興味本位や好奇心、運営への怨嗟や憎悪といったものがないまぜになった薄く広い票田
だ。
これはこれまでの総選挙のお題目だった純粋なファンに支えられてシンデレラを目指す、というストーリーへの巨大な一石だ。
起きた結果だけを見れば、同じように見える両者だが、決定的な違いがある。
りあむはキャラクターであり、意思を持った個人ではない、という点だ。
夢見りあむの言動は運営に完全にコントロールされたものだということだ。
りあむは声もないため、声優の暴走というイレギュラーも存在しない。
つまり、九条林檎の№5のそれはいわば運営への仕掛けだったが、りあむのそれは運営からの仕掛けなのである。
さてそういう見方でみると、夢見りあむの中間3位は別の意味が見えてくる。
彼女は、自然発生した台風ではなく、運営が意図した爆弾なのである。
夢見りあむは、既存の総選挙問枠組みの破壊者であることは間違いない。
夢見りあむの出現によって、アイマス界隈は不可逆の変化を遂げた。
だが、少なくともこの総選挙で生まれる最後のシンデレラには魔法をかけなくてはならない。
夢見りあむは1位でも2位でもいけなかった。
それでは構図が2位もしくは1位のアイドルとの一騎打ちになる。
シンデレラの魔法がかかるためにはそれがりあむに勝つためだけの票に見えてはならない。
りあむは4位以下でもいけない。
りあむが爆弾たりうるには勝てるかもと思わせなくてはならない。
3位がベストだ。
その場合、構図はりあむによる露払いによって否応なく発生した1位と2位の純粋な一騎打ちになる。
りあむは魔法を解いたがそれでもなおりあむに飲み込まれなかった二人は本物ではないか?、と思わせる。
上に2人いることで分かりやすい反りあむの投票先はその2人に分かれる。
つまり、りあむの対抗票として投じられるそれは彼女たちを汚さない。
そしてりあむが勝ってもおかしくない空気のまま、どちらかが勝てばよい。
ここまでくれば分るだろう。
りあむはけして悪くはない順位だったとは考えられるが果たして3位だっただろうか?
1位と2位の一騎打ちを演出するこんなに都合のいい道化がいるだろうか?
シンデレラにしたいアイドルのガチャブーストすらする運営をどうしてそこまで信じられる?
声がついた後、トップアイドルにも下積みにもなれずくすぶるアイドルが少なからずいるのに運営がユーザーに常に真摯であると?
そういう露骨な誘引より、もっと分かりにくく巧みな操作を行うようになったのだけではないか?
総選挙はアイマス最大のコンテンツである以上、票を単純に数えるだけのはずがない。
ドラマの生まれるかどうかわからない総選挙をするようなやわな運営だろうか?
断言しよう、いつからかはわからないが総選挙は間違いなく台本と筋書きがある。
しかし、これはエンターテインメントとして当然の帰結である。
むしろりあむ事変を計画的に起こしたのであればその手腕は大いに評価すべきだ。
きっとこれからもすごいコンテンツを提供してくれるのは確かだからだ。
運営の用意周到さはりあむが投入される前段階として声のあるSSRで実装された新アイドルの投入という実験を行っている点からも見て取れる。
新アイドルがSSRを背負い、声を持つこと、この反響を試したのだ。
いまのゲームは全キャラクターにボイスがついていてもおかしくない時代だ。
そのうえで、新アイドル全員に声をつけない、というのは予算などではなく、もっと大局的な戦略的判断であると考える。
声がついていて、SSRがあったから、それらをねたむ人間からは憎悪しか浴びなかった。
おそらくりあむの声優は既に決まっている。
りあむは明らかに火中の栗であり、燃え上がってから声優を打診するはずもない。
おそらく鎮火のための施策の提示も含めてのオファーが回っているはずである。
そのうえで、あえて、りあむは、声も、SSRも背負ってこなかった。
りあむが、シンデレラに憎悪を燃やす人間からの票を取り入れるためだ。
暴発寸前の彼らの票を投じる先を用意してコントロールする必要があった。
だがそれはシンデレラになるためではない。
彼女は炎上アイドルとして送り出されているが、実のところ家を壊してでも延焼を防ぐ火消しであるのだ。
彼女こそがシンデレラを最後の最後で守るた、最後の魔法使いだ。
だから、この総選挙で夢見りあむはシンデレラガールになることは絶対にない。
だが、彼女は死なないと私は信じる。
これまでアイマスというコンテンツが切り捨ててきた層(見向きもしなかった人を含む)をこそ夢見りあむという女の支持者にしてアイマスの世界に取り込むこと。
この負けるために生まれてきて、生きるだけで地獄の綱渡りするアイドルを、私は愛そう。
遥か空高く飛び立つ姿と同じぐらい、彼女が燃え尽きて墜落するまでのその姿を見てみたいと思うからだ。
まぁなにかまかり間違ってシンデレラガールになるようにことがあれば、それは私が夢をかなえたファンになるというだけなので、私は全然かまわないのだが。
https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181004-00099263/
上記URLは社会学者千田有紀氏の書いた『「表現の自由」はどのように守られるべきなのか? 再びキズナアイ騒動に寄せて』という文章。
この日記では千田氏の文章に沿いながら反論をしていきたい。なお千田氏の文章は内容にまとまりがなく錯綜しているため、項目ごとに小さく反論していくことになる。
千田氏の文章の全体像を掴みたいなら元の文章にあたってほしい。
(そもそも千田氏の文章は根拠の提示もなくお気持ち表明でしかない。誠実に問題点を指摘していたなら、千田氏は炎上せずにいただろうに。)
反論をすることができる表現の自由万歳。あとめっちゃ長いけどゴメン。でも千田氏の文章激ヤバだからできれば最後までお付き合い願いたい……。
4.「表現の自由」とはなにか?
千田氏は、キズナアイ自体には特に好悪の感情があるというわけではないらしい。
そして千田氏は「このようなキズナアイを好きな人もいるだろう。思う存分、ひとりでキズナアイを愛でて欲しい」と述べている。(棘のある書き方だ。)
それならば勝手に、『思う存分、ひとりで』キズナアイを尊敬させてもらおうと思う。
自分の場合は「愛でる」ではなく「尊敬」という態度を抱いている(『キズナアイ』の運営理念は「世界中の人と繋がること」だ。
そんなことを言ってしまえること、そしてそういう活動を実際にしていることが凄いと思っている)。
千田氏が想定しているような「愛でる」以外にも態度があっていいはずであり、態度は人それぞれ自由でいいはずだ。思想信条の自由万歳。
千田はこの章において以下の六点を挙げて、NHKのサイトでキズナアイを置いたことを批判し次回サイトを作る時には配慮をするようにと求めている。
2)教育的な教材で
5)女性が性的に描かれていて(ここの評価は分かれるようだが、やはり胸が強調されているのは否めないと思う。
思わないとしたら、脳内の女性の表象の「スタンダード」が違うのだと思う)
以下一点ごと見ていく。
千田氏が何を以て「こどもを対象にした」としているのかがそもそも不明瞭だ。
実際の対象は「キズナアイに興味がある人・こういった絵柄のキャラクターに興味のある人を対象にした」なのではないか。
キズナアイの主なフォロー層は子どもではないと思われる。キズナアイ自体の話ではないが、キズナアイを筆頭に括られるVirtual youtuberは、2,30代が視聴のメイン層とされている。それを起用したのだから、その層に読まれることを狙った特集であると考えるのが自然ではないか。
(ノーベル賞特に興味なかったけどこのおかげで記事全部読みましたよ。私にはキズナアイに乗って記事が届いた。)
そもそもこれはネット記事でありテレビ放映ではない。子供も企画の対象には入るかもしれないが、子供向けとはっきり言い切るには無理がある。
そして何よりキズナアイが載っているのはNHKNEWSWEBだが、NHKNEWSWEB”EASY”という小中学生その他向けの読みやすい記事が別に用意されている。
(そこにキズナアイの特集はないが。)記事の内容を比べればキズナアイ特集の難しさ、「こども向け」でなさが分かる。
2)教育的な教材で
前述したが千田はこの記事を大人が読むことは想定していないようだ。そのために「教育的な教材」などという言葉が出てくるのだろう。
「キズナアイのノーベル賞まるわかり授業」と特集サイトにはあるが、授業と書いてあれば子供向け、という考えなのだろうか。
大人も授業を受けていいはずであり、「解説記事」という方が適切だろう。
またこの記事が「教育的な教材」だったとして、教育は様々な層へ届いた方が良いし、そのためのアプローチが多いに越したことはない。
こういったキャラクターを好む層へのアプローチとしては「萌えで分かる○○」シリーズなどもある。キズナアイの起用は、キズナアイが届く層へのものだろう。
また千田氏はもしかしたらNHK(公共機関)=教育的な教材=子供向けとしたいのかもしれないが、NHKは子どもだけに向けた機関ではない。
また(1・(2のみから考えれば、子ども向けではなく「教育的な教材」でない場合にはキズナアイの起用は問題ないことになるのではないか。
NHKが作った教育的教材でないものは多いはず。(のど自慢とか?)それにキズナアイが起用されたならば、その時は千田氏は認めるのだろうか。
性的な相槌打ちでも批判しないのか。千田氏の主張は不明瞭であり、文中に明確な判断材料は示されていない。
この箇所自体はステレオタイプの存在の話で、キズナアイは無関係だ。千田氏の実感を根拠としておく。
(もしかしたらキズナアイがそのステレオタイプを助長させるのだと危惧しているのかもしれない。だがやはり具体的な指摘は見当たらない。
言わずに匂わせるだけにとどめる表現の自由の行使か。もしそうなら、そんな不誠実なことをするから炎上するのだ、と言いたいが。違うことを祈る。)
現実に進む人は少ない。さらに先日医学部の大きな不正も発覚した。不平等は現実にある。
5)女性が性的に描かれていて(ここの評価は分かれるようだが、やはり胸が強調されているのは否めないと思う。
思わないとしたら、脳内の女性の表象の「スタンダード」が違うのだと思う)
キズナアイが性的には描かれていないなら、ここでの問題はないということになる。その場合は千田氏のスタンダードは「違う」ということになるが。
ここで千田氏は評価が分かれるとしながらも、強調された胸という身体的特徴を持つキズナアイを性的なものだと見なして批判している。
このことから導かれるのは、性的に見られうる要素を持ったものは排除しようとする考えだ。
公序良俗に反しない範囲をキズナアイが逸脱していて、それにより不適切になるのだとすれば、キズナアイ以上に性的に見られうる身体的特徴を持った人は、それが現実の人間であっても、キズナアイよりも不適切ということになるのではないか。
特集を見ればわかるがキズナアイは自身の持っている身体的特徴に関しては何も強調していない。
その属性を持っているだけで「理系」から排除されるのであれば、どちらが「理系へ進む女性」への妨害になるのか。
(美形な、胸の大きな、などの特徴を持った研究者がいたとして、特集する側がそれを強調するようであるなら問題ではあるが。それは特集する側の問題だ。)
このことのみによって今回の企画を批判することはできる。しかしこの時千田氏が批判するべきなのはキズナアイが起用されたことではなく、この解説の内容、台本だろう。
『このキズナアイの代わりに、せめて白衣の女性が立ち、きちんと受け答えをしてくれていたら、女子学生はどれだけ励まされただろうか。
今後はぜひ、研究や教育にかかわる分野では、配慮をお願いしたい。』
上記の文は千田氏の『ノーベル賞のNHK解説に「キズナアイ」は適役なのか? ネットで炎上中』という文章にあったものだ。
ここではキズナアイへの批判と企画自体への反感が同一のものとして語られている。(そして今も主張に変化はないだろう。)
キズナアイであるか白衣の女性であるかが重要な違いなのか。(性的かフォーマルかということか。)きちんとした受け答えが重要なのか。
またこの主張は、相槌のみをする補助的な役割を行う女性を全て排除することになる。
千田氏にはぜひ、他のこうした不平等に対して、理系分野だけでも、今回のキズナアイ騒動のように頑張っていただきたい。
(この行動によって女性の不平等が変わるのなら。割と本気で賛同はしたい。ただそれによって相槌のみをするような女性の排除になるなら話は別だろうが。
そしてなにより大事なことに、おそらく千田氏はそのことを考慮していないだろうが。)
以上が千田氏が挙げた六点になる。
だがここで千田氏は、上記六点はただ挙げただけで、詳しい言及をすることなく次の話題に移ってしまう。
(正気か? 1)~6)が全て揃っているときに問題なのか、それぞれの観点で問題なのか、何もわからない。
それぞれの点に関しても一言で済ませられるものではないにも関わらず説明を添えることもない。不誠実。)
意をくんで(おそらくこういうことが言いたいのだろうが)、公共性の高いNHKで、女性の姿をしたものが、女性の役割を貶めるような振る舞いをしたことが問題であると言いたいのだとしてみたとして。(そしてそれが特に女性に厳しい理系分野で。)
そうした場合の千田氏の考えを想像するに、「公共の場で取り上げられてしまったことで、このキズナアイのような愚かな振る舞いを、現実の場でも女性に強要するような、そうした態度が人々の間に浸透するのだ」というところだろうか。具体的記述がないため想像するしかない。
次の話題で千田氏は、寄せられた質問(以前の文章への反応だろうか)への返答をし、そののち自身の体験を語る。
千田氏の体験はハラスメントにより自身の理系への道が閉ざされたというものだ。そのような状態は是正されなければならないが、その責任をキズナアイに求めるのはお門違いだ。
キズナアイは人々に向かって理系へ進むなとは言わない。そんなことよりもぜひ教育現場の意識改革に関して研究をしていただきたい。理系へ進める女の子が増えるのではないか?
(それかキズナアイ特集がくだらなすぎて理系進むの止める、みたいな女性がいると? そうなら他人を舐めすぎでは?)
以下は寄せられた質問とそれへの返答だ。
「女性を励ますことも大事かもしれませんが、子どもに科学に興味を持ってもらうことの方がもっと大切じゃありませんか?」
氏の返答
「科学に興味をもつ子ども」から、女の子が排除されていることが問題なのである。
ぜひ、「子ども」の半分を構成する女の子に興味をもってもらいたいがゆえの、お願いである。「子ども」は男の子だけではない
キズナアイが起用されることによって、科学に興味を持つ人から女性が排除されるのだろうか。端的に間違いだろう。(それか説明不足。)
キズナアイが起用されることで「記事」から排除されるのは、キズナアイに悪感情を持つ人であるはずだ。
科学に興味はあったがキズナアイは嫌だ、という人はキズナアイのノーベル賞の記事は読めなくなるだろう。だがそれは男でも同じだ。
女性だけがピンポイントで、さらに「科学から」排除されることが納得できる説明は、上記の文章の中にはどこにもない。
(だから書いて欲しいのだが、そういうことが書かれていないから炎上する。)
なお、千田氏が前回の文章でも挙げていたキズナアイと理系女性の話はもう出てこない。ここで、本当に言いっぱなしで終了する。
性的なのが問題ではなく厳しいゾーニングがあればいいと千田氏は言う。
(キズナアイ特集がゾーニングできていなかったか判断できるのか?どれだけ子供の目に触れたのか?ネットの記事が?キズナアイの性的さはどれだけのゾーニングが必要なのか?)
これに関してはデータがないので自分は何も言うことができない。(向こうもデータは無いんだろうけど。)
本題に戻る。千田氏はここでキズナアイ騒動に寄せて新たな主張、表現に関する主張を繰り出す。千田氏の主張は以下の通りだ。
人の行うすべての表現はさまざまな意味を持ちうる。そしてその表現は既存の社会規範、構造を再生産するという意味で問題になることがある。
キズナアイは「女性らしい」、現在の社会で求められる「魅力」的な体つきをしていて、女性に求められる美の規範をなぞっている。
そして現在の社会では女性の体は性的な対象として扱われており、よって表現があるだけで女性と性の結びつきが社会で再生産されていく。
このことをキズナアイに当てはめて具体的に書けば、
つまりは現在の社会では、キズナアイはどうしても性的に見られるから公共の場に出てくるときは注意しなければならない、ということになる。
(ちなみに男性の性的さは社会での文脈違うから同じには語れない、とのこと。)
もっとはっきり書けば、規制しろ、自主規制をしろ、出てくるな、ということなのだろうか。
(……本当に他にやれることはないのか? これが最善手と? フェミニズムの蓄積ってこんなにも何も無い虚無なのか?)
4もこの続きみたいなのものなので一旦先に進む。
4.「表現の自由」とはなにか?
ここでの千田氏の主張を挙げる。
「表現の自由」は重要だと思っている。国家による検閲や介入は出来るだけない方が望ましいとも考えている。
そのためには国家に介入されないように市民がオープンに表現について語ることが必要。
だからこの表現は何を生み出すのか、誰かを傷つけないか。傷つく人は何が嫌なのか。
こういう議題は議論としてどんどんやっていくべき。
あと。表現は、他者への配慮で壊れるようなやわな物じゃないよね。だからもっともっと配慮をして、配慮の効いたものを作っていこうね、それはきっと素晴らしいものだから。
以上が千田氏の主張。……最後の一行、めっちゃヤバいこと言っってんじゃん。マジか。
(そして配慮に配慮を重ねた結果、その表現は、元のものとは姿かたちもかけ離れたものになっているのですね。わかります。)
……結論。千田有紀氏は、バリバリの表現規制論者。積極的に反論していかないと、今回みたいに延々と考え無しな表現規制論を振りかざし続ける。
あっきゅー。
■洗濯
洗濯機に入れる時は靴下・パンツ・シャツ等の種類別に特大洗濯ネットに入れて運搬と干す時の分類を楽に
7連ハンガーとかんたん取り込みハンガー2つで1週間分を干してる。冬になって洗濯物が増えたらバスタオルだけ別ハンガー
そのまんま部屋にかけとく、人が来たら押入れに入れる(そして人など来ない)
■布団干し
カバー洗いは、バスタオル用ハンガー2つでハンモックのような形にして干せば通常の洗濯が1回増えたくらいの手間じゃね?
■食器洗い
キッチンの低さがストレスなので、上向きに吐水口が向いてる厨房用水栓+自在フレキパイプに蛇口を改造。
スポンジは100均の硬くて目の粗いアクリルネットで安スポンジを包んで使用。
電子レンジで熱した時にへばりついた汚れを落としやすいよう摩擦を大きく&目が粗いのでスポンジの方についた汚れも落ちやすい。
■自炊
自分のことかと思った。
数年たって、ようやく飲み会幹事を一回だけ変わってもらいました。
ダンボールやペットボトルの片付け、コーヒーメーカーのメンテ、アスクルへの発注、ゴミ捨て、飲み会幹事、慶弔系、家電系手配等々
仕事と関係ない雑務は部署に女がひとりなせいか、かなりの割合で私。たまにやってくれるけど、なんかドヤ顔される。
まあ同年代の同期とお給料で差がついてるらしいが、本業でかんばってるからなの!!女は何倍もやわなきゃならんのに、雑務までやらされるのよ。あー
まじやってらんねえ。でもやらない男子はそれで評価下がらないけど、やらない女はそれで周りの評価だだ下がりなのよね、ホント生きづらいわ。昔ならお局さまかもしれないけども。
なんなの、これ。セクハラの極みでしょ??
まぁいわゆる失敗例やわな。
何某か価値付ける以上、お前んとこの家庭みたいな失敗作と
そうではない成功作が出来るわけで、
仕方のないこと。
引き落とし分とかで引き出したらアカンラインをよけたら残金は財布に400円と預金が3000円ぐらい?
久しぶりにやや金欠気味だけど、ま、家には多少食べ物もあるし、全然どーにかなるでしょう。
むしろ残額を把握したことで、この残金を上手く使って今週末は何食べよかなって楽しみになってちょっと幸福度上がっちゃうあたり頭のネジがゆるい。
俺の場合は医者に言わすとドギツイADHDの特性らしいけど、ホンマに2000円以上もって外に出かけるとダメやね。
土曜日に、ワンチャンいけるかなって思って、銀行で今月分の生活費のつもりで2万円ほどお金下ろして封筒に入れて、
そのまま買い物に行ってうろうろして帰ってきたら、なぜか小銭しか財布に入ってない状態になっちゃってた。あれぇ?一ヶ月分の生活費どこいったんぞ……?
なんかお金おろしたらテンション上がってシャレオツな喫茶店でお高いコーヒー飲んで封筒から財布にお金移して払ったり、
通りかかった普段絶対行かないイベントに近寄ったりとかして、18時間ぐらい外をフラフラしてた気はするけど、具体的に何にいくら使ったかもイマイチ思い出せないんだよなあ。
でもおかげですげーいい休日だったから、気分よくなって日曜日には半年ぶりに部屋の掃除とかできた。
掃除してたら部屋の隅の袋の中で、実家に逃げた嫁が夏頃に遊びに来た時に実家から持ってきてくれた玉ねぎその他が、グズグズに腐り溶けてたのに全く気付いてなかったのには自分でもちょっと引いたけど。
袋の上に新聞紙被せてあったから全然視界に入らなくて最初に数個食べてそれっきり忘れてたっぽい。匂いに鈍くてめっちゃ近づいて嗅がないと全然わかんなかったしなあ……。
まあ、そういうちょっと減点はあったけど、音が苦手で大嫌いな掃除機も頑張ってかけたし、やっぱいい感じの週末を過ごせたなーって思ってたのに、
今日会社で財布見たらお金全然なくなってて、うおーやべー!って感じ。今年は会社に遅刻しすぎてボーナスゼロだというのに、困ったなあ。
そんでまた、一応困ったなあとか言っとく流れなんかな?って感じで言ってはみるけど、これも実際は全然響いてなくて、
頑張って危機感持とうとしても「まあ、ええやろ」くらいにしか本気で思えないのがまた自分で自分を気持ち悪く感じる自分も自分の中にちょっといてる気がする。
金銭感覚ザル勘定過ぎて、そらもうこの一点だけとっても嫁も逃げるわな。別に借金とかギャンブルとかはしとらんのやけど、それ以前やわなー。
http://anond.hatelabo.jp/20160821212820
一回しか見てないんで見落としてるだけだよってだけかもしれんけども
追記: