はてなキーワード: ものづくりとは
https://filinion.hatenablog.com/entry/2023/08/28/183929
話題になったこの記事「処理水の放出なんて、嫌がられて当然なのでは?」に俺の言いたいこと全部書いてあったんだが
トリチウムがどうとかどうでもよくて、ALPSで処理した水が安全だったとして今後30年(ブログではもっとかかるかもよ、と指摘されていたが)東電と日本政府が一切のミスなく
汚染水を処理し続けることができるのか?ってことがこの記事の骨子なんだよね。ALPS壊れるかもよ?って記事でも書かれてたけどさ
俺は日本政府も東電も統一教会とつながりの深い自民党も全然信じてないわけ
仮にALPSが壊れたとしよう。日本政府はそのことを隠すだろうね。どうせわからないだろうって現場で判断して汚染水をそのまま海に流すと思うよ
だって日本って公文書改ざんしたり隠ぺいしたり統計データいじったり障碍者が名簿をシュレッダーにかけちゃいました~とか日報破棄しました~とかそういうのがまかり通る国じゃん
安倍とか言う長期政権担ったやつも国会で116回も嘘の答弁してるのに何の責任も取らなかったわけで、でも日本人はそれでいいって思ってたわけじゃん
先進国のイギリスではボリスが一つ嘘ついただけで首飛んだのにね。政治は国民を映す鏡ってのはよく言ったもんだよね
つまり、日本人というのは息をつくように嘘をつくミンジョクなんですよ。だから、仮にALPSが壊れたとしても、当然隠ぺいするしデータも改ざんするよね
じゃあ、いつALPSは壊れるのか。壊れないのかもしれないし、十年後くらいには壊れるのかもしれない。九年後は?八年後は?それを突き詰めると、明日壊れるかもしれない。本当に壊れてないのか、実は壊れてるけど隠ぺいされてるのかなんて我々にはわからないからね。
つまり、明日汚染水が海に流れるかもしれないのに福島の海産物なんか食ってられないよね?だから中国は禁輸してるんですよ。このロジックだれか論破できる?ん?アホのネトウヨには難しいかな?
福島の海産物を食うかどうかってのは、日本政府や自民党や東電を信頼できるかどうかの踏み絵なんだよね。俺は踏まないよ。で、中国も踏まないと。
こういうのを風評被害(笑)とか言ってくる奴もいるんだろうけどさ、いや最初からメルトダウン起こさなければよかったよね?安倍が地震が起きたときのこと考えなくてもいいでーすwって言ったんだろ?第一次安倍政権の時にさ。
間抜けたちがメルトダウン起こした結果福島ブランドは地に落ちました~w今後30年(で済めばいいけどねw)福島って聞いたらALPSが壊れてないんなら安全っていう条件付きの安全しか得られないんだよね
ホリエモンがいつまでやんだよみたいにキレてたみたいだけど、いやこれから30年以上ぐだぐだやるんだけどwだからこれが原発のリスクなんだよ。事故ったら何十年もぐだぐだやってリソース奪われ続けんの。他の原発がメルトダウンしたら同じことが起こんだわ
まあ、どうせ漁師たちなんて脳死で統一教会の自民党に投票してたやつらなんだから自業自得だけどね。さらに言うなら自民党支持者って大体自己責任論者なんだからその哲学にのっとって言うんならこれも自己責任だよね?なんでプログラミングの勉強とかしてなかったの?w
風評被害(笑)とか言って踏み絵を踏まない奴らに攻撃の矛先を向けようとしてるとこ申し訳ないんだけど、悪いの全部自民党、東電、日本政府ですからw怒りの矛先間違えんなよ?
まあリアルな話すると中国の禁輸は単に国内の不満の矛先を日本に向けてるだけだろうけどね。どうあれ全面禁輸くらって「自分たちでホタテ食べるもん!」とか言ってるネトウヨさんたちには失笑を禁じえないよね
そもそもインバウンド(笑)とか言って中国人様に来ていただいてなんとかおまんま食っていこうとかやってる国がやっていいことじゃないよね?そのまんま東とか橋下徹とかが中国人にホタテ食わせるとか言っててそれがまた中国国内で広まってるらしいけどさ
身の程わきまえた方がいいよね(笑)
アベノミクスの失敗でものづくり(笑)とかで食えないぐらい日本が疲弊した結果インバウンド(観光なんてどこの国でもやれるよねw)で中国人様のケツを舐めて生きていこうとしてるわけだけど、汚染水海洋放出した結果ご主人様にそっぽ向かれてて笑うよね
この件でネトウヨの発狂っぷりを見ているに我が国も落ちるところまで落ちたなあという寂しさと滑稽さを感じるよね。あっ俺は一貫して自民党には投票していませんので、この国の没落には私は寄与していませんw若い方々、ご理解のほどをw
「作者の気持ちを答えなさい」
そういう教育を受けてきた大人が社会の大半を占めている現状、読書感想文がそうなるのは否めない
だから作る側はいつか国語の教科書にあったその風景に近づこうとする
そうなると最後にはものづくりしてきた人間は自分の作品を国語の教科書に設問を掲載されるときには、いじわるく
「君たちのことをおしえてください」
って書きたくなる
客席を映して君たちだとかタイトルにつけた君は劇中にいないとか作者の自伝とか
そういう問いかけで喜ぶのは
そういうお客だけ
そういう世間ってどうかと思うよと消費者側の消費スタイルにマナーを物申すやつ
日本以外での映画の楽しみ方は、切り出して自分のかっこよさにプラスするリソースみたいなものとして文化やエンタメを消費してる
日本は切り抜けば版権でマネタイズと作る側見る側を「手売りで売り切る」ところで現金回収すること以外なにも考えてない
それ以外の消費の仕方を自由にされてるとも言えるけれど、君たちはそれでいいんか?
そういう話題になるたびに「君たちはそれでいいんか?」って言いたい作者がタバコすいながらにやける話
何をどう解釈しても説明してもレポートしても、それが第三者からみて正解だとか事実だと言っても、作者本人が
と言えば終わるだけの話なんだけどね
うちの会社のシステム、ほぼ毎日いろんなバグが見つかってカスタマーサポートから修正依頼がきてる。
依頼が来る度に、slack上ではカスタマーサポートに「申し訳ありません直ぐに調査します」って送ってるけど、なんで自分たちが「申し訳ありません」と言っているのかよくわからない。
営業が質の悪いスケジュールを立てて上司が勝手にオッケー出して、
開発チームがひいひい言いながら直して、
なにかがおかしい。なんだこれ。
スケジュールが足りなくて起きた問題をスケジュール足りない中解消してなぜ謝らないといけない構図になっているんだろうか。ただのマッチポンプじゃないか。
不出来な営業や上司が作ったのスケジュールに振り回されたらまともなもんなんて作れないよ。
ホントはバグ修正や上からきた新機能開発のごり押し対応だけじゃなく、改善とかリファクタみたいなことも色々やっていきたいと思っているよ。
でもできないんだよ。
新機能実装にたいしてまともなスケジュールが出てくるとは思えないんだもん。
新機能の依頼くるじゃん?
まともなもんなんか間に合わないじゃん?
怒られるじゃん?
どうせこうなる確率が100%なんだけど、それでも新機能のリリース日程は上層部に勝手に決められてるじゃん?
もう新機能とか開発しないで、ひたすらちょっとしたメンテナンスとリファクタだけさせてほしい。
余計なこと言わないでほしいというのが実装チームの総意です。
なんでこの人たち給料が高いんだろう。
自分は学校でコンピューターサイエンスを修めてないし、新卒で就職もしてない野良犬みたいな経歴です。しょうもないアラサーです。
Fラン大学の文系を出て、理由もなく2年ニート、その後はバイトからはじめて、小さいソフトハウスに入るもパワハラで1年くらいで退職しました。
その後は夜中にサーバーを再起動するIT土方をしていました。月の手取りは15万で何もできなかった。
その時にコロナでの案件崩壊と自宅待機が来ました。暇で仕方なかったので、流行りのクラウドの資格をいくつか取り、しょうもないSIerに転職。
毎日やることは、しょうもないエクセル方眼紙にスクショを貼り付けたり、全力でセルを結合することなどです。
他には、技術がわからないプロジェクトマネージャに、画面共有で5000文字くらいある設計書を半日かけて説明して、得られたものは句読点をずらすことだけだった時は、耳鳴りとめまいがしました。
しかしながら、自分も技術はわかる方じゃなかったので、大流行のクラウドの資格や、国家資格とかも暇つぶしで取って、ちょっとわかるようにしました。
また、知識だけじゃどうしようもないので、慣れないGitHubを使ってOSSにコントリビュートとかもしてみました。ただのGood First Issueのバグ潰しでしたが。
こういうことをしても大して給料も上がらず、会議中にAPEXの音がするプロジェクトマネージャの方が評価が高かったのは虚無でした。
彼のAPEXの音をBGMに、転職サイトへとスムーズに登録し、外資系のコンサルに転職してみました。ここはいわゆるBIG4というところです。アーキテクトをすることになりました。
初め、貸与されたPCがMacだったので、外資はいいぞと思ったのですが、MacでやることはWindowsのVDIに繋いでパワーポイントのピクセルずらし、論点のない会議ばかりでした。
当たり前のようにコードは書けず、日々Office製品をいじり、顧客の社内政治に巻き込まれながら、毎日7時から0時まで働きました。管理職はいつ寝てるのかわからない。
外資なのに社内のワークフローは日系企業並みに複雑、裁量はあるが、そもそもの仕事量が多すぎるので実際ありませんでした。無駄にLGBTや環境への配慮の研修が多かったです。
結局ここも前職のSIerの仕事を煮詰めただけで、ストレスは上がるばかりだったので、すぐにやめました。給料は爆増したが、色々と失うものがありそうでした。
ここまでで、エンジニアリングにおいて邪魔なものが顧客だということがわかったので、次はB to Cの会社の事業部のエンジニアになりました。給料は前職据え置き。
今の所たくさんコードがかけて、割と幸せです。この会社に入ってからOffice製品は一切触ってません、あれが悪いわけではないのですが、物には適切な使い方というものがある気がします。
今思うと、自分はものづくりが好きなだけで、顧客の課題解決には全く興味がなかったと思います。昔は技術的なコンサルティングや技術営業などもやりましたが、作った後は金の切れ目が縁の切れ目で、作ったものがどう動いてるかは全くわからなかった。
また、前職と違い、事業部のエンジニアは基本的に技術力がある人しかいないので、頑張ってきたつもりの自分でも毎日不足を感じています。しかもみなさん若いので尚更焦る。
こいつの一番駄目なところは「需要がない」とか「要望が少ない」とか、ユーザー側の需要に沿ってものづくりしているところだ。しかもそれをなにかメーカーとして正当な行為と思っていそうなところ。
そんなんだから既存の技術・発想を後追いした製品しか作れない。
根本がわかってないんだよな。需要があってそれに供給がなされるんじゃない。
先に作る側が新しい価値観や技術を提示して、それに対して「そうそう、こういうのが欲しかったんだ」って需要が生まれるんよ。
そんな基本もわかっていないくせに、自分たちの技術力・発想力のなさをユーザー側が臨んでないとか責任転嫁している時点でアホですわ。
「車のなかった時代に民衆に何が欲しいか聞けば、皆、もっと早い馬が欲しいと答えただろう」というフォードの言葉を思い出してほしい。
ものづくりなる言葉が提唱された頃、既に経験や技能を十分に蓄積した正社員職人は老いたるものが多く
責任のあるマニュアルや事故対策への透明性の確保などを行う経済性をもたなかった
戦前戦中から戦後を通じて、ごく一部の手を動かせる人間以外は低能率のまま賃金があがっていき、据え置きや増税で結果として賃金が頭打ちになった。
その段に至って現実に残ったものは引退していった技能者、コストを圧迫する割に仕事ができない逃げ切り老人、氷河期時代の冷遇でくすぶる中年、テストの点数を筆頭に能力が備わるが組織にも上司にも使いこなしてもらえない若者。
仕事を作るのも、仕事を取ってくるのもコミュニケーション力だとかいう人間性能ありきで、必要のないものがあふれ、必要なものは作れず、売ってももらえなくなりつつある。
ブルーカラーなどと下に見る時代があり、事務すらおぼつかない組織内政治に熱心なホワイトカラーの構図には
"日本では優秀な理系を採用しても総合職という事務員にしてしまう"と指摘があって30年以上何も変わらなかった。
元請けが支払いを渋るなら取引を打ち切って金払いのいい取引先を作るのが筋だというのに、奴隷のようにいいなりになり
結果として己の利益を確保する能力のない中小企業が淘汰もされずにぬくぬくと温存されており、産業構造として土台になっているのだからまともなものができる方がおかしい。
伊藤稔さん(59)は2年前、大手建材メーカーから社員およそ300人の住宅会社に転職しました。新たな商品を開発する部署で部長を務めています。
前の会社では、技術者として30年以上商品開発などにあたっていました。しかし、管理職となり現場から離れる中、やりがいを見失うようになったといいます。
伊藤稔さん
「やっぱり、ものづくりに関わっていたいという思いが強かったですね。自分のやったことに対する達成感、満足感をもう一回味わいたいなと思いました。いまは、昔のことを思い出しながら図面をひいたりしています」
新しい職場で、窓の商品開発の陣頭指揮をとることになった伊藤さん。以前も、窓の開発に携わった経験をいかし、商品化のためのコストダウンに取り組んでいます。
改良前の部材は一部がせりだす形になっていて、加工に時間とコストがかかっていました。伊藤さんはそれを省いても、品質的に問題はないと判断。そのぶん手間が省け、材料費の削減にもつながったといいます。
ものづくりに直接関わり、試行錯誤を繰り返す。前より年収は減りましたが、日々やりがいを実感できているといいます。
伊藤稔さん
「やっぱりやる気が出てくるので、日本一の木製サッシメーカーになるという目標を掲げて、それに向かってみんなのモチベーションを上げていきたいと思っています」
伊藤さんのようなベテラン人材を受け入れることは、会社にとっても成長が促されるなど、メリットは大きいといいます。
「中小企業だからこそ、自分の幅が広がるところに魅力を感じてチャレンジしたいという思いを、採用時に感じました。一緒にやりましょうという思いです」
仕事にやりがいを求め、60歳を前に転職に踏み切った伊藤さんについて、家族は…。
妻 嘉代さん
「最初聞いたときはショックではあったんですけど、今はとても充実してそうなので、転職してよかったんじゃないかと、すごく思います。応援しています」
こういうのは良い奥さん。
大手メーカーのデザイナーになりたくて昨年末から精神をすり減らして頑張っていた。
なんでデザイナーで大手メーカーかなんて「安定した環境でものづくりがしたい」くらいの理由だったけれど、それでもポートフォリオ作って冬インターンに応募して、3社のインターンに参加できそうだった。実際は2社で疲れ果てて3社目は辞退してしまった。これが甘かったのかな でも限界だったので仕方がないと思えるので別にいいか
インターンは5日間で文字通り寝食を忘れる勢いで取り組まざるを得なかった。みんな勝負のつもりで挑んでいたので 吐きそうだったけどやらざるを得ないので
運よく1社目のインターンを通過して、人事面接まで進めたけどそこで落とされた。えっ???
小学校くらいから、漠然と大企業で働いて、年収もそこそこもらえて、安定した暮らしを送れると思い込んできたけどなんか違うっぽい 結構そのために頑張ってきたと思ったんだけど それこそ東大とかそのあたりではないけど中学受験してずっと勉強して大学も給付奨学金ももらってたくさん勉強して大学院まできて研究も真面目にやって学会も出して、なんか なんだ…?
一般的な大手こそが最適解と思っているいわゆる大手病かもだけどそれでも私にとってはそこが正解で、こんなに頑張って全然思い描いた社会人になれそうにない あれっ
増田は自分が卒業した「土木工学科(シビルエンジニアリング)」を見る時いつも思い出す。
大学「工学部さん。お宅の土木工学くんは受験者数が全く伸びません。
そう、学生に嫌われているというより、まったく人気が無いのです。大学としてとても心配です。」
工学部「それが、、、恥ずかしいことですが・・・。最近では名前からも土木を外し、学生人気が出るよう努力しているのですが、、、。
わたしにも、、、なにが原因なのか、、、」
しかし、真に志望して大学に入学している人たちは、いったい何人いるのだろうか?
50人ぐらいはいるのだろうか?
100人ぐらいだろうか?
機械系は人気がある。
情報系も人気がある。
「土木はちがう」
「土木はちがう」
建設業界で働くまで、ずっとそう思っていた。
ゼネコンや土木コンサルのことを考えると背すじが伸びるのはなぜだろう。
「専門分野じゃないからでーす」みたいな態度はエンジニア的とは思えないんだよなあ。
好奇心とか分解欲みたいなのをもってあらゆる物事に当たるのがエンジニア的な姿勢じゃん。
昔のはてななら「小手先の言葉の定義合戦なんぞは人文学部とかのアホに任せておきゃいいんだよ」みたいな方向になったと思うんだけどね。
今のはてなはエンジニアでもなんでもない人と、エンジニアとしての情熱を失ってネットで承認欲求満たすことに溺れた人で溢れすぎているように思う。
プロの作り手は
「自分たちが社会に与える影響はとても大きい。正しくなくても魅せ方で簡単に人を騙せておかしな影響を与えることができてしまう。勉強してきた人でも騙される」
「気をつけてものづくりをしないと、予想もしない方向に悪影響を及ぼしかねない。創作・表現界隈は過去に何度も大きな罪を犯している。それを学ぶことが重要。自分たちが軽視して深く考えずに作ってしまった少しの怠慢から始まった悲劇を忘れてはいけない」
という自覚の話をよくする。
それに、規制についても、
「規制のない表現の場なんて存在しない。商用の作品なんてほとんどがスポンサーの要求やら株主の意向やらイメージの問題やら、制約ばかり規制ばかりでガチガチ。規制のある中で魅力ある表現を作れるからプロなのであり、ある規制は許されるが別の規制は表現の自由の問題と言うのはズレている」
「内心の問題とかディストピアだとか文句を言うなら創作の規制なんかより政権放送に文句を言うべきでは」
みたいな事を言う。
こういう話は、「社会的責任を自覚しているキチンとした作り手」からは出てこず、消費するだけのオタクが創作に社会的責任などない!とか勝手に言ってることなんだよな
国民の皆様の暮らしや生活の「閉塞感」は何ら改善していない、むしろ、将来に向けて、新たな光が見えない、というのが実感ではないでしょうか。
私は、この背景に、「日本は将来何で稼ぎ、何で雇用していくのか」が見えていない、ということがあるように思います。
これまで、「日本は高度なものづくりでやっていけるんだ」「いやいや、ものづくりは古い。金融とITで食べていくんだ」
「これからは内需だ」「いやいや、これからは、成長するアジア市場に出て行くんだ」
「それじゃ、企業はみんな海外にいってしまうんじゃないか」と、様々な議論がでています。
これに併せて、根拠のない日本礼賛論、何も生み出さない悲観論、実態から乖離した観念論が飛びかっています。
どれも、真実の一面をとらえているのでしょうが、日本の産業の将来像を示しているとは言えません。
全体として、日本の産業の将来像を示し、それに向かって行動を起こさない限り、国民の皆様の閉塞感は払拭できないと思います。
そこで、今回の「産業構造ビジョン2010」では、徹底して、日本の産業の課題と、世界の動きを分析しました。
そこで明らかになったのは、世界の企業や市場の新たな動きに取り残された、日本の官民の「行き詰まり」の現状です。
この行き詰まりを打開するためには、現状分析に立脚して、政府、民間を通じて、発想の転換を行う必要があります。
徹底した現状分析から、混乱した議論に対して、いくつかの「神話と真実」が見いだせます。
例えば、日本は過剰貯蓄だから消費の比率を拡大しないといけない、という議論を良く耳にします。
しかし、最近では、日本の家計の貯蓄率は、既に米国を下回り、先進国の最低水準となっています。
所得を増やさないで、消費を拡大するのは持続可能ではありません。
しかしながら、賃金の水準を見ると、2000年代の戦後最長の景気拡大期においても、賃金の上昇は見られません。
企業がもうけすぎているから、企業に負担させて消費者に再分配すべきだ、という議論があります。
しかし、国際的に見ると、労働分配率は先進国で最高水準だというデータもあります。
いずれの事実も、「単なる再分配ではなく、全体のパイを増やし、それを所得の拡大につなげていく、という好循環を作り出さなければならない」ということを示しています。
近年、日本の産業は、付加価値拡大の多くを、自動車等の特定のグローバル製造業に依存してきたのは事実です。
しかしながら、実は日本の輸出比率は国際的には低い水準にあります。これは、特定の企業以外の多くの企業は、世界の成長市場と直接つながっていないことを示しています。
グローバル製造業に極度に成長を依存している日本とドイツは、労働生産性が大きく改善しても、賃金水準はこの20年間殆ど向上していません。
これは、特定のグローバル製造業に依存した成長モデルは、新興国との賃金競争に直面して、なかなか賃金があがらないことを示唆しています。
日本全体の付加価値をあげていくためには、特定のグローバル製造業以外の産業が、成長市場につながっていく必要があります。
日本の企業については、「日本のハイテク技術は世界一。だから日本企業は強い」という議論があります。
しかし、液晶でも、DVDでも、日本企業が世界を席巻していたのは最初の数年だけで、世界市場が急拡大するとともに、日本企業の世界シェアは急激に低下していっています。
企業の利益率で見ても、多くの業種で、日本の企業は、同業種の世界の企業と比べて、半分以下の利益率になっています。
こうした事実は、特定企業や、特定製品の問題というよりもむしろ、日本の産業に共通したビジネスモデルが、世界から取り残されていることを示唆しています。
グローバル化については、見方が分かれています。「グローバル化は国内雇用の空洞化を招く」という議論があります。「だから、外需ではなく内需依存に転換するべきだ」という議論もあります。
確かに、保育園の待機児童問題など、国民の需要に供給サイドが追いついていない、潜在的な内需拡大分野は、たくさんあります。
しかしながら、市場全体で見ると、市場拡大は、少子高齢化が進む我が国や他の先進国から、新興国に移行するのは明白です。
日本が衰退しないためには、むしろグローバル化を積極的に進めるしかありません。
しかし、国内立地の国際競争力の低下をそのまま放置してグローバル化だけ進めれば、国内から雇用も付加価値も失われてしまいます。
最近のアンケート調査によると、この数年で、アジアの中での日本に立地する魅力、すなわち立地競争力は、急激に低下しています。
実際に、日本企業も外国企業も、日本国内の拠点を他のアジア諸国に移転する例が、次々と出始めています。
この、いわゆる「空洞化」を回避するためには、グローバル化を止めるのではなく、税制も、空港・港湾等の社会基盤も、国際的に魅力あるものにすることにより、付加価値や雇用を生む拠点を国内に引きつけていかなければなりません。
人材も、グローバル市場で戦える即戦力の高度人材を一人でも多く育成し、あるいは呼び込まなくてはなりません。
さらに、グローバル化を進める一環として、日本で付加価値や良質な雇用を生んでくれる外国企業は、積極的に呼び込んでいかなくてはならないのです。
「企業を補助するのか、労働者を支援するのか」「外国企業を支援していいのか」という国内の内向きの配分論ではないのです。
グローバル化に直面して、各国政府は、国内で付加価値と良質な雇用を獲得するために、熾烈な競争を行っているのです。
日本だけが内向きの議論に終始していては、衰退するしかないのです。
厳しい現実を直視した上で、なお、日本の産業には新たなチャンスがあることを忘れてはなりません。
環境・エネルギー制約や少子高齢化は、日本が世界各国に比べて極めて厳しい挑戦を強いられる社会課題です。
しかし、日本の技術を活かして、世界に先駆けて課題解決のビジネスモデルを示せれば、むしろ新たな国際競争力の源泉になります。
こうした数々の「転換」を実現するためには、政府はもちろんのこと、企業、産業、そこで働く方々、各々が変革に向けた行動を起こさなくてはなりません。
そして、官と民の関係も、世界の動きや、社会課題解決の要請を踏まえて、新たな関係を構築していく必要があります。
「産業構造ビジョン2010」は、その具体的な処方箋を示したものです。
雇用を生み出すのは企業であり、産業です。雇用の質を高めるには、企業、産業の競争力を高めることが必要です。
その先に質の高い雇用、賃金の上昇、消費の拡大という好循環が見えてきます。単に企業の利益を上げさせるために、ビジョンを提示し、政策を打つのではありません。
その先にある、「国民の皆様一人一人が豊かさを実感する」という目的に向かって、閉塞感に満ちている現状と課題をしっかりと受け止め、官と民双方の、今後のあるべき姿と処方箋を、我が国全体で共有することが必要です。