はてなキーワード: みずほとは
一方、私がロンドン証券取引所に上場している企業の中間管理職の社員だとしよう。試しにカジュアル服で出勤するなんてことはいちどもなく、いつだって(ビーチでさえ)スーツとネクタイを着けている。そんな私が例の経済学者を殴ったら? 解雇歴と前科が残り、評判についた傷は一生消えないだろう。情報の反脆さの完璧な被害者になるのだ。しかし、建設作業員やタクシー運転手のように、最低賃金に近い仕事をしている人は、評判にそれほど左右されないし、好きなように意見が言える。
だが反脆い芸術家と比べれば、彼らは頑健にすぎない。住宅ローンを抱えた銀行の中間管理者は、究極に脆い。実際、そういう連中は価値体系の完全な囚人となり、芯まで腐り切ってしまう。毎年バルバドスで休暇を取るという人生に依存しているからだ。それはワシントンの公務員も同じだ。ここで、誰かの評判の独立性や頑健さを調べるのに便利なヒューリスティックをお教えしよう(繰り返しになるが、ヒューリスティックとは「単純化されたシンプルな経験則」という意味だ)。ほぼ例外なく、奇抜な服装をしている人の評判は頑健であり、場合によっては反脆い。一方、きれいに髭を剃り、スーツとネクタイばっかり着けているような連中は、情報に対して脆い。
3メガが大規模リストラへ 三菱UFJ9500人 みずほ1.9万人 (1/2ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ)
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.sankeibiz.jp/business/news/171030/bse1710300500003-n1.htm
家賃29000円を管理会社に、タバコ代11500円をジャパンネット銀行の俺の口座に振り込む
続いて奨学金の返済24000円をゆうちょの口座に、今年いっぱい限定だが友達への返済金7万をソニー銀行に預入れ会った時にコンビニATMでおろしていつでも返せるようにしておく
1ヶ月でPASMOで6000円使っているんで6000円をチャージ、定期代22000円をこちらも好きな時に引き出せるようにセブン銀行に預入
月の光熱費はだいたい10000円いかない位なので念のため10000円を新生銀行に入れておく
住民税のため10000円とケーブルテレビの隔月の引き落とし用に2000円毎月準備しなければいけないのでこれをUFJの定期預金口座に入れておく
手元に60000円弱残る。1週間の生活費(主に食費)が13000円から15000円なのでなんとか生活はできそう
1週間分15000円をUFJ・三井住友・みずほ・りそなに預け入れる。デビットカードがどの口座にもついていて、スーパーやドラッグストアの買物をこれで済ますようにばそもそもの支出を減らせる(スーパーは意外と高いのでできればドラッグストアをメインで)
無駄に現金を持つと居酒屋に行ってしまうので現金は1000円くらいまでにしておく
金曜日始まりで木曜日まで、余った金は次週に持ち越しして、できれば
集中砲火を浴びるので表では絶対に言えないけど、みずほisベルハーと言われ続けてたみずほって、歌は下手だしルックスも群を抜いているわけではないし、初期メンバーなのにベルハー崩壊まで歌がズコーのままだった(2SoundDownの歌い出しとかに顕著。ひどすぎる)のが本当に不可解。ゼアゼアの新メンバーのさえきやかりんはボイトレに行ったりしてるのでなおさらそう思う。
田中がみずほに拘って、みずほがいなくなるからという区切りでベルハーを解体してしまったのは田中の肩入れ以外の何物でもないし、そりゃあーやんは病むよ。ベルハー解体は田中の私情。
カイちゃんはオタいっぱい抱えてるし、れーれはアイドルとしての素養がある、ゼアゼアを引っ張っていってる、あーやんはソロ転向、甘楽は顔で叩かれても歌とパフォーマンスって武器があるから新グループ作ってもらえたけど、みずほには一体何があったんだろう。ベルハーなしではアイドルでいられなかった、ベルハーに最も依存してたのはみずほだったんじゃないのか。魔物に移籍したみずほはもう前みたいに支持してもらえない。みずほがベルハーだったんじゃなくて、ベルハーしかなかったのはみずほだったんじゃないのか。
ベルハー時代のみずほが神格化されてたのが本当に理解できない。ベルハーの活動スタイルにはまるという奇跡が起きなかったら、みずほは一生埋もれのままだったと思う。みずほのいたベルハーを未だに夢見てるオタたちがゼアゼアを否定してるのもクソすぎる。ゼアゼアは良いグループだよ。ベルハーのグダグダ感が薄れたのは事実だけど、夢はスーパーアイドルになることって言ってるれーれが引っ張るんだから必然的に隙がなくなる方向へ向かうだろ。セトリにエッジ、サーカス、アスマが入ってるのも比べて叩く原因になるんだろうが。
これよくわからないので教えて欲しい。
具体的には1月遅れるとどれくらいの損害になるのかと言う事と総額の費用が知りたい。
そしてそれに関わる人たちのインセンティブが知りたい。
自分なりに試算してみた。
三菱を参考にする。
プロジェクトに参加した技術者は、銀行とシステム関連会社の要員、IT企業の社員を含めピーク時には6000人に達する。投資額は2500億円、開発期間は3年弱、総工数は11万人月に及んだ
規模に誤差があるとしてみずほも3000億現状かかってると言う事だから、だいたい参考にできると思う。
調べた情報によるとみずほの首脳は派閥争いを繰り返し、現状できているシステムはゴミという事なので
3000億はパア。そして最初から作り直しを開始するまで毎月定額の費用が発生することになるとしよう。
したがって総額コストCは下記の式で表される。
C=3000億+Xt+Y
誰かが責任とって最初から作り直そうぜというまでだいたい大まかにXのコストが毎月発生する。
期間t(月)は派閥争いが終了、もしくは政府が介入してシステムをスクラッチから作り直すまでの期間。
Xの計算だが三菱を参考にすると11万月/36ヶ月=3000人 となり
月あたりだいたい3000人の労働者が駆り出されることになる。
みずほ案件はやばいという認識が広がっており、技術者っぽい人しか集まらないということなので
みずほの支払う一人当たりの費用を40万円とすると12億になる。
C=3000億+Xt+3000億=6000億+12億t
ここでtを月から年のTに直すと
C=6000億+144億T
年間あたり144億円の損失が発生することになる。
144億円は一般感覚でいうととんでもなく高額だがみずほの2016年の純利益は6000億なので
実は大した損失ではなく、このまま数十年にわたって損失出し続けても問題はなく。
この認識で合ってる?
序盤は都民が何を重視するか?の方向だったと思う。
・知名度なのか?
また、三者ともに不足している事があるので、
その点も気になっていた。
・党の公認が不足。
・知名度が不足。
それが終盤にさしかかってきて、足の引っ張り合いの被害が少ないところが
抜けだしてくるんじゃないかと思ってきた。
恐らくはこいけ、ますだ、とりごえの3人の内の誰かが都知事になる事でしょう。
三人ともにコケて4番手が当選なんてのもドラマっぽい気もするが、現実ではそれは無さそう。
こいけ、ますだは緑色をイメージカラーにしてて、これがダブっている。
一方、とりごえは紺赤といういわゆる「みずほカラー」を使っている。
まあ、緑は「りそなカラー」ともいえるので、どっちみちの銀行の色っぽいなーという感じ。
一番ネガキャンされている感じが少ないと思う。
2015年11月
性的搾取を許さない、女性の人権確立を目指す法制定に関する請願
・女性に対する強姦や性暴力を描くビデオゲームやマンガの販売を禁止すること。
394 田城 郁 民主
395 神本 美恵子 民主
428 紙 智子 共産
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/seigan/187/futaku/fu18700650321.htm
2014年9月
性的搾取を許さない女性の人権確立を目指す法制定を求めることに関する請願
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_seigan.nsf/html/seigan/1870318.htm
2010年10月
性的搾取を許さない女性の人権確立を目指す法制定を求めることに関する請願
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_seigan.nsf/html/seigan/1760409.htm
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/seigan/176/yousi/yo1760145.htm
女性に対する強かんや性暴力を描くビデオゲームやマンガの販売を禁止すること。
ついては、女性の性を人権ととらえ、女性福祉の拡充強化を目指して、売春防止法の改正ではなく、女性の人権を確立するための新たな法体系を立てられたい。
上から目線でドヤ顔って、みずほに関しては「俺なら簡単にできる」「Sierに技術がないから炎上してる」みたいなのは皆無だと思うけど
「顧客の意思決定がグダグダな案件なんて炎上が目に見えてる、関わるのがアホ」ってのが主流でしょ
それに反論できるの?
https://www.google.co.jp/maps/place/@35.6386097,139.6999833,521a,20y,41.58t/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x60188b48682c837f:0xa07320890573c72c!8m2!3d35.6427516!4d139.6999923
みずほ銀行PJの陣頭指揮を取っているはずのみずほ情報総研、開発拠点は全国にありますがその中でも有数の規模を誇るのがこの中目黒です。
毎日夜遅くまでフロアの電気が付いているそうですが、大変ですね。
Google Mapで見ると室外機が沢山載っている、まるで要塞のような建物が見えると思います。
ここはみずほ銀行のシステムの中核をなすデータセンターの一つです。
IBMのメインフレームが沢山入っていたそうですが、今後はどうなっていくのでしょうか。
ちなみにこの建物、建築業協会賞を受賞しているそうです。かっこいいですしね。
中目黒センターの南にある、駒沢通りに面したちょっと変わった形のビルが秋元ビルです。
ここの数フロアをみずほ情報総研が事務所として借り上げています。
みずほ関連の怪文書で中目黒という単語が出てきた場合、中目黒駅近くのみずほの建物ではなく
秋元ビルと中目黒センターの間には、自販機と灰皿が設置されているのですが
朝の九時頃には首から「MIZUHO」のカードキーを下げた方々が大勢喫煙されています。
どんな立ち話をしているのか、気になりますね。
次回は多摩が出来たらいいですね、では。
なんと自宅に居る時間は5時間だけ?継続してたらデスマーチよ。
法律守って作業者が自宅に9時間いられるようにマネジメントするのがお仕事。
(鎮火の初動は、終電まで働かせといて健康管理は自己責任とか言う人の排除から)
というわけで、みずほ銀行が最近また話題になったので、振り返ってみよう。
で、記憶に新しい2011年の東日本大震災システムトラブルの影響で、
システム刷新して再発防止するぜ!というのが2012年スタートの話。
みずほコーポレート銀行にみずほ銀行が吸収合併されて、
はい、クソメンドクサイですね。
しっかし、この合併って超ややこしくて
とか並べると、ウワー関わりたくね-って判るでしょ。
今のみずほ銀行は、旧みずほコーポレート銀行なので、旧富士銀行なのね。
法人格(法律上の会社人格)も、SWIFTコード(世界的な銀行識別番号)も、旧富士銀行のを使ってる。
でも、日本国内で使う統一金融機関コードは、旧みずほ銀行で、旧第一勧業銀行で、旧第一銀行なのね。
なぜなら、旧第一銀行の統一金融機関コードは0001で、旧富士銀行が0003だから。
しかも、元みずほコーポレートたる興銀は企業向けメインで、元みずほ銀行は個人向けがメイン。
AKBと宝塚歌劇団が合併したみたいなもんスよ。そりゃ一歩も引かないわな。
という政治的決着を経て、
外向けに儲かってるところは興銀の日立
(全銀システムはそもそも開発保守をずっとNTTデータがやってるんで、そこしかやるところがないという)
そして三菱東京UFJ銀行の開発はちゃんと終わりました。あそこも無茶やりました。
旧UFJは派閥抗争で完全に疲弊しきった所を、天下の三菱御三家、東京三菱銀行が救済しました。
だから、旧UFJ系(日立)は「実利で残した」という形で、東京三菱側(IBM)が完全にコントロールしてた。
主導権が完全に旧東京三菱側にあるので、旧UFJ(旧三和銀行)がなんか言っても鼻で笑われるレベルね。
つまり、クライアント(依頼主)側の命令系統がキッチリしてるかどうかが全て。
家を建てる時にさ、大工と左官職人と配管職人とガラス屋と設備屋が居るから完成しないとか、無いでしょ。
それぞれの職人にそれぞれの指示をして、結果として一つの建物ができるのはそんなに珍しく無い。
(もちろんちゃんと連携しとかないと穴空いてないから換気扇付けられんとかあるんだけど)
だもんで、日本IBMのプロジェクトマネージャーに全権委任して、組み直せば終わるよ。
みずほ銀行内の揉め事は、全部林さんがOK/NG決めて、IBMのPMが采配して進める。
要は、クライアント(依頼主)側の意思統一ができていないのが一番の問題。
これは、ベンダーがーとか多重請負構造がーとか、そういう問題じゃない。
第一勧業銀行と富士銀行と日本興業銀行の合併が終わってないのが問題。
(外面の話じゃなくて、内部的に一つにまとまってるかってことね)
自社もまともにできてないのにSIとか臍が茶を沸かすぜ。
みんなコダワルねぇ。
ヤヤコシイということだけ判ればエエのに。
とするじゃろ
/*合併前の法人格リスト 第一勧業銀行, 富士銀行, 日本興業銀行*/
社名変更(みずほ銀行, 吸収合併(吸収合併(第一勧業銀行, 会社分割(富士銀行, 富士リテール)), 吸収合併(新規設立(みずほ統合準備銀行), 会社分割(日本興業銀行, 興銀リテール))))
社名変更(みずほコーポレート銀行, 吸収合併(富士銀行, 日本興業銀行))
社名変更(みずほ銀行, 吸収合併(みずほコーポレート銀行, みずほ銀行))
第一勧業銀行が第一銀行から来てることは知らなくて良いなんてコメントは甘い甘い。
日本では古いほうがエライ。それは実にシンプルに帰属意識や誇りに結びつく。
今をときめく日本銀行よりも第一銀行(第一国立銀行)の方がエライのよ。
よしもと新喜劇とAKBと宝塚歌劇団が合併したみたいな話に例えると
「じゃあそれで」
「えぇ……」
「しないだろJK」「含めるに決まってるだろ?」「千秋楽だけ生花は衣装扱いで」
「えぇ……」
「どうかな?公演の日取りは決まってるけど」
「「「おおむね順調です!」」」
(三行で正確に知りたいってのは業腹ってもんだ)
江戸時代の日本は米・金・銀という三種類の通貨システムを平行して扱っていた。徳川幕府と諸侯領(明治時代以降藩と呼ばれるようになるやつ)が入り乱れた連合国家であった。諸侯領間における政治経済システムの違いは大きかった(要するに戦国の遺風を引きずった藩とそうでない藩があった)。上記のような事情があった結果金融業の発達は著しく、幕末には多くの諸侯がこうした金融業者の支配下に置かれるありさまだった。
などといった問題に対処するために、新貨条例および国立銀行条例が制定した。これらの制度は
というなにがなんだか分からない制度になっていた。しかしこれは当時の国際情勢を考えると仕方がない話で
といった状態で、日本は近代的金融システムを構築するにあたって模範とすべき制度はまだなかった。結果アメリカを真似して兌換券の分権的発行を主軸とする制度が作られた。このため各地に割拠していた金融資本は国立銀行への転換が進んでいった。
しかし殖産興業の進展、西南戦争による莫大な戦費などといった問題に対処するために、不換紙幣の発行を国立銀行に認めるに至った。
結果インフレなど金融システムの混乱が見られたため、ここにアメリカ型分権型金融システムには限界があることが明らかになり、日銀法と旧銀行法が導入されイギリス式の中央銀行制度が導入されることになった。これが 1882 年。
このような経緯があったため、金融資本の再編といった事態にまでは話が進まず、そのまま第一次世界大戦→関東大震災 に突入する。戦争景気による企業の無理な業容拡大と戦後の景気後退に震災によって銀行には不良債権が蓄積された。
上記のように各地に雑多に存在する金融資本は江戸時代のそれを引きずっていたため近代的銀行としては規模が小さく、これによって金融不安が高まり昭和金融恐慌に至った。これが 1927 年(1929 年や 1930 年ではない)。
その状態でさらに 1929 年 10 月 24 日はやってきた。 1930 年にはその影響が日本にも及ぶに至った。
かかる状況の中で昭和二年旧銀行法改正により 1927 年から中小銀行の整理が進められていたが、 1936 年馬場鍈一大蔵大臣により「一県一行主義」が掲げられた。馬場は大蔵大臣としては失格者で財界との対立の結果大蔵大臣から放逐され憤死することになるのだが、翌 1937 年に日中戦争が開戦、日米開戦もほぼ既定路線となるなかで一県一行主義は継続され日米開戦のころには中小銀行の整理は完了した。
こうした集権的かつ計画的な経済運営にあたったのはいわゆる革新官僚たちで、その親玉は吉田茂だった。彼らは社会主義的な経済思想と国家主義的な政治思想を併せ持っており、戦中戦後の日本の内政を主導した。
全然関係ない話だが、社会主義、国家主義、反自由主義という思想セットは革新官僚のリーダーの一人である岸信介の孫の安倍晋三にも受け継がれていることはよく指摘される。
戦後岸が政界に進出したこともあり、結果として一県一行主義体制および統制的な銀行体制はほぼそのまま戦後に引き継がれることになった。もちろん建前上は一県一行主義は廃止され、戦後の資金流通の円滑化のために戦後地銀がいくらか設立されたが大勢に大きな影響をあたえることはなかったのだった。
このような情勢のなかで、戦後日本の金融当局==大蔵省は銀行に対して
を求めて各種の行政指導や各種許認可を縦横にもちいて銀行群をコントロールした。これをいつしか護送船団方式と呼ぶようになっていた。
これは実際うまくいっていた。バブル崩壊までは。バブル崩壊の余波は大きく、護送船団方式では銀行を守り切れないことは明らかになっていた。 1995 年には木津信用組合と兵庫銀行が倒産するに至った。
また長らくの護送船団によって日本の金融システムの陳腐化は著しく国際社会において東京が金融都市としてまったく影響力が無い点も問題とされた。
これらの問題に対処するためとして金融ビッグバンと称し護送船団は解体されてしまった。銀行はここに自由なサービスや投資を行えるようになった。
ところで足元の経済情勢を見るに 1993 年から 1996 年にかけて経済成長率は 2-3% を維持しており、ここに橋本総理大臣はバブル崩壊による不景気は終了したという判断をするに至った。また 1995 年には武村正義大蔵大臣により「財政危機宣言」が出されており財政再建を開始すべきという機運が高まっていた。
そこで橋本内閣は 1997 年、消費税増税などを含んだ超緊縮予算を成立させる。これが大失敗であった。緊縮財政により景気は悪化、金融システム不安は再発し北海道拓殖銀行、山一證券が破綻、翌 98 年には橋本内閣は総辞職、現在まで続く長い長い不景気が始まった。
しかしここに至って護送船団方式の再開は難しく、銀行はノーガードで野に放り出されてしまった。かかる状況のなかでは銀行の経営効率を上昇させるような積極投資は難しいことは明らかで、銀行は合併による規模の拡大によって身を守るという手段をとらざるを得なかった。
結果生まれたのが三大メガバンクである。このような事情によって、消極的な理由で成立した合併であるから当事者たちは乗り気であるはずもなく、旧来の自己の立場の防衛のために果てしない内紛が始まることは、それはもう仕方のないことだったと言えるのではないか。
そのような事情の中で銀行システムの開発にあたる SIer や技術者は内紛の道具の一つとなり疲弊を重ねている。
僕が言いたいことは何か。誰か頭が悪い人が一人いたからこのような状況になっているという訳ではないということ。むしろ一人ひとりができることを着実にやった結果がこうなのだということ。つまり、逆に言えばこの状況を解決する手段など無いということ。みずほの現場で苦しむエンジニアにできることは、逃げることだけだということだ。