はてなキーワード: ましたとは
先輩とは言っても、私は数年前にその会社を辞めてしまって今では何の繋がりも無い。
携帯番号もメアドも随分前に消してしまったし。向こうも同じだろう。
その会社には新卒で入社した。その年の新入社員は私だけで、配属された部署は私も含めてわずか4人。必然的に社員同士の関わりが密になる、良くも悪くもアットホームな職場だった。
先輩はとなりの席で、年も4コ上でそんなに離れていなかったこともあり、解らないところを質問したり教えてもらったりしているうちに、私が一方的に先輩を慕うようになっていった。
退職するまでの2年と少しの間、朝礼までの時間(今どき朝礼あるのって田舎だけなのかな・・・)や昼休みはなるべく席を外さないでいるよう心がけた。先輩と少しでも長く話したかったから。昼休みは先輩はいつも自席で新聞を読んでいた。こちらが話を振ったら、興味ない内容だったら適当に相槌打っていたけれど、何か刺さるものがあったら顔を上げて(ちゃんと新聞畳んで)話に乗っかってくれた。私はバカで世間知らずだった(今もそうだけれど)ので、話せることと言えばワイドショー的なニュースやら趣味やら個人的な失敗談やら交際関係ぐらいしかなかったのだが、先輩は話題の引き出しが多く、私が伝える乏しい情報から最大限汲み取って話を膨らませてくれた。私が割と知っていると自負していた事柄も、先輩はそれ以上に知っていることがほとんどで、先輩から仕入れる情報は、当時の私の中でかなり大きな割合を占めていた。
先輩はルックス良くないし、学歴もあるわけじゃないし、この会社に勤続するなら多分生涯賃金も高くないんだろうけれど、そんなもの補って余りありまくるものをたくさん持っている人だった。仕事できるし、周りからの信頼に厚いし、話題豊富で話が面白いし、メカ全般に強いし、美味しい店知ってるし、あとは、声が低くて素敵だった。結婚する予定の彼女がいることは大分早い段階で知ったのだが、「はーっ、やっぱり先輩さすがッス」と尊敬の念を強めただけで落胆はなかった(ここでやっと恋愛感情ではないと確信が持てた)。とにかく当時の私は先輩への崇拝っぷりが凄まじくて、誰彼構わずつかまえて「**さんってやっぱりすごいっすよー」と言って回りたいくらいの熱狂ぶりだったのだが、それをしたらさすがに本当のバカなので、他部署の、入社当時から私を気にかけてくれていた女性の先輩だけに、大人しい口調でそれとなく話してみた。
するとその女性の先輩は苦笑いで「まあ、**くんもあれで結構ハッタリきかせてるところあるからね~。何でも鵜呑みにしないほうがいいよ~」とそれとなく窘めてきた。
当時の私はその言葉がスンナリ理解できなかったが、今となっては、まあその通りだったんだろうなと思う。やはり何人も自分の出来ることしか出来ないし、知ってることしか知らないのは当然だ。
別に後々になって先輩と決裂したとか、そういうことは一切ないのだが、先輩は私みたいな類の人間を心の底から蔑んでいるのかもしれないと思うようになってからは、段々と距離をおくようになった。
先輩に、というより職場ひいては世間に、自分はそこそこ使える人間だと認めてもらうため頑張っていたが、やはりどこか抜けているところがあったりドジこいたりして、要領良くできなかった。別に大したミスではなかったし、そもそも自分で修復できたものはミスでも何でもなかったのかもしれないが、必要以上に狼狽えてしまうので、小さなミスも大きく見えてしまう。そういうことが重なって、体感的には実際の何倍ものミスを犯してしまった気になって落ち込むことが増えた。
当時私はまだ18歳で、可愛い表現使うことが許される年齢だと思うので敢えて使うが、所謂どじっこだった。そして多分、先輩が最も嫌う類の人間だったと思う。先輩に質問したり教わったりする度に「ちゃんと自分の頭で考えて理解してる?」と念を押された。なるべく一回で理解しようと努力するのだが、出来なくて再度聞かなくてはならないときはとても気が重かった。先輩が私に向けるまなざしには少なからず蔑みが含まれているような気がして、そしてそれは世間の私に対する評価と同じであると勝手に考えて、ますます自分はダメ人間なんだと思うようになった。
それからしばらくして会社を辞めて、医療系の資格をとって、今は他県で派遣事務をしている。決まりきった仕事内容なのであまりミスもしなくなったし、たまにやる些細なミスは狼狽えずに対処出来るようになったから、今となってはあの時自分は何をそんなに恐れていたのかなあなどと思う。多分、恐れていたからこそ余計に出来なくなっていたんだろうとは思う。何で他の誰でもなく、先輩に認められたかったのだろうと考えてみると、多分大した理由はなく、ただ先輩の性格や醸し出す雰囲気が私が認められたいと思うタイプだっただけなんだと思う。そして、何でも出来ると思って勝手に崇拝していた先輩だって出来ないことは出来なかったのだとやっと理解できた。理解できたから恐れがなくなった。
何年も経った今またこうして思い出すのだから、我ながらすごい執着だと思う。先輩は私のことなんかさっぱり覚えていないだろうに。きっと今は結婚して一児やらニ児の父になっていることだろう。
先輩、お元気ですか。いろいろすみませんでした。私はもう、先輩に認めてもらわなくてもいいと思えるようになりました。でも、あの頃よりは要領が良くなったので、ひょっとして先輩に嫌われないタイプの人間になれたかもしれません。
前回はAMEMIYAのネタで超値上がりを予知(http://anond.hatelabo.jp/20110219163223)していたようですが、
本文が長いので要点だけ抜き出します。
■2/23 ブログランキング1位いける? http://blog.livedoor.jp/kanakanadesuyo/archives/2547197.html
債務超過で上場廃止の可能性のある 8894 原弘産 を購入したことを発言。
■2/25 やほーで調べてみました http://blog.livedoor.jp/kanakanadesuyo/archives/2560954.html
株を3銘柄勧める。翌営業日、うち2つが10%の値上がりを記録。
■2/28 3本の指が入る株 http://blog.livedoor.jp/kanakanadesuyo/archives/2577631.html
>全市場、値上がりランキング3位、1日で+43%の大爆発!!
>倍以上になってるので、売り抜けさせていただきました(。・ω・)ノ゙
2度あることは3度ある・・・?
まず、この主張はまったく個人的なものであり、厚生労働省の見解でもないし、
仲間の医系技官のコンセンサスでもありません。このことをご了承いだけますと幸いです。
私は現在、臨床現場を離れ、医系技官をしております。臨床は4年ほどたずさわっておりました。つたない経験ですが、小児の診療にかかわる機会に多少恵まれたこと、また自分自身に娘がいることから、小児診療のあり方については興味を持っているところでした。そこで、ツィッターで小児の夜間休日診療について、意見交換をしていたところ、私のツィートをYosyanさまがブログにてまとめていただきました。
URL:http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20110225
このブログは昔から注目をしているブログでしたので、御意見をいただき光栄でもあり、大変興味深く思っております。内容についても示唆に富むご指摘であり、私自身の理解も深めることができました。大変ありがとうございました。感謝しております。そこで、Yosyanさまの御意見も踏まえ、いろいろ考えてみましたので、そのことをこの日記にまとめたいと思います。
Yosyanさまの主張は2つに整理できると思います。それは次のとおりです。
① | 「一部の児の親の受療行動によって小児科医は疲労しており、制度として介入すべきである」 |
② | 「小児の緊急性の評価は不可能であるため、全てのタイミングで小児科医が対応する必要がある。しかし、実際にそのようなリソースは無いので、夜間休日診療は制度として抑制すべきである」 |
① | 「一部の児の親の受療行動によって小児科医は疲労していることには同意、共感。しかし、介入の方法には検討が必要であり、制度的な介入よりも普及啓発を重視すべき。そのためには普及啓発を促進するためには緊急性の判断の基準を示す必要がある。」 |
② | 「小児についても緊急性の評価は可能。緊急性の評価を小児科医師以外の人間にデリゲーションすることによって、夜間休日診療を適正化でき、小児科医の疲弊を防ぎたい」 |
では、次の章からYosyanさまの2つの主張に対してそれぞれ、検討をしてまいります。
Yosyanさまは夜間・休日診療を受ける児の親を以下のように分類しております。
類型 | 説明 |
---|---|
1群 | 救急の本当に必要な群 |
2群a | 親が心配して救急にかかる群(前向き群) |
2群b | 親が心配して救急にかかる群(後ろき群) |
3群a | リピーター群(社会的背景あり) |
3群b | リピーター群(親の意識に問題あり |
この中で3群(とくに3群a)の存在によって、物理的にも精神的も小児科医が疲弊をしているので、3群のリテラシーの改善が必要である。そのためには時間外料金の値上げとか、救急車有料化などの制度的な仕組みが必要であると主張されています。
まず、「Yosyanさまらの児の親の類型化」ですが、いわゆるMECEになっておらず、不思議な感じがします。1群か否かは医学的評価なのに、2群や3群やリテラシーや受療行動について類型化をしているからです。3群のリピーターの中にだって救急の本当に必要な群もいるはずです。そこで、「医療が公共財であるかどうかの認識の有無」「緊急性の判断能力の有無」にしたがって、つぎのように類型化してみました。
公共財の認識あり | 公共財の認識なし | |
---|---|---|
緊急性判断能力あり | 1群 | 3群 |
緊急性判断能力なし | 2群 | 3群 |
このように捉えれば、いわゆる「3群」に対処するには、「医療は公共財であるという」という認識を持ってもらう方法を考えればいいことになります。
つぎに、介入方法を検討しようと思います。3つの方法枠組みから考えてみました。それは次のとおりです。
ア | 法律、罰則などを用いた強制的な方法 |
イ | インセンティブ(+も-も)を使う方法 |
ウ | 普及啓発、教育を用いる方法 |
この枠組みで考えるとYosyanさまは「時間外料金の値上げとか、救急車有料化(主体は国)をすべき」と主張されていますので、主にイの方法を用いるべきと主張されていることになります。
Yosyanさまの主張に対して、私は「ウの普及啓発を重視・先行すべき」だと考えます。理由としては次の4つの点を挙げます。
・共有認識がができていない現在の状態では、アやイを導入すること自体が政治的に困難。 |
・時間外料金の値上げは病院単位で可能であり、それをしないことを病院や自治体が選択している。病院や自治体のが選択していることをを頭ごなしに国が否定するのはおかしい。 |
・普及啓発ができていない状態では、値上げをすることによって、お金さえ払えばみだりに夜間休日に受診してもよいという価値観を誘導する。 |
・普及啓発の余地があると思っていて、一番実効性があると思っている。 |
実はこの中で私がもっとも言いたいことは、最後の「普及啓発の余地があると思っていて、一番実効性があると思っている」というものです。特にこのことについて、つぎに補足します。
まず、3群の中でも、緊急性の判断ができている者(マトリックスの右上の部分)は「確信犯」ということになります。たしかにそんな方はいて、現場の先生方を脱力させているもの理解しています。しかし、3群の中では、緊急性の判断もできない者(マトリックスの右下の部分)がいて、この群は「ひたすらイノセント」な者です。実は、「確信犯」よりも「ひたすらイノセント」な方が多いのではと私は思っているのです。つまり先ほどの分類に従えば、夜間休日に外来を訪れる親御さんは、実は右下の「イノセント」な群がいちばん多いのではと思っています。
公共財の認識あり | 公共財の認識なし | |
---|---|---|
緊急性判断能力あり | 「賢い人」 | 「確信犯」 |
緊急性判断能力なし | 「遠慮深い人」 | 「イノセントな人」 |
もし、「イノセントな人」の群が一番多いという私の仮説が正しければ、普及啓発をする余地がまだあるのだと思うのです。
では、「イノセントな人」の群に対して、どのような普及啓発が有効かを考察します。普及啓発の方法は次の2通りがあると思います。それは次のとおりです。
ア | 緊急性の評価のやりかたを伝える(上を目指す) |
イ | 医療は公共財であることを伝える(左を目指す) |
私は、ア→イの順番で普及啓発するのが有効だと思います。これは完全な自分の体験ベースですが、「イノセント」な群に緊急性の判断の方法を理解してもらうと、そのまま上に行かずに、左上の「賢い人」になる印象があるからです。一方で、「イだけ」もしくは「イ→ア」と説明をしたらどうなるでしょうか。つぎのようになると思います。
イだけ説明した場合 | 「公共財なのはなんとなくわかるけど、いつ病院につれていけばいいのかわからない。なんだかんだで、夜診てくれるなら連れて行きたい」となりそう。 |
イ→アの順番で説明した場合 | 「医療が公共財といってもそんなの提供側の問題。消費者としてはしったこっちゃないよ。とってつけたように病院に連れて行かなくてもいいパターンを教わっても、それって夜間休日診療を抑制するために方便じゃないのか」となりそう |
ですから、ア→イと説明することによって次のようになってくれるとありがたいと思っています。
「なるほど、夜間休日にわざわざ連れて行く必要があるとき、連れて行かなくていいときがわかった。自分自身や子供の負担も少ないし、これで先生方にもご負担をおかけしなくてもよくなりますね。」 |
ア | 「確信犯」よりも「イノセント」群の方が多く、普及啓発の余地がある |
イ | 「緊急性の評価のやりかた」がそもそも存在しするし、小児科以外の人間も担うことができる |
というのが、前提条件となっています。Yosyanさまはおそらく、アとイの両者とも、私との見解の相違がありそうです。アについては定量的な議論が必要ですが、おそらく水掛け論になりそうな気がします。イについては、ある程度、実のある議論ができるような気がしています。この部分については次の章で論じたいと思います。
「児の親をどのように類型化しても結局どの群にも重症者が含まれているため、何かしら症状を持つ児の親は、緊急性があり小児科受診が必要である」というのが、Yosyanさまの主張だと理解しております。Yosyanさまはほかの部分でも次のように述べられています。
「それと表を良く見て欲しいのですが、2群でも3群でも重症者は確実に含みます。正直なところ実際に診察してもこれを全員確実に見抜けるかと言えば、私如き の技量では自信はありません。「発熱性疾患」で「見た目上元気そう」の保護者判断で、「2日ぐらいは様子を見る」の対応が全員に適用できるなんて事は、経験を重ねた小児科医(小児科医でなくとも)まず口にしません。ましてや電話相談で安請け合いなどしようとも思いません。」
つまり、まとめると、
小児科医でも重症者を見抜くのは不可能。ましてや保護者判断なんか意味がない。電話相談も意味が無い |
ということです。それゆえ、
重症者を見逃さないためには、24時間365日、小児科医が根こそぎ診察するしかない」 |
ので、
「実際にそのようなリソースは無いので、夜間休日診療は制度として抑制すべき」 |
Yosyanさまの主張はロジック(論のつながり)としては矛盾が無いものであると思います。ただ、私の意見との最大の違いは、議論の前提となっている「小児の緊急性の評価は不可能である」の部分にあります。私は「小児の緊急性の評価は可能」だと思っているのです。この前提から私の論を展開しようと思います。私の論の骨子は、
ア | 小児についても緊急性の評価は可能 |
イ | 緊急性の評価は小児科医師以外の人間にデリゲーションすることができる |
ウ | 夜間休日診療を適正化し、小児科医の疲労を軽減することができる |
まず、医学的な見地からの緊急性を要するものは疾患と病態の2つの軸で整理することができると思います。
疾患の軸 | :(例)敗血症、髄膜炎、重症肺炎など重症感染症、腸重責など急性腹症、、、、 |
病態の軸 | :(例)脱水、呼吸不全、意識障害、痙攣(単純な熱性痙攣を除く)、、、 |
この2軸を判断するためには結局、次のようなという3つのポイントを判断すればいいと思います。
緊急性の評価の3つのポイント |
---|
a 身体症状(水が飲めない、ぐったりしている、呼吸が速いなどのRED FLAGSの有無) |
b お母さんからみてwell doingか否か |
c 既往歴や年齢 |
なぜ、わたしがこのように理解するように至ったかというと私の初期研修医のときの経験からです。私は初期研修医を完全な北米型ERシステムの病院で過ごしました。この病院では、小児のwalkinも救急車も全ての救急受診をまずは初期研修医が対応し、必要に応じて小児科医にコンサルトする体制をとっています。初期研修医は2年間の間、小児科ローテート以外の期間もER勤務をしますので、2年間、常に小児の夜間休日診療に携わることができました。そのときに先輩から最初に教わったことが「救急外来でやることは帰宅させられるのか、小児科の先生にコンサルトすべきかを判断することであって、必要なのは正確な診断ではなく緊急性の判断だ」|というものでした。
私はたった2年間の初期研修で小児診療ができるようになったなどとおこがましいことは全く思いません。しかし、小児の緊急性を判断する方法論については整理することができたし、小児科の先生を深夜でも呼び出さないといけないときの判断はできるようになりました。この経験は3年目以降にも生きていて、しばしば小児診療をする機会にも、小児科の先生を頼るかどうかを判断することができるので、多忙な小児科の先生に丸投げしなくて済んでいました。
私はさきほど、緊急性の評価はつぎの3つのポイントに集約することができると述べました。そして、これらの判断を小児科以外の人間にデリゲーション(権限の委任や委譲)することができると思っています。
・児の親御さん |
・電話相談対応者(看護師さんなど) |
・小児科以外の夜間・休日担当医(初期研修医など) |
まず、児の親御さんについては、リテラシーを高めていただくのがいいと思います。緊急性の判断の方法論をあらゆるチャンネルから伝えるべきだと思っています。また、補助ツールも有効であり、次のようなサイトも有用だと思います。
ちなみに、このサイトの発熱はボタンを押すと、チェックリストとして次の項目が現れます。これってまさに「緊急性の評価はつぎの3つのポイント」なのだと思います。
発熱時のチェック項目 |
---|
・生後3ヶ月未満である |
・元気はある |
・無表情で活気がない |
・おしっこが出ている。オムツがいつものとおり濡れいている |
・あやすと笑う |
・1日中ウトウトしている |
電話相談も有効だと思います。「緊急性の評価の3つのポイント」は問診が必要であって、詳細な身体診察や血液検査が必要ありません。ですからトレーニングを受けた看護師さんなどの医療者であれば、電話でお話を伺いながら判断することができます。電話相談など医療職による相談でも不安がとれない場合は、「お母さんからみてwell doingでない」ということですから、夜間でも休日でも受診をしていただくのがいいと思います。ただ、この際もできれば小児科の先生が最初から診察するのではなく、きちんとトレーニングを受けた救急担当の研修医が診るようになればいいのにと思っています。
なお、初期研修のときにあまり小児の緊急性の評価についてのトレーニングを受けていない医師でも、3年目から小児科の医局に入局すれば1人で当直をしていると思います。私は、このような3年目の小児科の先生と比較すると、トレーニングを受けた初期研修医の方がより安全な医療を実践していると思っています。
アとイで述べたように、緊急性の評価の方法を小児科医以外の人間に普及啓発し、緊急性の評価の主体者をにデリゲーションすることができれば、小児科の先生は、夜間休日には本当に緊急性のある場合にのみ診察をすればいいことになると思っています。それが、私の思う「夜間休日診療を適正化でき、小児科医の疲弊を防ぎたい」ということなのです。
私は文中に述べたように初期研修の2年の間に同年代と比べると比較的に、小児診療の経験に恵まれました。また、3年目以降も、院内にPICUが無いことから小児科の先生と一緒に仕事をする機会にも恵まれました。自分自身にも娘がいるし、PALSなどを学ぶ機会がありましたので、小児医療にはずっと興味を持っています。
つたないながらも3年目以降にはオカルトバクテレミアや劇症型の敗血症、インフルエンザ脳症など経験しました。元気だった児が半日ぐらいの経過で一気に具合が悪くなり、24時間程度で亡くなるケースでした。ですから、いくら緊急性の評価をきちんとしても、半日後の転帰を100%確実に予測する方法が無いことも理解はしているつもりです。
ただ、だからこそ、受診をした際には、医療者はきちんと緊急性の評価をし、説明し、カルテに記載することが大事だと思います。また親御さんに対しては次のようなというメッセージを伝えたいと思っています。
「病院に頻回に受診さえすれば安全・安心というわけでなくて、どうやっても急性の経過をたどることがある。でも、いたずらに不安になるのではなく、知識を整理したうえで、自分自身の判断力を向上させてほしい。自分自身で判断できなくても、電話相談を受けることもできるし、いざとなれば受診もできるようになっているから安心してほしい。なにより、実は緊急性の評価はお母さん自身のwell doingがどうかの判断が一番重要であって、それを見極められるようになってほしい。」 |
私は、小児医療にはまだまだ行政が寄与できる部分がたくさんあると思っています。たとえば、ワクチンです。オカルトバクテレミアに対する最大の対策は頻回の受診でも検査でもなくてワクチンであると認識しています。このワクチンは子供を守るだけでなく、小児科の先生方を訴訟リスクから守るものでもあると理解しています。そのほかにも、自分の居住県は人口が600万人いるのに、PICUが存在しません。そんなことにも問題意識を持っています。また、大学の同級生や研修時代の仲間や先輩方にも小児科の医師がたくさんおります。みな真摯にとりくみながらも疲弊していることも理解しているつもりです。ですから医系技官という仕事を通じて、機会があれば、いつか小児医療の発展に寄与できればと思っています。
お昼過ぎに起きる嫁
でも
外で物音がすると怯えて夫から離れない嫁
怒った後にしょんぼりする嫁
食事もお風呂も夫が帰るまで我慢する嫁
夫の馬鹿発言を笑って訂正してくれる嫁
夜に寂しくなると夫にすり寄る嫁
10歳年下なのに包容力のある嫁
夫と似てる所を見つけて喜ぶ嫁
そのうち見つけてくれるかなって思いを込めてここに書いておきました。
息子が大きくなったら色々しようね
まだお互い行ったこと無いディズニーランドに行こうね
息子と三人で結婚式しようね
息子と三人でゲームしようね
おじいちゃん、おばあちゃんになっても愛し合おうね
出会った頃、彼氏に一方的に別れを告げられ
どうかそれまでに、残りの人生を生きていけるだけの
人生の糧をたくさん集めてください。
過去に大量に資産(金や油田)があっても、それを使い尽くした瞬間に滅びた国など山ほどあるよ。よって、資産ではなく、生産力が国の測る尺度であるべきだし。
百歩譲って、規模のメリットによるスケール効果というものが、あるということを斟酌しても。いまの、地方のお金の使い方は無駄な建物を建てるなど、資産を食い潰す使い方しかしていない。
それこそ、種籾を食うようなもんだ。
本来農業の効率化など、適切に地方の役割である、食料の生産や一次産業が適切に行われるならともかく、行われていないじゃん。
地方にお金を流すことを否といってるわけではなく、効率的に使われず、農業戦争に負けるのであれば、保護していて甘くなっているということだから、厳しい競争に晒さざるをえないという次善の策を行っているだけ。
それこそ、農業が自発的に効率化されていくなら、誰も文句は言わんだろ。
そして、その農業にしても、重要な鉱物である燐や 発芽種子の一部を輸入にたよっている状況で、外貨がなければ、一部の農業すら止まる状況じゃん。
いくらなんでも、程度問題でヒドイという話。
役割分担だ、というけど、
そういう役割分担はもうやめようという議論なんだから、それを言われてもね。
サッカーの話にもどるけど、 ボールを集めました。自分たちは後方です。そりゃいいんだが、それにタカをくくって、練習サボってるから言われているだけ。
やるべき事はあるでしょ。他にも。
なんと言っても、すぐ誰かにギーギー言ってる文句多い女が嫌いです。
病院一歩手前レベルにヒスい姉がいたのと関係あるのかないのか不明ですが
女が一声「キー」みたいな声を出し始めると、言い分を聞く前に張り倒したくなります。
次に、メソメソ言ってる役に立たない女が嫌いです。
友人のことについて心を痛めて「○○だよう…!」とか言って泣いてるの見ると
(このタイプの女キャラの半分ぐらいは男が描いてるのでこれをミソジニーと言うべきか謎ですが)
いっつも陰口と悪口で盛り上がり、仲間同士にすらすぐ批評を向ける。
批評の内容は神経症じみた言い掛かりですが聞いてるほうは誰もたしなめず同意。
更に、女らしくない女を自負する女が嫌いです。
経験上このタイプは、女の腐ったとこと男の下品なところを併せ持ち、双方の美点を失ったクズばかりです。
攻撃にブレーキの外れた人間が多く、「あの子は仕事が出来ないから」みたいな話をすぐ始めます。
「あれだからアタシは女って嫌いなの!」と言ってるお前は女からも男からも一番の嫌われもんであることに気付いてください。
何かいつも自信のない情緒不安定を撒き散らしているので張り倒したくなります。
ネットにまるごとこうして書くとまあミソジニー呼ばわりされるでしょう。
そういうわけで
まず張り倒したいのは唯と紬ですが、一番念入りに張り倒したいのは律です)、
まどかマギカ見てるときだけは何故かこの発作が起きないんです。
決して上記のチェックポイントにあてはまっていないわけではないのに!
つまり長々書いてきましたが
まどかマギカ最高!
月の綺麗な夜でした。
ベランダに出た私が月を見上げていると、はっはっはっ、という誰かの息声が聞こえました。
あたりは一面の雪。見渡すと裸の男の人がオナニーをしていました。
はっはっはっ。とても真剣にオナニーをしていました。邪魔をしたら悪いな。そう思った私はその姿を眺めていました。
はっはっはっ。はっはっはっ。はっはっハッ。
オナニーが終わりました。男の人は両手をぶらりと垂れて月を仰ぎ見ていました。
「何をしているんですか?」
「種をまいてるんだよ」
とても穏やかな声でした。
「寒くありませんか?」
「お手伝いしましょうか?」
「ごめんね。君じゃダメなんだ」
「そうですか。お役に立てなくてごめんなさい」
「いいんだ。その気持ちだけで嬉しいよ」
それじゃ仕事だから。そういって男の人はまたオナニーをはじめました。
はっはっはっ。はっはっはっ。はっはっはっ。
月の綺麗な夜でした。
6話でキュウべぇは孵化寸前のグリーフシードを食べるのも仕事のうちだといいましたが、3話で孵化寸前のグリーフシードを見て「危ないから離れろ」と言いました。
6話については、これ以上汚れがたまると孵化する=付加しないので今は安全だから回収できる。
3話で孵化寸前のグリーフシード=危ないから離れろ。だって、もう回収してもキュウべぇの体内で孵化してしまうレベル。一度孵化させて、倒してから再回収するしか方法がない。
という話です。
3話のレベルを キュウべぇに何とかしろ、というのは、キュウべぇに魔女を倒せというぐらい無理があると思います。
そもそも、孵化が目的なら、回収しないで6話も孵化させてしまえばよかったのでは?
魔法少女が魔女なしには生きられないと仮定するなら、それでも、やっぱり生きるために魔女を倒すのですから問題ないでしょう?
キュウべぇが 回収したシードをどうしているか?のカードは開いていませんし?
キュウベェが シードを孵化させる機械なのか、それ以外を孵化させる機械なのか? なんの 孵化なのか?というカードもあいていません。
これなにか問題がありますか?
では、キュウべぇはどうすればよかったのですか? 逃げられないという設定の結界の中で逃げろ?と。
そちらの方こそ、合理性がないですよね?
だいいち、この議論の問題点は、キュウべぇが マミさんを殺すことに手を貸したか?であって。契約を迫ったことではないかと。
マミさんを間接的に死ぬような罠をしかけて、契約を迫ったならおっしゃるとおり。
マミさんが死んだのが事故であるなら、単なる緊急回避でしかありません。
マミさんが死んだのが、キュウべぇによる魔力停止などの罠なのか、マミさんが浮かれたことにより、穢れがソウルジェムにたまりにくくなり、ソウルジェムが誤動作をして魔法が使えなくなって死んだのか
まだわかっていません。
このカードがあくまで、本件を例にして、キュウべぇの善悪を言うことは出来ません。演出の問題になっています。
もし、この問題を例にキュウべぇの善悪を言うのであれば、善であれば、どうしなければならなかったのか?を言える必要があります。
ほむほむ、のところまで逃げろというのは、妙案だとは思いますが・・・契約したほうが確実に助かる可能性が上がる。という意味では、
戦場という場所を考えれば、武器を取れというのは、おかしな考え方だとは思いません。 連れてきたのはマミさんであって、キュウべぇではない。というのがその理由です。
とうとう「必死だな」が出ましたw
まあ、迷ってる人はいろんなブログの言及をみればいいんじゃないかな?
http://d.hatena.ne.jp/laevatein/20110226/1298673139
こんだけ金をつぎ込んでくれる固定客がいるコンテンツなので客の求めるものは分かりやすいし、このご時世なんだからまずは『売れるゲーム』を作るべき、ということで方向性は1つしか無かったはずなのにどうしてこんな事しちゃったんだろう?
http://d.hatena.ne.jp/p_wiz/20110224/p2
http://d.hatena.ne.jp/laelaps13/20110224
発売前から嫌な予感しかしなかったが、予想を遙かに超えるひどさだった・・・
ファンが絶対に望まないような展開をこれでもかと詰め込んでいるね。本当にバンナムはこれで受け入れられると思ったのだろうか・・・
http://d.hatena.ne.jp/Zannen/20110225
石原さんはニコ動に触発された部分もあるとかインタビューで発言していた気もしますが、どちらかというと薄い本に触発されてしまっている気がします。
http://d.hatena.ne.jp/torisuteram/20110226
竜宮小町発表くらいから期待でき無さそうだ、と思い始めてスルーしたわけだが状況は想像以上に酷いようだ。”1”が存在しない作品ならともかく改悪がひどすぎる感じだなぁ。制作側は面白いと思ってやったのだろうか。
http://d.hatena.ne.jp/asagirikazusa/20110224#p61
辞めておいて正解だったぜ。
フゥハハハーハァー
http://d.hatena.ne.jp/BCC/20110224/p4
アイマス興味ないけど、前作を完全否定しているっていうのは分かった・・・
そりゃ理不尽な怒りが湧いてくるわ。
同じような心境を「かまいたちの夜2」プレイした時に沸いたな。あれも前作全否定でシナリオも微妙だというとんでもない地雷ゲーだった。まあアレ以上の酷さだろうけど。
というか男キャラ出した段階であんだけ非難され、発売前に散々分かってたことなのに、ファンの要望を無視するとか「どんな判断だ」。
http://d.hatena.ne.jp/bit666/20110223
http://d.hatena.ne.jp/qwqw/20110223
前作のファンの方々南無であります
http://inthedreams1114.blog66.fc2.com/blog-entry-152.html
ずっと事の推移を静かに見守ってきましたが、あまりにも心のないバンナムの対応。
ゲームの世界観は崩壊し、残された自分たちに出来ることは何もなかった。
中にはシュプレヒコールをし、最後の最後まで戦った方々もいたようですが、その声が開発陣に届くことはなかったようです。
・・・これでは団結など夢のまた夢。
http://d.hatena.ne.jp/mowamowa/20110223/1298515257
上記の修羅場系統 (特に枕営業) で、私はむしろうふうふしてしまう感じなのでアレなんですが、キャラをろくに攻略もしてない状態の私ですら各キャラに固定観念みたいのが既に多少あると言う状態で上のを見ると結構「うわぁ」とか思います。
http://plaza.rakuten.co.jp/kaname0083/diary/201102240000/
http://d.hatena.ne.jp/black-newt/20110223/1298470947
・美希の性格がSPに改変された状態のまま そのうえCDで本物の自分と言い出す
・伊織が負けた理由を突き指のせいにする小物に
・あずささんのわすれっぽさが強化
・律子の夢やその過程を都合のいい部分だけ採用 そして根性論を連発するようになる
・雪歩がありえない言い間違え
・全体的に千早が優遇
・Pがアイドルを脅すような言動
・外見の変化を受け入れられない
http://length610.blog39.fc2.com/blog-entry-772.html
http://kisokutadasiku.blog136.fc2.com/blog-entry-30.html
彼女「水瀬伊織」は実在しない。しかし「存在」はしている。その存在の証である公式の「水瀬伊織」が「水瀬伊織」では無い。これはある特定の人物の人格を崩壊させたと言っても過言では無いんとじゃないか?
http://shin-r2.at.webry.info/201102/article_6.html
ネット上で色々見て回るに、爆死どころか大爆死だったようです。
発売前から核地雷を投下し続け、購入してくれるコアなファン層を
ズタズタに切り裂いただけでは飽き足らず、
…えーと、え?!
買ってもらうつもりで作ったのコレ?
(追記)
http://twitter.com/Ka3x2_SensuiDOL/status/41102556130328576
べつにアイマスに限った話ではないけどTLで評価が良いっておまえそのTLは自分の見たい人しか入れてないんだから評価偏るに決まってるだろwwwwwwwwww
http://anond.hatelabo.jp/20110227053255
http://anond.hatelabo.jp/20100829053257
厳しいようですが、圧倒的に(数や暴力での破壊力や組織力で)弱い立場にある苛められる側にとって、苛めの原因が苛め側一方にだけあると思い込むのは、同時に自分が変わっても解決しないということでもあるので、どん底スパイラルにしかなりません。そこに一時の安心があっても、希望はない。
スパイラルを抜けるには、自分にも原因がある=自分が変われば苛めスパイラルが終わるということを認めるしかありません。
ところが、世間では苛められる側に原因があると言うと、とかく誤解されます。なにいってんだと。これを伝えるのは本当にむずかしい。
自分にも原因がある=自分が変われば苛めスパイラルが終わる、希望を持てるということをどうか苛められてる子に伝えて欲しい。
ただ学校の先生にここまでやってもらうのは、おかしなことなのかもしれない。
自分の場合は登校拒否しようにも学校のいじめより家庭の暴力の方が酷い体力的に耐えられない状態だったので学校には通ってトイレに篭ったりしてました。そこまで逃げ場がないのは、自分自身のコミュ能力のなさと賢さの足りなさのせいなんですが、それは本来家庭でカバーされることだと思います。
家のダメさかげんの後始末まで学校におしつけるのはおかしいし。
とかいって逃げ場がなかったのも事実なので、うーん・・逃げ場や安心できる場所がないとおちついて客観的に自分を見れないので、自分が変われば・・と気づけないんですよね。自分の場合は中学時代にかくまってくれる友人ができたのが変れたきっかけでしょうか。
一人で遅刻していった、後ろの入り口近くでぎゅうづめで、暑い空調の中で。
ラフな格好したメンバーが、自分が年取った分だけ年取った顔して、人だかりの向こうで演奏していた。
everglowが出てから、もう何年だ、6年か、ここにぎっしり詰まった観客の一人ひとりが、
その6年分だけ若い自分にmaeの思い出があって、それを無意識に反芻しながら今ここで耳傾けているのかと思うと、
年月の重なりと、そんな感慨も飛び越えていつまでも美しい音楽とにもう泣けてきた。
from Toledo to Tokyo, the words were scribed on every page and…のくだりでぐっときて、
アメリカの片田舎から来た僕たちに日本のファンたちはよくしてくれました、というMC聴いてまた泣けた。
6年後、自分が成長したのかどうなのか分からないままの2011年、maeはさよならを言って帰っていった。
どこに? 自分らの心にか。まさか。それは自分の思い出だけだ。
社会に出て、自分もひねくれてしまった中で、変わらずエヴァーグロウだったものを見たのがこの日だった、
いや、思えばmaeはずっとそういう音楽だったのだ。心の中の耳に残るもののひとつ。
2度のアンコール終わっても、照明があがっても、最後まで手を振っていた。
自分はCD買ってライブ行って彼らに貢献したのか、いや、対価っていうんじゃなく、
もっといろんな美しいものをもらっていたような気がする。
感傷かもしれんが、人生にひとつあってくれてよかったっていうものって例えばmaeだったよなあと思う。
ipodに突っ込んだmae聴きながら仕事行こう、多少足音だって軽いかもしれないじゃないか。
ありがとうでは言い足りないほどだ、mae好きだったよ
先生質問です。 魔法をまったく使わなくてもソウルジェムは穢れるのですか? しかし、魔法を使うとソウルジェムが穢れるのですから、魔法を使わなければソウルジェムは汚れないと思います。
キュウべぇ先生も、魔法少女になって魔女と戦って欲しい という契約でしたが 魔法少女になってほしい とは 契約していません
つまり、 魔法少女になることと、魔女と戦うことは別問題であり
グリフシードがなければ、何もしなくても汚れてしまうならば、自動的に魔法少女になれば魔女と戦うことになるので 合理的なキュウべぇ先生が、そんな付随条項を付けるはずがないからです。
つまり、魔法少女になることは、魔女と戦わないという選択をとればなんらデメリットではないはずです。
つまり、「奇跡」を望んだ契約の代償として「魔法少女・魔女」に化す ではなく 、「奇跡」を望んだ契約の代償として魔女と戦う その為の魔法少女 があくまでも正解かと思います。
また、今回のようなケースにならなくても、「穢れ」を他人のソウルに押し付けなければ、破綻することは指摘されていました。たとえば、死亡だったかもしれません。
指摘されているにも関わらずその行為を続けたことは
単に 見返りを求めない考え ではなく 破滅したいという希望 と捉えるのが正解でしょう。
自己への破滅願望が、より進化して 自己を含むすべての世界の破滅願望に進化した というのが正しいかと思います。
それに、見返りを求めないのと、相手がくれるものを受け取らないのは別問題でしょう。
長くなりましたが、見返りを求めないと、自己犠牲はちがいます。ということが言いたかったのです。見返りを求めないというのは、自己を維持する活動をしつつ、要望に対して見返りを求めず行動する。であって。
自己の活動維持を無視して、行動した挙句、お前が望むからこんなになっちゃっただろチクショーというのは、見返りを求めないとは違います。
※肉体からジェムが100m以上離れると操作不能というデメリットが一見ありそうですが、ジェムの方が本体ですから、移動が自在なキュウべぇ先生に、回収してもらえばよいだけの話で。あの時も、ほむほむ先生が取りに行かなくても、キュウべぇ先生があとから回収したことでしょう。(戦力弱体は困りますから)。それに、ジェムが移動中に体が破壊されても、体は何度でも復活可能という定義ですから、問題にはならないでしょう。また、ジェム付近で体を再生して、古い体を回収する事も キュウべぇ先生がやったように可能です。よってデメリットにはなりません。
※どうでもいいですが、魔法少女他はかなりの優先度で、グリフシードを使わない、汚れの回復方法は無いのかを、キュウベェ先生に聞かないといけないと思うのですが、なぜ聞かないのでしょうか?それ以外に方法はないって言われてましたっけ?
上述のように、契約条件に魔女と戦う事が明記されているということは、魔法少女になっても、魔女と戦わずに生きる方法があることを提示されていると思うのですが・・・
「プログラマー」と名乗っている人をあんまり信用しないほうがいいというのはよく言われる話だが、最近そのことを痛感している。今やってる仕事の一環として、「ほかのプログラマーにプログラムを書いてもらって、それをレビューする」という作業があるのだが、この「ほかのプログラマーが書いたプログラム」というのがひどい。クズみたいなプログラムばっかりだ。
ってな、黒夢の『C.Y.HEAD』という曲の歌い出しですけど、最近この部分がぐるぐるぐるぐると頭を回るものだよ。
ええ、わかってますよ。仕事相手の悪口を公的な場で言うなんて、問題があるって言うんでしょう。まあ、それもそうなんだけど、たいしたプログラムも書けないくせにプログラマー名乗ってる奴らに本当に腹が立つからせいぜい堂々と書きますよ。
「忙しくってコードの質が下がってる」っていうような事情もあるでしょうが、まともに納品が出来ないなら仕事なら受けるべきでないわけだし、ビジネスの世界は「結果責任」を負うものですから、「事情」なんてのは知ったこっちゃないね!
……っていうふうにね、「仕事」というのは基本的に「事情」を無視するものなんですね。だから基本的にはあんまり僕は「仕事」が好きじゃない。とはいえ、今いっしょに働いている人たちはかなり「事情」というものを意識していて、おかげでそれほど辛くはないんだけれども。ただ「ほかのプログラマー」みたいな、外部の人たちは、事情を共有することができないので、「あー! クズみたいなコード送ってきやがって!」ということにしかならない。「事情」を共有できるような、近しい距離の人たちとのみ、仕事をしていたいものですよ。
で、そのコードがどういうふうにダメなのかというと、主に2つの側面がある。
【1】文法が正しくない、プログラムが読みづらい
【1】はもう、そのまんま。文法がおかしいとか、同じ様な処理をコピペで5回かいてるとか、1メソッドが長すぎる上に変数が"hoge"とかでわかりにくく、意味を取るのに困難があるとか。「こんなプログラムに金を払わなければならないのか……」と思うとめまいがする。何せ、それを「まともなプログラム」にレビューするのは僕なのだ。で、その作業に対してお金は一銭も入ってこないのだ。
不具合・先祖返りなんかは誰にでもあるミスだし、それを点検するために僕がチェックしているわけなので、そのあたりはいい。しかし文法の狂っているプログラムを修正するというのは、時には全体を書き換えなくてはならなくて、非常に労力である。それに、受け取ったコードは「ほかのプログラマー」さんの「成果物」であるので、あまり手を加えすぎるわけにもいかない。それが「仕様書」をもとにしたコードの場合、あまり修正するとクライアントに「自分はこんなこと言っていない」と思われてしまう可能性もある。だいいち、こんな作業にあんまり時間をかけたら、ほかのもっと大切な作業をする時間がなくなってしまうのだ。こういった様々な事情を考え合わせ、うまいことバランス取りながら、修正の妥協点を探していくわけだが、これはとてつもない頭脳労働である。疲れる。
【2】は例えば、「バリデートチェック」のためのコードなのに、「intは2バイト」ということばっかり書いて来るとか。「intは2バイトはわかったけど、いつからバリデートチェックになるのだろう」と思って読み進めても、最後までintは2バイトしかチェックしていない。依頼主であるからSIerは、そんなプログラムに金を払いたがるだろうか?
もっと具体的な例。ゲーム会社が、「我が社のキャラクタ版権を利用して、凄く売れるSNSゲームを作ってくれ」と依頼してきたとする。プログラマーが打ち合わせに行くと、企画者は「動的フラッシュも使って、100万ユーザーが遊べる。。。」という話を延々とする。プログラマーは「了解しました」と言って安請負する。そのプログラムはメイン処理だけで1000行というもので、memcachedの「mem」の字もないし、「オブジェクト指向」といった概念も勿論ない。これでは仮にSNSゲームがリリースされたとしても、100人さえも遊べない。
このくらいならマシなほうで、ひどいのになるとフリーランス会社から紹介されたプログラマーで、「SQLはselect文くらいしかやった事がない」とか平気で送りこんでくる。たった一人で。
また、意味のないコメントも多い。ループ処理に、「イントのiに3を代入する」と書いて、何の意味があるのだ? せめて「処理速度改善の為にIntegerは使わずにプリミティブのintを使う!」というふうに書くのが本来だと思う、まぁ嘘なんだけど。だって、そんなコメントみて、「なるほど」って誰が思いますかね?
コメントには必ず「目的」というものがあって、次にソースを読む人は処理の概要を知りたいのだから、「プログラム」をそのまんまコメントにしてもダメなんですよ。そういう単純で、最も重要なことが意識できないで、どうして堂々と「プログラマー」なんて名乗れるのか知らん、と思うぜ。
一番、腹が立つのは「偽SE」ですね。「プログラムはだれでもできるでしょ、重要なのは業務知識でしょ!」みたいなのが偽SE。こういうのを本当に思っているのがいる。業務の画面遷移さえ理解してないSEがだよ。
上の例はさすがに大げさでも、「僕は、プログラムが好きでソフト開発者になりました」とか言ってまともにプログラムが書けない奴は、頻繁にいる。自分でサーバ建てろよ。自分で簡単なサービスつくる事もできないなら、向いてないから辞めてしまえ。
「オレはサーバエンジニアじゃないからコマンド打てない」みたいなね。
世も末だ!
ここに挙げたのは「最低限」のことで、「より読みやすく」「より自然に」「より美しく」というところを、自分の能力の限界まで突き詰めてこそ、プロってもんじゃないんかね。もちろん時間や諸々の事情と相談してのこととはいえ、「26歳の若造が吐き気を催すような拙いプログラム」を送ってくる、30代40代のプロプログラマーってのはいかがなもんでしょう?
身の程を知れというか。
なんでプログラム書けない人がプログラマーなんかやってんだろ?
んで、なんでそういう人に「仕事」があるんだろうか?
身の程を知れよ。
自分の欲望ばっかり考えやがってね。
結婚指輪を買いに行った.
デパートに行っていろんなお店の指輪を見て回り,これがいいかなぁーっていう指輪を決めた.
そのお店はパリに本店があって,簡単に言うとお金持ちを相手にしているお店らしい.
そこで,担当してくださった店員の方が下記のことを話されていた.(括弧は脳内)
・昔はお得意様(お金持ちの方)だけが買いに来られるお店だったのに,最近は若い方(お金の無い方)も買いにくるようになりました.
・特に,結婚指輪はシンプルでお安いので(それでも1つ20マンぐらい),若いカップルの方が来店されるようになりました.
・銀座にもお店がありますが,ポイントが付くためにそのような方はデパートに買いに来られる.
・お得意様はポイントなんていうことは気にされないが,若い方はポイント率がいくつかとかを気にされる.
(そりゃー,5マン分ぐらいのポイントなので大きいっすよ).
・当店にはそのような方はお客様としてふさわしくないんですが,時代ですかね.そうも言ってられなくなりました.
それで,
「最近,中国の方が多くブランド品を買いに来られると聞いたのですが,そーゆー人はポイント気にしないからふさわしいお客さんですね」
って言ったら,
「中国人も確かに多くていっぱい買って言ってくれるんですが,ブランドの価値がわかって購入されているわけでは無いのでね〜」とのこと.
まとめると,お金持ちで本当にここのブランドを愛してくれる人がふさわしいお客さんで,
なんていうかなぁ,そのお店が自分の店をハイジュエラーと呼んでたのにも違和感があったし,
発言の端々で,たとえば結婚指輪はお安いとか,変なだなって思うことあったけど,
そーゆー商売がしたいっていう気持ちもわかる.
両親はいわゆる毒親。
母親は夜遊び大好きな主婦デビューの呑んだくれ。毎日明るいうちからビール、夜は飲み会、カラオケ。
父母が愛玩用に育てた妹は窃盗常習、立派な犯罪者に育ちました。今はこぶつき出戻り。
奇跡的に結婚直前まで行った相手とは「家庭に問題」で破談になったため、すっかりやさぐれている。
携帯持ってるのに自宅の留守電ということは、直接話はしたくないんだけど伝えたいんだろう。
どう見てもATM要員です。本当にありがとうございました。
・父が定年でまもなく退職、再就職のめどたたず。ちなみに退職金制度はない。貯金もほとんどない。
……親子の縁ってなんで切れないんだろうね。
2002年11月3日に、里親が3歳の里子を委託後4ヶ月で虐待死させた事件がある。里親団体はこんな声明を出している。
11月3日、栃木県宇都宮市で、養育里親が3歳の女の子を殴って死なせてしまいました。この里親は、韓国で幼稚園教諭を9年間務めたあと、夫とともに5年前日本に引っ越してきました。2000年2月に里親登録し、昨年12月に男の子(4才)をあずかり、児童相談所のすすめで、さらに今年7月に妹・順子ちゃん(3才)をあずかりました。ところが、子どもがよく泣くことやいうことを聞かないことなどから殴ってしまい、順子ちゃんは3才で亡くなりました。遺体の腕や脚などには多数の古いアザがあり、李容疑者が虐待を繰り返していた疑いももたれています。
一方、1才まで母親の元で育てられ、順子ちゃんと一緒に乳児院に入所した兄(4才)は、虐待の形跡も見られず、里親との関係は良好だったようです。このことから、生後すぐに乳児院に入所し、24時間の集団養育環境で育った妹の順子ちゃんは、愛着関係に問題があり、大変に育てにくい子であったと私たちは推測しています。
特定の養育者との愛着形成が出来ず、「愛着障害」となった子どもの養育が大変に難しく、その結果、虐待につながりかねないということは、過去から多くの里親たちが指摘してきたことです。
http://www.foster-family.jp/jiken/utsunomiya/021208kinkyu-yobosho.html
実際に「愛着障害」だったのか、どの程度の「育てにくさ」だったのか、確たる証拠も証言もなく、当人が3歳で死んでしまった以上検証のしようもない。だが、この言い草はおかしすぎやしねえか? だって、4歳児と2~3歳児の「育てにくさ」が全然違うことなんか、子育ての常識中の常識だろ? 泣き喚く、何かにつけて「イヤ! イヤ!」言う、反抗して地団駄踏む、「普通の家庭」で育った3歳になったばかりの幼児がそれをやれば、かわいく「イヤイヤ期」とか言ってもらえるところだろう。それが乳児院育ちだと「虐待されかねない」「愛着障害」で、殴り殺しても情状酌量の余地充分、になっちまうのか。普通そういうのは「差別」といわないか?
里子虐待事件の報道は少なくない。そのたびに「虐待されかねない」「愛着障害」という文句を見る気がするが、責任を持って預からなければいけない対象のガキを人間扱いできないのも問題なんじゃねえのか?
先日ツイッターで、平野綾と元ファンとの言い合いが少しありましたが。
だから、思ったことを正直に、素直に発信していく姿勢で活動してるんだと思います。
そういう姿勢は嫌いじゃないし、それが自分のスタイルならいいんじゃないでしょうか。
それに対し、元ファンは、「アイドルは、己を殺して支持層の求めるものを提供しろ」と言います。
それは高いプロ意識がないとできないことだし、できる人は立派だと思うし、平野綾をここまで押し上げたのは古参ファンのおかげです。
だから、ファンをないがしろにするな、もっとプロ意識を持てっていう主張も、わかります。
正直、どちらも間違ってないし、正解はありません。
平野綾自身が選んだスタイルなら、出資者や親以外に文句を言える人はないはずです。
そして、ブログにて、平野から今回の騒動について言及がありました。
私が昨日のツイッターで引っ掛かったのは、
そして騒動を聞き付けた方たちが書いた、
【ファンに媚びて当たり前】というようなコメントを目にしたからです。
他の声優さんは己を殺して徹底しているプロである。プロ意識のなさにはガッカリだ。
ファンのことを何も考えていない。
だから叩かれるんだ。
…と言われても、人には人それぞれのやり方があります。
正解というものはありません。
どういった想いを抱いて接していただいても良いと思いますし、私の性格や生活感が滲み出る発言が嫌な方も勿論多いでしょう。
ただ、当たり前で媚びろというのはおかしいだろうと思ったのです。
尊敬という単語を軽々しく使う方が多い割に、あまりにも同じ人として見ていないような。
扱っているような感覚。
私は不可能かもしれませんが、なるべく私に関わってくださる方一人一人と、向き合いたいと思っています。
それこそ対等に。
だから主張を聞いてほしいし、芝居に活かせるならば恋だってするし、経験を全て歌詞に書く訳です。
新たなフィールドで活動させていただけるようになった昨年。
私はなるべく自分の言葉で的確に丁寧に、誤差のないように伝えてきました。
元ファンは、かつてのファンを捨てて自分のスタイルを貫こうとするならば、我々が貢献して出来上がった今の地位に留まるな、甘い汁を吸い続けるな、と言っています。
平野綾はその点について言及がありません。
表現者としての今のスタイルは誰かがとやかく言うことではありませんが、今の潔くない位置での活動については、元ファンが怒る気持ちもわかります。
その点については、どう考えているんでしょうね。
幸せって何?
嬉しいって何?
つらいのはわかる。
悲しいのもわかる。
苦しいのも、嫌なのも、全部わかる。
なのに…
これはロボット
心が作られなかった
悲しい
悲しい
幸せって何?
誰に?
…あなたに
そして
わからない物…
幸せ…
結局ロボットは
だから
次は私が問いましょう
“幸せって何?”
http://anond.hatelabo.jp/20110225150532
http://anond.hatelabo.jp/20110225150733
http://anond.hatelabo.jp/20110225143641
うんうん、そういう話は読んだし、OPにも黒猫がでているし、わからなくはないよ。
でも、他の作品にかぶせるのはオマージュっていって、深く読み解くには有用なんだけど、それを知らずにいきなり「まどかが昔猫飼ってました」とか、
唐突に「ねこ拾いました」とか展開されても、ストーリーテイリングとしては未熟な気がするんだよね。
だから、ここまで出ていない猫が重要な位置づけにくるっていうのは、現時点では少し微妙だなって思ってるんだよ。
もちろん、今後に、唐突ではないうまい出し方で猫が登場すればそれはそれでいいと思うけどね。
例えば、きゅうべえの本体がいい猫で、悪いのに寄生されてた、とかね。
元増田ですが、文章下手でゴメンだけど、元増田でもそういうことも言いたかったんだ。
伝わらなくてゴメンご。
で、
当事者的にはハッピーエンドなんだけど、客観的に見ると歪なバッドエンド、になると予想してます
「鏡の世界」がヒントになってそうだけど
なるほどねー。
確かにそれもありだなー。
シンジくんが一回補完されたあとの溶け合った世界での葛藤みたいなんがあって、そのあとアスカと復元する、みたいなイメージでいいのかな?
でもなんだか、まどかにとったら、契約しないっていうのが一番難しい道で、自分を確立しない限り契約しないって選択はできないと思うんだ。
一見無責任に思うかもしれないけど、契約しないですべて忘れる、っていうのも、ひとつの幸せになる道なんじゃないかなって気もしてるんだよねー。
ああ、ほんとにどうなるんだろうねえ?
完結していない作品を批評するのって、批評家としたらやっぱりナンセンスなんですかね?
まあ、ファンがうだうだ言ってるってことで許してください。