はてなキーワード: ほとんどとは
> 女は、男が女に求めるほど容姿を問題にしないのでそれはないと思える。
おいおい、逆だろ逆w
たしかに男の方が表面的にはかわいい子と付き合いたい的なことをよく言うし、イケメンはブスノーサンキューみたいな態度が露骨だろうけど、大抵の(並みの)男はかわいい子以外付き合いたくないみたいな考え方はしないよ。まあ、それくらい飢えて必死なことの裏返しでもあるけど。
逆に、女は(どんなブサ女でも)まず男の容姿で下から何割かを脚切り(一次試験)して、残った恋愛可能候補の中から容姿以外にも金とかノリとか御しやすさとかそれぞれの重視する要素で男を選ぶ(二次試験)からな。
たぶん二次試験のところを思い浮かべて女はそんなに男の容姿を重視してないって言いたいんだろうけど、その前段階で何割かのブサメンを視界から排除してるので、容姿で対象を絞る度合いのキツさは女のほうが強いよ。
> その容姿にこだわる女ってのはある程度の基準が高い女なわけで結局ブサイク女はスルーしてるってことなんだよ。
上の話の二次選考でイケメンじゃなきゃダメみたいなお高いこと言うのは確かにある程度高い女かも知れんが、ブサ女だって一次のブサメン脚切りは普通にするだろ。何言ってんの。
「小学校などでも」以降は、小学校は確かにそういう傾向があるが高校くらいになれば女は化粧しだすし男は女ほしくなるから事情が変わるんじゃね。高校とかでも最下層にからかわれるくらいブサ女な人はまあかわいそうだけどね。スルーされたり無視されるのはほとんどいないからだろうね。
単純に割合の問題だと思う。そういう女はほとんどいないんだよ。だからたまたまそうなっちゃった人は余計に大変そうだね。
なんでそうなるかというと、男の中にある程度の割合で、「女でありさえすればどんなブサイクでもいいから付き合いたい」って人たちがいるから。なので、(それなりに男と接点がある環境で)そういう男たちからもどうしようもなく相手にされないくらい超級のブサイク女となると、数が限られる。何千人、何万人に一人、みたいな感じの存在(もっと少ないかもね)。ごく稀なレアケース。例外。
逆に、「どんなブサイク男でもいい」という女はほとんど存在しないし、稀に存在してもそういうのには男が殺到して結局はブサイク男があぶれるので、ある程度の容姿に達しない男はみんな「どうしようもないブサイク男」になる。これは何%とか何割みたいな、集団とか層になるくらいの割合で存在する。
javascriptで存在するほとんどのオブジェクトの実体はハッシュだよ。
var arr = [0,1,2,3];
とかをみると配列(人によってはリスト)に見えると思う。でも実際は違うんだ。
これは
var has = {0:0,1:1,2:2,3:3};
と基本的には等価なんだ。ただちょっと束縛されているメソッド(インターフェイス)が違うだけ。
ためしに
arr[4] = 4; arr['x'] = 'string'; arr[-1] = -1;
としてみよう。
Firebugで確認してみると[0, 1, 2, undefined, 4]というような値がかえってくるよ。
でもarr[-1]やarr['x']の値は保存されてないのかな?そんなことはないちゃんとアクセスできるんだ。
それどころかarr.xで'string'がかえってくるんだ。
別の例を見てみよう。
var fx = function(){}; fx[0] = 'somestring';
こうするとfx[0]に'somestring'が束縛される。
つまりfunctionも一つのハッシュだったんだ。
これでほとんどのものがハッシュだということが解ってくれたかな?
ハッシュじゃないのは文字列とか数字とかそいういシンプルなものだけなんだ。
ハッシュへはhash[name]でアクセスすることが出来る。
それ以外にもnameが演算子や空白を含まなくて頭が数字でない場合はhash.nameでアクセスできるんだ。
これでhash[name]が関数だったらhash.name(args)とできるよ。まるでメソッドみたいだね。
javascriptはレキシカルスコープを採用してるんだ。
var x = 'global'; var fx1 = function(){return x}; var fx2 = function(){var x = 'local';return x}
これの実行結果は以下になるよ。
fx1() -> 'global'
fx2() -> 'local'
fx1() -> 'global'
fx2の変数xはほかの場所に影響しないんだ。これは関数の中と外ではスコープが違うからなんだ。
でも以下のような場合に注意してほしい。
var x = 'global'; var fx1 = function(){return x}; var fx2 = function(){x = 'local';return x}
fx1() -> 'global'
fx2() -> 'local'
fx1() -> 'local'
fx2は自分のスコープに変数xがないからその外側スコープに探しに出かけたんだ。結果fx
つまり宣言文varはそのスコープに新しい名前を登場させる機能なんだよ。
関数宣言の書き方って次見たいの覚えてる人が多いんじゃないかな?
function funcname(args){ do something};
でもこれはsystax sugerだってことを知ってほしい。
上でも使ってるんだけど。
var funcname = function(args){ do something};
と等価になる。もちろんどちらの書き方でもかまわないよ。
関数は返り値として関数はハッシュを指定できるよ。次のハッシュを返す関数を見てみよう。
var fx = function(){ var x = 0; return { 'x':x, 'add1':function(y){this.x = this.x+y;return this.x}, 'add2':function(y){x = x+y;return x} } } var obj = fx();
実行結果を見てみよう
obj.x -> 0 obj.add1(0) -> 0 obj.add1(0) -> 0 obj.x -> 0 obj.add1(1) -> 1 obj.add1(0) -> 0 obj.x -> 1 obj.x -> 1 obj.add1(0) -> 1 obj.add1(2) -> 2 obj.x -> 1
となる。
add1はthis.xにたいして演算をしている。つまり返された値が変化しているんだ。
add2は関数fxに閉じ込められた値に対して演算している。つまりこれらは別の値なんだ。
とここまでかいたら疲れた。
読んでくれた人ありがとう
ちゃんとまとめてなかったし、自分のブログに描いても見てくれる人はいないから増田に書いてみたよ。
ほかの言語や技術についても同じような解説が欲しかったら何らかの方法で言及してくれるとうれしいな。
ここまではてブが300突破してるみたいだけどいま、自分のブログへリンクを張ったら増田に書く意味がなくなるんじゃないかと思うんだ。
やらないけど。
こんなのもかいてみたよ、増田で。 http://anond.hatelabo.jp/20070621153600
人間って色んなグループに重複して所属しながら生きているんだと思う。日本人っていうグループだったりどこどこ在住っていうグループだったりあるいはどこどこ卒業だとか性別とか会社とか。あるひとつのグループに対しての認識は個々によって違うだろうけど、多くの場合それは問題にはならない。みんな無意識に色んなところに所属してて、たまに所属する状況にいながら所属しないことで問題が起きたりする(ある町に住んでいるけどその町のグループに所属しない、というような)。所属する、というのは無意識でもつまりそのグループが貶されれば憤りを感じ、褒められれば嬉しくなる、といった類のこと。そのグループのためになることをしよう、という行動原理をもつこと。
私が、ある特定の宗教を信じる人を敬遠するのは、そういう(この日本でわざわざ信仰を持とうとする)人がえてして熱心であることが多く、他に所属しているどのグループよりもその宗教グループを優先し、その利益のために動くことが多いと感じるから。彼らは非常に熱心にそのグループに所属することを勧めるが、ほとんどの人にとって所属するグループというのは強制されるものではなく、また他人にそのよさを分ってもらうためのものではないと思うし、他のグループを排除するものでもない。
これは一部の勧誘が鬱陶しいカルト臭い宗教にしか当てはまらない話かもしれないし、宗教を胡散臭く思うのはただ単に神だとか教義だとかを胡散臭く思う(スピリチュアルカウンセラーを胡散臭く思うのと同じノリで)ことからきているのかもしれないし、うちの実家が寺で、祖父母は初詣にもいかない人だった、というのも関係しているかもしれない(どちらかというとキリスト教系への嫌悪の方がきついので)。
よく分らない文章になったので書き逃げする。
とある
ネット辺りででちょっと飛びぬけて人気が出た作品だから、そのアニメを見てみたら、意外と面白かった、と。
評している記事があって。
なんというか
その人に限らないのだけど、
同じマンガ描きなのに。
同じマンガ描きの原作アニメに対して、あくまで上からの視点でアニメを評してるその姿勢に、
ああなんというか、
うん、
悲しいものを感じて。
世間的にどう見たって、評してる若手作家よりもアニメ原作を出せた作家のほうが上だろう、と。
そういう、アニメを見ながら上からの視点で評を垂れ流す無名作家のほとんどは、オリジナルを描かず、二次創作、というかパロディアンソロの原稿をどこそこから依頼され、その締め切りに一喜一憂して。
なぜ、自分はその位置に行けないのか、と。
そのあたりをなぜ分析できないのか、と。
実はその作家とあなたはそんなに違う位置にいないのだよ、と。
なぜそれに気が付かないのか、と。
副業でやっているのなら、ともかく。
親元に寄生して、パロディのアンソロの原稿で微々たる稿料をもらって作家気分。
そのままだとあなたは一生その位置だよ。
と思ったり。
余計なお世話だよね。うん。
若い作家ってのはそんなもんだよね。
ごめん。
昔、やってたんだけど、ブックマークをスタートページにしてた事ある。ほとんどラグがないし、概要とかこまめに書いておくと意外と便利だったりした。今はツールバーがあるからやってないけど。
あと、ありがちなのが、なんかのソフトがテンポラリファイル作って、ブラウザでそのファイルを開かせるって奴。あと、電器屋がサービスで入れた便利リンク集見たいなやつって可能性もあるな。ま、個人サイトが載ってる事はないと思うけど。
で、リファラさえ飛んでくれば、普通のアクセス解析ソフトなら表示するんじゃない?ただ、普通は飛んでこないはずだけど。昔はそうでもなかったけど、今時はローカルファイルならリファラ飛ばないはず。少なくともmozilla系はそうだったはず。IEもそうだと思ったけどな。Macにそんなのがあった気もするがすぐに対応されたはずだし。
もし今でも飛んできてるんなら、そのこと自体よりそういう事が起こる環境の方が心配。なんか、かなり古いやつだったりするんじゃないだろうか。勘違いならいいけど。
ケイタイ業界は販売形態から露骨なんだけど、機能をくっつけてあまり低い価格のラインナップを出さないのは何処でもあることだよ。
最近のデジタル家電も何世代か前の奴ならもっと安く出来るだろうけど、そういうのはほとんどない。
理由の一つは採算性。安い商品で売り上げを上げるには数を捌かなければならないけど、販売数は安ければ安いほど売れるわけでもない。それなりに限度って物がある。そうすると大きな利益は見込めない。
もう一つはラインとか人員とかの生産リソースの問題。何機種でも作れるわけじゃないから、おのずとより儲けれるであろう商品が優先される。
勘違いしたのはすまんかった。
例えば私は七頭身半ある女で、日本人の普通にする格好は似合わない。
ふりふりのワンピースを着た時に鏡に思わずへなへなと縋ってしまったし、着物も全く駄目だ。どう見ても外人。
「可愛いのが価値のある女」ではあるがほとんど男物だ、叱られることもない、女物売り場の服が身体に合わないというのは見た時点でわかるからな。他人にそれを求めるくらいしかしない。
ちょっと褒めた時に非常に喜んでもらえることくらいしか報いは特にないな。
別にコンプレックスでもないが、一元的な見方にむっとするのはそのせいもあるのかもな。
そして「可愛い自分に価値がない女」ならどこでどんな格好していても全く不思議はなかろう。
迷惑は存在する、という話からはもうとっくに離れてるしな。
レアケースではないよ。
喫茶店とかで、すごいかわいい子がヲタ話しているのを見たのは2度三度どころじゃない。
最近はそういう子が圧倒的に多くて、みんながすぐ想像する「○○氏~」とか言ってるキモい子はほとんどいないって言ってたよ。
いないとは言わないけどね。テレビとかでの取上げ方がちょっと・・・
虐殺や国土の侵害を今現在行っている国々を引き合いに出されてもな。
戦争が嫌なら、しないほうに一票投じりゃいいだろ。
何でもかんでも遺伝のせいにして思考停止してんじゃねーよ。
で、このエントリだけどすげえムカムカする。だって自分も他人も幸せになるなんてバカみたいな話があるわけがない。アサマシエイトがキモいのは基本的にその発想がキモい。俺は誰かが幸せになるくらいなら俺が不幸せになっても他人をもっと不幸にしたいタイプだから、こういうのを見ると反射的に「死ね!」とか思う。実際に言ってるとひどい目にあうので自重してるけど。理論的に反駁できないのが弱いんだけど、もう絶対こういうのはうさんくさい気がする。もうちょっと理論武装して罵倒したいが、そんな暇はないので増田にうんことして垂れ流しておく。
つか、俺は金儲けることは基本的に悪だ、と両親から教え込まれて育ったんだよな。もちろんその後に「しかし金を儲けないと生きていけないのでほとんどの人は悪党だ」と続くんだけど。結果として落伍者人生まっしぐらですよ。いえーい。
生活に支障ないんならいいんでないの?
まあちょっと聞いた限りでは精神病の症状とは似てるし、自覚してる人としてない人とで分類がちょっと違うってくらい自覚ある人も珍しくはない。
性格がキツいのも程度次第で問題になったりならなかったりするし、そんなに珍しいものでもないよ。
「正常」の人と「異常」の人がいるんでなくてグラデーションなの。
そしてそれは別の言い方で個性って言ったりする。
中には生活が困るからって薬で治療が必要だったりするけど、社会のシステムが違ったらその必要がないかもしれないし、例えば古代社会ではほんのちょっとの潔癖症でもすごーく困ったりしてたかもしれない(そもそもあるかどうかは知らねw)。
私も心臓が人と違うらしいけど、それは医者が脈取るだけでわかるくらい明確だけど。
それで精密検査に廻されたりしたけど、病名がなくて毎回違ったり、何故かほとんど検査費とか取られなかったりしたけど(モルモットにしやがったな)、全然元気だよ。
その人、ちょっと言い方が半端で酷かったよね、今度会ったらそー言い返してもいいと思うよ。
元気なら心配すんな。
もし、「迷惑掛けてないか」っていうのが心配になったらその人に聞いてみればいい。そのくらいの要求しても罰は当たらないんじゃないかな。
人間関係がものすごくわずらわしいから、自分は学生時代から自分に合った人間としか付き合ってこなかった。元から人見知りということもあって、友達も少なかった自分は今まで彼女なんてものをつくることはおろか、女友達ができたこともほとんどなかった。周りの友人の中には彼女をとっかえひっかえしてる人や、彼女といちゃついている様子をうれしそうに報告してくる人もいる。そんなとき自分は「いいなー。自分も彼女をつくっていちゃつきたい><」なーんメールを返すんだけど、これって本当のことをいうと、ウソなんだよね。自分には彼女なんかいらない。結婚もしなくていいし、自活していける。いちいち女の人の顔をうかがって行動するのも嫌だし、自分と性格がぴったりあうような女性もいない。そもそも(ここからちょっと蔑視的な記述になってしまうけど)、自分は女性が苦手。母のことは大嫌い。感情によって色々なものに突き動かされている女性を数多く見すぎてきたせいかもしれないが、女性全体に対して不信感がある。女性と会話やメールは本当に数えるほどしかしたことがないけれど、幸福な気持ちになったことはない。むしろ相手の、こっちを探るような会話やメールの内容に辟易していた。
自分は性欲がないわけではない。友人とはオナニーの話などで盛り上がることだってある。だけど、そんな自分でさえも彼女はいらないと思う。セックス自体に興味がないわけではないけれど、いちいち色々な障害を乗り越えてするほどのものではないと思っている。現実にできる彼女よりもかわいい少女たちがディスプレイの先にほほえんでいるし、彼女たちは自分を傷つけたり、いちいちわずらわしかったり、面倒だったりすることは絶対にない。だけど、そういうことを言うと、まるで自分が人間じゃないかのようなので、自分はいつも友人には「彼女欲しいなー」と吹聴している。この自分のダブルスタンダードがいつからはじまったのかはよく分からないけれど、こういう感情を抱いている人は男性女性問わずけっこういるんじゃないかと思う。
ここからは蛇足になるんだけど、自分がこうなったことの原因は両親にあるのではないか、と思っている。自分の母と父は仲が悪い。二人はまともに会話をしない。時々、父が怒鳴って、母を威嚇するようなことばかりだった。どちらも人間関係、特に夫婦関係に関してはドライな人間で、母は夫婦関係で満たされない部分を他の肉親関係でおぎなっていたような趣さえあった。
とにかく、彼女はいらないんです。だから非モテだ何だって騒いでいたりする人をみると首をかしげてしまうのです。彼女も友達もいなくて、人間関係全般について悩んでいるような非モテの人の話は理解できないでもないんだけど、同性の友達がいて、非モテを語っている人の意見には同調できない。そもそも彼らはどうして「彼女(女友達)が欲しいのか」この根本的な欲求が自分には理解できない。うーん、こんな自分は異常なんだろうか。
剃ると見た目濃くなるが、それは俗説で本当は濃くなってないらしい。
抜くと見た目はツルツルだが、刺激によって毛根が太くなり、こっちは本当に濃くなるらしい。
けど、抜いていても濃くならない人もいるし、生えなくなる人もいるらしい。
ヒゲの剃り跡は何故か青い。これも一時的に青く見えてるだけらしい。
剃り跡が青い人も、ヒゲを伸ばしてる時は、青くないらしい。
凄く青くてはっきり境目がある人もいれば、ほとんど他の皮膚と色が変わらない人もいる。
私は今は特に青くないが、そのうち青くなることもあるだろう。
今は剃ったらツルツルになるが、いずれジョリジョリになる可能性も十分ある。
青くなる人とならない人は何が違うのかな。
ジョリジョリの人がツルツルになることはあるのかな。
ThinkCに参加した人たちからは評価が高い白田氏の演説だけど、ギレン・ザビの演説級だと僕は思う。たくさんの人が知った方がいいと思うし、もっと評価されていいはずだ。一部で議事録もあがっているようだけど、現場の勢いはあんなものではなかったから僕の記録を公開することにした。それに今回のフォーラムは公開されないと聞いたから。
もしかしたら実際の発言とは多少異なっているかもしれない。そこのところは僕も危ぶんでいる。とはいえ、面白さとか迫力とかだったらある程度までちゃんと再現できてると思う。以下の記録を読んでくれて、白田氏の熱さが伝われば幸い。
...「制度改正ができるものならやってみろ」ということでしたが...
そんなこと10年前からやってきたんですよ!
博士論文で、著作権制度が産業保護奨励政策としての独占にすぎないことを明らかにした(1)。
博士論文の内容をくだいて一般向けにした、わかりやすい解説も書いた(2)。
あちらこちらの講演で語った。
雑誌記事で一般に訴えた。
オンライン記事でみなに訴えた(3)。
審議会に出て言いたいことを言ってきた。
ロージナ茶会という組織も作った──茶会はすでに解散してしまいましたが──。
パブリック・コメントも出した(4)。
私一人でできることは、ずっとやってきたんだ!
それでも、誰もついてきてくれないから...
いまだに、こんな議論を続けなければならないんじゃないですか。
法律論では、なんにも先に進まないことは、もうわかってますよ。
...この会場の誰が、私を援けてくれるんですか?
誰が、私と一緒に著作権制度の議論に本気で取り組んでくれるんですか?
最近は、茶会のメンバーですら、私の書いた記事にコメントくれなくなった(苦笑。
そこら辺(運営側)の人たちも、最近さりげなーく私の発言を無視するようになった。
それでも、一人でも、一歩でも先に進まなければいけないから、
こうしてここで喋っているんですよ!
会場から「白田の主張は偏ってるんじゃないか」というご指摘がありましたが...
そんなことは百も承知でやってんですよ!
日本の学界の主流である、ドイツやフランスの著作権理論がどんなものかは、よく知っています。
しかし私の博士論文では、イギリスの著作権制度がそれらに先行し、強い影響を与えたことを明らかにしている。私の研究では、産業保護策としての独占の付与が先んじ、その後、著作者の財産権だの、著作者の人格権だのといった主張がくっついてきたことを明らかにしている。
私はその研究に5年かけたんだ。貴重な若い時間を費やしたんだ。
だから、著作権制度が所有権や人格権を本質とするという主張については、賛成できない。さらに言えば、知的所有権のみならず所有権という概念それ自体があやふやであることもまた、岩波から出た論文集の中で指摘している(5)。
もちろん、こうした考えは学界では異端だろうし、支持者もいないだろうことは知っている。
しかし... 世間の大勢が、著作権は「天才を保護する権利だ」とか「創作者の心情を保護する権利だ」などと言ってるからといって、自分が5年かけて確認したことを、「著作権制度は、本質的に産業保護を目的とした独占にすぎない」という自らの主張を、曲げることは学者としてできない。世間の大勢を慮って自説を曲げることを曲学阿世という。首をくくられても自説を叫ぶのが学者なんじゃないですか?
いいですか... 社会のほとんどの人が「著作権は天才の権利だ」と信じて、それを強化拡大しようとする側にいるとき、シーソーは、圧倒的に権利強化の側に重く傾く。そのとき、たとえ100mの空高くはじき飛ばされようと、誰かがシーソーの反対側に立たなければ均衡など維持できないではないですか。
ローレンス・レッシグは、憲法学者でありながら、なぜ著作権制度について問題意識をもち、闘っているのか!
彼の本、『コモンズ』には、こういう一節があった。
──連邦議員が、少数の利益や既得権ではなく、一般的な福利を尊重すると考えることが頭がおかしいのなら、連邦最高裁が、形式的な法律の適用ではなく、われわれの自由や幸福について配慮すると考えることが頭がおかしいのなら、いますぐキチガイを増やさなければならない──
というものだ。したがって、私は百も承知で偏った議論を展開している。それは、それが全体としての均衡を維持するのに必要だと考えているからだ。
(1) 白田氏の唯一の学術論文である『コピーライトの史的展開』 知的財産研究叢書2, 信山社 のことらしい。
(2) ネットワークでは良く知られた『もう一つの著作権の話』青空文庫 のことのようだ。
(3) このあたり、氏のWebサイト『白田の情報法研究報告』でだいたい読める。
(4) 「知的財産推進計画2006」の見直しに関する意見募集にも提出している
(5) 知的所有について, 『[rakuten:book:11350650:title]』 第3巻 情報, pp. 85--105 のことらしい。
連邦最高裁が「自由や幸福について配慮すると考えることが頭がおかしい」という部分についてだけど、実際の記述は、『Free Culture』p. 313 にあった。引用すると以下のとおり。
でも、政府の役割が「バランスを追求する」ことであるべきだというのがバカげていると言うのであれば、わたしはバカの側に分類してほしい。というのも、そうなったらこれがかなり深刻な問題になってきたということだからだ。もし政府がバランスを追求しようとせず、政府が単に最強のロビイストたちの道具でしかないということが誰の目にも明らかになっていて、政府に別の基準を要求するのがバカげていて、政府がウソではなく真実を語るよう求めるという発想がおめでたいのであれば、世界最強の民主主義だったはずのアメリカは、いったいどうなっちゃったというのだ。
政府高官が真実をしゃべると期待するのは頭がおかしいのかもしれない。政府の政策が、強力な利益団体のお手盛り以上の何かだと信じるのは頭がおかしいのかもしれない。歴史を通じてずっとアメリカの伝統であったもの――自由な文化――を守ろうと論じるのは頭がおかしいのかもしれない。
それが頭がおかしいのなら、キチガイをもっと増やさなきゃいけない。それもすぐに。
優越感ゲームから逃れるのって思った以上に難しいと思うんだよ。
ほとんどの人間は逃れられていないと個人的には思う。逃れられるような人間はほぼ仙人に近い。そりゃ若い頃よりは年くったほうが落ち着きはするが、かといって逃れられているかと言うと違うよね。露にする人はめったにいないけど(時々居る。そういう人はリアルで痛い人判定される)、心の底でそういう思いはあると思うよ人間。自分は違うという人が居たらそりゃ凄い(まあ大抵そう思い込んでるだけで、実際会ってみるとモロだったりするんだが)。ある意味人間の宿命だからね。優越感ゲームって。煩悩を取り払うのと同じく難しい。欲をなくすのと同じく難しい。ほとんど仏だよ。
中学生の頃に付き合っていた元恋人と久しぶりに会って、酒を飲みながら話した。
彼女と付き合ったことは、俺の人生に大きな影響を及ぼしている。
飯野賢治のゲームをやり、アンダーワールドの曲を聞いて、うすた京介の漫画を読むというだけで「俺ってマニアックだな」なんて思っている浅はかなレベルにいた俺を、一気に引き上げてくれた。
面白いものはすべて彼女に教えてもらった、と言ってもいい。
彼女の部屋で、映像を見たり、パソゲーをやりながら、彼女の薀蓄とツッコミを聞くことがデートのほとんど。
帰るときは、面白い漫画や本、雑誌をたくさん貸してくれて、その日のうちに読んで次の日意見を言い合うのが恒例だった。
未だにUFO専門雑誌コズモと、GOMESのいくつかは借りっ放しで、今も本棚に入っている。
そういえば、インターネットを初めてやったのも彼女の家でだった。何見たかは覚えてない。
二人で肩くっつけてエロ漫画を読んでいたエロガキ二人でもあったっけ。
同じ高校を目指してたけど、俺が落ちちゃって別々になってしまい、時間が合わず疎遠になって、いつの間にか連絡を取らなくなってしまった。
彼女と一緒にいた約二年で、俺はかなり鍛えられた。今はサブカル界隈の仕事で生計を立てているので、彼女の存在が俺の人生を変えたようなものだ。
再開は急で、彼女が実家を通じで俺の電話番号を聞き出し、いきなりかけてきた。
すぐに再開の約束を交わしたが、俺は彼女と再会するのがはっきり言って怖かった。その理由は二つ。
この界隈で仕事を始めて以来、彼女なら俺をどう評価するかという考えが何度も頭によぎるようになっていて、俺は彼女に鼻で笑われるような仕事をしているんじゃないかという怖さが一つ。
もう一つが、圧倒的存在だった彼女が、別れてからの約10年で普通の人間になっているんじゃないかという怖さ。
二つとも杞憂に終わった。彼女は俺が仕事で何をしているのか知っていた。全部バレていた。やっぱりすごい人だ。
電話で二年前に結婚したと聞いていたが、普通の主婦にはなっていなかった。
彼女はこの十年間、何を面白がって何を吸収していたんだろう。