はてなキーワード: ほとんどとは
「大人になったらもっと大変なことがあるんだから、もっと気楽にがんばりなよ」
というのは簡単だが、その意味をわかってもらえるはずはない。
もっと苦しいことなんて理解できるわけがない、受験というものが今までで一番苦しいことなんだから。
でも、勉強なんて勉めて強いること、つまり苦しいことなのになぜやる必要があるのかわかるはずもない。
勉強なんて、ずっとずっとしていかなくちゃいけないことでそれの基礎となることを今は勉強しているんだということなんてわかるはずがない。
http://anond.hatelabo.jp/20070218013048
犯罪と障害を一緒にくっつけて考えるとややこしくなる。
犯罪は障害者だろうと健常者だろうと、それは犯罪だし、罰せられる。
以前の三歳児を突き落とした彼も、障害者で作業所に通うと報道された。
けど、三歳児を落としたことが罰せられるのであって、障害者だから三歳児を突き落としたわけじゃない。
仕事が嫌だからというのは動機だけど、それと障害者だというのは関係あるのだろうか?
本当はある。
けど、それは健常者が提供しているサービスとしての作業所の現状が雇用する障害者にとってメンテナンスまで機能していないことが考えられるし、もし一般雇用された場合でも障害という部分に理解のない集団だとしたら彼がストレスなく生活出来るのだろうか?
ただ、障害者の痴漢行為があるとして、それをしない社会的技能を教えることができる人材をこの社会は作ることができているの?
この日本の社会は多くの日本語を使える健常者に合わせてつくってあって、それ以外の人に合わせて作ってあるわけじゃないのにね。
もしそれを真剣に取り組むことができる世の中なら、健常者の痴漢だって減るんじゃないか。
そして何度もの懇願のすえに男は私たちのクラスから姿を消した。謝罪も何もなく。
そして警戒していたもののやはり尻を触られてしまった。
ここまでは、事実としての経過。
今なら周りの大人の対応や言葉の選び方が悪かったのだとわかる。
だけども、あちら側にまったくの責任がなかったとはどうしても思えない。
その人に合った教育を受けさせなければいけない。
知的障害者は確かに生まれながらに不本意なハンデを背負っている。
これらは筆者の考え。
被害者が語る犯罪は、それはやっぱり体験した状況や加害者の情報が加味される。
被害者の抱える=抱いた問題がそのまま社会全体の問題でなくて、その「事態が起こるまでの加害者の生きて来た背景や環境」とその「事態が起こった後の引き起こした本人と周囲の対応や反応」は分けて考えるべきだ。
私はあなたが受けた行為に対して同情はするし、その行為で知的障害者に対して嫌悪を抱く気持ちも分からなくない。
だけど、"知的障害者"も健常者も合法的に犯罪が許されるわけじゃないし、社会に出るのに不適切な人間だからと隔離されるべきでもない。
Aという人間にBという人間が「それはしてはいけない」と伝えて、それに対して説明する責任は「いけいない」という側にある。
「私にとってそれは気持ち悪いから止めて欲しい。」というのもその説明の一つになるだろう。
当時、怖くて出来なかったのなら仕方ないし、これからそうすればいい。
自分の素直な考えや気持ちを相手に伝えることが私は大事なんだと思うけど。
それでなくても健常者が町中にいる障害者に声をかけるなんてほとんどしない。
健常者が赤の他人の健常者に話しかけることをしないように。
自らコミュケーションを断っておいて、某有名テレビ司会者のように「不適切だから隔離」はない。
それでも通じないなら、通じる人にきちんと伝える方法や上手い介入を考えるのが健常者なのだから。
もしその方法を持たない場所や環境にいたのなら可哀想なことだけど。
障害者といえば、障害者を天使だのなんだのとやたら美化する人々を思い出すが、彼らは実在するんだろうか。どうも都市伝説の風味がある。「数十人で手を繋いでゴールする小学校」が嘘だったように。いや、まあ、そういう掲示板を見ると、そういう書き込みがあるので、完璧な虚像とは思ってないけども。
んで、人権擁護団体と聞くだけでうさんくささを感じて忌避しようとするほど彼らは嫌われてるわけだが、下手に障害者をかばったら自分も彼らと同じに思われると感じて自衛的に障害者を嫌うってのもあるのかなあ、と。人権擁護団体のせいで人権侵害が拡大してるという、不条理な構図になるわけだ。
そもそも人権ってなによ、と言われてきちんと答えられる人がほとんど居ないのも要因か。定義っぽいものの暗誦ならできそうだけど、理解してるかというとそうでもない、みたいな。そのへんの漠然とした認識に、障害者は天使だとか同和とかが植えつけられて、人権=うさんくさいって意識ができあがる。義務教育における人権教育って、実務的には差別の見本市なだけだし。
人権とかポリティカリーコレクトなことを楯にされると、学校とか行政とかスイミングスクールも反対しづらいみたい。そこらは役所お得意の毅然とした対応しろよ、とも思うが、波風立てたくないんだろう。立ってるけども、そういうんじゃなくて、圧力とか。ああ、タブー視されるのもこれか。
昔はパソコン雑誌がたくさん発売されていた日で、これは8日もそうであった。たいてい、その前日や前々日に秋葉原の某ショップへ行くとすでにその月の号が並んでいて、それを買ったものだ。
当時は、今よりも給料が安かったのだけれど、家族もいなかったせいか、可処分所得は多めで、今みたいに領収書などもらわなくてもぜんぜん平気だった。ガンガン買った。
本を買ったあと、その足でいくつかのゲーム売り場を周り(ファミコンなどのゲームではない。もちろん、パソコンのゲームだ。もっとも、MSXやらそんなものだが)、一度に2つも3つもゲームソフトを買ったものだ。
とはいえ、ほとんどのソフトは、数分遊んだくらいで「なんかつまらないな」と辞めてしまっていたものだ。
ゲーム好きではないくせに、ゲーム好きでありたいと思っていたという自覚は当時なくて、当然のように、自分はゲーム好きだと信じていたんだ。そんな体たらくなくせに、だ。
それでもそこそこ、ゲーム業界で生きているということは、地頭の良さがあったせいだけれど、もう疲れた。
ゲーム、つまんないじゃん。
と思う。
たぶん、そういう年代なんだろう。
暗い話にばかり、やたら詳しくなったもんだ。もんだ。もんだみん。もんだあんどぶらざーす。ブラジャーす。ブラジャーはしません、普通のときは。
蟹が食べたい。
ただでセックスさせてやってんだから、って思ってんじゃない?
という冗談はともかくとして、
おごってもらうのが当然と思っている女性に惹かれるものがあるから、つきあってるんではないの?
(めっちゃ儲かってる人にはたかるが)
しかしその対等な態度って、あらゆるところに出て、男性の顔を潰すことも多い。(女性から見るともとからつぶれてる顔なのだが)
今の俺は果てしないクズだ。
強い気持ちが沸かない。でもたぶんこれはほとんどの人が同じだ。
今の俺は果てしないクズだ。
メールも無視してる。
今の俺は果てしないクズだ。
ガスが止められそう。
今の俺は果てしないクズだ。
金は誰かに借りれば良いと思ってる。
今の俺は果てしないクズだ。
今の俺は果てしないクズだ。
クズをやめますか、やめるのに時間が掛かりそうだ。俺はクズだ。
誰もいない。
もう六時だ、朝が来た。メールは無視してる。
今の俺は果てしないクズだ、何もしていない。
動けよ俺、クズ。
しなきゃいけないこと、すべきこと。とりあえずやること。やること。
クズ。それをしないうちはずっとクズ。ようクズ。
俺はクズだ、目の前で迷惑をかけることを嫌がる。
俺はクズだ、出来ないことを恐れる。
俺はクズだ。クズになっていた。
消えたい。
ここから抜け出したいのだろうか、それとも抜け出さなきゃいけないのだろうか。
クズ。普通はクズにはなりたくないと思ってがんばるのだろう、でも俺はもうなってしまった。はっきり言ってなりたかった。
俺はクズ。なりたかったものになれた。なりきってる。クズになりきってる。俺はクズそのものだ。
俺はクズ。俺の夢、俺のレーゾンデートルだったクズ。
それにはっきりと成れた今、全てを見失っていて、空っぽな感じだ。
俺は今何も考えていない。
外(見た目でわかる変化)
とりあえず、ボッサボサの髪を切る。髪型悩むなら坊主にすればいい
顔の産毛もきれいに剃って、ヒゲもきれいに剃る。外見変えれば気持ちも変わる。眉毛もきれいにすること
生半可でない完璧な生理整頓・掃除をする。なんか理由つけて中途半端で終わらしたくなっても絶対やめないこと!
普段からピシッとした小奇麗な服を着る。シンプルでいい。サイズは一番といっていいほど大事
内
受信メール全削除。もう絶対連絡取る必要すらないやつのアドレスは消す
やりたいことなりたいものを意識する。紙に書いてもいい
今思ってることを全部誰かに吐き出す。相手がいなければ増田でもいい。でもやっぱできれば友達に実際に会って
抜けるにはそれなりに苦労を伴うのを覚悟すること。クズな時ほどなかなかがんばれないが、クズなほうが頑張らないといけない
つらいことを言い訳にしない。みんなつらいことはある。自分が一番つらいなんてことは絶対にない
つらくても頑張ってるやつは世界中に腐るほどいる。それでも報われないやつもいるけど、おれらのほとんどは報われる
http://anond.hatelabo.jp/20070217010325
グレーゾーンの件は個人的に「いいんじゃないの」と思うんだが、ニコニコと同じで「これってYoutubeが死んだら終わりだよね?」って点かな。
自力で新しいサービスを開始するにあたって「グレーゾーンを踏む勇気」がほとんどなく、別にそれは日本の企業なら一般的なんだろうが、「ああ、所詮はそういうあたりなのか」という部分でも終わってる感。
1??3でえらく著作権的にナニな動画が流れてるんだけど、この画面に急に「著作権保持者の要請により削除されました。by JASRAC」とか出ちゃったりするんだろうか? それはそれで面白いし、むしろそういうのだけを集めたチャンネルを作るのも面白そうだ。
まぁその、そこの名物社長さんの講演を聞いて懇親会って内容で、正直あんま期待しないで行った。
会場につくと結構な数の参加者が。見たところ200人くらい?多分ほとんどがITベンダの部課長か企業のIT戦略部とか、いくらか偉いさん。平均年齢45オーバーな感じ。
で、まぁ講演。チキュウオンダンカとかキッコウ異常とか、アルゴアさんとか、あー、はい。とか思って聞いてたんだけど、途中からヒートアップしてきていろんなものをdisり始めたあたりから俄然面白くなってきた。
大企業とかマスコミとかアメリカとか税制とか、特に大口お客さんであるはずの業界人とかそのIT担当にエネルギー、電気の使いすぎヨクナイ!って、あんたが言うかよ!って感じで会場からも笑いが漏れてた。
なんか微笑ましい人であることはよく分かった。なんか部下は大変そうであるが。
名物社長がテーブル回ってきたので名刺交換させてもらって頭下げたら、ゴム草履履いててた!靴下のうえに!
もう、食ったばっかのからあげ吹いた。いやギリギリ止まったが。
現役ブックマーカー(兼増田住人)の私が書いている分、あまり説得力がないエントリになってしまうことをご了承願いたい。
fromdusktildawn氏が、『アルファブロガーたちの地位争いが優良コンテンツを量産する』という記事の中でこう述べている。
また、ブックマーカーは、経済学の知識のある人の記事をブックマークすることで、「自分は経済学的に正しい記事をきちんと見抜くことの出来る人間なのだよ。」ということを、周囲に示すことができます。もちろん実際には、「単に経済学的に正しいだけで、議論的に見てピントのずれた記事」に肯定的なコメントを残すと、わかっている人たちからは「ああ、そういう人なんだな」と思われちゃいますけど。
同様の理由で、氏の『「誰かがやらなくてはならない生産性の低い仕事」はどこまで本当か?』というエントリに群がったブックマーカーが批判されている。albinoalbinism氏の『見渡せば、はてブはバカばかり』というエントリである。
このような糞下らない記事を得意げに書ける神経が理解できないし、また、現時点におけるはてブの数はまだ78だが、またもや「この記事は納得! カイゼン、カイゼンっと」だの「上手にまとまってる、すごい!」だの言ってるバカが発生していることからすると、今後更にその数は増えて行くのかもしれない。
これらをまとめると
ということになる。そして、「バカでインテリぶりたい」ブックマーカーをいかにひきつけるかがアルファブロガーに求められているのだろう。再び『アルファブロガーたちの地位争いが優良コンテンツを量産する』という記事から引用する。
アルファブロガーたちの行動原理も、これです。池田氏は、山形氏や弾小飼氏がたくさんのブックマークをもらうのを見て、あまりの嫉妬で居ても立ってもいられなくなったのです。
「バカとハサミは使いよう」ならぬ、「ブックマーカーとニュースサイトは使いよう」と言いたいかのような話である。ブックマーカーは自分の欲求に忠実なバカで、それをアルファブロガーは上手く生かしてトップへと上り詰めていく、と言うことだろうか?
ブックマーカーが己の欲求に忠実なことは事実だろう。欲求に逆らって生きている人間など、世の中にはほとんどいない。
しかし、「ブックマーカーはインテリぶりたいからアルファブロガーの記事をブクマする」、と言う話は正直疑問である。なぜなら、それが真実だと仮定すれば『ブログにつまらないことを書かないために知っておくとよい10の心得(前編)』などという駄エントリはなはだしいものをブクマしたりはしないはずだ。この記事をブクマした人は、記事に書かれている内容が役に立つと思ったか、記事の内容に疑問を持ったかのどちらかだろう。見ず知らずの人間が書いた記事に、インテリジェンスなどという概念を感じるわけがない。
また、「理解できているかどうかはどうでもよい」、「ブックマーカーは、題名にすぐ釣られる」、というのは実のところ、普通の人間にとっては必然だろう。100%の理解はありえない。また、考え方は何通りもある。そして、記事を読むかどうか判断する際に、タイトル以上に重要なものはない。
それでも「ブックマーカーはバカだ」と主張する人がいるかもしれない。そうなれば、ブックマーカー、もとい「普通の人間」はバカでクレクレ厨なのだと割り切るしかないだろう。もっとも、大多数の人間をそうやって突き放している人間のほうがよっぽどバカであるようにしか思えないのだが……。
前々から「はてブ衆愚論」などという話が横行していたようだが、何のことはない。至極当然、なるべきしてなった話である。それを嘆く理想主義者がいるとしても、現実は彼らに味方しないだろう。
結果論、ブックマーカーはバカじゃない。もっと誇りを持ってブックマークしていけばいい。そうやってたくさんの記事が紹介されることで、議論は活性化されるのである。ブロガーたちは「ブックマーカーはバカばっかりで相手にできない」とか、「ブックマーカーとニュースサイトは使いよう」とか思う前に、まず自分を支えてくれているブックマーカーたちに感謝すべきだろう。私はそう思う。
朝だ。起きなきゃ起きなきゃ。ベッドを降りて、いつものように羽織を着て階下へ。
「ヴ…っ」 そのままベッドに逆戻りして、横になって、真っ暗なまま、一日、ずうっと、眠って、なにもかも忘れて、泥のように眠りたい。と思った。それもすごく身体の根底的な部分で。コアに近いところが。
拒否している。
いつものように、おきてご飯食べて着替えて身支度して、そういう一切合財を、拒否している。ほとんど生きることを拒否してるくらいひどいレベルのこんな拒否は、何年ぶりだろう。 それでも表面上は(誰に見せるのでもなく、自分に見せるために)いつも通りに行動をしながら、なにか原因があったか考えをめぐらす。特に何も思い当たらない。 まぁ、そもそも原因がなくてもなるときはなるし。対策の立てようもないので、省エネモードに切り替えて、最低限のことをどうにかこなして、日常のレールに乗っかれるようにする。
車を運転しながら、リストカットをするのを(私はしたことはない)「痛そう」というが、する側は痛くないんだよな。「痛い」より「切りたい」欲求が凌駕するんだよな。“虫刺され痒い”みたいなもんだよな、とかつらつら思う。 会社について、まだまだまだまだ気分は悪いが、身体はどうにか日常のレールに乗っかれたみたいだった。午前はいろいろ内面が拒否していたが、午後には普通になった。拒否しなくなったのか、日常を進む身体に精神が誤魔化されたのか、どっちかわからないけど、結果オーライ。
それにしても、四年前は毎日こんな拒否三昧だった。
私だったら死にたくなるね。いや、私か。もう、忘れた。
わたしはげんきです。
中学時代からずっと消極的だった俺は、ろくに女子と話すなんて出来やしなかった。
多少はチャンスはあった。でもそれを生かすことは出来なかった。
しかし、担任にも「共学行け」といわれるくらい心配されていた(言外に、女子との交流を持てと言われたってこと)。
高校に入り、このままではヤバイと思い、積極的になろうと、少しだが、努力した。
服を選ぶのに気を使うようになり、少しでもチャンスを得ようと別の高校・女子高の娘と交流を持つ機会を作った。
話すときに困らないように面白い話題を集めたりもした。
それでもダメだった。何もなかった。
どんなにかっこいい服を着て交流を持って面白い話をしても、娘たちには響かなかった。
努力することを放棄し、完全体の「非モテ」となり、身内以外の女と話すことは皆無となった。
ほとんどモテるための努力はしていない。せいぜい、サークルに入ってちょっと女子と話したくらい。
こうして俺の非モテ生活は、あっけなく終了するのだった。
あっけない、本当にあっけない。当時は理由なんか考えず、幸せだけを感じていた。
今にして思うと、「高校時代は『仮性非モテ』だったのではないか」と感じる。
自分では非モテだと思っていても、客観的には完全なる非モテではなかった。
モテる(誰かに好かれる)要素はあったが、運と状況が悪かった。
だけど、非モテであると確信していたがゆえに、非モテ気質は抜けきらず、いまだに女は苦手。
非モテな部分が残ってるという意味では、今も仮性非モテなのかも知れない。
非モテだと思ってる諸兄も、本当は仮性非モテなのかも知れないよ。
こんな青春じゃつまらない(C)某クリニック
せいかちゃんからバレンタインのチョコレートの作り方を教えてくれとお願いされたときはとてもびっくりした。そしてとても悲しかった。いつかはそんな日が来るだろうとは思っていたけど、実際に来てみるとやはりショックだった。私の一番であるせいかちゃんに、私じゃない一番の人ができることは。もちろん、今までもそうだったんだろうけど、そうと決まったわけではなかった。一番かもしれない人が沢山いるだけだった。でも、せいかちゃんが、あの料理が上手じゃなくて、バレンタインに誰にもあげたことがないせいかちゃんが、誰かにあげるということは、そのために勉強までするということは、つまりそういうことなんだ。それ程までに好きな人が、せいかちゃんにとっての一番の人ができたということなんだ。
その後のことはほとんど覚えてない。気がついたら学校についていて(あんなに楽しみにしていたせいかちゃんとの登校時間にもかかわらず)、気がついたら学校が終わっていて、気がついたら自分の部屋に帰っていた。そこでようやく、ぼーっとしていたことに気がついたけど、すぐにベッドの上に倒れ込み、私より一回り小さいだけの、くまさんのぬいぐるみ、あらいさんを抱きしめて泣いてるうちに、気がついたら寝てしまっていた。
双方に文章力や表現力が必要とされることが少なく、かつ読者に読解力や理解力を要請されることもない。要するに、お互い頭を使う必要がほとんどないのである。
Web制作者は自らの専門知識を頭から引っ張り出したり、Googleや辞書で調べ上げたりして、それを淡々とつづればいい。そこに至るまでの努力は、いかよくに調べられたか、いかに役に立つか、いかによくまとめられているかが重要で、知的創造性というものをほとんど発揮する必要がない。他方、読者のほうはそれを読んでメモし、電子辞書のように何かわからないことがあるたびにそこを参照すればいい。こちらには知的創造性がまったくと言っていいほど必要とされていない。
lifehacksやまとめページがもてはやされる理由、それは頭を使うことなく、役に立つ情報だけを取り出せることだろう。「羅列型ニュースサイトは機械でもできる」と言われているが、lifehacksやまとめページの編集も、極端に言えば機械でもできてしまいそうな気がする。また、読み手も機械さながらその情報に従っていればいい。お互いの思考における効率性を最大化した結果、これらの需要が高まったのだろう。
二十歳もとうに過ぎて就職活動をする時期になって、生きる意味なんぞを考え出している。
中学高校辺りの思春期で考えておけば良い物を、全くもって今更である。性への目覚め同様、数年遅れてしまった。
思えば今まで、嫌なこと、苦しいこと、難しいことからはひたすらに逃げてきた。小中高と存在感を消し、部活は幽霊、友達もほとんど出来なかった。運良くそこそこの大学に入り一人暮らしを初めた後は、サークルにも入らず授業もサボりバイトもせず、最低限の単位だけは取って殆ど引き篭もって暮らしてきた。
やりがいや達成感とは無縁の人生だったと思うが、それを悩んだことはない。それらを放棄することで、しがらみや苦痛からも逃げることができていたからだ。
しかし、二十一歳である。社会に出るのである。荒波に揉まれねばならないのである。困った。
全面的に逃げを打ってきたことから分かるように、私は非常に打たれ弱い。友情という、箸より軽い(のだろう、他の人にとっては)責任感にすら潰されてしまう。時間を守るなどと言った当然の社会的行動もできはしない。
何か得る物があれば、目的があれば、困難を潜り抜けて生きていけるような気がする。しかし、その目的とはなんだろうか。
消費する娯楽として以上に興味を持っている対象などなく、やりたい事など何もない。知識も実績も能力もなく、やれそうな事などなにもない。異性と付き合う気も付き合える気もなく、子孫を残すという生物的な目的も果たせるとは思えない。
目的なしに、この後数年(仕事に慣れればそれ自体が目的化しそうだが、そうなるまでが問題なのだ)の苦痛に耐えられるほど強くない。
一人っ子ゆえに、親の生きる目的は自分なのだろうと自惚れ、心配している。しかし、両親に感謝はしているが、二人の為に苦痛に耐えて行き続けられるほど彼と彼女を愛してはいない。
一体、世の人々の生きる目的とはなんなのだろうか。何を支えに苦痛に耐えているのだろうか。ここで死んではいけないのだろうか。
私は腐女子です。A様やK様が大好きで、愛しています。でも、やはり、このままでいいのかな?という気持ちは少なからずありました。A様やK様はとても素敵ですけど、やはりこの世界にはいないお方なので、温もりが恋しくなったりします。でも、中学、高校と女子校だったので男性の方とはお話する機会がなく、すぐに顔が真っ赤になって、どもってしまうので、お付き合いはおろか、お話することすらかないません。
そんな折、ネットで余り口にすることが憚られるようなページをいろいろと見ていたときに、当然私にも性欲はありますから…、あの…その…わんちゃんに体をぺろぺろされたり…あまつさえわんちゃんのおちんちんを…その…入れてしまったり…そのようなことをしている人のページに行き着いてしまったのです…初めは驚きました。そんなこと見たことも聞いたこともありませんでしたから。でも、今までいろんな…そういったページを見ていたのと、そして最後にそんなページを見てしまったせいで、ひどく興奮してしまいました。そして…その熱でどうかしていたのでしょう。私は冷蔵庫に行きバターを取り、そして部屋の隅でつまらなそうにしていた、3年前から飼っているビーグル犬のコロを呼んでしまったのです…その後のことは、恐らくご想像の通りでしょう。一言だけ言わせてもらえるならば、今まで感じたことのない温もりを感じることができました…
それから1年程。カレと私の蜜月は続きました。週に3度は求め合い、毎日のように同じ布団で寝ました。私はカレが大好きで、愛するようになりました。でも、やはり、このままでいいのかな?という気持ちは少なからずありました。温もりはありますけど、種族が違いますし、その壁は乗り越えられるにしても、10年もすればカレが死んでしまいます。それに何より、カレは私を求めてるのではなく、私のバターを求めていることに薄々気づいてしまいましたから…いえ、何もバターに限った話ではなく、カレが求めてるのは私ではなく、私の持ってくる餌やおもちゃ、バターなど。そういったものを、私が持ってくるものを、求めているんだと知って寂しく、悲しくなってしまったから…
私は人間の彼氏を作ろうと決めました。ファッション誌を読んでもちんぷんかんぷんだったので、小学6年生などを読むことから初めました。体は朝起きてジョギングすることで半年で15kg落とすことに成功しました。小学6年生の後は、徐々に自分の年代が読むファッション誌へとステップアップして、勉強し続けていったので、一応のおしゃれの知識もついており、以前のようなセンスの服を買うことはなくなりました。最初は、買い物に行くのはどこか気恥ずかしかったのでネット通販でしたが、次第に服屋さんにも行けるようになりました。美容院でも、今まで無精で腰らへんまで伸びていた髪を、ばっさりと、肩上まで、切ってもらい、そしてほんの少しですが、カラーも入れてもらいました。
そして3ヶ月後。社会人になった私は、今までの私を知っている人が誰もいない新しい環境でしたので、とても好意的に受け入れられました。今までは男性から声をかけてもらえることなどほとんどなかったのですが、今ではみんな気軽に声をかけてくれます。最初はやはり赤面してしまい、どもってしまいがちだったのですが、あがり性なんだ、と伝えても、学生の頃のように無視されたり嘲笑されたりすることなんて一切なく、そうなんだ、と暖かく受け入れてくださったので、今では拙いながらも、お話することができるようになりました。
それから私は何人かの男性とお付き合いしました。最初の彼は優しい人でした。私のことを気遣ってくれました。だから私が処女ではないことにショックを受けていたことが悲しかった…
次にお付き合いした男性はとても甘えん坊な方でした。私も甘えられるのは嫌いではなかったので家にいる間は甘え甘えられの関係でずっと一緒にいました。しかし、彼が過度に甘えるようになり、彼が求めているのは私ではなく、自分を甘えさせてくれる、無条件に肯定してくれる存在だということに気づき、別れました。
3番目の彼は堅い人で私が料理を作ると喜んでくれるので勉強して作ってあげ、部屋を掃除してあげると喜ぶので一生懸命頑張りました。しかし、付き合うにつれ彼は私に家庭的な側面を求めているだけということに気づき、別れました。
3人の方とお付き合いしてわかったことは、たった3人と思われるかもしれませんが私にはとても大きい3人です、皆さんコロと同じく、私ではなく私のバターを、処女を、肯定してくれる存在を、家庭を守ってくれる女性を、求めていたということです。もちろん私も、私の何かではなく私自身を求めてくれる存在を、求めていたのですから人のことは言えませんが…
それから私はまた腐女子に戻りました。人を役割として分解して考えるのならば元よりそこに私はいるはずがないと、今更ですが、気づきましたので。それならば、私が求めていたものが存在しないのならば、そして温もりや常識とされるもの、単なる熱源と幻想にすがる必要はないと思えるのならば、2次元でも同じ、いや、2次元の方が上ですらあるんじゃないかと、少なくとも私には思えましたから。そして私は心の底から言うのです。
私は腐女子です。A様やK様が大好きで、愛しています。
GDPは付加価値をどれくらい出したかだから、原料とかの海外依存度高くてもGDPに占める外需の割合が低いことはある。
そのスタンスだと株とか先物とか為替なんかの相場をどう読むんだろう?
というか、どう考えていいのかわからなくなる。特にコモディとか。
人口の増減率なんか年1%にも満たないんだから株や為替を読むときにはノイズのようなものでは?個別の企業の売上・利益や商品のはやり廃りの変化なんか年1%よりもっと大きいんだから。生活水準を左右するのは一人当たりの生産&消費なわけで両方減るなら需給関係も人口規模以外の要因の影響のほうが大きいはず。人口減っても土地の供給はかわらないのでこれは相対的に価格は下がりやすいかも知れんけど、住関連の費用が下がるのは生活を苦しくする要因ではないから人口減少で経済が悪くなるとか心配する必要ないよね。
財務省のデータなんてでっちあげだとか言われちゃうかもだけど、それ以外日本の国有資産を管理してるところおもいうかばんので、ちと探してみた。
財務省の統計がでたらめとは思わないけど、財政問題のとき悪そうに見せれる部分だけ出すのをでっち上げとみなしてる。政府の債務の数字ばかり取り上げて政府の資産とか国債を誰が保有してるかとかは余り取り上げずに増税が必要とか言い出すから。
こういうのをみると「対外債務ない」という言葉に違和感あるよね。
というか対外債務がないって誰がいいだしたんだろ。
その数字は日本政府だけじゃなくて日本の企業とかの債務や債権を合わせたもの。対外債務がないというのは日本政府の債務(国債)は9割以上国内で保有されてて、日本政府が保有する外債のほうが多いから対外純債務(債務??債権)はないという意味では?民間を合わせても対外債務より対外債権のほうが多いので純債権国だけど。
ちなみに食料輸入額は6兆円ぐらい。これで6割の食料を確保できてるわけだから10兆円収入あれば自給率0%でも今と同じ量の食料は確保可能。
ちょっと外債の国別の内訳はちょっと見つけられなかったけど、米国債がほとんど?
しかも日本は対米ドルに対しては円安に介入しすぎと圧力が強まってるからそのうちレンジかわりそうだよね。市場に任せて100円切るまで円高が進むと、もっと悪化するよね。債務も圧縮されるから影響ないという考えなのかな。
いずれにしろこのままなら時間の問題(5,10年以内)な気がする。
日本政府の外債の内訳は大部分米国債だったはず。円高になれば為替差損あるけど、日本全体では輸入品が安くなるという形のリターンがあるので別に食糧やエネルギーが輸入できなくなって困るようなことはないという考え。逆に円安が進みまくっても輸入が減って輸出が増えやすくなるし、対外純債権国なので平気。時間が経つにつれ人口へって国全体として必要なエネルギーや食料も減っていくので、これらの海外依存度が高くてもそれほど気にするようなことでもないと思う。
これからは補修でいきましょう!っていう姿勢は個人的には歓迎なんだけど、それじゃ困るってひといっぱいいそうだから抵抗あるだろうなって思ってる。
コストを増やすことがムリということは現代においちゃ停滞だからね。
でも公共事業はここ数年削られ続けてるし、多くの政党では減らすべきものと捉えられてるから抵抗はすくないんじゃないかな。公共事業減れば税負担も減って困るより歓迎する人が多いから政治家もそういう方向になってるんでは?現状では公共投資はGDPの4%以下でたいした負担でもないんだけどね。
あぁ、なんとなくわかった。将来への認識は変わらないのかもしれないけどそれを是とするか否とするかが違うだけかな。自分は日本が「そうなりだした」ときにいささかの混乱がおきると思ってるんだ。たぶんそこが違うのか。
日本が少子高齢化人口減少すること自体はたいした混乱がないと思ってるけど、バブル崩壊後のように政策のミスで景気が悪くて混乱が起きるとかの方がこれからもありそうなことで、そういうときに少子高齢化やグローバル化のせいにしてごまかされるんだろうなと思ってる。
いつ、どうして身につけたのか、あるいは生来のものなのか。場の空気を動物的に読み過ぎてしまう男がいる。彼の場合は、その場に漂う不満の感情、負のエネルギー、怒りの渦を敏感に感じ取り、彼の中で増幅し、発露してしまう。周りから見ると、彼の感情起伏はどう見てもオーバードリブンである。彼自身はいわゆる”憑依体質”なので、自分の波にはなかなか気づかない。あとで思い出したり、ほかから指摘されたりして、自分事ながら落胆することになる。
彼が周囲の良き代弁者として機能することもあるが、大抵は独り相撲に終わる。
さらに彼が厄介なのは、彼の感情を支配する対象が”生身の人間”に限らないことだ。彼はその場所やものに根付く”残留思念”のようなものを敏感に感じ取って、自分の感情としてしまう。彼に自覚はほとんどない。
空気を読むのも、ほどほどにせねば。彼を見るたび思う。
おまえらは読まなさ過ぎだけどな!
アブノーマルな趣味を持つ者は、それを発言する前に、それを発言する場であるかどうかをわきまえるものだし、そうするべきだ。
趣味を持つのは自由だけど、それによって人様に迷惑をかけないように最低限の配慮することが、モラルだと思う。
だからスカトロ趣味の人は自然と同じ趣味の仲間が集まるところに行くだろうし、エロゲ好きはエロゲ好きで集まり、自然と棲み分けが行われる。
そして、ここからが俺の言いたいことだが、増田にはオナニーやエロゲーを発言できる土壌があるということだ。
つまり、不快感を示す人もいるだろうが、それらについて発言することは全くの場違いというわけでもないということだ。
なぜなら、それらについて割と深く言及されている記事がすでにある程度の数、存在しているからである。
すなわち、増田市民の構成にある程度、それらを語れる仲間がいて、それらを発言できる場ができているということである。
逆にスカトロの土壌はほとんど育っていない。なぜならキーワードで検索してもほとんどそれに関する記事が発見されない、つまりまだほとんど言及されていないからだ。
だからスカトロマニアはここでは全くの場違いであるし、発言しても理解を示してくれる望みは薄いから自ずと他の場所で発言するわけである。
エロについてのエントリーが割と増田に投稿されている事実は、すでにここにそれを発言できる空気ができているということの表れである。
逆に、土壌ができていないスカトロの話をしにくるような人は、よっぽど空気が読めない奴か、わざとそこに相応しくないものを持ってくる嫌がらせ目的の奴か、あるいはこれからその土壌を開拓しようとするパイオニアかのいずれかである。
パイオニアはもちろん、そこにその話題を発言できる場を作ることが目的なので、そうなる見込みのない所にわざわざ労力を割かない。
つまりパイオニアは投資家みたいなもので、その議論が育たないと予測される投資先に投資はしない。
だから結論!
たとえ世間ではどっちもどっちだと思っていたとしても、増田ではスカトロマニアとエロゲオタは全く別のものである。
「なあ、ゆき。バレンタインのチョコの作り方を教えてくれないか?」
平静通りに言えたと思ったが、実際の所、どうだったかはわからない。心の中ではそれどころではなかったから。
なぜかあたしはチョコを貰う機会が多かった。女なのに、だ。確かに悪い気はしなかった。元々甘い物が好きではなかったので食べるのは苦労したが、好意を向けられて悪い気はしない。でも、ほとんどは好意の、友情や親愛としてのチョコだったけど、中には本気であたしに愛情を持ってくれた子もいた。けど、あたしには恋だの愛だのって桃色なことはよくわからなかったし、彼女たちにそれを持てそうもなかったから、断った。彼女たちは取り乱すことはなかったけど、そうですよね………でも…ありがとうございました…!と、涙を目に浮かべながらも、精一杯の笑顔を作って返事されたときはさすがに心が痛んだ…
そういったわけで、あたしにとってのバレンタインとはそのようなもので、誰かにあげたり、ましてや告白するものではなかった。でも、今年はあげる立場になりそうだ…率直に言えば、好きだって伝えたい人ができた。
彼女たちには悪いが、あたしに告白して泣く少女たちを見て、泣くのならば告白しなければいいのに、と思ってしまったことも少なからずあった。でも、いきなり告白されて、いきなり泣かれたあたしの立場にもなってほしい。あたしが悪いのか?と思ってしまうこともあるだろう。でも、今なら彼女たちの気持ちがわかる。好きだって伝えたい…伝えなければ胸がはりさけてしまいそう…あたしがこんなこと言うだなんて知ったらみんなに笑われてしまいそうだけど、好きだって気持ちを知った今は心の底からそう思えるんだ…
でも、料理一つ作れないあたしがチョコレートなんて作れるとは思えない。自分一人でやろうとも思ったけど、家庭科の時間に小麦粉と卵と砂糖で毒物を作りあげてしまったあたしには到底できるとは思えない。クラスや部活のやつにもこんなこと恥ずかしくて頼めない。だから、あたしは、いろいろと恥ずかしい気持ちを我慢して(一週間前から言おうと思ってたけど一度も言えなかったし風呂やベッドの中でシミュレーションしてもいつも顔が真っ赤になって最後まで言えなかった)、幼馴染みのゆきに、清水の舞台どころかランドマークタワーから飛び降りる思いで、頼んだ。ゆきは料理が上手だし、それにゆきならあたしがチョコを作ると言っても、驚きこそすれ馬鹿にしたりなんて絶対にしないからだ。絶対に。ゆきはそういうやつだから。
最終的にランクは落としたが半年前からこの大学行こうと思っていた第一志望に合格できた。
ただ、勉強をしてこなければ、今の僕はここには居ないだろうということはわかっている。
そして、今ここにこの僕がいるのは、周りの人たちのおかげだって事もわかっている。
僕は勉強が嫌いだった。
勉強をする意義がわからなかったし、将来一体何に役立つのか?それを教えてくれる人はいなかった。
勉強が出来る=天賦の才だと思っていた。僕みたいな人が勉強しても学力は上がらないのではないか?と思っていた。
そんな僕がテストなどを出来る訳でも無く、中学の時はテストでは最悪な点数を取っていた。
特にそれを気に留める事もなかったし、次回は高い点数を取ろうという努力も無かった。
中学の成績はよくなかった。平均にも満たなかった。
その後、何故か推薦で公立高校に受かった。
1年の試験ではそれなりの点数が取れた。僕が少し勉強すれば、それなりの上位を取れるようになった。
もちろん周りが勉強をしないから学校全体の学力が下がっているわけで、
学校の中では相対的観点から見れば僕の学力は上がっているが、全国的に見れば僕の学力は下さらにがっていた。
2年になり、国公立に行くのなら下宿が出来ることになった。
だから僕は勉強することにした。今の生活が嫌になっていたから。
誰も僕のことを知らないところに行って、自分の好きなことがしたかった。
もちろん、突然勉強をして、大学に合格が出来るわけでは無く、僕は痛い目にあう。
中学の勉強、さらには小学校の内容でさえ頭に入っていなかった。
そして、勉強するのには最悪な環境だった。高校の授業だって大学入試とはかけ離れたレベルにあった。
単位制高校だったため、必要最小限の科目を取って後はほとんど独学で通した。
僕は憎んだ。自分自身を。何故きちんと勉強して普通の学力がある高校に入らなかったのか?
3年になり、私大に行っても下宿が出来るようになった。
だけど、僕は勉強した。それなりに勉強が面白いと思えるようになっていたから。
高校の受験勉強で公民が面白かったし、新聞読むのが好きだから社会学科行くことにした。
受験勉強を通して解ったことがある。
勉強することに意味はあった。自分自身が成長していることがよくわかる。
そして、僕の周りには多くの僕を支えてくれてた人がいたんだ。
受験勉強をしている間は気付かなかったが、愛って物が沢山あったんだ。
他人を信じることが出来ないし、他人を疑ってばかりでいた僕だったけど、
考えが全く変わった。
それだけでも、この受験勉強には十分すぎるぐらい意味があった。
それで、いろいろなことにも挑戦しようと思う。
何が得られるかわからない。何かを失うかもしれない。
だけど、得られた時は気分が良い。
いつもより空が綺麗に見えたんだ。