はてなキーワード: ほとんどとは
これは意外と簡単な原理である。
「かくりつ」と聞いて、最初に想起するのは「確率」だからだろう。
「確率」と書きたいときは、「確率」と変換されると信じて疑わぬゆえ、ノーチェックで行く。しかし「確立」と書こうとしたとき、「あ、これは確率と変換されるかもしんない!」と思って、変換をしっかりチェックする。
それが人情ってもんです。
追記1.また話題にされてた!
もう、変換ミスだなんていちいちつっこむのも面倒になっているうちに、「確率」を「確立」と書き違えるのは珍しくも何ともなくなってきているし、つっかえることなく脳内で「確率」に変換して読めるようになっている。
不思議なのは、「確率」を「確立」と間違える例はあっても、「確立」を「確率」と間違える例はほとんどないことだ。
これはなぜなんだろう。「立」が「率」の略字だとか思われているとか、「率」は頻度の低い字だから出てきたら注目するけど、「立」はスルーしやすいとかが理由なのかな。そのうち、辞典にも「元誤用だったが、今はどちらも用いる」なんて載るんだろう。
「必用」って、IMEの候補には出てくるけど、滅多に使わない熟語な気がする。たまに「必用性」なんて書いている人も。「ひつよう」と「せい」で別々に漢字変換しているのかな。
「所要」は「こんだけ必要となる」ってこと。「所要時間10分」とか。「所用」は「ちょっとした用事、ヤボ用」ってこと。「今日は所要があって早退」なんて書いちゃっている例が目立つ。
「同志」は「同じ目的を達成するため、ともに活動している人」を指す。何となく革命とか共産主義のにおい。「同志よ!」と呼びかけたり。「ミハイロビッチ同志」なんて、人の後につけて敬称として使う例も稀ながらある。「同士」は「ただ単に何か共通点がある人」。「お互いはてなユーザー同士、仲良くしましょう」みたいな。「はてなユーザー」は何となく「同志」も似合いそうな気がするけど。
「ごっちゃになってしまいそうな漢字まとめ」 だれか たのむ
お久しぶりです。あなたは元気ですか?
あなたと会わなくなってから、随分経ちました。まだ、あなたと過ごした日々が昨日のことのようです。私の生活にあなたがいない、ということがとても不思議です。誰の声よりもよく、あなたの声を覚えています。今でもどこかからひょっこりと、あなたが顔を出しそうな気さえします。
お変わりありませんか?まだ夢は変わっていませんか?それとも、新しい夢を見つけましたか?
どのような夢であれ、叶えてください。あなたなら、できるでしょう。
あなたは私の前では一度も弱音を吐きませんでしたね。思いを吐き出したり、受け止めてもらいたいときもあったのでしょうが、私はそのような役に立てませんでした。
今あなたには、そんな人がいますか?
私はというと、そろそろ夢を決めなければならない時期になりました。
私が将来を考えると、決まってあなたの顔が浮かびます。あなたと歩む道が違ってゆくことが未だ信じられないのです。まだ決断できずにいます。あなたのように、強くなりたいです。
私は考えないことであなたと離れるまでの8年間を生きてきました。
あなたとの関係が始まる少し前からは、感じないことも重要になりました。
あなたに聞きたいことがたくさんあります。
あなたとの関係が始まる前の5年を、あなたはほとんど知らないと思います。
でも、私がその5年で何を培ったかは、少し私と接していればわかったと思います。
だから今があるのでしょう?
それとも知っていて、失敗のないように、あなたのお兄様の居なくなる時を待っていたのでしょうか?私が(ブランコのように)空くのを待っていたのでしょうか?
誰が悪いか、ということを考えるのは実の無いことでしょうが、考えずにはいられません。
行動したのはあなたですが、それに対して行動しなかったのは、私を含めあなた以外の全員です。
あなたに非はあったのでしょうか?
確かにあなたのことを一度も理解できませんでしたが、ほぼあなたがそういう関係を作ったのです。まだ私が私すら知らなかったせいもあります。今でも理解できてはいません。
私が拒むことを知らなかった事がわかっていた、としか思えません。
そう育ってきた私もいけないのでしょうか?
いくらあなたが利口だったからといって、あの年齢のあなたに、あのようなことをされた私がどうなるかまでを想像するのは、無理だったのでしょうか?
それとも想像できても、あなたはあのようなことをしたのですか?
それとも、たまたま私があなたの求める条件に一番合っただけで、あなたにとっては誰でも良かったのでしょうか?
あなたは誰かを求めていたように、今は思えます。
もし私がいなくても、誰かがこうなるのは必然だったのですか?
それとも私がいなければ、あなたはあのような事をしなかったのですか?
それとも、あのような手段を使ってまで、そばにいる誰かが欲しかったのですか?
これが聞きたいことの最後です。
あなたが私にきっぱり会いに来なくなったのは、何故ですか?
私に飽きたのでしょうか。それとも私より良い誰かを見つけたのでしょうか。
あのことそのものに飽きたのならいいと、思います。
最後にいくつかお願いがあります。
忘れないで下さい。
思い出は変える事はできても消えはしないこと。
例えこの先、どのような道を選んでも、私たちはいつも同じ世界に生きていること。
あなたが人間として生きているように、私も人間として生きています。私は人間をやめることができません。私は思い出から逃げようとも逃げられないのです。欠落そのものも自我と成り得ます。私があなたといた頃の思い出は、私の自我を形成する大きな要因です。
あの頃の私が周囲に忘れられるということはつまり、今の私の大部分が殺されることになります。
ですから、あなたはどうか私を忘れてください。
そして、必ず幸せになってください。
というか、そもそも俺は披露宴なんかやること自体が不思議だ。親戚とかならともかく、3万も払ってくだらん余興見せられたりなんだり参加者のほとんどは嫌がってるだろ。そもそも「みなの集、俺たちのお祝いをするために全員金持って集まれーーー」といえる神経がよくわからん。あそこで主役になれれば、ちんけな人生も少しは浮かばれるのかな。
弱小ながら一応自分のブログをもっています。
でも最近はもっぱらこっちに書いてばかり。
あまりにものどかな土曜日の夜なので、その理由について考えてみました。
・増田だとなんでも書ける
自分のブログの方は( ゜Д゜)ハテナッテナニ??レベルの文系少女も見てるので。多分見てくれてるので。
・愚痴を書ける
自分のブログに愚痴っぽいことのを書くのは気が引けるんですよね。でも言いたい。
・反応がすごい
まず見てる人の絶対数がかなり違うわけですしね。書いたらだいたい1つくらいはトラックバックもらえるのもすごく嬉しい。
・誰も見ていない
上と矛盾するかのようですが。少なくとも自分に関係する人はほとんど見ていないから何かいてもOK
・いいこと書いてる人が多い
誰かがいい事言ってたら、納得したり反応したくなるんですよね。不思議と。
俺の場合はこれくらいですかね。
他の人が増田に書く理由も聞きたいなあ。
ビル・トッテン コラム No.771 オープンソースの社内活用
http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1183637_629.html
マイクロソフトのビル・ゲイツ会長は、知的所有権を排除しようとする動きを「現代の共産主義者」と呼んだという。
その通りじゃないか。ビル・ゲイツの言うように
「共産主義」という言葉を、極端な場合では、個人がその働きの見返りとして多くの富を築くことは間違いであると信じられているシステム
(*)だと定義するならね。
ただビル・ゲイツは今の情報化社会に対応する著作権・特許制度の改良の必要性を理解しつつも、マイクロソフトのステークホルダーとして今の知的財産権の制度を守らなければならない、というジレンマに陥っている。
従来一つの企業または個人が独占的に所有してきた知的財産そのものが公開され、共有化されることによりその価値が薄れていき、ソフトウェアの世界においてもそれがオープンソースという形態で将来起きうるだろうと予測し、それに備えた移行でもあった。
日本には著作権・知的財産権の保護の強化を叫ぶ人ばかりで実感としてわかないけど、こういう人の存在を考えると欧米にはビル・ゲイツの言うような
クリエイティブな作品のためのインセンティブの仕組みは一切あってはならないと信じる極端な人々
(*)が少なからず存在するんだろうね。
確かに著作権の過剰な保護を求める動きはおかしいけど、知的財産権の価値が薄れていくという考え方もまた極端な主張だ。
著作権、特許制度といったシステムの改良が必要とされているのは確かだけど、その価値が薄れていく、無くなっていくなんてことは有り得ない。
なぜなら創作や技術開発に携わる人達のほとんどは金銭的なインセンティブを必要としているからだ。
必要なのは情報流通が活発化した時代に適した制度に改めることであって、彼が主張するようなことが近い将来に起こることはない。
そもそもオープンソースなんて極論すれば、ビル・トッテンが嫌う金持ちの道楽そのものなんだけど。
彼が個人資産500億ドル(約6兆円)を築いたことを考えれば、私は反マイクロソフトの共産主義者というレッテルを、喜んで張られよう。
この人は金持ちは貧乏人を搾取している、富の総量は限られているなどの大昔の考えの持ち主のようだ。
そのような考えは21世紀はもちろん20世紀のものですらない。
せいぜい19世紀までだ。富の総量が急激に増加し始めたのはいつか? ということで考えれば18世紀末までだろう。
参考リンク:
アシスト、社内オフィスツールをOpenOffice.orgに全面移行
http://opentechpress.jp/news/07/03/16/0940248.shtml
ビル・トッテン コラム No.771 オープンソースの社内活用
http://www.ashisuto.co.jp/corporate/totten/column/1183637_629.html
体を売るという行為に嫌悪感がある。
突き詰めれば、性行為や性的欲求自体に嫌悪感がある。
恋人同士のそれなら「愛」のお陰で奇麗に見えるけれど、でも売春(や風俗)はそのベールもない。
また、体は大切にすべきものだ、愛のない性行為は誰もがしたがらない、という一般認識がある。
よって、本来したがらないことをしなくては生きていけない可哀想な人、とも見える。
本人が「愛のない性行為全然平気」だと言えば、淫乱としてなおさら軽蔑される。そうでなくとも、性行為に溺れる可哀想な人と見られる。
さらには、性行為は不衛生な印象があるので、風俗関係者は不衛生的業務に携わる人間として忌避される。
例えば、現在では掃除の仕事や汲み取りの仕事は必要不可欠でだとほとんどみんな知っているが、感情面では「辛い仕事をする偉い人」よりは「何か汚らしい」という印象の方が強い。
ギリシャ時代の巫女の様に、風俗関係者もみんな権威を持つようになれば差別はなくなるかもしれない。
とはいえ現代では神の威光に縋る訳にはいかず、財力一辺倒もあまりクリーンなイメージはない。
よって、医者の様に頭が良くなければ風俗のテクニックはマスターできないとなるか、スポーツ選手の様に天性の才能と努力なくしてはプロとしてやっていけない、となる必要があると思うが……難しそうである。
お水やホストに注目されていることもあるし、芸能人のようにエンターテイナーとして一応の権威を持つようになるのが一番ありえるだろうか。
しかし、そもそも性行為がタブーとされているので、どうしたって難しそうな話である。んがんぐ。
「ありがとう」といって後部座席から出て行った彼女の声は、いつもより少しだけ弾んでいた気がする。
始業時間に近いから、校門を通る生徒は途切れることがない。僕が高校生のときには自分が何者になれるのかという妄想を繰り広げたものだけど、大きな屋敷のお抱え運転手という将来像は予想していなかった。一方で無職という将来像は、そのときにも妙な現実味を帯びて頭の片隅にちらついていた。その暗黒からひとまず逃げられただけでも、幸せと言わなければならない。
僕は彼女が校門を通り抜けてしまうまで見送ってから、慎重にクラッチを上げた。
彼女を送っていったあと屋敷に戻ると、おばあさんが待っていた。
「少し早いけれど出してもらえるかしら」
いつもの店まではけっこう距離があるので、着いた頃には開店時間を過ぎているだろう。僕はすぐに車庫に引き返した。
二ヶ月たった今でも、この家の住人のことは断片的にしか知らない。
屋敷の主人たるおばあさんは鷹揚に振舞う、貴族的な雰囲気を持った人物だ。彼女は、たいてい金曜日と月曜日の昼にかけて、買い物に行く。そのときの同伴者は運転手である僕ひとりで、それほど話したがりとはいえない僕でも、無言では間が持たない。時々は話をしてみたりする。そして、気づくと煙に巻かれてしまっているのが常だ。
「ええ」おばあさんは短く返事をした。別に機嫌が悪いわけではないと思う。学年の話は以前に出ていたから、僕も身のある返事を期待していなかった。
「まだ受験が近いわけでもないから、楽しい学校生活を送っているんでしょうね」僕は今朝の彼女の声を脳裏に浮かべながら、言ってみた。彼女とは毎日顔をあわせるけれど、ほとんど会話らしい会話をしたことがない。僕も最初の三日くらいまでは、話しかけようとした。けれどあまりに反応が薄いので、なんとなく言葉をかけにくくなってしまい、最近は挨拶と時間の連絡くらいしかした覚えがない。
「私は、そう願っていますけれど」といっておばあさんは一瞬黙った。
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暇なので続けてみた。次の方、どうぞ。
これだけは違うな。意味ないと思う人がたくさんいても、意味があると思う人がそれ相応にいれば、結局意味は無より多い何ものかになるんだよ。
意味があると思う人は、その意味のためにそれを存在させたいと思うわけだ。
それこそ言う通り、祭りと一緒。葬式関係のことは葬祭と言うじゃないか。祭りをしたい人がいれば祭りは続くもんだ。
小学校の終わり頃に患った精神障害(かなり特殊な神経症のひとつ)に人生を狂わされた。あまりにも早すぎて、まだ碌に人生など始まっていない時期の発症だったから、狂わされたというのは少し妙な言い方かもしれない。ともかく、あるきっかけから発症し、その後の生活は全てその障害に支配されることになってしまった。対人恐怖症に似たもので、自分の内面を知られることや、人と会話することが恐ろしくて、何もできなくなった。たくさんいた友達を全て失って、親や兄弟との会話も難しくなった。なんとか学校には行っていたけど、ずっと一人だった。昼休みは図書館の一番奥の席で誰にも見つからないように時間を過ごし、授業が終わると真っ先に教室を出て、近所の公園に向かった。そこのベンチに座って何時間が過ごして、6時くらいになったら家に戻るという毎日だった。いちおう部活に籍を置いていたから、家にはあまりはやく帰れなかった。傍から見たら、完全な狂人のような生活を送っていた。
これほど苦しいのに、自分の精神に起こっている異常を誰かに打ち明ける勇気がなかった。臆病さに関しては僕の右に出る人はいないだろう。とにかく自分が情けなかった。他人とまともに顔を合わせて話せないほどの重症だったんだ。そんな風に、誰の助けを求めることもできないまま一人で悩み続け、中学・高校の6年間を過ごした。
高校の卒業間際になっても病気が治る見込みなんてまるでなかったから、将来どうしていいのか全くわからなかった。大学へ行ったところでうまくやっていけるわけはない。かといって就職できるわけでもない。結局、センター試験でわざと低い点数を取った。そうすれば親に何も説明せずに、浪人というモラトリアム生活を送れると思ったんだ。一悶着があったのだけど、どうしても大学に行きたいからと親に言って、なんとか浪人生活を送ることになった。
数ヶ月間、何もしない時期が続いた。金がかかるからと言って、予備校には行かなかった。図書館で勉強してくると言っては、誰もいない山道をぶらぶらと歩いたり、本屋で時間をつぶしたりしていた。でも、秋頃からはさすがにまずいと思って勉強を始めて、なんとか入試には合格した。とにかく実家から離れたかったからわざと遠い大学を受けて、親にはどうしてもここに行きたいからといって認めてもらい、一人暮らしをすることになった。
大学へ入っても相変わらず、他人との一切の接触を絶った生活を続けた。でも、ほんの僅かな救いは、中学・高校の頃に比べれば病気が少しだけ楽になってきたことだった。少なくとも一人で部屋にいるときは落ち着いて本を読んだり、ネットをしたりできるようになった。掲示板やチャットから、数少ない他人との繋がりが生まれるようになった。
やはり学校にあまり行けなかったから一留してしまったけど、それでもやがて3年の冬になり、就職活動をしなければいけなくなった。たんまりとたまった奨学金、そして今後の生活のために、働かなければならない。そうしなければ生きていけない。今までの学費で親の貯金は全て消えてしまったのだから。
似合わないリクルートスーツを着て、面接を適当に愛想笑いで誤魔化しながら、なんとか一つの会社の内定を貰うことはできた。今の僕は、その内定を貰った後、4月の正式な入社を控えている状態だ。2年遅れているから、24歳の大学4年生だ。
就職はしなければならない。そうしなければやっていけないのだから。でも、とにかく孤独過ぎて、どう言っていいのかわからないほど苦しい。自分を理解してくれる人なんて今後も現れるわけはない。ただの失恋の悩みや、人間関係の悩みとはわけが違う。自分は精神科医ですらほとんど知らないほどの特殊な症例なのだから。こんな自分の内面を理解できるのは、インターネットの掲示板でときおり出会う、かけがえのない同病の人達だけだ。顔も知らず、匿名で言葉を交わすだけの薄い繋がりではあるけど・・。
あまりにも世間知らずで、対人接触の経験の無い異質な人間が、健常者にすら過酷なサラリーマン社会に出ていこうとしている。障害者枠で働いていくことも考えたけど、それは自分のプライドが許せなかった。今まで読んでくれた人は気付いているかもしれないけど、精神障害を抱えながらでもやってこれたのは、ひとえにプライドが高いからだ。周りの人間になめられたくない、負けたくないとう動機だけでここまでやってきたのだと思う。
でも、本当はいまさらどんな努力をしたことろで、健常者とまともに戦えるわけはないこともよくわかっている。身体障害者にはパラリンピックという晴れ舞台が用意されているけど、健常者に混ざって生きる精神障害者には何もない。理解者もいなければ、助けてくれる人もいない。全ての困難を、何の賞賛も無いままに、自分自身の力だけで乗り切っていかなければならない。
これからも何度も何度も悩むだろう。絶望するだろう。その度に酒を力を借りて誤魔化し、一人でじっと夜明けが来るを待つんだろう・・。
私があなたのためを思って、真剣に真剣に考え抜いて答えた一言が切り捨てられた。ここまでショックだったことは近年でほとんどなかったことだったので、目の前がまっくらになって、クラクラしてしまった。
「いかにも」とは一体どういうことだろうか。あなたは「いかにも」という一言でどれくらいのことに耳をふさいできたのだろうか。私の助言は、本当に、心の底からあなたのために考えた、あなたのためだけの一言なのに。あなたが人生で壁にぶつかって、困惑していると訴えてきたから、私の人生をかけた言葉をあなたに贈ったのに。
それとも、あなたはこうやって人の真面目な気持ちをもて遊ぶためだけに、元の投稿をしたのだろうか。もし、そうだとしたら、あなたはどれほど心が貧しい人だろう。なんだか悲しくて涙がでてきた。あなたの心には届かないかもしれないけれど、私の気持ちからの言葉をもう一度贈るね。
セックスのうまい方を選べばいいとおもうよ
家に一人でいると、ふと変なことを考えるじゃないか。
本当に脈絡もなく。
それで考えたんだ。
10年前って何をしていたのかって。
おっと、俺の年齢を詮索するのは無しだ。気にはしないでくれ。匿名日記なんだから。
で、10年前のことを思い出していたんだ。
まぁ今と変わらないことと言えば、PCを弄くっていた。
けど、完全自作の今と違って、GatewayのPCを使っていたなぁ。
10年前なら、1997。
Windows 95は使っていたか。
HDDの一部にMS-DOSとWindows 3.1のパーティションはあったけど、ほとんどWin95に移行していたと思う。
不安定なOSだったなぁ。
一太郎は古いバージョンをDOSで動かしたりしてたような気がする。ver 4だっけ?
けど、ゲームの移行は早かったなぁ。みんなすぐにWin95に行った気がする。
そういや、エロゲーも遊んだ。
さすがに思い出せない。
とりあえず、alice soft と elf なら俺が遊んだの出してただろう。
おおお、96年末に鬼畜王ランスとこの世の果てで恋を唄う少女YU-NOが出ているじゃないか!
当時お世話になったなぁ。
懐かしいので調べて回ると、アリスソフト アーカイブズというサイトを見つけ、鬼畜王が現在配布フリーだと知る。
で、まぁしばらく悪戦苦闘してなんとか、イメージを入手、XP上で鬼畜王を起動させることに成功した。
懐かしい。若返った気分。
(いや、だから年齢詮索するなって)
・
・
・
しばらく遊んでみた。
・
・
・
なんていうか、あんまりエロくない。
そういや当時、同級生とか闘神都市とか見ると、まぁ興奮するけどいまいち感があった。
色数でこんなに違うんだってCD-ROMの偉大さをたたえていた気がする。
当時で5年前の差。
その後音声が付いたりとしばらくは遊んでいたけど、ここ数年はさっぱりご無沙汰。
日進月歩のドッグイヤーより早いエロの世界で、このメディアはどう発達しているのだろうか。
とも思ったけど、妻帯者の身で買うのは流石に憚られるので止めようと思う、深夜の独り言。
某上大岡駅下りの端っこのほうはほとんど2だろうなあ。車内ど真ん中はやたらと空いてるのに、出入り口のあたりが異様に混んでる。
俺さ、中卒な訳よ。まあ当然この世の中生きていくには普通に高校、大学を出てきたモンと比べたら背負うハンディは物凄い量になる訳。就職、コネ、人間関係、その他もろもろ。わかってる、そうなることは分かってたさ。分かってたつもりになってたよ。
就職情報誌を見ながら並ぶ「採用条件:高卒以上」の文字。何度自分を恨んだか。その恨みをせめて高卒認定資格とか単位制高校就学に向ければまだ違った人生を歩んでたんじゃないかな、と今になって思う。
戯れに「中卒 就職」という単語でググってみたりすると並ぶ並ぶネガな検索結果。せめて俺が男ではなく女であれば少しは就業の道が広まったんじゃないかな。但しアンダーグラウンドな方向だが。
就職から話をずらす。人間関係なんかもそう。今でもつきあいのある奴らは普通に就職したり、結婚したり、起業したり、お水の世界で働いてる奴もいる。この中に俺と同じ中卒の奴っていたっけ。いねェよな。みんな努力してる。俺はその努力を放棄した訳だ。その結果が引きこもり。
恋愛関係ではわりかし悪い方向ではなかった。今まで数名と付き合ってたし、肉体関係も持ったことがほとんど。中卒を隠したことはなかった。みんな別段悪い顔はしてなかった、と思う。みんな中でどう思ってたかは知らんけどね。事実、俺の将来が真っ暗だと悟って別の男に逃げた女の子もいる。そいつとすぐに結婚した時はしばらく精神的ショックから立ち直れなかった。
格差社会とか、そんな甘ったるい言葉で世間を責めはしない。ただただ、中卒となってから10年以上経った今、俺は何をしてたんだろうと少し後悔をしている。そしてその後悔のレールを後戻りする気はない。
もう遅い、遅いんだよ。遅くないと言われても俺にとってはもう遅い。
「純粋に表現し伝えたい」というのが必要な人と、そうでない人が、増田の利用者の中に混じると面白いんじゃないかと思う。自分にも人間関係や職業について脆弱性があり、そのことに対して、つねに不安を抱いている。が、そういうことは日記には書かない。で、自分にとってはここは日記なのでここにも書かない。現状、増田というのを掲示板のようなものだと思っている人が多数派で、それが「伝えたい」派と重なっているんじゃないか。
昨日からボソボソと力説しているのだが、増田をAと捉えて伝えたい派の馴れ合い向けサービスと考えると、気持ちが悪いのだが、逆側Bから見るとこんな気楽なメモ日記はないと思えてくるのだった。
はてブの数によってフィードバックされている、トラックバックによってどうこう、「スレ化」どうこう、という喩えは、B視点から見るとほとんど意味がない。ブックマークされず、スレにならないメモエントリだって自分にとっては意味がある。
日記の最初の読者は「自分」であることを忘れたくない。
B派の人がもっと増えて、猫の鳴き真似が相対的にどうでもいいような増田になるといいなぁと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20070312133819
車も持っていなかったので、電車移動が何度かあったが、ゆずってくれるやつなんでほとんどいないかった。
いるとすれば、妊婦を経験してつらさを知っているであろう、女の人が多かった。
たしかに、自分もつらくって座っていたい気持ちは分かるが、これほどまでとは。
さらに、エレベーターなどにもベビーカー車椅子の方優先と書いてあったりするが、
優先された経験は一度もない。
アホ家族が平然と先に乗り込む、次をまってもいっぱいで乗れない
アホカップルがいっぱいだよっとアホ面でたっている。
本当の優先エレベーターというなら極論、エスカレーターを使えるやつはどんどん
降りるべきだと思う。
でも、優先席があるから、助かっている人もいると言う人もいるが、今の段階でいなかったら怖いわ!
優先席に座っていない人にも優先席に座っている人にも言いたいことが1つ。
全部の席が優先席でなんじゃー!そして優先席なんて作ること自体がレベルの低い話なんじゃー!
だから今すぐ、優先○○はやめろ!
色が違う席ではなく、やめてこそ本当の優先席の始まりじゃー!
俺は優先席にも、優先席じゃない席にも座る。それは譲るべき人がいれば譲るし、
いなければ座っているという単純なことだからだ。
ちきしょーこんな時間だ。寝よ。
以下から始まる当記事ですが、どうやら注目されているようだ(?)。せっかくなので、話の流れが読みやすいように言及記事を要約しておく。元の記事の作成者さま、著作権などで問題があったら何かしらの方法でお伝えいただきたい。
格差や下流というものの実感がない。年収200万以下と聞いて理由がわからない。
普通の家に生まれ、公立の小中学校に通い、高校受験は公立に落ちて私立の男子校に行き、大学受験も落ち、浪人した。ゲーセンばかり行き、週に授業を4時間(コマ)しか受けない生活をしていたら、センター試験で酷い点を取り、それから1日に18時間ぐらい勉強してMARCH(明治 青山 立教 中央 法政)の下位に合格。
インターネットが流行り、毎日チャットやネットゲームをして夜型の生活をし、毎日バイトして、パチンコしていた挙句留年。3年の年明けぐらいに就職を意識して危機感を感じ、就職対策の勉強を必死でやり、大学主催の就職セミナーや体験面接に全部出て研究し、早期に面接を実施する企業を練習台にするような就活の結果、社員6000人くらいの大きな会社に就職。
4月から4年目で、今年収が500万ぐらい。
流されて生活してて失敗ばかりしていて、頑張ったのは浪人のラストスパートと就職活動のみで、それでこれだけ貰ってるから、自分より収入が低い人がいる理由が理解できない。周りの友達もそんな感じ(要約注:友人たちの年収は、500万円なのか、それより低いのか、どちらなのか読み取れなかった。「そんな」ということは校舎かもしれないが、細かい文法にこだわって書かれた記事でもなさそうだから)。
毎日早くから仕事して家には寝に帰ってるだけくらいの生活で年収200万と聞くと理由がわからない。本当なのか疑ってしまう。
もしかしたらこういう俺みたいな人間が格差を生み出してるのかもしれないなぁ、とちょっと思った。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//anond.hatelabo.jp/20070312004915
まぁ、そういう意味での既得権者ってのは多いんだろう。っつーか、はてな界隈で文章ものして目だってる人の多くにもそういう既得権者のにおいがする人は多い気がするのは、偏見?
既得権ってなんだよ?実際にリアルタイムで生産行為を「実際に行いながら」生きてるんだよ、「いま社会に貢献」してるんだよ。そんな奴と「これから何かやるかどうかわからない奴」に同じ評価がなされるとでも思ってんのか?
この人は「生まれつき天才でほっといたら勝手に大学に受かった」わけじゃないんでしょ?朝青龍じゃないが、「勉強して頭をよくしたら悪いのか?」って感じ。
たらればはマジでどうでもいい。この人は理屈の上で生きてるんじゃないんだ、「実際に勉強」して「実際に大学に入った」んだ。運とタイミングが良い奴は、運とタイミングが悪い奴に対して悪いことをしてるのか?あと蛇足かもしれないが(こういう蛇足は絶好の揚げ足取りポイントだぜ、みんながんばれ)、脳科学や心理学で言えば、運やタイミングは、肯定的な思考回路や「実際に行動してみる」みたいなものにくっついてくるんだ。茂木ケンイチローの本にだまされてみればいい。
なんだかんだいっても、ここぞというときに頑張っている人は強いかも。
かも、じゃない。実際に行動してる=強い、なんだ。少なくとも“下流”ではない。“上流”に行くにはもう少し工夫がいるだろうけどな。
これが一番腹たった。大学生だろ?で多分文系なんだよ。はっきり言って、授業出なくても単位がとれる。ちょっと工夫してバイト選びすれば年間100万円くらい楽に稼げるんだ。大学生にもなって親の許可がないと行動が取れないのは、それはまぁ育ち方だから本人の責任とも言いづらいが、所与の環境を言い訳にしてる限り“下流”は抜け出せないだろうよ。これは俺の経験則だから論理的に納得させることはできないけどさ。
リアル植木等か。 ま、これはこれで仕方ないと思う。文章から下流を見下す臭いがない分健全かも。 俺は逆に上場企業就職しても薄給の友人が目の前にいるから実感したわけで。
下流を見下してない、これは本当に大切なことだと思う。俺はいまカナリ頭にきてるから文章が荒れてるかもしれないが、人を選ぶときに過去は問わないことを信条にしてる。現在、いま、話をしているその瞬間に「工夫」や「行動」をしているか、体が動いているか、顔の筋肉を使っているか。一時間後に自分の思いをカタチにするための最適な行動を自分の頭で考えて、「めんどくさい」とか「周りから見たら痛いだろうな」とかそういう意識をどうにか振り払って、「実践」をしているだろうか。そればかり考える。評論家がダメだとは言わない、行動を伴う評論家は強い。しかし名が知れている評論家を全て見渡しても、行動を伴わない評論家はほとんど居ないんだ。
…なんか生まれて最大の速度でタイピングしてるかもしれない。日本酒って凄いな。
また所与か。「生まれつき」とか「育ってくる間に身に着けた」とかか。過去しか見ないのか。あなたに現在や未来は無いのか。要領や世渡りを何かしらの方法でいまから身に着けようとは思わないのか。単純にめんどくさいだけなんじゃないの?そんなの言い訳にもならない。言い訳なんて聞かないけど。俺は、今からどうするかしか興味は無い。
こんなもんだろうと思う。私事だけど、学生時代にバイトしてなかったら「大学に行かない世界」は多分未だに理解できなかった。 こういう物がそこかしこにある事、それにより視点は幾らでも変わる事の認識は大事。
俺の受けた印象と近い。視点(価値観)が固定的なものでないと表明していて、その点は特に強く共感する。
よく読むとこの人ポイントを押さえて努力してるし結果もだしてんだよね。だから有能な人なんだと思う。さらに読むと中流以上の家庭なんだなってことが判る。これぞ格差社会。
俺の中で「能力」の定義は「現在進行形で成果を出し続けていること」だ。過去にタイミングよく努力して成果を出してきた人はこの意味での「能力」を「持っていることが多いという傾向にある」のは事実だと思う。しかし中流かどうかは知らない。嫌な奴だったが、大学の同級に生活保護家庭の奴が居たが、そいつはスロットで稼いで学費を捻出した上に家にカネまで入れていた。親の収入と子の「デキ」に、マクロなデータ上で相関があるのは事実だが、それは個人個人を見るときに考慮すべき話ではない。個人の力は凄いんだ。凡人だってちょっと変なことを延々しつづけて生きていれば、それだけで歴史に名を残せるんだ。
早熟?欠陥を持った自意識のことかな?「自分は考えすぎる」と思っている奴ほど、はっきりいって世間知らずで考えたらずだ。同じ方向性でしか思考ができないことは恥ずかしいことなんだが、小学校でヘンテコな定義の「平等」や「個性」といった言葉で洗脳されてしまうと結構あぶない。しかし「いま」「実際に」「体を」「動かして」「実践」すれば人生は変わる。生きる方向は自分で考えればいいし、自分らしさとかそーいう言葉に不安を感じるんなら、どっかの偉人の伝記買ってきて、それをそのまんまパクって実践してみればいい。カーネギーの人を動かすでもいい、GTDでもいい、なんでもいいから、自分の外から「具体的な手順」を探してきてそのまんまパクって実践してみればいい。ダメだったら諦めて別のことをやってみればいい。何もしなけりゃ人生が変わる可能性は低い。宝くじに当たるようなこと期待して生きてるんだとしたら、それは「バカ」だって客観的に認識したほうがいい。できることなら主観的にも「これはバカげてるんだ」って感じたほうがいい。
こういうタイプの奴が中小企業に就職したらどうなるかわかるかい?周りがしていない努力と工夫を実践することで、すぐアタマひとつ抜けた奴になるのさ。成果が出せていないのは「工夫」と「実践」が足りないだけだ。わかってないのはおまえだ、と言いたいけど別に俺は自分がそこまで言えるような立場にないな。
この感覚はわかる。そういう体感と、情報のギャップに違和感とか覚えず感覚だけ信じていられれば、自分が転落するまでは幸せな人生が送れると思ふ。
転落?なにか失敗したとしても、この人は挫折とは感じないだろう。問題を単純化して、作業をこなすようにそれらを解決していくだろう。体感は固定的なものでもないし、外部的な情報(たぶん社会とか、環境とかのことだろう)は、自分が働きかけていくことで変えていけるもんなんだ。これも経験則に過ぎないけどな。
格差社会 ポイントとして、(1)スタートで恵まれている、(2)それほど有能そうではない(アンテナ、想像力)、(3)年収が少ない人にも問題があるのかもしれない、(4)能力的問題はないが家庭事情や運などがある ほか
3だよ。スタートや家庭や運なんて、関係ないとは言わないが、「いま行動を変えれば」近い将来が変わるだろう。
あー。この感覚わかる。この場合でだしの「普通の家」って時点で多分恵まれてるんだよな。
だんだん冷静になってきた。まぁ正直、「自分を変える」タイミングに恵まれているのは親が「有能」な場合が多いだろう。傾向があるにすぎないけどな。
無知はオメーだ
過去も実力のうちだろう。就職活動で使った労力によって今の立場があるんだ。そして、今の能力を手にしているんだ。うえで書いたとおり、辞めても彼はニートにはならないだろう。だって彼は、行動しちゃうんだもん。体が動いちゃうの。いままでの経験で培った能力までも含めて「既得権」って言うつもりか?「いま」「体を動かして」「実践」している彼の個性そのものを「既得」だって言うのなら、そりゃあもう、どーしようもないわね。
「機会の格差」ってやつはかくほどに不可視なのか
機会なんて自分からいくらでも得られるだろう。世の中の多くの上級企業は、全ての社会人に開かれたセミナーや勉強会なんかを開いている。人脈だって作れる、スキルだって身につく、知識や知恵やモチベーションだって得られる。ただし、自分が「実際に」「参加」すればの話。しないんじゃ、仕方ない。言い訳のしようがない。してみればいい。してみればいいじゃん。してみようよ、実践。チャンスはさぁ、タダでごろごろ転がってるじゃん。現実を確かな自分の目で見てみたらいい。
世の中にはびっくりするほど無能な人間が結構いる、ということを分かっていなければならんよ。そういう人間はネットで発言したりしないし、知識人はそこを見ようとしない。格差の問題ではなく無能者の福祉の問題だ。
完全に同意だ。教育で最低限のコミュニケーションの手順ハウツーさえも教えないのは日本の欠陥だろう。しかし国に頼らなくても最近は社会的企業家くんたちが居たりする。まことに頼もしいものだ。
きっと巧妙に隠されてる、もしくは自分が見ないようにしてる かもです。よく見てみたら、電車に乗っている人たちの中とか、町歩いてる人とかに、いるとおもいますよ。
どこにいるかわからないというのは、元のエントリーを書いた彼の見落としだろう。たとえば場外馬券売り場、パチンコ屋。ただ、家にこもってる奴が目に付かないのは当たり前のこと。
日本型経営は新卒採用絶対主義なので。新卒時の就活で成功すれば"終わりよければすべて良し"となり、逆に失敗すればそれまでうまくいっていてもすべてご破算
世間知らずだと思いますよ。自分の経験からくる知識が全てだと思わないほうがいい。
就職のときに逆転してるパターン。3年目で年収500は優良企業でしょ。公務員とかでもそうはいかない。/他はおいといても受験と就職で努力しているのは効率いいな。
受験や就職で労力を払うというのは、普通の人生から考えて妥当なタイミングだろう。妥当なタイミングに妥当な努力をすれば、妥当な生活を得られるのは当たり前のことじゃないか?私の恩師は「必要なときに必要なことをすれば、あなたに必要なものはたぶん得られるんじゃないですかねえ」なんて言っていた。
頑張ったらうまくいったからといって、頑張れば「誰でも」うまくいくとは限らない。椅子とりゲーム状態では全員が同じくらい頑張っても座れない人が出てくる。
がんばらなければ普通はうまくいかない。「頑張る」気力があれば、価値観に重大な欠陥が無い限り“下流”には落ちないだろう。仕事は椅子とりゲームではない。椅子を作ろうとする人間はチャンスを自分から作り出せる。これはちょっとした意識の違いにすぎなくて、一冊の本によって変わりうるような部分だ。「マニュアル人間」なんて言葉にだまされて「啓蒙本を読むような人生は嫌だねー、プwww」とか言ってる限り、それは自分に限界を作ってるだけだ。本を一冊読むくらいで完全に崩壊してしまうようなチンケな個性しか持ち合わせていない人間など居ない。ためしにやってみる、これくらいの行動力はちょっとした意識の切り替えによって拾うことができるものだ。
こんなにネチネチと書き綴ったのは人生で初めてだ。他人のことにすぎないけど、でも私はアンタラと同じ社会に住んでる。私が社会に貢献すればあなたたちが良い暮らしをできるし、アンタラが社会に貢献すれば私の暮らしが良くなる。社会でのポジションを相対的なものだと思わないほうがいい。他者がある地位を得ているから自分がその地位を得られないんじゃない、よそはよそ、うちはうち。
家庭内の家事にでもたとえてみようか。4人家族のひとりが家事万能でぜんぶこなしちゃう家と、1人が家事万能、ほかの3人も向上心を持って家事を担当してる家と。アンタはどっちの構成員になりたいのか。
最低限のルールにしたがっていれば、行動をする限り、また100人居る中で最悪くらいのよっぽどの環境に居ない限り、アンタに絶望は無い。
[追記][これはひどい]
風呂はいってあがって読み直したらなんかウソばっか書いてあるな、この記事。啓発本てw読んだことねぇwあったとしてもヤンサンに連載してる山田玲司の絶望に効くクスリくらいかw中谷アキヒロとか立ち読みしたことあるけど、うん、あれはキモい。彼の本が啓発本なのかどうか知らんが。
まぁグズグズして何もできないようなひとは、一冊くらい読んでみてもいいかもしれんけどさ。読みすぎて目が据わったような表情になると宗教くさくなって周りからキモがられるから、成功から離れたりしちゃってなw
ただまぁ、いまでも同じ主張をしたいことっつったら、流行りみたいだからどうしようもないのかもしれんが、「痛い」とかいう概念で「いま」の「行動力」を制限しちゃうのは割ともったいないぜー、って部分だな。行動を伴わない思考のみからは何も生まれないってことくらいは理解しとかないと、だまされる。誰かしら尊敬できる有名人とか居るだろうけど、その人のことをよく観察したほうがいい。もしかしたらそいつ、甘美な言葉を発してアンタから好意を受けることで儲けてるのかもしれない。そいつが主張してるようなことを、そいつが実際にやってるか、確認してみたほうがいい。価値観にもリテラシー意識を持たないと、いろいろね。だまされるからね。
あと、なんか上でコメントにいろいろ文句つけてるけど、文脈理解してなかったり前提を誤解してたりするようで申し訳ない。思い込みから生まれる非難はみっともないですね。気をつけます。
[ハテブ]
くれくれ論批判か。たぶんオレの現在いる環境のほうがこの人や元エントリの人より良いわけだが・・。 格差うんぬんについては長くなるので ⇒(リンク先も全部読んでね) http://muse-a-muse.seesaa.net/article/35314889.html
現在いる環境とかどうでもいいっつってんのに。こいつほんとにいい立場に居るのか?未来志向の人間がこんなこと言うとは思えないな。「リンク先」は人に読ませる気のある文章だと思えない、私流に言い換えれば工夫をしようという意識の感じられない文章だ。10行読んで前提が見えなかったので、申し訳ないが「読んでね」という依頼は丁重にお断りします。ごめんなさい。
発言責任を明確にして恥ずかしくない文章ならば、ハナから実名で世間に公表してます。別に酒飲んでたから書いたわけではありません。一部の考えなしなフレーズはそうかもしれないが、別にコレを書いたのがリアルでの私であると特定されたとしても、私は胸を張って「そうです、書いたのは私です」と認めます。内容が内容だけに、バレたら恥ずかしくはあるが、無責任に基づいてなした記述ではありません。
自分の見た世界が社会の全てだと思い込んでいるのではないかというような反応もあるけれど、そんな思い上がりはしていないつもりだ。「出発点」とか「能無し」とか、そんな概念は取っ払う工夫をしたほうがいい。現時点まででどうかは関係ない。どれだけ経営が苦しい企業でもどんな変わった共同体でも、そこが何かしらの価値をもつ集団である限り、集団に対して「貢献しよう」と「頭を振り絞って考えながら」「思いついた」「行動」を「逐一」「実践しようという姿勢」を「見せている」人間を排除したりはしない。頑張っているのに排除されたとしたら、それはおそらく、あなたの価値観が根本的に社会に不適合であるか、その集団がそもそも存在価値が無いかのどちらかだと考えればいいだろう。
どちらにしろ、その時点からの自分がとる行動によって、その時点以後の人生は変わる。そこに気づけるか気づけないかが分かれ目だ、とかじゃない。そんな考え方の人間がいるということを「いま、あなたは目の当たりにしている」のだから、いまこの瞬間のアンタにとって妥当な行動は、「ほんとにそうかな?」と公平な視線で考慮してみることだろう。その上で「こいつが書いてることは宗教的で洗脳行為のようなものだ、絶対に自分は認めない、自分は自分の考えに基づいて生きる」と思うのなら、そうすればいい、そうしてくれれば私は嬉しい。それこそが私の本望だからだ。
[手間を割いてくれた方へ返信]
http://anond.hatelabo.jp/20070311233844
最初から何人かの友達をつくれる人なら、「みんなに好かれたい」という考えを捨てることで救われる。
じゃあ、その友達をつくることもできない人が救われる方法はあるのかな、と思った。
同じ「人との会話にストレスを感じる」人の中でも、悩みの深刻さとか、解決の困難さとか、ずいぶんと差があるんだろう。
最近ネットラジオを聴かなくなった。聴くのは地上波のラジオのみになっている。
なぜなのだろうと思い返してみると、思い当たる節は一つしかない。
「ネットラジオはインターネットに繋いでおけばいつでも聞けるから」
ここに帰着してしまうのではないかと。
いつでも聞ける⇒「あとで聞く」の繰り返し⇒そのうち興味が無くなる⇒「もういいや」
という法則が自分には成り立っている。なので自分はネトラジの番組を全部最後まで聞き続けられたことがほとんど無い。
地上波のラジオに関しては、今更ながら録音設備をもって無いので最初のステップができない。
「いつでも聞ける」のではなく「その時間にしか聞くことが出来ない」。だから聞く。
一応録画してはいるのだが、いつも見る番組はリアルタイムが多い。
しかし一度リアルタイムで見れず録画したものを見ようとすると、同じようなことになってしまい、結局は見なくなってしまうことが多い。
リアルタイムで見る場合はそれ用に時間を確保しているわけだが、録画したものを見るには別の時間を空ける必要が出てくる。それが面倒になるからだ。
ところで、これまで暫くの間地上波リアルタイムで聞いていたラジオが終了し、元のネットラジオ枠のみになってしまう。
ネットラジオ枠に戻った時自分はずっと継続して聞き続けられるのか、それが不安である。
格差っていうものがどーにもこーにも実感がない。
格差と言うか下のほうが酷いことになってるって話が。
反感を買うことを恐れないで言えば年収200万以下とか聞くと「何で?」って思ってしまう。
で、高校受験は公立に失敗して併願をかけてた私立の男子校に通った。
浪人時代はゲーセンに入り浸る。毎週4コマしか授業に出ずに過ごす。
こりゃヤバイと思って頑張り始めたのがセンター試験終わってから。あまりの点の悪さに愕然として1日に18時間ぐらい勉強してどーにかMARCHの下のほうにひっかかってそこに入る。
ちょうどネットゲームが流行りだしたり、テレホなんかが始まったりして盛り上がり始めた時期でさ。毎日大学の友達とチャットしたりAge of EmpireIIとかで知らない人と対戦しまくったりして毎日寝るのが2時過ぎ、同じ頃にバイトをし始めてなんか居心地がよくてほとんど毎日バイトしてさ、それにパチンコをやりにいったりしてさ。
そんな生活してて学校がうまくいくはずもなく、2年の時に留年してさ。その時点でもう既に現役の奴らと比べたら2年も遅れてるわけ。
またこりゃやばいと思ったのが就職活動を控えた3年の年明けぐらいかなぁ…成績もよくないし、このままじゃ就職するところもない!と思って就職対策本を買ってSPIとかそういったものの勉強を必死でやってさ。
学校の就職セミナーとか、体験面接とかも全部出て研究して、面接が早い企業を練習台にするために受けに行ったりしてとにかく頑張った。
で、今3年目。4月から4年目だけど、今年収が500万ぐらい。年明けに貰った源泉徴収に書いてあった。
どっちかって言うとなんか失敗ばっかりしてるし、流されて生活してて頑張ったのが浪人の時の最後のちょぴっとと就職活動の時だけ。
それでも今これだけ貰ってるとそれ以下の人ってのがいることさえもあまり理解できない。
自分の周りの友達もそんな感じだし。
だから毎日早くから遅くまで働いて、家には寝に帰ってるだけってくらい働いてるのに年収200万とかってありえないだろ!とか思ってしまう。
ネタじゃないの?とすら思う。
もしかしたらこういう俺みたいな人間が格差を生み出してるのかもしれないなぁ、とちょっと思った。
私は1度かかったら2度はかからない病気にほとんどかかったことがあって、
おたふく風邪も、はしかも、水疱瘡も、そして極めつけはA型肝炎も。
だから、輸血された人もそういう病気にかからないようになるのであれば、これは嬉しいことだろうと思い、何回か、というか2回だけ献血しに行ったことがあります。
行ったというよりは会社まで来てくれたからそこで献血しただけなんだけどさ。
血圧ちょっと低めだけど正常、比重も正常。
なんの問題もなく始まるのに、やってると意識がフッっといってしまう。
今のところ2回やって2回とも貧血を起こしてアウト。
その場で30分ぐらい横になってさ、他の人よりもたくさんジュースを貰って飲んでさ…
なんかすごい申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
どちらかと言えば偽善の気持ちで行ってるだけなのに迷惑かけてさ…
しかもこの中途半端に取った血ってどうなるんだろう400mlに達してなかったら廃棄されちゃうのかな…
そうすると私が献血するのにかかったコストが全部無駄なわけで。
献血手帳に貧血で倒れたって書いてあるらしくて、2回目にいってまた貧血を起こしたときに
「気持ちはとても嬉しいのだけれど、献血はもうしない方がよさそうですね」
って言われた。
自分の身体のことを考えても、相手側のことを考えても、もっともな話だとは思ったけど、なんか悲しくなった。
http://b.hatena.ne.jp/yoshi-books/
its.seesaa.netのページばかりブクマしてるユーザー。
今見たら990ブクマのうち、950がits.seesaa.netのページ。
しかもほとんどが3users。
やりすぎだろう。
発生の初期段階では当然骨がありません。ニワトリの血液は骨髄から!?
血液が造られる造血学説に「骨髄造血説」と千島学説と言われる「腸内造血説」があることを知りました。
骨のない生物は骨髄がありませんので骨髄造血ではなく血球は消化器官で作られています。一般に私達人間のように骨を持つ生物は骨髄に存在する造血細胞から血液を造っていると言われています。
骨髄造血説は現代医学の基礎知識であり無批判に信じられています。それは骨髄の中に多種多様な細胞があることと、飢餓もしくは栄養不足のときに、造血作用が認められるからです。
しかし発生の初期段階では当然骨がありませんので、最初は卵の繊毛ついで胎盤のせん毛、そして腸粘膜のせん毛で造られことを千島博士は発見しました。
つまり、骨髄の造血作用は、真の造血ではありません。骨髄は健康状態のときは脂肪が充満していて細胞分裂はほとんど行われず造血反応を示さないのです。飢餓および栄養不足では血液が補給できないため、細胞が血球に逆戻りしているのです。
「骨髄造血説」が登場したのは一八六八年のこと、これはノイマンとビッズオセロという二人の学者がそれぞれの実験から提唱したものだった。そしてその学説を一九二五年に、ダン、セーヴィン、キャニンガムの三人の血液学者が動物実験をして「確認」した。アメリカの三人の学者がやったその実験とは、ニワトリとハトを9日から10日間絶食させた後に観察するというもので、そのときに確かに骨髄で血が造られていることが確認できたという。
実際、それはとんでもない大発見だった。「細胞は細胞の分裂によって生じる」というのがそれまでの定説で、それが生物学の最も重要な根本原理となってきた。ところが千島が念には念を入れて何度注意深く顕微鏡を覗いてみても、明らかに赤血球から細胞が生まれていたのだ。いったいなぜだったのか。なぜ他の人には細胞分裂が観察でき、千島にだけそんなとんでもない現象が見えたのか。実は、そこには、それなりの理由があった。
それまでの研究者は、鶏の胚子の生殖腺(睾丸・卵巣)の組織発生を観察するに際し、胚子のウォルフ氏体(中腎)と付着している生殖腺を切り離して顕微鏡で見ていたが、千島はそれを切り離さずに中腎と生殖腺とを一体にした標本を何百枚も作って、来る日も来る日も根気よく顕微鏡で観察したのである。
すると、中腎と生殖腺のできはじめのものには境がなくて連続的であり、しかもその境の付近には血管外に出た赤血球が無数に散在していて、それが原始生殖細胞や生殖腺の細胞に分化、移行していく姿をはっきりと確認することができた。千島と他の研究者との決定的な違いは、標本の作り方の違いにあったのである。
ガンの秘密を解き明かし、医学界から排斥されてしまった革新の生命医学理論『千島学説』