はてなキーワード: ぬいぐるみとは
ずっと昔、いや猫の寿命ぐらい前
落ち着かない時期があった。
理由は分からないけど、とにかく膝にぬいぐるみをいつも乗せて会社帰りは電車に揺られていた。ぬいぐるみは猫だった
だいすけ…ええと思い出せないや
自販機でジュースを買っていたら、戻ってきた時にはすでに居なかったのだ
駅員さんにも聞いてみたが、届いてないとのことだった。
最後に見た姿はベンチの左端に座って、ガラス越しに夕日を見ていた姿だった
こうして、私はひとりで電車に乗らなくては
いけなくなったのだ。
なんとあのぬいぐるみそっくりなぬいぐるみがお座りしていた。他のぬいぐるみと同じく、新しいご主人様に気に入られるためかひどく大人しくかった。だが、私はそれを買う勇気が出なかった。なぜならこれが私の友達のぬいぐるみとは限らないからである。
もし、これが別の人に置いてかれたぬいぐるみだったらこの子は全く知らない思い出話をいつまでも聞かされることになる。
それはかわいそうだ
結局、その日は「またくるね」と約束して
買わなかったが、数日後
店の人がしまったのか、新しいご主人様が
見つかったのかは分からないが、とにかく
いなかった。
買って帰った。帰り道、胸にしまじろうを
ぎゅっと抱いていると、すれ違いざまに犬が吠えた。わうわう吠えた
思わず私は抱いていたぬいぐるみを犬の方へ向けてしまったのだ。そうしてはっとなった
私はいつの間にか友達を道具のようにしてしまうほど、変わってしまったことに
おすしが食べられるようになって、電車の中で手を繋ぐふたりをみてうらやましく思わなくなって、ひとりで夕焼けを見ても涙が出ないようになった
別れる口実を考えてほしい
俺は28歳
5年付き合ってそれなりに仲が良かったけど、途中で俺の前に3人と付き合って、ワンナイト2回したと告白された。
その時は特別何も思っていなかったけど、それならいいかと思ってエロ漫画みたいなプレイや、寝取らせプレイ、複数プレイなんかもした。
それから2年ほど経って、それとなく結婚の話が出るようになってきたから俺なりに真剣に考えてみた。
すると、上も下も他人に使われてて30超えてる女、しかも俺の前に何人としてるかわからないし、雰囲気さえ良ければ誰とでもやる女を、俺がこの先一生付き合う義理や道理が本当にあるのかと疑問に感じた。
というか、別れたくなった。
なんか中古車から新しい別の車に乗りかえたくなる気持ちに近い気がする。
交際期間の後半で変態プレイに付き合わせて後ろがガバガバになったのは申し訳ないけど、それも突き詰めれば本人の性質の問題だからね。
誰とでもやるなら、誰とでもさせようと思っただけ。
今となっては、情はあるけど愛情はない。
引越し先に連れて行くか悩むめっちゃでかいぬいぐるみみたいな感じ。
彼女からは「今別れたらホントに困っちゃうね〜(笑)」みたいな感じでそれとなく圧力かけられてるけど、そんなもんはワンナイト相手にも言うべきだよね。
俺、この人とあと何十年も付き合うの嫌だよ。
●はじめに
これは相手に向けて書いたものではなく、相手を批判する意図はない。
もしこれを読んで相手を批判しているように思えたのならそれは私の表現力の乏しさによるものである。
また、フェイクを入れずに書いているので、両者の友人知人は「もしや」と感じるかもしれない。
だとしても二人に触れずにそっとしておいてほしい。
以上のことを踏まえて、了承していただける方のみ先を読み進めてほしい。
●登場人物
私=筆者
一次創作をする。
絵と文章を嗜む。
A
この文章は、Aとの出会いから別れまでの備忘録と私自身の反省のためのものである。
●Aと私の関係性
そして縁が切れたのが我々が28歳になる年の2月ごろ。
薬10年を共に過ごしてきた仲だった。
間違いなく、一番仲が良かった友人だった。
高校3年間はクラス替えもなく、いろいろな話をして、真剣な話もして、時には喧嘩をしたりすることもあったが、それも乗り越えてきた。
大学は別々の道に進学することになったが、それでも毎日のようにLINEで会話を交わし、時々二人で遊びに行っては日が暮れるまで話し、解散後も夜が明けるまでLINEで話をしていた。
私が新卒で入社した会社の研修で2か月東京に行くという話をしたときはとても寂しがってくれたことを今でもよく覚えている。
Aは絵を描くことが好きだ。
絵を描くことが好き、と一概に言っても色々幅があるが、私から見ればAの「絵を描くことが好き」とはAのアイデンティティであり、Aの人生そのものなのだと思っている。
自分の気持ちを言葉にするのは少し苦手のようだったが、感情を絵に込めるのは大得意でAの描く絵には喜怒哀楽様々な感情が乗せられていた。
私も少し絵を描けるが、どちらかといえば絵を描くことは好きではなく自分の描く絵は好きという難儀な性格をしている。
そんな私と比べると、Aの絵に対する思いは尋常じゃないものなのだと思う。
私の作ったキャラクターやお話のファンで、この世のキャラクターの中で一番、私が作ったキャラクターが好きとまで言われたこともあった。
そのキャラたちしか描いてないのではないかという時期があった程度にはたくさん。
Aが絵を描いてくれることが嬉しくて、私はAにたくさん自分の創作の話をした。
●事のあらまし
Aと私は今までの一次創作の積み重ねを本にしたいという話になった。
私が書いた小説や、私から聞いた話をもとにAが描いた漫画の断片はいくつかあれど、それらを本という形に残したくなった。
そこで一次創作の同人誌即売会を調べ、Aと私の二人で本を出すことになった。
私は今まで書いた小説を集め、書き下ろしの話を追加した短編集などを3冊作り、Aは私が文章で書いていた短い話を漫画の本にした。
ところが肝心の即売会は諸事情で中止となり、半年後に延期になってしまった。
頑張って作った本たちはひとまず通販に置いて、Twitterのフォロワーを中心に頒布することができた。
半年後になってしまった即売会を待つ間、Aと私は喧嘩をしてしまった。
Aが私の地雷を踏みぬき、私が苦言を呈したことがきっかけだった。
私としてはその場で謝罪をもらって、それで終わりで良かった。
喧嘩をしたつもりはなかったのだが、思えばAの様子が変わったのはそこからだった。
多分おおもとの原因はここなのであろう。
Aの様子が変わり、Twitterにも出てこなくなったことが心配で、私はAに手紙を書いた。
仲直りをしたときの電話で、数か月後に迫った即売会の話になった。
「せっかくまだ少し時間もあるし、もう一冊本を作りたい」とAに伝えた。
Aもそれに賛同してくれたので、私は本の攻勢について説明した。
前に話していたネタで、漫画の本を作りたい。長くなりそうで作画が大変だから、今回は私が全部作画をする予定で、と。
Aは「あの時のネタか」と喜んでくれ「すごくいいね」と言ってくれた。
その会話の中でAが言った。「その漫画読みたいな、何なら私が描きたいくらい」と。
しかしどうにも作画コストがありそうなので、Aに全部描いてもらうのは申し訳ない。
だがAがそこまで言ってくれたのが嬉しくて、Aにも制作に参加してもらえたらと私は返答した。
結果、表紙と人物紹介ページの立ち絵だけAに作画を頼み、あとは全て私が自分で描くことに落ち着いた。
そして私は自分が描く予定で考えていた表紙のラフや、キャラの立ち絵のポーズのイメージを送り、Aに制作をお願いした。
私は今までAが描いてきたファンアートに対して何か対価を支払ったことはなかった。
強いて言うなら「新しくお話を作ること・考えること」を対価としていたのかもしれない。
だが先の喧嘩のこともあり、好意で描いてくれたものに対しても何かお返しをしたいと感じていた。
なので今回の制作に対しても「お礼をする」とAに伝えていたのだった。
Aの作業も私の作業も少し進んだころ、二人で遊びに行く機会があった。
そのときに私はAに「お礼として晩ご飯ご馳走するよ」と伝えた。
Aはそれを聞いて少し渋い顔をしたあと「じゃあ2回分で」と答えた。
Aの返答に少し違和感はあったが、私は2回分の晩ご飯をご馳走することを了承した。
だがしばらくした後、Aから「晩ご飯2回分と、表紙・立ち絵を描くことは釣り合ってないと思う」と言われた。
もともと私が全て描くつもりで考えていたものを、Aが描きたいと言ったから急遽参加してもらうことになったのだ。
つまり、好意で描いてもらうものに対して、私も好意でお返しをするという形だったはずだ。
どちらかと言えば同じサークルのメンバーで1つの本を共同制作する形に近い認識であった。
だから「"依頼"に対しての"対価"が釣り合ってない」と言われたことは、私としては違うと感じたのだ。
しかし、自分の描きたい絵を後回しにして人から頼まれた絵を描くことは大変なのは私にも分かる。
「じゃあ、何なら釣り合うと思う?」とAに聞いてみた。
Aは「考えておく」と一言。この話はこれで一旦おしまいになった。
Aから"対価"の話はされないまま、その後もお互い制作を進めた。
とうとう絵と漫画は完成し、本が出来上がった。
私は刷り上がった本を一冊と、同時に一人で制作していたグッズを合わせてプレゼントした。
本を開き完成した漫画を読み、楽しそうにリアクションを取るAの姿は、無理をしてそのように演じているように見えた。
長い付き合いなので、Aが気持ちを抑えてそれらしく振舞う癖があること、しかしそれが下手でバレバレなことは私にはわかっていた。
Aはそのときも、何かの感情を押し殺してそれらしく振舞っていた。
そのまま迎えた即売会当日。
その日はたまたまAの誕生日でもあり、私は今回のお礼と誕生日プレゼントを兼ねていくつかプレゼントをした。
細かくは覚えていないが、確かお土産菓子と、Aが一番好きな私のキャラのイメージ香水。
それからAは自分へのプレゼントとしてiPadを購入していたので、1000円ほどの有料のイラストアプリを入れてもらおうとiTunesカード1500円分をあげたのは覚えている。
iTunesカードは突発的な思い付きで、昼ご飯を買いにコンビニに買いに行ったときにふと目についたのだ。
「昼ご飯買ってきたよ。あとこれはい、あげる」と、さらっと渡したのだが、Aのリアクションは
「はあ……」と言ったものだった。
即売会も終わりに近づいた時刻、Aから「そういえばお礼の話だけど」と話が始まり「いろいろ考えたけど、1万円で」と告げられたのだった。
……イラストの有償依頼で、表紙(カラーイラスト)と立ち絵数名分を依頼した、となると確かに1万円は破格だろう。
友人同士の"共同制作"ではなかったのだろうか。
"共同制作"ならAが「印刷費をいくらか出した方がいい?」と聞いてきた際に頂いておいたほうがよかったのだろうか。
私は1万円を支払わなかった。
その代わり1万円分のお礼はすると伝え、今回渡したプレゼントはお礼も兼ねていることと、今日のご飯代、打ち上げのカラオケ代で1万円くらいになりそうだから、それでどう?と言った。
続けて「もし対価としてお金を要求するなら、それは話を引き受けるときにするべき話で、後から1万円でと言われても了承はし難い」と伝えた。
「今回はお互いのすり合わせがちゃんとできてなかったから、それは両方の責任だと思う。お礼に関してはあくまで好意で渡している。もし足りなかったら今後遊ぶときに代金持つよ」とも伝えた。
Aは最後まで納得がいかなそうな顔をしていて、頑なにカラオケ代を受け取ろうとしなかったが、私はそれらの代金を全て押し付けて、その日は解散になった。
あくまで私の価値観として、金銭が発生するやり取りは"契約"だと思う。
"依頼"を受ける"対価"として「これくらいの金額で」と提示し、双方合意の上で契約が成立するものだと思う。
「描いてもらいたいんだけどいい?」「描くよ」「ありがとう。お礼はするよ」
そこに金銭のやり取りが発生するとどちらも言わなかった。
私はこのやり取りのことを友人同士の口約束だと捉えていたのだった。
Aはその後、即売会の後処理や事務的なやり取りを私と交わし、私と連絡をすることはなくなった。
またもや大変長くなったが、ここまでが事のあらまし。
●縁切りに至ったきっかけ
約1年、Aと会話をしなかった。
そんなことは今まで初めてだった。
しかし連絡がなかったとは言え、TwitterやLINEは相互のまま。
まだ縁が切れたわけじゃなかったのだ。
Aが私に対して思うところがあるのは嫌でも分かった。
まだ友人関係を続けるなら清算が必要だし、縁を切るならそれはそれも仕方がない。
迷ったが、Aの誕生日に「おめでとう」と送った。約1年ぶりに発した言葉だった。
そのときのやり取りは消してしまってもう残っていないので、事実とは異なる可能性がある。
ぽつりぽつり、とぎこちなくやり取りを交わしたが、かつての親友を歓迎する雰囲気は全くない。
まだ怒っているか尋ねたところ「そうだね」と返事が来る。
「私のことが嫌いになったならもう現れない。あなたの前からいなくなる」と縁を切る提案をした。
とてもとても時間が空いて、Aから「嫌いとか、勝手に決めつけるのやめてほしい」と返事が来た。
『なんだその返事は。どう考えても「お前もう無理」が態度ににじみ出てるんだよ』
『そもそもお互いちゃんとすり合わせができてなかったことが原因だからどっちも悪いところあったんじゃないのか』
『なんで私だけが悪いみたいな態度を取られなきゃいけないんだ』
『謝ろうにもそっちの意見を聞かない限りは本当の謝罪なんて無理だろう』
私のこのときの率直な思いだ。
しかし、まだこれなら修復ができるかもしれない。
「私は今でもまだ友達だと思っている」と伝えると「私も同じかな」と返ってきた。
会う約束をすることになったのだが、いろいろあって実際に会えたのはさらに半年後だった。
ちゃんと話し合おう、主観で悪かったと思うところは謝って、相手の口からもきちんと思いを聞いて、
粗相があるなら謝ろう。誤解があるなら解けるまで言葉を交わそう。
そう思っていたはずなのに、久しぶりに会って私の口から出るのは、薄っぺらい近況話や中身のない話だった。
その日の私とAは、傍から見ればいかにも友人っぽかったと思う。
私に至っては。もはやAのご機嫌取りに近かったのかもしれない。
いかにも友人っぽい二人は、大事な話もできずにいかにも友人っぽいまま解散してしまった。
その日を境にTwitterなどでやり取りは再びするようになったが、心理的距離は変わらないままだったと思う。
それでも私の誕生日には簡単なイラストが贈られたので、私もAの誕生日にイラストを贈った。
私はその年、結婚式を挙げる予定があったため、Aのことも誘ってみたのだが
Aはその日どうしても外せない予定があったらしく、申し訳なさそうな顔をして断られた。
しかし祝福はしてくれていて、Twitterに載せた前撮りの写真にもコメントをくれたり、
行くことはできなかったけど、祝福はしているという雰囲気であった。
年末、式に招待した人たちに年賀状を出そうとリストを作っていたところ、
招待したけど来られなかった人にもお礼状として年賀状を出そうと考えた。
AにLINEで住所を聞いた。Aの一人暮らし先の住所は知らなかった。
Aからは「正月は帰省しているので実家に送ってほしい」と返事が来た。
私は過去の年賀状のファイルを実家に置いてきていたため、再度実家の住所を聞き、送った。
送った年賀状は「あて所に尋ねあたりません」のスタンプが押され、返ってきた。
Aに聞くと「省略した住所だったからかな?これが正式な住所だから送ってみて」との返事。
住所を訂正し、切手を貼り直し、再度送った。
再び、スタンプが押され返ってきた。
原因はどうやら転居届を出していたことだと分かった。
Aに「一人暮らし先の住所教えて。それか、直接渡すからどこかで遊ぼう」と伝えた。
Aは「年賀状のためだけに会うのは申し訳ないし、仕事が忙しくなりそうな予感がしてるから
しばらく遊ぶのは無理かも。何か手間かけない方法で……局留めとかできないかな」と返信した。
……私はもう疲れてしまった。
「年賀状のためだけに会うのは申し訳ない」はどう考えても「会いたくない」の言いかえだと思う。
局留めなんて提案もバカバカしい。住所を教えたくないだけなのがよく分かる。
「分かった。じゃあ会わなくていいから、どこかで話をする時間がほしい」
私はそう伝えたが、これは仲直りだとか謝罪だとかのためではない。絶縁のための話がしたかった。
話したくないことはよく分かったがそうも言ってられない。
LINEがブロックされたのかと思い、確認してみたがそんなことはない。
ただただ、無視をされていた。
数日経って、AがTwitterでスペースに参加しているのが見えた。
別のフォロワーがホストのスペースにスピーカーとして参加しているようだった。
よく見てみると、スペースに入る際に匿名で聞く機能が追加されているのが分かった。
盗み聞きのような気分だったが、そういう機能があるのだから使ってみることにした。
他愛のない会話。Aは楽しそうにしていた。
私はAに追加でLINEを送ってみることにした。
目につきやすいように、短文で3件ほど。
わざと気を引くような言葉も選んだと思う。
スペースで何か反応があることを期待したものだった。
しばらく待つと。案の定Aはその件について触れ始めた。
「まあ、私(A)の中ではね、友達としてはね、もうあのときで終わってるから……」
これだ。私が聞きたかったのは。
鍵アカウントの方へ移行していった。
Aからもらった絵も、渡すはずだった年賀状も、一緒に撮った写真も何もかもすべて。
Aの魂のこもった絵を処分していくのはさすがに心が痛んだが、私にはもうすでに必要のないものだった。
実家を出て、新居に必要なものだけ持ってきたはずだったのに、やたらとAの痕跡が多かったことを私は忘れないだろう。
(余談……事務的な手続きをやり残したまま処分を始めてしまったため、後始末に少し苦戦した。
他人も巻き込んでしまったためここは大いに反省すべき点だと思う。)
タイムマシンがあったら戻るか?と聞かれても、私はもう戻ることはない。
やりなおしたいわけではないが、自分の行動のどこがまずかったのかは今でも考える。
私はあのとき、ポンと1万円を支払っていればよかったのだろうか。
そもそも、お礼に何をするかを前もってすり合わせておくべきだったのか。
いっそのこと、自分の本なのだから他人に絵を描いてもらおうなんて思ったこと自体が間違いだったのか。
……恐らくすべての点で間違っていたのだろうと思う。
Aはきっと、私に対して「自分の絵(=自分の人生そのもの)に対して1万円の価値もないと思われた」と
感じているのだろう。
もちろんこれは断固否定するが、そんなことは決してないし、Aの絵と絵に向き合う姿勢にリスペクトしていたつもりだ。
私の思いはAに伝えたつもりだが、その通り受け取られなかったのなら、それは私の言葉や表現方法が悪い。
そもそも受け取ってもらえなかったのはきっと今までの積み重ねもあるのだろう。
私の信用は、もっと前には既になかったのだろう。
Aが私に対して「許せない」と感じているのはもう仕方がない。
許されないことも仕方がないと思っている。
しかし、今でも私はきちんとした謝罪ができなかったことを悔やんでいる。
Aは私の謝罪を必要としていないのかもしれない。だが私が謝罪をしない理由にはならない。
人間として、相手のことを本当に大事に思うのならば、きちんと謝罪をするべきだったのだ。
ない頭を振り絞りAの立場に立って考えたつもりではあるが。本心はAにしかわからない。
Aの本心を聞けなかったこと、強引な手段でしか本音を聞けなかったことも非常に後悔している。
何にせよ、もう私たちは戻れない。二度と戻ることはできない。
Aが私を許せないのと同じくらい、私もAのことが許せないのだ。
かつての親友であっても、二人の共通の友人とは今は関わりがほぼない。
共通のコミュニティに属していない以上、時間とともに価値観の相違は生まれるものだ。
Aも私も、少しずつお互いにずれていっただけなのだと思う。
Aが使っていた「ばかたれ可愛い」という語彙がなんとも下品で嫌いだった。
家に招いたとき、部屋中に飾った好きなキャラのグッズやぬいぐるみを見て
「ちゃんと定期的に埃とか取らないと汚い」と言ったことが許せなかった。
言いたいことをはっきり言わずに態度に出まくりなところが本当に嫌だった。
誰が聞いてるかもわからないオープンな場所で人の悪口を言ってる姿が情けなかった。
「もうとっくに友達じゃない」と思っていたのならさっさと切ってほしかった。
「友達として終わってる」なら私の結婚関連の祝いの言葉は何だったのか。
これらは全てAが悪いのではなく、私の価値観に合わなかっただけである。
それでも私はAを許さないと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20240711233856
ブコメに目を通して、色々思うところがあったのでコメントしていく。
正直なところ、こんな匿名ブログに下ネタを投稿して暖かいコメントがくるとは思っていなかった。もっと袋叩きにあうと思っていた。まずはそこに感謝したい。
業者の宣伝ではないかという投稿もあった。筆者はどこかに雇われたわけではないが、エッセイストを自称している。学生時代はラジオや新聞のお便りコーナーにたくさん投書しては応募者プレゼントを総なめするのを生きがいとしていた。褒め言葉として受け取っておく。
ではなぜこれを新聞に投書しないのか。まず精子観察などというネタをBANしないメディアを探さなくてはならない。さらには、投書してみたいという期待の裏に、名前や性への好奇心を明かす恐怖があった。
筆者は典型的な陰キャの学生生活を過ごしていたので、異性はおろか同性とも性の会話をしたことがない。いじめられないだけの無難で堅い人間を装って性への興味を抑圧してきた。
社会人になってからはあまり人間関係に困らず、女友達もできたのだが、女性の性に対するあけっぴろげさがカルチャーショックとなっていた。
そうなる背景を女性は教えてくれない。それが当たり前で、考えたこともないそうだ。なんとなく思うのは、生理や妊娠というのは受動的というか、たぶんでっかいうんこが出たのと同じようなテンションで会話しているのだろう。しかし射精は生理現象とはいえ、一部の例外を除いて能動的な性活動がもたらす。これが男性が性と向き合う心理的な障壁になっているのではないかと思う。
「ぬいぐるみペニスショック」という言葉がある。ぬいぐるみみたいな無難な男が性欲を匂わせることで気持ち悪くなるという現象だ。しかし、どうやっても男にはペニスがついているのである。
筆者の持論として「ペニスは男性器ではない」という考えがある。男性の尿器だ。だからトイレや風呂で丸出しになっていても恥ずかしくはない。だがひとたび勃起すれば性器となって、性器として射精に至る。女性にとって、あるいは解剖学的視点で見て同じ器官だったとしても、生きている男性にとってこれは別物と捉えらべきだと思う。そしてこの、尿器が性器になってしまう瞬間と、尿器を性器にする瞬間が、筆者にとっては恥ずかしいのである。
だから筆者は、社会的にペニスを知らないぬいぐるみとして、知らないふりをしながら、家で隠れて精液を観察しているのである。この記事を公表することは、自分の股間に、顔に、肩書きに、卑しい性器を生やすことになる。しかし本来それが自分の本当の姿なのである。だから投稿にはかなり躊躇した。
一方で、思春期から続くこの好奇心を自分の中に閉じ込めておくことにも限界を感じていた。そこで匿名のサイトに書いてみることにしたのである。
下ネタ専用のブログとか開設しようかとも悩んだが、いつかボロが出るので、ここを間借りさせてもらうことにした。これからのことはBANされたら考えよう。
この意見はよくあった。バイオの人だろうか。たしかに理系人間の端くれなので言葉選びには気をつけるべきだった。生命のように生きているように感じられた、くらいに止めておくべきだろう。
「オナ禁したらどうなるのか」
「精液をレンジでチンしたらどうなるのか」
こういうアイデアが次々出てくるのが、素晴らしく最低で楽しい。筆者には出てこない考えだった。やはり誰かに話してみるものだとウキウキした。探究心があって面白いと思った。測定ツールがもうないので数値化できないのが悔やまれる。
コメントするならば、外部条件がまだよくわからないので、実験の基本である対照実験が難しい。ブリーフのせいなのか座り仕事のせいなのか、いろんな条件が合わさるので原因が特定しにくい。なので全て推測になってしまうことは理解してほしい。
下着に関しては、申し訳ないがトランクス派の男性に試してもらって欲しい。筆者は長いことボクサーブリーフ派である。妊活のためにはトランクスにしろというのは理にかなっているし、息子には窮屈な思いをさせてしまっている。しかし息子を常に上向きにして収納したいチンポジに拘る筆者にとってトランクスというのは勇気がいるフォルムをしている。買ったら慣れるのかもしれないが、期待に応えられず申し訳ない。
熱によってどう変わるかという発想も素晴らしいが、実家のレンジを使うなんてとてもできないので近々レンジを捨てる人に頑張ってほしい。
参考になるかわからないが、精子と熱の話題ということでここで懺悔をしておくと、むかしむかし学生寮の風呂で致してしまい、熱いシャワーを浴びた精液が茹で卵の白身のように固まってしまったことがある。床についたそのゴムのような塊をベロッと剥がしてティッシュにくるんで捨てたが、さっきまで人の組織だったものが卵みたいに変質する恐怖は忘れられない。そして万が一この硬化した精液で排水管を詰まらせたら笑い物にされるところであった。諸君は絶対に真似しないように。
しかしアイデアさえあれば行動あるのみ、ドラッグストアに行って1500円出すだけだ。最近だとドンキの他、家電量販店でも並んでいるのを見た。
「楽しそうだけど女性なのでできない」
「彼女とやると盛り上がる」
前言を撤回する。1500円に加え男性も必要だった。しかし異常な男性が共感してくれれば良いと思っていた文章なので、女性にも読まれていると思うと少し恥ずかしい。精子というものは本当に妊活したい女性以外からしたら犯罪の源というか脅威みたいに扱われていると勝手に思っていた。これもリアルな女性にどこまで話せるかというと、筆者が耐えられない。匿名で良かったと思う。
じつはこの実験の後、コロナが落ち着いた頃に彼女ができた。だが前述の通り、ぬいペニが怖くてこの趣味は話せていない。一応身体の付き合いまで辿り着くことができたが、こんな趣味を抱えていたら幻滅されてしまうだろうか。もっとやばい趣味も抱えているので、バレるのは時間の問題なのだが、悩ましい。
「トイレで致すのかわいそう」
「毎日かぁ」
むしろ世の男性はトイレの他にどこで致すのだろう。仮に自室に鍵があったとしても、ティッシュで始末するより、前屈みになりながら便器に出してしまうほうが片付けが楽だと思う。あと、観察をやっていた頃はピチピチの20代だったから毎日やっていたのだと思う。高校の頃は夕方と晩の2回くらいやっていたかもしれない。今は仕事も少しずつ昇格して、息子と遊んでやる時間を作れなくなってしまった。連休だしネカフェに連れ出してしごいてやろうかという気持ちになっている。飛距離が落ちるとか哀しい先輩方のコメントが胸に刺さった。まだまだ元気な息子とセルフプレジャーを楽しんで楽しい夏にしたい。
「寝込むと濃くなる」
精液が"濃い"という言葉を見直さなくてはならないと思う。この文脈の"濃い"とは、おそらく"白みが強くてどろっとしている"という状態だと思う。風邪を引いた時に出る黄色い鼻水のような粘度というか。あれは精液に混ざる尿道や前立腺の液が少ないからで、焦らせば焦らすほどその量が増えて薄くなると昔何かの本で読んだ気がする。そのビジュアルと中身の精子が元気かどうかということに関連はないのではないかと思った。勢いのいい射精ができればビジュアルとしては素晴らしいのだが、それが男性不妊を見えなくしているのではないかという気がしている。だからこそ顕微鏡を使ってみてほしいのである。
「pudoが便利」
ありがとう。とても有益な情報を得た。筆者はamazonのロッカー預りはやったことがあるので、amazonで買えればいいなと思ったが、見つけたのでこれで久々に精子を見てみようと思う。多分相当死んでいると思う。
女性のコメントらしいが、他に何があるのだろう。筆者はコンドームしか知らなかった。それは女性の購買のプライバシーが守られているという証でもあるのだが、こうしたところで女性の生活というのは謎や秘密に溢れていると感じてしまう。
「分析的」
「探究心がすごい」
「熱心」
この辺りは誤解を生んでしまったかもしれない。医学情報という観点からすれば、この記事も民間療法レベルの怪しい情報だと思ってほしい。TENGAヘルスケアなどはきちんと研究しているので、そうした読み物を見るきっかけになってくれればいいと思う。
「人間ドックに取り入れられないだろうか」
そもそも尿検査をしなくてはならない。男性は尿も精液も同じ尿道を通るので、これが混ざると厄介なのではないかということは気がかりだ。
ところで「尿検査の前にシコると再検査になる」という都市伝説を聞くが、あれはどこまで本当なのだろうか。気になって前日に致してみたことがあるのだが、怖くなって寝るまでにしっかりおしっこをして尿道を洗い流してしまった。結局何も言われなかったのを覚えている。
「もっと書いて」
心の内に抱えたぬいぐるみのペニスを増田に投下しているので、またいつか会えると信じていてほしい。
バズったのをいいことに宣伝するのはダサいが、一応紹介しておくと、最近女性の立ちションについて調べるために性転換パンツを履いてみるという記事を書いた。リンクは貼らないので、覚悟がある人だけ探してみて欲しい。
「その時のレポート」
気軽に使えると思う。真剣に妊活に使った人もいたようだ。オモチャとしても悪くない値段だと思う。
便乗して記事を書いてくれた方もいた。ここに紹介しておく。
https://anond.hatelabo.jp/20240712135040
自分の子孫が泳いでいる感覚は面白い。それでいて自分で片付ける心境も共感が得られた。ずっと孤独だったので、仲間がいるような意識を勝手に持ってしまって安心している。
ちなみに増田が疑問視していた出し方だが、基本は尿検査のコップを思い出してほしい。メンズルーペの計量カップになっている持ち手のところを裏筋につけるイメージで持つのが良い。すこし傾斜をつけて容器の底に向けて射精すると、小便器の要領で持ち手の方に垂れていく。もし6ml以上出るのだとしたら溢れるかもしれないので注意だ。
他にも自身の妊活の思い出を話してくれた人もいて、筆者に宛てたものではないと思いながら勉強させて頂いた。筆者には妊活は程遠いというか、来ないと思うので伝聞が頼りである。性というのは本当に経験しないことわからないことばかりだ。経験値の乏しい筆者にはブコメが新鮮に見えた。
筆者は気になったことはすぐ調べるタイプの人間だ。教えてもらえないことは実験で確かめたくなる。そうして精子を調べるというところに行き着いた。こうして調べられることは調べて満足するタイプなのだが、それでも出産の苦しみはわからないし、精液検査を突きつけられる男性の気持ちも正確には掴めない。
できれば、精液検査をしたがらなかった人の意見も聞いてみたい。もちろん女友達となぜ検査が嫌なんだろうと質問されて、男性の立場で思いつくこと考えても所詮は推測。女性だらけの産婦人科に男一匹いたら拒絶感を覚えそうとか、男の中で生殖能力に優劣をつけさせられたくないとか、思いつくことはいくらでも言えるが事実は本人にしかわからないのである。
エロマンガの導入に、性教育の実技授業という定番ネタがある。あれはやりすぎだが、座学にとどまらない性への理解が必要だと思う。
少し年下の世代では、実際に高校でガラス棒にコンドームをつける練習をしたという話を知人から聞いた。流石に精子観察は成人してからやってみてほしいが、そうした実践が性への理解には不可欠だと考えている。
改めて、ぬいペニという言葉を恐れるあまり性への興味を抑圧してきた自分にとって、こんなに自由に自分が興味を持ったことについて話せる場があって嬉しかった。しばらくしてBANされてしまっても、いい思い出になりそうだ。
パルワールドの会社がライセンス管理の会社を新たに立ち上げたが、掲題の件がとても気になる。
単純にパルのぬいぐるみとかのライセンス商品の展開だけなら分かるけど、漫画やアニメなんかを視野に入れてるとすると絵面がエグすぎる感じになると思うがなぁ。
そうなると、銃等の武器で人間がパルを半殺しにして捕まえるところ書かないわけにはいかないでしょ。
そう考えるとポケモンも捕まえるときに大概酷い目に遭わされてるけど、人間が直接手を下さないだけで大分印象変わるな。
それとも、人を一切含まないパルだけの交流を描くのかな?
初動の派手さと比べると最近ゲーム自体の話題が全然観測範囲に上がってこないと思ってたらこういう方向に行くのか、って感じで驚いた。
いきなり大金が転がり込んできたら、そりゃ夢が膨らむよな。
丸2年が経過したので雑感
私事ですが、つまるところはディズニーへ行かなくなって丸2年が経過しました!!年50回は行ってたコロナ前の私からすると考えられない天変地異みたいなもんですね。
ということで双方似ている点も異なる点もあるので思ったこと適当に書いておきます。ディズニー側の情報に関しては完全に人伝なので古い可能性が高いのですが悪しからず。
・年パスもう要らないよ
圧倒的にコレ。寂しいですけどね、ひと頃のDオタとしてはね。
意外と年パスユーザーだった往年のオタクたちの中には「もう年パスは不要かな…」という層が多かったりします。復活して欲しいという声が根強いのは案外「年パス取扱時期に"買いたかったけど買えなかった"人たち」のような気が。
「もう慣れたから」
という辺りの雰囲気が強そうですね。
そう、結局コロナの前後に関係なくちゃんとディズニーが好きで、あそこを「替えの効かない場所」だと思っている人たちはどのみちパス代にしろパーク内諸費にしろ払うべきものは払ってきたし、今後もそうしていくわけです。オ社側もそういうオタクのことはちゃんと「お客様」として歓迎したい筈です。
結局のところ年パスの何が良かったかと言えば「最初に5〜10万円払えば1年間パーク入り放題だった」という点なのですが、裏返せば年パスにはこれ以外の機能が一切存在しません。なので年パスが無くなったからと言って変化することというのは思ったより少なくて、蓋を開けてみれば「一括払いにしていたパス代が都度分割になった」くらいの感覚差程度に落ち着きつつあるのでしょう。
実際、共通年パスは概算で月に1回程度インパすれば元を取れる試算での価格設定がなされていましたが、考え方を変えれば「月1回程度であればパス代を都度払いしても年パスを持っていた頃と額面はさほど変わらない」というわけです。ネットでの購入手続きが多少挟まる程度ですから面倒も思うほど多くありませんし。
個人的に思うのですが、今現在年パスが無くても困ることなくインパしているDオタたちがコロナ前どう過ごしていたかというと「月1以下の頻度で事足りていた人々」「遠方勢でそもそも回数を積めなかった人々」もさることながら、「パスがダブるのを承知でバケパの世話になることが多かった人々」というのも居たんですよね。首都圏在住で日帰り出来るけどバケパ課金してパス代も宿代もその他の費用も幾度となく出してきた、そういう人々が。
こういったDオタたちにとって年パスの存在はそんなにウェイトの大きいものではなかったんだと思います。そもそも年パスを持ってないか、持っていてもパス代を追加で出すくらいですからね。
それで結局、こうしてそれなりにまとまった金額をコンスタントに支出する真っ当な「お客様」たちは、年パス所持の有無に関係なくさほどダメージを受けることなく現在も元気にDオタとして活動されているようかもしれません。雑な言い方で恐縮ですが、「懐に余裕のあるゲスト」であればコロナ前とあまり変わらずオタクとして振る舞えるし、オ社もそういう人を招き入れたいわけで利害関係が一致しているのですよ。
一部の年パスユーザーの中には「自分たちの存在がパーク運営を大きく支えている」と豪語する人々も少なからず見受けられた過去がありましたが、本当のところを言えば年パスとその単純な所持者たちにはポジティブな影響力など殆どなかった可能性すらあるわけです。
Dオタアクティブ勢の事情としてはそんなところでしょう。まあ私が「年パス要らないよ」という理由は「もう用事がないから」なんですけれども。私自身ももう昔みたいに年10回20回それ以上のインパを必要とする身では無くなりましたので、「行きたくなったら年1程度でも良いかもな…」と思うなら年パスはもう御役御免です。
・年パスが無いと困るようなオタクは条件の良い界隈への移動が大凡済みつつある
「1年間入り放題」というだけのシンプルな設計ながら、当時の年パスの用途は案外と多岐に渡りました。「晩ご飯のために夕方からインパする」というのは割と有名ですが、「パーク内外でウォーキングをするため」「終日空いているレストランの隅で涼みながら勉強や作業に没頭する」「昼休憩と前後の空きコマを活用し大学を抜け出して昼ご飯やショーパレを楽しみたい」なんていう使い方もできました。
しかしこれらは副次的なもので、年パスを購入したDオタたちの大半が年パスに見出していた価値といえば、推しキャラに会えなかったり塩対応だったり、天候その他の事由によりショーパレがキャンセルになってしまったりという「体験価値の低下に対する『年パスあるし明日明後日また来れば良いか』という保険」の側面が一番強かったのではないでしょうか。
なので年パスが無くなったことに関するDオタ的な最大のデメリットは「保険が無いので軽率にリテイクが取れなくなった」というところになると思うのですが、しかしよく考えてみれば、これがDオタをやっていく上で致命傷になってしまう層というのは実はかなり少数派なのかもしれません。
例えばミキオタやミニオタ。彼らはインパすればショーパレに固定のグリ施設、場合によっては路上整列グリに至るまで推しに会えるチャンスというのは様々存在します。どんなに運が悪かったとしても「ミキミニを一度も見かけることなくパークを出る」方が厳しいのはご想像の通りでしょう。エントリーを全て外したならパレルで粘るかグリ施設を鬼ループすれば最低限の満足は得られる筈です。規模感に差はあるものの、ドナオタやデジオタも同様でしょう。
しかしこれがチデオタの話になったらどうでしょうか。今でこそジワジワと彼らの活躍の場も戻って来ていますが、コロナ休園明けのチデオタはなかなかに辛酸を嘗めたものでした。
①ドリミから丸ごと干されそのまま終了
②海で唯一の固定出演だったハロニュが復活せず終了
④グリ施設がない(ウエスタングリは人が集まり過ぎて一瞬で爆散した)
如何でしょう。マウビが始まって多少用事は出来たものの、それまでチデオタは両パークに対してマジで何も用がなかったわけです。結局マウビや海ジャンボリがあったとしてもどちらもエントリー制なので外れたら用無しですし、フリグリは必ず捕まえられる保証がありません(コロナ禍なら尚更)。
前者ならば「保険=年パス」が無かったとしても幾らか即日でリカバリーが出来ますが、後者の場合そこに確実性がないため、結構な確率で「チデに終日会えないまま金だけ払って歩き回って終わる」という負けゲーを強いられる状況が発生し得るわけです。ここにミキオタと同じ金額は出そうとは思えなかった心情を、どうにかご理解いただきたいものです……(チデオタより)。
チデと同様に「コロナで姿を消したキャラクター」は少なからずいたと思いますが、チデほど露骨に消えたキャラは他に居なかったのではないでしょうか。ショーパレに確定で出ず、フリグリ出現も怪しいキャラクターというのは元々多く存在します。何ならBIG8以外は全員そうでしょう。しかし元々そうであれば「BIG8のオタク」と「その他のオタク」では根本的な立ち回りと心構えが違ったように思います。「行けば会えるから会いに行こう」と「会えたらラッキーだから目的にし過ぎず楽しんで行こう」の違いですよ。コロナ前のチデは前者だったのが、コロナを機に一時期後者になってしまったわけです。
良し悪しの話ではありません。BIG8のオタクは、言ってしまえばアイドルオタクと性質的にはさほど変わりません。「行けば会える推し」が、パークに関わるすべての行動の目的そのものになっているのです。チデオタはその意味で、ある時突然に「目的」を奪われてしまった、ということなんですね。当てもなく彷徨い金を使い倒せるほど、誰も彼も持ち物を余らせているわけではないですよね…?
それでも中には、数年にわたる辛い時期をグッと耐え忍んで、今でもチデオタとして頑張っている方々も少なくないでしょう。それは彼らにとってチデが「他に替えの効かない存在だから」に尽きると思います。尊敬します……本当によく頑張ってこられたと思います。反対に私は「頑張らなかった側」なので…。私にとって10年間の最推しだった筈のチデちゃんは、哀しくも「代替可能な存在」だったわけですから……。
こればっかりはもう、個々人のオタクとしての在り方次第になってしまうと思います。現場回数を稼ぐために年パスを信頼していた私のような「ローコストで体力気力の限り現場をブン回したいオタク」と、オ社が求める「たまにの1回に"全力"を出してくれる"お客様"」とでは相性があまりにも悪い。私のようなオタクは最早、ディズニーリゾートに於いては「招かれざる客」になってしまった、そういうわけなんですね。
しかし、そういう経緯でディズニーからはみ出し者になってしまったこの私にも、そのままで転向できる新天地が存在したわけです。それがプロ野球マスコットの世界。結果的に私は冒頭の通り(オタクだったのに)丸2年もディズニーへ行かなくなり、代わりに野球場へ赴くようになったわけですが、私と同じように「年パスが無いとやっていけないオタク」たちは皆もう何処か異なるコンテンツへ良い加減に移住が完了している頃合いではないでしょうか。もし年パスが無いことに未だに困っているDオタが居るとしたら、厳しいですが恐らく巣立ちの時だと思いますので、他に楽しいことを見つけてみるのも一手かもしれません。
体感ですが、とにかく現場をブン回したい私のようなタイプのオタクであれば、回す現場や対象物は実はそんなに重要じゃなかったりするわけです。「割安で楽しく対象物と触れ合いたい」という風に簡略化すればコレ、別にディズニーじゃなくても野球場や他のテーマパーク、振り切れば地下アイドルだって全然良いわけです。
10年前のディズニーすら余裕で凌駕してくる(但し球団による)。
凄いですよ、根腐れしそうなキャラオタ皆マスコットオタに鞍替えすれば良いのにとさえ思う。非常におすすめです。
私自身は野球マスコット専門なので他のことはあまり詳しくないのですが、恐らくサッカーやバスケのプロチームにもマスコットは沢山います。川崎のロウルくんとかめっちゃ可愛いよ。なので地元チームのマスコットを応援するところから始めてみるのもアリじゃないでしょうか。
②5〜6時間で退散できる
④ちゃんとグッズもある
⑥それなりに通えば認知してもらえる(かも)
①③⑥はDオタならかなり嬉しいポイントではないでしょうかね。少なくとも私はそう思う。
細かな金額に関しては球団次第でピンキリですが、最安値で抑えるならいずれにしてもコロナ前のディズニーより入場料は遥かに安いです。外野席とか天井席なら1000〜2000円台だからね。
或いは千葉ロッテマリーンズのZOZOマリンスタジアムや阪神タイガースの甲子園球場なんかは試合前のマスコットショーを場外で行ってますので、何とやろうと思えば完全無料でオタ活が出来ちゃいます。良いんですか??
そうでなくてもマスコットと触れ合う機会は(本来キッズやファミリー等を想定しているであろうだけあって)チケットの種別に関係なく同等に与えられていますので、「兎に角中に入れれば良い!」と割り切るならコスパ最強です。
勿論もっとチケットに金額を出して座席に拘れば、試合中に動き回るマスコットを直近で拝むことも可能です。
②5〜6時間で退散できる
野球場は大体試合開始の2時間前に開場し、マスコットショーやふれあいイベントを経て試合開始、途中何度かマスコットの登場シーンがあったり、或いは場外でふれあいイベントを行ったりして3〜4時間以内には概ね試合が終わります。そう考えると余程長丁場でない限り、1回の現場は最長5〜6時間程度で終了することになります。勿論マスコットや自分の都合、天候などに合わせて遅く来たり早く帰ったりも可能ですし、先述の「無料でオタ活できる野球場」であれば最短5〜15分で退散移動が実現します。
仕事帰りや学校終わり、休みの日の午後用事前にちょこっと……ができるのも嬉しいポイント。
先述の通り、野球場で行われることやタイムスケジュールには大体決まった形が存在しているので、ディズニーのようにスケジュールのバラつきが生まれることはまずありません。「このタイミングに何処で誰が何をしている」というのが慣れればすぐ分かりますので、色々と余裕を持って行動することが可能。これは各球団のふれあいイベント(所謂フリグリ)に関しても概ね同様ですが……ルールはディズニーと同じです、具体的な時間と場所は是非ご自身でお確かめくださいね。譲り合いもお忘れなく。
④ちゃんとグッズもある
各球団マスコットの個性的で可愛いグッズも沢山あります!ブラインド仕様のランダムグッズからぬいぐるみ、プラッシュ、バッグ、その他諸々。野球場らしい文字入りフェイスタオルやKPOPにありがちなスローガンタオルがラインナップされているマスコットも中には存在します。グッズ欲を満たしたいオタクにもおすすめ。因みにぬいぐるみ系に関しては大体ディズニーの半額程度で買えたりします。安い!
各球団は1年を通して頻繁に限定ユニフォームをリリースするので、それに合わせてデザインチェンジを施した限定グッズも続々登場します。そして在庫さえあればシーズン後半やオフシーズン、次シーズンに入ってからもオンラインで購入できるのも有り難いところ。後から「あれ欲しかったな…」ってなることあるもんね。
野球マスコットのオタクをする上で外せない醍醐味といえばコレ。先述のロッテの「マーくん」と東京ヤクルトスワローズの「つばみ」の恋模様(?)はあまりにも有名。埼玉西武ライオンズの「レオ」は妹の「ライナ」に対し異様なほどのシスコンぶりを発揮したり、福岡ソフトバンクホークスの「ハリーホーク」や北海道日本ハムファイターズの「B・B」と何やら名状し難い関係性を披露したり、ヤクルトの「つば九郎」と中日ドラゴンズの「ドアラ」で毎年のようにディナーショーを敢行しチケットが即完売になるなど、どのマスコットも非常に個性が強く、遠征交流やオールスターゲーム等で顔を合わせる度に関係性がジワジワと変化していくリアル感はディズニーで絶対に味わえない野球マスコットならではのポイントです。グミニとかそういうのにうっかり惹かれちゃう人、どうでしょうか。
⑥それなりに通えば認知してもらえる(かも)
これは本当に場合によりけりですが、何度か会いに行くうちにこちらのことを覚えていてくれる有り難すぎるマスコットも結構います。勿論そこに最初から期待するのはおすすめ出来ませんが、フリグリ中に近況を聞いてきてくれたり、向こうから積極的に来てくれたりすると球団に金を落とすモチベーションが爆増します。(それでもディズニーより安く済むのが尚のこと有り難い)
タイミングが良ければワンショットでポーズ指定が出来たり、ショートムービー撮影で任意の動きを(常識の範囲内で)お願いできる場合もあり、フリグリの自由度がディズニーより遥かに高いのも嬉しいですね。フリグリ完全依存の元チデオタとしては尚更ね。
但し「つば九郎」や「ドアラ」のように選手顔負けでファンの多いマスコットたちに関しては個別ファンサがどうしても難しいですし、すべてのマスコットが同じくらい手厚くやってくれる保証は全く無いですから、基本的にはマスコットたちの成すがままに合わせるくらいが丁度良いでしょう。
こんな感じで、コロナ禍を辛く暮らした元チデオタの私ですが、今は自分に合った最高のコンテンツと出会い、ディズニーを離れて楽しくオタクを続けています!こんな生活も早2年!
野球場に年パスのシステムは(基本的には)ないので都度払いでも気にならないですし単価が安いですし、他にも良いこと尽くしで最高!オフシーズンで冬場に音沙汰が無くなるのだけが寂しいですが、野球がなくてもバスケとかはあるので二毛作も大いにアリでしょう(私自身に今のところその予定はありませんが)。
オタクとして若い10年の日々をディズニーに注ぎ込んだことは今では良い思い出です。もう真性のDオタでは無くなりましたがチデのことは今でも人並みに好きなので、その気になったらまたいつか会いに行きたいな〜、と思っています。
Dオタのみんな〜!いつもお疲れ様〜!
値上げとかホスピタリティとか色々大変だろうけど無理せず自分最優先してね〜!!
お互い楽しくオタ活続けてこうな!!