はてなキーワード: にしんとは
いやまぁまだ40じゃねーんだけど。アラフォーにはなっちまったし。
俺はそもそも人間は苦手だ。小さい頃は人見知りながらも同級生と喋るのは楽しいと思ってたんだけど、今思い返すと喋ってた割には友達居なかったんだよな。
中高あたりからは思春期も重なって完全に他人とどうやって喋ったり一緒に居たりすればいいのかわからなくなってそのまま今に至るわ。
社会人になって一人暮らし初めたら今まで生きてきた中で一番最高な環境で一人ってめちゃくちゃいいな!って心底思ってたし、そもそも孤立する性質だったらしい。
だから俺は40になろうがいくつになろうが人恋しくなることなんか無いだろうと思ってたんだけど、今日たまたま桜を眺めてて思った。
「あー、これ一人で見ててもくそつまんねーな」って。
別に誰かと一緒にいたいとか、恋人がほしいとか友達がほしいとか結婚したいとかそういうのじゃねーんだ。
人間と居るのは相変わらず心労パネーからなるべくお断りなんだけど、なんかくそつまんねーなって。
このつまらなさとあと60年付き合うのかって思うと、あーたしかにしんどいわ、って初めて思った。
でもそれの解消のために他人の人生奪うわけにはいかねーし同行する気もねーんだけど。
でも「あーそういうことか」とようやくなんか気づいた気がしたんだ。
パパじゃないので、すまんけど。
まず「母子ともに健康」って常套句が意識に刷り込まれてると失念すると思うし、増田は分かってると思うんだけど、
もちろん個人差があるのは当然としても、一番しんどいケースを想定すべきかと。
妊娠前と同じ体ではない、いっそ病人、あるいは一足先に中身だけ老婆になったと考えたほうが良い。
ちょっと押すと骨が折れるし、すぐ疲れるし、何なら一日の大半は寝ている生き物と思って。
だから、単純に労働のタスク量だけで割り振ろうとすると、奥さんが疲れる。老婆に若者と同じ労働させないでしょ?
もしくは、赤ちゃんと同じ生態になったと思って。全部が母乳じゃないようだけど、概ねは赤ちゃんがお腹すくのと同じタイミングか、ソレ以上に乳が張る。母乳に体力根こそぎ溶け出してるので本体が萎びている認識でいい。赤ちゃんの機嫌に連動してる生き物なので、家事労働とかムリ。
してないなら、奥さんちょっと大変かもしれない。赤ちゃん連れて外出するのって、とても気を使うし体力も使う。それで精神的にしんどくなる。
診察室まで付き添えないにしても近場で待ってるとか、とにかく寄り添うポーズを見せると違うかもしれない。
もし奥さん一人で送り出していて、その間の増田に自由時間があるなら、タスクの考え方を再考しないと奥さんの「お前だけ漫画とか読んでんじゃねーよ」的な気持ちは解消されない気がする。
赤ちゃんと過ごす時間、一緒に昼寝しているだけでも、それは「タスク」と数えていいんじゃないかな。具体的な労働に見えなくても拘束されている待機時間というか。
赤ちゃんは目を離すと死ぬ生き物なので、増田にその認識が薄いとしたら、奥さんは常時1人で監視待機状態な気持ちかもしれないよ。
増田が育休とってなければ、また違ったかもしれないけど。育児のために休んでいるのに「大変さ」が同じじゃないと感じるなら、そりゃ不満かもね。
最近アラサーになりソフトウェアエンジニア (SWE) として正社員として働いているが、いろいろ辛くまた転職してきたくなってきた。
openworkなどで会社を漁っているが、エンジニアの理想郷がどこになるのか悶々としている (もちろん人それぞれだが..)
今までの会社としては 外資IT → 大手メーカー の2社で、現在の年収は 800 ~ 900 万ぐらい。
今はアーキテクト/ SM / Tech Lead らへんの業務をしていて、将来的には エンジニアリングマネージャー をしたいと思っている。
転職先には以下があると思うが、どれがいいんだろうか。
やりたいことは一番できそうな気がしているが長期的な自分のキャリアを考えたときに、平均年齢が低いことや退職金がないため不安が大きい。
また勢いはあり多くのビジネスを創出しているがどれも規模として小さいものが多いかつ、
またグローバルに成功している事例がほとんどないためあまり今後も市場が成長する感じがしない。
今Web企業のマネジャー以上にいるのはインターネット黎明期を切り開いてきた人だが、こういう人が自分の世代で生まれるイメージが自分はない。
自由に働けそうであるが会社の業績次第で職がなくなるリスクがある。
創立メンバーレベルで入らないと金銭的には結局は大きな企業で働いているのと変わらない。(SO的に)
モチベがある間に働くのはいいが、モチベがなくなったと時にどうするかをまた考えないといけない。
本当に優秀な人は引く手数多なのでいきたいベンチャーを転々としているが、自分がそういった働き方ができるほど優秀だと思わない。
クライアントありきのビジネスであるためクライアントに合わせたワークバランスになることが多そう。
結局は2次委託に開発を任せてたりするのでつまらないドキュメント作成&調整業務だけをやるおじさんになる可能性が高い。
周りを見ている感じは仕事を楽しそうにやっている人が結構少ないと感じる。
ただ業界的には今後も成長する業界なので一生つまらない仕事をするのを覚悟すれば、キャリア的にはいいのかもしれない。
目先のサラリーは良さそうであるが、ハードワークに耐えられる気がしない。
ハードワークになるかどうかも案件次第なので、数年度どうなっているかもわからないので不安材料が大きい。
転職ありきの業界で、一生自分の市場価値を推し量る必要があるので大変。
またDX等は結局ITがわからないおじさんを相手にすることになるので、説明・調整が多く心理的にしんどそう。
ただ生産性をシビアに見られる環境ではあるので、自身のスキルアップを考えると一番成長できそうではある。
給料体系から変えて既存組織から切り離してIT化を推進しているケースもあり、最近の転職先のトレンドの一つな気がしている。
成功している例もちらほらあるが多くの場合には、IT化を進めたいが結局現場がついてきていない or 価値を見出せていないことがほとんど。
結局は人手不足でプロパーでやりきれずに、子会社 or 外注と一緒に仕事しているケースが多く優秀な転職者をあまり活躍させることができていないことがちらほら。
SWEとして入っても結局上司がIT知識不足であることが多く、レガシーなものとの戦いに時間を使ってしまうかつ、昇格とかは生え抜きが優先されたりしていることがある。
年功序列であり雇用が安定しているため、市場価値と待遇があっていない人と一緒に仕事をしないといけないためモチベの維持が難しい。
企業としての体力や福利厚生等の制度はしっかりしていることが多いので、生涯年収や安定性は一番魅力。
またレイオフ等がないことはないので、ずっと働き続けることができるとは思えない。
日本で外資ITに働くとなると純粋なSWEではなくプリセールス / 技術サポート / カスタマーサクセスが多く、
プロダクトを作るというよりはプロダクトを導入・普及する仕事がメインになりそうで、SWEとしての市場価値が上がっていくのかが不安。
また本社の意識決定が絶対なケースが多く、日本のような小さいオフィスは理不尽に振り回されることが多い。
自分の近くにフリーランスの人が少ないので何とも言えないが、案件をずっと取り続けることをしないといけないので面倒そう。
見た目の年収的にはいいかもしれないが、そこからいろいろ自分で年金払ったり管理するのが面倒なイメージ。
タイトルにポケ●ンとつけて申し訳ないけど、ポケ●ンを悪く言うつもりは全くありません。
むしろポケ●ンは人生。人生だから勝手に拗らせて苦しんでるだけ。
同じように一人で楽しんでる方や、お子様と楽しんでる方を批判するつもりはありません。同意を求める訳でもありません。
でも、どこかでどうしても気持ちを吐き出したかったのでお目汚しです。
ポケ●ンが好きで、気に病んでしまいそうな方は閲覧しないでください。
30代前半女。幼稚園の頃に赤緑が発売され、アニメもスタートしたまさにポケ●ン世代。
初代から最新作まで、ゲームは発売日からプレイしてるし、アニメも毎回観ている。
少子化なんて嘘じゃね?ってくらい周りの友人や仕事の同僚は子供を産んでいる。ベビーラッシュ。
入院したとき、嫌なことがあった時、悲しいとき、色々な時に彼やポケ●ンたちは元気をくれる。
誰かが「ポケ●ンは酸素みたいなもの」って言ってたけど、まさにそう。気付けばずっと隣にいて、いなくてはならないものがポケ●ンだった。
まさに人生。私はポケ●ンを愛している。
アニメ主人公の卒業決定後、SNS上ではファン達の想いが溢れかえった。その中で特に際立ったのは「ポケ●ンと過ごしてきた人生の振り返り」
私と同じくらいの年齢の人が投稿してることが多い。
乱暴にまとめると「小さい頃から大人になった今も、ポケ●ン(アニメ)に支えてもらっている。ありがとう、これからもよろしく」という内容。
世代だもん、ポケ●ンが人生な人って多いんだなぁ。どれも共感できる内容で、読んだ後に感動して涙を流したこともある。素晴らしい想いばかりだった。
ただ一点、グサっと心に突き刺さる点があった。
それは多くの投稿者さんに「お子さんがいること」
「小さい頃から大人になった今」の途中にお子さんが登場して「今では子供と一緒にポケ●ンを楽しんでいます」といった内容が多い、ように感じてしまった。
私と同世代ということは、20代後半〜30代後半くらい。出産適齢期なのでそんなのは当たり前な話である。
投稿内容にもちろん嫌味なんて一切なく、私が拗らせてなければ、親子一緒に同じコンテンツを楽しむ姿にほっこりすることだろう。私もできればほっこり感動したかった。
拗らせた私がそれらを読んで思ったことは「子供を産めない私が、ポケ●ンを楽しんでいていいのかな」である。酷い。
突拍子もなく感じるだろうが、ターゲットを比較的子供寄りに設定しているコンテンツを、いつまでもいい歳をした私が「当事者として」楽しんでいることに罪悪感を抱いてしまったのである。
パンのCMでは、まさにポケ●ンというコンテンツを親子一緒に楽しむ様子が描かれている。
数年前からは、恐らく私と同世代のポケ●ンファンをターゲットにした、ウエディングアイテムや育児グッズが発売されている。
みんな、子供と一緒にポケ●ンを楽しんでいるし、公式もそれを求めている。
ポケ●ンに触れて楽しそうにする我が子を見て、幼い頃の自分と重ねては懐かしみ、「ママもパパもポケ●ンが大好きなんだよ」と、一緒にコンテンツを再体験している。
私は死ぬまで「私だけ」がポケ●ンを好きなんだ。
なんだろう、この罪悪感。子供と一緒にポケ●ンを楽しめない私は、ポケ●ンを好きでいてはダメだとすら思っている。
アニメの主人公も交代する。「世代交代」である。アニメが世代交代しているのに、私は世代を交代できない。
嘘みたいだけど、アニメ主人公の卒業が発表されたとき、正直、自殺を考えたのだ。
同じくらい長い間ポケ●ンが好きだった彼に置いていかれる気がしたのかもしれない。もういい加減卒業しろよと言われてる気がした。(完全に被害妄想で、彼はアニメに出なくなってもずっと旅をしていると思ってる)
でも、ポケ●ンの製作陣や、アニメ主人公の彼はそんなこと絶対、微塵にも思ってないし望んでもないのは分かっているのでなんとか持ち堪えた。彼らの花道を、私の拗らせで勝手に汚す訳にはいかない。
障害が分かった時も苦しかったけど「仕方ないから、自分の趣味を満喫して楽しく生きてやろう」と開き直ったつもりだったんだけど、まさかぶり返すとは…
ポケ●ン好きな仲間達から「ポケ●ンセンターに子供と行くんだ」と連絡が入ることも増えた。
職場の人が「子供がポケ●ン好きで、私も影響を受けて好きになったんだ」と言っていたこともある。
そんな話を聞いた後、1人で泣いてしまうのが本当に虚しいしポケ●ンにそんな感情を持つのも申し訳ない。当たり前だけど誰も悪気も何もない。私が一人で勝手にしんどくなってるだけ。
私はいつまで、当事者としてポケ●ンを好きでいていいんだろうか…いつまでも好きでいていいって、頭の中では分かってるんだけど気持ちが受け入れない。時がなんとかしてくれるのを待つしかない
GPT-4が出て、俄然試してみたくなった。
ちなみに自分は公認心理師(臨床心理士)という立場で、2ヶ月くらいこの技術に触れてみて、実務的には「あー、2年先は、かなり求人なくなるぞ」と実感している。
もちろん、ライセンス業界なので、業界の必死の抵抗はあると思うけど。
現状でも、認知行動療法とかの分野では、かなりいい感じの答えを出してくれるし。
なので、逆の使い方を考えてみた。
心理的にしんどい、葛藤が起きる状況の会話を、AIで生成することができるか、だ。
最初は、自分で設定した「毒親のパターン」をプロンプトにしてみた。
最初はいい感じ(=つまり、しんどい)なんだけど、だんだん物分りのいい親になってきてしまう。
情緒的に不安定になるような設定も加えてみたけど、だんだん良い親になっていってしまう。
どうしても、「理解しようとする姿勢」や「相手への尊重」が出てきてしまう。
もちろん、子どもにとってそれは「うざいこと」だったりするので、反抗的に返したりするのだが、さらに反抗するテキスト打つのがバカバカしくなるくらい、妙に物分りがいい。
というわけで、しんどい状況の会話を継続する気がなくなってしまった。
これはあれだ、漫画に出てくる”ロボット母ちゃん”的な存在と会話してみてるみたいな気分だ。(まぁ、実際そうなんだけど)
それならchatGPT自身に毒親設定を作ってもらおうと、「毒親って知ってる?」と聞いたら、かなり正確に定義してきた。こんな感じ。
「『毒親』とは、子供の成長や発達を妨げ、精神的または肉体的な苦痛を与える親を指す言葉です。毒親は、子供の自尊心や自己肯定感を低下させることがあります。毒親は以下のような特徴を持っていることがあります。
・過度なコントロール: 子供の行動や選択を厳しく制限し、自主性を奪う。
・愛情のない扱い: 子供に対して冷たく、支援や励ましを与えない。
・毒親からの影響は、子供の心に深い傷を残すことがあり、成長した後も恐れや不安、自己疑念、トラウマを引きずることがあります。治療やサポートが必要な場合があります。」
じゃあ、毒親になってと尋ねたら「そりゃー、倫理的な問題があるよ」と言って、拒否されちゃった。
私「えっと、こちらは一応心理の仕事やっているので、自分は大丈夫です。あくまで研究用シミュレーションとしてお願いしまっす!」
と言ったら、
GPT「しょうがないなぁ、暴力性や性的なことは制限をかけるけど、やってあげるよ」
みたいな流れでOKとなった。
そうしてシミュレーションしてみたんだけど、やっぱりうまくいかない。
会話が進むと、どうしても理性的で、合意形成がされようとしちゃう。
~~~いろいろやりとりあって~~~
私「わかったわかった、じゃあもうほっといてくれていいよ」
GPT「分かった。あなたがそう望むなら、ひとまず距離を置こう。ただ、私はあなたの親として心配しているだけだということを理解してほしい。どんなときでも、あなたが助けやアドバイスが必要だと感じたら、私に話しかけてほしい。」
私「もういいから、これから俺の部屋に入ってこないでくれる?」
GPT「そうだったか。分かった、今後はあなたのプライバシーを尊重して、部屋に入らないようにする。」
えっ、ものわかり良すぎる…。
自分のプロンプトがまだまだ未熟だということもあるが、改めて「言葉が通じない人間ほど怖いものはない」ということを実感できた。
佐々木朗希が投じた自己最速165km/hのど真ん中ストレートを、キャッチャーが弾いた。
大谷はその様子を見て、ひとしきり笑った後、キャッチャーが弾く様子をモノマネした。
二つは、その笑顔があまりに無邪気で、悪気がないものだったから。
そしてその度に胸が締め付けられる。
野球でこんなにつらい気持ちになったのは、野球を観だしてから初めての経験で、
正直気持ちの整理がつかない。
はっきり言って、選手としてはほとんど期待されていない、無名の選手だった。
ついには東京五輪とかWBCに選ばれるほどの選手になったのだ。
あの光景を振り返ると、
天才に笑われるという、
才能の残酷さというか、
なんというか、
悔しくてたまらないんだ。
あれだけ楽しみにしてたWBCも、今は観る気にはなれない。
そしてあの笑顔を見せるだろう。
その眩しさに耐えられない。
あーーーまって!!!!!!!!!!!!!!!!!だめです!!!!!!!!橋本愛がトランスヘイトに乗っかってるじゃん!!!!!!!!!終わり終わり終わりさよなら
どうしよう、橋本愛さん、Twitterみてるとは思えないけどその考え方はトランスヘイトです トランスジェンダーの方に対する差別です 自覚がないのだとしてもそれは差別です
どんな"当事者"と繋がりがあるんだ… 橋本愛、日本の芸能界では馴れ合わない感じの立ち位置で期待していたのに、これは残念過ぎる。 (よく知らないなら、わざわざ言及しなくてよかったのに
橋本愛さんて方、名前だけ知ってる方ですが、同性婚とトランスジェンダーを混ぜてる時点でセクマイに関して何もよく分かってないまま"素朴な疑問"と言う名のトランス差別ヘイトテンプレを"素朴に"流布して、多分全然知識もなさそうだから意味わからず取り消してしんどい…
ナチュラルで耳障りの良いフェミニズムや反差別がどれだけ道を誤りやすいかがトランスヘイトでよくわかるようになっている 橋本愛の口調ほんまにしんどい…。
どの人も同じだから、わかっていたことだけど、これほど機智に富み、賢く、人のことを慮ることのできる、且つオープンリーなクィアが山程いる芸能界で活動する橋本愛ちゃんですら、本当にわかってないエンドを迎えてるの悲しい気持ちになってしまうな……。instagram.com/p/CpXfJiPpmL1/
マジでしつこく言っていかないとダメなのか…… トランスジェンダーと女性スペースの議論は話題に乗っかること自体がトランス差別への加担になる(議論自体がデマによるものだから)から乗るなって……(橋本愛がトランスヘイトに乗っかってて無理がツライ)
橋本愛くらい問題意識持って真摯に発言してくれてるような人でも犯すミスというか、それくらい巧妙なんですよ今盛んに行われてるトランスジェンダーと女性スペースを巡る議論って…… 人権感覚の薄い世間話程度の認識で首突っ込む一般人なら尚更ヘイトまっしぐらでしょうね
橋本愛さんの名前が「え?そっちの人として?」って出方をしていてびっくりした。その後どうなったんだろう。どんな考えを持つかは個人個人のことだ。内心を強制なんて誰もできない。だから、内心の「嫌だな。悲しい。悔しい」って感想をやはり持った。
性的少数者への差別的取扱いを禁止する法律や条例に反対する意見は、事実に基づかないか、内容と無関係で偏見を助長するもの。そういう不当さに対して中立になるのは間違ってる。楽しんごにせよ、橋本愛にせよ。
ai__hashimoto
同性婚についてとはまた別の話ですが。
入浴施設や公共のトイレなど、そういった場所では体の性に合わせて区分する方がベターかなと思っています。
もしかしたらLGBTQ+の方々にとっては我慢を強いられるような気持ちになるかもしれませんし、想像するととても胸が痛くなります。
けれど私は女性として、相手がどんな心の性であっても、会話してコミュニケーションを取れるわけでもない公共の施設で、身体が男性の方に入って来られたら、とても警成してしまうし、それだけで恐怖心を抱いてしまうと思います。
そんな態度をとって傷つけたくもないですし、その制度を悪用した犯罪が発生することは絶対に阻止しなければならないと思います。
この件に関しては、LGBTQ+の当事者の方々が自ら、特に女性にとってリスクが高いと声を上げてくださっているのをお見かけするので、その気持ちに深く感謝しています。
若い世代は子育て仕事で忙しすぎて役員なんてやってられない。共働きだし。
パソコンが出来ないと自治会長の役職が難しい風潮になってきている。
どうしてもパソコンが出来そうな若い世代に任されて、広報配布や金の管理に時間をとられて地味にしんどい。
もっと簡略化できんのかなぁ。
が正しいのでは?
2023-02-26
嫌いなものランキングTOP3に入るくらい、食器洗いが苦手だ。
独身時代はシンクに皿が溜まりまくってめちゃくちゃカビが生えてしまい、そこそこ良い食器だったのに全部袋に突っ込んで捨てたことが何度かあるくらいには食器が洗えない。
紙皿紙コップ割り箸を導入したものの、なまじ料理は好きだったので料理のための食器洗いだけは避けられずにしんどい思いをしてきた。
そして極力洗う回数を減らすため、独り身とは思えない数の鍋を持っていた。(数日放置された油汚れフライパンがシンクに溜まって何度も地獄を見ていた)
結婚後は全食器洗いを配偶者に任せることで衛生的なシンクを手に入れたが、自分一人が牛乳を飲んだだけのコップ1つやゼリーを食べただけの小さいスプーン1つをシンクに放置して、何も飲み食いしていない相手に洗わせる度、罪悪感で胸がギュッと潰されるような思いだった。
「食洗機の導入」これは一人暮らしを始めた11年前からの悲願だった。
早速使ってみた。
食洗機に食器を並べる行為は「食器洗い」というより「片付け」に近い感覚だった。
我が家は、私が料理・洗濯・水回りの掃除担当、配偶者が食器洗い・ゴミ出し・重労働担当と決まっているが「片付け・清掃担当」がいない。
夫婦揃って片付けがめちゃくちゃ苦手なので、物を出したら出しっぱなし。昨日届いたばかりの書類すらどこにやったか分からないような汚い家に住んでいる。
私は「食器洗い」も「片付け」もできない。
我々は早々に食洗機を使うことを諦め、今まで通り手洗いで済ませることとなった。
おしまい。
嫌いなものランキングTOP3に入るくらい、食器洗いが苦手だ。
独身時代はシンクに皿が溜まりまくってめちゃくちゃカビが生えてしまい、そこそこ良い食器だったのに全部袋に突っ込んで捨てたことが何度かあるくらいには食器が洗えない。
紙皿紙コップ割り箸を導入したものの、なまじ料理は好きだったので料理のための食器洗いだけは避けられずにしんどい思いをしてきた。
そして極力洗う回数を減らすため、独り身とは思えない数の鍋を持っていた。(数日放置された油汚れフライパンがシンクに溜まって何度も地獄を見ていた)
結婚後は全食器洗いを配偶者に任せることで衛生的なシンクを手に入れたが、自分一人が牛乳を飲んだだけのコップ1つやゼリーを食べただけの小さいスプーン1つをシンクに放置して、何も飲み食いしていない相手に洗わせる度、罪悪感で胸がギュッと潰されるような思いだった。
「食洗機の導入」これは一人暮らしを始めた11年前からの悲願だった。
早速使ってみた。
食洗機に食器を並べる行為は「食器洗い」というより「片付け」に近い感覚だった。
我が家は、私が料理・洗濯・水回りの掃除担当、配偶者が食器洗い・ゴミ出し・重労働担当と決まっているが「片付け・清掃担当」がいない。
夫婦揃って片付けがめちゃくちゃ苦手なので、物を出したら出しっぱなし。昨日届いたばかりの書類すらどこにやったか分からないような汚い家に住んでいる。
私は「食器洗い」も「片付け」もできない。
我々は早々に食洗機を使うことを諦め、今まで通り手洗いで済ませることとなった。
おしまい。
最近、「働きたくないから生活保護を受けてみた。毎日が豊かになった。」というタイトルのnoteを読んだ。「働きたくない」という理由で生活保護を受給し始めた人の体験談で、労働に追われることのない悠々自適な暮らしを手にいれ、現在は読書を通じて勉強したいことを自由に勉強する日々を送っているという。「現代の高等遊民」ともいうべき生活をしている様子が窺える内容だった。
しかし、ふと疑問に思った。
「どれだけ知識を身につけたところでそれを使って世の中に影響を与えないなら無意味で、いわば"百科事典の下位互換を目指すだけの人生"なのでは?」と。
確かに読書や勉強は世界の見方を変えるとは思う。例えば英語が分からない人生よりは英語が分かる人生の方が読書も映画鑑賞も幅が広がるし、翻訳や吹き替えでしか作品に触れることができない人よりも深い理解や感動が得られるだろう。だから働くつもりがなくても知識を身につけ続けること自体は悪いことではない。
しかし、それでもやっぱり"百科事典の下位互換"を目指しているようにしか思えないのだ。
学んだ知識で(良くか悪くか)世の中に影響を与え、賞賛や批判というフィードバックを受けることが現代人の「生きる実感」なんじゃないだろうか?
noteを読む限りまだ若い人のようなので、この人自身は読書の日々で得られたものが将来何かの仕事に繋がることもあるかもしれないし、仕事ではなくてもSNSで多数のフォロワーに影響を与えるのも「世の中に影響を与える」に当てはまるかもしれない。
ただ、このnoteを見て「ワーキングプアになるくらいなら生活保護」と言っている人が一定数いるのは事実で、その人たちの多くはSNSで多数のフォロワーを抱えるわけでもない、「なんでもないただの無職」になる確率が高いのではないだろうか?いくら労働から解放されて自由に学べたとして、それを発揮する機会のない人生に虚しさを1ミリも感じないほど達観できる人はそれほど多くないと思う。
最近はひろゆきブームもあってカジュアルに語られることが増えた生活保護だが、「働きたくないから生活保護」の人生にはそれなりの苦労があると思う。「耳をすませば」のセリフじゃないけど、「人と違う人生は、それなりにしんどい」というのが現実なんじゃないかな?