はてなキーワード: なりたけとは
https://anond.hatelabo.jp/20180626123908
クソが。
これが最後通牒だ。
「hagexはイジリを洗練させて、相手を追い詰めながら自分はダメージを受けない手法に長けていった」 だぁ?
当たり前だろ! 『適切な反論批判』なら必然的にそうなるだろ!
Hagex氏は少なくない人が感じている不快感や悪徳を[素早く適切に言語化]していただけだ。
ここはネットだ!
Hagex氏が[イジって]いた一例の
イケハヤは懸命に東京で生きる人を侮辱しているし、はあちゅう は童貞その他諸々を侮辱している。
奴らは『自らの意思でネット上に自身の意見を公開してる』し、そこに『無自覚な悪意悪徳を孕んでいる』から燃えるんだ。
これのどこがどう『イジメ』なんだ!
コンビニの冷蔵庫に入ったり、おでんツンツンした上に自ら公開するバカも炎上する。これもイジメじゃない。
じゃあ、イケハヤや はあちゅうの『自ら公開しているが、無自覚で[見えにくい]悪意』を
『整理して見やすく解説する』Hagex氏の どこがどう『イジメ』なんだ?
そう、『無自覚で[見えにくい]悪意』こそ【イジメ】の源泉なんだよ…。
これを減らせなきゃ[お前]や[私]は、ネットだろうがリアルだろうが、よりマシに生きられない。
仲間を集めるのが不得意で、居場所が小さい[お前]や[私]にとって
【正確で、かつ善を満たした正しい批判】こそが、効力は弱くても しかし確実にイジメに対抗できる数少ない武器なんだ!
[お前]がそれを諦めるなり捨てるのは仕方がない。
しかし、[お前]が【イケハヤや はあちゅう】の側に立つのなら
クソ
[私]は[お前]も討ち滅ぼさなければならない……。
「世界中にアクセス出来るということは、世界中が敵に回る可能性がある。」「殺される覚悟がある奴だけが殺しても良い。」
「批判される覚悟がある奴だけが批判して良い。」 と、思った事を覚えている。
今も変わらん。
しかし、今回の件で実社会で刺されるリスクを理解したよ……。ネットでのスタンスと戦略は変える。
一応、補足しとくが。
私は【イケハヤや はあちゅう】が絶対悪だとも根源悪だとも思っていない。
誰だって同じ面は持っている。ただ、放置すると確実に全体にとって悪だし損だと思っているだけだ。
でも、[お前]や[私]では奴らと同等の『得』を生み出せない。それが出来ない性分だからイジメられる側になってた訳だ。
私はHagex氏がやってた様に[全員が全員に対し正しく批判する社会]の方が全体に対し善だし得だと[盲信]してるが、
ただ、それって全員が常に痛いって事だし、今回の様に刺されたりもする。
成る程。誰か一人を生贄にするイジメが如何に楽か よく分かる。
だからこそ『ネットの相互批判の中で悪が磨り潰される事』と、イジメは全くの別物だ。
イケハヤと はあちゅう 例示の為に本文中で悪魔化したのは悪かった。
プログラミングってこれからの時代必要っぽいし、なんとなくイケてるスキルっぽい。
ゲームとかアプリとか作ってストアで公開とかしたら就職とか転職にめっちゃ有利じゃね?
俺はこういうのが出発点で良いと思う。
でもプログラミングを始めようとすると「何がやりたいの?」と聞かれてソッコー詰まる。
俺は「何をやればいいの?」って思って調べてるつもりなのに「何がやりたいの?」って突き放される。
ここで混乱して立ち止まってしまう。
でも一呼吸おいて、初心者とそれ以外の間に生じる認識の祖語について1つずつ解消しなければ先に進めない。
俺はプログラミングを覚えるということは、何でもできるようになることだと思っている。
でも先人たちはそのようなスキルをすぐに教えてくれない。それどころか「何をやりたいの?」と言って、他につぶしの利かない小さな範囲の知識を与えようとしているように見える。
「アプリ作りたい」と言えば、どんなアプリ?という問いが続くし、特定の具体的なアプリしか作れないような知識しかもらえないだろう。
どういうことか?
試しに「何でも作れるようになりたい」と言ってみると「じゃあC言語やろうぜ」とか言われる。
C?いまさらCで何作れるんだよ。AndoroidアプリはJavaじゃないの?C関係ないでしょ!?Cでスマホアプリもウェブサイトも作れないじゃん!何言ってんの!?
ち・が・う!何でも作れるようになりたいの!あんたみたいに!Visual Studioだろうとgccだろうと、cとかc++とかc#とかjavaとかpythonとかrubyとかphpとかテンサーフローとかhtmlとかjavascriptとかjqueryとかgoとか駆使してたくさんウェブサービスとかアプリとか作りまくってるあんたみたいに!
「じゃあ今挙げたやつ全部やれよ。ちなみに今の俺は10年以上プログラミング勉強してるから。10年後今の俺になったところで、俺はさらに10年積んでるからな。一生追い付かんな」
「じゃあ今、あるいはこれから使えるものを重点的にやっていくしかないな。で、何がやりたいの?」
何がやりたいのってどういうこと?むしろ何ができるの?
「アプリ作るとか」
「どんなアプリ作るの?」
…………どんなアプリ作れるの?
「ストアにあるようなやつ」
じゃあFGOみたいな……
「お前には無理だからw」
はぁっ!?ストアにあるようなやつって言ったじゃん!
そこでまた数回やりとりが発生して、プログラムを書くコストとかスキルの問題について再確認することとなり、
現実的に俺個人が支払えるコストの範囲で、何を作れるようなスキルを取捨選択するかという問題になり、
結局は教科書のサンプルをちまちま作っていくしかないのではないかというつまらない結論が脳裏に浮かぶし、
その道筋でさえ結局何年も積む必要があり、そのころには別の言語とか開発環境が主流になってるかも……
「そこだよそこ」
えっ?
「まずさ、日本語の教科書を読むには日本語が必要じゃん?それでも国語辞典とかwikipedia調べながら知らない単語や概念は別途補てんする必要がある」
う、うん。
「プログラミングの教科書とか風潮を読むにはプログラミングの基礎が必要。それに加えて、作りたいものに合わせて新規に開発環境なり言語なりを学習することになる。だから何でも作れるようになりたけりゃ、この世の全てを体得する必要があるけど無理だろそんなの」
え、えー
「でもいくつもの開発環境、言語を使って、ソフトウェアをいくつも実際に作ってると、基礎的な引き出しは大きくなるし、追加で新しい環境とかを学習する要領もつかめてくる。何年も積み重ねがあるとなおさらね。するとより少ない労力で新しい技術に追従できるし、新しい開発環境やアプリの分野でもサクサク作ってるように見える。それが、お前の言うところの『何でも作れる』ように見えるものの正体さ」
なんか夢から覚めた気分。
「FGOを作りたいなら、FGOをかみ砕いて、自分ならどういうアレンジでそれっぽいものを作れるか考えて、その過程で自分の能力とか限界を見極めていく必要がある。でもそれは結果論であって、最初は作りたいものをひたすら作ってみるしかない」
ふーん
「何度も聞くけど、何が作りたいの?FGOならFGOでいいよ。やってみろよ」
どうしよっかな……(頭を抱える)
私を好きになってくれるおんなのこと私が好きになるおんなのこは違う。
好きになってくれるのは、いわゆる美容垢みたいな子。おんなのこ同士だけの話を色々してくれる。私に対してたくさん質問してくれる。でも、正直つまらない。
痩せたければ食べなきゃいいし、白くなりたければ日焼け止めを塗ればいい。顔は元の顔立ちを生かすのが一番だと思う。メンヘラっぽい子も多くて少しだけ疲れる。
好きになるのは、ちょっと内気でオタク気質の子。でも元々のエネルギーが少ないのか、エネルギーの大半を趣味に費やしてるのか、なかなか遊んでくれない。誘うのは絶対私からだし、時々体調不良で延期になったりする。
男性とのお付き合いよりおんなのことの関係の方がよっぽど難しい。私が好きになったおんなのこが私を好きになってくれたらいいのに。
この前,ある偉いお方の偉い話を聞かされた.
その話を要約すると,自分が幸せかは他人と比べて決まるもので,幸せになりたければ自分より不幸な人を見ればいい.
辛いと思ったら,自分より頑張っている人を見ればいいという話だった.
確かに,頑張っている人に目を向けるのはとてもいいことだと思う.そこに異論はない.
しかし,幸せは他人と比べて決まり相対的なものであるということに関しては納得がいかない.
今まで,不幸な人を見て自分が幸せだと感じたことがないからだ.
しかし,自分より不幸な人を見てこれらの欲求が満たされるだろうか?
他人なんて関係なく,好きなだけ寝られれば幸せだし,好きなだけ食べられれば幸福だ.
https://anond.hatelabo.jp/20180217012945
個人攻撃で人を撃ってるんじゃない。自分が問題点に感じたところを撃っているのだから、流れ弾上等。
結果として大学のポストで過剰な印象付けを与えている例として三浦瑠麗批判になっているわけでもあるが(メディア・読者・視聴者の過度な期待が悪いという説もあり)。
業績については「研究者としての実績」に絞ってとりあげた。ただ文系若手研究者増田とは、「研究」の捉え方自体が随分違うようだな。
理系で研究者を名乗るには必ず「まだ誰もやっていない新しいこと」を研究する必要がある。もちろん理系でもレビューや著書を書く人もいるが、それを皆がありがたく読むのはその人が最前線で研究をしていることが前提だ。海外には教育専門の人もいるらしいがそれはまた別の評価軸になる。
理系からの視線として、博論を除けば日本語レビューや啓蒙書しか書いていない三浦瑠麗は「最先端の研究者」とは見られない。DC2は博論として完成を見ているのだろうが、学振PDの研究が論文にならなければその研究費はどうなったのかという話になる(まだ気の早い話かもしれないし、研究には失敗がつきものなのでちゃんと取り組んだ上で成果なしであればそれは責められない)。いずれにせよテレビの研究者枠にはもっと実績積んでバリバリ研究している(あるいは過去にした)人を呼んだらどうかという話にはなる。
最先端の研究をしたならそれは世界に向けて発表すべきだ。発表しないのは論外。研究者の仕事は個人修養ではない。理系では一部の例外分野を除き発表のための言語が統一されていてそれは英語になる。中東研究ではフランス語も標準になっているというならそれもいいだろう。もちろん国文学や日本史、日本の法学では日本語が標準だろうから日本語論文だけで構わないし、海外の研究者が日本語で論文を書くべきだ。
国際政治学で日本語でもレベルが高い研究はあるという反論の何が駄目かというとそれが国際的な研究分野であろうと考えられるのに世界から読まれない点。読まれないのであれば例えばアメリカの学者に全く同じアイディアで研究されてそれを新規の研究として英語発表されても責められない。日本の学者がそれに文句を言ってそれが認められる力があればいいんだがどうもそうは見えない。日本語論文はその「レベルの高さ」に関わらず学問の潮流からすれば全くの無駄になるだろう。辛辣になるがそんな研究には国から研究費を交付すべきではない。
文系増田は日本の研究者の日本語論文が読まれないことの解決策として日本語論文の良さを英語論文内の引用でアピールするという案を提案しているが、理系から見たら不効率極まりない。一つの研究分野に標準言語がいっぱいあったら世界中の学者が言語習得に苦労するだろう。英語圏に勢い負けてることが確定した分野では英語で論文を書け。自分で書けないなら金払ってでも誰かに訳してもらえ。雑誌も国内研究者の交流用じゃなくて世界のトップジャーナルになりたければさっさと丸ごと英語に移行しろ。欧米の学者には必要ない手間に研究費が使われるのは悔しいだろうが、国際的な学問の流れの中で研究した一切合切が無駄になるのと比べればよほどいい。世界から孤立して「日本式国際政治学」や「国際政治学者(日本国内向け)」を名乗るのなら構わんが、それを正直に言わないなら国民を騙していると言われても仕方がない。
https://note.mu/uemasa/n/nb637b273f63f
こういう奥さんもらうと、その後の人生に大きくハンデを背負うことになる。
本当に旦那がかわいそうになる。
このブログの奥さんはどうやら反省をしたようだけど、たぶんそれだけでは足りない。
きちんとしたファイナンシャルリテラシーを最低限身に着ける必要がある。
そう、人生においてファイナンシャルリテラシーがあるとないとでは、その後の生きていく難易度が大きく変わる。
貧困もさけることができる。お金でトラブルを起こすことはなくなる。
勘違いしている人がいるが、ファイナンシャルリテラシーは投資の知識ではない。
お金の教養だ。お金は本来どういうもので、どのように付き合っていくのか?
ここで本当に最低限の知識を書いていく。
自分がどういう人生を歩みたいのか?にもよるが、それによってプランを変えればいいだけだ。
普通でいたいのか?大金持ちになりたいのか?小金持ちになりたいのか?
人それぞれだが、ファイナンシャルリテラシーはどれにも当てはめることができる。
●知識その1
以上だ。は?誰でも知ってるって?嘘だ。実はリテラシーがない人はこれが本当にわかっていないのだ。
お金持ちになりたければ、収入をできるだけ多く上げ。支出をできるだけ小さくすればいい。
だがコントロールしやすいのは収入よりも断然に「支出」なのだ。
これもわかっていない人が本当に多い。
●知識その2
「支出」をすべて把握する
キャッシュフローがマイナスになる人は、支出を管理できていない。
逆に支出を管理できない人がクレジットカードを持ってはいけないのだ。
前述のブログの奥さんは支出を管理できていなかった。にもかかわらずカードを使った。
●知識その3
ほとんどの人が勘違いをしている。支出を管理することは節約することではない。
「いつどこでだれが何にいくら使ったのか?」を把握することなのだ。
これがわかってないからいつの間にかお金が無くなっていることになる。
節約をするのはその後だ。
●知識その4
1円単位で細かく考え出すと、途端にストレスになるものなのだ。
1円でも収支が合わないとイラっと来るだろ?だから、1円単位で管理してはいけないのだ。
マイナスなのか?がわかればいいのだ。ピッタリ合わせる必要があるのは、会社の財務部だけにしておこう。
●知識その5
財布に入れたら、You can Stopだ。普通口座に入れたら、You can Stopだ。
だから、貯蓄を財布に入れてはいけないし、通常の給与振り込み口座に入れてもいけない。
本当にこれだけのことが、できない人が本当にたくさんいる。
●知識その6
複利を知れ。
複利年間5%で運用した100万円が10年後にどうなるかを。(約155万円だ)
リスクをとれるようになれば、この複利が大きな味方になってくれる。
●番外その1
貧困から抜け出したいなら3年、クソほど頑張ってまず収入を爆上げしろ。
職がないならバイトでもいい。3年死ぬ気でかけ持つなりなんなりで
できるだけ多くの収入を手に入れろ。上記の知識があれば、しっかり貯蓄できるはずだ。
その後、貯めたお金でビジネスをするでもいい。職業訓練をして正社員を目指してもいい。
だが、体が健康なら、ファイナンシャルリテラシーと一時的にストレッチをすることで、抜け出すことは可能だ。
●番外その2
結婚していて財布別にしてるなら今すぐやめろ。お金を貯めたいならな。
お互いのへそくり口座はあるだろうが、それ以外はともに詳らかにし、
なるべく早くどちらか一方ではなく「2人」で一本化して管理すべきだ。
話し合ってルールを決めることができる。
家計を一本化するということは「家計の支出を管理する」ということなのだ。
財布が別々だということはお互いの支出を管理できていない状態なのだ。
以上だ。
本当はこういった知識をきちんと小学校でも教えてくれるようになれば、
といつも思っている。
受験科目というのは、このくらいはできる学生が欲しいという大学からのメッセージと思ってください。入学してからの専門課程に直接関係しない科目を入試で課すということは、大学としてそのくらいはクリアできるような知的に余裕のある学生が欲しいということ、言い換えるとそういったレベルの学生向けにカリキュラムが組まれていることを意味しています。
現実的なアドバイスとしては、古典や漢文を「意味のないタスク」と考えてせっせと暗記するよりは、専門に関係なくてもちょっとしたエンターテインメントとして楽しんでしまう方が受験勉強としてもはるかに効率的です(実際、古典や漢文はそういう楽しめる要素が多々あります)。どうしても古典や漢文を勉強したくないのであれば、入試科目にそれらが含まれないような大学を選べばいいだけの話です。弁護士になりたければ東大以外にも選択肢はあります。
だってさ、仮に俺が
わたモテのもこっちが好きですよ、ラブプラスの小早川凛子が好きですよ、ミルキィホームズの譲崎ネロが好きですよ、
Aチャンネルのトオルが好きですよ、生徒会役員共の萩村スズが好きですよ、魔法少女まどか☆マギカの佐倉杏子が好きですよ
って言ったらさ、聴き手サイドは、ああこいつは
わたモテのもこっちになりたいんだな、ラブプラスの小早川凛子になりたいんだな、ミルキィホームズの譲崎ネロになりたいんだな、
Aチャンネルのトオルがになりたいんだな、生徒会役員共の萩村スズになりたいんだな、魔法少女まどか☆マギカの佐倉杏子になりたいんだな
そう思う、それが筋、それが自然の摂理って話じゃないのか??
自分は自分がなりたい自分になりたくて、自分が好きなのは自分がなりたい自分になった自分で、それは自分ではないんだけど自分なんだ、
そういう話ではなかったか??
#####追記
全部返信するわ
全部優しい感じのコメントです
>>“わたモテのもこっちが好きですよ(略)って言ったらさ、聴き手サイドは、ああこいつはわたモテのもこっちになりたいんだな” 作中カプ尊重派なので、なりたいものがあるなら、うっちーになりたいのかな? と思う。
うっちーをキャラクターとして愛でる人は多い印象だが、うっちーになりたいってのはかなりユニークな性癖だという印象だな。素晴らしい。
>>愉悦部視点で不幸キャラを鑑賞するのが好きな人は、自分がどん底の危機に陥っても、それすらも愉悦として楽しみそうな雰囲気がある。
>>漫画おいでよどうぶつの森で、リセットさんが「ヒロインちゃんが好きすぎてヒロインちゃんになりたくなってきたでー!」とコスプレをして「愛情が歪みはじめた」とドン引きされる回
それは深いな。俺は妹持ちなんだが、妹が幼い頃「お兄ちゃんになりたい」って言ってたわ。
>>なりたいキャラもいればなりたくないキャラもいるな。加えて言えばなりたいキャラでも生き方とか性格とか見た目とか境遇とか、なりたい部分が細分化される。見た目や生き方は憧れるけど境遇は同じ道歩みたくないとか
それは俺にはなかった視点だな。なるほどなって思ったわ。俺はまずなりたい/なりたくないがあって、なりたければ全肯定ってスタンスかな。
>>なりたいかどうかで言えば宗像教授みたいなおっさんになりたい
申し訳ないことに知らなかったが、調べてみたらなかなかこれはなりたい度が高いな。
南方熊楠がモデルなのか。たしかにそういう存在への憧れは俺にもある。
>>“自分は自分がなりたい自分になりたくて、自分が好きなのは自分がなりたい自分になった自分で、それは自分ではないんだけど自分なんだ” ところでトッポってしっとりしてて美味しいよな
頑張って書いたのに!???
>>「好き」の形は多様だよ。同化願望の強い人なら「好き」と「なりたい」がイコールでもなんらおかしくないし、逆に自分がなりたいなんて畏れ多いって人も、好きなものを独占するために破壊したい人だっているだろう。
ああいや、「好き」の多様性を否定するつもりは全く無かったんだ。
ただ自分の「バイアス」に気づいて驚いたというか、そういう感じの話かな。
>>「好きな食べ物」とかの質問はどう受け止めてたの?
これは半分本気なんだが、食べ物にせよなんにせよ「なりたい」のカケラはあると思うわ。
食べ物ではなくて恐縮だが、俺は小さい頃ボンドに対するカネスチックのポジションに憧れていた。
まず享楽的な匂いがいいし、接着力は強力だが長持ちしない感じにゾクゾクする。
透明なのもいいんだよな。儚い感じで。
俺はそうなりたいと思っていたのかな。
>>今期では魔法使いの嫁のエリアス様が好きだけれど、別に彼の立場になりたいわけじゃなく理想の主人として欲しいわけで。なろうの奴隷少女モノって何割かは読者に秘密でこのメソッドで書かれている気がする。
これは大変有益な知見だな。
俺は恥ずかしながらなろう小説はよく知らないんだが、
むかしエロゲーマーが俺は主人公ではなく(白痴的な)ヒロインに感情移入してるんだ!
ってなことを言っていたが、そういう感じなのだろうか??
あ? 私小説? どうせ、実生活で体験の幅が狭い作家が、どうでもいい身辺雑記を延々と書いた文学のことだろ? くっだらねぇ。
というふうに自分は思っていた。
で、私小説をいくつか読んでみた。
食わず嫌いの先入見は、まちがいだった。
なにが面白いか。
私小説は、主人公が馬鹿で、下衆で、これでもか、これでもかというほどに生活がどんどん下降していくさまが、ある種爽快なほど露悪的に書いてあること、
そしてこれが事実であるかもしれないという期待を読者に抱かせながら、虚実入り混ぜて物語が展開されること、
ではないかと思う。
主人公が失業して貧困に陥ったり、男女関係で泥沼にはまったり、酔っ払って人に迷惑をかけ、誰からも相手にされなくなっていくごとに、読んでいる側としては、変なカタルシスを感じてしまうというか。
で、ネット上で有名になって、お金も欲しいという人は、もっと私小説的な文章を発表してけばいいと思う。
ネット上で炎上してきた(している)話題は、当事者を主人公にして、私小説仕立てにしてみると、もっと面白くなりそうなものばかりだ。
ネット上の有名人が、ネット以外でブレイクすることを妨げているのは、彼ら(彼女ら)が、小賢しいことだ。
小賢しいとは、自分の失敗や品性の低さを指摘されると、取り繕ったり、反論したりして、自分を分相応以上に賢く見せようとするということだ。
こうすることにより、彼ら(彼女ら)は、いっそう小者に見えてしまう。
コンテンツとして自分の価値を最大化したければ、大正、昭和の私小説作家のように、あるいは現代の西村賢太のように、卑小さを卑小さのままに、破綻を破綻のままに描き出し、そのことから生じる業を生きるほうが、じつは戦略としては賢いかもしれないのだ。
サッパリ自著は売れないながらも、昨年の彼の税務署への申告額は、小説関連の収入と、作家の肩書あっての各種アルバイトで、それでもx千x百万円になっていた。汚ねえ身なりをしているからと云って、そう容易く浮浪者を見る目で眺めて欲しくはないのである
これをフィクションと受け取るかどうかは、読者次第だろう。
炎上芸人は炎上芸人のままで終わる必要はない。もっとコンテンツとしてのポテンシャルがある。金銭的に報われる可能性がある。自分の人生をコンテンツとし続けることの業を生き続けるだけの覚悟があれば。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000984/card3212.html
「近所の借金がうるさくて仕様が無いので、どこかに行つて書いて来るつもりだ。……大洗の方へでも行かうと思ふ」と言い残して主人公は東京を出て茨城に行き、知人のつてを頼って旅館に逗留するが、そもそも宿代を持ってきていない。知人が何とか融通してくれるだろうと最初から当て込みながら、居座る。
知人は当然のことながら激昂し、旅館からは宿代をつけにしたまま追い出される。
有り金がないまま次々と宿を変えながら茨城をさまよう話なのだが、最初はちゃんとした旅館だったのに、しだいに宿のグレードが下がっていって、最後はドヤ街の宿のような木賃宿で弟の送金を待ちながら、身につけたものをどんどん質に入れて裸になっていくところが笑える。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000249/card49655.html
馬鹿で不細工で貧乏であることに強い劣等感を持っている主人公の中学時代を描いた作品。恥ずかしい過去を思い出して悶絶するときのシーンはとくに秀逸。
「あツ、あツ」と、私は奇妙な叫び声を発して下腹を抑へた。両手の十本の指を宙に拡げて机の前で暴れ騒いだ。
「何を気狂ひの真似をなさるんです。えイ、そんな気狂ひの真似する人わたし大嫌ひ」
私淑していた葛西善藏の気狂いっぷりを書いた『足相撲』もあわせて読みたい。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000249/card1337.html
ミハイル・バフチンがカーニバル文学と読んだドストエフスキーの作品のように、これ以上ないほど気まずく不謹慎な破綻の場面を職人的な巧みさで書ききるようになった著者の近年の作品はすべて必読。
最初はフォロワー数の多い人気ユーザーを後追いフォローしていたのでウンウンこの人の呟き面白いもんね、と思って共通の話題が増え嬉しいくらいだった。
気になり出したのは、私が趣味を通じてフォローフォロワー1桁代の人と相互になっても後追いフォロワーしてきてから。
1人だけならまだしも、複数回(複数人)の相互を後追いフォローするので怖くなった。
鍵のついているアカウントにも申請する(相互は増田の友人だからと許可する)。
定期的に私のフォロワー欄をチェックしていると思う。
友人は
ただ、本当に仲良くなりたければリプライをしたり共通の話題を作ったりすればいいのに、そういったことはしない。
たまに友人と相互でリプライをする機会が発生してもほとんど一度きりで終わって、そこから仲が進展することはない。
私抜きで仲良くすればいいのに。
私も気になって、相互のフォロワー数が増えているとついチェックしてしまい、そこに友人がいると哀しくなる。
友人にやめてよ、と言いたいが関係ないと言われればそれまでだ。
こんな風に書くと友人は私のファンなのかと思うけど、監視に近いと思う。
なぜ友人を続けているのかと言えば、好きなところはあるし、直接何かされたわけではないから。
1円ライターから見た、キュレーションサイト「炎上」の現場
http://magazine-k.jp/2016/12/08/writing-for-curation-media/
1円ライターの記事を読んでいて、ライターという職業への根本的な勘違いがあるな、と思いました。そして、その勘違いがキュレーションサイトを支える土台になっているな、とも。
件の記事の方は「筆力」があるから自分は高級ライターになれるんだ、と書いていましたが、これが勘違いなんですね。ライターに「筆力」は関係ありません。そもそもライターの仕事で、書くことは全体の工程の一割ほどしかありません。そのほかの9割は調べものをしたり、人に話を聞いたり、関係者の調整をしたりです。書くことは最後の最後だけです。
ライター志望の人が使いものにならない、という場合、書く以外のことが苦手な場合なケースが多いです。そして、キュレーションサイトを支えているのはそういう人なんじゃないか、と思いました。
取材ができない、そもそもしたことない、けれど、書くことに携わりたい。残念ながら、ライター業界にそういう仕事はありません。1から10まで書くことだけで完結する仕事は存在しません。そういうのは知名度も人気もある半分タレントのエッセイストがやることですね。素人がそういう仕事に就けることは100%ありません(夢見る人がいないように断言します)。
そもそも内職じゃできない仕事なんですね、ライターは。でも、そういうイメージを持つ人がいて、エッセイストみたいなことができるんじゃないか、とキュレーションサイトに応募してくるのでしょう。
そして、そういう人がいつかエッセイストになれると夢見て薄給でコキ使われています。でも、そういう人がいくらキュレーション記事を書いても、エッセイストの仕事は来ませんよ。ああいうのは一芸に秀でた人が余技でやるものなので。同時に普通のライターの仕事もきません。取材ができない人に回す仕事はないのです。キュレーションを積み重ねてやってくる仕事は、キュレーション仕事でしょうね(笑)。だって、キュレーションしかしてないのですから。「書く」という一点に共通項があるだけで、これらはぜんぜん別の仕事で、求められる技能も違います。なのに、地続きであるかのように勘違いしている人がいて、今のキュレーションサイトが成り立っている。
勘違いしている人には私ならこう言います。あなた、ライターになりたければライターになる努力をしなさい、エッセイストになりたければエッセイストになる努力をしなさい。キュレーションをやっていても、キュレーションが上手くなるだけです。ライターにもエッセイストにもなれません。それらは全部違うものです。まずはその違いを見極められるようになりなさい、と。
「書く仕事」っていう言い方は罪なのかもしれませんねぇ……。
http://anond.hatelabo.jp/20160613091056
つってまあ、そんだけ見てりゃピクサーとディズニーの新作追ってりゃいいと思うけれど。
とはいっても2010年代のアメリカのアニメスタジオは群雄割拠。これにストップモーションアニメ勢や日本やフランスの伝統的な2Dアニメ勢が絡んできて大乱闘スマッシュブラザーズだし、中国や韓国の新興スタジオも力を伸ばしつつあるわ。
もしかしたら、今が世界的にみて一番アニメが豊潤な時期なのかももしれない。
そんな混沌としたアニメ勢力図を一スタジオ一作品で把握できる、ステキなリストを元増田にプ・レ・ゼ・ン・トよ♥
1. ドリームワークス:『ヒックとドラゴン』(クリス・サンダース&ディーン・デュボア監督、2010年)
『リロ・アンド・スティッチ』の監督(とスティッチの声)を務めながら、ドリームワークスに移籍したクリス・サンダース。名監督、会心の復活作よ。
人間不信のドラゴンとドラゴン使いの一族のおちこぼれ少年が育む純粋無垢な友情の物語に涙しないものはいないわ。
監督が変わった『2』もDVD/ブルーレイでリリース済み。評価は分かれてるけど、1を楽しめたら是非観てもらいたいわね。
ドリームワークスはディズニー/ピクサーの昔からのライバルよ。
創業者の一人であるカッツェンバーグ氏は元ディズニーの幹部。低迷していたディズニーに『トイ・ストーリー』以前のピクサーと手を結ばせた功労者だったけれど、ディズニーのお家騒動に巻き込まれて会社から追い出されちゃったの。
それだけにディズニーやピクサーに対する恨みは深くて、自分が退社する直前に挙がっていたピクサーの『バグズ・ライフ』の企画をパクって『アンツ』を作ってほぼ同時公開し、ラセターをブチ切れさせた逸話もあるわ。
ディズニーとの最大の違いはその量産ペース。たまにハズレもあるけれども、成功した作品はめざとくシリーズ化して貪欲に稼ぐわ。
『シュレック』、『カンフー・パンダ』、『マダガスカル』がそうね。元増田は『マダガスカル』がお肌に合わなかったみたいだけど、『シュレック』は『カンフー・パンダ』並に観といて損はないわ。『マダガスカル』は作品ごとに評価の波が激しいけれど、この二作のシリーズは一貫して高評価を受けていて安心して観られるわよ。
単発作品では、『ガーディアンズ 伝説の勇者たち』たちなんか玄人好みの作品ね。
2. ワーナー・ブラザーズ:『LEGOムービー』(クリストファー・ミラー&フィル・ロード監督、2014年)
『シュガー・ラッシュ』以降の現代的なウェルメイド作劇に感動した元増田なら、『LEGOムービー』は外せないわ。
チャーミングなテクスチャの質感、とぼけたオフビートなキャラクター、意外に王道な感動ストーリー、アッと言わせる伏線やオマージュネタの数々……
クオリティだけでいえば近年の3Dアニメのなかでもトップクラスと言ってもいいわ。たかがLEGO、とあなどるなかれ。あなたの涙腺をしぼりとる大傑作よ。
WBは元々バックスバニーなどで知られるアニメ業界の最大手。テレビでは「カートゥーン・ネットワーク」を系列に抱えてるわね。けれども映画ではディズニーに遅れをとってきたわ。
散発的に『アイアン・ジャイアント』や『ルーニートゥーンズ:バック・イン・ザ・タイム』といった良作を自前で生み出してきたけれども、基本はポケモンや他社製作のアニメの配給が中心。ようやく自社制作で気合入れだしたのはそれこそ2014年の『LEGOムービー』からよ。
これからは豊富なキャラクターコンテンツを利用して『原始家族フリントストーン』や『宇宙家族ジェットソン』、『スクゥービードゥー』といった作品を映画化するみたい。
ちなみにワーナー傘下にはヴィレッジ・ロードショー・ピクチャーズっていうオーストラリアの映画製作会社があるんだけれど、
そこで『マッドマックス』のジョージ・ミラーにふわふわペンギンヒップホップダンスマッドマックスミュージカル映画『ハッピー・フィート』、
『ウォッチメン』や『300』のザック・スナイダーにふわふわフクロウガチ殺し合い300映画『ガフールの伝説』と、
ヤバい映画の監督に見た目かわいい内容ハーコーな動物3Dアニメをやらせててどれも最高よ!
3. ソニー・ピクチャーズ:『モンスター・ホテル』(ゲンディ・タルタコフスキー監督、2012年)
それまでディズニーの独占市場だったアニメ映画界に風穴を開けた90年代のピクサーと2000年代のドリワの活躍を見て大手映画会社はこう考えたわ。
「3Dアニメは儲かる!」。
ソニー・ピクチャーズ・アニメーションはそうやって便乗的に2006年ごろから作品を継続的に発表しつづけてきて、それなりに稼いではいるけれど、他と比べてあまり元気がないわね。特に日本だとほとんど知られてないんじゃないかしら? アニメ映画界で重要なプレイヤーとは言いがたいわね。
ここは『レゴムービー』の監督のデビュー作である『くもりときどきミートボール』を挙げときたいところだけれど、『レゴムービー』を観たなら薦めなくても観るでしょう?
監督のタルタコフスキーはタルコフスキーのパクリみたいな名前だけど、アニメ業界ではレジェンド級のアニメーターよ。『デクスターズ・ラボ』や『サムライ・ジャック』を作った男、いえばすごさが伝わるかしら。
『モンスター・ホテル』は雇われ仕事で、お世辞にも脚本は最高の出来とは言えないけれど、彼が担当したキャラデザや動きはとても艶やか。特に主人公のドラキュラ娘のキュートさといったら! 3Dアニメが実は2Dアニメと地続きだということがよくわかるわ。
4. イルミネーション・エンターテインメント(ユニバーサル):『怪盗グルーの月泥棒』(ピエール・コフィン&クリス・ルノー監督、2010年)
『怪盗グルー』シリーズの大ヒットで一躍アニメ業界を席巻したのがイルミネーション・スタジオね。
大手のユニバーサルが後ろ盾にいるだけあって、よく広告なんかでも観るんじゃないかしら。「バナナバナナ」と喋る、サスペンダーを来た黄色い丸っこい謎生物のキャラ、あれがイルミネーションが誇る人気マスコット「ミニオン」よ。そのミニオンたちのデビュー作がこの『怪盗グルーの月泥棒』。
偏狭な中年大泥棒がいきなり現れた三姉妹の世話に追われててんやわんやになる、といった筋は『モンスターズ・インク』を思わせるけれど、堅実なアニメーション表現とドギツいスラップスティックさでピクサーとの差別化が成功しているわ。
特にスピンオフである『ミニオンズ』はイルミネーションスタジオの「ヤバさ」が最もよく出ている作品なので、『怪盗グルーの月泥棒』『怪盗グルーのミニオン危機一髪』を観た上で是非ごらんになってほしいわね。
しかし、イルミネーションの本領が発揮されるのは今年からだと言ってもいいわ。
2016年に発表されるオリジナル新タイトル二作品――『ペット』と『Sing』(邦題未定)。このふたつを注視していきたいわね。
5. ブルースカイ・スタジオ(20世紀FOX):『I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE』(スティーブ・マルティーノ監督、2015年)
20世紀FOXは自前のスタジオもあるんだけど、まあせいぜい作ってるのはシンプソンズ映画くらいだし、3D作品は基本ブルースカイ作品と言っていいわね。
2000年代の仁義なきアニメ戦争の最初期に反応したスタジオのひとつで『アイス・エイジ』は観た人も多いんじゃないかしら? あまり印象に残る作品はないし、批評家筋の評価は芳しいとは言いづらいけれど、ソニーなんかと比べると安定して高収益を叩き出してきたブランドね。
そういうわけであまり過大な期待を持たずに『スヌーピー』も観に行ったんだけれど、これが思わぬ収穫だったわ。
原作の感じそのまま活かそうとした2Dと3Dの中間めいた微妙な表現は賛否両論あるだろうけれど、88分でチャーリー・ブラウンの恋物語うまく落とし込んだ良作よ。
『スタンド・バイ・ミー ドラえもん』がやろうとして大失敗したことをうまくやるとこうなる、という感じで、見比べてみると作劇の勉強になるわよ。
6. ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ:『塔の上のラプンツェル』(バイロン・ハワード監督、2010年)
ディズニー映画は2008年の『ボルト』以前と以後で大分変わってくるわ。簡単にいえば、元増田が昔観たであろうオールドグッドな2Dディズニー映画が以前、元増田が大好きだっていうウェルメイドな作劇の3D作品が以降。このラインを意識すると効率良くディズニー映画を愉しめるわ。
もっとも元増田は08年以降のディズニー3Dアニメ映画をだいたいチェック済のようね。
でも『ラプンツェル』を見逃しているのはいただけないわね!
90年以降生まれの女子にとってはマイルストーンといってもいい、新しいディズニープリンセス物語の決定版よ!!
女子にモテたければ是非観るべきだし、女子になりたければ絶対観るべき、現代女子力のパワーソース(力の淵源)よ!
7. ピクサー・アニメーション・スタジオ:『インサイド・ヘッド』(ピート・ドクター監督、2015年)
シュガー・ラッシュ以降のピクサーを観た元増田なら当然鑑賞済みかしら?
現代アメリカアニメを支配するピクサーの作劇の極致ともいえるのがこの『インサイド・ヘッド』よ。
物語自体の面白さもさることながら、「私たちはいつ、どのように成長していくのか」についてここまで丁寧に描いたフィクションは稀有だと思うわ。
8. オン・アニメーション・スタディオズ(メソッド・アニメーション):『リトル・プリンス 星の王子さま』(マーク・オズボーン監督、2015年)
フランスは日本とおなじく2Dアニメーション映画が主流だけど、日本にも白組があるように、フランスのなかにも3Dに情熱をそそぐスタジオがあるわ。
まだまだ知られるとはいえないスタジオだけど、『カンフー・パンダ』のマーク・オズボーンが監督した『リトル・プリンス』で一躍名を上げたわね。
アメリカの大手がかかわっているスタジオでは見られないようなヨーロッパ的な叙情が特徴よ。
今後はこういう小スタジオの3D作品もバンバン出てくるんじゃないかしら?
9. ライカ:『コララインとボタンの魔女』(ヘンリー・セリック監督、2009年)
ここからはちょっと趣向を変えて同じ立体アニメでもストップモーションアニメを紹介するわ。
元増田は『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』という映画をご存知かしら?
ああいう人形を使ったアニメはストップモーション(コマ撮り)アニメと呼ばれてファンも多いわ。一番有名なのは『ウォレスとグルミット』かしらね。
『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』はティム・バートンの監督作だと勘違いしている人も多いけれど、実は監督を担当したのはこのヘンリー・セリック。
彼が自分のスタジオである「ライカ」を立ち上げての第一作目が、この『コララインとボタンの魔女』なのよ。
ストップモーション特有の質感を保ちつつも3DCGと見まごうばかりのなめらかなアニメーションは、気が遠くなるような数の人形パーツによって実現したもの。
セリック独特のゴシックな美意識が溢れる画面は観ているだけでため息が出るわ。
この『コララインとボタンの魔女』の成功によって、ライカはイギリスのアードマン・アニメーションズと並ぶストップモーションのスタジオとして一躍地位を確立したわけ。
ライカはこれまで三作しか発表しておらず、日本に入っているのは『コラライン』含めて二作だけだけれど、二作目の『パラノーマン』もすばらしい出来なので是非見てね。
10. アードマン・アニメーションズ:『映画 ひつじのショーン 〜バック・トゥ・ザ・ホーム〜』(マーク・バードン&リチャード・スターザック監督、2015年)
で、ストップモーションアニメの老舗であり、ストップモーションといえばアードマンと言われるほど有名なアードマン・アニメーションズ。
配給会社はそのときどきによって変わるけれど、一貫して温かみのあるゆるさと精緻な細部へのこだわりをふせもった上質なストップモーションアニメを世界に供給しつづけているわ。
もちろん、去年発表された『ひつじのショーン』も最高だったわね。
『ウォレスとグルミット』とおなじく、テレビシリーズの劇場映画化だけれど、TV版をみてなくとも十全に楽しめるわ。むしろ、テレビシリーズの入り口としてちょうどいいくらい。
アードマンの作品はそのルックを一目見れば即座にわかるので、公開されたらとりあえずチェックしときたいわね。
11. スターバーンズ・インダストリーズ:『アノマリサ』(チャーリー・カウフマン&デューク・ジョンソン監督、2015年)
スターバーンズ・インダストリーズはテレビドラマで活躍するダン・ハーモンが立ち上げたストップモーションアニメ会社。
その第一作目に『マルコヴィッチの穴』などで知られる個性派脚本家チャーリー・カウフマンを監督に迎えて作ったのが、この『アノマリサ』。
アードマンにしろライカにしろ「子どもも大人も愉しめる」映画が信条のストップモーションだけれど、この『アノマリサ』は完全にオトナ向けよ。
カウフマン特有の奥行きある哲学的なストーリーもそうだけれども、一番子どもに見せちゃいけないのはセックスシーン。
なんと精巧に作られた人形同士(男女ともにくたびれた中年)がヤッてる姿をえんえん見せつけられるの! クンニから挿入、絶頂、事後まで全部よ!
多分、その気になれば、そこまで難しいことではないと思う。
以下、列挙していく。
ネットはリアルタイムでトップに来る項目が変わるため、「その瞬間」のニュースに惑わされる。
それより、「昨日一日何が起こったのか」をまとめられたものを読んだほうが良い。
リアルタイム性にこだわるより、きちっと、毎日何が起こったのかを、把握するほうが良いし、
そこまで「瞬時にニュースを知らなければならない必要は、あんまりない。株取引とかやってなければ。
あと、何をトップに持ってきて、見出しをどの大きさにするのかは、新聞社のニュース価値の判断を示しているので、
蔑ろにすべきではない。
産経は、思想や主義主張以前のレベルで、誤報や事実誤認が多いので(他紙に全くないわけではないが、産経よりまし)
あまりお勧めしない。
「読売と朝日」、「日経と毎日」とか、傾向の違う新聞を併読すると尚可。
とくにビジネス方面に強くなりたければ、当然、日経がメインになる。
それぞれのジャンルの入門書や、最近話題のトピックについての概説書が毎月出ているわけだから、
うまく活用すべし。
池上氏が選挙特番でお得意とする「創価学会ネタ」なんかも、十分新書レベルで手に入る。
で、ちゃんとした著書のちゃんとした書籍ならば、参考/引用図書とかでてるから、さらに深堀りしたければ、
そこから入るのが近道。
とりあえず、自然災害からテロ、科学上の大発見まで、大きなトピックはたいていNHKスペシャルで「最新報告」をしてくれる。
受信料に対する怒りが軽減される。
ネットの情報が玉石混交なのは今更いうまでもないが、けっこう使えるのは、「議事録」とか「発表資料」とか
「記者会見の映像」とか、その他、いろいろな「原典」に直接当たれるのが、最大の強み。
多分、これくらいのことを継続していけば、
「あの人、いろんなこと知ってるねえ、池上さんみたいだねえ」と尊敬される程度の知識は身につくと思う。
ただし、これはあくまでインプットの方法なので、アウトプットの仕方を間違えると
ただのウザい人になりかねないが。
池上彰という人は、抜きんでた専門分野もないし、
ジャーナリストとしても、ものすごいスクープをとったことがあるとか、そういう実力はないと思うけれど、
情報を取捨選択してわかりやすく伝える能力と、選挙特番に見られるような、瞬時に判断して的確に質問する力がハンパないと思う。
残念ながら、こういうアウトプット能力の磨き方は、うまくまとめられないので、
どこかの増田さん、まとめてくれないだろうか?
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
幸福と同じように、不幸の解釈は多岐にわたるから一概にはいえないが、一応は手軽な方法がある。
幸福を認めないことさ。
逆に言えば、幸福でありたいならば認めればいい。
幸福の解釈が最終的に個人の裁量に委ねられる以上、客観的に分析すればするほど大抵の場合において結論は陳腐になる。
幸福の全貌が「その程度」のものだと思ったとき、君は不幸になれるだろうさ。
逆に幸福になりたければ、不幸について分析すればいいわけだな。
知らないほうがいい、やめておけ。
人は気に入らない人間が出てきたら、その人が何か酷い目に合ってほしいと思っているのさ。
立場や状況、程度が違うだけで、“この世界”でもそういう人たちは多いだろう?
自分にとって「気に入らない対象」に、アレコレ言いたくなる衝動に駆られた覚えがあって、実際に行動に移した人は少なくない。
マンガ、アニメなどでも、酷い人格の登場人物が好き勝手立ち回る→主人公などが制裁するという構図は珍しくないな。
もちろん、君のようにそれを低俗だと思うのは間違っていない。
ストレスを抱える→それを解消するというのを一つのコンテンツでやっている。
マッチポンプというのかな。
ストレスを解消したいがために、わざわざストレスを抱えさせるという本末転倒なことをしているわけだ。
そして、それを求める人間がいて、そんな人が少なくない。
とはいえ、ストレスは人を動かす原動力、脂質みたいなものだよ。
形にこだわらないなら、人がそれらを求めるのは自然の成り行きだろう。
まあ、「気に入らない対象」と「制裁」が分離している我々は健全もいいところだな。
対象が何であれ、「死ね」だとか物騒な言葉は使わない方が良いだろう。
人を呪わば穴二つというし、逆に君が「死ね」と思われても同情の余地はないからな。
……日本も君には死んで欲しいってさ。
まあ、日本の方が先に死んでも、日本に住んでる君はどちらにしろ死ぬけどな。
HAHAHA……移民しよう。
社会なんて人間関係の集まりで、それって多数決で空気が決まって、空気によって善悪の倫理も決められるんだから。(特定少数がうまくアジテートして空気を操作し倫理を変えることは可能、ただしそれも多数を操らねばならんという多数決的な部分は回避できない)
俺は民主主義だから多数決なんてヌルいこと言ってるんじゃないよ。
倫理や善悪、違法合法だって突き詰めればなんの論理的根拠もなくて「大体の人間が嫌がってるから悪」「嫌がらないから無罪」になってるに過ぎないんだって話。
ほとんどの人間は加害されるのが嫌だから他人を害することはダメと法で決まってるだけ。
多くの人間が動物の可愛い映像をテレビで流されるのは心地いいからスルーで、屠殺や人質のクビキリ映像は嫌がるから問題になって、男女のキスシーンはOKで、ホモのキスは不快だからダメで、男女でも生えっちシーンはダメ。
そんだけ。
だから、キモい奴=ほとんどの人間が不快に思う奴は、雑に、不遇に、迫害されるのは世の常なの。
だから美しくなれ。
ホモでもレズでも池沼でも黒人でもオタでも、恵まれたポジションになりたければ、その属性の奴らがみんな美しくなれ。
美しくなればそれでいい。
無理なら絶望残念でした。