はてなキーワード: でき婚とは
でき婚しちゃいました!のと同じで、おめでたいのだけどなんか引っかかる。世間は高齢出産ブーム(?)なので絶対こんなこと言えない。
そもそも高齢出産にメリットってあるの?地獄案件しか見えないんだけど。
・お金
40近くまで働き続けたんなら貯蓄たんまりあるんだろうなと想像してたけど、共働きでもそこまで貯蓄ない世帯も普通に多い
不妊治療してたら家購入する資金もなくなったり、あるいは庶民からは想像できないほど贅沢しまくってたりとか。
(彼らの言う"お金ない"は自分で自由に使えるお金が少ない、という意味であり生活が困窮してるわけではないと思う)
そもそも流産率が高い、ダウン症もちょっと多い。これについてはいろんな人が言ってるから割愛する。
・メンタル
ほとんど一人っ子でベタベタ甘やかし育ちが多い印象(私の周りだけかもしれませんが)
更年期で精神的に不安定な中子育て大変なのは同情するけど、子供にあたってるの見るとほんとしんどい
いい子だなと思ってたら、急に叩かれたり、ご飯なかったり、お母さんが怖いから言うこと聞いてるって子もいて。
でもそれなりの服着させてたり、ちゃんとした習い事などさせてるからパッと見そういうのわからないんだよね。殴った後とか、そういうのもない。精神的虐待?が多いのかも。
40にもなれば精神的にも成熟してるから広い心をもって子育てができる、とネットのご意見をみたけども
広い心をもって子育てしている高齢出産の方いたらぜひお話伺いたいものです。超レアでは。
あと、40前後のご夫婦だと母親主導の子育てが当たり前という価値観を持ってる旦那さんが多いらしく、夫は子育てに非協力的な面も目立つ。(共働きでもそんなの関係ないようですw)
若いカップルの方が一緒に子育てしてる印象がありますね。わからないことも素直に聞いてくれるし、変な先入観がないのがよろしい
イベントや授業参観の時とかにお母さんがおばさんに見えるから(老けてるから)来てほしくないって子、やっぱりいるんですよね
産前は若作りできても産後一気にメッキがとれて老け込むから仕方ないんだけど
子供からしたらおばあちゃんに見えなくもない親ってちょっと嫌なのかもね わざわざ見に来てくれたのに早く帰って!とか言っちゃってる子もいるし。
・キャリア
ある程度職場でのポジションを築いてから産もうと思ってる人、よく考えてほしい
子供が小さいうちは呼び出されたり急に休まなければならない時がある 仕方ないことです 周りも子供事由で休むことに何も文句ない
でも要職についてると代わりが少ないし責任のある仕事も多いことでしょう
だから「ある程度」なんて思わずにさっさと若い時に産んでしまったほうがいいです
高齢出産しました!ってイキってるバリキャリアラフォー多くて、それに感化されてる若い子いそうで恐ろしい 見習っちゃだめな例ですよw
あとお金にも絡んでくるけど、40前後で産んだら、自立する65歳くらいまでは働き続けなきゃならないということも考えてほしい
院まで行ったら70近くまで稼がなきゃならないのです もちろんアーリーリタイアなんてできない
体力もモチベーションもない頃にそこまで前線で働き続けられる??窓際社員で文句なく稼げるポジションがあればラッキーだけど今の状況考えるとそんな夢のようなポジションは将来なさそうじゃん
子供ってなんのために作るんだろうって最近すんごい考えてしまって
他人(子供)のために自分の時間やお金を使える人、子供を愛せる人だけが子供を作っていいんだろうなあと思った
まあ、実際最初の子供なんてあんまり深く考えずに作るよね。でき婚なんか作ろうと思わない間にできあがっているしね
現在進行形で赤ちゃんのお世話が大変だから自分の中の子供に対する愛情がすごく試されてる気がする
昔は同居しているじじばばが赤子の世話を手伝ってくれてたんだろうけど、私は今時の核家族だから夫婦の力で何とかしないといけない。
気持ちに余裕があるときじゃないと赤ちゃんがかわいい、愛しいと思えない
つらい
子供が大きくなって私が好きなように寝れるようになったとしても、今度はお金がたくさん必要になってくるんだろうな
誰かを愛するために人は子供を作るのかと思った
でき婚狙わないとけっこう無理みある説
できちゃった婚をおめでた婚や授かり婚などと言い換えてからもう随分経つ。
この少子化の中で、でき婚/できちゃった婚について昔ほど叩かれることはなくなったように思える。
しかし、未だにデキ婚を叩く人たちがインターネットの片隅に、井戸端会議のその中に、マックの女子高生の会話に、ところどころで生息していることを観測する。
私は彼あるいは彼女らがどういう属性で何を思ってデキ婚を叩いているのか知りたい。
彼あるいは彼女らの属性としてまず考えれるのは童貞あるいは処女である。
これらの人たちが婚前交渉をした末にデキ婚をした人たちを叩くのは無理もない。偏見であるが5ちゃんで観測する人たちはここの属性が多いように思える。
自分たちは結婚まで我慢したのだからデキ婚はさぞ不潔に見えよう。
そして考えられるのは、子供がデキたら必ず中絶してきた/させてきた人たち。
あまりこの属性の人たちがデキ婚を叩くのは想像し難いが、デキても中絶することを信条にしていた人たちならデキ婚を叩いても仕方がないように思える。
同じように考えられるのはデキても結婚せずに生む人/生ませる人たち。
デキても男に逃げられた女だとしたら、さぞデキ婚が憎かろうし、デキても逃げてきた男だとしたら、デキ婚する奴は憐れに見えよう。
上記四分類の属性の人たちがデキ婚を叩いているとしたらまぁわかる。
しかし、中には婚前交渉をしているにも関わらずデキ婚を叩く人たちがいるのを私は知っている。
彼らは「自分はコンドームつけてるから」と避妊していることをアピールするが、日本で主流なコンドームによる避妊は完璧ではない。
たとえピルによる避妊を併用したところで100%完全な避妊とは言い難い。
それにも関わらず、たまたま自分が黒ひげに当たらなかっただけで、たまたま黒ひげに当たった人を烈火の如く怒り叩く心情を私は理解できない。
言葉の是非はおいといて。
はたちくらいのとき、本当にそう思っていた。
こどもなんてかんたんにできるものだと、つくろうと思えばすぐできるのだと思っていた。
それから10年近くたって、結婚していざ子供をとなったとき、わたしは不育症と診断された。
不育症というのは不妊とは違って、妊娠はするが流産を繰り返す状態。
わたしは3回。
原因は、親側というよりは胎児側にあることがほとんどで、親の検査をしても明らかな原因は分からないことがほとんどという話のよう。
妊娠はするから、すこし妊娠初期兆候みたいなものはある。電車にすごく酔いやすくなったり。
そこから発展して、
もっと、自分は自分・他人は他人、として生きていると、もっと他人の幸福を喜べるやさしい人間だと自分のことを思っていた
ということさえ辟易する
なんというか、なんだかとてつもなくさみしい。
35歳ででき婚でいい
とりあえず、「デリケートな話題」、ということは身を持って知ったようにおもう
これから先
どうなるかわからないけれど、がんばってみよう
がんばることじゃないけれど
https://anond.hatelabo.jp/20080819183454
これ書いたの俺。
これまでの経歴を書く、少し補足を入れつつね。
飲食と営業のバイト > やや専門性のある派遣社員 > 専門性のある派遣社員 > 独立開業 > 取引先に就職(数年) > フリーランス (今ココ)
売上ベースでは900万を超えるようになった。経費を引くと所得で800弱ってとこかな。
生まれも育ちも貧乏だったので金の使い道があんまりない。でも貧乏になる恐怖がすごいので、しっかり稼ぐ。もちろんお金で幸福は買えないが、お金は不要な不幸をはじいてくれるお守りだ。しかも効果は抜群。中流以上の人はわかんないかもしれないけど。
なんで11年ぶりに続編を書こうかと思ったかって、少し前に、増田で都会育ちと金持ちと貧乏といろいろの世界観の話がホテントリしてたので、俺も書きたくなったことがあるから。
俺はこのパターンに当てはめると「都会生まれ、都会育ちの、貧乏人」ということになる。ニュータイプ。
都会には結構貧乏人が多い。昔から都会には貧乏人が生息してきたんだが、田舎の人は(お金だけでなくて)情報的・文化的な格差があってこういう事実をあまり知らないのかも。
貧乏と一口に言ってもいろいろ。俺の場合は月末になるとおかずがなくて米だけになる程度の貧乏。下には下がいるので貧乏系のマウンティングは勘弁な。
公営住宅に住んでいた。一人親ではなく、両親がいた。家族に障害者はいなかった。つまり、稼ぎがすこぶる悪かったってことになる。
自分の貧乏を強く意識したのは、友達がみんな自転車を持っているのに自分だけなかったときとか。小学校3年くらいの時に始めて「学習机」をもらったときのこととか。その学習机が実は、人が不要になって捨てた女性用の鏡台だったこととか。相対性剥奪ってやつか。「不足している」というのをひしひしと味わい尽くした。
友達も貧乏人が多かった。俺は別々の2グループに属していたが、全体を見て公営団地に住む奴らが7割。一人親も7割くらい。大学に行ったのが2割(東京的には少ない)。公営団地に住んでいて(高卒後の進路として)大学に行った友達はいない。俺は今、放送大学で1学期2単位ずつとる一応の大学生だけど。
自分が「持たざるもの」ということは小学校低学年くらいによく理解できた。なので自分の誕生日プレゼントに欲しいもののリクエストをしない子になってしまった。両親が何が欲しいのかと問い詰めてくれたので、たいして欲しくもない安そうなものをねだったことを覚えている。父親は時代に取り残された職人だった。需要がなく、仕事がなかった。その分野以外のスキルはゼロのまま、学歴もないまま、何もないまま、仕事を辞めて家族を養うために肉体労働を始めた。当時はそんな父親をかっこ悪く思ったが、今思うとすげーかっこいい。泣けてくる。転職先で、体力もおぼつかないまま、若造にこき使われて、ストレスをためて酒を飲み過ぎて、一発逆転を狙ってギャンブルにはまった模様。あんまり笑わないでやってほしい。人は追い詰められると一発逆転を狙うようになる。
年頃になって周囲がおしゃれに目覚め始めたときはつらかった。みんなで服を買いに行って、俺だけ買わないとか。集団でゲーセンに通うようになっても、おれだけ2~3回やるのが精一杯とか(しかも、1プレイ50円のところだぜ!)。人のプレイとデモ画面ばかり見てた。だから強くもならないし、ワンコインの持続力は短かった。資本の力を思い知らされた。
話は若干それるが、田舎の人が「都会=金持ち」の偏見を持っていて困ることがある。変なところで、嫌みを言われたり、奇妙な目の敵にされることがある。そんな奴らの方が、金銭的な意味では俺より豊かな育ち方をしているのにだぜ。これには本当にまいる。
俺は専門学校に行くために高校時代はバイトに明け暮れた。父親の借金(ギャンブルで!)が発覚したときに、俺の貯金で返済しようかと思ったけど、母親がそれを止めてくれた。貧乏だったので、逆選抜バリバリ思考で、とくにかく早く働きたかった。だけど高卒で働くよりも手に職を付けたかった。でも専門学校を出て飛び込んだ業界は旧態依然としたレッドオーシャンで封建社会だったので続かなかった。すぐに仕事を辞めてモラトリアムに走った。大学に行ってる友達が遊んでばかりで悔しかったから、俺も遊び倒すことにした。夜の繁華街でもよく働いた。いわゆる「外こもり」みたいなこともやった。いろんなとこで死にかけた。
で、そのモラトリアムの延長線上で、自分のとある才能に気がついてしまった。ほんとラッキーだった。その才能を生かして派遣の仕事を得ようとした。しかし学歴がないので前提条件に入れなかった。しかたないのでその方面の資格を取った。短期間で、一発で、そこそこのレベルの資格が取れた。ちょう頑張ったけど、今思えば才能に恵まれていた(ちなみに、当時の自分は努力体験と成功体験をセットで味わったので、「スーパー自己責任論者」になってしまった。必死だっんだろうな。時代もそうだったので勘弁して欲しい。今思えば、才能が9割というベースに努力2割を足しただけの結果だと思ってる)。
まずは大卒じゃなくても雇ってくれる職場から始めた。そこで勉強してから転職した。経験者だったので、同じ方面の専門性の高い職にありついた。自分がホワイトカラーという分類に入っている奇跡に驚いた。だから頑張ったし、面接は特にはりきった。張り切ってスキルを並べて、受かった瞬間に有休消化を使ってそのスキルを学んだ(つまり、面接時に話したスキルは若干ハッタリ)。新しい職場でも良く働いた。勢い余って結婚してその勢いで独立した。ちなみにでき婚ではない。
そのまま専門の分野で経験を積んで自分の商売を確立した。時給にはできないけど、無理やり時給にするなら5~6千円はいくはず。1日だいたい6時間強働いて、月に75~80万くらいの売上で、家事の分担をがっつりやって、下の子の保育園の送りも迎えも全部俺がやって回るようになった(あ、計算があわないから時給はもっと高いっぽい)。
今でも金にはがめつい。金にならない仕事はしない。大人の言葉遣いながら、お金のことはまっさきにはっきりと、しっかり伝えて商売をしている。
日々の生活においてお金に困らないというのは本当にありがたい。でも下の子がねだるガチャガチャだけは絶対にやらない。自分で稼いで自分でやれといつも言ってる。くそくだらない(ように見える)ファミレスの入り口とかにあるあのガチャガチャ類を見ると、ゲーセンで惨めな思いをしていた昔の自分が思い出される。やらせてやりたいという気持ちと、なんだかわからない複雑な気持ちがせめぎあって、「大きくなって自分のお金でやるんだぞ」と言ってぎゅっとだっこして強制退場。
と、一気に書いてみて読み返してみたが、母親のことを書けてなかったな。人が生きる上でお金と愛情は不可欠。どっちか一個だけ欠けるとしたらお金。愛情は欠かせない。だけど普通に言って、両方必要。絶対必要。ない人がいるなら、それを補う世の中的な仕組みが必要。こないだ結婚記念日だった両親は今も健在。ありがたい。
父親はアル中で肝臓壊して死んで母親はそれでメンタルやられて生活保護を受けて育った。
バイトと奨学金でなんとか大学を卒業して資格取って就職したけど、同級生と見ている世界が違かった。バイトしなくても一人暮らしできる奴もいた。就職したらでき婚してでも結婚式やりたいからっていうことで親が挙式費用を全額負担してる奴。
自分はメンタル壊しながらなんとか働いて母の生活も負担してる。立派な親は自分の生活を自分で賄って、というか普通の両親がいて普通に頼れて甘えられるっていうのが私には想像がつかない。家族というものに良いイメージがない。生まれが違かったら、普通の家庭に生まれていたら。
どんなに這い上がろうとしても家族のことが鉛のようにくっついてきて、逃れられない。縁を切れとか家族なんだから大事にしなよとか、そういうくらいなら自分と同じ境遇になってから言ってほしい。
人の不幸を願うことをやめられない。
1年前、いろいろあってある女が原因で家庭がめちゃくちゃになったときがあった。
それはうちの旦那も悪くいところがって、
旦那とも話し合いを重ねて、やっと元に戻ってきたところだった。
1年経って、偶然にもその女のインスタを見つけてしまい、
男は経営者で家まで建てるらしい。
別にそれまでそんなに考えてなかったのに、急に、
この1年間私はただ修復するために、辛くても頑張ってきたのに、
なんでこいつは家まで建てて子供までできて安定した暮らしを実現しようとしてるんだよって
すごいむかついた。すごいすごいすごいむかついた。
このぶす!不幸になりやがれ!!!!
とにかく少しでも不幸になりそうな要素を探す自分がいて、まじでホントキモイ、。わかってる。。。
でも、それから、インスタずっと見てる。
そいつが離婚するまで、少しでも不幸になるまで、ずっとただ見てる。
自分が怖い。インスタなんかいいことしか上げないのわかってるくせに。
そいつが不幸になったって、満たされないことわかってるのに。
でもやめられない。
やめたいのにやめられない~~~~。
元増田はどっちにしろ忘れられないかもなのに、そこを思いやる気ゼロで自分のことだけなのが無理。将来的に一緒に人生歩める気がしない。
生理が遅れててすごく不安な気持ちだったということを話していて、その流れで妊娠したらどうする?っていう話になったんだけど
私が「学校辞めて産む」って言ったらかなりびっくりされた。「いやいや、え?堕ろすでしょ。ていうか産むって言われても堕ろしてって言う。もし産むなら、その後までは責任持てないわ」って言われて、私もびっくりした。
で、「堕ろしたら過去にできるけど、産んだらずっと忘れられない」って。
現実的に考えると子どもを育てる金銭的な余裕なんてあるわけないし、実際妊娠した時も同じことが言えるのかというとそれは分からない。
でも、こんなこと言われちゃってさすがにショックだったというか、悲しかったというか。
その後離婚して母子家庭で育ってきて、父親の顔はもうあんまり思い出せない。
私は父親にとって「産んだら忘れられない」存在なんだろうなって、ちょっと思ってしまった。生きる呪いそのものみたいな存在なんだろうなって。
彼氏からの一言は、私の存在そのものを否定するようなものだった。
なのに、それでもまだ彼氏のこと好きって思っちゃうの相当やばいのかな。
こういうこという彼氏って、どうなんですか。彼氏というか、人として。
あと、一通り話をし終えた後、私のことを抱きしめたのは一体何だったんだろう。
女子大生より
今月で同棲で解消することになった。
5回目の春を迎えそうな時期に、僕らの関係は大きく変化した。
第一印象は、酒の強い女だということ。そして、顎のラインがとてもきれいだということだった。
100人近くの内定者が集まりひどく飲んでいたこともあり、正直顔をあまり覚えていない。
4月。新卒研修を終え、研修で唯一仲良くなった同期に飲み会に誘われた。
その飲み会で、次々と日本酒をあけて目立っていたひとりの女性。彼女だった。
前述の同僚以外、研修で数回話したことがある程度の参加者たちしかいない飲み会は居心地も悪く、つい酒を飲みすぎた。
座敷席にこれ幸いと横になっていた僕を覗き込んだのが彼女だった。顎がきれいだ。よく見ればまつげが長い。
彼女とは配属先の部署は違ったものの、同フロアにいたため何度か顔を合わせた。
気まずさをかき消すように例の飲み会をネタに話をしたが、自分の失態を掘り起こしてしまい苦い思いをした。
付かず離れず、顔を合わせれば挨拶や雑談をする程度の仲で2年が経つ。
この日もエレベーターホールでいつまでも来ないエレベーターを待っていた。
「私、来月いっぱいで会社辞めるんだよね」
同期のなかでも何人かすでに退職者はいたので別段驚きはしなかったが、少しさみしい思いもあった。
「じゃあ今度、送別会代わりに飲みでも行こうか」
そう口からこぼれたのは、ほとんど無意識。なんなら社交辞令に近かった。
ビール、ハイボール、日本酒と矢継ぎ早に空ける彼女の飲みっぷりは、清々しかった。
会社を離れて初めて二人で飲む。他愛もない話から恋愛まで、話は尽きない。
中盤からは手酌をさせてしまっていたが、徳利を傾けおちょこにお酒を注ぐ彼女の所作が美しいと思った。
もっと見ていたい。
彼女が仕事を辞めたあとも何度か飲みに出かけ、僕らが付き合いだしたのはごく自然な流れだった。
付き合って1年くらいが経過したころ、家賃更新のタイミングとなった。
それまで1時間かけて通勤していた僕は、会社に近い物件を探した。
しかし、都心に近い部屋は高い。相変わらず赤ちょうちん系居酒屋で飲んでいた時、彼女に東京は家賃が高いとぼやいた。
彼女は事も無げに同棲を提案した。僕はその決断力に感動し、すぐさま共に住むことを決めた。
彼女のご両親に同棲の挨拶をしたときは緊張した。父親が好きだという日本酒の一升瓶を手土産に持っていったところ、すぐに了承をもらえた。彼女と父と母と僕。みんなで飲んだ。彼女の両親はもちろん酒豪で、日本酒は一本では足りなかった。
毎日彼女が作ったおつまみで晩酌をした。ときどき、デパ地下で美味しそうなおつまみを見つけたら買って行った。美味しいと目を細める彼女の姿は愛おしかった。我ながら陳腐だが、この時間が永遠に続けばいいとさえ思った。
一昨日、彼女が突然、酒を飲まなくなった。胃が受け付けないらしい。病院へ行くよう薦めて出社した僕のLINEに、彼女からの連絡が届いたのは、その日の昼だった。
「妊娠してた」
心当たりがなかったわけではない。じつは一度避妊に失敗していた。
言い出せない臆病な自分が情けなかったが、僕は彼女と結婚したかった。
「きっと一升瓶を2本持っていったら許してくれるよ」
飲む人がひとり減ったのに勘弁してくれと苦笑した僕の心は、すっと軽くなっていた。
よく有名人が片親で育って、もう片方とは縁が切れてるようなものときに複雑な家庭って言われてるけど
本当に複雑な家庭っていうのは
父親ができ婚で兄と姉が生まれてしばらくして離婚して、子供をしばらく施設に預けていたけど収入的な余裕ができたから引き取って育て始めてるときに出会いがあってまたでき婚して
生まれた子供は上の二人とはそれぞれ9歳と7歳離れていたけどそれなりに可愛がってもらっていた一方で新しい母親に馴染めずに嫌っていたときに
父親がDVで新しい母親が自分が生んだ子供だけ連れて出ていってまた離婚してその間、その母親は男狂いの生活をして子供が夜一人でも気にせず水商売で男にちやほやされるのを喜んでいて
父親も父親で友達に人妻を紹介してもらってその人妻に惚れたから自分と結婚し直してもらうように要求して連れ子の女二人も引き取って
DVで前の女に連れて行かれていた子供も最終的に引き取ることになって、腹違いと血の繋がらないのが入り混じって何がなんだかわからない俺みたいな家を複雑な家庭って言うべきだと思う。