はてなキーワード: その男とは
小森龍邦氏死去、88歳 元衆院議員、部落解放同盟広島県連顧問
解放運動の巨星がまたひとつ墜ちた。私もあと十年生きるか怪しい身である。自分の政治運動に対する考えを少しばかり綴ってみてもいいだろう。
上のニュースの人は、かつて解放同盟の事務方のトップだった方だ。昭和7年に広島県東部の被差別部落に生まれ、中高生の時分から老年に至るまで部落解放運動に携わってこられた。
私が活動していた地域とは遠く離れているが、それでも半年に一度は彼の実家の傍にある、ちんまりとした選挙事務所へ行き、地元産のワインを飲みながら語り合ったものだ。
私などが知己と呼ぶのがおこがましいほど尊敬できる人格の持ち主だった。家族や地域や仲間のためであれば、危険を顧みずに行動する力を持っている。それでいて、思慮深いうえに頭の回転が速く、無謀な策を講じたりはしない。講じるとしたら、背後に確かな計算を持っている。そういう方だった。
それが、こんなに早くにお亡くなりになってしまった。悔しい限りだ。
私の番はいつ来るのだろう。運が良ければ二十年は生きられるかもしれない。運が悪ければ数年後か。その前に、自分の想いを吐き出す機会が欲しい。
さて、表題の意味について。あなた達の政治運動には『迫力』が足りないとは、どういう意味か。
言葉どおりの意味だ。特に、伝統的な分野、例えば労働組合などが挙げられる。昔に比べて弱体化が著しい。
企業ごとの組織率は低下し、労働者の組合加入率も低下し、賃金は下げられ放題、追い出し部屋や希望(半強制)退職の蔓延も放っておかざるを得ない。数十年後には、労働組合というものが事実上消滅していてもおかしくはない。
また、高校や大学など、学校内の自治を求める活動もそうだ。私は元高校教師だが、昔に比べれば、学生たちが自ら声を上げて学校のルールを変革するために動くことは減っている。感覚としてはそうであり、数字においてもそうなっている。悪い意味で、子どもが大人のいいなりになっている。
近年話題になったものだと、#MeToo運動だ。女性がこれまでに男性から受けた、性を主とする嫌がらせを公共の場で告発することをいうようだ。
日本ではそこまで定着しなかったが、本場のアメリカでは著名な人物の一部が職や名誉を失っている。最悪の場合は、裁判により実刑判決を受けることになる。
LGBTの社会運動も、社会の価値観を変革しつつある分野のひとつだ。
大衆消費社会が訪れてそうまで時間も経たない頃から、同性愛者としてのカミングアウトや文学活動、デモ行進や芸能界での活躍、自分たちを侮辱する者に対する訴訟提起(府中青年の家裁判)、ゲイであることを周囲に言いふらした者及びその所属校への糾弾(一橋大学アウティング事件)など、仲間の権利を守るための諸活動を行ってきた。
以前は、映像作品において、同性愛者が精神異常者として描かれるのは当たり前のことだった。子ども向けのアニメなどでもそういった描写があったが、昔に比べればなりを潜めているように思える。批判を恐れて、ゲイやレズビアンの人達を描けなくなっているだけかもしれないが。
これらの成功している政治(社会)運動には、共通する点がある。
相手の痛いところを突いていることだ。
この方針なくして勝利はない。しかし、近年の伝統的な政治運動の類を見る限り、相手の痛いところを見抜くことができる知性、または攻撃する度胸を欠いているように思う。
特に、組合関係の団体がそうである。昔の労働組合は、使用者と刺し違える覚悟があった。
意図的に給与の支払いを遅らされても、当局側が雇った暴力団に夜道で襲われても、工場を社員寮ごとロックアウトされても、それでも不屈の覚悟で戦い抜いてきた。
それが今では、使用者の言いなりとなり、組織から仲間を追い出すための行為に協力している。情けない限りだ。
話が逸れた。
相手の痛いところを突くことの具体例として、昭和40年頃の話をする。私の高校時代の級友の話である。K君とする。
高校二年の時だった。夏の午後の授業中に、ある教師が教室の窓の向こうにある山を指さして言った。「お前らみてみい、あの山にはよっつが住んどる」(※手の指が四本であるという意味)
その教師は、部落に住んでいる人間を馬鹿にしたのだ。当時はまだ、被差別部落で生活する人々と、それ以外との間に貧富の差があった。馬鹿にされやすかった。
どれだけ悲惨な生活だったか、今の生活と対比しながら述べると、家にトイレはなく(集落で共同のトイレだった)、上水道は通っておらず、生活汚水は外に垂れ流しであり、雨樋や排水溝がないので大雨が降ったら屋内は水びたしになっていた。
家族で食卓を囲んだ光景にいい思い出はない。口に出して述べたくないし、思い出したくもない。
さて、その男の言葉に頭にきたK君は、翌日に地域の仲間(私を含む)を連れて職員室に入っていった。K君が連れてきた解放委員会の男が怒鳴ったのを覚えている。「教頭、どういう教育をしとる!」という大声に、周囲に緊張が張り詰めた。校長までやってきた。
その教師に向けて、「そんなことは言ったらいけんど」と説得しようとしたものの、それ以前の問題だった。その教師は、私達の質疑に対して、最後までしらを切り通したのだ。「そんなことはしていない」と言い張った。
このままではK君の立場が危ういわけだが、私にはどうすればいいかわからない。しかし、協力をしたかった。
また翌日、K君は教室の中で証言者を探すために、級友の前で声を上げた。「このままでは俺は嘘つきになってしまう。証言をしてくれ」と皆に伝えた。が、私ともう一人か二人以外に協力者は出なかった。
次の日だった。今度は、級友一人一人と話をする作戦に切り替えた。校庭に級友を呼び出し、どうして協力してくれないのか、と訴えたのだ。それでも駄目だった。みな、「それは勘弁してくれ」と言うばかりだったという。
さらに次の日、K君は50枚ほどのA6程度の大きさの小紙を持ってきた。それを級友の一人一人に渡して、「これに証言を書いてくれ。後で預かる」とお願いして回ったのだ。
翌週、K君は再び、地域の仲間と、同じ地区の解放委員会の役員を連れて校長室に入っていった。私は外で待っていたが、勝利を確信していた。K君は、20枚以上はあろうかという紙の束を持っていたからである。
その年度の末をもって、その教師は異動になった。県内の一番端にあるエリアに転勤していった。彼はまだ赴任して2年目だったことから、今回の作戦が功を奏したとみていいだろう。
この、K君の動きを間近で見たことが、私が政治運動を志したきっかけだった。
今度は、少し規模の大きい話をしよう。
それから三十年以上が経って、平成の初期だったと記憶している。被差別部落の生活・文化的な環境を改善するという一連の政策が国会での議決を受けてから、長い時が経っていた。
K君の事件をきっかけにして、私は解放委員会に正式に加入し、高校で社会科を教えながら政治運動に身を投じていた。40になる頃に教師を辞めて、今度は別の公職に就いた。
ある年の冬だった。私が活動していた県の幹部職員が、「同和関係の補助金はすべて凍結する」と、あろうことか県議会で答弁した。
寝耳に水だった。まさか、そんなことはあるまいと考えたが、確かな事実だった。議会答弁はテレビ中継もされていた。
当時、私が所属していた団体の幹部が全員呼び出され、偉い方々から対策を指示された。それぞれの支部からも、来年度の予算について雨後の筍のように質問が寄せられていた。
発砲ふさがりかと思われたが、ふと、K君のことを思い出した。彼はもう立派な社会人であり、解放委員会からも抜けていた。それでも藁にすがる思いで相談に行こうとしたものの、気が乗らない。
彼に迷惑をかけるのでないかという想いもあったが、何よりも私個人の意地だった。同和教育、人権思想を啓もうする活動を担う一員である以上は、自分達の力で解決せねばならないという気概があった。
とはいえ、K君と話をしたかった。結局、正式な相談ではなく、共に食事をしながら今回の件について話し合うという形式を取った。K君は、「ここで折れたら前例になろうが」という話から始まり、諸々の助言をいただいた。今でも感謝している。
後日、県の横暴に対する対抗策がまとまった。開始時期は、一週間後とした。
数万人規模の組織で、ここまでの速度で動くのは無理がある。組織全体の足並みが揃わなくなる恐れがあったが、予算全凍結は目の前だった。
あの時のK君のように、各市町の教育委員会の庁舎に数人で飛び込んだなら、「どうしてこんな卑劣なことをするのか。子どもらが人権意識をもつための活動ができなくなっていいのか」というメッセージを何時間にも渡って、毎日伝え続ける。
庁舎の外には最大100人程度を待機させていた。みなそれぞれ、横断幕と拡声器を使って、スローガンを堂々たる態度で表し、相手方にこちらが本気であることを知らせた。朝方から始まって、日中は休憩を挟みながら、日が沈む頃まで毎日続けた。
場所は関係なかった。公共機関であれば、どこででも実施した。教育委員会だろうと、市役所の入り口だろうと、学校の門前だろうと、警察署の前だろうと、県会議員の自宅の玄関だろうと、場所は関係なかった。
かつて、私たちは基本的人権の享有を受けられなかった。その歴史を繰り返してはならない。私たちは本気だった。
議会での答弁から半年後、私達の本気は伝わった。予算の凍結が撤回されたのだ。
これまでと同じように、これまでと同じだけの金額を子ども達への教育活動、個別学習会や勉強会に使うことができるようになった。
私たちは、相手の痛いところを突いた。突き上げを受けた教育委員会は、通常の業務を行うにあたって支障が出る。日中は、私たちが絶えず抗議をするので、それに対応せざるを得ないからだ。
それが数日であれば持ちこたえるだろうが、何か月にも及ぶとさすがに根を上げる。
「予算の凍結はやめてくれ。現場がもたない」と各市町とその教育委員会は、県の決定に抗議する流れができる。
さらに長い期間に渡って続けば、県としても、予算の凍結の続行と、各市町の疲弊とを天秤にかけざるを得なくなる。
相手の痛いところを突けばいいというものではない。こちらも痛い目を見る覚悟が必要だ。というのも、現実的には、まずはこちらが痛い目を見る可能性が高いからだ。
上記の場合、県による予算凍結の撤回を求めて戦うにあたり、相手方に攻勢をかける必要があったわけだが――初期の段階が一番苦労した。まず、動員をかけても会員は集まりにくかった(当事者意識の欠如)。これがただの動員ではなく、緊急事態を打破するための闘いであることをわかってもらうために熱弁を振るう必要があった。この説得のための活動、すなわち県内の支部巡りに最も時間を要した。
人が集まり、相手方に攻勢をかけることができるようになったとして、最大のリスクがある。警察に通報されることだ。特に、要職にある者が動けなくなるのはまずい。敵にとっての追い風になる。
今回は、そうした事態が起こることはなかった。絶対に暴力行為や脅迫行為をしてはならないと、組織内で固く申し合わせをしていたからだ。
私が若い頃の解放運動だと、警察など介入する余地はなかった。デモ活動やオルグの最中に通報があって警察官が駆け付けたとしても、我々を見て尻込みをするのは当たり前で、あちらの方が逃げ出すこともあった。
それほどまでに、当時の私たちは気迫に満ちた政治(社会)運動をしていた。物事に対する「本気」というものが、警察すら怯えさせるほどに昇華されていた。
時が経ち、平成時代になると、部落に住む人々も豊かになったこともあり、ハングリー精神が見えなくなっていた。集団の気迫はすっかりと消えてしまい、周りから見ると――デモ活動の全てが滑稽なものに映るようになっていた。満たされた人間に政治運動はできない。それだけのことだった。
ところで、予算凍結に対する対抗策の実施にあたり、最大の懸念事項があった。
県と市町との連携だ。もし、予算凍結の議会答弁を打つよりも前に、県議会が各市町に根回しを行い、さらに我々を抑えるための手を考えていたとしたら、負けていた可能性が高い。
逆に言えば、同和対策事業に関する予算の凍結という重大事項について、事前に各市町と連絡調整をしないというミスを県が犯したからこそ、我々は勝利することができたと言っていい。
最後になる。
相手の痛いところを突くこと、その直近の事例としてミャンマーのデモを挙げたい。
アウンサン・スー・チーを頭に据える民主派が勝つにはどうすればいいだろうか?
武力では国軍に勝てない。ならば、「国軍は間違っている」というメッセージを、自国内と国際社会に訴えかけるしかない。
経済面ではゼネラル・ストライキを行い、社会面では民主的な思想や制度について啓もう活動を行い、政治面では大規模デモによって世界に窮状をアピールする。
アメリカがすでにミャンマーへの経済制裁を行っているし、世界的な空気として、国軍より民主派を推す声が大きいのは間違いない。
民主派のやり方というのは、それでいい。とことん大きなデモを打って、自分達の正義をアピールする。
が、その代償として、民主派は多くの命を失っている。つい先ほど、未成年のデモ参加者が銃で撃たれて亡くなったというニュースが飛び込んできた。先日のデモでは50人以上が亡くなったという。
民主派グループの中でも、指導者に近ければ近い者ほど、身体に危険が迫る。国軍にしてみれば、今が正念場である。世界各国からの評価が低下することを気にかけず、民主派の指導者層を徹底的に弾圧し、デモ活動を先導する者を少なくし、事態を膠着状態に陥らせ、軍事政権を持続させるとともに――軟禁しているアウンサンの自然死を狙うメリットの方が大きい。
もし日本が、ミャンマーのように危険な状態だったとして、あなたが立ち上がって戦わねばならなくなった時、どういう心構えで、どういう行動を取るべきだろうか? 相手の痛いところを突くために、どこまでのリスクを背負えるだろうか?
その問題に直面していたのが、私が生まれた時代よりもさらに昔、明治以降の被差別部落に暮らす人々だった。あまりに苦しい生活環境であるがゆえ、生存権を得るために戦わねばならなかった。しかし、どうやって戦えばいいのか?
多くの者が基本的人権を得るために戦い、痛い目に遭いながらも戦いを続け、そして今の、(経済的な意味に限っては)被差別部落問題が解決した現在に至る。
あなたの人生にとって、重大な戦いをせねばならない時がくるはずだ。その時に、どういった行動を取ればいいのか、当日記がその際の助けになれば幸いだ。
40代以下の若い人に向けて、このトピックを書いたつもりだ。あちらへ、こちらへとぶれた文章になって申し訳ない。読み返してみると、まとまりのなさに驚いている。ご容赦いただきたい。
私はこれまで性被害にあったことはないと思っていた。陰部を触られるような痴漢や、レイプを受けたことがないからだ。
でも、最近Twitterで女性は大なり小なり性被害を受けているという文を見て、ふと自分のこれまでを振り返った。
お昼寝の時間、私の隣に眠りたがる男の子がいて、子供ながらに好かれていると気づいていた。
みんなが寝静まった頃、私は寝付けないでいた。もともとあまり寝ないたちで、昼寝の時間はいつも時間を持て余していた。その日もそうで、早くお昼寝が終わって、遊びの時間になるのを待っていた。
既に文字が読めた私は本を読むことが好きで、お昼寝前に読んでいた絵本の続きが読みたかった。
しかし、その日起きているのは私だけではなかった。
寝たフリをしていた私の布団を、隣に寝ていた男の子がめくったのだ。特に寒い日ではなかったので、私は気にしないで眠ったフリを続けた。
すると男の子は、私のズボンをパンツごと脱がせた。それには流石に驚いた。子どもながらに早熟な私は、みんなで乾布摩擦やお風呂やプールに入る時も、裸になることを恥ずかしがる子だった。
そして、子供が恥ずかしがるのはあまりよくないとも思っていた。周りの子供たちが恥ずかしがってる私を見て変なのと言ったり、大人が子供なんだから恥ずかしがらなくていいと言っていたからだ。
でも私は既に裸を見せることは恥ずかしいと知っていて、やらしいというのも理解していた。ちなみに、あまり信じてもらえないと思うが、既にオナニーもしていた。きっかけは分からないが、ちゃんと陰部を触ると気持ちがいいということを理解していたし、それを人に見られてはいけないとも知っていた。
だから私は男の子がパンツを脱がせてきたことに、3歳ながらかなり焦った。
さらに驚くことに、その男の子は、「君のお尻はかわいいね。ぼくのちんちん入れようね」と言って自分の陰部を押しつけてきた。
たぶんこれを見てる人はこの話を信じられない人が大半だと思う。3歳がそんなこと言うはずないと。私だってそう思う。
衝撃すぎて今でも忘れられないほど。
後々考えれば、あのセリフはその男の子が考えて言ったことではないだろう。たぶん、親がやっていたことを見て、真似したのだ。
男の子に陰部を押しつけられた私は、「やめて!」と言って男の子を押し除けた。触られて気持ちいいところをその子に触られたくなくて、仰向けから体勢を変えうつ伏せになった。
その男の子は私のお尻を触ってずっと可愛いね可愛いねと言っていた。
やめて!と何度も言っていると、周りの子が起き出して、うるさい!静かにしてと言い出した。
それで男の子は布団に戻った。
お昼寝が終わって、先生が戻ってくると周りの子が「増田がうるさいせいで眠れなかった」と先生に言った。先生から「なんでうるさくしたの?」と聞かれ、私はだってあの男の子がお尻を触ってくるから、と言おうとしたが、言えなかった。
裸やオナニーを人に見られると恥ずかしいと考えるようになっていた私は、誰かにお尻を触られたことや陰部を押しつけられたことも、ひとに言わない方がいいことなのではと思ったからだ。
この話は、今も誰にもしていない。
子供がやったこととして信じてもらえないだろうと言う気持ちと、未だにお尻を触られたことを口にするのが恥ずかしいと言う気持ちがあるからだ。
これ以外にもあった。
小1の頃、学童クラブの男の先生にスカートをめくられて「いちごパンツ笑」とからかわれた。
小4の頃、成長が早く胸も膨らんでいた私は、体育のとき「あいつは走ると胸が揺れるぜ」と言われ、走っているとき男子が横からいちいち見てきた。
小5の頃、好きだった男の子から「おまえマン毛もうボーボーだろ」と言われた。
中学の頃、同級生の男子がしょっちゅう胸に膝をぶつけてきた。毎回同じ子で、ぶつかるのは絶対胸だった。
同じ中学の頃、職場体験で老人施設に行くと、そこで職員たちが「若い女の子が入ってきた。おまえの嫁にしろよ」と1人の男性職員に言った。その後、私はその男性職員と2人だけで行動することになったが、ずっと周りから囃し立てられ、2人きりで車に乗ったとき、助手席に座らせられた私の前にある書類を取ると言って、私の太ももに手をついてきたこと、彼氏はいるかと聞かれたこと、俺と結婚するかと言われたこと、冗談でも嫌だった。自分も他のグループメンバーと一緒にいたくて、なんで自分だけがこの人と2人きりなんだと思っていたが、大人が子供に対して本気でそう思っているわけないと考えて、本気で嫌がったら笑われると誰にも嫌な気持ちを言えなかった。
高校生の頃、道ですれ違った知らない男子の集団に「Dカップ」と言われた。なんのことかと思っていると、他の女性を見ても「Cカップ」「Eカップ」と言っていて、どうやらすれ違う女性たちの胸のサイズを当てているようだった。しかも聞こえるくらいの大声で。
大学に入って、父親くらいの男性講師が突然背後から髪の毛を触ってきた。
「髪の色素薄いね、地毛?」と言っていた。「あの、やめてください」と言うと、「え、なに俺セクハラと思われてる?まさか。君らくらいなんて、子供みたいなもんだよ笑」と言っていた。
これら全ては誰にも言わなかったり、言っても「え〜男の子らしくて可愛いじゃん」「嘘でしょ笑」「考えすぎだよ」と言われたり、聞かないフリをされて無視された。
やっぱり考えすぎか、やっぱり話すのは恥ずかしい、男の子はやって仕方ないこと、そう思うようになって、それらの記憶は「大したことのないもの」になったし、ひとに話さない方がいいこと、隠すべきことになっていた。それでも何故か嫌な気持ちが消えなくて、ずっと頭に残っている。
あのTwitterを見てそう考える。
でもその一方で、性被害というには大したことなさすぎるよ笑レイプや漫画やテレビで見るような痴漢を受けたことないでしょ考えすぎ、というもう1人の自分の声も聞こえてくる。
そして、きっと世の中には、自分と同じように、嫌だけど言ってはいけない、そう思って口を閉じている人たちがいるのではないか、と思う。もし私が経験したことが性被害なら、いったい何人の女性が性被害を性被害と自覚していないのだろう。口を閉ざしているのだろう。嫌な気持ちを耐えているのだろうか。
総務省の接待問題について、「首相の長男だから問題になってるんだろう」って思っていたら、NTTの接待も大きく取り上げられていてびっくりしてます。
その程度でニュースになるんだったら、もう時効だろうけど私が2004年頃に自称NTTの社員さん((名刺を交換したわけでもないので本当にNTTの人か証拠はないので))から聞いた話はもっとすごいんですけど。
その自称NTT社員さんは「総務省のお役人の人は、接待自体が当たり前と思っているフシがあって、いくらお金を掛けても効果が薄い」ってぼやいていらした。
そのうち自称NTT社員さんの話は、とある通信機器会社の話へと移った。この通信機器会社の総務省への接待攻撃は凄まじかったと言う。
その通信機器会社は総務省のキャリア候補の女性公務員に接待を仕掛けていたのだが、その女性公務員もやはり接待が当たり前だと思っているらしくて、効果を挙げられずにいたと言う。
そこで、その通信機器会社の上層部がその通信機器会社の男性社員に対して、総務省のキャリア候補の女性公務員と男女の仲になるように指示したと言う。
で、その男性社員が女性公務員のデートの際に高いワインをあけて、その高いワイン代がその通信機器会社の裏の経費で落ちたという話だった。
私が聞いたのは以上で全部なので、これ以上質問されても何もお答えできないので悪しからず。
信じるか、信じないかはあなた次第です。(ぉぃ
社会人2年目。やっと仕事にも慣れてきて、取引先にも顔と名前を覚えてもらえて、個人宛に仕事も回してもらえるようになった。
さあこれからどうやって頑張ろうか、なんて計画を立ててたところにようこそクソコロナ。
当時企画してたそこそこ大規模なイベントが中止になった。最近は取引先が遂に堪えきなくなり、バタバタと死んでいる。
何をやっても上手く行かなくなり、会社に行ってもネットで該当する助成金・補助金を探しては、申請書類をひたすらに書く日々。
プライベートでも飲み会が総潰れ。旅行も出来ず、帰省も叶わず、フォロワーとのオフ会もなくなった。
リモート飲みも最初は良かったものの、2回、3回となってくるとウルトラつまらん。
全員ペットの自慢しかしねえ(ペットは犬も猫も鳥もトカゲも総じてマジで永遠に可愛かったが、奇声を上げて可愛がる酔っ払いがキショくなってきてつらい)
そんなクソタイミングで畜生クレームのお知らせ。こちらに明らか非はないが、謝罪で丸く納まってくれるなら……ということで
最寄駅から電車に乗ると快速急行。目的地には止まりません。地獄か?
先方に謝罪が遅れる謝罪の電話を入れ(この世はクソ)この時点でだいぶ限界だったのでテトリスして気持ちを誤魔化した。
電車で戻っていると大変時間が掛かるので、駅前でタクシーを捕まえて先方まで直行することにした。
会社から先方までより流石に短い距離ではあるが、まあまあの運賃がかかった。
ちなみにレシートを何処かに落としてきたので経費で落ちませんでした。ウケる。
そんなこんなでメンタル終人(おわりんちゅ)、無事先方に到着!
知らんジジイに見に覚えのない罪でしこたま怒られ、挙句には「マスクが気に入らない!」とまで言われる。何?
この度は大変申し訳ございませんでしたー、と最後に追加で謝罪を述べ、開放してもらった。
どっと疲れがくる。ここは都会。自粛ムードなんてとっくに廃れてしまったのかと思うほどの人混み。
頭のてっぺんから爪先まで、高級ブランドで揃えたカップルとすれ違う。
一方の私は、3年着古した安物のコートにパンツまで全部GU。恋人なんかもう何年もいない。
私は知らんジジイに罵倒される一方で、彼ら彼女らはシャネルだか何だかの紙袋片手にお揃いのマスクでデートする。
年齢は私とそう違わない筈なのに、何がこんなにも違うのだろうか。
私だって頑張ってるのに、そう思ったら腹立たしくて虚しくて悔しくて涙が出てきた。
クソー!ふざけんなよ!といつもならこのまま安居酒屋に駆け込み、トイレと座席を往復しながら飲み散らかす。
が、コロナ禍。緊急事態宣言。飲食店はチェーンでさえ、午後8時に営業終了する。虚しい。
下唇が千切れるぐらい歯を食いしばって涙を堪え、ズカズカ歩く。
負けてたまるかよォ〜!と思った矢先、パンプスの底がベロベロに剥がれました。
しかも両足。あまりにも酷い仕打ちに私の心は終わりになり、ちょっと入った路地の植木に倒れ込むようにして座りました。
もう嫌〜!こっから電車で帰るってマジ?てか駅までまだ10分歩くってマジ!?都会、何!?
全部が無理になって、もうこのままトチ狂ってクソデカ車線の真ん中に踊り出るか!?とえぐえぐめそめそ。
そんなところに現れた、救済。女性の優しい声。
目の前にわざわざ座り込んで私に視線を合わせ、心底心配そうにこちらを伺う男女2人組。
「体調悪い?水とか買ってこようか?」と男性はタメ口だが確かに優しさのある、決して不快ではない声かけ。
いや道端で泣いてる見ず知らずの人間にいきなり触るか?とも思ったけど、今はとにかくその優しさが染みた。
話聞くよ、と言われたがあまり話したくはなかったので、ちょっと今日一日大変で……とぼかして話す。
それだけでもその男女2人組はうんうんと大袈裟な相槌を打ち、慰めの言葉をかけてくれる。
都会にもこんなに良い人がいるなんて……と感動し、お礼をメチャクチャ述べた。
それからちょっとした雑談に移る。男女は社会人サークルの仲間らしい。年も私と変わらないぐらいだ。
社会人になってから友達とも疎遠になるし、コロナ禍で人との出会いが少ないのが寂しくて〜、と女性が言う。
近辺のカフェを数人で巡っており、お勧めのカフェを聞かれたので、無難なところを答えた。
そこ、良かったら今度一緒にどうですか?と女性が差し出したのは彼女のLINEのQRコード。
カフェ巡りを趣味のひとつとしていた私は、喜んで連絡先を交換した。
それで彼らとは別れ、少し元気を取り戻しベロベロのパンプスで駅まで歩いた。
本当に良い人達だったなあ〜、良いカフェ探しとかないと。何人ぐらいで行くんだろう。友達増えるかな〜。
と電車の中でウキウキしながら、誰かに伝えたくて幼馴染に連絡した。
『それアムウェイじゃね?』
『うちのねーちゃんそんな感じで勧誘されてズブズブなうです!ウザすぎ(笑)』
だが一度メッセージが送られてきた。
『美味しかったー!また今度、一緒に行こうね!』
これはアムウェイじゃなくて本当にカフェ巡りサークルなのでは?と思ったが
幼馴染から送られてきた内容を思い出し、返信をグッと堪えた。
お礼をきちんと言えなかったのが非常に残念ではある。
それぐらいなら返信しても良かったのかもしれない、と今でも少し思うが
でもあの男女には本当に感謝している。
あそこで声をかけてもらっていなければ、あのまま帰れなかったかもしれない。
コロナ禍、ボロ布みたいな私を助けてくれたのは、間違いなくあの2人だ。
ツイフェミを観察して大まかな生態が分かってきたので記したい。
https://anond.hatelabo.jp/20210223230157
上記を書いた増田だ。変な意味で反響を頂いたので続編を記したいと思う。
まずは前回ありきの内容なので上記をまだ読んでない人は先に読んで欲しい。
映画というフィルターを何十層もかかりまくったコンテンツに触れる事で海外を知ったような気分になり
そんな私は先進的だと錯覚してしまう生態がいる。それが洋画ツイフェミである。
この生態は海外が生みだしたコンテンツを妄信してしまう傾向が強いように思える。(洋ドラマと韓国の映画やドラマも含む)
ハリウッド映画はポリコレ的にもLGBT的にも配慮するようになってきたのは事実ではあるが(とはいえエンドゲームで女性ヒーローだけいきなり集まるシーンは不自然だったと個人的に思う)
それはあくまでも映画内の話であって現実ではまだまだ差別や偏見が強く蔓延っているのは海外ニュースを見ていれば痛感するはずだ。
それでも洋画だけ見てその現実を直視せず海外は先進的だと思い込み、このまま日本は遅れており家父長制だとかホモソだとかの批判を始めてしまう。
これは昔から海外に留学や滞在して「これだから日本は・・・」と帰国してから言い出す症候群のようなものでもはや伝統文化でもあるが
ずっと日本にいて海外に行った事ないのに洋画だけ見てコレダカラ日本ハ症候群を患ってしまうのはちょっと落ち着いて欲しいとは思う。
邦画も嗜む人もいるが基本的に邦画は女性を搾取する要素が多いと(そう思い込んでいて)見下しているのだが
こないだ「テネット」という映画が公開され、俺も観に行ったのだが下手に口するとネタバレになるので超大雑把に言うと悪党が家庭内DVを振るっている場面があった。
これに関して洋画ツイフェミはどう反応したのかというとスルーなのである。スルーした上でテネットの出演者の画像やgifをペタペタ張り付けて尊い…と言って終わりである。
映画好きな人はなんで画像はともかくgifを貼りたがるんだろう?と思いつつ、映画の中でも都合の悪い現実は見ないのだろうかと思い知らされた。
あと女性蔑視に対してはとても敏感なのに映画の中で男性が辛い目にあったり、男性ではならの苦悩に苛まれているシーンに対して「苦しんでいる姿が素敵…」とウットリするのは何とも謎である。
鍛えている男優は多いのでムキムキだと「雄っぱいありがたや…(合掌マーク)」と、もし男が女優のおっぱいありがたや…と言ったら叩くよねそれ?と先進的でありながら性欲に介しては後進的なのも謎である。
ハリウッド業界で活躍する俳優は実力主義の世界で勝ち取り、ルックスもキャリアも素晴らしく自立した人間として完璧でこれ以上のない理想像であるのは間違いない。
しかしその理想像はその俳優の頑張りであってあなたの頑張りではないのだ。それにおんぶ抱っこするのは俳優に対して失礼でもあり
自分を成長する機会も見失ってしまうので俳優の画像を張り付けて満足して終わらないようにしてみてはどうだろうか。
正直言うと難しいのである。どう難しいかと言うと彼女らは間違いなく性的に消費されている立場なのだが
事情が本当に一人一人違うので「わかっててその道を選んだよね?」なんて言葉は言えないのである。
自業自得な人もいれば本当に運がなくてこの道を選んでしまった人もいるからだ。
商売とはいえ客を選べないのが辛い所で様々な男性の嫌な面を見てきて男性嫌悪が悪化してしまうケースは少なくない。
そこは同情もするのだが男性嫌悪が行き過ぎて客からのLINEをTwitterで晒し上げたり客からのプレゼントをそのまま売ってレシートを公開するのは
ストレス発散として多少考慮する所はあるとはいえ、それをTwitter上で行えて特に批難されないというのは女性特権を行使しているともいえる。
客からの指定が来るまでは待機なのでその間にスマホ触る時間が多いからかTwitter上ではとにかく男性嫌悪やフェミニスト的なツイートをRTをしまくってるのだが
正直これもストレス発散であり、思想としてそこまで強い拘りがあるわけでもなくただ男性を叩くツイートをフリスクを食べる感覚でRTしているだけのように思える。
男性を嫌悪しながらその男性を性的に奉仕するという矛盾は精神衛生上よろしくないのは間違いはないし本人の為にもならない。
金銭的に困っていなければ風俗を引退して一人の人間として見てくれる相手を探して欲しいのだが、結局ホストに走ってしまう。
エコーチェンバーについてはググって調べて欲しい。もし俺の口から説明したら矛盾するからだ。
俺が最初に出会ったツイフェミであり、俺がツイフェミを観察しようと思ったきっかけでもある。
そしてTwitterにいるツイフェミの大半はこれなんじゃないかと俺は思う。
恐らく最初は軽い気持ちでフェミニスト関係の人をフォローしたかRTしてきっかけを持ったに過ぎないと思う。
しかしその最初にフォローしたフェミニストが発信する情報の中に別のフェミニストがいてそれに関心を持ち始め、またフォローしていく。
そうして連鎖的に増えて行ってついにはフォローしているフェミニストの割合が3割超えた辺りから、その人はツイフェミと化してしまうのだ。
最初はフェミニストに関心もなかったし、趣味の事で話せたらと始めたはずのTwitterだったのに気が付けばツイフェミと変わり果ててしまった人は少なくはない。
実を言うとこれは他人事ではない。身内が陰謀論に目覚めたとか、反ワクチンやアメリカ大統領選挙の不正などを信仰してしまうように
ネットに触れる事で変わり果ててしまう人は昔から存在しており、今もなお増加しているのだ。
ここで勘違いして欲しくないのがフェミニズムを陰謀論と同じ扱いにしているのではない。情報が偏り過ぎてバイアスが起きてしまっていることに対して警鐘を鳴らしているのである。
ここからは個人的な話になるのだが上記の話は俺のフォロワーでもあった人の経過でもある。最初は趣味を通して知り合ったはずなのだが
気が付けば彼女はツイフェミに変わり果ててしまった。彼女はようやく本当の自分になれた気がしたと呟いたが、趣味を楽しんでいた時が一番貴方らしかったと思う。
趣味の呟き頻度は少なくなり毎日男性に対する攻撃ツイートにRTが続いていき、ついに俺はブロック解除してしまった。彼女は悪くはない。
そうして最初にリストにひっそりといれ、少しずつ増やしていったのが俺の観察の始まりだ。
ひとまずはこれで記すのは以上にしたいと思う。
リストの中でもツイフェミから離れて自分らしさを取り戻せた人はたまにいて
教員免許取得の定められた実習に介護等体験がある(教育実習だけじゃなくなった)。養護学校で2日、社会福祉施設で5日というもの。
私はこれで中学生の知的障害児が通う養護学校に行った。知的障害のある人と触れあうのは小学生の時以来で、上手く振る舞える自信など全くなかった。実際、養護学校の生徒たちと顔を合わせて怯まなかったかと言えば嘘になる。その時の気持ちを正直に言えば「怖い」だった。
どういう行動をするのか予想が出来ない。
どういう反応をされるのか予想が出来ない。
そういう人に対する純粋な恐怖。差別と言われても仕方ないが、これは生理的な恐怖であって22歳かそこらの小娘が易々と払拭出来るものではない。
しかし、養護ではないとはいえ仮にも教職を目指す者。「知らないから怖いんだ」「まず知ってみよう」と思い直し、なけなしのコミュ力を絞り出して実習中は極めて明るく振る舞ったと思う。おかげで2日目には生徒たちとも打ち解けることが出来た。
彼らの唐突な反応にびくびくすることもなくなってきた頃、一人の男の子が私にぴったりと寄り添って来てくれるようになった。私も嬉しくなり、手をつないで一緒に歌を歌った。その男の子は私の手を引き、にこにこしながら廊下の端の方まで連れて行った。結構な力持ちで、半ば引っ張られるような形だった。
そして彼は私に顔を近づけ、強引にキスをしようとしたのである。
ダメ!と言ってもにこにこしたまま口を寄せ続けた。聞こえていないかのようだった。当然、力は彼の方が強い。やられる…!と思った私は教職を目指す者としては最低の行為に及んだ。走って逃げたのだ。
その時の私、22歳で処女。ファーストキスもまだ。平均よりも恋愛に夢を持っていた方だろう。
怖かった。やっぱりどうしても怖いと感じてしまった。半泣きで走って(彼は笑いながら追いかけてきた)、養護学校の先生のいる部屋に「すみません!○○君が!」と駆け込んだ。助けてもらえると思っていたのだ。
「○○君、キス魔なんだよねー」にこにこ
この時の目の前が真っ暗になる感覚はまだ鮮明に覚えている。障害のある男の子より、先生の反応の方が怖いと思った。先生方は、キスぐらいさせてあげるのが普通だと思っているのか。ブスの実習生の貞操なんて福祉の前では守るものでも何でもないのか(今、考えればまさか先生方もいい年してファーストキスだとは思っていなかったとは思う…)。
結局、彼は逃げ続ける私に途中で飽きて、別の実習生について行くようになった。私はそれをハラハラしながら目で追った。ようやく実習が終わった頃には心身ともに疲れ果てていた。ひどく、恐ろしく、長い時間に感じた。
Twitterにいるフェミニストと自称している人をリストに100人ほど入れて暇な時に眺めているのが趣味だ。
そこで得た気付きをここに記す事で共有していきたいのがこの増田の目的だ。
ほぼ朝から深夜にかけて生息している。
朝起きたらまずニュースのRTから始まる。そして知識人のようにツイートをするが専門家ではないので内容は全く的を射ないのが殆どだ。
一人ワイドショーが終われば次は子供や旦那に対する不満や愚痴が始まる。殆ど似たり寄ったりなのでこればかりは全世界の主婦さんお疲れ様ですとしか言えない。
しかしここで子持ちか子持ちでないかで傾向が若干異なってくる。子持ちは国や家族の将来の不安などを視野に入れているのかどこか現実的な部分が見られる。
子供持たない主婦は旦那への不満が多く、現状ばかり文句を言っていて若干お姫様体質が多いように思えた。
そして旦那が家事をやってくれない系のツイートにはどちらも食いつきが良い。お前昼はずっとTwitterとソシャゲとドラマばっかして家事してないだろって主婦(主婦?)もやたらと食いつく。
中には旦那だけは好きだけど他の世の中の男性はマジファックだという主婦もいる。不思議な事にメンヘラを患っている率が高いので旦那をパートナーってよりご飯を食わせてくれる人形として見ているかもしれない。
アダルトチルドレン(以後AC)という言葉自体を聞くの久しい人がいるかもしれないが今も深刻な問題として力強く根付いているのである。
親からの愛情不足、または親の不仲、離婚などから来る結婚に対する不信感が拗れた結果ツイフェミに目覚める人がわりかしいる。
中には父親からの暴力がトラウマで男性そのものを心底から怯えてしまっている人もいて、それは可哀想だとは思う。
しかし結婚というより男女の恋愛に対して不純なものと見なしてしまう人も一定数いて、そこから極端となると反出生主義に走るケースも見られる。
このACツイフェミの多くはこの世に対する憎悪や怒りが根底にあってそもそも私がこんな目に合うのはこの家父長制が全ての元凶なのだと、それによるホモソーシャルや女性を性的搾取する強者こそが
我々の敵であり打ち倒せばきっと平和な世界が訪れるのだろうという分かりやすい魔王を作り上げる事で自分を奮い立たせている。
だから自分の人生がどうしてこんなに幸せになれないのかという思考が前提にあってフェミニストのいう男女平等とかは彼女らにとってはどうでもいいように思える。正確にはフェミニストではないかもしれない。
だがそれでも彼女らは自分を魔王を倒しに行く正義の味方なのだと振舞っており、もし彼女らにとって都合の悪い情報が入ってもそれは一切見ないようにして
男性でも弱者はいるという現実も彼女らは絶対に認めようとしないのである。男性の時点で加害者であり魔王なのだという前提が彼女らの心の支えになっているのだから。
親の都合で不幸になるのは同情するし、出来る事なら幸せになって欲しいのだが他人の弱者を見て見ぬふりをしたり踏みつけて良い理由にはならないのもいつかは気づいて欲しい。
はっきりいってこの生態はクソオブクソである。
腐女子なので男性向きの漫画やアニメを好んで摂取している傾向にあるのは言うまでもないが
男性をターゲットにしたからこそのセクシー描写に対してやたらと厳しいのである。その時にお決まりの言葉が「この作者古い価値観のままで、アップデートしてない・・・」だ。
ちなみに俺はセクシー描写ぐらいはいいと思うが、セクハラ描写に対してはやや否定的な立場なのでラッキースケベで胸を掴んだりとかはどうなんだろうとは思うし
何よりも権力を利用して相手の身体を弄ぶようなパワハラでもあるセクハラが俺も到底許せないと思う。こればかりはセクハラに文句を言う腐女子の立場も理解できる。
ところがその男女間のセクハラにやたら厳しいはずの腐女子がハマっているコンテンツやその二次創作を目にすると何とも驚くのが
セクハラしまくりなのである。胸をまさぐるし、しかも上司が立場を利用して部下を脅したり(逆もあるけどそれは割愛)と権力によるセクハラが普通に好まれているのである。
純愛だからいいんですといってもどう見ても相手嫌がってるんですがそれは。フィクションだからいいんですといったらさっき上で言ってた女性へのセクハラもいいんですってなるぞおい。
そう腐女子フェミニストはとにかくダブスタしまくりである。自分の言った言葉が見事に自分がやってる事に刺さりまくりなのである。
しかし腐女子はそれを絶対に認めようとしない。BLは尊いだとか素晴らしいとか強引に理屈をつけて男性が考えるセクハラとは違うんですと開き直ろうとしている。
それ以上に厄介な問題もある。鍵をかけているのならともかくとしてTwitterというオープンな世界で腐トークを撒き散らすのである。
文が得意とする腐女子は長文感想(ツリーが10個ほどある)垂れ流したり、絵が描ける人はドキツイ二次エロを放流したり、それに対して絶賛しまくる腐女子。
女子の中でも腐女子はお気持ちが本当に強すぎるのである、感情が魂と直結してしまっているのだろうかとにかくいきなりお気持ちを爆発するので周囲にとっては自爆テロに等しいのである。
腐女子は学級会を行って度が越えた行為や発言は控えているとはいうがSNSが浸透してからはその自浄作用はぶっ壊れているように思える。
二次元の男性は好きだけど三次元の男は嫌いですというのはオタク特有の理由だろうからそれは別にいいとして
BLというのは実際に男性を性的搾取するのが前提のコンテンツなのは間違いはないし、ましてやゲイではないキャラクターを強引にゲイにして入れるか入れられるかの組み合わせにするのは正直どうかと思う。
はっきりいってBLは多くの人に見逃されているコンテンツともいえる。ポリコレで言えばグレーすぎるしもしもゲイ達が立ち上がってBL反対運動なんて起こせばBLは簡単に吹き飛ぶのである。
地上波でBLドラマが流れても不快だ!セクハラだ!と怒る男性はいたのだろうか?嫌なもの観ちまったなとそのまま黙って終わるのが殆どではないだろうか。
はっきりいって腐女子はよそ様のコンテンツに物申せる立場ではないのだ。更に言えばフェミニストという視点からでも一番遠い立場にいるのが腐女子なのだ。
それなのにフェミニストですが何か?って厚顔無恥な腐女子がなんと多い事か。フェミニストでもなくむしろ足を引っ張っている立場だというのに。
BL好きならばゾーニングを心がけたり、SNSのようなオープンの場所で下ネタだらけのトークなんかせずにその専用のアカウントを作って鍵をかけて欲望を吐き出したりと色々と工夫はあるはずだ。
ある男が、自分を愛している3人の女の中で誰を結婚相手にするか長いこと考えていた。
そこで彼は3人に5億円ずつ渡し、彼女らがその金をどう使うか見ることにした。
一人目の女は、高価な服と高級な化粧品を買い、最高の美容院に行き、自分を完璧に見せるためにその金を全て使って、こう言った。
「私はあなたをとても愛しているの。 だから、あなたが町で一番の美人を妻に持っているとみんなに思ってほしいのよ」
二人目の女は、夫になるかもしれないその男のために新しいスーツやシャツ、車の整備用品を買って残らず使いきると、こう言った。
「私にとってはあなたが一番大切な人なの。だからお金は全部あなたのために使ったわ」
最後の女は、5億円を利殖に回し、5,000兆円にして男に返した。
「私はあなたをとても愛しているわ。 お金は、私が浪費をしない、賢い女であることをあなたに分かってもらえるように使ったのよ」
......男は考え、3人の中で一番若くておっぱいの大きい女を妻にした。
まず言いたい。ネットを舐めんな。今の時代どれだけネットが世間を動かすと思ってんだ。ネットのヘイトスピーチがどれだけ問題視されてると思ってんだ
女叩きによってどれだけ女が傷つき、男性不信に陥ったかわかるか?多感な時期の少女にもトラウマを植え付けたのがわかるか?
趣味を楽しんでいても、不意打ちで「これだから女はゴミ」「女は劣等種」という文章を見る気持ちが
趣味の場でもグロ画像テロなどをやられ「女がコンテンツをダメにする」と排斥される気持ちが
性犯罪や海外で女性が殺害されたニュースに必ず下劣な被害者叩き、女叩きのコメントを見る気持ちが
性被害を語れば「嘘松まんさんw」「自業自得の被害者面まーんw」と言われる気持ちが
「男子トイレに女性が入って中にいた男が逮捕された」とかいうデマが簡単に真に受けられ、女叩きと共に広まっていくのを見る気持ちが
そうしてそれに染められて、一緒になって女叩きする同性を見た時の気持ちが
私は女叩きで本気で病んだよ。自殺未遂考えたよ。人生狂わされたり精神薬も飲んでるよ。
これ全部弱者男性がやってるとは思わない。でも、弱者男性であろうとなかろうと女叩きしたということはこのヘイトに加担したんだよ。
確かにDVとかサークルの集団レイプとかはしないかもしれない。強者男性の加害の方が多いかもしれない。性犯罪者は他の犯罪者と比べて高スペックが多いらしいからな。
だが弱者男性の加害がゼロなわけではない。自称陰キャの盗撮アカウント、女子の私物にぶっかけてるアカウント、晒し依頼とかやってるアカウント、沢山ある。
陰キャというのが本当かはわからない。だが弱者男性だって加害は「できる」んだよ。
弱者男性が加害したら「弱者男性だから仕方ない同情の余地がある」みたいに言って、強者男性が加害したら「見ろ。加害するのは強者男性だぞ」とかダブスタかます奴を何人か見てきたぞ。
「でもな、弱者男性が面と向かって、声高に弱者女性のことを批判しているのを見たことがあるか?」
ネットで拗らせた男が女の前で女叩きを披露した、って言う体験談は沢山あるけど、その男のスペックは彼女持ちや既婚者もいたがいわゆる弱者男性も沢山いるぞ。
拗らせたニートの兄が妹に女叩きしたり結婚を邪魔しようとした体験談、増田にあったろ。
「就職活動ではな、ちょっと体を使うような仕事はすべて惨敗したよ。たぶん、俺の身長が平均よりずっと低くて、胃が弱いせいで昔から少々だから体もガリガリでこんな仕事できないって判断されたんだろうな。今の職場でもロッカーの上の荷物は手が届かないし重いモノを運んでると周りに心配されるよ。俺これでも男なんだぜ。」
女もそうだよ。肉体労働にはつけないよ。
それに、「男だからって重い物を運ばされるのは男性差別」だってよく言われるだろ。いいじゃん男女問わず弱者は平等に心配されて。
「新入社員の顔合わせで頑張って場を盛り上げようと喋る俺より、黙ってるイケメンの方を女子が寡黙でかっこいいねって言ってて悲しい気持ちになったぜ」
お前だって明るいブスよりも黙ってる美人の方を内気で可愛いってなるだろ。ならない?
そりゃハードな人生かもしれない。だがそれでも、性被害に遭って何年も何十年も苦しみ続け、日常生活すら送れない女性達の方がよっぽど苦しんでるしそれに比べりゃイージーすぎると思うぞ
#性被害者のその後 タグをツイッターで見てみれば、地獄みたいな世界が広がっている。多分彼女達は幸福度調査には入ってないんじゃないかと思う。入ってたとしてもアンケート調査じゃ伝えきれないだろうな。
というか、女友達ができる時点で多分弱者男性の中でも羨ましがられる立場だぞ
あと、あなたはモテないことというよりブラック企業に苦しんでるように思う
「長くなってしまって申し訳ない。弱者女性は辛い、弱者男性も辛い、そういう考え方でいいんじゃないかって俺は思うんだ。おまえはどう思う?」
昔の話。
ある日電車に乗っていた。片田舎の電車で、座席は4人掛けのボックス席、で、その車両に乗っているのは私ともう1人の男性だけだった。もしかしたら他にも居たのかも知れないけれど、見えなかった。
で、私とその男性、全然別のボックス席に座ってるんだけど、なんのきっかけも無くその男性が私のいるボックス席に移動して座ってきた。
なんなんだこれ、と思ったが、わざわざ自分も別の席に行くのも印象悪いし、と思ってそのまま座ってた。男性は時々こちらを見てたけど、ガン無視した。
そしてそのまま何か会話も発生せず、何事もなく目的地に着いたので降りた。
今思うと、明らかな不審者の心証を気にして席を移らなかった自分はアホだが、多分これはそうして席を移ったらもっと面倒に粘着されていたとも思う。
夕方のニュースよりも、先週の時点で天気予報見てて、今日明日が寒いことはわかってたけど、格別、、、、
前半は、めちゃくちゃ遊ぶ女性につかせてもらい、女の子1人1本ずつボトルをいただき、まま飲ませていただき、大変ありがたかったです。
あー、その前にキャッチした男性が、女性アパレル産業の元社長とかなんとかで、パパ活の話してた。
正直、闇が深いと思った。都内16万の家賃が払えずピンクの冷蔵庫買うためにお金足りないから生でする子、茶飯だけの予定が「お金が欲しいので大人してほしい」という子。
「えっちしてほしいって女の子が言うんだもん」と少し困ったように言うけれど、えっちしてほしいのではなくお金が欲しいのです。でもお金を稼ぐのに、単純に「カラダ」が出てきてしまう短絡な女の子も女の子だなぁと思う。
仕事のターゲットが女性だから女性のほしいものが分かる、その人自身のコミュ力と財力なぁ……。
女の子が言ってたという「私の賞味期限は25だから、それまでに若さを使って稼いで何が悪いの?」は非常に分かるよ。私も所詮、若いことに金銭的価値を出したくてガルバやってるからね。
でも、段階ってものがあるでしょう…。あと去年の暮れまで10数人と同時に関係持ってて、性病かかった男とさ…金のためだけにやるなよ…。
その男の偉いとこ?は、オキニ数人には検査代出すからって検査させたとこだけど…あ?偉いか??ちょっと感覚バグってきましたね…??
キャッチして席ついて一言目に「パパ活やってそう」でしたからねぇ…
やろうと思えば、私もできるのでしょう。
でもやらないのはなんなのだろう、って多分まだ処女だからだろうけど、処女じゃなくてもやってなかったと思う。ガルバも早く辞めたいと思ってるからね。
全くすごい世界だ。
あ、あと今日は、なんか警察に通報された?らしくて、キャッチ中に店に戻りました。
初めてだったから、へぇ、通報されることもあるんだぁって感じでした。
通報って言っても言ってることめちゃくちゃで、私たちは声をかけることも、相手と距離を詰めることもしないので、完全に他店の嫌がらせってことになり、また外立ちに行きました。