「ご近所さん」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ご近所さんとは

2009-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20090324020527

とりあえずカラオケに行け。

お前がご近所さんだったら通報してるわ。深夜2時にソレは公害

2009-03-14

貴様はてサ根本的に誤解しているのでarimす

http://anond.hatelabo.jp/20090313153918

自分が左寄りだと認識した上で自分の考えを言うのなら嫌いじゃない。そういう人は相手と摩擦が起こらないように話し方に工夫をするしな。でも、そういうことを認識しないまま、左寄りな意見世論そのものみたいに考えちゃってる人がいるような気がしてならない。

ナチュラル左翼的発想が出てくる? 冗談キツイぜ。

はてなにおける左翼、いわゆる「はてサ」とは何か。

これはもう、「俺はサヨクである」という強烈な自負をもって活動的ブクマをしている人たちに他ならない。

不快のみで物事を決定して動物的にコメするネトウヨに対して、はてサは「今までの経験から鑑みて、『はてサ』ならこう言うだろう」というある程度計算に基づいたテンプレ回答を返してくる。なぜはてサにはそのような打算をせねばいけないのか。

それはつまるところ、2chウヨとはてサ誕生する過程の違いなのだ。

2chウヨは匿名掲示板での活動が主だ。

匿名リアルより簡単にマジョリティを演出できる(もちろん一人や二人では無理だけど)システムだ。

空気」さえ作ることができれば後は楽勝だ。

ゲームお笑いを餌にして、イノセントなおガキ樣を釣れば教化は八割完了したようなもんだ。

しかしだからこその問題もある。名無しである以上、彼ら自身のグループの中から可視オピニオンリーダーを選ぶことは難しいのだ。

彼ら自身が識別可能な唯一の仲間、それは自分自身に他ならない。

大多数の仲で、浮き彫りとなってエンファサイズされた己の存在認識した瞬間、ネトウヨの中で記憶認識捏造が生じる。

「みんなが言ってるから正しい」という受身な姿勢から「俺の主張にみんな賛成してくれている。俺は正しい!」という世界の中心で俺を叫ぶ姿勢への転換だ。つまりは自意識の発露だ。なるほど、ネトウヨが十代にウケるのも道理かもしれない。

「己に対するトートロジカルな自信」と「圧倒的な(と自分では思ってる)賛同者数」。後者権威は強固だ。非難しても揺らいだのかどうかすらわからない。だが、その存在曖昧さが不安を覚える者だっている。奇妙な盲信に嫌悪感を抱き反発する若者を、ひいては血気盛んなマイノリティを生み出す。では、そんな怒れるはみ出し者たちはどこへ行くのか?

はてサは生まれついての少数派だ。

まず、母体となるはてなー自体の数も2ch比べて圧倒的に少ない。

宗教法人よろしく信者数の捏造なんてできない。数では自信が持てない。

ではどうするか。はてな特有の武器はあるか。idだ。ではidをどうやって使う?

馴れ合いに、だ。

匿名文化には生まれ得なかったオピニオンリーダーたちを輩出させ、

そいつらに"繋がらせる"。そいつらと繋がらせる。

トラバを打つ。ブクマをさせる。twitterで呟かせる。

それにぞれに対応した権威付け方法がある。

はてブはてなスター。ふぁぼ。

つながり乞食の相互確認手段でしかなかったはずのこれらの馴れ合い手段。

しかし外から見た人間たちは誤解する。「ああ、こんなに人気があるのか」と。

「言われてみれば、正しいような気がする。面白いような気がする」

数が生まれる。決して人数は多くない。だからこそ徹底して教育してやる必要がある。

その教育施設として最も悪名高いのが「はてな村」と呼ばれる場所だ。他人の揉め事ほど面白いものはない。

エンターテイメントを売り物にする点ではそうはてサネトウヨの手管に違いはない。

対岸の揉め事ネタを通して、信徒は論者たちのキャラに対しての理解も深め、やがては親近感を覚えるまでに至る。

畏怖憧れ尊敬同調蔑視性的好意その他様々なものが交じり合って人と人の結びつきは強くなる。(そのほとんどは「自分が一方的に深くつながってるつもりなだけ」だけど。だからオフ会で「お前は俺のことご存知だけど、俺はお前を存知ねぇよ」的なエピソードがばんばん出てくる)。はてサにとっての正しさとはつきつめれば「俺が信頼している○○さんが正しいから正しい」だ。信頼に強調打ってもいい。信頼

そして、敵がいる。ウヨにとっての在日だとかアカだとか、そんなヒキコモリにとっては想像上の生物でしかないよーな敵ではない。もっと卑近である種の親近感を覚えやすいやつらだ。ワンクリックアクセスできるご近所さん2chねらーだ。

はてなーは大抵2chからの流民だったりする。自分が前に所属していたグループを見下すほどの快感はこの世に存在しない。

そこからつまはじきにされた元いじめられっこなら尚更だ。

「尻の青いがきどもめ。貴様らはまだそんなところに這いつくばっているのか」

人はそれを高二病と呼ぶ。

はてサにとっての教化はまさにこのステージへの移行をもって完了とする。

あとはその状態をいかに維持するか。単純だ。延々とネトウヨをクソがきと馬鹿にしておけばよい。

そのためにはまず強力に「俺ははてサである」という自己暗示をかける必要がある。

だから彼らには"そういうこと(はてサであること)を認識しないまま~"というのは当てはまらないし、有得ない。

そう、はてサは常にネトウヨ存在が前提にある。自然、態度は後出しじゃんけんにならざるをえない。

"嘲笑"は彼らにとって義務だ。"ねちねちしたコメにスターをつける"のも同様。

互いに即座に代わりが聞かない存在である以上、仲間内で権威付けをしあわなければいけない。敵を貶めなくてはいけない、"摩擦"を起こせ。

ブクマコメテンプレ的になるのも、コメ対象となる「問題」に常に「正答」が存在するからだ。はてサとしての100点回答が。

一億と二千回繰り広げられてきた問答で先輩たちが血を吐くような思いでひねり出してきた知識のリサイクル

"生まれついてのはてサ"などは存在しない。

2009-02-18

http://anond.hatelabo.jp/20090218205723 (ハアレツに寄せられたコメント) の訳抜

おつかれさまです。まず一箇所、訳抜けのところ。

Title: re #5

Name: B

City: SF State: CA

I get where you're coming from because I'm tired of utopian solutions from dreamers in Europe.

ヨーロッパ連中が言うユートピア的解決にはもう飽き飽きしちゃうよね。

  ↓

ヨーロッパ連中が言うユートピア的解決にはもう飽き飽きしちゃっているから、あなたの出身地に来ました。

ということでは。

#5の「ドンキホーテ」のコメントの人(Fed Upさん)は、この記事のコメントではCityのところに「バルセロナ」と書いていますが、おそらく別の記事のコメント欄で「米国出身」ということを書いているのではないかと思います。なおかつ、このコメントの投稿者のBさんは、Fed Upさんと過去にやり取りしたことがあるのでは、と。(ハアレツはコメントのページからコメント投稿者の過去コメントを確認する術がないようなので、推測することしかできませんが。)

 

 

同じコメントから:

I know we're not used to having media acknowledge our citizens as people, so we get defensive, but I give Mr. Murakami the benefit of the doubt.

メディアはぼくらを人間あつかいしないから、防戦一方だけど。でも村上さんに対して性急な判断は控えたい。

  ↓

確かに、メディアがぼくらを人間としてみなすことにぼくらは慣れていないから、どうしても防御的になるけど、村上さんに対して性急な判断は控えたい。

このdefensiveは「何かあると攻撃されていると思って過剰に身構える」といった意味でしょう。

(ところでここの「性急な判断は控えたい」って、いい訳ですね!)

 

 

もう少し下の方:

From his speech I feel he's criticizing the entire system that has our neighbors trying to destroy us in the first place and the world legitimizing it and the common acceptance of boycotting Israel because it's the in thing to do.

ぼくらのご近所さんイスラエル破壊しようとしている事、世界がそれを正当化しようとしている事、イスラエルボイコットの考えが一般化する事を強制するシステム全体を非難しているようにぼくには思えた。

ややこしい文ですね、これ。

he's criticizing

  the entire system that has our neighbors trying to destroy us in the first place

  and the world legitimizing it

  and the common acceptance of boycotting Israel because it's the in thing to do.

という構造ではないでしょうか。したがって、

彼の講演からは、まず(←in the first place)、ぼくらのご近所さんイスラエル破壊しようとするのを許している(←ちょっと訳語が変。that has our neighbous のhasが《使役》)システム全体を非難し、それを正当化している世界を非難し、流行しているから(←the in thing)という理由でイスラエルボイコットすることが一般に受け入れられていることを非難しているように、ぼくには思えた。

※「訳語」はちゃんと検討していませんのであしからずご了承ください。

 

 

あるいは、

he's criticizing

  the entire system that has our neighbors trying to destroy us in the first place

  and (the entire system that has) the world legitimizing it

  and the common acceptance of boycotting Israel because it's the in thing to do.

という構造かもしれません。この場合、

彼の講演からは、まず、ぼくらのご近所さんイスラエル破壊しようとするのを許し、また世界にそれを正当化させているシステム全体を非難し、また、流行しているからという理由でイスラエルボイコットすることが一般に受け入れられていることを非難しているように、ぼくには思えた。

常に卵の側に(ハアレツに寄せられたコメント

http://anond.hatelabo.jp/20090218005155

村上春樹:「常に卵の側に」( http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html )でハアレツに寄せられたコメントの一部です。


http://www.haaretz.com/hasen/objects/pages/ResponseDetails.jhtml?resNo=4542207&itemno=1064909&cont=2

Title: To Mr. Murakami: a few words of reply from an egg

Name: A Philosopher

City: State:

First, let me welcome you to the region. Second, I would like to disagree with you about your description of literature as a skilful lie. A lie must, by definition, involve malice, deception, whereas literature is about imagination: there is no malice about that. Unfortunately, much of what you hear lately on international TV about Israel are indeed lies, not even fiction. You say that Israel is the wall and the Palestinians are the eggs, just because we have Tanks. You tend to forget that the Palestinians are part of more than one billion Muslims in the world, many of whom would like to get rid of Israel if they just could. You also forget that if the situation were reversed and the Palestinians were instead in possession of tanks, there wouldn`t be any eggs left in the middle-east. The wall we build is exactly to protect us, as eggs, from the wolf lurking outside. And If the terrorists didn`t use their own eggs as shield, they wouldn`t break either. All the best to you.

題:村上さんに卵からいくつかの回答

まずは、中東までご苦労さまでした。で、技巧に富んだ嘘として文学を称された件については賛成できません。嘘とはその定義によれば、悪意やごまかしを含んでいるのに対し、文学想像力に関するものであり、悪意はありません。不幸にもイスラエルに関してあなたが国際報道で目にしたことはまったくの嘘であり、創作でさえありません。イスラエルは壁でパレスチナは卵だとおっしゃられますが、たまたま戦車が私たちにあっただけです。お忘れのようですがパレスチナは10億以上の人口を抱えるイスラム世界の一部です。その多くがもし可能ならイスラエルを消滅させたいと願っています。逆の立場で考えればパレスチナ人戦車を持ったら中東から卵は消え去る事も思い出して下さい。外をうろつく狼から身を守るためだけに私たちは壁を作ったのです。テロリスト自分のところの卵を人間の盾に仕立てなければ、割れることもなかったでしょう。

ごきげんよう


http://www.haaretz.com/hasen/objects/pages/ResponseDetails.jhtml?itemno=1064909&resNo=4543094

Title: Like Quixote tilting at windmills

Name: Fed Up

City: Barcelona State:

I don`t doubt that this fellow`s books may be addictive, but I do doubt the value of getting hooked on stories that are all, apparently, based on a false ontology of the world being clearly divided into "walls" and "eggs." As talkback #1 points out, even tank-drivers have their fragility, and to deny their humanity by summarily labeling them "walls," and considering them to be part of some chimerical menace called "the system," is to paint a thin veneer of chivalry over a rotten base of moral recklessness.

What`s been going on in Sderot over the last several years? Have Gazans, driven to desperation by the evil system-monster, been left with no option but to toss their eggs against the walls that surround them? Is it evil for people on the receiving end to retreat unto bomb-shelters (aka "walls") against which these eggs can`t help but break?

Mr. Murakami, walls don`t break eggs unless there is someone throwing those eggs.

題:まるでドンキホーテ

彼の本がやみつきになるのは私も否定しないが、与太話、明らかに間違った本体論、つまり「壁」と「卵」とに世界を分類するというのは何の意味もない。1番目のコメントが指摘するように戦車の兵士だって(卵のように)壊れやすい。あっさり彼らを「壁」とひとくくりして、「システム」という名のでっちあげた脅威にしたてるなんて、わけわからん理由で廃屋に挑む騎士のようなもんだ。スデロット(Sderot)でここ何年もなにが起きている?ガザ連中は悪のシステムモンスターのせいでやけっぱちのやけくそ自分とこの卵をぐるりと囲む壁に投げつけたというのだろうか?シェルターに追いつめられた(これも「壁」だよね、卵は仕方なしに投げつけられて壊れる)人々が邪悪だって?村上さん、誰かが卵を投げなければ壁は卵を壊さないんだよ。


http://www.haaretz.com/hasen/objects/pages/ResponseDetails.jhtml?itemno=1064909&resNo=4543134

Title: wall & eggs

Name: JR

City: Amsterdam State:

bit folish to say that the only option is that the hurt civilians are the eggs and the israeli tank and bombs are the wall. Never thought that the israel people are the eggs in a small basket called eretz jisrael which is surrounded by a rather large muslim wall?

No fiction here mr , just hard facts.

Kind regards from the Netherlands

題:壁と卵

負傷した人々が卵でイスラエル戦車爆弾が壁だとしか言えないなんてちょっとまぬけだね。もっと大きいムスリムの壁に包囲されたイスラエルの地(eretz jisrael)という小さなかごにいる人たちが卵だって考えなかったのかね?フィクションじゃないよ、ちゃんとした事実だ。


http://www.haaretz.com/hasen/objects/pages/ResponseDetails.jhtml?itemno=1064909&resNo=4543210

Title: re #5

Name: B

City: SF State: CA

I get where you`re coming from because I`m tired of utopian solutions from dreamers in Europe.

But I believe Murakami is a guy who also understands the tank driver and our kids in Sderot. I know we`re not used to having media acknowledge our citizens as people, so we get defensive, but I give Mr. Murakami the benefit of the doubt.

From his speech I feel he`s criticizing the entire system that has our neighbors trying to destroy us in the first place and the world legitimizing it and the common acceptance of boycotting Israel because it`s the in thing to do. This guy is acknowledging our fight to overcome this as individuals and as societies.

This guy is deeper than our critics from Europe, and this guy is a novelist, not a critic.

In Norwegian Wood he painted a really accurate picture of some self-righteous university organizations, quite similar to many of our critics. All I`m saying is before dismissing him or arguing, see that he`s not picking fights or sides.. besides us eggs

題:「ドンキホーテ」のコメント主へ

ヨーロッパ連中が言うユートピア的解決にはもう飽き飽きしちゃうよね。

村上戦車の兵士やスデロット子供たちも理解していると思う。メディアはぼくらを人間あつかいしないから、防戦一方だけど。でも村上さんに対して性急な判断は控えたい。ぼくらのご近所さんイスラエル破壊しようとしている事、世界がそれを正当化しようとしている事、イスラエルボイコットの考えが一般化する事を強制するシステム全体を非難しているようにぼくには思えた。こいつは僕らの戦いが個人として、社会として克服されるって事を知ってる。

ヨーロッパ評論家よりずっとわかってるし、彼は小説家であって評論家じゃない。

ノルウェイの森に出てくる独善的な学生運動家は評論家連中みたいで、きっちり描かれている。彼のことをくさす前に、論争を挑んだり一方の側につくつもりがないのを理解しないと。

2009-01-30

タッくんのこと

もう20年以上も前の話だ。

タッくんは足が悪かった。

タッくんと僕は、幼稚園から小学校まで一緒だった。

5, 6年生のときのクラスも同じだったから、そのときのタッくんのことはよく覚えている。

タッくんは生まれつき足が悪かった。

幼稚園の時は少し片足をひきずるような形で歩いていたが、お庭ではみんなと遊んだし、

運動会にも参加していた。もちろん速くはなかったが。

小学校に上がると、随分と悪化したように見えた。

運動会の50メートル走でも、ハンデで25メートルラインからスタートするという方法で

参加するようになっていた。小学校高学年の時は、もう運動会には参加していなかった。

その頃からは日常生活では車イスに乗るようになっていた。

小学校ではいろいろな係活動があると思う。

黒板消し係とか、掲示係とか、いきものがかりとか。

それと同じ並びで、タッくん係というものがあった。

タッくんの車イスを押してあげたり、階段ではおんぶしてあげたりしてあげる係だ。

タッくんは忘れ物や落とし物が多かったし、それにちょっと怒りっぽいところもあった。

それに対して周りのみんなは、さすが小学生というべきか、とても優しく対応していた。

タッくんをいたわるという労は惜しまなかったと思う。

あるときの学級会で、そのことを議題に上げる子がいた。ミホちゃんだ。

「みんな、タッくんを甘やかし過ぎじゃないの?」

「タッくんは足が悪いだけなんだから、それ以外のことは、みんなと同じでしょ?」

ミホちゃんは、タッくんのご近所さんで、タッくんの良き理解者でもあったように見えたし、

なによりも頭の良い子だったから、みんな少し驚いた。

「ミホちゃんって冷たい」みたいな空気が流れた。

でも逆に僕は、衝撃を受けた。

ミホちゃんはすごいと思った。

こういうのが差別なんじゃないかと、おぼろげに理解できた。

そして、僕はミホちゃんをフォローした。

結果的に、タッくんに対しては、もう少し厳しく応対する、つまり、いろいろな意味

他のみんなと同じように接するということで落ち着いた。

タッくんはその後も悪化の一途をたどり、中学からはみんなと同じ公立の中学

行くのではなく、少し離れた養護学校に通うことになった。

それ以来僕はタッくんに会っていない。

中学に上がると、タッくんのことは急速に忘れて行ったが、たまに親から状況を聞いたりしていた。

本当の病名が、筋ジストロフィーというもので、現代医学では治らないこと。

そして、少なからず衝撃を受けたのが、命にも関わる病気で、もって20才くらいまでだということ。

それから僕は高校にあがり、大学に上がり、成人式を迎えた。

その間タッくんのことを思い出すことはほとんどなかったように思う。

成人式から幾日もたたないうちに、タッくんの訃報を聞いた。

ああ、来るべきものが来てしまったなと思っただけで、特別な感情はわいてこなかった。

僕は1人でお通夜に行った。これももう10年以上前の話だ。

遅く行き過ぎたせいで、弔問客はすでになく、タッくんのお母さんと直接話ができた。

もとから絵がうまかったタッくんは、養護学校に行ってから絵を勉強して、最近まで、

ずっと描いていたのだそうだ。

ただ、最近では、手も思うように動かなかったから、絵筆を口でくわえて描いていたという。

最後に描いた絵を絵はがきにして、弔問客に配っていたので、僕もいただいた。

これから逝ってしまうときに描いたとは思えない、さわやかな夜空とお月様が描かれていた。

足だけでなく、手も不自由になっていたということは少し驚いたが、筋ジストロフィーというのは

そういうものなんだろうと、妙に納得した記憶がある。

先日、引っ越しをするとき、荷物の中からその絵はがきが出てきた。

なんとなくタッくんのことを思い出し、それから筋ジストロフィーのことを調べてみた。

wikipedia のページを見て、筋ジストロフィーの症状として、精神薄弱などもあることに気がついた。

まさか

あれは病気とは無関係じゃなかったのかもしれない。

タッくんの落とし物が多かったことや、怒りっぽかったことは、病気のせいだったのかもしれない。

涙がこぼれてきた。

僕と、ミホちゃんがタッくんにした仕打ち。

なんて酷い。

2009-01-20

ううううぇぇぇぇ

職場の女が臭い

背後を通った一瞬後、いきなりうぇってなった。

吐き気がして、涙までうっすら出てきた

もういい歳なのに(いや、いい歳だからか?)

なんで職場にそんな香水振りまいて来るんだ?

嫌がらせか!?嫌がらせなのか!?

あまり近くに寄らない相手だから、

普段からこうなのかは分からない

いずれにせよ、席がご近所さん地獄だろう…

隣の女が臭いネタ増田でチラホラ見たけど

まさか自分が被害に遭うなんて思ってなかったヨ…

2008-12-18

こもりがき

昔、八年くらい前、自分のことだまでお金を貰ってみたいって憧れがあって、公募がたくさん載ってる雑誌を買った。何かの賞に応募しようと思って買った。はずなんだけど、何故か懸賞ものだけ応募して(ジュース)、しかも当たっちゃって(ジュース一箱)、それで満足して終わってしまった。ジュースは飲み切れなかったからご近所さんに配った。

その数年後、色々あって、ちょっと雑誌の記事書いてみませんかっておひゃーがあったんだけど、たまたま超絶どん底フィーリング期だったもんでやむなく音信不通にしちゃって、当然お流れちゃんちゃんになった。

去年くらいに知り合いの人が小説書いてあっさりデビューしてたの見て、じゃあおらもやるだー的な軽いノリで何か書くことを決意して、そういうの募集してるとこ探すのはそのうちやろうと思って、そして現在に至る。今こそそのそのうちだ!みたいな気持ちになったからぐぐってそのそのしてる。

でもやっぱ実際にお金の表記あると怖気づくね。今増田に書いてるこの文も、読んでくれる人がいるならむしろこっちがお金払わないかんような気になってくる。八年前もそんな気持ちでジュースに走ったんだろうなあ。決してジュースたっぷり飲み放題に惹かれた訳じゃなく。断じて。

ちなみに長めの小説は書くどころか読んだことすらないので、さすがに本気で入賞する気は無い。チャレンジ精神の先走り自体を楽しむ感じ。いいだけ楽しんだら、適当落選って現実自分に見せておしまいにしようかなとか、そんなアバウトな未来予想図殴り書き。でも怖気づいちゃ世話ねー。ちゃん。

とりあえず応募するしないは置いといて何か書こう。たぶん書くだけで満足して寝られる。子守書き。

2008-12-05

http://anond.hatelabo.jp/20081205190750

いや、ご近所さんの心配は、最近流行りの「子供と見れば殺意」的なアレでした。

その後も、ご近所さんの方が心配して声掛けしてくれたりしたので。

(流石に苦情主なら、そこまで演技しないだろう

…してたらそれはそれで怖いが)

大きい小さいはあっても、みんな子持ちだから、うちにそういう話があった事で

自分の家の子供に危害がないか、って事を心配してました。

一ヶ月以上立ってから

「XXさんも心当たりないって!」

って、教えてくれたりもしたし。

奥様方プチ大走査線でした。

重ね重ね、うちの場合は「甥」なので、うちに住んでいるわけでもないので

ご近所の子供環境には疎いし、情報網もない。

うちからは最初に謝りに回ったきりでしたので、

嬉しいやら困惑するやらではありましたが。

色々親御さんは神経質にならざるを得ない時代なんだなぁと。

2008-11-19

葉っぱ

アメリカ学生寮ルームメイトが良く葉っぱパーティーやってたのを思い出して、ちょっと。あれ水パイプでもなんでも、吸ってる時の匂いがすごいの。吸って半日から一日くらい部屋の共用部分はソレ臭い香りが漂う。ストリートビューで揉めたあの日本的な都市の入り組み具合を思うと、都心マンションとかアパートとかで吸ったら、ご近所さんや共用部分が副流煙で大変そう。欧米ブロックの街と違って「裏路地」じゃなくベランダとかに換気扇の排気が出てくるし。夏場どうするよ?今みたくこっそりやるならまだしも、もし仮に合法化して堂々と吸ったら、嫌煙権とかでもめないかなあと。慣れない人には嫌な香りだし。

2008-11-02

義母に結婚に反対され、忌み嫌われながら結婚5年目

結婚(と離婚)にはたくさんのエネルギーを要するという話をよく耳にします。私の場合もまさにそうでした。今になって書けるような気がするのと、今になっても納得できない部分もあるのでまこと自分勝手ながらこちらに書いて見ようと思いました。それと、幸いまだ離婚経験せずに済んでいます。

私は嫁と結婚する4年前から交際をしていました。しかし、相手の母親(嫁家は何年も前に離婚していたので)にお会いしたのは結婚する1年前くらいからでした。まずは私一人でご挨拶に伺いました。お爺様、お婆様、お母様と嫁で出迎えてもらいました。本当はお兄様もいるのですが、今は自立、結婚されて実家にはいませんでした。私は皆さんに嫁と真剣に交際をしていること、それと近い将来には結婚したいと考えていることを報告しました。

嫁家ではお爺様が全てを決めるような家で、お爺様の仰ることは絶対のようでした。義母は若かれし頃に某音大を卒業後、嫁のお父様とお見合い結婚、二人の子供に恵まれましたが、性格の不一致(しか理由って無いと思う)で嫁が中学生の頃に離婚しました。その後は実家に戻り、申し訳ないのですが自立してる私から見ると「随分と歳をとったパラサイト」に見えました。実際、働かず(今では孫の顔見たさにパート勤めらしい)、家事せず、みたいな人。

簡単な事情はこれくらいにして、無事に最初のご挨拶を終え、いきなり次は私の両親を連れてくるよう言われました。ここで事前に説明しておかなくてはならないのですが、私の家系はいわゆる被爆者の家系で私は3世になります。それと父は視覚障害者です。被爆関係あるかはわかりません。私は最初のご挨拶の時にそれらを隠さず嫁家の皆様に説明しました。なんとなく、特に義母はそういうのにうるさそうに見えたのと、後でわかるくらいなら今言ったほうがいいだろうと思いました。それと義理の兄の娘さんがどうやら視覚/知的障害を持っていまして、義母は特に気の毒に感じているように見えました。あと、初めての挨拶年収を聞いてくるのは非常識だと言う人もいるとは思いますが、これから結婚するのであれば、収入を聞くのは当たり前だと思いますし、勿論聞かれましたし、給与明細及び源泉徴収表を見せたりはしませんが、大まかに当時の私の年収お話しました。

そういうことでしたので私は帰宅するや否や両親(山口県)に電話して、来てもらうことにしました。一応、それなりに軽くフォーマルな服装でいいよ。初めてのご挨拶だし、まだ結婚のお許しをいただいたわけじゃないから。と説明しました。そして当日、無事に挨拶も済み、私は再度、嫁と結婚したい意志を義母に伝えました。しかし、義母は口を濁し、お爺様もいるせいか何も返事をしてくれませんでした。私は(当時)新大阪まで両親を送っていきました。「まぁ、これからだね」と父に言われて両親は山口へ帰りました。両親を見送った後、帰宅てすぐに嫁家にお礼電話をかけました、するとまたさっきと義母の様子が違い、いきなり「今日結納金くらい持ってくるのかと思ったわ」とか「あんな目暗(メクラって視覚障害者の差別用語)の家になんか嫁に出せるか」とか「人の家に挨拶に来るのにあのラフな格好はなに?非常識な」とか(3番目は私に責任があると思います)耳を疑うような言葉を聞きました。普通なら心でそう思っていても口に出しては言わないと思うような言葉の数々を言われて、正直かなりショックを受けました。私はすぐに両親に電話をして「あのタイミング結納金って渡すもんなん?」って聞いてみたけど「普通じゃない」と言われてさらに困惑。

そんな感じで義母は反対でした。しかし、全ての決定権を持つお爺様はなぜか私との結婚をむしろ「やるなら早くしろ」と。披露宴の費用も負担するとまで言ってました。今も当時もなんとなく甘えるのは気持ちが悪いですが…しかし、当時の経済的な状況を考慮して、無い袖を振るうわけにもいかず、足らない部分を負担していただくことになりました。義母とは会話が成立せず困りました。電話、直接お話しに行ってもお爺様がいるときは無言、いないときは無茶苦茶。前述した通り、お兄様のお子様が障害をもっているということで「絶対に子供は作るな」とか。「DNA検査を受けろ」だとか。(というかDNA検査して異常を検出するような検査は当時も今もまだできないのではないかと思うのですが、義母曰くお兄様とお姉さまも受けられたとか。多分ウソだと思いますけど…)徐々に追い詰められてしまい、とうとう精神科に通うほどになってしまいました。鬱病で寝込んでいるときに私の家のドアを名前を叫びながら叩くだけならず蹴ったり。当時のご近所さんたちは借金取りと思ったと思います。

そんな状況でもなんとか根気強く義母と話し合い、子供は絶対に作らないということを守ってくれるなら結婚を許すというところまで行きました。私は嫁といられるだけでいいのでその時はそれでもいいと思いました。披露宴も近くなり、平日は仕事、週末はホテルで打ち合わせという日々を過ごしていました。お爺様が定期検査のために入院されたと聞かされました。つまり、お爺様が家に不在ということで、義母が早速電話をかけてきました。そしてこういいました「披露宴は中止してほしい」と。理由を聞くと「娘があんたみたいなダメな男と結婚するのに、どうしてわざわざ世間に披露しなくてはならないのか?恥ずかしいじゃないか。」と。そんなこんなでお爺様は大激怒でしたが披露宴キャンセルしました。結構なキャンセル料も私が負担しました。嫁にはひたすら謝りました。楽しそうにドレスを選んだり、食事を選んだり、あの嬉しそうな笑顔を思い出すと涙が止まりませんでした。後日、記念撮影だけしました。嫁は「私はこれで充分だよ」と言ってくれました。間もなく私たちは入籍しました。

私は鬱病がひどくなり、とうとう生活に支障がでるようになりました。悩んだ末、当時の会社退職し、両親のいる山口引越しました。しばらく療養し、今の会社に入り、まだ鬱病ではありますが、まともに生活できるようになりました。ちょうどこの頃、嫁から「そろそろ子供が欲しい」と言われました。私は仕事の都合上長期間家を空けることがあり、慣れない土地で嫁は一人でさびしいのだろうと思ったのですが(また、寂しいからと言って子供を作ることも間違っているとは思いますし)、嫁に「でも、お母さんがなんと言うか」と言いましたが「それでも欲しい」と。しかし、そう都合よく神様は授けてくださるワケもなく、月日が流れていきました。そしてある日、嫁が実家にひとりで帰省中に近所の病院で「おめでたですよ」と念願の子供を授かることができました。黙っておくわけにもいかないので義母に電話して嫁が妊娠したことを伝えました。すると「あんた種無しかと思ってたわ。あははっは」と。ただし「おめでとう」とは言ってくれませんでした。

嫁は2007年12月10日20:35に3,598gのかなり元気な男の子を産んでくれました。立ち会った私は涙が止まりませんでした。当時はがんばってくれた嫁に感動しましたが、まだ子供が自分の子供だという認識責任みたいなのはあまり感じませんでした。義母も出産前日から来ており、初めて世に出てきた和が子を見てこう言いました「指は1,2,3...あるな。うん。」と、しかし、しばらくしてから「おめでとう!」と言ってくれました。

息子の誕生から間もなく1年が経とうとしています。嫁家には2度ほど連れて行きました。お爺様&お婆様は「本当に愛らしい」と大喜び。ご両名が元気とまでは言いませんが、ご存命中に子供を見せることが出来て本当によかったと思っています。

しかし、義母があの時言った言葉の数々(今でも口が悪い)を、私は許せていません。そして一生許すつもりもありません。しかし、どんなに人のいいあるいは悪い両親(片親)であろうとも、言葉が良かろうが悪かろうが、人の家から嫁を貰うということはいつの時代もこういうものであり、皆乗り越えなくてはならないものだと思います。加えて現在の私も義母のことを除けばとても幸せに暮らしています。全てがうまくいく人生も珍しいと思いますし、面白みが無いと思うのと同じだと思います。私が向こうの親に結婚を反対されて、それでも結婚したときにまず思ったのは、嫁も含めて私も幸せになって証明するしか無いと思いました。今でも尖った言葉を義母より沢山頂戴しておりますけど・・・

以上、長い話にお付き合いいただきありがとうございました。また、最後にもし貴方に一生をかけて守りたい人ができて、結婚したいと思ったとき、あるいは今大切な人がいて、その人によく「いつか結婚しような」と言うことがあったり、その「結婚」とはどういうことなのかを考えたくなったときに、あまり参考にはならないとは思うのですが、何かの参考になれば幸いです。加えて皆さんも幸せになることを心よりお祈り申し上げます。

追記

こういうの読むと結婚する気失せるわ

確かにしないほうが無難な場合もあると思います。結果論には激しく同意します。義母が許せなくて大嫌いだけど、なんとかやっていけるてるよということで・・・

結婚エネルギーがいるのは、あなたのようにキチガイ家庭に嫁いだ場合だけね。

あえて書きませんでしたが義母は精神を長らく病んでいたのだ(そして今も)と思い、昔から病院へ行くことを勧めてきましたが、なにより本人がそれを嫌います。まぁ、強制できないことですし、よくあるパターンだと思いますが・・・私が精神科に通っていると言ったときには「やっぱりアンタは基地外やってんね」って言われましたw

まだしてないなら、お祖父さんが亡くなった時点で、同居って言い出すから絶対拒否だよ。  負けるな。  奥さんとお子さんをお姑さんから守れるのは...

ありがとうございます。幸い今は同居しておりません。が、その可能性はひしひしと感じております。お兄様はお子様でいっぱいいっぱいな様子で、恐らくあちらで同居はできないだろうと思います。が、私だけならず嫁も自分の母親ながら同居に耐えられないことはわかりきっていますので、同居は拒否します。今のところ、義母はお爺様が買ってくれたマンションで暮らすと言っています。今は本当にそうなってくれることを祈るだけです。玄関にウ○コですか・・・また大変そうですね・・・

人の家から嫁を貰うということはいつの時代もこういうものであり、皆乗り越えなくてはならないものだと思います。 まったくそうは思わないけど。 そもそも「結婚」という形式にこ...

そうですね。「皆乗り越えなくては」は必ずしも当てはまることではないかもしれませんね。子供もできるまではあまり欲しいとは思っていなかったのも事実です。産まれてから可愛く思えるのにしばらくかかってしまったのは私だけでしょうか。なんというかなかなか実感がわかないというか・・・しかし、経済的援助は勘弁してほしいですね。気持ちが悪いですから・・・

割と良家のようだから、財産目当てでは? 義母が離婚後働かず実家子連れパラサイトでも許されたり、旦那が鬱病抱えているのに嫁が呑気に子供欲しいとか言える辺りも 親の財力あっ...

確かに嫁家は良家だと思います。少なからず私の家と比べたら・・・仰られた通り真剣に縁を切ることも考えたことがありましたが、嫁にとっては親に違いないワケで、そこを無理やり切ることも無いかなと思いました。できることならウチの子供にも会いに来て欲しくは無いです。

それと財産に関してですが、まったく興味ありません。出来ることなら(有価証券やら不動産が多そうなイメージなので)とっとと現金化して、私と関係無いところに生前贈与でもしといて欲しいくらいです。それも私が心配することではないのであまり気にしていませんけど・・・

2008-10-28

ギャンブル好きの旦那さん

結婚5年目、もうすぐ2歳になる女の子がいます。私が専業主婦のため、日中あいた時間にお友達やご近所さんが家に遊びにくることもあります。そのときにたまに言われるのが旦那さんのギャンブル。旦那さんはギャンブル大好き。とはいっても最近仕事帰りにパチンコに寄ってくることがあるくらいで、お休みの日に朝早くから並んで、というのも子どもが生まれてからはなくなりました。子どもが生まれてからもそれが続いたらどうしよう、と思ったことも正直あるけど、うちの旦那さんはパチンコが好き。好きなんだから借金をしたりとかしない限り好きなだけやればいい、というのが私の考え。旦那さん自身は自分がお金を持っていたらあるだけやってしまうのをわかっているので、お金の管理は私がさせてもらっています。だから月々の彼のおこづかい内であれば、好きなだけやってくればいいじゃんって思う。そもそも彼のおこづかいは彼の物だし、普段私が生活するのに使うお金も彼が働いて得たお金なので、彼が自分のお金を何にどう使おうと私がとやかく言う権利はないはず。でも世間一般の人はそうは思わないようで、そんなの子ども教育にわるいから早くやめさせるべき!!そのお金もったいない、貯蓄にまわせばいいのに、などと言います。私はそうは思わない。旦那さんにとってのパチンコ趣味なんです。確かにあまり大声で言える趣味じゃないかもしれないけど、彼が好きならやらせてあげればいいじゃないかと。だってそれが魚釣りとかだったら誰も何も言わないでしょ?確かにそのせいで我が家借金まみれとかだったら私もさすがに考えるけど、そうではないし、貯金も少ない額だけど毎月しています。旦那さんがたまに勝ったときはそれを少し貯金にまわしたりもするし。私の考えが正しいか間違っているかはわからないけれど、でも我が家はそれでうまくいってるからいいじゃん、と思っているんだけどな。

2008-10-09

情報には想定公開範囲ってのがあるだろ

そんなことを言ったら公共の道路を歩いている個人の写真ネットで晒しても良いって事になるじゃないか。

一緒のルールゴミ出してるご近所さんならみられても仕方ないけど、遠望から大事な客人がくるときはゴミ袋なんて出さないだろ?玄関を掃除して部屋も片付けるだろ?

突然訪ねられたらちょっと困るだろ?

おのおのは公開範囲を暗黙のうちに想定して活動してるんだよ。それを無断で勝手に変更しちゃ駄目だ。

ゴミ袋は。火曜の朝の間の短い時間だけ置いておくっていう公開範囲に同意してるんだよ。

日常生活の上での暗黙の了解だ。もう長い年月多くの人がそうやってきたんだよ。

それをなんだい。ブラジルに住んでいる人でも24時間365日見えるようにしやがって。

そんなものがなし崩し的に社会の合意が得られると思ってるならGoogleよ大間違いだぞ。

いつでもどの瞬間も撮影される可能性におびえながら生きていけっていうのか。馬鹿にするなってんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20081006222154

2008-08-08

田舎田んぼと、Googleストリートビューの共通点

初増「田」です。

雷光と夕立が稲の生長を約束してくれる一方、日光と降雨と化学肥料に恵まれて、すごい勢いで雑草も成長しています。

今頃になってもまだ雑草が生えている田んぼは、おわっています。

人の腰よりも高くなった稲の隙間に体をかがめて、稲の根を崩さないように雑草を根から抜くのは至難です。

秋には、稲と雑草をいり混ぜながら刈り入れ機を動かすことになるのでしょう。

....と、ヒト様の田んぼを見(=ブラウズし)ながら思います。

田んぼの一部だけ妙に生長がよかったり、その逆もあったりします。

それは田おこし・代掻き・肥料やりを均一にできなかったんだろうなぁ。

....と、ヒト様の田んぼを(以下略

刈り入れ時の晴れた日曜日には、家族総出で刈り取りをします。

でも、隣の田んぼでには夕方になっても誰も現れません。

あそこの家は、いつ刈り入れをやるんだい? 今やらにゃあダメじゃねえか?

娘のピアノがあるで、発表会がおわってから来るんでねぇか?

....と、ヒト様の噂をします。

地元の会合や地元温泉で、お隣さん(田んぼ的な意味で)に会うと、

「おめえさんとこは、農薬が足りんのじゃねぇ?」

「したの田んぼは、去年も最後まで刈り入れしなんだけど、今年は大丈夫なのかぇ?田植えもおそかったなぇ?」

....と、寸評をいただいたりします。

田んぼは衆目にさらされています。(ワールドワイドでなく、集落ワイドで)

 

どの田んぼが、どこの家のものか、ご近所には知れ渡っています。

 

なおかつ、ご近所さまは同業者(=農業)です。仕事の進捗具合は直感的に分かります。

「あそこの田は、ばあさんだけでやるもんで、全然手がまわらんなぇ」

「あそこは、息子も嫁もぜんぜん手伝いに来んじゃねえか」

....情報交換(=知の共有)も皆さんご熱心です。

「お前さんとこはいつ刈るだい?」

「わしゃ、再来週やらず(やろう)と思ってるけぇど」

「みんな、来週にはやっちまうって言うに」

「あれ、そうかね。そのほうがいいかねぇ」

....恐いです。仕事の手抜きや熱心さ、出退勤(田んぼにいつ来ていつ帰ったか)もチェックされています。

....私もチェックされていますが、私もご近所さんをチェックしています。

....ストリートではありません。田んぼです。

2008-08-04

母の語った「有能な嫁」

大学生、男。

この前実家に帰った時に、母が「自分は有能な嫁だった」というようなことを喋っていた。

なぜ有能なのか、と問うてみると、次のようなことを挙げてくれた。

・長男に嫁いできて、積極的に農作業を手伝った。(うちは兼業農家

セックスしたら、すぐに妊娠した。(不妊ではなかった)

・男ばっかり産んだ。(うちの兄弟は全員男)

・産んだ子供は、みんな普通に育った。(障害を持っていなかった)

田舎とはいえ、こういう理由を挙げられて僕は少なからず驚いた。

母は1960年前後に生まれた、いわば団塊世代とそのJr世代の中間的な世代に当たる。

そのような世代でも、こんな保守的な考え方、すなわち「女は跡継ぎを産んで子育て家事をすればいい」というような考え方をしているということに驚いた。

そして上記の”有能な理由”は、母が姑や舅に評価されることを前提とした物ばかりである。

今の人たちなら、「有能である」と言われれば、英語が話せるとか、仕事ができるとか、そういうことを思い浮かべるように思う。つまり自身の能力について述べることが多い。

しかし、母のいう”有能”は、ほとんど偶発的な事項、すなわち「不妊ではなかった」、「女を産まなかった」、「障害児を産まなかった」、ということに重点を置かれていた。

これは母が常に”見られる存在”であったことを示している。

田舎ではよくあることだが、どこどこの人が不妊だとか、離婚したとか、そういうゴシップご近所さんを通じて地域コミュニティにくまなく広がる。

母の”見られる”という感覚はそこまで意識していたのではないか、とすら思える。

この話を聞いて、田舎での女性の立場の弱さや、コミュニティから”見られる”恐ろしさを改めて痛感した。

まあそんな母も「有能であった」が故に、今では家庭の実権を握っているのもまた事実な訳だけれども。

2008-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20080716140453

ご近所さんとあつまってやると宅配代ただあるよ。

って、それが昼間だったりするから、まっとうな会社員は受け取れないって話では…。

http://anond.hatelabo.jp/20080716102801

便利。

数百メートル離れたところに生協あるんだけど、

そこが改装工事でお休みになったときに入った。

便利ね。

ご近所さんとあつまってやると宅配代ただあるよ。

2008-06-27

ご近所さんの部屋に遊びに行った

テーブルの下に無造作に置いてある水パイプ発見してしまった。きれいに洗ってはいるものの、

煤けてる部分もある。そして民俗調のインテリアボブ・マーリーポスター

あんなに分かりやすいとこに置いてるってことはアピールなのかな。とりあえず

見えなかったことにして適当におしゃべりして帰ったけど、

あのあと部屋の住人はモクモクだったりしたのだろうか……。

ちょっと惜しいことしたような気分。

2008-05-31

田舎宗教団体について

t* 元キリスト教徒の吐露

親が熱心なキリスト教徒なので、自分も生まれた時点で既にキリスト教に縛られていました。

他から強制されたものを受け入れられるわけもなく、「行きたくない」と言っても全て却下され、嫌々ながらもずっとその団体に属していました。

自分が属していた教会では、老牧師が幅を利かせていて、教団の中でもちょっと特殊な教会でした。

教団全体としては「世界平和を祈る」というような目標を掲げていたのですが、その教会は地域住民の平和最上目標

老牧師が前者について全く触れない訳ではありませんが、やはり他の牧師に比べて頻度は明らかに少ないものでした。

「○○さんの病気が治りました。祈りが届いたのです。みなさん教徒を増やしましょう。」

まぁ、世界平和を唱えるよりはずっと身近な問題だし、キリスト教という観点で言えば間違ってるわけでもありません。

ただ、その教団に属している意味はあるのか?という疑問がずっとありました。

 教団は明確な存在意義と目標を掲げていて、筋も一応は通っているけれど、この教会はなんだか目標が違う方向を向いている気がする。

 言っている事とやっている事が違うから、信用できない。

ただ、自分の意思で属していた訳でもないので、それ程気にはしていませんでした。

全く信じる気が起きなかったというだけで。

それよりも、貴重な休日搾取されることが一番耐えられなかった。

 ・水曜日は夜から祈りの集いがある。

 ・土曜日日曜日の準備で夕方あたりから時間を取られる。

 ・日曜日は午前中に礼拝、午後は教会行事若しくはその準備があるため、殆ど無いに等しい。

 ・長期休暇には何かしらの合宿がある。

これら全てが強制で、この生活が就職するまで続きました。

当然、嫌だと訴えたことが全く無かった訳ではありませんが、全て「そんなことを言うお前が間違っている」といった論法で却下されました。

中学生になった頃、以下のようなやりとりがあったことを今でもよく覚えています。

教会の教師(以下教)「あなたは教会に自分の意思で来ているの?それとも親が言うから仕方なく来ているの?」

自分「・・・(親が強制するからに決まってるだろうが。でもそんなこと言えばどうせ叱られるんだろ?)」

教「ねぇ?」

自分「・・・(教会の教義としてウソダメとか言ってたしなぁ…ウソ言うよりは正直に言った方が正しいよな?)」

教「・・・・・・・・」

自分「・・・親が言うから・・・」

教「だからそれじゃダメって言ってるでしょう!?自分の意思で来なくちゃ!!」

自分「・・・ハイ(だめだこいつ)」

その後は(…強制してるのあんたらじゃん…)とだけ考えて耐え忍びました。

その頃は本当に嫌で嫌で仕方がなかったので、その雰囲気が伝わったのでしょうね。

何故か諦めがついたのもこの時でした。こいつら狂ってるなー、こりゃ無理だわ、と。

ここで接点を断つべきだったのですが、田舎の割に規模の大きい教会だったので、地味に信者が多く、大体がご近所さんです。

家族全員が信者ということになっているのに、いきなり自分だけドロップアウトしたらどうなってしまうのか、当時は想像もできませんでした。

ようやく転機が訪れたのは、就職して数ヶ月めの、一人暮らしを始めたとき。

もう縛られている必要なんてない、と気づきました。

近所に教団に属している教会があり、地元教会から紹介もされていたのですが、1年くらい掛けて疎遠を装い、今では全く行かなくなりました。

地元ではこのことはもうバレていて、たまに帰ると色眼鏡で見られているなと感じますし、母にも心労を掛けているんだろうなとは思いますが、もう通う気は全くありません。

今までどれだけの時間を搾り取られたことか。それも人生で一番貴重な時間を。

今でも休日時間の使い方が下手です。

それでも、少しずつ世界を広げようと努力しています。

2008-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20080223163520

自分の見つけた物件に住んでご近所さんと友達になる

つーか同じところに住まないとしても、互いに泊まりに行くとかすればいいじゃん。

2007-12-02

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/news002.htm

うち、相当田舎だったんだけど、最近開発が進んできて家の周辺50mに住宅が建ち始めたんだ。

でも、今までのご近所さんって精々200m先だったのにいきなり徒歩20秒の家がある状況になり、どの様に

ご近所付き合いをしていく(それこそ距離感の保ち方とかね)のがよいのか、判じかねてるものだから

都会や集合住宅のこういう状況も段々想像できる様になってきたんだ。

2007-09-16

モバゲーやってみた

ちょっと流行に乗り遅れたけど2週間ほどモバゲータウンをやってみたユーザ視点の雑感を書いてみます.

やってみた感じとしてmixi中高生が多いバージョンというような印象を受けました.

なのでリテラシもへったくれもありません.

同一目的サークル(mixiでいうところのコミュニティ)は乱立するし,質問広場(人力検索のようなサービス)では,

おかしな質問,おかしな回答が大漁.

この質問広場なんですが,恋愛,友人関係に関する質問が多いような気がしました.

mixiコミュでも度々炎上するような質問もあります.(回答するにあたって必要な情報がない等)

また,回答に関しては根拠のない回答が目につきます.「これほんとかよ?」と思ってググって見たら事実と異なる回答を平気でしてる人もいました.

そんなわけでまともな回答は得られなさそうなのですが「JavaFTPサーバを実装したら〜」とか,ちょっと技術的っぽいような質問もあったり.

この質問者は,本当に困って回答が欲しいのか,中高生に対して知識をひけらかしたいだけなのか…いずれにしろ痛いです.

あと,残念なのがせっかく仮想の町に家を建てたり,GPS機能を使って付近の家の住人を調べたりとかできるのに,

あまり「近所の人を意識する」ということがあまりないような気がします.

「今自分がいる周辺の家の人30人にメッセージを送る機能」「ご近所さん30人にメッセージを送る機能」なんてのがあったら楽しそうw

小学生とかもいて,親はなんとも思ってないのかとちょっと思いました.

モバゲータウンにはロリコンがいっぱいです><

2007-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20070723173559

ご近所さん、こんにちは。

私もあなたと同じような気持ちにおそわれています。

「貧すれば鈍する」とはよく言ったもので、その人も生活が安定していた頃は

今回のような選択肢は考えもしなかったんじゃないだろうかと想像しています。

もしそうだとしたら、状況が貧窮していた所以外は、私たちと何も変わりはしない。

私たちもそうした選択肢をいつか選びかねない、ということなんだと思います。

近くに住んでいた人だから、余計にそう感じてしまう。

お互いに気をつけましょう。

もうね、亡くなった人を知ってるというわけでもないのに悲しすぎる。

2007-04-29

要はタイトル通り「結局軍隊動かすのが好きなだけ、動かしたいだけでしょ?」って事だ。ここで「自衛隊軍隊じゃない」って言い掛かりは無条件で頭悪い認定するので無視するとして、軍隊はあくまでも戦争のプロでしかなく、そうであらなければないとも考える。

念のために言っておくが、どこの国でも軍隊災害出動をする。災害後の市街地というのは限りなく戦場と近い状態になる。だから

対して震災の、初動に関しては絶対に必要なのは人命救助のエキスパート、そしてインフラ復旧のプロフェッショナルなわけだ。

この前提は間違っている。災害現場というのは「戦場」になるので、戦場での人命救助、戦場での一時的インフラ確保のプロである軍隊出張るのは理に叶っている。仮に、レスキュー自衛隊、一方しか現場に来ないのならば、自衛隊が来る場合の方が助かる命は多い。レスキューは少数の人間を救う事に関してはプロだが、市街地全域の要救助者を救えるような組織デザインになっていない。

自衛隊にもその専門部隊があるって?そんな話じゃないだろ。消防隊員より迅速に駆け付けてくれるのか?年中ライフラインの復旧作業やってんのか?どう考えてもレスキュー隊員や専門技術者太刀打ちできるとは思えないけどな。数の上でもスキルでもだ。

ちなみに、速攻でライフライン(というより、兵站と言った方が適切だが)を確保する訓練はやっている。やっていないわけがないだろう。補給線の重要さを舐める軍隊は負ける、なんてのはナポレオン時代から知られている事だ。

駆けつけるのは明らかに消防隊より遅いだろう。それがどうした?遅れたら来ちゃいけないのか?消防隊の人数と行動力、組織力では、全体の一割も救えない。

前述したように、レスキューは突然市外が壊滅するような極限状態を前提として組織されていない。装備的に限界がある。レスキュー隊は炊き出しマシン飲料水大量確保マシンは保有していない。

結局もしもの災害の際に救助の手を差し伸べてくれるのは同居の家族だったり近所の隣人だったり、偶然居合わせた見知らぬどこかの誰かでしか無いわけだ。究極的には、周囲が皆絶体絶命の極限状態の際にはそこにいる全員の人間性・良心も試される事になる。火災燃えている家屋、倒壊寸前のビルに自ら飛び込んで中にいる人間を救い出そうとするような人間の数、が問題になってくるわけ。自衛隊との連携、大いに結構。米軍への派遣要請、必然性があればOKでしょう。でも大元は社会全体の防災意識でしょう?都市の構造上危険な所は改修しましょうよ。消防署の数と隊員増やしましょうよ。訓練しましょうよ。避難場所、日頃の備蓄、チェックして管理しましょうよ。あと、ご近所さんとは顔なじみになっておきましょうよ。いろんな人となるべく親しくなっておきましょうよ。これらに比べたら自衛隊との連携なんてその次の次の話でしょう?

そうですね、次の次の話です。優先順位は低い。まあ、動作主体が違うのに優先順位も糞も無いんだが。同時にできる事に優先順位をつける必要はない。

んでだ、ここポイントなのだが「自衛隊派遣要請が遅れたせいで犠牲者が増えたのだ!」「阪神淡路大震災は実際は阪神淡路大虐殺だ!」と騒いでいる人間にはその「人間ひとりひとりの良心に期待する」事を「何を馬鹿な」と否定もしかして、いやたぶん嘲笑する事が好きな連中ばっかりという事実がある。自分が筋金入りのエゴイストだから他人もみんなそうだと思うのか、良心的な人間が増えるという事は自分の同類が減る事と同義だから認められないのか、それとも結果自分の悪意が浮き出る事になるので許せない、と思うのかは知らないけれど。

ひとりひとりがどう動いたかは一切問題にしていない。自衛隊の出動が遅れたと言われている問題と、近隣住民の意識、何か関係があるのだろうか。

近隣住民が頑張ればもっと人が助かったのかもしれない。自衛隊ももうちょっと機敏に動けばもっと人が助かったのかもしれない。勿論両方頑張ってたらもっともっと多くの人が助かったかもしれない。それだけの話だろ。両者は択一の問題じゃない。両立できるし、するべきだ。

自衛隊が出動する事で救われる命がある。それなのに糞下らん政治的主張でそれを否定するのは、助かる命を切り捨てる事と同じで、人殺しも同然だ。

http://anond.hatelabo.jp/20070429013850

震災を、犠牲者をダシに軍隊を出動させようとするなよ

※「自衛隊派遣要請が遅れたので2000人犠牲者が増えた」(自衛隊派遣要請が遅れなければ2000人の命が救えた)は、はっきり「嘘」であるという立場で書かせて貰う。そこに政治的アピールなどありはしない。政治的に利用しているのは「嘘」を言っているほうなのだから。

先の震災体験者の一人として言っておかなきゃ気が済まないと思っているから言うけど(実際は「書くけど」だけど)

要はタイトル通り「結局軍隊動かすのが好きなだけ、動かしたいだけでしょ?」って事だ。ここで「自衛隊軍隊じゃない」って言い掛かりは無条件で頭悪い認定するので無視するとして、軍隊はあくまでも戦争のプロでしかなく、そうであらなければないとも考える。そうじゃないというんであれば戦闘機戦車ミサイル巡洋艦も要らないよね?無駄だよね?って話だ。

対して震災の、初動に関しては絶対に必要なのは人命救助のエキスパート、そしてインフラ復旧のプロフェッショナルなわけだ。

自衛隊にもその専門部隊があるって?そんな話じゃないだろ。消防隊員より迅速に駆け付けてくれるのか?部隊全体が日頃からレスキュー活動と訓練、ライフラインの復旧作業と訓練をやってんのか?やってないなら、じゃあ災害派遣時には必要ない装備、戦闘機やらミサイルやら全廃して浮いた予算をそっちに回すか?射撃訓練やめてレスキューの訓練するか?組織・機能・目的全て考えても自衛隊レスキュー隊員や専門技術者太刀打ちできるとは思えないけどな。自衛隊の主な任務はと尋ねられたら何と答える?人命救助?そんな馬鹿な、じゃあ攻撃力要らないじゃん。インフラ復旧の意味本当に分ってる?どこに何が埋まってたなんて詳しい事、電気会社電話会社、ガス会社人間の方が良く知ってるよ?工作部隊の土木作業のスキルも下手な建設会社程度でしかないよ?消防隊では行動力や統率力が無い?悲惨な現場の状況では手も足も出せない?それは厳しい訓練に耐え抜いて日々命を懸けて活動している消防隊員への侮辱だ。敵が攻撃してくるのが戦場であって、よって軍隊による攻撃力は必要。これは理解できる。PKO活動は立派な任務だ。でも日本のどこにゲリラミサイルを撃ち込んでくる災害現場がある?いいかげん被災地を戦場に例えるのは恥ずかしいので止めた方がいい。

結局もしもの災害の際に救助の手を差し伸べてくれるのは同居の家族だったり近所の隣人だったり、偶然居合わせた見知らぬどこかの誰かでしか無いわけだ。究極的には、周囲が皆絶体絶命の極限状態の際にはそこにいる全員の人間性・良心も試される事になる。火災燃えている家屋、倒壊寸前のビルに自ら飛び込んで中にいる人間を救い出そうとするような人間の数、が問題になってくるわけ。自衛隊との連携、大いに結構。米軍への派遣要請、必然性があればOKでしょう。でも大元は社会全体の防災意識でしょう?人命救助の意識でしょう?都市の構造上危険な所は改修しましょうよ。消防署の数と隊員増やしましょうよ。いろんな訓練しましょうよ。避難場所、日頃の備蓄、チェックして管理しましょうよ。あと、ご近所さんとは顔なじみになっておきましょうよ。いろんな人となるべく親しくなっておきましょうよ。これらに比べたら自衛隊との連携なんてその次の次の話でしょう?

んでだ、ここポイントなのだが「自衛隊派遣要請が遅れたせいで犠牲者が増えたのだ!」「阪神淡路大震災は実際は阪神淡路大虐殺だ!」と騒いでいる人間にはその「人間ひとりひとりの良心に期待する」事を「何を馬鹿な」と否定もしかして、いやたぶん嘲笑する事が好きな連中ばっかりという事実がある。それとこれとは無関係なんて大嘘。「自助」「共助」という概念が理解できないので否定するマインド石原慎太郎の嘘を信じるマインドは明らかに多くの部分で重なっているわけ。じゃなきゃ県知事に対する誹謗中傷なんてある筈がないし、あってはならない事だ。信じる人が無自覚なのが滑稽でもあり恐ろしくもあるけど。自分が筋金入りのエゴイストだから他人もみんなそうだと思うのか、良心的な人間が増えるという事は自分の同類が減る事と同義だから認められないのか、それとも結果自分の悪意が浮き出る事になるので許せない、と思うのかは知らないけれど。とにかく、人間性を否定するこいつらには絶体絶命の他人に手を差し伸べるという考えは絶対無いんだろうな、とは思う。自己責任大好きだし、弱者から先に死ぬべきと思っているだろうし。

兵庫県のこれまでの防災への取り組みと教育が否定されたような気がして、読む方も気分が悪い事だと思ったけど書かせてもらいました。

(ただ、その取り組みを「左翼的」とまで言われた事については一生許さないと自分は思う。)

http://anond.hatelabo.jp/20070429020539

フォローしていただきありがとうございます。

http://anond.hatelabo.jp/20070429015622

http://anond.hatelabo.jp/20070429020121

http://anond.hatelabo.jp/20070429020125

http://anond.hatelabo.jp/20070429104505

http://anond.hatelabo.jp/20070429104951

十数年前の自分を見ているようだ。只々、貴方達がかわいそうだと思った。今はそれしか言う事はない。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん