はてなキーワード: THとは
大学の多様な在り方をこういった「大学ランキング」といった画一的な指標によって評価するのは大いに問題があります。
同様に、こういった指標が大学運営に影響を与えることを避けるためにこの文章を書きました。
利害関係のある企業による評価を多くの専門家を抱える教育機関が一方的に受け入れる今回の事態を不気味に感じます。
民間企業による指標ではなく、きちんとした調査を行い大学・研究所が協力をし、国もきちんと予算を出し、
大学の多様な魅力を踏まえた模範となるような「大学ランキング」に代わる大学紹介を行うべきです。
※「THE世界大学ランキング日本版2021」についての3つの問い
1.この調査の実施はベネッセが行っているが中立性が担保されているか調査を行ったか。
2.この調査自体に各大学をランキング付けする程の信頼性があるか調査を行ったか。
3.貴大学には教育学部が存在しているが、当調査に関して学内の専門家から意見を聞いたか。
「THE世界大学ランキング日本版2021」を実施したのはベネッセです。
http://between.shinken-ad.co.jp/univ/2020/03/JURshihyo.html
しかし、ビュー数の多いYahoo! Japanのニュースではそれには一切触れられていません。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cd2428370025a1ef13e92665b18d20dacf01ae17
この記事の引用元の高校生新聞は「株式会社スクールパートナーズ 」が運営しています。
この企業は入試運営支援・入試広報委託サービスが事業に含まれています。
https://www.sclpa.jp/outline.html
要するに、大学入試に関わる企業(ベネッセ)が大学ランキングを作り、
それを同じく大学入試に関わる企業が(スクールパートナーズ)ベネッセの名前を出さず報道しているわけです。
一方で、2019年のベネッセと文科省の大学共通テストにおける癒着疑惑の報道や、
2020年のベネッセID問題の報道を覚えている方も多いはずです。
https://biz-journal.jp/2019/12/post_133401.html
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75062?page=6
さらに、ベネッセはベネッセ海外留学センターで生徒対象の校内セミナー、教員研修を事業として行っています。
ランキングの世界版は国際性が7.5%と低いのに対して、日本版は20%と比率が高く、日本版は国際性を重視している調査だからです。
https://www.benesse-kaigai.com/teachers
日本の“偉い人”は世界の大学ランキングに日本の大学がランク入りすることのみ重要視している傾向があるように思います。
一方で、世界ランキングの実態や、利害関係にある企業がランキングを実施する問題は驚くほど指摘されていません。
例えば、本家の「THE世界大学ランキング」のタイムズ・ハイアー・エデュケーションは2020年8月に海外留学生募集と学生住宅市場に参入しています。
https://thepienews.com/news/the-moves-into-international-student-services/
さて、ベネッセが大学ランキングを実施するのは勝手ですが、それが定着することは避けなければなりません。
大学の多様な在り方をこういったランキングといった画一的な指標によって評価するのは大いに問題があります。
「THE世界大学ランキング日本版2020」ではスコア100の内20%を占める国際性を以下のように定めていました。
例えば、大学の規模が大きければ当然、外国人学生比率は少なくなるでしょうし、
留学生向けに理解しやすい日本語で授業を行うことを重視している大学は評価が低くなるでしょう。
多様な大学の在り方が、この画一的な指標によって多様性を否定する本末転倒になる恐れがあります。
<国際性 20%>
外国語で行われている講座数÷全講座数
さらに、スコアの8%を占める日経HRという企業の「企業人事担当者から見た大学のイメージ調査」です。
『「THE世界大学ランキング日本版」の指標「教育成果」に使われている』ことを売りにして、
以下のサイトで全調査結果を大学向けに22万円で販売しています。
https://career-edu.nikkeihr.co.jp/category05/data.html
<教育成果 16%>
日経HRの「企業人事担当者から見た大学のイメージ調査」のデータを使用(2カ年分データ使用)
THEが世界大学ランキングのために各国の研究者を対象に実施した評判調査の結果から、日本の研究者が日本の大学について評価したデータを抽出。
東京工業大学では以下のように、Web上にページを作り、学生に協力をするよう「お願い」していました。
各大学により、学生協力を「お願い」する方法も違っていたようです。
ちなみに大阪大学では学生向けにメールが一斉送信されたのみで、問い合わせ先はベネッセのみでした。
この調査に関する大阪大学への問い合わせ先は一切記されていませんでした。
「THE 世界大学ランキング(日本版)の学生調査にご協力ください」
https://www.titech.ac.jp/enrolled/news/2020/047746.html
このようなランキングが定着するとこの調査を大学が民間企業に有料でお願いする、
それに付随する調査を法外な値段で買うようになる、という事態につながる恐れがあります。
これは個人的な意見なのですが、入試に限らず、就活も大学と民間企業の在り方に大いに疑問があります。
大学は今一度、民間企業と距離を見直す時期に来ているのではないでしょうか?
こういった卒論だと通らないようなレベルのものに参加してしまった数多くの大学にも責任はあります。
文科省との関係が深いベネッセだったので断れなかったのかもしれません。
武蔵大学北村紗衣先生のディストピア文学の読み方が話題になっている。「ディストピア文学を自分の住んでいる日本に結び付けないのは問題」が話題になるのも当然で、数多くの専門家が北村紗衣先生の教えに反しているためである。
フィクションに限っては、人はユートピアよりもディストピアが好きだ。その心理は、ホラー小説や絶叫マシンを楽しむ心理に似ているのかもしれない。エンタテイメントとして「死」を疑似体験することで、私たちは命の価値を噛みしめ、平凡な日常の輝きを見つめ直すことができる。それと同じメカニズムで、「お話」としてのディストピアに浸ることによって、自分が身を置いている現実の良いところを再確認し、フィクションのディストピアが未来の現実にならないようにするには何を心がけるべきなのかと考える機会を得る。(書評 ディストピア・フィクション論…円堂都司昭著)
自分が今いる良いところの再確認(「日本はディストピア作品みたいになってない(これからもならないようにしよう)」)は、ディストピア作品が自分のいる場所を描いているとして読むことの真逆である。
「こうなったら嫌だな」とは思いつつも、現実感はありませんでした。ただヒトラーやスターリン下の世界では、こういうことが起こり得るのかなとは思いましたが。(社会人になって1984年を読んだ感想)
フランスの作家による新たなディストピア小説の出現だ。(略)終盤で一度ならぬ“どんでん返し”がある。本作はある種、現在のアメリカ、あるいはアメリカに象徴される利潤追求第一の物質的競争社会に対する、シビアな警告と挑戦状ともいえるだろう。(『透明性』/マルク・デュガン 書評)
(小川洋子著)『密やかな結晶』(英題The Memory Police、スティーブン・スナイダーさん訳)も「神話のような響きがあり、寓話(ぐうわ)でも、ディストピアでもある」と評された。帽子、リボン、小鳥、様々なものが消滅していく島で、秘密警察が消滅が滞りなく進むよう監視の目を光らせる物語だ。
日本では1994年に刊行された作品だが、選考委員は「何年も前に書かれていながら、あまりにも現代的で目を見張らされた」と驚きを口にした。米トランプ政権下などでフェイクニュースが横行して真実が失われ、コロナ禍で人々が集まる様々な活動が控えられる現実が作品世界に重なった。(興野優平)=朝日新聞2020年9月2日掲載(ブッカー国際賞、「ディストピア」がキーワード 小川洋子「密やかな結晶」も最終候補)
イギリスの文学賞選考委員であるが、ディストピア作品をアメリカと関連付けている。
身も蓋(ふた)もない本音で支持を集めるトランプを見て個人的に想起したのは<3>庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(新潮文庫・497円)だった。(略)「感性」がつぶしにかかる戦後民主主義ひいては人間の文明という「知的フィクション」を守るために薫くんは戦っているのである。だが勝ち目は見えず、敗北すなわちディストピアの到来が覚悟されて終わる。「知的フィクション」に、たとえば「ポリティカル・コレクトネス」(差別や偏見を含まない言葉遣い)などを代入すれば、トランプ危機との近しさが見えるだろう。 (ディストピアの予感)
日本を舞台としたディストピア作品をアメリカと結び付けている。
果たして今後、世界はどうなっていくのか。世界情勢とともにディストピア小説の動向を追ってみると、新たな発見があるのではないでしょうか。(【ディストピアとは?】「監視社会」や「行動の制限」などの“あるある”から徹底解説。)
ディストピア作品を世界情勢に結び付ければ発見があると書いている。
トランプ氏は、メキシコ国境の壁、難民やイスラム圏からの入国制限など過激な政策を進めているが、「独裁者を彷彿(ほうふつ)とさせる姿がこうした小説を連想させるのかもしれません」と山口さんは推測する。(好調ディストピア小説 トランプ政権誕生で脚光!? 小松左京さん「アメリカの壁」も電子書籍で)
文芸春秋では「小松さんはSF作家であると同時に優れた文明史家でもある。小松さんの鋭い洞察に触れることで、米国でいま何が起きているのか考える契機になるのでは」と話す。(同上)
批評家の佐々木敦さんは「トランプ氏の存在自体が戯画的。以前は考えられなかったようなことが起こっている」と指摘。「現実がフィクションを超えてしまった。今を知るための手がかりとしてディストピア小説が読まれているのでないか」とみている。(同上)
(北村紗衣先生の教えでは、間違った解釈や浅薄な解釈となる)日本以外に結び付けるというディストピア作品の解釈は、学生だけではなく、書評の専門家にも多く蔓延していることが実例で明らかになった。「アメリカはディストピアだ」と言っておけばよいといった間違いで浅薄な解釈が、日本のみならず、イギリスの文学賞選考委員にまで広がっていることは、驚愕すべき事実である。数々の専門家も間違えている、「ディストピア作品を新しく、深く解釈するために、自国に結び付けることを常にしなければならない」というディストピア作品解釈の素晴らしい方法を公にされた武蔵大学と北村紗衣先生に感謝し、世界中の人にぜひとも広めてほしい。
ウーマンラッシュアワーがこんな変なネタをやり始めたのは、村本がクズキャラで売ってたものの、とろサーモン久保田という上位互換が現れて仕事が奪われそうになったので、失業対策として政治に逃げたのです。#THEMANZAI— 黒瀬 深 (@Shin_kurose) December 8, 2019
虚言癖がある人のようだ。
https://togetter.com/li/1427847
このツイートも非常に疑わしい。
これは村本が政治ネタをやり始めたのは久保田の台頭のせいだってわけだが、別にそんなことはないだろう。
「現れた」で思いつくのが2017年12月3日のとろサーモンM-1優勝。そこで、村本は政治ネタに転向したってわけだ。
しかし、2017年5月のENGEIグランドスラムでウーマンラッシュアワーは、時事・政治ネタを披露している。
また、2017年12月15日THEMANZAIでウーマンラッシュアワーは大々的に政治ネタを披露したが、これは収録なのでM-1でとろサーモンが優勝する前だろう。
仮にとろサーモンがM-1に優勝してからTHEMANZAIの収録をしたのだとしても間隔が短すぎて政治ネタを用意できるはずもない。