ああ、わかります。私は子供に注意すると子供に「うるせー、くそばばあ」と言われます。
相手の親は「ちゃんと子供見てなきゃダメでしょ」とか言われて(何その上から目線。何様っ)って反発したんでしょう。
注意するのに上から目線なのは当たり前なんだけど、怒られなれてなくて、びっくりしたのかも。
「ちゃんと子供見てなきゃ(回りの人に迷惑でしょ)ダメでしょ」じゃなくて、「お子さん、棒を口に入れて喉に刺しそうでしたよ(ウソも方便・あなたのお子さんを守りましたよと言っとく)」と言われたら「すみません」とか「ありがとう」とか「今度からトイレも子供連れていきます」とか、別の対応があったかも知れませんね。
未就学児から目を離すのは「保護責任者遺棄」といって罪になるそうです。
前に明らかに1歳代の子供が交差点に突っ込みそうになってたんで抱き上げたんですけど、すぐにも親御さんが飛んでくるものと思ってたのに誰も来ないんです。おかしいと思って子供を抱いたまま、親を探しに行こうとしたら、一緒にいた小五の娘が「ねえ、そのまま連れてったら誘拐になるんじゃないの?」と聞いてきたので、あとで調べたら目を離した保護者のほうに落ち度があるんだと知ってホッとしたことがあります(そのときは、近くの模型店で買い物に夢中になっている父親を見つけて渡したら「勝手にうろつくな」とはたいてました。親なんか探さないで交番に届けてやりゃよかった。そしたら、父親も反省したろうにと今も思い出すと思います。親に叩かれて育つあの子はどうしてるだろうと)。
子供はちゃんと自分で見ておいて欲しいですよね。
]]>夫には姉(当時73歳)がおり、玄関と廊下だけ共有している二世帯住宅で同居していた。義姉はマイペース(というか、回りを見てない)な人でいろいろと軋轢はあったが、夫の入院まではなんとかうまくやっていたと思う。
さて、夫が「余命半年から一年」と診断されて、夫の親近者が主治医の先生の説明を聞きに行くことになった。夫の父親は夫が15歳のとき、母親は夫が28歳のときに他界されており、ほかに近しい親戚と言えば、もう義姉しかいない。当然、声をかけた。
「ガンがどんな病気だか知ってるから聞かなくていいわ」と断ってきた。こんなときまでマイペースな人だと思った。
しばらくすると「申し込んでいるツアーに出かける」と言い出した。3週間の海外旅行である。
「まだ大丈夫なはずですが、半年と言われて三日で亡くなった方もいらっしゃいますよ? 帰ってらしたときはお骨になっているかも知れませんよ?」と念を押したら「どうせ、間に合うようには帰って来られないから、弟が死んでも連絡しないで」と言う。このときもまだ私はマイペースな人だと思っていた。
海外旅行から帰ると、病院に見舞いに来た。
「毎日、何してるの?」と訊く。繰り返すが夫は肺ガンの末期で入院加療をしているのだ。しかも、義姉は「それがどういうことだかわかってる」と言ったのである。
「寝てるよ」と夫が短く答えると。
「あら、毎日ゴロゴロ寝てられていいわね」と言い放った。
実は義姉は5年前にも入院した伯母のところに見舞いに行き同じことを言って病室を追い出されたことがある。伯母から義姉を口汚く罵る怒りの電話がかかってきたので私は知った。うちと義姉とは電話番号が違うので、義姉の許可を取って義姉の電話番号を教えた。伯母の怒りはおさまらず、1週間ほど義姉の電話が鳴りっぱなしなのが、壁のこちら側にも聞こえてきた。
あんなに怒られたのに病気で寝ている人間に「いいわね」などと言ったら神経をさかなでするということを覚えていなかったのだ。
このときを境に、夫は義姉の見舞いを嫌がるようになった。
4カ月経って、一度危篤状態になり、私は病院に泊まらせてもらった。一カ月後に、いよいよ、もうダメなので会わせたい人は呼んでくださいと主治医の先生に言われたとき、私も夫も義姉はいらないと思っていたのだが、私の母が「兄弟なんだから情があるに決まってる。あんたは血の濃さをわかってない」とゴリ押ししてきて、義姉を呼んだ。
最後の対面となる。
その席で。
「増田(私のこと)がろくに家事をしないので、家の中がグチャグチャだ。なんとかするよう言ってやって」と言ってきた。
散らかっているのは、主に、義姉さんの荷物ですけど、と思いはしたが、まさか、たった一人の肉親との今生の別れのときに、ケンカを買うわけにもいかない。黙っていたら「あれも出来ない、これも出来ない、子供もひどい」とさんざん言い出した。
最後には夫が「もう黙れ。出て行け。二度と来るな」と怒鳴りつけて、ようやく口を閉じたのだ。
200909101314追記。
たくさんのブコメとトラバありがとうございます。
夫亡きあと(あれだけのことをしたのだから、当然出て行くつもり)だと思っていた思惑を外されまして。家庭裁判所にまで持ち込んで騒いだ挙句、「私は義姉が、75歳のお年寄りで年金暮らしの弱者であることを考慮して、死ぬまで私の家に住み続けることを認める」「義姉は玄関を分ける費用を出して、増田(私のこと)と増田の家族に今後いっさい干渉しない」と文書を交わして取り決めました。
ところが、昨日から、義姉は在宅している(洗濯物を干していたり、夜電気が点いていたりするのでわかります)にも関わらず、郵便屋さんが届けてくれる荷物を受け取ろうとしないのです。一昨日、うちのポストに入っていた不在票を義姉のポストに入れなおしたので、不在票を見て郵便屋さんに連絡を入れた上で、居留守を使っているのだと思います。他人に迷惑をかけ続ければ、私が折れて、また、夫が生きていたときのように義姉の召使をすると思ってるんでしょう。たぶん。今までのいろいろな経緯を考えると。
その手にのるか。とは思うのですが、なんの関係もない郵便屋さん(三回来てます)にご迷惑をおかけするのも心苦しく、一昨年の義姉の仕打ちを思い出して(ここで折れてはならない)と心に言い聞かせていたところ、ふとしたはずみに、また母が「兄弟なんだから情があるに決まってる。あの人だって決して嫌がらせしたわけじゃない。あんたはどこまで依怙地になるの」と言われて、頭に血が昇ってしまったので、このエントリーに吐き出せてもらいました。
ここまでされたら、通常、縁を切るってと、何度も母には言ってるんですけど理解してくれないんです。自分は兄弟と仲良くしているから、血が繋がっていても情が湧かない人が存在するということが理解できないんです。
その母ももう83歳で、まだ食事の支度はしていますが、ほかのことは私が援助している状態なので、そんな言い合いを続けているわけにはいかないんです。増田があって良かった。ここに書き込めたおかげで、また、母とは穏やかにやっていけそうです。
ちなみに、私は47歳です。夫と16歳違うんです。年々歳が近づいていくのが寂しいです。
夫は最期まで元気でした。若いとなかなか弱らないそうです。助からないと決まっているのなら、早く楽にしてと思う反面、元気そうに見える夫を見ていると奇跡が起こるんじゃないかと期待してしまったりして、いろいろしんどかったです。
今は元気です。義姉には関わらないように生きていこうと思います。
ありがとうございました。
]]>それの説明として10歳ならその一年は十分の一で、40歳ならその一年は四十分の一だからっていう説明があるよね。
でさ、そろそろ人間って400歳ぐらいまで生きれそうじゃん。たぶん。
そしたらさ俺二十歳だからさ、俺が感じてる一年っていうのの二十分の一しか感じないわけじゃん。
だから俺の18日が山田一男(400)の一年分ってことになるよね。やべーっしょ、それ。
なのに本人はあんまり気づいてなかったりするわけだよ。
俺の18日間が一年なのに「今年ももう終わりか」とか言ってるわけ。あたりめーだよw
それぐらいになったらさ、やっぱり価値観が変わるわけだよ。
たぶん悟るためには時間感覚の変化ってのが必要だなと最近思ってて
長老とか時々ウルルンとかで出てくるけど長生きすれば必然的に悟ってしまうんだと思うのよ。
だけどさ、今だと120歳くらいになるとボケボケになっちゃうじゃん、人間。
だから、明晰な頭で400歳くらいまで生きれるようになれば、すげーことになるね。
科学が進歩したら、そうなるんだけど、今俺が感覚として目指してるのはそのまた逆ね。
10歳の一年が十分の一なら、1歳の一年は一分の一でしょ。
5分前に生まれたとするなら1年はそれの12×24×365でしょ。ついさっきなら一年は無限に感じる。
この感覚をつかめれば、それまたすげーでしょ。精神と時の部屋みたいな。でも、それって難しいのよ。
俺が俺であることを証明するのは記憶だからね。それを捨て去るのは難しい。だけど、意味みたいなものを捨てればできるような気がする。
つまり、新しい意味付けをすればいいのかもしれない、それが新しく生まれたってこと。まぁ逆にいえば意味なんてないっていうか。
]]>
>そのプロフィールで話を作ったら、連載に至らないか「18禁でやれ」になってしまう可能性があるんじゃないかなあ。
あああっ!!
そういう視点がガッツリ抜け落ちていました。
そうですね、おそらくそうです。
(作りようによればいけなくもない、とも今思いましたが、
作者は九重りんのお色気描写一点に、そういった資源(世間への配慮や云々)を割きたかったのだろうという気もします。)
>真面目な話を絡めて「これは真面目な話なんですよ」「社会に問題を投げかけてるんですよ」という態度
『くそう、姑息な大人たちめ…』と、いう気持ちになりました。
なんというか、それを”保身にはしって害を為す”と形容したくなるような。
ともあれ、「フィクションとしての能天気なエロ」、とても心が高揚する、良いフレーズですね。
最近、めっきり出会うことが少なくなってしまったものだと思います。
「こどものじかん」も、そんな読後感を与えるといわれる作品であったならなぁ。
…と、ここまで書いて思ったのですが、私は「こどものじかん」の児ポ描写(の描写自体も、それが作中で意味するところも)が薄まってくれたらいい、と思っているのかもしれません。
(作中に、大人のエロ描写を増やし、その中に児ポ描写を埋めることで。)
混乱してきました。
…いや、そう、そもそも「こどものじかん」の感想を書いたのは、
・娘(1歳)もちのメスの増田に対して、「こどものじかん」を推薦するレスポンスをください!
という意図があったのです。
引き続き、ご意見を求めます。
]]>
>「こどものじかん」は、かわいそうな子供と糞みたいな大人が行き交う話だ。
”正鵠を射ている”と読みを褒められた(?)のは、うれしいです。 ありがとうございます。
ただ、評判の漫画を読む楽しみが、ひとつ減じたままなのは、残念です。
『本編もロクに読まずに、何を言う! 秋はなぁ~…なんだ!』とか、『あなた、りんちゃんの本当の姿が判ってないわ。 りんちゃんはね、~…なのよ!』というような御意見も、引き続き求めます。
そのためにも、さらに、「こどものじかん」について、思ったことを書き足しておきたいと思います。
→
「年不相応なかたちで、性を差し出す九重りん」の人物造形を補強するために、プロフィール(シングルマザーの母に先立たれ…)が設定されたのだと推察する。
ただ、私は思うのです。
「年不相応なかたちで、性を差し出す女の子」の動機理由づけとして、何も、こんなプロフィールを選ばなくてもよかった。
私は提案したい。
こんなプロフィールはいかがかと。
実は、九重りんの父はアダルトビデオの監督。母は、エロ漫画家。
同居している祖父母は、アダルトグッズ専門店を経営。(駄菓子屋さんのノリで経営。職住一体化している家だと、なお面白い。)
姉は5人いる。そして、全員AV女優。
提案のポイントは、3つある。
1つは、漫画の調の統一。 1巻のはじめの方を読む限り、「こどものじかん」はギャグ調だった。 そのまま愉快に突き進んでいて欲しかった。
2つめは、ネタの倉庫として機能するプロフィール。 これだけ人物に色々仕込んでおけば、話のネタ(お色気路線)にきっと困らない。
3つめは、リアリティ。 「年不相応なかたちで、性を差し出す」ことについて、リアリティをうんと薄めていて欲しかった。
1歳になる娘を持つ元増田としては、切実な気持ちで、それを願う。
(そういう意味では、近親相姦を示唆する題材をもつ「シスタープリンセス」は、”12人の妹””それぞれとても有り得ない人物造形”というリアリティから遠く離れた設定を行っており、大変えらい。)
このように考えると、あの作品について、最も罰せられるべきは作者である私屋カヲルと編集者である。
]]>シングルマザーは死んでも死んではいけない。
育児ノイローゼで自死、などは論外である。
九重りんは、ほんとうは彼女の年頃ならば、無償でふんだんに与えられなければならない愛を、
性を差し出して、得ようとしている。
憐れすぎる。
そうして「教師」という職を、(逆説的に)一番信頼しているのは彼女である。
教師という職につくものは、いくばくかの愛を無償で与えるものだと信頼している。
ほかのこどもよりも、幾分多めに求めているだけなのである。
性を差し出して。
青木くんは、彼女が求めるだけの愛(かつ、職分が許すだけの愛)を与え、絶対に、対価をとってはいけない。
あの作品のなかで、最も罰せられるべきは九重 秋である。
彼女が出産で死んでいたら、九重りんの生涯は、もっと過酷なものであった。
彼女が不用意に従弟と同居なぞするから、残された九重りんの生涯が、過酷なものになっている。
秋の選択は、とてもエゴイズムに満ちている。
増田: 1歳になる娘もちのメス。 じつは、「こどものじかん」は1巻を読んだだけ。 wikipediaの「こどものじかん」の項目を読んで、かなしくなった。
わたしのような「こどものじかん」への感想?を取り去る意見もとむ。 このままでは、続きを読む気がしない。
]]>ただ、増田の例を解決しろと言われると、心の余裕を持たせるというのは、まさに
>ただ、親元を離れろだののアドバイスは的確だとは思いますが、どうせ責任ももてないでしょう。
なんですよね…なのでこの案は書けなかったですね、このへんまでは同意です。
そうでもないと思う。
それこそ、「ただの共感」こそが心の余裕につながることもある。同じ経験を持つ人、共感してくれる人が大勢いることを知って、ほっと一息つけて、それが克服へ向かう力(たとえば親元を離れることを検討してみるとか)になることもあるんだよね。だから http://anond.hatelabo.jp/20090629205133 の増田に同意。
元増田の主張を「わがまま」ととらえてるようだけど、私には
自分は他人の要求…他人が嫌だといった内容が、あなたの楽しみを奪う事…だったとしてもそれに従うのか?
元増田の人生はまさにこれに従うことが日常化しているように思えた。自分の要求は通せず飲み込んでしまうけれど、他人の要求を拒否することなど許されないと思ってしまっている。普通の人はそんなことありえないと思うかもしれないけど、押さえられて生きてきた人にとっては、そういう状態こそが普通。
少し前に増田にいた、「学習性無気力」の人と似てるかもしれない。
というわけで、元増田には精神分析医だった故・木田恵子氏の本を薦めたい。
「添うこころ」「喝采症候群」「0歳人・1歳人・2歳人」あたりがとくにおすすめ。
どちらかというと、増田の親のような人に向けて、そういう叱り方はよくないと説いた本だけど、そういうことを言ってくれる人もいるんだ、ってことで安心できるんじゃないかと思う。
]]>8月13日 朝日新聞
裁判員、「替え玉」告白、法廷大混乱
裁判員裁判第二号となるさいたま地裁の殺人未遂事件の法廷4日目で、
「与野市の41歳男性」として裁判員として出廷していた男性が、
法廷で「実は自分は裁判員候補者に身代わり出廷を頼まれた替え玉だ」と
「告白」し、法廷が大混乱に陥った。
さいたま地裁では、この裁判の審理をやり直すことを検討しているが、
「他の裁判員に再度出廷を求めるのは困難」との意見もあり、
裁判員の変更も含めて検討する。
朝日新聞は、替え玉を依頼した男性に取材を行ったところ、
「自分は裁判員制度自体に反対だ。
しかしただ単に呼び出し無視するだけでは、制度自体を葬れないと思い、
替え玉を立てて出廷させ法廷最終日に告白させることで、
効果的に制度を混乱させ崩壊させることを狙った」と
その意図を説明した。
「替え玉出廷」という想定外の事態に対し、最高裁は
「対策として運転免許証などの写真付身分証明書の提示を求めることが考えられるが、
免許を持っていない候補者がいる以上、身代わり出廷を見破ることはできない」と
「対策が打てない状態」であることを認め、
「今後このような身代わり出廷が増えるのではないか」と懸念している。
]]>結婚して、子供が1歳半になり、この頃になればきっと「父親としての自覚」みたいなものが頭の中を支配しているんだとばかり思っていた。
ところがどっこい。
結婚しても、子供が1歳半になろうとも、あたまの中はずっと音楽のことを考えている。
片道14kmの仕事への行き帰り。嫁のウマイ飯を囲む食卓。息子と遊ぶ日曜日。
何をしてても、僕の音楽が頭のどこかに必ず居る。そして、日を追う毎に増えていく。今も、僕の音楽は頭の中でリアルになっていく。
勝手に父親になるもんだと思ってた。受け入れられるもんだと思ってた。少しずつでも「家庭」が頭を支配していくんだと思っていた。どうやらそうじゃないらしい。
家庭に不満など一つもない。きっと、誰もが幸せだと言うだろう。羨む人もいるかもしれない。
でも、いつまでたっても「家庭のために時間を使う喜び」などない。死ぬまでずっと?冗談じゃない。
きっと、僕はそういう風には出来ていなかったんだろう。血は繋いだから、もう良いかなとも思う。
帰ったら話をしなくちゃ。
]]>「周りから浮かないように、『あんただって普通の子なんだからね』と言い聞かせ、周りの人間と同調するように育てること」っす。
天才児というのは、自分でまったく意識せず、周りから外れてしまいます。
例えば、幼稚園のカリキュラム。普通の子供は10分くらいで集中力が切れるので、通常幼稚園は10分ごとに目新しいことがくるようにプログラムを組んでいます。ところが天才児は30分、人によっては2時間でも集中力がもってしまうという幼児にしては驚異的な能力を発揮します。すると、どうなるでしょう。はい、他の子が他のことをやっている時間に、あなたの子だけ、前にやっていたことを延々とやっているのです。
おそらく、幼稚園から小学校の低学年まで、周りの子とペースが違うわが子にがっかりなさることでしょう。
本当に子供の才能を伸ばしてやりたいとお考えなら、のびのび保育で子供にカリキュラムを強制しない幼稚園を選ばれることをお薦めします。
小学校の高学年、中学、高校と進むにつれて、あなたのお子さんに周りの子が追いついてきて、あなたのお子さんはみんなと同じ行動が取れるようになるでしょう。時間が解決しますから、焦りは禁物です。
決して、子供の成長を阻害しないでください。天才児は普通の子供とはまったく違う意識で動きます。頭が良いわけですから、そのうち、周りを見回して合わせていくことも覚えていきます。焦らないでじっくり育てましょう。
そして、情緒に関しては、他の子供となんら変わらないことも覚えておいてください。天才児だって悔しさに泣き、わがままを言い、ほかの子とくだらないことで衝突します。そういう情緒の発達は決してスキップできません。1歳児は1歳児であることも忘れないでください。
あなたのお子さんが幸せな人生を歩まれることを祈ります。
]]>正確には、若いということに付属する要素(主に外見的な良さや未来への希望など)を自分が持ってるとはとても思えなかった。
高校生のときにすでにそう思っていた。若いという状態の存在さえ疑っていたような感じだ。自分に対しても周囲に対しても。
そして22歳のときに自分はもう肉体的にも精神的にも若くないと思った。10代の奴こそが若いのであって、自分はもうそこからあがってると思った。
今31歳だけど完全におっさんだと思っている。
そう思い続けてきた結果、自分には若い頃が一瞬もなかったんだと思った。哀しくて、さみしい。
]]>ここ最近はもう彼女とかできそうにないしいらんしって思ってるんだけど、
レストランとかゲーセンとかで、隣にカップルがいるのを見ると、すっごい楽しそうなんだよな。
で、なんか大きなものを失ったような、
田舎の電車に乗り遅れたような、
なんかそんな気持ちになっちゃうんだよなあ。
やっぱりこれってうらやましいってことなんだろうか。
とは言ってもそんな環境は手に入るものではないから、
喪失感が沸くんだろうか。
でも全く自分が彼女を持つと言うことが想像もできない状態。
自分がアメリカの大統領になる方が想像できるんだよな。
アメリカ人じゃないけどね。
]]>斬新な誘い方だ。
]]>あせもが出来やすくて夏の子育ては大変だよー。
エアコン買い換えたもん。
秋口に生まれて、1歳直前に夏だと楽だって聞いたよー。
夏が過ぎて、秋は肌寄せ合うのに良い季節、だから致しちゃうので出来ちゃう、とか?
思いもかけず出来たり、思っても出来なかったり。
願いどおりにならないのが子どもを授かることだと思うよー。
]]>美少女になりきってみよう。自分とは全く対極にあるじゃないか。感情豊かな美少女。箸が転げてもおかしい季節。
夜な夜な中学生美少女のイメージDVDを部屋を暗くして催眠効果を高めた状態で見よう。そして鏡像効果でなりきってみよう。
]]>俺は31歳なんだが、この世代にもドラえもんというのは絶大な影響力があったわけだ。
ただここでいうドラえもんというのはマンガの方がベースになっていた。みんなそれをベースに話していた。37巻くらいまで出たあたりかなあ。
そしてそういう世代から見たドラえもんというのは
とても危険なのでドラえもんの立場としては止めなきゃいけなかったわけだ。
とは思えず、むしろ(状況とかノリにもよるけど)「行け」という存在なのだ。
例えば一つの単行本の中で「俺に頼るなてめえでやれ」というドラえもんのセリフは平均10カ所はある(こないだ調べた)。
もちろん元増田は原作を読んでいるようなんだけど、やっぱり世代的な認識のギャップを感じることがある。
俺の世代を最後に、あまりマンガの方は読まれなくなったように思う。それに従ってイメージの転換が起こったようにも思う。
俺の世代にとってドラえもんとは、「同じ目線の悪ノリ仲間」であり、「ほんの少しだけ兄貴」であり、「スパルタ式の家庭教師」でもあった。
ところが、俺の世代以下ではこのことはあっという間に忘れられ、いつのまにか「母性」とか、「庇護者」とかそっちの方として急速に認識されて行くこととなった。
「のび太の日本誕生」を最後に映画を見なくなった世代と、「夢幻三幻士」を最後に見なくなった世代の決定的な壁を感じる。
]]>1歳6ヶ月の時点で一番奥の歯以外は全て生えている。
「一番奥の歯」とか変な言い方をせず、ちゃんと「奥歯」と言ってくれ。
でもって元のリンクを読んで欲しい。
「奥歯が生えそろわないから指でつぶせるものを…」と書いてあるね。
というのは、「離乳食が終わり大人と同じ物が食べられる」というのと「大人が食べられる物は与えて良い」というのは全然違うことだからだ。一般には離乳食を過ぎれば幼児食が始まるわけで、実際に大人と同じ食事を食べ始めるのは大体3歳頃が目安。
いずれにせよ「凍ったゼリー」を1歳の子に与えて良いなどということはないよ。
]]>で、
蒟蒻畑もその場に居た三人以外の人間が冷凍庫に入れていたものである可能性も十分あるよね。
「凍ったゼリーのような何か」を与える時点でおかしいという話を別枝でしてるので却下。「誰が入れたのか分からない何か」を与える際に固さすら確認しないならその時点でダメでしょう。
肝心の「これはゼリーではなくこんにゃくである」と言う事は書いてないような。
まあ大きく書かれた「蒟蒻」が読めないことを責めようとは思いませんが、「飲むな」「よくかめ」という注意書きは主にひらがなですよ。それを注意しない人が「こんにゃくです」の一言で注意したと主張したいわけですか。これ以上の義務をメーカーに負わせるのはどう考えてもアンフェアだと思いますが。
要するにこれは単に、世の中にしばしばある「不幸な事故」であるに過ぎない。親が責められすぎるのがかわいそうであると同時に、製造会社が責められるのもおかしい。それだけの話です。なのに親が製造会社を訴えるから「馬鹿だ」といわれるんですよ。少しは頭を冷やせって話です。
]]>他人がカップだけ取り出して冷蔵庫に入れていたという事は十分有り得る。個人的な話だが自分でもそうやって凍らせて食べた事がある(でないとかさばるし)
で、あんたはその「凍らせたゼリー」を1歳児に与えるほど馬鹿なのか?
]]>自己責任論を放棄すると福祉充実させるってことかなって思うけど、財源はどう考えてる?
そのために税金が高くなったりするのもいい?
自己責任論がはびこるのは政治に問題があるように思う。
「国は借金まみれだし、年金が崩壊してるので国が救ってくれるとか期待できない。
個人の身は個人で守るべき。」
という意識がに広がってるんじゃないかな。悲しいけど。
マンナンの件は、気の毒だが親(というか祖母)が悪いと思うな。
子供を亡くせば、気が狂うだろうとおもうがパッケージに注意書きあったみたいだし。
1歳児にあたえるのって、常識的におかしいとおもう。
「死ぬ可能性があるものは売るな!メーカーが責任とれ」とかいったら
車は売れないでしょう。交通事故で毎年何万人も死んでるのに。
]]>親の監督不行き届きがまず非難されてしかるべきな気がするけどね。
]]>マンナンライフを提訴=死亡1歳児の遺族-こんにゃくゼリー問題・神戸地裁支部
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2009030300635
これはひどい
]]>たとえば子供の寝かしつけ、
いくら上手に寝かしつけたって、夜中に1度は泣くの知ってる?
それからもう1歳なら、寝てる間に1度はおむつ替えないと漏れちゃうのも知ってる?
たとえばお母さんが8割食事作るからって、労力2割で済むかな?
お母さんが料理上手で優しくたって、気苦労8割なんじゃないの
mixiに通販ねえ・・・ひょっとして奥さん、外に全然出かけられてないんじゃないの。
人間はモノじゃないんだよ。
]]>