はてなキーワード: 魔法陣とは
先日クトゥルフ神話TRPGの「同居人」というシナリオをプレイさせていただきました。
※クトゥルフ神話:ハワード・フィリップス・ラヴクラフトらによって作られた架空の神話
※TRPG:テーブルトークRPG、紙や鉛筆、サイコロなどを用いて会話を軸に遊ぶロールプレイングゲーム
このシナリオはSNSなどでかなり人気があり、有志によるおすすめランキングの投票でも上位に出るシナリオである。TRPGをよくやる友人に「みんながおすすめしているから」というようなセリフで誘われてプレイした。
結論から言うと私個人はこのシナリオがとても嫌いだなと言う感想を抱いた。しかしながらネット上の感想は狂気的なまでに「良かった」という内容ばかりが並んでいたのでなぜそうなっているのか気になる。
私自身がシナリオを書いたりその他創作をする人間ではなく、シナリオ自体の完成度などに口を出せる立場ではないため1プレイヤーとしての感想を述べて行こうと思う。
まず回してもらった結果、エンディングとして味気のない片ロストだった。(このシナリオはプレイヤー人数が2人)
エンディングはプレイヤーの選択によって決まるものなのであまり騒ぎ立てたくはないが。どうしても2人が生還するには、邪神と接触して死んでしまっている片方のキャラクターを生き返らせてほしいなどのお願いをしなくてはならない設計になっている。
個人的に、あまりクトゥルフ神話の神話生物と必要以上に関わりたくないタイプなため、その邪神の接触呪文を使えるようになった後もそれを使わなかった。(結果的に相棒がロストした)
神話生物に解決してもらうシナリオってどうなのかな~、とシナリオ終了時は少しモヤモヤしながら終わったが。問題はそのあとシナリオを読んだときに現れた。
神話描写についていろいろとおかしいのではないかと思った要素があった。
ひとつは旧き印が神格との接触呪文に必要な魔法陣めいたものになっており。古き印の中心に神格が現れるという点。
古き印は神話生物から身を守るような呪文であると解釈しており。通常印の領域を神話的事象から守るであるとか、門の近くに書くと門から神話生物が現れなくなるとかそういうもののはずであるのに今回は召喚のための魔法陣扱いされているのが不思議だった。
二つ目は接触の呪文を知る機会。シナリオ内では『ニューイングランドの楽園における魔術的脅威』という魔導書(これが魔導書かどうかについては今回問わない)が出てくるが。そこに接触の呪文と古き印についての記述があるらしい。基本的にこの魔導書には特別な例を除いて呪文は書いていない。呪文を知ることができる特別な例では確かに接触の呪文がある、しかし古き印は書いていないはずなのでおかしい。
・意識を失うレベルで車にはねられたNPCが翌日元気にPLのもとに遊びに来る。
・とあるイベントにて凍死を免れるため人肌程度の液体をかぶる描写があるが。むしろそのあと凍死するまでが加速しそう。
・手元にある死亡診断書(役所に届けるもののはず、コピーをとるなりすれば手元に残っていてもおかしくないがそうまでする理由がない)
・さらにはその死亡診断書に死体の写真も添付されているらしい。
・これはスピリチュアル的内容になるので実世界的におかしいというべきではないかもしれないが、魂が必要とされている呪文の発動を幻覚として存在しているキャラクターで発動させることができる。
まだまだあるがキリがないのでこのくらいにするが。なんとも不可解なシナリオだった。
クトゥルフ神話TRPGの世界はある程度現実世界に近いながらも、アーティファクトや神話生物が絡み不思議な事象が起きる世界だと個人的には思っているのである程度物理法則を無視したりなど、何から何まで現実と同じにしろとは言わないが。あまりに乖離しすぎていると推理が進まなくなるのでもう少しどうにかならなかったのかと思った。
私は今日、エレベータを待っていると、奥の部屋に人影があるのを見つけた。昼も過ぎてとっくに閉鎖されたビジネスホテルの朝食会場。ビルの陰となって、日の差し込まない薄暗い空間には、整然と並んだテーブルと椅子たち、コップ、皿、カトラリー。その隅の席に、女性の影があった。
その人は、じっと動かずになにか書いている姿勢に見えた。いや、こんな時間にあんな場所に人がいるだろうか......。見つめ続けても、その影は動くことがなかった。
「なんだ、私の見間違い......」
私は目的だったコンビニへ行き、またホテルへ戻り、エレベータを待っていた。ふと、先ほどの人の影があるのか確認したら、その影はなくなっていた。
私は、この間、こんな夢を見た。
雑踏に紛れる、近年新しく進出したコンビニ。年々、出店の勢力を上げていた。私の街にも当然そのコンビニはあった。ある日から、そのコンビニは、今までに見たことのない暗い極彩色と不明の言語でデザインされたのぼりを飾った。その違和感に宗教じみたものを感じた。なにか強いメッセージを感じるものの、私には何も読み取ることはできなかった。
いつの間にか、そのコンビニの外装や商品もそのデザインに変わっていった。私は、そのコンビニが平然と街に馴染んでいくのが受け入れられなかった。
そのような夢であった。
私は、小さい頃、サーカスや劇が嫌いだったことを思い出した。そんなふうに、芋づる式に自分の不快が思い出されて、こうして文章に書くことにしたのだった。
サーカスは暗くテントで覆われ内密に行われる。広くぽっかりとした空間を丸く観客が取り囲んでいる。暗いテントの中で、中心がライトで照らされている。調教された熊や犬が芸をする。人間たちも張り付いた笑顔で曲芸を披露する。観客たちはそれを見て拍手する。
小さな頃の私には、これの何が楽しいのかわからなかった。嫌な感じがする、けれど、拍手しなければならない。楽しいフリをして拍手した。
劇の不快について。
学校の体育館で、いつものステージが劇場に変わり、見させられる劇。年上の大人たちが、何かを演じている。独特の演劇口調と衣装を纏って、役になりきっている。確かに、物語に没頭はできた。その役の人物を好きになってしまうことさえあったくらいに。
しかし、終わってしばらく経つと、とても虚しい気持ちになってしまうのだった。映画やアニメを見たのときには感じない虚しさがあるのだった。
演劇には特有の陰湿さを感じていた。湿っぽいような、なにか滞っているような。劇が喜劇的であればあるほど、その落差を感じた。
小さい頃、両親が休日に朝から連れて行ってくれたディズニーランド。
一通りアトラクションを楽しんだ後に、人々の帰路を意識し始めた焦燥感をじわり感じながら、陽の沈みかけた園内でパレードを待つ。
そのうちに電飾で彩られた巨大な装置と、それに乗ったキャラクターたちが現れる。大音量で音楽となにかセリフが聞こえる。
また、大勢の人たちが拍手をしている。私もそれに合わせて拍手をする。もしかしたら、拍手をする大多数は、私のように周りに合わせて拍手をしているだけなのではないか。大音量で煌びやかなパレードを見ながら、その音や景色が頭の中で遠ざかっていく。
その画は西洋の宗教画の並びにあった。一連の草原、道、淡い色の空。そんな印象をかき消すかのように、白に近い水色と鮮烈な赤で彩られた円い曼陀羅か魔法陣のような物体。ぽっかりとした空間にそれが浮かんでいる。
どんな絵だったのか、よく覚えていないのだが、その独特の色彩が頭から離れないのだ。
中学生の頃、部活帰りの夜に、誰もいない真っ暗な田んぼ道を自転車を押しながら、ふとそのイメージが思い出されてしまって、動けなくなってしまった。
あの色彩は、人間の神経と血管を想起させるのか。それとも、自然界での毒を想像させるのか。この画はずっと私の頭の中にあるというのに、作品名を忘れてしまったため、その作品の存在さえもはやわからなくなってしまった。
母は能力が低いにも関わらず、自分を大きく見せ、プライドが高い難儀な人種だった。
育ててもらった恩の分は感謝するが、とはいえ母から目を逸らすつもりもない。彼女の短所は「計画性と実行力がなく、面倒がり」である。
これは壊滅的だ。つまり何にもできない。
プログラミングに例えると、そもそも設計の段階でメチャクチャで、実装に入るのを数ヵ月渋り、ようやく作ったと思えばやはりバグだらけで、挙句テストを一切実施しないという感じになる。
これでは分野を問わずすべてのことが出来なくて当たり前で、母は何をやってもダメと評価される人間となった。
スピリチュアルというものの何が素晴らしいかと言うと、何の努力もせずして誰よりも知者になれる所である。
皆の知らない真実を教えてくれるもの() なので、それを知っただけで、世界の全てを知った気になることが出来るのだ。
世の中本当に霊的な力を持つ人もいるかもしれないが、少なくともそれに便乗している人間の殆どはそうではないだろう。
で、まあ母はコンプレックスを解消してくれるそれに、しっかりハマってしまったわけである。
ある日私は、怪しげな魔法陣が描かれたカードの上に、弟の名前が書かれた紙が乗っているのを見かけた。
背筋がゾワッとした。この世の深淵と目が合ったような気分だった。
その名前の主である弟は受験期。「学力アップのおまじない」とか「受験に受かるおまじない」的なつもりなのだろう。しらんけど。
私の可愛い弟に何をしてくれてるんだ。おまじないは女子小学生が消しゴムに好きな子の名前書いたりするレベルまでにしてくれ。という憤慨の気持ちが次に湧き上がってきた。
何が違うのか具体的に聞かれると少し困るのだが、50代のおばさんがバカ真面目にこの世の真理ですみたいな顔でやってるのがヤバいのだ。
弟はのちに、受験に落ちることになる。超安全圏、合格確実だと言われていた第一志望校に落ちてしまった。
弟曰く、合否の連絡をした塾の先生や学校の先生にはことごとく、ありえないことが起こったような顔で見られた、運が悪かったと口々に言われた、と言っていた。
過去問では出したことがないぐらい低い点数を、よりによって当日に出してしまったんだそうだ。
「運が悪かったね」
運という目に見えないものが話に絡んできた瞬間に、私はふとあの魔法陣を思い出していた。
「もしかしたら母のあの奇妙な魔術のせいで、弟は受験に落ちたのではないか……」
そんな馬鹿な考えが頭の中に一瞬よぎった。
その奇妙な魔術を信じている訳ではないはずなのに、冷静に考えればそんなことはないだろうに、うっかり見えない世界を肯定しそうになるのは日本人ならではの宗教観なのか。
仕方なく使ってるけど本当に大嫌い。
嫌いな理由書いていく。
氏名として受け付けるのが12文字ぐらい。(明かに日本人申告者のことしか想定してない。)
それ以上の文字数だと切れてしまうから、入らない分は手書きで書かなければならない。
外国人の名前は20文字以上もザラなので、余白に書ききれないこともあり、
その場合は名前欄を空白にしてまるまる手書きで書かなければいけない。
これはあまりにも酷い上に改善が簡単な部類のことだと思ったので
10年近く前から魔法陣ユーザーの掲示板に何度か書き込んだけれども改善どころか返事すらなし。
(そもそもそこはユーザーしか居なくてみんなどうしたらいいかわからないこと愚痴ってて
ほとんどは根幹的な欠陥に関することなので教え合いすら出来ずにソフトにムカついてる人達が居るだけの場所。
こんな腐った掲示板を公式として設置して放置ってどんな判断だ。)
大量に申告を作る時に1件1件開いて、所得金額欄を表示しないと一般的な申告書の印刷も出来ない。
なのでもちろん100件ぐらいのデータの同じ帳票を一括印刷、なんか出来ない。
1件1件開いて印刷して閉じてってやらないといけないから印刷の指示出すだけで数時間懸かる。
今時なんなのこれ。
すごすぎる。
あと1件1件開く時の画面が異常に動作もったりしている。
データベース作って流し込むなんてことがもちろん出来ない。
今時こんなソフトあっていいの?
各画面の「キャンセル」「閉じる」というよく使うボタンのすぐ横に密着してヘルプボタンがある。
押し間違いが多発する。
これはいろんなソフトのあるあるだけど魔法陣はもちろん解決せずすっとそのまま。
本当に素朴なレベルで酷い部分が一杯あって、
事務所がこれを使ってるから仕方なく申告書作成に使ってたけど嫌で嫌で、
掲示板とかから要望を出しても文字数増やすことすら対応してくれなくて、
公式サイトだけやけに機能が充実するようになってきたけどソフトはずっと改善がなくて、
>翁長知事への「お悔やみ」を装いつつ「翁長知事と米軍基地に苦しんでいる人たちを貶める醜悪な書き込み」を見てしまうと、「辺野古新基地を求む安倍政権支持者」というのは、理性とも知性とも生命の尊厳とも、全く無縁の世界に生きている人たちなんだな、と改めて知るね。
>翁長知事死去の件でネット掲示板を見てみればいい。というか見たほうがいい。今の日本のリアルがそこにある。人間の尊厳を踏みにじる読むに耐えない書き込みで溢れている。そしてそのおぞましいメンタルがネットにも国会にも、皆が気づかぬうちに杉田水脈のごとく広がっている。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tachibanaakira/20180903-00094481/
http://blog.livedoor.jp/nanyade/archives/11266209.html