はてなキーワード: 高齢出産とは
医療が進歩したせいで、障害児が生き残れる世の中になってしまった。
産んだら最後、障害児が死ぬまで親が世話をしなければならない。
障害児が産まれるのは、遺伝と父母の生活環境、年齢が主に関係している。
アル中夫婦の子供、発達障害夫婦の子供、激務でコンビニ飯ばかり食ってる夫婦の子供、喫煙夫婦の子供。
見事な位に障害持ちじゃねーか。
それ1人産むって事は、巻き添え喰らう定型発達、健常人間が何人何十人何百人いるとか考えた事あるか?
ほとんどの親は考えてないだろう。
できないなら産むな。
障害児産むと、鮮度良い人間達がフォローに疲弊して腐っていく。
だから、障害児である我が子と、そんなゴミ産んだ私は死にたい。
我が子は、ただ生かされてるだけのゴミであり、将来有望でもなんでもない。
なんの役にも立たない。
生き地獄。
この増田が高齢出産した本人だとしたら、少なくとも1993年に18〜19歳だったわけでフェイクなしの実年齢は46歳以上ってことか。超高齢出産。華原朋美より年寄りだ。
高校卒業後即入隊してずっと営内だったので、実家の母の手料理より自衛隊のメシを食べた回数の方が多いかもしれない。
思い出深いマズかったメシをつらつらと書いていく。
当初メニューの誤植ではないか(よくあった)と考え、とんこつラーメンを楽しみにしていたのだが
場末のサービスエリアで食べるようなしょうゆラーメンに、わりとデカいとんかつがスープをたっぷりとすいこんで
しっとりと鎮座していた。
カラッとした揚げ物が好きな自分にはラーメンスープに浸ったとんかつは辛かった。
この某巨大駐屯地の食堂は天井がめちゃくちゃ高くて、天井ででハトやスズメが数羽いつも飛んでいた。
今思えば衛生的にどうなの、という感じだが当時は誰も何とも思っていなかった。
今はもうありません。
② しつこく喰わされた「うなぎ」
これは多分何年か前TVで話題になった、とんでもない衛生管理の中パックされた中国製の輸入うなぎだと思う。
本当にまずかった。週2くらいで食わされいた。
多分とんでもなく安く仕入れていたのだろう。
これは一度だけ出た。ただただ硬かった。
でも当時は本当に日本米が無かったから、メシが出るだけありがたかったです。
⑤ひたすら薄い「味噌汁」
平成初期の減塩ブームにのっとり、うっすらと味噌色のお湯がよく出された。
いつも自由に使用できた卓上ふりかけが撤去されたときは本当に泣きたくなった。
どんなマズイおかずでもふりかけさえあれば、メシが食べられたので。
しかし、時代が進むにつれ肉体労働時の塩分接種の重要さが浸透したのか
味はまともになっていった。
風の強い日に外で食べる缶飯は、砂が入ってジャリジャリして嫌だなあ、とか
そういう小さいことはたくさんあったけど、今思い出すのは
一緒に食べた先輩、同期、後輩と楽しくメシを食べたことだけです。
イヤだったメシの思い出がこれしかないということは、大概美味しく食べていたんだろうなあ。
主人公・綱浜さんの後輩・鈴木が、綱浜さんを「姉さん」と呼ぶ。
男性が年上の女性をそう呼ぶ時って、「恋愛対象外ですよ」と言ってるようなものだよねと思った(個人的な見解です)。
慕ってはいるけど異性としては見てない。
なんでこんな事思ったかというと
私がかなりの晩婚で、ずっと結婚したかったけど結婚できない状態が長年続いてたから。
会社の後輩に「姉さん」呼びされてたら勘違いしてただろうなって想像してしまいました。
私は「◯君に好かれてる♡」と思ってても、
相手は私への牽制(好意を持ってくれるなよ)として使ってそう。それを後で知ったら恥かくだろうなぁと。
全部想像の話です。
誤解のないよう最後に補足。
早生まれで小さかった兄は、早生まれハンデはあったけど平均点な子供だったと思う。
逆に弟は初夏の生まれなのに、成長がのんびりで性格もおおらかで甘えん坊だった。
まず最初にグレーを感じたのは、まわりの子供に比べて読み書きが遅かったり、会話をしていても兄の小さい頃とは違うというか、、、言葉を選ばずに言うと正直、頭が良くないなと思っていた。
好きなものへの探究心は凄くて、それが逆に病気っぽいとも正直感じていた。
小学校に入学すると、忘れ物とか、テストの点数とかで気になるところが更に増えてきた。
家で勉強のことを聞くと泣いたりして、家庭教師を付けたりもした。
正直どうしたらいいのか分からなかった。担任の先生が良い人で放課後にサポートしてくれたりはしたけど、薄々グレーなことに気がついていた。
この春から週1だけ別の教室でサポートを受けることになった。診断受けましょうとは言われてないけどそのうち言われるのかな。
漢字テストは書けないから、特例で再テストいつも受けさせていいかと聞かれたときは驚いたよ。やる気はあるけど出来ないって辛いよねきっと。
物凄いアホ高校出身らしいと聞いたが、好きなことで起業して成功したのに、自業自得でポシャって離婚されて貧乏してる。
私も夫も兄も普通なのになんでだろう。
うちの子供は高校生になったとき、大人になったとき、社会人になったとき、どんな姿なんだろう。年金で子供を食べさせるなんて正直嫌だよ。生んだのは私なので責任取るしかないんだろうけど、気が重いよ。
ぶっちゃけ診断がおりたら障害者雇用とかもあるのだろうか。でも多分そこまでじゃない気がする。
どんな風にこれから生きていくのかなぁ。
術後、女性の医師に診てもらって子宮綺麗ですよと言われたので、
綺麗って何ってちょっと思った。
悲しいのか何なのか分からなかった。
可哀想と思って涙は少しでた。
結婚8年目で、途切れ途切れにだけど不妊治療をして、初めて陽性の印を見た。
エコーを見た。心拍を確認した。母子手帳を取りに行って、産院を決めた。
義父母、実母にも伝えた。喜んでもらえて嬉しかった。あまり喜ばせた事がないものだから余計に。
産院に決めた病院に初めて健診に行った時、きっとこれから有給を使う機会が沢山あるし、出来るだけ有給は使いたく無かったから、フレックスで遅く出勤する事にしていた。
待っている間に、産休について調べていた。
産前は産休を請求しなければ出産直前まで働いていいんだって、私はいつまで働くのがいいかな?と夫にLINEした。
受付から3時間経って、コアタイムに間に合わなくなるんじゃないかとハラハラしてた。
診察後に保健師さんから話がありますよと言われて、それじゃ完全に出勤時間に間に合わないなと頭を抱えた。
それって次回にできませんか?とダメ元で聞いてみたけど、それは難しいと言われてこれは遅刻だな半休かなと考えていたら診察に呼ばれた。
「あー…
赤ちゃんが育っていませんね…」
え
そうなんだ
エコーで見た赤ちゃんは小さいけど頭と体があって、人のようなシルエットをしていた。
心拍が確認できず、前回の診察から育っていない、9週なのに明らかに小さい。
前回の診察の数日後で成長が止まったと考えられる、
手術をするか?それとも自然に任せるか?と聞かれた。どちらがいいか分からないと言ったら
今後のために手術をお勧めする。ご主人と話して決めて明日来てくださいと言われた。
冷静を装ってはい、ありがとうございました。と言って診察室から退出したけど、初診だからどうやって会計したらいいか分からない。
受付の看護師さんに声をかけた。
「あ、そうですね、まだなんですけど、いらないと思うんです。えっと」
だって流産なんです、とは他の妊婦さんの前で言えなかった。だってそんなこと聞かされたら胎教によく無さそうだし、
なんというかさっきLINEで自分で打ったのに、口に出すのは憚られた。
「聞かずに帰ると言うことですか?」
怪訝そうな顔で看護師さんが見ている。何か言わないとともごもごしていたら、もう一人看護師さんがきて、向こうで話を伺いますと離れたスペースに案内してくれた。
ここなら他の妊婦さんに気にする事なく言う事ができそうだった。
「さっき流産と診断されたので、保健師さんの話は必要ないと思うんです。会計をお願いします」
後半は泣いてしまってまともに言えなかった。悲しいと言うより衝動的に涙が出た。人前で泣くなんて迷惑をかけてしまった、早く泣きやめと頭だけは冷静に考えた。
家に帰って病院でもらった書類を夫に渡して、パソコンをつけて出勤して、溜まった連絡を片付けてようやく隣にいる夫に向き合った。
手術をしようと言うことになった。
1ヶ月とちょっとだけど一緒にいて、
名前も考えているところだった。
頑張って保活して、2人とも職についたまま地元に帰って子供と暮らせる家を建てようねって夫と話していた。出産までに貯金も増やそう、でもそんなにうまくいかないかも、私いい加減だからなって不安だった。幸せにしてあげたかった、と思う。
と、言うことが全てなくなった。
昨日、私の中から居なくなった。
やっぱりこれは自己憐憫かも知れない。どう思い出しても自分のことばかりだから。
でも、いいわけかも知れないけど、その子のこと悲しむにもまだ何も知らなかった。
初期の流産は染色体の異常で起こる事が多く、完全には防ぐことはできないというのは、不妊治療をする上で知っていた。でもやっぱりああすれば良かった、ああしなければよかったと言うことはたくさんあって、自分のせいじゃないかと思わないでもない。仕事してなかったらとか、もっと前から葉酸飲んでればとか、もっともっと以前から身体を大事にしていればとか、
ごめん。申し訳ない。
初期の流産は珍しいことじゃない。だからこんな長文を書くほど嘆くことじゃないのかもしれない。何故こんな事を書いているのか、
きっとそのうちこの気持ちを忘れてしまうのが嫌だからだと思う。
自己憐憫か分からないけど、悲しいと思う。妊娠が分かって嬉しくて、居なくなって悲しかった。夫にも悲しい思いをさせて申し訳ないと思ったし、子供に申し訳ないと思った。
それを忘れてしまうのは嫌だと思う。他の人は知らないから私だけは覚えておいてあげないといけない。いけないのに、私はアホだから忘れてしまう気がする。
父が死んだ時どう悲しかったか、だんだん分からなくなってきたから、それ同じように。
書けば覚えておけるかもしれないし、インターネットが覚えておいてくれるかも知れない。
この記事を消しても忘れないように、
自分で覚えておけるのが1番いい。
かつては三十代半ばで高齢出産の烙印が押されていたが、産科学の進展により五十代以上の女性の出産も可能となった。
↓
社会全体で縁組を促進し24歳までの結婚を社会として目指していたという文化が合った(いまは30代出産が増加して少子化が増加 結果論20代出産が30代出産にシフト)
左派の理想はゴリゴリの技術革新に支えられた世界だと思うけどね。
昔の未熟な医療では命を落としていた超未熟児や重病の高齢者、脳損傷者なども救命が可能になり、生命維持装置を利用できるようになった。
性転換手術も高度になり、救われる性同一性障害者が増えた。
かつては三十代半ばで高齢出産の烙印が押されていたが、産科学の進展により五十代以上の女性の出産も可能となった。
尊厳死医療、出生前診断、デザイナーベビーなど、左派としては警戒せざるをえないものも登場してきているが、基本的には左派が応援したいと感じる人々が最新の医療技術で救われていることが多い。
ここで下手に宮崎駿的な世界観が良いとか言い出すと、弱い人々も容赦なく命を落とすもののけ姫みたいになってしまい、左派の理想とは真逆の世界となる。
今回の昇給・昇格に関わる評価について、いろいろと思うことがあったから吐き出させてほしい。
増田は2019年度の昇給・昇格審査結果のフィードバック時に「来年は昇格推薦をするつもりだから頑張ってくれ」と上司から言われた。
2020年は新型コロナの流行もあって、在宅勤務になったり働き方は変わったけれど、業務への貢献は出勤していたときと変わらないと思う。
締め切りは守っていたし、チームリーダーが変わってレビューも丁寧になったからアウトプットの質が落ちたこともないはずだ。
フィードバック時に「問題提起はできるけど、解決の提案もしてほしい」って言われたから、在宅勤務でのコミュニケーション改善案とか、ツール運用の改善案をチームで話し合って上司に提案した。
そろそろ高齢出産になることを意識し始める年齢だったから、自然に授かればくらいの気持ちで妊活はしていたけれど、思っていたより早くて、正直どうしようって思った。
2021年6月には産休に入るから、昇格推薦もらえないんじゃないかって思った。
安定期に入る前に上司に報告。
来年度の業務予定立てる時期だったから、人員調整とか、もし体にトラブルがあれば急遽入院になるかもしれないし。
体調と相談しながらだけど、産休までは業務軽減も残業免除もなく働くつもりと伝えた。
妊娠が分かってから2か月半、つわりでの突発休が1日、検診での予定休が2日。あとはフレックスで対応した。
在宅勤務だったから、つわりが治まるまでは家でエチケット袋片手に作業した。
業務も軽減されてないし、残業も他のメンバーと同じだけしたし、体調不良で1週間くらい抜けても迷惑かけないようにスケジュール前倒しで仕事を進めた。
スケジュールは、2月半ばで2週間前倒ししている。
結果、昇格推薦はもらえなかった。
私より評判が悪い同期は昇格推薦があったという話を聞いて、やっぱり妊娠したのがネックだったのかと思った。
同じチームのリーダーも昇格推薦もらえてなかった。
とりあえず、チームのメンバーも、上司より上の人も、チームリーダーは昇格できる能力はあるという認識だった。
わたしたちは、部下への評価が厳しい上司に当たってしまっただけだった。
今の上司では頑張っても評価につながらないね、と、昇格会議に出ていた他のプロジェクトの上司から言われた。
今のプロジェクトは来年度下半期から縮小されるので、幸いなことに産休、育休明けに増田の席はないだろう。
チームリーダーは来年9月の減員時にプロジェクトを抜けるという噂だ。
次の上司は部下に厳しくないことを祈る。
プロジェクトに残されるNくんには頑張ってほしい。