このnoteのエントリー自体は個人の感想なので特段言及するつもりはないんだけど、久々にはてブにFF16の話題が上がってたので思わず書きたくなった。
ちなみに私自身はFFシリーズと同い年、11と14も含めてすべてプレイ済み。
さすがにスクエニの大作ということもあり、発売前後はメディアによるレビューもにぎわった。
FF16がリリースされて1年近く経ち、ユーザーの評価も一通り出た感はある。
『駄作ではないがゲームとしてみると面白味にかける』
『ストーリーが浅い』
一理無いとも言えない。
が、私としてはほとんどのレビューや評価において欠けている要素があると感じる。
それはサウンドトラックに関する言及である。FF16は音楽ありき。
とても良いなんてレベルではなく、FF16は音楽がセットとなって評価されてこそ初めてトータルの評価ができると思っている。
思うに、音楽に言及されずに評価されるFF16なんてオペラなのに音楽について語られないも同然。
個人的にはFF16の評価のうち3割は音楽が占めているといってもいいくらい。
ゲームにおける音楽は空気、雰囲気を表現する手段としていまだに最重要要素と思っている。
グラフィックス技術の発達によって視覚情報は情報量がかなり増えたが、
ゲームにおいてディスプレイを超えてプレイヤーが存在している現実空間に直接干渉してくる要素は、いまだに音楽だけなのです。
まぁ私は長いこと音楽をやっているので、平均よりは音楽を過大評価しているかもしれない。
でも、もともとFFはコンポーザー植松伸夫時代から、ほかのゲームと比較しても音楽が評価されてきたことを考えると
音楽の重要性は高いと思いませんか?(デベロッパーにとっても重大事だったと思う)
FF16におけるゲームとの一体感や没入感、プレイ体験への寄与度は桁違いで
今でも名曲が多いとされている植松伸夫時代(ハードウェアの限界もあった)を超えて、ゲーム音楽の一つの到達点だとさえ感じている。
FFユーザーって音楽好きな人多いですよね?
だからこそ、ゲーム音楽コンサートは数あれどこんなユーザー参加型イベントが成立するなんてFFくらいじゃん。
https://www.jp.square-enix.com/music/sem/page/brabraff/portal/
音楽がゲームの評価につながらない勢も多いとは思うんだけど、
ことFF16はやっぱりサウンドトラックをおまけとしてはとらえたくないんだよな。
FFシリーズで特に重要ととらえられているグラフィックスと同等に音楽も素晴らしい。
つまり、ありがとう祖堅正慶、そして石川大樹、今村貴文。
]]>アニメの場合は特に声優陣をよく見てると
「え、あの声ってこの人だったの?」
っていうのがよくある
別に声優じゃなくて普通の俳優とかお笑い芸人とかが出てきたりして面白い
あと、「この犬の声はこの声優だったんか」みたいなのも見つけられる
俳優についても
「途中ででてきたあの人、格好良かった・可愛かったな」
という人の名前をチェックできる
ちなみに「特別出演」は「この人は脇役で出てるけど俳優としてのクラスは主演だから脇役なんかで使える人じゃないからな!」という意味
「友情出演」は「この人、この作品が凄い好きらしくてノーギャラで出てくれました。マジ感謝」の意味
主題歌や挿入歌の歌手、作詞・作曲あたりをチェックする
「これもAyase/Vaundy/米津が作ったんかよ」
みたいな発見がある
あと映画の出来は音楽に左右されるところが大きいので
良かった映画は音楽系を誰がやったかチェックするとよい
聖地巡礼のためにどこの自治体が協力していたかを確認する
わざわざ行かなくても、出張や旅行でたまたま行ったときに
「そういやあの映画の舞台ってこの辺だったな」
と思い出して、軽く聖地巡礼できる
「総監督」としてしか名前が出てこない場合は「名前貸しただけで何もやってません」に等しい
監督の名前がどのくらい出てくるかで映画としてどこまで関与していたかが分かる
良作・駄作のどちらであってもこの辺をしっかり確認して
今後の映画のハズレ回避に使える
俳優だけ確認したらあとは特に見るところが無いのでさっさと出て良い
]]>いやまあ自分も原作者の意見は一定程度尊重されるべきだとは思ってるけどさ
原作通りに作って打ち切りみたいなとんでもない駄作を作るくらいなら、ちゃんと手を入れて曲がりなりにも完成したものを客に出すべきだわ
]]>駄作かどうかはその基準だけでは分からないが、少なくとも向いていないことだけは確実
切り替えていけ
]]>ガノタ的には感動の名作扱いなのかなぁアレ。
俺はなんとなくで劇場版とかからざっくばらんに見てるからよくわからんかったわ。
]]>スーパーマンVSバットマン:ヒット
スーサイド・スクワッド1:セカンドエラー
ワンダーウーマン:スリーベース
ジャスティスリーグ(無印):見逃し三振
アクアマン:ホームラン
シャザム!:ツーベース
ハーレイ・クインの華麗なる覚醒:ヒット
ワンダーウーマン 1984:ショートゴロ
ジャスティスリーグ(スナイダーカット):場外ホームラン
ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結:スリーベース
ブラックアダム:ホームラン
シャザム!〜神々の怒り〜:フィルダーズチョイス
ザ・フラッシュ:ホームラン
ブルービートル:ホームラン
アクアマン/失われた王国:ツーベース
思ったよりだいぶ打率高かったわ
結局、ジャスティスリーグがエグい駄作だったのと
途中でゴタゴタゴタゴタしすぎたのが印象悪くしてる
]]>シン・ゴジラよりもこっちの方が外国人には評判いいのもわかる
でも、その良さって、今までの山崎貴作品の良かったところを寄せ集めたものなんだよね
『ALWAYS』の昭和の町並み、『永遠の0』の戦争描写、『アルキメデスの大戦』の海洋描写って感じでさ
で、はっきり言っちゃうとこれらは駄作なんだよね
積み上がった駄作のなかで、唯一良かったところを寄せ集めたのが『ゴジラ-1』なわけ
『ゴジラ-1』のためにたくさんの駄作が作られて、たくさんの原作が台無しにされたわけ
そういう作り方ってどうなの?って思わない?
お前らどう思う?
]]>赤緑金銀RSとBWは名作リメイクになったのに、DPだけアレだよな?DPだけ汚されたままだよな?返せよ俺の青春、俺の少年時代の思い出を
失敗→また思い出を破壊したな?名作を壊したな?愛のないリメイクで駄作にしたな?
今後リメイクの期待は一切できないな?お前たちへの信用はもう無いぞ、許さないからな
どう転んでも、DPの亡霊は成仏不能です。
地縛霊、怨霊になりました。ポケモンからダークギャザリングへジャンル変更されました。
あなたたちのせいです。
]]>そいつには、見る目が十分にあるからだ。
良い作品を良いといい、駄作を駄作といい、not for meなだけならそれは駄作と区別するだろう。
だからなんつーか、シンプルに評判がいいやつ、ランキングが上のやつを見せればいいよ。
2000~2024で、覇権、と呼ばれる状態になったことあるやつだな。
タイバニ、グレンラガン、推しの子、人退、ガンダムUC、このすば、青ブタ、などなど。
]]>俺はここがダメでこうした方が良いって改善案を具体的にキッチリ書いてるんだけど他のファンは「ゲーム遊んだよ。面白かった~」みたいな軽~いノリ。
本当にファッション感覚のファンが欲しいだけで本気で作品の事を考えてる熱意ファンなんか邪魔で必要無いんだろうな。
ごめんね。おじさんゲーム会社で働いてたプロだからさ、駄作が世に出てるのが許せなくてついつい改善案出しちゃうんだわ。本気出しちゃってゴメンネ。
]]>https://www.sunday-webry.com/episode/2550668106018662050
こんなに綺麗に決着ついたのに、次回で100年後にタイムスリップ、からの新章開幕するとかいうトンデモ展開で一気に駄作になってしまった
なぜ編集は止めなかったんだ
]]>スチームに出てるツクールのゲームとか絵と音が良いだけのフリゲー以下の駄作がマジで多いもんな。
あと女、クソゲーなのにイケメン出てくるだけでコメント欄でキャーキャー騒ぐな。キモいんだよ。
]]>しかし、『なぜ心にひっかからないのだろう』『この駄作感はどこにあるのか』という疑問が浮かんだ。
anond:20240215225121は『ヒトナー』の世界観の甘さの理由を「読み切りに大してコストをかけられないから」という結論に至った。しかし、当方は原因としてこれがピッタリハマらないように思った。
考えてみたところ、原因は以下であると結論付けた。
さらに、作者はケモノとケモナーに対する知識の取材不足であることが雑さに拍車をかけた。
それが漫画としての甘さの全ての原因である。
『ヒトナー』は作品のモチーフの中にフェティシズム"ケモナー"を含んでいることが明白である(そうでなければどうしてヒトナーというタイトルにするだろう?)
だが、そもそもの"ケモナー"への知識不足、またフェティシズムへの知識不足が作品の足を引っ張っている。
"ケモナー"をモチーフに含む作品は、例えば『ケモナー勇者を落としたい!』が挙げられるが、正直そちらのほうが断然ケモノとケモナーの解像度が(誇張があったにせよ)高かった。その作者は人外/モンスター娘志向のようであったが、だからこそフェティシズムへの理解は十分に見えた。
トネリコはかわいいが、猫としてのかわいさがあるだけで、作者のケモ個性は感じられない。他のキャラクターも同様である。
ビジュアルが既存のケモ志向作品(例:『羊竜飼いのケモノ事情』、『バツイチ狐と旅ごはん』など)と比較して、あまりに魅力が欠けているため、ケモナーは取り込めないだろう。
また、人間の男の方も"友好的な知的生命体"という描写にとどまり、ケモナーという感じは1ミリも見られない。冒険心はあるようだが、明らかにフェティシズムはない。異星人/SF的世界観/ケモナーを扱うなら、『プラネットハウル』のような作品を見習ってほしいものである。
ストーリーにも褒められた点は無く、物語のお約束をなぞるだけの子供騙しである(ジャンプならそれで良いのかもしれないが……)
ケモナーから着想したかどうかわからないが、『ヒトナー』は描くつもりもない"ヒトナー"というフェティシズム要素を入れたことがすべての足を引っ張っている。
また"ヒトナー"の裏として"ケモナー"も含んでいるが、作者がケモナーを理解していないため作品に違和感が生じ、雑なケモノの描写によってさらに完成度を落とした。フェティシズムが感じられないのも作者がケモナーではないからである。
もし作者が猫ケモナーなら、"猫"というステレオタイプに頼らず、『シャミー1000』のようにフェティシズムを感じられるケモノを読み切りでスッキリ描くこともできただろう。
そうでないなら、"ケモナー"や"ヒトナー"の要素を入れずとも、『ヘテロゲニア・リンギティスコ』のように自然に獣人(とその文化)を出すことは十分可能なのだが……
まあ正直、"ヒトナー"という要素から離れれば"普通だね"と思われバズらなかっただろうから、難しいものである。
とにかく、「『ヒトナー』は、非ケモナーが、"ネット上で戯画化されたケモナー"をモチーフに作ったバズり狙いの三流漫画」に過ぎないというのが当方の評価である。正直、タイトルで期待させられただけにがっかりさせられた。
]]>でもこれは一人の消費者としての本音だ。
俺は漫画版のチート付与魔術が大好きだが、コイツが原作改変なのは間違いない。
原作改変がこの世になかったら俺はこの漫画を読めなかったので、原作改変を俺は支持することにした。
漫画版チート付与魔術師はナーロッパが舞台なのにドラゴンがUZIを隠し持ち、半グレを倒すために黒塗りの乗用車が押し寄せる脅威の原作改変漫画だ。
中世風の世界だったはずなのにパチンコが存在し、文明の利器を使うと魔力がなくなるから使ってないだけで電気は街中に通っていることが明かされる。
現代と中世が交差する異様な空間として漫画版チー付与はインターネットで大人気だが、これは紛れもない原作改変の産物だ。
この様子に原作者はどういう心情なんだろうか?
文筆家である本人でさえその内情を正確に吐露することが不可能なほどに混沌とした言語化不可能な心理状態と察せられる。
本人の知覚さえ不可能な無意識下でどれほどの愛憎が渦巻いているかなぞ無産階級の匹夫には想像する資格さえあるまい。
だが、漫画版チー付与は面白い。
少なくとも、俺はこの漫画をメチャクチャ面白いと感じている。
そもそも原作改変は悪なのか?
20年前とあるラノベのアニメ版で発せられ、今も語り継がれるセリフに「メディアの違いを理解せよ!」というものがある。
貴重なスタートダッシュの第一話であろうことかこの言葉を皮切りとして映像化に向けた会議が生徒会室で繰り広げられていたのを覚えている(その1話しか見てないので、他に覚えているのは聞き流してゲームのWIKIを更新しているキャラが居たことぐらいだが……あと主人公の髪がピンク……いや白……黒?あれ?髪の色も思い出せない。PSPをやっていたことは覚えている。DSだったかな……あれ……当時まだDSはない……アレ?セリフ以外に覚えてるものある?)
もちろんこんなセリフは原作にはない。
そもそもあってたまるだろうか?ラノベで初っ端アニメ化の台本を書いてくる作品なんて。
映像化において原作とは改変されるものだ。
これは絶対だ。
キャラクターが一言目を発した瞬間からそれぞれの読者がイメージしていた声との差異について誰かがSNSで語りだす。
部屋の作り、主人公の佇まい、あらゆる所作と小道具が原作と比較される。
どうあっても原作とは違うものになる。
似せることは出来るし、再現しようとすることは出来るが同じものにはならない。
絶対に変わるものだ。
メディアの壁を超える時、原作は必ず改変される。
良くも悪くも。
原作改変の善悪を決める権利が原作者にあるというなら、権利者としての力を存分に振るってくれて構わない。
だが消費者からすれば、個人的な好き嫌いや楽しめたかどうかだけが、原作改変の良し悪しになる。
面白くなるならいくらでも原作改変して欲しいし、メディアの違いを理解せずに必死に原作を維持しようとして駄作が産まれたなら単に見ないだけだ。
好きにして欲しい。
ただ、権利者の権利を守らないというのは善悪における悪だとは思う。
]]>高校の頃、動画のコンペがあった。パソコンを扱う授業で動画を作る一環としてその授業の先生が応募しようとのことで、動画制作が始まった。
ここで問題点がいくつもあった。
いろいろ言いたいことはあるが、何よりキツかったのはその先生が動画の知識を一切持っていなかったことである。
だから班を無理矢理作り、無理矢理な作業分担を強いて、挙句当時触ったこともないソフトだったのでどうすればいいのか聞いても首をかしげるばかりで話にならない。
そのころは家で自主的に動画を作っていた。ソフトはAviUtl。学校で使ったのはAfter Effect。
UIも使用感も全然違う。
AviUtlでなら30分でできることを4時間か6時間ほどかけてやっとの思いで作った。それでもやりたかった編集はかなり省いた上でこの作業時間だった。結論できたのはゲロみたいな冗長動画である。
正直自分も触ったことのないソフトを使うことを前提にしていたから、ある程度簡単に作れて、それなりに見れるように体裁を整えた構成にするつもりだった。
だが先生は動画の作業も分担しろと言い始めた。 もう駄目だ。 終わった。
明らかにやる気のない班員。どう見たって目の前のこいつらがまともな動画知識があると思えない。実際そうだった。マジで画像直置きして適当なシーンチェンジとクソダサいゴシック体で出してくると思わなかった。
その動画をくっつけ、フリーの曲を付け、結果出来上がったのはクオリティガタガタのゲロである。
もう何度でも書くがあの動画はゲロである。路地裏に適当に吐き出されて誰にも見られない方が幸福でさえある。ゲロ。
いつも作ってるものが拙いなりとも料理ならあの動画はゲロだ。
賞なんか間違っても取らないでくれ。 そう思ってデータを先生に提出した。
賞を取ってしまった。コンペを出したところが転載していた。やめてほしかった。
こんな動画で賞が取れてしまったのが恥でしかない。 こんなまともに作れなかった動画で。
表彰式もあった。もうこのゲロを作ったことにしないでほしかったので他の班員を表彰式に出せと言った。あのゲロと関わりたくない。
そしたら無理矢理出された。極めつけに後ろから知らない男子生徒の声で「すげえ」と言われた。 これが一番堪えた。
それをただの思春期によくありがちな苦い話のタネのつもりで言ったつもりだったが、「嫌味に聞こえるし、ねたむ人がいるかもしれないから」といわれた。
ゲロをゲロと言って何が悪い。 傲慢だと言われたらそれまでだ。
それでも、「あんな実力の数割も出せなかった駄作を評価されてしまった」というすごく嫌な事象に対して「なんでこんなこと言う奴の作品が入賞して」とか言われるかもしれない、だ
実力の数割も出せてないゲロにさえ勝てなかった自分の腕を呪え。
そんなゲロ以下のために私の屈辱と羞恥が無視されなければならないのか。
もう二度とこの話はしない。
どうせ傲慢と切り捨てられるだけだとわかったので
]]>ちなみに思想性の強い臭くて面白くない駄作なので読む価値はない
]]>これに尽きるんじゃないかなって思うんですよね。私が職場のチームメンバーにこんなこと言われたら泣きます。自殺するかはわかりませんが、それくらい思い悩むと思います。
この脚本家さんの振る舞いは社会人とし根本的におかしいです。すでに放送終了した、自分がスタッフとして関わった作品について、こんなこと言いますか?ありえないでしょう。
これに比べれば、制作過程でスタッフが度々セクシー田中さんのエッセンスを外してしまうくらい、大したことではないです。
だってそれはいくらでも挽回できるのですから。
わたしは原作ファンでドラマも全話見ました。今回の件があったので2週目も見ました。ブログも読みました。
大変面白いドラマだったと思います。
原作者のこだわりがどうこう、などと偉そうな感想はうまく言えないのですが、原作ファンとして非常に楽しくまた自然に没頭できるドラマでした。
これは芦原先生が孤軍奮闘した結果ではなく、芦原先生を含む制作陣がプロフェッショナルな仕事をした成果だと思います。
現実として、芦原先生がスケジュールの都合で泣く泣く脚本を担当された最終回は「イマイチ。。。」と感じる方が多いようですし。
原作ファンとしてはこれドラマだし。原作追えばいいじゃん。とは思うものの。
ドラマとしては確かにイマイチかもですし、最後までプロの脚本家の協力があれば同じ話を魅力的に表現できたのかも、と思わせられます。
ここですよね。
脚本家と芦原先生が最後まで連携できるだけの、スケジュールの余裕があれば。もっとよいドラマが生まれたのかもしれない。
でも、いい作品だけどここがイマイチ、なんて普通のことですよね。むしろ上々ですよね。
芦原先生はキャリアのある漫画家です。
キャリアのある漫画家というのは、多くの駄作を世に出し多くの読者につまんねーといわれるものです。
そんな批判をものともせずに、次に傑作を描けるのが漫画家です。
でも、「つまらないねコレ」というのが同じチームの仲間だったら。
「つまらないのは芦原先生のせいです」と、同じチームの仲間に言われたら。
さすがにキッツイですよね。
そりゃあ、長文で言い訳をしたくなりますよね。
と思わずにはいられないのです。
お気持ちをただ書いてるだけですけど。以外に難しいですね。
わたしは漫画がすきなので、「未完リスト」が結構たまっています。
未完リスト、たまに減りはするものの、基本的に増える一方ですよね。
「セクシー田中さん」はまったく予想外の展開でここに仲間入りしてしまいました。
残念でなりません。
]]>これはアカデミー助演男優賞ノミネート納得すぎる
・そういや2人のおじさんが各々のやり方で脳破壊されとる…
・もうopから「そこらの映画とは違う」感だしてくる
こんなクレジットの出し方初めてみたオシャレや
・97%のさすがこの監督や…!という気持ちと
3%のヤギかわいそう…でもこの行動は監督の思想が反映されての行動だからそこに関しては監督と考え方がちょっと違った部分であって駄作という訳では決して無い…ロブスターとか女王陛下で監督の畜生観はなんとなくわかってたやろ…!ヤギだって群れで行動してたら「俺なんか他の個体と色々ちがくね?」で病むとかわいそうだけど恐らく邸宅内で比較対象なく終生飼育だからまあええか…というきもち
・紛うことなくオサレで眼福映画だがテーマは何だろうアートメインの映画かな?と思ったら格差貧困女性自身の性の主体性・選択権を持ち自立して生きるという予想以上に社会派テーマだったし説教臭くなく手段が目的になってないヨルラン監督、流石だぜえ!の映画だった
・おじさんが脳破壊される途中は「男女の恋愛の機微、よくわかんない…」ってみてたけど格差社会〜のくだりけら「おおっ」となってパリから「なるほどそんな感じのテーマの映画か目茶苦茶今な感じのテーマやんな」ってなった
・格差社会×労働×階級の上下がまんま物理的にも上下とかそのへん逆転のトライアングル連想した
・理解ある彼くんに逆プロポーズのくだりで「よかったね…!」という気持ちと同時に湧いた「性に奔放なのは選択の自由として行動に伴うリスク(性病)は?」に即質問で回収しててよかった
・理解ある彼くんと努力が素直に反映される優秀な頭脳があれば…叶えうる理想やね…これは啓発というか励まされるための映画だから…これは物語だから…理想を形にすることから社会が変わる一歩になるんや…
・米映画、やたらフェミフェミしてんなとは思うけど中絶禁止法?やらが現実に出てきて論議に上がってる世界と対岸の事として見てるジャパンの己とは「マジさ」が違うんだろうな〜とは思った
・パッパ…よかったね…泣いた
・
・
・
追記
・賞レースガンガンなのは納得の良作品なんだけど若干心が凪なとこあるな…なんでだろと思ってたら
他の人の感想で「この監督の毒や個性を薄めたむしろ普通寄りの映画なのではないか」ってあってそれ〜ってなった
・被害加害の白黒分かれた他罰的すぎるポリコレ映画つかれた
]]>もちろん雑な世界設定だから駄作ってわけじゃないし自分は文句言わないけど、気にする人に文句言われるのは仕方ないでしょ
]]>スクエアってSFC時代のほうが傑作が多かったんだよな。
PSになってFF7が馬鹿売れしてあっこからおかしくなった。
]]>魔法の壺さえなければ、本質的で、だからこそ恐ろしい問いが万人に向けられることはなかった。お前の才能は何だ? という問いはお前には才能がない、と言うのと同じだ。魔法の壺がなければ、仕上げまでの過程を楽しめたのに今は虚しく、避けてきたことを問われる。お前の価値は何だ? と。答えられないぼくは無価値な人間だ。ぜつぼー
]]>