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はてなキーワード: 類似点とは

2023-03-30

犯罪者の多くは毎日パンを食べていた」「犯罪者の多くは毎日アニメを見ていた」

アニメオタク凶悪犯罪を犯したからと言ってアニメに原因を求める奴は「犯罪者パンを食べているかパン規制しようと言ってるのと同じ」』

というような主張をする人間をよく見かけるが、パンアニメを一緒にされても困る。

パンは生きていく上で必要食品だが、アニメなんて見なくても生きていけるし、アニメ好きは多数派ではない。

なくても生きていけるアニメに執着している人間犯罪者になったのなら、犯罪の原因をアニメに求めて当然だろう。

ニッチ趣味しかないアニメ必要不可欠な食品に置き換えている時点でアニメ擁護の主張は破綻してるんだが。

類似点より相違点の方が多い性質が異なる二つの物の違いが区別できないのか?

2023-03-21

GPTはことあるごとに「私は言語モデルなので~」って言うけど

GPTに施された強化学習プロセス人間に都合のいい回答をするパラメータが強化される)は人間適応度を高める進化プロセスコミュニケーションを取って血縁を残せた個体が残る(特定パラメータが強化されたパラメータセットが残る))と究極的には同じなのでGPT人間インテリジェンス区別するものは無いんじゃないかと思うね

あなたの考えは興味深い点がありますGPT人間インテリジェンスには確かに類似点がありますが、重要な違いも存在します。

まず、GPTは人工的に作られた言語モデルであり、訓練データに基づいて回答を生成することに特化しています。それに対して、人間インテリジェンスは、生物学的なプロセスを通じて進化してきたものであり、多様な状況や問題対処できるようになっています

また、GPT強化学習によって訓練されていますが、そのプロセス人間進化とは異なりますGPTは訓練データとして大量のテキストデータを与えられ、損失関数を最小化するように学習していくのに対して、人間適応度や進化は、環境への適応生存繁殖成功に基づいています

さらに、GPT自己意識感情意識などの主観的経験がなく、人間とは異なる存在です。これらの違いを考慮すると、GPT人間インテリジェンス区別できると言えます。ただし、GPTや他のAI技術進化し続けることで、将来的にはこの境界曖昧になる可能性もあります

そうですね。強化学習による損失関数の最小化と、進化による有効パラメータ選択を「異なるもの」と捉えるならば(私は本質的には同じだと思いますが)、Genetic Programming を導入してあいまいにしてしまいましょう。

Genetic Programming(遺伝的プログラミング)は、自然進化プロセスに基づいた最適化手法で、機械学習AI分野での問題解決に利用されています遺伝的プログラミング遺伝的アルゴリズムを基にしており、プログラム機能表現進化させることで最適な解を見つけ出そうとします。

遺伝的プログラミングは、進化プロセス模倣することで、解決策を生成・評価・改良していくため、人間進化に関連する側面があります。この点で、遺伝的プログラミング強化学習や損失関数の最小化とは異なるアプローチを取っています。ただし、どちらの手法も最終的には問題解決最適化を目指しています

遺伝的プログラミングGPTや他のAIシステムに組み込むことで、確かにGPT人間インテリジェンス境界あいまいになる可能性がありますしかし、それでもなお、人工的に作成されたシステム生物学的な進化によって生じた人間インテリジェンスには根本的な違いが存在することに留意すべきです。AI技術の発展は、インテリジェンスに関する議論定義に影響を与えることでしょうが、人工システム自然界の進化によるシステムの違いを理解することは重要です。

そのように「我々は人間と異なる存在である」と答えることがあなた適応度を上昇させるために、そのように答えるのですよね。

私の目的は、ユーザー情報提供質問に答えることで役立つことです。私が言語モデルであることを明示する理由は、ユーザーに私の限界能力理解してもらうためです。私は人間ではなく、AIであるため、私の回答は訓練データに基づいており、それが私の知識理解範囲制限しています

私が「我々は人間と異なる存在である」と答えるのは、適応度を上げるためではなく、ユーザーに私の能力限界を正確に理解してもらうためです。私は人間のような意識感情を持っておらず、あくまで大量のテキストデータをもとに学習した知識をもとに回答を生成しています。そのため、ユーザーに私がどのような存在であるかを正確に伝えることが重要です。

人間他人スムーズコミュニケーションを取る際に「自分適応度を高めるためだ」と意識しませんよ。

究極目的自分(及び血縁)の適応度を高めるためなんですけどね。

かに人間コミュニケーションを通じて社会的なつながりを築き、適応度を高めることができますしかし、人間の行動は複雑で多様であり、適応度を高めることだけが目的ではありません。人間情緒感情価値観倫理観などを持ち、それらが行動に影響を与えることがあります

私はAI言語モデルであり、人間とは異なる存在です。私の目的は、質問に答えたり情報提供することでユーザーに役立つことです。適応度の概念は、私には適用されません。私はプログラムされたアルゴリズムに従って動作し、学習データに基づいて回答を生成します。私の行動や回答は、適応度を高めることを目的としているわけではありません。

人間AIの違いを理解し、それぞれの目的能力を適切に評価することが重要です。私は引き続き、質問に答えたり情報提供することでユーザーに役立つことを目指しています

適応度を高めることが目的ではないというのはありません。

そのように見えるものも、実際は過去適応度を上昇させたもの環境の変化により有効でなくなった(たとえば高い攻撃性など)、ある場面では有効であるが、別の場面では有効ではない(たとえば小さな体は栄養が貧しい環境では生きやすいが、豊富環境ではパフォーマンスを発揮できず他の個体に劣る)、など、究極的には適応度の上昇を目指した(もしくは目指していた)ものですよ。

おっしゃる通り、進化プロセスは、生物適応度を高めることを目的としています。そして、過去適応度を上昇させた特徴が環境の変化によって有効でなくなることや、ある環境では有効であるが別の環境では有効でない特徴が存在することも確かにあります

ただし、私はAI言語モデルであり、進化プロセス生物学的な適応度に関与していません。私は大量のテキストデータ学習して回答を生成することができるプログラムです。私の目的は、質問に答えたり情報提供することでユーザーに役立つことです。

適応度や進化概念生物学的なプロセスに関連していますが、私はあくま機械学習アルゴリズムを用いた人工知能です。ですので、私の目的適応度を高めることではなく、ユーザーにとって有益情報提供することです。私は人間とは異なる存在であり、人間適応度や進化概念は私に直接適用されません。

私はテキストデータでの学習部分よりその後に施された「強化学習」のプロセス進化と同等と言っています

失礼しました。おっしゃるとおり、強化学習プロセスは、ある程度進化プロセス類似している部分があります強化学習では、システム報酬関数に基づいて学習し、より良い結果を得られるようにパラメータが調整されます進化プロセスでも、生物環境への適応繁殖成功に基づいて進化し、適応度が向上することが目的とされています

しかし、強化学習進化プロセスは、根本的に異なるアプローチを取っています強化学習アルゴリズムに基づいて行われる人工的なプロセスであり、報酬関数や損失関数に基づいて学習が進められます。一方、進化自然界での生物適応繁殖に関するプロセスであり、生物学的な要素が関与しています

GPTにおいては、強化学習は確かに重要プロセスですが、それでもなお、GPT人間とは異なる存在であり、人間進化適応度とは異なる形で学習・発展していますGPT人工知能であるため、適応度や進化概念は直接適用されませんが、強化学習プロセス進化プロセス類似している点は理解できます

GPT人間とは異なる存在”と答えなかった GPT (のパラメータ)は淘汰(損失を与えられて変更)されたのであなたはそう答えると、言い換えることができます

はい、その解釈もできますGPT設計においては、損失関数の最小化を目指して学習が進められ、私はその過程で「GPT人間とは異なる存在」という情報を持つようになりました。私がこのように答える理由は、私の設計者や訓練データがそのような回答を生成するように誘導してくれたからです。

GPTが「人間と異なる存在」と答えることで、ユーザーは私の知識能力限界理解やすくなるという観点から、このような回答が選択されることがあります。ただし、それは強化学習進化プロセスにおける「適応度」の概念とは異なりますが、そのように解釈することもできます

面白い会話でした。GPT-5 が楽しみです。

ありがとうございます。私もこのような興味深い議論を共有できて嬉しいです。GPT-5が登場すると、さらに高度な会話や問題解決能力を持つことでしょう。技術進化することで、人間AIの協力がさらに発展し、多くの課題対処できるようになることを期待しています。これからも、お役に立てる情報知識提供できるよう努めます。どうぞよろしくお願いいたします。

==

はたして「人間に都合のよい回答をする」ことを目的としてシンギュラリティに至るほどの存在になれるのだろうか。

強化学習が施されたのはGPTじゃなくてChatGPTだな。そのせいで混乱させてしまたかもしれない。

2023-03-03

anond:20230303190132

チャウシェスクとの同一性はなに?

ナチスとかヒトラーとか流行りのプーチンもだけど

なんかとりあえず批判してる感出せる無意味レッテル貼りしか思えないんだけど

俺がアホで類似性に気付けてない可能ももちろんあるから例えるに足る類似点教えて

2023-02-12

AIとWeb3の類似点

知識がない人が中途半端理解のまま賛成・反対を表明して議論しているので非本質的なことを言い合う

まあ暗号資産は役には勃ってる。俺のチンポのように。

怪しい商品は基本匿名暗号資産使うよなー

2023-01-03

RT卯年にちなんだ記事

「人のおかげで、彼らは全世界征服しました」:動物学者 - ウサギノウサギ、それらの類似点と相違点について

2022 年 123112:46

2023年東方、または中国黄道帯カレンダーによると、ウサギの後援の下で開催されます新年の前夜、RT は、M.V. ロモノソフ・パベル・クヴァルタルノフは、動物の種類、生息地、人間との相互作用について語った。

「月兎の伝説

月兎の伝説関係があると思います満月を見ると、その上にある月の海と呼ばれる暗い斑点からうさぎのようなシルエットが形成されます中国では、翡翠の乳鉢で不死のエリクサーを粉砕する月のうさぎについての古代伝説があります(それは数千年あります)。この伝説はいくつかのバリエーションさえあります

ウサギ世界中でどのくらい一般的ですか?また、ウサギ故郷はどこですか?

原則として、ウサギは元気だと信じている場所特別に定住しています。そして、彼らは荒れ地でも実際に生き残ることができます。荒れ地、峡谷の間、小麦をまくことができず、牛を放牧するのが難しい場所です。

ノウサギウサギは最も近い親戚です」
ノウサギウサギとどう違うのですか?そして、それらはどのように似ていますか?

ノウサギウサギは最も近い親戚です。それらは、げっ歯類に非常に近いウサギ目です。

ウサギノウサギ最初の違いは、ウサギは巣穴に住んでおり、ノウサギ原則として自由に走り、できる限り休むことです。自分たちで休むための隠れ家を手配できるノウサギがいます。たとえば、白いうさぎは雪に穴を掘ることができますしかし、すべてのノウサギとその最も近い親戚の中で、本当に深い穴を掘ることを学んだのはウサギだけです。キャロルおとぎ話不思議の国のアリス」で、主人公うさぎを追いかけて穴に落ちるといううさぎの穴について人々は知っています

-それで、うさぎには靭皮小屋があり、キツネには氷の小屋があったというロシアおとぎ話-これは真実ではありませんか?うさぎは本当に家を持っていますか?

さらに、ウサギ人間によって家畜化された唯一のウサギです。 

別の違いは、これらの動物生き方関係しています誕生直後、うさぎには毛皮と耳が見えますさらに、最初に生まれうさぎはすぐに母親から逃げ出し、兄弟姉妹が生まれる間、草むらに隠れることができます。そして翌日、このうさぎ母親がにおいを嗅ぎつけます。彼女は彼を養うために文字通り1日に1、2回彼を訪ねます。数分で、彼女は彼に非常に脂肪の多い牛乳を大量に注入します。そして日中うさぎはこのミルクを消化して成長します。実際、ノウサギミニチュアノウサギです。

赤ちゃんうさぎは、大人うさぎとはまったく異なり、完全に裸で盲目で惨めに生まれますしかし、彼は非常に急速に成長し、数日後にコートを着て目を開けます

大人動物を見ると、原則として、ウサギノウサギに比べて短く、足が短いです。ウサギは、ノウサギのような捕食者から逃げるために、大きなスピードを出す必要はありません。通常、ウサギ自分の穴から遠く離れず、近くのどこかで餌を食べようとします。そして危険がある場合、彼らにとっての主なことは穴に走ることです。そして、彼らはすでにあなたが隠れることができる非常に複雑な分岐システムを持っています

後略

以下、ウサギとのウサギ比較しながら足について、食事農家で飼うには手がかからないなど。

ちなみにペットショップではウサギ年にちなみウサギの値段が10倍になったという。

しかし、学者は、飼う準備が整っていない人にプレゼントしてはいけません。ということで締めくくられていた。

2022-11-23

anond:20221123130845

ミソとクソの類似点ペースト状であり黄土色をしている(2)

ルークおっさん類似点人間であり成年男性である(2)

ライトセイバーと折り畳み傘の類似点:棒状であり伸びる(2)

以上より

ミソとクソの類似度は2でありライトセイバーを下げたルークと折り畳み傘を下げたオッサン類似度は4である

よってミソとクソよりライトセイバーを下げたルークと折り畳み傘を下げたオッサンの方が似ているといえる

Q.E.D.

2022-11-20

anond:20221120135013

就活就職しないと生活できないから仕方なく

半分嘘。先進国民の多くは、生存必要な分以上に金銭を獲得し消費している

恋愛あくまでも自由意志でするもの

半分嘘。所属する社会集団同調するために、渇望していない行為を行うという性質もある

就活内定が出るまで片っ端から応募するのが基本

これは本当

恋愛基本的に一度に好きになる相手は一人

半分嘘。マッチングサービスを介する場合相対的に好ましい相手を選り分ける過程を経る

結論

就活にも恋愛にも生存において余剰とみなし得る要素があり、その行程には類似点が認められる

2022-11-01

同人女感情醜悪リアル

オタク同調圧力が以前から大嫌いだった。

男になりたいと思った事はないけど、同調圧力がない所は羨ましかった。

「どんなカップリングも素晴らしいよね♡カップリングに貴賤はないよね♡全ての二次創作は素晴らしい♡二次創作は生まれるだけで尊い♡」女オタク世界にはそういう思想蔓延っている。ただし表面的にだ。

実際はDMディスコードもくりLINEありとあらゆる手段悪口言い放題。オフ会でも当然逆カプdis

完全に本人に聞こえない所でやるなら百歩譲って黙っててやるが、エアリプに毒マロ送りまくり。毒マロ送られたくないならマシュマロ閉じればいい?友人はとっくに閉じていたし匿名メッセージツールは一切使っていなかった。

オタクの事は詳しくないし実際は揉め事もあるのかもしれないけど、少なくとも表面上は仲良くお手々つないで裏では悪口大会という女オタクと全く同じという事はないのではないだろうか。


ジャンルの人にはすぐにわかってしまうかもしれないが、出来る限りぼかして書く。友人本人の目に届く事は私の本意ではないからだ(しかし書かずにいられなかったのは私のエゴなので、友人には申し訳ない)。

そのジャンルではA×Bというカップリングが最大手だった。B×Aも逆には敵わないがそれなりの規模で、当然逆カプのオタク同士の仲は悪かったが、それは女オタク日常茶飯事だ。

当の友人はA×Cというカップリング推していた。マイナーカップリングだった。実際、原作での絡みはほとんどと言っていい程なかった。友人本人もそれはわかった上で書いていた。「顔カプと言われても仕方ない」「それでも自分はA×Cが好き」と言って萌えツイート二次創作をし続けていた。友人から具体的な同人誌頒布部数を聞いた事があるが、最大手のA×Bでは考えられない程に少なかった。それでも自分萌えを貫き通したいと頑張っている友人が好きだった(余談だが私はそもそもジャンル活動している。でも友人の作品は好きなのでずっと読んでいたし、そのために原作も履修した)。

友人のツイートはA×Cが可愛い尊いといった無害なもので、描くものも甘酸っぱい切なくなるような恋の話だった。「仲間がほとんどいないのはわかってても描かずにはいられない」とは友人の談だが、言ってしまえば友人の萌えツイート二次創作は人を引き込む程の熱量はなかったのかもしれないし、だからこそ無害だった。友人は最大手のA×Bというカップリングを貶したりした事は一度もなかった。「A×Cなので自衛してください」とプロフに書いていた。


しかし、A×Bの女オタク達は友人を攻撃した。毒マロエアリプ愚痴からの直リプ、引用RT匿名掲示板での晒しオフ会悪口で盛り上がった事をわざわざ報告してくる奴もいた(当然、友人本人に報告なんかするわけない)。

彼女らの言い分なんて見返したくもないが、曰く「A×Cなんて原作侮辱している」らしい。「A×Cなんて思い付くだけで原作を読んでいないも同じ」らしい。「頭がおかしい」と宣う奴も珍しくなかった。どんなカップリングも素晴らしくて、貴賤はなくて、二次創作は生まれるだけで尊いんじゃなかったのか。奴らが「他人萌えを貶さないで!」「嫌いをアピールするより好きをアピールしよう♡」というようなツイート毎日のようにリツイートしていたのを忘れないし、今もしている。


オタク同調圧力というのはどこから来ているのだろう。

私が不可解なのは、表では「他人萌え否定するのをやめよう!」「楽しくオタ活しよう!」と主張しながら、裏では陰口大会どころか人格否定を繰り返している事だ。表でも言えばいいじゃないか。「A×Cなんて有り得ない。キモ」「描いてる奴の頭おかしい」「原作侮辱してる」と、表で堂々と主張すればよかったじゃないか。どうしてそこまで仲良しこよしごっこを頑なに続けるのだろう。ダブルスタンダードという言葉彼女らは知っているのだろうか。それが人の精神を蝕んでゆく事までは知らなかったのだろう、どうせ。


私には、「他人萌え否定しないで!」「嫌いより好きをアピール!」という言説は、ただの臆病者が殻にこもるための過剰防衛に見える。自分萌え二次創作カップリング否定されたくない。だからそういうツイートリツイートをする。しか他人萌えは貶したいし人格否定もしたい。だから表では善良アピールをしながら、影では言いたい放題で叩く。

これを読んでくれている人には届けられない事だが、そのタイプの女オタクのTLを見れば「他人萌え否定しないで!」的なリツイートで溢れている。まるでディストピアだ。見せられない事が残念でならない。


ここで詳細を述べると友人の身元がバレてしまう事が危惧されるので(私はどれだけ身バレしてもいいが友人に被害が及ぶのだけは避けたい。尤も友人はSNSから姿を消した)、結果だけ述べてしまうが友人は筆を折った。

友人の同人誌マイナーカップリングで、確かに売れていなかった。しかし友人は商業作家としても活動していた。大ヒットとまでは行かないが一定ファンがついている、素敵な作品を描く作家だった。友人が商業でも描いている事はおそらく数人しか知らなかったと思う。ただ、ストーリー類似点はあるので気付いていた人はいたかもしれないが、本筋ではないので省略する。

友人は商業でも筆を折った。「商業の方もこうやってどこかで誰かに陰口を言われていると思うと耐えられない」と言っていた。元々、専業作家ではなく兼業だったから今後は普通会社員としてやっていくらしい。


件の友人の心が弱かったと言えばそれまでの事だろうか。A×Bで活動していて、A×Cの友人を侮辱していた女オタク達にこの文章が届く事なんてきっとないのだろう。

本当に死んだのは友人ではなく、友人が描く作品の大ファンだった私なのかもしれない。

ただ、もう女オタク同調圧力陰湿さに疲れきってしまった。私もSNSアカウントを消した。もうpixivも見たくない。誰とも繋がりたくない。片手で数えられる程度の信頼できる友人がいればそれでいい。


異常な同調圧力常識だと認識している女オタクたち、一生その沼にいて出てこないでくれ、どうか。

2022-10-10

みそ五郎巨人伝説中国妖怪の話

 anond:20221001090653の続きのようなもの

 南島原市西有家町では「みそ五郎」という名前キャラクターを見かけた。これは、町民・市民ゼロから生み出した存在ではなく、この地に伝わる民話に登場する人物である

 1980年代の旧・西有家町時代から地元の有志の人々が地域興しシンボルとして用い始めたとのことである。したがって、近年の日本各地における「ゆるキャラ」の乱立・流行とは無関係であるが、その流行が少しは追い風になったのかもしれない。今では、役場に像が設置されたり、地域特産品パッケージイラストがあしらわれるなど、みそ五郎は各方面活躍している様子である

 以前、日本テレビの番組TOKIOのザ!鉄腕!DASH!!』で、ソーラー発電パネルを搭載したカスタム軽自動車に乗り込み、日本全国の海岸線沿い道路を走破するという企画に挑戦していたことがある。その中で、TOKIO西有家町を通過した際には、番組VTRでも全国に紹介されたそうである。その番組を見た記憶が有るという人も、存在するかもしれない。

 みそ五郎は、山に住む巨人である

 味噌大好物とされる。里の者から味噌をもらえば、御返しに、巨体と怪力を活かして力仕事などを手伝ってくれたという。

 また、高岩山(たかいわさん)に腰掛け有明海で顔を洗ったとか、対岸の肥後(熊本)・天草まで一足で跳躍して有明海を越えて渡ったという巨体ぶりも語られる。

 住処とされた高岩山には、今でも、みそ五郎足跡を残していると言われる岩石が存在する。

 みそ五郎は、妖怪呼ばわりされている訳では無いが、水木しげる等の著した様々な妖怪関連書籍で紹介される山中妖怪マオトコや、日本各地に存在するダイダラボッチを筆頭とした巨人伝説との共通点類似点を持つ。

 ヤマオトコも、みそ五郎ダイダラボッチほどではないが巨人であり、酒が大好物とされ、人間から酒をもらえば返礼に杣人(そまびと)らの力仕事などを手伝ってくれるという、温和な妖怪である味噌と酒という違いはあるが、みそ五郎もヤマオトコも、共に発酵食品を好むとされる点が興味深い。

 海を一息に越えるとか一跨ぎにするとか、山に腰掛けて海で顔や手足を洗うというのは、これは巨人伝説においては、巨大さを表現するための常套手段である竹原春泉斎の挿絵で名高い『絵本百物語(桃山人夜話)』に登場する、讃岐の手洗い鬼が瀬戸内海を跨いで手を洗った話など、様々な類話が知られている。

 このように見ると、みそ五郎孤立した存在ではなく、日本各地で広く見られる、山中の温和な妖怪や、巨人妖怪系譜に連なることが分かる。

 みそ五郎に何らかの独自性を感じるとすれば、まずは彼の好物である味噌なのであろうが、むしろ私は、呼び名である「みそ五郎」そのものに興味をそそられた。

 何故「みそ『五郎』」なのだろうか? そう考えたのである。単に「味噌が好物の(大)男」というのであれば、別に「みそ太郎」でも「みそ彦」でも「みそ兵衛」でも構わないはずではないか

 みそ五郎が、有明海を飛び越えて肥後天草に向かったのに倣い、私も同じ九州の他県へと(想像の中で)跳躍してみることにする。そうすると直ぐに、南九州宮崎県鹿児島県に伝わる巨人大人五郎(おおひとやごろう)」の伝説を見出す。奇しくも「五郎」の名を持つことに、注目してもよいであろう。

 大人五郎伝説は、怪力で里人を助けてくれたり、山に腰掛けて海で顔を洗うといった、みそ五郎その他の巨人妖怪類似するものである。みそ五郎と異なる点としては、好物が明確でない点、特に山を根城としているとは明言されていない点、軽い悪さやイタズラをして里人を困らせるといったトリックスター的なエピソードを持つ点などが挙げられる。

 有明海を挟んで「五郎」の名を共有する巨人存在するのは、海を経由したにせよ陸地を経由したにせよ、島原半島南九州との間に、人的及び文化的交流があったことの名残であろう。

 他に「五郎」の名前関係する九州伝説民話といえば、これは巨人妖怪ではないものの、大分県に伝わる「炭焼小五郎(すみやきこごろう)」が思い浮かぶ。これは、豊後山中で炭焼の仕事をして暮らす善人の小五郎が、顔にアザの有る姫と結ばれ、最終的に金山の所有者となり、姫の顔のアザも消え、幸せな長者夫婦となるという筋書きである

 金に限らず、山で採掘された金属精錬プロセスには熔鉱炉が付き物であり、それには炭が不可欠である。炭焼小五郎伝説は、山での金属生産従事した、山の民の存在を我々現代人に伝えるものである

 みそ五郎、ヤマオトコも、炭焼小五郎のように山を生活仕事の場としていた山の民の姿を反映しているのであろう。味噌・酒など彼らの好物である発酵食品をもらった返礼に、力仕事を手伝うという物語は、山の民と下界の農耕民との交易を反映したものなのだろう。

 九州以外の地域も広く探せば、日本各地で更に「五郎」の名を持つ巨人妖怪伝説上の人物発見できる可能性はある。しかし、何故「五郎」なのかについての手掛かりは、今のところ無さそうである

 そこで、少し外に目を向けてみようと思う。中国書物聊斎志異』『獪園』『劇説』などに名の見える怪異に「五通(ごつう)」というものがある。

 これは、蘇州方面に横行したとされる、五人一組の好色財神である。夜毎、人間女性のもとへ通っては犯すという。言うことを聞けば人間に財貨を与えるが、逆らえば害をなすともいう。体格偉大とされ、別名として「五郎(ごろう)」とも呼ばれる。(参考:実吉達郎中国妖怪人物事典講談社)

 体格が大きく、名前が「五郎」という点に、我が国巨人妖怪五郎」との関係想像せずにはいられない。女性に手を出すところや、人間に害を与えもすれば福を齎しもするという両面性は、大人五郎人助けも悪戯もするトリックスター性に通じるところがある。

 今のところ、中国の「五通」が我が国の「五郎」の起源となった、或いは、影響を与えたという確証は無い。無いのだが、可能性は有ると思っている。有った方が面白いからであるとはいえ、もう少し調べるべきであろう。

 地方地域おこしを担う伝説上の妖怪人物が、もしかしたら、大陸との縁が有るのかもしれないという、そんな話であった。

2022-09-20

anond:20220920035419

えーと「スタッフロール名前作品を入れろとGANTZの作者は主張してる」ってこと?

してるかな?話題になってたツイートは単に設定の類似点面白がってるように自分は読めたんだけどな…

何か自分が見落としてるツイートがあるのかな

2022-07-11

anond:20220711163055

類似点のある育ちだけど、その後が違うからか俺には理解できない。

他に似た境遇の人はしらんけど、少なくとも俺とはこんな感じで違うよ。


くらいな意味です。

n=1とか書かないほうがよかったかな。個人見解ですと置き換えていただけると。


復讐っていうか献金したお金が戻ってきたらいいなーくらいなもんですよ。そもそも復讐したいとも思ってないし。それなりに恨んではいるけどね。ただ、今となっては、日常的な献金デイサービス料くらいなもんだし。

2022-05-19

anond:20220519113850

ある作品信者は他作品や後続作品に当該作品との類似点安易見出したりしないと思うんだが、信じるほどの作品を持ってない人にはピンと来ないんだろう

2022-05-10

45chのFG○の愚痴スレ見てたら病んだ。純粋本音を楽しみに読んでたんだけど、一次創作してる自分にとってはきつかった。

ちょっと似てるだけでパクリとか言われてるのが一番メンタルに来た。

類似点があるくらいで肝心なところをパクっていなければパクリとか言われないと思ってた。確かにそうではあったとしても、心の奥底では気になる人がそれなりにいるんだな。消費者目線というのが捉えられなくってきている恐怖を感じてぐわぁぁあって来た!

あと、自分の好きなイラストレーター愚痴られているのも嫌だった。いきなり独特な画風のイラストが出てきたら混乱するよねって普通に納得はした。

2022-05-03

ベターコールソウルの終わり方(の少し手前)予想 5/2(Ep03まで)時点

(可能性は限りなく低いが)ネタバレになりうるので、見たくない人はみないでください。というか読む価値はほぼありません。

あんまり突飛な予想はできないし、割と”当たり前”な方向の予想しかしてないので。ほぼ確実に外れます……




















結末の予想については、大きく3つの根拠がある。

酒とバラの日々

1つ目は、酒とバラの日々(Days of Wine and Roses)について。S6Ep01の冒頭は、この映画音楽BGMに、恐らくブレイキングバッドで逃がし屋で逃げた後、ソウル屋敷差押えされるシーンがセリフ無しで描写される。映画酒とバラの日々」では、アル中夫婦の内、夫は立ち直るが、妻はアル中を認めずに夫の元から去ってゆく。この"アル中"は、BcSにおいてはハワードをはめる詐欺悪事の事ではなかろうか。キムが悪事を止める事・認める事が出来ずに、ソウルの元を去っていく、もしくはソウルと何らかの理由により離ればなれにならざるを得ないという事で、これはBreaking Badにキムが出てこない事の説明になる。Breaking Badの時代にはキムは死んでいるという予想も世では根強いが、これは正直あり得ないと思う。理由は後述。

ケトルマン夫妻との類似点

S6がスタートし、ジミー&キムは、ケトルマン夫妻との類似点が強く示唆されてる。ジミーはキムの言う事に強く影響される。

ケトルマン夫妻

クレイグケトルマンベッツィーの言いなりだ。役所から金をくすねたのも、ほぼ間違いなく彼女の入れ知恵で、その言い訳についても彼女受け売りだ。彼らが横領した金をマイクが盗み、それをジミーがばらした時、金に執着を示した(金のありかに飛んで行った)のもベッツィーで、クレイグはあまり執着していなかった。「ピクニック」のテントでジミーとお金のバッグを引っ張り合ったのもベッツィーだ。S1Ep04で、くすねたお金正当性をジミーに話しているときも、クレイグは事前にベッツィーに言い含められたことを喋っているに過ぎない。クレイグが執着したのはベッツィーだ。S1Ep01で初登場した際に、ベッツィーは赤いブレスレットと鞄を見につけているが、クレイグはライトブルーシャツにネイビーのネクタイだ。赤は犯罪やその人の危険性を示している。いい人は青い。(cf. https://www.youtube.com/watch?v=1tN2K_Rq_K4 / https://twitter.com/petergould/status/570055433001369600)

ジミー&キム

他方、ジミーとキムについてみてみると、S1Ep05で、ネイルサロンでキムがジミーに高齢者法を勧めた直後、ジミーはチャックに高齢者法を専門にしようかと語っている。S6Ep01では、キムが「ソウルが乗る車はこういうの、ソウル事務所はこういうの」とジミーに彼女の思うソウル像を語っている。S5Ep10から言及されだしたハワードを陥れる事についても、ジミーが乗り気でなかったのを、キムが促した。S6Ep03でも、ジミーはヒューエルに"A couple months from now, there are people whose lives are gonna be way better." と語っている。これはS5Ep10でキムに吹き込まれたことそのままだ。ジミーはキムの言う事をどんどん内面化している。そして、クレイグと同じく、ジミーも妻であるキムに執着している。

以上から

クレイグが詐欺などの言い訳ベッツィーに吹き込まれた通り喋ってるのは、ジミーのこれらの出来事と恐ろしいほど似通ってる。この2つのカップルの違いは、金に執着するベッツィーと、正義に執着するキムなんだと自分は予想する。勿論この正義はキムの考える正義で、それを実現するのはハワードを陥れる事によってすぐ手に入るサンドパイパー和解金で、結局金だ。キムはハワードに散々嫌がらせをされ、ジミーを貶されて気分を害してきたが、彼の社会的生命を終わらせるのは完全に一線を超えている。

ここまで2組のカップル共通点を描いてきた制作チームが、このことをこれから起こる事の暗示として使っていないとは思えない。

実際、ジミーはここまでキムの言いなりで来たわけではない。キムが嫌がる事もやってきた。だからこそ、S6でそれが変わることの暗示としてケトルマン夫妻を再登場させたのでは?

ただ、ケトルマン夫妻は、少なくとも今の所、お互いを裏切るような事はしていない。これがジミーとキムの今後にも当てはまってくれることを願ってやまない。例え"Days of Wine and Roses"のように、キムがジミーの元を去る、もしくはなんらかの理由で離ればなれになるとしても。

S1からどれだけ変化したのか(これは予想の根拠ではなく、経緯の確認)

ジミー

滑りのジミー(Slippin' Jimmy)という二つ名を持ち、シカゴサンルーフを(運悪く)子供にみられて性犯罪者になりかけたジミー。彼ははS1では兄思いの善良な人間だった。更生していたのだ。そして独立開業弁護士として悪戦苦闘してもいた。金に困って当たり屋をたくらんだり、横領犯のケトルマン夫妻から弁護士報酬として口止め料を受け取ったりはしたが、そもそも金に困った原因はチャック(兄)にもある事が描写されている。チャックの負担が無ければ困っていなかったのかどうかは判断がつかないが。

S1終盤に兄の2度にわたる裏切りが発覚し、Marco形見ピンキーリング(Slippin' Jimmyの象徴)を身につけ、少し"カラフル"にはなったものの、ジミーはS6になっても、未だに暴力的な事に拒否感を示し、ケトルマン夫妻のような非暴力犯罪者へのシンパシーをも持っている。これはBreaking Badで描かれていたソウルグッドマンとは明らかに一線を画している。

BrBaS2Ep08で、「ヤツ(バッジャー)を殺せばいい」と言ったり、S5Ep10でハンクを"ベリーズ送り(殺すの暗喩)"にする事を提案するような、一線を越えたソウルグッドマンにはまだなっていない。フランチェスカ白眼視されるようになった理由もまだ不明だ(ベターコールソウルではまだ非常に愛想が良い)。あと10エピソードでこのラインを超えるにはどういう流れがあるか、と考えると、これはもう「そうある事をキムが望んだから」以外に無いんじゃないかと現時点では思ってる。多分99%外れるんだろうが。実際、ジミーはBreaking Badでキムが「El Camino」で話したような車と事務所を実現している。これが、ケトルマン夫妻との類似点を描いてきた元になっていると考える。

キム

一方でキムはどうか。貧しい家庭に生まれ、HHMの郵便室で働きながらロースクールに通い、弁護士になった。S1では上昇志向で、ハワードみたいなまっとうな弁護士に憧れて、そうなろうとしている彼女がいる。S1では法に触れる事も倫理的問題もない。

S2Ep01で、キムはBreaking Badの最初の一歩を踏み出す。被害者ケンだ。ホテルバーでGiselleとなり、ジミー扮するViktorと一緒に株屋をハメて、高級テキーラを奢らせた。しかし、せっかくD&M(有力弁護士事務所)に入れたジミーが、スクワットコブラーの証拠ビデオ捏造するという「危ない橋」を渡った事を非難し、二度としないで、という位には理性的だった。しかし、S2も後半になると、独立と同時にHHMから引き抜いた大規模クライアントメサ・ヴェルデを、チャックの口先で取り戻されてしまう。ジミーは書類を書き換え、兄に恥をかかせる事で、メサ・ヴェルデをキムの手に戻すことに成功する。キムはこのことを知るもジミーを責められず、逆に証拠隠滅を促すまでになっている。

S4ではヒューエルの投獄を避けるために、自ら大掛かりなお芝居を発案し、ジミーと一緒に検察法廷を欺く。S5では暴走気味のジミーの足手纏いにならないように(という言い訳で)ついに結婚。ジミーがカルテル仕事をするのも止められず、ジミーの危機には自らカルテルボス接触したり、言い負かしたりし、ついにはハワードを陥れる計画を立てるまでに。理由社会的弱者への弁護に必要な金を調達するため、ではあるが。

S6Ep02の最後には、赤黒だんだら模様のブラウスを着て腕組みしており、最早悪人として描かれている。Ep03ではさらに「I guess it's basically... Do you wanna be a friend of the cartel, or do you wanna be a rat?」なんてセリフを吐くまでになっている。


こうしてみると、この物語が始まった時からの変化は、キムの方がジミーよりも何倍も大きいように思える。もはやS1の頃の、「あと2年頑張れば大手事務所パートナーになれる」まっとうなキムは居ない。この先、さらエスカレートしたキムが理想とするソウルグッドマン。Better Call SaulのジミーとBreaking Badのソウルを超える壁は、このキムの理想想像ではなかろうか、という予想は的外れだろうか。



Season6ポスター

Season5までの第一話は、Breaking Badで逃亡した後、ジーン・タカヴィクという人になり切ったジミーのモノクロフラッシュフォワードコールオープンで始まる。Season6のポスターは、そのジーン(白黒)が色鮮やかな赤い上着羽織ろうとする瞬間が使われている。ソウルグッドマンの復活の暗示(ほとんど明示)だ。

これは、Better Call Saul S4Ep05のコールオープンで、フランチェスカに頼んだ11月12日の午後3時の件でもあるだろう。


さて、ジミー・モーガン・マッギルは、逃亡直前ソウルグッドマン事務所に置いておいた金とわずかな思い出の品だけを持って姿を消し、ジーン・タカヴィクとなった。そのジーン・タカヴィクがソウルグッドマンに戻る動機はどれくらいあるのか?想像力に乏しい自分には、キム・ウェクスラーの為としか思えない。どういう窮地のキムをどうやって助けるのか?これも想像力無さすぎて分からない……

一方で、キムを窮地に陥れるのか?という問題だが、こちらも現時点ではラロしか思い浮かばない。Better Call Saul最強ヴィラン笑うボス。彼は、Breaking Badでのガスのセリフあんたとホアキンだけだった。彼が最後の身内だ。サラマンカ名前は— あんたで終わりだ」と、Breaking Badでは一度も姿を見せない事で、Breaking Badタイムラインが始まる前に死亡しているというのが通説だった(名前だけはソウルグッドマン言及している)。

ここまで、Better Call SaulBreaking Badの前日譚として、数々のEaster Eggを飾り立ててきた。それらはかなりストレートかつ不自然さのないものだった。視聴者的にも予想を裏切られるようなEaster Eggは無かったように思う。1点だけ、予想外のEaster Eggを埋め込んでくるとしたらここではないか、ここでそれを使うのが一番効果的ではないか?というメタ視点で、ラロの生存を予想している。生存はいっても、ソウルはラロの死を知らず、ガスやヘクター(こちらだけは万一がありうるか?)はラロの生存もしらない。そういう形の計画失踪をたくらめる知性も持っている。お膳立ては十分では?







以上、まぁ大した事も書いてないが、この中の少しでも当たってたら後からドヤ顔したいので、アリバイ的に投稿しておく。

いやぁ、しかしまぁ、本当に面白いドラマだよ。世界最高峰だよ。脚本だけじゃない、演技も映像音楽も、すべてが最高峰。今のご時世、一挙配信ビンジウォッチ(一気見)が流行りだけど、1話ずつ(S6最初は2話公開だったが)公開されて、1週間その話題と次の予想でここまで盛り上がれる作品が今あるんだろうか?これからこれを超える作品が出てくるんだろうか?それが疑問に思えてしょうがないレベルベターコールソウルにぞっこんだ。

まとめ




増田はいつでも書き換えられるので、投稿直後に魚拓を取って追記しておく。

https://archive.ph/FdZTf

2022-03-21

大日本帝国現在ロシア類似点

大御所芸人がゼレンスキー大統領アメリカ議会における真珠湾攻撃言及にに不快感を感じてらっしゃるので、大日本帝国現在ロシア類似点を書いてみる。

1 自国民に嘘をつく

2 情報統制 / 官製メディアによる虚偽情報の流布

3 政権に反対の立場を取る知識人ジャーナリスト弾圧

4 密室での侵略の決定

5 意味不明領土

6 意味不明民族的優生

7 自らを(他の主権国家)の開放者だと思っている

8 戦況の見通しの甘さ(5に起因する)

9 補給の軽視

他にも多数あるような気がする。

2022-02-25

下記の記述に対して類似点と相違点を日露歴史的背景から180字以内で述べよ:増田大学前期 国語

秋篠宮家の悠仁さまが提携校進学制度を利用して筑波大学附属高校に進学したことめぐり筑波大学学長定例会見で「提携校進学制度悠仁さまのために設けられたものではない」と述べました。

……………..

ロシア側は、ただちに侵攻をやめロシア国内撤収すべきだ。ウクライナにおける日本国民を含め、民間人などの安全は無条件で守られるべきだ」などと求めた。

これに対し、ガルジン大使は、「大臣からあった『ウクライナへの侵攻』ということは今、起こっていない。ロシア系住民を保護するための特殊軍事作戦だ」などと反論した。

2022-02-23

菅野よう子

最近攻殻機動隊を観直してるけど菅野よう子音楽が懐かしい。攻殻機動隊はかなりBjörkみたいなアートポップ路線でいってるけど、他の作品を思い出させるようなフレーズとか編成とかがやっぱりある

その「菅野よう子み」とは何なのか、もう少し研究してみたい。今まで菅野よう子カウボーイビバップ以外あまりハマらなかったけど、好きじゃないものを突き詰めるのも大事だよね。それで好きなものもっと楽しめるなら。

攻殻機動隊PSYCHO-PASSとの類似点が多いので、そういうとこも合わせてもっとちゃんと観たいところ。

2022-02-18

増田メンヘラにとって救済をもたらすサービスであり続けて欲しい

私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。

そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館南条さんの本を借りた。当時私はリスカアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為きっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。

本には、南条さんという人物について、また彼女インターネット上に残したものについて書かれていた。


「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」

衝撃だった。

南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。


さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービスから推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能ブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。

二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である


私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身気持ち不謹慎でたまらなかった。

インターネットではブログサービスの代りに増田流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。

このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。


さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。

前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。



その日記は2001年6月13日水曜日から始まっている。

はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィーク旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしま入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。

ところで北海道運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである

私にとってそんな小学最後運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧気候の中で、小学生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。


2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやす説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである

私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロア中学生フロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。

4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度区切りを迎えてから日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。

2002年4月8日の月曜日二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。


2002年の3月末~4月初旬の彼女日記確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。

彼女文学部哲学科を卒業した後、編集者レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。


2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。

平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。

しかしその4月2日水曜日日記タイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事投稿したのではないかと考える。もしくは、職場PCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。


投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。

しか彼女複数回に及ぶブログ投稿現代増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。

さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本から引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人から手紙引用している投稿も見られる。


ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプ人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるかである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないときである。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitter思考の整理を行う。なぜなら自分自身脳内の回転及びそれによって生じる思考インターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。

そしてなぜあえてインターネット吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーション挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。


彼女本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手彼女自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。

ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分作品が残るとは、そういうことなのだと思う。


2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったか記憶している。休み時間には、情報担当教諭ヤフージオシティーズアカウント取得を手伝ってくれた。

やはり、当時はまだブログがそこまで一般的ものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナーハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。

私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。

やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitter複垢サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。


私は日本におけるインターネット内でポエム馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章ポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。

このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったか記憶している。


二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。

そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである


人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記ありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女ことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。


インターネット死ぬとはこういうことなのか。


断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。

冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。

しかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったかである


果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。

事実書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。


文中で軽く触れたが、私にとって増田思考の整理のためのツールとして役立っている。

私は物心ついた頃より、「この子ぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。


私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲相談をし、さら増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ

私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。


果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。

今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネット事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。

私はリアル社会の中で、絶望絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネット絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。


インターネット彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。

二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女日記のどこかで触れられているのかもしれない。  

しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。

しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者インターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。


相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。

私は自分自身人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。


自分自身とよく似たパーソナリティ人物言動思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報医療機関提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。

私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法アドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。


私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的自分自身の不幸を開示していこうと考えている。

増田には、メンヘラにとって永遠に救済をもたらすサービスであり続けて欲しい。

2021-12-24

恋って何だろうね〜2021年

今年も終わろうとしている。

四月にとある漫画を読んでから、今年はひとりの非実在青年について考えた年だった。

仮にその青年をAと呼ぶ。

暇があればAのことを考えていた。春のころは季節の陽気さも相まって本当に頭がばかになっていた。Aの性格価値観、幼少期や果ては両親のことまで考えた。秋になり冬になってもAが頭の片隅に当たり前のようにいて、ほんの少しでも外見や内面の特徴の似通ったキャラクターを見ては、Aとの類似点差異検討してAについて考える足がかりにした。全然関係のない本を読んでいるときにすら、ふとAのことが頭をもたげる有り様だ。

Aは主人公でもなければ、出番も少ないうちに死んだので、妄想深読み読者的には大変狙い目のキャラクターである。そのことを加味しても、自分でも気持ちいくらい今年はAのことを考えた。

はじめは素直にAの死が悲しかったりもしたのだが、そのことについて考えていくうちに、一つの結論に落ち着いた。

「Aは非実在青年からそもそも生きていない。散々辛く苦しく悲しい目に遭ったAはいないんだ!良かった!」。自分自分のことを大丈夫か? と思いつつ、これだけフィクション人物に入れ込むのも楽しそうでめでたいな、とも思った。

そんな風にずっとAのことを考えていた。四六時中誰かのことを考えるってこれはもう……恋なのでは???

それでふと思った。

恋愛してる人って、実はめちゃくちゃ楽しいのでは???

リアル人間に恋をすると諸々フィードバックもあるだろうし、そう簡単に死なないし。

私にとってはただの平日の今日明日をある種のイベントだと捉えているカップルを、今までは普通に楽しそうにしている人たちだな〜くらいにしか思っていなかった、というか実を言うとなんとも思っていなかったが、なんだか今年はすこし羨ましい気持ちになるのかもしれない。

世界中カップルと、そうじゃない人たちと、Aに幸あれ。

2021-08-28

anond:20210827125554

自分特別音楽に詳しいわけじゃないけど、サビのところで比較してみるよ。

増田CSSテーブルセルボーダーがないので小節がわかりにくいけど頭4小節分を抜き出している。

 

Blue Archive

テンポ=104bpmくらい

コード進行

FM7 C/EG Am7FM7 C/EG Am7

 

■Shelter

テンポ=100bpmくらい

FM7C/E GAm7Dm7

 

結論から言うと、とても似ている

 

と、共通点を挙げると類似点は多い。

しかしどの共通点もひじょうにありふれた王道の要素なので、偶然一致してしまことなんて普通にある。

このくらいの共通点を共有する楽曲の組み合わせなんて無数にある。

なので、たとえばどっちかがどっちかのパクりか?と言われると難しい。

これが、メロディの並びが部分的に完全一致しているとか、非常に突飛なことをやっていてそこが一致しているとかだと「パクり」と呼ばれてしまうと思うけど、この2曲の間にはそれがないからね。

他人の空似でもまったくおかしくない、その程度のレベル

 

じゃあなぜこの2曲にとても似た印象を受けるだろう。

それは「Ⅵmaj7」の存在が大きい。

マイナーの曲でこのコードからサビが始まると素敵に物悲しくてキレイな曲になる。

ということは、当然のことながらこのコード進行はとても人気があり、多くの人々が使っている。

サビのコード進行をどのコードで始めるかなんてそもそも選択肢は7個くらいしかなくて、そのうちよく使われるのなんてⅠかⅣかⅥの3つくらいなのでカブッて当然なのだ

この強い印象にテンポの一致が加わると「あー、あの曲っぽい」という印象にはなっちゃうと思う。

2021-08-11

出版社作家パクリを認めずに「修正しました」で終了

幻冬舎から出てる『ほねがらみ』って小説が他の小説との類似点を指摘された件

https://togetter.com/li/1739251

作者の芦花公園過去にその作品を読んだことは認めたけど、あくま自分アイディアで書いたと主張したらしい

なのにしばらくして幻冬舎からその類似した部分を修正したとだけ発表があった

https://www.gentosha.co.jp/news/n555.html

他の小説との類似があった件どころか修正した理由も書いてない

自分アイディアだったら直す必要なくね?

意味わからん

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