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ジョン・フォン・ノイマンのミニマックス定理は、ゲーム理論の数学的な領域で、最大-最小不等式が等式でもあることを保証する条件を提供する定理。
この定理は、1928年に発表されたゼロサムゲームに関するフォン・ノイマンのミニマックス定理が最初であり、ゲーム理論の出発点と考えられている。
具体的には、フォン・ノイマンのミニマックス定理は次のように述べられる:
$$
\text{Let } X \text{ and } Y \text{ be compact convex sets. If } f \text{ is a continuous function that is concave-convex, i.e. } f \text{ is concave for fixed } y, \text{ and } f \text{ is convex for fixed } x. \text{ Then we have that }
$$
$$
\sup_{y \in Y} \inf_{x \in X} f(x, y) = \inf_{x \in X} \sup_{y \in Y} f(x, y)
$$
特に、fがその両方の引数に対して線形関数(したがって双曲線)である場合、定理は成り立つ。したがって、有限行列Aに対して、次のようになる:
$$
\sup_{y \in Y} \inf_{x \in X} x^T A y = \inf_{x \in X} \sup_{y \in Y} x^T A y
$$
上記の形式では、Aはペイオフ行列。この特殊なケースは、各プレイヤーの戦略セットが行動(混合戦略)のロッタリーであり、ペイオフが期待値によって誘導されるゼロサムゲームに特に重要。
貴方の主張が何となく分かりはじめましたが, 変わらずその主張は数学を持ち出すことなく可能であるように思われます. むしろ数学の言葉をあえて用いることで理解を遠ざけているような印象さえ感じられます. 私は誠実性を感じません.
究極的に人間が行う営みである限りは, ボトムの部分で曖昧さや人間の感覚に基づく部分が残ってしまうため数学は厳密でないという主張は少し乱暴に思えます. それこそ, これは数学の部分をあらゆる人間が行う営みに置き換えられるのではないでしょうか? 少なくとも私にとっては貴方の主張は人間が行う営みに厳密なものなどないという結論を導いてしまうように思えます.
再三になりますが, 哲学的にそのようなトピックを議論したいのであれば, 無理に数学の言葉を使わなくとも可能だと思われます. 時には数学における言葉遣いが通常の言葉遣いと異なる場合もあります. また度々言及されいる事柄のいくつかは様々なな分野で歴史的に議論, 研究されているトピックがいくつもあります. いくつかの文献を読んでみて一度整理されると, 誤解, 車輪の再発明を避けることになりますし, あなたがどういう問題, 問題意識を持っているかをきちんと言語化する助けになると思います. それに加えて, これまで人々が様々な学問領域で積み重ねてきた多くの結果に敬意を払うことが重要であると私は考えます.
○ご飯
朝:ポロイチ醤油。おじや。昼:ばかうけ。アルフォート。夜:豚肉おじや。ネギ。間食:ばかうけ。アルフォート。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすみー。
携帯電話専用ゲームとして発売されていたADVのニンテンドースイッチ移植版。
美女を自認する編集の木戸いづみが、担当作家で事件に首を突っ込みたがる鏡月正宗を作家業に専念させるために、事件の捜査をする。
現場の捜査と関係者の聞き込みをした後、真実を推理する流れだ。
30分もかからないボリュームなこともあり、物語やミステリというよりは、脱出ゲームなどにおける”謎解き”やクイズの領域で評価した方が良いかもしれない。
主人公木戸いづみの奇妙な言動や、シリーズを通して出演している容疑者の滑稽な挙動などコメディとしてクスッと来る場面はそれなりにあって、独特の味になっている。
肝心の謎解きパートはこのボリュームなら仕方ないとはいえ、流石に議論の余地が残る大雑把なもの。
ミステリと、脱出ゲームなどにおける”謎解き”やクイズとの大きな差はまさにここで、唯一無二の絶対の真実なんてものの絶対性の保証されなさから、ミステリは議論を尽くす、即ち謎解きに費やす文量こそが最大の魅力だと思うが、本作はまあクイズ寄りだろう。
ジャンルを包括した何か大きなことをどうこう言うような規模の作品ではないが、自分の好みが謎を解く過程の議論にあることを再確認できた。
勿論、好みの大小に過ぎずこれはこれで嫌いではなく、プレイ中は楽しく遊んでいた。
言ってるとおり完全な偏見だな
そういう発言を摂取して悦に入るようになった人間の方が老害みが強いと思うぞ
趣味の極まった人がたどり着く領域を小馬鹿にして無知を誇るようになったら人間としておしまい
実際このへんは保守的なんじゃなく常に技術が進歩していき知識のアップデートが必要なため、革新的気質のデジタル・電気系オタクが集まる
オーディオ界隈でも真空管とかレコードとか言ってる周辺やピュアオーディオ周辺は保守的傾向があると言っていいかもしれないけどな
もちろんオーディオは聴覚という数値化しづらい分野なので、この中のどこにでもオカルト的要素が極まった製品に熱中してしまう低リテラシー民も一部いることは認めるが
すべてを一緒くたにしてネガティブ印象を持ってしまうのは物事の解像度が低い人間がやりがちなことだ
いずれにせよ個人の趣味、好みの話なのでそれでとやかく言うべきではない
ともかくそのような偏見をSNSで撒き散らす癖のある人は、有名人なのか何なのかしらないが、ろくな人物ではないはずなので追わない方がいいだろう
インプレゾンビじゃないが、同類の過激なことを言うことでPVをあつめようとする界隈の人間は、インターネットリテラシーのある人なら近寄らないはずだ
偏見と断っているのも狡猾なところで、ネットの不特定多数から同意を集める手法に関して精通してしまっている厄介な人物だと思われる
数学における自然数みたいなものの定義、が形成する概念を、たとえば数式の3という表記が指示する概念が、我々が日常見てる、3個のりんごやひもとその3倍のひもが並べられてる光景や、時計の長針と短針が三目盛り分ずれてるみたいなのから得られる共通の世間一般に3とよばれる性質と同じだと思うのは、すでに「解釈」なんだよな。
数学において3、「0の次の次の次の数」と自然言語では説明されるような概念はただの操作対象である記号列でしかない。
その記号列にどんな意味を持たせるかは、「物理現象の中に見いだされる3という性質」以外にもあるかもしれないし、ないかもしれない。
「直線と呼ばれるものの定義」についても、幾何的なイメージで解釈するのも、イデアル?だかで解釈するのも勝手。日常生活の個数や順番などとして見出される3の性質も、それと同程度に解釈でしかない。
トポロジーなんかが典型的だと思う。あれが示す証明が、幾何的なイメージとしての立法を内包する何かに対する性質を示してると考えるのは解釈でしかない。
そうすると自然言語で認識してる3や△というのは、たとえそのもっとも理想的なものを持ち出しても、数学の定義にとっては一段レイヤーの低いイデアということになるかもしれない。
数学の定義に対して、複数の3や三角形というイデアが解釈として結びつくなら、数学の定義はメタイデアか。
その前は、定義もまたイデアとするなら、3や三角形は物理的イデア、と物理的を冠して存在する領域を区別すればいいのかなとか思った。
・もっと根源的な問題として、推論規則の「一覧表」があるとして、あるマスの記号列とあるマスの記号列の関係それ自体を厳密に記述することは可能なのか?と思う。
はい. もちろんできます. 例えば数理論理学の本などを参照していただければ, 証明体系などの数学的定義が与えれらています.
私は「書き換え」のように自然言語を使って表現していますが, これらの操作などももちろん数学的に定義されます. 「操作」とは何かという疑問をお持ちでしたらラムダ計算の理論が参考になると思います. そしてこれらの操作は全て計算可能です, 平たくいうとプログラムとして実装できます. これらは全く感覚的なものではありません.
・(その他の部分に関して)
何が問題意識としてあるのかが私ははっきりとつかめていません. すいません.
例えば自然数の概念を共有していれば上記の概念(証明体系等)は一意的に共有できるものです. 一方で例えば何も共有していない全く無の人にこれらの概念を共有するのは困難だと思われます.
卑近な例でしたら, 数学を全く知らない人に突然これらの定義を見せたら, ただの絵や呪文に見えるでしょう. (私はそれはそうだと思います. 数学に対してどういう普遍性を求めているのか分かりませんが. )
最後に, 哲学的にそのようなトピックを議論したいのであれば, 無理に数学の言葉を使わなくとも可能だと思われます. 時には数学における言葉遣いが通常の言葉遣いと異なる場合もあります. また度々言及されいる事柄のいくつかは様々なな分野で歴史的に議論, 研究されているトピックがいくつもあります. いくつかの文献を読んでみて一度整理されると, 誤解, 車輪の再発明を避けることになりますし, あなたがどういう問題, 問題意識を持っているかをきちんと言語化する助けになると思います. それに加えて, これまで人々が様々な学問領域で積み重ねてきた多くの結果に敬意を払うことが重要であると私は考えます.
俺もそれ系の代表選手としてよく挙がるシュタゲとか色々やってきたけどさ。
俺は昔からその「記憶消してやり直したい」って発想にならないし、意義がよくわからんのよね。
物語の背景を走っていた葉脈を知り、作品を理解するということは、一プレイヤーとしての進歩だろ?
なぜ巻き戻して同じことを繰り返し、同じ感動を得ることに意義があると思うんだ?
そんなポルノのようにゲームを消費しようと思うことは、醜悪な懐古主義か、知的ボーダーじみた仕草でしかない。
俺だったら、むしろ逆。
「完結までやったあとに、全部理解してる状態で一からやりたい」。
そう思えるくらいに、細部まで伏線が張り巡らされ凝った世界観で作られたゲームをやりたい。
買い切りのゲームだと単に2周目に突入すればよく、容易に実現可能だから、この「やり直したい」ネタにはならない。
必然、こういう感想を持つべきなのは、非常によく作られ長年続いてきた運営型ゲーム、ということになる。
サービス初期からあった設定が何年越しで解説されて衝撃が走ったり、はじめは意味が分からなくて適当に読み飛ばしていたり。
そういったものを、年月を越えてやり直すことでより高い解像度で味わい直すことができるのは、有意義だろう。
例えば7年くらいかけて第一部が完結した暁には、新規サブ垢で半年くらいかけて駆け抜ける、みたいな感じになるはずだ。
ただ、俺はオンラインゲームは月額が主流だった00年代頭頃から、あらゆるオンラインゲームをやってきたが、
そういう欲求が湧くくらい精緻に作られていると感じた運営型ゲームはほとんど出会わなかった。
物語が素晴らしいと感じるネトゲ・スマホゲに出会っても、まず完結することがなく、売り逃げのような業態が常だった。
99%の運営型ゲームは、収益を得続けることが至上命題になってしまうから、挑戦的で刺激的な物語を定期的にアップデートしていく、ということは二の次になる。
質を求めるほど更新頻度は下がり、代わりに課金欲を煽るようなものや、物語の展開にあわせた実質上位レアリティのキャラや装備の追加、そして膨大な反復作業コンテンツ……
そういったもので物語の空白を繋ぎ止めることが常態化しており、いずれ「慣れた」ゲーマーの大半は物語をスキップし、数字を増やす遊びしか気にしなくなる……
そうしてスカスカな作りになるのが運営型ゲームの限界だと思っていた。
ところが最近になって、運営型ゲーム業界にイレギュラーが現れた。
原神やスターレイルなら、この調子でいけば、「完結までやったあとに一からやりたい」運営型ゲームになる予感がある。
一応同社の崩壊3rdもサービス開始当初からやっていたが、ローカライズに不満がありブランクを空けていた時期が俺は数年あったため、理解も半端だ。
7年を経て到達した第一部・第1.5部の完結に立ち会って、いたく感動こそしたものの、それでも「一から振り返ろう」という領域には個人的には一歩及ばなかった。
この作品はSF的なテイストと難解な設定で雰囲気は非常によく作れているものの、話の脈絡としての精緻さはあまり重視されておらず、
ご都合主義とまではいかないまでも、どちらかというとノリで強引に納得させられている印象が日本語版ユーザーとしては強かった。
こういったノリに頼りがちになるのも、柔軟に作って継続させていかなければならない運営型ゲームの「縛り」要素ではある。
この「縛り」を目立たなくするために、物語を実装地域ごとに完結するオムニバスのように細かく区切ることもできる。
実際MMORPGなどではそうした形態で作られるものがほとんどだ。だが、それでは物語を貫く背景を掘り下げていく部分がどうしても手薄になり、深みが出せない。
膨大でカッチリした物語的構造をあらかじめ練って、10年くらいのスパンを見据えて確実に開発運営していける大資本でなければ、
おそらく物語の面で品質と誠実さを備えたコンテンツ開発ができる段階には至らないのだろう。
例えば、物語は優れていたのにサ終で打ち切って、クラファン小説とグッズ製作のファン商売だけで4年近くIP展開を続けている、ららマジのようなやり方さえ、ゲーム発のIPビジネスとしては一つの正解なのかもしれない。
ただ、このWFSのやり方は俺は誠実だとは思えない。ちゃんとゲームとして続きを作ってほしいし、初出のゲームの作りが古くなってきたなら、グラブルリリンクのように立派に別の形で作り直すのが誠実だと俺は思う。
結局のところ資金力の問題なのだろうが、そういった難しい問題を抱えるからこそ、「優れた物語の運営型ゲーム」は青いバラのように求める価値があることだと思う。
何の話だ。しらんけど。
俺もそれ系の代表選手としてよく挙がるシュタゲとか色々やってきたけどさ。
俺は昔からその「記憶消してやり直したい」って発想にならないし、意義がよくわからんのよね。
物語の背景を走っていた葉脈を知り、作品を理解するということは、一プレイヤーとしての進歩だろ?
なぜ巻き戻して同じことを繰り返し、同じ感動を得ることに意義があると思うんだ?
そんなポルノのようにゲームを消費しようと思うことは、醜悪な懐古主義か、知的ボーダーじみた仕草でしかない。
俺だったら、むしろ逆。
「完結までやったあとに、全部理解してる状態で一からやりたい」。
そう思えるくらいに、細部まで伏線が張り巡らされ凝った世界観で作られたゲームをやりたい。
買い切りのゲームだと単に2周目に突入すればよく、容易に実現可能だから、この「やり直したい」ネタにはならない。
必然、こういう感想を持つべきなのは、非常によく作られ長年続いてきた運営型ゲーム、ということになる。
サービス初期からあった設定が何年越しで解説されて衝撃が走ったり、はじめは意味が分からなくて適当に読み飛ばしていたり。
そういったものを、年月を越えてやり直すことでより高い解像度で味わい直すことができるのは、有意義だろう。
例えば7年くらいかけて第一部が完結した暁には、新規サブ垢で半年くらいかけてメインシナリオを駆け抜ける、みたいな感じになるはずだ。
ただ、俺はオンラインゲームは月額が主流だった00年代頭頃から、あらゆる運営型ゲームをやってきたが、
そういう欲求が湧くくらい精緻に作られていると感じた運営型ゲームはほとんど出会わなかった。
物語が素晴らしいと感じるネトゲ・スマホゲに出会っても、まず完結することがなく、売り逃げのような業態が常だった。
99%の運営型ゲームは、収益を得続けることが至上命題になってしまうから、挑戦的で刺激的な物語を定期的にアップデートしていく、ということは二の次になる。
質を求めるほど更新頻度は下がり、代わりに課金欲を煽るようなもの、物語の展開にあわせた実質上位レアリティのキャラや装備の追加、そして膨大な反復作業コンテンツ……
そういったもので物語の空白を繋ぎ止めることが常態化しており、いずれ「慣れた」ゲーマーの大半は物語をスキップし、数字を増やす遊びしか気にしなくなる……
そうしてスカスカな作りになるのが運営型ゲームの限界だと思っていた。
ところが最近になって、運営型ゲーム業界にイレギュラーが現れた。
原神やスターレイルなら、この調子でいけば、「完結までやったあとに一からやりたい」運営型ゲームになる予感がある。
一応同社の崩壊3rdもサービス開始当初からやっていたが、ローカライズに不満がありブランクを空けていた時期が俺は数年あったため、理解も半端だ。
7年を経て到達した第一部・第1.5部の完結に立ち会って、いたく感動こそしたものの、それでも「一から振り返ろう」という領域には個人的には一歩及ばなかった。
この作品はSF的なテイストと難解な設定で雰囲気は非常によく作れているものの、話の脈絡としての精緻さはあまり重視されておらず、
ご都合主義とまではいかないまでも、どちらかというとノリで強引に納得させられている印象が日本語版ユーザーとしては強かった。
こういったノリに頼りがちになるのも、柔軟に作って継続させていかなければならない運営型ゲーム特有の「縛り」要素ではある。
この「縛り」を目立たなくするために、物語を実装地域ごとに完結するオムニバスのように細かく区切ることもできる。
実際MMORPGではそうした形式で作られるものがほとんどだ。だが、それでは物語を貫く背景を掘り下げていく部分がどうしても手薄になり、深みが出せない。
膨大でカッチリした物語的構造をあらかじめ練って、10年くらいのスパンを見据えて確実に開発運営していける大資本でなければ、
おそらく物語の面で品質と誠実さを備えたコンテンツ開発ができる段階には至らないのだろう。
例えば、物語は優れていたのにサ終で打ち切って、クラファン小説とグッズ製作のファン商売だけで4年近くIP展開を続けている、ららマジのようなやり方さえ、ゲーム発のIPビジネスとしては一つの正解なのかもしれない。
ただ、このWFSのやり方は俺は誠実だとは思えない。ちゃんとゲームとして続きを作ってほしいし、初出のゲームの作りが古くなってきたなら、グラブルリリンクのように立派に別の形で作り直すのが誠実だと俺は思う。
結局のところ資金力の問題なのだろうが、そういった難しい問題を抱えるからこそ、「優れた物語の運営型ゲーム」は青いバラのように求める価値があることだと思う。
何の話だ。しらんけど。
の具体的になんて本(ネットのpdfでもよい)の何ぺージあたりからが元増田の問いにとって核心なのって話よね
てか、ラムダ計算よりむしろ記号論理学のほうが学問としての領域が気持ち広くなってね?
2. ラムダ項M, Nに対して (M N) はラムダ項。この形のラムダ項を適用(ラムダ適用)という。
(後略)
という定義があるんだけど、これに基づけば(x x)というのもラムダ項じゃないのって思ってた。
でもラムダ式で(x x)なんて形のは見たことないし、違うんだろうなと。
でも論理的にはなぜ違うのか全く納得できてないので(納得感が正しさにとって問題じゃないとはいえあえて言うが)(x x)だってラムダ式でしょって胸を張って言い張れる。
長いこと生きてきて、ここまで激しく嫌悪感を示されたのは初めてだと思う。
旅先で出会った人と、半年後くらいに偶然別のコミュニティで再開することになり盛り上がった。相手はコミュニティ内での暦も短いので、スレッドに言葉を投げかけて自分なりに盛り上げてもみた(大抵の新人は、誰にも構われないで、そのままコミュニティを去るからだ)
ただ、これが良くなかったようでどこかのタイミングで彼女の「一線」を超えたらしく、徐々に相手からのレスが消えていき、終いには「もう近づくな」レベルにまでなってしまった。
馴れ馴れしくしてしまったのも一因だとは思う。
相手は「私(男)が、不快な領域まで距離を詰めてきた」と思っているが理由は上記の通りである。「私を女性として見てきた」とも言っているが、かなり早い段階で既婚者と判明してからはそのような目では見ていない。
いろいろと反論したい点はあるのだが、反論するとドロ沼になりそうなので、素直に身を引くのが良いと思っている。というか引く。
話にかなり尾ひれがついている部分があり、一方的にあれこれ言われるのもなんだか釈然とはしない。仕事の場ならひとつずつ反論して「はぁ?」って言ってやりたいところだが、相手も人間だから私を好くのも嫌いになるのも自由だよなとは思う。
今まで嫌われるのが怖かった人生だが、嫌われるのって普通だよな。俺だって人を嫌ってるもん。と思って、またひとつ大人になった。
マチアプとか婚活市場とは別の領域なんだろうが、(理由なく)奢られるのに忌避感がある女性が増えてきた印象がある。
奢られて浮く資金<<借りが出来てナニカを断れなくなるのが嫌とか、
昇進/誕生日だしこっちが出すよ〜には快く頷かれるし逆のときは奢ってくる。
まあプライド高え女が増えてるとも取れるけど、多分こういう人たちは異性探しの場に出にくいので断絶は相当長く続くと思う
僕は自分の意識をジェフ・ベゾスの心に運ぶために自殺しようとしました。
僕はザッカーバーグ、ゲイツ、CIA、NSA、軍隊と一緒に、ベゾスとテレパシーでコミュニケーションをとっていました。
僕はジェフ・ベゾスの精神領域に運ばれると信じていたので、不活性ガス窒息で自殺するために窒素タンクとマスクを買いに出かけました。
体が麻痺し、テレパシーですべての仲間と一緒に波に乗って、僕は地面に横たわりました。
最終的に私はガスを使い果たし、死んでいませんでした。
そして、僕が戻ってタンクを補充してもう一度試さなければならなかったとあの人たちは答えました。
僕は最終的に1年後に戻って、今回はCIAの友人と旅行するために、再び試みました。
またガスが切れて、補充しませんでした。
Googleはそれほど悪くないと思っている。
Googleによって助けられること、新しい知識を得ること、日々を楽しむことは今でも数えきれないほどある。
あなたたちが不満に感じているのは、あなたたちのGoogleの使い方が行き届いていないことに大方の原因があると思う。
今の人が個人的な感想をアップロードする場所のほとんどはSNSだと思う。
そのような現在はSNSの領域に多くあるものを、Googleを用いて検索してヒットする数が少ないというのは当然の結果だと思う。
SNSに転がっている内容はSNSサービス内で検索されるのが自然だと思う。
詐欺紛いの怪しいサイトをクリックしてしまうのはURLや検索結果一覧の段階でそれを判別し回避する知識や勘が備わっていないからだと思う。
自身の能力の低さを棚上げしてGoogleに非を押し付けるのはよくないことだと思う。
機能の追加・削除・変更はより新しいものを作っていくうえでなくてはならないもので、その中から自分の都合にあったものを選り好みして、これは要らなかった、あれは欲しかった、と聞き分けのないゴンザレスのように文句を言うのは褒められる行為ではないと思う。
本当に必要な機能があり、それを要望する相応の理由があるのなら、自身の考えを言語化したり図に示したりして、多くの人に理解を得られるかたちでしかるべき場所に提出することがベストだと思う。
それを面倒なことだと感じるのであれば、しなければいいと思う。
私は長年Googleにお世話になっている。
Googleを利用して良い思いをたくさんしている。
○ご飯
朝:なし。昼:サラダ。肉団子。夜:キノコ、ナス、にんじん、ベーコンのスープ。たまごやき。冷奴。沢庵。納豆。ヨーグルト。バナナ。間食:なし。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、うーむ。
どば周回。
なんだけど途中で飽きてしまい、砂箱。
それとハーゼの弓を4凸。
こうやって平行で色々やるの効率悪いんだけど、やめられない。
というか学術・アート・女性支援みたいに自分のお気に入り認定してる領域なら
「使い道にいちいち文句言うな! いくらでもジャブジャブさせろ!!」って宣うんだから
単に性癖がちょこっと違うだけってことよ
GURPS (Generic Universal RolePlaying System)は、キャラクターのスキル、能力値、有利な特徴を自由にカスタマイズできる非常に柔軟なゲームシステムです。このシステムの面白い点は、不利な特徴や低い能力値を選択することでキャラクターポイント(CP)を追加で獲得し、それを使って他の領域での成長を図れることにあります。
御坊茶魔をGURPSで表現する場合、以下のようなキャラクタービルドを考えることができます:
1. **有利な特徴**:
- **財産**: 御坊家の莫大な財力を反映するために、非常に高いレベルで設定。
- **地位と社会的地位**: 御坊家の地位を反映して高いレベルで設定。
- **特異体質**: 金持ちになる体質や、亀に乗っての移動能力など、彼のユニークな特徴を表現する特技として設定。
- **呪文/超自然的能力**: 茶魔語などの独特な言葉遣いや、彼が展開する奇妙な行動やイベントを魔法や超能力として設定することも考えられます。
2. **不利な特徴**:
- **外見**: 人間離れした特殊な骨格や、一般的な美しさからはかけ離れた外見を反映。
- **社会的不利**: 一部の社会的状況や人間関係において、彼の風変わりな行動がマイナスに働く可能性を示す。
- **秘密**: 御坊家の秘密や、彼の身にまつわる秘密がキャラクターにとってのリスクとなる。
3. **スキル**:
- 御坊茶魔の多様な活動や趣味、興味を反映するために、社交、経済、あるいは特殊な技能(たとえば、特定のゲームやスポーツでの技能)を幅広く設定。
このビルドでは、御坊茶魔の豊かな生活背景、ユニークな能力、そして彼が直面する様々な課題や冒険をGURPSのルールを用いて具体化しています。不利な特徴を受け入れることで得られる追加のCPは、彼の他の特技や能力をさらに強化するために利用でき、非常に個性的で多面的なキャラクターを作成することが可能です。
「いっちょ噛みはしたいが、賤民の増田の領域にまで降りたくない」ってエリートインターネッツァーなんだろうか。
かー、いいなー、俺もエリートインターネッツァーの血筋に産まれたかったなぁ。生まれ持ってのインターネット賤民は辛いなぁー。
他でも最近よく聞くが新参先生のブルアカ配信でPV含め実装順にストーリーを読ませようとしてくる奴が非常に鬱陶しい。
Xのつぶやきによると「真に楽しむならこの順番で読むべき」と思い込んで勧めるなど口出ししてくるらしいんだけど、そこはストーリーが開いてる以上どう言う順番で読んでも本人の自由だろ。
なんでアビドス終わったばかりなのにそんな先のことまで決めさせるんだよ。
それとも実装した順で読まないと感動できないほど浅いのかブルアカは。お前は自分の好きなゲームをそんなふうに見てるのか。
これは「最終的に自分たちが望む反応の仕方」「新人先生の反応こそが栄養」と言うクソみたいな理由のためにやってるみたい。
配信バエガーとか言ってる奴もいるけど配信映えも関係ない。具体的に何が配信映えか言ってみろっての。お前は配信の何を知っているんだ。プロデューサーか?モデレーターか?
どういう順で進んでもニヤニヤしながら楽しく見守り、何かに失敗したら指差してpgrすればいい。その方が撮れ高もいい。初めてのアニバ期間みたいな状況の時のアドバイスはまだしも、それ以外は質問があったら答えりゃいいだけだろ?
PV先に見させて、一瞬しかないシーンを匂わせて、本編に一瞬だけ映るその要素に気づく人なんてどのくらいいるよ。最初に見させられてもすごそうくらいにしか思わないよ。
大体の人は誰かに教えてもらって見返してシーンが意味する事を知ったはず。ならそれでいいだろ?なぜ一瞬のシーンのために予習しなきゃいけないんだよ。その行為自体がネタバレ匂わせだと知れ。
本編で何かに気付いて「これ何?」って反応したら「このPV見てみようねえ」でいいだろうに。
全ての人に同じ反応をさせようとするな。
PVなんか後で鑑賞会でも開けば十分だろ。
あと人の配信で自分の領域展開もやめろ。空気読め。お前の長ったらしい解説もよくわからないネタも寒いしいらないから。どうせ他の人の配信でも同じネタ言ってるんだろ?知らないとでも思ったか?
そんで自分の思う反応をしないとすぐ見限るのも底が浅すぎて笑う。そりゃあ極上の餌にならないなら見限るよな。ほんと配信する人に何求めてんだよ。バカにしてんのか?
ウェブ上でオタクコミュニティに簡単に参加できる現代だが、そういった所に現れないタイプのオタクがいるようなのでその傾向(印象)をまとめてみた
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・話題作よりも、新旧問わず自分が関心を持ったコンテンツを楽しむ
・他者とコンテンツを共有する傾向が薄く、ファンコミュニティに属したがらない
・作品を独立したものと見ており、自身の参加性やインタラクティブ性を求めない。結果、ライブや握手会やスパチャなどに興味がない
・単一のジャンルに拘らず多方向に関心を持つが、それぞれのジャンルにおいて自分が好む領域を明確に持っている。興味の範囲が鋭利な星型を示す
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