はてなキーワード: 音階とは
先日、引っ越しのために物件を探している中で、マンションの規約に「当物件は楽器の持ち込み・演奏は禁止しております」とあるのを見た。
まぁよくあるやつだなと思っていたのだが、よくよく考えるとこれって可能なのだろうか?
もちろん、世間一般の常識の範囲でというのは理解しているが、規約の言葉をそのまま受け取ると仮定してちょっと考えてみる。
ドラムセットやグランドピアノ、アコギなどは容易に理解できそうだ。
DTMが一般的になったこの世の中、例えばピアノの音を出すことができるデバイスは無数にある。
どこまでが楽器と言えるのだろうか?
MIDIキーボードは見た目はピアノの見た目をしているが、それが問題なのだろうか?
音を鳴らしているのはパソコンの方でMIDIキーボード自体は音を鳴らす機能はないがそれを含めて楽器というのだろうか?
そうした場合、普通のキーボードでも擬似的に鍵盤として演奏することができるのでこれもだめなのか。
ルンバなんかもハックして音楽を再生することができてしまうのでだめ。
スピーカーがついている電子機器はほとんど楽器としても使えるのでだめになるのか。
もっと言えばモーターがあればPWM信号を制御して音階やリズムを鳴らすことができる。
さらに、電気自身をプラズマにして音楽を再生するなんて楽器も最近Youtube等でよく見る。テスラコイルのやつ。
なるほど、電気もだめだ。
打楽器という側面をみると、叩いたりして音が出るものもだめだろうな。
床や壁はどうか?
床や壁も叩いたり踏み鳴らしたりしてリズムを奏でることができる。
QueenのWe will rock youの冒頭リズムは床の踏み鳴らしと手拍子によって構成されているのはご存知のとおりだ。
どうしよう、家具も建物も存在できなくなって土地にテントでも張るしかなくなってしまった。
いや、テントもフレームに生地が貼ってあるという視点ではほぼドラムじゃないか。これもだめ。
人間はどうか?
さっきWe will rock youで手拍子してたな。
ヒューマンビートボックスなんかも問題になりそうだ。
当然歌も発声もできない。
そもそも空気が存在するから音が伝搬して問題なのでは、という気もする。
やっぱりこの規約は無理がありそうだ。
なるほど、教えてくれてありがとう
ということは音楽用語の「キー」の誕生の後にキー装置とか鍵盤楽器の発明を書いてしまっているけれど、その説によると逆ってことですね
アイドルマスターSideMは救済、よく聞く言葉だ。
実際私もFRAMEの楽曲に人生を救われたクチなのでとても分かる。
しかし、自らが想像もしていなかった曲に救われた、いや、もっとささやかな気づきだが、そんな出来事があったのでここに記そうと思う。
なお、読む方へ。私はこのような文章を書くのに慣れていないので、至らない、誤解を生じる表現があるかもしれない。衝動で書いている自分語りだ。はてな匿名ダイアリーを使うのも初めてだ、改行が分からない。後でヘルプを見て編集しよう。
よくある『SideM救済曲リスト』で見たことのない曲なのだ。びっくりだよ。
都築さんのストーリー、そして声優さんの歌の技量も相まってこう……とても美しくてエモーショナルな曲だと思う。大好きな曲だ(二回目)
でも救済曲か? 少なくとも私にはその印象はなかった。今朝までは。
音楽が人を救うのは、その内容が、聴く人間の状況によると思う。寄り添う、背中を押す、隣を歩く。音楽は様々な形で、人々のそばにいてくれる。
この曲に救われた経緯を説明するには、「救われた」私の状況も説明しなければならない。簡単にいこう。
大好きな友人と喧嘩をした。喧嘩と言えるかはわからないが、たぶんそうだろう。
詳細は省くが、私の軽率で感情的な発言が原因だろうと思っている。
心はふさぎ込んだ。食欲もなくなる、なにをするにも億劫になる。ただ仕事から帰ってすぐ眠りについた。
頭の中にめぐる色々な種類ものを言語化することはできなかった。後悔、怒り、悲しみ、そんな単語だけで表現するにはあまりにも複雑だと、私は思った。
朝が来る。のろのろと支度をして通勤電車に乗る。
車窓越しに差す朝日を薄眼で眺めながら、惰性でランダムで流す数百曲のプレイリストの中から『Sanctuary World』が再生される。
そのメロディを聴きながらふと思ったのだ。
私の心は音楽のようだ、と。
自らが聴こえる楽曲を、聴いていない相手に口頭で描写できるだろうか。私はできない。
(曲のジャンルにもよるが)複数の楽器が各々音色と音階を、リズムを伴って、重なっている。
心も同じなのではないだろうか。思考と感情は様々な様相で同時並行で走り、そして形作られたものが私なのだ、そう思った。
この感覚を、読んでいるあなたに十全に伝えることができないのがもどかしい。
注釈として、私は若干の共感覚を持っているのだろうか、音楽にはほんのり色と形が見える人間だ。
また、私は音楽に対する感受性が強い。普通にコンサートで号泣するタイプだ。
何にせよ、私が『Sanctuary World』を通して救われた、というか、少し心が軽くなった、そんな話だ。
もしかしたら他の曲を聴いているときに、このことを思ったのかもしれない。
しかし、『Sanctuary World』の歌詞はこんな言葉で締めくくられているのだ。
旧作ではこんな忙しいキャラぜったいむりむーりのかたつむりっ!
って嘆いてたんだけど、ダッシュボタンの追加で方向キーにかなり余裕ができました!ギリギリ使える!
下段はJS着地2Kで簡単にできるし、中段択はダッシュボタンとSを交互に押すだけでできる詐欺くさーい動き。それにJDがずらしになって打撃崩しが難しそうな今作ではかなりお手軽に攻められて○。ダッシュ着地投げの択まであるから怖い。おじさんは散らせないけど。
遠Sは先端まるごと食らい判定がないし2HSと合わせて置き技としてはありがたい性能。
ケミカルも遠距離まで届く判定でラムより遠距離で遠Sを狩ったり一見超性能。
ホバーダッシュは距離管理が難しいけど遠距離の手札があるのがうれしい。
これで2Sが下段だったらすごすぎたと思う。
要所要所で使う6HSはダメージが高くてギリギリ対空にもなったりで適当に振って適当に当たってるとダメージレースが偏るのがうれしい。
RCコンボは投げRCと共用で壁近くで割れて簡単なものがあるので。これ一本で低階層はダメージ持てる。
使ってて何の技も振れないなーって状態にはならなくて固まるストレスはあんまりない。
ホバー高度が足りないので発生前に着地する。すかし投げに使えそうだけど飛び込みには意識してダッシュを長くしないといけない。これがあせるとだんだん雑になりもうJS一本でいいか!とあきらめてしまう。
3HIT後に追加入力でホップして追撃、がコンボパーツだけどこれがまったく安定しない。
追加入力も入力後の追撃も猶予があんまりなくてボタン連打おじさんには早い動きでなにが悪いがわからない。
狂言は封印しました。が、JD当てるとと使わないとヒット後がよくない…。
高ダメージコンボは6HSディレイケミカルが絡んで高度(タイミング)調整が難しい。目押し。
そこからダッシュJHS拾いが先述したとおり最速はダメだからこれもディレイ。
RCコンボはかなり妥協したケミカル3発の形になってる。それでも中央より近くで壁割れるのがイノとケミカルの高性能なんだけど。
(基本の動きすらたぶん上級者になると大木のよろけの回復ぐあいも見ないといけなさそう)
いや強いんだけど。弱点が明確すぎる。
しゃがみにすかるのもしょうがない。
でもダッシュに当たらないのはずるいだろ!
接近を止めたいから打つのにダッシュでくぐられるパターンが頻発してつらい。立ちに当たるのにダッシュ姿勢でくぐられると見た目がかなり胡散臭い!
あと縦ケミカルください。(旧作はJDから縦ケミできなかったっけ?)
上下に打ち分けられるけど使われても使ってもプレッシャーがない…。
2Dからがセットプレイだけど近距離だから当ててもリターン少ないしただの固めパーツ。
遠距離でもケミカルの弱点の上下をどっちかカバーするって目的で打つからこれ自体が強いという印象ができにくい。
硬直の長さにメリットが見合ってない気がする。
コンボ締めで当ててもよろけで終わる。
かなり印象的なモーションで投げ返し対象。
低階層では反撃がもらいにくいものの打つのに毎回勇気が必要な性能をしてる。ように感じる。
ダウンしないのは荒らしプレイのイノにはメリットな気がするけど落ち着く暇がない。
HS版は発生までのあの長さで有利もらえないのはイルカさんがうらやましくなるよー。
でも打たないといけないし打つとなんとかなったりしてイメージと実戦が違いすぎて気持ち悪いヨ!
遠距離からダッシュで近づくと高い高度からHS飛び込みになるけどまあ6P安定。
ちょうどいい距離から飛び込まないといけないからダッシュキャンセルとかで上手く間合い管理しないといけない。できない。
HS大木の手もあるけどやっぱりラムの遠S、6Pに近づくのはつらいなーってなる。
上に吹っ飛ぶけどちょうどいいレシピがわらかない。
ケミカル単発で締めてる。
6HS自体、コンボには1段目キャンセルがあったりと使いこなすのは難しい。
短い。これを長くしてくれは対人ゲー特有のワガママなので言わない。
これで6Fは振りたくない…と思ってたけど英語Wikiでは5F。日本語6F。ver1.18で5Fに短縮されたけど日本語版はいろいろぜーんぜん更新されてないの。
いろいろ難しい部分があるけど、ダッシュして攻撃すれば中段になるってだけで(ダッシュボタンを使えば)防御を崩せない初心者向けな気がしないこともないこともない!目押し・ディレイは確実に上級者向けだけど!
プレイ人口も少なめで対人ではわからん殺ししてるなぁと実感できてよき。
コンボも崩しも伸び代があるからやりこみ要素もあるんじゃあないかなぁ。
性能は高いと思いました。
憧れのシンガーがいるとか、誰かの影響とかではないんだけれど、
歌を聴いていると流れてくるギターの音ってどうやって出しているんだろうって気になったので、調べていたらそのまま始めてた。
買ったのはアコースティックギター
まだまだ、数カ月で簡単な曲を弾けて、ようやくスムーズにFコードにコードチェンジできるようになった。
自分の悪いところを把握して、練習して、解決して、そうすると弾けなかったところが弾けるようになる。どんなものもそうだけれど、このサイクルが回り始めると楽しいね。
カラオケで歌を歌っているときにテンションが上がってきて楽しくなるけど、それに似たようなのが毎日あるみたいな感じ。
ついでに16分音符とは何かとか、音階とは何か、など気になったベースとなる知識を調べていっている。
難しいが、ベースとなる体系立てられた理論をしっていれば自分は何のためにこれを練習しているのかがわかるのでいい。
義務教育の音楽の授業でも同じようにやってくれればよかったのに。学校では教師に言われたことをそのままやって、違うかOKいわれるだけで何のためにやっているのか分からなかった。
もっと若い時に知り合っていればもっと楽しい青春を送れたかもしれないと思いつつ、物事を解決する能力が確立したオッサン期でなければ自分は途中で投げ出していたんだろうなとも思う。
まあとにかく楽しいです。
この前まで、競技性が高い、移動や建築が忙しいFPSをキーマウでずっとやっていたので、左手の指の器用さが鍛えられていたらしい。
そのおかげか、左の指がそれぞれ独立して動いてくれる。
んでメロディをしっかり聞かせようと思ったらハイトーンに振ったボーカルよりも、
中域メインのボーカルのほうが、低音も高音も使えるから広い範囲の音階を自由に使えて向いてるんだよ
日本にもハイトーンが出せる男性ボーカルはそれなりに居るんだけど、音階を広くとるためにあくまで中域メインでいくわけ
時雨のはやかましいサウンドの中でボーカルを立たせる手法で、メタルとかのやり方が突然変異したパターンやね
あとオルタナの文脈でエモーショナルさを表現するためにクリープハイプみたいなのもいる
KingGnuの井口とか平井堅みたいな吐息多めのミックスボイスボーカルも結構多い
現在のAI画像生成はほぼ画像検索といっていい、プロンプトは検索ワード並べてるのと変わらない。個人的にはエロ動画探すときの検索が一番似てると思った。
界隈でプロンプトエンジニアとか言い出した際には本当にセンスがなくて失望した。
適当なワードで画像検索してすばらしい景色の写真を見つけられて俺ってスゴイと思うだろうか。
キーワードによる画像生成の問題はコントロールがおおざっぱすぎることと、学習モデルが変更されたときに結果があっさり大幅に変わることである。
ユーザーが思ったところに思ったように描画してもらうにはもっと工夫が必要で、なぜかAI界隈はそういうのに無頓着でAI自動塗りなんてのもすごい大雑把な機能で「未来を予感」させながら実際は使い物にならんなこれと放置されている。
ツールを機能させるにはユーザーの意思を反映させる必要がある。
なんでもいいユーザーならキーワード指定だけで十分で今でもそれを楽しめるが、もっと厳密なゴールを設定した対象に使うと途端に精度が低すぎてお話にならなくなる。
「ガンダム」で画像を作ってみてほしい。おおすげえガンダムっぽいじゃないかと思うかもしれない。じゃあそれをガンダムファンに僕ガンダム描きましたってみせたらどうだろうか。ああ面倒な奴来ちゃったという顔をするのではないか?ファンアートは元作品の再現しないといけない部分がシビアなのだ。
AIの本質は多様で小さい判断を大量に必要とする業務を自動化すること。
従来、多量の作業の自動化はコンピューターの得意分野であったが「幅広く判断する」ことは小さな判断であっても難しく専門家でなくとも多少訓練した人間を大勢使って処理していた。
なので税務で税理士先生が指導しながらも実務は専門学校の生徒のバイトがやるみたいな業務に向く。
AI画像生成もあるスペースを作画カロリーの高い図像で埋める効率はとても高く素晴らしい。
しかし大きい判断は人間がせざるを得ない。そしてその判断をAIに伝える必要がある。
その指示をどう出せばいいか。基本は対象を指定してどう変化させるか指示する。
つまり範囲を指定して、パラメーターを指示・変更するということになる。また指示と結果にはある程度再現性を持つべきだ。
この範囲は現在キーワードによる意味空間だったりベース画像の提示だったりする。今のところパラメーターはAIの内部的なものでしかない。
ここに抽象モデルを設計してやる必要性がある。これは言語の発明とか音階の発見のようなジャンプがあり非常にクリエイティブな仕事だ。
今画像生成AIで3Dモデルを使ってるものは出力が非常に安定している。3Dモデルは物理立体の抽象モデルだ。
イラストであるなら構図とか筆致といった高度な抽象概念から、いまペイントツールにあるドットでの領域指定もモデル化できるだろう。
モデルを使うことでAIの生成結果の合目的精度を上げ、管理可能にすることで人間がコントロールできる機能になる。
じゃあガンダムのイラストを生成できるAIにはどんなモデルが要るのだろう。
ファーストやSEED、ユニコーンと作品ごとに世界観モデルがあったほうがいい?キャラクターは設定に沿う必要があるしモビルスーツにはやはり3Dモデルが必要か。ん?これ、権利的にアレじゃない…?
端的にはクラウドソーシングで粗製乱造されたアフィリエイトブログと同じだ。
ネットから抽出した関心リストに沿ってググっていくつか言及ページをピックアップしコピペしないように注意して記事を書き使用権フリー素材集の写真を添える。誰かが自分の専門性と取材と実務から得た情報を取りまとめた記事と内容が同じでも著作権的な問題はない。
書くことが決まっていてそれを多様で小さな判断をして他者の著作権を侵害しないようにコピーを生成するのがその仕事で、この度はAIを使えば一記事1000円なんてクラウドソーシングにすら発注する必要もなくなったということだ。
長期間かけて身に着けた専門性とか取材の手間暇、実験して確認する手間や費用。そんな記事も公表した時点で著作権ロンダリングでパブリックドメインになる。いまテックライターがアップルの提灯記事書く以外に収入がないのはそういう結果なのでは?
頑張って書いてもすぐ人力AIコピーされてこれは私の著作物といわれるのではそのものへのインセンティブが失われてその界隈にニンゲンは誰もいなくなるんじゃないのかな。
そういうことの是正に著作権って設定されてたと思うので法律家がドヤ顔で問題ありませんっていうのはAI並みかなと思いますね。
とりあえず文章も画像やイラストも自動生成できるようになったので、ツイッターの関心キーワードから記事がリアルタイム自動生成されてネットはいかがでしたかどころでなくなるんじゃない。
歌がうまいねとよく言われる
ガールズバーやキャバクラでのキャストをしてた時、なんか歌ってと言われて披露すると店中から拍手やら称賛やらチップを貰った、歌がうまいから指名するわと通ってくれる客もいた、紅蓮華と赤いスイートピー
昼の仕事でふざけて社長と取引先の接待について行き、カラオケで盛り上げろと言われ歌ったら紹介料200万値引きしてくれた、丸の内サディスティック、天城越え
サークルや合コンの二次会で歌声聞いて好きになったと告られたことが3度ほどある、みんな少し経つと思ってたのと違うと言って私のことを振るけど、GOGOマニアック、残酷な天使のテーゼ
でもね、私は音痴なんだよ
音階が分からない、特定の音が高いのか低いのかも分からない、ハモれないしキーを変更したら歌えない、楽器もからきし、リズム感が無いからラップとダンスは避けてる
そもそもあんまり音楽を聞かない、最近ビートルズを認識したくらい、洋楽はわからん
イヤホンとか持ってないから移動中とかも聞かない、1人で家にいる時も別に何も
母はめちゃくちゃ歌が上手い、惚れ惚れするほど上手い、そして私を指差して家族で一番下手だと嘆く、実際問題弟らは楽器もできるし歌も上手い
単純に母から褒めて欲しくて必死で訳もわからん状態から耳で聞いた音を喉で再現することに行き着いた
5種類くらい声を使い分けることも出来る、というか聞いた歌をそのまま再現するのでボカロはボカロみたいな歌い方になるし癖さえも再現してしまう状態でモノマネに近い
上手そうな声質を真似てるだけなので採点バトルは死ぬ
だから本当に歌の上手な人がその場にいた時、小手先の絡繰が一瞬でバレる、なんだこいつって顔される
でも大体の人は騙されて上手だねと感心してくれる、上記のことを説明するのは面倒なので曖昧に笑って感謝を述べ母が上手くて…と話題を変える
その後ろで本当に歌の上手な人の冷めた目が怖い、申し訳なく思うし早くあなたが歌って私が本質的に上手いわけではないことを叩きつけて欲しいと思う
歌は好きじゃない、褒められるのが好きなだけ、音楽は分からない、ヴィヴァルディの春は繰り返しが多くてしんどいなって思う
好きじゃないからお金をかけてボイトレとかに通うメリットも見出せない、なんとなく適当にうわべだけ取り繕ってチップ貰えたら御の字
だから多分元カレはバンドマンとかDJばかりなんだと思う、私には全然わからないものに熱量を注ぐ彼らを羨ましく思いつつ、音楽と同じ熱量で愛されたかったから
いわゆる貴族とかには数学のような法則性があって揺らがないもの=神聖なもの、
という価値観もあっただろうし、
ガチガチに論理的な曲ほど神聖で良いもの、という価値観もあったはず
現代の歌謡曲、ポップスの作曲はモータウンだったり、様々な音楽の影響を受けたごちゃまぜになっていて、
色々なジャンルのいいとこ取りみたいになってるけど、
今の時代だと、結果的には勝ちパターン集みたいになっちゃうよね
まあ、仕事としては売れる曲を作るのが命題だったりするので、そういう考えでも正しいわけだけど
究極に創造的なことをやるなら、既存の音楽理論を破壊して、コードとか音階みたいな概念を捨てて、
音楽だって音なんだから周波数だ、みたいに考えて、スペクトログラムに絵を描いたり、ピアノロールにドット絵描いたり、
一般人にはノイズとか雑音にしか思えないものを論理的に生成したり、
演奏不可能の作品(えんそうふかのうのさくひん)とは、さまざまな理由により演奏が不可能、あるいは困難な音楽作品のことである。
クラシック音楽の世界では、演奏が不可能(または困難)な作品が多数存在する。演奏不可能な作品の中にも、仮に演奏されたとすれば傑作と評価され得るだけの芸術性を備えた作品は多く、これらは安易に無視できない存在となっている。巨大編成の作品や演奏時間の長い曲とも密接に関係があり、イギリスのソラブジの作品はその3要素が完全に組み合わさり、初演できないものも多数ある。
現代のポピュラー音楽の場合には、作曲家、作詞家、編曲家といった独立した職能も存在するものの、作品は演奏との一体性が強く、コンサート、ライブでの生演奏や、演奏を収録した媒体(CD等)という形で公表される点で、クラシック音楽とは様相が大きく異なる。このため、ポピュラー音楽においては、作品を聞くことができるという意味で、ほぼ全ての作品が演奏可能であるといえる。その一方で、媒体への収録(すなわちレコーディング)に際しては多重録音をはじめとする種々の編集が行われるとともにに、演奏においてはシーケンサー等の自動演奏が積極的に利用されるので、純粋に人のみによって演奏することが不可能あるいは困難である作品も多い。このような作品をコンサートやライブにおいて生演奏する際には、自動演奏やテープなどを用いてレコーディングされた作品を再現するか、生演奏が可能なようにアレンジを変えることがよく行われる。また、一時期のXTCのように、高度なスタジオワークを行うミュージシャンの中にはライブを行わない者もいる。
歴史は長く、J.S.バッハの諸作品、モーツァルトのオペラフィガロの結婚や魔笛、ベートーヴェンのピアノソナタ第21番、第29番、ピアノ協奏曲第1番や交響曲第7番・第9番などが古典的な例とされる。
ロマン派では、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の第19番のアリアは良く省略され、シューベルトの魔王や交響曲第9番「ザ・グレート」、パガニーニのヴァイオリン曲、ロベルト・シューマンの交響的練習曲の第2変奏曲や2点へ以上の音域がある4本のホルンとオーケルトラの為の協奏曲作品86、リストの一連のピアノ曲、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に演奏不可能と宣告されたブルックナーの交響曲第2番、ブラームスのピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲またピアノソナタ第3番の冒頭部、チャイコフスキーの諸作品、マーラーの交響曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番等があったが、それらは現在では演奏技術の発達により演奏不可能と見なされることはなくなった。しかし、プッチーニの「ラ・ボエーム」第一幕のエンディンクは、未だに半音下げて歌われることが多い。
近代ではストラヴィンスキーの春の祭典、シェーンベルクのピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲、モーゼとアロンがあるが、「春の祭典」と「モーゼとアロン」は演奏技術の発達により現在では演奏会での一般的な曲目になっている。意図的に作曲された例としてアイヴズの歌曲「義務」があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオで演奏するか、アシスタントを設けるかで解決されている。彼のピアノソナタ第2番等も同様であるが、本人は「間違った記譜もすべて正しい記譜である」と友人に説明している。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の第3楽章にも2度の音階的な走句があるが、「困難だ」と結論付けて全てアルペジオで演奏する者もいる。ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番第三楽章の冒頭のパッセージは身長が170cmないと物理的に不可能であり、体格の小さなピアニストやテクニックに不自由したピアニストは左手の音をずらして演奏することが慣例化している。
演奏不可能の作品という概念は現代では新しい複雑性と深く関係している。ファーニホウの諸作品は非常に高度な演奏技術を要するが、彼の音楽に要される困難は主に読譜に集中するため決して不可能な音楽ではないとされる。しかし逆説的に言えば、演奏不可能の概念は、今日例えばパソコンのシーケンサーなどに自分で四分音符をメトロノームに合わせてキーボードで打ち込んでも決して4分音符や強弱が正しく出てこないという経験から、人間が演奏する限りにおいて全ての音楽に当てはまるという事も言える。その外シュトックハウゼンの「7つの日々からNr.26(1968)」の「金の塵」が奏者に演奏の前に4日間の断食を強要していると言う点で事実上の演奏不可能の作品である。
今日最も演奏の難しい現代音楽は、クセナキスの諸作品と言われている。第1曲目のピアノ協奏曲にあたる「シナファイ」、チェロ独奏の為の「ノモス・アルファ」、ピアノ独奏曲の「エヴリアリ」、「ヘルマ」、「ミスツ」、ピアノ独奏が重要な働きを担う「エオンタ」及び「パリンプセスト」等がその例である。クセナキス自身はテレビのインタビューで、これらは演奏困難にさせることを目的として作曲された作品であると語っている。
しかしこれらの作品群も、近年の若手演奏家の技術向上やCDリリースを参照する限り、徐々に不可能とは見なされなくなる日が近づいているのは確かであるが、逆にどんな簡単な作品も人間が演奏する限り100%の完全なる再現は厳密には不可能である。
前述の通りポピュラー音楽はクラシック音楽とは事情を異にする。とは言え、カバー曲やカラオケなど、オリジナル以外の奏者による演奏がまったくないわけではない。
特筆される例としてはサザンオールスターズの「Computer Children」(作詞・作曲 桑田佳祐。アルバムKAMAKURA収録)が挙げられる。この曲は、マスター収録の後にエフェクトなどのデジタル編集を行い、その編集後の曲がオリジナルとされている。したがって、ライブ演奏は事実上不可能となっている。ソフトウェア用マスター作成においてデジタル編集を行うポピュラー音楽は近年珍しくはないが、この曲ほど大胆に使用している例は(リミックスを除けば)、稀有である。
作曲家が演奏困難な作品を書くことによって、演奏技術が向上し、それがさらに作曲技法を拡大させるいう面がある。以下の曲の多くのものは今日では演奏やレコーディングの機会も多いが、作曲当時は「演奏困難」ないし「演奏不可能」とされたものである。参考までに掲げる。
指定された速度で演奏するのはほぼ不可能であり、通常は指定よりもやや遅くして演奏される。また、曲が独奏曲にしては長大であるため、高度の精神力が要求されるという点においても彼のソナタの中では最も演奏困難である。演奏技術の発達した現在では、ロマン派以降のピアノ音楽の大家の作品群と比べれば特別難しい曲ではなくなっているが、それでもなお演奏は困難を極める。また、リストがベートーヴェンの交響曲をピアノの為に編曲したものが存在するが、それらと比べれば、このピアノソナタは比較的易しい。
超一流のヴァイオリン奏者、パガニーニが作曲したヴァイオリンの難曲として知られ、作曲当時はパガニーニ自身以外には演奏が不可能であった。しかし、この作品の持つ魅力は多くの音楽家の心を捉え、さまざまな作曲家によって主題が引用されている。この曲の存在によって、作曲技巧や演奏技巧が大きく開拓された面は否めない。現在でも超絶技巧の難曲として知られるが、一流の演奏家の中には完璧に弾きこなしている人もかなり多い。
タイトルからもわかるように、超絶技巧を要することが目的となったピアノのための練習曲である。ピアノのパガニーニを目指したリストの代表曲である。一般の演奏家にも演奏できるように難易度を少し落とした第3版が現在では普及しているが、リストが超絶技巧の極致を目指して作曲した第2版は特に演奏困難とされ、リスト以外には演奏不可能と言われた。現在ではジャニス・ウェッバーとレスリー・ハワードが録音を残している。
演奏不可能とのレッテルを貼られ、当時の第一線のヴァイオリン奏者に初演を断られた作品。しかし現在では、早熟なヴァイオリン奏者が10代で弾きこなしてしまうことも珍しくない。
は第一楽章がオクターヴの速い動きで事実上の演奏不可能の作品である。解決譜としてのOssiaで多くのチェロ奏者が弾いている。
パウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱で書かれたが、彼は「一音も理解できない」として取り上げなかったため、作曲家の生前には一度も演奏されることは無かった。ただし実際には、様式上・技巧上ともに特に大きな困難があるわけではなく、演奏は十分可能である。菅原明朗は「この曲こそプロコフィエフの最高傑作だ」と称え、ピアノと吹奏楽の為に編曲したヴァージョンを残している。
十二音技法によって作曲されている。ただし、急-緩-急の3楽章から成り、両端楽章の終わり近くにカデンツァがあるなど、伝統的な協奏曲の構成に従ってはいる。作曲者はヤッシャ・ハイフェッツに初演を依頼したが、ハイフェッツはこの曲を演奏するか否か散々考えた末、結局「研究しただけ無駄だった」として辞めてしまった。結局初演はルイス・クラスナー独奏、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により行われた。作曲者自身は生演奏を聴いていないとされる。
1990年代初めドナウエッシンゲン現代音楽祭がカールスルーエの作曲家フォルカー・ハインに管弦楽の曲を委嘱したが、度重なるリハーサルにもかかわらず演奏困難ということでその年の公開演奏が中止になった。次の年もう一度だけ初演が試みられたが結局不可能で、またしても初演を断念させられた。その楽譜は当時の展示即売会で一般公開され、色々な同僚作曲家の意見が聞かれた。現在に至るまで演奏されていない。ブライトコップフ社によって出版されている。
チャンスオペレーションを厳格かつ極度に徹底したヴァイオリンソロのための作品集で、「作曲するのも演奏するのもほぼ不可能に近い」音楽になることを前提に作曲された。しかし、第18曲目の演奏困難度をめぐって1-16曲目までの初演者ポール・ズーコフスキーと意見が対立し、作曲が中断された。その13年後にアーヴィン・アルディッティの助力で作曲が再開されて、無事32曲の完成に至った。現在この作品の全曲演奏が出来るヴァイオリニストはヤノシュ・ネギーシーとアルディッティの二人しかいない事から考えて、最も演奏不可能に近いヴァイオリン曲といえる。
ピアノは弾ける・楽譜は読めるけど、耳コピできない・やったことない・やってみたい・できるようになりたい、と思ってる人のために簡単な手ほどきを書く!
有名な米津玄師「Lemon」のコード譜(伴奏するのに最低限必要な情報だけのメモ)を、ボクと一緒に作ってみよう!
https://www.youtube.com/watch?v=SX_ViT4Ra7k
「♪ゆめな~」
この時最初に注目すべきなのは、「一番低い音」。左手が弾いているかなり低い「ソ#」の音だ。
このソ#が聴き取れたらコードは半分わかったようなものだ。一番低い音はたいていの場合、コードのルートだからだ(もちろん例外はある)。
ルートとは、その和音のスタート地点のことだ。根音(こんおん)とも言う。どの和音にもスタート地点があり、この「根」に枝葉が生えて多彩な和音になる。
コードの名前は必ずこのルート音を最初に書き、その後ろにバリエーションを書くことになっている。「根っこ+枝葉」だ。
たとえばCm7(シーマイナーセブン)だったら、Cがルートで、mと7がバリエーションだ。
つまり、レモンの一番最初のコードは、ルートはわかったけどバリエーションが不明なので、とりあえず「G#ナントカ」である。
さっそく俺たちのコード譜に鉛筆を走らせる情報が出てきたぜ? 早いだろう?
(ちなみにこのルートの音、低音で鳴っていると和音が安定するという特性を持っている。だから一番最初に低音を聴くわけよ。)
今のところ判明しているのはまだルート単音だけなので、次に枝葉を生やして和音にしていこう。
まず確実なのは、「5度」だ。完全5度という言葉を知っている人もいるかもしれない。
ドから始まるドレミファソラシドの音階で5番め、スタート地点から距離にして半音7個分上の音だ。ド+ソ、レ+ラ、ミ+シ(いずれもナチュラル)などが5度の和音だ。
大半のコードはこの5度の音を含んでいて、枝葉というよりはもはや「幹」に近い存在なので、ルートがわかれば5度も半自動的に決まる。
今われわれが注目しているG#ナントカの場合、ルートのソ#に対して5度の音はレ#だ。
ためしに、「♪ゆめな~」に合わせて、左手で低めのソ#を弾きながら、右手では鍵盤真ん中あたりのソ#とレ#の和音を弾いてみよう(ソ#とレ#どっちが上でも構わない)。
違和感はないけど、物足りなさを感じたかもしれない。ルートと5度だけじゃ何かが足りないのだ。
ルートと5度は半ば自動的にわかった。これにもうひとつ「3度」の音が加わると、三和音(またの名をトライアド)というコードの基本形が完成する。
さあここからがコード探しの入り口だ。なぜなら、3度はそれほど自動的には決まらないからだ。原音と楽器の音を比べながらの判断が必要になる。耳コピらしくなってきたぞ。
3度にはふたつある。長3度(ちょうさんど)と短3度(たんさんど)だ。
長3度はルートから距離にして半音4つ上、短3度はルートから距離にして半音3つ上を言う。
たとえば、ドから見ると、ナチュラルのミが長3度、ミ♭が短3度。
たとえば、ラから見ると、ナチュラルのドが短3度、ド#が長3度。
長3度を含んでいれば、そのコードは「メジャー」だ。ド+ミ+ソの和音ならCがルートのCメジャー。ただし、いちいちメジャーとは言わず「C」とだけ書く。明るい響きの和音だ。
短3度を含んでいれば、そのコードは「マイナー」で、ド+ミ♭+ソの和音なら「Cm」と書き、シーマイナーと読む。暗く哀しい響きの和音だ。
このように、生えてきた枝葉がコードの性格を決定していく。枝葉や前後関係に工夫をすると、メジャーほど明るい笑顔ではなくほほえみのようなコードとか、物悲しさの中に芯の強さを秘めたようなコードを作り出すことができる。
さて、では、今注目しているレモンの最初の「G#ナントカ」はメジャーなのかマイナーなのか?
曲に合わせてG#(メジャー)の和音、もしくはG#mの和音のどちらかを弾いてみればいい。しっくり来たほうが正解だ。
さっきのように左手で低い方のソ#を弾きながら、右手は真ん中へんで和音を弾く。
G#(メジャー)はソ#+ド+レ#。
G#mはソ#+シ+レ#。
「♪ゆめな~」
どっちがしっくり来た?
G#(メジャー)は「気持ち悪い!」っていう感じで、G#mのほうは「正解!」っていう感じだったでしょ?
つまり、米津玄師レモンの最初のコードは「G#m」で決まりだ。
このように、弾きながら「ドンピシャで合ってる!」とか「合ってる感じはするけど物足りない」とか「気持ち悪い」といった印象を聴き取ってコードを特定していくのが耳コピという営みだ。
さて次回は、トライアドの続きをやりつつ、3音じゃ表現できない和音も説明しながら、レモンのAメロくらいまで耳コピを進めていくぞ。