「静寂」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 静寂とは

2010-02-27

テレビを捨てることを強く勧めます

ttp://spherecom.blog75.fc2.com/blog-entry-115.html

エントリで筆者が皆様に申し上げたい、最も重要なことはただひとつ。それを捨てないまでも、せめて とりあえず、どうか一度でいいので、その『テレビ』というメディアから、一旦しばらく距離を置いてみていただきたい ということです。

 期間は短くても構いません。せいぜい一ヶ月も離れれば、長らく麻痺させられていたまともな感覚が戻ってくるでしょう。人により、あるいは一週間程度でそれは足りるかもしれません。あなた個人が実際には何に興味を持ち、自身が真に必要としている情報が何であるか、静寂の中で立ち止まり考えてみることは、あなた自身にとって必ず有益です。

 そうしてしばらく距離を置けば、日々絶え間なくノイズのような情報を浴びせることで、人々の冷静な判断力を常に麻痺させ続けるこの『テレビ』という装置の異常さ、その気味の悪さをあなたも感じるでしょう。それは正常な感覚です。

 全放送局が足並みを揃えて、ものすごく大切な、――時に大衆自身の生死にさえ関わるようなトピックを全力でスルーする一方で、たわいないトピックばかりを恣意的に繰り返し報道している現在日本テレビ放送は、客観的な立場から冷静にみれば、朝鮮中央放送と大差ないほどに不気味で異常なものです。これは誇張でも何でもありません。

2009-12-13

メデュサ。

政治に必要な物は何か?

それは「マニフェスト」と「拡声器」である。

「(静寂の)マイクロフォンフェティシズム」とでも言うべき現在Web周辺の状況は

新たなる政治的局面を準備するのか?

かつての全共闘時代の影がちらつくが、

ボイコットするのは子供達では無く寧ろセンセイの方。(ワタシの記事もオッサン受けばかりが良さそうだし・汗)

子供達は静寂を守っている。不安を募らせながら、一夜一夜を明かすだけだ。

彼らはハッキリ言って右翼にも左翼にも信頼を寄せてはいない。

ネット右翼」という原義からすれば、そんな者は遥かに少数派。

ならば何だというのだろう。

                    〜T/H

2009-11-16

徒にスクロールバーを長くさせるだけの迷惑極まりない掌編

ぱがん、と、乾いた音が耳を突いた。まどろみに埋もれていたわたしの意識が、急速に引き上げられていく。気だるげに開いた眼は、薄暗く静寂に沈んだログハウス天井を視界に捉えていた。

ぱがん、と、乾いた音が再び聞こえてくる。のっそりと上体を起こしたわたしは二段ベッドの上から室内を見渡し、まだサークル仲間の誰も彼もが目を閉じたまま微動だにしない様子を確認すると、がりがりと寝癖のついた頭を掻いてしまった。

もう一度眠ろうかと考えた。予定では、今日は引率している野獣の如き子ども達を宥めてオリエンテーリングに向かわせなければならなかった。下手に寝不足のまま参加してしまえば足手まといになってしまうだろうし、やつれて無駄に疲れてしまうことが目に見えて明らかだった。

やっぱり眠ろう。決めて身体を横たえて瞳を閉じる。小さく、仲間達の呼吸が小さく聞こえてきていた。意識はじゅんぐりと眠りの海に沈み始める。布団を引き寄せて、身体を小さく抱え込んだ。温もりが再度まどろみに沈んだ身体にとても心地いい。

ぱがん、と、三度あの音が鼓膜を振動させた。瞬間、わたしの瞼は何者かに支配されたかのように勢いよく見開かれる。まだ浅いところで引き上げられてしまったせいで、とうとう完璧に目が冴えてしまった。こんな朝っぱらからうるさいなあと少し腹が立ったわたしは、仲間達を起こさないよう静かにベッドから降りると、懐中電灯を持ってひとりログハウスの外へと足を向けてみることにした。

「……すごい」

扉を閉めると同時に、立ち込めていた噎せ返るような濃霧に、思わず呟いてしまっていた。少し息が苦しいような気がする。まるで水底に立っているかのようだと思った。山間だというのに立ち並んでいる木々の姿さえも確認できない。濃密な霧の姿に、わたしは途方もなく圧倒されてしまった。

霧はまだ陽も昇っていない早朝の薄闇の中、心なしか青白く色付いているように見えた。纏わりつく気配の中手を動かすと、水流が生まれるかのように顆粒が小さな渦を巻く。懐中電灯がなければとてもじゃないけれど踏み出せそうにはなかった。霧のせいで迷子になってしまう恐れがあったのだ。ともすれば壁だと錯覚してしまいそうなほどの密度を持った濃霧は、その奥底に圧倒的な幽玄を潜ませながら、音もなくキャンプ場を覆い尽くしていた。

そう。本当にあたりには何も物音がしなかった。鳥の鳴き声も、梢の囁きも、虫の音までも、一切が外気を震わせていなかった。空間を満たしているのは、どこまでも深い霧ばかりだ。昨日来たときには煩わしいほどに感じられた生き物の気配は、どれだけ耳を研ぎ澄ませてみても拾い上げることができなかった。

先ほどの言葉でさえも、口にした途端に濃霧に絡め取られてしまったのだ。生き物達の振動も、片っ端から霧に呑まれて分解されているのかもしれないと考えた。

ぱがん。辺りにまたあの音が谺した。随分近くで。あるいはとても遠い場所から。あの音だけは、やけに周囲に響き渡っている。まるで、霧があえて分かりやすくしているかのように。わたしは音がした方向に向けて懐中電灯の心細い光を放つ。

「誰かいるんですか?」

返事の代わりなのか、しばらくしてから再びぱがん、と音がした。導かれるようにして、わたしは濃霧の中に一歩足を踏み出す。一定の間隔で聞こえてくる音だけを頼りに、見通しの悪い、すでにどこにログハウスがあるかも分からなくなってしまった霧の中を進んでいく。

唐突に、光の円の中にひとりの老人が浮かび上がった。

思わず息を呑んで立ち尽くしたわたしの目の前で、どこか古めかしい翁のような雰囲気を纏った老人が手にした斧を大きく振り被る。耳に張り付いてしまったあの音を響かせながら、刃が突き刺さった丸太はぱっくりと左右に割れて落ちた。

「お早いのう」

こちらに振り返ることもしないで黙々と薪を割っていく作業を続けながら、老人が言った。

「音が聞こえましたから」

「ああ、そうじゃったか。……もしかして起こしてしもうたかな?」

言いながら老人は斧を振り被る。ぱがん。薪が割れる。

態度に少し気分を害したわたしは不機嫌を装って返事をした。

「まあね。うるさかったから」

「そうじゃったか。それは申し訳ないことをした」

と、老人はまったく反省したような素振りを見せずに口にする。なんなんだ、この人は。思ったわたしは口を噤むと思い切り睨みつけてやった。友達から、怖いと評判の眼差しだった。止めた方がいいよと。

けれど、老人は意にも介さない。丸太を立てて、斧を振り被って、割れた薪を横に積み上げていく。

漂い始めた沈黙と続く変化のない作業に、先に耐え切れなくなったのはわたしの方だった。

「あなたは、この辺りに住んでいるの?」

「ええ。長いもので、かれこれ三十年近くになりましょうかね」

「こんな朝早くから薪を割りにここまで昇ってくるんだ?」

今日はちょうど薪を切らしてしまっていての。寒いし、こりゃあ大変だということで、急いで準備に取り掛かったんじゃよ」

「でも、この霧だと大変じゃなった? よくここまで来られたわね。住み慣れた経験がものを言ったのかしら」

少し嫌味っぽく言うと、老人の口許に淋しそうな笑みが浮かんだ。その表情に、わたしは思わずどきりとさせられてしまう。老人は一度作業を中断させると、腰を伸ばしてから額に浮かんだ汗を拭った。

「深い、とてつもなく濃い霧じゃからなあ。あなたも驚かれたんじゃありませんか?」

「え、ええ。まあ」

「息が詰まって、溺れてしまいそうだと思った」

発言に、わたしは無言のまま頷く。老人は初めてこちらに目を向けると、とても柔らかく微笑んだ。穏やかな、それでいてどこか影の差し込んだ微笑だと思った。

「私も、初めてこの霧を経験した時にはそう思ったもんじゃからなあ。とんでもない霧だとな。けれども、いい場所だとは思わんかね。神聖な気配が満ち溢れているような気になる」

「神聖?」

突飛なキーワードに思わず声が口をついて出てしまった。

「ええ。ええ。そうじゃとも。この辺りには神聖な気配が満ち満ちておる。とりわけ、こんな濃霧の日にはの」

言って、老人は濃霧の向こう側を、その奥底を眺めるようにそっと目を細めた。

「……辺りを少し歩いてきてみたらどうですかな。きっと、とても気持ちがいいはずじゃよ」

しばしの沈黙の後、再びわたしの方を向いた老人は穏やかに微笑んでそう提案してきた。

「それに、もしかすると今日不思議なことが起きるかもしれない」

不思議なこと?」

繰り返すと、老人はこくりと頷いた。

「ええ。まあ、噂にすぎないんじゃがね」

そう口にして苦笑した老人に、わたしは最早当初抱いた不快感を消し去ってしまっていた。この人は少し仕事に集中していただけで、本当は親切ないい人なのだ。そう思うことで、優しくなれるような気がした。

「あんたなら、あるいは出会えるかもしれん」

口にした老人に、ありがとう、と礼を言うと、わたしは言われたとおり少し辺りを散策してみることにした。依然として先の見えない濃濃密密たる霧には変化がなかったものの、どういうわけか迷子になって帰られなくなる、といった不安は感じなくなっていた。ぱがん、と背後から断続的に薪割りの音が聞こえてきたからなのかもしれない。わたしの足はずんずんと霧の奥へと進んでいった。

どれほど歩いたのか、濃すぎる霧はわたしから時間感覚を奪ってしまったようだった。ぱがん、と聞こえる音の回数も、五十を過ぎたあたりから数えられなくなっていた。

一体、ここはキャンプ場のどの辺りなのだろう。どこをどう進んで、どこまでやってきたのかが分からなかった。劣悪すぎる視界は距離感覚も曖昧にさせてしまっていたのだ。加えてどういうわけか聞こえてくる薪割りの音はいつも同じ大きさだった。遠くもなることも、近くなることもないせいで、同じ場所をぐるぐる回っているような奇妙な感覚に陥ってしまっていた。

先の見えない霧の中、疲労にがっくり項垂れたわたしは、とうとうその場に屈んで、膝に手を置いてしまった。上がった呼吸を整えながら、もうそろそろあの老人の許へ帰ろうかと考えた時だった。

幼い笑い声が耳に届いた。

驚き、わたしは素早く顔を上げる。聞き間違いじゃないかと思ったのだ。引率してきた子ども達がこんな時間に外出しているはずがないし、そもそもその声がこの場所で聞こえるはずがなかった。

わたしは膝に手を突いたまま硬直して、こんなことはありえないと念じ続けていた。目の前にいる何かを幻だと理解しながらも、どこかでそうではないと信じていたかった。

再び笑い声が響く。たった三年だったにも関わらず耳馴染んでしまった、最後に息を吸う特徴のある、誰が笑っているのかを知っている声が谺する。

視界に映った霧の中で、その影は確かに楽しそうに口角を吊り上げていた。

「七恵なの……?」

呟くと、ひらりと身を翻して小さな子どもの姿をした影は霧の奥へと駆け出してしまった。

「待って!」

叫び、わたしは全力で影の背中を追う。疲れた身体の都合など知ったことではなった。実際、膝はすぐに悲鳴を上げ出し、やがて横腹も痛みを訴え始めた。いつの間にか木々の間に入ってしまっていたらしく、足場が安定しないのも苦しかった。

けれども、それでもわたしは身体に鞭を打った。影を追わなければならなかった。ここにいるはずのない、ましてやこの世に存在しているはずのない妹が、いま目の前を走っているのだ。どうして追わないことができよう。彼女に伝えなければならない言葉をわたしはずっと胸のうちに秘め続けていた。

掠れ始めた呼吸音と、立ち込める霧そのものが発しているかのように響く七恵の笑い声を耳にしながら、わたしはあの一日のことを思い出していた。決定的に何かが失われてしまった、手を離すべきではなかった日のことを。

あの日まで、わたしはお姉さんだった。三歳になったばかりの七恵を、監督し守ってあげなければならない責任があったのだ。

なのに。

先を行く七恵の影は、どうやら現状を鬼ごっこか何かと勘違いしているらしい、奇声のような歓声を上げながらするすると木々の間を縫い進んでいく。

「待って……待って、七恵」

もう手放さないから。絶対に、必ず握っておくから。

――だから、もうどこへも行かないで……!

ぎゅっと閉じた瞼の裏側に、あの日の光景フラッシュバックする。病床に臥していた祖母のお見舞いに向かっていたのだった。病室でわたしは暇を持て余していた。近くにいるように母に言われていたのに。七恵を連れて院外へ出てしまった。

近くにあった商店街。立ち止まり見惚れてしまった文房具店。陳列されたいろいろな文房具は、小学生になったばかりだったわたしの目に、キラキラ光っているように見えた。どれもこれも可愛くて、熱中してしまた。

握り締めていたはずの七恵の小さな掌の感触。いつの間にか、なくなってしまった感触。

生々しく思い出せるが故に、後悔は杭となって打ち込まれていく。鈍痛は、いまなお血と共に滴り続けている。槌を振るにやけ顔の罰は、愉快そうにこう告げてくる。

「おいおい、なにを寝ぼけたことを言ってるんだ。それだけじゃないだろう。お前の罪はそれだけに留まらなかったはずだ」

そうだ。そのとおり。文房具から目を上げたわたしは、隣に七恵の姿がなかったことをかなり早い段階で認識していた。その時点でわたしが探していれば、もっと違った現在があったかもしれなかったのだ。

幼かった七恵。まだ三歳になったばかりだった。生意気で、なんでも真似して、両親の愛情まで奪っていって――。わたしは邪魔だったのだ。幼い独占欲は、妹の存在をうっとおしく思い始めていた。

わたしはあの時、本当は喜んでいたのだ。疎ましい七恵がいなくなったと。人通りの多い商店街の中で、これでようやく好きなだけ文房具と向き合えると思ってしまっていた。

失った感触。温かくて柔らかくて、小さかった脆弱な掌。

両親は血相を変えてわたしたちを探しに来た。どうして急にいなくなっちゃったの、と、鬼のように母さんに怒られた。それから、父さんが言った。

「七恵はどうした」

ななえはどうしたななえはどうしたななえはどうした……。

わたしは言葉を何度も頭の中で転がした。意味を理解しようと努めた。そして、同時にかっと全身が暑くなって、唇が動かなくなってしまった。

「ねえ、七恵は。七恵はどこに行ったの?」

怒ったままの鬼の母さんまでもが々ことを口にする。わたしは俯いた。父さんは周りを見渡しながら困ったなと呟いたはずだ。探してくる、と駆け出していったから。

「どうして勝手に抜け出したりしたの」

母さんはヒステリックに叫んでいた。思えば、あの時すでに最悪の事態を予想していたのかもしれない。当時、近くの町で未解決の誘拐事件が発生していたのだ。高圧的に、そして混乱しながら怒鳴り散らす母さんの声を、わたしは俯いたままぐっと唇を噛んで耐え忍んでいた。

罰が愉快そうに口にする。

「そうだ。思い出すんだ。お前の罪がなんなのか。本当に最悪ないことはなんだったのかを」

母に怒られながら、しかしわたしは七恵の手を離してしまったことを後悔していたわけではなかった。むしろ、七恵を恨んでいた。勝手にいなくなって、そのせいでわたしが怒られてしまったのだと、やっぱりいらない奴だと考えてしまっていた。

だから、わたしは泣かなかったのだ。いくら怒られても、いくら詰問されようとも。そして、時が経つにつれて本当に泣くないようになってしまった。

記憶は正確に当時の状況を把握し続けている。行き交う人波の中から戻ってきた父の表情。分からない、との呟やきを耳にした後の母のパニック。宥める父と泣き崩れた母の姿。ようやくわたしにも事態の深刻さが理解できかけてきたのだった。両親が人目も憚らず取り乱す姿なんて後にも先にもこの一件以外に見たことがなかった。

警察への連絡、掴めない足取り、過ぎていくだけの日数、憔悴していく両親。わたしは何も言えなかった。言えなくなってしまった。そもそも言う権利など、端から存在しなかったのだ。

誘拐事件への疑い、寄せられた怪しい人物の目撃情報。七恵は、商店街の出口付近で、若い男に手を引かれていたのだという。

そしてその翌々日。

七恵は、近くの池に浮かんでいた。寒空の下、下着姿でぼんやりと漂っていた。性的暴行を受けた末に、死体の処理に困った犯人に投げ捨てられたのだった。その後、連続誘拐犯の若い男は逮捕され、死刑が決まった。

けれども、もうなにも蘇らなかった。わたしのせいでわたしは、わたしの家族は、そして七恵は、どうしようもなく損なわれてしまった。もう二度と元へは戻れない。失われた存在の代償など、七恵本人以外にありえるわけがなかった。

足がもつれる。転びそうになってしまう。前を向いて、歯を食いしばり、泣き腫らしながらわたしは走り続けている。影に追いつかなければならなかったのだ。あの掌を握り締めることだけが、わたしにとって可能な唯一の贖罪だった。

唐突に影が急に立ち止まる。限界を通り越した身体で追いすがるわたしに振り向くと、にこりと微笑んだ。表情など見えないはずなのに、なぜか笑っていると理解できた。同時に、迎えなければならない別れの予兆も感じ取れた。

「な……なえ……」

息も絶え絶えにそう呼びかける。七恵はどうしてわたしが苦しみを抱いているのか分からないといったような顔をして、首を傾げる。

「ごめん、ごめんね、七恵。わたしが手を離したばっかりに、わたしはあなたを死なせてしまった」

そう、全てわたしのせいなのだ。幼いわたしの自分勝手な考えが、全てを反故にしてしまった。用意されていたはずの七恵の未来も、温かな家族の団欒も、些細な笑い声さえも、残された家族から損なわせてしまった。

崩れ落ちるようにして膝を突き、両手で落ち葉を握り締める。瞑った両目からは、涙が零れ落ちていった。

「ごめんなさい。ごめんなさい」

この言葉しか口に出せないわたしの肩に、そっと手が触れたような気がした。

顔を持ち上げる。霧の中で七恵は満足そうに笑っている。影の腕が動いて、大きく左右に振れた。口が動いたのが見えなくても分かってしまった。

さよならの合図だった。永遠の別れ。奇跡は二度とは起こってくれないだろう。

焦ったわたしは手を宙に伸ばす。待って。行かないで。もうどこにも。この手から離れないで。そうじゃないと帰れなくなってしまう。あなたは二度と帰られなくなってしまう。

膝を立てて懸命に、力の入らない足を遠ざかりつつあった影に踏み出そうとした瞬間だった。霧の向こう側から、鋭い陽光が網膜を貫いた。

そのあまりの輝きに堪らずわたしは目を閉じる。瞬間、周囲を穏やかな風が通り抜けていった。柔らかな、優しさに満ち溢れた風だった。

ゆっくりと瞼を開く。あれほど濃密で深かった霧がすっかりと薄くなり始めていた。見れば、手を突き出した先の地面は、すとんと途切れてしまっている。山の断崖に出ていたわたしは、昇り始めた太陽に照らされた雲海を、裂け分かれていくようにして音もなく消えていく霧の姿をじっと目に焼き付けることとなった。

壮麗な光景言葉を失っていた最中、そよいだ風の合間に幼い声を聞いたような気がした。バイバイおねえちゃん、と聞こえたその声は、紛れもなく妹のそれであり、もう決して届かなくなってしまった彼女のことを思ってわたしは再び涙を流した。

泣き疲れて適当に歩いていたせいで、どこをどう帰ってきたのか分からなくなってしまった。気がついたとき、わたしは再びあの老人を視界に捉えていて、何かに操られるかのようにして近づいていったのだった。

老人は相変わらず薪割り続けていた。

「どうじゃった。なにか、起きたかね」

斧を片手に顔を上げないまま、そう口にする。如実に現実感が蘇ってきて、わたしはついさっき体験した出来事を思い出し、それからそっと笑顔になって口を開いた。

「ええ。とても素敵な出来事でした」

もう二度と合えない相手と、たとえ影だけだったとしても会うことができたのだ。伝えられなかった想いも、伝えることができた。一方的ではあれど、わたしにとっては確かに素敵な体験だったのだ。

「……前を向けそうかね」

老人の問い掛けに、やはりこの人は霧の山で起きていることを正確に把握しているのだなあと理解した。わたしはくしゃりと表情を崩して、どうでしょうと口にする。

「また会いたくなってしまうかもしれません」

言葉に、老人は少し困ったような笑みを浮かべた。ぱがん、と薪が割れる。

「あんたも過去に囚われてしまいますか」

わたしは何も答えない。額を拭って、老人は斧を振り下ろす。ぱがん、と薪が割れる。沈黙が二人の間に染み込んでくる。

「かく言う私も、この山の霧に魅せられてしまったひとりでね」

不意に口にして、薪を割る手を休めた老人は恥ずかしそうに頭を掻いた。

「失った日々を前にしてからというもの、ここから離れられずに、こうして樵のような真似事をしておるわけなんじゃよ」

「ご家族の誰かを?」

自嘲気味に笑った横顔に、失礼とは承知で訊ねたわたしに対して、老人は素直に頷いて答えてくれた。

「妻と娘をね、冬場の火事でいっぺんに亡くしてしまったんじゃ。あの冬はとても寒くての、ストーブは欠かせなかった。今思えば不幸なことに違いないのだろうが、ちょうど私は出張で家を離れていてのう。事のあらましを聞いて駆けつけてみれば、二人は見るも無惨な姿に変わり果ててしまっていた。面影すらなかったんじゃ。熱によって筋肉が収縮したんじゃろうなあ、口だけぽっかり開いていて並んだ歯が見えるんじゃよ。でも、それだけじゃ。身体は顔も全身も真っ黒に焼け爛れてしまっとってな、まさしく消し炭で、私は一瞬妻と娘じゃない、他の誰かが死んだんじゃないかと思ってしまったんじゃよ」

進んで訊いたくせにどうとも反応することができず、わたしは目を伏せて小さく頭を下げた。老人は遠く、消えつつある霧が覆い隠してしまった妻子を見つめるかのようにして目を細めた。

「この山はの、異界と繋がっているんじゃよ。もしくは、壮あって欲しいと心のどこかで願う者に山が望むものを与えてくれる。けれども、だからこそあまり長居をしてはならないんじゃよ。私は運よく山に管理者として認めらはしたが、私以外にここで長居をして無事にいられた者は他にはいないんじゃ。皆、山に呑まれてしまった。霧の奥へと誘われて、とうとう帰ってこなかった」

その淋しそうな物言いに、わたしは抗うようにして微笑を湛えた。

「それでも、またいつかこの場所に来てもいいでしょうか?」

驚きに目を見張って振り返った老人が、わたしの表情に何かを見たようだった。柔和に顔をほころばせるとそっと口を開いた。

「……いつでも来なさい。ここはどんな時でもちゃんとこのままであるはずじゃからのう」

「はい」

確かな返事をして背後に振り向く。木々の間を縫って差し込んできていた朝陽に目を細めた。鳥が羽ばたいて空を横切っていく。甲高い鳴き声が響き渡る。存外近くにあったログハウスの中から、いなくなったわたしを心配したらしい大学サークル仲間達が顔を出し始めていた。

「行かなくっちゃ」

呟きに、老人は力強く頷きを返してくれる。

「またいつか」

「ええ。またいつか」

言うと、老人は割り終えた薪をまとめて背中に担いだ。木々の間に分け入っていく背中を見えなくなるまで眺めてからわたしは踵を返した。

帰るべき日常へ、あるべき仲間の場所へと、わたしは歩を進めた。

2009-11-15

http://anond.hatelabo.jp/20091115093011

原文

Some of you may be aware that when I was a young boy, my mother brought me to Kamakura, where I looked up at that centuries-old symbol of peace and tranquility -- the great bronze Amida Buddha.  And as a child, I was more focused on the matcha ice cream. (Laughter.) 

毎日

子供のころ、母親鎌倉へ連れていってくれた。何世紀もの間、平和静寂の象徴であり続けた大仏を そのとき見上げたのだが、子供だった私は抹茶アイスクリームへの関心の方が強かった。

朝日

知っている人もいるかもしれないが、少年時代、母に連れられて鎌倉を訪れ、平和や静けさをたたえた大仏 を見上げた。子供の私は抹茶アイスクリームにより魅せられた。

読売

ご存じの方もいるだろうが、幼い頃、母が私を鎌倉に連れてきたことがある。何世紀にもわたり平和静寂の象徴だった巨大な青銅大仏を見上げたものだ。ただ、子どもだった私は、抹茶アイスの方に夢中だったのだが(笑い)。

毎日翻訳下手・・・

2009-11-08

ジャンルが分からない掌編(修正)

薄闇に覆われた交差点は、混ざり気のない静寂に包まれていた。立ち込める朝霧が全てを洗い流したのかもしれないし、遠ざかりつつある宵闇がたくさんのモノを持ち運んでいってしまったのかもしれない。

歩道に立ち尽くしていたのは私ひとりだった。

車の往来は先ほどからずっと皆無。厳冬を前に冷え込んだ外気は、小鳥の囀りさえも拒んでいるように感じられる。

まるでこの交差点だけが世界から切り取られてしまったかのようだった。私を取り囲むようにして範囲設定、トリミングを行い、まったく同じ画像でありながら完全に異質のモノと化した画像の上に貼り付けて合成する。

この交差点は、ともすると異界なのではないのだろうか。あるいは異界と繋がりかけた、もしくは異界がぱっくりと口を開いた、そんな境界線に接しているのではないだろうか。

思ってしまうほどに、私はその人物から目を離すことができなくなっていた。スクランブル交差点の中央に悠然と佇む野球帽。深く下げられたつばのせいでその表情はまったく読み取れない。口許にだけ、離れているにも関わらず認識できてしまう下弦の月が浮かんでいた。微笑はすなわちそれだけでその人物の全てを表していて、その性差、年齢、思想など、ありとあらゆる特徴を飲み込みながらも絶対的に人物が普通ではないことを放ち続けていた。

その人は、間違いなくどこかがたがっていた。狂ってしまっていた。例えば目の前で子どもが出血しながら蹲っていようとも、老婆が胸を抑えて苦しんでいようとも、子犬が訳もわからないままに溺れようとしていようとも、確実にその微笑を揺るがせないままじっくりと観察するような人物だった。そうであることを、吊り上げた口角と纏わせたオーラで私に伝えてきていた。

そう、間違いなくその人物は私に伝えてきていた。

その事実が恐ろしくて、意味が分からなくて、戸惑い、混乱して、私はただ人物を注視することしかできなくなっていた。

確か、深夜まで続いた仕事をやり終えて、肉体的にも精神的にもボロ雑巾のような状態になってしまっていて、人を物のようにしか扱わない酷使に悲嘆に暮れながら家路についていたはずだった。不意に視線を上げた途端に、交差点中央の人物と向き合ってしまったのだ。その瞬間に私は世界から切り取られてしまった。

一体なんだというのだ。

どうして私がここにいるのか、どうしてここに招待されなくてはならなかったのか想像することさえできなかった。それは私には望まれていない行為だった。人物の微笑みが深くなる。

相手の意図は不明だったし、そうであるから不用意に動くこともできなかった。私は人物に恐怖を覚えていたのだ。本能的な、動物的な、原始的な、野生的な、抗いようのない根源から呼び起こされる畏怖の感情。なにをされるのか、なにを期待されているのか、なにが待ち受けているのか、その一切が不明だった。そして私は、この場から離れなければならないと、ただそれだけを強く強く感じ取っていたのだった。

変化は瞬間に起こった。車道信号が真っ赤に点灯して、急にとうりゃんせが鳴り響き始めた。電子音の、少し間延びしたような不愉快な旋律。驚き、周囲を見渡した私は、視線の先に目にしたモノに更に目を見張ってしまう。

いつの間にか私と同じように信号を待っていたらしいたくさんのヒトが、一斉に交差点に向かって歩き出していたのだ。その夥しい人数。圧迫されるような人口密度に、私は今の今までまったく気がつかなかった。気がつけなかった。

人々は私の脇を通って対岸へと移動していく。何も喋らず、無駄な動作は一切せず、まっすぐ前を向いたまま一心不乱に先を目指す。それ以外に、この交差点ですべきことなんてないだろう? 遠ざかっていく背中が、向かってくる虚ろな眼差しが、そう物語っているようだった。ざわりと背筋を悪寒が走りぬける。

視線を、交差点の中央に立っている人物に戻す。変わらずその人はそこに立っていて、ニヤニヤと意味深な笑みを浮かべてきている。

ここがどんな場所か分かっただろう?

知らず知らずの内に、私は頷き返してしまっていた。張り付いた笑みは一層壮絶なものに変化していく。

なら、どうするべきか、お前は知っているだろう。さあ。ほら。

私の足は動かなかった。それに、人物は少し不思議そうな素振りを見せる。

どうした。なにを躊躇っているんだ。分かっているのだろう? ならば、するべきことがあるじゃないか。

固唾が咽喉を流れ落ちる。握り締めた掌には、じっとりと汗が滲んでいる。それでも、私の身体は固まったままだった。私の身体は、私という人格の意思が及ばないところで確かに交差点中央の人物に反旗を翻し続けていた。

様子に、人物が浮かべていた微笑が崩れる。口許に詰まらなさそうな感情を宿すと、直後に苛立ちをあらわにした舌打ちをした。

同時に、行き交っていた人々の、まっすぐに前を向いていただけの人々の首という首が、身体がぐるりと回転して、その数百の双眸が一身に集中する。

誰も何も言わない。何も思っていない。ただ私を私であると認識して、立ち止まり、直視してきているのだ。異物がいると。こちらの世界に属していないのだと。

眼差しが突き刺さる。射抜いてくる。遠く対岸の歩道から、あるいは交差点の中央から、私のすぐ間近から、まだ立ち尽くしている背後の歩道から、虚ろな瞳孔が私を見つめている。観られている。

がくんと膝が砕けそうになった。頭からざああっと漣を響かせながら血の気が引いていき、首筋に、両肩に、背中に、胸に、じんわりと汗が滲んでいく。

心臓が早鐘を穿ち始めた。破裂せんばかりに伸縮を繰り返す臓器は、鈍い痛みを伝えてきている。

呼吸も苦しくなる。肺がうまく膨らまない。浅く繰り返し繰り返し空気が出入りするばかりで、徐々に視界まで霞み始めてしまった。

まずい。呑まれる――

「どうかしましたか?」

声が頭上から聞こえた。唐突に鼓膜に音が戻ってくる。視界に映るのは、随分と明るくなった足元のタイルだ。胸に手を当てたまま、私はそっと頭を持ち上げた。

人がたくさん交差点の前に立ち尽くしていた。路面を車が勢いよく往来している。雑踏が聞こえ、喧伝が聞こえ、小鳥の囀りが微かに耳に届いてきた。

私は傍らに視線を移す。老婦人が心配そうに見つめてきていた。

「お気分でも悪いのかしら?」

「……いえ、少し立眩みが。もう大丈夫です」

「そう? 顔が青いようだけど」

大丈夫です。ありがとうございました」

答え、ぎこちなく微笑むと、納得はできなかったものの老婦人の心労はそれ以上かけてもらう必要がなくなった。

顔を持ち上げて、大きく息を吸い込む。空には太陽が照っていた。吐き出した息と共に、強要されていた緊張が溶け出していった。

車道信号が揃って赤く点灯する。交差点にはまたとうりゃんせが鳴り響く。

動き出した人垣に併せて歩き出した私は、行き交う人ごみの中にあの微笑が浮かんでいるような気がして仕方がなかった。

(追記)

コメントありがとうございます。ジャンルに関して、確かに幻想というのなら当てはまるかもしれませんね。どうもです。

近代小説に疎いのが問題なのかなあ。現代の、それも国内の小説しか読んだことがないのは思考を狭めているのかもしれない。

2009-10-29

その踏み切りは山の入り口にあって、その線路を越えると生い茂る木々の間を進む坂道に道は繋がっていた。辺りに家や建物は見当たらなく、人気のない細い道を進んだ末に、山と裾野をとを分断するようにして無機質に佇んでいた。

一体何の理由があってここまで来なくてはならなかったのか、廃線と紛う線路を目にした瞬間に忘れてしまったのだけれど、私はその踏切の真ん中に一頭の羊を見つけていた。

羊は、例えば山羊とか鹿みたいにほっそりしていたり、大きく悪魔的に曲がった角を持っていたわけではなく、もこもことした乳白色の毛並みや、じっと私の顔を凝視しつつも咀嚼することを止めない泰然たる様にしてみてもまさしく羊そのものであって、いやいや待てよ、どうして東北の人気もなければ人家もなく、ましてや畜舎があるわけでもない山間に羊なんぞがいるのだ、という疑問すら吹き飛ばしてしまうほどに、間違いなく羊そのものであった。

私はしばらくの間羊と睨み合っていたのだと思う。最中、辺りには誰こなかったし、風ひとつ吹きはしなかった。ただもぐもぐと続く咀嚼と、固まったままの私の眼球とが対峙しているだけだった。

やがて、つうっと羊が前を向いた。そして、そのまま線路を歩き出す。足取りは思いのほかしっかりしていて、とてもこの地に馴染んでいるように見えた。そんなことはありえないと思うのだけれど、どうやら羊はこの辺りに長らく住んでいるようだった。

私は麓の高校に通っているけれど、三階の窓からいつでも見ることのできるこの山間に羊が住み着いているだなんて話は一度も聞いたことがなかった。おそらく、噂にすらなっていないのだろう。羊は誰にも知られることなく、それでいて確かにこの地に根を下ろしているようだった。

呆然と歩き始めた羊を見つめていた私を、ふいに立ち止まったもこもことした乳白色の塊は振り返る。じいっと見つめられる眼差しには何かしらの意図が含まれているような気がしたけれども、生憎私は気が狂うほどに動物が好きと言う訳でも、羊の言葉が分かる隠し能力を持っているわけでもなかったので、一体全体羊がなにを思って、どうして私に伝えようとしているのかが分からなかった。

けれども、何となくだけれど、ついていけばいいような気はした。きゅぴんと電撃が迸るようにして脳内言葉が、煌々とネオンを灯し始めたのだ。

羊は、私をどこかに導こうとしている。

予兆めいた直感は、けれど一度頭の中で腰を吸えると、俄然とそれらしい輝きを放つようになり、他の候補、例えば羊がさっさと私に消えて欲しいと思っているとか、私にでんぐり返しをして欲しいと思っているなどということをことごとく眩ましてしまった。

ごくりと生唾を飲み込んでから、私は一歩その場から踏み出してみる。踏み切りの真ん中で進路を羊の方へと定めて、ショルダーバッグの帯をぎゅっと握り締めた。

様子をじっくりと観察していた羊は、私が背後に立ち止まったことを確認すると再び歩き出した。ざくざくと、石を刻む音が再開する。一度大きく息を吸い込んでから前を向いた私は、意を決して足音を重ねることにした。

羊はもそもそと、遅くもなく早くもない歩調でずんずん線路を進んでいった。まるで、私の歩調に合わせているみたいだった。どれだけ歩いても羊との距離は縮まらず、また決定的に離れることもなかった。

沈黙以上に冷たく張り詰めた静寂が線路の上を覆っていた。そこで許されている音は足音だけで、ぎりぎり呼吸をする音が認められているぐらいだった。呼び起こされたへんてこな緊張感に、私はいつの間にか歩くという行為だけに没頭せざるを余儀なくされていた。

ざくざくと石を刻みながら、私は段々とどうしてこの線路の前にやって来たのかを思い出し始めていた。

帰り道。友達を分かれた後歩いていた住宅路の角に、するりと移動した後姿を見たような気がしたせいだった。消え去る影が、一週間前忽然と姿を消した家猫の背中に非常に似通っていたのだ。名前を呼びながら、いつの間にか私はその後姿を追い始めていた。

角を折れるたびに、小さな後姿はもうひとつ先の角を曲がっていた。右に左に。途中から肩で息をして、私は懸命に後を追っていた。待って、まださよならも言えてないのに、急にいなくなるなんて酷いよ、といろいろなことを考えながら。

そして、あの線路のぶつかったのだった。そこに、目の前の羊がいた。

ふと辺りを見渡す。知らない間に景色が一変していた。左手に見えていたはずの町並みは消え去り、左手にあったはずの藪もなくなっていた。

私はどこまでも続く杉林の中を歩いていた。しっとりと霧が立ち込めていて、先を行く羊の姿はおぼろげに曖昧になっていた。

更にもう少し歩いていると、やがて見知らぬ無人駅に辿り着いた。立ち止まり、呆然と見上げる私の背後から、プオープオーと汽笛の音がし始める。慌てて線路から無人駅へとよじ登った私は、滑り込んできたSLを前にして口に出すべき言葉が見つからなかった。

車窓から、様々な動物達の姿が見えた。例えばそれはイヌであり、ニワトリであり、リスであって、ワニでもあった。あるいはゾウであり、キリンであり、ライオンであり、クジラでもあった。サルも、キンギョも、ヘビもいたのかもしれない。ありとあらゆる動物が乗り込んだSLは、けれどもその形状を変容させることなく、全ての動物を受け入れていた。

というのも、動物達は一様にして似たような大きさにまとまっていたのだった。人間で言うところの大人ぐらいの大きさ。また、ある動物眼鏡をかけて新聞を読んでいて、ある動物煙草をふかしていて、ある動物ウォークマンを聞いていた。人が動物になっただけで、車内の様子は一般的な汽車のそれと寸分の変わりがないように見えた。

「えー、米田ー、米田ー。停まりました駅は、米田でございます。まもなく出発いたしますのでー、お乗りのお客様は乗り遅れないようお願いいたします」

らしい抑揚をつけたアナウンスが構内に谺する。見れば、青い制服を着込み頭には帽子を被った羊が、拡声器を使って無人駅を歩いていた。

様子から、羊が駅長なのらしいことが分かった。代わる代わるやってくる乗客から切符を受け取り、ひとつひとつ丁寧に切ってはSLに乗せていく姿は、なるほど、結構様になっているように見えた。

いまだ呆然と、なにをどうしたらいいのかすら分からないまま、私は一連の出来事を見守り続けていた。これは、一体なんなのだろう。純粋な混乱の最中にあった私は、その瞬間に一気に神経を一点に集中させた。

SLに乗り込む乗客の中に、いなくなった家猫の姿を確認してしまったのだ。

「ミーコ!」

思わず叫んでいた。駅長の羊から切符を返してもらったミーコは、そっと困ったような表情で私のことを見返してきた。

眼差しは、多分の物事を語ってきていて。

そっと視線が外れ、静かにSLに乗り込んだミーコの姿に、私はもうかける言葉を見失ってしまっていた。

汽笛が高らかに蒸気を吹き上げる。

「えー、間もなく、間もなく、新町行き米田発の汽車が発車いたします。危険ですので、白線の内にてお見送りください」

アナウンスが終了すると、SLはごとん、ごとんと動き始めた。私は駆け出して、窓からミーコの姿を探し始めた。けれど、座席一杯にひしめきあった動物の中からミーコの姿を探すことは容易なことではなかった。まだ速度の出ていないうちに、ひとつでの多くの窓から探そうと、私の足は駆けていく。

けれども、やがてSLはスピードを増して、徐々に私が遅れていってしまう。

「ミーコ。ミーコ!」

呼び声だけが、虚しく響くばかりだった。SLは駅を走り去っていく。後姿を、私は込み上げる悲しみと共にいつまでも見続けていた。

その後、どうやってあの米田駅から帰ってきたのかは分からないのだけれど、私はいつの間にか線路を戻ってきていて、再びあの踏み切りの場所にまで辿り着いていた。

夜は更けていて、辺りは真っ暗だった。風は冷たくて、全身が氷付けになったみたいに寒かった。早くお風呂に入りたい。それからミーコの写真を抱いて、ぐっすりと眠りたかった。泥のように、あるいは死人のように。睡眠は死界に一番近づける状態なのだ、夢の中でならミーコに会えるのだと信じていたかった。

踏み切りから細い道へと進路を変える。町へと降りていく道をしばらく歩いてから、そうっと背後を振り返ってみた。

りんりんと鈴虫が鳴く闇夜に、月光だけが照らし出す踏み切りは少しだけ幻想的に映っていた。

再び踏み切りから視線を前に向けた瞬間、私は確かに踏み切りの中央に羊の姿を見ていた。

プオープオーと響いた汽笛は、微かに夜風を震わせていた。

2009-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20091022141906

1.キリスト教の神を信じてもいないのにキリスト教の神に結婚を宣誓することはうそ臭い茶番だけど問題なし。

2.その宣誓は静かな環境で行いたいから、泣く可能性のある赤子の出席は遠慮したいというのはうそ臭い茶番だから許せない。

通常の感覚なら1番のほうがはるかにうそ臭い。というか2番は全くうそ臭くない。ただの好みの問題だ。誰しも静寂を望む状況はある。いびつな罪悪感で感性が歪んでいるのは夫のほう。

そんな瑣末な事を気にするより、他人や自分を喜ばせることにもっと積極的になるべき。式も、披露宴も、どのようにしていくと妻や出席者や自分幸福度が最大になるのか?離婚することが最も皆の幸福を最大にするのか?

そして、皆の幸福を願うという動機からの行動は、そこに少しばかり誤りが含まれていたとしても許されるものだ。

自分の恐怖と罪悪感を許してあげるといい。誰しも間違う。しかし間違うことなど、人を喜ばせることに比べれば問題にならないほど小さな事だ。気にすることは無い。

結婚おめでとう。

2009-10-19

終焉とはじまり。

ワタシの小言などを増田にでも捨てようと思う。

ワタシの極端な感傷/不感症という物は今にもフロイトが大笑いしそうな、「音が鳴ってないと不安で仕方が無い。」という物であり、

恐らくは「オタク」などと呼ばれている人達と共通のトラウマが有る。例えばコレクションの山に埋もれてないと夜も眠れないとか...。

今まで生きて来て、妄想的に「経験」した最大の恐怖はグラウンド・ゼロ

それは爆撃音が次第に大きくなって行き、そして9月11日。何かが無音で崩れ去った後、不気味な静寂が包み込んだ。

今年はそれに匹敵しそうだ。と言うより、確実に内蔵を1つ1つエグられていくような恐怖であり、物が違い過ぎる。

ウェブにこうして書きなぐっていながらなんだが、数年前に書きなぐった時では最初からこれは「平成合戦」などと皮肉っている。

これは化かし合いである。たった今でもそう思っている。

あの狸共は最後結局自分達を化かし、過去の栄光にすがった果てに戦には負けたって。

それが動物であったか?ヒトであったか?という話にはもう興味が無い。

「そしてグラウンド・ゼロは終わった。」と痛感する。

また別の闘いが始まるだろう。否、もう始まっている。

ちょっと出遅れたみたいだ。グズしてるからだよ。

やれ匿名日記をあえてイニシャルで刻むという悪戯だ。

     

                               〜T.H.

2009-09-23

廃墟病院

廃墟マニアとかという人種がいるというのは聞いたことあるけど、

興味もなかったし、むしろ無許可の場所にズカズカ入り込む

ロクでもない人の趣味だと嫌っていた。

初めて訪れたとき、そこにそんな場所があるなんて思ってもみなかったから、駐車場から目に飛び込んだ風景に、心臓が止まるかと思った。

忘れられた時間

すぐそばにあるはずの人の気配からも切り離されたような静寂

緑と、光が人の手が作った物に、こんなに綺麗に降り注ぐのをはじめてみた

廃墟といったら、人から捨て去られて、思いやりのない人間に踏みにじられ、壊され、

それをさらに他人がカメラを構えて興味本位に汚していく。

そんな場所だと思い込んでた。

こんなに、静かで美しい場所があるなんて、思いもしなかった。

後で調べてそこがかつての「軍」の「病院病棟」だと知った。

あそこは「廃墟」と呼ばれてしかるべきだと思う。

けれど、すごく大切にもされていると感じた。

(別に綺麗に保っている、というわけではないが、

荒らされていない古いもの、というのはそれだけで感動する)

廃墟マニアもブームも嫌いだった。

でも、それって廃墟趣味)が嫌いじゃなくて、そこを壊していく悪意の人間マニアが嫌いなだけなんだと知った。

ネットで調べたらいろいろあったみたいだけど

今もあるのかなぁ

できるのならば、大切にしてほしい。

2009-09-16

絶望増田文学集/一枚の保険証

平日は会社で、時折リーダーに褒められることはあれど特に怒鳴られることもなく、俺は平穏にプログラマーとして業務をこなしている。プログラマーと言っても、世間で言うほどの薄給だが激務というほどでもない。夜九時にはだいたい帰途につけているし、都心で独り暮らししていけるだけの給金はもらえている。

ケンで三ヶ月ごとに、早ければ一ヶ月半で職場を転々とする俺は、飲み会に付き合う必要もないため、ジャンプ立ち読みする日以外はほぼまっすぐ帰宅する。夕食も、最寄り駅の松屋牛めしを食べ、大量の紅しょうがと七味唐辛子、たまに玉子も乗せて食べるくらいで、あとは部屋に帰るだけ。

ケンと言っても、いわゆる「派遣社員」ではなく、ちゃんと正社員という肩書きを持っている。だから、無職よりもフリーターよりも、契約社員よりも派遣社員よりも格上。一部デイトレで稼いでいるようなニートよりは格落ちするものの、世間に顔向けできる立派な人間だと自負している。ちゃんと自活しているし。

さて、アパートの一室のドアを開けると、特に帰りを待っている人や猫がいるわけもなく、真っ暗闇が広がっている。だが、まったくの静寂というわけではない。P2Pソフトを起動しっぱなしのパソコンが俺を出迎える。

「さて、何がダウンロードできてるかな」

パソコンデスクの上にあるモニタの電源をつけ、iTuneから控えめな音量でニコソンを流しながら、ダウンロードの状況を確認する。今日は、タイトルだけで目を奪われるようなモノはダウンロードできていないようだ。

スーツを脱いでシャツだけになり、デスク前のイスに座る。下半身パンツのみなのは、「もよおした時」にいつでも行為に及べるためだ。2ちゃんねる専用ブラウザを立ち上げ、お気に入りスレッドを巡回する。今日も「お前ら」のいつも通りのレスを、上から目線で楽しませてもらうとするよ。

「はいはい、ばぐ犬おつ……、と」

ひとしきり+板で信憑性の乏しいコピペを貼りながらネトウヨを演じた後、冷蔵庫を開けると缶ビールが残り一本になっていることに気付く。

「しまったな、明日は土曜日だから出かけたくないんだけど……」

迷った末に、冷蔵庫の開けっぱなしは電気代がもったいないので、思い切って手を伸ばす。片手に缶ビール、もう片方の手にはHDレコーダーのリモコン。プシュッという音をたてて、昨日の夜に放送されたアニメの録画を再生する。

次のシーズンから何のアニメが始まる、という情報が溢れる時期だけが楽しい。楽しみな作品もいざ見てみると興を殺がれることが多く、ついつい「つまらない」とか「作画崩壊」とか「声優が棒すぎ」とネットに書き込んでしまうが、制作側が悪いので仕方がないことだろう。今日アニメ板の本スレに「あのシーンを挟む意味がわからねぇwww」ってレスしたんだけれど、信者に叩かれた。あのアニメ原作厨は本当に救えない。

「さて、まとめブログを巡回した後は、馬鹿ゆとりレスを見て煽る遊びでもするかな……」

+板では、今日ゆとりが我々サラリーマンをバカにするようなレスをしている。+板に書くような奴は、近い未来は俺と同じく職場を転々とし、人間関係希薄で、唯一、親よりも先に死ねないという理由だけで生きるようになるだろうよ。

ゆとりの雑魚ども乙www 学生のうちにほざいとけwwwww お前らが働き出すころには、もっと絶望的な社会になってるぜ、ざまあ……、と」

希望の見えない世界の中での、せめてもの暇潰しと慰みがアニメ漫画、そしてエロゲなのだよ。夢ばかり見ているワナビゆとり+民は、そうと知らずに大人を煽る。十年後の俺のほうが、お前なんかよりも地位も名誉もあるんだと。

学生のうちは、根拠のない万能感ばっかり持ててうらやましいぜwww 今に思い知るよ……、と」

何気なく巡回している掲示板を眺めていると、またゆとりエンジン全開のバカが書き込みをしている。割れなんかやってるほうがよほど情弱、だと?

購入厨の方が情弱だろ……、と」

サラリーマンは庶民で景気が悪いから節約しないといけないのに、そいつは無料で手に入るものを金を出して買うという。お前が今まで購入品に使った金を考えてみろよ。その金があれば割る事ができない物を沢山買えたなとか考えないのか?

ほら、ゆとりども、お前が割らずに買った金で買えたはずの、俺の嫁たちをうpしてやるから、存分に悔しがるといいよ。

「なになに、でもグッズは買うんだね、だと? グッズは割れないから仕方なく買ってるんだよ……、と」

俺の嫁たちに嫉妬し、悔しがってゆとりどもが発狂しだした。俺のやってることが犯罪だとか言掛りをつけてきたり、顔真っ赤だぞというテンプレのような煽り方をする奴までいる。インターネット衆愚だ、本当にバカしか集まらない。オマケに、まるで俺が働いていないかのようなレスも出てきた。

仕事してるよ、準備は明日すれば間に合う……、と」

割られたくないなら割られないような物を作ればいいのに。それに、俺だって割れザーで割れる物でも金を出して買いたくなる物は買っている。

「これ社会人の証拠な……、と」

--------

自慢の、原村おっぱいマウスパットの隣に写った保険証

絶望しかない浮世に一石を投じるための一枚は、俺に本物の絶望と消えることのない心の闇をもたらした。

面倒くさい職場人間関係、恐怖と苦痛の満員電車、将来の不安を煽るだけの政治・経済

そんな、些末な問題が絶望だと思っていた。

そんな、気の持ちようでどうとでもなることを、絶望だと思っていた。

けれども、俺に訪れた本物の絶望は、もっと凄惨なものだった。

一枚の誓約書の写しと、俺の人生を狂わせた写真が、今でも実家冷蔵庫に貼ってある。

2009-07-10

「7・5新彊事件」が暴いた権力闘争の醜態

新彊利権構造にメスを入れようとした団派を江沢民派が強く妨害

9・11テロ事件」に由来するかのように新彊ウィグル自治区騒擾を「7・5新彊事件」と多くの華字紙が命名し始めた。

民族対立の根深さが露呈したが、一方において中央の権力闘争がある。

その醜悪な側面はこうである。

すでに小誌が分析したように「新彊覇王」こと、王楽泉・党書記は腐敗の象徴、新彊のプロジェクト利権を総覧し、政敵をばったばったと倒し、山東省閥で周囲を固めた。北京五輪前後から、そのあまりの腐敗ぶりを「団派」(胡錦涛主席の出身母体)が攻撃目標としてきた。

胡の右腕・李克強(政治局員)は手勢の秘書軍団のなかで、ふたりの副官のスキャンダルを賀国強に握られ、胡錦涛が不在中に賀ら上海派は習近平ら太子党と組んで、李を追い詰める手はずが組まれていた(博訊新聞網、7月9日)。

このスキャンダル情報温家宝首相側近からもたらされ、内蒙古赤嶺山西省臨分、遼寧省本渓、黒竜江省鶏西などの銀行口座に李克強の手勢らの不正蓄財の口座の証拠が挙がっているという。

表面的には広東省書記の王洋と新彊ウィグル自治区の王楽泉との対立があり、このバランスを崩すためにも、不正蓄財の材料は、それがでっち上げであれ何であれ、重要ファクター、一気に政局を変えることが出来る。

かつて1979年、トウ小平四人組追い落としのために葉剣英、華国鋒の力を梃子とした。89年天安門事件は李鵬ら守旧派にとって、目の上のたんこぶ=趙紫陽追い落としの絶好の機会を与えてくれた。

上海江沢民残党」「広東の反王洋(アンチ団派)」が、この場合、呉越同舟した。

江沢民に近い王楽泉のポストを守り、むしろ厄介者の王洋を失脚させる。そのためにはスキャンダルでっち上げてでも、李克強の政治力を弱める。そして胡錦涛イタリアのG8サミットに出かけた隙を突いて、留守番チームが団派の政治力をそぎ落とすという筋書きだった。

公安筋を牛耳る周永庚も、どちらかと言えば上海派である。

上海派が張り巡らした利権構造上海メガロポリスから北京中南海をも猖獗し、正義より腐敗を、公正より不正を愛する権力亡者らが党の権威を嵩に、やりたい放題の金儲けに没頭してきた。

上海派のモットーは「何事も政治的事件がおこらず平穏にカネを稼ぐ」。

正義感の残る団派の若手にとっては許し難い奴らである。

王楽泉が蓄財した金額は天文学的であり、新彊ウィグル自治区の武警、軍はもとより党組織の末端細胞にまで腐敗のお裾分けが配られ、あたかも王楽泉の私党、私軍とまで言われるほどだった。

9日、胡錦涛北京に帰国し、九人の政治常務委員全員が出席するという異例の会議が開催された。

東トルキスタン独立は夢か

新彊ウイグル自治区歴史的にも文化的にも文明的にも、もともとウィグル人の土地であり、1944年から1949年まで「東トルキスタン」という独立国だった。

中国植民地獲得を目的東トルキスタンに侵略し、ウィグル指導者宗教指導者多数を殺戮し、新たに漢族の入植を政策的に進めた。

東トルキスタン独立死滅せられ、「新彊」という土地名がつけられた。新しい辺境、という意味である。

侵略軍は1949年から53年にかけて新彊に進駐し、農地を開墾してそこにどっかと居座る。この駐屯部隊は北京天津江蘇省湖南省そして山東省の兵隊から成り立っており、合計33万人の軍隊が駐屯を開始した。

以後、1962年から66年にかけては上海若者およそ十五万人が送られた。

他方、1949年から1984年にかけて、300万の漢族ほかの異民族が移住し、ウィグル自治区の北部一帯をしめる。シルクロードの北側、天山山脈の雪解け水に恵まれ、古くからオアシスが多い。当時、新彊ウィグル自治区人口は約1000万人。三分の一が漢族となった。

ただし新彊ウィグル自治区の南方は土着の民が多く、漢族の入植はきわめて少ない。理由は核実験場と、工業化に向かない土地だから。

98年からの西部開発政府プロジェクトは、この北部の漢族居住区が対象とされ、ガス、石油開発、高速道、橋梁鉄道、官舎、駅舎などのプロジェクト漢族企業が独占し、ウィグルの民は農業に従事しているだけだった。新田開発も、移住してきた漢族にのみ供与された。

ウィグル農民と漢族の都会生活者との所得格差はますます開いた。

警察、軍、金融銀行石油化学、ガス、行政組織教職等々、近代化に必要な職種はほぼ漢族が手中とした。

ウィグルの民には現場労働やリキシャ、個人商店、羊肉レストランいがい、進出できる職場もなく、まして教育現場北京語強要され、ウィグル語しか喋れないウィグル人は教師の職も追われた。

「とくに原油、ガス、石油化学従業員にはひとりのウィグル族もいない」(BOXUNNEWS、7月7日付け)。

アルカィーダやアラブイスラム原理主義過激派は、貧困が原因である。

ウィグルから多くの若者国境を越えてアフガニスタン入りし、アルカィーダの秘密軍事基地で訓練をうけていた。

新彊ウィグル自治区のウルムチ市内は戒厳令下、街は静寂を取り戻した。街のいたるところに軍隊が駐屯して目を光らせている。力による平定。これが平静である。

それが如何に表面的なことかは共産党自身が知っている。

2009-07-07

私にドラマは訪れない

ジリジリジリジリジリジリジリジリ。

けたたましくあらゆる人類にとって不快であろう時計アラームを力任せに叩き、束の間の静寂を欲する毎朝の私。

昨夜は遅くに不定期で放送されるお気に入りコント番組に見入ってしまったせいか、目蓋が例年より23%重い。

どんより、のろのろと布団から少しづつ這い出ながら、

先刻、この世のすべての災厄の元凶への憎しみを込めるかのような勢いで叩いた目覚ましに目を向けると、午前8時10分。

身なり構わず超特急で走るか、定期的に鬼と化す母親を騙くらかして仮病で休むかのボーダーラインだった。

…よし、走るか。

どうにか決心が固まった。そもそも起床直後の脳であの鬼を丸め込む精神コストの方が高くつく。

そうと決まれば、血走った目で時計をブッ叩いた時の殺気はどこへやら、

我が身を鼓舞するかのように口に出してみる、「いっけなーい!遅刻遅刻ー!」。

今朝は寝癖も普段よりは酷くない。

寝坊した場合の行動パターンを頭の中で組み立てながら、同時進行で身支度を済ませる。

小学生ではあるまいし朝食を抜いても一向に構わないのだが、

とりあえず「お約束」を意識して、おもむろに食パンの角を口に銜えてみる。

唾液で千切れると格好悪いので、8枚切りから6枚切りのパンと交換する。これで準備は万端だ。

普段は何も言わずに家を出るけれど、ここはやはり「お約束」が優先。

不必要にバタバタと足音を立て急いでます感を演出したのち、「いってきまーす!」と玄関を出る。

食パンを落とさぬように下顎でバランスを取りながら、左手首を探す。

どんなに急いでいても長年の習慣のおかげで忘れることのない腕時計をみると、あと5分でチャイム

今日は覇気のない副担任HR担当する曜日なのでそんなに恐れはないけれど。


緊張感が若干緩んだ瞬間ふと思い浮かんだのは、慌てて着替えていた5分前の自分の姿。

ああ、今日しまパン穿いたんだっけ。

そうだ、そうだった。あの布きれがこんな少女マンガじみた行動の引き金だ。

淡い水色と白の縞模様で、やわらかな印象のしまパンだ。

ちょっと子供っぽい柄なのは自覚しているけど、まあそういう需要もなくはないだろう。なんちゃって

しかし、私がこれだけセルフお膳立てしても、致命的な、きわめて致命的な事実ひとつある。

私の家と学校までは、直線距離にしておよそ1200メートル

そして文字通り、私の家と学校まではほんとうに、「直線」距離なのだ。

直線。道幅が広く見通しの良い、きれいに舗装のされたまっすぐの一本道。

ブロック塀の曲がり角など、ひとつもない。

だから。どんなに寝坊しても食パンを銜えてもいっけなーい!と言って走っても。

どんなにやわらかな綿のしまパンを穿いたとしても。

私にドラマは訪れない。決して訪れることはない。 残念ながら、そんな星の下に生まれた。

学校まであと250メートル

私はお気に入りの、淡い水色と白の布きれをを片足ずつ道端に脱ぎ捨て、今年通算7回目の回れ右をして家へと引き返す。

午前8時25分。水分を含んでどんよりと重く生ぬるい、夏の風が吹いていた。

2009-06-12

http://anond.hatelabo.jp/20090610030735

本筋と違うけど、

「『シーン』という静寂を表す擬態語手塚治虫発明」というのは俗説だよ。

もっとずっと昔からある表現。青空文庫あたりで検索してみても出てくるはず。

多分、「漫画の中で、擬音と同じように描いて表現したのが手塚治虫」という話が一人歩きしてる。

参考:

http://www.zetubou.com/nikki/2006/11/10/174.htm

http://www.zetubou.com/nikki/2006/11/28/176.htm

2009-06-10

くぱぁ」について、妄想を膨らませてみた。

くぱぁ」って何なんだろうか。

はてなキーワードの説明だと、『「くぱぁ」とは、主にエロマンガ女性器を拡げた時に用いられる擬音』だとされている。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%AF%A4%D1%A4%A1

くぱぁ」・・・何「くぱぁ」って。

気になって仕方無かったので、妄想を交えつつ、テキトーに考えてみた。

(以下の文章は、面倒くさいのでネットで調べることもせず、思いつきで書いてます。増田のすることですんで、勘弁してやってください。)

擬音を、おおまかに分類すると、2つのパターンがあるんじゃないか、と思う。

(1)実際に発生している音に近づけるように、音を参考にして作る場合

(2)実際に発生している音とは別個に、独立して作る場合

とりあえず、この2つ。

まず、(1)実際に発した音を参考にして作るパターン

実際に発生した音を耳で聴き、それに近いと感じるカタカナを当てはめて作ってるっぽいやつだ。

たとえば、マウスクリックするときに発する音は、「カチッ」という擬音で表現したりする。

マウスクリックしたとき、本当にカチッという音がしているか、と聞かれると、微妙な気もするけれど、そう聞こえないこともない。

「カチッ」=「クリックする際に発する音を表す擬音」だというのは、たいていの日本人にとって、違和感を感じないのではないか。

馴染むというか、何というか。しっくりくる擬音なんじゃないかと思う。

・・・でも、女性器を拡げても、たぶん「くぱぁ」なんて音はしない。

くぱぁ」は、(2)の実際に発した音とは別個・独立して作っているパターンの擬音なんだと思う。

実際に発生している音とは、直接的な関係なしに、擬音を創作するパターンは、意外と多い気がする。

怒っている状態を「プンプン」などと表現したりするが、怒っている人は別にプンプンと音を発したりはしていない。

でも、怒っている状態を表す擬音として、プンプンを当てはめることに、何となく納得してしまう。

こういう擬音は、たぶん、日々の生活で、人と会話し、文書を読んだりTVを見たりして、繰り返し触れているうちに、いつの間にか、体に馴染み、腑に落ちるようになっているのだろう。

言語感覚として身に付いている、とでも言うべきか。

この(2)のパターンの擬音は、最初に、誰かが創作しているはずだ。

(1)のパターンの擬音も、誰かが最初に言い出したことに違いはないのだろうが、たぶんその人が言い出さなくても、いずれ生まれたんじゃなかろうか。

同じ言語を用いる地域内においては、実際に発している音は、みな、同じように聞こえるはずだから。

でも(2)のパターンの擬音は、そうはいかない。

音が実際に発しているわけではないのだから。

きっと、従来の擬音では表現しきれない感覚・思いを、誰かに伝えたくて、創作者が知恵を振り絞って生み出したものなのだと思う。

(2)のパターンの擬音は、実際に発する音とは、直接の関係なく生み出されるものであるとしても、既存の言語感覚とは無縁ではいられない。

社会で共有されている言語感覚と、まったく無縁の擬音を創作した場合、受け手にとって理解するための取っ掛かりがない。

TVのCMのように、繰り返し浴びせる手段があるなら、そのうち新しい擬音に馴染んでくれるかもしれないが・・・。

継続的に情報を刷り込むような媒体でない場合(小説漫画などの場合)、一回で意味を理解させなければならない。

瞬間的に意味を理解するためには、従来の言語との連続性・類似性が必要なのだ。

擬音がどんな行為・状態を指すものなのか、理解されなければ、共感されようがない。

(2)のパターンの擬音は、自己感覚・思いを他人に伝えるために生み出したものである、と先に書いた。

共感を生まない擬音は、この役割を果たさないものであり、ただの独りよがり、無意味存在でしかないだろう。

(あまりに奇異な擬音の場合、2ch等のネット上で叩かれ、注目の的になり、逆に広まったりすることはあるかもしれないが・・・。)

擬音の創作、と書いて思い出したのが、手塚治虫氏の例だ。

手塚治虫氏が、静寂を表す擬音として「シーン」を創作した話は、有名な話だと思う。

そもそも、静寂とは、限りなく音のない状態なのだから、その状態を示す擬音を作れと言っても無茶とも思われる。

それでも、漫画表現の新境地を切り開くべく、知恵を振り絞って生み出したのが、「シーン」なんだろう。

「シーン」も、まったくの思いつきで作られたものではなく、周到に、当時存在していた言語感覚を踏まえて作られたものだと考えられる。

静寂、つまり外部が限りなく無音に近い状態の場合、人間の耳は、体内の音を拾うらしい。

そのとき人は、耳鳴りに類する音を感じるようだ。

耳鳴り」は擬音としては、「キーン」などと表現されることが多い。

「シーン」という擬音は、この「キーン」との類似性を利用して、限りなく音のない状態を感じさせるために、作られたんだろう。

なんか、そういう話だった気がする(うろ覚えだけど)。

散々グダグダ書いてきたが、それでは、「くぱぁ」は、どうやって作られた擬音なのだろうか。

思うに、これは3つの段階を経て、形成された擬音なのではないかと思う。

【第1段階~反対語のイメージ利用~】

食べ物を口に入れ、「閉じる」ときの擬音として、「ぱくっ」「ぱくぱく」などがある。

逆に、「開く」動作の擬音として、「ぱかっ」、開いた状態の擬音として「ぱっくり」などがある。

だから、女性器を拡げる動作、拡げた状態を示す擬音として「ぱかっ」「ぱっくり」を用いることも可能である。

(現に、「ぱっくり」という擬音は、エロマンガその他小説等においても、時折使われている。)

しかし、「ぱかっ」では、女性器を拡げる動作、拡げた状態を示す擬音としては、軽すぎる。

どうにも、乾いた響きしかしない。

一部分、というより、足全体を拡げるときに使うほうが、しっくりくるだろう。

「ぱかっ」は、「粘着質な液体により接着された状態のものを開く」擬音としては、物足りない、どうにも力不足なのだ。

だから、新しい擬音を生み出す必要がある。この際、既に社会に浸透している擬音との類似性・連続性を利用しない手はない。

「ぱくっ」「ぱくぱく」「ぱかっ」「ぱっくり」など、メジャーな擬音のイメージが利用できるなら、するべきだろう。

「ぱくっ」は「閉じる」動作を示す擬音である。

「開く」のは「閉じる」の反対の行為だから、「ぱくっ」をひっくり返して「っくぱ」とすれば、開く動作を想起させる擬音として使えるかもしれない。

しかし、最初に小さい「っ」を持ってくるのは、発音しづらいく、擬音としておかしい。

小さい「っ」は、通常の擬音と同様、一番最後に持ってくるべきだろう。

だから、ここでは「くぱっ」となる。


【第2段階~語尾の変更~】

さて、その1の作業で、まず「くぱっ」という擬音ができた。

小さな「っ」が最後に来ると、小気味よいリズムが生まれる。

動作として素早い感じ、そんなイメージを持つ方が多いはずだ。

「くぱっ」でも、女性器を拡げる擬音として、用いることは可能だ。

だが、その用途は非常に限定されたものになるだろう(・・・勢いよく拡げるときとかだろうか)。

冷静に考えてみてほしい。

素早く開くなんて、如何にも味気ないのではなかろうか。

著名な仏閣の御開帳だって、数百年に一度だったりするではないか。

勿体ぶって、じっくりゆっくり開くべきだろう。

求められているのは、「粘着質な液体により接着された状態のものを開く」擬音なのだ。

そこで、「っ」の代わりに、「ぁ」である。

くぱぁ

柔らかくてゆっくりした、緩慢な動作・状態を感じとってもらえるのではないだろうか。

まぁ、なんで「ぁ」だとこういう感じになるのかは、説明しづらいのだけれども。

(段々、考えるのが面倒くさくなってきた)


【第3段階~ひらがな・カタカナの選択~】

もう、その2の段階で、「くぱぁ」は完成してしまった。

なので、その3は確認作業でしかないのだが、念のため一緒に確認してほしい。

日本語で擬音を表す場合、表記の方法として、2つの方法がある。

そう、「ひらがな」と「カタカナ」の2つだ。

擬音に込めた感覚・思いを、より正確に他者に伝えるには、「カタカナ」を用いた方がいい場面もある。

カタカナは、直線的であり、鋭角的である。

・ひらがなは、曲線的であり、鈍角的である。

この文字を構成する線の形状の違いから、ひらがな・カタカナ自体に、一定のイメージが生まれる。

たとえば、スピード感、緊迫感、硬度、強調を伝えたいときは、カタカナで擬音を表記した方が、適正なはずだ。

だが、今回のテーマくぱぁ」は、上のようなスピード感等を伝えたいわけではない。

一応、試しに表記しておこう。

・「クパァ」 ・・・やっぱなんか違う。

・「くぱぁ」 ・・・やっぱ、こっちのほうがしっくりくる気がする。

そんなわけで、「くぱぁ」完成。


今回「くぱぁ」について考えたことのまとめ。

くぱぁ」は、「反対語」の持つイメージを利用し、より感覚に近い「語尾」を選びつつ、「ひらがな」の特性を活かした、発明と評しても良いほど、優れた擬音なんじゃなかろうか。

・・・んなこたぁないか。

もしここまで読んでくれた方がいましたら、長文読ませて、すんませんでした。

6月10日追記】

意外に読んでくれた人が多いようで、・・・ありがとうございました。

TBで指摘されていた「擬態語擬声語オノマトペあたりを使えば前半の説明が楽になりそう」ってのは、まったくもってその通りだと思います。

その通りだとは思うんですが・・・。

そうすると、擬音語擬態語に区分する際に、「くぱぁ」を「擬態語」に分類せねばならなくなってしまう気がするんです。

う~ん・・・、上手く表現できないんですが。

何ていうか、「くぱぁ」は「擬態語」ではなく、あくまでも「擬音語」として扱いたかったんです。

先ほど見た、はてブコメントで、『「「くぱぁ」なんて音はしないとは、さては童貞だなっ』というのがありました。

これって、凄く重要な指摘なんだと思います。

童貞かどうかはさておき、「女性器を拡げ」たら「くぱぁ」という音がする、

醒めた頭で考えれば、これは一種の「ファンタジー」です。

クリスマスには、サンタさんが来てくれる。」

そう信じる子どもに、「サンタは来ないぞ」と告げ、ファンタジーを否定することはないんじゃないでしょうか。

時には、ファンタジーファンタジーのまま、留めておくということも必要ではないかと。

・・・やっぱり上手く表現できませんね。

自分で「くぱぁ」なんて音はしないと書いておきながら、擬音語として扱いたいとか、何が言いたいのやら。

自分でもわかりません。

他にもTBで、『その理屈で「ドッギャーン」とか説明できるんかいな。』 とありました。

荒木先生がどのように考えてドッギャーンを生み出したか。

その生成過程は、私などの知見の及ぶ領域ではありません。

ゆえに、説明は難しい、と思います。

あえて、妄想を膨らませてみるならば、こんな感じでしょうか。

「ドッギャーン」は、たぶん、爆発音を示す擬音語の「ドッカーン」、人の悲鳴を示す擬音語の「ギャー」を組み合わせて作った擬音語

まず、爆発音に対して、生物は、自己の身体を守るため、強い反応を示すだろう。

また、人の悲鳴に対して、人間は、自己の身体を守るため、強い関心を抱くはずだ。

創作者は、こうした本能に訴えかける場面を想像させる擬音語を、重ねて使用することにより、読者に、強烈な印象を与えたかったのではないか。

くぱぁ」が出来るまでを妄想した、3つの段階に照らし合わせると・・・

(1)既存の擬音語2つを、その擬音語が持つイメージを利用するために掛け合わせる。とりあえず「ドッカーン+ギャー」。

(2)音声化した際に、一番伝えたい感覚・思いに近いように、言葉並べ替える。この場合「-」のところが重なるようにするのが一番違和感がないはずだ。そうすると、「ドッギャーン」が出来る。

(3)この場合、強い衝撃を表現したいのだから、表記はカタカナのまま。

こんな感じに、似たような理屈で説明・・・できてるのかなぁ。

2009-03-29

自室で抱きマクラを抱いて、アニメキャラとの会話をシミュレートするのが俺の日課。


有希ちゃんかわいいねー^^ かわいいから大好き! 有希ちゃんてさあ、なんでそんなに可愛いの? 天使だから?」

「かわいくなんか…ない///」

「可愛いよ! そういう所が可愛いんだようもうちゅっちゅ! もう本当に何でこんなに可愛いんだろーねー」

「かずくんの事…好き、だから?」

「もおお! 正解!正解だよぅ有希ちゃん! モフモフモフ!」

「くすぐったい///」

「もっとくすぐったくしちゃうぞ! ここか! ここがええのんか!」


途中から無意識のうちに声が出ていたらしい。

不審に思ったオカンが部屋に入ってきた。

俺は慌てて掛け布団で抱きマクラを隠す


「なんね、あんたの部屋、誰かいるの?」

「(ビクッ)え、いや、だ、誰も居ないけど」

「嘘おっしゃい、誰かと話しとったでしょうが」

「いや、会社の人と電話しただけだけど」

ケータイは居間に置きっぱなしだったで」

「あの、それは…」

「アンタ誰か隠しとるんじゃろが!」


オカンは布団をはぎ取り、有希ちゃんの抱きマクラがあらわになった。

一瞬の静寂の後、オカンは全てを悟ったらしく

「ごめんね…」

と綺麗な標準語でつぶやき去っていった。オカンごめんね

2009-03-10

裁判員制度で誰が得をするのか?


2009年5月から施行される裁判員制度。重大な刑事事件の第一審を6人の裁判員と3人の裁判官で"事実の認定""法令適応""量刑の判断"を決定しなければなりません。そんな裁判員制度、なぜ日本でしなければならないのか、誰が得をするのか、もしかして一定数の利権の為に国民が利用されるだけなのか、反対賛成という議論ではなく、施行する事で社会がどう変わるのかをドグマメモとして言及したいと思います。 (半分パラノイアです)

そもそも、国民司法の実態を全く知らない!?

まぁ、一般的に知らないのが当たり前だと思います。「法律なんか分からない」「私には無理だよ」というのが大多数ではないでしょうか。しかも、マスコミ、特にTVや新聞報道される過激な犯罪無罪を主張する被告人、嘆き悲しむ被害者遺族の姿、少年犯罪などを見て勝手に、「最近では、変な犯罪が増えたよね~」などと思い込まされているし、悪いことをすれば、全員が逮捕され刑務所に入れられると思っていたりもする。

しかし、マクロ的に見ると全く違う。むしろ逆のロジックなのかもしれない。逮捕されたところで刑務所のキャパシティが決まっているので数パーセントしか入れられない。少年院を合わせても想像以上に少ないのが現状だろう。

それからマスコミ報道される事件というのは、万人受けする記事を書く上での選別をしているので、つまらない殺しとか、話題性のない強盗とかは一切取り扱わないし、教育上使えるものを選んでいる程度だと思われます。だから実際裁判員として法廷担当する案件はもっとえげつない事件に当たる可能性は十分にあります。

例えば、4人で銀行強盗をして帰りに仲間3人を殺したなど、マスコミでは報道していない(できない)事件を目にすることになると思うし、事件現場写真や、証拠写真、バラバラ遺体写真も見ることになるかもしれない。言うまでもないが、これもTVで見ることはできない。

裁判意外と重大事件というのは少ない?

そもそも日本というのは、犯罪率や再犯率が非常に少ない国であります。重大事件といっても年間で何百件程しかないですし、その内7割が全面自供をしているので、裁判員として法廷に参加しても、7割の確立でただ見ているだけという授業参観状態になると考えられます。国民想像している「無罪を主張している被告人」などというのは1%にも満たないですし、それがマスコミで話題になり報道されるので、人々が誤解をし勝手イメージ司法を捉えてしまっているのではないでしょうか。

しかも、裁判所で白黒決めてる訳ではない!

刑事事件というのは、警察逮捕して検察庁に送られます。そこの執務室で検事起訴するかを判断します。起訴された被告人裁判所で裁かれる流れなのですが、この時の裁判所での有罪率が99.9%と言われています。ということは、検事起訴すれば有罪。逆にいうと、犯罪者でも起訴されなければ無罪になるということなのです。つまり、裁判所で白黒を決めているのではなく、検察で有罪か無罪かを決め、裁判所量刑を決めているのです。

被害者参加は被害者の為のものではない

少し話が脱線しますが、被害者遺族が法廷被告人に質問などができるようになりました。しかし、この制度も明らかに奇妙なのです。例えば、こんなシーンを見た事ないだろうか。自分子供を殺された母親被告人を恨んで殺してやると涙してる姿を。しかし、実際にはこんなケースは希有で、殆どの殺人は身内殺人や遺族殺人ですから意味がないのです。しかも、色々時間掛けて参加しても最終的に無罪になれば被害者遺族は無残な事になります。このことから被害者参加の意味というのは私には理解ができないのです。

法廷裁判員制度をするなら徹底してやるべき!

ご存知だと思いますが、国民の殆どが裁判に興味がなく参加したがらないのが現状です。これは施行後も変わらないでしょう。なのに裁判員制度は走りだしています。検察弁護士判事政治家かも、これといって得をする組織がありませんし、国民も得をするとは思いません。

今までの司法村のあり方にガタがきているからか?グローバル化によって日本静寂してるからか?いくら考えても何の為に施行するか考えつきません。個人的には、裁判官と話ができるし、法廷の雰囲気を体感できるので前向きに参加するのでいいのですが、俯瞰的に見たときにこれといった理由が思い浮かばないのが結論です。

ここからは私の理想論なのですが、裁判員制度施行するのであれば、もっと国民司法に介入してもいいのではと思っています。今の裁判員制度だと一生に数回しか参加できないですが、国民一人ひとりが裁判員を年に1回参加する頻度にすればいいのではと考えます。確定申告みたいに。そして、取り扱う案件も幅広くし、裁判官の人事権も参加できるようにすれば良いのではないでしょうか。つまり、社会の当たり前として考える事により色々解決すると思う訳です。具体的に何が変化するのか考えて見ました。3つあります。

一つ目は、大企業は勿論の事、中小企業や個人で仕事している人でも裁判員制度で穴が開くことを前提で仕事を組み立てようとします。そのことで働きすぎの企業体系も、仕事のあり方すら変化するのでは考えます。

二つ目は、司法村の改革です。重大事件以外も裁判員制度にすることで保守的な司法オープンにできればと願います。

三つ目はは、国民一人ひとりの意識改革です。日本人は極めて傍観者的であり、お任せ意識が強く、何事にも関わろうとしません。昨今では、グローバル化日本先進国と言われていますが新興国の追随で、このままでは淘汰の可能性もあります。裁判員制度をきっかけに、銘々が少しでも自立し国全体の温床になればと妄想します。

裁判所骨の髄まで保守的な判事裁判員制度くらいでは変わらない?

ショッキングな事に、裁判官法律を調べて量刑を決めていません。判例と比較して量刑を決めているのが実態です。なぜかというと、司法村で個性的な事(判例を無視した量刑)をすると左遷やクビになるからです。冒頭で述べたように、基本的に検察が白黒を決めているようなものなので、裁判所ではセレモニーが行われているだけなのです。判事にとってノルマは絶対ですし、仕事を溜めるのはご法度勾留却下することもできない、そんなマニュアルを見ているが如く流れ作業をしている判事なので、裁判員制度くらいでは保守的な考えは直らないだろうと思う訳です。

何が言いたいかと申しますと、例え裁判員素人)が参加したとしても、3人の裁判官の内一人でも無罪に入れないと過半数でも無罪にならないことから、判事は絶対の権限を持っていますし永山基準は変わらず、保守的な形態は緩和しないのではと懸念します。

先ほどでも述べましたが、私としては、判事の人事権や重大事件以外(勾留判断とか)でも国民の監視下に入れることにより、ブラックボックス司法村の透明化、国民インセンティブ、国の温床になると考えますので、やるのであれば徹底してやるべきだと私は思う訳です。

yamalog

2008-11-22

マナー原理主義

京都の町の静寂に、突如爆音が響き渡った。一つのビルから黒煙と炎が吹きあがっている。そのフロアに入っていた会社は「株式会社ぱてな」。知る人ぞ知るエリートIT企業である。フロアの爆発と火災により、従業員12名が死亡し関係者34名が重軽傷を受けた。

株式会社ぱてな」を爆破した犯人は、すぐに特定された。犯人から犯行声明が出されたのだ。犯行声明が出されたのはヤプーブログである。以前から、ぱてなブックマークユーザーと繰り返し対立していたブロガー「弓見山由々実」のブログであった。

弓見山は何度注意してもブックマークしてリンクを貼るぱてなブックマークユーザーに対し「他人のブログに無断でリンクを貼る行為は、誰がどう見てもマナー違反法律違反は法で罰せられるが、マナー違反をされても泣き寝入りするしかない」。そうブログに書き込み、ぱてなブックマーカーに対して不快感を剥き出しにしていた。

株式会社ぱてな」が爆破されたあと、弓見山のブログには「犯行声明」という新しいエントリが投稿された。

犯行声明

株式会社ぱてなが提供するインターネットサービスぱてなブックマークは、そのユーザー以外から見れば明らかなマナー違反である。私を含めた他のインターネット利用者はそう確信している。

私はこれまで、辛抱強くぱてなブックマークユーザーに対し、マナーを守るよう勧告し、株式会社ぱてなに対しても、マナー違反が明らかなサービスの提供を中止するよう求めてきた。リンクを繰り返し貼るユーザーに対しては訴訟も行ってきた。だが、裁判所は明らかなマナー違反にもかかわらず、ぱてなユーザーを罰しようとしない。明らかな「転載」を「引用」とする言い逃れを真に受け、いくつかの訴訟では、マナー違反しているぱてなユーザーマナーを守る私が敗訴する始末だ。

裁判所は機能不全を起こしている。このままでは日本は多くのマナーを守る人が涙を呑むような社会になってしまう。

法が裁かないなら私が裁く。

まずは諸悪の根源である「株式会社ぱてな」を爆破した。

マナーを守るための闘争の第一歩が歴史に刻まれたのである。

全国の同志がマナーを死守するための闘争に立ち上がることであろう。

マナー原理主義同盟 代表 弓見山由々実


犯行声明が出された後、山手線の車内で携帯電話で話をしていた如何にもヤンキーが友人ともども射殺され、埼京線優先席に座っていた健康そうな会社員が殴り殺された。図書館で騒いでいた小学生包丁で刺され、ファーストフード店で騒いでいた女子高生日本刀で斬りつけられた。

日本国内で同時多発的にマナーを守るための闘争が始まったのである。

警察は弓見山由々実の行方を血眼になって捜索したが、その消息は不明だった。そんな警察あざ笑うかのように、弓見山由々実のブログマナーを守るための闘争の成果が次々とエントリとしてアップされた。動画写真マナー違反した人々が駆逐される様子がまざまざと伝えられた。弓見山由々実のブログリンクを貼ったブログユーザーは身元が判明していれば自宅が襲撃された。また、コメントで非難を行った者のIPアドレスからプロバイダの基地局が特定され、基地局は連帯責任で次々と破壊された。

マナーの嵐が日本中に吹き荒れ、多くの人がマナーを犯す事を恐れた。何がマナーなのか。人々にとって一挙手一投足が疑問であり、恐怖であった。

人々の恐怖がピークに達したある日、弓見山由々実は殺された。

マナー原理主義の同志の一人からレストランで射殺されたのである。弓見山由々実を射殺した同志は、女性であり弓見山の片腕としてマナー原理主義の活動を支えていた。名前は奈間山真奈。奈間山は警察に連行される途中、テレビカメラの前で語った。

「弓見山さん、信じてたのに。

まさかライスをそのままフォークで食べるなんて。フォークの背にライスを乗せないなんて、マナー違反もいいとこだわ。

私には許せなかった・・・」

奈間山はそう言い残して、警察に連行された。


インスパイア元>

一般常識ブログマナーを訴える人と、全く話がかみ合わないたった一つの理由

一般常識・礼儀とブログマナー

2008-10-20

村正

552 名前:550[sage] 投稿日:2008/10/14(火) 15:00:53 ID:LImVJlD10

生と死の狭間に己を笑い恍惚として自ら忘るる

されば夜明けの嘆きを鐘に神曲の幕よいざ上がれ

奇跡を行う聖人衆生を救い神を呪って嘔吐する

黄金の兜の覇王は万里を征し愛馬と共に川底へ沈む

湖の美姫は国を捨て愛を選び糞尿に溺れて刑死する

孤赤児は蚯蚓の血を母の乳とし三夜して腹より腐る

生命よこの賛歌を聞け笑い疲れた怨嗟を重ねて

生命よこの祈りを聞け怒りおののく喜びを枕に

百年の生は炎と剣の連環が幾重にも飾り立てよう

七日の生は闇と静寂に守られ無垢に光り輝くだろう

獣よ踊れ野を馳せよ唄い騒いで猛り駆けめぐれ

いまや如何なる鎖も檻も汝の前には朽ちた土塊

生と死の選択を己に課す命題として自ら問う

されば嘲笑の歓喜する渦に喜劇の幕よいざ上がれ

嵐の夜に吼え立てる犬は愚かな盗賊と果敢に戦う

温かい巣で親鳥を待つ雛は蛇の腹を寝床に安らぐ

漏れ日の下で生まれた獅子は幾千の鹿を飽食し

せせらぎを聞く蛙の卵は子供が拾って踏みつぶす

生の意味を信じる者よ道化の真摯な詭弁を聞け

死の恐怖に震える者よ悪魔仮面は黒塗りの鏡

生命に問いを向けるなら道化悪魔は匙を持ち

生命を信じ耽溺するなら道化悪魔は冠を脱ぐ

獣よ踊れ野を馳せよ唄い騒いで猛り駆けめぐれ

いまや如何なる鎖も檻も汝の前には朽ちた土塊

姫は唄い、諸人を祝い、

そして地獄へ蹴り落した。

2008-10-14

男なら、大道 2016五輪

249 :どうですか解説の名無しさん:2008/10/14(火) 19:14:24.84 ID:/UJ4CE1j

2016年 オリンピックに復活した野球東京ドームで開催されていた。

その決勝戦、1点を追う9回裏2アウト1、2塁、最後のチャンスに

初芝日本代表監督がベンチを出てアンパイヤ代打を告げる。

ピンチヒッター、大道」

やや白髪の交じった、妙に日焼けした46歳の男の登場に

米国代表の若いピッチャーは驚きを隠せなかった

こぶし2つ分短く握ったバットゆらゆら揺らしながら、

気持ちオープンスタンスでかがみ込む

――メジャーではまず見かけない奇妙スタイル

いとも簡単に1ボール2ストライクに追い込まれた大道だが

そこからがこの男の見せ所だった。

251 :どうですか解説の名無しさん:2008/10/14(火) 19:14:54.02 ID:/UJ4CE1j

ファール、ファール、ファール、ボール、ファール・・・・

 「俺は一体こいつに何球放ったんだ?」

集中力がやや途切れたまま、若いピッチャーが投じた13球目は

見入られたかのようにど真ん中へと吸い込まれる

――その失投を大道のバットが逃すはずがなかった。

静寂から一転して沸き起こった大歓声の中、

大道はゆっくりとした足取りでダイヤモンドを回る

してテレビで観戦していた世界中の人々は思わずこう呟いた

「あの男が大道か・・・・

 男なら大道」

2008-09-07

心の澄んだ花を荒らしても探すなら

静寂(しずけさ)がつつみ、争いのない世界に生まれ変わる。

打ち切りを喰らったアニメ版ファイナルファンタジーFF:アンリミテッドOP、Over the FANTASYの一節である。

初めてこの歌詞を聞いたときどういう意味か理解できなかった。正確には理解するのを常識と良識と臆病さと卑怯さが阻止した。

JPOPとアニソンに自由平等博愛努力友情勝利ガッシボカスイーツなテーマの詩が多い中で、この詩は心の澄んだ花を荒すことによってこそ、真に平和世界に生まれ変わることができると歌っている。この詩を聞いたとき、丁度他人を蹴落としてでも競争し、どんなにえげつない手段を使っても勝利しなければならない状況にあった自分がいた。そんな状況にいつつも、他人を抹殺することを躊躇していた優しくも優れてもいないただ臆病で卑怯なだけの自分に漆黒の殺意を芽生えさせてくれたのがこの歌だった。そしてこの歌は薄汚れた灰色の自分を、暗黒の勝負の谷底に突き落としてくれただけでなく、真に厳しいのは茨の道ではなくけがれを知らぬ無垢な花の道であることを教えてくれた。

そんな自分にとってフェータルだった歌をグーグル先生に聞いてみたら歌詞違ってた。「荒らしても探すなら」じゃなくて「嵐でも咲かせたら」だった。普通じゃん。普通アニソンじゃん。俺の漆黒の殺意なんだったの。俺が葬ったあいつらなんだったの。

2008-08-11

押井映画スカイ・クロラ)をみる作法

いやね、嫁と「スカイ・クロラ」行ったわけですよ。昭島MOVIXにね。

そしたら、となりが若い娘の二人連れでポップコーンとか食ってるわけですよ。

押井映画見ながら物食うな」とチャーチルも言ってるでしょう。

もう、檄怒ですよ。

押井映画っていったら、それこそクラシック聞くようなもんで、物音ひとつ立てずに、咳払いも楽章間でしかしちゃいけんわけですよ。

すなわち、はじまったらさいごまで、まんじりともせず、まばたきひとつせずにいるべきなんですよ。

普段、クラシックコンサートで、となりのオヤジが指揮したり、鼻歌うたっても気が弱くて、注意もできない私ですが、今日ばかりははじまってからもボリボリやりやがったら絶対注意するき満々でした。

でもね、始まったらのっけからの押井ワールドに、修行僧のような集中力が発動し、娘のボリ音なんか全く気になりませんでしたよ。

あっとういうまの2時間

イノセンス」と「立喰師列伝」でやりたいほうだいやったから、かなりわかりやすい話になってるし、ましてや、押井映画で泣くとは思いませんでした。

エンドロールがはじまる直前のシークエンスもすばらしく、最後の静寂は、まるでマーラー交響曲第9番が終わったあとの永遠寂寞のようで、私の頭の中に美しい「無の和音」を響かせていました。(すいません、意味不明で。つまり、劇場内、まさに水を打ったような静けさですた。)

ほんと、終演後は思わず拍手をしそうになったし、心から生きていてよかった、この映画を見れてよかったと思いました。

空はどこまでも蒼く、犬は可愛い。世はすべてこともなし。

あと、信者なら大丈夫だと思うけど、エンドロール終わるまで席たつなよ。

後悔するぞ。

付記

私は押井中道リベラル原理主義者なので、右派の人みたく、加瀬某がどうとか、菊池某の演技がどうとか、そういう瑣末なことでは怒らないのです。

私にとってこの映画は、完全無欠です。

2008-07-28

しりとりの思い出

小学校の教師が国語時間に「文章しりとりをやろう」と言い出してきた話

なにやら文章力を鍛えるためだとか。

ちょっと考えればわかるが、文章なんて大体終止形で終わるんだから、ある程度尻の文字は限定される。

更に小学生はいい子ちゃんを強要されるから必然的に「です、ます」調が多くなる。

なので、いかに「す」を頭文字にした名詞適当な文章を作るかといった珍奇なゲームになっていった。

中学時代の勇者の話

身体検査だか予防接種だとかで授業ができないため、クラスしりとりをすることに。

マァなんてことはない普通しりとりで、ぼへーとしてるうちに時間は過ぎていった。

そして、ある地味めな、それでいてオタクっぽくはない所謂普通男子Aの順番になった。

「ま……、まんこ!」

高らかに彼はそう言った。

一瞬の静寂、そして爆笑。

おそらくうっかり言ってしまったのであろう。

彼は顔を赤くして必死に弁明を試みるも、爆笑の渦にかき消されてしまう。

そんな中、ある女子が笑いながら、よく通る声でツッコミを入れた。

ダメだよA、まんこなんて言っちゃ!」

彼女は、墓穴を、掘った。

度重なるまんこ発言に再び爆笑するクラス、赤面する二人。

Aは「まんこじゃない! マント! マント!」と苦しい言い訳

かたやの女子は言い訳するすべもなく、ただ黙っているしかなかった。

いつか同窓会であったら彼らに偉大なるインカの王の名前を教えてあげようと思う。

彼らの心の傷が少しでも癒えるのであれば。

2008-06-19

ガソリン高騰を受けて。

車で急ぐいつもの帰り道、いつもの信号待ち。

体感時間なら2分は掛かる長い信号待ちでエンジンストップをしてみた。

とたんに訪れる静寂

夜に押しつぶされそうだった。

クーラー代わりに開けていた窓から、夜風に乗って対向車の小さなエンジン音が聞こえた。

遠くから届く蛙の声と静かにセッションしている。

夏は夜。やるじゃん、清少納言

2008-04-06

静寂

心を鎮め、何もかもを不動にすれば、隣室からのあえぎ声も聞こえてくるだろう……。

2008-04-03

天体観測

リビングファッションPSが置いてあった。どうやら妹が読んでいる雑誌のようだ。

手にとってパラパラっと読んでいたら、「初めての夜」STORYというのが目に留まった。

どんな初々しいことが書いてあるんだろ?とワクテカしながら読んでいたら、

初めてなのにイッた、同時に達した、「触って・・・」と懇願、着物プレイ学校で、と、

これ、なんてエロゲ?というお話ばっかりで。

中でも最高なのがコレ。

story5「高校天文台で星を見ながら最初のSEX

話を要約すると、

A子の通う学校は必ず部活に入らねばならず、帰宅部希望は実質休部状態の天文学部に入るのが常だそう。

その年の入部はA子とB男だけで、天文台で星を眺めているうちに、気がついたらちちくりあっており、

学校制服を着たままするという背徳感にゾクゾクし、初めてというのを忘れ感じまくっていたんだとか。

帰宅部希望が2人とかありえねー、とか思いつつも、「その後の2人」がもっと面白い。

以下、全文、そのまま抜粋。

高校三年間、放課後休み時間天文台セックスを続けて、

卒業と同時に音信不通に。「彼とは天文台じゃないと感じないのかも」と自己分析

彼とは天文台じゃないと感じないってなんやねん!

卒業と同時に音信不通ってどういうことやねん!

4月末の夕暮れ時の星は美しい、と青春を感じたちょっとした美談だったのに!

天文台、星、入部は2人だけ、という乙女チックなロマンティックワード満載だったのに!

それなのに、

オチは、ただのお猿な2人かよ!

そんな2人にこの歌を捧げよう。

天体観測

午前二時 フミキリに 望遠鏡を担いでった(実際は、午後2時過ぎくらい?)

ベルトに結んだラジオ 雨は降らないらしい(雨が降らなくてよかったね)

二分後に君が来た 大袈裟な荷物しょって来た(授業おつかれっす)

始めようか天体観測 ほうき星を探して(新ジャンル天体観測プレイ

深い闇に飲まれないように 精一杯だった(夜になって校門が閉まる前に、学校出ないとね)

君の震える手を 握ろうとした あの日は(ヤリすぎ!若いっていいネ☆)

見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ(モノ、アレナニ。表現いろいろ)

静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ(そりゃ声は出るよねぇ)

明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった(明日を教師に変換すると)

「イマ」というほうき星 君と二人追いかけていた(「イク」というほうき星を追いかけていた二人)

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん