「雪崩」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 雪崩とは

2023-06-20

anond:20230620124059

山で熊に襲われて死ぬのは自己責任

山で雪崩に遭って死ぬのは自己責任

山でスズメバチに襲われて死ぬのは自己責任

山で杭や札に細工をされて道に迷っても自己責任

山でチェーンに悪戯した奴が居て死んでも自己責任

山で食事を出しっぱなしにした奴が居てクマ召喚されて怪我を負っても自己責任

そういう事だろ?

anond:20230620123429

山で熊に襲われて死ぬのは自己責任

山で雪崩に遭って死ぬのは自己責任

山でスズメバチに襲われて死ぬのは自己責任

山で不快人間に会うのは自己責任か否か?

2023-06-18

EUEV推進はいつまで持つか?

注意:これはEVのもの批判ではなく、EUEV推し進める旨みがどんどん減っている中でどこまで頑張れるかという話です。

今のEUが置かれている状況は以下のような感じだと思う。

もうEV化はEUにとってもマイナスになるアイテムになり始めているんじゃないかな。(日本は書くまでもなくマイナス

まぁ、EUが半鎖国してEU内の需要で食っていく方法もあるかもしれない。

ただ、EU自動車メーカーって中国への依存が大きく、新車販売台数の40%くらいは中国なので半鎖国すると一気に生産台数が減る。

40%も台数が減ったら工場労働者リストラ社会不安ルートまっしぐら

で、中国クルマは売るけど中国メーカーの車は入れないなんてことはこれから中国は許さないだろうから中国商売続けるとしたらBYDとか中国コスパがいいEVEU内に雪崩れ込みシェアを奪われ、以下同。

てか、バッテリーとかモーターとかEVのコア技術そもそも強くなかったのにEUは勝てる気でいたのかね?

実際EVEV!と推し進めた結果、新参者テスラにボロッカスにやられてるし。

まぁ、だからと言ってエンジンに戻るわけにもいかないだろうし、EUはこれからどうしていくんだろうね?

水素トヨタがやってますよ。

e-fuel?たぶんトヨタもやってますし、そんな大量に作れるんすか?

と、こんなこと言うと「まず自分の国の心配しろ!」って言われそうだけど、まぁ明らかにヤバい日本と同レベルかそれ以上にEUヤバいと思う。

2023-06-15

今日、私は、阪神ファンになりました

祈り言葉を書かせてください





今日阪神試合を見に行きました

ライト外野一人ぼっちでです

もともと自分の母方は姫路本拠地があるので3歳から六甲おろしを歌わせてもらえる家庭でした

でも自分物心ついたときから町田町田の近くで育ってて 自分の中心になる球団ってやっぱり遠かったんです

それでも阪神ファンは心の拠り所でな(なんJの影響もある) ずっと視界のどこかで彼らの動向を追うてました

ある日 奇跡的に仕事休みになる日があったんで「そうや!阪神試合観に行こう!」ってなったんすわ

夜行バス往復とって でも行きの晩(昨日の晩)寝坊してね 朝始発で新幹線乗って行きました

関西に住んでる友達と会うて 宝塚散歩してな 別れて で西宮ライト外野におったわけです

昔買うた平鍔のキャップ被って 黄色と黒のかわいいアウター来て 夢中で試合かぶりついてました

ボールを打ってる人たちが僧侶菩薩のように見えて ずっと手を合わせていました 応援歌も聴きかじりのを精一杯歌ってね 真言のように繰り返していたんです

そしたらね 急に天から言われたんです

「お前は今まで阪神ファンファンやった。でもお前は今日ヅカに行ったやろ タワマンの中に美しい水の光る武庫川をお前の目で見た。それは洗礼と一緒や。お前はもう許され、お前の血は祖先の魂とともに一つの川に注ぎ込んだ。阪神ファンになってええ。甲子園にいるあいだはどこにも東京を感じなくていい。明日から関西弁を喋り 誰よりも選手名鑑を読み込んでな 家電を買うんやったら鶴川Joshinに行け」

そう

阪神ファンになってしまいました

現に今こうして書いている言葉も西の言葉でしょう

もう元には戻られへんわけです

試合はボロ負けですわ あの野郎2発もホームラン打たれてな ホンマどないしよんねんもう

全ての人と悔しさを分かち合いたかった でもその瞬間が美しかった みんなが同じ気持ちになっているあの時間きらきらしていた

自分が求めていたものがみんな手の中にある

試合のあと喫煙所雪崩込んで知らないお兄さんと喋りました 叫びたくなったのでキャップを地面になんべんも叩きつけました

そして素戔嗚神社に手を合わせて怒鳴り込みました

「お願いしま!!!!!あなたはずっと甲子園そばにいて 私たちをずっと見守ってくれた やから絶望の底にあっても発破をかけてくれるのはあなたが一番やと思うんです どうか!!!!!!

𝑯𝑨𝑵𝑺𝑯𝑰𝑵 𝑻𝑰𝑮𝑬𝑹𝑺を

日本で一番強い球団にしてください!!!!!!!!!!!!!」

本気で神様に祈ったことは 生まれて初めてだった 今日は救いの日だ 雨に打たれた後のようにずぶ濡れになって(全て自分の汗やった) 大声をあげて泣きました

ぎゅうぎゅうに詰まった甲子園駅に向かう群衆のなかで 僕は鳥取に住んでる仲のいい男の子衝動的に電話しました 電話越しの介抱も大変やったと思う わしはベロベロに酔っててな もうめちゃくちゃになってた すぐに電話を切って電車に詰め込まれました

初めて梅田遭難しました

あんなにスイスイ歩けてたはずなのになんにもわからなくて泣きそうでした どこからジャズの音が聴こえてきて踊ってしまいました 魂のそこからわいてくる踊りです トランペットを吹いていたお兄さんに財布の小銭を全部わたし

そして気がついたら梅田プラザモータープールの端っこにいます

日本じゅうの𝑯𝑨𝑵𝑺𝑯𝑰𝑵 𝑻𝑰𝑮𝑬𝑹𝑺ファンのみなさん 見えますか?聞こえていますか?

今日僕は 私は ワイは 全ての人格あなたたちと同じく大いなる武庫川帰依しました

佛 この土地

法 讀賣新聞を一生買わんという気持ち

僧 日々練習に勤しむ選手たち

いやお前なに神社に祈ってんねんという話ですけれどもね

この気持ちを吐き出させてくれてありがとう

増田 この場所をくれてありがとう

愛しています

また戻ってきます

試合が長引いたら加古川より向こう側の人の心配しま

そしてその西、市川沿いに静かに暮らす私の祖母と、書写山の遠くの空に眠る祖父、散り散りになっても関西弁を話しつづける従兄弟たちに思いを馳せます

阿僧祇那由多言われてきた駄洒落を言います

武庫川の、向こう側……w

すんません

祈ります





光ARE

2023-06-10

anond:20230610144428

JDP活から雪崩れ込み、俺みたいに40過ぎちゃうとできない芸当だから是非頑張って

2023-06-09

君らさぁ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/1036149061519311769

普段SoftBankだとクソミソコメントすんのになんなん?

ガチガチにこれだけをほめそやす必要見当たらんのやけど?

--

技術検証としてやってることはええんやけど

正直実用性としてはどうなん?ってなってしまうやろ

位置情報取得の同意または専用アプリ必要

・圏外であることが分かっていても"SoftBank"SIMスマホ電源ONにしたまま

・圏外だと電池消耗激しいのに起動している必要あり

・中継機としてのドローンの他に現場中継車必要

--

雪崩で埋もれた時用のビーコンとか既にあるやろ

Wi-Fi電波飛ばしたって自動接続されんやろ

Twitterにおったけど「スマートタグで同じこと出来るようにして」とか言ってるやつは

記事をまるで理解しとらん

id:legnum https://time-space.kddi.com/au-kddi/20210531/3115

id:hiro7373 https://ascii.jp/elem/000/001/969/1969327/

2023-06-01

anond:20230601084829

しか与党に限んねえから

それな…

経済格差だってまり話題になってない気がするよ。

広がる格差と分断の代償は雪崩のように起きると思うわ…

2023-05-13

【ゆる募】CxOがメンタル病んでるとき対処

相談

ぶっちゃけ、CxOがメンタル病んでるときってどうすればいいの?

背景

うちはベンチャーで、まだまだ小規模なんだよねー。

CxOがふたり社員20人、バイトがぼちぼち。

現状

CxOのふたりが完全にキテるんだよねー、たぶんメンタルやられちゃって、音信不通なっちゃったんだよ。

時々返信はしてくれるけど、ほとんど音信不通か、支離滅裂言動しかないんだよね。

経営方針見直しを進める」と言ったきり、もう全然何も動いてないんだよね。

それに、誰がコントロールしてるのか全然からない状態半年くらい続いちゃってるんだよねー。ありえないよね?

今の対処

うちの会社20人も社員いるんだけど、みんな普通に仕事してるだけで、リーダーシップを発揮する人もいないし、なんとなく仕切ってる人もいるんだけど、何となくって感じで全然統率が取れてないのよね。

でもみんな、このままじゃヤバいって気づいてはいるのよ。ただ、自分たちでどうしたらいいのか、どういう方針に沿って動けばいいのか、まったく分からなくて、解決策が出せない状況なんだよねー。

直近の課題① 資金繰りヤバい

CxOのひとりが経営担当

うちの会社資金繰りめっちゃヤバくて、相談の連絡をしても、最高で「検討します」って一言だけ。それでもマシでスタンプ押されるだけか、基本は完全放置で返信なし。

顧客との窓口もCxOだった。

顧客から要望相談も全部放置されちゃうから契約を獲得するのも超難しいんだよね。

銀行投資家とか、そういうのもCxOが全部窓口になってたから、社員には全然からないんだよねー。

そんな状況で、誰に相談して良いのか、どうしたらいいのか、全然からないの。ホントヤバイよねー。

直近の課題② 開発チームの運営ヤバい

CxOのもうひとりが開発。

こんな状況なんで、開発チームの状況もヤバイんだよねー。

実装してる人とか、何の根拠も基づいてるのか分からない。ひたすら謎サービスを作って捨ててる。

機能の追加・中止・停止も混乱してるし、誰からの指示なのかも整理されてない。

結局全部CxOの指示なんだけど、支離滅裂で、お客さんから意見を聞いても詳細な連絡はなく、

そのあと数週間は音信不通。で、「開発中止だ」とか言いだすからさ。

また数週間音信途絶えるし。半年これだから、もう開発どうすりゃいいのかみんな右往左往してるのよ。

そしてついに退職者が出てしまい、このまま雪崩れていかいか心配してるのよ。

今、取り組んでいるコト。

CxOがその状態経営方針も示されず、現場混沌として、もうみんな困り果てちゃってるんだね。

メンタル問題って、個人的なことだからなかなか他人がどうこうできないもんだけど、会社トップとして責任を持ってるわけだから、何かしら対策を打つ必要があるよね。

まずは、業務が回るように、担当者や担当業務を明確にすることが大事かもしれない。開発チームの混乱もその一環だろうし、具体的にどういう開発を進めるのかを決めて、それに基づいて作業を進めていく必要があるんじゃない?

それに加えて、CxOのメンタル問題についても、専門的なカウンセリングを受けたり、病院で診察を受けたりすることを推奨するのもいいと思う。もちろん、本人の意向が最優先だけど、ここは会社トップとして、彼らが回復して会社を立て直すためにも、何かしらの対策を考えていく必要があるんじゃないかな。

というわけで、手始めにChatGPTに相談してみたんですよー。

ChatGPTの回答

メンタルヘルスに関する問題は、非常に個人的かつデリケート問題であり、解決策は個人によって異なる場合があります。ただ、CxOがメンタルヘルスの問題を抱えている場合、以下のようなアクションが役立つかもしれません。

まず第一に、当該CxOに対して、彼らが抱えている問題理解しようとすることが重要です。彼らが現在抱えている問題ストレス要因、不安不安定さについての情報を集め、彼らが抱えている問題に対して適切な支援提供することが必要です。

また、メンタルヘルスの専門家アドバイスを求めることも役立ちます。彼らは、このような状況に対して専門的なアドバイス提供し、問題対処するための支援提供することができます

CxOが仕事から離れて休暇を取る必要がある場合、休暇を取ることが重要であり、彼らが休息と回復必要時間空間を得られるように支援することが必要です。

最後に、チーム全体で、CxOが抱えている問題に対して、協力し、支援し合うことが大切です。チームが一丸となって行動し、彼らに必要サポート提供することが、回復に向けて最も効果的な方法かもしれません。

 

そうだねー。分かってたー。そうだよねー。

分かっているけど解決しない問題

ググると「部下がメンタル病んだ場合上司に求められる対処」は出てくる。

書籍もたくさん見つかる。自腹で買いこんだ。私が何とかするしかないと思って。

勉強した。で、結論も得た。

同じ状況に照らせば、休養・療養を命じるべき状況なんじゃないかと思っている。

けど、相手はCxOなんで命じるも何もないし、何なら交代もいないのよねー。

そこで冒頭の相談なんですけれども

CxOがメンタル病んだ場合ってどうすればいいの?

私も逃げ出すべき?(ぶっちゃけこんな時間まで寝られないくらい私もメンタルにきてる)

2023-04-14

まちがい:雪崩を打ったように店に駆け込んだ

×:雪崩を打ったように店に駆け込んだ

○:雪崩を打って店に駆け込んだ

雪崩を打つ」=「雪崩のように流れ込むこと」だからそれに更に「ように」を付けるのはおかし

ソースマナー講師

2023-04-06

映画】逆転のトライアングル

・えっここで終わり?!

・船沈没まではすごい「画面に飽きさせなよう」とあの手この手で工夫してくれた感じがしたけど島ターンからは「普通に俳優さんを映す」感じになってた

・で、でも

 ずっと気になってから見れてよかったし

 ターとウーマントーキング予告編初めて見れたし

 船沈没までの画面に満ち満ちる悪意皮肉ラストラスト主人公が森?を

 EDM背景にダッシュするとこの謎の爽やかさ?とかよかったし

 この監督作品、前からたかたから見れてよかったし

・船沈没の原因、思ってたんと違った

 「これうちのやつやん!」とは思わんやろ

 アル中船長×悪天候でかと思ってた

・船沈没シーン、映像で魅せて欲しかった

 パラサイト意識してるんやろうし

 水が船内に雪崩込んで天地が分からなくなるような絵面と轟音で「ハイ!船ターンは終わりです!」って画面の暴力で「わからせて」欲しかった

・前半の富裕層の無邪気な悪意演出、すごい

 「泳ごうよ!」の「なんだぁ、テメエ…」笑顔演技

 よかった

性別奢る奢らないとか破茶滅茶船内アナウンスシーンとかいっぱい色々テーマとしてふっかけたいことはあるだろうのは何となく伝わった!しかし無学故に「ちょっとよくわからない…」ってなった

・もうこれ2人別れればよくないか

無人島漂流もの、大体このオチになりがち(というか又は永住エンドか死亡エンドしかないけど)なのでオチ何となく想像ついてる感はあった

・結局その各々のポジションからしかものは見えないよねっていう…?

配信でよかったかもしれないが

配信だったら最後まで見ないだろう作品


追記)

・見終わって次の日労働中に妙に思い出す

・船内アナウンスの「今の自分を御託で慰めて取り繕ってもそれ鏡見ながらそれ言えんの?いえるならキチだぞ」的なやつ、刺さるゥー

・あとラスト流れる曲の和訳と「結局どこに行っても階層から逃げられない」の対比がエグ

2023-03-17

町内会掲示板になにか動物写真が貼ってあった。また迷い猫かと思って通り過ぎざまに覗くと、『ハクビシンにご注意!』と書いてある。写真の画質は荒く、暗闇に目を光らせたひょろ長い動物が写っている。住宅街でも屋根裏に住み着いて、糞害が発生するらしい。

ああ、こいつか、と思った。

去年から木造の平屋に住んでいる。昭和初期の建物だと不動産屋は言っていた。立地のわりに家賃が安かったので借りたが、毎日、夜になると寝室の天井裏で何かが走り回る気配がする。ベッドに入って電気を消すと、狙いすましたようにどたばたが始まる。

こんな音をたてるネズミって、どんな大きさだろう。「きっと子犬くらいの大きさに育ってるよ」と彼女が答える。ベッドに横たわったままこちらを見ず、眼の白い部分だけが潤んで光る。この種のやりとりは毎晩寝る前の儀式みたいになっていた。どちらかが黙ったらもう寝るという合図だ。

ハクビシン画像iPhoneで見せた夜。「かわいい。ねえこれ見たい」と彼女は言った。

板を外して天井裏を覗いたら、ハクビシンの糞だらけかもしれない。野生動物勝手に捕まえちゃいけないらしいから、見つけたところでどうしようもない。とは言ってみたが結局、週末にホームセンターへ脚立を買いに行くことになった。この興味と意欲はどこから来るのか。彼女はこれほど動物好きの人物であったか。一緒に暮らしてみたところで、知らないことの方が多い。

思えば、天井裏のどたばたが始まった頃から彼女は籠もるようになった。夕食後の片づけが終わると無言で寝室に行き、鍵をかける。自分ダイニングテーブル国語の小テストを採点していると、壁の向こうからベッドのきしる音が聞こえる。はじめのうちは思い出したように間を置いて聞こえるきしりが、次第に規則正しく、小刻みになる。聞いているだけでこちらも緊張感の高まりを感じるが、寝室は隣なので聞かないようにすることもできない。

「さ」と「ち」が逆になっている答案を赤ペンで直したりしているうちに、ベッドのきしりは神経質なほど小刻みに高まってから突然止む。ほどなくして彼女は裸足でやってくる。顔は風呂上がりのように上気して赤く、目はどろんとしている。冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに注ぐと一息に飲む。まるで今日は一滴も水を飲んでいなかったように、喉を鳴らして飲む。飲み終わるとキッチンシンクにそのままコップを置いて、椅子へ逆向きに跨がり、背もたれに肘をついて、髪をくしゃくしゃにつかんだままじっとしている。こういうときには話しかけてもだいたい返事は返ってこない。

土曜の夕方ホームセンターへ行ってアルミ製の脚立を買った。二つのはしごを留める部分が赤く塗装してあり、なんとなくレトロな感じが気に入った。二人で車に脚立を積み終わると暗くなっていたので、どこかで何か食べてから帰ることにした。

国道沿いのドライブインに寄った。入口の上にメガラーメンと大きく書いてある。プラスチックの板を一文字ずつ切り抜いて貼ってあるらしいが、左端の一文字が剥がれ落ちて読めない。店内は他に客がいなかった。テーブル席に座ると店主らしい人が出てきてメニューを置いていった。「ラーメン」と一行だけ書いてあったので頼んだ。

出てきたラーメンは真っ黒で甘辛かった。スープの表面が灰色になるくらい彼女コショウの瓶を振った。そんなに入れて辛くないのか聞いたが、これおいしいと言いながら彼女は丼を飲み干した。

帰宅して寝室に脚立を設置すると、彼女は滑らかな動きで昇った。脚立を支えながら見上げると、彼女天井の板を外し、頭を入れて覗き込んでいる。何かいる?と聞くと、わかんない、もっとよく見ないと、と言いながら天井裏に入っていった。

「ああああああああああ、めっっちゃくちゃ生えてる、生えてるよ?」

何が、と聞いた瞬間、天井の穴から何かが大量に、雪崩をうって落ちてきた。完全に埋められてしまったので手でかき分けて頭を出し、ひとつ拾い上げてみると、それはピンポン球大の茶色キノコだった。つまむと弾力があった。見たことがない種類だったので、食べてみる気にはならなかった。寝室を埋め尽くしたキノコを少しずつポリ袋に入れ、燃えるゴミとして出す作業はそれなりに大変だった。

ということがあったのが去年の秋口なので、そろそろ半年になる。

寝室に置いたままの脚立をどこかへ片づけようかと思うこともなくはない。が、彼女が戻ってきたときに降りられなくなると困りそうなので、当面の間はそのままにしている。

2023-01-28

anond:20230127135914

女の怒りはポイント制 なんて、昔は揶揄されていたけど、

男も女も脳の構造がそうなってるんだから仕方ないよ。

怒り信号を発する小さな記憶が蓄積すると、最後最後雪崩のように抑えきれない怒り信号がでてしまうだけ。

相手が何にイラっとするのか注意深く観察し、記録をとって研究しよう。

そして怒りポイントを貯めさせないように頑張って。

2023-01-17

1月オールアンラーキーデイズ

オールアンラーキーデイズ(All anrakki days)とは、3月11日に毎年のように「東日本大震災」の定期券を買わされた増田が、アンサイクロペディアの「3月11日東日本大震災でもあるけど、それより前は何かの記念日だし、その後も誰かの記念日でもあるので普通の日とすべきだ」というのにぶち切れて366日(+α)を全て不謹慎の日として扱ってそれをリストアップした一覧のことをさす。

全て皮肉的に扱うため、Engrish表記日本語Typoを用いる。

決め方

以下の順番でその日に起きた出来事をチェックしている。 基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件事象場合海外対象に入る。

  1. インターネットミーム化したものなどのネット炎上事件(ここは増田なので
  2. 東日本大震災台風豪雨などの未曾有の自然災害
  3. 世界レベルで起きた戦争の開戦・終戦日(世界大戦及びそれに匹敵するレベルのもの冷戦など)
  4. 1900年以降に起きた戦争テロ等の軍事行動殺人事件ロシアウクライナなど)
  5. 1900年以降に発生した交通事故(空>海>陸の順、死亡しない場合は除外)
  6. 世界的に炎上問題行動を起こした人間誕生日(本当に話題が無い時に書く)

なお1月3月11月12月雪崩による災害6月9月にかけては台風などによる豪雨などの土砂災害安全地帯ほとんど存在しないことが判明している。

1月

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

2022-12-29

anond:20221229182816

正しい

なので、覇権アニメという語は唾棄すべきワードである



…のだが、字面だけ見て、なんか今季最強支持アニメってことなんだろ!?みたいに勘違いした一般ピーポーが雪崩れ込んだせいで状況は混沌としている

あと5年くらいしたらテレビでも使われるかもしれないと思ってる

2022-12-27

Amazonの置き配って縦にして置くマニュアルでもあるのか?

いつも車庫に置いてってもらうんだけど

いつも狭い側面の方を底にして、縦長になる形で置いていくんだよな。

から中の荷物がいつも雪崩を起こしている。

車がまっすぐ出たときに踏みつぶさないようにという配慮なのだろうか。

2022-12-16

勘違いされがちな住宅設備

食洗機乾燥機能がメイン

https://anond.hatelabo.jp/20221215182949

食洗機は洗うのも重要だけどメインは乾燥機

手洗いすると乾燥させる場所を確保しないといけなくてそれが場所を取る

食器カゴは不衛生だし見た目も良くない

いつ乾燥たかからいから片付けられなくて、上に食器を積んでいって雪崩を起こした経験はみんなあると思う

食洗機能については高温・アルカリで洗浄するから手洗いより綺麗に取れる

まぁ手洗いしても10分ぐらいで終わるっていうのはその通りなんだけど

その後の乾燥のことを考えたらどうせ放り込むので

最初から入れてしまってボタンを押して放置するのが基本になる

音が五月蠅いのはその通りなのでキッチンでの設置場所は考えた方が良い

新築なら太陽光パネル設置は当たり前

太陽光は元が取れない」

っていうのは後から設置する場合の話であって新築ならその限りでは無い

屋根瓦一体型ならもともとの屋根瓦の代わりにパネルを買うだけなので差額だけで済む

足場の設置もいらない(どうせ作る)し配電周りで困ることもない

後はコントローラーとかその周辺だけど全然安いし補助金で賄えるから得にしかならない

売電価格で採算を計算する人多いけど自家消費の方がかなり助かる

今日とか凄い寒いけど太陽光はしっかり発電してるから全部屋エアコン入れっぱなしでも売電できてる

東京都新築限定義務化したのは凄く合理的

気密性の向上はほとんどエコにならない

今時の家なら気密性・断熱性は十分に担保されている

というか換気設備義務づけられてるからどうせ空気は入れ替わる

ハウスメーカーが数値を競ってるけど、間取り土地の形、施工業者によって全然変わってくるからほとんど意味がない

(窓とか断熱材とかの部材メーカーが競うのは分かる)

気密性にめちゃくちゃこだわっても開口部の広い掃き出し窓を作るとそこから冷えるのでほとんど効果がない

「大きな窓は欲しいよね?冬は寒くなるけどどうせエアコン入れっぱなしだし別にいっか」ってなる

もちろん怪しい工務店・激安ハウスメーカーを使うとその限りでは無いけれど

その手のメーカーは気密性とか以前にいろいろ問題が多いからよく調べる方が良い

2022-12-07

anond:20221206210542

>いい人は、同じ目にあっても〜全員が聖人君子になれるわけではない。

全員そうはなれないという結論は変わらないんだけど…

いい人/悪い人とか、おおらかな人/狭量な人とかよりも、余裕のあるなしだと思うんだよな。余裕がある人はまぁまぁ我慢スルーも含む)ができるし、余裕がなければどんな善人もキレまくるんじゃないだろうか。

余裕のない人が思い詰めた時は、やるかやられるかみたいな心理雪崩落ちていくのは本当にそうだと思う。そういう人が自分精神を建て直さなきゃいけないわけでもない。

ただ、視野狭窄は怖いなと。解決は色々ありうる。音量が変わらなくても引っ越しもしなくても気にならなくなるようなことって、案外あるからなぁ。

2022-12-05

サマーズ氏、米金融当局市場の予想上回る利上げ必要

サマーズ元米財務長官インフレ圧力が引き続き強いため、米金融当局市場現在の予想を上回る利上げを実施する必要があるだろうと警告した。ブルームバーグテレビジョン番組で語った。

  同氏は米連邦準備制度理事会FRB)のインフレ目標達成について、「インフレ抑制の道のりは長い」と発言。「金融当局市場現在判断し、当局者が今発言しているよりも一段の利上げが必要になると思う」と述べた。

  フェデラルファンドFF金利誘導目標現在3.75-4%。金利先物市場は同目標2023年5月までに5%前後に引き上げられるとトレーダーが予想していることを示す。

  同氏はターミナルレートに関し「6%がわれわれが書くことができるシナリオだ」として、「5%は最善の予測ではない」と指摘した。同氏は11月の米雇用統計発表後に発言した。同統計では平均時給が予想外に急上昇した。

  ハーバード大学教授ブルームバーグテレビジョン寄稿である同氏は、「コア基調インフレ測定の単独の最善策は賃金を見ることだ」とし、インフレは人々が予測しているよりも持続的だとの認識を示した。

  同氏はまた、多くの米経済指標金融当局の利上げの影響がこれまで限定的だと示唆しているが、変化は突然起きる傾向があると警告。「いったん否定的な状況に陥ると、雪崩様相となる。ある時点でこうした事態が発生する現実リスクがあると考える」と述べた。景気下降に関して「いつそれが起きるかは分からない」としながらも、「それが起きれば、かなり強力なものになると思う」と語った。

インフレ目標

  同氏はさらに、「今後は比較的高金利下でのリセッション景気後退)になるだろう。過去のように低金利下のリセッションではない」と警鐘を鳴らした。

  また、過去2年間にインフレ急加速を許してしまった後で信頼性問題が生じる恐れがあるため、FRBインフレ目標現在の2%から3%に変更すべきだとは考えてないと繰り返した。

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-12-04/RMC9ILT1UM0W01

2022-12-03

絵が分からないやつがいくら画像生成AIを使ってもムダなんよね

画像生成AI世界は変わると言ってる人のほとんどが絵のことを全く分かってなくて笑えるんよね。

はてブでもAI絵に関するエントリがあがるけど、その反応もズレてるのばかり。

みんな絵の需要について勘違いしているんよね。

AIアートMMDについて。金は著作権より重い。』 https://tottotoittoiee.hatenablog.com/entry/2022/12/02/064429

イラストを買いたい人間の「需要」とは何か?

それは「早い、安い、上手い」

実はこれだけだ

NovelAIとAnythingV3、Midjourneyはこの需要を満たしている

多くのAI絵師画像生成AIを支持する人たちはみんなこう考えてるんですけど、違うんよね。

絵の需要って「魅力的である」「刺さる」という所なんよね。

上手いけど自分には刺さらないイラスト1000枚よりも刺さるイラスト1枚が勝る世界なんよね。

例えばDL同人サイト一定水準以上のAIエロ絵を安く大量に投下したら爆売れするかと言えばそんなことないんよね。

https://www.dmm.co.jp/dc/doujin/-/list/=/article=maker/id=205521/ (※リンク18禁

現状、AI絵が金になるのはpixivに成年イラストを大量投下してfanbox等に誘導する方法だけだけど、中国人AI絵師も大量に流入しててレッドオーシャンどころか赤が濃すぎてブラックオーシャン状態。。

このあいだ852話氏がこれから画像生成AIを始めたい人たちに向けたnote書いてテコ入れしようとしてるのを見ても分かる通り、画像生成AIブームって既に停滞しつつあるんよね。

AI絵師画像生成AI支持者は、画像生成AI可能性の塊なのに手書き絵師たちの攻撃のせいでイマイチ盛り上がらないと憤ってるのをよく見るけど、違うんよね。

金になるなら手書き絵師もそっちへ雪崩を打つんよね。

でも「早くて安くて上手い」イラスト需要なんてないんよね。

あるのは魅力的なイラストなんよね。。。。

追記

リンクが間違ってたので修正したんよね。

2022-11-16

Twitter はこのまま消滅した方が良いと思う

イーロン・マスク氏の Twitter 買収は Twitter の終わりの始まり、とか言う意見を見聞きする様になったんだが、

個人的Twitter はこのまま消滅した方が社会的に良いと思ってるので、その点について書こうと思う。

追記: スマホで読み返したら読みづらかったし、文章が雑だと感じたので全面的に改稿しています

ちなみに三行しか読みたくない人に向けて話をまとめておくとこうなる:



あと最期のおまけの話は Twitter の代わりはない。諦めろ と言うのが俺の考えです。

理由1. Twitter は死に追い込む事ができるプラットフォームになっている


まず第一に今の Twitter が無い方が良いと思う理由がこれ。

直近で思い出すと木村花さんの事件代表的だが、今の Twitter での炎上一般大衆DMリプライ

リツイート誰でも簡単 他人に悪意をぶつけられる様になっている。

まり誰でも手軽に集団精神暴力を見ず知らずの相手に振えるようになってる。

そしてこの文脈で言うと、10年以上前の昔は炎上舞台ブログコメント欄とか 2ch だったため、

炎上させるには自分から相手領域へ殴り込んでコメントを残さない限り暴言を吐けなかった。

しかコメント欄当事者が閉じれたから、そうなったらそれこそ 2ch でギャーギャーと騒ぐぐらいしかできなかった。

んでその時代から 10年以上経って今どうなったか

まず炎上現場自分領域自分管理するブログから他人領域(この場合 Twitter)に変わった。

その上、誰が見ても酷い暴言を吐いた連中の IP とか分からなくなったし(とは言え自前ブログだと今でも大体 IP は分かる)、

Twitter は一度ひどく炎上すると二度と社会復帰できない惨事現場になった。

と言うのも Twitterパブリックエネミーとして炎上すると、顔が割れ本名バレしたら就職や進学に影響が出るのが常になったし、

パブリックエネミーではない理不尽炎上でも、 Twitter が他の SNS での関連付けされていたらすべての SNS から丸ごと退場、と言う結果になる。

まり一度追い込まれたら SNS に復帰できないどころか、現実社会でも人を追い込める構造になってしまった。

んでさら性質の悪いことに、一度 鍵垢とかアカ消しなどで Twitter から逃げだしたとしても炎上案件面白半分で拡散するアルファ垢とかが普通にいるし、

そう言うクソアルファツイートを対した思慮もなく拡散するバカがアホみたいに居たりするんだよな。

そしてそう言う連中がいるから、一度炎上で火が付くと余程燃やした側に非が無いと炎上は止まらなくなったし、

その結果として、Twitter は人を追い込んで自死自殺)へと仕向ける事が出来るプラットフォームになった。

まり昔の放牧的で日本語すら通らなかった Twitter は気がついたら無くなってて、人を死に追い遣ることも出来る惨状SNS になった。

なんで俺は死人が出る、と言う理由で今の Twitter は無くした方が良いと思ってる。



理由2. Twitter で死人が出ることが、表現言論の自由に対して規制を掛ける大義となる


次の理由がこれ。

直近のニュースで、複合的な理由が要因となって「いいねlike)」だけで民事名誉毀損が認められた、

いわゆる「いいね罪」が発生する様になった、と言う事が表現の自由戦士界隈で話題になってたみたいだが、

俺はこれを当然の結果だと思ってる。

と言うより、さっきも木村花さんの事件言及した様に Twitter で死人や人生破壊される人が出れば出るほど、

司法国家権力は「個人を守る」ために、特定言論一定の圧を掛ける判決規制を出さざるを得なくなる。

なんでかって言えば SNS で死人や被害者が出ている現状を放置する社会、なんて被害者の側からしてみればたまったもんじゃないし、

そう言う社会悪の放置は、往々にして政治現場一定の圧になってくる。んで、この政治側に掛けられる圧が「大義」に化ける。

そしてそう言う「大義」が大手を振って歩ける様になった結果、侮辱罪は厳罰化されたし、それでも SNS個人への精神暴力が止まらず、

より酷い状況を生み出すんであれば、たぶん名誉毀損罪とかも厳罰化されるだろう、と俺は思ってる。

んでそう言う「大義」にかこつけて「言論の自由」を規制したい連中は暗躍するわけで、今の惨事が罷り通る Twitter は既に言論の自由の敵になった、と俺は考えている。

そしてこの手の話が最終的に極まって行けば、極論だけど Twitter みたいな SNS規制省疔直轄の許可制かになりかねないでねーの、と俺個人は思ってます

理由3. 自国大統領(当時トランプ)すら追放したプラットフォーム日本言論を預けるべきではない


これはまあオマケみたいは話ではあるんだけど、Twitter も含め 、例えば Facebook とか Instagram

YouTube とか TikTok とかなんでもそうだが、国外SNS は前提として 日本国における言論の自由は無い

と言うのもこれらの SNS はすべて諸外国法律下に既にあって、その上で日本規制とかが入ってるから

他国規制自国規制、その両方の法規制の元に置かれている。

で、これの何が都合の悪いか、と言うと、例えば日本法律では許されている言論であっても、

サービス提供を行なう本社がある国では違法となる言論があった場合日本に居ながらにして他国法律適用される、とかそう言う事になる。

なんで例えばアメリカでクソったれな言論規制法が出来上がって施行されたとすると、

その法に対し違憲判決が出ない限り Twitter などのアメリカSNS は、日本を含めどの国に対してもそのクソったれな規制下に置かれてしまう。

なのでそう言った意味で、そもそもとしてアメリカ企業が運営する Twitter には日本言論の自由はない。

そしてさら性質の悪いことに、Twitter 社はトランプ大統領が現役だった時、トランプ大統領無茶苦茶を言い出したことに対して、

マニュアル運用トランプ大統領を黙らせようとし、最終的にトランプ大統領が退任した後、アカウントを凍結して Twitter からトランプ元大統領を叩き出した。

んで、自国要人しか大統領にさえ(抵抗権として)牙を向いた Twitter 社が、他国要人が似たような事をしだした時、

同じ様な行動を取らない、なんて保障はあると思うか?思う思わないは個人意見に相異はあるだろうが、俺としてはそうは思わない。

まり Twitter と言う会社は、自社や自国にとって都合の悪い意見政府要人が言い出した場合相手を黙らせた前科があり、

そう言った意味日本政府要人、あるいは公共機関Twitter アカウントが凍結されない、なんて保障は俺は無いと思ってる。

なのでそう言った意味で俺は今の Twitter を信用・信頼すべきではないと思うし、イーロン・マスク氏の暴走がどう影響するか分からんが、

自体がより悪化する方向へ傾くのであれば、俺は Twitter にご退場を願った方が良いと考えてます

おまけ: Twitter の代わりになる SNS存在するか?


そう言った理由で俺は Twitter と言うサービスは、ある面では無くなった方が良いんじゃないかと思ってるんだが、

では Twitter の代わりになるサービスはあるか?と聞かれたら、それはたぶん無い。諦めろ、と言うのが俺の結論

と言うか第二・第三の Twitter もどきが出てきたところで、 Twitter の二の舞になるからそもそもそんなサービス存在すべきではない、と思ってる。

あと Twitter代用、と言う文脈マストドンなどの連合系インスタンス群(Fediverse)が代用候補に上げられるが、

マストドンや misskey 、Pleroma なんかでも同じで、連合系インスタンスであっても、規模がデカくなればなるほどTwitter と同じ末路を辿るだろう、と考えてる。

と言うか連合系インスタンス比較平和なのはユーザー数が少なく良識のある面々が多数派からであって、

そうではないクソみたいな連中が雪崩れ込んできたら、あっと言う間に Twitter の様な荒廃した世界になるのがオチしか俺は思えない。

しかマストドンとかは技術的な面倒を見れるのであれば誰でもインスタンス立てられるから

誹謗中傷暴言陰謀論排外主義差別主義、と言った最悪な言動に特化したインスタンス「も」立てられると言う面もあったりする。

とは言えそう言った最悪系のインスタンスは他のインスタンス連合から弾き出せるし、

Pawoo みたいに海外法律的に連合を組めない(主にえっちイラストが原因)もあるから、これが一概に悪いとは思わない。

が、ユーザーが増えれば増えるほど SNS 系のサービス治安が悪くなるから、俺としては大規模な Twitter もどきを増やす利点を見出せない。

なんで俺個人としては、連合系インスタンスは行儀の良い面々だけで運用されるインスタンスでもない限り治安は最悪になるだろうし、

Twitter で誰とでも暴言吐いて論戦出来る場なんて用意すべきではないと考えてる。

そのためこの節の最初の方でも言ったけど Twitter の代わりは無いし用意すべきでもない。素直に諦めろ

と言うのが俺の結論です。なので誰にとっても救いはない。

2022-11-11

anond:20221111224503

別に自分相手を下の名前でよぼうが痛くないが?

オレなんかはここではオレだけどスーパー相手子供だと「おばちゃんがそれとってあげようか」といおうが自由自在やで

雪崩になりそうなポテチの山とかに子供ってよく手を出すよなぁ

一人称なんて全く固定されているわけじゃないのに自己イメージで固定されてるって思いこんで柵作ってるほうが頭悪そうだ

2022-11-09

一部の人たちが楽しんでた場所にたくさんの人が雪崩れ込んで来て皆の場所にしてしまうのが辛い

インターネットはもうどこもそうだけど

人少ない時が楽しかったなー

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん