「集団訴訟」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 集団訴訟とは

2014-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20140530101711

なんにせよフクシマという要素は関係ないんだよバーカ

あるよ馬鹿弱者と呼べるのは福島の人だけだ。お前も俺も強者だよ。

自覚しろ、少なくとも福島人の苦難を要素として「関係ない」とばっさり切り捨てた上でフクシマフクシマ嬉しそうに言ってるお前は最悪の福島迫害者で差別者だ。だから反原発クズなんだ。

一人と多人数ならどちらが強いか弱いかは明らか

徒党を組んでるだろお前ら十分。

つーか、社会的弱者を計るのに人数関係ねえよ。普通弱者集団訴訟をするんだよ。

2013-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20130207062156

JR東日本集団訴訟を起こされるべきだよな。

昨日の勝手ダイヤ変更でいくらの金が吹っ飛んだと思ってんだ。

2012-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20121101114824

数十人な、俺が布教しまくったか

正確にいうと13人位かなw

俺は紹介しまくったよ。手術結果にも納得してるし、紹介料おいしいからね。

一人だけ左目の角膜の関係で、

手術する前の検査レーシック受けても片目は将来的には視力が落ちる可能性が高いから数年後再手術した方がいいって言われてるのもいたけど

それは了承してやってたな、もう4年近くたって検査の通りに片目の視力が落ちてきたから再手術するかどうか検討してるのは一人居るけど

事前にわかってる事だし本人も元から片目の視力が低くて手術してマシになったって言ってるから問題ない事象だな。

それ以外は全く全員問題なし

ネットではレーシック=問題ありまくりって言われてるけどそんなんで事業存続できるわけねーだろw

というか人の根本を司る視力が全くダメになる手術が数百人単位居る事象ぶっちゃけテレビ報道されないわけないんだよな。

なぜか集団訴訟も一向にする気配もないしw

レーシックの手術器具のメンテしてないクソ企業が居てそれはニュースになったけど

それよりもっと大規模に起きてるんでしょ?

なんで報道されないし集団訴訟もせずに黙ってるの?不思議しょうがないんだけどw

2012-06-04

転載禁止? それ本気で言ってるの?

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1206/04/news035.html

笑った。久々にいいネタだと思った。*1

2chはどうやって相手の同一性を確認する気なのか?

例えば「はちま寄稿」はだいぶ前に「管理者を交代」している。その後の管理者はその前の管理者と同一だとよく言われるが、それを誰が保障するのか。名義上でも無関係な他人として後継サイトを立ち上げられたとして、それの同一性を誰が確認できるのか。

2chから転載であることをどうやって確認する気なのか?

何を以て2chから転載とするのか、その根拠が何も示されていない。私が名指しされたブログ管理者なら、単体レスで完結しているレスを極力収集し、レスヘッダーだけ除去して掲載を続行する。それが2chレスと同一であることを、どうやって証拠として突きつける気なのか。

2chはどうやってルールを守らせる気なのか?

これが目下最大のお笑いポイントである。この宣言には、具体的に転載を続行したらどうする気なのかが掲載されていない。ルールは強制力があって初めて他人に守らせることが出来るものである。言うだけなら2chニートでも出来る。

もちろん2ちゃんねらーネットイナゴされれば並の人間は耐えられないだろう。だが、最初からそれを想定した体制をとっている人間にそれが通用すると思っているのだろうか。

現代日本において、利害関係のない他人に合法的に完全な強制力を発揮する方法は一つである法廷闘争に持ち込み、勝訴して裁判所の命令を勝ち取ることである

訴訟には刑事訴訟民事訴訟存在する。当然ながら相手が何らかの違法行為を行っていれば刑事告発が可能であろう。だがそれは一般的に「違法行為に対する罰則」しか与えることが出来ないため、転載禁止などというローカルルールを他人に遵守させる用途には使えない。ただでさえ警察力は民事不介入が原則なのである

となると民事訴訟となるだろうが、2ch訴訟を起こすと言う話の時点で大笑いである。2chはこれまで何度も方々の公人から訴えられているが、その訴えに対してまともな反論をしたことがなく、それ以上に賠償責任の全てを放棄して逃げ回っているである。他人を訴えるなら、まずは自分の賠償責任を果たさなければ、どんな内容だろうと敗訴確実、いや門前払いされるだけであろう。義務を果たさずに権利を使える程、世の中は甘くない。*2

では、今後どうなるのか?

③ 何も変わらない。現実非情である

所感

はいえ、まとめブログに関しては、最近では何らかの組織*3存在が背後に見え隠れするようになったのは否定できず、正直な話として2ch自身が動かなくともいずれ似たような状態になっただろうという観測はあった。だいぶ前になるがいくつかのブログを名指しして批難するオピニオン記事が公開されたこともあったし、そうでなくともともすれば誹謗中傷と取られかねない内容の記事が目立つサイトも少なくなかった。

2ちゃんねらーの一人として断言するが、2chの大部分の板は、まとめサイトから受ける印象とは大きくふいんき*4が異なる。悪辣さで知られるゲハですら、である。これを機会に、2chのもう少し正しい姿が知られるようになることと、広告関連に限らずWeb関連企業がもう少し健全な活動を行うようになることを願い、記事のまとめとさせて頂く。


*1 当増田主はまとめサイト問題点は把握している。その上で一般論として問題点を指摘している。嫌儲運動を否定する意思はない。むしろ嫌儲寄りである
*2 実際には利用者連名による集団訴訟という方法もある。しかしそのためには、利用者であることをエビデンスを以て証明する必要がある。
*3 常識的に考えれば企業体であろうが、企業として登記している保障が無いので敢えてこう呼ぶ。中二病乙。
*4 何故か変換できない

2011-01-26

青い鳥はいなかった』とサリドマイド児の親コピペについてもう一度

親が障害を持つ子供権利を(過剰なまでに)求めるといった類のニュースが語られた時、近年になって定番のように貼られるコピペに、以下のようなものがある。

  普通学級に通学するのが、物理的に困難な障害児の入学ゴリ押しする親や人のニュースを見るたびに、 以前に見たドキュメンタリーを思い出す。

  サリドマイド児の親のドキュメンタリーだったのだが。

  生まれついて重い障害を負って生まれた息子の為に、親は「サリドマイド児の親の会」を立ち上げて、休日は全て会の活動。

  「障害者に理解のある社会=息子の為」との強い信念のもと、息子を連れて積極的にマスコミにも出たり、講演活動も行った。

  さらに、息子を普通学級に進学させた。息子は重い障害を負いながらも大学に進学。一時は、マスコミにもてはやされた。

  が、大学卒業後、障害を負った息子は何処にも就職できなかった。ここで、息子は生まれて初めて本音をぶっちゃける。

  「子供の頃から、人前でさらし者にされて辛かった」「休みの日くらい、家族だけで過ごしたかった。家族だけで遊園地旅行に行きたかったのに」

  「普通学級になんて行きたくなかった。手の無い俺が、普通学級でどれだけ不自由で辛く、孤独だったか

  どれだけ、危険屈辱的(同級生による排泄介護等)な思いをしたか!」と、延々と恨み言を言い出した。

  で、親が「何で言ってくれなかったんだ!」と反論したら「言ったが、全て“お前のためだ”で済まされた。

  一度だけ、同じ障害を持つ子供たちがいる養護学校に行きたいと言ったら“負けるな”と説教された」

  「俺みたいな障害を持った子供が、親に見捨てられたら生きていけない。だから、言いなりになっていた」

  「お前たちは“俺の為”と言っていたが、結局は自分たちが社会から注目されてチヤホヤされたかったダケだろう。

  養護学校に進学した同じ障害を持った連中は、職業訓練を受けて就職して自立しているのに、親の見栄で、普通学級に進学させられた俺は、就職できなかった」

  「俺の障害を受け入れてくれない、見栄っぱりな親のせいで、俺の人生はメチャクチャにさせられた!」

  結局、息子さんは親に対する恨みつらみの遺書を残して自殺最後に親御さんは「もっと息子の気持ちを考えてやれば良かった」

  「健常児と同じようにする事が、息子の為だと思っていたが、間違いだった」と嘆いていたな。

上手い「コピペであると思う。

サリドマイド児】と冠してしまったことで、(主にサリドマイド禍にあわれた方々が、大卒の年齢に達するのが今から30年程度前であることから※)全体に無理が生じてしまったこと、にもかかわらずドキュメンタリーなどと真実味を付加してしまったことで、決して少なくない数の「嘘を嘘であると見抜けない」方々が、あたか現実の出来事であるかのように喧伝してしまうことがもったいないほどである

既に

http://ameblo.jp/rosexxxkasumi/entry-10613422332.html

といった記事で述べられているように、このコピペ真実であると誤解した方々が、出典として挙げる書籍に『青い鳥はいなかった―薬害をめぐる一人の親のモノローグ飯田 進)』というものがある。

上記のサイトを見ていただければ、このコピペが=『青い鳥はいなかった』著者の息子、伸一氏ではなかったことや、コピペの状況自体に矛盾が生じることは容易に理解出来ると思う。

にもかかわらず、相変わらずコピペ=伸一氏であるとされる方々は一向に減らないし、さらには「俺はこの本を読んだけどこのコピペの内容が書いてあったよ」などとする者もいる。

ここではその誤解をはっきりと解くために、『青い鳥はいなかった』本文から引用を交えてネット上に残しておきたい。

なお、本来『青い鳥はいなかった』という書籍は伸一氏との関係についてを主たる題材として扱っているわけではないため、これから取り上げる部分がこの本の限定的な一部分から抜粋になることを付記しておく。

http://www.amazon.co.jp/%E9%9D%92%E3%81%84%E9%B3%A5%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E2%80%95%E8%96%AC%E5%AE%B3%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8B%E4%B8%80%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%A6%AA%E3%81%AE%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B0-%E9%A3%AF%E7%94%B0-%E9%80%B2/dp/toc/4835032993

この本を紹介したアマゾンのページである。目次に注目していただきたい。

目次

わが内なる罪

父母の会創設

国際的な連帯を求めて

噴出する矛盾と内部対立

理念現実のはざまで

集団訴訟をめぐって

親の止まり木を目指して

裁判有利の展開のかげに

疑惑の根源

裁判の終結

和解の落とし穴

父母の会の解散

息子伸一の死

実際は「わが内なる罪」を序章とした一二章構成になっており、ここに前書きと終章が加わる。

青い鳥はいなかった』を誤解している方の殆どは、この目次と、飯田進氏がサリドマイド児の親たちを中心にした「子どもたちの未来をひらく父母の会」発起人であり会長であったことのみをもって判断しているのではないか想像するが、どうだろうか。

「わが内なる罪」で始まり「息子伸一の死」などと締めてあっては、いかにもコピペの親が飯田進であるかのように錯覚できるのは否定しない。

しかし実際「わが内なる罪」で語られている進氏の心情はこうだ。

  まぎれもなく私は、重大な過ちを犯した。大倉医師の指摘したとおり、私は充分な統計的調査をすることなく、不用意にも息子伸一の誕生が、あたかも「被爆者に奇形児が生まれると、それをすぐに原爆の影響だと考える」思い込みを前提とした投書をしたのであった。(37頁38頁)

  たしかに息子がうまれたときには、その障害の原因がサリドマイド薬品にあったことを知っている者は、だれもいなかった。その罪意識は、それから私の心理と行動に支配的な影響をもたらすことになった。(41頁)

「息子伸一の死」ではより具体的にコピペとの差違を指摘できる。

  知人が主催する公益法人に、伸一を就職させたことがある(268頁)

  彼は結婚前もその後も、しばしばタイインドネパールチベットなどへ旅行をしている。いわゆるバックパッカーである。いくら貧乏旅行はいえ、それだけの経済的余裕があったのである。(269頁)

  いわゆる不審死である(274頁)そして死因は急性肝不全(274頁)

さらに終章では

  伸一は母子感染C型肝炎になったのにちがいない。当時の輸血用血液は、アメリカなどからの輸入に頼っていた。その血液には、しばしばC型肝炎ウイルスが混入していたのである。(312頁)

  もちろん伸一は、妻が入院中、連日のように病院を訪れている。見る影もなくやせ衰え、苦痛に耐えつつ死んでいった妻の姿を見ている。だから彼は、おのれが直面させられている運命を、知っていたのに違いない。(312頁)

  事実上医療をこばみ、緩慢な自死にひとしい成り行きをたどった秘密もまた、そこに潜んでいたのか。なんたることか。(313頁)

青い鳥はいなかった』で語られるのは父母の会の設立運営や、その後の訴訟に関して「こうするべきだった、こうあるべきだった、でも現実にはそうではなかった」という筆者の悔恨である。そして息子の死が「私が行ってきた行動を、全否定しているかのよう」に感じた筆者が死後の伸一氏へ当てた手紙のようでもある。

飯田氏の行ってきたことを少しでも知ったなら、あのようなコピペ元ネタとして扱うことがいかに礼を失する行為であるかは理解してしかるべきであると思う。

障害をもった親の権利を(過剰なまでに)求める親や、その親を反差別ネグレクトだと叩く行為の是非まで問うつもりはないが、それを叩く材料として上記のコピペ「真実」であるかのように貼り付けたり、『青い鳥はいなかった』と結びつけて語ったとき、その行為誹謗中傷であり、いいかえればそれこそが”差別である

最後に、コピペにある「遺書」と似て非なる伸一氏が「遺した書簡」が、筆者にとって「お前は肝心なところはわかっていてくれたんだな」と言わせる、筆者と伸一氏の間に決定的な断絶があったわあけではないことの証左であるし、また筆者がこの本でいいたかったことの半分程度を言いあらわす例ともなりうるので、全文を引用してこの日記を閉じる。

  「サリドマイド裁判は、親である第三者が闘った裁判であるのが特徴であった。かなり特殊な裁判であると言える。当事者である被害者は、幼児であったからだ。障害者である本人は、自分の被害をほとんど知らぬままに保証金をもらって和解したのが、サリドマイド裁判の実態であると言って差し支えいであろう。その裁判においてサリドマイド以外の障害者については、何もしなかったのも事実だ」(中略)[注、本文ママ]

  「つまりサリドマイド裁判薬害と言いながら、サリドマイド障害者の救済しかしなかったし、一緒に闘ったはずのサリドマイドとは認定されなかった他の障害者の救済は何もしなかった。いまだにその認識は、サリドマイド障害者にはほとんどない。」(290頁)



※に関する追記

サリドマイド禍はその時期がそれほど広範ではなく、「サリドマイド禍にあわれた方々」が大学卒業する時期もある程度類推が可能であるコピペ記述などから考えても、「30年前」という時期をそれほど外してはいないと思う。

30年前といえば、時はバブル前夜。「大卒」という肩書きが十二分に武器となった時代。今とは違い、大卒で「就職できない」という事態はそれなりにレアケースである。「親の活動そのもの」が反社会的とされ、企業に嫌われた可能性もないではないが、コピペ記述からはどうもそんな雰囲気ではない。少なくとも、職業訓練よりは大卒の肩書きのほうがはるか就職に有利であった時代に「普通学級で大学いかされたせいで」就職できない、という記述には矛盾が生じている。

コピペに「危険屈辱的(同級生による排泄介護等)」という記述があることから、その障害が日常生活や就業に支障をもたらすものであった場合は上記の限りではないが、そうであった場合、時はバリアフリーのバの字もなかった時代である。そういう時代に重度障害者大学に通い、卒業する、ということがどれだけ大きな事態であったことか。それこそ大学始まって以来というレベルの出来事である。本人の確固たる意志に、親をはじめ、周囲の身を削るような協力があっても難しいような行為。にもかかわらず、本人に大学に行きたい、卒業したいという意志はかけらもなく、親も見栄が先行しているのを子供に見透かされるような程度の熱の入れようなのだそうだ。ここにもやはり矛盾がある

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