はてなキーワード: 障害者手帳とは
タイトル通り、困惑している。ウッソだろお前っていうビックリと、そこまでやるのかっていう唖然と、そんな事しなくてもお前ならやってけるだろっていうツッコミと、そこまで深刻に悩んでいたのかもしれなかったことに気がつけなかった悔しさ等々、色んな感情が渦巻いて、困惑している。
ハッキリと書いてしまおう。私は障がい者に対して差別感情を抱いてしまっている。好きとか嫌いとかいう生理的なものでは無い、人生で数少ない経験の積み重ねから、障がい者と接する事がとても怖くなってしまっている。心の中に、所謂健常者との垣根のようなものがしっかりと出来てしまっている事を差別と称するのならば、私は差別心を持ってしまっている。
本題からはちょっと逸れるが、障がい者の事を恐怖に感じてしまっているかの理由を説明する為に、幾つかのエピソードを紹介したい。身バレは回避したいので、ある程度はフェイクやぼかしを交える。それでもバレるかも分からないけど、少なくとも生理的嫌悪だけでこの感情を持ってしまった経緯は説明しておきたい。
私が通っていた小学校には当時、特殊学級というものがなかった。当時カーストも低くぼっちになりがちだった私は、2人組で知的障害を持った生徒と組まされる事が多く、しまいにはその生徒にまでタゲられてしまった。
体育の授業の時に鳩尾を彼に思い切り蹴られたその日、遂に耐えきれなくなって、そのダウン症の彼に罵詈雑言の限りを浴びせてしまった。
その日のうちに我が家に連絡が言ってしまったらしく、夜にブチ切れた父親に「弱いものいじめとは何事だ」一方的に罵倒され、「捨てるぞ」と最寄りのPAまで連れてかれ、最後は大泣きしながら電話で母親に謝罪して話は終わった。
そんな役回りにさせられた当時の自分にも問題大ありだが、己の心に明確に憎しみが生まれてしまったのはこの頃である。この感情が恐怖に変わったのはもっと少し先である。
とある趣味のサークルで知り合った女性。所謂OD常習者の薬ソムリエ。この女性にクレジットカードをスキミングされ、ネットで買い物をされた。丁度口座に金が入ってなかった時と引き落としのタイミングが一致し、買い物された金額が口座から落ちなかったことから発覚した。
商品の受け取り先から大体犯人が分かったが、本人はこれを強く否定。細かい過程は書けないが、結果的に一緒に戦ってくれた恩人が大打撃を被ることになってしまった。
後処理はカード会社に一任したので細かい事は追っていないが、証拠は固まっていたのに障害を理由に不起訴となった。その証拠に用いられたのが障害者手帳である。
この時から私は「障害者なら何やっても許されるのかよ」と叫ぶ人々の一人になった。
このエピソードはちょっと毛色が違う。私の知人が遭遇した被害である。
この知人、とある資格のスクールをしている方である。精神疾患者はこの知人の元友人である。
精神疾患者が「社会復帰したい」と知人に打ち明け、知人も「そういうことなら」と指導を引き受けた。もちろん受講料も大幅に割引き、この資格を受けるには最低限の費用での指導となった。国内に多数存在する資格と呼ばれるものの例に漏れず、その資格も受験に至るまでは規定量の授業を受け、規定量の熟練が必要となる。
本人の体調や精神状態も考慮しながら、ゆっくりと確実にやっていこうという段取りで話は決まり、指導が始まった。実際に指導を休むことも多く、講習の進みはかなりスローペースであったらしい。
しかし、ある時突然「いつまでも試験を受けさせないとはどういうことだ、金だけ取って何もしないつもりか、差別だ!」と詰問されたとのこと。その人が受けた授業時間と試験を受けるに足る規定量には倍近い差があるにも関わず、である。
知人がその旨を何度も伝えたが、伝わることは無く、最後はその資格を統括している団体にクレームを入れられてしまった。当初は知人が差別を疑われたが、その団体に粘り強く当時の状況を説明した結果、指導する講師を知人からチェンジする事で事なきを得た。
この頃から障害者に恐怖を感じ始めた。彼らはやり方によっては理不尽に健常者を蹴落とすことが出来るのだ、と。
長々と書いたエピソードもこれが最後です。どうか辛抱していただければと思います。
これは私と先述の知人が絡んだちとめんどくさい話なので、この話だけはフローチャートで。この難病患者の方は元々私の知り合いで、知人と面識はありません。
↓
確か「悪用する人も多いから、それを減らす為にも啓蒙は大事」みたいなことを私が書いた
↓
それに対して難病患者の方がコメントを入れた(消されちまって覚えてない) ↓
それに対して知人が「(私)はヘルプマークの事をよく理解していますよ」的なコメントを打った
↓
難病患者の方、唐突に「怖いコメントが来たから消した」と打ち込む
ここまでは良かったが、難病患者の方は何が気に入らなかったのか、仲間を募って知人にメッセージで暴言をひたすら投げまくった。知人が謝罪をすると無言でブロック、これを20人近くにやられたらしい。
先述のエピソードの話に対処してる最中の出来事だけあって、知人のダメージも相当大きいものだった。というか難病患者の方も元々私の知り合いだから、ただひたすらに知人申し訳ない気持ちが強い、今でも。
同時に、気に入らなかったのならせめて私に一言入れてくれれば、とも難病患者の方に対して感じてしまった。
ここに来て本当に障害者の方々と関わるのが怖くなってしまった。それまでは知的障害だったり精神疾患だったりと、理不尽な目に遭ってもまだ己を納得させるだけの何かがあった。
しかし、この難病患者の方は、罹患に至るまでは無難に社会人として企業に勤め、情熱を持って一心に仕事に打ち込み続けた人である。むしろ病魔に負ける事をよしとせず、回復と復活を心に誓っていた方である、少なくとも知る範囲の中ではという話だが。私と「障害を持っている人」という概念の関係に完全に亀裂が入った瞬間である。
随分と長くなってしまったが、これらの出来事を経て、私は障害者に対して強い恐怖心を持ってしまった。関わったら最後、何をされるかわからない、健常者は健常者であると言うだけで被害を訴えることも許されない。運が悪かっただけかもしれないが、金銭的被害スレスレの話に連発して遭遇してもなお平常で居られるほど勇敢であることは出来なかった。
街中で白杖をついている人を見ても手を差し伸べられなくなった、ヘルプマークを付けている人を電車で見かけたら車両を変えるようになった。ただ私が臆病で、恐怖を感じるからだ。
妄言一つで彼らは何の咎を背負うことなく我々を罪人に出来るからだ。弱者なんて嘘だ。彼らは強い、理不尽なまでに強い。私にはその理不尽を被る強さがない。だから近寄りたくないのだ。
そんなことを考えている人間の友人が、障害者手帳を取ることになった。本当に仲良くしている友人だ。同じ趣味を持ち、強気に見せて実は脆い、でも人に対しては誰よりも誠実な友人が障害者手帳を取る。
私が己を弱いと形容したのは、彼と積み上げてきたものを脅かしかねないほどに、障害者に対する恐怖心が強いからだ。障害者手帳であろうが何であろうが、友人であるからには心を許し、信用するのが友としての正しい在り方であるのに、それが揺らぎかける程に弱いからだ。この弱さに腹が立つ。何故友人は友人であると断言できないのだろうか、己よ。
誰にも吐き出せず、でも我慢しきれずに辿り着いたのがここだった。数々のエントリーを読み漁っているうちに、いつか自分も書くことになるのだろうかなんてうすぼんやりと考えていたが、その機会は思った以上に早かった。
願わくば、私がこの恐怖を乗り越えて彼と今まで通りの関係を続けていきたい。そして、彼が私や知人を襲ったモンスター障害者になってしまわないように心から強く願いたい。
モンスター障害者なんて言葉を使う時点で差別なのかもしれない。しかし、未だに弱い私はこの恐怖感を拭いきれない。
私に強さをください。
教科主任は1年交代のまわりもちなんで、なれてないからうっかり窓口経由じゃない相談も受けてしまったという状態らしい。
学生相談室は学校のパンフにユニバーサル社会の実現とか障害者も学べるとか掲げてても
一応うつがひどくなったときに障害者手帳とれちゃったんだけど(早く返上したいよ)、
入学時に問診で障害あると書いたために、親と貞子面談したのと同一人物と、以前に入学時面談をしてた。
そこで手帳のコピーまでとられたのに、「個人情報法が優先だから(法律の曲解)」
どの講義教官にも1年間まったく根回ししてないことがわかった。
とりま友達つくれっていっといた(うつ病状のためとてもできませんと即座に抗議したことは都合よく忘れている)。
努力すればどの授業でも全部とれますよ、あ、冬学期の履修申請の時期はわたしたち夏休みですし
要望があれば要望された先生に電話で問い合わせますけど履修申請しめきりまでに間に合うことは保証できませんワラ」ってことらしい。
親は何度もくっそキレてた。
で、その集大成がこちらがいざ冬学期の単位で行き詰まってこまったときに
相談先探したら「うちが窓口だ、貞子になってでも窓口こい(意訳)」だったわけだ。
って本当にびっくりした。親つれてってよかった。
追記 うつでも取りやすい単位にひっかかられそうだ。楽な単位という意味ではない。
講義内容を理解する頭脳はあるんだが、ある種の表現が全く受け付けなくなった。
加害表現みたいなやつでたとえば「講義を●回休んだら●●する!」みたいなよくある脅迫のなかに、たまに含まれている。
普通の人なら大丈夫だし、もちろん実際にやるつもりがない冗談らしいけど、
必修講義を選択したあとでこれをやられてしまうと、窓口経由でも教科主任経由でもいいのだが
「二度と講義中にそのワードを言わない」ことを保証してもらえないかぎり、自分は二度とその講義に出られない。
そういう意味では授業中にいきなり美女の手足切断画像をみせられトラウマになって退学してしまった美大学生との共通点は感じる。
anond:20190301200621 自分の場合のことを書いておきます。説明会は絶対必須ってほどでもないかなと。
軽度の身体障害者です。四大卒で約40歳の氷河期世代。現在、派遣社員として一般企業で勤務(障害があることは伝えていない)。
昨年、障害を抱えることになって、就労にクリティカルな影響は出ていないけど、派遣の身分で安定性に不安もあり、今回の選考試験を受験。その記録をざっくり残しておきます。
基礎能力試験はかなり平易な印象。内容的には中学卒業程度では。転職活動でSPIとかやったことある人なら数的推理は十分かと。内角の和とか「知識」が必要な設問はほとんどなく、連立方程式ぐらいまで出来てれば十分。社会、理科は知識問題だし範囲広すぎて対策無理だと思うので、分かんなかったら適当に選ぶ、で。
作文はよく分からない(お題は「誠実とは」)けど、よっぽど支離滅裂なこと書かなければ大丈夫なんじゃないかなと。
ここからが、すでに話題になっている、阿鼻叫喚の地獄となった面接試験である。
二次選考のルールは「いずれの機関からも採用内定を受けられなかった場合は、不合格となります」であり、「全員に二次面接を課します」というルールではない。(参考→http://www.jinji.go.jp/saiyo/siken/senkou/2jichuijikou.pdf)
つまり、「面接のアポを取る」ところから、もう二次選考は始まってしまっているのだ。
一次試験の合格がWEBで発表された2月22日金曜AM10時をもって面接予約解禁、事前にルールをよく読んでいた志望者は志望省庁に速攻で予約をメールまたは電話で入れたが、「インターネット見れないから合格通知が来たらやろう」「平日で仕事中なので、帰ったらやろう」という人間はここで大きく出遅れることになってしまう。
これは、おそらく国家公務員一般職試験の官庁訪問のスタイルを踏襲したためだと思われるが、「面接の機会は合格者に等しく与えられるのだろう」と思っていた人にとっては、わけがわからなかったのではなかろうか。でもまあ、お役所の仕事ってそんなもんで、都道府県や市役所のホームページ見てても、「決まりを淡々と掲載」はしてても、「懇切丁寧に誰にでも分かりやすく紹介」なんてサービスはしてくれないんですよね。そういうところを受けているんだ、という意識は、持っておいた方が良いと思う。今後ふたたび受験する人も。
ただまあ、このやり方だと「在職中でバリバリ働いてくれそうな人」が出遅れてしまうので、省庁にとっても望ましくないのでは?とは思う。
私はその日職場に午前休を予め申請しており、午前中にメールで志望省庁2つを予約。また、予定していなかった省庁から電話で面接の案内がかかってきたので、そこも受けることにした。正直、リクルーティングの電話があるとは全く思っていなかったのでびっくりしたが、5ちゃんねるのスレッドやTwitterを見るとちらほら報告があった。受験票から読み取れる情報は
なので、おそらく大卒で就労に支障の少なそうな障害者を合格者リストから各省庁でリストアップしていたではないだろうか。
週明け、2月26日に開催された合同説明会に参加。「一次試験合格者対象」となっていたが、出入り自由だったので関係ない人もいそうだった(明らかに受験対象年齢を超えてるお年寄りとかもいた)。概ねどこの省庁も受け入れ準備は全く出来ていない(そもそも「障害者採用枠」などというものが今まではなかったわけで)ことが伝わってきた。配属先や職務内容もまちまちで、
といった感じ。(外務省、国税庁はホームページの募集要項に上記内容が記載されていた)
説明会で、「就労経験を生かした仕事に配属されますか」という質問に対し、「そうですね、全く仕事したことがない人だと困っちゃいますけど」などと口走ってしまう担当者もおり、中途採用なのか新人採用なのかの整理もついていないようだった。(係員級の採用でそれは流石にどうかと思うのだが)
私が聞いたすべての省庁で、「新卒採用と同様の研修を受けさせる予定はない」という回答だった(国税庁のように最初から研修前提の告知を出している場合を除いて)。軽作業オンリーならそれでもいいが、普通の仕事も出来るならやらせる、なら同様に研修・教育も必要ではと思うが、これも「単に準備が出来てない(障害者の参加を想定した研修になってない)」部分も大きそうだった。
また、「障害の状態に配慮した勤務は可能ですか」という質問に対し、「フレックスやテレワークがあります」と回答していたが、今回の常勤採用では普通にフルタイムでの勤務が前提で、フレックスやテレワークといった配慮も一般の公務員が利用できるものと同等。「障害に配慮した勤務形態」などというものは存在しないようだった(そういうのは「非常勤」に寄せているのだろう)。
これは内閣府の担当者が言っていたことだが、「(フルタイムでの)勤務に不安がある方や、今回の採用で漏れてしまった方は、非常勤での採用も検討してほしい。今後、非常勤から常勤へステップアップする制度も用意されるので、働いてみて『大丈夫そう』だと思ってからでもいいのでは」とのこと。
面接は、非常に順調に進んだ。というか、最初に受けた第一志望の省庁に即日内定をもらった。
聞かれることは
と、まあ割と普通のことであった。個人的には一番最後の項目が問題で、今回の採用は国家公務員一般職係員級、「国家公務員 俸給表(一)」の一級からのスタートとなる。要するに、一般職の一番下からだ。ここに、民間での職歴16年くらいを加算すると、年収としては400万円ぐらいで、正直結構下がる。ただまあ、冒頭に書いたとおり、今の待遇に不安があるので、問題ありません、と回答した。
続いて、同じ日に設定していたリクルーティング電話のあった省庁とも面接。2時間ぐらい間が空いていたので、時間を潰すのに苦労した。こちらも大体同じような質問内容だったが、「年齢的に若い人間の下に立つことになるが大丈夫か」といったことも聞かれた。現職も派遣で職場の年齢的上下と関係なく仕事しているので、問題ないですと回答。やはり給与面のことは指摘され、「基本的に一定の間隔で昇級昇格していくので、すごく仕事が出来たからといってスピード出世があるわけでもないけど大丈夫か?」と言われた。まあそりゃしゃあないでしょという気持ちで、「大丈夫です」と回答。
内定をもらって、3月いっぱいで今の会社も退職か、と感慨深くなっていたところ、派遣先から正規雇用されることになり(並行して採用面接を受けていたのだ)、流石に長年働いていた先からの採用を断るわけにも行かず(給与もいいし)、内定先省庁へお詫びと内定辞退の連絡をした。私が辞退したことで内定された方は、ご自身と国民のために精一杯働いてほしい。私もこれからも頑張って働いていく。
人事院・各省庁側に期待したいこと
これは全くその通りだと思います。今回の選考対象となる「障害者」は、「障害者手帳」(身体障害者手帳、療育手帳(=知的障害者用)、精神障害者保健福祉手帳の総称)を持っている、またはその基準を満たす診断書が出せることが条件なのですが、これはもうピンキリなわけで。障害の程度・就労に及ぼす影響も千差万別ですし、就労経験自体も同じなわけで。あくまで、合格者の一サンプルとしてとらえていただければと思います。
それはそのとおりだと思います。自分も、今の派遣雇用継続なら(年収ガクッと落ちても)納得して公務員やるつもりでした。ちなみに、経験ゼロで高卒だと年収300万弱ぐらいからのスタートになるんじゃないかと。大卒だともう20万くらい乗るかな?
まあそういうことなんだろうな、とは思いました。こればっかりは、あくまで受け入れ側の基準だし、(もうちょっと配慮があってもいいとは思いつつ)「あらゆる障害者の面倒を見れられる体制を作れ」とまでは正直思っていません。
どうやって生かしてやればお互いが幸せに生きていけるんだろう。
自閉症ぎみでも一点に注意力を注げるタイプの奴はまだ使い道がある。
何かしらの専門技能を身に着けさせた上でコミュニケーションの必要が少ない職業に就かせればいい。
完全にコミュニケーションを排除して社会に組み込むことは不可能であっても、それを限りなく減らすことは出来る。
こいつらは使いみちがない。
下手に専門技能を身に着けさせると他の人間に分からない部分で致命的な問題の種を植え付けかねない。
注意力散漫タイプの自閉症にとって「当たり前の事を当たり前にやる」のは最も適正がない分野だ。
結論から言うと、このタイプは中途半端な仕事を中途半端にやらせつつソイツがつまらないミスをしていないかを他の人間が監視してやるというのが一番マシな使い道となる。
勿論、それによって発揮される能力は間違いなく一般人より低いものとなる。
悪い意味でオリジナリティを発揮するだけのこいつらは下っ端としては扱いにくく、コミュニケーション能力の欠如だけでなくメンタルの脆弱性も併せ持っているため上層部に組み込めば自分ごと組織を破壊していく、専門性を持たせるには信頼性が低すぎるし、何より純粋に学習能力が低い(他人に物を教わることが極端に苦手であるため。学校教育のように教科書が用意されていない物を学ぼうとするととんでもなく学びが遅くなる。最悪なことに他人を教育する能力はさらに低い。組織に下手に組み込むと知識のミッシングリンクを生み出しかねない最悪の爆弾なのだ)。
ド田舎なんで発達障害診療可能な精神科病院が1件しかないんだけど、そこの主治医が控えめに言ってうんこ
自分:精神科既往歴15年、ASDグレーゾーン、被虐待児(精神的なものが主)、DV被害者(身体的以外10年受けてた)、IQは並
うつがひどくて障害者手帳取得を聞いたら「50%くらいだね、診断書は書きますよ」って言われたからしんどい中役所で30分かけて必要書類取りに行って次の診察日に出したら「えっ? あなたは手帳無理だよ」と言われて診断書書いてもらえず
うつがひどく寝てることが多いと言ったら毎回「とりあえず散歩してみたら?」だけ言われる 散歩できる気力あったらとっくにしてる
先月から食欲不振も出てきてそれも伝えたら「食べなさい、食べないで治る病気はないからね」
猫を飼っていて入院の話が出た時に「人間は預け先あるけど猫は野に放つしかないねーはっはっは(笑いながら)」
病院の方針で主治医の変更はできない(多分この辺はごねたら通るらしいがそんな気力ないので放置してる)
二次障害とトラウマのあたりをどうにかしてほしいんだがとりあえずのカウンセリング(話聞くだけ)と薬物療法でどうにもならない
自傷も自殺もダメとか言って安楽死もないのにずっとこんな状態続くの? お前が実際なってみろよ頭おかしくなるからって言いたい
当方、もうすぐ30歳になる女。1年半前から付き合っていた同い年の彼氏から、先日とうとう別れを切り出されてしまった。
理由は「年末にケンカしたことをきっかけに、付き合った当初に比べて愛情がもう冷めていることに気づいた」、そして「今は病気の治療と就職活動で手一杯で、付き合う余裕もない。将来のことも考えられない」ということだった。薄々覚悟はしていたけれど、やっぱりショックだ。
2年前の冬に共通の友人経由で知り合い、付き合い出したのは1年半前の初夏。当時、彼は職場を辞めたばかりだった。
付き合ってしばらくしてから、うつ病である旨を打ち明けられた。全然そんなふうには見えなかったし、快方に向かっているみたいだったので気にせず付き合った。今まで付き合ったどの彼氏よりも優しくまじめで誠実で、いい付き合いができていたと思う。
ところが、その年の秋の終わり頃に、転職活動中の彼のうつ病が悪化。その後は低空飛行のまま付き合い続けていた。
昨春に再就職先が決まったものの、夏にうつ病が再発し、しばらく休職していた彼。年明けに復職する予定だったが、年末の面談の際、職場から遠回しに辞めてもらいたいと言われたそうだ。障害者手帳を取得した彼は、次は障害者雇用で働くつもりらしい。
その話を年末に聞いたとき、「彼との将来は厳しいかも」と思った。でも、元気で明るかった時の彼をしっているので、支えていきたいと思っていた。
しかし、彼のほうはそうはいかなかったようだ。どこまでがうつ由来なのか、どこまでがそうでないのかはわからないけれど、「もう愛情もなくなってしまった。自分のことを優先したい」ということだった。
これまでにも、「きみのことは好きだけど、幸せにできる自信がない」「ダメだと思ったら、いつでも振っていいよ」と泣きそうになりながら言っていたことが何度かある。そのたびに私は「気にしないで。私たちのペースで幸せになっていこう」と言ったりもしていた。
けど、今回はそうじゃなかった。ドライに「もう、愛情がないんだと思う」と言われてしまった。年末のデートでは仲良しだったのに。
ただ、この秋くらいから片鱗はあった。彼はデートでも上の空のことが多かった。将来のことが考えらえない、ということは、夏ごろからこぼしていた。
彼が私と付き合った理由には、「彼女ができることで、うつ病の回復にも繋がるかも」という下心もあったとのこと。ところが「彼女のために頑張らなくちゃ」と思った彼は、1年前の秋にうつ病を悪化させてしまっていた。申し訳なかった。このことを聞いた時点で身を引くべきだったのかな、とも思った。
私も、年末の時点で「別れたほうがいいのかな」とは思っていた。たとえ二人の関係が良好だったとしても、年始にクビになった彼がまた転職活動をして仕事がしばらく落ち着くのを待ち、それから同棲・結婚……となると、どれだけの時間がかかるかはわからない。
また、彼は治療薬の副作用の関係で、男性機能に障害があった。射精障害だ。まったくできないわけではなかったが、1年前にうつが悪化し薬を変えてからは、頻度が減ってしまっていた。結婚したら、いろいろ大変なことは多かったかもしれない。
それでも、あと半年くらいは待つつもりではいた。将来子どもはできなくても、それはそれで仕方ないと思っていた。
別れる際、「きみには悪いけど、今、ようやく肩の荷が下りたような気がしている」と言われた。私と別れることで病気が快方に向かうのなら、それでいいと思う(じゃないと別れ損だし)けど、私の存在がネックになっていたのか……という悲しさと申し訳なさと悔しさもある。
多くは言えないけど、吃音持ちとしては障害者手帳通ったのは運がいいなと思う。
11 Common Interview Questions That Are Actually Illegal
https://www.businessinsider.com/11-illegal-interview-questions-2013-7
この記事には、
・年齢
・人種
・宗教
・セクシュアルオリエンテーション
・未婚・既婚
・障がい
・市民権
この辺の事柄を面接時に聞くことがNGになっているとされている。
年齢や人種やジェンダーに関してはわかるんだけど、障がいの有無についてはなんで聞いてはいけないのだろうか。
精神障害を持つ人は入社後にクリティカルな問題を起こす率が異常に多いので面接時に出来れば聞いておきたい。
しかも精神障害は見た目で判断が難しく、しかも障害者雇用の枠でエントリしてこないことが多い。
なので入社してからどうも休みがちだったり仕事のミスが多かったりで、深く問いただしてみると実は精神障害を持っていましたというケースがよくある。
彼ら/彼女らにとっては配慮なく仕事を振られることで辛い思いをするだろうし、会社としてはトラブルを起こされてからでは遅いという事態が発生する。
本当なら面接時に障害者手帳の提示と病状について聞き、「過去に統合失調症を患っていた。前職では週1くらいで遅刻していた。」くらいの話をしたい。
それだけの情報があれば「じゃあ特別に遅刻に関しては査定に影響出ないようにしておきます」とか「ミーティングは昼以降に開催するようにします」とかそういう対応もやりやすい。
主治医からの診断書や病状の傾向を書いた書面をもらってきてもらえればもっと良い。もし何かあれば医者に連絡をとったりもできるし。
なぜなら見た目に障がいがあるととわかりにくいことや業務に支障をきたしやすいとおもわれているからだ。
そうなると精神障害を持つ人は一般でエントリしてくる。だが一般でエントリしてるので病気についてはひた隠しにする。
面接官は病気について聞けないので何も聞くことができず、結局採用後に発覚となる。
そもそもエントリのための書類を書き試験をくぐり抜けて面接まで一人で来ることができているなら障害者手帳の等級としては3、もしくは3に近い2程度だろう。
それなら「だいたいの業務は出来るけど出来ないこともある」くらいなことが多いので会社側のサポートでなんとかなることも多いはずだ。
どうして「起立性調節障害で学校にいけない状態」を「不登校」ということが問題なのか。
考えた結果、「起立性調節障害で学校にいけない状態」の学生に、不登校の学生と同じサポートをしても
学校に復学することは不可能なパターンもあるっぽいと思ったので書いておく。
文科省では不登校を病気の子供を含まないと定義づけていますが、その定義の中で、不登校の子に必要な対処をいくつか定めて通知しています。
(http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1397802.htm)
これを受け取った各学校・機関は、これに従って対応するという流れになっています。
これは「学校に行きたくなくていけない生徒たち」へのサポートなので、メンタル面(気持ち)のサポートと親御さんとの密な連絡などが主です。
「メンタルのサポートのみでは復学できないが、身体機能面でのサポートがあれば復学できる」という生徒がいます。
現在の教育機関などでは正常な対応(身体機能面でのサポートを行うという決定)はほぼ不可能です。
でも、足を失ってしまった生徒がいたとしたら、学校側はバリアフリーの拡充など、できる対処は行うことになっています。
(障害者差別解消といいますが、これは障害者手帳の有無には関係ありません)
起立性調節障害の子も、そうしてもらえれば学校に行ける子もいるのに、
復学のためのサポートがきちんと受けられません。
なので起立性調節障害の子たちが「不登校」として扱うな、というのは、
当事者の子たちが言う「同じ枠にはめないでほしい」という感情的問題とは別に、大きな問題につながっていると思います。
起立性調節障害がどうして不登校という枠組みにはめられてしまうのかは、おそらく下記の問題がある。
1)朝起きれないという独特な症状
睡眠クリニックなどにかかればよさそうだが、起立性調節障害専門のクリニックにのみかかるパターンが多い。
軽症の生徒だけがいた(たとえば親の送迎だけあれば学校生活ができる生徒だけがいる)学校に
突然重症(たとえば立てないため車椅子での学校生活でなければ復学できない)の生徒が発生した場合、
学校側は軽症の生徒と同じサポートだけをすればいいはずだと判断しうるかもしれない。
だいぶ疲れたのでこの辺でやめておくが、おそらくここまで読まれた方は患者本人だったり、親御さんだったり
はたまた教育現場で働く方だったりするのだろうと思う。
皆さんどう感じられているのだろうか、議論はする気はないが、ご意見や気持ちなど耳にすることができれば参考にさせていただきたいと思う。
40歳。免疫不全(HIV)でちょっと前に身体障害者手帳を発行してもらった。
感染の経緯はまあ置いとくとして、結婚とか子供とか、「どうせしないし手に入らないんだろうな」と思っていたものが「もう手に入らないもの(結婚はわからんけどさ)」の線を確実に超えるのは、結構ずっしりくるものがあった。いやまあ、どうせしなかったんだろうけど。
幸い、感染初期に検査で見つけて、治療も早々に開始した(前はある程度病状が進まないと更生医療の手続きが進めにくかったらしいのだが、この春から「さっさとドンドンやれ」に切り替わったらしい)のでウイルス量は検出限界値以下だし、免疫抗体の数値(CD4)も1000キープしてるし、表層上は至って健康そのものだ。
1~2ヶ月に1回通院して検査する以外は、1日1回2錠ほど薬を飲むだけ。まあ、そのお薬が高い(保険適用前で月20万くらい)ので、障害者手帳もらって更生医療の手続きが必要になるわけですが。正直、もともと患ってた糖尿病の方が治療的にはよっぽど面倒くさい。毎食時に注射するし。
結婚も子供も難しい身になったし、何しろ生きるために国民の皆さんのお力添えをいただく立場になったので、「生産性がない」なんて言われないように精一杯働いて(幸い、体内にウイルスがお住まいなこと以外に支障はないので)、両親を看取るまではなんとか正気を保って生きていきたい。
お察しください
支払い実費でいうと
・糖尿病→月15000円(インスリン注射の「指導料」がお高い)
・HIV→月10000円(更生医療で月の支払上限が決まっているため。更生医療を使わないと、20万円の3割負担でざっくり6万円)
というわけで、普通に働いてればまあなんとかなるかなと。
男女ともに感染回避策はあるようですが、男性の場合は保険適用外で超お高いので、現実的にまず確実に無理だなあと(この病気になった時点でその前段階がまず難しいのに)
長いこと月15000円~20000円ぐらい糖尿病に払ってるので、+1万円増えてもあんま気にならなくなってるとこはあります
日本です
肝臓の数値はちょい高いですが、アルコールと脂肪肝ですね。薬の影響は特になさそうです。糖尿病で腎臓やるのが一番クリティカルなので、そこは気をつけなきゃなと。
ないですねえ。というかもう薬飲んで検出限界値未満なので、仮にゴムなしで性的接触に及んでも、私から伝染る可能性自体が低いですが(研究によるとほぼゼロらしい)。
幸い自分は薬が上手く合ったのか、全然気になりません。2種類の薬を1日1回なんで、時間決めてスマホでアラーム鳴らして習慣化しています。
ありがとう。CD4高めなのは早期発見・早期治療できたから(昨年9月に多分感染、3月に発覚、7月から投薬)かなと。CD4下がってから(3級以上で)治療開始した人は、免疫力も下がってるだろうし大変なんだろうなと思います。自分もこの夏に扁桃炎に連続して罹ったりしたので、多少弱くなってるんだろうなとは思ったけど。薬価は下がって欲しいもんです。
コメント/ブコメくださった皆さんありがとう。多分、親兄弟にも(輸血でも必要な事態にならない限り)言うことはないままだと思うので、ここでやり取りができてちょっとすっきりしました。ここまでは(告知された保健所の医者と担当医を除いて)完全に自分の中でのことだったので。
医療自体は通常の生活(性生活含む)では他者への感染自体はまず気にしなくていいところまで進んでいて、薬も1日1回でいいし、本人の支払い実費としては月1万円の医療費で済む程度で、比較的普通の日常を送ることが出来る病気になっている、ということは(自分もかかってみて初めて知ったけど)認知が進むといいかなあと思います。
同時に、高額な医療費を国=皆さんの税金で助けていただいていることは十分認識しつつ、先程も書いたとおりまあ普通に働ける病気なので、そこはがんばりますんでご容赦いただきたいなと。
どうやら俺はオタクが好きなのではなく、社会不適合者が好きだということ。
オタクの皮を被った実質ただの人間関係野郎と会った時には鼻で笑い、関わる価値のない存在だと思った。
しかしそれ以上に、アニメもラノベも漫画もたくさん消費していて、それでいて人間関係も性関係もきちんとやっていっている人間に遭遇した時には、言いようのない殺意を覚えた。
彼の話すオタクトークは分かりやすく、確かに面白かった。しかし、彼が健常者であるというだけで、それは聞くに値しないものに感じられてしまった。
彼は俺よりもオタクとして深くやっていっているのは理解できた。それなら敬意を払ってこそ然るべきだと頭では分かっていても、生理的な嫌悪が拭えなかった。
これまではオタクと会うのが楽しいと思っていたのだが、それは単にオタクと社会不適合者はかなりの程度重なり合う集合であり、
俺がそれまで関わっていたのは大部分がその論理積であったというだけなのだ。
だからオタクではあるが健常者である存在に触れると、ただただ不快なだけだったのだ。
というかそもそも俺自身は社会不適合者ではあるが、オタクではないのかもしれない。
いや、もしかしたら不適合者ですらないのかもしれない。
完全な健常者では決してないにせよ、不適合というほどでもない。
何せ障害者手帳を持っているわけでもなし、少なくとも書類上ではこの上なく「まとも」な人生を歩めてしまっている。
俺が社会不適合者だというのは高度に俺の主観及び俺自身の自発的な行動に依拠しているものである。
そうだとするなら、俺が社会不適合者と関わって楽しいと思えている理由は、単に社会不適合者を見下して優越感に浸れるから、ただそれだけではないか。
健常者にも不適合者にもなりきれず、本物の不適合者を見下すことだけが生きがいで、オタクを装ってはいるがその実大して対象への愛もない、空っぽな出来損ない。