はてなキーワード: 障害者手帳とは
https://note.mu/g_g_g/n/nd1ffa894b0cf
一般論でいえば誠に遺憾な感想ではあろうが、非常に同意・同情する部分の多い話だった。
私がいま所属する会社はそれなりの規模を誇り、大企業と言って差し支えないと思う。そんな会社の、割と良い待遇に惹かれて異業種から転職してきた。
現在の配属先は、入社してしばらくするまでは全く気にしたこともなかったが、どうも窓際部署に相当するらしい。企業規模でいうと障害者をそれなりの人数雇わなければならないのでそうした人たちと、社内で業務中に心を病んだ人たちを押し込めている部署のようだ。業務量的には近年増加傾向にある(ので私が雇われた)ようだが、全社を見渡せば少ない方というか、どうしても能力的にフルスペックではない人たちの部署であるので一人当たりの分量は少なくなるようになっている。その基準+αくらいで私に業務が振り分けられるため、残業代もなければ日付をまたいで帰宅し、次の日も早朝から出社するような生活をしていた私からすれば本当に楽で、でも給料的には十分いただけているので、「会社からの待遇」という点においては非常に満足している。
前述の通り障害者を受け入れている部署であるので、さまざまな人がいる。見た目にも明らかに手足に不自由がある方も働いているし、心臓に病気があって普段は何の問題もなく働いているが急に倒れたりするような人もいる。
その中に、うちにもいるのだ。アスペルガー君が。
冒頭の方と違うと思われるのは、彼は障害者手帳を発給されており、自他ともに認めるアスペルガーだという点だ。だが彼の行動については、文中の方と全くといっていいほど差異がない。「自分が他人に対して何をやらかしているか」を認知できない障害であるので当然といえば当然なのかもしれない。
そんな彼は、文中のアスペルガー君と同様に、周りにイライラをまき散らしている。たぶん彼の言動を文章化し、何も知らない人に読ませれば「丁寧な人だなぁ」くらいの感想になるのだろうが、本人を一目見たあとに読めば非常にイラつく言動であるという印象に変わると思う。彼らのまき散らす不快感というのは見えづらいところに蓄積される。
部署にはそれなりの人数がいるため、もともと全員の仲が良い、なんてこともないが、それぞれ皆大人であるか、そもそも意思疎通に難があるため業務上最低限の付き合いしかしない人ばかりで、それなりの付き合い方で回っていた。が、彼が私より後にはいってきてから徐々に険悪なムードになる機会が増えてきた。
うちのアスペ君も仕事はできない。一つ一つの作業は遅いし、覚えも悪い。さらにタチの悪いことに、自分なりに一生懸命考えて仕事を遠回りさせたり他人の邪魔をする。そんな感じで業務上のことでイラつきが溜まりやすいのに、世間話でもイラつきを加速させるのだからたまったものではない。私は彼が入社して二日目には「この人は他人に悪影響を及ぼすので辞めてもらいましょう」と私の上長に提案したが、その時点で私も入社して間もない人間でしかなかったことと、採用したのはその上長よりさらに上の人であったこと、さらには障害者であり人権団体等々がうるさいことから継続となった。
結果一年ほどたった辺りで、部内のかなり穏やかで有能な人物(彼は健常者だった)が怒りを爆発させ、退社してしまった。それにつられて、(個人的にはどうでもよい人であるが)一人やめてしまった。
問題は、彼らの業務を誰が引き継ぐのかということだった。辞めた原因は明らかであり、アスペ君本人も自分が原因になっていることはわかっていたが、業務量的にも内容的にも彼に振り分けるわけにはいかない。本人にも自分がカバーしなければという気持ちもさらさらない。
その後、人員は補充されたが部内の空気が良くないし、引き継ぎたい業務も理解はしているものの日常的に行っていたわけではない人が教えることになるため、いまいち理解が進まない。故に定着せず、二人が入ってはすぐに辞めてしまった。
残業もほとんどなく、ゆったりとできる職場はなくなってしまった。一人のアスペ君が引き金だった。
私は彼の方を辞めさせるように働きかけているが、辞めさせる前例を作るのはよくないとかまあなんとか言い訳してそういう風に動きそうな気配はまったくない。それも全く理解できない話ではないが、本当に苦しい職場になってしまった。私も離職を考えなければならない。
これは常々思っていることだが、障害者を雇うのは非常に難しい。特に精神障害者は、採用時には「普通に受け答えしていて問題ないと思った」とかいうことが多い。しかし採用者は多くの場合、実際に働き始めたときには関わりがないため、問題が起こっても認知しづらい。
障害者を雇うことの強制とセットで、彼らとの付き合い方などの実践的な講習がセットになっていれば、彼らも企業ももっと暮らしやすくなると思うのだが・・・人権屋さん、どうですかね?
僕は現在就職活動をしている。今行っている就職活動は、実は5年目を迎えたところだ。
学生時代には何とかして就職活動終え、新卒で入社した企業で働いていた。しかし、不慮の事故に遭ってしまい、その時に自主退職に追い込まれ、いわゆる使い捨てにあってしまったのである。僕はたった1年だけしか働かせてもらう機会を与えてもらえなかった。
その企業に未練はないが、僕はその時に一般的な社会のレールから外れる選択をしなければならなかった。自主退職をした時には心身ともに物凄く病んでしまっていた。
退職をしてからは自分なりに頑張って時間とお金をかけて、何とかまた満足に働ける状態にまで心身ともに鍛えて、社会復帰をするための準備を終えてから就職活動を再開した。
だけど、どうしようもない社会的なブランクを簡単に埋めることはできず、就職活動は思うように上手くいかなかった。
そうこうしているうちに気が付いたら100社以上にお祈りされてしまっていた。もはや数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほど、企業にお祈りをされたのだ。
ここまで僕の就職活動が上手くいかなかった背景には、明確な理由がいくつか存在する。
そのうちの大きなものの1つとして、僕にはアスペルガー症候群という発達障害があるという事実が挙げられる。僕が行っている就職活動は、障害者雇用における就職活動なのだ。障害者手帳も取得しているし、障害年金も受給している。
障害者雇用における就職活動を自力で行うのはとても骨が折れる。というか、自力で行うのはあまりにも無鉄砲といっていいだろう。
時間とお金をどれだけかけたとしても、それが必ずしも報われるわけではなく、逆に就職活動のためにかけたエネルギーと比例して、僕の心身は憔悴し続けて幾度となく塞ぎ込んでいった。
最も酷い状態の時には、鬱病による症状が強く出てしまい、ドクターストップがかかってしまった程である。
それでも尚、働きたいという気持ちが消えることはなく、一度立ち止まっては休んで、心身ともに鍛えて就職活動を再開するということを、この4年半で3回行った。
これほどまでに社会的に必要とされない時間を過ごしながら、自殺という選択をしなかった自分のことは褒めてあげたいと思う。
また、自力で就職活動をするのではなく、就労支援機関にも通うようになり、職業訓練を積み重ね丁寧かつ適切なアドバイスをして頂きながら、職場実習などを伴う就職活動も行った。その時々の自分にできそうなことは、無理のない範囲でやり続けてきたのだ。
そして、今回のタイトルにある話にやっと繋がるのである。これまで僕がやってきた就職活動の中では、全くなかった衝撃的な出来事が今週起こったのだ。
企業からの送られてきた不採用通知にて、僕の名前の漢字が間違えられていた。何と同時期のタイミングで2つの企業から全く同じことをされたのだ。
片方はメールでの通知、もう片方は郵送での通知だった。後者はどういうわけか封筒に書かれていた宛名と、中に入っていたパソコンで作成したであろう文章での宛名と共に間違われていた。
僕の名前には珍しい漢字が含まれていて、おそらく25人いたら24人は間違えてもおかしくはないと自覚している。だけど、それはいわゆるキラキラネームのようなものではなく、小学生でもかけるレベルの漢字であり当て字などでもない。
お祈りの通知が届いた時、僕は思った。何で人の名前を間違えられるような奴らに、上から目線でお祈りなんかされなきゃいけないんだろうって。
人の名前を間違えるのが失礼だということは、健常者障害者関係なく誰から見ても世間一般的な常識だろう。それを大切な連絡を伴う文章で、何でそんなことができるのか。僕は正直、その出来事が発生したという事実が信じられなかった。
自分の名前が間違われやすいとはいえ、僕が生まれた時に両親は様々な願いを込めてこの漢字を授けてくれた。僕はこの名前が大好きなのだ。だからこそ、不採用という通知よりも自分の名前を間違われたことに深く傷付いた。嫌がらせでもされてるのかとも思った程だ。
逆に僕は、提出した履歴書を手書きで丁寧かつ時間をかけて仕上げていた。選考をしてくれるお相手が少しでも見やすくなるようにと、0.35mm・0.5mm・0.7mmのボールペンを、項目によって使い分けていた。サイズの調整もパソコンで下書きを作成し、フォントなども工夫していたのだ。提出する書類に不備がないかをいつでも確認できる意味合いも込め、コピーを残して控えを取っていた。今回の件は、そういった準備を蔑ろにされてしまったと思わざるおえない。
僕の職歴にブランクがあるため就職活動が難しいという話と、僕に発達障害があって就職活動が難しいという話と、障害者雇用における就職活動がそもそも難しいという話と、今回の本題である自分の名前を間違われた話は、それぞれ論点が違うため全てを一元化して考えるのは難しいだろう。
だけど、これだけは間違いなく断定できる。就職活動というシステムはどう考えてもおかしい。
自分がどんな境遇どんな立場であろうと、何とか足掻き続けて社会に再び出ようと必死になっているのに、自分の名前を間違えるような非常識な奴らにも悪い意味で適当な評価をされては心ないお祈りをされ続けるのだ。
僕はこういったことを平気でできる企業の人事の奴らに、人間のあたたかい血が流れているとはとても思えない。そんな奴らも相手にしなきゃいけない就職活動は、本当にどうしようもないシステムだと思う。
見るだけでなく小説も書く。いわゆる字書きというやつだ。
これがたまらなく好きだ。愛してやまない趣味だ。生きがいと言ってもいい。
*****
私は双極性障害II型を患っている。どうやら結構重症のようで、自傷、自殺未遂、入院のような派手な経歴こそないものの障害者手帳は2級、障害年金も頂いている。就労はしていない。年金を頂きつつ、実家の世話になっている。
ではどんな症状なのか?躁状態はそれほど激しくない。金遣いは荒くなるが、間違っても借金を作ったりはしない。「貯蓄額が○○万を下回ったらヤバい」などの最低限の危機意識は持ち合わせているし、貯蓄が減る恐怖のせいで蓋を開けてみればほどほどに済んでいる(ちなみに貯蓄は働いていた頃に貯めた)。
行動的にもなるしそれなりに遊ぶけど危ないことはしないし、多分世間的に見ても「独身を謳歌しているアラサーのネエちゃん」くらいのものだと思う。
ただ、体力が絶望的にない。ちなみにこれは「筋トレをすれば解決」なんて単純なものではない。何故なら安定〜躁状態の頃は筋トレに精を出すからだ。筋トレ楽しい。
こうして私の貧弱な体力ゲージはこの病気にしては軽度と言えるだろう活動のせいであっけなくゼロに近づき、そして尽きる。そうなるとどん底の鬱状態の始まりだ。
まず、風呂に入れなくなる。洗顔歯磨き、以ての外。着替え?そんなのできません。寝ます。ひたすら寝たきりです。でもお腹は減る…どころか、躁状態時は鳴りを潜めていた過食衝動がぽこっと顔を出すのでそりゃあもう食べる食べる。食っちゃ寝の生活。それも自室のカーペットの上で。ベッドとは風呂後の清潔な体で入るものという意識が抜けないのでベッドでは寝られない。
寝てる間は睡眠かスマホでネサフするか。でも自分の存在を匂わすツールは怖くて使えない。対人関係がものすごく恐ろしい。音信不通になる。ラインはもちろん、あとは同人で使っているツイッターとか。
そう、同人活動が一切できなくなるのだ。睡眠orネサフでは創作活動なんて無理。人と繋がる…というか人に存在を認識されるのが怖いからツイッターで自ジャンルの萌え語りもできない。
これが今まででは最高で半年続いた。半年風呂に入らない!人として終わってる。なんと言っても同居している家族に申し訳ない。臭いよね。本当に申し訳ない。
さて、半年後、なんとか起き上がった私はまずは風呂に入り、夜に寝、朝に起き、少しずつ人としての生活を取り戻していく。それと共に湧き上がるのは、同人活動への欲求だ。
楽しい。楽しい。推しがかわいくてかっこよくて楽しい!妄想するの楽しい!妄想を文章にするのがまた楽しい!当然活動を再開する。無職の身、時間はたっぷりある。まるで仕事でもするようにタイムテーブルを組んで創作活動に勤しむ。
そして、体力が尽きるのだ。
寝たきりの最中は猛烈に反省する。最初の頃は寝食を忘れる無茶な活動に反省した。だから次に起き上がれたときはスケジュールをきちんと組んだ。また寝たきりになった。スケジュールを緩くした。でも、今度こそうまくいく、そう思っていたのに今現在私は寝たきりの状態にある。
薄々気づいている。私に同人は向いていない。この趣味は、私の貧弱な心身とは相性が悪い。
でも、ならばこれから何をして生きていけばいいのか。同人活動のない人生。空っぽだ。「創作無しでオタク趣味を楽しめばいいじゃないか」そう考えたこともある。だけど、ツボな作品に出会うと自動的に頭が創作モードになってしまう。買い専?無理無理!だって頭の中を推しが縦横無尽に駆け回るんだよ!自分なりの解釈ができたらそれは唯一無二だ。何らかの形にせずにはいられない。だけど、同人活動は自分にとってものすごく体力を使う趣味らしく、気づいたら床の上に倒れ込んで虚ろな目をしている。
では同人とは別の、もっと負担の軽い趣味を見つけようか。料理とか?裁縫とか?やってみたらどれも楽しかったけれど、現状同人ほど熱を上げて継続できる気はしない。例外が筋トレだが、筋トレは私レベルでは毎日長時間できるような趣味ではない。
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同人活動という趣味が生きがいだ。これがなければ私の人生は空虚そのものになる。働けないから日中何をすればいいのかわからないし。家事だけでは長い昼の時間は埋まらない。しかし、この趣味は私を健康で文化的な生活から引き離す。
さてさて、私はどうすれば色々と安定するのか。
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一応記しておく。ドクターストップがかかっているだけで就労意欲はものすごくある。就労再開の為にも体調を安定させたい。ていうか働いてるときは仕事で自分のキャパが相当埋まるからこんなこと考えないんだよ。あー、働きたい。
大変お疲れさまです。
自分は昔働いてたコールセンターで、仕事しない・私語が多い・土日のシフトに入らない同僚たちの
おかげでうつ病とパニック障害になってしまい、退職しました(弁護士は雇ってないし薬飲んで最終日までなんとか働いた)
自分が勤務している会社の部署に転職で入ってきた人が休みがちになり、やがて鬱による休職となった
原因は部署の上司ということだが、たしかに声も体格も大きいが、気に入らない人間を虐めるとかは無かった
だが、休職した人は「自分だけ執拗に叱責された」と言ってたらしい。確かに転職なので、他社でのやり方を参考に自社にも適応させようとしていたが、根回しどころか変えることへのメリットすら説明も無く強制してくるので、ただ混乱するだけだった
自分のが絶対に正しい、ここのは糞。みたいな感じで試してみようという気すら起こさせてはくれなかった。もちろん現場が混乱するので上司も注意していた。皆の前とかでも無かったので、最低限の注意もしていたとは思う
休職していた人は、障害者手帳と弁護士を連れて復帰、結果上司はパワハラとして異動となり、大して仕事の出来ない上司が充てがわれ、当の本人は鬱から復帰ということで大した仕事も振られず、日々社会復帰に向けて仕事を頑張っている。その分の仕事は周囲に充てがわれ、上司の使えなさもあって散々な状態になった
それ以来、自分は鬱病患者が大嫌いになった。病名と弁護士を使って自分の都合のいいように職場を荒らした上で、再発をチラつかせながら自由気ままに仕事する寄生虫にしか見えない。出来れば復職してほしくなかった。家で引きこもるか転職するか、それも無理なら今の人生終わって欲しかった
たぶん鬱に甘いはてなは「見えない所で上司は何かやってた」「バイアスかかってる」「日本が遅れてる」とか言うんだろうな。こちらから言わせてもらえば、日本以上に諸外国の方が冷たいと思うけどね
俺は異常だ増田だ。
増田の異常性も時が解決すると思うが、増田は若いから今解決したいんだよな?その気持ちはよくわかる。
解決する1つの手段としては期間工になって正社員登用制度を利用することだな。
俺は障害者手帳持ちだって言ったけれど、その兼ね合いで俺たちみたいなのがどんな仕事で上手く行っててどんな仕事で上手く行ってないかというのをよく耳にしている。
その中で上手く行き易い可能性が高いのが期間工だよ。特に自動車業界の。
自動車の期間工ってチームで動いてるけど仕事の中身は1人作業だからな。仕事中に誰かと関わることが非常に少ない。
そして期間工の間は究極的に言ってしまうと責任がない。もちろん失敗すると叱られるだろうけど車が完成しなくても最終的な責任は正社員の中に居る管理職にあるので責任へ対してのストレスが非常に少ない。
正社員登用制度があるので正社員になれるし、いきなり管理職ってわけではないから責任もいきなり増えたりしない。
自動車業界は福利厚生も豊かで給料もそこそこ、社会的信用も高く家のローンや自動車のローンを組むとき困らない。
「トヨタに勤めてます」とか「ホンダに勤めてます」とかっていうブランドは親御さんも安心するし、結婚適齢期の女にとっちゃ魅力的なブランドだろう。つまりモテる。
増田はもしかしたら俺みたいにソフトウェア開発とかできるようになるんじゃないか?みたいな期待があるかも知れないが、それは絶対に無理だとココで助言しておく。
俺はコンピュータのスペシャリストだ。正確に言えばコンピュータのことだけにしか特化していない他の業務に関しては無能と言って良いレベルの人材だ。
そしてこの業界に潜り込めたのが小泉純一郎政権下のIT革命と言われていた時代で、その時代背景によって「障害者にもコンピュータ業務を」という需要が高くあった時代に就職している。
そのため俺は日本でもおそらくは両手以下しか居ないだろうコンピュータに特化しつつ更に障害者向けソフトウェア開発に超特化している希少人材だ(盲目者ブラウザとか点字入力とか作れんだろ?)。
だから増田は本当に今困っているなら期間工になって正社員登用を目指せ。
俺も人の親だからな、息子が十数年後成長した姿がお前だと思って書いた。これが俺できる最大限の優しさだ。
【追記】続編書きました。この記事、釣りなんですがまあ、とりあえず読んでから下記の追記へとお進みいただけると嬉しいです。
https://anond.hatelabo.jp/20190703165854
前々から、ずっとADHDの気配を背後に感じながらも怖くて振り向けずにいた。
いや怖いというよりかは、面倒。知ってしまったらお金、どのくらいかかるんだろ?仕事はどうなるんだろ?制度?調べること多くない?
面倒だー、無理無理、ちょっと頑張ればどーにかなるから医者行かなくても平気平気。
そう思ってたのに、ちょっとの頑張りが積もり積もってメンタル崩して仕事を失い、ニートの期間ができてしまった。
メンタル崩すっていうのは毎日泣き暮らすようなイメージだったけれど、割と私は静かに壊れていた。
生活の中に、至る所で当たり前のように死が紛れ込む。そこに感情の機敏はなくて、ただ当たり前の発想として死にたくなる。そんな生活を数年は続けていたけれどある日行動に起こしてからは即解雇。ただの変わり者だと思ってたのに、こんなことするなんて。その「こんなこと」の原因は、我慢できなかった私に10割の非があるんだろうか。
そんなこんなで、うつ状態から抜け出すために精神科医に向かったついでにふわっと聞いてみた。ADHDってどう思います?
そう話した瞬間から診察の雰囲気が少し変わって検査日程が増え、あれよあれよと面倒ごとが増えていく。あーこれはニートじゃなきゃ無理だわ。生活の全てを費やすつもりで行かないとこなせねーわと思った。キャパシティが驚くほどに少ない。
結論として、うつにプラスしてADHDで間違い無いでしょうね、とのこと。
あっ、マジですか。
お薬も用意できますし、きちんと通えば手帳の申請も視野に入りますね、なーんて言われて。
帰って泣いた。
嬉しくって泣いた。
だってさー、毎日どうして自分は普通になれないんだろうって泣いてたから。
他の人は頭が良くて、どうして私はこんなにも頭が回らないのか。どうしてこんなにも私は話がまとまらないのか。どうして、私はこんなにも空気が読めないと言われるのか。
私の普通、はどうやら周りから見る普通ではないことはわかっていたけれど、私はどうやってもその普通にたどり着けないと泣いていたのだ。
毎日ムカついていた。どうして普通にできないんだと、周りも自分も思ってた。
あなたのそんな個性的なところ、素敵だよ!個性を貫き通して活かせば、今の時代は受け入れられるよ!みたいな風に言われることもあった。
優しい言葉に見えて、「お前は普通じゃないし昔だったら受け入れられてねえからな」って言いたいわけでしょう、っていうか個性的になりたいわけでも貫きたい信条があるわけでも無いし。
どこに行っても、はみ出してて、どうしてもっと頑張ってみんなに並ぼうとしないのかと、もっと頑張れ頑張れって言われ続けてた。
みんなから責め立てられてた。
でも残念でした、私はどうやっても普通になれないキチガイなのでした。
正直、煽ってるとかそういうんじゃなくて心の底から安心してるんだ、もう普通を目指さなくていいから。だって普通になれないんだもん。
今までの自分に対する、なんで、どうしての全ての答えが急に出てきて自分でも捉えきれないほどに喜んでいる。この世の全ての答えは、42じゃなくて私にとってはADHDだった。
私は怠けていたわけじゃない。
私は特別な心情のためにキャラクターを演じていたわけでもない。
私は個性的でありたいわけじゃない。
全部私は生まれながらにして頭がおかしかったんですどうにもならない救いようもない普通には到底なれない障害者だったんです。
幼少の頃、親は、クラスにいた車椅子を使う子に対してこう言っていた。
「あの子には優しくしてあげなさい。障害を持っているかわいそうな子なのだから」
じゃあ、私にも、もう頑張れと言わないでくれますか。もう子供として見ないで、障害者として、私に対して優しく接してくれますか。
肩の荷が降りてしまって、力が抜けて仕方ない。普通になれないと証明されることがこんなにも世界観を変える出来事だなんて思ってなかった。
それに怒りだって湧いてくる。
私に普通であることを、知らないからといって強要し続けてきた全ての世界が憎い。
あの苦しみの日々の全てを与えた人たちに、私の苦しみを分けてあげたい。
今まで、憎しみという言葉は自分にしか向けてこなかったから、明確に行き先のわかる憎悪が自分の中にあるのが不思議で、どうしていいのかわからず持て余してしまう。
と、ここまでその喜びと、世間へのざまあみろ!みたいな心意気を書き連ねてみたものの、書いている途中で、少しずつ昂りがなだらかなものになっていき、物事が冷ややかな輪郭を取り戻してきてしまった。
だって、私今まで毎日、思考と感情のほぼ全てを普通になることに注いできてしまった。
周りに笑われたくない周りにバカにされたくない周りと同化して見えなくなってしまいたいとずっと思って生きてきて、もっと普通にならねばと自己啓発本を読んで続きもしないタスク管理術を何度も試してみて、普通の人になりたい、なりたいと日々を過ごしてきたのに、結局私はなれないのだ普通に。だったらなんのための日々だったんだろう。毎日泣いて毎日苦しい死にたいと言ってきた日々、本当に意味がない。
解釈も文脈も全然違うけど、私の好きな作詞家の言葉で、要約するとこんな言葉があった。
「何も考えがわかないときは、空っぽの頭になんでもいいから知識を詰め込みなさい」
と。
映画でも本でも誰かと話すでもいいから知識を得ることで判断の基準が出来るのだと。
ならば私も今は、新しい自分の日々に向かって知識を蓄える時ですかね、そうですかね。
もう世界線超えたレベルで今までの価値観が全部、障害者手帳の言葉にぶっ壊されてしまったので、大人しく今は今後のためにインプットの日々にします。
映画を見るなら、なんとなく今はトゥルーマン・ショーの気分です。
私の世界は壊れてしまった。いや私が元から壊れてたんですけども。
わかってるわかってるそんな診断されたからって明日からみんながかわいそうなものとして扱ってくれるわけでもなく今まで通り誰からも足手まといの私がただ生きてるだけの日々が地続きでただただ伸びているだけなのはわかってるんだ。
私だけが世の中の不幸を背負ってるだなんて微塵も思ってはないけれど、驚いてしまってるんです。驚天動地で動転してるんですよ。気を悪くされたらごめんなさい。
パナを退職したり勤めてる人のを読んでると、自分が辞めた頃と変わってるところ変わってないところがあるので興味深かった。
https://anond.hatelabo.jp/20190612010558
相変わらず朝会や昼会で綱領、信条、七精神の読み上げとスピーチやっているのは松下幸之助創業者の文化を伝承しているのだなと意外。
自分がいた頃は社歌も歌ってたが社名が変わってから止めたのか?歌詞に社名が入っていたかどうか忘れたが。
十数年、綱領、信条、七精神毎日声に出していたが結局覚えられなった。
スピーチは毎回何を話したらいいか悩むことを、当時の上司と雑談してる時に話したらマジで叱られたことがある。
「それを考えるのが技術者や」
今だにその真意はわからないでいる。ちなみに当時の上司は今のパナの社長をしている。
結局自分は1、2分のスピーチで笑いを一回はとることを目標にしていた。これは今でも役に立っている。
上司にも内緒で社内転職先と交渉して転職が決定してから、あとは上司に報告すればよい制度。
自分のやりたい仕事と違いスキルが生かせないと思えば転職先と交渉すればよい。
もちろん転職先で生かせるスキルもなく今の職場が嫌いとかの理由では先方にも相手にされない。
サービス残業がないとか書いてあったのでそこは良い方向に変わっている。
部署によるのかもしれないが読む限りは勤怠でごまかしが効かないシステムを採用してるようだし。
自分の頃は当然のようにあったし有給消化なんかできなかった。その日に有給をとったことにして幽霊として職場で仕事していた。
遠方の祖母が亡くなった時に2日休むことをルールに従って申請したら「そんなに休むんか」と言われたこともある。
ただ土日祝は確実に休めた。自己啓発ということで土日に出て勉強する制度を利用して仕事してる社員もたまにいた。
ここからは自分のエピソードだ。長文の恨み節や愚痴になるだろうからラクガキ程度に思ってほしい。読みづらくあえて詰めて書く、
全く連絡を受けてない会議に呼び出されて「なぜ会議に出ない?資料をなぜ用意してない?メールしたやろ」と
罵倒された場面はいまだにフラッシュバックとして発作として現れるし夢にも出る。
単純に上司が自分にメールしてなかっただけだったのだが、それを話すことすら怖くなっていたのでかなりの重症だ。
電車でも隣の車両に上司がいるのではないかとか職場でもトイレで首吊ることばかり考えていた。LANケーブルはすぐそこにあったし。
ある日上司から呼び出され転属願を書かされた。転属理由は上司が話す言葉をそのまま書き写すだけ。
休職期間はかなり長くとれるし安くなるけど手当も出る。これはベンチャー企業では無理だろう。
主治医が復職可能の診断書を書いたので復職すると人事に持っていったら人事担当が
「うつ病は完治した」という言葉がないと復職は認められないと言う。
当時のあの会社の人事ですらメンタルヘルスへの理解はその程度だったのだ。
その後も休職してしまい復職可の診断書を持っていくと転属先上司と人事部長と面談となった。
現在早期退職者を募っているので利用してはどうかと。一ヶ月後が締め切りとのこと。
聞けば早期退職は何ヶ月も前から募っていたそうだが今まで何も連絡がなかったということと、辞める気はない旨伝えたが
かなり色々言われた。こういう時はボイスレコーダーで録音しておくほうが良い。
理解できてないようなのでちゃんと奥様加えてご説明したいと自宅まで来るという。
妻も仕事を休まないといけないので断ったが強引だった。
その日の夜7時に来た人事部長の第一声は「会社と家まで遠い」だった。
距離は遠いが時間的には1時間半と普通の範囲だし同じ駅から通っている社員もいる。
この第一声はもちろん辞める理由にしてほしくて言っているのである。
医者は別の病名を言っているのだが何故か人事部長が診断名をつけている。
で、社風と自分が合っていないのではないか。だから転職をすすめると。
自分「最初の頃は家にひきこもって療養してましたがおかげさまで外出できるようになりました」
上司「図書館へ行って資格の勉強をするとかしなかったのか」とあきれた顔で言う。
ボイスレコーダーで録音しておいたほうが良い。
当時の労働組合はこういう時は全く役に立たなかった。
組合活動動員で当時の某野党議員の多量のビラを各家屋に入れて最終電車で帰宅とかやらされたのに役に立たん。
結局あきらめて退職して、今ではうつ病として障害者手帳まで持っている。
退職の判断は今では結果的に正しかったと思うし、障害者になり低収入で暮らしているが
ついでながら
自分は当てはまらないが、パナは才能知識そしてスキルもある社員がたくさん集まっていた。
優秀なのにつまらない仕事ばかりでいやになって転職した先輩もいた。もったいない。
今の社長が就任する前まではそんな優秀な人材を生かせない会社だったのだろうとは思う。
記事を読む限り、今は変わってきてるようだ。
息子は大学を卒業後就職したものの就職先がブラック企業で心を病んでうつになり(障害者手帳・障害年金あり)、現在引きこもりです。
そんな息子は元事務次官の事件以前から、私に『殺してくれ』と頼んで来て、包丁やロープを手渡してくることもあります。
私が『人殺しにはなりたくないから殺すつもりはない』と言っても『もうお前は既に人殺しなんだから(註)何を今更』と軽蔑したような事を言ってきます。
息子は精神科にも通っていて、多少は状況が改善して見える時期もあるのですがそれも一時的なもので、長期的に見るなら改善の様子はありません。
もちろん私は元事務次官のように息子を殺したりするつもりはないのですが、どうすれば良いのでしょうか。
(註)息子は死刑賛成派、私は反対派で、ある時にそのことで議論になった時に私が『死刑に賛成しているお前も間接的人殺しだ』と言ったことがある、らしい(息子はそう言っている。私にはそんな事を言った記憶はない)。
その事を持ち出し、『勝手な定義で他人を人殺しと定義するヤツは、逆に勝手な定義で人殺しと定義されてもいいはずだ』と息子は言って、私の些細な行動を取り出して『間接的人殺し』と言ってきます。
以前、ネタ番組を見ていた時、
「バイトで採用決まったけど、サンドバッグとしての採用だったらどうしよう」
という出だしではじまる漫才があった。
「休憩室に吊るされて、他の人がシフトに入った日は2回まで殴ってよくて、10日温存したから20回殴っていい、みたいなルールができるんだ、怖い」
と怯えるボケのことを覚えている。
その時は特に何も思わなかったけど、今はそれもアリなのではと思いはじめた。
私は大学を中退したばかりで、発達障害があるため障害者手帳を持っている。
とにかく無能も無能、資格もない、学歴もない、体力も気力もない、友達もいない。頭も容姿も要領も悪い、無能だ。精神的に甘えきった無能である。
最近就活をはじめたが、自分のアピールポイントなんてない。思いつくわけがない。
人は共通の敵を作ることによって結束感が高まるものだから、私を敵にすることによって職場の士気も上がり、仕事の効率も上がるだろう。
私はちゃんと毎月最低限の給料が払い込まれていて、正社員という肩書きがもらえるなら、不当な扱いを誰かに通告するような人間ではない。
それに、サンドバッグにされることには慣れているし。
今まではサンドバッグ要員としての自覚がなかったため人に対する憎しみなどを燻らせていたが、最初から「あなたはサンドバッグです」と契約を交わして入社しているなら納得がいく話である。
肉体的にも精神的にもサンドバッグにしてもらって、皆様のストレスのはけ口になることにより、有能な人間が不当にサンドバッグになることを防ぐことができるのではないかと思う。
ひとりが犠牲になることで他の全員が幸せになるなら、そっちの方がいい気はする。もちろん、双方のきちんとした同意があるべきではあるが。