はてなキーワード: 関関同立とは
大晦日に掃除をしていたら昔の日記が出てきた。といっても4,5年前のものだが。
今も昔も、関東に本社があるJTCの人事部で採用の仕事をしているのだが、珍しい体験をしたのを日記に付けていたのだ。改めて読んでみると感じるものがあった。身バレにならない程度に語ってみたい。
その彼をA君としよう。初夏の頃だったか、彼との面接があったのは。一次面接だった。当時の面接室は、白を基調とした明るい部屋を用意していたっけ。JTCといっても、うちは同業他社に比べてカジュアルな方だとされている。
面接形式は、年によって若干違う。面接官2対学生1の場合もあれば、2on2の時もある。コロナが流行り出してからは、ほとんど前者になったか。
ところで、A君は関関同立ほどの偏差値の大学だった。弊社を受ける学生の中では少数派である。しかし、そんなことは関係ない。もっといい学校の子がたくさん受けに来ているけれども、関係ないのだ。
採用業務の効率を考えると、学校歴で選ばざるを得ないのは確かであるが、実際にその人を目の前にして学校のことを頭に思い浮かべるのは失礼極まりない。
実際、偏差値でいうと50ほどの大学の子を採用したこともある。ずっと昔のことだ、北海道にある大学だった気がする。
実際、A君の受け答えはよかった。素直だったし、わからないところはわからないというし、偉ぶった態度はないし、中学の頃からずっと同じスポーツを続けていた。
うちは商社であり、特定の製品で稼いでいるわけではない。仕事を取ってくる者の人間性が命の世界だ。正直いって、「この子はイケるかもしれない」というのが私の感想だったし、面接室で私の隣にいた上長の意見でもあった。
しかし、人間はわからないものだ。いまこの日記を読んでいる増田民やブクマカのあなたも、そういう経験がないだろうか。私にも何度かあるが、その中でもこのA君は悪い意味で際立っていた。
前置きが長くなった。ここからが本題だ。その日の面接がすべて終わって、帰りに居酒屋に寄った時のことだ。先の上長と一緒だった。
いつも行く店が悉く満席に近い状態だったため、大衆的な居酒屋に入ることにした。昔でいうと、和民のような感じだ。系列店ではない。個人営業のお店だ。
比較的若者が多い店内で、上司と一緒にテーブル席についてメニューを吟味していると、なんとA君が近くを歩いていた。吹き抜けタイプの広い店だったから、彼が歩いてくるのがクリアーに見えた。
そこで、見てしまったのだ。A君が、年配のお客さんに声をかけられていた。お爺さんだった。店内にタバコの自動販売機があったのだが、使い方がわからない様子だった。
声をかけられたA君は、「ボタン押したらいいっすよ」とだけ言って、そそくさとエントランスの店員がインカムを付けて何か話しているところに駆けて行った。
「ちょっと!! 注文来ないんですけど。取りに来ないんやけど!!」
と、恥ずかし気もなくインカムで会話中の女性店員に怒鳴り散らしていた。
後ろを向くと、上長がテーブルから立っていて、お爺さんにタバコの買い方を教えていた。どこにでもあるタイプの自販機だったが、ここではちょっと仕様が違っていたのだろうか。
A君は、エントランスの女性店員と何やら話をしていたが、やがて憤然とした様子で二階席に戻って行った。こちらには気が付いていなかった。
危ないところだった。ああいう演技がうまい人間は一定数いて、弊社も情けないことに引っかかることがある。多くは面接試験で化けの皮がはがれるのだが、ああやって潜り抜ける者がいる。
彼の場合は、エントリーシートも性格適性検査も知能検査も問題がなかった。ここまでされると手の打ちようがない。面接で落ちることを願うしかない。
そういう失敗がある度に、要注意大学リストみたいなものを人事部の中で作っておき、研究を重ねていくことになる。A君の場合は立命館大学だった。関関同立だと『化けの皮率』が最も高い。私の体感だと、MARCHクラスでは立教大学or中央大学になるだろうか。国公立大学にはそういった要注意大学は少ない。
十年以上も人事をやっている者からすると、人格的にアウトな人間を見つけ出せる機構(システム)がどうしてもほしい。
実務能力が低い人が内定を取るのはいい。まだ許せる。そのあたりはわかっている、贅沢な望みというものだ……。が、能力が低いだけなら問題ないのだが、人格や人柄まで悪かった場合、他の社員に悪影響を与えることになる。能力の低い社員を侮蔑する言葉を使ったり、病気や障害のある社員も容赦なく罵ったりする(そういう人は得てして取引先も馬鹿にする)。そして、そんな姿を見てまともな社員が嫌な気持ちになり、やる気をなくしていくのだ。
さて、そんな理想の未来が果たして来るのだろうか。それを待つまでに、私は経済社会から去っているだろう。できればだが、そういうテクノロジーが誕生する未来を祈っている今日この頃だ。
エンジニア始めて5年目ぐらい、仕事で英語使うし、時間に余裕できたしで、教えたい欲を満たすために副業で塾講師やってた
個別じゃなくて教室で何人かに向けてやる感じのとこで英語を教えてた
俺が在籍してた期間は二年だけだったけど、2、3年に1人産近甲龍、基本偏差値45ぐらいの大学に進学って感じだったけど、俺がいた2年間は関関同立に17人(うち1年目4人)、早慶3人、阪大1人、神戸大2人入れた
3年生に週二回
ちょうどこの時期ぐらいに入って最初は5人ぐらいだったんだが夏までに30人に、2年目は最初から30人に教えてた
大学時代Wiki読み上げるだけの授業が嫌いで、テキストも使わずに、俺の受験生時代の知識を思い出しつつ仕事で得たリアル英語の知識で教えてた
一応院も目指してたことあって、大学への知識もそれなりにあったから専門の話とかもして興味引き出せるように努力した
田舎ってほど田舎でもないけどまあそんなに大卒もいない関西の二流都市で、偏差値50以下の奴ら相手にね
俺自身偏差値42から早稲田入って授業サボって徹マンして7年半年かけて卒業したある意味劣等生だったんだが、受験で勉強に目覚めてからは今日まで毎日勉強続けてるし、結局環境なんだよ
寿司屋に迷惑かけるアホも偏差値42ぐらいの怠惰なクズも磨けば変わる
本人が変わる意思さえあれば誰でも変われる
勉強できないやつが本当に何もできないバカなのは間違いないと思う
でも周りにまともな奴がいて、丁寧に磨いてやれば人並みになれる奴らではあるのも間違いない
ちょっと古いが
73 国家総合職(中堅省庁:外務省・防衛省・経済産業省・金融庁・内閣府など) 衆・参議院総合職
72 国家総合職(下位省庁:国土交通省・厚生労働省・農林水産省・環境省・文部科学省など)、国会図書館総合職
71 国家総合職(法務省、外局・独立行政法人など)、衆・参議院法制局
64 都庁I類
63 航空管制官、参議院一般職、労働基準監督官 、政令市、優良県庁
61 財務専門官、国家一般職(本省=霞ヶ関採用)、裁判所事務官一般職、国税専門官、下位県庁 、特例市役所
60 国家一般職(人事院事務局・管区警察局・財務局・経済産業局) 、防衛省専門職
59 国家一般職(運輸局・地方整備局・地方検察庁) 、一般市役所
58 国家一般職(労働局・入国管理局)、県庁(学校事務・警察事務)、法務教官、町役場
同じく30代前半の自分の実感を書く。
自分も同世代で就職活動をした。サークルOBの繋がりが深かったため前後世代の状況もそれなりに把握しているつもり。ちなみに大学はマーチ関関同立のどこか。
まず、30代前半と言っても年代で見えている景色が全く違っているはずだ。
はじめに2010〜2013卒の就活。今の32〜35歳くらいかな。
ちょうど民主党政権下だ。
リーマンショックの影響が大きく、増田が言うように数十社受けても内定が1社なんて当たり前の世界。就活生はまさに地獄を見ていた。
民主党時代から失業率は改善していたとブコメがあったけど、当時の学生からすれば「内定率」改善の実感はゼロだった。
企業の人手不足が本格的に叫ばれるようになった(だから就活生も期待していた)くらいの時期になる。
ここは完全な売り手市場で、同じ大学・サークルにも関わらず上の世代より明らかに就活が楽になっていた。
複数内定も当たり前で、有名企業や大手企業の内定も増えていた。
たった数年でここまで変わるのかと衝撃だったよ。
もっとも安倍総理がどんなに有能でも一年や二年で内定率を大きく動かせるとは思えないので、
それでも学生からすれば自分たち世代で何かが大きく改善した実感は大きかった。
最近の某事件の犯人が、某私大の理系学部を経済的理由から中退していた、とネットの記事で知りました。
私も犯人と同年代で、同じような経験をしています。同様の境遇の若い人たちに、何とかなるかもしれないと思って欲しくて、私の体験した私大生活や修士号取得について書きます。
なお、犯人が起こした事件は決して許されるものではないと思っており、犯人を擁護する意図はありません。
私は高校時代、恥ずかしながらセンター模試の結果がいつもボロボロでした。中でも古文漢文や歴史、化学などの科目がひどい出来でした。
一方で、得意科目の物理や数学が大きく評価される私大模試では、いつもなかなかの偏差値でした。
結果、センター試験は本番でもボロボロでしたが、早慶や関関同立といった私大の理系学部に合格しました。
それまでも職を転々としているような父で、実家には大した預金もなかったようです。
入学式を迎えたものの、いつ授業料が払えなくなるか分からない状態でした。
大学の事務室で授業料について相談し、入学直後に募集のあった大学オフィシャルの奨学金に申込みました。
家庭の収入を証明する書類や推薦状など揃えなければいけない書類が多く、なかなか大変な手続きでした。
親の都合なのになんで私が…と思いながら手続きしたことを覚えています。今思えばバチ当たりな考えですね。
無事に奨学金の審査に通り、私の場合は年間およそ100万円の授業料が免除されました。
ただし、年間50万円ほどの施設利用料は支払う必要があり、こちらは母が支払ってくれました。
奨学金の審査は毎年ありましたが、幸い三年間、連続で採用されました。
この間、奨学生になるために成績だけは学科タップをとり続けていました。
だからといって勉強漬けではなく、アルバイトで飲み代を稼いで、サークル活動も楽しんでいました。
大学3年生になると、理系学生は院進学について決めなければなりません。
私は進学してもう少し勉強したい気持ちがありましたが、来年、さらに修士課程でも奨学生になれるとは限らない。
大学3年生で4年生と共に試験を受け、合格すれば来春から一年早く修士課程に入学できるのです。
もちろん入試を受けました。
志望先の研究室の学生にコンタクトを取り、院試面談に関するアドバイスをもらって無事合格。
おまけに特待生として修士課程二年間の授業料免除もゲットしました。
さらに無利子の奨学金で月7万円を頂くことができ、激安の学生寮にも入れたので、修士課程はバイトなしで生活できました。
ときどき研究室の先生にTAをさせてもらい、お金を貯めて研究室旅行にも行くことができました。
大学院での研究は、周囲と比べると卒論を書いていないという負い目もありましたが、先生には分け隔てなく指導いただきました。
また、リーマンショック前の売り手市場だったこともあり、就活では複数の大手企業に内定をもらいました。
さらにラッキーなことに、そこそこの成績だったようで奨学金の返済が半額免除になりました。
結局、学部時代から約50万円プラス生活費で修士号を取得することができました。
その後、就職してから数十年。すでに奨学金も返し終わっています。
それが何だと思われるかもしれませんが、東大生人気ランキングに入るような会社で、そこそこお給料もいただいています。
自分の子供には幅広い選択肢の中から進路を決めてほしいと考えていて、日々子供のために頑張って働いています。
あのとき、奨学金制度を教えてくれた方や、採用して下さった方々のおかげで、今があります。
経済的な理由から学びを諦めそうになっている学生の方へ。何か方法がないか、周囲の大人に相談したり、裏技がないか調べてみてください。
学ぶ意欲のある人には、どこかで誰かが味方がついてくれると思います。
どうか諦めないで。