これでシコれなくても俺は知らん
しかないと思う。
あと二つもある?
]]>明治政府はロシアの脅威に対して、北海道の支配を固めるべく、
開拓使という官庁を作って、次々に官営の事業を生んでいった。
しかし、北海道の事業は当時の金額で1400万円もの巨額な予算を官費から出したものの、多くがあまりうまくいかなかった。
だから、それらの事業を民間に払い下げることにしたが、財界人は誰も見向きもしない。
そこで、開拓使長官だった黒田清隆は、大阪の経済を復興させていた事業家、五代友厚に相談した。
五代友厚はちょうど大阪の商人たちと関西貿易社という会社を作ったばかりで、
北海道での貿易も視野に入れていたので、それらの事業を引き受けることにした。
誰も見向きもしなかった事業なだけに、38万円という破格の安さで、諸事業は関西貿易社に払い下げられた。
ところが、黒田清隆と五代友厚は二人とも同郷の薩摩出身だったことが、問題となった。
薩長主導の政治に反発していた非薩長の政治家たちが、「黒田と五代が結びついて癒着している」ということを糾弾し始めたのである。
それをマスコミが面白おかしく取り上げ、癒着疑惑は全国で話題となった。
これによって、五代友厚は方々から攻撃をされることになり、大阪商工会議所の初代会頭など重職を辞任しなければならなくなった。
この事件によって、五代友厚は心労が祟り、その数年後に病死してしまうことになる。
だが、五代友厚は無実であり、政争に巻き込まれたというだけである。
これによって、払い下げが白紙となり、五代友厚の行動もかなり制限されたので、
この事件は北海道の発展を遅れさせ、大阪の発展も止めたことになる。
ここまではわかる。
ネット社会になってからは、ますます炎上の頻度が多くなってきた。
何か問題があったという話題には、無関係な国民がやたら文句を言う。
そういう非難の声は、実際にはいろんな流れを止めてしまう。
それが顕著だったのが近年の新型コロナウイルスの騒動で、
マスク程度の予防で良かっただけなのに、多くの人が非難の声を上げたことで、
無意味な緊急事態宣言を敷くどころか、それを長引かせる結果になってしまった。
結局は、自分たちの首を絞めることになってしまうのだ。
そうやって、たくさんの人民の声が、発展のための偉業を阻止する、円滑だった経済を止める、といったことは、歴史の常である。
仕方のないことではあるのだが、せめて、
「非難の声が大きくても、 自分だけはきちんと判断しよう」という意識が大切である。
ここはぜんぜんわからん。
せっかく前半がいい話だったのになんでこうなるんだ…
]]>けれど、アメリカ側もシリア空爆で1400人の民間人を殺害し、80人の子ども殺しを隠蔽していた。
名古屋高等裁判所の判決文(自衛隊のイラク派兵に関して)によれば、
アメリカ側は【国際的に禁止された兵器】【化学兵器】を使用しながらイラク人を15万人から22万人も殺害し、
2007年は2万4千人もイラクの民間人を殺した。だが日欧米国民はその侵攻を自由と正義とほざいた。
名古屋高裁は航空自衛隊が運んでいたのは人道支援物資ではなくほとんど武装兵と断定し、
その部分が「武力行使」で憲法違反と判決した。だが日本の天皇や国民は「平成は平和で戦争がなかった」
「イラク派兵は人道支援だった」と認識障害を起こしている。それはプーチンやロシア国民と変わらない。
かつて日本は西洋や中国語にない「植民地」の造語を発明し、アイヌ国や琉球王国や韓国を侵略併合した。
けれど日本は学校やメディアで「開拓使の設置(1869年))「琉球処分(1879年)」「乙未事変(1895年)」
と言い張り、【アイヌ国侵略】【琉球王国侵略】【韓国侵略】と表現しない。日本人はプーチンと同じだな?
イングランドはイギリス一国一旗を主張せず、4か国のUK🇬🇧(連合王国)を名乗り、日本人以外はUK🇬🇧と呼ぶ。
保守的な君主制の島国を見習い、最低レベルの民主主義に基づけば、沖縄は国で、沖縄県旗は国旗だ。
日本国と沖縄国の「連邦」、日の丸と沖縄県旗のユニオンフラッグを具体化しなければ日本はロシアと同レベル。
「イギリス」「日本」「沖縄県」と教育し、報道し、出版し、コメントしてる日本人はプーチンと同レベル。
これらを忘れるな。
]]>けれど、アメリカ側もシリア空爆で1400人の民間人を殺害し、80人の子ども殺しを隠蔽していた。
名古屋高等裁判所の判決文(自衛隊のイラク派兵に関して)によれば、
アメリカ側は【国際的に禁止された兵器】【化学兵器】を使用しながらイラク人を15万人から22万人も殺害し、
2007年は2万4千人もイラクの民間人を殺した。だが日米国民はその侵攻を自由と正義とほざいた。
名古屋高裁は航空自衛隊が運んでいたのは人道支援物資ではなくほとんど武装兵と断定し、
その部分が「武力行使」で憲法違反と判決した。だが日本の天皇や国民は「平成は平和で戦争がなかった」
「イラク派兵は人道支援だった」と認識障害を起こしている。それはプーチンやロシア国民と変わらない。
かつて日本は西洋や中国語にない「植民地」の造語を発明し、アイヌ国や琉球王国や韓国を侵略併合した。
けれど日本は学校やメディアで「開拓使の設置(1869年))「琉球処分(1879年)」「乙未事変(1895年)」
と言い張り、【アイヌ国侵略】【琉球王国侵略】【韓国侵略】と表現しない。日本人はプーチンと同じだな?
イングランドはイギリス一国一旗を主張せず、4か国のUK🇬🇧(連合王国)を名乗り、日本人以外はUK🇬🇧と呼ぶ。
保守的な君主制の島国を見習い、最低レベルの民主主義に基づけば、沖縄は国で、沖縄県旗は国旗だ。
日本国と沖縄国の「連邦」、日の丸と沖縄県旗のユニオンフラッグを具体化しなければ日本はロシアと同レベル。
「イギリス」「日本」「沖縄県」と教育し、報道し、出版し、コメントしてる日本人はプーチンと同レベル。
これらを忘れるな。
]]>けれど、アメリカ側もシリア空爆で1400人の民間人を殺害し、80人の子ども殺しを隠蔽していた。
名古屋高等裁判所の判決文(自衛隊のイラク派兵に関して)によれば、
アメリカ側は【国際的に禁止された兵器】【化学兵器】を使用しながらイラク人を15万人から21万人も殺害し、
2007年は2万4千人もイラクの民間人を殺した。だが日米国民はその侵攻を自由と正義とほざいた。
名古屋高裁は航空自衛隊が運んでいたのは人道支援物資ではなくほとんど武装兵と断定し、
その部分が「武力行使」で憲法違反と判決した。だが日本の天皇や国民は「平成は平和で戦争がなかった」
「イラク派兵は人道支援だった」と認識障害を起こしている。それはプーチンやロシア国民と変わらない。
かつて日本は西洋や中国語にない「植民地」の造語を発明し、アイヌ国や琉球王国や韓国を侵略併合した。
けれど日本は学校やメディアで「開拓使の設置(1869年))「琉球処分(1879年)」「乙未事変(1895年)」
と言い張り、【アイヌ国侵略】【琉球王国侵略】【韓国侵略】と表現しない。日本人はプーチンと同じだな?
イングランドはイギリス一国一旗を主張せず、4か国のUK🇬🇧(連合王国)を名乗り、日本人以外はUK🇬🇧と呼ぶ。
保守的な君主制の島国を見習い、最低レベルの民主主義に基づけば、沖縄は国で、沖縄県旗は国旗だ。
日本国と沖縄国の「連邦」、日の丸と沖縄県旗のユニオンフラッグを具体化しなければ日本はロシアと同レベル。
「イギリス」「日本」「沖縄県」と教育し、報道し、出版し、コメントしてる日本人はプーチンと同レベル。
これらを忘れるな。
]]>元増田さんと違って、私は自民党ではなくとある野党に投票しました。
元増田さんの記事を読んで感じたのは、ほぼ同じ時期に生まれ、ほぼ同じ期間を過ごしている私と元増田さんの一番の違いは多分、現状の日本に満足しているか否かなのかな、ということです。
私はとある部分でマイノリティです。そのせいで学校生活や就活で苦労しています。今も安定した職には就いていないですし元増田さんのように結婚もしていないです。(結婚していないからといって元増田さんを恨んだり妬んだりはしないです。あくまで自分の立場を説明しただけです。あしからず…。)
そんな私にとって野党が掲げるLGBTQ+関連とかジェンダー平等などのマイノリティ向けの政策を見ると「私に寄り添ってくれている!」と感じてしまう訳です。
そして自民党にはマイノリティに寄り添ってくれるイメージは持っていないです。先の自民党総裁選では野田聖子さんがそれらしい主張をしてくれていたと思います。でも「同性愛者には生産性が無い」とか「夫婦別姓は日本の伝統的な家族像を壊す」とか言っちゃう人がメンバーにいる自民党は、個人的には信用できないですね。結局野田さんは総裁になれませんでしたし。
元増田さんの「与党を批判ばかりする野党が怖い」という印象にもなるほど、と思いました。実際に国会でも、それ以外の場所でも、大声を出して相手を責め立てている人は怖く見えるものだと思います。
元増田さんももしかしたらそうかもしれないと思って書くのですが、平成初期に生まれた我々世代は上の世代に比べて「感情をあらわにして怒る人」への耐性が低いと思います。私の小中学校の先生方で手を上げる人なんて皆無でした。叱る時に大きな声を出されるのも比較的年齢層が上の先生が多かったような気もします。
加えて、テレビでは野党の議員が何かを強く主張して、それに政府側の議員が穏やかに応える様子しか映していないですよね。野党が何を問題にして糾弾していたのか(例えば桜を見る会問題ならば国庫のお金で公職選挙法違反まがいのことをやっていたとか)を詳しく伝えるメディアってそんなに無かったのかもしれません。それでは野党議員がただ怒っている人にしか見えません。
では私が野党がモリカケ桜を見る会問題で与党を糾弾しているのを見てどう感じていたかというと、「もっとやっちゃえー!」と心の中で応援してました。自民党への悪印象がこの感情の最初に来ていることは否めないです。でも私が生まれる前には似たような不正(開拓使官有物払い下げ事件やロッキード事件など)で逮捕された人たちが過去に居ますし、野党は正当な批判をしていたと私は今でも考えています。私が物心ついた後には漢字を誤読したみたいなもっと些細な理由で辞めた総理大臣が居ましたし、その内モリカケ桜に深く関わった安倍さんも不正を償う形で辞めるんだろうと思っていました。
ところがどっこい安倍さんは逮捕されるどころか体調不良を理由にして総理大臣を辞めちゃいました。体調不良は仕方ないですし「お大事に」と思うのですけど、当時の私は違和感を覚えました。
この出来事に対し、私のように自民党に対して元から悪印象を持っている人は「やったことの責任は取ってくれよ!ちょっと待てー!」と思うのでしょう。それに対して元増田さんのように自民党に対して特に悪印象が無い人は「安倍さんは逮捕も引責辞任もしなかったのだから大したこと/悪いことはしていなかったんだ。野党は不当に与党を問い詰めていたのだな。」と感じるのかもしれません。
長くなりましたが言いたいことは、ほぼ同じ時期に生まれてほぼ同じようにメディアやその時の流行に触れていたであろう元増田さんと私の政治観が違うのは興味深いなぁ、ということです。
政治観が違うからといって私は元増田さんとケンカしたり元増田さんを非難しようとは考えていないです。意見の違いは必ずしも敵対に繋がらないと私は考えています。
まとまらなくなって来たな。どうしようかな。
とにもかくにも、元増田さんには次の選挙でも参政権を行使して欲しいです。私も行使します。
それによってお互いにとってより良い社会が作られると良いですね。綺麗事かもしれませんが。
]]>
妻を連れてきたか、現地妻を貰ったか、何人妻がいたか知らんけど
子供は多そうだな
]]>元はアイヌ語でo-shirar-un-pet と発し「川尻に・岩・がある・川」の意味になると言われている。
川はアイヌ語で「ベッ」「ペッ」で、芦別とか遠別とか「別」で漢字表記することが多い。
だからオシラベツを例えば「尾白別」とかにしても良かったんだけど、
江戸時代の文人か漁場の請負人か松前藩士か幕臣か、あるいは明治時代の開拓使の役人か、とにかく誰か知らないけどアイヌ語地名を漢字で表記しようとした時にセンスを発揮した。
すなわち、オシラベツの音から連想させて、港を意味する「津」の字を地名に当てた。当時から小さな港があったのだ。
音と調べ(メロディ)という字面も文脈的だ。音色が聞こえてくる港のような印象を与える良い地名にした。
もちろんこれは問題で、もともとの「川尻に岩がある川」の意味は日本語で上書きされた。
アイヌの人々が住んでいた土地に日本語(漢字)で地名をつけるとはこういうことなのだが、ここではその問題は置いておいて、
地名の創出により、本州各地津々浦々にある「津」地名に新たに北海道の地が連なることになったのである。
]]>その後、初代北海道庁長官岩村通俊の時代にその必要性が認められ、明治20年に「庁立増田所」が札幌の創成川沿いに設置された。
当時は札幌農学校の講師が教授役を務めた。吏務員としての素養を高めるとともに人の気をひく匿名の文章を如何に作るかについて、北海道開拓というプレッシャーの中、日々を研鑽を積んでいた。当時はインターネットは無く、増田専用の文書を回覧し、開拓使に勤める吏員が印鑑を押下することによってブックマークとしていた。有名な職員の押印はやはり注目を集めた。岩村も自らが創設した部局とあって積極的なブックマークを行ない、出身の薩摩ネタ(「何言うちょっかわかりもはん」かが決まり文句)が職員の笑いを誘った。
ブックマークを多く集めた文書は翌日以降の函館新聞(のちの函館毎日新聞)や小樽新聞に掲載された。現在と同じく、文書にはウケ狙いのもの、政治や社会に関するものがあり、それに対する道吏員のコメントは新聞読者の注目を集めた。時に道政の指針となるような匿名文章やブックマークがあり、北海道における増田は、開拓を進める上で次第に重要性を増していった。
明治44年の後の大正天皇の行幸に合わせて「庁立増田所」は発展的に解消。「庁立匿名記事錬成所」と改められ、その機能が増強された。すなわち、道庁以外の要人にも押印の権利が与えられたのである。現在の雨竜町に大農場を経営した蜂須賀茂韶(しげあき)や、清水町に広大な土地を所有した渋沢栄一ら、北海道に土地を所有したり工場を経営する政府要人のブックマークが認められるようになった。このように北海道開拓の傾向性と同じく、北海道における増田についても官の強力な資本投下により推し進められた側面が強い。
大正年間の北海道庁長官宮尾舜治もまた名物ブクマ家であった。ほとんどの記事にブックマークしたため、彼の部下が空気を読んで同じくブクマ。その結果糞増田が多くエントリされ、増田の質が多いに低下した。これは第一次大戦の好景気を経験した道民のデモクラティックな感性を大いに刺激し、増田改善運動が各地で起こった(釧路での原勝治の運動が著名)。これに対する宮尾の名言「糞増田もまた増田」は、今でも道民の記憶に遺されるものであった。
戦時中は統制政策のもと増田の文章は時の第一次東條内閣により圧力をかけられた。しかし増田家やブクマ家は当局に面従腹背、うまいことごまかした文章やブクマを行ない、ネタや時局批評を織り込んだ。こうした官製でありながら反体制的な場としても機能したことについては、言論の自由を考える上でも高い評価を得ている。
戦後の民主化により、昭和23年に「庁立匿名記事錬成所」は解体。野幌の現在地に民間資本による「北海道匿名記事養成所」が設置。講師以下執筆者、多くの職員に至るまでを公選とすることで、増田のさらなる民主化が図られた。残念ながら諸般の事情や資金面での苦慮により昭和29年に増田執筆者公選制度は頓挫。北海道は重要性を再認識し、再び道立への移管がなされた。戦後北海道では漁業や鉱業が盛んであり、そうした労働者に関する増田文が多くを占め、時代の潮流になった。時の社会党党首佐々木更三をして「北海道に労働者あり増田あり」の評言は、現在でも北海道増田左派を中心に語り草になっている。近年では現北海道長官の高橋はるみ萌えネタが多くを占め、歴史の長い北海道増田界隈にも、萌えの波が押し寄せていることは今更贅言する必要性もないだろう。また北海道十一区中川侑子代議士のスキャンダラスなネタや増田小説(えっちな)も定番になっている。「増田所」設置の明治20年から130年の歴史が経過しようとしている。北海道匿名世界をリードした増田。これからさらなる飛躍を祈ってやまない。
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