はてなキーワード: 閉口とは
数日前、Quoraで日本語ユーザーが大量にBANされた件がホッテントリに入っていたのを見て思い出したのだが、実は数年前に本名規定違反で数回BAN→復活を繰り返していた。英字の名前も登録していたし先頭だけ大文字のルールもきちんと守っていたので本件と同じ理由でのBANではない。
おそらくだが、「ローマ字表記すると苗字と名前が完全に一致」という理由でBANされたようである。確かにQuoraを見ているとアカウント名を何回も変えている明らかな偽名アカウントで苗字と名前が同一のものがたくさんあるので、まあ通報されること自体は仕方ない。1回目は素直に身分証明書をスキャンして送ってブロックを解いてもらったのだが、その後も2回(つまり通算3回)本名規定違反でBANされたのには閉口した。どうもQuoraは「この人は身分証明書で偽名でないことを確認済みですよ」という事実を記録していないらしい(少なくとも2018年夏の段階ではしていなかったと思われる)そんなに本名にこだわるなら身分証明書の提示を義務付けるか確認が取れたアカウントにはVerifiedマークを付ければいいのに……と思うのだが。
最終的にはどうせまた通報されるしと思ってそのままアカウント削除したのだが、今回の件の運営側の見解を見ていると少々がっかりだ。
"大文字というのは実名に見えない(何かの略語に見える)ため、Quoraがというより他の英語版ユーザーからみてルールが不公平と思われるからです。"
"大文字の姓にフェイク感を感じる人が多いのは端的に言って事実で、実際に「偽名」と問題報告を送ってくるのはユーザーなんです。これはもう感性の領域なので、文化的ギャップとしか言いようがないのですが。。。"
"私が言ってるのは、バスの中で騒いでいるツアー客に「あなたたち声が大きいよ」という無自覚な事実を伝えたい、ということです。それを知って「ここではバスでは静かにする文化なんだな」と改める人もいるだろうし、「うちはバスで騒ぐ文化圏から来たんだ!」と改めない人もいるでしょう。これはとりたてて「異文化の排斥」という大きな話にしたいわけではなくて、まずは声が大きいと思われてるということを自覚しましょう、ということです。そのあとどうするかは自由だと思います。"
"その人がグローバルで活躍するようになって、all caps表記が恥ずかしいということに気づけば改める人もいるでしょうし、それを貫く人もいるでしょう。それはパターナリスティックに正解を与えてあげなくても、子供がやけどして危ないものを知るように、自ら納得して体感することが大切なのだと思いました。all capsキモーとか言われて傷つくぐらいの経験は、できる機会を与えてあげたほうがいいのでは?と。"
苗字と名前が同一というのは実名に見えないため英語ユーザーに違和感を与えるんだろうし、苗字と名前が同一であることにフェイク感を感じる人が多いのは端的に言って事実だろう。
「英語母語話者から見て違和感を覚える」という理由でのBANが罷り通るなら不適切な本名を持つ人間は改善しないといけないことになる。結局Quora的には本名規定と英語圏のユーザーに違和感を与えないことどちらの方が優先度が高いルールなのだろうか?
ところでこのKenn Ejima氏が日本人だと仮定すると、1954年12月9日内閣訓令第一号によって「ん」はn一文字と定められているため、公的にはこの人の名前はKenなのではないか? パスポートと同じ法的に正しい表記の名前がBANされてパスポートの表記と違う表記は可ならそれはもう「英語母語話者が見て本名に見える名前規定」なんじゃないのか? まあこの人が実は外国籍だったり特殊な事情がある可能性もあるし、内閣訓令第一号は文化庁の「姓名のローマ字表記についての考え方」と同様に英語圏では通用しない間違った規則であるという見解なのかもしれないが。
https://anond.hatelabo.jp/20200111024952
これを書いた。
色々疲れているので、めちゃくちゃに書いてスッキリしたかった。はっきり結末を書いていない部分も多く、文章の構成も考えないで書いたから支離滅裂だと言われると頷くしかない。
アドバイスくれた人もいたので、それに対して少し答えようと思う。
あと、成年後見人については、今回のことで少々知見を得たので、それを記すことにする。
一つ言い訳をするなら、自分の下の世代に「自分が若い頃は…」って話はした事がないし、同じ道を歩んで欲しいとも思わない。
最近の若者は優秀で素直な者が多い。そのせいか、一部のクズが目立ち過ぎているという面はある。
クズはどの世代にも一定数いるので、突出して多いわけではないが、メンタル面の弱さはやや感じる。
彼らには面倒だなと思うことはあっても、怒りを感じることは少ない。
たまに、自分は正しく、正義はいつでも勝てると純粋に信じている雰囲気を感じる事があり、その点をうらやましく思う事はある。若い頃に困難が多い社会情勢(就職氷河期)だったので、社会が言うところの正義を素直に信じられない。
誰か書いてたけど、下の世代よりも、むしろ上の世代の方に怒りを感じることはある(勿論、全員ではない)。
部下に当たっていると思った人もいたようだが、むしろ、一部の若手や上司が不機嫌を周囲に撒き散らす事も多いので、それに精神をやられそうになったり、ライフスタイルの変化による困りごと、他部署にいて仕事の進め方に悩んでいる社員から相談や愚痴を聞かされる事がある。
自分のプライベートに問題があったり、上から面倒を押し付けられたりしても、周囲に当り散らしたりしない。
生産性がないと言うこともあるけど、そもそも相手に興味がないし、怒るほど元気もない。
そんな感じなので、社内では常に精神状態が一定だと見られているらしいけど、本当の中身はぐっちゃぐちゃなんだよね。
本来、相談を持ちかけられるような性格ではないし、知りたくもない裏事情を知ることになるので、他人の裏事情を知りたいハイエナが、事あるごとに探りを入れてくるので非常に迷惑している。
長くなったが本題に入る。
実家のローンを払いきれず、数年前に手放したのだが、売却後に残債が残り、債権回収会社に債権が渡った。
この債権回収会社は「サービサー」と呼ばれ、国の認可を受けた民間企業だ。
ある時、父親のアパートに出向いたところ、山のような郵送物の中から督促状を発見した。
わずかな金額を返済していたことは知っていたが、詳細までは知らなかった。
父親は病状が悪化して、意思疎通ができない時期でもあり、状況確認のためにサービサーに連絡を入れた。
が、個人情報保護の観点から、娘であったとしても情報の開示はできないと言う。
ただ、支払いが滞っても、娘の私に支払いは求めないので心配するなと告げる。
保証人になっていないので、そこは当たり前だと思うのだが、問題は「口座の差し押さえ」である。
担当してくれたソーシャルワーカーのおかげで、病院費用の負担は免除されていたのだが、今後の生活は施設のお世話になるのは確実だった。
それらは年金収入で賄うため、差し押さえされると非常にまずい。
連絡が来た以上、必要最低限のことはするが、金銭援助をするつもりはない。
サービサーの担当者も、事情を知って気の毒に思ってくれたようだが、個人情報保護を考えると「一般的な話」までがギリギリできることだった。
その時に「成年後見人になれば情報開示は可能。そうする親族もいるが、任命されるまで時間もかかり現実的ではない」と止められた。
金を払えと督促を出すのに、情報開示にための成年後見人は現実的ではないと止める。
結局、サービサーからはそれ以上の話はできず、定期的に連絡を入れると言うことで電話を切った。
放っておけばいいと言われればその通りだが、降りかかりそうな火の粉を放っておけば、気付いた時には大炎上している可能性がある。
火が小さなうちに処理しなければならない。
忌々しいが、自分のことを考えると仕方ない。
個人情報保護が壁になっているなら、弁護士に相談するしかないが、あいにく弁護士の知り合いはいない。
ここは弁護士会が行なっているサービスで、初回は電話相談になる。電話相談は無料。
ここで話したのは下記。
電話相談に応じてくれた弁護士が言うには「費用は発生しないと思うので、成年後見人になっても良いのでは」と言う事だった。
この弁護士の話をそのまま信じるなら、成年後見人の制度を利用するのが一番良いような気がする。
迷った挙句、弁護士を知っていそうな知り合いがいたので、恥を忍んで事情を話し、成年後見人制度に詳しい弁護士を紹介してもらえないかお願いした。
先に相談した弁護士よりも詳しく、また反対のアドバイスをされた。
法テラスから紹介された弁護士のアドバイスのことも話し、それについても意見をもらった。
成年後見人は、すべての高齢者に対して必要なものではないし、利用する事でかえって色々な制限がかかる可能性がある。
この弁護士自身、高齢の身内が認知症を患った時でも、成年後見人を立てずに財産等の処理を乗り切ったとのことだったので、こちらが思うほど、万能な制度ではないのかもしれない。
結果そうした。
アドバイス通りにサービサーに連絡すると、振込先の銀行口座、残債の内容と返済計画の書類一式を送付してきた。
金額を確認したところ、100万円ほどの残債だった。破産するにも、自分の持ち出しになるのでやりたくない。
年金収入でどうにかできそうだったので、返済を続けることにした。
父親の死後は相続放棄することで、こちらに返済義務が生じないようにする。
ただ、連絡が入った以上、最低限のことはしなければならない。
問題が大炎上してから全振りされたくないので、小さなうちに鎮火しておくのが肝要だ。
ただ、病院関係者や、今お世話になっている施設の担当者には、積極的に関わるつもりはないと話している。
とはいえ、どうしても自分が出向く必要もあるので、仕方なく行く場合はある。
親の離婚により離れていった友人は、高校の時から別の学校に通っていた。
離婚自体は私が20歳の時だったが、友人が知ったのは24歳くらいの時だ。
すでに就職はしていたものの、定期的に会っていた。ただ、話をするまでに時間がかかった。
やっぱりなーと思うのと同時に傷ついた。まだ若かったし。
相手にしてみれば、自分の身近にいない環境になった人間と付き合いたくなかったのだろう。
面倒になると思ったのかもしれない。
10万で管理職って…っていうコメントがあったが、10万だったのは、新卒入社した会社の時の話。
管理職としては、月収は低めだと思う。それでも3倍くらいにはなった。
同年代が少ないから、あんたの実力でも管理職になれたんでしょ?っていうコメントもあった。
同年代が少ないのは同意だが、年功序列じゃないので、有能だと30代入るか入らないかで昇進する者もいる。
もともと技術職で食ってた人間だし、管理職としての教育も受けてない。その志向もない。他部署の管理職を異動させる方法もあったので、管理職に上がるのは本意ではなかった。
数年抵抗を試みて、自己評価をかなり低めに書いていたこともある。
結局、管理職代理みたいな立場で、給料は非管理職のままなのに責任だけ負わされることになったので、退職するか上るしかなかった。
転職も視野に入れていたので、ゆるゆると活動はしていたけど、仕事は忙しいわ、父の件でそれどころではなくなって休止してしまっている。
地元離れてないと思われてるっぽいけど、20代の時に離れている。
共産党の支持者と思った人もいるみたいだけど、それも間違い。
彼らを否定することもないが、支持してるわけでもない。そもそも支持政党なんてない。
が、再婚相手は私を娘だと思っていて、年賀状を寄越さないと不満らしい。
私には年賀状を書く習慣はもともとない。
きょうの朝、父から電話が掛かってきた。 実家の愛犬が旅立ったという電話だ。 8時15分に旅立った、と。 もうみんな覚悟はできていたと思う。 12月の頭から、ほとんど歩けなかった。散歩も母に抱っこして連れてもらっていたとのこと。 そのうち1日のほとんどを寝て過ごすようになった。 わずかに起きている時間に、なんとかゴハンを食べさせようと大変だったようだ。 しかし3日ほど前、ついに咳がひどくなってしまい、寝ることもできなくなったようだ。 家族も寝ずに付き添ったが、一晩中苦しそうに咳込んでいたそうだ。 その様子を見て、家族は安楽させようと決意した。 私にも、「もう安楽死させるけん。連絡しとく」と電話があった。 彼女は私が実家を離れてから買い始めた雑種犬だ、 それまで実家では犬を飼ったことはなかったのだが、妹が飼いたいと言い出したらしい。 実家で犬を飼い始めて初めて帰省した日、迎えにきてくれた妹が道中で「あの子が喜ぶよ!」と言ったのを覚えている。 「喜ぶも何も、向こうは俺のこと知らんやろ」と言うと、「弟と同じ事言うとるね」と言って妹は笑った。 その言葉に私はなんとなく閉口してしまった。 実家に着くと、その子はその場でグルグル回ったり飛びかかってきたりした。 犬に詳しくない素人にも分かるはしゃぎ振りだった。 後に分かったことだが、その子は外の物音や知らない人には吠えまくる人見知りの子だった。 どうして一目も会ったったことのない自分が歓迎されたのか、不思議な気持ちだった。 それからはお盆と正月に帰った時だけ、この子と一緒に散歩に行くのが楽しみだった。 「病院の先生が何て言わすか分からんけど、安楽死させようと思う」と電話を描けてきた父は気丈だったが、言葉の端は声が震えていた。 私もただ「分かった」と言うしかなかった。 しかし数時間後、また父から電話が掛かってきた。 「先生が酸素室に入れて様子を見ましょうって。安楽死させようとか、言えんかった。」 なんとなくホッとしたような、バツの悪そうなその声に、ああ、これこそ自分の父だと思った。 それから3日、愛犬は頑張った。 幸いにも咳は止まって落ち着いていたらしい。 だが、もうゴハンは食べてくれなかったとのこと。 だからもうみんな分かっていた。 予想はできていた。 でも、悲しい。 最初に具合が良くないと聞いたとき、もう一回正月に帰るときに会いたいなと思った。 でも具合の経過を聞くうち、なるべく苦しまないで欲しいと思った。 安楽死させると聞いたとき、仕方ないと思う一方、家族の心は大丈夫なのかと心配になった。 自分の考えは常に浅はかで、常に付き添って面倒を見てきた家族は数十倍、数百倍の負担があったに違いない。 あの子が死んだのはとても悲しい。 でも家族に見守られながら、安楽死でなく、比較的安らかに旅立ったことには、 とても勝手ながら、ある意味で良かったと思っている。 もし安楽死をしていれば、家族は今後ずっと悩まされていただろう。 それは安楽死が死の権利として正しいという事とはまた別の話だ。決めた側には、必ず苦痛が伴うものだと思う。 年に2回会うだけの私が悲しいのだから、家族の苦しみはなおさらだ。 今日はクリスマスイブ。 みんな幸せに満ちあふれているような雰囲気だ。 でも実際には人の数だけ、喜びも悲しみもあるのだろう。 誰かの記念日は、誰かの命日でもある。 こんな気持ちはSNSには吐き出せなかったので、ここに吐いてみた。 それでもこういう日は、多くの人にとって幸せな日であってほしい。 とりわけ、子どもにとっては。 メリークリスマス。
8時15分に旅立った、と。>
12月の頭から、ほとんど歩けなかった。散歩も母に抱っこして連れてもらっていたとのこと。
そのうち1日のほとんどを寝て過ごすようになった。
わずかに起きている時間に、なんとかゴハンを食べさせようと大変だったようだ。>
<しかし3日ほど前、ついに咳がひどくなってしまい、寝ることもできなくなったようだ。
家族も寝ずに付き添ったが、一晩中苦しそうに咳込んでいたそうだ。
その様子を見て、家族は安楽させようと決意した。
私にも、「もう安楽死させるけん。連絡しとく」と電話があった。>
それまで実家では犬を飼ったことはなかったのだが、妹が飼いたいと言い出したらしい。>
<実家で犬を飼い始めて初めて帰省した日、迎えにきてくれた妹が道中で「あの子が喜ぶよ!」と言ったのを覚えている。
「喜ぶも何も、向こうは俺のこと知らんやろ」と言うと、「弟と同じ事言うとるね」と言って妹は笑った。
<実家に着くと、その子はその場でグルグル回ったり飛びかかってきたりした。
犬に詳しくない素人にも分かるはしゃぎ振りだった。
後に分かったことだが、その子は外の物音や知らない人には吠えまくる人見知りの子だった。
どうして一目も会ったったことのない自分が歓迎されたのか、不思議な気持ちだった。
それからはお盆と正月に帰った時だけ、この子と一緒に散歩に行くのが楽しみだった。>
<「病院の先生が何て言わすか分からんけど、安楽死させようと思う」と電話を描けてきた父は気丈だったが、言葉の端は声が震えていた。
「先生が酸素室に入れて様子を見ましょうって。安楽死させようとか、言えんかった。」
なんとなくホッとしたような、バツの悪そうなその声に、ああ、これこそ自分の父だと思った。>
幸いにも咳は止まって落ち着いていたらしい。
予想はできていた。
でも、悲しい。>
最初に具合が良くないと聞いたとき、もう一回正月に帰るときに会いたいなと思った。
でも具合の経過を聞くうち、なるべく苦しまないで欲しいと思った。
安楽死させると聞いたとき、仕方ないと思う一方、家族の心は大丈夫なのかと心配になった。
自分の考えは常に浅はかで、常に付き添って面倒を見てきた家族は数十倍、数百倍の負担があったに違いない。
あの子が死んだのはとても悲しい。
でも家族に見守られながら、安楽死でなく、比較的安らかに旅立ったことには、
もし安楽死をしていれば、家族は今後ずっと悩まされていただろう。
それは安楽死が死の権利として正しいという事とはまた別の話だ。決めた側には、必ず苦痛が伴うものだと思う。
年に2回会うだけの私が悲しいのだから、家族の苦しみはなおさらだ。
でも実際には人の数だけ、喜びも悲しみもあるのだろう。
誰かの記念日は、誰かの命日でもある。
こんな気持ちはSNSには吐き出せなかったので、ここに吐いてみた。
それでもこういう日は、多くの人にとって幸せな日であってほしい。
とりわけ、子どもにとっては。
しかし3日ほど前、ついに咳がひどくなってしまい、寝ることもできなくなったようだ。
家族も寝ずに付き添ったが、一晩中苦しそうに咳込んでいたそうだ。
その様子を見て、家族は安楽させようと決意した。
私にも、「もう安楽死させるけん。連絡しとく」と電話があった。
それまで実家では犬を飼ったことはなかったのだが、妹が飼いたいと言い出したらしい。
実家で犬を飼い始めて初めて帰省した日、迎えにきてくれた妹が道中で「あの子が喜ぶよ!」と言ったのを覚えている。
「喜ぶも何も、向こうは俺のこと知らんやろ」と言うと、「弟と同じ事言うとるね」と言って妹は笑った。
実家に着くと、その子はその場でグルグル回ったり飛びかかってきたりした。
犬に詳しくない素人にも分かるはしゃぎ振りだった。
後に分かったことだが、その子は外の物音や知らない人には吠えまくる人見知りの子だった。
どうして一目も会ったったことのない自分が歓迎されたのか、不思議な気持ちだった。
それからはお盆と正月に帰った時だけ、この子と一緒に散歩に行くのが楽しみだった。
「病院の先生が何て言わすか分からんけど、安楽死させようと思う」と電話を描けてきた父は気丈だったが、言葉の端は声が震えていた。
私もただ「分かった」と言うしかなかった。
「先生が酸素室に入れて様子を見ましょうって。安楽死させようとか、言えんかった。」
なんとなくホッとしたような、バツの悪そうなその声に、ああ、これこそ自分の父だと思った。
それから3日、愛犬は頑張った。
幸いにも咳は止まって落ち着いていたらしい。
だが、もうゴハンは食べてくれなかったとのこと。
だからもうみんな分かっていた。
予想はできていた。
でも、悲しい。
最初に具合が良くないと聞いたとき、もう一回正月に帰るときに会いたいなと思った。
でも具合の経過を聞くうち、なるべく苦しまないで欲しいと思った。
安楽死させると聞いたとき、仕方ないと思う一方、家族の心は大丈夫なのかと心配になった。
自分の考えは常に浅はかで、常に付き添って面倒を見てきた家族は数十倍、数百倍の負担があったに違いない。
あの子が死んだのはとても悲しい。
でも家族に見守られながら、安楽死でなく、比較的安らかに旅立ったことには、
もし安楽死をしていれば、家族は今後ずっと悩まされていただろう。
それは安楽死が死の権利として正しいという事とはまた別の話だ。決めた側には、必ず苦痛が伴うものだと思う。
年に2回会うだけの私が悲しいのだから、家族の苦しみはなおさらだ。
でも実際には人の数だけ、喜びも悲しみもあるのだろう。
誰かの記念日は、誰かの命日でもある。
こんな気持ちはSNSには吐き出せなかったので、ここに吐いてみた。
それでもこういう日は、多くの人にとって幸せな日であってほしい。
とりわけ、子どもにとっては。
8時15分に旅立った、と。
もうみんな覚悟はできていたと思う。
12月の頭から、ほとんど歩けなかった。散歩も母に抱っこして連れてもらっていたとのこと。
そのうち1日のほとんどを寝て過ごすようになった。
わずかに起きている時間に、なんとかゴハンを食べさせようと大変だったようだ。
しかし3日ほど前、ついに咳がひどくなってしまい、寝ることもできなくなったようだ。
家族も寝ずに付き添ったが、一晩中苦しそうに咳込んでいたそうだ。
その様子を見て、家族は安楽させようと決意した。
私にも、「もう安楽死させるけん。連絡しとく」と電話があった。
それまで実家では犬を飼ったことはなかったのだが、妹が飼いたいと言い出したらしい。
実家で犬を飼い始めて初めて帰省した日、迎えにきてくれた妹が道中で「あの子が喜ぶよ!」と言ったのを覚えている。
「喜ぶも何も、向こうは俺のこと知らんやろ」と言うと、「弟と同じ事言うとるね」と言って妹は笑った。
実家に着くと、その子はその場でグルグル回ったり飛びかかってきたりした。
犬に詳しくない素人にも分かるはしゃぎ振りだった。
後に分かったことだが、その子は外の物音や知らない人には吠えまくる人見知りの子だった。
どうして一目も会ったったことのない自分が歓迎されたのか、不思議な気持ちだった。
それからはお盆と正月に帰った時だけ、この子と一緒に散歩に行くのが楽しみだった。
「病院の先生が何て言わすか分からんけど、安楽死させようと思う」と電話を描けてきた父は気丈だったが、言葉の端は声が震えていた。
私もただ「分かった」と言うしかなかった。
「先生が酸素室に入れて様子を見ましょうって。安楽死させようとか、言えんかった。」
なんとなくホッとしたような、バツの悪そうなその声に、ああ、これこそ自分の父だと思った。
それから3日、愛犬は頑張った。
幸いにも咳は止まって落ち着いていたらしい。
だが、もうゴハンは食べてくれなかったとのこと。
だからもうみんな分かっていた。
予想はできていた。
でも、悲しい。
最初に具合が良くないと聞いたとき、もう一回正月に帰るときに会いたいなと思った。
でも具合の経過を聞くうち、なるべく苦しまないで欲しいと思った。
安楽死させると聞いたとき、仕方ないと思う一方、家族の心は大丈夫なのかと心配になった。
自分の考えは常に浅はかで、常に付き添って面倒を見てきた家族は数十倍、数百倍の負担があったに違いない。
あの子が死んだのはとても悲しい。
でも家族に見守られながら、安楽死でなく、比較的安らかに旅立ったことには、
もし安楽死をしていれば、家族は今後ずっと悩まされていただろう。
それは安楽死が死の権利として正しいという事とはまた別の話だ。決めた側には、必ず苦痛が伴うものだと思う。
年に2回会うだけの私が悲しいのだから、家族の苦しみはなおさらだ。
でも実際には人の数だけ、喜びも悲しみもあるのだろう。
誰かの記念日は、誰かの命日でもある。
こんな気持ちはSNSには吐き出せなかったので、ここに吐いてみた。
それでもこういう日は、多くの人にとって幸せな日であってほしい。
とりわけ、子どもにとっては。
暴走する企業アカウントへの違和感。「中の人」の自意識はなぜ肥大化するのか
https://oreno-yuigon.hatenablog.com/entry/2019/11/19/131149
この記事に対して「そうだ、そうだ」って賛同が集まっていて閉口。
企業だからこうすべきという「べき論」を語ってるけど、なんで企業だとお前の命令を受けなきゃいけないの?
しかもシャープの製品を買って何か文句言うならわかるけど、お前はツイッター見てるだけでしょ?
なんでツイッター見てるだけのお前がお客様面で文句言い出すの?客でも何でもないんだけど?
まだ宇崎ちゃん問題引っ張ってるの?と思うかもしれないがこの問題はいろんな切り口で議論ができるためまだもう少し続くだろう。
それに便乗して個人的なことを言いたい。
まず、宇崎ちゃんは個人的に性癖ドンピシャである。そのためセクハラだと言われてしまうと閉口してしまう。性的な目で見てますから。
でもこれは内に秘めたる熱きパトスなので個人の裁量次第で問題ないと思われる(自由とはあえて言わない)
もちろん発言者も自己の意義を主張するのは問題ない。環境型セクハラ、女性軽視、オタクキモイ、過去の発言とのダブスタなど自由である。
小汚いおっさんが道のど真ん中でち〇こと叫べばお巡りさんがくる。
それと同じ
え?例えがおかしい?
おかしくないよ
鍵かけてないツイッターの発言は道で叫ぶのと一緒だよパブリックだよ。
主義、主張は自由だけどパブリックでやべぇこというやつはやべぇやつ。今回、赤十字に迷惑かけてる時点でアウト。
俺が個人的に言いたいのは
一連の議論で「オタクの血キモイ」とか「輸血されたくない」とか言ってるやつ
日曜に在宅か確認しにこないでください
愛の情動が肥大し、同一化を強いる時、その欲望は一時的に鎮静する。
拡張を禁じられたそれは行き場を無くす。ただし、その状況においてのみ、幻想と共に永遠を享受できるのかもしれない。
あるいは、僕はもはや幻想と共に生きるしかないのかもしれない。
真夜中の中でも特に25時は、ひどく孤独にさせる魔力を帯びていると思う。そんな時、僕はiPhoneを手にとって、LINEの友達リストを繰り返し眺めるのだけど、目的もなく連絡を取ることが苦手な僕は、ただ彼らのアイコン画像から今の状態を推察して、理解に努めようとすることしかできなかった。
それではいけないと思って、ほんの少し勇気を絞り、旧友をご飯に誘った。一緒に地元で浪人をしていた同級生は、4月から福岡に転勤になったから、LINEでのやり取りだけだったけれど。
彼は今クレーンを売る会社で営業をやっている。向いていない仕事も数年もすれば、彼の人格に少なくない影響を与えているようで、当時からは想像もつかない調子で言った。
「本当に連絡をくれて嬉しいよ。いきなり電話をかけてごめんね。でも本当に嬉しかったんだ。リュウも元気にしてるのか?仕事は順調か?きっとお前は今も活躍に活躍を重ねていて、回りに感謝されて仕方ないんだろうな。お前は昔から、誰よりも頑張ってたもんな。」
意外な反応だった。僕はきっと妬ましく思われているのだろうと思っていたけど、そうは思っていない人もいたのだ。彼は僕の孤独がただの思い込みだったと教えてくれた。
今の僕は周りに感謝されるというよりも、文字通りお荷物のような存在だと思うけれど、彼が力強く伝えてくれた「嬉しい」という言葉は僕を前に進めてくれた。残すのはきっと、あと一人。
「本当にごめんね。今仕事の方が炎上していて、ずっと会議だったの。トイレに行かせてくださいって言って、ようやく連絡できる状態だったから、待ち合わせのギリギリの時間にかけることになっちゃったけど・・」
2年ぶりだった。彼女が待ち合わせに遅れると言ったので、僕は新宿の紀伊国屋で小説を買って、それから近くのスタバでアイスコーヒーを買って時間を潰していた。
「実はこの本、ずっと読みたかったんだけど、なかなか読む時間が作れなくて。ちょうどよかったよ。冒頭からすごい面白いんだ」
「誰の本?」
「村上龍だよ。五分後の世界っていうんだ。パラレルワールドの日本の話。」
「そう言ってくれてよかった」
「予約してたお店、さっきキャンセルしちゃったんだけど、行ってみようか。」
そう言って僕は氷が溶けきった残りのアイスコーヒーを流して、不燃物ボックスに捨てた。
予約をキャンセルしてしまったワインのお店は新宿3丁目にあった。幸い、予約をしていなくても入れるくらい穴場だったから、僕はホッとした。
「今職場は新宿からは近いんだよね?仕事はどんなことしてるの?」僕は聞いた。
「営業だよ。営業って言っても、クライアントにヒアリングに言った内容を社内各所で調整するだけだけど。これできる人いませんか〜?って。そのアサインで今難航しててね。」
「かけまくりだよ!もうはわはわしてる笑 まあ、だいぶ慣れてきたけどね」
「私は仕事楽しいとかそういうの、全くわからないからね、早く帰りたいよ笑」
仕事に楽しさを見出そうとすることはもしかしたら部分的な偏りで起きていることなんだろうなと僕は思った。
24時を回った。大学時代の話から、社会人になってからの話、趣味の話や最近聴く音楽の話、好きな小説の話。そういう話をひとしきりしていたと思う。
彼女は僕が誕生日プレゼントに買った香水を、毎晩寝る前に部屋に振りまくようになって、そこから香水が好きになったと言っていた。
「この前ドライブに行った時に、こんなことがあってね」
「あいちゃんはもう少したわいもない話とかできないの?笑」
「全く、手応えを感じたくなるとダメだね。議論始めちゃうから笑。そういえば俺たちってドライブしたことあったっけ?」
「あ、そうかあの時か。あの時は楽しかったな。なんの目的も決めなかったけど」
「そうだね」
「・・・他にもさ、実は特に印象に残ってて、こびりついて離れないことがいくつかあってさ。」
「どんな?」
「うん、誕生日か何かを祝ってくれた時、俺なんでか覚えてないんだけど、怒って帰るって言い出しちゃってね。会計して、改札でお別れする時に、今日はあいちゃんと一緒に居たかったって言われて」
「・・そんなこと言ったね」
「うん」
「他にもね、ゴムが破けて一緒に朝一で病院行ったじゃん。あの後ガストでさ。今でも鮮明に覚えてるよ。俺はメロンソーダを飲んでた。もうあいちゃんとはエッチしないって。どうして?って言ったら、だって、責任取れないでしょう?って。なんであの時、何も言わなかったんだろうって。」
「うん。じゃあ、ずっと居てくれない?」
「いいよ。とりあえず、飲もう!」
「ええ、まだ飲むの?笑」
「そうだよ?グラスワイン、オススメってついてるやつ、下まで全部飲むの!」
「ええ、もう結構、無理なんだけど笑」
僕はきっと、あの時の後悔をずっと引きずって生きてきた。大学2年生の冬だったと思う。
なぜずっと会えずにいたか、そしてなぜ今会いたいと思ったのか。
その答えは、いまだ僕にもまだわかっていない。
その日の会計は2万円を超えた。最高新記録だった。
25時を過ぎた新宿は、僕たちを阻むように雨を降らしている。
彼女が行こうと言って立ち上がった。傘を持っていなかった僕は、彼女の小さな折りたたみ傘に入れてもらいながら、近くのコンビニでビニール傘を買うと、彼女の折りたたみ傘を畳み、それをバッグにしまった。そうして左手で彼女の左肩を寄せて、互いに小さくなりながら歩き出した。
新宿通りの3丁目の交差点を渡る途中、僕は込み上げてきた何かをぶちまけるように、ごめんねと言った。
「あの時、好きって言えなくてごめん。」
「好きだよ」
「どうしてそういうことを言うの?どうして・・・」
「どうしても、言いたかったんだ。」
「どうして今になって言うの?」
「どうしても、今伝えたかったんだ。」
「私どうしたらいいの」
「どうもしなくていい。ただわかってくれていさえすればいい」
「ねぇ、チューして。」
僕は傘を放り投げると彼女の頬を両手でそっと包み込んで、顔をほんの少し上向きにした。僕は少しだけ前かがみになって、少しだけ顔を右に傾けて、優しく目を閉じた。
25時を過ぎた新宿の雨は、僕らを包みこむように汚していった。
金曜日。外はもう白んでいる。
彼女の首筋から指をつたっていると、胸元に消えかかった痣を見つけた。
僕はクスっと笑って、その痣をふわりと撫でると、彼女が言った。
その鋭い一言は全てを見透かしているように感じられた。僕はおもわず閉口してしまった。
「う〜ん。複雑な気持ちがするね」
「なにそれ笑。複雑な気持ちかあ」
「うん。複雑な気持ち」
僕はその跡を見て見ぬフリをすることもできた。でも、その時に僕が彼女に発見したことを示唆したことは、確かに不可解な行動に映ったと思う。
「さっき俺は複雑な気持ちがするって答えたじゃない?その時のことを思い返していたんだけど」
「うん」
「今までは、自分のことを無条件で受け入れてくれる存在を必要とした。その時は、相手の意思に関係なく、自分が受け入れてもらえていると感じられさえすれば良いと思った。でもそうではなくて。自分が無条件で受け入れられる存在さえいれば良いんだって。思えた」
「なんだか急に哲学的だね」
「うん。だから、今のは忘れていいよ。」
でも僕があのとき伝えたかったのはそういうことじゃない。少なくとも僕が失礼な事をしたわけではないことだけでもわかってほしかったのだと思う。
僕がその時伝えたことは、僕がじっくりと時間をかけて大切にしなければならないことだと思った。
新宿の雨はすっかり止んでいた。歌舞伎町を抜けて東口に向かう道すがらは、以前よりも静寂だった。
信号が青になるのを待つ。僕の左手は彼女の右手を握り、寂しそうに爪を撫でている。綿よりも軽く、だらんとした右手をそれ以上強く引くことはしない。きっと、これからも。
改札を抜けた僕たちは「じゃあね」と言ってそれぞれのホームに向かおうとする。僕が中央線の方を向こうとするも、それができなくてほんの一瞬立ち往生したのを逃さなかった彼女は、まるで子供をあやすような表情で、手を振ってきた。
「そういうところだよ」と思った。相変わらず、君は僕のことを知っている。
僕は仕方なく手を挙げて、力なく振り返した。彼女がホームに向かうのを確認してから、背中を向けて、ゆっくりと歩き出した。
外人が閉口しがちな日本食品の代表\は海苔と餡なわけだ。海苔はまあしょうがない。海苔への消化酵素が無い人がいるのは確かなことだし、磯くさいのが苦手というのもわからない話ではない。
でも小豆餡は違うだろ?食えるだろ?甘くない豆が当たり前の環境にいたら最初のうちは抵抗があるかもしれん。でもそれなりに長く居て甘い豆はちょっと……とはどういうことだ。
安物のチョコレートならバクバク食うくせによ。バニラ風味の安物のアイスも食うのによ。カカオもバニラも豆じゃねーかよ。甘い豆いけんじゃねーかよ。
嫌がる奴に無理やりすすめるつもりは無いさ。でも日本に来て、日本の菓子うめーと言って、肝心の餡を使った和菓子を避けるのは違うんじゃねーのか。
今週末で帰るんだとよ。和菓子も食わねーで帰るんだとよ。なんとか美味しいと思ってほしいんだがどうにかなんねーのかよ。
大学に進学した直後なのに「大学教員になりたい」という学生がいて閉口している。
こんな学生が1人だったら、「意識の高い変わり者がいる」で終わるのだけど、なぜか複数いる。
新入生なんだけど、今まで大学や研究機関の何を見て、どういう考えに至って、大学教員になりたいと言ったのだろう。
まず教員になりたい、というのがわからない。大学の教育業務をやりたいということなのか?研究をするのではなく教育をしたいということか?まだ大学の授業も受けていないのに?
細かい話をすれば、うちの教員は全員研究科所属で、研究業績がなければ採用もされないし職階も上がれない(教育業績はあまり加味されなくなった)。才能があるのにテニュアが決まらないポスドク、教育に忙殺されてテニュアトラックに乗っても論文が書けない大学教員、精神を病んで論文もかけず研究費も獲得できない研究員を山のように見てきた。
そんな多くの屍の上に、大学教員のポジションがある。そんな覚悟も現状もおそらく知らない無垢な新入生達に、天真爛漫に「大学教員になりたい!」と言われたので、面食らっている。
なるな、とは言わない。
でも、なりたいうちは、絶対になれない。
大学教員はなるものではなく、「何かに対する探究心と熱量を人一倍持った人たち」のうち、運が味方した人たちなのだ。
そしてそんな人たちも、大学教育や学内政治に関心がなければ、リタイアしてしまう。大学教員が大学を運営できなくなって、立ち行かなくなった大学もある。
だから、大学教員になりたいとか、変なことを言う前に、自分の夢中になれる大好きなことをまず探してください。
そして、それが国が税金を払って進めたいもので、あなたがそれについて国内で最もよくわかっている人間だと認められたら、研究所の研究員や、大学教員になれると思います。いや、自然にそうなるのです。
大学の講義を受けたり、学びを進める上で、大学教育に問題があって自分がぜひ解決したいと思うようなら、大学教育を研究する大学教員になってください。
そうでないなら、民間に行った方が数倍は楽です。求めている人がいるなら、お金はもらえるはずです。
肩書きの聞こえの良さだけで、何者かになりたいというエゴで、どうか自分の人生を潰さないように。
ご入学おめでとう。
ゆるキャンの聖地である下部小学校(作中では本栖高校)に行ってきたのだが一昨年くらいに閉口ということでけっこう綺麗なままであった
というか建物比較的に新しくね?と思ったら平成に建てられた建造物でまだ全然使えそうな学校だった
過疎で閉校らしいが十数年くらいしか経ってないのにそんな急激に過疎るもんなのかな
たまたま家で「じゅん散歩」というのを観ていたら、モリダイラ楽器のクロマチックハーモニカ教室に高田純次が来た。最初に自己紹介がてらボケるのが恒例なのだが、高田氏は、
「ブルースハープセノオという者ですが」
と言い、教室の生徒達が一斉に笑った。で……笑った人達、本当に意味を分かって笑っているんだろうか、と私は引っかかったわけだ。
妹尾隆一郎という人がいた。この人はブルースハープの第一人者で、1970年代は東京や関西のライブハウス……丁度愛奴とかシュガーベイブとかセンチメンタル・シティ・ロマンスとかが出ていた頃……では「ウィーピング・ハープ・セノオ」名義で有名だった人だ。残念ながら一昨年に亡くなられたが、高田氏はちゃんと知っているんだから大したものだ。しかし、あの教室の人々のうちどれだけが、高田氏がウィーピング・ハープ・セノオを念頭に置いてこれを言ったことを理解しているのだろうか。
こういう状況を見ると、いつも思い出すことがある。NHKの放送した立川談志のドキュメンタリーで、談志が大きな寺の本堂で『芝浜』を演じていたとき。談志が何か言う度に客がけらけら笑う。閉口した談志が遂にこう口にしたのだ:「お客さん、そこ、笑うところですかねえ」……ところが客はこれを聞いてまた笑ったのだった。
『芝浜』は代表的な人情噺で、談志が大変大事にしていた噺でもある。そして談志が懸命にそれを演じているその前で、落語はおかしいもの、落語は笑うもの、と信じ込んでいる客が噺をちゃんと聞きもせず脊髄反射的にただ笑う。私にはそのときの談志を見ていられなかった。
こんな風に「とりあえず笑う」というのは、もうやめてもらいたいと切に願う。笑えば無難、笑えば角が立たない、そう思っているんだろうが、それを向けられる者にとっては、時としてそれはあまりに暴力的に思えるのだ。
すでに優秀な人ほど海外の大学を目指すなどして本当に日本を出て行っているという事実。日本に残るのは第二言語を習得できないバカばかりだ。いずれ大学卒業後の進路も、まともな仕事をしたければまず真っ先に外資系企業を目指すしかなくなり、あまり仕事の出来ない奴が渋々日本企業に入る、という状況になるだろう。こういう(選択的な)人材の流出が進むとどうなるか。いずれそう遠くない未来「日系人は優秀だけど日本人はダメ」という状況になると思う。
アメリカやイギリスなどに国籍があり、その国の環境で育てられた“日系人”がノーベル賞を受賞し、それを見た本土日本人が(完全に海外国籍であるにも関わらず)勝手に同胞認定。「日本人がノーベル賞受賞の快挙!」などと連日報道し、頭の悪いリポーターが押しかけて「好きな食べ物は?」など低レベルな質問を投げて閉口される…という状況が目に浮かぶ。カズオ・イシグロや大坂なおみを見るにつけ、そんな未来がいよいよ現実になりそうだと感じる。