はてなキーワード: 長所とは
結果として1ヶ月と少しで内定貰えました。
大学卒業してから約4年塾講師のバイト経験のみ。就活経験なし。しかもコロナ流行中。
ハロワ、就活エージェント、転職サイト、NPO就活支援と一通り使ったので簡単に感想を書いていく。
○ハロワ
なんか職探しといえばハロワのイメージがあったのでとりあえず登録。
これがやりたい!みたいなのがなかったので職種を決めずに事務と接客あたりで求人検索。
しかも企業ごとに書類を送付しないといけないので封筒や切手などの手間がかかる。
手間も到着までに時間もかかるから全部の企業にネット経由で履歴書送らせてくれ。
そしてそんな手間暇かけた子たちが全滅すると心もお金も減るんだよ。
ハロワ既卒フリーターに厳しくね?中小企業が多いせいか分からんが、かなり経験者優遇されてるのではないだろうか。
個別塾講師だったので個別PC教室講師の求人はさすがに通ると思ったがだめだった。
というか数週間経っても何も連絡がなかった。不採用の連絡はくれ。
あとハロワに掲載されている企業はブラックが多いと言われる理由は求人情報を掲載するのが無料であるため。
ハロワの人が若い人向けのそういうサービスがあるって教えてくれた。
履歴書の修正や面接練習をする相手を確保したかったので電話で予約。
初回はzoomで相談。どの職種にしたいかなど自己分析が行えていない私に相談員の人イライラ。
私の担当の人には就活する時は職種を絞れって言われたけど結局絞らないまま就活続行。その後も面接練習や相談にのってもらった。
そこで職業適性検査ができると言われたのでやってみたがそれの結果がくるのが私の内定が決まった後だった。気になるから聞くけどさ。。。
こっちはサイト上でエントリーと書類の送付ができるので複数の企業にすぐ応募できる。一回登録した基本情報は残ってるから志望動機とかを書き直すだけで応募可能。
マイ●ビとリク●ビを頻繁に使用してたけど、結局勤務することにした企業はin●eedにのってたやつ。
でも明らかに怪しい企業が出してる同じ求人が複数あってそれが検索する上で邪魔だった。そういう企業は写真を求人ごとに変えて掲載するから、しっかり企業名覚えておくといい。
フリーター、既卒相手にしてるのサイトを複数登録。正直これはどのエージェントに出会えるかという面が大きい気がするのでこのサイトがいいみたいな確実なことは言えない。
最初に面談して自分のこと色々話して条件にあった求人情報をメールとかで送ってくれるっていうのが基本。でも中にはさっき私が話したこと聞いてた?みたいな条件とぜんぜんマッチしてない求人を紹介してくるところもあった。なんかとりあえず手元にあったの送りました。みたいな。まあ既卒未経験で雇ってくれるとこが多くないのはわかるけどさ。
そもそも既卒未経験子持ちで微妙な反応なのに「事務」なんて言ったらさらにだった。
私が面接で行った企業の人たちも応募がたくさんきたと言っていた。
その中で経験ない新卒でもない人間が選ばれるわけがないとみんなそう考えていた。
なんならNPO就活支援の人には事務職もそうだし就活自体かなり厳しいものになるだろうと予想されていた。
就活している人間に対して人は「大丈夫」なんて無責任なことを言ってうまく行かなかった時にクレームつけられたくないんだろうな。そりゃそうか。
話を戻す。
あと、エージェントが紹介してくるのは大企業の割合が多い。中小あんまない。
エージェントを仲介するにはお金がかかるのでそれを負担できる企業ということになる。
また、ちゃんとしたエージェント企業だと依頼した企業としっかりコンタクトをとっていて就業内容に嘘がないかなど確認取れたところしか紹介しないというところもある。(全てではないとは思うが)
ほとんどの企業が一度面接して一回求人紹介してもしいいのあれば応募するって感じだったけど、送られてきたものであまりいいものがなかったのでほとんど返信せず終了。
今回私が登録したエージェントの中で一番いい求人出してくれてサポート厚かったのはウズ●ャリだった。一回ではい終わりじゃなくて履歴書の改良や面接練習をなんどもしてくれた。他の人がどうかはわからないが、私が当たった人はしつこいくらいにとても面倒見がいい人だった。そこの紹介で内定もらったが辞退した。
・それぞれのいいところを吸収して利用する
・いろいろな選択肢を同時進行する
聞いてた話と違うみたいなことが珍しくないので面接で仕事内容説明してくれるからしっかり確認する。
・長所とかアピールポイントとかを全く聞いてこない企業もあった
そういうところはまず、就業条件や社内環境を開示してくれてそれに関して質問や話をしていく。その上でのコミュニケーション能力を見て決めてる。
そういう人にも物怖じしないでコミュニケーションを取れるかも見られていると思う。大学生時代にクラブでバイトした経験が思わぬところで生きた。相手によって適切な距離感で話す。オープンに会社のこと話してくれる人には突っ込んだ質問しても大丈夫だった。そこらへんはネットの情報鵜呑みにしないで臨機応変で大丈夫だった。
また思い出したら追加する。寝る。
大好きな漫画がある。これからネガティブなことを書くのでタイトルは伏せるがギャグ漫画だ。読むたびに爆笑するし出来るだけ長く連載が続いてほしいと思っている。
ともいうのは彼ら(彼女ら?)はやたらに「この漫画の笑いは誰も傷つけない」と言いたがるから。
オタクがよく言う「股下5mある」みたいな誇張表現ならまあまあまあ許せるけどどうも連中、本気で言っているらしい。
は? そんなのなんでお前が断言するんだよ。急に森羅万象の代表ヅラすんなよ。なんで急に他人の主観まで代表しだすんだよ。
この漫画のこと本当に好きだし、たしかに古めのギャグ漫画に比べたらだいぶ気を遣った表現が多めだなとは感じる。別に読んで自分が傷ついたわけでもない。
でも「誰も」は嘘じゃん。仮に事実だとしても一読者には把握しえないじゃん。それを無邪気に断言するのって本当は配慮とか全然興味ないだろと思う。
彼らは「全米が泣いた」ぐらいのノリで言ってるのかもだけど、そんな雑に他人をひっくるめるような言い方を自分はしておいてコンテンツには「誰も傷つけない」配慮を求めるの、ちゃんちゃらおかしいでしょ。
「私は傷つかなかった」とか「今までのギャグ漫画に比べたら配慮が行き届いている」とか、傷ついているかもしれない誰かを勝手に透明にしない言い方はいくらでもあるはずなのに。
彼らもお金払ってるファンだし、自分が直接なんか言われたわけじゃないからうっすら嫌いだなー滑稽だなーと思いながらTwitterミュートするだけだけどさ。
頭が良い。努力家。背が高い。細い。面長。男らしい。周りの人を大切にする。人に好かれる。丁寧に話す。文章が綺麗。良く笑う。人と歩調を合わせるのが上手い。声が甘い。ターンが美しい。ロング丈が似合う。修士号を持っている。天職に着いている。アピールポイントを持っている。生きている。
私は頭も良くなければ何につけても三日坊主で努力できない。チビ。デブ。勿論脚は短い。可愛らしくもかっこよくもない。友人は少ない。関わりたくないときは半年くらい人と連絡しない。話をまとめるのが苦手。語彙が少ない。ストレートで卒業できない。長所が浮かばない。安楽死の機会があれば死にたい。
自担は驚くほど良く出来た人間だ。歌も踊りも喋りも大好きで録画して何回も同じ場面を再生したりする。最高にかっこいい。こんな人が現実に存在する。自担は最近クイズ番組に出ることが多い。アイドルでは無いから比べるもんじゃないけど畑違いでも自担と同じかそれ以上知識も経歴も何もかも持っている人がごまんといる。
打ちのめされる。好きな人の輝きに潰される。こんな矮小で価値の無い人間で申し訳なくなる。十人十色と言われても私は銀鼠色とかなんだろう。自担を愛するために生きている。自担の活躍を目で見るために生きている。自担の舞台が、コンサートが、動画投稿が、次はいつだからそこまで頑張ろう。そういう活力なはず。なのに惨めになる。自担は悪くない。私の考え方がおかしいだけだ。自分と正反対だから自担が好きなんだろうか。ただのコンプレックスによる気持ちなんだろうか。そんなの自担に失礼すぎる。
恥ずかしくない自分になりたい。堂々と人に紹介できる自己が欲しい。背が欲しい。細くなりたい。知識が欲しい。人を大切にしたい。自分を大切にしたい。努力ができるようになりたい。きっとずっと私はこうやって思い続けるだけで行動しないのだろう。そこが自担と私の決定的な差、一生かけても私は自担のようにはなれない。
こんなになりたいけど多分なるつもり無いんだろうな。
特にミスコン、つまり女性へのルッキズムに対してこれだけ言われるのは、特に女性に対して顔(だけ)がいいことへの評価と、頭(だけ)がいいことへの評価の釣り合わなさが存在するっていう側面があるのかもしれないと思う
元増田の言う「顔だけが良い人」への救いという視点がある一方で、見た目がよくないことへのペナルティが他の長所を帳消しにしてしまうケースの多さは無視できない
また、顔がいい人が「あの人は顔がいいという理由だけで成功したんだ」みたいに言われるのもルッキズムのひとつの形だと自分は考えている
とくに人に誇れるような特技もないし、むしろ他の人に比べるとダメなとこばっかりいっぱい見つかって落ち込むこともたくさんあるんだけど。
おしゃれで凝った料理も作れなくてにんじんのきんぴらとかもやし炒めとか簡単で適当な料理ばっかり作ってるし
化粧も服もマジでわからんのでこれすごいかわいい!と思って買ったワンピース着て鏡見るとまあべつに可愛くないんだけど着てると気分いいし
自分は天才だとか魅力的とか思えないし自分の長所は?って言われてもあんまり思いつかないけど
自分は最高!とか毎日楽しい!とか大好き!とかすごい!とか超偉い!とかそこまでの感じじゃないんだけど私は私のこと「結構好き」で「そんなに嫌いじゃない」んだよ
自分のことめちゃくちゃ好きでもないがめちゃくちゃ嫌いでもないよ
ここまで読んでくれてありがとう
家のすぐ隣に出来たゴルフ練習場の明かりが眩しくて、眠れない夜が続いた時だ。
「死にたい」という明確な気持ちがあったと言うよりは、明日もこのまま寝不足で学校に行って、
眠くてぼんやりとしているところを先生に怒られて、というのを続けるぐらいなら、いっそこのまま消えてしまったらいいのにと願っていた。
そうやって暗いイメージが湧き出しては止めることが出来ず、幼少の自分には長すぎる苦痛な夜の時間から抜け出したくて、
ベッドに横になったままできる限り精一杯長く息を止めるのを繰り返し「うっかり窒息死してしまえたら」と子供じみた自殺未遂を試み続けていた。
次に死にたくなったのは高校2年生の時だった。
高2病とも言われるような、人生を斜に構えて無気力に過ごしては自身の無力感に苛まれていた。
次第に学校もやや不登校気味になり、気が付けば「皆が真面目に勉強している中でフラフラ遊んでいる」というレッテルを貼られ、
たまに教室に顔を出そうものならクラスメートだけでなく教員たちからも厄介者のような扱いを受けていた。
そんな時、家の薬箱から母親が昔飲んでいたらしい薬局の袋に入った睡眠導入剤を見つけた私は、
「これをたくさん飲んだら死んでしまえるかもしれない」と袋に入っていた束になったシートから錠剤を全て取り出して震える手で飲み干した。
どくんどくんといつもより大きな鼓動を打つ心臓が、自分が死ぬかもしれないという不安と緊張と少しの期待のせいなのか、
それとも単純に薬の副作用だったのかは分からないけれど、私は暴れる心臓の音が家族に聞こえないように自室の中で布団に包まっていた。
暗闇の中で止めどなくほろほろと溢れる涙を流しながら、その時を待っていた、そして私の意識は途絶えた。
翌日、私は何事も無かったかのように、いつも起きる時間よりもだいぶ早くに目が覚めた。
遺書も残さず、数少ない仲の良い友人にも何も言わずに突発的に試みた自殺未遂だったけれど、
拍子抜けすると同時に、あれこれ残したりせずにして良かったと安堵していた。
まだ誰も目覚めていないキッチンに行って水を一杯飲んで、違和感を覚えた。
確かめるように冷蔵庫に入っていたオレンジジュースを飲む、味覚が無くなっていた。
冷汗が止まらず、ただただ「どうしよう」という言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。
「自殺しようとして薬を沢山飲んだら味覚が無くなってしまった」などということを誰かに相談する訳にもいかず、
しばらくは生きた心地がしないまま、味のしない食べ物を咀嚼するのはまるで砂や泥を食べている気分で、誰にも気づかれないように胃に押し込むことにひどく苦労した。
結局、三日も経たない内に味覚は元に戻るのだけれど、この時に「次に死ぬなら確実に死ななければいけない」と心に誓ったのだった。
真面目な学生では無かったけれど、なんとなく大丈夫だろうと思っていた淡い期待はあっさりと裏切られてしまった。
一応サークルには所属していたけれど、ほとんど活動に参加していなかった私は、文字通り大学で一人ぼっちになってしまったのだ。
そんな私の唯一の心の拠り所はSNSの顔も知らない友人たち、その中でもとりわけ"メンヘラ"とカテゴライズされるような人々との交流だった。
最初は寂しさを埋めるためのアイテムだったはずが、尊大な希死念慮に苛まれて生きるダメな人たちの存在が可視化されることは私の良くない考えを加速させていった。
あの頃を思い返すと、死にたかった、というよりも、いつ死んでもよかった、というのが正しかった。
私は名前も知らないおかしな人たちと浴びるように酒を飲むことも、サイケデリックな色をした「海外製」とだけ言われた錠剤をスナック菓子のように口へ放り込むことも、
そのまま外に飛び出して狂ったように遊びまわることも、怖いと思うことは何一つなかった
素面でいたくなかった、誰かと過ごしているようで、感覚だけが宙に浮かび、幻覚の中を彷徨って倒れこみ、自分を取り囲む影と会話して過ごした。
路上はもちろん、駅の医務室や知らない人の家で目覚めることも日常茶飯事だった。
裸で目覚めて隣で眠る見知らぬ人を起こさないようにベッドを抜け出し、最低限の服と荷物だけ持って逃げ出したこともあった。
一方で大学がある日は真面目に授業を受けていた。
離脱症状でガタガタと震えながら、倒れないように机に噛り付いて授業を受ける様は正しく狂人だったと思う。
ただ「死のうと思えばいつでも死ねる」ということが確かな心の支えになって、私は人より一年だけ多く掛けて大学を卒業することができた。
真っ先に死ぬと思われていた私を残して、大学時代の悪友たちは4人が亡くなり、2人は隔離病棟に入院していると風のうわさで聞いた。
気がつけば30歳を目前としている、生きてしまった、生き延びてしまった。
私は死ねなかった、自分の長所や得意なものというのは思い浮かばないが、死ぬことは特別下手なようだった。
それどころか真っ当に就職して、結婚し、子供にも恵まれた、人は私のこと見て「幸せだね」と言うようになった。
家のすぐ隣に出来たゴルフ練習場の明かりが眩しくて、眠れない夜が続いた時だ。
「死にたい」という明確な気持ちがあったと言うよりは、明日もこのまま寝不足で学校に行って、
眠くてぼんやりとしているところを先生に怒られて、というのを続けるぐらいなら、いっそこのまま消えてしまったらいいのにと願っていた。
そうやって暗いイメージが湧き出しては止めることが出来ず、幼少の自分には長すぎる苦痛な夜の時間から抜け出したくて、
ベッドに横になったままできる限り精一杯長く息を止めるのを繰り返し「うっかり窒息死してしまえたら」と子供じみた自殺未遂を試み続けていた。
次に死にたくなったのは高校2年生の時だった。
高2病とも言われるような、人生を斜に構えて無気力に過ごしては自身の無力感に苛まれていた。
次第に学校もやや不登校気味になり、気が付けば「皆が真面目に勉強している中でフラフラ遊んでいる」というレッテルを貼られ、
たまに教室に顔を出そうものならクラスメートだけでなく教員たちからも厄介者のような扱いを受けていた。
そんな時、家の薬箱から母親が昔飲んでいたらしい薬局の袋に入った睡眠導入剤を見つけた私は、
「これをたくさん飲んだら死んでしまえるかもしれない」と袋に入っていた束になったシートから錠剤を全て取り出して震える手で飲み干した。
どくんどくんといつもより大きな鼓動を打つ心臓が、自分が死ぬかもしれないという不安と緊張と少しの期待のせいなのか、
それとも単純に薬の副作用だったのかは分からないけれど、私は暴れる心臓の音が家族に聞こえないように自室の中で布団に包まっていた。
暗闇の中で止めどなくほろほろと溢れる涙を流しながら、その時を待っていた、そして私の意識は途絶えた。
翌日、私は何事も無かったかのように、いつも起きる時間よりもだいぶ早くに目が覚めた。
遺書も残さず、数少ない仲の良い友人にも何も言わずに突発的に試みた自殺未遂だったけれど、
拍子抜けすると同時に、あれこれ残したりせずにして良かったと安堵していた。
まだ誰も目覚めていないキッチンに行って水を一杯飲んで、違和感を覚えた。
確かめるように冷蔵庫に入っていたオレンジジュースを飲む、味覚が無くなっていた。
冷汗が止まらず、ただただ「どうしよう」という言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。
「自殺しようとして薬を沢山飲んだら味覚が無くなってしまった」などということを誰かに相談する訳にもいかず、
しばらくは生きた心地がしないまま、味のしない食べ物を咀嚼するのはまるで砂や泥を食べている気分で、誰にも気づかれないように胃に押し込むことにひどく苦労した。
結局、三日も経たない内に味覚は元に戻るのだけれど、この時に「次に死ぬなら確実に死ななければいけない」と心に誓ったのだった。
真面目な学生では無かったけれど、なんとなく大丈夫だろうと思っていた淡い期待はあっさりと裏切られてしまった。
一応サークルには所属していたけれど、ほとんど活動に参加していなかった私は、文字通り大学で一人ぼっちになってしまったのだ。
そんな私の唯一の心の拠り所はSNSの顔も知らない友人たち、その中でもとりわけ"メンヘラ"とカテゴライズされるような人々との交流だった。
最初は寂しさを埋めるためのアイテムだったはずが、尊大な希死念慮に苛まれて生きるダメな人たちの存在が可視化されることは私の良くない考えを加速させていった。
あの頃を思い返すと、死にたかった、というよりも、いつ死んでもよかった、というのが正しかった。
私は名前も知らないおかしな人たちと浴びるように酒を飲むことも、サイケデリックな色をした「海外製」とだけ言われた錠剤をスナック菓子のように口へ放り込むことも、
そのまま外に飛び出して狂ったように遊びまわることも、怖いと思うことは何一つなかった
素面でいたくなかった、誰かと過ごしているようで、感覚だけが宙に浮かび、幻覚の中を彷徨って倒れこみ、自分を取り囲む影と会話して過ごした。
路上はもちろん、駅の医務室や知らない人の家で目覚めることも日常茶飯事だった。
裸で目覚めて隣で眠る見知らぬ人を起こさないようにベッドを抜け出し、最低限の服と荷物だけ持って逃げ出したこともあった。
一方で大学がある日は真面目に授業を受けていた。
離脱症状でガタガタと震えながら、倒れないように机に噛り付いて授業を受ける様は正しく狂人だったと思う。
ただ「死のうと思えばいつでも死ねる」ということが確かな心の支えになって、私は人より一年だけ多く掛けて大学を卒業することができた。
真っ先に死ぬと思われていた私を残して、大学時代の悪友たちは4人が亡くなり、2人は隔離病棟に入院していると風のうわさで聞いた。
気がつけば30歳を目前としている、生きてしまった、生き延びてしまった。
私は死ねなかった、自分の長所や得意なものというのは思い浮かばないが、死ぬことは特別下手なようだった。
それどころか真っ当に就職して、結婚し、子供にも恵まれた、人は私のこと見て「幸せだね」と言うようになった。
https://www.johnnys-net.jp/page?id=text&dataId=1956&artist=7
させていただきます。
道を歩むことになりました。
ープとなることができました。
申し上げます。
たぶん私はそれだと思う。だいたい愚痴を聞かされると、愚痴の対象となっている人物より目の前で愚痴ってるお前の方が悪いと思ってイラっと来てしまう。
元増田が私を苛立たせる人種と同類かどうかは知らないけど、自分の知人友人で愚痴を聞かされるとイラっと来る人の特徴は以下の通り。
○絶対に自分は悪くなくて、全ての非は相手にあると思っている。口癖は「私はこんなに頑張ってるのに周りが○○してくれない」 自分のやっている方向ややり方が間違っている可能性なんて絶対に考えない。
○他人の長所より短所にまず目が行く。他人のあら探しをしてわざわざ自分のストレスを増やしている。
○他人に対する要求レベルが高く、きちんと要望を相手に伝えないくせに自分の思い通りにならないと怒る。
○自分の常識は他人にとっても常識だと思っている。自分と違う考え方や価値観を認めない。
要するに自分と違う価値観や方法論を認めない察してちゃんなんだと思う。元増田がそういう人種かどうかは知らないけど、私は他人の相談ごとや愚痴に対してどうも親身になれない。「上手くいかないからにはそいつ自身にも問題がある」と思ってしまう。それを正直に言ってしまうと縁を切られかねないので、とりあえず「大変だねぇ」などと共感しているふりはするけど、それは愚痴を早く切り上げて欲しいから言ってるだけで、できれば早いこと楽しい他の話題に替えてほしい。
聞いている方が不愉快になる話題は、いっそカウンセラーでも占い師でも良いから金をとって愚痴を聞くのを生業にしている人に話せと思う。こういう思考回路の持ち主なので女友だちとの仲が長続きしないんだが、やっぱり愚痴ばかり言う人とは仲良くしたくない。
冷たいようだが、心が参っている人の話を聞いて、相手を元気づけられるようなコミュニケーションができる人は世の中にそんなに多くないと思う。「誰でもいいから私の話を聞いて」じゃなくて、「この人には話せば元気になれる」相手を選んで話すべきだと思う。まぁそういう人はかなりの貴重品だと思うけど。
・好きな活動者の方がいて、その方が以前から変に噂が立っていた異性の活動者とコラボするらしい。別に私はその人とリアルで会いたいとか関係持ちたいとか思った事は一切無いけどなんかモヤモヤする気持ちがある。その事を友達に言ったら「ガチ恋じゃん」って言われたけど別にそういうわけでもない。なんかこう、結局私はただの一般人で、活動者は有名人で、そこは決して交わる事のない世界である事を突きつけられたような気持ちが強い。
・自分の妄想癖がガチで酷い。1度ここでその事について書いたこともある。昔から自分の妄想癖が他人に比べて群を抜いて酷いのは薄々気づいていたし、逆にそこを活かせば長所になるんじゃないかとプラス思考な事を考えていたが、最近確実にマイナス方向にしか働いてない事に気がついた。妄想の中ではいつだって自分がNo.1で居心地が良くて、この世界が実現してればな~と幸せな夢の世界に浸っている間に友達は恋人を作り、勉強して、成功していた。結局私は妄想の中でしか生きられない凡人以下の人間だったのだ。それでも妄想は辞められないし、現実に引き戻される度にギャップに絶望する。苦しい。
・今日、有名な俳優の訃報が目に飛び込んできた。この日記に辿り着くような人は嫌でも詳細を見てきたはずなので、詳しくは書かない。そういや何年か前までは訃報で目にするような芸能人の名前さえ知らなかった。ニュースを見るうちに、自分が産まれる前や幼い時に活躍してた方だったんだな、と学んでいた。しかし、最近になって亡くなった芸能人に見覚えのある名前と顔が増えてきた。しかも結構若い人。その度、胸が締め付けられる思いがする。無力で何も出来ない一般人の私のはずなのに、「自分に何か出来たんじゃないか?」と思ってしまう。この方は亡くなったから注目されているだけであって、今も生きてはいるけど生きている心地のしないほど苦しんでいる人だっているんだよな、と考えるだけで悲しくなる。自分、このままでいいのか??地方住みで最近コロナの第二波に怯えてる妄想癖持ちのクソ人間だけど、本気を出せば何人か救えたりするんじゃないか?
最近思った事ただつらつらと書いたのみです。皆さん良い週末を。
第一に、まぁ説教したい人が多いんだなと感じた。私は自分のやりたいことが見つからなかった学生時代に、某知恵袋でいろいろな職について質問や意見を聞くことを繰り返していたが、どれも「キツイからお前にはできない」「お前みたいな〇〇な短所がある人間にはなれない」「お前の長所は〇〇でも社会に出たらそんな事できる人間は当たり前にいる」みたいな感じだった。ここでも一緒だった。しかも、知恵袋民もここも自称高学歴が多く地方旧帝大や早慶上智出身であることをさも当たり前かのように扱う人間ばかりだった。その上、私自身が何者かもわからないくせに、まるで人生をすべて見てきたかのように上から目線。言葉遣いだって悪い。
あたかも自分はできる・天才・エリートだと豪語し「〇〇な悩みがある」という質問に対し、「全ては自己責任、お前が悪い!俺は違う!」みたいな聞いてもいない絶対聞きたくないような「あえて厳しい言葉」を書けてくる人間だっている。(しかも、出身大学や経歴、職を自慢しておきながらプロフィールを見ると全く違うこともある)
大学は早慶上智・旧帝大出身で、海外の院を出てたり、帰国子女だったり、大企業で仕事がバリバリにできるエリートだったり、高収入だったり、それは本当なのだろうか?
上から目線で私の人生を全否定してきた人たちは、本当に受験やバイトでも失敗することなく、過ちを犯すことがなく、周りに迷惑もかけず、生まれてから今まで年表にすると輝かしい経歴ばかりなのだろうか?
ここ最近、長期化する在宅勤務の影響や気候の不安定さもあってか、体調を崩して休んだり遅刻・早退する人が非常に多い
会社としては働き方もまったくブラックとは程遠く快適で(もともと自分がブラックから転職してきたせいで基準が若干甘いのかもしれないが…)
自分自身は転職後体調不良で休んだことは1度もないくらいに元気に働いているのだが
同じ部署の人達(年齢も近い)もやはり次から次へ体調不良、おそらくメンタルがやられている人もいる…で休んでいたりする
そこでふと思ったのだが特段仕事ができるわけでも出世しているわけでもない平々凡々な会社員であるが
前職でも今の職場でも毎日決まった時間に出勤し、仕事をこなし、そこそこの評価を得ながら元気に働けているというのは結構誉められてもいいことなのだろうか?
独身を極めすぎてテレビ会議以外まともに人と話すこともなく社会的には孤立している気がするがメンタルも健康、体もすこぶる元気、というのはもっと誇ってもいいのかもしれない
個人的に以前から思う所のあった作品について少し長めの感想文を書いてみた。
好きという感情も好きでないという部分もあったけど、その作品の人が読んで嫌な思いをしないように出来るだけ好きな所を強調しながら文章を考えた。
書き上げた後に「これはもう好きだと思う」「好きでないなら何なんだ?」というコメントを頂き、その作品に対して好きではない部分も確かにあったにも関わらず自分の「好き」という気持ちが肯定してもらえたみたいで何だか嬉しかった
「そうか、好きでない部分があっても自分はこの作品を好きと言っても良いのか…」と長年モヤモヤしていた所が晴れたようでも嬉しかった。
でもやっぱり自分がその作品の事を本当に好きかと聞かれると素直に「そうです」と言えない、という気持ちもある。以前に自分よりもその作品が好きであろう人達に「お前はファンじゃない、どうせ好きじゃないんだろ」と言われた事があるから。
自分はその作品の感想は書けるけど、リアルタイムで積極的に作品にお金を落としていた訳では無い。人気がある事を知ってから見始めた後追いのファンだし関連商品は幾つか買ったけどその気になれば数えられるくらいの量でしかない。
その作品が本当に好きな人達はムック本も特集雑誌も玩具もリアルタイムで積極に購入して作品を買い支えていたのだから、その人達の方が好きだし熱量があるのは分かっている。リアルタイムで追った、という思い入れがまず違うもん。
そういう人達が作品の長所も短所も全て承知の上で作品の事を「好き」でいるのに、そこまでの熱力を持っていないし作品に対して好きな所と同じだけ気になる所も結構ある自分が、作品の事を好きなんてその人達の前で言えない。
だって自分はそういう人達の前で「この作品は好きだけど気になる所もある」という話が出来ないから逃げ出して他の場所で感想文を書いたんだから。本当に好きなら自分はこう思うって言える筈だよな、が自分の好きの基準になっている。
【補足】
自分の中での「好き」の基準はそれに対して恋をしているように盲目になれるかどうかかもしれないと気付いた
痕も靨というのか自分には明確な短所や欠点も含めて「大好きだ!」と全肯定出来るキャラクターや作品があってそれの事は自分は大好きだと素直に思える。
「好きだけど気になる所もある」作品に対してはそういう全肯定出来るくらい好きだという気持ちが湧いてこなかったので自分の中では素直に「好き」なんだと思えないでいる。結論は出なくてもこれから先も好きか否かで悩む気がする。
ダニング=クルーガー効果(ダニング=クルーガーこうか、英: Dunning–Kruger effect)とは、能力の低い人物が自らの容姿や発言・行動などについて、実際よりも高い評価を行ってしまう優越の錯覚(英語版)を生み出す認知バイアス。この現象は、人間が自分自身の不適格性を認識すること(メタ認知)ができないことによって生じる[1]。
ダニング=クルーガー効果とは、能力や成績が低い人ほど自らのそれに対して過大評価を行い、自信にあふれるという認知バイアスのこと。自身の能力の客観的な認識、メタ認知ができないことによって生じる。一方、能力や成績が高い人ほど自らのレベルを低く評価するようになる。
能力や成績が低い人は自身の能力の客観的な認識ができず、また他人の能力も正しく測ることができない。ただし、自分の能力を自覚し、短所を改め長所を伸ばすといった取り組みを重ねることで、その認知バイアスから逃れることができるとされる。
能力の低い人は、ただ何かをする能力が低いというだけでなく、自分の能力の程度を
把握する能力も低いのです。このため、仕事のできない人ほど自分の仕事に自信を持っているようにみえるという不思議な現象が起きてしまうのです。物事を理解する能力の低さが自己認知も妨げるため、自分の能力が低いという事実にも気づかないのです。また、このような人は努力を怠ってしまうため、仕事でも何でも成長が止まってしまい、自己と周囲との評価にさらなるギャップが生じます。
地方に住んで自動車通勤するようになっていかに東京の(満員)電車通勤が非人道的なものか思い知った
その点車通勤は最高だ
玄関→外(クソ暑い)→駅(クソ暑い&人ゴミ)→電車(プライバシー皆無の満員電車)→駅(クソ暑い&人ゴミ)→外(クソ暑い)→会社
だったのが
になるんだからな
厳密には駐車場から30 秒程度歩くが、駅まで徒歩5分で有難がってた時代から考えれば無視していいレベルの距離だ
それと車なら荷物の量を気にしなくていい
俺はADHD気質があるのかとにかく忘れ物が多いが、車移動なら忘れやすいものをハナから車に入れっぱなしにしておけばいい
欠点と言えば酒飲んだら代行頼まないと帰れないことと、移動中手が離せないことくらいだが
前者に関しては飲み会嫌いな人間からすれば断る口実になるので逆に長所だ
そもそも地方はお互い車移動なので急な飲み会の誘い自体が激減した
後者に関しても耳は自由なのでカーナビとスマホをBluetoothで繋ぎ好きな音楽やラジオ聴いたり、英会話リスニング等の勉強もできる
当然車移動には(被害、加害両方の)交通事故のリスクが付き纏うけど、正直毎日の満員電車の方がよっぽど心身の健康に対するリスクが高いと思う
とにかく徒歩と満員電車で片道一時間近くかけて通勤していたときと比較すると車通勤は快適すぎる
ぶっちゃけ地方に住んで額面年収150万ほど下がったし、車のイニシャル、ランニングコストは安くないけれど、QOLは爆上がりだ
(そもそも車のコストは東京と地方の住居費の差額でお釣りがくるくらいだ)
それと通勤のことばっか語ってきたけど、プライベートでいつでも自由に使える車があるって結構便利
天候や他人を気にしなくていいから東京にいるときより休日の外出頻度がだいぶ増えた
はてなは車に否定的な人多いし、俺も運転自身は好きじゃない、むしろ嫌いなくらいだけど、車を持つことによって総合的なQOLは滅茶苦茶上がった
首都圏の満員電車なくすのなんて多分俺らが生きてるうちには無理だろうし、思い切って車通勤(ができる地域で生活)に切り替えたほうがQOL高まるよ、マジで