はてなキーワード: 長所とは
プロテインでいいだろ。
質←日本語
っていう複合語なのかと思いきや
卵(日)=蛋(中)
Protein(英,独)=タンパク質(日)
という複雑すぎる語源。
「蛋」の字は日常的に見ない字だし
蛋白=卵白なら「卵白質」でいいじゃん。卵白はタンパク質でできてるしわかりやすいしーーと思うじゃん?なんと昭和初期に蛋白質じゃなくて卵白質にしようと言い出した栄養学者がいたけど定着しなかったらしい。
で、結局「蛋白」って何なのか分かりにくいから今は、たんぱく質/タンパク質表記らしい。
でもさぁ、ということはさぁ
でしかないわけじゃん
いやわかりにくいわ。日本語という漢字圏の長所をかなぐり捨ててんじゃん。漢字から連想できる意味もなし。音から連想できる意味もなし。最悪だ。
明治の日本人が一生懸命英語やらドイツ語やらの単語にあたる新しい日本語を作ったことの素晴らしさはわかる。「福祉」「哲学」「失恋」は素晴らしい日本語だ。ウェルフェアとかフィロソフィーとかハートブレイクじゃパッと見て意味が通らないから言葉として定着しなかったろう。和製漢語のおかげで日本人が新しい概念に早く馴染むことができた。
だが、明治の人間が頑張ってしまったばっかりに、日本人は英語により疎くなったという側面はある。その最たる例がやはり、「タンパク質」だろう。
「タンパク質=protein」感の無さは異常。これじゃあ、『タンパク質とは肉や魚、大豆や卵を構成しているアミノ酸のポリペプチドなんだな。』と覚えた後、更に『protein(名)タンパク質』と覚えなきゃならない。無駄だ。無駄すぎる。プロテイン飲んでる中学生の3割はプロテイン=タンパク質と認識していないんじゃないか。だれもプロテインがタンパク質だとは知らなきゃわからない。
対して「プロテイン=protein」はわかりやすい。英語の授業でproteinを習わなくてもproteinがプロテインだとわかる。
約30年間自分の無能さ、凡人さに対して、必死で目をそらす事で保ってきた自我と精神がとうとう崩壊した。
今現在どうしていいかわからない状態なので吐き出させてほしい。
俺と同じようなタイプの人がいるかわからないけど、もしいたら反面教師にしてくれれば幸いです。
俺には少し年の離れた兄がいた。
その兄は色々あって10歳ごろで不登校になり、俺は常にそんな兄を反面教師にして生きた。
両親からは賢いと言われて育ったが、ただ異常なまでに俺を褒める教育方針だっただけだ。
それは所謂普通の人生から外れてしまった兄への当て付けであり、兄の教育を失敗した反省であり、
自分の子育てが間違っていない、自分の子供は優秀なんだと信じたい感情からだったと思う。
でもその教育方針は俺自身がなんとなく、他とは違う特別な人間で、なんとなく特別な事を成し遂げ、
人より素晴らしい人生を送るのだと思い込ませるのに十分だった。
自分は勉強も運動もできる、天才で特別な人間である、勉強ができなかったり学校にいけなかったり仕事ができない奴は
人間としてダメだという考え方が、この段階で刷り込まれていったと思う。
当時はなんとなく運動部を避けただけのつもりだったが、
今思えばチーム内での競争や、大会での結果で自分の平凡さに向き合う事を知らず知らずのうちに避けていたんだと思う。
吹奏楽部でも競争はあるにはあったが、男性の身体的なアドバンテージや、
大人数での団体種目という事でそれほど劣等感には向き合わずに済んだ。
勉強は隠れて死ぬほど頑張って、まあまあのレベルをキープし、そこそこの大学に入れた。
テストの前に全然勉強してないわーっていう典型的なタイプだったし、
志望の大学を決める時も、周囲には勉強しなくても入れるとこにしたと言い張った。
ハンカチ王子やまーくんと同世代というだけでなにか運命めいた物を感じていた。
運動については、運動部の人たちには到底敵わなくなり、勉強しなくても成績がいい天才なのだと信じ込んでいた。
兄とはたまに一緒にゲームをしたりしたが、基本的に部屋でずっとパソコンをしていたのであまり関わる事はなかった。
ただ、兄のようにならないように頑張ろうという軽蔑のこもった念を持っていたと思う。
俺が何か落ち込むような事があった時は、内心でこいつよりは1万倍マシだと言い聞かせたりもした。
大学に入ってからは、受験の時に陰で勉強しまくっていた反動で遊びまくり、成績はひどかった。
高校までの自分の理想像では勉強しなくてもできる天才の筈だったが、更に妥協する事にした。
学校の勉強なんて社会で役にたたないし、もっと本当の意味での賢さが自分には備わっている。
大学の勉強よりも、もっと価値のある事に時間を使っているし、その才能がある。という路線にしたのだろう。
そこからは、友達・人脈を増やす為に頑張った。まずは先輩に媚びて、可愛がられて、それがすごいと思ってた。
交友関係を学外にもどんどん広げていき、フェイスブックは顔見知り程度ならどんどん友達申請した。
そのうちに、ストリートアートの才能がある人物と出会って、イベントをやる事になった。
結果、そのイベントはそこそこ成功し、俺は何かを作りあげるクリエーターとしての才能があるのだと思うに至った。
実際は、自分では何も作り出す事ができず、ただ誰よりも彼の作品に憧れただけだったのに。
あげく、彼とはイベントの打ち上げで大喧嘩して仲違いしたきりだ。
絵を書かないお前の方が主役みたいだ、自分では出来もしないのに口ばっかり出してくるな、
自分以外はみんな馬鹿だというような態度をやめろ。そういう事を言われた。
同じ天才の仲間だと思ってたのに、急に梯子を外された気分になった。
彼が憤慨して帰った後、とりまきと彼の悪口を言いながら記憶が無くなるまで飲んだ。
二十歳を過ぎてからは六本木に入り浸って、色んな経営者やらとも知り合いになった。
知り合いと言っても、今思えば知人の女子大生を宴席に連れていくだけの、便利な愛人斡旋係だった。
そんな社長たちすら、ランクを5段階くらいにわけて下のランクの人達は馬鹿にしてた。
でもいざ同席している間はぺこぺこへりくだって、そのギャップから、家に帰って目眩がして吐く事もあった。
今日〇〇の社長とキャバクラだから。それだけを同級生に言っている間だけは自尊心が満たされた。
その人達ですら、自分で事業を作り上げて必死に改善して、本来は尊敬すべき人だった。
あまりにも授業に出なかったので、留年しそうになり、慌てて学生ローンで借金してインドで1ヶ月ワーホリした。
俺の行動のすべては、順調な人生に見せかけるための、ハリボテのアリバイ作りのためだった。
一浪した就活では、人材系大手のRから内定を得ることができた。
面接の時は自分の経歴を何百倍にも膨らませて、嘘もふんだんに織り交ぜて通過した。
今思えば入社前のこのタイミングが軌道修正する最後のタイミングだったように思う。
入社したRでは、退社した人材が起業したり有名企業の要職を務める事が多く、元Rというブランドができていた。
自分もそこで頑張って、起業すればそういうキラキラした何者かになれると思っていた。
そもそも自分の理想に対して、人材紹介のエージェントという仕事はあまりにもつまらなかった。
転職希望者の話を聞いて、内定がでそうな企業を紹介して日程調整をする。
当然転職希望者は培った専門性を軸に、次のキャリアを考えるが、その専門的な内容がさっぱりわからない。
そりゃそうだ。こっちは他で働いた事もない新卒なんだから。職種も全然違うし。
同期たちは努力やホスピタリティーやら自分の長所を活かして成長していったが、俺にはそれができなかった。
今まで努力や反省といった所からひたすら逃げてきたのだから、当然の結果といえばその通りだ。
自分の才能について信じていた”なんとなく”というのは、試行していないが故に可能性が潰れていないだけで、
何の成長性もなく、ただただ自分の現実と向き合ってないだけだった。
みんなが色んなチャレンジをして、失敗して反省して、試行錯誤をしていた時に、
自分の限界に挑戦しないから自分の能力がわからず、低いハードルを超えるだけで失敗しないだけだった。
周囲には、人材紹介はビジネスモデルが良くないから本気になれない
より良い新たなビジネスモデルでの起業の準備が忙しいのだ、と言い訳していたが、苦しかった。
アラサーと言われる年齢に近づいた頃、仕事でとあるクリエイターに出会った。
大学時代のストリートアートの彼すらも遠く霞むような、本物の天才だった。
その人は天才故にずっと苦労していて、話を聞けば聞くほど天才のノブレス・オブリージュみたいだなと思った。
高IQゆえの他者・社会との隔絶。そこから来る生きづらさ。それこそが天才の証明だったのだ。
天才は友達が少ない。それだけ普通とは隔絶し、突出した人間だから。
自分がいつか凡人だと気づく不安なんて感じたことはない。人と違う事で、恐れ、疎まれて来たから。
話を聞けば聞くほど絶望していった。中途半端に器用に生きてきた自分とは、真逆の人生だった。
自分はコミュ力と友達の多さを誇って天才だと吹聴してた。それが真逆で本当に恥ずかしかった。
意を決して、精神科を訪ね、IQの検査を受けた。IQ120弱くらいだった。
天才とメンバー間を通訳できる、いいリーダー・つなぎ役になれるという解説がついていた。
天才じゃないという死刑宣告だった。上位10%。クラスで3、4番目。それが俺の本当の実力だった。
だけどまだそれを信じる訳にはいかなかった。
天才だ特別だと言い張っていたのに、そうでない人生を今日から歩めと言われても飲み込む事はできなかった。
IQは一つの指標。そう考えるしかなかった。そうでないと生きて行けなかった。
検査の結果を聞いてから毎日、気が狂うほどの焦燥感が常に付き纏っていた。
本当に24時間何をしていても、少しでも気を抜いた瞬間に、
何かを成し遂げなければならない、特別である事を証明しなければならないという強迫観念が絶えず襲いかかってきた。
幸い、人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが非常に低かった。
同業他社と比べると、有料のオプションが1つ無料になる。程度の差別化だったが、
それを新しいビジネスモデルという事にして打ち出していった。
本当にちっぽけなしょうもないアイデアだけど、それに賭けることにした。
勝ち目なんて無いに等しいのはわかっていた。でもそれに全てを賭けるしかなかった。
特別な人間であるというアイデンティティだけにすがって、他者を馬鹿にし、虚構の優越感に浸り、
生き続ける為には、この道で食っていくしか無かった。
あると思っていたコネクションは、俺ではなく会社と繋がっていたのだ。
元々ないホスピタリティーは更に枯れ果てた。
余裕の無さが更に成功を遠ざける。
うまくいくはずが無かった。
どんどん追い詰められていった。
兄は学生生活こそうまくいかなかったが、こつこつとプログラミングの勉強をして実力をつけていた。
いくつかの現場を経験していたので、人脈もあった。それを使う事にした。
子供の頃から兄を馬鹿にするのが俺のアイデンティティの一部だったのに、その兄にすがって何とか生きている。
兄は優しかった。逆境に負けず、こつこつと努力を重ねられる強い人間だった。
でもそれもだめだった。三度、天才に打ちのめされることになる。
求職者が企業と面談をすると、3万円もらえるという転職サービスが現れた。
人材業界のビジネスモデルには問題があると先述したが、それについては紛れもない本心だ。
既存の人材紹介業は、求職者が入社すると理論年収の35%程度を手数料としてエージェントに支払うのが慣例だ。
年収600万円の人材を紹介すれば、200万円以上の手数料を払う事になる。
求職者を集めて求人を紹介し、履歴書を送って日程調整をする報酬にしてはあまりに高すぎる。
人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが低いというのは、それが由縁だ。
中小企業や、スタートアップ・ベンチャーがおいそれと手を出せる金額ではない。
加えて、エージェントはとにかく求職者が入社すれば高額な手数料が得られるので、
「求職者が望む転職になるか」「企業に本当に必要な人材か」を無視して、
「内定が出そうな企業」に求職者を押し込む事で、売上を伸ばす事ができる。
つまり、エージェントが売上を追求すると、求職者・企業の利益を損なうケースが出てくるのだ。
3万円もらえるという転職サービスでは、企業は面談時に費用がかかる代わりに、入社時の手数料はいらないらしい。
企業がエージェントに払っていた費用の大部分を、求職者が受け取る形だ。
これは、既存の転職市場・人材業界の諸問題を一気に解決し得るポテンシャルがあると思う。
このサービスを見た瞬間、正気を保ってられなかった。ケチの付けようがないすごいサービスだった。
転職市場・人材業界のパイの全てをテーブルごとひっくり返す、この上ない破壊的イノベーション。
最初は思わずネガキャンした。悔しかったから。でもどうしようもなく憧れた。
どうして自分がこれを考えつけなかったのか、今まで何に時間を使ってきたのか。
自分を責める事しかできない。感情はもはや支離滅裂でどうしようもない。
仕事を続けられる気がしない。全て終わりにして消えたい。ネガティブな感情が無限ループしている。
一番恐ろしいのは、ここまで書いた事全て、自分は薄々気づいていたという事だ。
それでも、特別な人間でなければ、優秀な人間でなければ意味がない、
という自分自身にかけた呪いからそれを絶対に認める事はできなかった。
ここまで絶望的な状況になって、認めるしかない現実が来て、やっと認める事ができた。
自分の心の中の薄々気づいていた部分は、こうなってしまった事をホッとしている気すらする。
このままどこまでも狂って、「コロナがなければ・・・」「精神を病まなければ・・・」
という言い訳ができればいいと、ただそれだけをずっと泣きながら祈っている。
コミュニティにおいて評判の良い女性ほどこの優位性を自覚して上手に無意識に有意識に活用しています。
男性が女性の優位性を許しているのは、女性にモテたいからです。それが男性の頑張るパワーの源なのですから。
これを自覚できていない女性は男性に利用されたりと不幸な人生になります。
ただ優位性が行き過ぎるとこのように人をひどく傷つけることがあり、それは反省しなければいけないのですが、
また一種の暗黙知なのでそれをはっきりと言葉に出す人はほぼ皆無です。
何の準備もなしにその優位性と真正面から立ち向かっても勝ち目はありません。
まずは女性という生き物を避けるのではなく、よく知ることから始めないといけません。
女性を知ろうと思うだけで、視野が広がりいろいろと新たに見えてくる情報があります。
まずはあなたはそれよりももっと被害者らしくふるまいましょう。演技力を身につけましょう(実際に被害をうけているのですから)
男性としてかっこ悪いと思う必要もありません。社会で生きるにはそれくらいの強かさは必要です。日本社会は弱者の味方です)
女性は女性の優位性を活用して強かに生きているのは自然の摂理です。
女性に気に入られたいなんてちっとも思っていない、女性とできるだけ関わりたくないと思うのは、
女性は自分に興味がない男性の存在をどうしても無視できませんから。
「逃げ恥」心理学を学んだことがある人たちは内容がリアルでいかにも…と思っているという話(togetterより)
「心理の院生がやりそうなダメっぽい研究」という指摘があったので、少し情報を整理して感想を述べる
原作冒頭において、こんなやりとりがある
黒●徹子(妄想)「あなた 大学では心理学をお勉強なさってたんですって?」
みくり「はい それで」
徹子「それで就職は人事部や企画 商品開発なんかを志望していたと」
徹子「だけどあなた ウフ ごめんなさい 全滅だったんですって?」
みくり「そうなんです 今思えば もっと業種を広く」
徹子「それで就職職浪人するよりも と大学院進学をしたけど 文系大学院は就職がさらに大変だったらしいじゃない」
みくり「文系の院全てがそうとは言い切れないとは思いますが 院で臨床心理士の資格を取ったのでそれを生かせる仕事ができればと」
徹子「でも 心理カウンセラーとかスクールカウンセラーは中々就職がなかったと」
――海野つなみ「逃げるは恥だが役に立つ 第1巻」より
臨床心理士は指定された大学院修士課程を修了後に「受験資格」が得られる
そして、臨床心理士資格認定試験は毎年10月に開催され合格発表は12月となる
修了後の4月は無資格なので、資格取得見込みでも受け入れてくれる仕事を探さないとならない
同じ大学院・研究室の先輩や指導教官に紹介して貰ったり、非常勤で週2~3日の仕事を自力で見つけて応募することが多い
作者である海野つなみがどこまで知っているかは不明だが、みくりは大学院修了後にそうした仕事にもつけず、資格取得後も就職先が見つからなかったことになる
ストレートで卒業・修了・資格取得をしたとすると、この時点で24歳である
心理学部・学科卒業で人事部や企画・商品開発を志望すること自体には問題がないが
「仕事がない」という理由だけで、より狭き門であるはずの心理職に進む所に見通しの甘さが感じられる
専門職である心理職は、何かの代わりに選んで成れるような進路ではない
(正直、指導教官や周りは大学院進学を止めなかったのか。それと、こんなにふわっとした見通しの甘い人間に、臨床心理士試験の面接官はよく合格を出したな)
「甘く見てましたね。まさか文系の大学院卒がこんなに就職できないとは」
「大学院では心理臨床コースを選択、卒業後に臨床心理士の資格を取得した上で再び就職活動に臨んだ(ナレーター)」
「2013年度 青明大学大学院入学式(大学院時代の写真より)」
2.2履歴書(一部抜粋および組換え)(出典はhttps://twitter.com/i/events/868751617960443908:title=こちらから)
【提出先(※推測)】
【提出日】
2014年12月15日(※大学院2年(最終学年)の12月に提出したものであると思われる。つまり、物語開始より1年前ほどのものになるか)
【生年月日】
【住所】
神奈川県横浜市都筑区黒沢5-5-6(※黒沢は架空の地名とのこと)
【学歴】
【資格】
2012年6月 実力英語検定2級(※いわゆる英検は、正式名称が「実用英語技能検定」であるので誤記の可能性がある)
2014年12月 臨床心理資格(取得予定)(※ナレーションでは「臨床心理士」と言っているため、誤記の可能性がある)
趣味はカフェ巡りです。特技は整理整頓です。サークルはお散歩サークルに入っていました。
具体的な内容:上記のテーマを「幼少期の両親の養育態度」と「甘え」の観点から分析しています。この研究で青年期になっても対人関係にコンプレックスを強く持つ者は、幼少期に両親から否定的なイメージを受けており、「甘え」という行為が成立していなかった場合に多く見られた。これによって「甘え」の形成は対人関係を育てることが分かったが「甘え」の感覚を得るには両親との幼い時の関係性が重要であることが学びとれた。
真面目なところと思いたったらすぐに行動するところです。
私の長所は真面目な所です。頼まれた仕事はきっちりこなす性格です。短所でもありますが、突拍子もないことを考え、思い切り突っ走ってしまい、びっくりされてしまうことも多いですが、その新しい発想のおかげで上手く運んだこともあったので、長所としてとらえています。
【学生時代に打ち込んだこと】
心理学の研究です。私は人の役に立つことが好きで、人が何を求めているか察知できる人間になりたいと思い、心理学を専攻しました。心理学で学んだことをアルバイトでの接客でも発揮され、お客様が求めていることを先回りして提供することができるようになりました。今後も、会社というチームの一員として自分に何ができるのか、お客様には何を提供できるのか、心理学を生かして察知していきたいです。
【志望理由】
私は貴社で、新商品の開発や企画に携わりたいです。貴社はもぐもぐ蕎麦という今までこの世になかった新しい商品で、世界の食文化を変えた会社であり、私ももぐもぐ蕎麦のように世界の文化にインパクトを与えるような商品を開発したいと思っています。大学では色彩心理学や希少性の原理などを学び、消費者心理についても研究してきました。大学院まで心理学を勉強してきたことを生かして、消費者がついつい買ってしまいたくなるようなアイデアを提案したいです。
世界中の、とくに栄養の不足に悩まされている地域の人々に、自分の開発した商品を伝え、健康を改善してくことが夢です。栄養不良に悩まされている人は8億人以上いるといわれていて、普及するには手軽さ・価格の安さ・おいしさの3つが必要だと私は考えます。そのまま食べられる、あるいは水やお湯などをかけるだけで簡単に作ることができ、安価ながらもおいしい食材で作られた商品を開発し、世界に広めたいです。
「青明大学 舞台」で調べた所によると、ロケ地自体は「日本大学経済学部7号館の前」との情報がみつかった
「青明大学」と同名の大学は勿論ないが、名前の響きからして「青山学院大学」や「明治大学」「明治学院大学」が近いと思われる
何となくこういうリア充的な雰囲気の学生は青学じゃねえのかという偏見がある。というか、青学は児童系の心理に強いイメージがある。なんでそんな大学院を選んだんだこいつ。何も考えないで生きてんのか
この場合、大学院修了後の2015年12月に臨床心理士資格は取得見込みとなる筈である
履歴書には「2014年12月 臨床心理資格(取得予定)」となっているので、資格名もしくは取得時期については現実の制度とは違いがある
ナレーションの説明とも乖離が起きているので、作成したスタッフの誤記や勘違いの可能性がある
他の資格について、大学1年生の11月に漢検2級を、大学4年の6月に英検2級を取得している
全体的に、こんな薄っぺらいやつ採用試験で落ちて然るべし。もっとちゃんと考えて進路決めなさい
漢検や英検くらい高校で取っておけよ。というか、色彩心理を研究したというなら、「色彩検定」とか「カラーコーディネーター検定」とか、色彩計の資格を取っておきなさいよ。
商品開発したいなら、日本商品開発士会の資格でも取りなさい。合格率も低くないみたいですよ
他国に自社の商品を売り出したいと思うなら、TOEICとTOEFLくらい受けておく発想には至らなかったんでしょうかねえ……
履歴書とは関係ないが、人事に行きたいなら産業カウンセラーを取りながら就職活動をしても良かったのでは……
臨床心理コースなので仕方がないが、「青年期の対人恐怖心性と自己愛傾向について」と志望部署の関連が薄い。本気で商品企画・開発したい人の選ぶ心理ではないよねえ
「青年期の対人恐怖心性と自己愛傾向について」は手垢が付いたような薄い研究なんよ。青年期を対象にした研究室でよくある、質問紙を都内大学生に沢山配ってやるような量産型研究なんですよ。土居健郎の「甘えの構造」とかを理論的支柱にして、適当な尺度を組み合わせて因子分析とか重回帰分析掛けるとそれっぽいデータが出るんですよ。そこらの大学の卒論発表会レベルのものを、大学院でやってはいかんのですよ。指導教官何やってんの。きっとこれじゃ、修論審査会でボコボコにされますよ、本当に(ry)
こういうのは、誰が考えたって全く無駄な習慣であるが、ネット上を調べると驚くべきことにこれがマナーだと言い張る人も一定数いる。こういう人たちは、一体どういう人なのだろうか?
まず、世の中にはどんなに努力しても合理的に物事を考えられない人・話の通じない人が一定数いるが、返信用封筒の宛名に無駄に拘る人たちもその類なのは間違いない。こういう人たちとは、まともな議論はできない。論理以前の根本的な感覚が欠如しているからだ。
また、宛名の書き換えなどにわざわざ拘るのは、やはりまともに学を修めておらず、他人に誇れるような長所がまるで無いから、いちいちそんなことで他人を評価しないと、自己を保てないのであろう。まことにかわいそうな人たちである。
最大の特徴としてあげられるのは気軽にアクセスしやすいという点だろう。アカウント登録、パスワード設定などの必要が一切無く、名前だけ設定すれば入室できる。
そしてこれが唯一の長所である。垢BAN機能が備わっていない上、サーバーの機能が貧弱であるため荒らしの巣窟と化している。唯一の対抗策と言えば、部屋主権限で荒らしをキックすることだけ。しかし、ipアドレスで認識してキックしているため、ipさえ変えれば不死鳥の如くキックされても何度も復活できてしまう。また、plを認識するためにトリップが自動で設定されるのだが、これはcookie削除で何度でも変えられる。つまり、一度荒らしてトリップを覚えられても全くの別人になりすますことが出来るのである。その結果、onlineは無法地帯と化し、一度完走するだけでもめでたいと言われることが多い。
更に問題なのは荒らしでないplの民度が低いことである。そのため、「荒らしの方がまとも」などとよく言われるのだが、その表現があながち間違いではないのが悲しいところだ。onlineのplは日本語通じてるのか怪しかったり、会話のキャッチボールができない者が非常に多く、人として問題を抱えてる。彼らがまっとうな社会生活を送れるのか怪しいところである。そこでonline民達の特徴を挙げてみよう。
・弱い
まずとにかく弱い。基本的な進行、セオリーすらろくに把握できてないplばかりである。2016年頃は一部強力なplも居たのだが、onlineの民度に耐えかねたのか引退してしまった。弱いだけなら成長の余地もある。そもそも誰もが最初は初心者なのだからこれ自体は問題ないだろう。しかし、後述の特徴のせいで彼らはいつまでたっても弱いままなのである。
・イキる
とにかくイキリが多い。強くてイキるならまだしも彼らは弱いくせにイキるのだからなんとも滑稽である。
彼らは会話のキャッチボールができない。岩間好一と同等かそれより少しマシといったレベルである。そんな彼らは自分に都合の悪いplをすぐ荒らし認定することによって、一方的に自分の正当性を主張するのだ。
・身内ノリが多い
身内村ならば身内ノリがあっても何の問題は無い。しかし、彼らは野良村でも身内ノリを連呼するのだ。その様子はまるでブサイクなのに人前でいちゃつくバカップル、若しくは教室内で大声で唾を飛ばしながら二次元のノリで話すキモオタである。彼らにはマナーという概念が存在しないのだろう。
・人の話を聞けない
繰り返しになるが、彼らは会話のキャッチボールができない。比較的まともなplから適切なアドバイスをもらったり、訂正した方がいいポイントなどを指摘されても一切聞く耳を持たない。感想戦でも他人の意見を聞くそぶりすら見せない。現実世界でもそんな風なのだろうか。だとしたら周囲の人間に相当嫌われているはずだ。それとも現実では人との関わりが無いから最低限のコミュニケーションすらとれなくても問題ないのだろうか。
・プライドが高い
プライドが高いこと自体は何の問題も無いだろう。しかし、無能でプライドの高い連中ほど厄介な者はいないということは皆さんもよくご存知であろう。前述の話の聞けなさと相まって、自省が一切出来ないというonlineの気持ち悪い特徴を作り上げている。彼らは自分に誤りがあるかもしれないなどと考えることは一切無く、無惨様の如く常に自分が全て正しいと思いながら行動している。
・信者が多い
現実世界でコミュ症な彼らは身内同士でのなれ合いに勤しんでいる。それが高じてやがて特定のplを偶像の如くあがめ奉るのである。崇拝されるplも皆キチガイばかりである。しかし、そんなキチガイと常にネットで触れあう事を望み、その全てを肯定する。その偶像に少しでも楯突こうものならたちまり煽ったり、罵ったりと激しい攻撃を食らわせる。たで食う虫も好き好きとはいうが彼らは糞に群がるハエである。
onlineの連中はメンヘラである。 しょっちゅう引退詐欺を繰り返して他のplを引こうとする。無論、周囲の連中はそれを必死で慰め、心の中で「○○ちゃんにかまってあげる私優しい~」等と自分に酔っているのである。
・偽善者
onlineにはステ、利敵などのマナー違反、ルール違反に走る者が多い。無論、周囲に迷惑をかけたのだから非難されるのは当然だ。しかし、onlineでは事情が違う。迷惑者を非難すると何と非難した側が他のplに叩かれ、挙げ句の果てに荒らし認定されるのである。「初心者なんだから可哀想だよ」等と意味不明な理屈でリア狂を庇い出す。その様子は迷惑行為に及ぶ知的障害者や凶悪犯罪に走る不良少年を謎の理屈で庇い、被害者のことなど見向きもしない怪しい人権団体を彷彿とさせる。彼らは「初心者に優しい私最高~」と自己満に浸っているに違いない
マニュアル人間のように、マニュアル、ドキュメント化、文章化を悪とする風潮が日本にはあるように思う
これが良くないのではないだろうか
いや、Zガンダムでもいい
ガンダムのマニュアルがなかったらアムロはガンダムを大地に立たせることができなかったのではないだろうか
もちろん、武器をマニュアルから見つける時間はなく、偶然押したボタンで頭部のバルカンが出た
しかし、マニュアルがなかったら心細かったであろうし、諦めてしまっていたかもしれない
形だけであれ、まずマニュアル、ドキュメントが存在するというのは心強いのである
ドキュメントがない、issuesに知見が溜まっていない、Stackoverflowで話題にさえならない
そんなソフトウェアはどんなに優れていても使っていて行き詰まってしまったら投げ出しやすくなるだろう
ソースコードが公開されていても、ドキュメントがないのでトラブルのたびにコードを読む、これはとても苦痛だ
命名規則が無茶苦茶なソースコードがあったらプロでさえ投げ出したくなるだろう
コメントから自動生成だけでなく、チュートリアル、Getting Started、Installation、バカでも一通り学べる文章が必要だ
そうでなければそのソフトウェアは流行する可能性はまったくないだろう
インハウスツールであったとしても投げられてしまい、ちゃんとドキュメントや管理できる別の社員が作り変えるかもしれない
つまり、恋愛も同じであり、マニュアル、ドキュメントが寧ろ必要なのではないだろうか
そこには概要やインストールから始まるように、まず最初の一歩はどうすればいいのか、がちゃんと書かれている
そして、恋愛の一通りの機能を学べるようにチュートリアルが用意されている
Zガンダムのカミーユだって父親のコンピュータから操作方法のマニュアル、ドキュメントを盗んでいたと劇中で述べている
ブライト・ノアは才能だと言っているが、自分はそれは少し違うと思うのだ
カミーユに至っては母親も材料物性のスペシャリストである、つまり金属などの分野である
ドキュメントを書く、文章を書くというのは技術をまとめる、開発したものの操作方法をユーザーに伝える、大切なものである
それが将棋や囲碁であれ、あやとりであれ、必ずその分野のプロがいるのである
しかし、恋愛のプロが書いた本があったとしても、碌なものがない印象がある、なぜだろうか?
まず、恋愛のプロである筆者が自己を正しく分析できていないことがある
つまり、なんだかよく分からないがモテる、みたいな人は自分が自分でどう優れているのかさえ理解できていない、いわゆる天才肌とも言えるものである
一般的に、天才というのは他人に自分がなぜできているのか説明するのが非常に下手なことが多いように思われる
例えば水泳について考えるとして、水泳の天才は子供の頃からなんとなくできてしまうパターンが多いように思われる
しかし、天才的な水泳選手が他人に教える、子供に教える、となると非常に下手になってしまう
その理由は私なりに考えるに、天才は自分がなぜそれができるのか、できるようになったのか理解できていないのである、天才だからである
しかし、天才には敵わなかったが、努力の天才とでも言うか、努力で実力を積み上げた選手は他人に教えるのが上手いのである
なぜか?
それは彼らが、自分はなぜできないのか?天才はなぜできるのか?それをひたすら考え、天才のフォームを観察し、仮説や実験、検証を繰り返したからである
苦労をしてきたからこそ、できないプレイヤーの欠点、伸ばせる長所などが分かるのである
詐欺的なもの、単なる自己啓発的なもの、ポジティブシンキングになれば引き寄せの法則が、みたいなものは尚更無意味である
恋愛のマニュアルもまた、恋愛を上達させるために努力を積み上げてきた努力の天才、恋愛の天才に努力で太刀打ちしようともがいた人が書くべきである
以上、まず恋愛にもマニュアルが必要だということを述べ、そこにはステップアップ方式で学べるチュートリアルも必要であり、
それらを正しく書くためには恋愛の天才ではなく、恋愛の天才を目指した努力の天才が書くべきだということを述べた
まず、マニュアルがないのが悪い、マニュアル人間は悪くない、という発想の転換、逆に考えてみることが大切なのではないだろうか
2週間前の軽率な行動をとってしまった私を諫めるために、これを記しています。
酔った勢いや、ちょっとした憤りからやったことでしょうが、その2週間後にとても後悔します。
あなたは昔から無計画でその場しのぎで生きている部分があります。
それは、本当に数少ない場面では勢いが生まれて長所として見られるかもしれませんが、
長期的に捉えると、本当に信頼を損なう酷い行為を連続していて一貫性のかけらもありません。
いいですか。ちゃんとよく聞き、考えて行動してください。
2週間後に下着の中の違和感と毛穴の詰まった部分が肌荒れて、一日の大半を下半身の不快感とともに過ごすようになります。
誰に見せるわけでもない、またそれほど大きな効果もなかった2週間と引き換えに、ずっと不快感に悩まされます。
一度手を出してしまうと、そこから抜け出すのには多大な我慢と苦労が必要となります。
私はこれからこの不快感を解決するために、ある手段を執り2週間の猶予を得ます。
しかし慌てないでください。そして私を誹らないでください。
私は2週間前の私によって、まるで操られているだけなのです。
今私の手にあるシェーバークリームは、2週間前の私への戒めです。
なんの話してんの?長所ないなんて言ってないけど
何故ミスコンは問題視されているのか。とある記事を見てふと思ったことをここにつらつらと書き連ねておこうと思う。
元来見た目の美しさは望んで得るためにはあまりにも失うものの多いものであり、もって生まれた人々はそれを活かして何が悪い、作家が本を出して賞を貰うのと本質的には変わらないのではないか、というのが私の基本的な意見である。大体美しい人々はその見た目を誇り努力も重ねているのではないか。
「ブサイクコンテスト」のような見た目で人を貶めましょうというコンテストというわけではなく、持って生まれて努力した人が自分の努力や美しさという才能を評価されたい、つまりは自分を更に好きになりたいという願望の現れが「ミスコン」なのだから、いいじゃないか、べつに。どこがダメなんだろうか。「お金持ちは必ず募金をしなさい」くらい違和感がある。
そもそも人という生き物は、美しい見た目をしている方がより社会に適応しやすい。例えば、就職活動だとか、友達作りだとか。
就職活動に関しては「容姿端麗」を必要とする仕事も多くあるし、目立つ人と友達になりたいという気持ちは割と多くの人が持っているものなので、それも不健全とは言い難い。
ミケランジェロの「サン・ピエトロのピエタ」という作品を皆さんはご存知だろうか。
とても美しい彫刻作品で、私は初めて見た時に本当に衝撃を受けた。
今までは全く興味を持っていなかったのに、私はピエタを知って初めて彫刻について調べたのである。ピエタがどうやって作られ、なぜ作られたのかを。
美しいと思わなければ調べようとは思わなかっただろう。見ても数十秒後には忘れて、きっと別のことを考えていた。
この人類の長いようで短い歴史の中で何回も言われていることだろうが、結局見た目、最初の印象で心惹かれなければその人のことを知ろうとは思いにくい。ふとした時にその人が持つ良さなんかを何かで知って興味を持つことはあるけれど、見た目が100%好みの人間のことの方が知りたくなりやすい、と私は思っている。そう、これはどう足掻いても拗らせた高校生の拗らせた思想の切れ端で、ここまで読んだ方はお気づきだろうが、私は美しさとは程遠い見た目をしており、美しい人々に尊敬の念を抱いている。
多くの人間にとって相手の見た目というものは、相手を判断する大きな材料である。
最初に述べたように、所謂ルッキズムのようにそれで差別され、不利益を被るのならそれはもちろん是正されるべきである。
しかし、誰もマイナスにならない、一部の人間がプラスになる、というのであれば別にそのままで良いのではないだろうか。
その人がもって生まれた長所がたまたま見た目だったというだけで、その長所がなかった事にされては気の毒だろう。長所はどのようなものであれ平等に評価されるべきである。
日常生活における些細な決断で異常なほどに迷ってしまい、無駄に時間を費やしてしまう+精神的に疲弊してしまうことに悩んでいる。
悩んだ挙げ句、A or Bの2択に絞る→Aに決定→一度外に出る→「やっぱりBの方がいいかも」と思い再び自宅へ→Bを着て出発→「……いや、やっぱりAがいいや」→道を引き返す→やっと出発→「なにやってんだろ自分……」
ということが今まで何度かあった。
他にも、日々の買い物や食事で最後まで選択肢を絞れないことがしばしば。
ただし、他人が関係している場合(例:友人と外食する場所を決める)は例外な気がする。
主観ながらも相手の気持ちを汲んだ上で選ぶことができるからかもしれない。
とはいえ、迷いすぎることが頻発すると当然疲れるし、自分の判断力に自信を失いつつあるのでなんとかしたい。
長所と短所を紙に書き出してみたり、コイントスを行う手法はあまり効果を感じなかったので、やはりなにか考え方を変えるしかないのだろうか……。
「クズが大事を成す」っての以外に難しいよね。マンガの「最底辺の男」や「生まれる価値のなかった自分がアンナのためにできるいくつかのこと」なんかは最後の1コマまで主人公をクズに描ききってて清々しかったけど、別に大事っていうか凄いことしないからなあ。凄いことさせるには何かしらの長所、少なくとも努力と行動力は必要なのでガチで悪い奴にすると難しい。道徳的にはダメだけど、努力できる時点でクズっぽさが薄れちゃうんだよね。逆になろうなんかは、いい人な筈なのにチート能力による努力不足っぽい雰囲気のせいで悪評を得がち。
個人的には9話は非常に良かった。
アニメの場合、麻枝作品の特徴は前半で遊び過ぎて後半で尺が足りなくなるところにあると思うが、今作品ではまさかそれが良い方向に働くとは思わなかった。
9話はまさに、その尺合わせで急激に話が収束する回だったわけだが、その超展開に置いてきぼりになる視聴者の心理を、急な別れに途方に暮れる陽太の心理に合わせてきたのが非常に素晴らしかった。
つまり、視聴者が感じる超展開への驚きを、陽太が感じた超展開への驚きとリンクさせて、陽太の喪失感に視聴者が共感しやすい構造になっていたのだ。
これは、あの喪失感たっぷりの黒背景のエンドロールを見てわかる通り、偶然ではないのだろう。
だから、今作品は意図的に、視聴者が超展開にポカーンとなるように作ってきたんだと思う。この強い喪失感を共感させるために。
超展開を逆手に取ったシナリオ構造とでも言うのだろうか。それに結局、仮想世界だとかのギミックが思ったより弱く、シナリオをメイン二人の関係性に振ってくるのであれば、
愛を育む意味で、超展開の原因である前半のバタバタでは必須だったわけだし。その点では、しっかり作り込まれた超展開なのだと感じた。
これは前の2作とは大きく異なる長所だと思う。今作は、配信か何かで追い直して最後まで見る価値があると思える大事な回だった。
あと、最初はメイン二人の恋愛関係に話を持ってくるのであれば、ひなのキャラデザインはもっと大人びたものにすべきだったと思ってた。
京アニ板kanonのように、二人の関係性は兄妹にしか見えてなかったので、恋愛関係にあると言われても違和感を感じてしまうから。
しかし、それも超展開を感じさせる仕掛けの一部だったんだと思う。つまり、先の喪失感を高める効果だったんだと思う。よくできてる。
ttps://twitter.com/FeelzenVr/status/1333023789773320194
【ツリー】告知
現在、韓国VRChat界隈で「販売アバターを共有しよう」というサイトが立ち上がっています。
web魚拓:https://megalodon.jp/2020-1128-2051-08/https://vrchat.imweb.me:443/
サイト文日本語訳 僕はVRChatを楽しむあるユーザーです 突拍子もないですが、単万直入に一つ聞いてみます。 皆さんはBOOTHのアバターをどう思いますか? 皆さんはどう考えるかは分かりませんが、おそらく私と同じ意見でしょう。 私はブースアバターを持ってます。きれいでもあります。 可愛くもあるし無料モデルよりクオリティも良くて時間をかけずにきれいなアバターをすぐ使えるという長所がある本当に良い販売だと思いました。正確には考えました。 なぜか? ブース市場の商業化は過去に比べて飛躍的に盛んになりました.。 もちろん製作者たちが時間をかけて作った結果物をお金を払って買うのが正しいと思います。 しかし、ブースの市場は皆さんが考えている般市場とは違って同人市場だということです。皆さんは同人市場をどう思っているのか分かりませんが、私が知っている同人市場は安い漫画や物を自由に販売して購入者を満足させる市場だと考えています。 ですが、VRChatのアバター市場はとても高価です。 そのモデリングの塊に5万ウォン以上を費やすことに、皆さんは疑問を持ちませんか? そしてブース市場の販売者はいつものように価格を上げて売っています。 また、私たち購入者はいつもその高いアバターを購入して使う立場です。 その購買したアバターをコピー貼り付けるとお金を払わなくてもすぐ使えるように友達にあげることができますが、各自個人的良心に従って直接購買して使っている。 現在VRChatのブース市場文化はそうです。 そんな恐ろしい市場にアバター製作者たちは、購入者たちをあざ笑うかのように常に価格を大幅に引き上げ、私たちに著作権という口実で購入者たちの玉砕を締め付けています。 面白くないですよね? 税金も払わないやつらが著作権云々している時ではないような気がします。 そして、購買者はその高いアバターを買っておいて、まるで高級貴族が高級物品を買うように行動します。これは間違った文化です。 また、VRChatの運営者たちはこのような文化を制裁するどころか、むしろこの不思議な市場を大幅に拡大してVketというイベントを作り出しました。 もしVRChat運営者がアバター市場の創始期に価格制裁をしていたら、こんな状況にはならなかったでしょう。 私はそのような文化を見て今まで我慢してきましたが、今はじっとしていられません。 これから私がVRChatを削除するまでブースに出てくるメジャーアバターをいつも共有します。 アバターファイル共有リンクは、情報提供が入り次第整理し、常にアップデートするよう努力します。 とあるVRChatユーザーより
ttps://twitter.com/vjroba/status/1333424648466309122
昨日zenさんが問題にしてた有料アバターをみんなでばら撒こうプロジェクト、サイトを移転していた。地の果てまで追い詰めて息の根を止めるべきだと思う。
ttps://vrchat-avatar-share.jimdosite.com
また、Twilterの方によると、ブースのアバター価格は製作時に比べて安いと思うか説明します 皆さんは製作時聞が長いという高く策定することについて考えていないボショトナますただ製作時聞が長く高い? まあ私が見るには、能力がない見えますね、皆さんが口がマルょう賞賛していた自称業界人が、その時間をかけながらまで作るの正常だと思いますか、ただ能力がないのです。 ないと反論するんですか?その後、すぐにそのアパタを持って大規模なゲーム会社にポートフオリオを入れてみてください皆さんが言っておられた業界人の制作能力であれば、大規模なゲーム会社も反してすぐにスカウ卜をアンハル理由があるでしょう。
ttps://twitter.com/sgbZ03WkXvTWDND/status/1333646670521790465
返信先:
@gyoniso3 さん
ttps://twitter.com/GigueAnthem/status/1333679981860306945
それやれる人の経済基盤で
ttps://twitter.com/sgbZ03WkXvTWDND/status/1333683300498505728
返信先: @GigueAnthem さん
ただ高いコンピューターを使ったからといって高いアバターを買うだけの経済基盤があるのか。
そして新たにゲームを始めた人たちはコンピューターのアップグレードと高いアバターを同時購入しなければならないので非常に負担になる
「無人島に持っていくべき調理家電ナンバーワン 『大同電鍋』|田中 伶」という記事のブコメで、「電気圧力鍋とホットクックとシャトルシェフとスロークッカーと、この大同電鍋の違いを誰かまとめて欲しい」というのを見かけたので、及ばずながら知ってることを書いてみる。
まずシャトルシェフ。シャトルシェフは魔法瓶の上位互換というか、まあ「魔法鍋」であり、スロークッカーの下位互換。なにしろ熱源を持ってないので、絶対に火災の原因にならない、という安心感はある。「スロークッカー買うから要らない」「スロークッカー買えないから妥協してシャトルシェフ」「スロークッカー持ってるけどセカンド・スロークッカーとして買う」などはいずれも正解。『保温調理鍋[シャトルシェフ]のおいしいレシピ (扶桑社BOOKS)』という本はおすすめできるが、ただし赤エンドウについての記述は大嘘だ。大豆ならともかく、シャトルシェフで赤エンドウ茹でるの無理。
そしてスロークッカー。当該記事を読む限り、スロークッカーと大同電鍋は別枠。
私見ではスロークッカー最大の美点は「石焼き」です。パプリカを洗って鍋に入れフタして1時間加熱するだけでむちゃくちゃ甘くなる。遠赤外線効果は蒸すのとは異次元。「はあ? パプリカを加熱するだけのために買うのかよ」と、知らない人は思うだろうけど、いやアレはねえ、素晴らしいですよ。ウチでは石焼きパプリカのピクルスをしょっちゅう食べてます。ちなみにパプリカは、コンロで焼き網で(あるいはオーブンで)真っ黒に焼いて皮を剥いても同等の結果が得られるが、カンタンさがぜんぜん違う。これを書いたおかげでいま気づいたけど、今後さつまいもとか栗とか玉ネギとかニンジンとかも試してみたい(そういえばナスはダメだった。焼きナスは電子レンジの方が美味い。焼いてないのに焼きナスの味になる)。
豆を煮るとか、トロッとなるまでごぼうの筒切りを煮るとかはシャトルシェフでもできなくはないが、シャトルシェフにはどうしても「保温してるだけ」という非力さがつきまとう。たとえば砂肝をスロークッカーで90分茹でるとかなり柔らかくなるけど、シャトルシェフで同じ状態を目指すなら1時間おきにコンロで沸騰させて3時間くらいかかりそう。「3時間放置で完成」ならそれでもいいけど、「1時間おきにコンロで沸騰させて3時間」はなかなか面倒臭い。プルド・ポークとかプルド・チキンとかアヒージョとか、「豚バラを5時間煮る」などもシャトルシェフでは無理だと思うが、スロークッカーなら余裕。
タイマー機能が無い。スロークッッカーのよさは「タイマーかけたら後はほっといても安心」なところにあるので、電源タイマー同時購入が必須。私はパナソニックの WH3101BP というヤツを使ってます。
もうひとつ、最大温度が低い。スープがクツクツしてくるまで「強」で1時間近くかかり、そしてそこが最高到達点。「グツグツ」や「ボコボコ」は無理。もちろんそれは素材の美味さを最大限に引き出すスロークッキングというコンセプトにおいて長所だが、「蒸す」「電子レンジ代わりに手早く温める」「飯を炊く」などの用途には非力。それらの用途が、大同電鍋の得意分野として多くの記事で挙げられていることから考えると、たぶん大同電鍋は熱力(?)が高いんだろう、と思う。