はてなキーワード: 酷評とは
食べログ有料会員だった店で働いたこともあり、現役レビュアーでもある自分から見て最近のSNSでの食べログへの言及には、勘違いやデマが看過出来ないぐらいにひどいものがあります。よく目に付く、気になった意見についてコメントを付したいと思います。
昔は知りませんが、ここ数年で削除などわたしは経験がありませんし、フォロワーさんからも聞いたことがありません。
修正対象にされるのは接客について、衛生についての否定的記述です。
食べログ曰く「お店に悪影響を与える可能性のある内容を確認も取れないのに書くのは~」。過去のいきさつから事なかれ主義になってしまったのでしょう。これにより多くのレビュアーは遠回しに書く技術を身につけていきます。
また、お店からのクレームで下書きに戻されてしまうこともあります。
これに関しては、証拠がなければ修正に応じるかレビューを封印するかしかありません。
わたしは証拠を突きつけて、相手を黙らしたことが何度かあります。
なお、味についての評価は酷評であっても一度も修正要求されたことがないです。
住所連絡先などの基本情報は、会員であれば誰にでも登録編集が出来ます。
レビュー内容に関しては前述の通り、事実と異なるのなら申請出来ます。会員店でないお店からも再三クレームを受けていますので、関係ないでしょう。
もし実際にそのようなやりとりがあったとしたら、代理店あたりが実績ほしさにふかしていたのでしょう。
有料会員店勤務だったころにもそんな話は聞いたことがありません。
レビュアーとしても、有料会員店に厳しいレビューをしても消されたことはありません。
可能性としては、上記のように修正要求を厳しめに行って都合の悪い記述を潰すことでしょう。
ステマではないのかもしれませんが、目立たんが為にやたら高評価連発している人もいますし、「悪い評価のレビューは書かない」というわたしからしてみれば意味不明なポリシーをお持ちのレビュアーもいます。
使い方は自由ですが、基本情報が間違っていることも多々あります。閉店したお店がそのまま掲載されていることもざら。
公式情報ですら最初に登録してから変更があるのにいじっていない店もありますので、参考程度でしょう。
Googleは検閲がないので包み隠さず書きたいことがかけるのは事実です。
ただし、Googleアカウントは無料でいくらでも作れますが、食べログは携帯電話番号の登録が必要です。これについてはこれ以上説明する必要もないでしょう。
なお、Googleの点数は単純な平均点ですが、食べログはレビュアーの影響力を考慮した独自アルゴリズムによる算出ですので、点数に関しては単純比較は出来ません。さらにいえばレビュアーの層も違うでしょう。
公正取引委員会が調査に乗り出しているようなので成り行きを見守りましょう。
レビューの登録は新しい順ですが、「ピックアップ」とされるレビューは先頭に乗ります。このピックアップは4.0以上の評価のレビューから選ばれますが、それ以外の基準は不明。ときどき入れ替わります。
一方、評価が低い(おそらく2.9以下は)レビューは登録順無視で後ろに回されます。これに関してはレビュアーでも気付いていない人は結構いそうです。
一番グサリと来て、実際のところクリティカルな部分で、そしてそれ故に許せない部分が一番多かったコメントでした。
まず前提として、俺の物書きとしての能力の低さ、そして「アドバイスの受信感度の致命的な低さ」は特に否定しません。現に結果も出てないわけだし、元増田を書いていた時に「ムカつい」ていたのがそこだったことも否定しません。ちなみに編集者から貰ったアドバイスとして、「どうしても『エンタメ』を書きたいなら、なろうで勉強するべき」というようなことを言われ、納得した上で、今なろう系を読んだり、書こうと模索しています。
まず、そういう側面があるサークルなことは否定しません。っていうか、学生時代に入った直後は俺もそう思ってて嫌悪感さえ抱いていたし。そしてまあ、嫌われてるかと言われたら否定は出来ないな。少なくとも好かれてはいないんじゃないか? 特別には。
けど、まず、大前提として、サークルのみんなは俺が作家を目指していることを知っています。学生の頃に俺自身、強い言葉で作品を否定したこともあったし、そのしっぺ返しだと思えばまあ、仕方のない部分はあるとも思っています(実際、口だけ番長だと思ってる奴普通にいるだろうなー)。
けど、彼らはちゃんと俺の作品を読んだ上で、「ちゃんと酷評」しています。前回の感想会で貰った意見は基本全てメモしていますし、それに値する内容でした。俺のものだけ特別に文量が多かったのもありますが、俺の時だけ、それ以外の部員の倍の時間をかけて、ちゃんと意見を言ってくれました。
そして、この冊子に参加している部員(OB)は、ほぼみんなちゃんと「上手い」です。ある後輩は地方の文学賞で賞を取っているし、ある後輩は某投稿サイトのR18部門でランキングトップの常連です。俺と同学年で、俺がサークルに入った直後に読んだ作品は「ああ……こいつはダメだな」と思っていたやつは、今や脚本家の卵で、仕事も貰い始めていて、俺よりも小説が上手くなっています。僭越ながら、頼れる相棒であり、そして今この時点では俺よりも先を走ってる「格上」だとも思っています。
つまり、ごく端的に、俺が一番下手なんですよ。嫌われていようが、アドバイスの受信感度が極端に低かろうが、それは確かな「事実」であり、それ故に俺は、サークルのみんなを、同輩後輩問わず、(ほぼ)全員尊敬しています。
そしてそんな「嫌われている」俺と、この前一緒に旅行に行って、馬鹿騒ぎをする程度には慕ってくれている(まあケンカップルとか言われてますが……)後輩も確かに存在しています。酒を飲みながらやったカルカソンヌはくっそ楽しかった。
俺は今、どうしようもないど底辺で、現時点では作家になれる見込みもない、そんなどうしようもない奴であることは否定しません。
そして、書き方が悪かったことも否定はしませんが、しかしどうか、俺の大事な「仲間」を、「なれ合いサークル」の一言でくくることは辞めて欲しい。俺は尊敬してんだよ、あいつらを、マジで。
29歳非正規雇用低所得の俺が、会社の先輩に連れられてソープに行って玄人童貞を卒業してから一ヶ月くらい、精神が不安定になっている。今日もこれを書く前に軽く泣いてしまった。
先に言っておくと、ソープ体験自体は本当に素晴らしかった。尊敬できるくらいにかっこよくてキレイな女性の方に、筆おろしさせて貰えて、童貞なりに自分でがむしゃらに腰を振って(ゴム越しだけど)膣内で射精が出来た、というのは、下手したら人生の中で一番充実感のあった瞬間だったように思える。
もし俺がこれから自分の人生と向き合って、恰好良くなって、そういうやり方を学んで、この人が良いと思えた女性と結ばれたなら、俺は今度こそ本当に幸せになれるかもしれない。というか、そもそも俺はそういうことを望んでいたのだと、この体験を通じて身を持って思い知ったような気分だった。
童貞はソープに行けだの、風俗で人生が変わっただの、と言うけれども。俺から言わせれば、人生はちっとも変わらないけれども、人生観は十分に変わりうる体験なのだ。
で、それから俺は、無頓着に等しかった服装にも気を使うようになり、オーラルケアや洗顔を念入りに行うようになり、体臭にも気を使うようになった。元々、一年くらい前に体重が百キロを越えて「あっ、俺このままだと死ぬな」と思い、通い始めたジムも、今まで以上に気合を入れて通うようになり、今年中には90キロを切りそうな勢いだ。それでも、やたらと汗っかきな自分の身体が結構本気でコンプレックスになり始めている。
今の環境だと出会いがなさすぎるので、マッチングアプリも始めた。まさか自分がこういうアプリに登録して、例えば自分の写真やプロフを載っけて、女の子に片っ端からいいねだのナイスだのを送るようになるとは思わなかった。
でも、上手くいかない。いいねはぜんぜん返って来ないし、マッチングしてもただマッチングするだけで何も返ってこないことがほとんどだ。一度だけ話がものすごくはずんだ子がいたけれども、結局会うことさえ出来ずにフェードアウトされてしまった。
そりゃそうだ。俺、二十九歳。先述の通り非正規雇用(フリーランス、というとそれっぽいけれども、要するにコネで入った雑用係に過ぎない)。年収でいうと、300万にギリギリ届かないくらい。手取りはそこそこ貰っているけれども、保険も厚生年金もないどころか、フリーランスだから交通費さえ出ないのだ。
そもそも俺は短期離職を繰り返してる人間だ。一番最初のブラック営業職はいざ知らず、倉庫業、WEBゲーム管理、インフラエンジニア……全部正社員か、または戦力として期待されていた業務委託だったけれども、全部一年ももたずに辞めてしまっている。業務委託を抜きにしても、笑えるだろ? 正社員歴一年行ってないんだぜ? 29にもなって。最後のインフラエンジニアは二ヶ月で辞めてるしな。なまじ導入研修で優秀っぽく振る舞ったせいで、「構築」っていうちょい上流工程からいきなりスタート出来る代わりに、めちゃくちゃスパルタな研修に行かされて、そこで潰れて休職してやめてしまった。それで二年くらいアルバイトに行っていた出版社にほとんどコネで拾われて、今の立場というわけだ。
それから、俺はいわゆるクソワナビだ。小説家(ラノベ作家)になりたいなりたいとずっと思っているけれども、長編なんてちゃんと書けた試しがない。たまに大学の文芸仲間に小説を読ませても、いつも微妙な顔をされて酷評される。大学のOB誌を出して、自分以外の部員たちが「これ面白いね」「あー俺これめっちゃ好き」「流石○○だわー!」と褒めあっている中で、自分一人だけが微妙な顔をされて、あれが駄目これが駄目と言われる状況の惨めさが分かるだろうか。一度、ライターテストのようなもので試験に合格して、シナリオを書いていた時も、ぜんぜん書けずに遅刻を繰り返し、期待してもらっていた上にこっちも尊敬していた先輩に「貴方は足手まといです」と言われた時の絶望感を俺は今でも覚えてる。そもそも、この文章だってへっっったくそで読みづらいだろう? 今、自分の負の感情をこうバーって書いてるからってのもあるのだけれども、要するに俺は、今まで大した努力もしてこなかったクズなのだ。
さらにさらに、お恥ずかしながら俺は未だに実家ぐらしで、その上母と折り合いが悪くていつも喧嘩ばかりしている。ある時、「お母さんってぶっちゃけ俺のことどういう人間だって思ってんの?」と聞いたことがある。逆に「じゃあお前はお母さんのことをどう思ってんだ」と聞かれたので、「ものすごく色んなことを我慢して一生懸命頑張ってる人」と答えたのに対して、母は俺のことをなんて答えたと思う?
ああ、俺、やっぱり母親に嫌われてんだなぁって思った。少なくとも母親にとって俺という存在は、決して誇れる存在じゃねーんだなって思った。下手したら居なくなって欲しいって思ってんじゃねーかな? 俺は親父は死んでいるけれども、母はもし時間が戻っても、決して父とは結婚しないと言っていた。
要するに、自業自得なのだ。俺が低所得で、年齢=彼女いないで、社会人として全くの無能なのも、全部俺が悪いのだ。性格も悪ければ、それを治そうという努力もしないし、それを補ってあまりあるような能力だって何一つない。正直、俺が今のこの立場でなければ、ワナビだって辞めている。今は逆に何もなさすぎて、ラノベなんていう今やすっかり斜陽になった業界で、「年収300万が400万くらいになったらいいなー」みたいな情けのない望みにすがって、書けもしないラノベを書こうとあがいているのだ。あがいているアピールをしているだけなのだ。
こんなことなら、あんなに素晴らしい女性とのセックスの素晴らしさを知ってしまったことで、こんな風に情けのない自分自身と向き合うことになるくらいなら、俺は玄人童貞なんて捨てなければよかった。童貞は童貞らしく、みっともなく逃げ回るべきだったのだ。
その癖に、俺は諦めきれないのだ。今からでも頑張れば、俺はかっこいい人間になれて、ラノベ作家にもなれて、俺が選んだ女性と結ばれて、幸せになれるかもしれない、なんて望みが頭をかすめてしまうのだ。
ソープにいって男としての自信がついた、みたいな話もあるけれども、俺から言わせれば「自信がつく」のではない。「俺が俺であるために雄として強くならなければならない」という強迫観念に襲われるのだ。それが結果として「自信」に見えるようななにかになるのかもしれない。でも、その裏で、そのような強迫観念に潰されそうになっているのだ。
ああ、無駄に長くなってしまった。こんなクソ下らない素人童貞の煩悶にこんな長文を使うことがもったいない。こんなことを書き連ねても、どうしようもない29歳素人童貞の惨めな自意識しか出てこないのに。こんなことばかりはいくらでも書けるのに、小説なんてぜんぜん書けない。だからいつまでたっても上手くならないし、面白いという言葉をかけてもらえないのだ。
最近書いた小説を、たまたまコネで知り合えたフリーの編集者に見せる機会があった。
「本気でこれをエンタメだと考えてるなら向いてない」「やっぱりこの人は純文学を書くべきだ」
うるせえよ。純文学なんて誰が書くか。こんなくっそくだらねえ自意識をグダグダグダグダグダグダグダグダグダ書いて、「これが純文学でござい、芸術でござい」なんてほざくような人間になるくらいなら死んだほうがマシだ。
俺は純文学もライトノベルも大好きなんだよ。だから純文学なんて書きたくないし、ライトノベルを書きたいんだよ。
だって、自分の自意識をくそみたいな私小説風に書いたら、そんなものは純文学に対する侮辱にしかならないから。そうなるくらいなら、俺はライトノベルという土俵で、みんなに面白いと思ってもらえるような小説が書けるようになりてぇんだよ。
だからこんな下らない自分が邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ。自分なんていらない自意識なんていらないただただみんなが面白いと思うものを書き続けられるロボットになりたい。こんな悲観なんて捨てて、みんなが喜んでくれるような楽観を書けるような人間になりたい。
だって、きっとその方が、俺がいいなと思えるような女の子だって振り返ってくれるだろう? そういう人間になってしまえたほうが俺は幸せになれるんだろう?
「いちいち考え過ぎだよ」も「深く考えすぎるなよ」も「自分を変えるしかないんだよ」も「何回も同じ失敗をするなよ」も「お前はこんなことも出来ないのかよ」も「コミュ障」も「キモい」も「要領が悪い」も、十回くらいは死に到れる程度には、言われ続けてきた。
それでも変われなかった、俺は変われなかったんだよ。むしろそうやって変わっていった連中を、そういうことを言う側に回った連中を、俺は憎むようになったんだよ。
なあ、誰か助けてくれよ。マジで。こんなどうしようもない俺を、誰か助けてくれよ、頼むよ、なあ……。
「あーあムシャクシャしてやっちまった。ここ増田だし、さぞや死にたくなるような集中砲火をくらいまくるんだろうなー」と思っていたら、案外温かみのあるコメントが多いですね。ありがとう。今はちょっと精神が落ち着いてるから、お礼だけでも言わせてください(お礼だけ言って去るとは言っていない)。
全ての始まりは会社の先輩にソープに連れて行って貰ったことだけど、その時は「金払って玄人童貞捨てたところで俺みたいなクズが変わる訳ねーじゃんバーカw愛のないセックス如きネタにしてくれるわw」みたいな気持ちだったんですわ。元増田にも書いた通り、嬢がすごく良い人で。こういうかっこいい女性を、自分の力で口説けるような男になりたいな、という感情を五百倍くらいグチャグチャにしたような情念が急激に襲ってきまして、で、今に至るというわけです。
ごく端的に、俺はあまりに人生を無駄に過ごしてきてしまいました。呑気に童貞やってる場合じゃなかったんだな、と(まあ素人童貞なんて実質ただの童貞ですわ、あはは)。
正直、どーせ結婚も恋愛も出来ないし、俺は作家にはなれそうもないし、社会人的にも救い難く無能だからあとはゆるゆる詰むだけですね、こんなヤベー奴の人生に女性を巻き込みたくないし、なんて他人事みたいに思っていたわけですが、それが全部ひっくり返ってしまって。今からでも人生をもう一度考えなくては! みたいな事態なわけなんです。
「あの夜を自分の手で取り返せるのならば、俺は命だって賭けられる」
結構マジで、そんなことを思いながら今は生きています。でも、それと同時に、そう決意するにはあまりに遅すぎた、という思いも拭えません。まあ実際のところ、命は賭けられんからな。恋人でもないどころか友人ですらない人間のために命賭けるとかないわー。
でも、僕は僕の玄人童貞を奪ってくれた嬢のことは、恩人だと思っています。純粋に、感謝しています。命は賭けんし、金がなけりゃ行かんけどな。
というわけで、「俺は強くなる、強くなるんだ!」と力強い決意がみなぎることもあれば、「俺はもうだめだ……俺の人生は惨めなままなんだ……」と死にたくもなる、みたいな躁鬱的日常を今は過ごしています。まぁなにしろ、29歳非正規低所得なんてそりゃ普通なら積みだからな! ガハハハ!
俺は本当に、社会人としてはあまりに無能です。少なくとも営業は絶対出来ないなー。だから俺はどうあがいても稼げん人間なのです。作家目指すほうがまだマシ、というレベルで。
でも、取りあえずあがいてきたいとは思っています。この投稿はその一環で、ぶっちゃけ、「自分の赤裸々な感情を小説ですらない文章にして不特定多数に読んでもらい、忌憚のない意見を貰う」みたいな経験、なかったわけですよ。純粋に、すげー勉強になりました。しっかし俺、マジで経験値低すぎだな! ガハハハ!
https://www.fnn.jp/posts/00343790HDK
農業改革では、JA側から「農協潰しだ」「小泉ふざけるな」と反発の声が上がる中、「骨抜き」「失速」と酷評されながらも一応の決着をみた。
https://www.fnn.jp/posts/00343790HDK
――最後にあなたにとって小泉議員とは? 「チーム小泉」で得たものは何ですか?
D:一緒に勉強できて光栄でした。それに尽きます。もし今後、農林大臣や総理になったらみんな全力でお支えします。そういうことを期待させる人です。
B:将来の総理候補みたいな先生方とこんな距離感でお話しできるのも貴重でしたし、皆さん意欲的で、それぞれおっしゃる視点も違うんですけど、すごく面白かったです。
C:経産や財務省、外交に関心を持ってくださる若手議員はいらっしゃるけど、農林は一部の地域出身の議員だけ、というのがありました。しかし、そういうイメージのない先生が、「農業は大事だよね」と言ってくださるのが、心強くてうれしいなあと。
E:部会長とお付き合いして、役所全体も変わってきたなという感じがして。当初は「何をあの若造が」という雰囲気があって、幹部も「どうせまた1年くらいで変わるんだろう、好きなこと言わせておけ」と捉えている空気がありました。しかし、私たちをうまく使って、直球勝負で局長連中ともお付き合いしていくなかで、幹部もマインドが変わっていったなと。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53611
それが、'15年10月から自民党農林部会長として手がけた「全農改革」だった。農家は、自民党にとって文字通りの大票田だ。
大きな抵抗勢力だったが、進次郎は改革案をまとめ上げ、'17年の通常国会で「農業競争力強化支援法」など8本の法律成立にこぎ着けた。
進次郎を農林部会長に推薦したという菅義偉官房長官は同書でこう語る。
〈(農林部会は)とりまとめる苦労が党内でも一番必要なところなんですよ。それをうまくまとめましたよね。ですから私、これで一皮剥けたなという話をしたんです 〉
だそうです。
見てないのもそこそこ
一覧はアニメイトのサイトが便利(https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=5806)
1話段階のレビュー→https://anond.hatelabo.jp/20190717174713
何件か指摘があったけど前任者様じゃない
https://earofrice.hatenablog.com/entry/20190811/1565450856
荒ぶる季節の乙女どもよ。
マンガの袋小路感が消えてるというかまだそこに至ってないだけ?
うちの娘の為ならば、俺はもしかしたら魔王も倒せるかもしれない。
すでに離脱
かつて神だった獣たちへ
1期のあのまま
ホモ展開でもいいけどめんどくさい話にはならないで
とても良い、こんなに良いとは思ってなかった
ロボットものになってることで殺し合い(要約)の生々しさが大幅にカット出来てるのは素晴らしい
こればっかりは好みだから好き嫌いあるけどハマったら毎週笑える
ソウナンですか?
徹底してサバイバル、そこがいい
キャラの可愛さで押してくるわけじゃなくサバイバルをベースにして展開
15分は勿体無いけど30分だとダレそうで難しいところ
ずば抜けて面白い
手品先輩
「エロ漫画の導入をひたすら繰り返す」
気になったら見るしかない
いつもの
科学で進化してくのかと思ったらメインがバトルになっちゃった?
とはいえ科学ありきなのでそこがなんとかブレなければ最後まで面白く見れるはず
BEM
つまらぬ
墓場へ調査に来たら両腕ボウリング球のボウリング野郎と殺し合いして
まちカドまぞく
散々見た奴なのになんで面白いんだろう
ギャグ要素高めで良き
ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 -魔眼蒐集列車 Grace note-
どこを楽しんで見てるのか参考までに教えて欲しい
仮面ライダーのやつは、今回は見に行くつもりはなかったんだけど、友人から「見とけ、笑えるから」と言われたので見に行ってみることにした。
twitterなどで若干否定的な意見も目にしていたけど、つまりそれが「笑えるから」ってことなんだろうなと、ギャグ映画を見るつもりで見に行くことにした。
ドラクエの方は、シリーズ中5が一番思い入れが深くて、SFC版からPS2、DS、アプリと、ハードが変わるごとにやっていて、半ば原理主義者化している自覚があり、また小説版も大好きなので、その辺のゴタゴタからも見に行くつもりはなかったのだけど、twitterで「5点満点中マイナス100点」等、あまりに酷評されているから逆に気になった。
そんで、今日たまたま時間が空いて、ライダー映画の後にちょうど良い時間の上映があったこともあって、はしごで見てきた。
と、ライダーの名前を出しておいて何だが、今回の話にライダーは余り関係無くて、バーターで付いてくる戦隊の映画の方の話をしたい。
(ライダー映画は、突っ込みどころの多さも含めていつも通りの、安定した面白さだったので、特に語ることはない)
で、その、ライダー&戦隊映画を見た後でドラクエの映画を見たのだ、という話をしたいのだ。
まず、ドラクエの話をしたい。
散々な酷評が聞こえてきていたのと、後記する理由でハードルがガン下がりしていたのとで、期待値はマイナスだった。二時間の苦行になるだろうと思っていた。
事実、始まって10分ほどの間は、心が10回くらい折れそうだった。
リメイク時に後付された設定がさもSFC時代からあったかのような改ざん!!
っていうかそこまでゲーム画面でやるのかよ!!そのまま最後までゲーム画面流せばいいじゃねーかもう!!
あれもこれもすっ飛ばすのかよ!!
ゲレゲレかよーーーーーーー!!!(ゲレゲレ派の皆様すまん、プックル派なんだ)
ドラゴンオーブはそこにはねーーーーーーーーーーーーえ!!!!
ヘンリーそんな奴じゃねーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
ラインハットほったらかしかよ!!!!!!!妖精の国すっ飛ばしたからサンタローズに春が来てねえじゃねえか!!!!!!等々。
いや分かってるよ2時間で話まとめるためには仕方ねぇよ、でもさーでもさーーーと心の中の原理主義者が泣いていた。
しかし、綺麗なグラフィック、迫力の戦闘、懐かしい音楽、佐藤健の流石の演技(直前にライダー映画を見ていたとおり、特撮畑の人間でもあるので、特撮出身俳優のアフレコに対する判定は甘々な自覚はあるが、「あ~電王だ~」と思う瞬間は一切なかったので、さすが佐藤健だと思う)に押し流されるように時間は過ぎていく。少なくとも(心の中で原理主義者が泣く以外の)時間経過に対する苦痛はない。
原作と違う点に突っ込みは入れたいと思うが、時間内に話をまとめるためには仕方が無い。
例えば、ヘンリーのキャラが違うとは言っても、SFC時点で我々に許された解釈の範疇ではあるように思う。
リメイク版には仲間会話があるが、SFC版でNPCとして交わした会話はわずかだ。ああいう解釈をしていた人が、まあ、いなかった訳ではないかもしれない。ギリギリ。
リュカのキャラクターは全く小説版の「リュカ」ではないが、「どこかの誰かが操る主人公」としては、誰かの頭の中にはああいう主人公もいただろう。
ビアンカフローラの選択。そんなに簡単に「自分の本当の心」なんて分かるか???とも思ったが、一応、フローラがいいならまあよしとしよう。
個人的に、特に回収もされず、一番残念だと思ったのは「娘ーーーーーーーーーーーーーー!!!」だった。
・・・まあ、これも仕方が無いだろう。大人の世界には予算とかの問題がある。
普通に考えて5のストーリーを「正しく」映画化しようとすれば、5章仕立てくらいにしないと終わらないだろうから、「どう二時間にまとめるか」も見所だ。文句を言うより楽しんだ方が得だ。
後半のプサンの「今回はそういうことになっている」的なメタ発言も、嫌いな人は嫌いだろうが・・・と思いつつもクスリとした。
ここまで超好意的に受け止めていたが、流石に「えええええーーー」と思った。
ついでに、「あ~~~~~~~~~~~~~これオタクが発狂するやつ~~~~~~~~~~~」と酷評の理由も理解した。
確かにちょっとグサッときた。いい年してこんなところで仮面ライダーの映画からドラクエの映画はしごして見てる自分の胸にグサッときた。大人にはなれてねぇわぷー。
しかし、その後の真実の暴露により、前半で心の中の原理主義者を殺した、気になるポイントの数々が全て伏線として回収された。
幼年時代をゲーム画面でスキップしたことも、リメイク版の設定のはずなのにSFC版に存在していたかのような扱いだったことも、ヘンリーのキャラクター解釈も、なんであんなに解釈が違うのに「リュカ」なのかも、ビアンカとフローラの選択の顛末があんなんだった理由も、プサンのメタ発言の訳も。
もう、なんか、ここでぞわーっとした。
気に入らないと思ってたことの全てに理由があった(娘の存在のことは置いておく。少なくとも見ているときはそう思ったんだ)。
今まで「どこかの誰かの頭の中にあるドラクエ5の世界を見てるんだな」と思って我慢していた事が、ある意味それで正解であり、また、一気に「どこかの誰かの物語」が、「主人公の物語」あるいは「自分の物語」になった気がした。
その辺は上手く言語化できないが、体感としては「うおおおおスッキリーーーーーーーーーーーーーー!!!」だった。
最近は予定調和的なハッピーエンドが約束されているライダー映画ばかり見ていたので、ついぞこのところ体験していないカタルシス。
その後に登場したキーアイテムがロトの剣だというのももう、細かいことは抜きにしてたまんねぇわという感じ。
確かにあの瞬間、主人公は自分だった。子供の頃からドラクエと共に育った自分自身だった。あの一瞬、まさしく「YOUR STORY」だった。
(後で冷静に思うと「自分の」物語だと思うには物語の解釈が違いすぎるが、あの一瞬はそんな細かいことはどうでも良かったのだ)
そして、「経験した冒険は、確かに本物だ」というメッセージこそが、本当に我々に向けられたものだったのだろう。
大人になれ、現実に帰れ、そんな風に言われることが多い社会だけれど、我々が「ドラクエ」から貰ったものはそんなありきたりで薄っぺらな言葉で踏みにじれるようなものではないはずだ。
と、言われているはずなのに、一度発される「現実に戻れ」というメッセージの前に「そんなこと言われたかったんじゃない!!!!!!」って発狂するオタクが多いのはちょっとこう・・・オタクのメンタル弱すぎじゃねえの・・・という気がするが、まあそれは現代社会では仕方の無いことでもあるし、今回の本題ではないんだ。
言いたいのは、一本の映画として見たときに、よく出来ていたじゃないか、ということなんだ。
確かに、もう5の物語は身体に染みついてしまっているから、全く5の物語に触れたことがない人にとって、提示されている情報が十分だったかについては冷静な判断ができない。
ストロスの杖のあたりとかは説明不足だったようにも思うが、まあ、「息子が頑張って探した石化が解けるアイテムである」くらいは伝わっただろう。
(ちょっと使い方それェ~~~?!!と思ったりしたが)
(ルーラの辺りは怪しいかも知れないが、「ルーラ」といえばワープの魔法である、というのは有名だと思いたい)
二時間でまとめる為にはどうしても大幅なカットが必要である、そのためにカットされたり設定が変更された部分について「そこをカットするのかよ・・・!そこをそう変えるのかよ・・・!」という視点で気に入らない箇所を除くと、「え~~~~」と思った部分は大概、ラストで伏線として回収された。
その、ラストの展開それ自体が気に入るかどうかはともかくとして、5のストーリーを知っていればいるほど「あれっ?」と思う箇所には、大体理由付けがされている。
長い話をカットした時にありがちな「えっその話いつしてた??」みたいなのも、多分、なかった、と、思う。(なにせ冷静な判断ができないのだ)
一人の男の一代記になってしまうので、ストーリー全体が駆け足感あったのはまあ、仕方が無いと思うが、それも設定を知った後なら逆にリアルだ。
もちろん、二時間に納める為にカットされた部分、変更された設定について、文句を言おうと思えばいくらでも言える。娘はどこへ消えた。
ラストの演出については、これは好き嫌いがはっきり分かれるだろうなとは思った。
「ドラクエを見に来たつもりだったがSAOだったか」と思ったりもした。
「これをドラクエで、しかも5でやる意味はあるのか」みたいな批判もあるだろうと思う(これは、はっきり意味があると思うが)。
「5のファンとして、納得できるかどうか」の話であって、「映画自体のクオリティが極端に低い」ということではない。
それなのに、あたかも「映画自体のクオリティがめちゃめちゃ低いから見に行かない方がいい」みたいな言説ばかり飛び交っているのは非常に残念だと思う。
CGは徹頭徹尾圧倒的に綺麗である。(ドラクエ5らしいか、は置いといて。。。)鳥山明の絵とは遠いが、動いて居る彼らを見ていれば全く気にならなかった。
物語や設定が破綻しているということもない。もちろん重箱の隅を突けば色々出てくるだろうが、世間一般の映画と比較して特段トンデモ展開という訳でもないと思う。虚無でもない(後述)。
(ただ、主な比較対象がライダー映画であり、あれはトンデモ展開をやってナンボみたいなところがあるので、若干ふつうの人より「トンデモ展開」判定は緩いかも知れない・・・その辺りの自信はちょっとない)
とはいえ「好き嫌いは分かれるな・・・」「文句の言いどころがいっぱいあるのは分かるな・・・」とも思ったので、薦める相手は慎重に選ぶ必要があるのはわかる。
たぶん、元からこの作品はオタクの方を向いて作られた映画ではないんだろう。
(まず、オタクの方を向いているならちゃんと声優を使うはずであるし、そもそも3DCGにしないだろう)
友人にこのクソ長ったらしい感想をもう少し縮めて伝えたところ、「子供の頃ドラクエやってたパパが、懐かしいっつって子連れで見に行って、そんで夏休みの間にソフト買って親子でやってね、ってことだろ」と言われたが正にターゲット層はそこなんだろう。30~40代の子持ち父親(あるいは母親)。ちょうど小中学生の頃ドラクエ5をスーファミでやっていた世代だ。(だからこそ、今「5」が選ばれたのだろうと睨んでいる。3以前だとリアルタイム世代がもう少し上になってしまうし、4は5章構成で話が長すぎる。6以降だとまだちょっと若い)
「現実と向き合え」って言われるのが何よりも嫌いなオタク(と、あとフローラガチ派)は見るべきではないと思うが、まさしく「子供の頃ドラクエが大好きだったが、今はまあ子供もいて、そこそこ大人やってます」って人には是非薦めたい・・・・・・いや、そう言うタイプの人は最後のどんでん返しでカタルシスを感じてくれなそうである・・・ある程度「ゆうしゃとしての自分」に思い入れがないと・・・だがそう言う人は得てして現実と向き合うのが嫌であり、あるいは原作からの改変が些細なことでも許せないタイプ・・・実にジレンマである。
(・・・と、そのようなジレンマを抱える構造になってしまったことが「失敗」といえば「失敗」かもしれない)
また、この流れをもって主人公を「リュカ」としたなら、確かに久美沙織に対して何かしらの仁義は通すべきだと感じた。その一点においてマイナス100点である。
5の主人公=リュカの図式を作ったのは間違いなく小説版であろう。(もし万一、「リュカ」あるいは「リュケイロム・エル・ケル・グランバニア」の名がエニックス(当時)サイドから提供されていたのだとしたらそれを明確にして欲しいし、作者があのような(慎重な)声明を出す以上、命名は久美沙織側だったのだろうと思っている)
製作委員会におかれてはその辺は本当に仁義を通して貰いたい。この素晴らしい作品に、そんな事務的なことで味噌が付いて欲しくないと思う。
で!!!!!!だ!!!!!!!!!!実はここまでの長ったらしい話は全部前段であるっていったら怒る???
何でここまでドラクエ映画を大絶賛するかっていうと、作品自体が(人は選ぶものの)素晴らしかった(のに世間の評価がだいぶ偏ってるから、いっちょこっちは絶賛しとこう)っていうのは大いにあるんだけど、その直前に見た、見てしまった戦隊映画があまりに、あまりにも虚無だったからというのも大きい。
虚無映画のダメージがまだ残っているうちに見た為、通常時の1.5倍くらい面白く感じた...と言う可能性が否定しきれない。正直なところ。
(ブースト効果がなくても十二分に面白かったと思っただろうが、ここまで熱狂的に、最高に面白かった!!!!と思ったかどうか、怪しい)
というわけで「虚無映画の後にドラクエ見たら予想以上に面白かった」って話がしたくてドラクエの話始めたら思ったより熱が入ってたらしくてすっげー長くなったごめん。
でもこの後また長々虚無映画の話をさせてくれ。誰かに聞いて欲しいんだ。
「5点満点中マイナス100点」の栄光はまさに今年の戦隊映画みたいなもののためにあるのではないか? ドラクエではなく。
いや、戦隊映画については多くの人々が「ライダー映画のバーター」程度にしか見ていないのだろうと思う。
だって毎年バーターで、ライダーは一時間、戦隊は30分と相場が決まっている。ライダー単体の映画は大人1800円キッチリ取るが、戦隊単体の映画は大人1200円だった時代もある。
最近は戦隊単体の映画は期間限定上映になってしまったほどだ。悲しい。
だから、毎年大した期待は掛かっていないし、つまらなくてもその後のライダー映画が面白ければ何の問題も無いのだろう。
現に、今年のライダー映画に関する評判は、良い物も悪いものも合わせて耳に入る。つまり、それだけの人数、戦隊の映画も見ているはずなのだ。
しかし、誰も話題にしない。あんなに虚無だったのに!!あんなに虚無だったということを誰も口にしていない!!!その程度の興味すら抱かれていないのだろうか・・・それとも虚無すぎて何も言えないのか・・・
あるいは、「名作」とまではいかずとも、通常のテレビ放送の二話分くらいの時間を使えるのだから、ちょっとしたスペシャル回くらいの話はできる。
テレビ放送を見ている時よりはちょっとわくわくした気分で楽しんで見られて、特撮映画のことだから突っ込みどころも多いが、概ね「楽しかった楽しかった」と思える作品がほとんどだ。
(折角の「劇場版」がそれでいいのか・・・という話は一旦横に置いておく。今は、多くは求めまい)
少なくとも「早く終われ・・・」と祈ったことは、(毎年見ている訳ではないが、6~7本くらいは見ているはずだ)一度も無い。
それがだ。今回は半分より手前くらいのところから「早く・・・終わらないかな・・・」と魂が吸われていたのだ。
確かに、今年の戦隊はあまりちゃんと見ていない。が、それは過去の戦隊においても同じ事が言える。
(おおよそキャラクターや敵が何者かくらいは知っているが、毎週毎週熱心に見ている訳ではない。これはライダーも同じだ。友人たちと話のネタにするために流し見しているくらい。そこまでガチ勢ではない)
だから、「例年より話が分からない」「例年よりキャラクターに思い入れがない」という点で「面白くない」訳ではない。
「特撮映画」というジャンルには独自の文明があるので、割合トンデモ展開が許される。
(実際のところファンが「許して」いるかは知らないが、平成だけでも20作品にわたってトンデモ展開をやり続けながら絶対的コンテンツとして君臨しているのだから、許されていると思っていいだろう)
突然東京がひっくり返って江戸時代になろうが、突然信長が蘇ろうが、突然歌って踊ろうが、サーカスを始めようが、見た目は大人頭脳は子供だろうが、侍もいるし天使もいるし忍者もいる。タイムスリップも日常茶飯事、作中における原理原則の多少の無視もよくあることだ。今更騒ぐようなことでもない。
「展開がトンデモすぎる」「作中の設定が無視されすぎて変」という話でも、ない。
六千五百万年前からいきなりタイムスリップしてきた人類(的な生き物)が居たら、まずは文明の違いに腰を抜かすところからじゃないのか???とか
六千五百万年前の文明発達しすぎだな?いやそれは作中設定があるからいいとしても、こっちの部屋はロストテクノロジー仕様なのにあっちの部屋は旧
アニメ放送後には毎回必ずトレンドに入っていたし、ワイドショーなどで紹介されることもしばしば。ただのドラマCDがオリコンに入ったこともある。アニオタじゃない人でも名前くらいなら知っているというレベルでは有名だった。
当時は二次創作をする人も多く、自ジャンルはとても賑わっていた。
私は自ジャンルにどっぷりハマりこみ、自ジャンルがないと生きていけないレベルで依存している。
1期放送からしばらく経った今、自ジャンルはすっかり衰退してしまった。
理由は2期がつまらなかったからだと思う。ファンから見てもドン引きするレベルでつまらなかった。ネットでも酷評で、ファンの間でも2期の話をしてる人は少ない。1期はとても面白かったのに。
あれを境にして、ジャンルから離れる人が増えた。支部でも見れなくなる作品が増えて行った。
初めはただ悲しかった。でもだんだんとジャンルから出ていく人、特に流行ジャンルに移動する人を恨むようになっていった。
みんな自ジャンルのことを捨てるんだ。キャラのことなんかどうでもよかったんだ。流行りに乗るただの175だったんだ。そう思って、泣く日もあった。公式がつまらないのが1番の原因のはずなのに。
そして今年、また自ジャンルの続編がでた。1期ほど面白くはないが、2期よりは面白かった。
そしてその続編の影響を受けて、少しだけではあるが、出戻りしてくれたファンがいた。嬉しかった。
でも続編で新規ファンはほとんど増えなかったし、続編がでたのに他ジャンルに移動する人も多い。
このままでは、つづきが出るかわからない。そもそも続編の終わり方も、つづきを若干否定するような感じだったし。
私はそれが本当に悲しいし辛い。私は自ジャンルがないと生きていけない。だから他ジャンルに移動する人達が憎い。自ジャンルの二次創作をしなくなり、自ジャンルに金を落とさなくなった人達が憎い。
確かに面白さとしては他ジャンルの方が面白いかもしれない。でも推しキャラは自ジャンルにしかいないじゃないか。よく簡単に推しのことを捨てられるな。
ジャンル移動した人達が憎くて憎くてたまらなくて仕方がない。みんな流行りに乗る。直ぐに自ジャンルのことを捨てる。自ジャンルのことなんてどうでもよかったんだね。
前の週にランダムに決まった映画を私が自腹で映画館にて鑑賞し、その感想を20分以上に渡って語り下ろすという、友人やゲストであっても忖度しない型映画評論コーナー。それでは、今夜評論する映画はこちら!
『未来のミライ』!
はい。山下達郎さんのこの主題歌、やっぱり沁みますねー。かの名作、アニメ版『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』などを手掛けた、言わずと知れたヒットメイカー細田守監督が原作、脚本、監督を務めたアニメーション映画。
これは後ほどの僕の評で触れますけどね、どうも細田監督は脚本を外注するタームに一旦戻した方がよいんじゃないかと僭越ながら思います。というのも、フィルモグラフィを踏まえると、細田さんが脚本に絡めば絡むほど逆にダメさが際立っているのが歴然となるという(笑)。
さて、『未来のミライ』、どんな話かと申しますと、甘えん坊の4歳の男の子くんちゃんは生まれたばかりの妹・ミライちゃんと仲良くできず、両親を困らせてばかり。そんなくんちゃんの前にある日、少女が現れる。声の出演は上白石萌歌さん。『君の名は。』のヒロイン、三葉を演じた上白石萌音さんの妹さんだそうで。これなんかは、僕、勉強不足で申し訳ない。存じ上げませんでした。それと、黒木華さん、麻生久美子さん。スーパースケベタイムこと星野源さんなんかもね、声を当てております。
ということで、この『未来のミライ』、見ましたよ~というリスナーの方から監視報告結果をメールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は・・・多め。まあ、そんなもんですかね。注目度は高いでしょうからね。ただ、賛否の比率が今回、賛のメールが3割、否定的なメールが4割、そして普通が3割といった感じで。あらそうですか。まあ賛否両論というか、まあ世間的にも今回は否がちょっと多めな感じですよね。
多かった否定的な意見としては、これなんか僕笑っちゃったんですけど、「未就学児にアナルプラグってどうなんですか(笑)」「クソガキにひたすらむかついた」「リアリティラインがずっと迷子。演出が全て茶番」とかですね。みなさん手厳しいですね。一方褒める意見としては「まさに子育て中の自分にとってはくんちゃんの言動が“子育てあるある”でつい笑ってしまった」、「あの東京駅の造形は素晴らしい」、「全く予定調和ではない、ほとんどカルト映画のような展開に細田守のすごみを感じた」--最後のこれ褒めてるのかな(笑)--といったところがございました。
ということで『未来のミライ』、私もTOHOシネマズ日劇とバルト9で計2回、見てまいりました。正直日劇の方はちょっと寂しい、イマイチの入りだったんですけどね、バルト9の方は、休日ということもあったのか、子供連れのお客さんが多い雰囲気でしたね。おちゃらけたシーンでは子供の笑い声があったりしてね。これ僕意外だったんですけどね。
それで、細田守さんの細かい説明、はもういいかな。もういいですよね?
ニッポンの夏と言えばもう細田作品、となりましたね。春はドラえもん・しんちゃん・コナンくん、そして夏は細田作品というね。改めて振り返るとですね、あの押しも押されぬ名作『時をかける少女』以来、なんとキッチリ3年ごとに細田監督の劇場用新作長編アニメが天下の日テレをバックにつけて全国のシネコンでがんがん流れされるという。この光景は果たしてユートピアなのかそれともディストピアなのか(笑)!・・・といった風情でございますが、“ポスト宮崎駿”という形容が正しいかどうかはひとまず置いておいて、現在の日本アニメーションを代表する監督のお一人であることは間違いございません!一方ですね、これだけ大メジャーになっても、細田さんの作品は、毎回変なんですよ、はい。
日テレがバックにいます、山手線にも全面広告出してます、たくさんの有名どころの芸能人が声あててます、主題歌は山下達郎です、で、騙されちゃいけませんよみなさん(笑)!“変”なんです。これも後で触れますけど、残念ながら悪い意味で、ですけれども。
細田さんなりの意識としてはね、今回はこれを描こう、これがテーマだというものがあると思うんです。そして大出世作『時をかける少女』を除けば、特に細田さんのオリジナル作品には、ドーンと太い幹のテーマとして、「家族」たるもの、そのあり方、に明らかにオブセッションがありますよね。ジャンルも角度も全く違いますが、大枠のテーマ設定自体は是枝裕和監督と共通してる、ともいえます。両者とも相手の作品のことは苦手そうですが(笑)。
そして今回は最もそのテーマがわかりやすく出ているからこそ、これまで周辺の諸々で覆い隠せていたダメさが際立ってしまってるという。
これねえ、細田さんのホント悪い癖だと思うんですけどねえ。実生活を作品に反映させすぎてるんですよ。
もちろんですね、ここは誤解しないでいただきたいんですけど、私も含めてですが、まずリアルの生活があって、日々作品をクリエイトしているわけでございますからそのことを安直かつ一概に悪いというつもりは毛頭ございません!我々の業界でも、それはそれはまあ古今東西のあちこちで「リアル」か「非・リアル」か、ということが作品、ひいてはクリエイターとしての評価軸として語られてきた闘争の歴史があるわけでございます。まあここらへんの話はし出すと切りがないからやめときますが、また別の機会に特集でやれたらなと考えています。
ただね、これ、我々とも共通しているんですけど、決して間違えちゃいけないのは、「リアル」だから偉いんじゃないんですよ。そして「非・リアル」イコールダメじゃないんです。“リアルの生活があってのクリエイト”の裏っ返しとして、作品がウンコなら、いくら本人的にリアルなものであってもダメはダメなんです。まあ当然の話ですけどね。言い換えると、てめえ創作をなめてんじゃねえぞ(笑)!というね。どういうことかというとですね、僕が常日頃から大変尊敬しております、故・藤子・F・不二雄先生のですね、こちらも大傑作『エスパー魔美』にですね、こんなエピソードがあります。大変有名なエピソードなのでご存じの方やこの流れでピンと来た方も多いとは思いますが改めてここで引用させていただきます。
主人公魔美に対し、画家である魔美のパパの絵を酷評した評論家がこう言い放ちます。曰く「芸術は結果だけが問題なのだ。たとえ、飲んだくれて鼻唄まじりにかいた絵でも、傑作は傑作。どんなに心血をそそいでかいても駄作は駄作。」と。さらに、魔美公の「父の絵が駄作だと・・・!?」という問いに対しても、件の評論家曰く「残念だが・・・・・・」と。
「くたばれ評論家」というタイトルの話ですけれども、前後も含めて気になる方は是非全編読んでみてください。文庫版第1巻収録でございます。これ、我々クリエイターにとっては誠におっそろしい、喉元に切っ先をつきつける真実の言葉ですよ。作品内の一エピソードとはいえ、これを自作で評論家に言わせるF先生のすごみってのが改めて感じられますけども。
これを今回のリアル/非リアルの問題に引き直しますとね、こうなります。はいドーン!!
「結局、創作においては作品が全てなのだ。たとえ、童貞くんや処女ちゃんが作るAVでも傑作は傑作。ヤリチン、ビッチがその経験を総動員して作るAVでも駄作は駄作。」
はい、そういうことでね(笑)、まず『未来のミライ』、何が一番ダメか、というと、これ、あちこちのインタビューで細田監督自身がね・・・これホントダサいよなー・・・言い訳がましく語っているところでもありますが、4歳の男の子が主人公なんですね。で、彼の視点で基本話が進んでいくんですけども、監督曰く、同じ4歳でも、女の子じゃなくて男の子がいいという。そんで、監督が女の子と男の子の二児をもった経験をそのまま持ってきているという。
これねえ、頼んでもいないのにてめえで勝手に4歳男児を主人公にしといてね、4歳男児だからね!彼の目線だから!そういう体で!大目に見てよね!って言い訳にしてもクソダサいにもほどがありますよ!細田さん、昔はそんな人じゃなかったでしょ!?
なんでてめえんちの、オチもかわいげもないクソガキのホームビデオを延々と見せてんだ!っていう(笑)。一億万歩譲ってですね、ホームビデオだとしてもいくらでも演出のしようがあるだろ、と。こっちは先週ガチャが当たったおかげでクソガキのホームビデオ鑑賞に1800円の2回、合計3600円自腹で払ってんだぞ(笑)!っていう(笑)。まあ、最後のは僕だけの事情ですけど(笑)。
別にね、幼児を主役にすんな、ホームビデオを劇場で流すな、ってそんな単純な話じゃないんです。北野武監督の『TAKESHIS'』『監督・ばんざい!』『アキレスと亀』のいわゆる芸術3部作ね。僕なんかは敬愛を込めて“偉大なる失敗作群”と呼んでますけど、あれらだってフェリーニの『8 1/2』方式といえばよいんでしょうか、意地悪な言い方すると豪勢なホームビデオっちゃあホームビデオですよね。それでもK.U.F.Uややり方次第で、いくらでも幼児ならでは、ホームビデオならではの特性を生かすことはできるんですよ。
これ、他の幼児キャラと比べるとはっきりわかると思うんですけど、みなさんご存じ“嵐を呼ぶ園児”野原しんのすけ!これはまあちょっと特殊な例ですけど、もう少しリアルよりのちょっぴりわがまま幼児といえば『トトロ』のメイちゃんなんかもそうですね。あと、変化球としては、F先生のオバQだってその言動だけ捉えたら幼児的な異物といえます。
どういうことかと申しますと、もう名前も言いたくないな(笑)、今回のこのクソガキ様の挙動がビタイチ、ホンットビタイチおもしろくもない、かわいらしくもない、ムカツクだけ。“好きくない”?はやんねーしはやらせねーぞ。
要するにですね、このガキ、いや、おガキ様、ほぼ全編に渡って、人間のむき出しの感情や欲望を、アクセル踏みっぱなしで発散しまくる、という非常に独特かつ個性的なキャラクターであらせられ、たてまつられ候なわけなんですね。で、ここを「面白い!かわいい!」と思える大変奇特な方も世の中には一定数いらっしゃると思います、あるいは、残念ながら僕のように「このクソガキ!」っていう風にやっぱり、拒否反応を感じてしまう方もいらっしゃると。これはねえ・・・もうしょうがない!
いや、実はしょうがなくはないんですけど。僕なんかはね、僕は自分の子供もおらず、あと僕自身末っ子なんで弟感、妹感ってのがイマイチわからないですけど。でもね、その人の実生活上の“あるある”なんぞに頼らざるをえない時点で作品としてはその時点で“負け”なわけなんですよ。
どういうことが言いたいかというとですね、先ほどの例であげた『トトロ』のメイちゃんね。これ、宮崎監督さすがだなあと思うんですけど、ダダをこねるシーン、グズるシーン、いずれもひじょーにロジカルに「何故彼女がそういう行動に至ったか」というのが、お父さん、さつきちゃんとの関係性も含めてストンと腑に落ちる作りになっている。しかも説明的なセリフもほとんどなく。
さらに悪いのはですね、クソガキのダダこねに対してお父さん、お母さん--こちら星野源さん・麻生久美子さん自体は好演だったと思いますけど--が突如ですね。表現が過激で申し訳ありませんね。白痴になられる(笑)。要はキャラクターとしての一貫性がないんですよ。
どういうことか。産休明け出勤時のお母さんは目の前に居る4歳児の甘え要請をガン無視(笑)。いやいやいや・・・(笑)。第二子が生まれたときの第一子のフォローって別に特別な知識や経験がなくたって、“人として”ちゃんとやってやんないとヤバいのは直感でわかるでしょう?
そんで、自宅で仕事をしているとはいえ、4歳の幼児と新生児をかかえてワンオペ育児父ちゃんの、千と千尋の父ちゃん母ちゃんにも匹敵するレベルの無慈悲な既読スルー(笑)。『風立ちぬ』の堀越二郎だってもう少し周り見えてたぞ(笑)。マジでこいつらサイコパス夫婦なの?何か目に見えない妖怪的なものに取り憑かれているとかそういうこわい系の話なの、これ?というね(笑)。他の作品でこんなの見たことあります?っていう感じですよね。僕、見たことないです。
あとねえ、僕個人的に一番許せないのがね、劇中、クソガキがミライちゃんにとあるひどいことをします。この“ひどいこと”自体も、「ためにする」展開の脚本でしかないんで、ただただ単に不快なだけなんだけど、その現場を見ていないはずのサイコ母ちゃんが「何で仲良くできないの!仲良くするって言ったでしょ?!」と頭ごなしに怒るんですよね。僕、子供いなくたってわかりますよ、一番やっちゃいけないっしょこれ。これもねえ、怒る前に母ちゃんの些細なイライラエピソードを入れるとか、クソガキが所在ない感じを示唆するとか、怒ってしまった後の後悔の瞬間をちらっといれるとかだけでも相当違うと思うんですよ。もちろん説明セリフじゃなくてですよ?少なくとも映画における省略技法ってこういうことじゃあないと思うんだけどなあ(笑)。
(続く)
今作のDiner、見てきました。
いわば『原作厨』の視点でお送りする感想であり、ハッキリと申し上げますがここから下は酷評しかありません。死ぬほど長いので暇な人しか読んではいけない。ネタバレもかなりあります。
私がボンベロだったらこんなオオバカナコは3秒で殺しています。
なんだこの役立たずっぷりは。お人形さんの方がまだ仕事をしてくれる気がしますね。玉城ティナ、個人的に好きでも嫌いでもありませんが今作においては蜷川実花の私情1000%のキャストでしかありません。心中なら2人だけでしてくださいよ、原作も他の俳優も巻き込むな。演技も下手くそ表情のパターンも少ない声の出し方もひ弱という女優自体の資質もさることながら、こんなにも格を落とされた主人公は初めてです。
原作で重要視されているオオバカナコの、極限状況下で研ぎ澄まされていくタフさや狡猾さが映画版からはまったく感じ取れません。最初から最後まで彼女はただの役立たずのバカでしかなく、そんな彼女をダラダラと生かしておくボンベロもその程度の人でしかない、まったく凄みのない人物になってしまいます。
役立たずなうえ数々の失態を犯し人の命まで犠牲にしておきながら、偉そうに「最後まで面倒みろ、バカァ〜!」って、意味がわかりません。は?って感じです。ボンベロ早くそいつを殺せとばかり考えてました。
そもそも逃げ道と死を用意するあのくだりは「死」=スキンを殺したことへの償い、「逃げ道」=菊千代を救ったことへの恩、という相反する条件の中で生まれたものだったはずが、菊千代を救っていないので(なぜならウォッカの隠し場所という前提条件が崩れているからです)、いやなんで裏の社会を知った女に簡単に出て行けとか言うの?目障りだ!なら殺せばいいのでは?と疑問しか湧きません。
原作での菊千代を救う、機転を効かせて危機を回避するなどファインプレーの一切がカットされているため彼女への視聴者からの好感度も上がりませんし成長も感じず、ボンベロがなぜ彼女を認めるのかもわかりません。全体的に動機付けが不十分で薄っぺらいです。
そもそも彼女の命綱となるディーヴァ・ウォッカは「化粧水ほどの小さなボトル」であるからこそ「見つからないように隠す」ことができるのであって、映画版のちょっとした彫像くらいある代物を隠そう!と思いつくことがいささか理解不能でありますし、何よりあんな隠し方がまかり通るなら「灯台下暗し☆」なんかではなく「ボンベロがただのクソ間抜け」ということになります。「彫像じみたボトル」をただ使いたいがために登場人物の知能指数を全体的に下げており、この時点で監督の「映像映え>ストーリー性」であることが見えてしまいます。リスペクトが何もありません。だいたい、どーんと彫像みたいなボトルを使って、すごいやつですよ!っていうのがもう。そういうのは少年ジャンプの武器とかでやってください。巨大な生クリームにしか見えないし。
キャラクターなどの点でダメなのは、よくある「映画オリジナルキャラが良くない」ということなのですが、この「良くなさ」というのは「いてもいなくてもいいのにわざわざ出して、何をしたかったのか?」というところです。
具体的に言うと土屋アンナさん演じるマリアです。原作にはよく似たセクシーなキャラの「炎眉」という殺し屋がいて、ちょっとアレンジ加えた感じなのかな?と思いましたがまったくの別物。ただのヒャッハー系イカレ女で北斗の拳の下っ端でもここまであからさまじゃないだろうという感じです。しかもこいつがマフィアのボス……???そんな器は微塵も感じません。バーサーカーじみた言動しかしないくせにすぐ後ろ取られて死ぬし。マジでなんのために出したの?東西南北の数合わせかな?本当に土屋アンナさんに謝れよと製作陣に言いたくなります。つかなんで炎眉出さないの?
小栗旬さんも斎藤工さんも無駄遣いに次ぐ無駄遣いで最悪でした。代わりに九十九九やボイルなど原作内の他の重要なポストを与えればよかったのになぜそれをしなかったのか。監督の力量が伴わなかったんでしょうね。残念です。
写真の人物が動くのはハリーポッターすぎます。他の演出無かったんですか?歴代ウエイトレスのみなさん、ずいぶん小綺麗ですね。泥と糞の見分けもつかないようなジャンキーとかいなさそう。なんのためにクスリはやってないな?って確認させたんだか(それだって「腕見せろ」だけでよかったよね。一から十まで説明してくれてとーっても親切ですこと)。いらない演出でしたね。
窪田正孝さんは額に入れたママの写真を持ち歩いてること以外はおおむねよかったです。それ、持ち歩きづらくない?ペンダントとかじゃダメ?殺し屋だし荷物増やしたくなくない?ママ自体に関しては漫画版よりこっちの方が合ってる気がしました。木村佳乃、マジで抑圧型の母親が似合いすぎるな……。窪田さんの豹変ぶりとかも鳥肌ものでしたし、彼に関しては文句ないです。
本郷奏多さん、衣装が似合っておらず多少違和感はあったものの演技は怖くてよかったです。本当に無理矢理子供になる全身整形が可能だとしたらああやって変なプロポーションになりそうですし上手い撮り方したなと思いました。口の中に爆弾をぶち込むシーンとかはかなりうまい。あれなら全年齢だけどグロ、という矛盾が解消されて良いですね。視聴者の想像による補完が可能です。
原作のキッドは「なぜこんな怪物が生まれたのか?」という背景ありきだったのですが、映画版は最後までただのキ○ガイだったのでそこがやはり薄っぺらくて残念でした。なんのために頭食わせたんだよ……でも本郷さんの演技は良かったです。
アクションシーンもクソみたいな出来でしたね。「キッチン」という身近な凶器の宝庫という特性が生かしきれず普通に銃撃戦って……。空中では防御が難しいのでプロが2人もいてわざわざ横っ飛びなんてしねえだろって冷めてしまいました。
何重にもなった頑丈な扉で時間稼ぎして、やることがお料理教室って。今やるなよ。何やってんだよ。仕込みのシーンを通して徐々にやることが変わっていくとかそういうやり方、素人でも思いつくのになぜしないの?あの仕込みのシーンなんだったの?
酒で火炎瓶とかガス爆発は誰でも思いつくけどそれ以外の武器いっぱいあんじゃん!レンジでライター爆発させるとかは真似されたら困るからしないのはいいけど、感電させたり潜り戸に包丁突き刺したりとかそういう殺戮ピタゴラスイッチが映像で見たかったんだよ!映像に起こす箇所が全体通して間違いすぎです!本当に原作読みましたか?あっ監督の力量が……(察し)
彫刻家雇ってる暇があったら物理学の教授とか雇ってそういうトリッキーなシーンを充実させてほしかったです。てか菊千代殺すなよ!!!!!
キスシーンは最悪です。最悪としか言いようがありません。男女のバディもの(に近い)を安易な恋愛展開にするのは本当に最悪オブ最悪。胸くそが悪すぎます。陳腐極まりない。恥を知れ。
しかも何よりダメなのはここまででボンベロとカナコの間に生まれる信頼や絆を示唆するシーンが全面カットされているので、余計に唐突な印象です。一瞬、あれかな?お別れの挨拶をキスでする風習の地域から来た人ですか?って思うレベル。
原作の「楽しかったぜ!オオバカナコ」が台無しです。本当に踏み躙られた……
ここまでギリギリ耐え忍んできましたが完全に心を折られました。憎悪がすごい。
ラストもあーはいはいとしか思えなかったです。色気出すんじゃねえよ。あと、カナコさん何も成長しないままお店開いてますよね。あんな壮絶な体験したとは思えないかわいらしいお店で何よりです。インスタ映え〜☆
あとこれみなさん突っ込みませんけど「いらっしゃいませダイナーへようこそ」って謎ですよね。原作では「キャンティーン」って店名があるんですけど、ダイナーそのままじゃ定食屋って意味なので、ファミレスに入って「ファミレスへようこそ」って言われるのと一緒ですよね。変なの。
映画を見ていないのにここまで憎悪の記録を読んでしまったみなさんは、是非最初に映画を見て、そこから原作を読んでいただけるとイメージが壊れたり私のように余計な憎悪を抱かなくて済みます。原作は面白いですし、漫画もオリジナル要素多めですが全体的な「解釈」としては映画より100億倍合っているので映画→漫画→小説の順で鑑賞するのがかなりオススメです。
韓国世論も呆れ返る「外交音痴」文在寅の不見識 徴用工問題で日本に提案した「解決策」が韓国内でもブーイング(1/3) | JBpress(Japan Business Press)
保守派日刊紙「東亜日報」は、韓国政府が19日に公開した提案は、例の最高裁判所の判決直後、専門家たちから提案されたものであり、そもそも大統領府が今年1月に「発想自体が非常識だ」と拒絶した案だ、と皮肉った。それに、今回の案を提案するにあたって、被害者側との接触や意見交換がなかったことに触れ、「慰安婦被害者の意見収集なしに推進したという理由で、現政府が解散を決めた『和解・癒やし財団』と違いがないのではないかという批判も提起されている」と酷評している。
反日を政治的アピールに利用してきたことの自業自得なんだけど、つくづく難しい国だな。
やっぱり植民地支配の精算とか戦後処理というのは、完全に水に流すというのが基本だとつくづく思う。
昔から延々とつづいてきたヨーロッパ世界の骨肉の争いをなだめてきた、【全面的忘却の原則】という知恵が平和条約などの国際条約に反映されるべきなんだろうな。
それを、ニュルンベルクでは、さすがにあれだけのことをしたナチスを水に流すわけにはいかないだろ、となってしまったので、
サンフランシスコ講和条約では、アムネスティの倫理は排除されることになってしまった。終わったことだ、と言いにくくなってしまった。
でも、それではいつまでたっても、終わったことにならず、将来世代に禍根を残しているような気がする。
外務省が主導する事業でも、先方とキックオフをするとき、きまって
韓国側から秀吉の侵略から始まる過去の歴史がバックグラウンドとして滔々と語られるという。