SNSの発達でちやほやされるようになった
で、プチ宗教みたいなのを乱立させてたのが、AI使えば同じ事ができるようになったと
宗教の教祖が他の宗教をなんというかというと邪教だ
つまり、ただの宗教戦争で、
ワナビーたちのなけなしの既得権益を奪われそうだからぶち切れてるだけ
]]>おまけに身内で固まって内輪で盛り上がってればいいのに、宗教戦争よろしく他人の土地に侵略して放火していくからなおのこと性質が悪い。
キリスト教かよ。
]]>自分が正しいとしか思ってるから邪教と組みたくないんでないの?
]]>邪教の紋章が浮き出てこないか毎晩体を検分してクリトリスの裏側までチェックするのエロかった
]]>山上徹也,東瀛奈良縣人,外祖從商,父隨之,少時得富貴。五歲,父亡,隨母居奈良。母為淫祀惑,錢糧地契皆捐,家徒四壁,無資以學,兄疾亦無以治。徹也從行伍,以乞活。既卸甲,兄不堪病擾,自縊而盡。徹也泣曰:「兄自去,弟當何如?」
安倍晉三者,四度拜相,貴胄之後,然其縱淫祀行攬金之實,惑信眾得連任之資,徹也惡之,書友人曰:「吾當誅此賊!」遂購火藥、鐵管、鐵砂、制得雷與銃,又恐傷及無辜,捨雷而取銃。
時晉三巡於奈良,宣淫祀惑人之詞,聽著甚眾。徹也隨其後,衛士數十無一疑之。待得良機,銃出而發,不中。眾人皆惑,晉三亦顧之。煙未盡,又發一銃,霎時,聲出如雷,煙現如龍,晉三即伏。眾侍驚覺,圍而擒之,徹也面不改色,釋銃就執。後晉三送醫,不治。
時人曰:山上徹也,勇不及聶政,智不如專諸,所出不為國仇,但為家恨,惟其為民除害,替天行道者,義也。
【日本語訳】
刺客列伝-外伝-山上徹也伝
山上徹也は、東洋の奈良県の出身で、母方の祖父は商人で、父もそれに従っていました。幼い頃に富と栄華を得ましたが、五歳のときに父を亡くし、母とともに奈良に住みました。母は淫祀(いんし)という邪教に惑わされ、金や土地の権利書をすべて寄付し、家は貧窮し、学ぶための資金もありませんでした。兄も病気で治療することができませんでした。徹也は兵士として働き、乞食のように生きていました。兵役を終えた後、兄は病に耐えられず、首を吊って死にました。徹也は泣いて言いました。「兄が去ってしまったら、弟はどうなるのだろう?」
安倍晋三は、四度も首相になった貴族の末裔でしたが、淫祀の教えに従って金を集めることに専念し、信者たちを騙して再選を得ることに執着していました。徹也は彼を憎み、友人に手紙を書いて言いました。「私はこの悪党を殺すつもりだ!」そして、火薬、鉄管、鉄砂を買って爆弾と銃を作りました。しかし、無関係な人々に傷を与えるのを恐れて、爆弾は捨てて銃だけを持ちました。
晋三は奈良を巡回して、淫祀の教えを人々に説いていました。聞く者は非常に多かったです。徹也は彼の後ろについていきましたが、護衛の兵士たちは何十人もいましたが、誰も彼を疑いませんでした。好機を待って、銃を出して発射しましたが、外れました。人々はみな戸惑い、晋三も振り返りました。煙が消えないうちに、もう一発銃を発射しました。その瞬間、音は雷のように響き、煙は龍のように現れました。晋三は倒れました。周りの侍たちは驚いて、徹也を取り囲んで捕まえました。徹也は顔色を変えず、銃を放して逮捕されました。後に晋三は病院に運ばれましたが、死んでしまいました。
当時の人々は言いました。山上徹也は、勇気は聶政に及ばず、知恵は専諸に劣るが、国の仇ではなく、家の恨みのために行動した。しかし、民のために害を除き、天の道を行った者は、義であると。
]]>イヴの深夜に部屋に忍び込んで「邪教の娘が!」つって裕福な家庭のピーをピーしたあげく肩に背負ってる例の袋に詰め込んで拐ってゆくネタをピーコン漫画雑誌でむかし読んだわ
]]>日本人がユダヤ教に入信したとしてもただのジャップだし、ユダヤ教はユダヤ人しか受け入れてないからそもそも異教徒であり邪教徒
ユダヤ人が日本人をめとり、その子供がユダヤ教徒なら子供はユダヤ人になる
人種でも宗教でもなく明確な血をもとにしたつながり
]]>努力しない人間のこと見下す邪教。
努力自体は楽しいこと。
だけど、人にバカにされるのが怖いから、自分が人をバカにする立場に立ちたいというモチベで努力してる連中がいるせいで、界隈が荒れるんだよなw
まぁ、努力家の足を引っ張る連中が多いのも原因ではあるけどね。
人間、人を素直に誉めることが大切です。
]]>「神の思惑は測れない」と言ってる人が、「でもしょうがないじゃん。それが真実なんだから」と言われる
宗教を何一つ理解できてない発言で、
邪教とか悪魔信仰とか堕ちたカテゴリになるわけだが、このようにグダグダで何でもありの話が適当に出てくるのはすごいよな
おそらく日本にはカルトが簡単に蔓延る土壌があるカルト国家だから、世俗主義になってしまったんだろうって話やろ
お前に教養がないだけでは?
]]>創価学会
幸福の科学
エホバの証人
あと一つは?
]]>でも寄付先に宗教要素(赤「十字」など)があるところはNG。その宗教が嘘だった時に邪教徒として唯一神に裁かれるリスクがあるから。寄付先は宗教要素がないところがいいと思うわ。ふるさと納税とか。みんなも返礼品の蟹を食って天国に行こう!
]]>今までメディアに引っ張りだこで、国民的人気とさえ言われた推しが、今後はそのファンであるということに「なぜ?」という疑問がつき、説明を求められるようになる。
国教とされたものが、ある日突然、邪教であるとされ公共の場から追われるような、価値観の転換。
]]>邪教徒とか悪魔とかそういうレベルの扱いしてて怖い。
あれは自分が利権チューチューできる側じゃなくなったから恨んでるの?
]]>の順番なのであなたはかなり信仰心が高い方かと
]]>だからこそ、邪教に流れた奴らに天罰下す流れが繰り返し繰り返し描かれてる
]]>何が良かったってクリアにコツがあってその通りにやると見事にハマるという事
主人公は早さ極振りで逃げる。カオスヒーローは魔力極振りで序盤からエストマ
レベル差で取得経験値が増える仕組みのおかげで低レベルが最適で
天狗8体にこどくざらでレベル爆上げからの合体悪魔選び放題のワクワク
みたいなところが好きだった
続編が出てるにも関わらず同じゲームばっかり繰り返してるのもなんだなと思って
面白い、最高傑作と評判の真3を買った
面白い。確かに面白い。
でも普通だ。
既に仲魔にしている悪魔に話しかけると倒す以上に金が貰えることも無い
1発でレベルが爆上がりするポイントも無い
戦闘システムが大きく変わったせいでブフハメ、ジオハメも無くなった
普通にレベル上げして、合体できるレベルになったら邪教の館に行って合体
今作には仲魔もレベルがあってレベルが上がると進化するらしいが、主人公ほど上がりやすくも無いのでレベル上げをするより合体して強い悪魔を作った方が良い
とあるポイントで先に進めなくなりレベル上げを余儀なくされる。ストーリーの間が大きく空く。それがどうもしっくりこない。
メテオが落ちてくるつってんのに「どうせ話進めるまで落ちてこないからw」とチョコボレースしまくってるような感覚
真女神転生1だけが特別だったのかもしれない
女神転生シリーズとしては真3が真っ当なのかもしれない
真1みたいなのを期待した自分が間違いだったんだろう
当時デビルサマナーをサターンでやったが、やっぱり合体したくてもレベル足りなくてレベル上げがだるくてやめた覚えがある
とても評価が高いペルソナ5も途中で辞めた
どうやら自分には戦わない事が最適(お得)ってRPGが良いみたいだ
(低レベルでラストまで行って魔石付けてレベルアップする事で最強キャラになるFF6など)
とりあえずクリアまでは頑張って見ようと思う。が、攻略サイトとか見ながらさっさと終わらせる
]]>教会いけ
]]>「邪教だ!」って他人を攻撃してると自分を攻撃することになるんだよな
だから新興宗教やると病気が多いらしい
]]>そして分派だとわかると、邪教として養子を取り返す
自分自身のことしか考えてないんだな
先祖がどうたら言っていても、結局は自分自身のためだし
自分さえよければそれでいい、家族が不幸になろうと関係ない
そしてそのことを一切恥じずに、他人にも押し付けるし
]]>多数派の場合は、多数決で民主的にそれができます。
少数派でも侵せないものを自由権として守るのです。
たとえば今だと多数決ならとある宗教を「邪教」として禁止さえできそうですよね。でも、多数決でも、「内心で信仰させろ」「儀式は続けさせろ」までは侵せない理由付けが「自由」です。
https://twitter.com/jikapan/status/1583275451552006144
反多数決主義の難点という議論がアメリカで古くからある。選挙で選ばれていない裁判官がなにゆえ選挙で選ばれた国民代表議会の法律を覆すことができるのか、というやつである。これは、単なる哲学的問題ではない。19世紀末から20世紀前半にかけて、産業資本の著しい発展の弊害が顕在化してきた。それに対して立法的対処を行ったところ、裁判所が「契約の自由」を盾にしてそれを違憲にしたところから来ている。
もう少し具体的に言おう。ニューヨーク州議会が、パン屋の労働時間を規制する法律を作った。一日10時間、週60時間までという規制である。これに反して処罰を受けたあるパン工場経営者は、労働者をどのくらい働かせるかについては、契約の自由があるのだからそのような規制は違憲であると主張した。そして連邦最高裁はその主張を認めたのである。このような判例法理が通用した時代のことを、この著名判例(Lochner v. New York, 198 U.S. 45 (1905))の名前をとってロックナー時代という。
すったもんだの末、ロックナー判決は否定されるに至る。どのように否定されたかというと、これがある意味羮に懲りて膾を吹くというようなやり方なのである。すなわち、裁判所は議会の制定した法律については、原則として合憲の推定を与える。議会制定法については、①目的が正当か、②目的と手段が合理的に関連しているか、しか裁判所は審査しない。換言すれば、手段の必要最小限度性を要求しないということであり、まことに緩い審査基準である。こうなるとまたしても困った事態が発生する。確かに、労働関係の規制については、そのくらいゆるい審査で良いかもしれない。しかし、議会に自らの利益を代表してもらうことができないような少数派の利益を押し潰すような法律を議会が作った場合も、そんな緩い審査基準を適用して良いのだろうか。連邦最高裁は、戦前の判例の中で、キャロリーヌ・プロダクツ判決(脱脂粉乳の規制に関する法律が問題になったのだが、それは措く)の脚注4で、人種的・宗教的あるいはその他の少数者の利益が問題になった場合などは、別の処理をするかもしれませんよ(この事件はそういう人が問題になっていないが)、ということを仄めかしている(United States v. Carolene Products Co., 304 U.S. 144 (1938))。
このような戦前のアメリカの判例を取り入れて始まったのが有名な二重の基準論である。二重の基準論は、精神的自由については厳格な審査を、経済的自由については合理性審査をという図式として受容されているのだが、実際には、一般的には裁判所は合理性の基準という緩い審査しか行わないが、政治過程の中で不利になっている少数者の利益が問題になる場合は、審査基準を厳格化する、というものなのである。一般論としては合理性の審査しかしない、というのがミソなのである。
芦部説はこのような議論を巧妙に換骨奪胎(?)し、精神的自由の制限は、政治過程そのものを傷つけるおそれがあるから、原則として審査基準が厳格化する、という議論を立てた。こういった議論はアメリカにも見られる。ところが、これを逆に考えると、精神的自由の制限であっても、政治過程そのものを傷つけるおそれがない場合には、裁判所は合理性基準で審査するべきだ、ということにならないだろうか(ロバート・ボークというある意味悪名高い裁判官が直球でそういうことを言っている)。これが問題になる典型的な事例が「わいせつ」である。少なくともハード・コア・ポルノ※に関しては、その禁止が政治過程を傷つけるとは言えないだろう(アメリカの場合、猥褻obscenityに該当する言論については、第一修正によって保護されないので、合理性審査すらしなくても良いということになっているのだが、それは措く)。わいせつの規制は、精神的自由の制限ではあるが、厳格審査に服しないというのが、反多数決主義の難点に対して一般に合理性審査を行うという解決法を用意した司法審査論の帰結となる。
ハード・コア・ポルノに対する規制を(も)廃止するべきだと考える者が、表現の自由論や民主主義を素朴に信奉するのも考え物である。一般論として合理性審査をもたらす反多数決主義の難点という論点それ事態を疑ってかかる、つまり、多数決によって事態が進行する議会政、多数決主義それ自体を排撃したり、あるいは、ハード・コア・ポルノの規制に対しても厳格な審査をもたらすような議論を何とかして立てるほかあるまい※。そういうことをしない表現の自由の信奉者は、表現の自由で戦死せざるを得ない。
※長谷部恭男『憲法』などを読むと、刑法175条違憲論が、単なる「表現の自由」によって支えられているわけではないということが分かる。
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