はてなキーワード: 遠くへとは
そもそも、真夜中にこのブログを開設するあたり、私はもう正気じゃない。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
5歳の頃、家族旅行でアメリカへ行った。国外へ旅行へ行くのはこの20数年間でこの一度だけ。知らない言語に囲まれて、知らない文化に触れた、初めての経験。
私はそれまで、父親よりも背の高い人間がこの地球にいるなんて知らなかった。
幼稚園はキリスト教系だった。でも園の中に十字架とかそういう「偶像」がなかったので、私が日々の中に神の存在を感じる機会は非常に限られていた。お弁当を食べる時になると手を合わせて祈りを捧げた。「神よ、日々の糧に感謝いたします。アーメン」。この時間くらいじゃないだろうか。
先生たちは定期的に聖書の話をしてくれたけれど、当時の私には理解できなかった。そして多分先生たちも私たちに理解することを求めていなかった。卒園式で綺麗に装丁された聖書を記念品にもらった。字が読めるようになり、心に哲学の概念が沸いた年齢になった時に初めて読み返した。そしてようやく何かしらは理解できたと思う。多分。…。時間差があるね。
でもこれだけは覚えているのがある。園長先生という方は非常に柔らかいお話の仕方をなさる方だった。わかるようなわからないような、でもそれはそれとして言葉がスーッと染み込んでいくようなお話をなさっていた。
先生はいつもこうおっしゃっていた。唇に歌を忘れずに。光の子として歩みなさい。
前半は知らない。でも後半は聖書の一節だ。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです」
小学校の頃は全く覚えてない。
英語と音楽と国語だけできた。でも国語の担当教師と年がら年中喧嘩してたので評定に定期テストの点数が反映された記憶がない。
英語は楽しかった。小さい頃漠然と定型分だけ覚えて旅行に行ったあの「英語」が、形ある理論と知識として目の前に再び現れた。いうなれば、旧友との再会のような。互いに少し成長していたけれど。
音楽は、心の拠り所を得るために気まぐれで合唱部に入ったら急に歌えるようになった経緯がある。何それって話なんだけど、私もよくわからない。ただ、ある日ある時急に突然「声の出し方、響かせ方」が分かった。2年生の時、ソプラノのソロパートを担当させてもらった。嬉しかった。あれは、私が自分の実力だけで勝ち得たもので、そして私にもできるものがあるのだという証明になったから。音楽の先生は卒業式の日私の母をとっ捕まえて手を握ってこう言ったそうな。
「お嬢さんが音大に行きたいと言ったら、どうか止めないで入れてあげてください」と。
周りの子供たちは「自由」が増え、レンタルショップでビデオを借りた。麓の街に行って、友達同士で服を選び合った。私にもそんな自由が欲しかった。漫画の貸し借りをしてみたかった。アニメの情報を共有してみたかった。
彼女は「あなたが弾きたい曲が入ってる楽譜、家にあるから貸してあげる。家まで来て」と言った。彼女の家は私の家とは少し離れていた。やや逆方向寄りなのだ。でも私は彼女について行った。そして楽譜を借りた。
家に帰ると母は非常に機嫌が悪かった。ただいま、という挨拶に対して返ってきたのは「どこほっつき歩いてたわけ?」だった。確かに帰宅時間は通常より20分ほど遅かった。
正直に話した。友人の家に寄って楽譜を借りてきた、と。楽譜は没収された。
ちなみにその友人は時々漫画も貸してくれていた。しかし母はそれを目敏く見つけて隠した(母はよく私が学校にいる間に私の部屋に入って物を漁っていた)。そして3週間ほど経った頃にクロゼットから出してきて「あの子に返してきなさい、今すぐに」と言ったのだ。
少し考えればわかること。この家は、何かが少しずつ狂ってる。
私にも自由が欲しいとゴネた事がある。他の女の子みたいにガーリーな服(当時は少し露出があるのが流行っていた記憶がある)が着たい。髪を伸ばしたい。休日は友達とお出かけをしたい。バレンタインは友達とチョコレートの交換をしたい。
ことごとく跳ね除けられた。
おしゃれがしたいなら家でやらないで外で自己主張して頂戴。学校にお菓子を持ち込むのは校則違反でしょ?(それをバレンタインの日だけは黙認されてるから私にもやらせてくれと言ったのだが。)お出かけして遊ぶ暇があるならピアノの練習して勉強したらどう?アンタは目の前の遊びを取って将来を失うつもり?それに私たちがアンタのピアノの習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃんと練習してよ。
そんな言葉で私の心はポッキリだった。でもその時はまだ幼かったので「高校生になったらきっと変わる」と思っていた。
ちなみに上記の言葉を言われた後で私は一度だけ地域のお祭りに友人と行ったことがある。
一言で言えば、つまらなかった。目に映る何もかもがくだらなく見えて、そんなくだらないものにはしゃげる友人たちが寧ろ一周回って羨ましく思った。その日の私はピアノの練習もしなかったから、鍵盤が恋しかった。結局皆より一足早く帰宅したはずだ。
…そんな私の感想に、母は非常に満足げだった。こればかりは癪にさわる。
高校は私立女子校に入学した。良い大学に行くことだけが目標だった。それさえ達成できたなら、きっと私の人生は報われると思った。おしゃれらしいおしゃれをしなかったことも、友人と行ったお祭りを楽しめなかったのも、バレンタインの日にお菓子作りをしなかったのも、全部全部。
周りの友人は有名らしいアイドルにどっぷりとハマっていた。週末になれば電車に乗って遠くへ行き、グッズを買い、ブロマイドを買い、皆で見せ合って楽しんでいた。
街のお祭りを楽しめなかった女は、アイドルの良さもわからなかった。女の子たちが「ねえねえ、このひとカッコいいと思わない?」と見せてくるのを適当に「ほんとだ、カッコいいね」と返した。
ちなみにミュージカルをやる部活に入ったが、言わずもがな母は私がそこに入部するのを死ぬほど嫌がったし、門限は昔よりもシビアになった。当然遊べなくなったし、部活も毎回早退していた。それは舞台本番の1週間前でも変わらなかった。先輩も同期も私の家の事を理解してくれていたことだけが幸いである。あの人たちは皆優しかった。でもその優しさに永遠に甘えるわけにもいかなかった。当時私はスマホを持っていなかったから「今日だけは門限を伸ばして」と公衆電話から家に電話をかけた。「それなら家に入れてやらない」とだけ返されて電話を切られた。私は職員室の前で泣きながら「どうしろって言うんだよ!」と叫んだ。
その部活は1年生の冬に廃部になった。まあ色々あったのだ。晴れて私は本当に勉強しかすることの無い暇人になったのである。
英語にのめり込んだ。きっと海の向こうの人たちが喋ってる言語は私の住む世界を広げてくれると思った。
音楽は私の心の拠り所だった。親には「私たちがアンタのピアノの習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃんと練習してよ」と言われていて、それでよくピアノが嫌いにならなかったな、と思わないでもないが、それはひとえにピアノの先生の教え方が非常に上手かったからだ。あの先生は一生の恩師と言っても良いだろう。ピアノの技術だけでなく、音楽を体全体で楽しむことの大切さを教えて下さった。
必死で勉強して、そこそこ良い大学に受かった。当時は大学入試の定員規定が厳しくなったばかりだったから絶対浪人すると思ってたけど、受かった。第0志望、希望の希望通りの学科。
高校生の頃(というか小学校中学校から)ずっと母は私に「アンタみたいに頭の悪いやつは、私の時代なら商業高校に行ってたよ。今はいいね、アンタみたいなバカでも人並みに高校に入れて受験できるんだからさ」と言っていた。
何度も娘をバカだと言わなくて良い。言われなくても本人がちゃんと分かってる。
同じ地域に住み、同じ景色を見ていた小中、その延長線上にあった高校とはまるで違っていた。私のような実家住まいもいれば、一人暮らしで頑張る人もいた。
でもこれだけは断言したいが「明日の屋根を心配しなければならない人」は私以外あの空間には存在しなかった。
「7時半には返って来れるでしょ」
つまり、7時半が門限だということだ。大学生の、門限が、7時半。
あんまりだよ、と泣いた。父を説得しようとし、父方の祖母を説得しようとした。大学生なんだよ、大人だよ?と。でも父は母のイエスマンだったし、祖母(と叔母)は如何せん価値観が若干古かった。「7時半は十分遅いよ、お母さんは譲歩してる方だと思う」と言って譲らなかった。
遊ぶことはなかった。化粧もしなかった。ファンデーションだけだった。化粧なんてね、若いうちは要らないの。それが母がいつも言うことだった。
少し考えれば分かること。あの時の母は、私を完全にコントロールしたかったのだ。
その年の秋、私はこれまた突然、手首を痛めた。関節炎だった。ピアノの弾きすぎ、PCの打ちすぎで利き手ではない左手に過度の負担がかかったらしい。もうピアノは弾かないでください。と言われた。
あの時の絶望といったら。私は身近な人を突然亡くした経験はないけど、多分親友がある朝突然死んだらこういう気分なんだろう、と思った。うまく使えない左手、もう弾けないピアノ。虚無感、なんて言葉じゃ補いきれないものだった。
私にとってピアノはそれほど大きな存在だった。嬉しい時も辛い時も一緒にいたのが、ピアノであり、音楽だったから。
その時急に現れたのが昔の知り合いだった「彼氏」だった。
少しずつお互いのことを話す中で私は小さな打ち明け話をした。休日が大嫌いなんだ、と。
当時母は土日のたびに癇癪を起こしていた。やれ私の歩き方が気に食わない、やれ私の話し声が気に入らない。どうしてアンタは私の気に入るように振る舞わないの?と。当時私は土日の早朝6時〜9時でコンビニのアルバイトをしていたので、その早朝勤務の後に母の喚き声を聞くと言うのはどうにも「来る」ものがあった。
さて話を戻すと、私の打ち明け話を聞いた彼は私を週末のお出かけに誘った。電車の向こうの街でかれこれこういう催し物があるらしい、行ってみようよ。気分転換にさ。と。そういう具合に。そして私はその誘いに乗った。
母には「友達と出かけてくる」とだけ言った。情報は不足しているかもしれないが、嘘はついていない。少なくとも当時は彼はまだ「友達」だった。
そしてその友人は彼氏になった。
彼から告白された時、私は一種のチャンスを感じた。きっと私は自分に証明できるとお思った。私の人生は私のもので、私の人生の決定権は私が握っているのだと。
しかも、当時の私が心から欲していたのは「絶対的な安全」だった。そして痛めた手首によって失われた「心の拠り所」だった。
きっと彼ならそれらをくれるだろうと思ったので、私は彼の告白に同意した。
彼はそれ以来ちょくちょく私を外へ連れ出した。
その度に私はまるで世間一般に溶け込んだ気分になっていた。世間一般の「普通の子」になれたように思った。そしてその時私は心から喜んだ。「生きてる!」と無邪気に思えた。
私が勝手に出かけ、挙句彼氏まで作ったので、母は怒った。最初父は「別にいいんじゃないか?」と言っていたが、母があまりにも怒るので父も手のひらクルリと返した。
母は私から家の鍵と財布の金、銀行のカードを没収した。お前に鍵と金を渡すと碌なことにならない、と言いながら。(ちなみにこの銀行のカード、取り返したら今度は月に3万、家に入れる事を要求された。当然今度は私の生活費が足りなくなってバイトを増やしたら、要求される金額がまた増えた)
母は、アンタがどこへ行ったか全部わかってるんだからね!と怒鳴った。最初意味がわからなかったが、どうやらあの時の母は私をスマホのGPS機能で追跡していたらしい。それが判明した時、私は泣いて彼氏に詫びた。どうしようもないものに巻き込んでしまったと思った。ざっくり言えば、母のやったことは犯罪に近いのだ。
彼は「気にしてないよ」と言った。
私は「いや、そこは気にしてくれ」と思った。というか、そう言った。
彼は「お前がかわいそうだ、どうにかして救いたい」と言った。
その心はありがたかったが、ありがたがると同時に私はそれを拒絶した。
「かわいそう」と軽々しく言えた彼はどこまでも温室育ちだった。4人家族ペット付き、平均的かそれよりも幾許か上の環境で、ぬくぬくと、二親に愛されて育ち我らが王子様のような扱いを受けてきた彼が言ったのは、永遠に「かわいそう」な立場にはならないであろう人間の、無意識の傲慢だった。
「救いたい」と言った彼は、きっと人間が人間を救えると信じていたのだろう。確かに信じるものは救われるとは言うけれども、彼氏とはいえ第三者の立場の人間が他人を救えるのなら、今頃イエスキリストも聖母マリアもこの世から用済みだろうし、仏典も聖典も要らない。でも世界にはそういうものが存在するのだ…。彼はそれをちゃんとは理解していなかった。
私の状況も、世界の状況も、「聞いて知ってはいる」けど「理解」はしていなかった。
彼氏の母親という人は、息子から私の家の状況を聞いて、こうコメントした。
「あそこの大学の子だと聞いて安心していたのに。それじゃあ全く、訳アリのお嬢さんを拾ってきたってこと?」
…ってうちの母がいうんだ、面白いよな、訳アリだなんて。と彼は笑いながら言った。少なくとも彼の中で「訳アリ」という言葉は一種のネタとして消費されたらしい。
私は彼氏ができた、とか勝手に出かけた、とかそういう「罪」で度々家を追い出された。そんな時私を匿ってくれたのは大学の友人たちだった。
追い出されるたびに顔色が悪くなる私を見て友人は私の目を閉じさせ耳を塞がせ、その間に家中の刃物という刃物を知らない場所に隠した。彼女曰く「今のアンタに刃物を見せたらすぐさま死んでしまいそうで怖い」。当時の私は一体どんな顔をしていたのだろう。
結局、私は彼と別れた。
彼は普通の家で育った普通の人間だった。そんな温室の彼を「私」という人間に巻き込み、異常なものを見せ、その一部だけでも経験させてしまったことは、私が負うべき「罪」のように思った。そして、そんな異常な場所から彼を一刻でも早く遠ざけようと思った。「かわいそう」という言葉も「訳アリ」という言葉も、ネタとして理解できる世界に戻そうとした。
それが正しいかどうかは本当にわからない。でも身勝手だったとは思えど、あの時の私にできた「最善」の判断は、それだった。
どうか彼には「普通」の彼女ができていてほしいと思う。そして、私の視界に入らないところで幸せになってほしい。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
大学3年生になり、2つの喪失、「普通」の概念について考える日々、加えてコロナ禍。最悪だった。それでも秋までは保った。そして秋になって体調を崩した。
感情がわからなくなった。楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか。
指先から血の気がひいた。四六時中まるで体全体が後ろから引っ張られているような感覚だった。
ほんの少し正気に戻ったその瞬間に病院に行き、うつの診断を貰った。ついでに精神安定剤も貰った。(本来抗うつ剤をもらう予定だったが、そういう精神に効くタイプの薬を飲んだことがなく不安だったため、安定剤からスタートになった)
仮病だ、とか、考えすぎだ、とか、甘えだ、とか。診断をした医者はヤブだ、とも言った。そして私から保険証と現金を没収した。よって私は途中で治療が止まっている。
ちなみにかの「原神」を始めたのは4年の最初だったか、それくらいだったはずである。(タブレットデバイス様様で、こういうゲームは自分のスマホに入っていれば「実体」が無いので、両親は私が流行りのゲームを始めただなんて夢にも思っていない)
うつの診断を受ける前だったか後だったか、とにかくその辺りの時期に私は数回手首を切った。そのうちの一つだけ、鮮明に覚えている。
衝動に任せて切って、うっすらと血を滲ませた。最悪だったのはそれが金曜日で翌日にはバイトがあったということだ。(※この時は体調の限界やらシフトの都合やら色々なものが重なって、私のシフトは早朝6時〜9時ではなく、9時〜12時に移っていた。そこには私の幼馴染の男の子も一緒に働いていたので、早朝から働いていた時よりは幾分気が楽ではあった)
さて左手首を切って血を見て1時間、なんとなく冷静になった時に気が付く「待てよ、明日バイトじゃん」は本当に最悪だ。急いで薬をぬり(強めのステロイドだった気がする)、ガーゼを乗せて包帯を巻いた。
翌朝幼馴染の彼は「それ、どうしたんです」と聞いてきたので、私は笑って言った。
「関節炎の湿布」
この幼馴染、私が怪我をしたとなるとまるで問診か何かのように問い詰めるのである。どこで怪我をしたの、どうして怪我をしたの。その時何があったの、いつもと変わったことでもあったの。
手首は数回掠った。そしてもし、もう一度でも金曜日にそれをやった上で「どこで、どうして怪我をしたの」と問い詰められたら、私は誤魔化せる自信がなかった。
そもそもコンビニのアルバイトなんて、いつヘルプ要請が入るかもわからないものなので、それが金曜日じゃなくても、手首を切るのは普通にアウトだった。いつか誤魔化せない日が来ると思ったし、その調子で切ってたら取り返しのつかない事になるのは目に見えていた。
それ以来、手首を切るのは自制している。少しばかり、褒めてほしい。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
先日、この幼馴染と少しばかりの遠出をした。
出かける予定を作ったことを正直に母親に白状し、許可を得た(これがまたハードルが高かった。)母は私たちが電車で行ったと思っているが。
私は彼が運転する車に乗って遠出した。
帰りの移動だった。彼は、夜の暗闇が一番好きだと言った。
私も夜が好きだと返した。夜は良いなと思う。あの暗闇も、程よい明るさも好きだ。
その日すっかり疲れてしまっていた私はぼんやりと、彼に少しばかりの昔話をした。
まだ私が早朝6時のバイトのシフトに入っていた頃、5時に起きて支度をしていたから冬の早朝は真夜中みたいに真っ暗だったのだと。そして少し季節が春に近づくにつれて日の出の時間も早くなり、西の空は暗く、東の空は明るくて、私はその真ん中に立っているような錯覚を覚えたのだと。まるで、昨日と明日の境目にいるような気分だったと。
ある時私は親に家を追い出されて、月曜火曜ならまだしも金曜日に追い出されたのなら翌朝のバイトは始発電車に乗らないと間に合わなかった。まだ空が真っ暗な時間にそっと友人の家を出て、電車の窓の外がうっすらと明るくなるのを見ていた。
そう言った。話し終えてからようやく自分が一体なんの話をしたのか、一体彼に何を聞かせていたのか気がついた。
変な話してごめん。私の家の騒動を知ってて私を家に泊めてくれた友人くらいしか知らない話だ、多分他人に初めて話した、幼馴染の女の子ですら知らない話だ…。と途方に暮れながら謝罪したところ、彼は「そうだろうね」と言い、こう続けた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
今も私は「普通ってなんだろう」と考えている。
家では相変わらず母がつまらないことで喚き散らしているし、私の髪の一本一本にすら執着し干渉している。そして相変わらず父は母のイエスマンだ。
幸せになりたいな、と思う。
でもまず私は「幸せってなんだろうな」から思考を巡らせなければならい。
そもそも私はいまだに感情の生成についての問題を解決していない。
たぶん私という人間も私の家族も、私の家の一族も何かしらが「おかしい」のだ。皆が皆で、それぞれ違うベクトルで狂ってるから、その異常性に気がつきにくい。
でも気がついた人が気がついた時に「終わらせなければならない」。母は自分で自分の母親と絶縁した。もしかしたらそれはいつか来る自分の未来だと思う。
子供のクラスメイトが転校する。遠くへ引っ越すのだと担任は説明したが、それが本当の理由でないことは居合わせた保護者全員が気づいていたと思う。
その子の名前は何度か耳にしたことがあった。子供が話す学校での話題に名前が出てくるとき、それは決まって問題行動の報告だった。授業中に立ち歩き、廊下に出ていってしまったり、忘れ物をして先生に怒られることも多い、と。話の内容からなんとなくだが発達障害の特性があるのだろうと感じていた。
この学年はコロナ禍の始まりとともに小学校生活をスタートした。学校に行けない期間が長く、入学直後はリモート授業。その後登校できるようになっても授業参観や親の参加できる行事はすべて中止となった。学校の様子は子供を通じて話を聞くだけだった。顔も覚えられないまま転校してしまう子がいるのはこの時代ならではかもしれない。
子供が通う小学校は私立だ。とはいってもガチガチの進学校ではない。外部受験をする子もいるが、附属にエスカレーターで上がるのならば小学校では比較的のびのびと過ごせる。ただ、のびのびといっても進学校レベルの詰め込み授業ではないという程度。授業は多少先取りで進み、宿題もそれなりに出る。
さらに4月から新たな学年になれば徐々に中学受験に向けた活動に舵を切りはじめる。自席で黒板に向かうのも難しい状況ではチャレンジ校の受験はおろか、比較的緩い内部進学の基準にも達しない。
公立ならば加配を付けられ通級や支援級と併用もできるが、私立ではなかなか難しい。このままこの学校に通い続けるよりは、もっと適した学校へ。そう考えたご家族の意思もあっただろう。
けれど私は引導を渡したであろう学校の、さらには学校へ圧力をかけた保護者の存在を感じた。担任から、過去にその子の「他害行為」により被害に遭われたお子さんとご家族へのお詫びとする説明が続いたからだ。
担任の話によれば、感情を言葉でうまく表現できず手が出てしまうことがある。そういう特性を持った子です。と、はっきり説明された。子供の保護者本人ではなく学校からの開示。プライバシーもなにもあったものではない。しかしそこまで言及しなければ「被害に遭われたお子さんとご家族」は納得しなかったのだと理解もした。このとき、入学直後から保護者の間で囁かれていた「困った子」の話が私の頭の中で繋がったからだ。
「すぐに手が出る子がいる」「保護者に訴えても何もしてくれない」
小学校の入学後、ようやく登校が開始されてから数ヶ月は登下校時に保護者が付き添う。同じ路線で通学していた際の保護者同士の話題に「困った子」は頻繁に挙がった。だが、口さがない噂話を好む人たちもそれなりに弁えているのか、直接名前を出すことは無かった。名前はわからないが、そういう困った子がいるのだという話に私は適当に相槌を返していた。その子とはクラスも路線も違うらしく、接点がほとんど無かったからだ。そのうちに保護者の付き添い期間は終わり、コロナの波が来るたびにリモート授業になり、学校行事がほとんど行われないまま年が過ぎていった。「困った子」のことなどすっかり忘れていた。
入学からこれまで「困った子」について学校側から説明を受けたことは一度もなかった。在学中の児童について発達障害の説明などできるわけがない。学校側も苦慮していただろうとは理解できる。それが事ここに至りはっきりとした説明に転じた。まったく蚊帳の外にいた私には何があったのか想像もできない。ただいずれの立場でも大変だっただろうと推察するだけだ。
学校内で発達障害の特性が窺えるのはなにもこの子だけではない。常に体を揺らしている多動気味の子もいれば、癇癪が強い子もいる。定型発達でもこういった行動はままあるもの。発達障害はスペクトラムで、特性がどの程度強く現れるかの違いしかない。
教室で勉強する際に、隣の子の体が揺れていても多少気になる程度で済む。癇癪が強くて喧嘩になっても落ち着いてから会話ができるのならばいい。けれど手が出てしまうのは放ってはおけない。
例えば学校で子供が怪我をさせられたとしよう。相手が発達障害だと説明を受けて親は納得できるだろうか。納得できないまでも子供のしたことだと不承不承受け入れるとしても、対策は求めるのではないか。二度三度と繰り返されるようではたまったものではないからだ。
では、対策を求められた側はどうか。学校も、子供も親も、何もせず手をこまねいているはずもない。学校側は加配を付ける、認知行動療法を取り入れるなど何がしかの対処はするだろう。しかしそれでも一挙手一投足全てを監視したり拘束できるわけではない。二度目三度目は起こりうるのが現実だ。年齢が上がるにつれ落ち着くこともあるとしても、いまこの状況で困っている問題の解決にはなり得ない。
インクルーシブ社会では、障害を抱える人の社会的な障壁を取り除くことで共に生きられる社会の構築を目指す。教育現場でも同様に進められているが、こと他害に至っては障壁はとても高い。
春から始まる新しい環境では授業の進度も早まる。受験に向かう環境にストレスも増す。我が子はいつまでこの学校に居られるだろうか。二次障害から他害行動へ繋がらないよう願うばかりだ。
いいぞぉ、性能のいい自転車はいいぞぉ。ホイールを豪華にしたのはいい選択だ、一部だけ豪華な構成は完成車だと選択肢がないから、バラ組だからこそできる構成だ
今は寒いけど、暖かくなったらウロウロ走り回ろうぜ。自転車だからこそ行きやすい場所、寄り易い店や広場、ちょっと人里離れた所、川沿いサイクリングロード…、いろいろ探して走ろうぜ。
ちょっとおやつや飲み物、何ならキャンプ椅子も持ってのピクニックもいいし、やる気になったらガッツリ長距離ツーリングもいい。輪行して遠くへ走りに行くのも楽しい。自転車旅もいいな。かごとキャリア付けてスーパー買い物バイクに仕立て直しても、地の性能がいいと驚くほど運搬力とスピードがあって、これも楽しい。
どんどんひゅーひゅーぱふぱふ!
わーい!
そして
と言うかもう新年明けての午後中の午後よね。
新年早々、
私は午前零時の神社初詣ダッシュを決め込もうと思ったんだけど、
今年はさすがにちょっとコロナ明けてきたので緩んできているのかな?と
本当は初詣ダッシュより神社の境内でやってる焚き火目当てなの。
だけど
今年もやってなくて意気消沈とか新年早々そんなションテンが下がることは言いたくないので、
一回りお散歩して帰ってきたわ。
あれはいつ結局食べたら良いのかしら?と
年末に無理矢理美味しいお蕎麦もいただいた手前の一回りの深夜のお散歩ってわけよ。
そんで、
一眠りして朝起きて、
今年一番の初風呂!
近所の銭湯は元旦から気合い入ってオープンしてっとこあるから、
柚子どころか芋を洗うような感じだったので、
気持ちよく飛び込み前転で湯船に飛び込めなかったのは1人だったら出来たのにーと思いつつ
銭湯の湯量と熱い温度の迫力は家のお風呂とは圧倒的違うわよね!
久しぶりだといいわね~。
私はもう朝起きてまだ顔も最低限洗ったままで、
タオル1本持って行ってってそんなまぁ休みだからいっかーって感じで気軽に銭湯キメてきて
パパッと上がってきて午前中はそんな仕上がりってところね。
比較的時間あるかなーと思って気分のまま自由気ままに流れるまま、
今やってるアニメのグッズがたくさん置いてある
ノイタミナショップのある東京行ってみようかな?って思ったけど、
ほらー
ペット飼ってる人は急に旅に出掛けられないとかってあるじゃない!
私もそうなのよ。
それに気付いちゃったから、
どっか遠くへ出掛けることは諦めたけれども、
久しぶりに銭湯に行った帰り
ひんやりとした年末の夜風に晒されながら思ったの
急にスプラトゥーン3熱がちょっと冷めたというか落ち着いたというか、
私がスプラトゥーン3ハマってる間に
いろいろと街の景色や世の中が変わってきている事に気付いたの。
まるで、
SFの巨匠アーサー・C・クラークの読んだこともない『都市と星』を思い出して、
その中の住人は「サーガ」と呼ばれる仮想ゲームに興じ10億年もの間閉鎖空間で変化のない生活を送るの。
マトリックスとかでも
もしかしてこれは仮想空間の中で本当の世界があるんじゃないか?って『都市と星』もそうだけど
その外の世界に気付く人が出てくるのよ。
私もそれと一緒でスプラトゥーン3の外には現実があるんじゃないか?って
もう本当に10億年「サーガ」で遊んでる住人と一緒じゃん!って
そう思うとスプラトゥーン3ばっかりやってるのもって気が付いて世界に出てきて今事務所にいるわけなのよ。
なんか
私このままだったらずっと10億年スプラトゥーン3やってるところだったわ!
もっと違うことにも時間費やした方がいいのかも知れないわってこと。
だけどおでんが育ってるので、
なかなか外にも長い時間お出掛けも出来ないところが
もう本当にスプラトゥーン3じゃなくておでん10億年煮込み続けて育てて、
もしかしたら、
実際リリーフランキーさんの絵本の『おでんくん』もそう言った鍋の外の外の世界に憧れる描写ってあるのよね。
そんでお客さんに選ばれてお皿に盛られて美味しく食べられてもまたすぐ戻ってくる設定みたいだけど。
他のことにも今年は目を向けて均等に色々なものをゲッツ吸収できたらな!って
急に本当に冷静になったわ。
これもなんか久しく銭湯に行って
帰りの深夜の夜風に吹かれたことが原因なのよ。
以前みたいに1日の半分をそれに費やすのは、
私はそんな真剣なことを
2023を模したパーティーサングラスを掛けながらこれを書いているところにもSFみがあると思うわ。
これ今年この瞬間しかもう売れないしあとの在庫どうなんのよ?って
まあそれを私が気にしていたら仕方ないので、
私はこれを書き終えるまで真顔で2023を模したパーティーサングラスを掛けながら新年を静かに迎えお祝いしたいところだわ。
うふふ。
お腹空いたわー
どうせスプラトゥーン3しながらルービーとおでんでってオチなので、
夜まで事務所の誰もいないところで雑用を済ませてさっさと帰るわ。
昨日の晩お湯でちゃんと煮だして
水出しルイボスティーウォーラーじゃない煮出したルイボスティーウォーラー
違いの分かるダバダーの曲って感じだわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
毎年誕生日にはGalileo Galileiの"Birthday"とBUMP OF CHICKENの"HAPPY"を聴くと決めている。今年も日付が変わってすぐ聴き感慨に耽っていた時、YouTubeのおすすめ欄の流れでふと目に止まった手嶌葵の"明日への手紙"を聴いて涙をこぼしてしまった。主題歌だったドラマを当時見ていたこともあるが、歌詞がちょうど今の自分に当てはまるように感じた。
幼い頃、歳の離れた兄が進学で家を出た。小さい時はそんな歳で家を出るのは早すぎると思っていた自分も、結局兄と同じ年齢で家を出た。比較的良い両親だったが、思春期の頃の自分には実家特有の締め付けがきつく、受験期のモチベーションは家を出ることだった。地元の友人はみんな実家から通学していて、自分のような人間は数少ない。
家を出てみてからようやく親のありがたみはわかるもので、心が苦しい時期に電話で話を聞いてもらったり慰めてもらったりした。色んなことが家を出てからの2年の間にあったことが"明日への手紙"を聞いて思い出され、涙腺が緩んだ。
いくら遠くへ行っても私のふるさとはあの街だけ。いくら時が経とうと両親、兄弟、祖母は私を見守っていてくれる。短いようで長い20年。人生はまだまだ続いていく予定なので精いっぱい楽しみたい。
俺も死にたくない
厳密には死にたいと思ったことは何度もあって、その度に適当に電車やロードバイクに乗ってあてもなく遠くへ出かけて死に場所を探した
一番死を身近に感じたのは、10年以上前にロードバイクで通った2月末の青梅街道
奥多摩湖から大菩薩峠の脇を抜けて甲府市内に入るまで、雪がまばらに積もる道を車にも人にも動物にも一切遭遇しないまま走り抜けた
野宿の覚悟は出来てたつもりだったし、それまでも色んなところで野宿してきたけど、この道のどこかで野宿したら真面目に死ぬなと思った
その後も懲りずに事故後の福島第一原発の近くに行ってみたりした
何回もそういうことを繰り返して、一生懸命死に場所を探してる時点で死にたがってないじゃんってことに気づくまでにずいぶん時間がかかった
死ぬのは怖い、無に帰るのは怖い
近頃の結婚相談所は碌なことをしない。
どうやら親同士でお見合いをして、自分の子供に相応しい相手を見繕って結婚させるというようなサービスがあるらしい。
それに参加して来たんだそうで、帰省するなり
「この人が毒増田の奥さんになる女性です。そちてこちらが、毒増田の親になる人たちです。」
と言うような事を言う。へ?と、オウンゴールを決めたDFの様な顔をしてると
「不出来な娘ですが、箒と塵取りくらいは持てるようにしてありますので」
なんて、攻撃してきやがる。
意味が分からない。全く意味が分からない!なんなんですか、俺はこんなおばちゃん女性を嫁になんてしたくナイヨ=キンタナ!
「は???え???な、なんなの、これはなんなの?意味が分からない!」
で、親同士のお見合いをして来たという話をするんですよ。オフサイドとかいう話じゃない。GK含めて全員敵陣に入ってる。
俺はそんなことは1㎜と言えど小耳に侵入させた事はないので、マテマテマテマテ、マテウス=サヴィオな訳ですが
先方は俺の経歴から何から、何でも知ってると言う。何なら、お袋にうっかり見つかってしまったAVから性癖すら知られてるレベルですわ。
確かに手コキされるのは好きだが、おめぇじゃねぇんだよ・・・。
どうみたってピーターウタカが女になったような、豪快な顔した色黒の女あいてに、興奮なんかしないでしょうよ。
そりゃウタカは可愛いけど、おだんご頭のウタちゃんかわいいーとか言ってましたけど、そういう可愛いじゃないんや・・・。
両親とウタカ(雌)の生産者二名は意気投合してるらしく、何度も会ってるという。
マテマテマテマテ、マテウス=トゥーレル。何故?その過程で相談しない?レッドカード相当のファールはVARの介入案件ですよ?
これはどう考えても、俺の意志が介入しないのはあり得ないでしょ?ちゃんと相手女性をオンフィールドレビューさせてください。
「アテンション、アテンション、ポッシブルレッド、レコメンドオンフィールドレビュー」って通信してないよね?こんなの普通VARオンリーレビューでレッドですけどね。
こんなの見逃すんだったらVARレフリーいらねぇだろうよぉ!俺はもう脚攣ったから第四の審判呼んでこい!
って話です。
何度も会う過程でウタちゃんの事も大変気立てのいい化け物大年増だと気に入ったらしく、俺と結婚させる気満々ですよ。
俺はもう既にこの5人に囲まれたゾーンプレスに耐えられない。鬼キープの神谷篤司だって、こんなのメンタル保持できないですよ。
これは結婚決定機です、決定機を阻止すると孤独・高齢・病気の三重罰のDOGSOだぞと、主審は仰るわけですが
それは俺の決定機じゃなくて、ウタちゃんの決定機なんでは?という思いしかないし、「キイテナイヨ」を連発するしかないんですよ。
足裏タックルでレッドカード貰って、どっか遠くへ退場したい・・・唾吐いて6試合出場停止になりたい・・・・おでんぶつけてお帰り願いたい。
そんな事を思いながら、この望まれない結婚へと引っ張ろうとする地獄のトレインから外れて大逃げを打つ手段を模索する訳です。
途中にラルプデュエズがあろうとも、超級山岳が幾つあろうとも俺は逃げる!
「急な話で驚いている。事情を把握するためにも、両親としっかり話し合いたいので、今日の所はお引き取り頂きたい。」
と何とかまとめて帰って頂いた後に、大荒れに荒れたのは言うまでもない。
マテマテマテマテ、マテウス=ヴィドット。9年ぶりでも、そんな練習参加はしません。
こんな酷い話、笑い話にしねぇとやってらんねぇだろうがよwwwwwwくそめwwww
"Paint Box"
昨夜は飲み過ぎてしまった
ルールに縛られ
もう一杯飲んだ
なんという夜の過ごし方だろう
みんな友達を連れてきて
ゲームに興じる
でも、その中で私は
立ち上がり、この光景を思い出したような気がする。
ドアを開けるとそこには誰もいない
そして、忘れてしまう。
電話が鳴り、誰かが話す
ショーに出たいという。
どうしたらいいんだろう、何を言えばいいんだろう。
彼女は見抜いている
玄関を出て行く
"到着が遅れても 彼女は待っている
怒ったような顔をしている
"怒ったように""怒ったように""怒ったように""怒ったように
立ち上がり、この光景を思い出したような気がする。
ドアを開けるとそこには誰もいない
そして、忘れてしまう。
www.DeepL.com/Translator(無料版)で翻訳しました。https://www.youtube.com/watch?v=0vO96jJHOuU
言ってはいけないことを言った。
「そんなに僕のことが嫌?」って聞かれて、どうして「うん。いやだよ」なんて答えたんだろう。
嫌なわけないって最初に言っても、信じてもらえなかったから。信じてもらえるわけがないから、当たり前だったのに。
「もういいよ、帰って」って言って離したら、それまで何回離そうとしたっていたいくらい握られていた手が、あっさり遠くへ行ってしまった。
本当は、こんな言い合いにつき合わせたって傷付けるから、これじゃダメだと思ったから、そんな言い方をした。本当は謝って、一緒にいたかった。
「わかった、帰るね、ひとりにしてごめん、気をつけて帰ってね」って言って、改札へ向かうとき、振り向いてくれたなら、やっぱりもう一度引き止めればよかった。
あんな帰り方、どうしてさせたんだろう。
電話が切られてから、心配で、家まで行った。ごめんって謝りたくて、ちゃんと話したくて。
でもまた私の言葉が、存在が、傷付けてしまうんじゃないかと思ったら、怖くて、そのまま帰ってきてしまった。
次の日の朝、謝らせてほしいと送って、文を考えていたら、電話をかけてきてくれた。
言いたいことがうまく言えなくて、そのまま電話が終わって、後になって言いたいことを書き連ねただけの迷惑な文を送りつけた。
それでもあんな別れ方が、電話が最後になるなら、怖がらずにちゃんと家まで行けばよかった。
今もまだ、私の言葉で傷付いているなら。
たくさん泣かせて、怒らせたせいで、掠れて、すごく聞き取りにくい声とか、
「またね」って言葉が、頭にこびりついて、離れない。
性格の悪さ→謎の確信に満ちた絶対的人格破綻は貧乏人には身につかない
能力の高さ→親ガチャ成功で無数のレールに乗れる相手に貧乏人は勝てない
能力の低さ→貧乏に生まれついても淘汰されない弱さには下限があるが金持ちの家だと生まれつき植物人間でも生き延びれる
経験の貧弱さ→全てから引き離され完全に飼われて過ごすのにも親の財力や権力が必要
時間の豊富さ→効率の良い教育により幼少期の段階から有利で社会人になったら親の金でニートも可能
時間の切実さ→親に決められたスケジュールにより拘束された人生を送るパターンは貧乏人には縁遠い
存在の近さ→経験と時間の豊富さにより「同じ体験をしている」を多くの相手に発動可能
うん……駄目だわ……
「金持ちが貧乏人のふりをしてた!騙された!俺は貧乏だと思って応援してたのに!」みたいな話題が続いてる気がするのでふと思考実験をしてみたがもう無理だな。
ブラックバスの放流された池で既存の魚類が天下を取ることはねえわ。
全部食われちまったよ
わりと郊外に住んでるしあると確実に便利なんだが……。
今のところ8割ぐらいの確率で年末には子供も生まれてくる。必要そう。
3列シートいらんがトールみたいなのは非力でN-BOXと変わらん気もする。
となるとフリードとか……アウトドア趣味ないしオーバースペックな気がするんだが。
スライドドアいらんならコンパクトカーでいい。そもそもミニバンのフォルムは好きではない。
近所見てるとあんまりないんだよなスライドドア。マツダのSUVがめっちゃ多い。
妻とはとりあえずカーシェアでいいんじゃねって話をしてるんだが。
前から予約する必要あるし、チャリで10分くらいかけて都度取りに行くのもな。
今日みたいな雨の日にサクッと車出して迎えに行けるのは大きい気もするが。
悩ましい…
結局、俺のミニバンなんかダサくねって気持ちに引っ張られてしまってた気がする。
自分自身オデッセイで育ってきているしいけんじゃねとも思ったが
わざわざ不便な方に行くことはないな。やっぱスライドドアの方向で考えよう。
いやしかし、車なんて不要という典型的はてな民だったはずなのに……。
特別何か問題があるわけでなく、まだ妊娠初期で確定していない。逆算して年末くらいかなって感じ。
高齢出産に差し掛かってるし流産になってしまうリスクも比較的あると聞く。
まぁこの辺はまた別の話ということで。
正面からの衝突安全性は普通自動車とそんなに変わらんのではと思っている。
自動ブレーキあるし。
レーントレーシングアシストあるから横風でもある程度対応できるだろうし。
最新だとEPBついて全車速追従ACCもあるぞ!!!!!うおおーっ!!!!
軽は車幅がない分横からの衝撃に弱くすぐ横転するという話は、納得感がありちょっと怖いところだが
正直これであとは1.3L直3とかストロングハイブリッドで加速が問題ないなら、悩まずこれにしてたと思う。
ターボで十分なのかね。ターボはターボでエンジンオイルのサイクルとか気になるんだが。
とか色々考えて試算していくと、そもそも普通車とコストそんな変わらない事に気づいた。
マイルドハイブリッドはハイブリッドに入るのだろうか。(スペック厨感)
ネット見積もりしたら結構高いし別の車でもいいのでは、となっている。
横転の危険性は下がると思うが、軽スーパハイトと変わらんのではという気がしてしまっている。どうなんだろ。
自宅前は交通量ないから、カーシェア取りに行って自宅まで持ってきて作業するのはできるかもと思ったが……。
やっぱ無理があるな。雨降ったら最悪になりそう。雨の時ほど車がいるのに。
家の前にあればなぁ。
なおカーシェア置き場まで軽で行って乗り換えるのは無理だ。
例えば帰省で使うなら5日間とか借りる事になるわけで、コスト的に普通車買っても変わらん気がするんだよな。
うーんやっぱ夏頃出るらしいシエンタの新型だな(自己完結)。納車間に合わんかもしれんが……。
比較的近くに住んでる義両親の足になりそうな予感もするし、3列の方がいいかもしれない。いやあえて2列に……?
斗比主閲子氏にはこれより育休手当が非課税なのを使ってなんかうまいことできんか聞きたいんじゃ。投信処分して譲渡益で均すとかどうかの。
まぁカーシェアで色々乗って考えよう。とりあえず今乗りたい車は新型ハリアーです。
あとちょうど書いて頂いて、別の話なんだが、チャイルドシートもどうするか全然わかんねぇんだよな。
なんかめっちゃ強そうだし気になってるんだが。
そういえば義父が日産信者で妻はずっと日産車で育ってきたんだよな。
なので、義両親に相談したら自動的に懇意の日産ディーラーに連れて行かれ、セレナを買うことになると思われる。
セレナ……名前が上がってこないがどうなんですかね。高速のランプ上がっていくCMは若干詐欺臭いなと思ってた。
俺はトヨタレンタカー使ってて(県内ワンウェイ無料が旅行で便利)近場のカーシェアもトヨタ車で、すっかりトヨタに誘導されてしまっているが。
いやー色々コメントいただいてありがたいありがたい。
個人的に
いま持ち家でないなら、将来どんな車庫と道で運転することになるかわからないから、あまり大きな車はやめておいたほうがいいかも
家族のためにミニバンを3台乗り換えてる身から言うとこれから子供にお金がかかるから、固定費は抑えた方がいい。新型シエンタやセレナは高い。5万キロ以下のスライドコンパクト中古にしとき。マジで。
あたりがよく刺さった。
そうね……買い物の熱に浮かされて冷静な判断できなくなってる感もある。
今後の生活のフットワークを考えれば、大きな車より軽の方がいいか、とも考えてきた。
それを踏まえて昨日寝ながら考えてたのは、やっぱりN-BOXにして遠距離は都度カーシェアを借りてくる案。
そもそも車に対しては、急病や駅への送迎などの街乗りと、帰省やレジャーという2つの利用シーンがある、と考えている。
街乗りは突発的に発生するからカーシェアだと厳しいが、レジャーなら前もって予定を立てて予約開始日の0時に押さえれば問題ない。
N-BOXとシエンタの差額を100万として、10年で均して年10万!
これをカーシェアで……使ってたらそんな変わらん気もするな。
と思ったが、安全装備がなぁ。ACCとかはまぁ高速乗らないからいらん。LTAもいらん。だが衝突回避支援はほしい。バックモニターも必須だ。
リセール考えたら新車でもいいかもなんだが、うーんじゃあやっぱりミニバン一本か?
ジジババも乗るから援助してってなると
うーん斗比主閲子案件不可避な予感。
セレナ、一応手は届くが家計のバランス考えたらやっぱ分不相応なんだよな。お察しください。
そもそも検討を始めたのが、テレビ神奈川のクルマでいこうの新型アルト回で結構よさそうだなと思ったのがきっかけだった。
ただ、ダイハツ・スズキはスマアシ性能どんなもんだろうという気持ちはある。
あとチャイルドシート関連の助言もあざす!
まずトラベルシステムで、1歳からトラベルベストがいいのかなと思った。
回転式は良さそうだけど、高そう(要出典)なのもありスライドドアならいらんかな。
トラベルベストは着脱動画も見たけど、それなりにスムーズに行けそうだし。
そういえばこの辺はGOの提供範囲内だから、非常時はタクシー呼ぶでもいけるとは思うんだよな。
じゃあいよいよレジャー用のカーシェアでいいかという感も……。
妻に軽+カーシェア案を話してみたら、長距離だと子どもがお菓子食べ散らかして吐く、それが長距離移動の現実という指摘が出た。頼れる~~。
……うーーーーーーーーーんどうすっかな。
とりあえず3年軽ハイトワゴンで過ごして下取り…いやいやコスト圧縮したいから軽にするのに意味ないのでは。
今日は泥の中を裸足で歩いた。歩いた先には何があるかわからないが、とにかく遠くへ逃げなければならない。
途中でミミズに出会った。幾多もの足が彼を踏み潰したのだろうが、元気にうごめいている。
彼は逃げることとは無縁で、この泥の中でそれなりに快適に過ごしているのだろうな、と思ったとき、瞬間的に嫉妬のような感情を抱き、それに呼応して彼を踏んでしまった。
ただ泥があるだけであれば、彼は泥の中に埋まって終わりであるが、たまたまその下には大きい石があったため、その石と僕の足に挟まれてしまい、ミミズは潰れてしまった。
私が踏まなければ生きていたであろうミミズの死骸を見て、酷いことをしてしまったと思ったが、それは一瞬だけで、またそそくさとどこへ行くかもわからずに次の一歩目を踏み出した。
その時真上に飛行機が飛んできて、次の瞬間、僕も潰れた。
抑え込んだ気持ちは一体どこに行くのだろう。
そういう時、胸が苦しくなる。痛くなって、息が浅くなって、ぐっと縮こまって耐えようとするほど、胸が苦しくなる。
そうなってしまったら、あとはその苦しみが引くまでをひたすらに待って、おさまると、「ああ、治った。健康って素晴らしい」なんて思ったりする。
親とか、友達とか、恋人とか、身近な人のちょっとした一言にぐさりと刺された気分になることが、私には多すぎると思う。
自分の気持ちを伝えたくても、話そうとすると涙が出そうになるから言えなくて、それでまた胸が苦しくなるような悪循環の中で、やっぱり耐えることしか私には方法が見つからなかった。
知ろうとしていないだけかもしれない。でも知りに行く場所もない。
こうやって抑え込んできた気持ちが積もるたびに、自分が何者なのかわからなくなって、そのたびに自分という人間が散らばって、そこかしこにちょっとずついるような感覚になる。
今抱えているぐちゃぐちゃな気持ちは決してなくなるわけはないのに、普段はきっちり鳴りを潜めて、最初からあるはずなかったような顔をしている。
それが堪らなく怖い。消化できない気持ちを爆弾みたいに抱えて生きることの怖さを、誰が認めてくれるのかも私は知らない。
そんな風に出来上がった自分という存在をなかったことにしたくて、もう今持っているものも何もかも投げ捨てて、どこか遠くへ行きたくなる。
私のことを誰も知らないところに行きたい。
胸が苦しい。
もはや存在しないのかも知れないし
遠い世界というか
もうほとんど知らない人たちばかりで
そのぐらい
もうオリンピックに馴染みがないというか、
世間の関心事ではないのかも知れないわね。
それどころじゃないって感じもあるけど、
かと言って日常は変わらないで、
世の中何を中心に回っているのかしら?ってふと思うわ。
日々暮らすってのが精一杯な人多いのかも知れないわ。
いいやでも絶対やっぱりコロナ禍の中でのコロナ慣れしちゃってて、
そういった静かにすごすってのに慣れちゃった反面、
ダニエルクレイグさんやリーアムニーソンさんの映画もやってるけど、
観に行かなくちゃ!って
頑張る気力がまるでコロナ禍の中のコロナ慣れしちゃってるなりよ。
もう急にコロ助が出てくるぐらいだもん。
クライマッチョだわ。
そう考えたら一番手っ取り早く非日常になるって方法を考えたらやっぱり遠出するってことじゃないかしら?って結論につけるべく安直な考えをもってしてもそうなるんだけど、
どこか遠くへ行きたいのよ。
見慣れない風景、
知らない土地で道に迷ったり、
そんな体験が足りていなかったのかも知れないわ。
きっとそうよ。
遠きに行きたいんだわ。
ずっと同じところに留まっていると、
何かが澱んでくるような気がするわ。
なんだかそう思うと
遠くに行きたい欲がひしひしと沸いてくるじゃない。
あーどっか遠くへ行きたいわ。
きっとそこからだったのよ。
気付いただけでもまだマシよね。
まだ取り戻せるわ!
うふふ。
何度も書いてるけど
基本ブラックのヒーコーに好みの量のミルクをインする好みのカフェオレよ。
みんなもやってミルク!
最近じんわり朝起きてホッツ白湯をゆっくり飲んで身体を温めて起こすスロースタート起床が流行ってるのよ。
私も真似してみてるわ。
じわじわ目覚めてくる感じよ。
詳しくはスロースタート起床で調べてみてね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
小学生。近所に住んでいた友達と些細なことでもめ、いじめられた。幼稚園までは親の転勤で新しい環境に飛び込んでもすぐに友達を作れるくらい明るかったが、いじめられたことで私の強みは潰された。自分が何を言っても誰にも聞いてもらえないが、言動で私を傷つけようとしてくる人があまりにも多く、少しでも人に話を聞いてもらいたくて異様なほどの早口で話したり傷つかないために自分に対する悪口を軽く受け流したりする癖はこの頃ついたと思う。
中学生。音楽部に入った。ピアノ等未経験の音楽初心者で入ったなりに努力して1年生の頃の顧問の先生にはたくさん褒められていたが、2年になってその先生が退職し、新しい顧問には嫌われ、3年生になっても自分だけ役職につけてもらえないなどの仕打ちを受けた。
家に帰ると勉強はあまりせず、全然楽しくない部活の憂さ晴らしとしてアニメばかり見て絵を描いていた。
そのせいで親にはよく怒られており、小学生の頃いじめてきた子を引き合いに出して〇〇さんよりいい高校に行きなさい、悔しくないのなどと言われ続けていた。
高校受験では3年夏には国際系の行きたい高校を見つけたものの、内申書と数学と理科が最後まで振るわなかった。本命1校の公立高校に落ちたら私立に行かなければならない県に住んでおり、私立に行かせる金はないと毎日気が狂いそうなほど言われた。やる気のない生徒が集まる塾に通っていて、講師もいかにも大学生バイトという感じであまり教えてくれないし、親に塾を変えたいと言ったものの、お金がかかると言われて叶わなかった。
最終的に家から近い、自分の偏差値で行けそうな公立高校を受験し、合格した。通っていた塾にも私と同じ高校を受験した人が何人かいたが、私以外は落ちたようだった。私より高い偏差値の高校に行った生徒はいなかったらしい。
高校生。トラウマと化した中学とは180°違う運動部に入った。先輩の中にも初心者で始めた人がいて、とても優しく教えてくれた。友達もでき楽しくて良い環境ではあったが、初心者だったこともあり周りと比べて体力もなく競技は全く上達しなかった。そのうち教えてくれる先輩とか友達にも引け目みたいなものを感じ始めた。先輩や友達は強かったため地区大会や県大会の応援に行くたびに交通費がめちゃくちゃかかり、お小遣いでは足りなくなった。親からは毎月のように応援に行くたびにそんなことをして何の意味があるのと言われた。もうお金は借りられないと思った。
親に黙ってアルバイトを始めた。部活と勉強との両立はとてもキツかったが、将来のために少しでも働いて、お金を稼いでいると思うと何か安心感のようなものがあった。この頃にお金を稼ぐことの楽しさを覚えた。
特に頭がいい高校ではなかったからか高校時代の友達は美醜の話で盛り上がる人が多く、昼休みのたびに誰が可愛いとか誰がブスとかそういった話ばかりしていた。ブスで恋人もいなかった私はそういった話を聞くのも嫌だったが別の話題に持っていく力もなく、適当に相槌を打つことしかできなかった。
高2の3学期に大学受験に対して危機感を持つようになった。前述の部活とバイトの掛け持ちで学校の勉強は疎かにしており、特に2年生の頃は学校をサボりがちで午後から高校に行ったり部活だけ参加したりしていた。そのため、親が最も期待していた指定校推薦は望めそうになかった。
高3になる直前くらいに部活もバイトもやめ、親に頼み込んで塾に入れてもらった。部活もバイトも辞めるのはすごく気が引けた。親のせいと周りには話したものの、全部自分で決めたことだった。子供の頃から学歴コンプや貧困などの話を読み漁っており、親から絶対に私立には行かせられないと言われたことも相まって絶対にお金のない大人にはなるまいという思いが強かった。
大学受験では入りたかった塾に入れたが、中学時代から得意だった国語以外あまり成績は伸びなかった。英検をとれば有利になる大学が多数あることを知り、受けた。検定には合格したものの一番行きたい大学の英検利用はスコアが足りず諦めざるを得なかった。
受験の前、大学に全落ちしたらどうするかの相談を親に持ちかけたところ、お前は女なんだし、落ちたら浪人しないで働け、結婚して早くいい旦那さん見つけろと言われた。自尊心がズタズタになっていた私はつらくなって泣いた。
その頃は12月だったためなんかもう全てのやる気を失ってしまったが、英検と得意だった科目を活かしなんとか2月、一般受験で世間的に有名な大学に合格することができた。
親も喜んでくれた。塾の先生も高校の先生も喜んでくれた。見返せた気がして嬉しかった。
大学が決まると以前働いていたバイト先に戻り、たくさんシフトを入れて働いた。その頃の店長や先輩がいい人だったこと、先輩に同じ大学同じ学部の人がいたことも私のバイト先への帰属意識を強めた。他のバイトを探すなど考えられなくなっていた。
4月になり大学に入学した。東京の大学だったためダサいのは恥ずかしく、今まで友達が本当に少なく親からあんた親友いないよね、と毎日馬鹿にされていたので東京でも生きれる普通の女の子になってみたいという気持ちがあり、大学デビューしたいとの思いから服や化粧に金を注ぎ込んでバイト代は一瞬で飛んだ。家では夜10時までに帰ってこいと門限が決められ、お金もなかったためサークルや部活の新歓期間は逃したまま結局入らなかった。
大学で最も楽しかったことは(私の周りだけかもしれないが)人を容姿で揶揄する子がいなかったことだ。周りはみんな頭のいい高校を卒業した子ばかりで、発言に強要が含まれていて聞いてるだけで面白かったし、オタクでも1人でいても陰口たたかれないし後ろ指を指されることもないしすごく快適だった。プライベートでは相変わらずバイトばかりしていた。
秋になり、バイト先では私がお世話になった店長が別の店に飛ばされた。そのころからバイト先の環境は少しずつ悪くなっていった。めちゃくちゃ気が強い先輩が何人も入ってきた。今思うとここで辞めておけばよかったのだが、当時のバカな私はそれをしなかった。
2年生になった。コロナが流行り、授業は全部オンラインになった。生活リズムはグチャグチャ、なんのために生きているのかよくわからなくなったが、2年から入ったゼミの授業が週2であり、カメラオンのzoomで同期や先輩と話ができたことだけが精神安定剤となった。この頃には授業とバイトの両立が不可能と親に訴えたことで門限はなくなり、2年生からやっとサークルに入り直せると思ったがコロナのせいでできなくなった。
というのも親はとてもコロナを気にしており1年くらいバイト以外の外出ができなくなった。友達と遊ぶというとものすごく苦言を呈され、一緒に住んでいる人のことも考えてと言われた。落ち着いた頃友達とチケットを取ったディズニーランドもバレて延期せざるを得なくなったし、成人式もそのあとの友達との軽い夕食の話も断らざるを得ず、そのあとだんだんと誘われなくなっていった。
唯一の息抜きはゼミの教授がきっかけで始めた昆虫観察だけだった。自然がたくさんある郊外に住んでいるため、邪魔されずに散歩だけはできた。自然の中を歩いて、虫を観察している時だけは面倒な親のことも溜まっている課題のことも忘れられ、癒された。そうして私のつまらない大学2年は終わった。
3年生になり対面授業が再開し始め、相変わらず親は文句を言っていたものの少しずつ大学に行くことができるようになった。
5月ごろに就活を意識しいくつかの長期インターンに応募したが全て落とされた。夏休み、やっと参加できた地元のボランティアの活動期間はまたしてもコロナが猛威を振るい、親にはまた文句を並べられた。東京に行くなんてもってのほかで、ずっと地元から出られなかった。ボランティアもコロナのせいであまり活動できなかった。
8月に親の職域でワクチンを打つことができ、9月からは感染状況の落ち着きもあって割と自由に出歩けるようになった。1年も延期していたディズニーランド、ゼミの同期との飲み、泊まり、1年生から憧れていた「大学生らしいこと」をやっとできた。
さらに転機が訪れる。大学でやっていた勉強会に参加し、そこで今まで会ったことないくらい頭がよく、私に色々な世界を教えてくれる人たちに出会った。そこで初めて勉強の楽しさを知った。なんでこんなに楽しいのに今まで気づかなかったんだろうと思った。高校受験で諦めさせられて以降嫌になっていた外国語も、友達と一緒に高校の時履修したけど知識は身についていなかった政治経済も学び直し始めた。遠くへ行って、知らない世界をたくさん見たいと思った。生まれ直した気分だった。
しかし、11月ごろから周りは一気に就活ムードに入りそれどころではなくなる。夏からインターンには応募していたが、1年次から興味のあることが一切できておらず、環境は最悪だったが6年続ければ何か足しになるだろうとしがみついていたバイト先でも、社員や先輩に嫌われ責任者にはなれなかったため、俗に言うガクチカも自己PRもなく、落ち続けた。周りには何人か休学して長期インターンやボランティアなどをする人も出始めた。私も一度きりの新卒就活、後悔しないように休学か就留か就浪して長期インターンをし自分のしたいことを見つけたい、ちゃんと何かに打ち込みたいと相談したところ親にこっぴどく怒られた。家を出てってくれと言われた。インターンも何も参加できず、就職先が決まらないかもしれないと言うと、女なんだからバリバリ働けないでしょ。就活なんか適当に地元ですればいい、それより男に好かれる、愛されて結婚するための努力をしろと言われた。あまりに呆れてしまい、返す言葉がなかった。私の人生ってなんなんだろう。
実は大学に入り、見よう見まねで都会の女子大学生としておしゃれをしてみて何か嫌悪感のようなものを感じるようになった。女として扱われるのが嫌だ。バイト先で自己肯定感の低い私をたくさん褒めてくれる先輩が入ってきて仲良くなったが、軽く肩を叩かれる程度でも体を触られたり、下ネタの話をされると途端に気持ち悪くなり、おまけにとんでもないクズだったので、関わるのをやめた。親とか同性の友達とかにも体を触られるのが嫌で喧嘩になったこともある。飲み会で酒が進み、恋バナや性行為みたいな話になっても嫌悪感があった。そのせいか恋人は今まで一度もできたことがないしまだ処女だ。
それなのになぜ女として振る舞い、男に好いてもらうために努力しないといけないのだろう。憤りしか感じなかった。自分のためだけに生きたい。
この間中学時代の友達と話す機会があったが、彼氏と同棲するなら〜とか、結婚を考えると全国転勤ありは嫌だよね〜とかの話をされ、私はやっぱりそういう考え方はできないなと思ってしまった。
年が明け、またコロナの感染者が増え始めた。親は毎日毎日感染者数をLINEで送りつけてきて、外出しているとどこにいるの早く帰ってきなさいと頻繁に連絡してくる。もう外食もできない。
こないだ休日のランチタイムにバイトしていたら普段は担当しないホールに回された。満席になった店で楽しそうに食事をする家族連れを見ているとなんだか辛くなってきた。コロナがなければ、もっと自由に生きられたのだろうか。誰も何も悪くないけど、涙を堪えながら接客をした。
人をまとめる力もなく、卒業見込みの大学に見合った頭もなければ普通に女として愛嬌を振りまくこともできない、これからの私はどうしたらいいのだろう。
今興味があるのはコロナ禍で始めた一眼レフでの写真撮影と昆虫と小学生の頃から好きだった自然、あとは自分が悩んだジェンダーとかお金とかの問題で、私みたいにやりたいことを諦めなければならない女子もいるだろう現状の社会には割と不満を持っているけど、別にものすごい性差別を受けたとかめちゃくちゃ貧しかったとかではないから何かの志望動機にするにしても説得力ないなと思っている。志望動機を書いていても自分ごとにできてないってキャリアセンターの職員には言われた。多分大学時代にあまり興味のあることも好きなこともしてないしどこにも行けてないからだと思う。
強みは今でも偏差値が70以上ある国語と、性格面では小学生の頃いじめられたからか自分と違う意見でも人の話をよく聞こうと意識しているのと最近いろんな友達との交流を経てやっと取り戻した明るさ、あと昆虫について詳しくなろうとする探求心だと、友達とか教授に教えてもらった。これが活かせるところがあれば知りたい。
それか生まれ直した私でもう一度勉強し直したい。もう4年生なので、そのためには社会に出てお金を貯めてからもう一回大学に入り直すか大学院に行くことかなと思う。
もう自分の人生において、お金にこだわる私はいない。今までは親の影響でコスパばかり考える気味が悪い子供だったが、たくさん遠回りをしてこそ学べることがあるのではないかと考えるようになった。
一度自立し、一人暮らしをしてからであれば親からはなにも言われないだろう。けれど1人で生きていくにあたってやっぱり職がないのは困るし、20代後半で大学を卒業してもちょっと貯金ができ、一人っ子なので自分しか頼れない両親の老後の面倒を見れるようなお金がもらえるところに就職できるかが不安だ。それかとりあえず行けるところに就職して、後々自分の興味関心があることができるところに転職するか。転職のことを考えると気が重くなる。新卒キャリアがどんなものでも、そこから転職ってできるものなんだろうか。
とりあえず早く親元を離れたい。
私の大学生活を返して欲しい。
本当に無知ですみませんが、向いてそうなものとか、どこに転職するにしても役立つスキルみたいなものがあれば教えて頂きたいです。