はてなキーワード: 違和感とは
実家に行ったら遺影じみたものが置かれていたので、父に聞いたら「ああ、10日ぐらい前に」とサラリと言われた。葬式とかやらないの?てかなんで私に連絡が来ないの?と思ったが、父と伯母の兄妹は、互いが寡黙な性格で連絡を取り合わないような希薄すぎる関係性だったから別に違和感はなかった。私も冷たい人間だからなのかもしれない。
伯母はずっと独身だった。伯母は実家で祖母と暮らしていて、私は数回しか会ったことがない。実家に家族で行ってもただ黙ってお茶を出すぐらいの人だったので彼女の性格はよくわかっていなかった。子どもとしても少し不気味で、祖母の家に行くのは気が進まなかった。祖母は20年ほど前に他界し、それからは一人暮らしをしていたと聞く。
様子が変わったのは10年ぐらい前。深夜、突然伯母が我が家にやってきたのだ。「ごめんくださーい」みたいな感じで。相変わらず無表情だったけれど、目の焦点があっていないような。「隣人が私を監視しているから逃げてきた」「電車に乗っててもドローンで追いかけてくる」「ずっと私の悪口を言っていて本当に怖い」などと言うので、瞬時に「あ、統合失調症だ」と悟った。父は伯母の異常な雰囲気を前に絶望したのか、通常運転なのかよくわからないけれど、寝室に戻ってしまった。父の淡白さに呆れながらも、私はこの夜初めて伯母とまともに対峙した。彼女はリビングにちょこんと座りながら淡々と自分が体験したことを語った。そして最後に「結婚していないというだけで、どうして私は責められなくてはいけないの。あなたなら、わかってくれるわよね?」と言われた。
心底驚いた。ずっと独身なことに劣等感を覚えていたということに。
彼女が私に同意を求めたのは、独身で仕事に追われる毎日を過ごしている私の近況を父から聞いていたからだろう。自分の姉は早々に結婚して専業主婦になっていたから、私に対して余計に共感する点があったのかもしれない。そして、伯母と私は同じ大学を出ていた。
私はそれまで「1人で生きられるようになりたい」と強く願っていたものの、その果てにあるのは伯母の姿なのかと思うと、ぞっとした。私は結婚や家庭を持つことが成功だとは思わない。でも、伯母の世代だとそうはいかないかもしれない。伯母は大学を出てから仕事についたものの、ぱったり仕事をやめてしまい、ずっと実家で祖母と暮らしていたらしい。彼女が私の前でずっと無言だったのは「兄の成功の証」である「家庭」を見せつけられて、じりじりと自尊心が削られていたからなのかもしれないし、祖母から「お前はなぜ結婚できないのか」と問いただされていたかもしれない。テレビのワイドショーは芸能人の結婚ニュースで溢れているし、ドラマを見れば結婚こそがゴールのように描かれる物語が跋扈していた。おそらく伯母にも友人はいたはずだが、多くが結婚していき、疎遠になったのだろう。実家に取り残された伯母は、少しずつ精神が崩れて、病に至ったようにも見える。すべて想像でしかないけれど。
幸か不幸か、私は心療内科に通っていたのですぐに伯母を向かわせ、その後病院を転々とした。さらに認知症も発症し、施設に入っていたというわけだ。ここ10年は、意識が混濁状態でほぼ意思疎通はできなかった。それでもしぶとく10年を生き抜いたのだから生命力は強かったのだと思う。
そして、先日息を引き取った。伯母とはほとんど会話したことがなかったものの、自分の人生観を大きく変えられた。彼女はどれほど「結婚」の呪いに蝕まれたのだろうか。想像すると胸がぎゅっとしめつけられる。あなたを悪いなんて思っている人なんていないよと言ってあげたかった。彼女の人生は幸せだったのか? そんな野暮なことを考えては、自分はもっと関わるべきだったかもしれないと後悔の念が湧き上がる。
孤独は人を狂わせ、人は独りでは生きていけない。伯母は私の肉体に深く刻みつけた。
https://ameblo.jp/mydreamchaser/entry-12330537320.html
まず指摘すべきは、性同一性障害とは、ある意味において本質的にはそもそも「自称」のものであるという性質を有するということである。すなわち、性同一性障害とは、客観的事実としての性別が明らかに男性ないし女性であるにもかかわらず、主観的には、その性別とは反対に自己の性別を認識し、ジェンダー・アイデンティティを有する疾患なのである。この「主観」を「自称」という言葉に置き換えるならば、医者を含めた周囲の認識のいかんにかかわらず、自分は性同一性障害だと自称することこそ、性同一性障害の根幹的な特徴だと言えるかもしれないのである。
さまざまな性別違和の中で、どのような程度、種類のものが性同一性障害といえるのかは、診断基準の中で必ずしも明確にされているとは言い難いため、なにをもって「本物」と診断するか、その境界は不明瞭なのが実状である。
「女装すると興奮してマスターベーションする」のように、性的興奮を目的として、女装するものや、コスプレのように楽しみ、気晴らしを目的として異性装をするものもいる。彼らの場合、自分自身の身体や、普段の性役割に関しては、強い違和感はない。ただ、「女装した時により一層女性らしくなりたいから」といった目的で、女性ホルモン投与を希望したりするものなどもいる。
完全に偏見が入るから匿名の場でしか言えないんだが、今までの人生で出会ってきた性自認が異なる類の人たち(そしてそれを公言する人たち)、そこそこ高い割合で頭がそんなに良くないと思ったんだよね。知性が低いのにプライドだけが異常に高くて、特に俺はそこそこいい大学に通ってたってのもあるんだけどなんかすげー無理して入ってきたんだなっていう人が多かった。変な推薦入試を経由してたり、筆記試験をどうにか回避して来る人が多かったし身の丈に合わない勉強をしてSNSとかで何も知らない人相手には威勢のいいことを書いてるけど、実態は馬鹿丸出しで周りからうっすら噂されてるみたいな感じ。1人や2人ならまぁそういう人もいるなって感じなんだけど、すごく典型的というか公言してる人が大体そのパターンだったんだよね
でまぁ彼らは頭が悪すぎない程度ではあったんだが、増田でファビョってる人たちと何度かやりとりしてみて、あぁやっぱ知能が低くてプライドが高いみたいなタイプの人が性の違和感に逃げ道を作りがちなんだなって気持ちを新たにした。実際そういうのって研究として出てたりしないんだろうか?
JTCの人には石丸のあの感じに対する違和感が比較的少ないんだろうな。石丸のあの責任を逃れ押し付けはぐらかす話術って典型的なJTCの、それも大手銀行のそれだからな。
普通のまともな会社、その辺の中小企業やベンチャーや外資系とかだと、ああいう存在自体がコストになる奴を抱える余裕が無い。基本的に目的目標を達成実現するのが優先で、稀に重大な事故が起きてから一部のクソな奴らがそういう揚げ足取りとか責任押し付けマウンティングを始める。いずれにしても初手からサブウェイ注文出来なさそうな会話する奴はただの無能扱いになる。それがちゃんとした社会人の感覚。
ところがJTCだと「責任」という概念のプライオリティが高すぎて、ああいう奴が溢れかえってる。JTCの環境に慣れてる奴らって全員石丸予備軍だと思うよ。もし自分やばいかもって思ったらサブウェイでマトモな会話の練習しておけ。
https://ameblo.jp/mydreamchaser/entry-12330537320.html
まず指摘すべきは、性同一性障害とは、ある意味において本質的にはそもそも「自称」のものであるという性質を有するということである。すなわち、性同一性障害とは、客観的事実としての性別が明らかに男性ないし女性であるにもかかわらず、主観的には、その性別とは反対に自己の性別を認識し、ジェンダー・アイデンティティを有する疾患なのである。この「主観」を「自称」という言葉に置き換えるならば、医者を含めた周囲の認識のいかんにかかわらず、自分は性同一性障害だと自称することこそ、性同一性障害の根幹的な特徴だと言えるかもしれないのである。
さまざまな性別違和の中で、どのような程度、種類のものが性同一性障害といえるのかは、診断基準の中で必ずしも明確にされているとは言い難いため、なにをもって「本物」と診断するか、その境界は不明瞭なのが実状である。
「女装すると興奮してマスターベーションする」のように、性的興奮を目的として、女装するものや、コスプレのように楽しみ、気晴らしを目的として異性装をするものもいる。彼らの場合、自分自身の身体や、普段の性役割に関しては、強い違和感はない。ただ、「女装した時により一層女性らしくなりたいから」といった目的で、女性ホルモン投与を希望したりするものなどもいる。
https://anond.hatelabo.jp/20240706023024
数日前に↑を投稿した。
思ってた以上にたくさんの方に反応してもらえて、本当にありがたかった。私は自分の家のことを誰かに話したことがほとんどなかったから。
前回の投稿の追記にも書いたが、父と言い争いをした次の日、私はカウンセリングに相談に行った。
そして、カウンセラーに「あなたのお父さんは残念ながら世間一般で言う毒親です」と言われて衝撃を受けた。
コメントでも、父に対し「毒親だ」「まともじゃない」「そんな親からは逃げろ」という意見が見られた。
正直、私は今も自分の父を毒親という言葉で表現していいのかはわからない。
でも、私にとっていい父親ではなかったと、ようやく思えるようになった。
長い間、父がおかしいのか、自分が求めすぎているのか本当にわからなかったのだ。
私と同じように、父から、あるいは母から離れるべきか悩んでいるひとも多いはずだ。
悩んでいる方の参考になるかわからないが、私が生まれるまでの父の人生と、私から見た父と祖母の話をそれぞれ書き出していく。
私には父方の祖父がいない。幼い父と叔母(父の妹)、そして専業主婦だった祖母を置いて、祖父は突然出ていったからだ。そこから祖母は女手ひとりで父と叔母を育てた。私が想像もできないくらい壮絶な生活だったのは確実だと思う。
それでも父は猛勉強して、希望していた大学に合格し、それなりに知名度のある有名な会社に入った。そして実家を出た。数年後、叔母も実家を出て、祖母は一人暮らしになり、このタイミングで精神疾患を発症し、精神科に3回入院していたようだ。
父はその事実を伏せたまま母と結婚し、その数年後に私が生まれた。その2年後に妹が生まれ、同時に祖母との同居が始まった。
父は定年まで同じ会社で勤め続けた。おかげで私は金銭的に苦労をしたことがない。
父も叔母も祖母も、祖父が出ていったときの話を一度もしたことがない。なぜ私が祖父が出ていったことを知っているかと言うと、父方の祖父がいないことを不思議に思った私が、子どもの頃に母に理由を聞いたからだ。母は言いにくそうにだったが教えてくれた。加えて、「お父さんがいるって本当に幸せなことなんだよ」と私に言った。この言葉が、わたしの中で、ひとつの価値観になってしまった。
ここからは私から見た家庭内の話になる。父のことから書いていく。
父が仕事から帰ってきたとき、母は「おかえり」と必ず声をかけていた。でも、「ただいま」を父が返すところは見たことがない。
父は母が作ってくれた食事を美味しいということは一度もなかった。眉を顰め、あまり噛まずに飲み込む。うまく切れていない野菜を箸でつまみあげ、「見てこれ。ひどいね」と笑いながら言うこともあった。母の前で、私や妹に向かって言うのだ。
仕事が忙しくなり、私が寝た後に父が帰ってくるのが当たり前になった時期があった。母が父の分の食事にラップをして、箸を置いて、すぐ食べられるように準備しているところを私は見ていた。私が朝起きても、食事はそのままだった。母はそれを流し台に捨てていた。
家族で食事をしているとき、私が箸を落としたり味噌汁をこぼすたび、父はうんざりした顔をして、なにも話さなくなった。母に「なにやってんの!」と怒られることより、自分のせいで父の機嫌が悪くなることのほうがなぜかずっと怖かった。
私は母のことが大好きだった。同じくらい父のことも大好きだった。でもなにより、父に嫌われることが怖かった。
だから母はかわいそうじゃない。父は母をそういうふうに扱っていいひとなんだから。母の失敗は笑っていいんだ。そう思っていた。私は切れてない野菜を見つけるたび、父と笑った。母は何も言わなかった。
気づけば、元から会話が少なかった父と母はほとんど話さなくなった。相手に用事があるときは、私か妹に伝言を頼むのだ。
「喧嘩しちゃったのかなあ」と私は思っていた。それでも、すぐ仲直りするだろうと気にしないようにしていた。
いつしか父と母が話さないことが当たり前になっていた。そしてそれに触れること自体タブーなんだとわかっていた。
学校が休みの日、「〇〇(近くの遊園地)に行くぞ!」と突然私と妹に行った。父の行動はいつも突然だった。どれだけ気乗りしなくても、私も妹も何も言わず父について行った。それが一番正しい行動だと思っていたからだ。
でも、その日はどうしても行きたくなかった。家で友達から借りた漫画を読むのを楽しみにしていたからだ。
「行きたくない。家にいる」と返すと父は「行ったら楽しいぞ。行こう」と眉を顰めつつ言った。少し怖かったが「読みたい漫画があるから」と返した。「そんなんいつでも読める。行くぞ」うんざりした口調で父は言った。どれだけ駄々をこねても、私が泣き出しても、父は全く引かなかった。私は諦めて遊園地に行った。
父は私を楽しませようとしているんじゃなくて、"休日に娘を遊園地に連れていった"という事実がほしかったんだと気づいたのはもっと後のことだった。
中学生になると流石に父との会話は減ったが、それでも父が好きだった。正直、父の振る舞いに違和感を感じていた。信頼はできなかった。父の行動を真似るのはやめた。でも父に勉強を教えてもらうのも好きだった。そして、まだ父が怖かった。
そんな家で育った私が友達の家に初めて泊まった日、衝撃の連続だった。たぶん、私が中3か高1の時だったと思う。
その日、友達のお父さんは先に夕食を済ませ、夜勤に行く準備をしていた。夜にお仕事するひともいるんだなあと思っていたら、お父さんがお母さんに「たぶんいつもより遅くなる」と話しかけた。お母さんが「ならお腹空くやろうから朝ごはん多く用意しとくわ」と答えていた(多分こんな感じの会話だった)。
友達のお母さんが私と友達に準備してくれた食事を食べていると、友達が「このおかずめっちゃ好きやねん!」と私に言った。友達のお母さんは「いつもそれ言うから今日は多めに作ったよ」と笑いながら言った。
え?お母さんの食事って、おいしいって感じるもの?そしてそれを伝えるもの?
友達の家の全てが衝撃だった。
私の家のお父さんって、もしかしてひどいお父さんなんじゃないか。
私って、ひどい娘なんじゃないか。
ずっと感じていた違和感の正体がわかった気がした。
そしてモラハラ、という言葉を知ったとき、まさにお父さんじゃんと思った。
それから、父との関係は一気に悪くなった。勉強でわからないところがあっても父に聞かなくなった。あまり顔を合わせたくなくなった。
父が突然態度が変わった私に困惑するのを感じた。まあ反抗期なんだろうと納得しようとしていたのもわかった。
私が直接父に不満を言うことはなかった。
父にはお父さんがいないんだから。父の方が私より辛かったんだ。そして、"父"を知らないんだから、父親が下手なのも当然だと思っていた。
父が友人とどこかに出かけることは見たことがなかった。会社の人と飲みに行くこともほとんどなかった。
父には友人がいないことにも気付いていた。だから私のように自分以外の家庭を知るきっかけもなかったんだろうと、私は自分を納得させて生きてきた。
自分の父親を大事にできない自分こそ、"娘"が下手なんだと思う気持ちが強かった。
それでも父への違和感は日に日に強くなっていった。
こうして私は父を避けて生きるようになる。
正直、祖母との思い出はほとんどない。私が幼稚園の頃、オセロを相手をしてくれたことくらいだ。
一日中妄想や独り言を呟き、自分で作った変な歌を大声で歌い、一人二役で会話をする。 部屋に監視カメラがついていると言ったり、テレビから電磁波が出てると大騒ぎしたり、好きな野球選手と結婚することになったから出て行くと言い出したり。皇室に手作りの人形を送りつけ、返送されることもあった。そして母や親戚と揉め事を起こす。それが私が知っている祖母の全てだ。
様子がおかしくなっていく過程を見ていたら、病気になったのかと疑うこともできたかもしれない。
でもまともな祖母を見たことがなかった。だから、祖母は生まれた時からこういうひとなんだと思っていた。
祖母が普通じゃないかもしれないと思ったのは、私が高校生の頃だ。
クラスで友達数人とお昼を食べていると、友達の1人が「最近おじいちゃんがボケてきててさ、ご飯食べたばっかりなのに食べてない!って言うんよね。認知症の人ってほんまにそう言うんやってびっくりした」と笑いながら話していた。別の1人が、うちはひいおばあちゃんがボケちゃって〜と笑っていた。
それを聞いた私は、点と点が繋がったように感じた。
みんなのおばあちゃんよりちょっと早いけど、私のおばあちゃんのあの行動は、認知症だったのか!と本気で思ったのだ。
祖母のことは、今まで誰にも話したことがなかった。でも、認知症だったんだ。それなら話せる!と私も笑いながら友達に言った。
「うちのおばあちゃんも、なんかテレビから電磁波が出てるとか、部屋に監視カメラがついてるとか、会ったこともない好きな野球選手と結婚するから出て行くとか言うんだよね」と。
空気が変わるのを感じた。みんなが一気に警戒するのがわかった。「いや、それ、ボケとかじゃないんじゃない?病院に行ったほうがいいような…」と1人が遠慮がちに言った。周りも同意するように頷いた。そしてすぐに違う話になった。
今なら笑えるが、当時の私にとっては本当に恥ずかしい出来事だった。やっぱり祖母は普通じゃないんだ。それがわからなかった自分も普通じゃないんだ。死にたくなった。それから誰にも祖母の話はしなかった。
私が部屋で寝ていると、深夜にドンドンドンドン!と凄まじい勢いでノックする音で目が覚めた。
「〇〇ちゃん!〇〇ちゃん!」と部屋の外から祖母が私を呼ぶ声が聞こえた。
私が「もうなに!?」と声を荒げて扉を開けると、「なにかあったか?なあ、なにかあったか?」と、祖母は虚な目で縋るように私に聞いた。
祖母には何かが聞こえたんだろう。何かが見えたのかもしれない。でも私には何も聞こえてないし見えてない。私は「なにも起きてない!もうほんとにやめて!」と怒鳴って部屋を閉めた。部屋の外から祖母がなにかブツブツ呟く声が聞こえた。布団を被って目を瞑った。しばらくすると、祖母が諦めて自分の部屋に戻って行く音が聞こえた。
次の日、祖母が「昨日は悪かったなあ」と涙を浮かべて私に謝ってきた。勘弁して欲しかった。泣きたいのは私だと言ってやりたかった。私は祖母を無視してその場を離れた。
部屋に戻った祖母が大声で歌ってるのが聞こえてきた。「〇〇さんお願いしまーす!〇〇さんと結婚しまーす!ひとりで〇〇さんのところに行きまーす!」と何度も何度も繰り返していた。
祖母がずっとずっと不気味だった。
でも病気なのか、もとからそういうひとなのか、私には本当に長い間わからなかった。
祖母が早く死んだらいいのに。
そう思うこともあった。
そんなことを考える自分が情けなかった。
気付けば、私は祖母のことを見えないもののように振る舞うようになっていた。それが一番楽だったからだ。
もちろん書いたことが全てではない。
でもなぜか今は思い出せない。
私は、気づくまで30年近くかかった。
これさぁ。
今みたいに女は小顔でなければ人権無しみたいな風潮になったのって、
てっきり単純に安室奈美恵に人気が出たからかと思ってたんだけど
これを見るとどうやらタモリが芸能人の顔が大きいといちいち弄って侮辱した事が、要因として大きいらしいな?
何という事をしてくれたんだろう…
ルッキズムは少子化の大きな原因だと思っているけれど、その中でも特に頭蓋骨の大きさは整形してもどうしようもないから
このスレッドの書き込みの中でも大顔で悩む女性に対して「子孫を残さなければいいのでは」と冷たい言葉が掛けられているけれど
実際こうやって容姿を侮辱された女性が、子供を産まない決意をするのは当然なんだよね
そして子供に遺伝したら困るから、結婚相手を選ぶ際にも慎重になる
小顔信仰の広まりは少子化の大きな原因の一つだし、タモリは戦犯だと思うよ
362. 匿名 2023/01/05(木) 00:50:18
笑って良いともから
『顔大きいっすね!』て揶揄ってた
顔が大きい人は美人でも気にし始めた
401. 匿名 2023/01/05(木) 09:28:17
タモリさんはサングラスを外したら地味な顔で、街なかでも気づかれない程
顔の大小ははゲストと比較しやすいから、いつの頃からか言及し始めた
417. 匿名 2023/01/05(木) 10:40:33
渡辺謙さんが座るなり
『顔大きいですね!』に
謙さんウォッて感じで微妙な反応された
なったね
424. 匿名 2023/01/05(木) 11:12:58
子孫残さなければいいのでは?
親を恨んでるしとにかく顔の大きい私は思います。
そこはそこまで違和感ないけどな。
他のスタッフと同等の扱いでも良いと思うんだが。
なのに声優がアニメキャラを演じてるみたいな風潮でキャラ=声優にしていることに違和感しかない。
アニメキャラは声優だけじゃ成立しない。声優はあくまでアニメの制作工程の一部に過ぎない。
なのにアニメキャラは声優が命を吹き込んでます、みたいな扱い。
こういう事を書くと「声優を蔑ろにしろって言うのか!」とか言う0・100でしか物事を考えられない発達障害がいそうだけど健常者なら理解してくれると信じていちいち補足説明しないよ
出典:
https://anond.hatelabo.jp/20240709080000
荻上 改めまして、こんばんは。荻上チキです。東京都知事選挙・開票特別番組「開票LIVE2024 カオス!東京で何が起きていたのか?」ここからはYouTube LIVEとTikTok LIVEで、このあと10時までお送りしたいと思います。えー今日のお相手は、プチ鹿島さんと、能條桃子さんと、武田砂鉄さんです。引き続きよろしくお願いします。
それでは、今回出馬された石丸伸二さんと中継が繋がっています。石丸さんこんばんは。
石丸 こんばんは。
荻上 さて、まず石丸さん、今回の都知事選挙、手応えを感じたと、先ほど発信もされていましたが、特にどんな点、手応えを感じた選挙だったんでしょうか…?
荻上 あ、さきほどぶら下がりの中で、今回の選挙、あの自分たちは頑張ったと、あの走り切ったというような話をされてたと思うんですが、特にどういったところに力を入れて、どんな手応えをお感じになりましたか?
石丸 手応えの話じゃないですよそれ!「自分たちができることを全部やった」という意味です。何かの反応ではなくて、自分達の実感の話をしました。
石丸 うくっ(失笑)てっ手応え?て、手応えって言うんですかねそれ? あのぉ、なんだろ? 自分達でこれをやろうと決めて、それを実施した・実行したという、まぁそれを手応えって言うのかな? でも手応えってもっと「反応」のことを言うかなっていう気はしますけど
荻上 あの、そうですねあの、反応…
荻上 あっいえ、えっと今回自分たちは全力を尽くした、で、それはあーっとおそらく票に繋がったというふうに、そのお感じになっている点はあるかと思うんですが、その手応え、あるいは「こういったような政策は届いたな」と感じる点、あるいは「課題だな」と感じた点などはいかがでしょうか…?
石丸 んーとぉ…届いたかという意味では、あのー、極めて大きいのが、知名度の差ですよね、どう考えても。ハイ。その意味で、まあ、それはわかってたので、その不利な状況で、できることを全部やってきたっていう、ところですねー…如何ともし難いその「環境」の話なので、その環境の中に居る主体としては、限界があるっていうことだと思います。
石丸 それはもうメディアの話であって、私から何か言うのも変かな?っていう気がしてます。
武田 これあのー、石丸さんの「覚悟の論理」っていう本ちょっと熟読さしていただいたんですけれどー、あのー、まあ「メンタルが強いですね」というふうに言われて、なんでメンタルが強いかって言われたというとそのー、「相手の問題は、どうなっても私は知りませんよ」と割り切れるというところに、書かれていてですねぇ、ちょっとこう、政治をやられる方…からするとこの、「相手の問題がどうなっても私は知りませんよ」っていうふうに言われると、ちょっとギョッとしちゃうなという所も感じたんですけれども、このなんかまあ選挙戦でいろんな立場の人と、お会いしてお話しすることがあったと思いますけれども、このご本に書かれたことっていうのは、特に考えとしては変化はないですかねー?
石丸 ん?どういう点をギョッとされたんですか?
武田 ん?この…
石丸 そんなにおかしなことを言ってるつもりがなかったんですけど
武田 あーそうですかあ
武田 まあ僕自身が違和感を覚えたのは、まあ政治っていうのはいろんな意見を受け止めて考えを変えてったり考えを強化してったりということの繰り返しだと思いますけれども「『相手の問題がどうなっても私は知りませんよ』っていうふうに言い切れるっていう所が自分のメンタルの強さだ」っていうふうに言われると、なかなかそこに対して意見を届けるっていうことが難しくなっちゃうんじゃないかな? というふうに思ったんですけどねぇ
石丸 失礼ですが本当に熟読されました?
石丸 あのー、あのぉ、そういうふうな思いでは言っていません。
武田 ええ。
石丸 はい。自分の責任の範囲を定義するという意味においてその話をしてます。んで政治において意見のやりとりをするっていうのはアタリマエですよね。それを否定はしてないはずです。
石丸 じゅ、熟読された中で、
荻上 またあのー、お話聞かせて下さい。ありがとうございました。
石丸 あもう終わり?
荻上 ーはい。石丸伸二さんはこのあとまた別のメディアのインタビューが待っているということでここまでのお時間ということになりました。
「はてな匿名ダイアリー キーワード 石丸」で遡ってみろよ
最後石神が慟哭したシーンで色々考えてしまって、その理由の考察を色々ネットで見たが、あまりピンと来なかったので自分なりの感想を書いて考えをまとめたいと思う。
概ねネットで調べた範囲だと、自分のプランが崩れてしまい守りたい相手が罪に問われてしまうことによる悲しみだとか悔しさとかが理由と捉えている人が多かった。
個人的には自分のプランが崩れたっていうところに違和感があった。主人公は作中で天才物理学者であり、その主人公をして天才と言われている石神が失敗するのだろうか。
最後に石神が渡した手紙の内容はあまりにも同情を誘うものだったように思う。本当に自分が捕まって終わりとさせるのであれば、相手に嫌われるストーカーとしての手紙を残しても良かったのではないかなと。
石神は本当に自分の不幸で、花岡が幸せになるのであれば良いと考えていたと思うが、一方で1%くらいは自分のことを考えて欲しいと思ったのではないか。
そして、花岡が最後現れた時に、一瞬喜びを感じ、そしてそんな気持ちを持ってしまったことに対しての罪悪感に襲われたのではないかなと思う。
どうしてと言いながら泣き崩れていたが、花岡に対してどうして来たんだというより、自分に対してどうして最後に自分の欲望を出してしまっただろうということではないかなと。
荻上チキ司会のTBSラジオ番組での約3分半のインタビューの間に石丸伸二氏のヤバさが炸裂していたのでつい書き起こした。
ラジオ放送だがTBS公式のYouTube動画ではスタジオ映像とリモート画面の石丸氏が観られる。
「ヤバさ」は話しぶりや表情にこそ存分に表れているのだが、そのパンチ力に注意を持ってかれずに発言内容をみるには文字のほうがよい面もあると思う。
ネットニュースの書き起こしはつまんであったりするので。
著作権関係とかよくわからんがもしアレだったらゴメンナサイして消すけども。
荻上 改めまして、こんばんは。荻上チキです。東京都知事選挙・開票特別番組「開票LIVE2024 カオス!東京で何が起きていたのか?」ここからはYouTube LIVEとTikTok LIVEで、このあと10時までお送りしたいと思います。えー今日のお相手は、プチ鹿島さんと、能條桃子さんと、武田砂鉄さんです。引き続きよろしくお願いします。
それでは、今回出馬された石丸伸二さんと中継が繋がっています。石丸さんこんばんは。
石丸 こんばんは。
荻上 さて、まず石丸さん、今回の都知事選挙、手応えを感じたと、先ほど発信もされていましたが、特にどんな点、手応えを感じた選挙だったんでしょうか…?
荻上 あ、さきほどぶら下がりの中で、今回の選挙、あの自分たちは頑張ったと、あの走り切ったというような話をされてたと思うんですが、特にどういったところに力を入れて、どんな手応えをお感じになりましたか?
石丸 手応えの話じゃないですよそれ!「自分たちができることを全部やった」という意味です。何かの反応ではなくて、自分達の実感の話をしました。
石丸 うくっ(失笑)てっ手応え?て、手応えって言うんですかねそれ? あのぉ、なんだろ? 自分達でこれをやろうと決めて、それを実施した・実行したという、まぁそれを手応えって言うのかな? でも手応えってもっと「反応」のことを言うかなっていう気はしますけど
荻上 あの、そうですねあの、反応…
荻上 あっいえ、えっと今回自分たちは全力を尽くした、で、それはあーっとおそらく票に繋がったというふうに、そのお感じになっている点はあるかと思うんですが、その手応え、あるいは「こういったような政策は届いたな」と感じる点、あるいは「課題だな」と感じた点などはいかがでしょうか…?
石丸 んーとぉ…届いたかという意味では、あのー、極めて大きいのが、知名度の差ですよね、どう考えても。ハイ。その意味で、まあ、それはわかってたので、その不利な状況で、できることを全部やってきたっていう、ところですねー…如何ともし難いその「環境」の話なので、その環境の中に居る主体としては、限界があるっていうことだと思います。
石丸 それはもうメディアの話であって、私から何か言うのも変かな?っていう気がしてます。
武田 これあのー、石丸さんの「覚悟の論理」っていう本ちょっと熟読さしていただいたんですけれどー、あのー、まあ「メンタルが強いですね」というふうに言われて、なんでメンタルが強いかって言われたというとそのー、「相手の問題は、どうなっても私は知りませんよ」と割り切れるというところに、書かれていてですねぇ、ちょっとこう、政治をやられる方…からするとこの、「相手の問題がどうなっても私は知りませんよ」っていうふうに言われると、ちょっとギョッとしちゃうなという所も感じたんですけれども、このなんかまあ選挙戦でいろんな立場の人と、お会いしてお話しすることがあったと思いますけれども、このご本に書かれたことっていうのは、特に考えとしては変化はないですかねー?
石丸 ん?どういう点をギョッとされたんですか?
武田 ん?この…
石丸 そんなにおかしなことを言ってるつもりがなかったんですけど
武田 あーそうですかあ
武田 まあ僕自身が違和感を覚えたのは、まあ政治っていうのはいろんな意見を受け止めて考えを変えてったり考えを強化してったりということの繰り返しだと思いますけれども「『相手の問題がどうなっても私は知りませんよ』っていうふうに言い切れるっていう所が自分のメンタルの強さだ」っていうふうに言われると、なかなかそこに対して意見を届けるっていうことが難しくなっちゃうんじゃないかな? というふうに思ったんですけどねぇ
石丸 失礼ですが本当に熟読されました?
石丸 あのー、あのぉ、そういうふうな思いでは言っていません。
武田 ええ。
石丸 はい。自分の責任の範囲を定義するという意味においてその話をしてます。んで政治において意見のやりとりをするっていうのはアタリマエですよね。それを否定はしてないはずです。
石丸 じゅ、熟読された中で、
荻上 またあのー、お話聞かせて下さい。ありがとうございました。
石丸 あもう終わり?
荻上 ーはい。石丸伸二さんはこのあとまた別のメディアのインタビューが待っているということでここまでのお時間ということになりました。
インタビュアーの武田砂鉄の言い草もどうなんだと感じる向きもあろうが、どっちがどうとかいう以前に何の話も始まっていない。こんだけ話が始まらんことってある? バカがレスバやってんじゃないんだからさ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
都知事選の結果に思うのは、まず信任されたのは小池じゃなく都庁だろうということだ。
小池はたまに出て来てよくわからないカタカナ標語言って「あとやっといて頂戴」というだけの、よく言えばマスコットキャラ、悪く言えばバカ殿ポジションで、役人側からすればもうそれでいいよという体制が出来上がっているように見える。
蓮舫は何か決定的にやらかしたわけではなく、小池との違いを提示できなかった。都民にとって意味のある争点を提示しないということは「その椅子イイワネそろそろ譲ってよ」としか言ってないということだ。
そもそも小池がなんで都知事やりたいのか動機がさっぱりわからない。いや元々は「本邦初の女性首相」への足掛かりだったのは明白だが。
都知事で居たいだけの現職と都知事になりたいだけの新人なら現状維持でええわ。というのが「都民の審判」だったのだろう。
では石丸の躍進の意味は? 正直あんま意味とかないような気がする。小池VS蓮舫のカードがあほらし過ぎて宙に浮いた票が流れ込んだだけじゃないの?
インタビューのあとのスタジオで語られていたのは、良くも悪くも”選挙の風景”が変わってきたということだ。
ひとつには「一人街宣」と称するアレ。まさに草の根の、デモクラシーの原点に立ち返ったような動きかのように称揚していた。それは確かにそういう意味をも見出せるものと思う。でもそれなら自然発生的(笑)演説妨害みたいなしょーもない動きといかに切断するかっていう視点が要るだろうに、そういう目配りはないんだよなこの人たちは。
そしてもう一つ、ネットとリアルの境目がなくなって「言うてネットで人気なだけだろ」が通用しなくなってきたこと。「切り抜き動画」に乗せられやすい今どきの若者はバカですわねえみたいな上から目線の話をしていた。まあバカではあるんだろうけど。
そもそもなんでそういう古くて新しい劇場型の手口が猛威を振るうのかを考えた方がいいと思うよ。
私が思うにひとつにはこれぞポリコレの副作用である。自分の思いで正義を語ることばをうばわれた名もなき人びとの怨念は世に沈殿し続け、そのタール沼に火をつけていっちょ目立ってやろうというトリックスターが何度も何度も現れる。石丸氏はその中ではかなり小粒なほうではあろう。
確かに響け!は改変したわりに、改変した意味があんまり感じられないラストになってて、何がしたかったのって思ってしまった。脚本家が感じる違和感なんてしらねーよって。それだけのために改変したけどリターンが小さすぎね?
また、じっくり演奏を見せるべき所で大量に回想シーンを入れてきたのがどうしてって感じる。
演奏している本人達は必死で回想なんかしてるわけがないわけで、金賞になるかどうかを気にしながら待っているときにこそ回想を入れてじっくり演出すればいいのに、どうしてああなったのやら。
2、3年前から夏場の日傘を導入してマジでサイコーって感じなんだけど(30代男性)、最初にお前らを信じて買ったモンベルのサンブロックアンブレラ、あれは1回広げちまえばまあまあ良いんだけど、いちいち骨をぽきぽき折り畳みしなきゃいけないのが面倒すぎる。一応晴雨兼用だけど雨の日はびしょびしょで最悪だ。
たぶんこれはあくまでもアウトドア用であって、頻繁に電車に乗ったり降りたり建物に出たり入ったりする都市部での日常使いには微妙な気がする。
あと持ち手の部分が微妙に固定されてないというか、持ち手をしっかり保持しても柄がゆらゆら動く感じがしてちょっと疲れるな(これは個体差かも)。
まあ5000円台ならこんなもんかという感じでお蔵入り。
そんなわけで今夏はどうしようかと思ってたんだが、色々見たり調べたりしてEuroSCHIRMというブランドの折り畳み傘に行き着いた。
EuroSCHIRMのLight Trek Ultra UV、これはかなり良い感じ。モンベル同様アウトドア用なのでユニセックスなデザインだし、ぽきぽきの要らない手開き式でめっちゃ軽い(175g)けど、この間の暴風雨でも裏返ることなくしっかりしてた。それでいて直径はモンベルと同じ98cmなので使用感もほぼ変わらず。
8500~8800円とそこそこ値は張るがそれに十分見合った性能だと思う。
気に入ったので自宅や近所で使う用に長傘(Swing Liteflex Umbrella UV)も買ってしまった。
たぶん中華製で探せば似たようなスペックでもっと安いやつがあるかもしれないが、大手アウトドアショップで取り扱いがあるという安心感も決め手になった。
詳しい人は他にも良いのがあったら教えてくれ。サンバリアの評判が良いのは知ってる。
これももう散々言われてると思うが日傘はマジでサイコー。まあ外を移動する時にずっと日陰を連れ歩いてるようなもんだしそりゃサイコーだわな。
フェスとか屋外イベントで日にあたって帰った後特有の疲労感ってあるじゃん。あれがめっちゃ軽減されてる感じがするのよ。でも人混みでの使用には気を付けような。
日傘で上からの熱を遮ると地面からの照り返しがより際立って、こりゃ地面に近くなる犬や子供はしんどいわな…というのが身に染みて分かるようになったし、うちの犬や子供のことを夏場きちんとケアしてあげようと改めて思った。うち犬も子供もいないけど。
いや、自分もポキポキ式は軽量化のためだろうと思ってたし実際そうなんだろうけど、最終的に行き着いたEuroSCHIRMはポキポキしないのにモンベルの200gより25g軽かったので、今までのポキポキは何だったんや…という思いと共にこの増田をしたためたってワケ。もちろん材質やら何やらの違いはあるんだろうけどその辺はよう分からん
20年くらい前の折りたたみ傘はポキポキするのがデフォルトだったのでモンベルのやつも違和感なかったんだけど、30代だとわからんか...
いや普通に分かるけど。
非ポキポキ式や自動開閉式が主流な中で今時日常使いでこれはめんどくね?って話であって知らないとも分からないとも言ってないんだが、書いてないことを勝手に読み取るのやめてもろてええか
え、待って……
ほんまや……
じゃあなんすか、俺は皆のより70gも重い「55」をずっとポキポキやってたってことすか(WANIMA)
なんかブコメと噛み合わないなと思ったんだよな。
でもよく見ると「50」は一回り小さくて20デニール、「55」は75デニール+シルバーコーティングなんだな。UVカット効果は同じくらいみたいだけど遮熱・遮光効果がどれくらい違うのか気になるな。両方使ったことある人はぜひ教えてほしいぜ。
アサクリシリーズと言えば舞台となる場所の時代考証が売りと言っても過言ではないかなと
【GDC 2019】入念な時代考証で「Assassin's Creed」に往時のアクロポリスが復活
https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1176117.html
この記事でもわかる様に、たかがゲームの舞台にこれだけの事をしているのがアサクリシリーズ。凄いよ。
だからこそ、ノートルダム大聖堂の修復にゲームデータが使えるのではないかという話も出てくる。
それでも全てをノンフィクションで再現という訳にはいかなく、穴を埋めるためのフィクションも混じるわけだけど、しっかりとした考証されたもので補完されているから違和感がなく溶け込んでいるのがアサクリの舞台なわけで……
その確固たる自信が、教育用教材としても使用できる「ディスカバリーツアー」に垣間見えるのにさ(ミラージュにはディスカバリーツアーはなく、代わりに「History of Baghdad」という教育ツール)。
それが、日本が舞台ってなったら、PV見ただけでわかっちゃうような、クソ世界観をドヤ顔でやっちゃったからそこからいろいろな方向に飛び火しちゃったんじゃないのと。
弥助を使いたいなら戦国時代末期より、一応消息不明とされる本能寺の変以降を舞台にすればいくらでも弥助を創作で来たんじゃないのと?
これは趣味でほそぼそとマイナーVTuberの切り抜きをガイドラインにしたがって作っている人間の怪文書です。
登録者数も再生数も少なく最初から収益化していないので今回の件で直接損も得もしていません。
もしかしたら、大手切り抜き動画作成者(以下、文字数節約のため「切り抜き師」)がやめればPVが増えるかもしれないけど、あまり歓迎できる気分ではありません。
関連リンク
YouTube公式から「切り抜き動画は全てプロモーションであり、ポリシーに反する」という見解を受け取りました
https://www.youtube.com/watch?v=U1RLf4qqBG4
https://togetter.com/li/2397403
言っていることは尤もで、それに納得しているブコメにも共感できます。
しかし、切り抜きが元動画のプロモーションであるという理屈を拡大すれば、ゲーム実況そのものがプレイするゲームのプロモーションであるということもでき、すべてのゲーム実況から収益化剥奪の道筋も立つのではないでしょうか。ちなみに上記Togetterのコメント欄でもnekodaisuke1って人が近いことを言っています。
YouTubeが切り抜きの収益化をなくす代わりに、ゲーム制作会社にその分の広告費を支払うのだったら、個人的には素晴らしいことだと思うのですが、実際には切り抜き師から収益を剥奪しただけに留まっています。
いずれは配信者からも収益化を剥奪し、ゲーム会社への還元も最後までないのではないかとの疑念を覚えます。
YouTubeには大量の動画がアップロードされており、私のような収益化されていない再生数数十の零細切り抜きもたくさんあります。収益化を剥奪されてやる気を失った人の切り抜きが上がってこなくなったとしても、そのような切り抜きが上がってくれば結局貴方の不満は解決しません。
YouTubeのアルゴリズムが切り抜き動画を次々と紹介してくることが根本的な問題であるのに、プラットフォーマーを批判できず矛先を切り抜き師に向けているように見えます。目先のコロシアム残酷ショーに快哉を叫んでも刹那的なストレスが解消されるだけで、大元のストレッサーをもたらす全体的な状況は悪い方向に進んでいく恐れがあります。
実はFC2においてアダルトな配信をするAVtuberが次々にBANされるという出来事が少し前にありました(参考https://x.com/RyuzenNikomi/status/1804499546048995475)。現在はAVtuberたちは韓国のRPLAYというところなどに避難しています。FC2においては中の人が成人女性であってもアニメのガワを使えば全てロリということで絨毯爆撃されたようです。
どうもクレジット会社を経由して、「成年向けゾーニング」のバリアを「ロリだから問答無用でイリーガル」の論理で突破することを覚えた人たちがいるようで、更に「アニメ絵=ロリ」すなわち「アニメ絵=イリーガル」の三段論法が通用し始めている気配を感じます(被害妄想成分多め)
YouTubeにおいても最近またVtuberのASMRのBANが頻発しており、当面のASMRを避けるようになったVtuberも出てきています。ちなみにちょうど2年前にもVTuberのASMRのBAN騒動がありました。
YouTubeとしても一緒くたにロリコンテンツだとレッテルを貼られて攻撃されかねないVTuberと距離を置きたがっているのではないでしょうか。VTuberのスパチャ収益が大きいと言ってもVTuber事務所はグッズ販売やライブチケットなどでYouTubeを迂回して利益率を高めることに熱心なので、将来的には配信させるメリットよりデメリットの方が大きくなるとYouTubeが考えていても個人的には違和感がありません。
しかし、VTuberが動画配信サイトから追放を繰り返された場合、最終的にはロシアなどのサイトでビットコインを使って有料配信を行い、その収入の一部はウクライナ侵攻の資金源になってしまうような事態も考えられます。きっと心配のしすぎでしょうが。
視界に入れたくなくて追放運動を繰り広げている人たちにそういう想像力はないと思いますが、民主主義国家の司法にはそうなることも覚悟の上で今の風潮をどこまで後押しするのか問いたいところです。
収益化しているような編集技術の優れた切り抜きがゴミあつかいで罵声を浴びているのをみると、それとは比べ物にならないほど拙い趣味で無償の自分の切り抜きはなんなんだ…と酷く落ち込みます。そうやって切り抜き師全体のモチベーションが落ちるように上手く罵倒しまくれば、もしかしたら批判者の望む切り抜きのない清浄な世界がやってくるかもしれませんね。いや、公式にお金をもらっている切り抜きと悪意のある切り抜きだけが残るのでしょうか。