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はてなキーワード: 違和感とは

2024-07-18

らんまの作画は新しいのに声優は古臭いのが違和感しかない。

いかに声豚の声がうるさいかがわかるね。

声豚のせいで若手声優仕事奪ってるって気付け。まぁ自分が死んだ後のアニメ声優業界なんて声豚にとってどうでも良いのか。

ならせめて新作なんて見ずに一生旧作だけを見続けてろ。

芸人永野が「これから先はずっと思い出を確認する作業で良い」って言ってたように懐古厨の声豚もそうしろ。新作はお前らの思い出補正がかからいからいずれにしろ文句を言うんだろう。

そのせいで若手クリエイター演者迫害されているんだよ。

もう良い年なんだからアニメ卒業しろ

anond:20240718132954

なるほどな、それめっちゃわかるわ。ほんまに立場とか関係なく付き合える仲やったら、そんな長文のLINEなんか送ってけぇへんで。そりゃ一応「ごちそうさまでした」くらいは言うかもしれんけど、それ以上の丁寧なメッセージは逆に違和感あるやん?知らんけど。

ほんまの「魂の付き合い」ってお互いに気ぃ使わんでも楽しくいられるもんやと思うわ。せやから、その長文LINEが来たら、それくらいの疲れた顔をして「あかん、あのオッサンにまたLINE送らなあかん…」って思っとるんちゃうか?って感じるくらいのセンス必要やね。

誕生日とかの節目にしっかり祝ってもらえるのも、それでポイント稼ごうとしてる感じがあるかもなぁ。ほんまに気ぃ使わへん関係なら、そんなにがっつりとしたお祝いもせえへんやろし、もっと自然な感じやと思うわな。知らんけど。

anond:20240717155232

このすばのめぐみんかに違和感抱くって話?

あのレベルだと変人連中の集まりから気にしないって感じなんだけど

アニメとか漫画とかだとあんのかな

最近読んでる作品だと貧乳巨乳ネタあんま見ないかわからん

AI仕事を奪われた絵師」とかいnote、なんか変じゃね?

https://note.com/tokume_kibo/n/n05017591b28b

違和感すごいのよ。

例えば、「コミッションサイトに出しているキャラ立ち絵が売れなくなった」とあるんだけど

コミッションがなんなのかこの人わかってなくない? 依頼を受けて絵を描くことであって、立ち絵を売るわけじゃないんだけど。

キャラ立ち絵を描いて欲しいという依頼が減った」とかならまあ分からんでもないけど、そもそもコミッション立ち絵限定ってのも奇妙だし。(まだアイコン限定とかのほうがありうる。)

あとさぁ…そこそこの立ち絵を1日で描いて、年間200弱の依頼をこなしてたって?

これって、めちゃくちゃ筆早いことになるんだが…依頼って、ポンと一枚描けば終わりじゃないからね?

依頼者とのやりとりや、ラフを提出とか直しとかあるはずなのにそういうこと一切考えてなくない?

底辺絵師ならこんなもんだろ」っていう、生成AI利用者感覚に思えるんよ。

そもそもAIが出てきてからも、AI禁止しているSkebの取引額は年々伸び続けているんだけど…

絵描き社会不適合」「特権意識」とか言ってみたり、全体的に「生成AIを持ち上げて絵描きを貶めたい人」に都合のいい記述が多すぎる割に、絵を仕事にすることへの解像度が低い。

これ、丸ごと虚言じゃねーかな。

びびるのは、そんなnoteに大量に「冷静な記事」とか「頭いい」とか言ってるはてなブクマカがついてること。

底辺絵師やってたやつが生成AIが出てきて挫折したのが事実として、頭いい要素どこにあるんだ?

アホの集まりかアイツら。

特に生成AI関連になるとすげぇ攻撃的なのが集まってくる。

manjirou99 ←コイツとか。

2024-07-17

anond:20240717032659

トップコメ「いろいろ言われるのは当然だろう。」に違和感

それは「誹謗中傷されても仕方がない。」に直結する。

「この前まで皇室だったんだから誹謗中傷されても仕方ない」

日本野球界を背負ってるんだから結婚生活について色々言われるのは当然だろう」

…こんな風な考えはどこにでもありそうだが、誹謗中傷容認はいけない。いつでも。

10年の付き合いの親友と縁を切った話

●はじめに

これは相手に向けて書いたものではなく、相手批判する意図はない。

もしこれを読んで相手批判しているように思えたのならそれは私の表現力の乏しさによるものである

また、フェイクを入れずに書いているので、両者の友人知人は「もしや」と感じるかもしれない。

だとしても二人に触れずにそっとしておいてほしい。

以上のことを踏まえて、了承していただける方のみ先を読み進めてほしい。

登場人物

私=筆者

一次創作をする。

絵と文章を嗜む。

A

私の親友だった人物

絵を描くことが生きがいであり、人生のもの

この文章は、Aとの出会いから別れまでの備忘録私自身の反省のためのものである

再三になるが、この文章にはAを批判する意図はない。

●Aと私の関係

Aと私は高校入学して出会った。

そして縁が切れたのが我々が28歳になる年の2月ごろ。

10年を共に過ごしてきた仲だった。

間違いなく、一番仲が良かった友人だった。

高校3年間はクラス替えもなく、いろいろな話をして、真剣な話もして、時には喧嘩をしたりすることもあったが、それも乗り越えてきた。

大学は別々の道に進学することになったが、それでも毎日のようにLINEで会話を交わし、時々二人で遊びに行っては日が暮れるまで話し、解散後も夜が明けるまでLINEで話をしていた。

大学卒業してからもその関係は変わらない。

私が新卒入社した会社研修で2か月東京に行くという話をしたときはとても寂しがってくれたことを今でもよく覚えている。

Aは絵を描くことが好きだ。

絵を描くことが好き、と一概に言っても色々幅があるが、私から見ればAの「絵を描くことが好き」とはAのアイデンティティであり、Aの人生のものなのだと思っている。

自分気持ち言葉にするのは少し苦手のようだったが、感情を絵に込めるのは大得意でAの描く絵には喜怒哀楽様々な感情が乗せられていた。

私も少し絵を描けるが、どちらかといえば絵を描くことは好きではなく自分の描く絵は好きという難儀な性格をしている。

そんな私と比べると、Aの絵に対する思いは尋常じゃないものなのだと思う。

Aは私の一次創作ファンだった。

私の作ったキャラクターお話ファンで、この世のキャラクターの中で一番、私が作ったキャラクターが好きとまで言われたこともあった。

Aは私のキャラたちのファンアートをたくさん描いていた。

そのキャラたちしか描いてないのではないかという時期があった程度にはたくさん。

Aが絵を描いてくれることが嬉しくて、私はAにたくさん自分創作の話をした。

長くなったがここまでが大まかなAと私の関係である

●事のあらまし

Aと私は今までの一次創作の積み重ねを本にしたいという話になった。

私が書いた小説や、私から聞いた話をもとにAが描いた漫画の断片はいくつかあれど、それらを本という形に残したくなった。

そこで一次創作同人誌即売会を調べ、Aと私の二人で本を出すことになった。

私は今まで書いた小説を集め、書き下ろしの話を追加した短編集などを3冊作り、Aは私が文章で書いていた短い話を漫画の本にした。

ところが肝心の即売会は諸事情で中止となり、半年後に延期になってしまった。

頑張って作った本たちはひとまず通販に置いて、Twitterフォロワーを中心に頒布することができた。

半年後になってしまった即売会を待つ間、Aと私は喧嘩をしてしまった。

Aが私の地雷を踏みぬき、私が苦言を呈したこときっかけだった。

私としてはその場で謝罪をもらって、それで終わりで良かった。

喧嘩をしたつもりはなかったのだが、思えばAの様子が変わったのはそこからだった。

多分おおもとの原因はここなのであろう。

Aの様子が変わり、Twitterにも出てこなくなったことが心配で、私はAに手紙を書いた。

Aと大事な話をするときは、手紙を書くことがしばしばあった。

その手紙きっかけでAと仲直りをすることができた。

仲直りをしたとき電話で、数か月後に迫った即売会の話になった。

「せっかくまだ少し時間もあるし、もう一冊本を作りたい」とAに伝えた。

Aもそれに賛同してくれたので、私は本の攻勢について説明した。

前に話していたネタで、漫画の本を作りたい。長くなりそうで作画が大変だから、今回は私が全部作画をする予定で、と。

Aは「あの時のネタか」と喜んでくれ「すごくいいね」と言ってくれた。

その会話の中でAが言った。「その漫画読みたいな、何なら私が描きたいくらい」と。

しかしどうにも作画コストがありそうなので、Aに全部描いてもらうのは申し訳ない。

だがAがそこまで言ってくれたのが嬉しくて、Aにも制作に参加してもらえたらと私は返答した。

結果、表紙と人物紹介ページの立ち絵だけAに作画を頼み、あとは全て私が自分で描くことに落ち着いた。

そして私は自分が描く予定で考えていた表紙のラフや、キャラ立ち絵ポーズイメージを送り、Aに制作をお願いした。

私は今までAが描いてきたファンアートに対して何か対価を支払ったことはなかった。

強いて言うなら「新しくお話を作ること・考えること」を対価としていたのかもしれない。

だが先の喧嘩のこともあり、好意で描いてくれたものに対しても何かお返しをしたいと感じていた。

なので今回の制作に対しても「お礼をする」とAに伝えていたのだった。

Aの作業も私の作業も少し進んだころ、二人で遊びに行く機会があった。

そのときに私はAに「お礼として晩ご飯ご馳走するよ」と伝えた。

Aはそれを聞いて少し渋い顔をしたあと「じゃあ2回分で」と答えた。

Aの返答に少し違和感はあったが、私は2回分の晩ご飯をご馳走することを了承した。

だがしばらくした後、Aから晩ご飯2回分と、表紙・立ち絵を描くことは釣り合ってないと思う」と言われた。

私はさら違和感を覚えた。

もともと私が全て描くつもりで考えていたものを、Aが描きたいと言ったから急遽参加してもらうことになったのだ。

まり好意で描いてもらうものに対して、私も好意でお返しをするという形だったはずだ。

どちらかと言えば同じサークルメンバーで1つの本を共同制作する形に近い認識であった。

から「"依頼"に対しての"対価"が釣り合ってない」と言われたことは、私としては違うと感じたのだ。

しかし、自分の描きたい絵を後回しにして人からまれた絵を描くことは大変なのは私にも分かる。

「じゃあ、何なら釣り合うと思う?」とAに聞いてみた。

Aは「考えておく」と一言。この話はこれで一旦おしまいになった。

Aから"対価"の話はされないまま、その後もお互い制作を進めた。

とうとう絵と漫画は完成し、本が出来上がった。

私は刷り上がった本を一冊と、同時に一人で制作していたグッズを合わせてプレゼントした。

Aのリアクションには違和感があったままだった。

本を開き完成した漫画を読み、楽しそうにリアクションを取るAの姿は、無理をしてそのように演じているように見えた。

長い付き合いなので、Aが気持ちを抑えてそれらしく振舞う癖があること、しかしそれが下手でバレバレなことは私にはわかっていた。

Aはそのときも、何かの感情を押し殺してそれらしく振舞っていた。

そのまま迎えた即売会当日。

その日はたまたまAの誕生日でもあり、私は今回のお礼と誕生日プレゼントを兼ねていくつかプレゼントをした。

細かくは覚えていないが、確かお土産菓子と、Aが一番好きな私のキャライメージ香水

それからAは自分へのプレゼントとしてiPadを購入していたので、1000円ほどの有料のイラストアプリを入れてもらおうとiTunesカード1500円分をあげたのは覚えている。

iTunesカードは突発的な思い付きで、昼ご飯を買いにコンビニに買いに行ったときにふと目についたのだ。

「昼ご飯買ってきたよ。あとこれはい、あげる」と、さらっと渡したのだが、Aのリアクション

「はあ……」と言ったものだった。

即売会も終わりに近づいた時刻、Aから「そういえばお礼の話だけど」と話が始まり「いろいろ考えたけど、1万円で」と告げられたのだった。

……イラスト有償依頼で、表紙(カラーイラスト)と立ち絵名分を依頼した、となると確かに1万円は破格だろう。

しかし今回の話は果たして"依頼"だったのだろうか。

友人同士の"共同制作"ではなかったのだろうか。

"共同制作"ならAが「印刷費をいくらか出した方がいい?」と聞いてきた際に頂いておいたほうがよかったのだろうか。

私にはわからなかった。数年経った今でもわからない。

私は1万円を支払わなかった。

友人同士で金銭のやり取りをすることに抵抗があったからだ。

その代わり1万円分のお礼はすると伝え、今回渡したプレゼントはお礼も兼ねていることと、今日ご飯代、打ち上げカラオケ代で1万円くらいになりそうだから、それでどう?と言った。

続けて「もし対価としてお金要求するなら、それは話を引き受けるときにするべき話で、後から1万円でと言われても了承はし難い」と伝えた。

「今回はお互いのすり合わせがちゃんとできてなかったから、それは両方の責任だと思う。お礼に関してはあくま好意で渡している。もし足りなかったら今後遊ぶときに代金持つよ」とも伝えた。

Aは最後まで納得がいかなそうな顔をしていて、頑なにカラオケ代を受け取ろうとしなかったが、私はそれらの代金を全て押し付けて、その日は解散になった。

あくまで私の価値観として、金銭が発生するやり取りは"契約"だと思う。

"依頼"を受ける"対価"として「これくらいの金額で」と提示し、双方合意の上で契約が成立するものだと思う。

今回はただの口約束で、そこに契約など存在しなかったのだ。

「描いてもらいたいんだけどいい?」「描くよ」「ありがとう。お礼はするよ」

そこに金銭のやり取りが発生するとどちらも言わなかった。

私はこのやり取りのことを友人同士の口約束だと捉えていたのだった。

Aはその後、即売会の後処理や事務的なやり取りを私と交わし、私と連絡をすることはなくなった。

またもや大変長くなったが、ここまでが事のあらまし。

●縁切りに至ったきっか

約1年、Aと会話をしなかった。

そんなことは今まで初めてだった。

AのTwitterからは私のキャライラストが消えていた。

しかし連絡がなかったとは言え、TwitterLINE相互のまま。

リアル友人用のインスタも見られる状態にあった。

まだ縁が切れたわけじゃなかったのだ。

私は中途半端状態が好きではない。

Aが私に対して思うところがあるのは嫌でも分かった。

まだ友人関係を続けるなら清算必要だし、縁を切るならそれはそれも仕方がない。

迷ったが、Aの誕生日に「おめでとう」と送った。約1年ぶりに発した言葉だった。

そのときのやり取りは消してしまってもう残っていないので、事実とは異なる可能性がある。

ぽつりぽつり、とぎこちなくやり取りを交わしたが、かつての親友を歓迎する雰囲気は全くない。

まだ怒っているか尋ねたところ「そうだね」と返事が来る。

「私のことが嫌いになったならもう現れない。あなたの前からいなくなる」と縁を切る提案をした。

とてもとても時間が空いて、Aから「嫌いとか、勝手に決めつけるのやめてほしい」と返事が来た。

『なんだその返事は。どう考えても「お前もう無理」が態度ににじみ出てるんだよ』

そもそもお互いちゃんとすり合わせができてなかったことが原因だからどっちも悪いところあったんじゃないのか』

『なんで私だけが悪いみたいな態度を取られなきゃいけないんだ』

『謝ろうにもそっちの意見を聞かない限りは本当の謝罪なんて無理だろう』

『いい加減自分意見を隠して察してちゃんするのはやめろ』

私のこのときの率直な思いだ。

しかし、まだこれなら修復ができるかもしれない。

「私は今でもまだ友達だと思っている」と伝えると「私も同じかな」と返ってきた。

しっかりと話し合う時間が欲しかった。

会う約束をすることになったのだが、いろいろあって実際に会えたのはさら半年後だった。

ちゃんと話し合おう、主観で悪かったと思うところは謝って、相手の口からもきちんと思いを聞いて、

粗相があるなら謝ろう。誤解があるなら解けるまで言葉を交わそう。

そう思っていたはずなのに、久しぶりに会って私の口から出るのは、薄っぺらい近況話や中身のない話だった。

その日の私とAは、傍から見ればいかにも友人っぽかったと思う。

しかし確実に、距離が空いていた。お互い腹を探りあっていた。

私に至っては。もはやAのご機嫌取りに近かったのかもしれない。

いかにも友人っぽい二人は、大事な話もできずにいかにも友人っぽいまま解散してしまった。

その日を境にTwitterなどでやり取りは再びするようになったが、心理的距離は変わらないままだったと思う。

それでも私の誕生日には簡単イラストが贈られたので、私もAの誕生日イラストを贈った。

私はその年、結婚式を挙げる予定があったため、Aのことも誘ってみたのだが

Aはその日どうしても外せない予定があったらしく、申し訳なさそうな顔をして断られた。

しかし祝福はしてくれていて、Twitterに載せた前撮り写真にもコメントをくれたり、

ドレスの色の相談もしたりしていた。

式当日の写真にも、いいねコメントがきていた。

行くことはできなかったけど、祝福はしているという雰囲気であった。

年末、式に招待した人たちに年賀状を出そうとリストを作っていたところ、

招待したけど来られなかった人にもお礼状として年賀状を出そうと考えた。

AにLINEで住所を聞いた。Aの一人暮らし先の住所は知らなかった。

Aからは「正月帰省しているので実家に送ってほしい」と返事が来た。

私は過去年賀状ファイル実家に置いてきていたため、再度実家の住所を聞き、送った。

送った年賀状は「あて所に尋ねあたりません」のスタンプが押され、返ってきた。

Aに聞くと「省略した住所だったからかな?これが正式な住所だから送ってみて」との返事。

住所を訂正し、切手を貼り直し、再度送った。

再び、スタンプが押され返ってきた。

原因はどうやら転居届を出していたことだと分かった。

Aに「一人暮らし先の住所教えて。それか、直接渡すからどこかで遊ぼう」と伝えた。

Aは「年賀状のためだけに会うのは申し訳ないし、仕事が忙しくなりそうな予感がしてるから

しばらく遊ぶのは無理かも。何か手間かけない方法で……局留めとかできないかな」と返信した。

(やりとりは削除済みなので記憶だよりである

……私はもう疲れてしまった。

わずかに繋がっていた糸が切れてしまった感覚があった。

Aの仕事は土日休みだし休日出勤もなさそうなのに。

年賀状のためだけに会うのは申し訳ない」はどう考えても「会いたくない」の言いかえだと思う。

局留めなんて提案バカバカしい。住所を教えたくないだけなのがよく分かる。

「分かった。じゃあ会わなくていいから、どこかで話をする時間がほしい」

私はそう伝えたが、これは仲直りだとか謝罪だとかのためではない。絶縁のための話がしたかった。

しかし、Aからの返事が来ることはなかった。

話したくないの意志のものだったと思う。

話したくないことはよく分かったがそうも言ってられない。

私たちが縁を切るにはもう少し事務的手続き必要だった。

大事な話なので」と念を押しても無視された。

Aは私の連絡は無視し、Twitter更新を続けていた。

LINEブロックされたのかと思い、確認してみたがそんなことはない。

ただただ、無視をされていた。

日経って、AがTwitterでスペースに参加しているのが見えた。

別のフォロワーホストのスペースにスピーカーとして参加しているようだった。

よく見てみると、スペースに入る際に匿名で聞く機能が追加されているのが分かった。

盗み聞きのような気分だったが、そういう機能があるのだから使ってみることにした。

他愛のない会話。Aは楽しそうにしていた。

少なくとも元気であることが分かって一安心

同時に無視意図であることも分かった。

私はAに追加でLINEを送ってみることにした。

目につきやすいように、短文で3件ほど。

わざと気を引くような言葉も選んだと思う。

スペースで何か反応があることを期待したものだった。

しばらく待つと。案の定Aはその件について触れ始めた。

そこからはもう出るわ出るわ本音の嵐。

それを聞いたフォロワーも一緒になって私への悪口を言う。

いや中学生か……。いい歳した大人が……。

だがしっかりと聞きたかった言葉を聞くことができた。

「まあ、私(A)の中ではね、友達としてはね、もうあのときで終わってるから……」

これだ。私が聞きたかったのは。

私は確信を持ちたかったのだ。

その後、スペースは「謎の匿名リスナー」の存在がばれたため、

アカウントの方へ移行していった。

私はAの全ての連絡先を削除し、SNSブロックした。

そしてAとの関係肯定するものをすべて処分した。

Aからもらった絵も、渡すはずだった年賀状も、一緒に撮った写真も何もかもすべて。

Aの魂のこもった絵を処分していくのはさすがに心が痛んだが、私にはもうすでに必要のないものだった。

絵を捨てることで、私はAという存在すべてを否定した。

実家を出て、新居に必要ものだけ持ってきたはずだったのに、やたらとAの痕跡が多かったことを私は忘れないだろう。

(余談……事務的手続きをやり残したまま処分を始めてしまったため、後始末に少し苦戦した。

他人も巻き込んでしまったためここは大いに反省すべき点だと思う。)

主観と推測と反省

タイムマシンがあったら戻るか?と聞かれても、私はもう戻ることはない。

やりなおしたいわけではないが、自分の行動のどこがまずかったのかは今でも考える。

私はあのとき、ポンと1万円を支払っていればよかったのだろうか。

誕生日プレゼントとお礼を混合したのが良くなかったのか。

そもそも、お礼に何をするかを前もってすり合わせておくべきだったのか。

いっそのこと、自分の本なのだから他人に絵を描いてもらおうなんて思ったこ自体が間違いだったのか。

……恐らくすべての点で間違っていたのだろうと思う。

Aはきっと、私に対して「自分の絵(=自分人生のもの)に対して1万円の価値もないと思われた」と

感じているのだろう。

もちろんこれは断固否定するが、そんなことは決してないし、Aの絵と絵に向き合う姿勢リスペクトしていたつもりだ。

だが、思っていてもそれが相手に伝わらなければ意味がない。

私の思いはAに伝えたつもりだが、その通り受け取られなかったのなら、それは私の言葉表現方法が悪い。

そもそも受け取ってもらえなかったのはきっと今までの積み重ねもあるのだろう。

私の信用は、もっと前には既になかったのだろう。

Aが私に対して「許せない」と感じているのはもう仕方がない。

許されないことも仕方がないと思っている。

しかし、今でも私はきちんとした謝罪ができなかったことを悔やんでいる。

Aは私の謝罪必要としていないのかもしれない。だが私が謝罪をしない理由にはならない。

人間として、相手のことを本当に大事に思うのならば、きちんと謝罪をするべきだったのだ。

ここまでで書いたことはあくまでも私の主観に基づいたものだ。

ない頭を振り絞りAの立場に立って考えたつもりではあるが。本心はAにしかからない。

Aの本心を聞けなかったこと、強引な手段しか本音を聞けなかったことも非常に後悔している。

何にせよ、もう私たちは戻れない。二度と戻ることはできない。

Aが私を許せないのと同じくらい、私もAのことが許せないのだ。

かつての親友であっても、二人の共通の友人とは今は関わりがほぼない。

共通コミュニティに属していない以上、時間とともに価値観の相違は生まれものだ。

Aも私も、少しずつお互いにずれていっただけなのだと思う。

Aが使っていた「ばかたれ可愛い」という語彙がなんとも下品で嫌いだった。

家に招いたとき、部屋中に飾った好きなキャラのグッズやぬいぐるみを見て

ちゃんと定期的に埃とか取らないと汚い」と言ったことが許せなかった。

言いたいことをはっきり言わずに態度に出まくりなところが本当に嫌だった。

自分けが被害者のような態度を取られるのが不満だった。

誰が聞いてるかもわからないオープン場所で人の悪口を言ってる姿が情けなかった。

「もうとっくに友達じゃない」と思っていたのならさっさと切ってほしかった。

友達として終わってる」なら私の結婚関連の祝いの言葉は何だったのか。

これらは全てAが悪いのではなく、私の価値観に合わなかっただけである

それでも私はAを許さないと思う。

Aが私を許さないのではない、私がAを許さないのだ。

以上、非常に長く見苦しい文章を読んでくださった方に感謝します。

聞きたくないスラング宗教3世版)

宗教3世で40台、今は親と距離を置いてだいぶ経つ。

宗教由来のスラングが時々耐えられなくなる。話者は頭が悪く、宗教について考えたことのないゆとりなんだろう。寺や神社に平気で行って、何に頭を下げているのか考えていないんだろうな。

頭の悪い奴の言葉に引っかかる自分が良くはないが、子供の頃から感じている違和感をこんなにも見聞きするとは。

使うな。辛いんだ。

・人を神に例える

止めろ、麻原彰晃のこと知ってんだろ。

布教

止めろ、子供の頃思い出す。知らない人の家で1日中窓の外を見てたことを思い出す。

聖地

止めろ。嘘ついてバスに乗せられて行った記憶が蘇る。

anond:20240716155929

自認という言葉が合ってなさそう

性自認ではなくその正体は性違和感なのかも知れない

男性作家の描く貧乳コンプ描写違和感がある

自分のチンチンが「小さい」とか、身長年収等が「低い」という、コンプレックス感情貧乳投影させているのであって、女体化した中年男性っぽさがある

BLの受けがやけに不安が強く描かれて、受けが抱いた主観的不安感の「解消の責任」をなぜか攻めに求める描写は、生理周期の影響等で情緒不安定になった女性しか見えないのだけど、それに近いものを感じる

男性がすべてを単純な「優劣ランキング」化して雑に処理するのを、貧乳コンプや「ざーこ」と煽る女児等のキャラクター女体化し(雑魚雑魚と騒がしいのは男児メンタリティである)、

女性生理周期による不安の増大による自分脳内で起きている主観的苦しみの責任を、なぜか適当ポジションにいる他人責任引き受け装置としての攻め)に求めるお気持ちモンスターを男体化する

どちらも、自分と同じ性格価値観が、魅力的な異性のガワを持っているというパターンを好むので、実質的な異性嫌悪異性愛であると思う

初めてのコロナ感染メモ

ちょっと時間経ったけど6月半ばに初コロナ感染したメモ。なお通常の平熱は35.7度前後

前哨戦

4月5月にも風邪症状(喉の痛み、微熱)が出たが、病院でのコロナインフル含めた検査では何も出ず。部屋の芳香剤匂いが何も無い気がして、かなり怪しかったが…。風邪薬を出して貰って一週間ほどで治る。

 4/5:37.4度

 5/19:36.5度

コロナ感染

6/21(金)

会社飲み会参加(屋外)。深夜辺りから喉の違和感があり、市販風邪薬を飲んで就寝。

6/22(土)

昼過ぎに起床した時点で微熱な気がして測ると37.5度。市販風邪薬を飲んで寝るが上がり続け21時には38.5度に到達。

深夜から翌朝は喉の痛み、咳、熱で全く寝られない。熱で暑いのに身体は寒気。市販風邪薬は全く効果が無い気がする。

6/23(日)

朝時点で38度、夕方には37.2度にやや下がる。

6/24(月)

朝時点で36.7度。病院へ行って検査したら遂にコロナ陽性確定。貰った薬は4月5月と同じで総合感冒薬、喉の炎症に対する薬とか。

6/27(木)

微熱継続。この辺でようやく喉の痛みが和らいでくる。

感想

まず何処で拾ってきたか潜伏期間を考えると流石に6/21当日はないし、参加者で他に感染者は居なかった。過去一週間のロケーション履歴を見ても、それまで行かなかった新しい場所へ行った形跡は無い。

手洗いは帰宅時、マスク電車・駅・店内で着用、という行動パターンだったがやっぱり常時マスク無難なのか…。

症状について。

38度越えの熱なんて(ワクチン時を除いて)何年振りだというぐらいに記憶が無い。症状的に風邪と言われれば風邪に近い気はするが、喉の痛みと咳が強烈。声が枯れたり声が出なかったりする。イソジンでうがいをしてもほぼ効果なし(が、やらないよりはマシ)。どうやらアズレンの方が効くらしい。

そもそも自分風邪引くと喉よりも鼻に来るタイプだったはずなので、喉に来た時点でコロナ系だと思って良いような気もする。今回も匂いは確かに感じられなくなったが、そもそも鼻が詰まっていたのも一因な気がする。ちょっと自信が無い。

あと思い返すと胸辺りのちくちくした痛みが息苦しさだったのかと思う。

息苦しいという症状、イメージは湧くが体感したことが有る訳では無いのでこれが息苦しいのかが判断難しい。息を吸っても吸った感じがしない…ようなものかと思ったのだが、胸(肺)が苦しいみたいな感じがする。

みんな咳しすぎ

コロナ感染を経た後だと、電車でも会社内でもノーマスクで咳してる勢があまりに多過ぎることに気付いてしまう。

みんな本当に大丈夫?それコロナじゃない?

もうマスクしろとは言わんからせめて咳が出なくなってから外を出歩いて欲しい。

スマートな体温計が必要

4月微熱から発熱で体温を測った際にはiOSヘルスケアに体温を手動記録していた。やはり発熱状態記憶に頼ると上がったのか下がったのかすらわからなくなるので記録は重要だと思う。

が、38度越えの発熱してる最中に記録するのはやはり地味に辛いし面倒だ。

スマホ連携できる体温計を探すと、医療機器承認取ってる正規の体温計はBluetooth(か独自方式しか見当たらない。Bluetooth通信するならスマホ側でアプリを起動しておく必要があると思うのでできればWiFi対応のが欲しいのだが。

体重計とかで使ってるWithingsが海外向けに体温計を出しているが、当然国内医療機器承認なし、要個人輸入、肝心の計測方法赤外線による非接触方式いまいち信頼性不安、となかなか良いのがない。

とはいえ普段から体温は常時測っておくべきとも思うので、この位の使いやすいやつの方が良いのかも知れない。

2024-07-16

一穴主義、一棒主義ってもったいなくない?

ぼくヤバとか高木さんとか、順調に行けば生涯一つの穴と一つのしか知らないで人生終えるんでしょ?

せっかくの魅力ある存在がそれってもったいないというか、もっと言えば歪だとすら思えるんだよな。

穴だの棒だのいうと下品だけど、ようは誰か他人と深くコミットするということで、生涯それが一人の相手だけっていうのは内向的すぎない?

一回破局して、多くの人と色んな経験をして、もう一回ヨリを戻してハッピーエンドって方がきれいだと思える。

純潔貞淑を重んじるなんて古い考えだと思うんだけど、いまだに少年漫画系だとそれが至上とされてるのに違和感が強い。

女性エンジニア

突然「女性エンジニア」とカテゴライズされるようになった。

  

でも私は所謂女性」が経験していることを何一つ経験していない。

結婚出産育児経験はなく、今現在恋人もいない。

なのに「女性エンジニア」として意見を求められたり、もっと女性が働きやす環境を一緒に作ろう!といわれる。

  

女性エンジニア」向けの勉強会イベントでは必ず前述の単語が出てくる。

多分私は今の社会が言う「女性」ではない。

私は1日24時間、全て自分時間なのに。自由に使えるのに。私が提案できることはあるのだろうか...。

  

正直時短でも定時をずらすのでも、その人が働きやすいように好きにすればいいと思う。

実際私のチームにも時短の人が何人もいるが、特に困ったことは無い。

別に育児意外でも介護とか持病とか、性別や年齢に関係ない色んな事情があると思う。

職場での多様性って「その人」が働きやす環境を作っていくことだと思ってたけどどうやらそうじゃないらしい。

  

加えて私は自意識過剰なので、女性エンジニア交流会なんてものに呼ばれた時には「なんで独身のこいつがこの場にいるんだ」と思われてそうで怖い。(言われてない)

  

私が「女性である部分なんて身体の造りしかない。

思えば昔から女性らしさを求められることが苦手だった。女の子らしい格好とかメイクとか。

でも自分が「女性であることに違和感を感じたことは無い。不満もない。

  

そんな私がおかしいのかな?

  

はやく「女性エンジニア」という単語が無くなりますように。

ジェンダーって解体した方がいいんじゃなかった?

俺が子供の頃は、「男らしい」「女らしい」

というのは社会が与えた規範であり、本来はそんなもの存在しないだというのが「進んだ考え方」だったと

思うんだけど、最近トランスジェンダー訴訟を見てるとあれ?って思う。 

性別は単に生物学的な差異を指すもの

社会的な性差は無くそうって話じゃなかった?

裁判で「女性としての社会生活」とか言ってて

違和感しかないんだが

anond:20240716121131

16:30

熱と頭痛が進行

節々?の痛みも若干

不思議と喉の痛みはないが徐々に違和感出てきている

まだ耐えられるがこの調子だと明日は怪しい

anond:20240716161852

自分性向けに準備された文化が、すんなり受け入れられる人は、性自認について意識しないけど、

あなたの性には、これね。って与えられる全てに違和感を感じてしまうと、

自分脳内にある性と、社会自分押し付ける性に違いがあるんじゃないかと疑いを持ってしまう。

多分、戦隊ヒーローものとか男の子向けの作品プリキュアみたいな女の子向けの作品とかの話してると思うんだけど、

別に押し付けてないし作品が合わなくても、”私”はこれあんまり面白いとは思わないというように”私”が主体的判断するのであってそこに男女の性別は絡んでこなくない?

anond:20240716155929

自分性向けに準備された文化が、すんなり受け入れられる人は、性自認について意識しないけど、

あなたの性には、これね。って与えられる全てに違和感を感じてしまうと、

自分脳内にある性と、社会自分押し付ける性に違いがあるんじゃないかと疑いを持ってしまう。

そして、社会押し付ける性と異なる方の性のほうがしっくりきてしまとき

性自認が肉体の性とは異なる。と理解する。

anond:20240716160142

強姦されるときってそれこそ性自認とか考えてる余裕ないやろ

結婚出産とかまあ恋愛関係コミットしてると意識強くなるかもね、トランス系だと幼少期から違和感強く覚える人もけっこういるらしいので必ずしも関係するわけではないだろうけど。

「麺」って全然面じゃないな。

きしめん比較的面っぽい麺だ。

中国語だと麺は面と書くらしいのでなおさら違和感がある。

もともと「麺」小麦粉のもの小麦粉を練ったものを指していたらしい。

なるほど、練ったなら平たくもなるか。

練って平らにして細長く切る直前、あれこそ文字通りの「麺」という気がする。

じゃあ英語のnoodle、あれの語源はなんなんだ。

一説によるとドイツ語で「塊(かたまり)」を表す “knode” という単語に由来しているとされています。」

こっちも「麺」と同じじゃん!

じゃあパンを焼く前のタネ、あれって実質noodleなんだなあ。

終わり。

anond:20240714124321

バージョン1、主体性をもって週4でヒレステーキを出してくる妻

https://anond.hatelabo.jp/20240715162127

これだと対称性イマイチな気がしたので、「主体性をもって週4ヒレステーキ却下する妻」バージョン作ってみた

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この1ヶ月くらい、週4回は晩ご飯ヘレステーキを食べている

夫が食べたいと言うから

近所の肉屋で買ってきたちょっと良い肉でとても美味しいけど、段々嫌になってきた

決して飽きたというわけではない。しかし何かしらの違和感を感じるのだ。

今の日本社会通念に照らし合わせても、何か普通ではないと感じる。

いや、社会通念とか「普通」とか、そんな定義が難しいもののことはどうでも良い。

ただ私がこれまで生きてきた中で培った価値観にそぐわないのだ。

私がこれまで日本で生きてきた中では、食事バランス大事との情報が大半であり、私はそれを内面化してきた。

また昨今では、科学的に証明された食事として地中海式が推奨されていて、そこでは赤身肉摂取は少量が好ましいとされている。

ただこれも絶対的ものではない。昔のイヌイット野菜を食べず、ほとんど生肉だけの食生活を送っていたらしい。なのでどのような食事が最適かは環境や条件に依存するものであり、絶対的ものではない。先の地中海式にしたって、アジア人に当てはめた場合は若干異なる可能性もある。この先地球気候変動が更に進み、テクノロジーも今と異なり、私たちはまったく異なった住環境に生きているかもしれない。そうなった場合地中海式ではない〇〇式が最適とされる世界になっているかもしれない。

そうなのだ。すべては相対的で、突き詰めれば突き詰めるほど、普通絶対もないのだ。

たこ地中海式云々に関しても、健康に焦点をあてた場合の話であって、味やその他の事柄価値を置いた場合、話は異なってくる。夫においては味やそのときの気分が優先されるのであろうし、腸内環境が昔のイヌイットと同じという可能性も排除できない。

一方私においては、味も健康総合し「週4でヘレステーキは何かがおかしい」という感覚値が出力されているように思う。

ともあれ私は、私が感じる違和感、あるいは感覚値において、「週4でヘレステーキはありえない」と結論づけ、それを握りしめて夫と交渉にあたるしかないのである

しかし夫の決めた献立に私が口を挟むと「もういい、もういい」という感じでまともに取り合ってくれずに怒る。

「もういい」の中身はまったくもって不明だ。「もういい」に具体性は1ミリもない。

私は先のように、「週4ヘレステーキ」への違和感という感覚的なものを、最大限言語化する努力をした。食事という夫婦の共同作業にあたって、夫側も同じ努力をするべきではなかろうか。

しかしここにおいても個人自由がある。何に価値をおき、何を優先し、何を選択するかは自由である。「もういい、もういい」と言語化放棄感情的になる自由を(共に生活する身としては不快は拭えないが)、私は彼からわずにいようと思う。

そのかわり私にもふわふわした言葉で、匿名掲示板に週4ヘレステーキへの違和感理由を明確に言語化することなく垂れ流す自由くらいはあるであろうし、それを読んだ誰かが不快になる自由もあるであろう。

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主体性をもって週4ヘレを却下する妻を書くつもりが、考え尽くした挙げ句昇華してしまう妻になってしまった。

anond:20240716102353

私は女性だけどマリオ別に嫌いじゃないしオデッセイクリアしたしピーチ違和感感じたことは特にないけどな…

つかマリオとか男も女も1種類しか出てこないんだからそれで多様性がどうとか言われてもって感じする。

クッパ人間じゃないのになんでピーチに恋してるのかに違和感がある程度?食料ならわかるけど。

あとマリオパーティやるとき、私にはデイジーロゼッタについての情報がなさすぎてこいつら誰やねん。ってなってる。

個人的には造形としてはベヨネッタとニーアオートマタが好きです。

あとスプラトゥーンが好きです。あれはジェンダー関係ないけど。

2024-07-15

anond:20240715170157

意味がわからなかろうが私が違和感を感じているというのは事実なので

書きたいことを書いた時点で増田目的なんて終わってるんだよ

書いた内容についてたまたまそれを読んだ人に何か満たされるものがあったとしても、そういう書き手と読者のウィンウィン関係が成り立つのはただの偶然であって、

別に書き手は読者とのウィンウィン関係を望んで増田をしたためているわけではないからね。

職業作家とは方向性が違うのだよ。当たり前だが。

オタク定義が変わった説に違和感

日本人ソマリアメキシコの人々並みに平気で犯罪を起こすようになったとして

日本人犯罪を好むようになったのは日本人定義が変化しているからだ」というのは違うだろう

日本国籍を持つ人が日本人、という定義は不変でも、こういうことはありえる。

そういう違和感を覚える

別に定義が変わっているわけではないのではないかという。

蒸れて匂うのに耐えられなくなりアンダーヘアの脱毛に踏み切った。VIOというやつだ。施術のものほとんど痛みはなかったが、初回術後の違和感というか発見を記しておく。

なお、知らない人の為にレーザー脱毛の手順を簡単説明する。事前に脱毛する部位の毛を全て剃り落とし、黒い毛根にレーザーを当てる。施術時間は30分もかからない。術後数日かけて毛根に残った短い毛が脱落してゆき(私は今この段階にいる)、再び生えてくる。永久的に無毛にするなら4回程度繰り返し施術必要で、回数を重ねることでだんだん薄くなる。

1. 剃りあとがめちゃチクチクする!短く伸びてきた剛毛がパンツに刺さり存在感を主張してうるさい。恥丘が痒い。

2. 尿の方向が定まらん。異な方向へ飛ぶ。毛が水先案内をしていたことに気づかされる。

3. 時と場所を選ばずパンツ微妙なところに擦れてしまい「へっ?」となる。外に向けていた意識が無理やり自分身体に引き戻される。

とまあこんな調子で、VIO周辺の存在感を常に感じながら暮らしている。変態にでもなったような気分だ。無毛が快適ならツルツルになるまでやってもいいと考えていたがやっぱダメだ。毛たち、大切なところを守ってくれていたんだな。邪魔者扱いして悪かったよ。

2024-07-14

日本の政治違和感

保守与党なのに

野党の中にも保守がいること

から野党って分裂するよね

フランスみたいに右中左で分けたら

anond:20240712124733

半陰陽の人がどうしても出産された直後に性別をきめないといけなくて、オトナになって戸籍性に違和感が出てしまった場合には

なにも不便のない体に手術なるメスを入れる行為をしないと性別変更できないので、たのまれ医者半陰陽の人も、両方がこまっていた」という実例を知っていれば、

今回の判決合理的だとおもえる。普通の人(”ターフ”を含む)はこういう特殊例のことはあまり考慮していない。

ただし普通からトランスからみてもダメなのはオカマミサイル」とかいって違法行為(ですよ、見た目が異性のまま公衆浴場侵入するのは。)を煽る行為とそれに載っちゃう心の弱い人。

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